大東亜の標準時

大東亜の標準時

[138] 大日本帝国領土が拡大した場合、当初は現地の経度に基づく標準時が用いられていましたが、 時差による混乱も多かったらしく、中央標準時へと統合されてゆきました。

[6] 昭和前期には、交通通信の発達により国内および周辺国との結び付きが深くなっていた上、 世界的なブロック経済化によりますます周辺諸国との経済統合が進んでおり、 時差がその障害となっていたようです。

[139] 標準時が統一された大日本帝国満州国の領域だけでなく、 中華民国南京国民政府 (汪兆銘政権) の統治下にあった支那大陸の海岸部や英領香港上海租界なども夏時刻を実施 (大東亜戦争期は通年実施) していました。 更には第二次世界大戦中の南方占領地でも中央標準時が用いられたといいます。

結局、西太平洋から東南アジアにかけたかなり広い範囲 (当時でいう大東亜) で が事実上の大東亜の標準時として使われることとなりました。

[1] 前後の時代も含めた概要は東アジアの標準時東南アジアの標準時

日満時差撤廃

[415] 滿洲では、 日本の勢力下にあった南満州 とロシアの勢力下にあった北満州ハルビン鉄道時など、 複数の時刻が混在していました。 満州国の建国時には、 を採用するべきとの提案もありましたが、 により国内標準時の統一がはかられました。 満州国の標準時

[7] しかしその後日満両国の関係が強化され経済の一体化が進む中で、 通信交通の便宜のため両国間の時差解消を求める声が高まり、 日本中央標準時と同じ に移行しました。 満州国の標準時

[25] 満州国内の日本租借地だった関東州満鉄附属地も、 足並みを揃えて西部標準時 から中央標準時と同じ に移行しました。 関東州の標準時


[31] への統一について、当時の新聞天文学者山本一清が提唱した >>23 と説明していました。

[65] 、 山本は日本倉敷で行われた講演会で、 従前の満州国の標準時 の制定時に のいずれが適切か照会され、 が好ましいと力説したにも関わらず採用されなかったことを紹介しました。 満州国の対岸であるソ連通年夏時刻を採用したことについて 「感嘆すべき」と称賛しました。 >>133

[77] の雑誌記事によると、 山本は「さきに」、 保険、経済、国際の各理由から満州国の標準時 に改正するのが望ましいとする提案を満州国の主要人物や日本の識者に送付しました >>76

[78] 、 山本は満州国の標準時を改正するべきことを放送で述べました >>76ラジオ放送で主張したということでしょうが、 日本の放送でしょうか。あるいは満州国でも放送されたのでしょうか。 山本は「既に多数の人々の共鳴を得つつある」 とし、実現に向けた手応えを感じていたようです。

[64] 山本一清は学会誌天界満州国の標準時を改めよ!を発表し、 満州国の標準時中央標準時同じ に改めることを提案しました >>218。 山本は従前の満州国の標準時 の制定時にも、 満州国首脳に対し、 を採用するべきだと提案しましたが、 受け入れられませんでした。山本はその後もこれを改めない満州国を批判し、 隣国ソ連でも採用された通年夏時刻を実施するべきだと主張しました。 通年夏時刻により経済と健康のメリットがあるのはもちろん、 日本との経済的な結合が強まることや、 沿海州との時差が縮まることの意義を説きました。

[62] 、 山本は鉄路で朝鮮から満州国へと渡りました。 後日発表した旅行記に山本は「此の地點での時刻變更が愚の至りなのだ!!」と書きました。 には、 満州国首都新京で国務院、観象部、軍司令部、満鉄を訪問して首脳と会談しました。 「クラブで官廳有志のグループに圍まれて、天文時事を主題とした座談會の催し」 もありました。 >>61 こうした場で満州国標準時について議論された可能性もありましょう。

[63] 、 山本は関東州大連満鉄の副総裁の大村卓一と会談し、 「標準時問題について健言」しました >>61

[105] >>102 は、 満洲国政府内 (松木侠 (>>102 は当時国務院秘書処長とするが Wikipedia の年表とは一致しない), 武藤富男 (法制処参事官), 土佐林 (技正)) で議題にのぼったとしています。政府内外に意見を照会したところ、 軍部は作戦上都合が良いと賛成したものの、学者や民間からはあまり賛成意見が得られなかったようです。

[185] 朝鮮新聞記事 (付報告) は、 翌年日満標準時が統一されると報じ、 京大の山本氏に言及していました >>184

[106] 満州国において山本一清にどの程度影響力があったのかは定かではありませんが、 標準時統一派は経度的に より の方が適切だと主張したり、 通年夏時間の利点を示したりしており、主張の内容は山本と共通しています。

