[FIG(pull-quote)[
>
釈迦󠄂が悟りを開いて 今日までどの位経っただろう

[FIGCAPTION[
[CITE[[[除夜m@s'14]]]]
より
[CITE[[[M@STERBOZU]]]]
]FIGCAPTION]
]FIG]


[16] 
[DFN[仏暦]] ([DFN[B.E.]]、[DFN[仏紀]])
は、
[[釈迦]]を記念した[[紀年法]]です。

[17] 
[[タイ]]では公私ともに最も一般的な[[紀年法]]として用いられています。
その他各国の仏教界などで用いられています。
[[釈迦]]の生没年に諸説あり、バリエーションが数十種類あります。

* 呼称

[563] [[現代日本]]では[[仏暦]]が最も普及した呼称のようです。
他に[[仏紀]]と呼ばれることもあります。
略記として [[B.E.]] も使われます。
[[仏滅紀元]]として紹介されることが多いようですが、
この呼び名が[[日付]]表記で実用されることは少ないようです。

[564] 
[[英語]]では [DFN[Buddhist Era]]、略称 [[B.E.]] ということが多いようです。
[DFN[BE]] と表記されることもあります。

[565] [[大韓民国]]では
[DFN[불기]]
([[仏紀]])
と呼ばれるようです。

[1220] 
現代の[[越南]]では、
[DFN[Phật lịch]] ([[仏暦]]),
[DFN[PL]]
と呼ばれます。



[1212] 
稀に[DFN[釈迦暦]]とも呼ばれますが、これはより一般的には[[サカ暦]]を指します。

* 元期

[38] 
[[仏暦]] ([[仏紀]]) と呼ばれるものの多くは[DFN[仏滅紀元]]、
すなわち[[釈迦]] ([[釈尊]]、[[仏陀]]) の[[死去]] ([[入滅]]、[[仏滅]]) 
を[[元期]]とするものです。

[39] 
ただしその[[元期]]の特定には諸説あります。
主要なものに、現在[[タイ]]で使われている[[南伝仏教]]説と、
かつて[[東アジア]]で使われていた[[北伝仏教]]説があります。
現在の学術研究者はまた別の没年を推定しています。

[529] [[釈迦]]の[[誕生]] ([[仏誕]]) を[[元期]]とするものもあります。

[41] 
[[西暦]]が[[イエスキリスト]]の生誕年と一致しないとみられるのと同様、
[[仏暦]]が歴史的事実としての[[釈迦]]没年と一致しなくても[[紀年法]]として支障はないと考えるのが一般的とみられます。

[1219] 
その一方で、あまりに多くの変種が混在し使われ続けているのは、
[[相互運用性]]への支障があまりに大きく、実用上の課題といえます。


[45] 次の類型があります。




[FIG(table)[
:n: 整理番号
:+: 仏暦 = 西暦 + [VAR[○]]
:0: 0年
:1: 1年
:note: 参考


:n:[816] π
:0:[TIME[西暦-1028年 (紀元前1029年) [WEAK[周昭王24年]] 壬子[WEAK[[LINES[48[SUB[0]]][49[SUB[1]]]]]]][year:-1028]]
:1:[TIME[西暦-1027年 (紀元前1028年) [WEAK[周昭王25年]] 癸丑[WEAK[[LINES[49[SUB[0]]][50[SUB[1]]]]]]][year:-1027]]
:+:[N[1028]]
:note:
0年:仏誕(道元 [SRC[>>659]])



:n:[806] ζ
:0:[TIME[西暦-1027年 (紀元前1028年) [WEAK[周昭王25年]] 癸丑[WEAK[[LINES[49[SUB[0]]][50[SUB[1]]]]]]][year:-1027]]
:1:[TIME[西暦-1026年 (紀元前1027年) [WEAK[周昭王26年]] 甲寅[WEAK[[LINES[50[SUB[0]]][51[SUB[1]]]]]]][year:-1026]]
:+:[N[1027]]
:note:
1年:仏誕(沙門法上 [SRC[>>1043]])


:n:γ11年ずれ
:0:[TIME[西暦-960年 (紀元前961年) [WEAK[周穆王41年]] 庚申[WEAK[[LINES[56[SUB[0]]][57[SUB[1]]]]]]][year:-960]]
:1:[TIME[西暦-959年 (紀元前960年) [WEAK[周穆王42年]] 辛酉[WEAK[[LINES[57[SUB[0]]][58[SUB[1]]]]]]][year:-959]]
:+:[N[960]]



:n:[811] λ
:0:[TIME[西暦-951年 (紀元前952年) [WEAK[周穆王50年]] 己巳[WEAK[[LINES[5[SUB[0]]][6[SUB[1]]]]]]][year:-951]]
:1:[TIME[西暦-950年 (紀元前951年) [WEAK[周穆王51年]] 庚午[WEAK[[LINES[6[SUB[0]]][7[SUB[1]]]]]]][year:-950]]
:+:[N[951]]

:n:[810] κ
:0:[TIME[西暦-950年 (紀元前951年) [WEAK[周穆王51年]] 庚午[WEAK[[LINES[6[SUB[0]]][7[SUB[1]]]]]]][year:-950]]
:1:[TIME[西暦-949年 (紀元前950年) [WEAK[周穆王52年]] 辛未[WEAK[[LINES[7[SUB[0]]][8[SUB[1]]]]]]][year:-949]]
:+:[N[950]]

