[13] [DFN[[RUBY[檀][だん]][RUBY[君][くん]][RUBY[紀][き]][RUBY[元][げん]]]]
([DFN[단군기원]]) [SRC[>>5]]、
[DFN[[RUBY[檀][だん]][RUBY[紀][き]]]] ([DFN[단기]]) [SRC[>>5]]
は、[[朝鮮半島の紀年法]]の1つです
([TIME[y~913]])。

* 呼称

[201] 
現在最も多い呼称は[[檀君紀元]]または[[檀紀]]です。

[457] 
当初は[DFN[開極紀元]]と呼ばれました。
[SRC[>>456 #page=11, #page=13]]


[132] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]によると、
発音はタングンキウォン / タンキです。
[SRC[>>5]]

[147] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]によると、
[[ローマ字]]転写は Dangun-giwon / Dan-gi です。
[SRC[>>5]]
[[中文]]版[CITE[维基百科]]によると、
[[文观部式]]表記は Dangun giwon / dangi、
[[马-赖式]]表記は Tan'gun kiwŏn / tan'gi 
です。
[SRC[>>146]]

[158] 
[[POJ]] では [DFN[Tân-kun kì-goân]] / [DFN[Tân-kì]] です。
[SRC[>>157]]

[160] 
[[English]] 版 [CITE[Wikipedia]] は[[紀年法]]の名称を
[I[Dangi]]
としながらも、本文中では
「15 March in the year 4340 of the Dangun Era」、
図題では
「in 1956 (Dangi 4289)」
のように書いていて、
表記が一定しません。
[SRC[>>159]]

[202] 
他に
[DFN[단군원호]] ([DFN[檀君元號]])
とも呼ばれます。
[SRC[>>200]]




[REFS[
- [146] 
[CITE@zh[[[檀君紀元]] - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2023-06-12T08:22:47.000Z]], [TIME[2023-06-26T08:24:06.761Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E5%90%9B%E7%B4%80%E5%85%83>
- [157] 
[CITE@nan[[[Tân-kun kì-goân]] – Wikipedia]], [TIME[2023-06-12T08:22:52.000Z]], [TIME[2023-06-26T08:54:01.060Z]] <https://zh-min-nan.wikipedia.org/wiki/T%C3%A2n-kun_k%C3%AC-go%C3%A2n>
- [159] 
[CITE@en[[[Dangun]] - Wikipedia]], [TIME[2023-06-21T09:47:07.000Z]], [TIME[2023-06-26T11:27:49.144Z]] <https://en.wikipedia.org/wiki/Dangun#Dating>



]REFS]

* 紀年法

[323] 
[[元年]]は、[TIME[西曆-2332年戊辰][-2332]]です。

[443] 
他に歴史的に用いられた異説がいくつかあります。


* 暦法

[137] 
[[大韓民国]]での公用以後は、特に指定がなければ、
ほぼ確実に[[グレゴリオ暦]]の[[日付]]とともに使われています。

[138] 
それ以前は明確でないことがあり、ケースバイケースで検証が必要なので、
要注意です。
[[グレゴリオ暦]]のこともあれば、[[朝鮮半島の旧暦]]のこともあり得ます。

* 檀君紀年法成立前史

[133] 
[[檀君紀元]]は、[[檀君王倹]]の[[即位]]の年によるものです。
[SRC[>>5]]

[89] 
[[檀君紀元]]は[[朝鮮人]]の民族意識の高まりと共に出現してきました。
[SRC[>>7863 #page=22]]

[338] 
[[檀君紀元]]はもちろんのこと、[[檀君]]伝説自体が、
古い史料にはまったくありません。
[[朝鮮]]だけでなく[[中国史書]]にも[[檀君朝鮮]]は記録されていません
[SRC[>>334]]。


[135] 
[[高麗]]で編纂された現存最古の[[朝鮮]]の史書[CITE[三国史記]]には[[檀君]]の記述がありません。
[[檀君朝鮮]]の実在性は低く、朝鮮の独立性を示すために後世になって創作されたといわれます。
[SRC[>>5]]

[444] 
[[檀君]]と[[王倹]]は元は別の存在で、
[CITE[三国史記]]
には[[王]]でなく[[平壌]]の仙人の[[王倹]]が登場します。
[SRC[>>150, >>93 /26]]


[339] 
[[王倹]]は[[平壌]]の旧名の[[王険]] ([[王険城]]) から派生したと推測されます。
[SRC[>>334]]
[[王険城]]は[[衛氏朝鮮]]の首都として[[中国史書]]に記録されています。

** 三国遺事

[149] 
[[高麗]]で編纂された現存最古級の[[朝鮮]]の説話集[CITE[三国遺事]] 
[WEAK[([TIME[西暦1280年][1280]]代成立 [SRC[>>150]])]] に、

>
《魏書》云:乃往二千載有壇君王儉。立都阿斯達[WEAK[經云無葉山。亦云白岳。在白州地。或云在開城東。今白岳宮是]]開國號朝鮮。與高同時。《古記》云:[SNIP[]]。號曰壇君王儉。
>
以唐高即位五十年庚寅[WEAK[唐堯即位元年戊辰。則五十年丁巳。非庚寅也。疑其未實]]
>都平壤城[WEAK[今西京]]始稱朝鮮。又移都於白岳山阿斯達。又名弓[WEAK[一作方]]忽山。又今彌達。御國一千五百年。周虎王即位己卯封箕子於朝鮮。壇君乃移於藏唐京。

とあります。 [SRC[>>148]]

[205] これが[[檀君]]の初出とされます [SRC[>>93 /12, >>150, >>163]]。
[CITE[三国遺事]]には他に2箇所[[檀君]]への言及があります [SRC[>>93 /13]]
(が整合していません [SRC[>>93 /16]])。

-*-*-

[151] 
[CITE[魏書]]や[CITE[古記]]が引かれていますが、
現存する[CITE[魏書]]等[[中国史書]]には[[檀君]]は現れません。
[SRC[>>150]]
[CITE[三国遺事]]中の他の[[中国史書]]の引用にも原書にないものがあり、
信憑性には疑問が持たれます。
[SRC[>>93 /14]]
[CITE[古記]]が書名なのか一般名詞 (何らかの古記録) なのかは定かでありません。
[SRC[>>200]]

[340] 
[[唐高]]は[[唐尭󠄁]]の[[高麗]]における[[避諱]]です。 [SRC[>>93 /13]]

[341] 
本文ではこの[[避諱]]が行われていますが。
注釈では行われていません。
これが書写時の中途半端な書き換えでないのだとすると、
注釈は後から原文に挿入された注釈で、
[[高麗]]時代でなく[[李氏朝鮮]]時代に書かれた可能性が高いということになります。

[419] 
[[大韓民国]]ではこの注釈は[CITE[三国遺事]]の著者[[一然]]によるものと解釈されているようです
[SRC[>>118]] が、根拠は不明です。

[342] 
[[周虎王]]は[[周武王]]の[[高麗]]における[[避諱]]です。 [SRC[>>93 /13]] 

-*-*-

[91] 
[[漢土]]の[[尭󠄁]]の[[即位紀年]]で年代が記述されています。
ところが[[尭󠄁]]の年代は[[漢土]]でも諸説あります。
[[尭󠄁]]の年代決定にこれら[[檀君]]関連文献が引かれることもあります。
[SEE[ [[尭󠄁]] ]]

[204] 
本文の説明にある[[尭󠄁]]の即位紀年は[[漢土]]の古文献の説と一致しません。
[SRC[>>200]]
[CITE[三国遺事]]
編纂時
(少なくても注釈がつけられるよりは前)
にそう書かれていたということは、
そのような説があったのか、
それとも何らかの誤りで年数か[[干支年]]が変化したものなのでしょうか。

[154] 
注釈にある[[尭󠄁]]の即位紀年は[TIME[y~3993]] 説
([TIME[唐尧50(-2283)年丁巳][-2283]])
と合致します
[SRC[>>163]]。
ただこの年代とする説は古文献によるものではなく、
[[檀君]]系の説 ([CITE[三国遺事]]注釈より後に成立したもの) と思われます。

[382] 
年代は異なりますが、元年戊辰とする説は[[元]]にそれらしきものがあります。
[SEE[ [[尭󠄁]] ]]


[206] 
前近代歴史学で己卯年は西暦紀元前1122年と考えられていたとされます。
[SRC[>>200]]
そこから1500年前となると、[[檀君]]の即位は西暦紀元前2622年頃となります。
ところが、その頃を[[尭󠄁]]の即位年とする古文献もありません。
[SRC[>>200]]


[383] 
なお周武王即位を己卯年とするのは、
[CITE[皇極経世書]]
にもある説です。
[SRC[>>93 /20]]

-*-*-

[207] 
ここまでまとめると、
[CITE[三国遺事]]
の記述を整合的に解釈して[[檀君]]の[[即位]]年代を決定するのは困難です。
[SRC[>>200]]

[379] 
[[李氏朝鮮]]の歴史研究者として有名な[RUBYB[[[安鼎福]]][[TIME[1712]]-[TIME[1791]]]]は、
[CITE[東史綱目]]
で[[檀君]]神話は荒唐無稽な仏教説話で史実でないとしました。
[SRC[>>378]]

[380] 
[[安鼎福]]所蔵[CITE[三国遺事]]は[[近代]]において[[今西竜]]の所蔵となっていましたが、
[[安鼎福]]は

>
経世曆始定紀元、以尭󠄁元年為甲辰、歴代作史者遵行此云元年戊辰、未知従何書○
尭󠄁戊辰至武王己卯、一千二百十二年、御國一千五百年者誤也

と注釈していました。
[SRC[>>93 /19]]

[381] 
[CITE[経世曆]]とは[CITE[皇極経世書]]と思われます。
[CITE[皇極経世書]]は尭󠄁即位元年甲辰説です。
[SEE[ [[尭󠄁]] ]]

-*-*-

[335] 
[TIME[明治27(1894)年4月][1894-04]]、
[[日本]]の歴史研究者[[那珂通世]]が[CITE[三国遺事]]所載の伝承について、
僧徒の捏造した妄説に過ぎず、[[朝鮮]]の古伝ではないのは明らかと切り捨てています。
[SRC[>>334]]
仏教関係者の創作と判断したのは、
[CITE[三国遺事]]
が仏教系説話集だからでしょう。

[336] 
明治27年1月、12月には[[日本]]の歴史研究者[[白鳥庫吉]]が[[那珂通世]]と同様の見解を示しました。
[SRC[>>93 /11]]
後に[[五行]]思想との関係も指摘しました。

[337] 
その後の近代の[[日本人]]研究者らも更に検討を進めて同様の結論を得ました。
折しも[[日韓併合]]に反発する[[朝鮮人]]は民族意識を高め、
[[檀君]]やそれに紐づいた[[檀君紀元]]を民族の創世神話として崇拝するようになっていました。
[[内地人]]の近代歴史学研究と[[朝鮮人]]の民族信仰は、
相容れないものでした。
[[第二次世界大戦]]後はその反動で、
[[大韓民国]]人やそれに同調する一部の[[日本人]]らは近代日本の研究を[[皇国史観]]・[[植民史観]]による[[朝鮮人]]弾圧だったと糾弾しました。


[REFS[


- [148] 
[CITE@zh[[[三國遺事]]/卷第一 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-06-15T15:02:45.000Z]], [TIME[2023-06-26T08:30:21.329Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%80>
- [334] 
[CITE@ja-JP[那珂通世遺書]], [[故那珂博士功績紀念会]], [TIME[大正4][1915]], [TIME[2023-06-27T13:15:37.000Z]], [TIME[2023-06-30T11:45:08.091Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/950907/1/92>
- [378] 
[CITE@ja[[[安鼎福]] - Wikipedia]], [TIME[2023-06-17T06:10:01.000Z]], [TIME[2023-07-01T06:13:54.439Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%BC%8E%E7%A6%8F>



]REFS]

** [CITE[帝王韻紀]]



[167] 
[[高麗]]時代の[[詩]][CITE[帝王韻紀]]
[WEAK[([TIME[西紀1287年][1287]]成立)]]
に、

>
初誰開國啟風雲?釋帝之孫名檀君。並與帝高興戊辰,經虞歷夏居中宸。
>於殷虎丁八乙未,入阿斯達山為神。享國壹千二十八,無奈變化傳桓因。
>卻後壹百六十四,仁人聊復開君臣。後朝鮮祖是箕子,周虎元年己卯春。
>逋來至此自立國,周虎遙封降命綸。禮難不謝乃入覲,洪範九疇問彜倫。

とあります。
[SRC[>>168]]

[92] 
また、

>
後唐末帝清泰二,乙未仲冬朝我陛,妻以長主封尚父,衣冠亦使朝聯袂。

とあります。
[SRC[>>168]]

[411] これに対する注で、

> 我太祖十八年也、自檀君元年戊辰至此、凢三千二百八十八年

とあります。
[SRC[>>7863 #page=27]]

[445] 
すなわち、

- [169] 戊辰年 檀君即位
- [170] 殷虎丁8年乙未 神になる
- [171] 1028年間統治
- [172] 164年経過
- [173] 周虎元年己卯春 箕子即位
- [446] 檀君元年戊辰 から 我太祖18年 3288年

とのことです。

-*-*-

[174] 
前近代歴史学で己卯年 (西暦紀元前1122年) が公認されていたとされます。
[SRC[>>163]] どこの誰が認めたのだかよくわかりませんが、
確かに[TIME[箕子1(-1121)年己卯][-1121]]説 ([TIME[y~4178]], [SEE[ [[箕子紀元]] ]])
はあって、これを計算の出発点にできます。

[175] 
周虎元年とは周の武王の元年で、虎は武の[[避諱]]です。
年代は諸説ありますが、[[朝鮮]]方面に流布していた1説では確かに[TIME[周武王元(-1121)年己卯][-1121]]
([TIME[y~4179]])
です。というより元はこの説から[[箕子]]の即位年が特定されたのでしょう。

[176] 
殷虎丁は[[殷]]の[[武丁]]で、やはり[[避諱]]です。
武丁の年代にも諸説ありますが ([SEE[ [[武丁]] ]])、
1説では確かに8年が乙未年です ([TIME[y~4001]])。
といってもその1説はどうも[[朝鮮]]方面で流布していた説のようで、
結局は本書と同系統と思われます。

[177] 
[TIME[西暦紀元前1122年己卯][-1121]]を基準に
1028 + 164 = 1192 年遡る、つまり[TIME[西暦紀元前1122年己卯][-1121]]を-1年とするとき-1192年は[TIME[西曆-2312年'''戊'''子][-2312]]
[SRC[>>168]] になります。
ところが即位年は戊辰年のはずです [SRC[>>163]]。

[178] 
[[大韓民国]]の学界では1028年を1048年の誤記と考える [SRC[>>118, >>163]] そうです。
学界とは具体的にいつの誰のことかわかりませんが、
周武王の元年己卯の計算にも20年のずれがあって ([SEE[ [[周の即位紀年]] ]])、
無縁ではなさそうです。

[179] 
[TIME[西暦紀元前1122年己卯][-1121]]を基準に
1048 + 164 = 1212 年遡る、つまり[TIME[西暦紀元前1122年己卯][-1121]]を-1年とするとき-1212年は[TIME[西曆-2332年'''戊辰'''][-2332]]になります。
確かに戊辰年になりました。
ところでこれは現在使われている[[檀君紀元]]の元年です。

[181] 
[[韓国語]]版[CITE[위키백과]]は、
なぜかこの20年の補正で西暦紀元前2400年戊辰が即位年になるとしています。
[SRC[>>163]]
しかし[TIME[西曆-2399年][-2399]]は辛酉年です。
20年に加えて更に67年も遡っているのは、どこから来たのでしょうか。

-*-*-


[412] 
注釈された[[経過年数表示]]は、
[TIME[後唐清泰2(935)年乙未][935]] ([TIME[y~417]])、
[TIME[高麗太祖18(935)年乙未][935]] ([TIME[y~4045]]) に当たります。

[413] 
この注釈が自注なのかどうかわかりませんが、
「我」とあるので[[高麗]]時代なのは確かです。

[414] 
[TIME[西暦935年乙未][935]]が3288年だとすると、
[[元年]]は[TIME[西曆-2352年戊申][-2352]]に当たります。

[415] 
3268年の誤りか
[SRC[>>7863 #page=27]]、
ともされ、その場合[[元年]]は[TIME[西曆-2332年戊辰][-2332]]に当たります。
現行[[檀君紀元]]に基づく訂正というわけです。
こちらでも20年のずれが見られることには注意が必要です。

-*-*-

[345] 
本書は
[CITE[三国遺事]]
とほぼ同時の成立ですが、
記載内容は少しく異なります。
特に[[檀君]]の即位年干支が
[CITE[三国遺事]]本文ではなく注釈と一致すること、
[[檀君]]が神になった年がこちらにだけあることが注意されます。
当時既に内容の異なる複数の伝承が出回っていたことが知られます。

[166] 
[[韓国語]]版[CITE[위키백과]]は、
当時の歴史学の基準でも誤っているとしながらも、
[CITE[帝王韻紀]] [CSECTION[東國君王開國年代]]
による即位年説も紹介しています。
[SRC[>>163]]

;; [344] 
[[今西竜]]は、
[CITE[帝王韻記]]
に記述があるらしく重要だが読む機会が得られていない
[SRC[>>93 /16]]
と書いていました。
他書からの参照で知ったようですが、
当時の[[日本]]では閲覧困難だったようです。
[[昭和時代]]中期、
[[藤田亮策]]は引用しているので、
その頃までには参照可能になっていたようです
[SRC[>>7863 #page=27]]。

[447] 
記述内容に訂正を加えていますが、一応、現行の[[檀君紀元]]を導出できる現存最古の文献といえます。

[REFS[

- [168] 
[CITE@zh[[[帝王韻紀]] - [[维基文库]],自由的图书馆]], [TIME[2023-06-21T17:09:47.000Z]], [TIME[2023-06-26T12:14:58.947Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%B8%9D%E7%8E%8B%E9%9F%BB%E7%B4%80>

]REFS]

** [CITE[高麗史]]

[183] 
[[李氏朝鮮]]で編纂された[[高麗]]の[[正史]]
[CITE[高麗史]] [WEAK[([TIME[西暦1451年][1451]]成立)]]
の[[高麗]]時代後期の公務員[RUBYB[[[白文寶]]][[TIME[1303]]-[TIME[1374]]]]条には、

>
後上䟽言事曰:「國家世守東社,文物禮樂,有古遺風。不意寇患屢作,紅巾陷京,乘輿南狩,言之可謂痛心。今當喪亂之後,民不聊生,宜霈寬恩,以惠遺黎。且天數循環,周而復始,七百年爲一小元,積三千六百年,爲一大周元。此皇帝王覇,理亂興衰之期。吾東方,自檀君至今,已三千六百年,乃爲周元之會,宜遵堯、舜六經之道,不行功利禍福之說。[SNIP[]]

とあります。
[SRC[>>182]]

[184] 
すなわち、
何らかの[[術数]]で

- [185] 1小元は700年
- [186] 1大周元は3600年

なのだそうです。700年を積んで3600年になるといっていて、
5小元と100年余って中途半端なのは謎ですが...