[107] 標準時変更を伝える新聞その他の記事は、みなその利点を強調しており、 反対意見の存在に言及したものは見当たりません。

[32] 関東州標準時改正に関する説明文書 >>30 では、 日満標準時統一によって経済や交通・通信の両国の一体化が促進されるなどと意義が説明されています。

[18] 日本政府朝鮮総督府の観測所長の国富信一は、 東京京城でも地方時標準時時差はあることを指摘し、 鮮満時差撤廃を「大英断」であると評しました >>3

[26] 日満時差撤廃といっても内地満州国は離れていますから、 最もメリットがあったのは地続きの朝鮮満州国を行き来する両国政府職員や商人達だったのでしょう。


[4] 満州国の官庁執務時間も同時に改正されました。 基本的には表示上の時刻がそのまま (実質1時間繰り上げ) でしたが、 冬季間のみ表示上の時刻が1時間繰り下げられ (実質無変更とされ) ました。 標準時改正をまたいだ年末年始で時刻は1時間遅れとなったものの、 執務の時間はそのままとなったようです。 標準時改正は事実上の通年夏時刻ですが、 執務時間に着目すれば季節性の夏時刻に近い変更ということになります。 滿洲の標準時

[27] 満州では旧標準時の20時頃でもまだ明るく、 夕食後に野球の試合が行われるくらいでした。 (当時日本ではナイターは珍しく、プロ野球の初のナイター大東亜戦争終戦後でした。) それが1時間繰り上がったのですから、 夜なかなか日の入りにならず困ったかもしれません。 また、冬は日の出が遅く、とても辛かったことでしょう。 >>248

[28] 鉄道ダイヤも表示上1時間繰り下げ (実質無変更とされ) ました。 アジア大陸の鉄道標準時

内台時差撤廃

[379] 沖縄県先島諸島では当初中央標準時が施行されていましたが、 標準時未実施だった台湾大日本帝国領となった際、 (県境とは無関係に) 新設された西部標準時 が実施されました。 西部標準時台湾の標準時

[95] この西部標準時は、 より中央標準時 に移行しました (内臺時差撤廢)。

[79] 山本一清満州国の標準時改正の提案が受け入れつつあることを踏まえ、 臺灣通年夏時刻のメリットをより多く享受できるとし、 臺灣の標準時中央標準時に改めることを提案しました >>76

[56] 1936年秋には臺灣中央標準時への統一が議論され、 賛否両論があったようです >>54満州国関東州標準時改正が報じられてから注目され、 是非が議論された >>69 ようです。

[57] 1936年秋にはフィリピンが季節性とはいえ中央標準時と同じ日光節約時 を実施しました。これは臺灣にも伝えられており、 臺灣標準時改正案とも関連する事象と捉えられていたようです。

[94] 臺北商工會も時差撤廃を推進したようです >>153

[17] (西部標準時?)、 台湾総督府総務長官森岡二朗上京直前の部局長会議を開催し、 内台時差撤廃を決定しました。 勅令の改正を経て実施とみられていました。 >>216

[87] 論文によると「過般」、 上海自然科學研究所 (大日本帝国中華民国の共同事業として設立された研究所) の所長の新城新藏博士 (元京都帝国大学総長で宇宙物理学天文学の権威)し、 臺北放送局放送新聞記者との会見談で、 時差撤廃は「自然に逆らうことであり、日輪を呼び戻すの愚に等しい無謀さ」 と批判しました >>84臺灣ラジオ放送新聞で報じられたものと思われます。

日輪云々というのは日招きのことでしょう。

[83] 台湾総督府中央研究所衛生部技師の冨士貞吉 (後に台北帝国大学医学部などで教授を歴任した熱帯衛生学者) は、 標準時改正は非科学的であり、 健康問題を引き起こすとして反対する論文を発表しました。 次のような内容でした。 >>84

[16] 臺灣内地と違って熱帯で夜遅くまで暑いという指摘でしたが、 その内地でも10年後に昭和のサンマータイムで夜蒸し暑く寝られないという問題に直面することになりました。 昭和のサンマータイム

[9] 日本西部標準時の廃止は、 沖縄県台湾総督府からの申請によるもので、 次のような理由が挙げられていました >>378

[578] 八重山諸島では西部標準時廃止の半年以上前のに既に 「官民合同の時差撤廃協議会」が開催されました >>575

[74] 臺灣では「数年来」改正意見があり、 台湾総督府が商工会他 >>216 各界の意見を聴取して改正を決めました >>69。「数年」が何年かはわかりませんが、 満州国の改正で議論が活発になる前からそうした意見はあったのでしょう。

[43] 台湾日日新報 夕刊一面には、 「今夜十一時、お宅の時計を一時間進め、午前零時にして下さい」 とありました。 >>177

[19] 2017年新聞記事によると、 現沖縄県石垣市新川在住 (当時も同地在住か?)山根慶子は、 当時の尋常高等小学校6年の担任安村トヨに、 時計があるでは時刻を1時間早めるようにと指導されました。 しかし当時時計のあるが少なかったためか、 1996年時点で他の同級生の記憶には残っていませんでした。 >>53


[75] 臺灣では、標準時の改正後も、 公務員を含む多くの業界で就業時間が1時間繰り下げられ、 実質的な時間は元のまま維持されました。 臺灣の標準時

[216] 新聞記事文庫 : 大阪毎日新聞 1936.11.19 () http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00475113&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

満洲国では来る一月一日から日満時差を撤廃するが、台湾総督府でも商工会はじめ各方面の要望に鑑みかねて調査中、このほど完了したので十八日午前十時から森岡長官の上京を前に部局長会議を開催した結果、内台時差を撤廃することに決定した、勅令の改正を必要とする関係で実施は明年四月一日になるはず(台北発)

[984] 国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1937年10月02日 臺灣附近 標準時變更 () http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959712/7

