[1] ソマリア
ソマリア連邦共和国(ソマリアれんぽうきょうわこく)、通称ソマリアは、東アフリカのアフリカの角と呼ばれる地域を領域とする国家。ジブチ、エチオピア、ケニアと国境を接し、インド洋とアデン湾に面する。 1991年勃発の内戦により国土は分断され、事実上の無政府状態が続き、エチオピアの軍事支援を受けた暫定政権が首都を制圧したものの、依然として内戦状態が続いている。現在の国土は暫定政権の南部と、1998年7月に自治宣言したプントランド(首都ガローウェ、暫定政権との連邦制に肯定的)の北東部、91年に独立宣言した旧英領のソマリランド共和国(首都ハルゲイサ、国際的に未承認、東部に分離の動き)の北部に大きく3分割されている。
台湾(中華民国) 存在自体を認めていないので、国交がない国
台湾と国交がある国:23ヵ国 中国と
国交がある国は172ヵ国
国連:かつて加盟(安保理常任理事国)、1972年に追放
台湾の地図 大陸沿岸の「*マーク」のついている島々(金門=ケモイ、馬祖
=マーツーなど)も台湾政府が支配中
日本
と国交がない国の代表格といえば、まず台湾。台湾は明らかに「領土、国民、政府」が揃っているのになぜ国交がないのかといえば、 日本政府は台湾という国が存在することを認めていない から。 台湾は中国の一部だから独立国ではないということになってい る。
じゃあ 台湾政府自身はどういう立場なのかといえば、やはり台湾は中国の一部 だ
から台湾という国は存在しないとい う。でも、その「中国」とは日本政府が言うのは中華人民共和国だが、台湾
政府が言うのは「中華民国」だ。
中華民国とはすなわち台湾政府のことで、主張する領土は台湾はおろか中華人民共和国より
広く、モンゴルも含み(だからモンゴルという国も存在しない)、さらにシベリアの一部(ロシア領のトゥバ共和国)、アフガニスタンやタジキスタンの一部( パミール地方 )も含んでいて、 首都は台北じゃなくて南京 (台北はあくまで臨時首都)。
「あれ、中国の首都は北京じゃないの?」と思うでしょうが、台湾政府によれ ばこの世に北
京(ペキン)という都市は存在せず、 北平(ペピン)という町ならある そ うな。。。。
中華民国全図 台湾政府が
公式に主張している領土。広いですね。
中華民国行政区画及領土糾紛全図 台湾政府が領有権を争っている地域。南京
は「法定首都」、北京は「北平」になっています。
国土と国民 台湾政府の公式サイトでの説明。2006年末に削除されたもの
の復元サイト(日本語)
ゲリラが国土の大半を支配?
一体どういうことかを理解するには、 政府軍と反政府ゲリラの関係 を考えれ
ばわかりやすい。内戦が勃発して領土の一部を反政府ゲリラが支配している国は世界中あちこちにあるし、反政府ゲリラが新たな革命政府を作って、1つの国に
2つの政府が存在しているケースもある。場合によっては反政府ゲリラが国土のほとんどを占領してしまい、首都もゲリラの手に陥ちて、政府軍は国土の片隅に
臨時首都を作って抵抗を続ける・・・ということだってあ
8月26日発売の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』は、人気ノンフィクション作家・高野 秀行と歴史学者・清水 克行による、異色の対談集である。「世界の辺境」と「昔の日本」は、こんなにも似ていた! まさに時空を超えた異種格闘技の様相を呈す内容の一部を、HONZにて特別先行公開いたします。第1回は「高野秀行氏による前書き」と「かぶりすぎている室町社会とソマリ社会」について。(HONZ編集部)
はじめに by 高野 秀行
私はふつうの人が行かないアジアやアフリカなどの辺境地帯を好んで訪れ、その体験を本に書くという仕事をしている。こんなことで生活できるのはありがたいと思うが、一つ困るのは話し相手がいないことだ。
たとえば、ここ5年ほど通って取材を行っているアフリカのソマリ人。彼らは数百年前から続く伝統的な社会システムを現在でも維持しており、それに従って内戦も和平も恋愛 も海賊行為も行われている。面白くてたまらないのだが、ソマリ人が主に暮らすソマリアやソマリランドは数多くの武装勢力が群雄割拠する危険地帯と見なされているがゆえに、 日本には専門とする研究者もジャーナリストも存在しない。