[187] 
そして[[朝鮮半島]]方面では[[檀君]]から現在まで、3600年の「周元の会」、節目に当たるというのです。

[385] 
なお[CITE[高麗史]]はこの他にも

>又榜金、復州等處曰:「本國與堯並立,周武王封箕子于朝鮮,而賜之履,西至于遼河,世守疆域。[SNIP[]]

と書いています。 [SRC[>>384]]

[386] 
明言こそされていませんが、[[檀君]]を指すのは明らかです。
[SRC[>>93 /49]]



-*-*-

[188] 
[[白文寶]]の
[CITE[淡庵逸集]]
の付録の編年によると [SRC[>>163, >>200]]、
この上書は[TIME[西暦1363年][1363]] [SRC[>>163]]。
あるいは[TIME[西暦1362年][1362]]8月 [SRC[>>200]]
のこととされます。
そこで[TIME[西暦1363年][1363]]から3600年遡ると、
[TIME[西暦紀元前2238年癸卯][-2237]]または[TIME[西暦紀元前2237年甲辰][-2236]]
[SRC[>>163]]、
ないしは[TIME[西暦紀元前2239年壬寅][-2238]]または[TIME[西暦紀元前2238年癸卯][-2237]]
[SRC[>>200]]
が檀君の元年となります。

[208] 
[[白文寶]]が何を根拠にこのように主張したのかは不明です。
[SRC[>>200]]


[408] 
[CITE[皇極経世書]]説によれば3600年でなく3720年になるはずで、
干支2巡分少なく計算しています。
[SRC[>>93 /77]]

[421] 
現行[[檀君紀元]]と比べると[[元年]]が約100年新しくなっています。

-*-*-

[420] 
[[大韓民国]]の研究者らは[[白文寶]]を[[檀紀]]の最初の利用者と考えているようです。
[SRC[>>118]]

[180] 
[[韓国語]]版[CITE[위키백과]]は、
[[檀君紀元]]に直接言及した最古の記録は
[CITE[高麗史]]
[[白文寶]]の条だとしています。
[SRC[>>163]]


[189] 
これは[[檀君]]の[[即位]]から当年までの年数を数えた[[経過年数表示]]で、
たしかに広い意味の[[紀年法]]ではあるのでしょうが、
[[年表示]]、[[日時表示]]に[[使ったもの][紀年法の成熟]]ではなく、
これをもって[[檀君紀元]]への「直接言及」という (のに >>167 のようなものは違うとする)
のは些か躊躇されるところではあります。


[REFS[

- [182] 
[CITE@zh[[[高麗史]]/卷一百十二 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-06-15T15:04:09.000Z]], [TIME[2023-06-27T09:56:44.408Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7%E4%B8%80%E7%99%BE%E5%8D%81%E4%BA%8C#%E7%99%BD%E6%96%87%E5%AF%B6>
- [384] 
[CITE@zh[[[高麗史]]/卷一百十四 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-06-17T08:42:46.000Z]], [TIME[2023-07-01T08:43:19.737Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7%E4%B8%80%E7%99%BE%E5%8D%81%E5%9B%9B#%E6%B1%A0%E9%BE%8D%E5%A3%BD>



]REFS]

** [CITE[朝鮮王朝実録]]

[349] 
[[李氏朝鮮]]の公式史書
[CITE[朝鮮王朝実録]]
内
[CSECTION[世宗実録]]
所収
[CSECTION[地理志]]
は、
[TIME[朝鮮世宗14(1432)年][1432]]成立の
[CITE[新撰八道地理志]]
[SRC[>>347]]
に基づき[TIME[朝鮮端宗2(1454)年][1454]]に成立した
[SRC[>>348]]
とされる[[地誌]]です。

[350] 
本書[CSECTION[平壌府]]条に、


>[SNIP[]]唐堯戊辰歲,神人降于檀木之下,國人立爲君,都平壤,號檀君,是爲前朝鮮。周武王克商,封箕子于此地,是爲後朝鮮。逮四十一代孫準,時有燕人衞滿亡命,聚黨千人,來奪準地,都于王險城,[WEAK[卽平壤府。]]是爲衞滿朝鮮。其孫右渠不肯奉詔,漢武帝元封二年,遣將討之,定爲眞蕃、臨屯、樂浪、玄菟四郡,隷于幽州。班固《前漢書》曰:「玄菟、樂浪,本箕子所封,昭帝始元元年,以臨屯、樂浪,置東府都護。」[SNIP[]]

とあります。また、

>[SNIP[]]靈異,《檀君古記》云:上帝桓因有庶子,名雄,意欲下化人間,受天三印,降太白山神檀樹下,是爲檀雄天王。令孫女飮藥成人身,與檀樹神婚而生男,名檀君,立國號曰朝鮮。朝鮮、尸羅、高禮、南北沃沮、東北扶餘、濊與貊,皆檀君之理。檀君聘娶非西岬河伯之女生子,曰夫婁,是謂東扶餘王。檀君與唐堯同日而立,至禹會塗山,遣太子夫婁朝焉。享國一千三十八年,至殷武丁八年乙未,入阿斯達爲神,今文化縣九月山。[SNIP[]]

とあります。
[SRC[>>346]]

[351] つまり

- [352] 本文
-- [353] 唐堯戊辰年 檀君即位
- [354] [CITE[檀君古記]]
-- [355] 檀君と唐堯は同日而立
-- [356] 1038年統治
-- [357] 殷武丁8年乙未 神になる

とあります。

-*-*-

[358] 
この[CITE[檀君古記]]が先行文献の引用する[CITE[古記]]と同じなのかどうか定かではありませんが、
内容は先行文献と少し違いがあります。

[359] 
こちらでは統治年数は1028年でも1048年でもなく1038年になっています。

[360] 
[[檀君]]と[[堯]]の即位が同日と明記されていることも注意されます。

[387] 
元々[[堯]]と[[檀君]]の在位が
「同時」 (>>375)
と言われていたのを古記の著者が曲解して同日即位にしたものと考えられます。
[SRC[>>93 /57]]


[389] 
なおこの世宗王の時代には、
初めて公的に[[檀君]]の祠が創設されました。
もっともこれは[[檀君]]に限ったものではなく、
[[新羅]]や[[高麗]]の諸王の祭祀も整備されました。
[SRC[>>93 /58]]

[REFS[

- [346] [CITE@zh[[[朝鮮王朝實錄]]/世宗實錄/地理志 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-06-17T03:31:06.000Z]], [TIME[2023-07-01T03:32:48.908Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E5%AF%A6%E9%8C%84/%E4%B8%96%E5%AE%97%E5%AF%A6%E9%8C%84/%E5%9C%B0%E7%90%86%E5%BF%97#%E5%B9%B3%E5%A3%A4%E5%BA%9C>
- [347] [CITE@ja[[[新撰八道地理志]] - Wikipedia]], [TIME[2023-06-17T03:36:31.000Z]], [TIME[2023-07-01T03:38:29.695Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%92%B0%E5%85%AB%E9%81%93%E5%9C%B0%E7%90%86%E5%BF%97>
- [348] [CITE@ja[[[世宗実録地理志]] - Wikipedia]], [TIME[2023-06-17T03:37:41.000Z]], [TIME[2023-07-01T03:38:42.338Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E5%AE%97%E5%AE%9F%E9%8C%B2%E5%9C%B0%E7%90%86%E5%BF%97>



]REFS]

** 権近等

[362] 
[[李氏朝鮮]]政府の[[儒学]]研究者の[RUBYB[[[権近]]][[TIME[1352]]-[TIME[1409]]]]は、
[TIME[明洪武29(1396)年丙子][1396]]に[[明]]の皇帝の命で詩を作りましたが、
その詩題の自注に、

>
昔神人降檀木下、国人以為王、因号檀君、時唐尭󠄁元年戊辰也

と書きました。 [SRC[>>93 /17, >>361]]

[364] 
[[孫]]の[[權擥]]がこれに更に注釈を加えて[TIME[明天順6(1462)年壬午][1462]]に出版したものには、

- [365] 「古記云[SNIP[]]」
- [366] [[檀君]]、[[唐尭󠄁]] 同日而立
- [367] 商武丁8年乙未 神になる
- [368] 享年1048年
- [369] 厥後164年己卯 [[箕子]]即位

とあります。 [SRC[>>93 /18, >>363]]

[370] 
[CITE[古記]]からの引用がどこまでかは明確ではありませんが、この部分全体とも解し得ます。
先行文献の[CITE[古記]]と同じかどうかは定かではありません。
[CITE[地理志]]と記述は似ていますが、同じではありません。

[371] 
ここでは年数が1028でも1038でもなく1048年となっています。
ただ、
先行文献でこの年数を「享國」などと書いていたのが、
ここでは「享年」と書いているのは気になる所です。

[372] 
[CITE[地理志]]と同じく[[唐尭󠄁]]と「同日」の即位となっています。

[373] 
>>179 のように己卯年を定めれば、この記述から数値の訂正なく現行[[檀君紀元]]を導けます。
ただ己卯年がどの己卯年か、この記述では確定できません。

[388] 
元年を戊辰とするのは、[[元]]の時代に行われた説に直接よるものか、
[CITE[三国遺事]]
の注釈によるものかは定かではありません。
[SRC[>>93 /58]]


[REFS[

- [361] 
[CITE@ja-JP[[[陽村集]] 卷一之五]], [['''['''權近''']''', [權蹈]]], [TIME[1937.3][1937]], [TIME[2023-06-27T13:15:37.000Z]], [TIME[2023-07-01T04:01:32.546Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1880939/1/19>
- [363] 
[CITE@ja[[[陽村應制詩]] | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ]], [TIME[2023-07-01T04:50:52.000Z]] <https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00023702#?cv=62>




]REFS]

-*-*-

[410] 
[CITE[三韓詩龜鑑]]
所収の詩の注釈は、
[[権近]]などの時代に加えられたものと推測されています [SRC[>>93 /77]]
が、

>石磵曰古朝鮮檀君巳檀君寿一十八百歳在位一千五百年後箕子受武王命移都檀君旧都[SNIP[]]

としていました。
[SRC[>>93 /77, >>409]]


[REFS[

- [409] 
[CITE@ja-JP[[[三韓詩龜鑑]] 3卷]], [[(高麗) 崔瀣 批點, (高麗) 趙云仡 精選]], [TIME[嘉靖45 '''['''1566''']'''][1566]], [TIME[2023-06-27T13:15:37.000Z]], [TIME[2023-07-01T14:20:13.150Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2537614/1/70>

]REFS]

** [CITE[東国通鑑]]

[210] 
[[李氏朝鮮]]時代に編纂された歴史書
[CITE[東国通鑑]] [WEAK[([TIME[西暦1484年][1484]]成立)]]
の[[檀君朝鮮]]条には、

- [211] 唐尭󠄁戊辰年 檀君即位
- [212] 商武丁8年乙未 神になる
- [213] [[按語]]
-- [216] [CITE[古記]]
--- [214] 戊辰年 檀君、尭󠄁、並立
--- [215] 商武丁8年乙未 神になる
-- [219] この説は疑問
-- [217] [[尭󠄁]]の即位は[[上元甲子]]甲辰年
-- [218] [[檀君]]の即位はその後25年戊辰年

とあります。
[SRC[>>209]]

-*-*-

[220] 
[CITE[古記]]
が何を指すのか不明ですが、そこでは[[尭󠄁]]と[[檀君]]が「並立」するとされます。
ところが
[CITE[東国通鑑]]
の編者はそれはおかしいと指摘し、尭󠄁25年戊辰が[[檀君]]の即位年だと言うのです。

[221] 
編者の説がどこから来たものかは定かではありませんが、
[[尭󠄁]]の即位年が甲辰年だとする文献 ([SEE[ [[尭󠄁]] ]]) があって、
そこに[[上元甲子]]のことだと書かれていたのでしょう。
そして「並立」が誤りでも同時期と見たのでしょう。
あるいは「並立」ももともと厳密に同年に[[即位]]したということでもなく、
同時期に在位状態にあったという意味だったのかもしれません。

-*-*-

[228] 
[[大韓民国]]で出版されている
[CITE[東国通鑑]]
の訳書 (のウェブ公開版)
によると、

- [229] 唐尭󠄁戊辰年 : 西紀前2333年
- [230] 商武丁8年乙未 : 西紀前1317年
- [231] [[上元甲子]]甲辰年 : 西紀前2357年

と解釈されています。 [SRC[>>226]]

[232] 
[CITE[나무위키]]
は、
[[尭󠄁]]の即位年には諸説あるうち、
[CITE[東国通鑑]]
は
[CITE[皇極経世書]]
の説を引いたもので、
[[尭󠄁]]即位年は西紀前2357年で、
従って即位25年の西紀前2333年が[[檀君]]の即位年になった、
と >>228 を引きつつ説明しています。
[SRC[>>200]]

[234] 
ここで、 >>228 の年代がどのように決定されたのかは明らかではありません。
[TIME[西暦紀元前1317年][-1316]]は甲子で、乙未ではありません。

[235] 
[[尭󠄁]]即位元年を西紀前2357年とする説 ([TIME[y~3992]]) は確かに
[CITE[皇極経世書]]
説ですが、
[CITE[東国通鑑]]
の記載の情報だけからこれに確定できるのかはよくわかりません。
[[尭󠄁]]元年が甲辰年としつつも他の年とする説もあります。
[SEE[ [[尭󠄁]] ]]

[236] 
重大なのは[[上元甲子]]と明記されていることです。
少なくても最も一般的に行われている[[三元甲子]]の説においては、
西紀前2357年は[[上元甲子]]中ではありません。

;; [237] [[三元甲子]]には起点の違う異説もあるので、
それに従っている可能性はありますが...
[SEE[ [[三元甲子]] ]]

-*-*-

[233] 
18世紀の
[CITE[동사강목]]
も、
[CITE[東国通鑑]]
の解釈を受けて25年戊辰を[[檀君]]の即位年にしました。
[SRC[>>200]]

[238] 
[[大韓民国]]の韓国史教科書では、
[CITE[東国通鑑]]
の記録によればと断りながらも、
西紀前2333年を[[檀君]]の即位としています。
[SRC[>>200]]


-*-*-

[390] 
[CITE[東国通鑑]]
は[[徐居正]]らによるものでしたが、
同じく[[徐居正]]による
[CITE[筆苑雜記]]
[WEAK[([TIME[西暦1487年丁未][1487]]成立)]]
には、

>嘗考。自唐堯元年甲辰。至洪武元年戊申。摠三千七百八十五年。自檀君元年戊辰。至我太祖元年壬申。亦三千七百八十五年。吾東方歷年之數。大槩與中國相同。帝堯作而檀君興。周武立而箕子封。漢定天下而衛滿來平壤。宋太祖將興而高麗太祖已起。我太祖開國亦與太祖高皇帝同時。
>古記云。檀君與堯同日而立。歷虞夏至商武丁八年乙未。入阿斯達山爲神。享年一千四十有八。當時文籍不傳。其眞僞不得而考。至今傳襲。以古記爲說。居正以爲當堯之時。人文昭宣。至于夏商。世漸澆薄。人君享國久長者不過四五十年。人壽。上壽白年。中壽六七十年。下壽四五十年。安有檀君獨壽千百年以享一國乎。知其說之誣也。又云。檀君生子扶婁。是爲東扶餘王。至禹會諸侯於塗山。檀君遣扶婁朝焉。其說無據。若檀君享國久長。扶婁往會塗山。則雖我國文籍不備。中國之書豈無一語及之乎。檀氏相傳享國之數。千四十八年者。無疑矣。權文忠公近詩曰。聞說鴻荒日。檀君降樹邊。世傳不知幾。歷年曾過千。蓋言其傳世歷年之久也。

とあります。
[SRC[>>58]]

-*-*-

[391] 唐堯元年甲辰から[TIME[明洪武元(1368)年戊申][1368]]まで3785年、
逆算すると唐堯の[[元年]]は[TIME[西暦-2416年甲辰][-2416]] ([TIME[y~3994]]) です。
これは[[上元甲子]]の甲辰年です。

[392] 檀君元年戊辰から[TIME[朝鮮太祖元(1392)年壬申][1392]] ([TIME[y~4062]])
まで3785年、
逆算すると檀君の[[元年]]は[TIME[西曆-2392年戊辰][-2392]]。
現行の[[檀君紀元]]の元年の60年前に当たります。

-*-*-

[393] 
共に[[徐居正]]が関わってほぼ同時期に成立した
[CITE[東国通鑑]]
と
[CITE[筆苑雜記]]
とで微妙に記述が異なっていますが、
[CITE[東国通鑑]]
も
[CITE[筆苑雜記]]
と同じ解釈 (>>392 >>392)
とすれば紀年に矛盾は生じません。
現在流布している
[CITE[東国通鑑]]
の解釈は誤りと判断せざるを得ません。