臺灣附近 標準時變更

記事 昭和12年10月1日以降本邦西部標準時 (綠威時ヨリ早キコト8時0分0秒)ヲ廢 シ宮古列島、八重山列島、臺灣及澎湖列島 ニ於テモ東經135°ノ平均太陽時(綠威時 ヨリ早キコト9時0分0秒)ヲ以テ標準時 トシテ使用スルコトトナレリ

位置 宮古列島 Lat. 24°45′ N. Long. 125° 00′E. (槪位)

八重山列島 Lat. 24° 20′ N. Long. 123° 40′ E. (槪位)

臺灣 Lat. 23° 40′ N. Long. 121° 00′ E. (槪位)

澎湖列島 Lat. 23° 30′ N. Long. 119° 32′ E. (槪位)

注意 別紙貼附圖(1面)ニ依リ海圖6016號(時 刻帶圖)ヲ改補ス

官報には付図が掲載されていない。
[313] 戦前、八重山地方に時差があったことがわかる資料を探している。 | レファレンス協同データベース (国立国会図書館著, ) http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000149891

4 『官報 昭和12年10月』(内閣印刷局 編・刊、1937年)

P75~77 昭和12年10月2日 「水路告示第三十八号」の 「12年1073頁 台湾附近 標準時変更」で「昭和12年10月1日以降本邦西部標準時ヲ廃シ宮古列島、八重山列島、台湾及澎湖列島二於テモ東経135度ノ平均太陽時ヲ以テ標準時トシテ使用スルコトトナレリ」とある。

[177] 官暦と民間暦を通してみる伝統と近代の交錯 -日本統治時代の「台湾民暦」と国民党統治時代の「農民暦」を中心に-, 游舒婷, , https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=8302&item_no=1&page_id=13&block_id=21

1937(昭和 12)年、日中全面戦争に突入、時間の一体化が要求され、台湾は西部標 準時(東経 120 度)から日本の標準時(東経 135 度)の使用地域に入った。9 月 30 日の『台湾日日 新報』夕刊第 1 面で、「今夜十一時、お宅の時計を一時間進め、午前零時にして下さい」と布告され ている。

[53] 時差後日談を。昭和12年、中央標準時との… | 八重山毎日新聞社 (2017年07月04日 ) http://www.y-mainichi.co.jp/news/31879

昭和12年、中央標準時との時差1時間の消滅を体験し、記憶している方がいらっしゃった▼新川在の山根慶子さん、数え94歳。尋常高等小学校6年の時、担任の安村トヨ先生が「時計のあるおうちは、家族に言って1時間早めてもらいましょう」と言われた。不思議に思いながら家族に柱時計の時刻を修正してもらった▼73歳の生り年のさい、記憶を記録にすべく試みたが、時計がある家が少なかった時代。同級生のどなたに聞いても覚えている人がいなかったそうだ。つてを頼って気象台OBの那覇在、宮良孫好さんにつながった。昭和12年10月1日。勅令第529号▼「台湾及び八重山・宮古列島において政治経済、交通その他諸般の点に鑑み、中央標準時に依る必要がある」これが時差廃止の理由だが、何が何だかわからない。慶子さんは「支那事変の年だからおそらく軍事上の理由でしょう」という

[58] 2017年時点で数え94歳なら、 生年は1924年昭和12年には数え13歳で小学6年生。 数え73歳は1996年

[60] 宮良孫好石垣島出身で先島諸島で活動した気象台職員・生物学者。 年齢不明だが当時も在島していたなら標準時切り替えを体験していたはず。

[44] A02_0110_010(055)0775.pdf, , https://www2.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000002chosakai/A02_0110_010(055)0775.pdf

レコードNo.
A02_0110_010(055)0775
タイトル
同盟旬報 第1巻 第10号(通号010号)
巻数
第1巻
号数
第10号
掲載年
1937年
掲載月
09

台湾時差撤廃

[45] A03_0116_016(068)1368.pdf, , https://www2.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000002chosakai/A03_0116_016(068)1368.pdf

レコードNo.
A03_0116_016(068)1368
タイトル
同盟旬報 第1巻 第16号(通号016号)
巻数
第1巻
号数
第16号
掲載年
1937年
掲載月
11

台湾時差撤廃と税関執務時間改正

西部標準時廃止と軍部の関係

[40] 日本満州国標準時統一が軍部の介入によるものだという主張もありますが >>92, >>401、 少なくても軍主導で統一されたというわけではなさそうです。

[385] 同様に西部標準時の廃止を軍部の都合としたり >>141, >>401, >>1050、 あるいは戦争と関連付けて説明したり >>416, >>422, >>627, >>429, >>53, >>577, >>1823, >>29, >>196 する人もいますが、 少なくても当時の申請 >>378 は、そうした理由付けはされていません。 へ廃止について照会があったようですが >>384 (利害関係者なので当然でしょう)、 として強い主張があるようにはみえません。 当時の新聞報道も商工会からの要望には触れています >>216 が、 から要求があったとは言っていません。

[73] 通信・交通や経済と並んで軍事上の必要性を理由に挙げた説明は、 当時からありました >>69としても分かれているよりは統一されている方が楽なのは確かでしょう。