:n:[803] γ
:0:[TIME[西暦-949年 (紀元前950年) [WEAK[周穆王52年]] 辛未[WEAK[[LINES[7[SUB[0]]][8[SUB[1]]]]]]][year:-949]]
:1:[TIME[西暦-948年 (紀元前949年) [WEAK[周穆王53年]] 壬申[WEAK[[LINES[8[SUB[0]]][9[SUB[1]]]]]]][year:-948]]
:+:[N[949]]
:note:
1年:仏滅([CITE[周書異記]], 道元 [SRC[>>659]])

:n:[807] η
:0:[TIME[西暦-948年 (紀元前949年) [WEAK[周穆王53年]] 壬申[WEAK[[LINES[8[SUB[0][9[SUB[1]]]]]]][year:-948]]
:1:[TIME[西暦-947年 (紀元前948年) [WEAK[周穆王54年]] 癸酉[WEAK[[LINES[9[SUB[0][10[SUB[1]]]]]]][year:-947]]
:+:[N[948]]
:note:
0年:仏滅([CITE[周書異記]], 道元 [SRC[>>659]])
1年:仏滅(恵恩 [SRC[>>724]])

:n:γ2年ずれ
:0:[TIME[西暦-947年 (紀元前948年) [WEAK[周穆王54年]] 癸酉[WEAK[[LINES[9[SUB[0]]][10[SUB[1]]]]]]][year:-947]]
:1:[TIME[西暦-946年 (紀元前947年) [WEAK[周穆王55年]] 甲戌[WEAK[[LINES[10[SUB[0]]][11[SUB[1]]]]]]][year:-946]]
:+:[N[947]]
:note:
0年:仏滅(沙門法上 [SRC[>>1043]], 恵恩 [SRC[>>724]])



:n:η7年ずれ
:0:[TIME[西暦-941年 (紀元前942年) [WEAK[周共王5年]] 己卯[WEAK[[LINES[15[SUB[0]]][16[SUB[1]]]]]]][year:-941]]
:1:[TIME[西暦-940年 (紀元前941年) [WEAK[周共王6年]] 庚辰[WEAK[[LINES[16[SUB[0]]][17[SUB[1]]]]]]][year:-940]]
:+:[N[941]]


:n:[813] ν
:0:[TIME[西暦-928年 (紀元前929年) [WEAK[周共王18年]] 壬辰[WEAK[[LINES[28[SUB[0]]][29[SUB[1]]]]]]][year:-928]]
:1:[TIME[西暦-927年 (紀元前928年) [WEAK[周共王19年]] 癸巳[WEAK[[LINES[29[SUB[0]]][30[SUB[1]]]]]]][year:-927]]
:+:[N[928]]


:n:[812] μ
:0:[TIME[西暦-608年 (紀元前609年) [WEAK[周匡王4年]] 壬子[WEAK[[LINES[48[SUB[0]]][49[SUB[1]]]]]]][year:-608]]
:1:[TIME[西暦-607年 (紀元前608年) [WEAK[周匡王5年]] 癸丑[WEAK[[LINES[49[SUB[0]]][50[SUB[1]]]]]]][year:-607]]
:+:[N[608]]
:note:
1年:仏滅(六朝 [SRC[>>1043]])



:n:[814] χ
:0:[TIME[西暦-567年 (紀元前568年) [WEAK[周匡王45年]] 癸巳[WEAK[[LINES[29[SUB[0]]][30[SUB[1]]]]]]][year:-567]]
:1:[TIME[西暦-566年 (紀元前567年) [WEAK[周匡王46年]] 甲午[WEAK[[LINES[30[SUB[0]]][31[SUB[1]]]]]]][year:-566]]
:+:[N[567]]

:n:[804] δ
:0:[TIME[西暦-566年 (紀元前567年) [WEAK[周匡王46年]] 甲午[WEAK[[LINES[30[SUB[0]]][31[SUB[1]]]]]]][year:-566]]
:1:[TIME[西暦-565年 (紀元前566年) [WEAK[周匡王47年]] 乙未[WEAK[[LINES[31[SUB[0]]][32[SUB[1]]]]]]][year:-565]]
:+:[N[566]]
:note:
1年:仏誕(高楠順次郎 [SRC[>>651]])


:n:[808] θ
:0:[TIME[西暦-565年 (紀元前566年) [WEAK[周共王381年]] 乙未[WEAK[[LINES[31[SUB[0]]][32[SUB[1]]]]]]][year:-565]]
:1:[TIME[西暦-564年 (紀元前565年) [WEAK[周共王382年]] 丙申[WEAK[[LINES[32[SUB[0]]][33[SUB[1]]]]]]][year:-564]]
:+:[N[565]]
:note:
0年:仏誕(高楠順次郎 [SRC[>>651]])
1年:仏誕([CITE[衆聖点記]] [SRC[>>659]])


:n:[817] ρ
:0:[TIME[西暦-557年 (紀元前558年) [WEAK[周匡王55年]] 癸卯[WEAK[[LINES[39[SUB[0]]][40[SUB[1]]]]]]][year:-557]]
:1:[TIME[西暦-556年 (紀元前557年) [WEAK[周匡王56年]] 甲辰[WEAK[[LINES[40[SUB[0]]][41[SUB[1]]]]]]][year:-556]]
:+:[N[557]]


:n:θ9年ずれ
:0:[TIME[西暦-554年 (紀元前555年) [WEAK[周共王392年]] 丙午[WEAK[[LINES[42[SUB[0]]][43[SUB[1]]]]]]][year:-554]]
:1:[TIME[西暦-553年 (紀元前554年) [WEAK[周共王393年]] 丁未[WEAK[[LINES[43[SUB[0]]][44[SUB[1]]]]]]][year:-553]]
:+:[N[554]]

