ウルムチ

ウルムチ

[1] ウルムチ

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[2] 陸路と海路の世界一周 世界遺産巡り ウルムチからアルマトイへ, , http://karaagesix.blog.fc2.com/blog-entry-51.html

これから国際列車でウルムチからカザフスタンのアルマトイに行く。 アルマトイ行きのチケットを買う時に、22時までにウルムチ南駅に行くように言われたのでホテルを20時過ぎにチェックアウトした。 まだ昼過ぎのようにも感じる。 ウルムチ南駅にはバスで向かう。 バスでの駅までの行き方はチケットを買う時に学習済みだ。 渋滞が激しく、21時頃にウルムチ南駅に到着。 まだ夕食を食べていないので、駅近くの牛肉面の店に行く。 やはり中国の締めは日本人としてラーメンにしたかった。 これが最後のラーメン、特色牛肉面だ。 牛肉以外にも煮込んだ大根や人参等の野菜が入っていて美味しかった。 ウルムチ南駅に戻ると、珍しいアルマトイ(阿拉木?:口構えに冬)行きの表記があった。 駅の待合室はかなり混んでいた。 一つ前の電車を待っている人のようだ。 混んでる場所からどうにか抜け出してビールを購入。 飲みながら待つ。 前の電車の人達が捌けた後、残っていたのは自分とおばあちゃんの二人だけだった。 時間は22 時を過ぎている。 散々北京時間の22時までに来いと言われたのに守ったのは二人だけか。 一旦待合室を追い出される。 待合室の掃除をし始めた。 23時頃になると他の客も集まってくる。 掃除が一段落したのか、待合室に入れる人が出てくる。 自分が待合室に入ろうとしたら荷物の重さを測らされた。 結果は、19.75kgだ。 電車に持ち込もうと待合室内の売店で水やビールをたくさん購入していたのでかなり重くなっている。 重さを測ったということは、荷物の重さによって追加料金でもかかるんだろう。 自分の重さはセーフだったが、もう少しビールを購入していたらアウトだったかもしれない。 電車に持ち込む飲み物を買うのは、荷物重量チェックの後の方が良いということだ。 乗車時間になった。 車両はカザフスタンのものだ。 ウルムチからアルマトイの鉄道は土曜と月曜の週二本あるが、月曜のはカザフスタン車両で、土曜が中国車両らしい。 客車を引っ張るのは赤い和諧号だった。 最後まで和諧号にはお世話になる。 客車はなかなか綺麗な作りだ。 客室が3段でなく、2段ベッドなのが嬉しい。 自分のルームメイトはカザフスタン人のおばあちゃん、カタリナだ。 彼女はクレヨンしんちゃんの靴下を履いていた。 24時過ぎにウルムチ南駅を出発。 さすがにこの時間は真っ暗だ

[3] 8月21日 モンゴル① 入国&ホブドへ|chutokukuriのブログ, , http://ameblo.jp/chutokukuri/entry-12065193589.html

それにも理由があったようで、 国境が昼休み のため、午後3時頃までこの市場で待たねばならなかったのです。

[6] ノモンハン1 of aizenkai, , http://www.jinruiaizenkai.jp/kolumno/mongolio/cn23/nomonhan-1.html

山崎 光男

6月25日(土)夕刻、東京からAさん(88歳)一行6名がウランバートル空港に到着した。Aさんは65年前、ノモンハンで多くの戦友を失った。他のメンバーも60歳を越えた年配の方々で共にノモンハン慰霊の旅を志してきた。

私は予てから、この旅を企画したETT社のアンハー専務から「山崎さん、一緒に行きませんか?」と度々誘われていた。

「それはよいですね。絶好の機会です」と気軽に返事をしておいた。私自身は目的地まで片道千キロと知ってはいたが、舗装道路を高速で走りぬけ、途中のホテルで熱いシャワーや食事をいただきながら快適な旅ができるものと思い込んでいた。

わたしの返事があまりに軽く感じられたのであろう。アンハーは本気にはしていなかった。

当初、この旅は全区間を車で往復する予定であったが、ウランバートルからチョイバルサン(3分の2行程ほど)まで往復国内便が出ることになった。当然、参加者は喜んだ。

ところが途中で往路だけしか便が出ないということになった。そして、出発の間際になって、さらに往路も便が欠航となった。普段は温厚なアンハーも激怒してしまった。航空会社は何の謝罪もしなかったらしい。日本ならば補償問題になっただろう。

最初の計画に戻すしかない。アンハーの決断は早かった。あいかわらず私は、起伏に富んだ草原の道・2千キロを走行するということが、どういうことか全く理解していなかった。

出発を目前に控えて「山崎さん、明日出発です。本当に行くんですね?」とアンハーが念を押した。「あー、行きますよ。何時に出発ですか?」「11時ごろになるでしょう」と彼が応じた。

翌朝8時に起床して朝食を準備し始めたとき、彼から携帯電話に連絡が入った。

「今から出発です。山崎さんのアパートに来ています。」

私はあわてて洗面具と着替えをバックに突っ込み、アパートを飛び出した。「これもモンゴル式なのだろう」と自問しつつ。

日本からの一行はフラワーホテルに昨夜到着していた。Aさんの他に男性が一人、残り4人は女性であった。新彊ウイグル自治区のウルムチやタクラマカン砂漠に行ったことのある女性もいた。それなりに旅慣れした方々なのであろう。

私は急いでホテルのトイレに駆け込み朝の用便を済ました。目の前にトイレットペーパーが1巻あった。私はそれをバックに入れた。草原で済ますときには必需品とな

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