[394] 
[[徐居正]]が堯元年甲辰説を採ったのは、
[CITE[皇極經世書]]説に従ったものと考えられます。
そして檀君元年戊辰説を採って他の説を採らなかったのは、
中華の[[堯]]から[[洪武帝]]までの3785年と小中華の朝鮮太祖までの3785年が等しくなることによるものと考えられます。
[SRC[>>93 /59]]

[395] 
ただ本来[CITE[皇極經世書]]説では堯元年甲辰は[[中元甲子]]のはずが、
[[徐居正]]が[[上元甲子]]と誤ったために、
60年遡ることになってしまいました。
[CITE[皇極經世書]]説では堯元年甲辰から[[洪武帝]]まで3725年になるはずです。
[SRC[>>93 /59]]


[396] 
[[徐居正]]説の檀君元年すなわち[TIME[西曆-2392年戊辰][-2392]]から数えて檀君即位1048年は、
[TIME[西曆-1345年乙未][-1345]]となります。
現行[[檀君紀元]]により[TIME[西曆-2332年戊辰][-2332]]から数えて檀紀1048年は、
[TIME[西曆-1285年乙未][-1285]]となります。
どちらにしても「商武丁八年乙未」と[[干支年]]が一致します。

;; [397] >>93 は''堯''元年甲辰から武丁乙未まで1048年とするのが
[CITE[皇極經世書]]と合うと書いていますが、これは誤りです。

[398] 
[CITE[皇極經世書]]
では武丁乙未は8年でなく39年となるべきところです。 
[SRC[>>93 /59]]

[399] 
[[李萬運]]の[CITE[紀年児覧]] [WEAK[([TIME[朝鮮正祖2(1778)年戊戌][1778]]成立)]]
は、[[干支]]の不一致を指摘して、武丁8年でなく武丁39年の乙未としています。
[SRC[>>400, >>93 /59]]

[REFS[

-
[58] [CITE@ko[[[筆苑雜記]]卷之一 [[徐居正]]撰 : 네이버 블로그]], [TIME[2023-05-01T07:00:00.000Z]] <https://m.blog.naver.com/PostView.naver?isHttpsRedirect=true&blogId=wonpa5&logNo=220239159535>
-
[402] 
[CITE@ja-JP[[[朝鮮賦]]1卷]], [[明董越撰, 明王政校]], [TIME[寶暦4][1754]], [TIME[2023-06-27T13:15:37.000Z]], [TIME[2023-07-01T12:59:30.245Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2538547/1/15>
-
[400] 
[CITE@ja-JP[[[朝鮮群書大系]] 続 第1輯]], [[朝鮮古書刊行会]], [TIME[明治44][1911]], [TIME[2023-06-27T13:15:37.000Z]], [TIME[2023-07-01T12:40:35.921Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/987735/1/127>
- [209] 
[CITE@ja-JP[[[朝鮮群書大系]] 続 第3輯]], [[朝鮮古書刊行会]], [TIME[明治45][1912]], [TIME[2023-06-27T11:37:12.000Z]], [TIME[2023-06-27T13:03:48.113Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1088211/1/15>
- [227] 
[CITE[국역 동국통감]],
1996. 11. 30.,
[[ 세종대왕기념사업회 ]]
-- [226] 
[CITE@ko[단군 조선]], [TIME[2023-06-28T13:26:16.000Z]] <https://terms.naver.com/entry.naver?docId=889959&categoryId=49614&cid=49614>




]REFS]




-*-*-

[401] 
官撰史書の[CITE[東国通鑑]]に記載されたことで[[檀君]]は不動の地位を得ました。
[SRC[>>93 /60]]
その頃から[[李氏朝鮮]]で[[檀君神話]]は官民含めて広く行われ、
元年甲辰説がよく使われるようになりました。

[403] 
[[明]]の[[董越]]が[TIME[明弘治元(1488)年][1488]]に[[朝鮮]]を視察した訪問記
[CITE[朝鮮賦]]
には、
[[檀君]]が帝堯元年甲辰に開国して云々とありました。
[SRC[>>402]]
これによって[[檀君]]伝説は[[漢土]]にも伝わりました。

[404] 
[CITE[尹東暹日記]]によると[TIME[朝鮮英祖王41(1765)年乙酉][1765]]12月9日、
王が[[洪啓禧]]に[[檀君]]のことは[[支那史書]]の何に見えるかと尋ねました。
[[洪啓禧]]は
[CITE[酉陽雑俎]] [WEAK[([TIME[唐咸通元(860)年][860]]頃成立)]]
にあると即答しました。
ところが異本を調査しても[[檀君]]のことは書かれていませんでした。
虚言だったのです。
[SRC[>>93 /60]]
(誰が調査したのか分かりづらいのですが、[[今西竜]]でしょうか。)


[448] 
現在でも[[大韓民国]]や[[日本]]の多くの事典類やウェブページなどで[[檀君紀元]]の起源が
[CITE[東国通鑑]]
とされているのも、
[CITE[東国通鑑]]
の地位と広まりに関係しているのでしょう。


[134] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]によると、
[CITE[三国遺事]]や[CITE[東国通鑑]]が[[檀君]]即位を「中国の堯の即位から50年目」
とすることや、
[CITE[世宗実録地理志]]が[[檀君]]即位を「唐堯的即位二十五年・戊辰」
とすることなどを根拠にしています。
[SRC[>>5]]


[203] 
[CITE[나무위키]]によると、
現在の[[檀君紀元]]の年数は
[CITE[東国通鑑]]
が初出とされます。
[SRC[>>200]]

[152] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]によると、
[CITE[三国遗事]]以下各種資料で建国年が固定されておらず、
「是唐尧戊辰岁也」
とある
[CITE[東国通鑑]]
によって固定されることになったと説明しています [SRC[>>146]]。 
「非固定」が具体的にどの文献のどの説を指しているのかは不明です。

[161] 
[[English]] 版 [CITE[Wikipedia]] は
[CITE[東国通鑑]]
の記述
「contrary to the 40th year of the reign of the legendary Chinese Emperor Yao」
に基づき計算したものの異説もあったとして、いくつか引いています。
[SRC[>>159]]

[162] 
[[English]] 版 [CITE[Wikipedia]] の引くところによれば、
[CITE[三国遺事]] によれば Yao の50年、
[CITE[朝鮮王朝実録]]によれば元年、
[CITE[東国通鑑]]によれば25年だとのことです。
[SRC[>>159]]
(同じ段落で40年条 (>>161) と書きながら25年とも書いていて、どういうことなのでしょう?)


[190] 
[[韓国語]]版[CITE[위키백과]]は、
西暦紀元前2400年に建国したと確定的に述べたのは
[CITE[東国通鑑]]
が初めてとしながら、
唐堯戊辰年 = 西暦紀元前2333年と引いていて
[SRC[>>163]]、
意味がわかりません。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[79] 
[CITE[檀紀について]], 
[[たかゆ]],
01.08.01,
[TIME[2023-03-01T09:58:59.000Z]], [TIME[2004-06-19T10:25:31.000Z]] <http://web.archive.org/web/20040619094722/http://www001.upp.so-net.ne.jp/seza/danki.html>
]FIGCAPTION]

>檀紀(檀君紀元)とは、「三国遺事」で伝えられる檀君(タングン)の朝鮮建国を称える年号のこと。「三国遺事」以下、各種史料では建国年次が一定していなかったが、1485撰述の「東国通鑑」が「唐堯の即位25年・戊辰」と特定して以来、紀元前2333年建国という認識が定着するようになった。

>参考文献:
-「世界の歴史6 隋唐帝国と古代朝鮮」蠣波護・武田幸男,1997.1,中央公論社
-「新版世界各国史2 朝鮮史」武田幸男・編,2000.8,山川出版社
-「歴史とはなにか」岡田英弘,2001.2,文春新書155 
]FIG]


[153] 「「唐堯の即位25年・戊辰」」という独特な表現があり、
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]はこのページの記述に基づくか、
同系統の資料に基づいたと思われます。


[449] 
これらの説明に反して、
[CITE[東国通鑑]]
の説明をそのまま解釈しても現行[[檀君紀元]]は導出できません。
記述の矛盾を解消する解釈の1つで現行[[檀君紀元]]が導出できるのは確かですが、
それはより古い
[CITE[帝王韻紀]]
にも言えること (>>447) 
です。

[271] 
[[今西竜]]や[[藤田亮策]]のような[[日本]]の[[昭和時代]]の初期、中期の研究者は、
[CITE[東国通鑑]]
を[[檀君]]神話成立の一過程で紹介していても、
現行[[檀君紀元]]の祖のような特別扱いはしていません。
[[平成時代]]以後
[CITE[東国通鑑]]
由来説が日本語資料にも出現するのは、
[[大韓民国]]で行われた説の影響なのでしょうか。

** その他の李氏朝鮮資料

[375] 
[[李氏朝鮮]]時代の[[偽書]]
[CITE[[[新羅國東吐含山華嚴宗佛國寺事蹟]]]]
に、

>
[SNIP[]]按鷄林古史及元魏書乃徃二千載有
聖君王候都阿斯達開國号朝鮮此即古朝
鮮與高同時御國一千五百年周武王即位
元年己卯封箕氏於朝鮮檀君乃移於荘唐
京後還隠於阿斯達為山神壽一千九百八
歳[SNIP[]]

とあります。
[SRC[>>374]]

[376] 
本書は大正4、5年頃に紹介されて広く知られるようになったもので、
[TIME[清康煕47(1708)年戊子][1708]]に刊行されたものです。
[TIME[北宋慶暦6(1046)年丙戌][1046]]の成立と書かれていますが、
矛盾が指摘されていて、[[偽書]]とされます。
[SEE[ [[仏国寺事蹟]] ]]
その時代の[[高麗]]では[[契丹の元号]]が公用されていて、
[[宋の元号]]の用例が無いこともありませんが、
その点も疑問であります。
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]


[REFS[

- [374] 
[CITE[[[仏国寺事蹟]]]], [TIME[2013-03-14T15:11:57.000Z]], [TIME[2023-07-01T05:56:17.606Z]] <http://www.kagemarukun.fromc.jp/page008m.html>

]REFS]

-*-*-

[416] [CITE[B0169 [[朝鮮寺剎史料]] - 卷/篇章 2 | [[CBETA]] 線上閱讀]], [[Axian Lee]], [TIME[2023-03-27T06:14:41.000Z]], [TIME[2023-07-02T04:46:43.605Z]] <https://cbetaonline.dila.edu.tw/zh/B0169_002#:~:text=千佛山開心寺事蹟>

[TIME[清光緒10(1884)年甲申][1884]]秋、[[清領朝鮮]]

>朝鮮開拓與堯並立至今為四千二百十七年之間而中國則歷代正統為二十三姓朝鮮則歷代正統但為五姓也地方不過東西一千七十里南北三千七里之內地官過於三百六十七官民戶過於一兆九億二萬六千四百八十五戶人家過於二十一兆六億六萬四千八百五十餘家故此地之所產不能支於此民之衣食可謂至貧之國也而然尚以堯舜禹湯文武周公之法道固守天命可謂禮義之國也是故中原一行道士見朝鮮地圖曰鯉形也鯉有亦白黃三種故山必有三神山鯉有三十六鱗故邑必有三百六十邑矣鯉之三十六鱗者是三十六宮之理也三十六宮都是春故三變為百八念珠形則朝鮮可謂佛國世界也若佛道崇尚則為國泰民安時和歲豐云道詵指空皆從道士之言以其造寺造塔山名水名一如道士所教之言者是之謂矣

>人皇氏以後至四萬五千六百年甲辰即帝堯即位之元年堯之二十五年戊辰即檀君即位之元年也丁卯四月日檀君初自白頭山過次十日逗遛於此山之時逢見持提仙人問答山水後仍名此山為持提山矣厥後至一千二百十二年己卯即周武王即位之元年亦是箕聖即位之元年也箕來之初亦自白頭山過次三日歇惺於此山之際日夜雲龍之中雖聞笙簫之聲不知自何來心甚奇異仍名此山為風流山矣其後至一千四十七年乙巳即漢昭帝十一年亦是新羅即位之元年也其後至一百二十九年戊午即漢昭帝即位之元年也明帝十四年辛未十月初八日佛經始到中國矣厥後至五百七十七年戊申即唐太宗二十二年亦是新羅七百三十四年也是年國師道詵築千塔于此山仍名千塔山矣其後至十六年甲子唐高宗十五年亦即新羅七百四十九年也是年國師指空造寺於上基而山名為千佛寺號為開心矣

>[SNIP[]]甲申秋述

[418] 
[TIME[清光緒10(1884)年甲申][1884]]が4217年とすると、元年は[TIME[西曆-2332年戊辰][-2332]]。
現行[[檀君紀元]] ([TIME[y~913]]) と同じ数え方。



[417] 
これは[[讖緯家]]の書いた代表的なもので、[[天道教]]などでの通説とされます。
[[李氏朝鮮]]初期の[[道詵]][CITE[漢都讖記]]などに由来する伝統的記述とみられます。
[SRC[>>7863]]

-*-*-




[136] 
[[堯]]即位25年の[[檀君]]の即位は、
[[明]]の[[朱元璋]]の即位 ([TIME[西暦1368年][1378]])
と[[李氏朝鮮]]の[[李成桂]]の即位 ([TIME[西暦1392年][1392]])
の差に由来するといわれます。
[SRC[>>5]]

[222] 
歴史的に[[朝鮮人]]には自主独立を尊ぶ思想と、
[[中華王朝]]の[[属国]]たることを誇る思想の2通りの相反する考え方があったとされます。
前者には朝鮮の開祖への崇拝が、
後者には[[箕子]]崇拝が結びついています。
[SRC[>>93 /86]]

[223] 
[[高麗]]は[[高句麗]]の後継を称していましたので、開祖は[[高句麗]]の初代王でした。
ただ[[高麗]]政府は[[漢土]]の王朝に臣従していて、
政府より民間の方で朝鮮の開祖として[[檀君]]への信仰が発達しました。
[SRC[>>93 /86]]

[224] 
[[李氏朝鮮]]は[[明]]に臣従することで[[高麗]]からの王位簒奪の正当性を確保しました。
そこで[[周]]に臣従して王位を授かったとされる[[箕子]]を崇拝し、
国名の[[朝鮮]]もこれを継承したものでした。
李氏には [WEAK[([[高麗]]の王氏にとっての[[高句麗]]王家のような)]]
系譜上の開祖がなかったので、
朝鮮の開祖は伝承上[[箕子]]につながる[[檀君]]へと遡ることになりました。
こうした事情で、相反する精神を反映していた[[檀君]]と[[箕子]]が同時に尊崇されることになりました。
[SRC[>>93 /86]]




[139] 
[[大韓民国]]の研究者[[李栄薫]]は、
[[李承晩]]政権が
「天皇の臣民だった朝鮮人を大韓民国の国民に転換するため」
に民族意識を高めるべく、
「李朝時代に箕子にはじき出されていた」
[[檀君]]を
「国の祖先として崇めた上で、檀紀という年号を使用し、開天節という国慶記念日を作り出した」
と指摘しています。
[SRC[>>5]]
厳密に言えば[[檀君紀元]]を使い始めた[[李氏朝鮮]]末期頃から[[日本統治時代][大日本帝国朝鮮]]初期にかけての[[朝鮮人]]に生じた思想が[[李承晩]]政権に至ってこのような形で発露したということなのでしょう。

[225] 
「箕子にはじき出され」たとの観察は、同時に崇拝されていたとの観察と矛盾するようにも思われますが、
[[明]]への崇拝と[[儒教]]が浸透した[[李氏朝鮮]]では、少なくても公的な場面では、
やはり[[箕子朝鮮]]に重きが置かれていたということなのでしょう。
民族意識が高まって[[明]]はもちろん[[清]]との関係も解消されると[[箕子朝鮮]]を崇拝する思想は弱まり、
民間信仰中心だった[[檀君]]の勢いが増すことになります。
[[日本]]統治に反対する意味からも、[[日本]]の[[皇紀]]を遥かに上回る古さを持つ[[檀君紀元]]はなくてはならないものになったのです。

[88] 
[[地理讖緯説]]と関係しています。
[SEE[ [[三元甲子]] ]]



[REFS[

-
[93] [CITE@ja-JP[朝鮮古史の研究]], [[今西竜]], [TIME[1937]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-29T09:14:40.979Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1921111/1/19>
- [74] [CITE[[[朝鮮の年号と紀年]]]]
-- [7863] [CITE@ja[[[朝鮮の年号と紀年]](下)]],
[[藤田亮策]],
[TIME[1958-12]],
[TIME[2019-04-06 21:05:54 +09:00]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4756&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
#page=22, 27
- [150] 
[CITE@ja[[[檀君]] - Wikipedia]], [TIME[2023-06-12T03:08:45.000Z]], [TIME[2023-06-26T08:33:27.622Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E5%90%9B>
-
[118] [CITE@ko[단군기원([[檀君紀元]]) - 한국민족문화대백과사전]], [TIME[2023-06-20T13:14:04.000Z]] <https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0013543>


]REFS]


** [CITE[桓檀古記]]

[95] 
20世紀後半の[[偽書]][CITE[桓檀古記]]を[[檀君紀元]]の起源とする説がありますが、
正しくない [SRC[>>5]] とされます。
なお[[日本]]で出版された[CITE[桓檀古記]]が[[檀君紀元]]と呼んでいるものは、
[[檀君紀元]]とは違うものです。
[SEE[ [[桓檀古記の日時]] ]]

[427] 
[CITE[桓檀古記]]は[TIME[西暦1911年][1911]]の成立を称しています。
[[檀君紀元]]の根拠になったとされるのは[CITE[檀君世紀]]で、
[TIME[西暦1283年][1283]]の成立ということになっています。
ちょうど史実で[[檀君紀元]]が使われ始めた時期に編纂され、
その原史料はちょうど史実で[CITE[三国遺事]]や[CITE[帝王韻紀]]が作られた時期に成立したという設定になっているわけです。