結局、私が一人で細々と取材し、相談する相手もないまま考えを巡らせている。これではなかなか知見が深まらないし、淋しい。「ソマリ人の復讐の方法って徹底してるよね?」 と言えば、「そうそう、あれはすごいよね」と打てば響くように返してくれる「同好の士」 が欲しいと常々思っていた。 �
そんなとき、ドンピシャの話し相手が想像もしない方角から現れた。
日本中世史を研究している明治大学教授・清水克行さんだ。
清水さんの著作を読み、室町時代の日本人と現代のソマリ人があまりに似ていることに驚いた私は、縁あって清水さんご本人と直接お会いする機会を得たのだが、ソマリ人はもとより、アジア・アフリカの辺境全般に過去の日本と共通する部分が多々あるということを発見、あるいは再認識し、ほとんど恍惚状態となった。
何しろ、私が「ソマリアの内戦は応仁の乱に似てるって思うんですけど、どうですか」 などと、誰にも打てない魔球レベルの質問を投げかけても、清水さんは「それはですね ......」と真正面からジャストミートで打ち返し
■マリー・ヴィソツキー島(R1M)が消滅エンティティーに
アメリカの連盟ARRLはロシアの北西に位置するマリー・ヴィソツキー島(R1M)を2012年2月17日付けで消滅エンティティーとしました。
ARRLの発表では「フィンランド運輸通信省によれば、フィンランド−ロシア間のサイマー運河協定が2012年2月17日に発効したが、マリー・ヴィソツキー島(R1M)は、このたびの協定には含まれていないため、同日付でDXCCリストから削除し、消滅エンティティーリストに加えた」としています。
(2月24日)
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■アマチュア無線に472-479kHzの新規分配
2012年1月23日〜2月17日、スイス・ジュネーブにおいて開催された国際電気通信連合
(ITU)の世界無線通信会議(WRC-12)において、アマチュア無線に472-479kHzの7kHz幅を
2次分配することが承認されました。
会議においては、日本をはじめ多数の国がこの周波数帯のアマチュア無線への2次分
配を支持しましたが、一部の国々では航空無線航行用の無指向性電波標識(NDB)あるいは
船舶との通信をこの周波数帯で運用しているとして分配に反対する意見もありました。
このため、分配をおこなう国においてはアマチュア局の最大送信電力を1W EIRP
(等価等方輻射電力)とする制限が課せられましたが、これらの国々(下記、50音順)から800km
以上離れた地域においては、送信電力の制限値を5W EIRPまで増加してもよいとされています。
アゼルバイジャン、アラブ首長国連邦、アルジェリア、イエメン、イラク、
イラン、ウクライナ、ウズベキスタン、エジプト、オマーン、カザフスタン、
カタール、キルギスタン、クウェート、コモロ、サウジアラビア、ジブチ、
シリア、スーダン、ソマリア、中国、チュニジア、バーレーン、ベラルーシ、
モーリタニア、モロッコ、ヨルダン、リビア、レバノン、ロシア
世界無線通信会議は
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欧米人の到着以前、この地域には牧畜民系の ツチ の王が農耕民系の フツ を支配する ルワンダ王国 が存在していた。 [3]
ドイツ植民地時代 [ 編集 ]
1889年 、 ドイツ の 保護領 となる [3] 。以後ルワンダは 第一次世界大戦 終結まで ドイツ領東アフリカ の一部とされる。植民地政府は、既存の統治機構を利用する 間接統治 方式を用いた [3] 。
ベルギー植民地時代 [ 編集 ]
1918年 以後は ルアンダ=ウルンディ として ベルギー の 委任統治 下に置かれ、少数派の ツチ が中間支配層に据えられた。