[499] 日本軍台湾駐在部隊は標準時改正に先立つ 中央標準時 に移行しています。には、 陸軍台湾部隊から本省に対し、 陸海軍は移行済みで台湾総督府に移行すると決定して主務省に申請しているものの、 進捗が芳しく無いとして、斡旋を依頼しています。 >>498 検討自体はに既に行われていたようですが >>378、 その後停滞していたのでしょう。

[33] 軍としては民間が移行するかどうかと無関係に独自の判断で先に移行しました。 軍民別より統一されている方が当然楽でしょうし、 先に移行したのも民間が移行すると見込んでのことなのでしょうが、 軍は民間の動向に関わらず独自の時刻を採用できるのですから、 軍の都合で民間の時刻をかえさせる必要などありません。

[68] 斡旋の効果があったのかどうなのか、 閣議決定があり >>69、 ぎりぎりには改正勅令公布されました。

[500] 台湾側は標準時統一を強く望んでいたのに対し、 東京側はそれほど関心を持っていなかったのでしょうか。

[402] この時期の制度改正はすべて軍のせいだと言っておけばそれらしい説明になるような風潮もあり、 眉唾ものです。 当時の人々が生活を良くするために切望した標準時改正を、 軍部が無理な要求を通した、中央政府が現地を無視して統一した >>51 と根拠も示さず安易に語るのは不誠実です。

[204] 本当に日本軍の作戦行動の都合で統一されたというのであれば、 満洲台湾南洋群島でばらばらのタイミングで中央標準時を採用したことや、 東京標準時統一にあまり積極性を見せていないことの説明がつきません。

[80] また、実際に軍は臺灣の標準時の改正に先立って軍用時を独自に中央標準時に改めているのですから、 文民の時刻と一致しているのが理想的とはいえ、 無理にでも全体の標準時を改正させるほどの動機がありません。

[8] >>92 はこの頃 (詳しい時期不明) に満鉄への時刻供給若草山観測所から関東軍に切り替えられたことが標準時改正への軍部介入を示唆するものと言っていますが、 その因果関係も謎です。
[29] 日本歴史における領域研究総論序説, 塙叡, 東京工芸大学紀要 Vol. 6, No. 2 (1983)

PDF 11ページ https://kougei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=576&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1#page=11

昭和一二年九月二四日、 国防上の理由から西部標準時は廃止されたが、中央標準時の名称 は残された。 45)

ちなみに一三五度の標準時は朝鮮にも採用されているという。 防衛上からアメリカの要請に従ったのだといわれる。

45) 青木信仰『時と暦』、東京大学出版会、二二〇~二二二ページ

[299] 守禮之邦便り保存箱2 () http://home.b-star.jp/~deepdive/shurei2.htm (消滅確認 )

第二次大戦中、宮古・八重山諸島と、当時日本領だった台湾が、日本標準時より1時間遅い「西部標準時(+8H)」だった時期がある。

[42] 現在の一般的な解釈によれば、 第二次世界大戦は、 欧州戦線が 1939年開戦、 大東亜戦争1941年開戦。 一方西部標準時廃止が 1937年第二次世界大戦中に先島諸島 だった時期はない。 台湾の標準時 に改正された。 の終戦の日を過ぎているが、 講和前なので、台湾は「時期がある」 といえなくもない (が、そのような説明は適切といえるかどうか)。
[180] 黙翁日録: 南京戦中の日本(7) 昭和12(1937)年11月3日 「国民奉祝の時間」, 2009年9月20日日曜日 () http://mokuou.blogspot.jp/2009/09/7121937113.html

時報を正確に知らせるラジオの聴取契約数は、日中戦争勃発とともに急増し、この月、324万に達する。

この年10月1日、西部標準時が廃止され、「内地」、植民地、「満洲国」が全て中央標準時に統一され、同じ時刻に遥拝することが可能となる。

[577] 『「昭和天皇実録」を読む』: pata () http://pata.air-nifty.com/pata/2015/10/post-6e4a.html

この盧溝橋事件後、昭和天皇の地方行幸は取りやめとなり、君民一体の場は宮城前だけに限定されるが、その代わり、それまで一時間の時差があった宮古・八重山と台湾の時差をなくして時間支配を強める、これによって特定の統一された時間の皇居遥拝が可能になったといいます(p.121)。

[1823] 明日21日は、1年で最も昼が長い夏至。7年前の夏至の日、北海道… | 八重山毎日新聞社 (, 慶田盛伸, ) http://www.y-mainichi.co.jp/news/31814/

当時の人々は太陽とともにある暮らしで、時差とは何の関わりもなかったに違いない。廃止理由も軍事上か、よくわからないまま

[196] 官暦と民間暦を通してみる伝統と近代の交錯 -日本統治時代の「台湾民暦」と国民党統治時代の「農民暦」を中心に-, 游舒婷, , https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=8302&item_no=1&page_id=13&block_id=21

1937(昭和 12)年、日中全面戦争に突入、時間の一体化が要求され、台湾は西部標 準時(東経 120 度)から日本の標準時(東経 135 度)の使用地域に入った。

南洋群島時差撤廃

[126] 日独戦争日本領となった南洋群島は、 東西に広大な領域にわたっており、標準時は3区に分かれていました。 に実施された南洋群島の標準時の2区制への改正は、 内地および南洋群島内各地域の関係が密接になって時差が不便であることが理由 >>55 とされています。 また、台湾で用いられていた西部標準時廃止にも言及があり >>55、 当時の台湾関東州での標準時改正の動きが南洋群島にも波及したと考えられます。 南洋群島の標準時