* 李氏朝鮮時代末期

[428] 
[TIME[西暦1883年][1883]]頃、
「檀君開国四千四百」
と[[年号]]を書きかけた事例があります。
[SEE[ [[李氏朝鮮の日時]] ]]
正確な年数はわかりませんが、
現行[[檀君紀元]]より200年ほど大きいです。

[331] 
[TIME[西暦1904年][1904]]頃[[李氏朝鮮]]で[[朝鮮人]]向けに発行されていた
[CITE[帝国新聞]]
には、
複数の[[紀年法]]の[[年]]が併記されており、
そのうちの1つが
「[V[檀君元年三千二百四十七年]]」
でした。
[SEE[ [[李氏朝鮮の日時]] ]]

[332] 
これは[TIME[西曆-1342年戊戌][-1342]]を[[元年]]とした数え方です
([TIME[y~4180]])。

[333] 
この時未だ現行[[檀君紀元]]が成立していなかった (または有力説として普及していなかった)
ことがわかります。

[377] 
また、併記された[[紀年法]]に[[箕子]]即位紀年があることから、
[[李氏朝鮮]]時代にあって[[檀君]]と共に[[箕子]]尊崇が続いていたことがわかります。
(ただこの時期には[[檀君]]崇拝が強まり[[箕子]]崇拝はかなり弱まっていたといわれています。)

-*-*-

[405] 
[TIME[西暦1909年 (明治42年)][1909]]、
[[大韓帝国]]の王族や貴族などが発起人となって[[神宮奉敬会]]が発足し、
[[天照大神]]、
[[檀君]]、
[[李氏朝鮮]]の[[太祖]]を祀った[[神宮]]の建設を計画しました (未成)。

[406] 
この会の発行した
[CITE[神宮建築誌]]
[WEAK[([[ウェブ検索]]によると[TIME[西暦1909年][1909]]発行説と[TIME[西暦1910年][1910]]発行説あって不詳)]]
には、
[[皇帝]]の親族で政治家の[RUBYB[[[李址鎔]]][[TIME[1870]]-[TIME[1928]]]]の序に、

>[SNIP[]]然則  檀祖相伝、亦至今四千二百余年[SNIP[]]

とありました。
[SRC[>>93 /72]]

[407] 
概数ではありますが、現行[[檀君紀元]]とも矛盾しない年数が書かれています。


[424] 
明治42年に[[日本]]で出版された書籍に収録された文章で、

- [425] [[檀君]] 唐堯帝25年即位、1200年余相続
- [426] 檀君開国から4200年ほど経過

と書いたものがありました。 [SRC[>>423]]

[REFS[

- [423] [CITE@ja-JP[淡山論集 : 報徳講演 第3,4編]], [[岡田良一郎 (淡山)]], [TIME[明31-42][1909]], [TIME[2023-06-27T13:15:37.000Z]], [TIME[2023-07-02T05:46:04.407Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/758815/1/112>

]REFS]

* 大日本帝国朝鮮時代


[239] 
[[大韓帝国]]末期の[TIME[西暦1909年][1909]]に[[檀君教]]として設立され、
[[日韓併合]]のあった[TIME[西暦1910年][1910]]に分裂した[[大倧敎]]は、
[CITE[東国通鑑]]
に基づく[[檀君紀元]]の使用を積極的に主張しました。
[SRC[>>200]]
分裂後の[[檀君教]]も[[檀君紀元]]を使いました [SRC[>>118]]。

[240] 
その後は民族意識の強い人々が[[檀君紀元]]を密かに使ったといいます。
[SRC[>>200]]

[241] 
[[大倧敎]]関係者が多数関与したとされる、
[[中華民国]][[満州]]で制作されたという
[CITE[大韓獨立宣言書]]
([[戊午獨立宣言書]], [[무오 독립 선언서]])
は[[檀君紀元]]を採用しました。
[[三一独立運動]]の
[CITE[宣言書]]
([[己未独立宣言書]])
もこれを踏襲しました。
[SRC[>>200]]

;; [82] 
[[大倧敎]]などの[[満州]]での活動については、
[[天統 (渤海)]]
も参照。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [244] [CITE(.label)[大韓獨立宣言書]]
「[DATA(.text)[[V[檀君紀元四千二百五十二年二月  日]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>243]]
-- [245] [DATA(.label)[[[韓国語]]訳]]
「[DATA(.text)[단군기원 4252년 2월 일]]」 [SRC[>>246]]
- [248] [CITE(.label)[大韓獨立宣言書]]
「[DATA(.text)[[V[檀君開國四千二百五十二年二月十七日]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>247]]
- [248] [CITE(.label)[宣言書]]
「[DATA(.text)[[V[朝鮮開國四千二百五十二年三月  日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>247]]
-- [251] 
[DATA(.label)[[[ハングル]]注釈版]]
「[DATA(.text)[[RUBY[朝鮮建國四千二百五十二年三月一日][조선건국사천이백오십이년삼월일일]]]]」
[SRC[>>250]]
-- [252] 
[DATA(.label)[[[日本語]][[文語]]訳版]]
「[DATA(.text)[朝鮮建國四千二百五十二年三月一日]]」
[SRC[>>250]]
-- [253] 
[DATA(.label)[[[日本語]][[口語]]訳版]]
「[DATA(.text)[朝鮮建国四千二百五十二年三月一日]]」
[SRC[>>250]]
-- [254] 
[DATA(.label)[[[3・1朝鮮独立運動100周年キャンペーン]]版[[日本語]]訳]]
「[DATA(.text)[朝鮮建国四千二百五十二年三月一日]]」
[SRC[>>250]]
- [259] 
[CITE(.label)[[V[朝󠄃鮮獨立新聞]]]]
「[DATA(.text)[[V[朝󠄃鮮建󠄁國四千二百五十二年三月一日]]]]
[SRC[>>258]]


]ITEMS]

;; [255] 独立宣言と称する文書にはそもそもいくつかの版があり、
ハングル版や[[日本語]]訳も複数あり、
またその紹介記事も説明と宣言文や写真が食い違っていたりすることがままあるので、
注意が必要です。

[256] 
[[三一独立運動]]とその前後にはこれらの他にも[[檀君紀元]]を使った文書がいくつも作られました。
[[元号名]]はこの他に[DFN[建国]]や[DFN[紀元]]も使われました。
その一方で、[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]を使う[[大韓民国臨時政府]]系勢力もありました。
[SEE[ [[大韓民国 (紀年法)]] ]]


[257] 
[[三一独立運動]]の後も、
こうした活動に関与したグループらは、
[[中華民国]]等国外で、ときに[[朝鮮]]を含む[[日本]]国内で活動を続けました。
それらの人々は、
反日活動を行うだけに留まらず、
[[檀君紀元]]を奉ずるグループと[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]を奉ずるグループ 
(やその他の[[紀年法]]を使うグループ) 
とで[[紀年法]]の選択を含む活動方針の違いによる抗争に励んでいました。
[SEE[ [[大韓民国 (紀年法)]] ]]


[REFS[

- [242] 
[CITE@ko[이야깃거리 - 성북마을아카이브]], [TIME[2023-06-28T14:12:20.000Z]] <https://archive.sb.go.kr/isbcc/home/u/story/view/13.do;jsessionid=3544564CC2AE553784CAF9C829669121>
-- [243] [CITE[1.do;jsessionid=9B2BE9CAE887BDF8AB0398142862D409 (JPEG 画像, 1000 × 822 px)]], [TIME[2023-06-28T14:12:30.000Z]] <https://archive.sb.go.kr/isbcc/home/u/item/image/4909/1.do;jsessionid=9B2BE9CAE887BDF8AB0398142862D409>
- [246] 
[CITE@ko[[[대한독립선언서]] - 위키문헌, 우리 모두의 도서관]], [TIME[2023-06-15T18:25:16.000Z]], [TIME[2023-06-28T14:15:12.657Z]] <https://ko.wikisource.org/wiki/%EB%8C%80%ED%95%9C%EB%8F%85%EB%A6%BD%EC%84%A0%EC%96%B8%EC%84%9C>
- [247] 
[CITE@ko[대한 독립 선언서([[大韓獨立宣言書]])]], [TIME[2023-06-28T14:15:43.000Z]] <https://egame.tistory.com/entry/%EB%8C%80%ED%95%9C-%EB%8F%85%EB%A6%BD-%EC%84%A0%EC%96%B8%EC%84%9C%E5%A4%A7%E9%9F%93%E7%8D%A8%E7%AB%8B%E5%AE%A3%E8%A8%80%E6%9B%B8>
- [249] 
[CITE@ja[ファイル:The Proclamation of Korean Independence.jpg - [[Wikisource]]]], [TIME[2023-06-28T14:18:58.000Z]] <https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:The_Proclamation_of_Korean_Independence.jpg>
- [250] 
[CITE@ja[[[己未独立宣言書]] - Wikisource]], [TIME[2023-06-14T13:58:53.000Z]], [TIME[2023-06-28T14:19:46.222Z]] <https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%B7%B1%E6%9C%AA%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%AE%A3%E8%A8%80%E6%9B%B8>
- [258] 
[CITE@ja[李鐘一が作った初の地下新聞、「朝鮮独立新聞」 | [[東亜日報]]]], 
Posted June. 02, 2018 09:05,   
Updated June. 02, 2018 09:05,
[TIME[2023-06-29T08:06:36.000Z]] <https://www.donga.com/jp/article/all/20180602/1340428/1>






]REFS]

[47] ([TIME[2019-02-15T06:45:49.000Z]], [TIME[2020-09-18T11:05:25.192Z]])
<http://www.nskk.org/province/shiryo/nikkan_1919_2019.pdf#page=7>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[49] [CITE@ja[【中央時評】三・一運動100周年(1) | Joongang Ilbo | 中央日報]]
([TIME[2020-09-18T11:06:22.000Z]], [TIME[2020-09-18T11:06:44.409Z]])
<https://s.japanese.joins.com/JArticle/248716?sectcode=140&servcode=100>
]FIGCAPTION]

> 三・一は何だったか。まず「すでに独立」と「すでに建国」だ。『宣言書』は「朝鮮独立」を主に主張する代わりに「朝鮮の独立国であること」を宣言して、始めて、「朝鮮『建国』4252年3月1日」で終わる。それなのに1948年の建国と1919年の建国を争うのは恥ずかしい。「独立」さえ独立で成し遂げたものではなく独立回復だった。すなわち主権回復であり、光復(解放)だった。光復・光復軍・光復運動・光復節が正しい。

]FIG]

[50] ([TIME[2018-06-08T07:23:56.000Z]], [TIME[2020-09-18T11:07:03.597Z]])
<http://mswwres.meijigakuin.ac.jp/~kiriken/wordpress/wp-content/uploads/2018/06/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%B8%89%E3%83%BB%E4%B8%80%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%81%8B%E5%8B%95-%E5%AE%A3%E8%A8%80%E6%9B%B8.pdf>

[51] [CITE@ko[3・1と韓(朝鮮)半島式の国づくり / 白楽晴 | 季刊 『創作と批評』]]
([TIME[2020-09-18T11:08:05.000Z]])
<http://magazine.changbi.com/jp/archives/91358?cat=2483>


[456] 
[CITE@ja[06_lcs_35_2_sassa.pdf]], [TIME[2024-08-02T13:06:19.000Z]], [TIME[2024-08-02T13:09:00.922Z]] 
<https://ritsumei.repo.nii.ac.jp/record/2000535/files/06_lcs_35_2_sassa.pdf>
#page=9

>
[LEFT[
『マルモイ〔말모이〕』編纂事業の詳細については,周時経の弟子である李奎栄(1890 ~[BR[]]
1920)が書き残した資料が参考になる。李奎栄は 1913 年に『オンガッコ〔온갖것:すべての事〕』[BR[]]
という手稿本を書いている。本書は,冒頭に「4246 年〔檀紀による年表示,西暦に換算すると[BR[]]
1913 年〕9 月に朝鮮光文会朝鮮語字典を編輯する際に見聞きしたことを書き記す」(『全書』巻 4,[BR[]]
469)とあるので,『マルモイ〔말모이〕』編纂に参加した際の備忘録として書かれたものである
ことがわかる。[SNIP[]]
]LEFT]

#page=11

>
[LEFT[
[SNIP[]]周時経の弟子であった李奎栄は 1917 年に『ハングル[BR[]]
モの通史〔한글모죽보기〕』という手稿本を著している。本書は,周時経が創設した研究会と国[BR[]]
語講習会の沿革について記録したメモ書きであり,紀元前 2333 年を基準とする「開極紀元(檀紀)」[BR[]]
を使用しながら,1907 年から 1917 年までの 10 年間にわたる学会の歴史が記されている。その[BR[]]
中で「朝鮮言文会創立記録〔한글모세움몯음적발〕」をみると,檀紀 4246 年〔=西暦 1913 年〕[BR[]]
3 月 23 日に普成学校で開催された臨時総会において,[SNIP[]]
]LEFT]



-*-*-

[87] 
[TIME[1915-12-21]]に[[大日本帝国朝鮮]][[京城府]]で初版が発行された[[朝鮮史]]の[[年表]]
[CITE[東史年表]]
([SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]])
は、
[[西暦]]などと共に[[檀君紀元]]を全時代に表示しています。
[SRC[>>451, >>477]]


[450] 
この年表は改訂版こそ発禁になったそうですが、
初版は[[朝鮮史]]研究者に重宝されていたそうです。
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]


[REFS[

- 
[451] 
[CITE@ja[Tokyo Keizai University Institutional Repository: 東史年表 ◎]], [TIME[2014-01-27T07:11:16.000Z]], [TIME[2023-07-08T06:33:31.587Z]] <https://repository.tku.ac.jp/dspace/handle/11150/1712>
- [477] [CITE@ja-JP[東史年表]], [[魚允迪]], [TIME[1971]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-16T12:27:05.318Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12170539/1/4> (要登録)

]REFS]

* 米国占領地時代

[453] 
[CITE@ja[Xユーザーの그저그런녀석 くもり ▶️さん: 「「朝鮮姓名復舊令에依하야姓 復舊檀紀四貳七九年拾貳月貳拾四日改訂함」 조선성명복구령에 의하여 성을 복구, 단기 4279년(1946년) 12월 24일 개정함. https://t.co/wwazOqi8ZN」 / X]], [TIME[午後2:57 · 2022年2月4日][2022-02-04T05:57:52.000Z]], [TIME[2024-07-18T06:21:18.000Z]] <https://x.com/CMRbada/status/1489478291245334530>



* 大韓民国時代

[43] 
[[大韓民国]]は建国当初[[檀君紀元]]を公式の[[紀年法]]として使っていました。


** 大韓民国建国初期の公用

[140] 
[[大韓民国]]は、
[TIME[檀君紀元4281(西紀1948)年9月25日][1948-09-25]]に[[檀君紀元]]を法制化し、
公用開始しました。
[SRC[>>5]]

[197] 
[TIME[檀君紀元4281(西紀1948)年9月12日][1948-09-12]]、
[[国会議員]]133人中106人の賛成により、
[CITE[연호에 관한 법률]]
(年号に関する法律)
が可決されました。
[SRC[>>195]]

[288] 
それまで[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]を推す[[大韓民国臨時政府]]出身政府幹部らと、
[[檀君紀元]]を推す[[国会議員]]らの対立がありました。
政府機関は建国以来[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]を使っていましたが、
[[国会]]は法制化前から[[檀君紀元]]を使っていました。
[SEE[ [[大韓民国 (紀年法)]] ]]

[289] 
この法制化によって政府の[[紀年法]]は[[檀君紀元]]に一本化され、
民間でも広く使われるようになりました。

[HISTORY[

[191] 
[[韓国語]]版[CITE[위키백과]]は、
1944年7月11日に国会議員133人中106人が賛成し、
「대한민국의 공용 연호는 [B[단군기원]](檀君紀元)으로 한다.」
([[大韓民国]]の公用年号は[[檀君紀元]]とする。)
と定められ、
同年9月25日から施行された、
と説明しています。
[SRC[>>168]]
これは[TIME[西暦1948年][1948]]の誤りでしょうか。
しかし[[月日]]も >>197 と違って謎です。

]HISTORY]

[HISTORY[

[290] [[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は[TIME[1948-09-25]]に[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]が公用化されたと書いていますが、
誤りで、真逆です。
[SEE[ [[大韓民国 (紀年法)]] ]]

]HISTORY]

[3] 
[[大韓民国]]の檀紀4281年9月25日[[法律]]第4号
[DFN[[CITE[年號에關한法律]]]]
([CITE[年號に關する法律]])
は制定当時は[[漢字ハングル混じり文]]でした [SRC[>>2]] が、
現在の[[大韓民国]]政府機関ウェブサイトでは[[ハングル]]版が公開されています
[SRC[>>4]]。

[291] 
本文は、[[大韓民国]]の[[公用年號]]を[[檀君紀元]]とすると定めただけの単純なものです。
[SRC[>>2]]

[292] 
[[檀君紀元]]とは何か、どのように使うか、といった詳細は何も明記されていませんでした。

[293] 
この[[法律]]を[[公布]]するに当たっての[[大統領]]の[[書名]]の[[日付]]が、
[[檀君紀元]]を使っていました。[[元号名]]は[[檀紀]]でした。
[SRC[>>2]]

[294] 
この[[法律]]は即日、すなわち[TIME[1948-09-25]]に[[施行]]されました。
[SRC[>>2]]

[295] 
[[大韓民国]]の政府機関ウェブサイトに書かれている制定理由は、
いつ誰が執筆したものかよくわかりませんが (国会審議時の提出資料?)、
民族の単一性と国家の同一性と歴史の遺構性を内外に誇示するために[[大韓民国]]の固有の[[年號]]を制定するのだと説明しています。
[SRC[>>4]]