1959年 、 ルワンダ王国 の ムワミ(国王) である ムタラ・ルダヒグワ(ムタラ3世) の死を契機にツチとベルギー当局の関係が悪化し、 万聖節の騒乱 ( 英語版 ) を経て多数派の フツ の抵抗も激しさを増した。 1961年 、ベルギー当局はクーデター(軍政)を行い王政に関する国民投票を実施して キゲリ5世 を廃し共和制樹立を承認した。 ルアンダ=ウルンディ 初代大統領に フツ の ドミニク・ムボニュムトゥワ が就任。
独立後 [ 編集 ]
1962年 に独立。ルアンダ=ウルンディ第2代大統領だったフツの グレゴワール・カイバンダ がそのまま共和国の初代大統領に就任。独立直後のルワンダは最貧国の一つであり、財政は大幅赤字状態、 1963年 には亡命したツチ系武装勢力が一時首都キガリ14kmまで迫るなど、深刻な状態にあった [3] 。しかし、 1966年 から開始された経済再建計画の成果もあり、以後内戦勃発までの20年にわたり、ルワンダはアフリカの模範生としてほぼ一貫して発展を続けることになる [3] 。カイバンダ政権にはツチの閣僚も存在したものの [3] 、政治的にはツチを排除する政策が取られた [4] 。
1973年 に ルワンダ・クーデター ( 英語版 ) が起こり、フツの ジュベナール・ハビャリマナ が第2代大統領に就任する [3] 。ハビャリマナは 開発独裁 を行う一方、ツチに対しては和解政策を進め、政治分野以外での抑圧は減少した。 [4]
1980年代 末の時点でルワンダは大きな発展を遂げていたものの、一方で 都市化 の進展や 環境破壊 、さらに 1987年 のコーヒー価格の暴落もあり貧富の差が拡大 [3] 。 1982年 には0.3
私たち吉田寮自治会は、京都大学総長の山極寿一氏、副学長の川添信介氏に以下のことを求めます。
1)2017年12月19日に示された「基本方針」を撤回すること
2)寮自治会との確約(歴代の副学長と取り交わしてきた文面化した約束)を引き継ぎ、公開の場での話し合いに応じること
3)吉田寮現棟の老朽化対策については、寮自治会との話し合いの上で決定すること
吉田寮の現在
吉田寮は、築100年以上の現棟と2015年に建てられた新棟からなる京都大学の学生寮です。
現在250人以上の寮生が住み、自治寮として寮運営を学生たち自身で行ってきました。
大学とは、これまで担当者と公開の場で話し合い、吉田寮に関する約束を交わしてきました。
ところが、2015年に担当となった川添信介副学長は、公開の場での話し合いは行わない・少数の寮生代表としか会わないと発言し、これまでの方法や約束を一方的に無視したため、話し合いを持てずにいました。
大学当局の突然の決定
そして去る2017年12月19日、なんの事前通知もないまま、大学から京都大学公式サイト上で『吉田寮生の安全確保についての基本方針』が公表されたのです。そこでは、
(1)2018年1月以降の新規入寮は認めない
(2)9月末までにすべての学生は退去しなければならない
とされ、さらに寮生個人宛に、その一方的に定めた退去期限を過ぎても居住し続けた場合「不法占有」にあたると通知してきました。
「基本方針」の問題点
この通知は、これまでの大学と吉田寮自治会の話し合いの積み重ねを無視しています。「基本方針」は現棟の老朽化を理由にしていますが、もともと優れた資材と技術を用いて建てられた現棟は、適切に補修することによって安全を確保することができるとされています。寮生側も、これまで何度も大規模補修を大学に提案し、具体案を示してきました。ところが、大学はそれに対し消極的姿勢を示し続けてきたのです。こうしたことから「基本方針」の目的は寮生の安全確保ではなく、住民が退去して空っぽになった吉田寮を取り壊したり、一方的に建て替えると同時に大学の管理を強めたりすることではないかと危惧しています。
また9月以降、大学は代替宿舎を用意すると言っていますが、全ての寮生が移れるわけではなく、学生を「正規生」と「非正規生」に分け、「正規生」のみが代替宿舎に移れるとしています。さらに代替
[12] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404082142850