草木を掻き分けながら3時間ほど山道を登っていくと、
突然目の前に大きなケヤキの木が現れた。
それにはいくつものの木札がぶら下がっている。
どうやらそれは、村山古道を登った人たちが登山を記念して掛けていったもののようだ。
このケヤキのある広場は、かつて札打場のあった跡らしい。
札打場とは、修験者が富士山へ入る際に札を掛ける場所。
かつての村山道の姿が忍ばれる遺跡だそうだ。
10:00−思わぬ人物との思わぬ出会い
札打場跡からさらに登ると、広い舗装道路にぶつかった。
数は少ないものの、時々車も通る立派な車道だ。
富士サファリパークとか、その辺りへ繋がる道路らしい。
高度計が示す標高は約1000m。側に天照教の施設があり、
その前が少し開けた場所となっていたので、私はそこで朝食を取った。
朝食後に休んでいると、どこからともなくチリンチリンという鈴の音が聞こえてきた。
クマ避けの鈴だろうか。誰かが村山古道を降りてくる。
今回、山に入って初めて会う登山客だ。
しばらくすると、初老の男性が林の中から姿を現した。
私は「こんにちは」と挨拶をし、村山から村山古道で登ってきた旨を話すと、
その人は「それはごくろうさまです」とこちらに名刺を差し出した。
その名刺には畠堀操八とあった。
畠堀……操八さん……?はて、どこかで聞いたことがあるような……どこかで……あぁ!
これには本当、おどろいた。
畠堀操八氏は、私がこの村山古道の存在を知ることができた本、
「富士山村山古道を歩く」の著者だったのだ。
村山古道を今に復活させた村山古道の第一人者でもある。
言わずと知れた日本の最高峰、富士山。
古くより信仰を集めてきた富士山は、現在年間30万人の登山客が訪れる山となった。
富士山には、かつて海から山頂まで向かう、村山道という登山道があったそうだ。
村山道は現在利用されているどの登山道よりも古い歴史を持ち、
長きに渡って富士登山のメインルートとして使われてきたという。
しかし、明治時代に廃道となり、そのまま忘れ去られてしまった。
歴史の中に埋もれていたその村山道が、近年復活を遂げたらしい。
これは面白そうだということで、
海から富士山を目指してみることにした。
100年前に途絶えた、いにしえの登山道をたどって。
(木村 岳人)
村山道とは
村山道の歴史は、なんと平安時代にまで遡るという。
富士山信仰の拠点として開かれた村山の修験者たちが、
富士山へ参拝するために開拓したのが始まりなんだそうだ。
その後、村山道は富士登山のメインルートとして数多くの人々を富士山山頂へと導いた。
しかしながら明治39年(1906年)、現在の富士スカイラインの元である
大宮新道が開通したことで村山道は廃れ、廃道となってしまった。
そして近年、富士山クラブの畠堀操八氏らによる
地道な現地調査によって、村山道は村山古道として現在に蘇った。
そのルートは、駿河湾を望む田子の浦からスタートし、
かつて東海道の宿場町であった吉原宿を抜け、
富士修験道の聖地である村山を経由して富士山山頂へ向かうというもの。
田子の浦から村山まではおおよそ20km。村山から富士山五合目までも20km。
富士山五合目から頂上までは5kmといったところか。
富士山五合目から頂上を目指す現在の富士登山道と比べて、
なんともまぁ、長い道のりだ。
なお、今回歩いたこのルートは、
前述の村山古道を復活させた畠堀操八氏の著書
「富士山村山古道を歩く」(風濤社)の記述に沿ったもの。
もし、もっと詳しく村山古道について知りたい場合は、この本をご参照あれ。
10:00−田子の浦はテトラポットの海だった
さて、それでは登山を開始しよう。
今回のスタート地点、それはもちろん田子の浦である。
浦、という名から砂浜を想像していたのだが、
私の目に映ったのは一面テトラポッドの海だった。
しかも海岸整備のためだろうか、やたら大きなトラックが目の前をひっきりなしに走っていく。
う〜ん、スタート地点と
[6] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054532076677