[296] 
[[朝鮮半島]]が南北に分断され統一の見込みも立たないなかで、
北の[[朝鮮民主主義人民共和国]]に遅れて建国した直後の[[大韓民国]]にとって、
その統治の正当性と民族の統合はなんとしてでも主張しなければならないことだったのです。

[297] 
いくら[[大韓民国]]政府の主要メンバーが[[大韓民国臨時政府]]の出身だとはいえ、
[[大韓民国臨時政府]]が活動し[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]を使っていたのは国外の一部勢力だけ、
しかもそれすらも統一できていませんでした ([SEE[ [[大韓民国 (紀年法)]] ]])。
[[檀君]]以来の歴史の継承を表明する[[檀君紀元]]でなければ民族統合のシンボルとはなり得なかったのでしょう。


[316] 
なお、この[[法律]]には[[檀君紀元]]を公用化すると書かれているだけで、
それ以前の公用の[[紀年法]]が何だったかは書かれていませんし、
それを廃止するとも書かれていません。
改正前の旧[[法律]]が存在していないからです。

;; [317] それとは別に政府側で[[政令]]などの改廃はあったかもしれません。

[318] 
なおこの[[法律]]は公用の[[紀年法]]を定めただけで、
民間の[[紀年法]]については何も定めていません。

[324] 
この[[法律]]は既存の[[檀紀]]を採用したものに過ぎませんが、
一般には[[檀紀]]の「制定」と説明されることもあります
[SRC[>>7]]。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ko[국가기록원 기록물뷰어]] ([TIME[2016-05-23 12:41:06 +09:00]]) <http://theme.archives.go.kr/next/common/viewEbook.do?singleData=N&archiveEventId=0028303508>
]FIGCAPTION]

[CITE[[L[官報]] [V[第六號]]]],
[TIME[[V[檀紀四二八󠄂一年九月二十八󠄂日]]][1948年09月28日]]

>
[VRLBOX[
國會의議決로確定된年號에關한法律을[BR[]]
이에公布한다

[BOX(indent)[
[BOX(indent)[
大統領 李承晩 印⃞
]BOX]

檀紀四千二百八󠄂十一年九月二十五日

國務委員 [LINES(normal)[國務總理[ASIS[兼󠄁][水]]][國防部長官]] 李範奭

國務委員 內務部長官 尹致暎

國務委員 外務部長官 張澤相

國務委員 財務部長官 金[ASIS[度][又󠄂]]演

國務委員 法務部長官 李  仁

國務委員 文敎部長官 安浩相

國務委員 農林部長官 曺奉岩

國務委員 商工部長官 任永信

國務委員 社會部長官 錢鎭漢

國務委員 交󠄄通󠄃部長官 閔󠄂熙植

國務委員 遞信部長官 尹錫龜

國務委員            李靑天

國務委員            李允榮

]BOX]

[B[法律第四號]]

[BOX(indent)[
[BOX(indent)[
年號에關한法律
]BOX]
]BOX]

大韓民國의公用年號는檀君紀元으로한[BR[]]
다

[BOX(indent)[
[BOX(indent)[
附則
]BOX]
]BOX]

本法은公布日로부터施行한다

]VRLBOX]


]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] 
[CITE@ko[연호에관한법률]], [TIME[2023-06-29T12:19:02.000Z]] <https://www.law.go.kr/%EB%B2%95%EB%A0%B9/%EC%97%B0%ED%98%B8%EC%97%90%EA%B4%80%ED%95%9C%EB%B2%95%EB%A5%A0/(00004,19480925)>
]FIGCAPTION]

>
[BOX[

[BOX(center)[
[B[연호에관한법률]]

[시행 1948. 9. 25.] [법률 제4호, 1948. 9. 25., 제정]
]BOX]

[BOX(right)[
행정안전부(의정담당관실), 02-2100-4077
]BOX]

대한민국의 공용연호는 단군기원으로 한다.

[B[부칙  부      칙 <법률 제4호, 1948. 9. 25.>]]

본법은 공포일로부터 시행한다

]BOX]

>
[BOX[
[B[【제정·개정이유】]] [SNIP[]]

[신규제정]

민족의 단일성과 국가의 동일성 및 역사의 유구성을 내외에 과시하기 위하여 우리나라 고유의 년호를 제정하려는 것임.

●대한민국의 공용년호는 단군기원으로 함.

[B[【제정·개정문】]] [SNIP[]]

법령 본문과 동일하여 제개정문을 생략합니다. 

]BOX]


]FIG]

-
[6] [CITE@ja[[[年号に関する法律]](法律第4号) - Wikisource]]
([TIME[2016-12-13 21:08:18 +09:00]])
<https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B(%E6%B3%95%E5%BE%8B%E7%AC%AC4%E5%8F%B7)>
-
[7] [CITE[韓国標準ヨンリョク]],
[TIME[2018-01-23 23:17:23 +09:00]]
<http://manse.kisti.re.kr/contents-3.html>


]REFS]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[42] [CITE@ja[大韓民国 - Wikipedia]]
([TIME[2020-09-12T04:35:07.000Z]], [TIME[2020-09-12T08:10:14.534Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD#%E6%AD%A3%E5%BC%8F%E5%90%8D%E7%A7%B0>
]FIGCAPTION]

> 1948年に米軍統治下の朝鮮のみで独立することが決まると、米軍は憲法制定(制憲)国会を招集して独立準備にあたらせた。その際、憲法起草委員会が新国家の憲法起草とともに新国家の国号と年号も決めることになり、国号候補として「大韓民国」「高麗共和国」「朝鮮共和国」「韓国」の四つが挙げられた。最終的には、1948年6月23日に採決が行われ、独促国民会が推す「大韓民国」が新国家の国号に決定した'''['''26''']'''。なお委員会が国号を決定しかねていたある日、臨時政府側の池青天(チ・チョンチョン)将軍(光復軍司令官)が起草委員でもないのに突然委員会に姿を現し、「国号は『大韓民国』、年号は『檀紀』に即決せよ、さもないと割腹自殺する」というハプニングがあったという'''['''27''']'''。

]FIG]


-*-*-


[12] [CITE[한국사데이터베이스]] ([TIME[2018-01-26 15:37:44 +09:00]]) <http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npfp_1948_09_12_v0001_0070>

法案国会通過の報道。


[8] [[大韓民国]]の[[新聞]]である[CITE[自由新聞]]は、
[TIME[9月26日][1948-09-26]]に[[改元]]を報道しました [SRC[>>9]]。
この[[新聞]]自体は、
許認可番号の表示は一貫して[[西暦]]で [SRC[>>9, >>10, >>11]]、
発行の[[日付]]の表示は[TIME[10月12日][1948-10-12]]まで[[大韓民國]] [SRC[>>9, >>10]]、
[TIME[10月13日][1948-10-13]]から[[檀紀]]となっていました [SRC[>>11]]。

[REFS[
- [9] [CITE[한국사데이터베이스]] ([TIME[2018-01-26 15:31:17 +09:00]]) <http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npfp_1948_09_26_v0001_0080>
- [10] [CITE[한국사데이터베이스]] ([TIME[2018-01-26 15:32:12 +09:00]]) <http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npfp_1948_10_12_v0001_0010>
- [11] [CITE[한국사데이터베이스]] ([TIME[2018-01-26 15:32:20 +09:00]]) <http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npfp_1948_10_13_v0001_0010>
]REFS]





- [284] 
[CITE@en[File:Southkoreastampday50hwan1956scott233.jpg - Wikimedia Commons]], [TIME[2023-06-20T16:41:33.000Z]], [TIME[2023-06-26T08:50:48.749Z]] <https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Southkoreastampday50hwan1956scott233.jpg>

[156] [[大韓民国]]発行の[[切手]]。
「[L[4289]]」「[L[12.4]]」。
[TIME[檀君紀元4289(西紀1956)年12月4日][4289-12-04]] [SRC[>>150]]。


[260] 
この時期は[[檀君紀元]]が当然に使われたので、
[[檀君紀元]]と明記せず[[年数]]だけで書いた事例も多いです。
[SRC[>>200]]

[261] 
[[2桁年号]]も使われました。
[[双八年度]]のように造語されることもありました。

[18] [CITE@ja[アラベスク  消印]]
([[かきたがわ]], [TIME[2020-09-04T02:51:06.000Z]], [TIME[2020-09-04T02:51:07.626Z]])
<http://komoro1939.blog136.fc2.com/blog-entry-56.html>

[[檀君紀元]] [[欧州数字]]4桁のみ

[19] [CITE@ja[アラベスク  Wrapper]]
([[かきたがわ]], [TIME[2020-09-04T05:08:30.000Z]], [TIME[2020-09-04T05:08:32.108Z]])
<http://komoro1939.blog136.fc2.com/blog-entry-2432.html>

[20] [CITE@ja[アラベスク  多数貼り]]
([[かきたがわ]], [TIME[2020-09-04T05:13:27.000Z]], [TIME[2020-09-04T05:13:28.405Z]])
<http://komoro1939.blog136.fc2.com/blog-entry-490.html>

[[檀君紀元]][[2桁年号]] [[欧州数字]]2桁のみ


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[27] [CITE@ja[大阪の韓国領事館ってどんなところ? | 帰化申請(大阪)]]
([TIME[2020-09-12T07:40:54.000Z]])
<http://kikashinsei.jp/?p=150>
]FIGCAPTION]

> 今はあまり見かけることが少なくなりましたが、かつては、西暦ではなく檀紀4290年とかいう表示にびっくりしたことがありました。
> ※檀紀(だんき)とは?大韓民国で一時使用されていた年号
> 「1948年(檀紀4281年)9月25日に檀紀使用に法的根拠を与え、公式な場で使用を開始した。しかし1961年(檀紀4294年)12月2日に朴正煕が年号廃止の法令を制定、1962年1月1日からは公式な場での使用が禁止され、公文書では西暦が使用されるようになった」

]FIG]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[30] [CITE@ja[高等国語 国文学古典篇(金根洙編) / 泰成堂書店 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」]]
([[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2020-09-12T07:47:10.000Z]])
<https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=334231260>
]FIGCAPTION]

> 檀紀4281年刊

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[31] [CITE@ja[漢方歴代医家特効処方選集(崔水亮) / 泰成堂書店 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」]]
([[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2020-09-12T07:47:32.000Z]])
<https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=334229019>
]FIGCAPTION]

> 檀紀4294年10月1日

]FIG]


[32] [CITE@ja[檀紀4290年度 復興白書 復興月報第3巻第5号付録(韓文)(大韓民国復興部編) / 出島書店 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」]]
([[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2020-09-12T07:47:53.000Z]])
<https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=5415410>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[33] [CITE@ja[(韓)殉国烈士李漢応先生遺史 (孫世昌) / 岡本書店 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」]]
([[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2020-09-12T07:48:24.000Z]])
<https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=311428874>
]FIGCAPTION]

> 檀紀四二九二年

]FIG]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[35] [CITE[釜山劇場]]
([TIME[2012-01-05T07:48:49.000Z]], [TIME[2020-09-12T07:50:31.683Z]])
<http://busan.chu.jp/korea/old/fukei/naka/nmp/pt.html>
]FIGCAPTION]

> 釜山教育史(釜山市教育委員會)63頁より
> 壇紀4292年5月発行(1959年)

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[36] [CITE[関東大震災時に殺害された朝鮮人名簿、駐日大使館で発見 : 日本•国際 : hankyoreh japan]]
([[한겨레]], [TIME[2020-09-12T07:52:34.000Z]])
<http://japan.hani.co.kr/arti/PRINT/16058.html>
]FIGCAPTION]

> 駐日大使館当局者は17日 「今年6月東京四谷の韓国大使館を現在の麻布十番庁舎に移転する過程で、書庫に保管されていた大量の日帝強制占領期間被害者名簿が確認され、これを関連政府部署に移管した」と明らかにした。 これら文書は鉄筆・手書きで作成されたもので、檀紀4386年(1953年)という道知事職印などが捺されている事実に照らして李承晩政権時期である1950年代中盤に作成されたものと推定される。

]FIG]


[38] [CITE@ja[「ハンギョレ新聞は、衝撃度を高めるために日本人の死体を朝鮮人に偽装したか。」: 半可通日記]]
([TIME[2020-09-12T08:01:21.000Z]])
<http://half2.seesaa.net/article/a66877108.html>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[39] [CITE[韓国の声 45号]]
([TIME[2008-06-28T01:26:38.000Z]], [TIME[2020-09-12T08:03:53.214Z]])
<http://www.eonet.ne.jp/~unikorea/041050/45c.htm>
]FIGCAPTION]

>  もともと在日朝鮮人の外国人登録上の「国籍」はすべて朝鮮だった。しかし、祖国の分断状況に起因する在日朝鮮人の「国籍」問題の発端は、朝鮮戦争直前の1950年、当時の韓国代表部からGHQに対して、韓国に変えるように要望が出され、日本政府が「本人の希望によって」韓国籍を採用してもよいことにしたことにある。だが実際、「大韓民国を支持」することを登録原票に記載するために、わざわざ国籍欄を韓国へと変更申請する在日朝鮮人は多数ではなかった。それは協定永住許可者数=韓国籍の在日朝鮮人と単純化して統計を見ても、1966年で1万2,435人(入国管理局編、同前)に過ぎない。 私の登録原票の記載によると、国籍欄を韓国とする根拠となったのは、「檀紀4294.12.23(2文字判読不能)第1492号大韓民国国民登録証による」とされている。国交もなく大使館もなく、連絡通信も現在と比較にならぬほど不便だった当時において、大韓民国の国民登録をする事務的なわずらわしさは、いま以上だったはずだ。したがって、何らかの事情があったとしても、かなり積極的な韓国国籍取得だったと言えよう。

]FIG]

[37] ([TIME[2017-03-22T14:10:15.000Z]], [TIME[2020-09-12T07:58:47.637Z]])
<http://do-cks.net/wp-content/uploads/2017/03/Korea03.pdf#page=61>


[41] ([TIME[2017-11-14T04:18:35.000Z]], [TIME[2020-09-12T08:07:47.486Z]])
<http://www.inbong.com/2012/0824rejime/20120824.pdf#page=7>

[53] [CITE[韓国の年号]], [TIME[2010-09-13T05:18:13.000Z]], [TIME[2021-01-10T06:31:25.751Z]] <http://busan.chu.jp/korea/old/life/etc/nengo.html>

> 写真は龍頭山公園の入口にある石碑です。
>
「壇紀」の文字が見えます。
>
壇紀四千弐百八拾八年と書いてあるので
1955年に龍頭山公園として開園したのです。

[80] [CITE@ja[豊本さんはTwitterを使っています: 「これ何年なんやって思ってたら檀紀って韓国独自の暦があるんやね。 この集合写真も日本軍み感じて好き。 https://t.co/jzXClpuuED」 / Twitter]], [TIME[午前11:21 · 2022年1月14日][2022-01-14T02:21:41.000Z]], [TIME[2023-03-08T06:49:02.000Z]] <https://twitter.com/bulgaria115/status/1481813743130783746>


** 西紀への改元

[298] 
[TIME[檀紀4294(1961)年5月16日][1961-05-16]]、
[[大韓民国]]で[[クーデター]]があり、
新政権が発足しました。
この[[年]]、新政府は (他の様々な制度改正とともに) [[標準時]]改正、
[[改元]]、
[[年齢]]計算法改正といった[[日時制度]]改革を次々に実行しました。
[SEE[ [[大韓民国の標準時]] ]]

[299] 
[[大韓民国]]の[TIME[檀紀4294(1961)年12月2日][1961-12-02]][[法律]]第775号
[DFN[[CITE[연호에관한법률]]]] ([CITE[年號に関する法律]])
は、
制定当時は[[漢字ハングル混じり文]]だったと推測されますが、
現在の[[大韓民国]]政府機関ウェブサイトでは[[ハングル]]版が公開されています 
[SRC[>>285]]。

[300] 
本文は、[[大韓民国]]の[[公用年號]]を[[西暦紀元]]と定めただけの単純なものです。
[SRC[>>285]]

[301] 
この[[法律]]は、
[TIME[檀紀4295(1962)年1月1日][1962-01-01]]に[[施行]]されました。
[SRC[>>285]]
この[[法律]]の制定・[[公布]]の時点では未[[施行]]のため、
[[附則]]で[[施行]]の[[日付]]が[[檀紀]]で記述されています。

[302] 
[[大韓民国]]での法解釈はよくわかりませんが、
[[日本の法令]]と同じなら、
[TIME[1962-01-01]]の[[施行]]とは[[日付]]が変わった[[瞬間]]に[[施行]]されることを意味します。
つまり[TIME[檀紀4294年12月31日][1961-12-31]]が[TIME[檀紀4295年1月1日][1962-01-01]]に変わった[[瞬間]]、
この[[法律]]が[[施行]]され、
[TIME[西紀1962年1月1日][1962-01-01]]に改められたことになります。
[TIME[檀紀4295年][1962]]は法的にはこの一瞬だけ存在したことになります。


[303] 
[[大韓民国]]の[TIME[檀紀4281年9月25日][1948-09-25]][[法律]]第4号
[CITE[年號에關한法律]]
は、
この[[法律]]によって[[廃止]]されました。
[SRC[>>285]]

[304] 
附則第3項により、
この[[法律]]の[[施行]]の時点の[[公文書]]で[[檀紀]]表示の[[年]]は、
2333 を引いて[[西暦]]とみなすことと定められました。
[SRC[>>285]]

[305] 
これは[TIME[檀紀4294年][1961]]の年末まで旧[[法律]]に基づき[[檀紀]]の利用を継続し、
その結果翌年以後が[[檀紀]]で記述された (結果として[[延長年号]]となった)
ものを法的に安定して解釈できるように設けられた移行規定と思われます。

[306] 
実際に本法の制定後[[施行]]前に作られた[[公文書]]や[[私文書]]で[[西紀]]でなく[[檀紀]]がきっちり利用継続されていたのかはよくわかりません。