アジア大陸および南方占領地の時刻

[5] 支那事変大東亜戦争では、日本軍中央標準時 軍用時として全世界的に用いました。 中央標準時

[96] しかしこれは日本軍部隊の作戦上用いる時刻で、 軍政下の行政機関市民が用いた時刻とは必ずしも一致しません。 また日本軍の影響下にあったとしても、 すべての地域ですべての期間が軍政下にあったわけではありません。

[98] 日本軍軍政下にあった地域では、 現地の標準時中央標準時に改正された場合があるようです。 しかしその詳細な時期や範囲はほとんど明らかになっていません。


[418] 満州国標準時を改め中央標準時と一致させることを主張し続けた山本一清博士は、 その実現後の1938年、中華民国の各政府 (北支臨時政権 = 北京中華民国臨時政府および中支維新政権 = 南京中華民国維新政府。当時は統一政府がありませんでした。) に対しても同様の標準時改正を呼びかけています >>417。 山本博士は、台湾満州の新標準時夏時刻の通年採用に当たりそのメリットを享受できるとする一方、 日本内地東アジア全体の標準時統一維持のため夏時刻採用を断念することを説いています >>417

[425] ただし博士は翌月には北支事変の時局を踏まえて早くもこれを撤回、 台湾を除く日本通年夏時刻採用を求め、 政府に建議書を提出しています >>4261941年には夏時刻採用が世界の趨勢であり、 日本も「実行が一日遅れれば,一日の損である」 >>424 と述べています。

[423] 支那事変支那大陸の海岸部を統治した中華民国の各政権や地方政府は、 夏時刻 を実施しました。 中華民国域内にあった治外法権地域である上海租界香港でも、 夏時刻 が実施されました。 1942年には、夏時刻 通年実施されるに至っています。

中国大陸の標準時


[52] 米領フィリピン準州では、 日本軍の進攻前から現地政府が夏時刻を実施しており、 日本軍もそれを引き継いだため、 中央標準時 と現地時刻が一致したようです。 中華民国南京国民政府夏時刻を実施しており、 途中から通年化したため、 中央標準時 と現地時刻が一致したようです。

[101] 英領マラヤ英領シンガポール蘭領東印度では、 日本軍の進攻後に現地時刻から1,2時間進めた通年夏時刻に相当する中央標準時 標準時が改められました。

[144] tzdataWikipedia などは日本軍の統治期間を中央標準時の時期としていることが多いですが、 統治期間と標準時改正の時期は実際には一致していなかったと考えられます。 また、日本軍の統治下にあったというだけで十分な根拠なく中央標準時に改正されたとして扱っている疑いのある地域もあります。 今後、当時の資料の発掘により正確な状況が判明することが期待されます。