:n:β1年ずれ
:0:[TIME[西暦-545年 (紀元前546年) [WEAK[周共王401年]] 乙卯[WEAK[[LINES[51[SUB[0]]][52[SUB[1]]]]]]][year:-545]]
:1:[TIME[西暦-544年 (紀元前545年) [WEAK[周共王402年]] 丙辰[WEAK[[LINES[52[SUB[0]]][53[SUB[1]]]]]]][year:-544]]
:+:[N[545]]

:n:[802] β
:0:[TIME[西暦-544年 (紀元前545年) [WEAK[周共王402年]] 丙辰[WEAK[[LINES[52[SUB[0]]][53[SUB[1]]]]]]][year:-544]]
:1:[TIME[西暦-543年 (紀元前544年) [WEAK[周共王403年]] 丁巳[WEAK[[LINES[53[SUB[0]]][54[SUB[1]]]]]]][year:-543]]
:+:[N[544]]
:note:
1年:仏滅(南伝 [SRC[>>659, >>661]])

:n:[801] α
:0:[TIME[西暦-543年 (紀元前544年) [WEAK[周共王403年]] 丁巳[WEAK[[LINES[53[SUB[0]]][54[SUB[1]]]]]]][year:-543]]
:1:[TIME[西暦-542年 (紀元前543年) [WEAK[周共王404年]] 戊午[WEAK[[LINES[54[SUB[0]]][55[SUB[1]]]]]]][year:-542]]
:+:[N[543]]
:note:
0年:仏滅(南伝 [SRC[>>659, >>661]])

:n:[809] ι
:0:[TIME[西暦-542年 (紀元前543年) [WEAK[周共王404年]] 戊午[WEAK[[LINES[54[SUB[0]]][55[SUB[1]]]]]]][year:-542]]
:1:[TIME[西暦-541年 (紀元前542年) [WEAK[周共王405年]] 己未[WEAK[[LINES[55[SUB[0]]][56[SUB[1]]]]]]][year:-541]]
:+:[N[542]]

:n:ε5年ずれ
:0:[TIME[西暦-536年 (紀元前537年) [WEAK[周共王410年]] 甲子[WEAK[[LINES[0[SUB[0]]][1[SUB[1]]]]]]][year:-536]]
:1:[TIME[西暦-535年 (紀元前536年) [WEAK[周共王411年]] 乙丑[WEAK[[LINES[1[SUB[0]]][2[SUB[1]]]]]]][year:-535]]
:+:[N[536]]

:n:ε1年ずれ
:0:[TIME[西暦-532年 (紀元前533年) [WEAK[周共王414年]] 戊辰[WEAK[[LINES[4[SUB[0]]][5[SUB[1]]]]]]][year:-532]]
:1:[TIME[西暦-531年 (紀元前532年) [WEAK[周共王415年]] 己巳[WEAK[[LINES[5[SUB[0]]][6[SUB[1]]]]]]][year:-531]]
:+:[N[532]]

:n:[805] ε
:0:[TIME[西暦-531年 (紀元前532年) [WEAK[周共王415年]] 己巳[WEAK[[LINES[5[SUB[0]]][6[SUB[1]]]]]]][year:-531]]
:1:[TIME[西暦-530年 (紀元前531年) [WEAK[周共王416年]] 庚午[WEAK[[LINES[6[SUB[0]]][7[SUB[1]]]]]]][year:-530]]
:+:[N[531]]

:n:[815] ο
:0:[TIME[西暦-444年 (紀元前445年) [WEAK[周匡王168年]] 丙申[WEAK[[LINES[32[SUB[0]]][33[SUB[1]]]]]]][year:-444]]
:1:[TIME[西暦-443年 (紀元前444年) [WEAK[周匡王169年]] 丁酉[WEAK[[LINES[33[SUB[0]]][34[SUB[1]]]]]]][year:-443]]
:+:[N[444]]



[816] 
[817] 
[818] 
[819] 
[820] 
[821] 
[822] 
[823] 
[824] 
[825] 
[826] 
[827] 
[828] 

[829] 
[830] 
[831] 
[832] 
[833] 
[834] 
[835] 
[836] 
[837] 
[838] 
[839] 
[840] 
[841] [842] [843] 
[844] [845] [846] [847] [848] [849] [850] [851] 
[852] [853] [854] [855] [856] [857] [858] [859] [860] 


]FIG]





;; [568] 
[[紀年法]]としての実用が確かめられるものには、
[[ギリシャ文字]]の整理番号を振っています。
それ以外は用例が少なく単発の誤用か判断がついていないもの、
[[紀年法]]としての用法が確認できないものです。

;; [660] なお[[釈迦]]生没年の推定は100種類以上の説があるといいます [SRC[>>659]]。

[105] 
α型は、[[西暦年]]に [RUBY[543][こよみ]] を足す、と[[語呂合わせ]]があります
[SRC[>>70, >>104, >>89]]。



[REFS[
- [659] [CITE@ja[[[釈迦]] - Wikipedia]]
([TIME[2020-04-07 21:26:20 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6#.E7.94.9F.E6.B2.A1.E5.B9.B4>
- [661] [CITE[釈尊の生涯]], [TIME[2020-04-08 22:01:41 +09:00]] <http://www.ueda.ne.jp/~houzenji/sub46.html>
]REFS]

* 構文

[669] 
[[アジア]]の広い地域、長い時代に使われてきたので、
いろいろな[[日時表示]]法が使われてきました。

[670] 
[[東アジア]]では、[[元号年]]と似た表記法で、
[[元号名スロット]]に[[仏暦]]を表す呼称を入れて表記されてきました。
単独のほか、[[干支年]]併記もみられました。
[SEE[ [[東洋式日時表示]] ]]

