東省特別行政区

東省特別行政区

[3] 東省特別区は、満洲のうち、東支鉄道沿線 (附属地) を管轄していた地方政府でした。

[1] 東省特別行政区 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E7%9C%81%E7%89%B9%E5%88%A5%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8C%BA

[2] 昭和5年に特別市制がしかれ、 東省特別区行政長官が治めることになったといいます。

[4] 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 : 大阪朝日新聞 1934.4.28 (昭和9) () http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00749013&TYPE=HTML_FILE&TRUE_TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA&AID=6&HISTORY=null

北満特別区とは従来東省特別区と称されたる地域が多少の改編を経て大同二年七月一日より更新したる地域の総称である、即ち哈爾賓を中心として東はボグラニチナヤ、西は満州里、南は新京へとT字形に延びたる北満鉄路の附属地一万五千町歩に及ぶ地域で、その成立は十九世紀末葉の「三国干渉」によって支那に恩を強要した帝政露国がその代償として支那から獲得したる東支鉄道敷設権に端を発したもので、一八九六年九月の東支鉄道建設および経営に関する契約によるもので最初は単に「東支鉄道附属地」といわれていたが、一九二〇年十月、支那は露国の革命に乗じてその行政権を回収し「東省特別区」と改称し、更に満州国成立するや、大同二年七月一日を以って「北満特別区」と改称されるに至った、