[41] 戦時下の各地の軍政の施策や人々の生活を扱った書籍は少なくありませんが、 どこの地域についても当時の日時制度に言及するものはほとんどなく、 2、3行くらいの説明があれば良い方です。 統制下で同時代の確実な典拠となる文献が不足しているのはやむを得ないとしても、 聞き取り調査などで当時の人々の生活を復元しようとしていながら、 事実関係の確認の基本中の基本である日時制度への理解が不確かなままで進められているとすると、 その記述内容の全体の信憑性に疑問を持たざるを得ません。
[147] 大東亜戦争大東亜共栄圏標準時
area
地域
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現所属国
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戦時中の政体
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旧時刻
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戦時中の標準時改正
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同時代の文献
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期間
tzdata
tzdata
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紀年法
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詳細記事
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大日本帝国内地: 北海道以南
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日本国, 大韓民国独島
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日本の標準時
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独立国
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- (戦前に一部 から改正済)
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改正なし
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-
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元号, 皇紀
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大日本帝国内地: 千島列島北方領土
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ロシア連邦サハリン州 (クリル列島)
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日本の標準時
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地方政府 (内地)
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N/A
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停戦後に改正
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元号, 皇紀
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大日本帝国南樺太
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ロシア連邦サハリン州 (サハリン島南部)
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日本の標準時
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地方政府 (外地内地)
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停戦後に改正
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停戦後に改正
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-
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元号, 皇紀
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大日本帝国臺灣
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中華民国台湾地区, 中華人民共和国海南省南沙市, フィリピン共和国カラヤーン群島, ベトナム社会主義共和国長沙諸島, マレーシアサバ州スプラトリー諸島
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臺灣の標準時, 東南アジアの標準時
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地方政府 (外地)
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- (戦前 から改正済)
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停戦後に改正
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元号, 皇紀
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大日本帝国朝鮮
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朝鮮民主主義人民共和国大韓民国
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朝鮮半島の標準時
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地方政府 (外地)
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大日本帝国南洋群島
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米領北マリアナ諸島パラオミクロネシア連邦マーシャル諸島
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地方政府 (外地)
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南洋群島の標準時
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大日本帝国関東州
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中華人民共和国
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地方政府 (外地)
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滿洲の標準時
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元号, 皇紀
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大滿洲帝国
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中華人民共和国
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滿洲の標準時
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- (戦前 から改正済)
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改正なし
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独立国
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停戦後に改正
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満州国の元号
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中華民国蒙古連盟自治政府統治地域
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成紀
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中華人民共和国
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自治政府
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内蒙古の標準時
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停戦後に改正
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中華民国南京国民政府統治地域
now
中華人民共和国
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独立国
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,
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(通年夏時刻)
see
中国大陸の標準時
tzdata
改正なし
src
period
停戦後に改正
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民国紀元
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英領香港
now
中華人民共和国領香港
see
中国大陸の標準時
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軍政
changed
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tzdata
戦時中
old
period
停戦後も継続
area
ポルトガル領澳門
now
中華人民共和国領澳門
see
中国大陸の標準時
gov
ポルトガル領 (中立)
old
tzdata
改正なし
changed
×
period
-
area
仏領広州湾租借地
now
中華人民共和国
see
インドシナ標準時
gov
軍政
changed
○?
tzdata
N/A
old
area
米領フィリピン
now
フィリピン共和国
see
フィリピンの標準時
gov
軍政 → 独立国
changed
(通年夏時刻)
period
日本軍進攻前から夏時刻、 停戦後も継続
src
tzdata
戦時中
old
year
西暦, フィリピン第2共和国紀元
area
仏印本部
now
越南ラオスカンボジア
see
インドシナ標準時
gov
仏領独立国
tzdata
仏印処理
old
changed
○?
area
英領マレー
now
マレーシアシンガポール
gov
軍政
see
マレーシアの標準時
src
old
tzdata
戦時中
period
終了日新聞報道あり
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year
皇紀
area
英領ボルネオ
now
マレーシアブルネイ
gov
軍政
see
マレーシアの標準時
src
old
,
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戦時中
changed
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クリスマス島
now
豪領クリスマス島
see
豪州の標準時
area
タイ
now
タイ
gov
独立国
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see
タイの標準時
changed
×?
tzdata
改正なし
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仏暦α
area
英領ビルマ
now
ミャンマー
see
ビルマの標準時
gov
軍政独立国
old
tzdata
戦時中
changed
?
year
ビルマ暦, 西暦
area
英領アンダマン・ニコバル諸島
now
インド
see
南アジアの標準時
gov
軍政 (独立準備中)
old
,
tzdata
N/A
changed
?
area
蘭印
now
インドネシア
gov
軍政独立国
old
-
tzdata
戦時中
changed
src
see
インドネシアの標準時
year
皇紀, 皇紀2桁年号
area
蘭占領地旧ポルトガル領チモル
now
東ティモール
gov
軍政
old
tzdata
戦時中
changed
○?
see
東ティモールの標準時
area
米領大宮島
now
米領大宮島
gov
軍政
old
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○?
tzdata
改正なし
see
南洋群島の標準時
area
米領大鳥島
now
米領大鳥島
gov
基地
old
changed
○?
tzdata
改正なし
see
南洋群島の標準時
area
英領ナウル
now
ナウル
gov
軍政
old
changed
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tzdata
戦時中
see
大洋州の標準時
area
英領ギルバート諸島
now
キリバス
gov
軍政
old
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?
tzdata
改正なし
see
大洋州の標準時
area
英領ニューギニアの一部
now
パプアニューギニア
gov
軍政
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changed
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tzdata
戦時中
see
大洋州の標準時
area
英領ソロモン諸島の一部
now
ソロモン諸島
gov
軍政
old
changed
?
tzdata
改正なし
see
大洋州の標準時
area
米領熱田島米領鳴神島
now
米領アラスカ
gov
基地
see
北米の標準時
changed
○?

改暦

大東亜暦, 大東亜紀元, 暦法調査資料

その後

[140] 第二次世界大戦の終戦後には、台湾満州南洋群島の一部、 戦時占領地は旧来の標準時に戻ったり、 新たな標準時を採用したりして現在に至っています。 大韓民国朝鮮民主主義人民共和国は紆余曲折を経て中央標準時と同じ時間帯を現在も採用しています。 詳細は各地域の項、東アジアの標準時東南アジアの標準時

[2] 一方で中華人民共和国の標準時である 臺灣東南アジアを含めて広く使われるようになり、 実質的に大東亜の標準時の後継であるとの見方もあります。 東アジアの標準時

メモ

[23] 新聞記事文庫 : 満州日日新聞 1936.11.11 ( 版) http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00475112&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

今春山本一清博士が黒い太陽事件と共に入満提唱したもので、満洲国勅令に依りこの程決定、関東州もこれに準じ愈々新春以降時間やりくりの不便が統一される訳で、十二月三十一日の午後十一時には満洲の全時計は一時間針を進めて一斉十二時を表現しなくてはならないことになった、同時にゴーンと除夜の鐘が鳴る、嘗て日露戦役後、満洲ではこの中央標準時を採用したが後ち土地に即した現在の西部標準時に返り、今又時勢の進運に従いここに再度内地時間と歩調を合せ行政的な統一が成った

[102] 旧満州国中央観象台史, 出淵重雄,

勅令を以て, より135°Eの子午線を以て標準時とする旨公示せられ, 同時に関東州, 満鉄附属地においても関東局告示を以て同様に定められた。

満洲国, 関東州の標準時は, 日本の西部標準時, 即ち120°Eの子午線を基準とし, 観測もこれによっていた。また北満鉄路では哈尓浜地方時といって 126°30'Eの子午線を用いていた。