[FIG(railroad)[ [667] [[仏暦]]の[[元号名スロット]]
= |
== [[仏暦]]
== [DFN[佛歷]]
== [[仏紀]]
== [[불기]]
== [[南方仏紀]]
== [[仏滅紀元]]
== [DFN[佛歴紀元]]
== [[如來滅後]]
== [[佛滅後]]
== [DFN[佛應世]]
== [DFN[應化]]
== [[世尊入滅]]
== [[釋尊誕降]]
== [[世尊誕降]]
== [[世尊降生後]]
== [DFN[仏滅度後]]

]FIG]

[1083] 
現代の[[越南]]では
「Phật Lịch 2555」 [SRC[>>685]]
「PL.2564」 [SRC[>>1088]]
のように表記するようです。



[668] 欧米式では 「B.E. 2500」のように前置することが多いようですが、
「2500 B.E.」 のように後置されることもあります。


[671] [[西暦]]と併記されることも多いです。前置、後置どちらもあります。
その他[[日本の元号]]など各地の[[紀年法]]との併記がみられます。


* 文脈

[18] 
[[東南アジア]]で広く用いられています。
特に[[タイ王国]]では[[国家の正式な紀年法][法定紀年法]]として公私ともにほとんどの場面で用いられています。


[40] 
[TIME[昭和50(1975)年10月][1975-10]]日本国外務省調査の[[外交官]]信任状等の状況によると、
[[タイ]]、[[ラオス]]、[[スリランカ]]が[[仏暦]]を使っていました。
[SEE[ [[法定紀年法]] ]]

[46] 
その他の国でも[[仏教]]で使われることがあります。

* 暦法

[591] 
[[仏暦]]は利用される地域と時代が幅広く、いろいろな[[暦法]]と組み合わされて使われてきました。

[FIG(short list)[ [592] [[仏暦]]と使われてきた[[暦法]]
- [[グレゴリオ暦]]
- [[タイ旧太陽暦][タイ暦]]
- [[農暦]]
- [[日本の旧暦]]
- [[朝鮮半島の旧暦]]
- [[印度暦]]
]FIG]

[1221] 
現代でも、地域や集団により、
[[グレゴリオ年始]]に合わせるか、
旧来の[[暦法]]の[[年始]]に合わせるか、
流派の違いが残っています。

;; [1222] そうした[[改暦]]に関係する混乱は、他の[[紀年法]]、
例えば[[干支年]]にもみられます。

[1076] 
[[暦法]]や[[年始]]の違いの[[換算][暦の換算]]が繰り返されてきたことが、
1,2年違いのバリエーションを創出した原因(の1つ)と推測されています。

* インド

[1077] 
[[紀年法]]としての成熟の度合いはともかく、
[[仏滅]]から何年という言い方は、
[[釈迦]]の死去後の古代[[印度]]で既に生じていたようです。
ただそれは組織的かつ継続的に広く使われ続けるものとはならなかったので、
[[金石文]]や文献史料に多く残って正確な[[仏滅年代]]を伝えるには至らなかったのです。



[1067] 
[[昭和]]時代の[[日本]]の仏教研究者[RUBYB[[[林屋友次郎]]][[TIME[1886][year:1886]]-[TIME[1953][year:1953]]]]は、
次のように推測しました [SRC[>>1065]]。 

- [1072] 仏滅400年以後成立の経論を見るに、
仏滅後何百年、千何百年という表現は存在しなかったように見える。
-- [1073] 正法の終わりに近く何年、
正法を過ぐる何年、のようにある。
-- [1074] 漢訳には仏滅後何年、涅槃後何百年と書いたものもあるが、
前後の関係から漢訳時に置き換えたと推測せざるを得ない。
- [1068] 特定の[[紀年法]]を持たなかった[[印度]]で、
大宗教だった[[仏教]]の入滅年代を一般の紀元として広く採用したとしても極めて自然。
- [1069] しかしその後仏滅年数の増加に従い、正法、像法を中間紀元として使っても不思議でない。
-- [1070] 仏教関係者なら正法、像法が仏滅後何年に対応するかも明らかだったはずだが、
一般の人はそれを詮索せずに使っていただろう。
- [1071] いつしか正法500年説、1000年説が出てきて500年レベルの違いが生じたのだろう。
最初から仏滅何年と数え続けていたなら、ここまで大きな違いが出るはずがない。



[869] 
[RUBYB[[[玄奘]]][[TIME[602][year:602]]-[TIME[664][year:664]]]]は、
[RUBYB[[[唐]]初に入[[竺]]][[TIME[629][year:629]]-[TIME[645][year:645]]]]しましたが、
[CITE[大唐西域記]]
[WEAK[([TIME[唐貞観20(646)年][year:646]]成立)]]
に
「仏涅槃より諸部に異議あり、
或は千二百余年と言い、或は千三百余年と言い、或は巳に九百を過ぎ未だ千年に満たずと言う」
と書き、
当時既に[[印度]]で[[仏滅]]年代に諸説あって一定しなかったことを伝えています。
[SRC[>>700 pp.[V[二五九]]-[V[二六〇]]]]


[1078] 
[[印度]]ではその後[[仏教]]が衰退し、
他宗教の[[紀年法]]が使われました。
[SEE[ [[印度暦]] ]]

-*-*-

[593] 
[TIME[西暦1936年][year:1936]]、招聘された[[日本人]]仏画師が使った北伝仏教式仏紀δ
[SRC[>>196]]