[307] 
この規定は[TIME[檀紀4294年][1961]]年末時点で存在した[TIME[檀紀4294年][1961]]またはそれ以前の[[年の表示]]
(つまり[[延長年号]]ではない従来普通に使われてきた[[檀君紀元]]の[[年の表示]])
には適用できるとも適用されないとも解釈し得ますが、どのような意図だったのでしょうか。

[308] 
附則第4項により、
[[公文書]]の年を[[訂正印]]により訂正できると定められました。
[SRC[>>285]]


;; [309] 
[[日本]]では古くから定期的に[[改元]]があって[[慣習]]が成立しているためか、
このような移行措置は明文法となっておらず、
[[改元]]のたびに政府や関連団体、企業等が周知する程度になっています。
[SEE[ 例えば[[令和改元]] ]]
[[大韓民国]]の人々も[[大正改元]]や[[昭和改元]]は経験していたはずなのですが、
このように明文化されています。


[310] 
[[大韓民国]]の[TIME[西紀2014年1月7日][2014-01-07]] 법률 제12209호
([[法律]]第12209号)
[DFN[[CITE[연호에 관한 법률]]]]
([CITE[年号に関する法律]])
は、
[TIME[檀紀4294(1961)年12月2日][1961-12-02]][[法律]]第775号を一部改正したものです。
[SRC[>>286]]

[311] 
この法改正によって[[法律]]の題名は[[ハングル]]に改められ、
本文は[[ハングル]]に[[漢字]]の併記に改められました。
[SRC[>>286]]
表記だけで内容は変わっていません。

;; [315] 
[[大韓民国]]政府機関の[[ウェブサイト]]掲載[[法律]]文の題名は、
改正前が
[CITE[연호에관한법률]]、
改正後が
[CITE[연호에 관한 법률]]
になっています。
改正前は本来[[漢字ハングル混じり文]]の条文が[[ハングル]]に改められたもので、
[[漢字]]が[[ハングル]]に置き換えられただけで[[分かち書き]]がされていませんが、
改正後は元から[[ハングル]]専用の新しい[[正書法]]で書かれているので、
[[分かち書き]]されています。


[314] 
おそらく立法技術的な理由によるものなのでしょうが、元の[[法律]]の附則全4項は改正されないままになっています。
ただし[[大韓民国]]政府機関ウェブサイト掲載の条文は[[ハングル]]化されたものになっています。

[312] 
この改正法は[TIME[西紀2014年1月7日][2014-01-07]]に即日施行されました。
[SRC[>>286]]

[313] 
この改正の目的は[[法律]]条文の平易化とされています。 [SRC[>>286]]
このような改正は同時期の他の[[法律]]でも行われています。
元の[[法律]]の制定後の[[漢字廃止]]、[[ハングル]]専用化の進展が反映されています。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[285] 
[CITE@ko[연호에관한법률]], [TIME[2023-06-29T13:17:51.000Z]] <https://www.law.go.kr/%EB%B2%95%EB%A0%B9/%EC%97%B0%ED%98%B8%EC%97%90%EA%B4%80%ED%95%9C%EB%B2%95%EB%A5%A0/(00775,19611202)>
]FIGCAPTION]

>
[BOX[

[BOX(center)[
[B[연호에관한법률]]

[시행 1962. 1. 1.] [법률 제775호, 1961. 12. 2., 폐지제정]
]BOX]

[BOX(right)[
행정안전부(의정담당관실), 02-2100-4077
]BOX]

대한민국의 공용연호는 서력기원으로 한다.

[B[부칙  부      칙 <법률 제775호, 1961. 12. 2.>]]

①본법은 단기 4295년 1월 1일부터 시행한다.

②법률 제4호 연호에관한법률은 이를 폐지한다.

③본법 시행당시의 공문서중 단기로 표시된 연대는 당해 단기연대에서 2333년을 감하여 이를 서력연대로 간주한다.

④연대 정정에 있어서는 공문서정정에 관한 타 법령의 규정에 불구하고 당해 공문서의 서식에 적합하도록 연대 정정인을 사용하여 정정할 수 있다.


]BOX]

>
[BOX[
[B[【제정·개정이유】]] [SNIP[]]

[폐지제정]

현재 사용중인 단기연호는 외교면을 위시하여 일반행정에 많은 애로와 결점이 있어 이를 시정하기 위하여 현행 단기연호에서 서기연호로 바꾸려는 것임.

①대한민국의 공용연호는 서력기원으로 함.

②이 법은 단기 4295년 1월 1일부터 시행하도록 함.

③이 법 시행당시의 공문서중 단기로 표시된 연대는 당해 단기연대에서 2333년을 감하여 이를 서력연대로 간주하도록 함.

④연대 정정에 있어서는 공문서 정정에 관한 타 법령의 규정에 불구하고 당해 공문서의 서식에 적합하도록 연대정정인을 사용하여 정정할 수 있도록 함.

[B[【제정·개정문】]] [SNIP[]]


    국가재건최고회의의결로확정된연호에관한법률을이에공포한다
              대통령        윤보선 (印)
        단기사천이백구십사년십이월이일
              내각수반        송요찬
              문교부장관        문희석
              내각사무처장        금병삼

⊙법률제칠칠오호

연호에관한법률

[본문 생략]

부칙

①본법은 단기 4295년 1월 1일부터 시행한다.

②법률 제4호 연호에관한법률은 이를 폐지한다.

③본법 시행당시의 공문서중 단기로 표시된 연대는 당해 단기연대에서 2333년을 감하여 이를 서력연대로 간주한다.

④연대 정정에 있어서는 공문서정정에 관한 타 법령의 규정에 불구하고 당해 공문서의 서식에 적합하도록 연대 정정인을 사용하여 정정할 수 있다.
]BOX]


]FIG]

- [287] 
[CITE[租稅特例制限法中改正法律案에대한修正案]], [TIME[2023-06-29T13:24:18.000Z]] <https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:e6zDyVP6964J:https://law.go.kr/LSW/flDownload.do%3FflSeq%3D16025827>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[286] 
[CITE@ko[연호에관한법률]], [TIME[2023-06-29T13:20:27.000Z]] <https://www.law.go.kr/%EB%B2%95%EB%A0%B9/%EC%97%B0%ED%98%B8%EC%97%90%EA%B4%80%ED%95%9C%EB%B2%95%EB%A5%A0>
]FIGCAPTION]

>
[BOX[

[BOX(center)[
[B[연호에 관한 법률]]

[시행 2014. 1. 7.] [법률 제12209호, 2014. 1. 7., 일부개정]
]BOX]

[BOX(right)[
행정안전부(의정담당관실), 02-2100-4077
]BOX]

대한민국의 공용(公用) 연호(年號)는 서력기원(西曆紀元)으로 한다. <개정 2014. 1. 7.>

[B[부칙  부      칙 <법률 제775호, 1961. 12. 2.>]]

①본법은 단기 4295년 1월 1일부터 시행한다.

②법률 제4호 연호에관한법률은 이를 폐지한다.

③본법 시행당시의 공문서중 단기로 표시된 연대는 당해 단기연대에서 2333년을 감하여 이를 서력연대로 간주한다.

④연대 정정에 있어서는 공문서정정에 관한 타 법령의 규정에 불구하고 당해 공문서의 서식에 적합하도록 연대 정정인을 사용하여 정정할 수 있다.

[B[부칙  부      칙 <법률 제12209호, 2014. 1. 7.>]]

이 법은 공포한 날부터 시행한다.

]BOX]

>
[BOX[
[B[【제정·개정이유】]] [SNIP[]]

[일부개정]

◇ 개정이유 및 주요내용

법치국가에서의 법 문장은 일반 국민이 쉽게 읽고 이해해서 잘 지킬 수 있도록 해야 함은 물론이고 국민의 올바른 언어생활을 위한 본보기가 되어야 하는데, 우리의 법 문장은 용어 등이 어려워 이해하기 힘든 경우가 많고 문장 구조도 어문(語文) 규범에 맞지 않아 국민의 일상적인 언어생활과 거리가 있다는 지적이 많음.

이에 따라 제명과 법 문장의 표기를 한글화하고 띄어쓰기를 한글맞춤법 등 어문규범에 맞게 함으로써 쉽게 읽고 잘 이해할 수 있으며 국민의 언어생활에도 맞는 법률이 되도록 하려는 것임.

<법제처 제공>

[B[【제정·개정문】]] [SNIP[]]

    국회에서 의결된 연호에관한법률 일부개정법률을 이에 공포한다.
              대통령        박근혜 (인)
        2014년 1월 7일
              국무총리        정홍원
              국무위원 안전행정부 장관        유정복

⊙법률 제12209호

연호에관한법률 일부개정법률

연호에관한법률 일부를 다음과 같이 개정한다.

제명 "연호에관한법률"을 "연호에 관한 법률"로 한다.

본칙을 다음과 같이 한다.

대한민국의 공용(公用) 연호(年號)는 서력기원(西曆紀元)으로 한다.

부칙

이 법은 공포한 날부터 시행한다.

]BOX]

]FIG]


]REFS]

[319] 
この[[法律]]は[[檀君紀元]]の公用を廃止しただけですが、
一般には[[檀君紀元]]自体を廃止したもののように解説されていることもあります。

[192] 
[[韓国語]]版[CITE[위키백과]]は、
[TIME[檀君紀元4294(西紀1961)年12月2日][1961-12-02]]に[[大韓民国]]政府は
법률 제775호
(法律第775号)
[CITE[연호에 관한 법률]]
(年号に関する法律)
で
「대한민국의 공용 연호는 [B[서력기원]](西曆紀元)으로 한다.」
([[大韓民国]]の公用年号は西暦紀元とする。)
と定め、
[TIME[西紀1962年1月1日][1962-01-01]]から[[檀君紀元]]を廃止し、
[[西暦紀元]]を採用した
[SRC[>>168]]
と解説しています。

[HISTORY[

[141] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
[TIME[檀君紀元4294(西紀1961)年12月2日][1961-12-02]]に[[大韓民国]]政府は[[檀君紀元]]を廃止し、
[TIME[西紀1962年1月1日][1962-01-01]]から公式な場での使用を禁止し、
公文書では[[西紀]]を使うこととした
[SRC[>>5]]
と解説しています。

[320] 
しかし[[檀君紀元]]の利用禁止について出典がなく、
他の解説にもそのような説明は出てきません。

[430] 
>>429 も禁止したと書いていますが、根拠は示していません。

[432] 
[CITE[Wikipedia]] は[TIME[2006-08-29]]の改訂から禁止としており、
そちらのほうが古いです。

- [431] 
[CITE@ja[「[[檀君紀元]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2023-06-18T14:06:42.000Z]], [TIME[2023-07-02T14:07:04.155Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%AA%80%E5%90%9B%E7%B4%80%E5%85%83&diff=prev&oldid=7362459>
- [429] 
[TIME[2011]],
[TIME[2023-07-02T14:04:15.00Z]]
<https://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/ea/199/files/137637>
#page=3

[NOTE[
[433] 
本件と関係ありませんが、 >>429 
は植民地時代に朝鮮人が日本の元号を
「使わざるをえな
かった」
と書いて、
その注釈に
「王名と年号を暗記するのが受験勉強の主要な項目であった。」
と書いています。

[434] この文脈なら[[日帝]]に[[元号]]を強制されたような事例
(例えば[[大韓帝国]]の元号を書いて発禁になったとか、
[[檀君紀元]]を書いたら逮捕されたとか?)
を探してきて紹介してほしいところですが、
これではテスト勉強をサボりたい学生の言い訳みたいです。

]NOTE]

]HISTORY]


[436] [CITE@ko[의안정보시스템]], [TIME[2023-07-02T14:31:15.000Z]] <http://likms.assembly.go.kr/bill/billDetail.do?billId=003661&ageFrom=21&ageTo=21>

>現在 使用중인 檀紀年號는 外交面을 爲始하여 一般行政에 많은 隘路와 缺点을 是正하기 위하여 現行 檀紀年號
에서 西紀年號로 바꾸려는 것임.

-*-*-

[123] [CITE@ko[(62시리즈)1962년부터 서기 연도 사용 시작하다 - 시니어오늘]], 
2022.04.30 00:00,
[TIME[2023-06-20T13:18:05.000Z]] <http://www.seniortoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=10918>

[[Google翻訳]]

>短期を書記に変えた最大の理由は、世界の多くの国が書記を使用するためだった。政府は歴史学界に諮問を求め、年号を変える場合についての様々な社会的長所と短所を比較した末、結局短期から書記に年号を変えることにした。年号を変えるのに必要な費用を最小限に抑えるために作られた公文書の年号はそのままにし、時には文書の部分だけ修正するようにしたり、発行した教科書の短期年号は教師の指導で書記に変更する方針も立てた。 


[272] 
[CITE[나무위키]]
は次のように説明しています。
[SRC[>>200]]

-
[264] 
歴史上の主要な出来事を[[檀君紀元]]で書いた[[韓国史]]や[[世界史]]の教科書がありました。
-
[273] 
そのような学校でそのような教科書で学んだ生徒の卒業証書にも、
年度を[[檀君紀元]]で書いていました。
-
[274] 
[TIME[西暦1948年][1948]]生まれ当たりまでそのような[[卒業証書]]がありました。
-- [265] 
[[幼稚園]]は[TIME[西紀1949年][1949]]から[TIME[西紀1954年][1954]]生まれ
(ただし当時[[幼稚園]]生は非常に稀)
-- [266] 
[[小学校]]は[TIME[西紀1948年][1948]]生まれまで
-- [268] 
[[中学校]]は[TIME[西紀1945年][1945]]生まれまで
-- [275] 
[[師範学校]]は[TIME[西紀1943年][1943]]生まれまで
-- [276] 
[[高校]]は[TIME[西紀1942年][1942]]生まれまで
-- [277] 
[[大学]]は[TIME[西紀1939年][1939]]生まれまで
-- [278] 
[[出生届]]の遅れで同年代より1-3年ほど遅れた学生もいるので正確ではない。
-
[267] 
当時の学校の[[算数]]では、[[西紀]]と[[檀紀]]の換算が出題されました。
それは、[[西紀]]が世界的に広く使われているからでした。

[279] 
この説明にはよくわからないところがあります。

- [280] 
生まれ年の違いを比べると、
[[改元]]と同時に[[卒業証書]]も切り替わったようです。
採用教科書と[[卒業証書]]の[[紀年法]]が連動するかのような書き方ですが、
これは言葉の綾でしょうか。
- [281] 
[[教科書]]によっては[[檀君紀元]]が書かれており、
そうでない[[教科書]]もあったように読める書き方ですが、
どうなのでしょうか。
当時の制度はわかりませんが、
[[大韓民国]]では[[韓国史]]や[[世界史]]は[[国定教科書]]の時期がほとんどのようです。
[[国定教科書]]なら選択の余地はないのでは。
- [282] 
下級学校や下の[[学年]]で[[檀君紀元]]で学んだ[[学生]]は[[上級学校]]や上の[[学年]]でどうなったのでしょう。
この説明だと移行措置が取られず換算が要求されたようにも読めます。
- [283] 
[[紀年法]]の換算が課程に入ったのはいつのことなのでしょう。
理由付けを見ると[[檀君紀元]]公用時代のことを書いているように見えます。
その後の移行期間も教育は続いたのでしょうか。

-*-*-

[321] 
現在[[大韓民国]]政府は[[西暦]]を使っていますが、
当時の[[戸籍]]が[[檀紀]]のまま保管されていて、
それは現在も法的効力を有するようです。
[SEE[ [[戸籍の日時]] ]]
他にも同じようなケースはあるのかもしれません。



-*-*-

[328] 
[[檀君紀元]]にかえて[[西暦紀元]]を採用したのがクーデターで成立した軍事政権だったため、
[[大韓民国民主化運動]]では
「[[米国帝国主義]]の傀儡の軍事政権」
の[[西暦紀元]]は政権とともに脱却するべき対象と認識されました。

[329] 
[[西暦紀元]]を避けて[[檀君紀元]]を使う人達もいましたし、
それ以上に様々な[[私年号]]が作られることになりました。
[SEE[ [[大韓民国の私年号]] ]]

[440] 
[[西暦]]に慣れ親しんでいる現在の人々にとっては、
[[大韓民国]]建国時に[[檀紀]]を採用したり、
[[民主化運動][大韓民国民主化運動]]が[[西紀]]を否定したりするのは、
[[近代化]]への逆行と映るかもしれません。

[441] 
しかし、
[[明]]の[[属国]]となって[[明の元号]]を使い、
[[清]]の[[属国]]となって[[清の元号]]を使い、
[[日本]]に併合されて[[日本の元号]]を使い、
[[大韓帝国]]のわずかな期間しか自国の[[元号]]を持てなかった[[朝鮮人]]たちにとって、
[[米国]]に占領されて導入された[[西紀]]も所詮は
「米帝の[[正朔]]」
でしかあり得なかったのだといえます。
数十年ぶりの独立を手にした[[大韓民国]]が独自の[[紀年法]]を採用しないという選択肢はなかったのです。

;; [442] 
[[中国]]からも[[日本]]からも[[独立]]してもなお、
「時の支配」も統治の一部という[[東アジア]]の伝統的価値観からそうやすやすとは逃れられないのです。



[330] 
[[キリスト紀元]]であるところの[[西暦紀元]]の導入への抵抗感もありました。
[[大韓民国]]では[[キリスト教]]は最大級の信者数を持っていますが、
[[仏教]]の信者も多く、その他の宗教も多数あります。
[[キリスト紀元]]の公用は、
各宗教の独自の[[紀年法]]の制定や利用の1つの契機となったと推測されます。
宗教的場面では[[干支年]]や[[檀君紀元]]も引き続き使われています。
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]], [[大韓民国の私年号]], [[仏紀]] ]]