日本の中央標準時と一致させようという話が最初に出たのは, 当時の秘書処長松木氏と当時法制処参事官武藤氏と土佐林技正が一しょに集った時に, ごろ日満一緒の時刻としたらどうかとの話が出た時の由である。 これを軍に話して見ると, 作戦上も同一の方がよいとの賛成意見だった。 しかし一国の時間を変えるということは大問題である上, 学術的にも実生活の上からも相当検討を要するということで, 日満とも各方面の意見を徴した。結果は学術方面からは不賛成が多い, 少くとも国の中を通過している子午線を基準にしなければならぬという。 また一般的にも余りはっきり賛意を表わさなかった。 しかし考えて見るとその時の西部標準時は120°Eで必らずしも満洲の中央を通っているものでもないし, 結局満洲では時間的に非常に不経済な生活をしている, それで寝坊も, 夜更かしもすることになる。それよりも135°Eの子午線を使えば, 満洲東部かつかつのところを通っているから, 人口の多い中央部でいえば約40m位早起きすればよい。西の方では人口が非常に少ないから大した影響はないし, 反面いろいろの利点がある, 石炭, 電力の消費が大いに減ることとなる。

そこで作戦的にも特に日満同じ時刻とすることは重要な意味があることで大体10月に決った。 そして勅令をもってから実施することになった。 この勅令が最後に参議府会議にかかった時, ある参議が「天の時を勝手に変えるのはおかしいではないか」 という意見が出たが, 「今までは北京の時間を使っていた, 今度は満洲国の基準をもって来たのですから, 天の時に叶ったものです」 といって納得してもらったというエピソードもある。また当時民間では反対意見強く, 特にカフェー, 飲食店などが宵の口が短かくなるといって猛反対したという。

[575] 八重山近・現代史年表 明治12年~昭和20年8月14日まで () http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/100000/100500/Timeline/timeline-page/timeline-11.html

昭和11年(1936)

12月 官民合同の時差撤廃協議会を開催

昭和12年(1937)

10月 先島と本土・沖縄本島との1時間の時差撤廃

[141] 時差について - 世界には時差がそれぞれありますが、日本の最西... - Yahoo!知恵袋 ( 版) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112495371

国内に時差があるのは不便だという理由で(軍部の意向もあったようです)、日本西部標準時は廃止されました。

[416] 戦前日本の法令〜条文bot pe Twitter: "【解説】明治二十八年に制定された標準時の制において、日本には中央と西部の二つのタイムゾーンが設けられました。しかし中国との全面戦争が開始していく昭和十二年、西部標準時は廃止され、国内の時刻は東経百三十五度の中央標準時に一元化されました。" ( 版) https://twitter.com/senzen_law/status/687078285377802242

[422] 台灣時區變換的八卦 - Yu-Cheng Chuang ( 版) https://blog.yorkxin.org/posts/2013/08/26/time-zone-in-taiwan/

西部標準時一直用到二次大戰爆發,在昭和 12 年(1937 年,即日本侵華戰爭開始),日本昭和天皇頒佈了敕令 529 號,廢止西部標準時 (UTC+8),也就是全國改用中央標準時 (UTC+9) ,包括外地(台灣、澎湖、之後佔領的香港)。

[429] 大津歴史勉強塾臺灣報告 | 下元景太Official Website 平成大和維新 () https://keitashimomoto.amebaownd.com/posts/1536925

1937年支那事變が起きた時に 臺灣で東京標準時が 導入されました。

[401] 【満州文化物語(46)】30年続いた「満州時間」 日本に「時差」があったとき - 産経ニュース (SANKEI DIGITAL INC. 著, 文化部編集委員 喜多由浩, 版) http://www.sankei.com/premium/print/170402/prm1704020010-c.html

この決定によって、内地、満州、朝鮮、台湾は同じ中央標準時を使うこととなり「時差」はなくなった。なぜ、こうした政策は採られたのだろうか。

昭和12年満洲弘法協会発行の「満洲国現勢」によれば、時差撤廃の目的について、それまでの「西部標準時」では生活の活動開始時間および停止時間が、日の出、日没時間に対して遅すぎる▽電信電話など通信事業従事者に多大な便宜がもたらされる-ことなどが挙げられている。

ただ、最大の狙いは有事を見据えてのことではなかったか。日露戦争がそうであったように、同じ日本軍が違う時間が戦っていては作戦も立てにくい。

[627] 「South Ryukyu Islandsの謎」調査の中間報告 および 最終報告 ( 版) http://www.tomo.gr.jp/root/9925.html

国家総動員体制のために標準時を統一したものと考えられます

[51] 【大日本帝国の国土】戦前日本の標準時 - Man On a Mission () http://oplern.hatenablog.com/entry/2018/03/18/140023

ところが、昭和12年に至ると西部標準時は廃止され、以降、上記地域も中央標準時に統合されることになります。現地の人からすると、突如、生活リズムが一時間ずれこむこととなったわけですね。勝手だなあ。

[203] マレーシア標準時 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82

1942年2月16日、大日本帝国は正式に英領マラヤを占領した。そこでこの地域の時刻は1時間30分早い日本標準時(UTC+9)に移行した。日本は1945年9月12日にシンガポールで正式に降伏を表明し、もとの英領マラヤ標準時に戻った。しかし、英領マラヤ標準時に戻った正確な日付は不明である。

[375] Singapore Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia ( 版) https://en.wikipedia.org/wiki/Singapore_Standard_Time

Following the Japanese occupation, Malaya adopted Tokyo time of GMT+9 on 15 February 1942. Although official appointments were made according to Tokyo time it was common practice to keep two separate times: the pre-Occupation time at home and Tokyo time on personal watches.