* スリランカ

[1082] 
西暦5世紀初頭、
[[法顕]]が[[印度]]を経由して[[スリランカ]]を訪問し、
そこで知られていた当時の仏滅年代説を[[漢土]]に伝えました (>>956)。

-*-*-

[19] [[タイ]]式より1年進んでいます。
β

[15] [[スリランカ]]の[[法令]]は[[英領]]時代を引き継ぎ基本[[西暦]]を使っていますが、
[TIME[西暦1977年][year:1977]]の[[憲法]]の[[前文]]は[[仏暦]]βに[[西暦]]を併記していました
[SRC[>>14]]。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE@en[Constitution of Sri Lanka - Wikisource, the free online library]]
([TIME[2019-12-03 08:28:31 +09:00]])
<https://en.wikisource.org/wiki/Constitution_of_Sri_Lanka>

[9] [CITE[The Constitution of Sri Lanka: Preamble]]
([TIME[2011-09-25 14:52:46 +09:00]])
<http://www.priu.gov.lk/Cons/1978Constitution/Preamble.html>
(消滅確認 [TIME[2020-03-24T08:44:25.300Z]])
]FIGCAPTION]

> The PEOPLE OF SRI LANKA having, by their Mandate freely expressed and granted on the sixth day of the waxing moon in the month of Adhi Nikini in the year two thousand five hundred and twenty-one of the Buddhist Era (being Thursday the twenty-first day of the month of July in the year one thousand nine hundred and seventy-seven), 

]FIG]

;; [42] 
仏暦2521年が[TIME[西暦1977年][year:1977]]なので、
0年が[TIME[西暦-544年 (紀元前545年)][year:-544]]、
1年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]。
β
]REFS]

* ビルマ

[20] [[タイ]]式より1年進んでいます。
β

[23] 公的には[[ビルマ暦]]が使われています。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[80] 
[CITE@en[ミャンマー特集sono6 聖洞窟の入口前にあ.. - Brog of Jazz Saxophone - Bloguru]], [TIME[2020-03-05 14:22:27 +09:00]] <https://en.bloguru.com/sax/200204/sono6/reply>
]FIGCAPTION]

> 
[B[ミャンマー特集sono6 聖洞窟の入口前にあるのは日本の釣鐘]]
>
2013年11月24日 13時31分頃の映像です。
>
ミャンマーのヤンゴンにあるティリ・ミンガラーカバーエー・ゼディ通称カバーエー・パヤーにある、1954年に完成したマハパサナ聖洞窟の入口前にある釣鐘です。
>
釣鐘は、左右2つあり、右側の釣鐘には『第三回世界仏教徒會議記念・全日本仏教會』の文字と、その横には名前や日付、作った会社などが書いてありました。
B.E.2498は、仏暦ですので、西暦1955年になります。
>>
[SNIP[]]
DECEMBER 3.B.E.2498
[SNIP[]]

]FIG]

[81] 
第3回[[世界仏教徒会議]]は[TIME[昭和29(西暦1954)年12月3日][1954-12-03]]-[TIME[17日][1954-12-17]]に[[ビルマ]]で開催されました。
銘文の日付は開会の日と一致します。
[TIME[西暦1954年][year:1954]]とするとβ型。
ブログの説明にある[TIME[西暦1955年][year:1955]]はα型。


]REFS]

* タイ

[24] 
[[タイ]]は[[仏暦]]を公私ともに広く用いています。
他にもいくつかの[[暦法]]と[[紀年法]]があります。
[SEE[ [[タイ暦]] ]]

[44] 
[TIME[西暦1912年][year:1912]]が仏暦2455年なので、
0年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]、
1年が[TIME[西暦-542年 (紀元前543年)][year:-542]]。
西暦を仏暦にするには [N[543]]
を加算すればいい。
α


[111] 
外国人観光客は[[仏暦]]をあまり意識せずに過ごすこともできるようです
[SRC[>>110]]。


[1211] 
[[2桁年号]]も使われます。
[SEE[ [[2桁年号]], [[賞味期限表示]] ]]

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]

> タイの仏滅紀元は、釈迦の入滅の日と信じられている紀元前545年3月11日を「0年」とする。ラーマ6世は暦を仏滅紀元に改め、西暦1912年を仏滅紀元2455年4月1日から始まることとした。

]FIG]

[43] 「紀元前543年」が正しい。
西暦2011年から西暦2017年に修正されるまで、誤っていた:
[CITE@ja[「タイ太陽暦」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2020-02-19 17:27:15 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6&diff=62492744&oldid=61055252>。
この計算は間違いやすい。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]

> 西暦1941年にプレーク・ピブーンソンクラーム首相は、仏滅紀元2484年を1月1日から始めると宣言した。そのため、仏滅紀元2483年は9カ月しかなかった。

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1216] [CITE@ja[[[Google検索]]のタイ歴を西暦に変更する@タイ風肉じゃがの作り方 - タイの晩ごはん]], [TIME[2021-01-11T03:20:05.000Z]] <https://tainobangohan.hatenablog.jp/entry/2018/01/08/210202>
]FIGCAPTION]

>タイでGoogle検索すると,検索結果画面が仏暦で表示されるんです。
>2017年の4月15日にアップした当ブログ,「バンコクのソンクランの実態」の記事の日付がBE2560/04/15になっているのがおわかりいただけますか?