** 改元後の利用

[45] 
現在[[大韓民国]]政府は公式には使っていませんが、
民間では一部で使われているようです。

[46] 
現在でも[[大韓民国]]政府機関が建国記念イベントで使う事例はあります
[SRC[>>28]]。

[142] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
[[西紀]]への[[改元]]以後[[檀君紀元]]が公式な場で使われることはないと説明しています
[SRC[>>5]]
が、事実と異なります。

[143] 
[CITE[ウィキペディア]]の記載は何らかの根拠はあるのでしょうか。
記念イベントのような場では使われても[[公文書]]などでは使われないという線引を言っているのでしょうか。
それともかつては実際に[[檀君紀元]]が憚られるような時期もあったのでしょうか。

[144] 
[[大韓民国]]の一部の新聞では、[[日付]]に[[西紀]]と[[檀君紀元]]を併記しています。
[SRC[>>5, >>200]]

[262] 
[[仏教]]の[[カレンダー]]に[[西紀]]と[[檀紀]]が併記されることがあります。
[SRC[>>200]]

[263] 
[[西暦1980年代]]でも[[卒業アルバム]]などに[[西紀]]と[[檀紀]]が併記されることがありました。
[SRC[>>20]]


[269] 
古い建物の復元や、[[時代劇]]のナレーションで、[[檀君紀元]]が使われることがあります。
擬古風の表現と思われます。
[SRC[>>200]]
(当時は[[檀君紀元]]を使っていなかっただろうに [SRC[>>200]] とのことなので、
[[檀君紀元]]公用時代の建物を復元しているわけではなく、
もっと昔のものを言っているようです。)

;; [270] 
[[日本]]でも、例えば[[江戸時代]]の雰囲気を再現した[[テーマパーク]]で、
[[現代日本人]]が理解できる程度の古めかしい雰囲気だけで当時は書かなかったであろう[[書体]]の文字が書かれていたり、
[[時代劇]]で「[[時代劇]]っぽい」喋り方をしていたりします。
本気で[[時代考証]]すると一般人の娯楽には向かないものができてしまいます。
[[檀君紀元]]もそれと同じように、
現代の[[韓国人]]にとって[[ぎりぎり理解可能な古めかしい雰囲気の演出][世界観理解可能性問題]]なのでしょう。



[164] 
[[韓国語]]版[CITE[위키백과]]は、
[TIME[西紀2002年][2002]]の[[大韓民国]]の研究者の論文を引いて、
[[韓民族]]の祖先が歴史と伝統を5000年間守ってきたことを示す自尊心の表現で、
現代でも民族の象徴的、神話的な起源と認められている
[SRC[>>163]]
とかなり好意的に説明しています。

;; [165] 4300年の[[檀君紀元]]を根拠に切り上げて5000年の歴史というのは盛りすぎ感がありますが、
5000年 (半万年) の歴史という言い方は[[大韓民国]]では珍しいものではないそうです。

[422] 
歴史事典でも、
韓国民族史の悠久さを実証する根拠になる意義深きものと説明されています。
[SRC[>>118]]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[28] [CITE@en[2018年 開天節 記念レセプション開催 상세보기|公館長及び公館の活動駐仙台大韓民国総領事館]]
([TIME[2020-09-12T07:41:36.000Z]])
<http://overseas.mofa.go.kr/jp-sendai-ja/brd/m_624/view.do?seq=761378&srchFr=&amp;srchTo=&amp;srchWord=&amp;srchTp=&amp;multi_itm_seq=0&amp;itm_seq_1=0&amp;itm_seq_2=0&amp;company_cd=&amp;company_nm=&page=4>
]FIGCAPTION]

> 駐仙台韓国総領事館は10月5日(金)、仙台国際ホテルで檀紀4351年 開天節を記念する祝日レセプションを開催しました。
> 

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[29] [CITE@ja[檀紀4343年開天節, 南北でそれぞれ民族共同行事を - NPO法人 三千里鐵道 ]]
([TIME[2020-09-12T07:43:10.000Z]])
<https://blog.goo.ne.jp/sanzenri2010/e/5edfd1cdee8428fdcbbeff7287384ee3>
]FIGCAPTION]

> "統一成し遂げて, 檀君民族の誇りを!
> "檀紀4343年開天節(建国記念日)民族共同行事南北でそれぞれ開かれる
> 2010年10月03日(日)17:16:10チョ・ジョンフン記者whoony@tongilnews.com
> 檀紀4343年開天節をむかえ、南北民族団体らが3日'開天節民族共同行事'をソウルと平壌でそれぞれ開催すると'南北共同宣言文'を発表した。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[34] ([TIME[2017-06-15T07:46:16.000Z]], [TIME[2020-09-12T07:49:27.185Z]])
<http://hyogo-mindan.org/pdf_word/nisikobe60.pdf#page=6>
]FIGCAPTION]

> 来年は午年です。どうぞよろしく・・・。
> 甲午年(檀紀 4347 年) 

]FIG]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[54] [CITE[한글/한말에 관련된 나라 안팎 자료 한마당]]
([TIME[2016-12-31T04:11:29.000Z]], [TIME[2022-05-18T08:30:51.197Z]])
<http://asadal.pusan.ac.kr/~gimgs0/hangeul/>
]FIGCAPTION]

> (마지막으로 고친 때 (Last updated): 2016 (Dangi 4349).12.31.토.13:11)

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[55] [CITE[김 경석 명예 교수의 누리집 (home page): 한글/한말 자료, 책, 글, 그 밖에]]
([TIME[2022-02-10T03:07:22.000Z]], [TIME[2022-05-18T08:31:37.307Z]])
<http://asadal.pusan.ac.kr/>
]FIGCAPTION]

> (마지막으로 고친 때 (Last Updated): 2022 (Dangi 4355).02.10.목.12:05)

]FIG]

[59] [CITE@ja[疲れました | J-アジョシの市立大報告(番外編) - 楽天ブログ]], 
最終更新日  2018/10/10 03:06:34 PM,
[TIME[2023-06-30T08:17:46.000Z]] <https://plaza.rakuten.co.jp/konbu1hangugo/diary/201810090000/>

>探し出したのは、日付から見て、昨年の修学旅行の際のもののようです。
たまたま残っていた済州新報には、第1面の日付に、檀紀と陰暦が書き添えてありました。


[322] 
[CITE@ja[Xユーザーの智恵ちゃん@韓国農村から好きなことを発信さん: 「午前中にあった 町の会合の時にいただいたカレンダー 단기(壇紀)とは 「檀君王が即位した 紀元前2333年を元年とする 韓国の紀元」だそうです めちゃ歴史を感じました! https://t.co/170Tdi0ASU」 / X]], [TIME[午後6:24 · 2022年12月19日][2022-12-19T09:24:11.000Z]], [TIME[2024-07-18T06:21:18.000Z]] <https://x.com/yagame_style/status/1604769553548193792/photo/1>

[454] [CITE@ja[XユーザーのYun Sang Ho 윤상호さん: 「2016년 달력이 새로 나오고 있네 ^^ 근하신년 謹賀新年 단기 檀紀 4349년 병신년 丙申年 어느덧 연말이 다가오고 새해가 오고~ 시간은 참 빠른것 같다 내년엔 좋은일 가득하길... 병신같은 말이나 행위를 https://t.co/GxzpyA0HX4」 / X]], [TIME[午前10:46 · 2015年12月2日][2015-12-02T01:46:42.000Z]], [TIME[2024-07-18T06:21:18.000Z]] <https://x.com/layplus/status/671868056474279936/photo/1>

[455] >>454 カレンダー。西暦年、檀紀年、[[干支年]]。

[460] 
[CITE@ja-JP[家事事件の調査方法について 下巻]], [[家庭裁判所調査官研修所]], [TIME[1992.10][1992]], [TIME[2025-07-02T03:11:48.000Z]], [TIME[2025-07-22T07:27:45.937Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12720472/1/200?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


** 復活論

[100] 
現代の[[大韓民国]]にも[[檀君紀元]]の復活を訴える人がいます。

[101] 
現在の[[大韓民国]]でも民間の[[暦]]や[[新聞]]の[[日付]]欄など一部で[[檀君紀元]]の併記は続いています。
従って「復活」とは公用やより広範囲での利用、あるいは単記や優先利用を求めるということになるのでしょうか。


[193] 
[[大韓民国]]の社会の一部と[[国会議員]]の一部は、
民族の主体性を示す[[檀君紀元]]を[[西暦紀元]]と併用しようと主張してきました
[SRC[>>168]]。
南北朝鮮の同質性の回復と民族の統一のためには、
[[開天節]]の意義と価値を再評価しなければならず、
[[開天節]]と密接に関わる[[檀君紀元]]も復活しなければならないと主張しています
[SRC[>>168, >>195]]。



[109] [CITE@ko[「단기」연호 부활등 추진 | 중앙일보]], 
1983.06.02 00:00,
[TIME[2023-06-20T12:55:46.000Z]] <https://www.joongang.co.kr/article/1696291>



[97] [CITE@ko[우리역사 바로알기 (31) :: 경남신문]], [[경남신문]], [TIME[2023-06-10T02:01:32.000Z]] <http://www.knnews.co.kr/news/articleView.php?idxno=482588>

[104] [CITE[檀紀 年號의 復活과 漢字敎育 李相萬]], [TIME[2023-06-20T12:31:37.000Z]] <http://hanja-edu.com/home/m_view.php?ps_db=psd1&ps_boid=127&ps_mode=&ps_page=2&ckattempt=1>

>卷頭言 2010年 5月 <130號>

-
[112] 
[CITE@ko[이제는 우리민족의 단기 연호를 되찾읍시다 < 문화 < 기사본문 - K스피릿]], 
2011.07.14 15:37,
[TIME[2023-06-20T13:00:28.000Z]] <http://www.ikoreanspirit.com/news/articleView.html?idxno=24853>
- [111] 
[CITE@ko["개천절 요일제 반대, 단기 연호 부활하라" 100만 서명 점화 < 사회 < 기사본문 - K스피릿]], 
2011.07.27 16:49,
[TIME[2023-06-20T12:59:39.000Z]] <http://www.ikoreanspirit.com/news/articleView.html?idxno=25185>
- [110] 
[CITE@ko[개천절 요일지정제 반대 및 단기연호부활 100만 서명운동 < 사회 < 기사본문 - K스피릿]], 
2011.07.28 17:56,
[TIME[2023-06-20T12:56:43.000Z]] <http://www.ikoreanspirit.com/news/articleView.html?idxno=25225>
-
[113] 
[CITE@ko["다같이 하자. 단기연호부활 100만 서명운동!" < 사회 < 기사본문 - K스피릿]], 
2011.07.29 16:36, [TIME[2023-06-20T13:04:36.000Z]] <http://www.ikoreanspirit.com/news/articleView.html?idxno=25245>
-
[107] [CITE@ko[단기 연호를 부활시켜 정체성을 바로 세우자 - 제주일보]], 
2011.10.03, [TIME[2023-06-20T12:53:57.000Z]] <http://www.jejunews.com/news/articleView.html?idxno=1014791>
-
[106] 
[CITE@ko[단기연호 부활 100만 서명운동 (www.kookhakwon.org) : 오순도순 한마당]], 
2011.12.11,
[TIME[2023-06-20T12:51:35.000Z]] <https://hangeul.or.kr/%EC%98%A4%EC%88%9C%EB%8F%84%EC%88%9C%ED%95%9C%EB%A7%88%EB%8B%B9/3329644>

[114] 
[CITE@ko[국학뉴스 ::]], [TIME[2023-06-20T13:06:57.000Z]], [TIME[2011-07-19T22:41:40.666Z]] <https://web.archive.org/web/20110719224028/http://www.kookhaknews.com/>

[115] 現在 www.ikoreanspirit.com で公開されている記事はかつては >>114 
のサイトの記事だった模様です。こちらのサイトのトップページ左上には西暦年月日と檀紀年月日が併記されています。
右側には特集枠で記事への誘導があります。


- [116] [CITE[100만 단기연호 서명운동 메인페이지]], [TIME[2023-06-20T13:10:18.000Z]], [TIME[2011-09-29T16:24:22.926Z]] <https://web.archive.org/web/20110929161240/http://www.%EB%8B%A8%EA%B8%B0%EC%97%B0%ED%98%B8.org/>

[117] 署名サイト。残念ながら [[Internet Archive]] 所蔵はトップページのみ。

;; [108]
この辺の動きは反[[東北工程]]運動の延長にあるらしい。

- [125] [CITE[경기북부 시민신문]], 
[[차한잔]],
2012-03-06 21:11:26 등록,
[TIME[2023-06-20T13:24:32.000Z]] <http://simin24.com/mobile_html/view.php?ns_id=33776&code=view>
- [126] 
[CITE@ko[단기연호와 대한민국임시정부]], 
[[김병기]],
[TIME[2012]],
[TIME[2023-06-20T13:25:53.000Z]] <https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART001639265>
(先頭5ページのみ PDF 閲覧可能)




[194] 
こうした提案に対して、
[[大韓民国]]政府の
[[법제처]]
(法制処)
は、
[TIME[西紀2012年7月8日][2012-07-08]]、
[[大韓民国]]の公用年号は[[西紀]]であって、
[[檀紀]]を併用する場合には[[仏紀]]、[[孔紀]]も問題となる可能性があって、
混乱が大きくなるだろうとの見解を示し、
[[檀紀]]の併用を否定しています。
[SRC[>>168, >>195, >>102]]

;; [198] >>195 は[[仏紀]]と[[孔紀]]を挙げていますが、 >>168 と >>102
はなぜか[[仏紀]]しか挙げていません。 (>>168 は >>195 を出典としているにも関わらず。)

- [121] [CITE@ko[김성곤, 개천절 앞두고 '단기연호 병행하자' 제안 < 정부정당 < 기사본문 - 통일뉴스]], 
2012.10.02 13:06,
[TIME[2023-06-20T13:16:41.000Z]] <https://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=100095>
-
[195] 
[CITE@ko[정치권, 개천절맞아 "홍익인간 정신 받들어 대선승리" - 아시아경제]], 
[[이경호]],
입력2012.10.03 15:18,
[TIME[2023-06-27T11:36:56.000Z]] <http://view.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2012100315091799935&nvr=Y>


[122] >>121 議員の提案

[196] 
[TIME[西紀2012年10月3日][2012-10-03]]、
[[민주당]] ([[民主党]]) の 김성곤 議員は、
民族の主体性を生かした[[檀紀]]を[[西紀]]と併用することを提案しました。
それによって南北朝鮮の同質性回復と民族統一に資するのだといいます。
[SRC[>>195]]

[199] また[[法制処]]の見解 (>>194) については、
政府の歴史意識の貧困さであり、
西欧の歴史認識に合わせて朝鮮人の半万年の歴史を否定、歪曲したものだと非難しました。
[SRC[>>195]]


[98] [CITE[「檀紀」年号の復活運動:CRS NEWS]], [TIME[2023-06-10T12:22:06.000Z]] <http://www.crs-news.com/5150>

>西暦を使用するから先進国でもなく、固有の年号を使用するからと言って弱小国でもない


[120] [CITE@ko['''['''민속이야기''']''' 단기연호 부활하자 |]], 
2017-09-07,
[TIME[2023-06-20T13:15:57.000Z]] <https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:84PyBjLHzFAJ:https://www.newscj.com/news/articleViewAmp.html%3Fidxno%3D376787>

[127] [CITE@ko[북조선은 신채호 사학, 남한은 조선총독부 사학 < 쟁점기사 < 기사본문 - 코리아 히스토리 타임스]], 
입력 2018.06.08 23:46,
수정 2018.06.29 21:30,
[TIME[2023-06-20T13:41:09.000Z]] <http://www.koreahiti.com/news/articleView.html?idxno=3006>

[128] >>127 南北統一のため檀君紀元で同質性を回復しようという提案


[124] [CITE[단군기원을 통한 남북동질성 회복 (1)]], 
2021/10/08 (금),
[TIME[2023-06-20T13:21:49.000Z]] <http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:oI85ulO0CwoJ:www.ltm.or.kr/2009/board.php%3Fboard%3Dkkkmagazine%26command%3Dbody%26no%3D4454%26PHPSESSID%3De3e254a75e0c21d4c2fd860b53804fb1>



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[102] 
[CITE@ja[今年は檀君紀元(檀紀)4355年朝鮮の方は檀紀って使っているの? - [[Yahoo!知恵袋]]]], [[Yahoo! JAPAN]], [TIME[2023-06-20T12:06:14.000Z]] <https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14262991374>
]FIGCAPTION]


>智さん
>
2022/6/8 19:05

>
その後、開天節(檀君朝鮮建国記念日)の意義と価値を認識して南北統一のために檀紀を復活させて西暦と併用しなければならないという主張が提起されました。
>
しかし、韓国法制処は『大韓民国の公用年号は西暦紀元である』『檀紀を併用する場合、仏紀併用問題が提起されるなど、混乱が生じる恐れがある』という理由で檀君紀元の復活を反対しました。
>一部のカレンダーは檀紀や仏紀を併記しています。



]FIG]

** 宗教での利用

[131] 
現在の[[大韓民国]]ではしばしば[[宗教]]的場面で使われます。


[130] 
現在の[[大韓民国]]では
[[환기]]
や
[[신시개천]]
と併用されることがあります。

-*-*-


[458] [CITE@ja[Y-0840171.pdf]], 
Received : May, 11, 2016,
Accepted : June, 15, 2016,
[TIME[2019-03-26T07:22:05.000Z]], [TIME[2024-08-02T13:36:00.815Z]] <http://trail.tsuru.ac.jp/dspace/bitstream/trair/764/1/Y-0840171.pdf#page=13>

>
[LEFT[
8 )金敎獻『弘巖神兄朝天記』(ソウル、大倧出版社、2002年〔韓国語〕)10頁。[BR[]]
9 )大倧敎總本司『大倧敎重光60年史』(ソウル、開天4304年〔韓国語〕)35頁。[BR[]]
10)大倧敎總本司『大倧敎要鑑』(ソウル、大倧敎出版社、開天4330年〔韓国語〕)54頁。[BR[]]
[SNIP[]]
]LEFT]