[376] 『2012年1月シンガポール⑧~セントーサ島(シロソ砦編)~ 』 [シンガポール]のブログ・旅行記 by TMBSさん ( 版) http://4travel.jp/travelogue/10642655

日本統治下のシンガポール社会についての説明。

占領開始とともに、シンガポールの標準時は日本標準時に統一されました。

[1050] 日本統治時代から台湾には時差がありましたか? - 歴史 解決済み| 【OKWAVE】 (2017-11-23 23:01:52 oska2 ) https://okwave.jp/qa/q9400478.html

奄美諸島・琉球列島とともに、東京の標準時間よりも1時間の時差が存在しました。

が、戦時体制になるに従って東京の標準時間に統一されました。

軍部としては、二重の時間は作戦上面倒だったのでしよう。

[48] 奄美諸島以南台湾まで だったと主張しているが (出典なし)、 そのような事実はない。

[99] Kyoto University Research Information Repository: 大陸と時刻制 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167828

[100] Kyoto University Research Information Repository: 北京だより () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167825

[10] 公文類聚・第六十編・昭和十一年・第五十七巻・地理・土地・都市計画・観象、警察・治安警察・雑載 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000007165&ID=M0000000000001764777&TYPE=&NO=

関東局管内標準時改正ニ関スル件ヲ移牒ス

[11] 公文類聚・第六十一編・昭和十二年・第八十巻・地理(土地~観象)、警察・治安警察、衛生・人類衛生、社寺 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000007249&ID=M0000000000001765925&TYPE=&NO=

明治二十八年勅令第百六十七号標準時ニ関スル件中ヲ改正ス・(...

[12] 枢密院文書・宮内省往復・稟議・雑書・昭和十一年 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000783866

関東局管内標準時改正ニ付通牒

[13] 公文雑纂・昭和十二年・第二十九巻・朝鮮総督府~衆議院事務局 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000010976&ID=M0000000000000287715&TYPE=&NO=

南洋群島標準時改正ニ関スル件

[14] 時間関係雑纂 9.台湾及澎湖列島ニ於ケル標準時改正関係 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_B04011419200

[15] 15.「カレワ」「インパール」「ホマリン」に於ける4月6月日出没・2月3月月齢時刻表 昭和19年3月12日 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14060352300

[20] Newspaper Article - Daylight Saving To Save Power, The Straits Times, 6 December 1947, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19471206-1.2.82.6

[21] () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167819/1/tnk000218_249.pdf

[22] () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167824/1/tnk000218_236.pdf

[24] 石垣島時間 ヤエヤマタイム | 八重山探検 () https://ameblo.jp/09808/entry-10559390958.html

[34] 오늘은 "時의 記念日" 東亞共營團의 標準時間은 어떤가 가지각색이나 日本標準에 統一不遠 http://www.nl.go.kr/nl/search/bookdetail/online.jsp?contents_id=CNTS-00095141150 http://viewer2.nl.go.kr:8080/main.wviewer?cno=CNTS-00095141150

[35] 谷謙二/TANI Kenjiさんのツイート: "現在日本国内は時差はないが、戦前は1896-1937年にかけて台湾・先島諸島は1時間時差があった(西部標準時)。満州国も1時間時差があったが、1937年に日本の中央標準時に合わせられた。戦時体制になって時差の計算が面倒になったのだろう。" () https://twitter.com/ktgis/status/1026650630025179136

[36] いしだゆうすけさんのツイート: "https://t.co/IIvijSblBj とかみると沖縄本島あたりまでは明石時間がよさそう? 台湾はもちろんUTC+8が適切で西部標準時を設定したのだけど戦時中に政府軍部(?)の都合でJSTを押し付けたかと 中国は西の果てまで北京時間ですよね… " () https://twitter.com/iyuusuke/status/1030645786105733126

[37] いしだゆうすけさんのツイート: "西部標準時は八重山/宮古/台湾に適用で本州よりも低緯度だから夏時間の必要性は低そうですよね :) 台湾が日本領になったので西部標準時を設定して1937年に戦時体制で中央標準時(JST)に統合したっぽい 台湾からみたら年間通して夏時間強制??… " () https://twitter.com/iyuusuke/status/1030638906255921152

[38] ¿さんのツイート: "「1986年以降宮古・八重山地方は植民地下の台湾と共に東経120度の西部標準時を採用し東京はおろか同じ県内の沖縄本島とも時差ができた。この時差がなくなるのは1937年戦時体制で、当時の日本の阿呆のように広がりきった領土全体が統一された時間を使用するという無茶な制度になってからだ」" () https://twitter.com/uraraka_na_hi/status/885419606642262016

[39] Kyoto University Research Information Repository: 東亞の標準時政策を論ず () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167658