]FIG]

;; [1217] [[日本語]]表示だが、地域設定が[[タイ]]になっていて[[仏暦]]で表示されている。
ただ「17/12/29にこのページにアクセスしました。」はなぜか[[西暦2桁年号]]で、
これは他地域でも同じ。
([[タイ]]では[[仏暦]]になるのに、なぜか[[日本]]では[[元号]]にならない不思議。
[[Google]] は[[日本]]向け[[ローカライズ]]に力を入れていないということか。)


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[110] [CITE@ja[[[仏歴]](ぶつれき)って知ってる?タイで不思議に思った日付の書き方 | KUBOGEN]], [TIME[2020-03-05 17:59:10 +09:00]] <https://kubogen.com/journey-thailand-012/>
]FIGCAPTION]

>僕は2016年のゴールデンウィークのときにタイとカンボジアに行ったんですが、そのときにタイに数日滞在してカンボジアに移動するつもりだったので、タイからカンボジアまでの長距離バスのチケットを取りに行きました。
>そのときに受け取ったチケットを見ると、日付の部分が「02/05/2559(dmy)」と書いてあったんです。
>[SNIP[]]
>タイでは元々ラッタナコーシン暦という紀年法が使われていたのですが、1912年に廃止されることになり、代わりに仏滅紀元が使われることになりました。
>その理由としては、西暦よりも仏教の研究上において仏暦の方が都合がよかったからだといわれています。
>[SNIP[]]
>ですが僕が仏暦を見かけたのはこのときだけ。
>寺院など観光名所に行った際の入場券などには西暦のスタンプが押してあったので、あまり見かける機会はないかもしれません。

α (βにも言及)

]FIG]


]REFS]

* ラオス

[21] [[タイ]]式と同じ数え方です。
α

* カンボジア

[22] [[タイ]]式と同じ数え方です。
α


* インドネシア

[1244] [CITE@zh-TW[[[劉永華]]:18世紀以來荷屬東印度華人的紀年、認同與多元時間_人類學之滇 - 微文庫]], 
2018-11-08 12:51:45,
[TIME[2022-09-21T03:58:27.000Z]] <https://www.gushiciku.cn/dc_tw/109465737>

[1245] [SRC[>>1244]]

>[SNIP[]]此外,一些華人寺廟的銘刻中,還使用佛曆紀年。如爪哇日尿(Yogyakarta)《重修鎮靈宮碑記》,題為“佛曆二千五百二十年(1963)歲次癸卯”立(《彙編》2.2: 654-655)。

ρ

[1246] [SRC[>>1244]]

>[SNIP[]]
當然,也存在其他兩種紀年的複合紀年方式,如雅加達福莆仙總義祠《法生群化》匾,匾末署“公元一九七八”和“佛曆二五二二”(《彙編》2.1: 107),這是佛曆與公元紀年的組合事例。
[SNIP[]]

β


* 越南

[1085] 
現代の[[越南]]では、
[[仏教]]寺院で[[仏暦]]βが使われることがあります。
[SRC[>>685, >>1088]]

[1090] 
[[仏暦]]と[[グレゴリオ暦]]との[[年始]]の違いを間違いがちと解説されています。
逆に言えば[[西暦年]]と同じく[[グレゴリオ年始]]から始まると考えるケースと、
仏暦年始からと考える (正式の方法とみなされる) ケースの2法が混在しているということです。
例えば、
[TIME[2013-03-25]]まで2556年 (西暦年からみればα)、
[TIME[2013-03-26]]から2557年 β です
[SRC[>>1089]]。

[1086] 
[[越南語]]版
[CITE[Wikipedia]]
は、
[[仏暦]]の項で、
[[東南アジアで使われるインド系の暦法][印度暦]]と[[仏滅紀元]]β・αを解説しています。
[SRC[>>1084]]

;; [1087] 
[[越南]]の一般生活では、
[[仏領インドシナ]]時代以来の[[グレゴリオ暦]]と、
それ以前の[[支那暦]]の伝統を引き継ぐ[[越南旧暦]]、
[[干支年]]・[[十二支年]]が使われています。
歴史的には[[越南の元号]]や[[建国紀元][越南の紀年法]]が使われてきました。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[685] [CITE@ja[第95回 ベトナムから見た日本・中国・韓国の漢字 | 漢字の現在(笹原 宏之) | [[三省堂]] ことばのコラム]], [TIME[2020-11-20T02:54:47.000Z]] <https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kanji_genzai095>
]FIGCAPTION]

[686] [CITE[95_1_l.jpg (JPEG 画像, 1200x900 px)]], [TIME[2018-07-27T08:51:03.000Z]], [TIME[2020-11-20T02:55:19.123Z]] <https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/column_sasa/95_1_l.jpg>

>ハノイ市内で。仏教の建造物だけに頂点に「卍」があり、クオックグウで「仏歴2555」(「陽暦2011」)「春辛卯(かのとう)」とあるが、ウサギ年はネコ年となる。 
クオックグウも音節は横書きで、文としては漢文風に縦書き。

門の上方
「[L[PHẬT LỊCH 2555]]」 (仏暦2555)
「[L[XUÂN TÂN MÃO - DƯƠNG LỊCH 2011]]」 (春辛卯 - 陽暦2011)
β

]FIG]

