[1] がま池, 蝦蟇ヶ池, 蝦池
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今も残る大蝦蟇伝説 − 麻布がま池 −
※ 引用文中、文字フォント、文字色等を変更して強調している部分は、当サイトで付したもので、原文とは関係ありません。
■ がま池の歴史 ■
山崎主税之助屋敷にあった「がま池」は、その後どうなっていったのでしょうか。
明治維新後、山崎家の屋敷は、第二次伊藤博文内閣のもと、大蔵大臣になった諏訪藩士、子爵渡辺國武の邸になりました。
前のページでも紹介した、「新撰東京名所図会」には、明治時代のがま池の様子が絵と文で記されています。
俯して窺へば柳條攅元、固く池面を封じて、風物凄其、陰寒の氣人を襲ふて、境地の寂寞に冥契するものあらむとす。
(前掲「新撰東京名所図会」)
文章は難しくて、様子はよくわかりませんが、何やら深遠な池のようです。絵を見ると、かなり広々とした、大きな池であったことがうかがえます。
この、渡辺邸時代の「がま池」の様子を伝えるもう一つの文章があります。これも、既にご紹介した「幕末・明治 女百話」。
麻布本村町の渡辺国武−−大蔵大臣までなすったその渡辺さんの御屋敷は、御門から覗きますとズット低く、御庭の底が、大きな御池となって、柳の大きな樹が、池の面に垂れて、船などが繋いである風情は、好い御屋敷で、古い御池だと、いつも思い/\したものですが、アノ御池が、俗に『蟇池』といって、蟇の主が棲んでいたと申します。
(篠田鉱造・前掲)
邸自体がかなり窪地にあったようですね。門から見下ろすような場所に邸があって、その窪地の一番低い所が大きな池になっていたと。大きな柳の木があったということですが、柳と蛙の取り合わせは、小野道風の故事っぽくて、まさに「がま池」にぴったりです。
この、柳と蛙の取り合わせを、見た人がいます。それも、現代。
その人こそ、カメリア・マキという占い師(?)。なんだか、“カメリヤダイヤモンド”と“銀座じゅわいおくちゅーるまき”が合わさった、派手なお名前ですが、この人が、「がま池」について霊視しています。
由緒あり気な大名屋敷の一角が目の前に広がる。木立ちに囲まれた「がま池」は、現
六本木、麻布十番、元麻布の谷筋の水を集めて流れて古川(渋谷川)に注いでいた小川の痕跡を再訪してきました。東京の水2005revisitedで、5年前にすでに詳しく記事にしていますが、なかなか面白いエリアですので、最新の写真をメインに2005年の写真、1997年の写真も織り交ぜて、何度かに分け、再度紹介してみます。六本木のところは、先日ちょうどブラタモリ最終回でも取り上げられていました。 ==================================================== まずは元麻布2丁目の「がま池」から流れ出していた小流を追ってみよう。 麻布十番から枝上に分かれる谷の一つに、有栖川宮記念公園の南側、谷頭の窪地には江戸時代より有名な「がま池」(「蝦蟇ケ池」)が残っている。「がま池」の名は、池に棲んでいた大きなガマガエルに由来するとされており、いくつか伝説が残っている。がま池の由来やその変遷については、こちらのサイトが詳しい。 明治時代の地図には、大きな池の姿が描かれている。この時点で池の広さは1600平方メートル。池の北側からは川が流れ出し、北側の谷へと続いている。
「五千分の一東京図測量原図 東京府武蔵国麻布区永坂町及坂下町近傍(明治16年)」より 現在の池の姿は、googlemapの空中写真で確認できる。池の広さはおよそ600平米。池の北側が埋め立てられ、池の上にせり出すかたちでマンションが建っている。中島はおそらく明治の地図に描かれているのと同じものだ。どんな旱魃の時でもかれたことがないと言われた池の湧水も、1990年代に入るとほとんど枯渇してしまい、現在は、循環水で水面を維持しているようだ。
大きい地図はこちら 現在、住宅街の道路端と、とあるマンションの玄関脇にがま池の説明版が掲示されているものの、先のマンションの中庭となっていて、入ることはおろか見ることもできない。マンション入り口の看板には池を公開している旨書かれているが、聞いてみたところ公開していないとの回答。5年前に訊いたときにも、一時的に取りやめているといっていたが・・・現在のマンションは2002年に建替えられたもの。その際は建設業者が池の公開を約束したというが、どうも有名無実になっているようだ。 池の周囲も住宅に囲まれていて、その姿を見ることは不可能だったのだが、数年前に池
麻布十番商店街の西端、そのすぐ先は六本木ヒルズのエリアとなる一角。最近ビルが取り壊され、真新しいアスファルトの敷かれた駐車場が広がっているが、その北側の崖の下に沿って、細長く伸びるコンクリートの敷地が姿を現している。これは、旧麻布宮村町の谷から流れ出ていた川の痕跡だ。前回とりあげた「がま池」からの小川もこの川に合流していた。今回はこの川を上流に遡っていこう。
遡る、とはいっても、先の区間より上流部は、道路から離れていて住宅地の裏側を通っており、痕跡をみることはできない。平行して谷底を通る道路を、がま池のある西に向かって進む。次に流路が見られるのは、元麻布3-6。前回取り上げたがま池からの小川の痕跡の終点のすぐ近くだ。狸坂とちょうど対になる坂の袂に、小さな欄干がある(この写真は2005年撮影)。
下を覗き込むと、大谷石の崖の下に沿って、西から澄んだ水が流れてきている。そう、ここは暗渠や川跡ではなく、現役の水路なのである。この水路をはじめて見たのは21年前(1989年)の夏だった。六本木のすぐそばの街中にこのような水路が残っていることに非常に驚いた。当時よりもやや水量は落ちたように思うが、現在でも健在なのはうれしいところだ。
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