[459] 
[CITE[大倧敎重光六十年史]]は[TIME[西紀1971年][1971]]のものとのこと。



[129] [CITE@ja-JP[2019년 10월 2일 개천문화 대축제 예고편 - [[YouTube]]]], [TIME[2023-06-20T13:43:17.000Z]] <https://www.youtube.com/watch?v=Gqykg3VKpqY>

>신시개천 5916년, 단군기원 4352년(2019)



- [14] [CITE@ja[1_KJ00006476847.pdf]], [TIME[2024-05-01T12:52:10.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/religionandsociety/1/0/1_KJ00006476847/_pdf>

[16] >>14 は[[日本]]の[[大韓民国]]宗教研究者が[[平成時代]]初期に書いた論文です。
[[檀君教]]に関する論文で、とある教団で[[檀君紀元]]が用いられたことを書いていますが、
この論文は[[檀君紀元]]が「韓国の公式紀年」だと解説しています。
専門の研究者も正式な制度の情報を掴めないほど宗教的文脈では公然と用いられていたということなのでしょう。


* 在日本大韓民国民団

[325] 
[[大韓民国]]政府と密接に関係する[[在日韓国人]]団体である[[在日本大韓民国民団]] ([[民団]])
は、[[大韓民国]]政府が[[檀君紀元]]を使っていた時期、
同様に[[檀君紀元]]を[[日本]]で利用していました。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[22] ([TIME[2014-12-08T08:09:12.000Z]], [TIME[2020-09-12T07:06:02.600Z]])
<http://mindan-aichi.org/test/60nensi/1-6.pdf#page=9>
]FIGCAPTION]

> また民団では創団以来、年号(元号)として檀君紀元(建国神話の最初の王・檀君の即位を起源とする。檀紀ともいう)を使用してきたが、本国同様1962年1月1日より西暦(西紀)を実施することになった。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[23] ([TIME[2012-07-20T04:33:24.000Z]], [TIME[2020-09-12T07:08:31.783Z]])
<https://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/104/104120301.pdf#page=7>
]FIGCAPTION]

> 資料のほとんどの書類は旧字体の漢字交じりのハングルである。年号はほとんど檀紀[SUP[7)]]で表記されている。
> 第3節 宝塚韓国小学校における教育 
> 宝塚韓国小学校校則の第一条ては「本校は大韓民国教育法及び学校教育施行今に準拠する。在日本大韓民国児童に義務教育課程と初等普通教育を実施することを目的とする」とあり,最後の第三十条では「本校は檀紀四千二百八十一年度四月一目から施行する」とある。檀紀4281年すなわち1948年4月にはまだ大韓民国が成立していない。ゆえに記載の法律が成立しているとは思えないため,この校則も後年に作成されたものと思われる。 
> 

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[24] [CITE[写真でたどる65年の足跡 闘い泣き笑った…この伝統を次代へ]]
([TIME[2018-05-18T22:23:50.000Z]], [TIME[2020-09-12T07:12:34.586Z]])
<https://www.mindan.org/old/front/newsDetaileab2.html>
]FIGCAPTION]

> 創団1周年に合わせて行われた「開国記念民衆大会」(47年=檀紀4280年)

]FIG]


[25] ([TIME[2008-11-28T22:39:00.000Z]], [TIME[2020-09-12T07:21:48.306Z]])
<http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/honyaku-2/766kara.pdf>

[26] ([TIME[2008-11-28T22:39:00.000Z]], [TIME[2020-09-12T07:39:53.430Z]])
<http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/honyaku-2/766kara.pdf>

* 日本国内の朝鮮寺

[103] 
[[日本国]][[生駒山地]]にある[[朝鮮寺]] 
([[仏教]]に[[朝鮮]]や[[日本]]の土着信仰が習合している寺院)
の[TIME[令和6(2024)年][2024]]の[[カレンダー]]には、
[[紀年法]]の1つとして「[L[檀紀]]」年が書かれています。
[SRC[>>44]]

;; [452] 関連: [[仏暦]], [[朝鮮寺]]

[REFS[

- [48] 
[CITE@ja[Xユーザーのきりゑだう⛩folkloreさん: 「(1/13) 生駒山地のとある朝鮮寺を訪問した際、そこの主人であるポサル(女性霊媒師)にお話を伺うことができたので、見聞した内容を以下に記しておこうと思う その前に、そもそも「朝鮮寺」とは如何なるものであるか、簡単に述べることとする ↓続 https://t.co/2CUDbCphQi」 / [[X]]]], [TIME[午後10:34 · 2024年5月23日][2024-05-23T13:34:02.000Z]], [TIME[2024-05-24T10:50:22.000Z]] <https://x.com/kirie_folklore/status/1793636510581055542>
-- [44] 
[CITE@ja[Xユーザーのきりゑだう⛩folkloreさん: 「朝鮮寺でいただいたカレンダー 旧暦や諸仏の縁日が記されている 注目すべきは左上の年の表記で、 ・西暦 ・檀君紀元(檀君の即位を元年とする紀年法) ・仏滅紀元(釈迦の入滅を元年とする紀年法) ・日本の元号 という4種の紀年法によって記されている https://t.co/fChUPn5fIP」 / [[X]]]], [TIME[午後6:20 · 2024年5月24日][2024-05-24T09:20:38.000Z]], [TIME[2024-05-24T10:50:22.000Z]] <https://x.com/kirie_folklore/status/1793935128055468053/photo/2>

]REFS]

* その他の地域

[145] 
[[朝鮮民主主義人民共和国]]では[[檀君紀元]]は使われないとされます。
[SRC[>>5]]

* 2桁年号

[SEE[ [[2桁年号]], [[双八年度]] ]]

* 実装

[52] 
[[大韓民国]]で使われている主要な[[ソフトウェア]]は、
欧米製品も含め、
[[檀君紀元]]に対応しています。
[[大韓民国]]で今でも需要が少なくないことが知られます。

[56] 
[[計算機システムにおける暦の指定]]も参照。


[326] [CITE@ko[윈도우10 PC 날짜 서기 ↔ 단기 표기 변경하기]], [TIME[2023-06-30T08:44:50.000Z]] <https://thursday1101.tistory.com/599>

[327] >>326 [[Windows]] の[[ロケール]]の[[暦]]を[[檀君紀元]]に変更する方法。

[58] 
[CITE@en[125446 – Support to Korean Traditional Calendar, Dan-gi(단기/檀紀) Calendar on LibreOffice]], [TIME[2022-10-05T14:39:36.000Z]] <https://bugs.documentfoundation.org/show_bug.cgi?id=125446>

>Nowaday, It's not official era in Korea, But, Private sector in Korea sometimes use it.
>
It supported on MS Windows & MS Office, Hancom Office Suite.
Also, Windows 10 support Dangi Calendar.


[57] [CITE[LibreOffice Presentation Template (Community) - AsiaCon2019_DaeHyun_Sung.pdf]], [TIME[2019-06-22T02:26:17.000Z]], [TIME[2022-10-05T14:26:03.873Z]] <https://wiki.documentfoundation.org/images/f/f4/AsiaCon2019_DaeHyun_Sung.pdf#page=21>

[60] [CITE@ja['''['''ICU-9003''']''' Support for Korean Dangun/Dangi calendar - Unicode Consortium]], [TIME[2022-10-05T15:01:03.000Z]] <https://unicode-org.atlassian.net/browse/ICU-9003>

[61] [CITE@ja['''['''ICU-9616''']''' Port DangiCalendar (Korean traditional calendar) to ICU4C - Unicode Consortium]], [TIME[2022-10-05T15:01:48.000Z]] <https://unicode-org.atlassian.net/browse/ICU-9616>

[62] [CITE@ja['''['''ICU-9967''']''' Dangi calendar limits, failing exhaustive tests - Unicode Consortium]], [TIME[2022-10-05T15:02:26.000Z]] <https://unicode-org.atlassian.net/browse/ICU-9967>

* 紀年法としての正当性

[96] 
[[檀君]]は[[朝鮮半島]]では史実として信仰されていますが、
その他の地域では史実性は低いと評価されることが多いようです。
しかし、歴史学はともかく、民族としてあるいは宗教として何を信仰するか、
しないかは当事者の決めることで、外野がとやかく言うべきことではありません。
[[神話]]が信仰に値するかどうかは史実性と独立した問題です。

[343] 
[[檀君紀元]]の[[紀年法]]としての正当性も、
[[檀君]]の史実性や[[檀君]]の即位年の決定方法の妥当性とは別の問題です。
[[西紀]]や[[皇紀]]が[[イエスキリスト]]の生誕や[[神武天皇]]の即位の史実性と無関係なのと同じで、
ひとたび[[紀年法]]として成立してしまえば、
それを使うことには何の問題もありません。



* 関連

[SEE[ [[權紀]] ]]


* メモ

[REFS[

-
[5] [CITE@ja[[[檀君紀元]] - Wikipedia]]
([TIME[2016-11-05 23:14:19 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E5%90%9B%E7%B4%80%E5%85%83>
- [155] 
[CITE@lzh[[[檀君紀元]] - 維基大典]], [TIME[2023-06-12T08:22:48.000Z]], [TIME[2023-06-26T08:52:46.255Z]] <https://zh-classical.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E5%90%9B%E7%B4%80%E5%85%83>
- [163] 
[CITE@ko[[[단군기원]] - [[위키백과]], 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-06-25T15:45:33.000Z]], [TIME[2023-06-26T11:39:54.131Z]] <https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8B%A8%EA%B5%B0%EA%B8%B0%EC%9B%90>
- [200] 
[CITE[단군기원 - [[나무위키]]]], [TIME[2023-06-27T12:13:28.000Z]] <https://namu.wiki/w/%EB%8B%A8%EA%B5%B0%EA%B8%B0%EC%9B%90>



]REFS]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE[「檀君とハヌルニム(天の神様)、神様は同じ方」 - 宗教は変えることができる:매일종교신문]]
([TIME[2016-03-13 01:53:32 +09:00]] 版)
<http://www.dailywrn.com/sub_read.html?uid=5083>
]FIGCAPTION]

> それで開天4343年(檀君から始まる年号)、西暦1909年陰暦1月15日を「重光節」として、「大倧教」の4大慶節の一つになった。

]FIG]

[99] 
>>1 一般的な[[檀君紀元]]なら4242年のはず。誤記なのか異説なのか。





[15] [CITE@ja[名誉白人 池沼害吉さんはTwitterを使っています 「【 #害鉄 】これまで、害鉄HPの左上の年号が皇紀のみであったところを、皇紀・檀紀・李朝開国紀元・昭和・主体年号の5種類がランダムで表示されるように変更 http://t.co/GpoGZHW6aw」 / Twitter]]
(午後10:33 · 2013年6月10日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T07:01:33.000Z]])
<https://twitter.com/gaikitirail/status/344084979233456128>


[17] [CITE@ja[大韓民国『官報』-貴重書国レクション - ジェトロ・アジア経済研究所]]
([TIME[2020-09-03T16:05:44.000Z]])
<https://www.ide.go.jp/Japanese/Library/Search/Rare/korea.html>


[21] [CITE@ja[第149回 檀紀と主体年号―朝鮮半島の紀年法 | こよみの学校]]
([TIME[2020-09-09T10:04:26.000Z]])
<https://543life.com/campus/backnumber149/>




[40] [CITE@ja[さよならテレビ 文化部 なぜ韓国語学習は時間のムダなのか]]
([[maaz]], [TIME[2020-09-12T08:04:15.000Z]], [TIME[2020-09-12T08:04:53.890Z]])
<http://maaz009.blog90.fc2.com/?no=123>












[63] [CITE@ja-JP[闘争の跡を訪ねて]], [[石浜知行]], [TIME[大正15][1926]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:52:22.925Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1018705/1/90> (要登録)

[64] [CITE@ja-JP[満洲及西比利亜地方に於ける朝鮮人事情]], [[朝鮮総督府内務局社会課]], [TIME[1927]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:53:04.647Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1272855/1/56>

[65] [CITE@ja-JP[露西亜事情 (61)]], [[露西亜通信社]], [TIME[1929-02]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:53:38.420Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1592936/1/5> (要登録)

[66] [CITE@ja-JP[法律春秋 4(6)]], [[法律春秋編輯局]], [TIME[1929-06]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:54:23.863Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2262321/1/25> (要登録)

[67] [CITE@ja-JP[法律春秋 5(10)]], [[法律春秋編輯局]], [TIME[1930-10]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:54:54.268Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2262337/1/11> (要登録)

[68] [CITE@ja-JP[朝鮮公論 19(1)(214);1月號]], [[朝鮮公論社]], [TIME[1931-01]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:55:35.669Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11187080/1/53> (要登録)

[69] [CITE@ja-JP[高等警察用語辞典]], [[朝鮮総督府警務局]], [TIME[1933.12][1933]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:56:45.993Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1454642/1/62>

/160

[70] [CITE@ja-JP[アジア問題講座 第七卷]], [[創元社]], [TIME[昭和14][1939]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:58:48.531Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1919011/1/184> (要登録)


[71] [CITE@ja-JP[三島刷毛目]], [[山田万吉郎]], [TIME[昭和18][1943]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:59:23.248Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1069157/1/104> (要登録)


[72] [CITE@ja-JP[朝鮮近代社会史話]], [[金斗鎔]], [TIME[1948 2版][1948]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:00:59.549Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2994550/1/8> (要登録)

[73] [CITE@ja-JP[文学時標 (6)]], [[文学時標社]], [TIME[1948-09]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:01:33.058Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1839359/1/20> (要登録)

[90] [CITE@ja-JP[世界の切手 (7)]], [[世界の切手社]], [TIME[1949-08]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:02:38.245Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1731765/1/13> (要登録)

[75] [CITE@ja-JP[中国的考え方]], [[魚返善雄]], [TIME[1952]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:03:31.522Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1660027/1/72> (要登録)

[76] [CITE@ja-JP[新日本文学 7(3)]], [[新日本文学会]], [TIME[1952-03]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:04:34.531Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6078875/1/59> (要登録)

[77] [CITE@ja-JP[新朝鮮読本 総篇]], [[近藤釼一]], [TIME[1953]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:05:09.801Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2992444/1/14> (要登録)

[78] [CITE@ja-JP[アジアの歴史 上]], [[鳥山喜一]], [TIME[昭和28][1953]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:06:27.892Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1627376/1/52> (要登録)







[81] [CITE@ja-JP[朝鮮独立運動 第2 (民族主義運動篇)]], [[金正明]], [TIME[1967]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-19T11:29:05.182Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3000559/1/103> (要登録)

朝鮮紀元



[83] [CITE@ja-JP[法律春秋 5(10)]], [[法律春秋編輯局]], [TIME[1930-10]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-19T11:33:19.176Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2262337/1/11> (要登録)
左上

[84] [CITE@ja-JP[満洲問題叢書 第2巻]], [[支那問題研究所]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-19T11:37:42.916Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1214234/1/78> (要登録)

韓国紀元 : 何を意味するか要検証


[85] [CITE@ja-JP[思想調査資料 第27~29輯]], [[文部省思想局]], [TIME[1935.3-9][1935]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-19T11:39:34.199Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1454707/1/155>
左上

建国紀元


[86] [CITE@ja-JP[親和 (30)]], [[日韓親和会]], [TIME[1956-04]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-19T11:44:50.984Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2251884/1/15> (要登録)

[94] 
[TIME[2023-06-04T09:55:36.600Z]]
<https://kukhak.ube.ac.kr/?module=file&act=procFileDownload&file_srl=561&sid=148b8bf9e6a46585c4f4bb938f590ce3&module_srl=145>


[105] [CITE[untitled - 043kumagai.pdf]], [TIME[2013-04-18T06:08:55.000Z]], [TIME[2023-06-20T12:34:59.636Z]] <https://www.kansai-u.ac.jp/fl/publication/pdf_department/08/043kumagai.pdf#page=10>

>
[LEFT[
「ソウル版」の序文では、「西暦 1928 年春に 1 か月間」パリ大学で音声の被験者になったと書
かれているが、「平壌版」の序文では「 1928 年 3 月に 1 か月間」と、より明確に書き直されて
いる。李克魯博士記念事業会( 2010:83 )や朴龍圭( 2005:235 )に載せられた年譜では、こ
れとは違って「 1928 年 5 月の 1 か月間」とされている。

序文の最末尾は、「ソウル版」では「檀紀四二八〇年三月 지은 이 씀」となっているが、北朝
鮮では檀紀を用いなかったので、「平壌版」では「 1949 년 10 월 평양에서 지은이 씀」( 1949 年
10 月 平壌にて、著者記す)と書き直されている。また、この序文を含め、「平壌版」のどこ
にも、それが「ソウル版」を改訂増補したものであることについての言及がなされていないが、
発行月日はなぜか両者とも同じ 11 月 15 日となっている。

]LEFT]



[119] [CITE@ko[기록으로 만나는 대한민국 > 사회 > 연호]], [TIME[2023-06-20T13:14:42.000Z]] <https://theme.archives.go.kr/next/koreaOfRecord/reginName.do>


[435] [CITE@ko[檀紀 年號 成立의 歷史的 背景 -檀君紀年意識을 中心으로-]], [TIME[2023-07-02T14:28:40.000Z]] <https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART001639252>
(先頭5ページのみPDF閲覧可能)

- [373] [CITE[[[年号と東アジア]]]]
-- [388] [CITE[[[近現代朝鮮のナショナリズムと年号]]]]
--- [437] 引用:
[CITE[檀紀年号の背景と法制化、そして廃棄]],
[[鄭栄薫]],
[TIME[2014]]

[439] >>437 は、
[[鄭榮薰]]
([[정영훈]],
[[Jeong, Young-Hun]])
の >>439

- [438] 
[CITE@ko[단기 연호의 배경과 법제화, 그리고 폐기]], [TIME[2023-07-02T14:38:34.000Z]] <https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART001873832>
(先頭5ページのみPDF閲覧可能)