- [1089] [CITE@vi[[[Phật lịch]] được tính như thế nào?]], [[THƯ VIỆN HOA SEN]], 
29/04/2017 11:17 SA,
[TIME[2021-01-09T08:21:58.000Z]] <https://thuvienhoasen.org/a27645/phat-lich-duoc-tinh-nhu-the-nao->
β
- [1084] [CITE@vi[[[Phật lịch]] – Wikipedia tiếng Việt]], [TIME[2021-01-01T03:42:41.000Z]], [TIME[2021-01-09T08:01:20.514Z]] <https://vi.wikipedia.org/wiki/Ph%E1%BA%ADt_l%E1%BB%8Bch>
- [1088] [CITE[Đại lễ Phật đản năm 2020 - [[Phật lịch]] 2564 | Thời sự | Tạp chí mặt trận Online]], 
Thứ năm, 07/05/2020,
[TIME[2021-01-09T08:09:52.000Z]] <http://tapchimattran.vn/thoi-su/dai-le-phat-dan-nam-2020-phat-lich-2564-35100.html>
β

]REFS]


[1227] [CITE[Buddhist Calendar]], [TIME[2013-07-25T20:57:20.000Z]], [TIME[2022-04-11T08:34:23.043Z]] <https://www.tuvienquangduc.com.au/quocte/01pgkhaptg-mocls.html>

在豪州越南人。仏暦β


@@
[BOX[


[1228] 
Phật Đản (仏誕) 2625;
Phật Lịch (仏暦) 2545 (仏暦β);
Tây (西) Dƣơng Lịch (陽暦) 2001
[SEE[ [[VNQL]] ]]


[1314] 
[CITE[Ba'o Va.n Hoa]], [TIME[2025-10-28T14:35:00.000Z]] <https://thieunuvh.tripod.com/vanhoa/index.html>

>
[BOX(center)[
DDa(.c san cu?a ddoa`n thie^'u nu+~ GDPT Va.n Ha.nh - Toronto, Canada[BR[]]
Nga`y Ha.nh 19/2 PL 2541 (22/03/1998)
]BOX]

αとも等しいがグレゴリオ年の前半なのでβと解するべきか

]BOX]

* 前近代支那

[956] 
[CITE[法顕伝]]
[WEAK[([CITE[高僧法顯傳]], [CITE[仏国記]])]]
は、
[RUBYB[[[法顕]]][[TIME[337][year:337]]-[TIME[422][year:422]]]]の[TIME[東晋隆安3(399)年][year:399]]-[TIME[東晋義熙9(413)年][year:413]]の[[天竺]]旅行記。

- [955] 
[CITE[高僧法顯傳]] に「像立在
佛泥洹後三百許年。計於周氏平王時。」
とありました。 [SRC[>>954]]
- [1079] 
[CITE[歴代三宝紀]]
所引
[CITE[法顯傳]] 
(>>952):
-- [1080] 
[[仏誕]]は殷武乙26年甲午。
[TIME[隋開皇17(597)年[LINES[丁][巳]]][year:597]]まで1681年。
-- [1081] 年数から[[元年]]は[TIME[西暦-1083年 (紀元前1084年) [LINES[丁][巳]]][year:-1083]]。
- [1066] 
[CITE[法顕伝]]
の解釈から本来は[TIME[西暦-1084年 (紀元前1085年)][year:-1084]]だった
[SRC[>>1065]] とも。
- [1075] 
[[林屋友次郎]]は、
当時[[印度]]方面では正法何年と数えていたと推測しました (>>1067)。
[CITE[法顕伝]]
に仏滅年代の異説があったとは書いていないことから、
当時それにそこまで大きな違いがなかったと考えました。
[SRC[>>1065]]

-*-*-

[874] 
[[唐]]時代前後、
[[仏滅]]の年代には異説が多くありました
(>>696, >>873, >>870, >>871, >>872)。
[SRC[>>700 p.二六〇]]


[870] 
[CITE[釈迦方志]]
は、
[[仏滅]]を紀元前56年としました。
[SRC[>>700 p.二六〇]]

[871] 
[CITE[法苑珠林]]
は、
[[仏滅]]を紀元前537年としました。
[SRC[>>700 p.二六〇]]

[872] 
6世紀頃の[[道安]]の
[CITE[二教論]]
は、
[[仏滅]]を周襄王15年 = 紀元前637年としました。
[SRC[>>700 p.二六〇]]

@@ >>963, >>1065


[696] 
[[周]]の時代の出来事を書いたという
[CITE[周書異記]]
[WEAK[(佚書)]]
は、
[[釈迦]]の誕生を明王26年[LINES[甲][寅]]、
入滅を[TIME[[RUBY[穆][ぼく]][RUBY[王][おう]]53年[LINES[壬][申]]][year:-948]]としていました
[SRC[>>700 p.[V[二四九]]]]。
これが[[東アジア]]に広まった北伝仏紀説の祖とされます。
ただし本書は現在では
[CITE[春秋]]
に対抗し[[仏教]]の優位性を主張するための[[偽書]]とされます
[SRC[>>914]]。



[724] 
[[恵恩]]は、
自身の誕生年の[TIME[梁武帝天監14(515)年][year:515]]を末法82年としていました。
[SRC[>>700 p.[V[二五三]]]]

[734] 
[[久保常晴]]はこれを仏滅[TIME[紀元前948年[LINES[癸][酉]]][year:-947]]説として挙げましたが、
どう計算したものかは示しませんでした。
η
[SRC[>>700 p.[V[二五三]]]]

[735] 末法まで2000年とすると仏滅は西暦-1567年、
1500年とすると西暦-1067年となり、
一致しません。
1500年から120年 (干支2巡) 進めれば西暦-947年となります。


[943] 
[RUBYB[[[隋]][[大業]]年間][[TIME[605][year:605]]-[TIME[617][year:617]]]]開始の[[房山石経]]発願者[RUBYB[[[静琬]]][?-[TIME[639][year:639]]]]は、
[[正法]]500年、
[[像法]]1000年とし、
[TIME[唐貞観2(628)年][year:628]]を末法第75年目としました。
γ2年ずれ
[SRC[>>914]]

- [1048] 
[RUBYB[[[吉蔵]]][[TIME[549][year:549]]-[TIME[623][year:623]]]]の
[CITE[法華玄論]]
は、
仏滅度以来1596年としていました。
[SRC[>>1043]]
-- [1050] 生没年と当時の通説から[TIME[唐開皇8(588)年][year:588]]基準と考えると、
60年 ([[干支]]1巡) 戻した1536年の誤算と考え、η。
[SRC[>>1043]]




-*-*-

[1044] 
[[六朝時代]]、
[[仏誕]]を周荘王10年甲午 (紀元前687年)、
[[仏滅]]を紀元前608年μとするのが通説でした [SRC[>>1043]]。

[873]
[[費長房]]は、
[CITE[歴代三宝紀]]
[WEAK[([CITE[長房録]]、[TIME[隋開皇17(597)年[LINES[丁][巳]]][year:597]]頃成立)]]
は、次のように書いていました。

- [965] [[仏誕]]は周莊王10年。 [SRC[>>986, >>945]]
-- [967] 根拠は [CITE[魯春秋]] 莊公7年夏4月辛卯の記事。
[SRC[>>986, >>945]]
-- [988] 周荘王9年癸巳4月8日入胎。 [SRC[>>986, >>945]]
-- [989] 周荘王10年仲春2月8日仏誕。 [SRC[>>986, >>945]]
-- [994] 周莊王の「六年入紀佛生」 [SRC[>>986 巻1末の年表]]
- [990] [[仏滅]]は周匡王4年壬子2月15日。 [SRC[>>986]]
-- [995] 周匡王の「四年二月佛入涅槃」 [SRC[>>986 巻1末の年表]]
-- [991] 
[[仏滅]]から[TIME[隋開皇17(597)年[LINES[丁][巳]]][year:597]]まで1205年
[SRC[>>986]]
1195年
[SRC[>>945]]。
-- [992] 
1205: μ
-- [966] 
1195:
[[元年]]は[TIME[西暦-597年 (紀元前598年) [LINES[癸][亥]]][year:-597]]。
μ10年ずれ



[993] [CITE[歴代三宝紀]]
は自説の他に更に異説を5つ示していました。

- [952] 
[CITE[法顯傳]]
によれば、
[[仏誕]]は殷武乙26年甲午。
[TIME[隋開皇17(597)年[LINES[丁][巳]]][year:597]]まで1681年。
[SRC[>>986, >>945]]
-- [953] 年数から[[元年]]は[TIME[西暦-1083年 (紀元前1084年) [LINES[丁][巳]]][year:-1083]]。
-- >>1079
- [957] [[沙門法上]]によれば、
[[仏誕]]は周昭王24年甲寅。
[TIME[隋開皇17(597)年[LINES[丁][巳]]][year:597]]まで1486年。
その根拠は [CITE[穆天子別傳]]。
[SRC[>>986, >>945]]
-- [958] 年数から[[元年]]は[TIME[西暦-888年 (紀元前889年) [LINES[壬][申]]][year:-888]]。
γ60年ずれ
-- [959] 仏誕年 (周) はζ1年ずれ
- [961] 
[CITE[像正記]]
によれば、
[[仏誕]]は[[周]]平王48年戊午。
[TIME[隋開皇17(597)年[LINES[丁][巳]]][year:597]]まで1323年。
[SRC[>>986, >>945]]
-- [962] 年数から[[元年]]は[TIME[西暦-725年 (紀元前726年) [LINES[乙][卯]]][year:-725]]。
- [963] 
[[道安]]によれば、
[[仏誕]]は周桓王5年乙丑。
[TIME[隋開皇17(597)年[LINES[丁][巳]]][year:597]]まで1225年。
[SRC[>>986, >>945]]
-- [964] 
年数から[[元年]]は[TIME[西暦-627年 (紀元前628年) [LINES[癸][巳]]][year:-627]]。
- [968] 
[[趙伯休]]によれば、
[[仏誕]]は周貞定王2年甲戌。
[TIME[隋開皇17(597)年[LINES[丁][巳]]][year:597]]まで1061年。
[SRC[>>986, >>945]]
-- 
年数から[[元年]]は[TIME[西暦-463年 (紀元前464年) [LINES[丁][丑]]][year:-463]]。

[REFS[
- [954] [CITE[SAT DB]], [TIME[2021-01-08T05:25:26.000Z]] <https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=2085_,51,0857&key=%E6%B3%95%E9%A1%AF%E5%82%B3>
- [986] [CITE[SAT DB]], [TIME[2021-01-08T07:45:56.000Z]] <https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=2034_,49,0022>
- [1043] [CITE[[V[吉蔵の正像末三時観]]]], 
[[[V[伊藤隆寿]]]],
[V[昭和六十年三月]],
[TIME[2021-01-09T00:49:54.000Z]] <http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/18644/KJ00005114116.pdf>
- [1049] [CITE[『[[弥勒経遊意]]』の疑問点]], 
[[[V[伊藤隆寿]]]],
[TIME[2021-01-09T01:30:30.000Z]] <http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/18755/KJ00005120234.pdf>
]REFS]


[903] 
[CITE[魏書釈老志]]
に、

>
[VRL[
釋迦生時、當周莊王九年。春秋・魯莊公七年夏四月、星不見、夜明、是也。
至魏武定八年、凡一千二百三十七年。
]VRL]

... とありました。
[SRC[>>901, >>902]]

- [904] 
魯荘公7年は[TIME[紀元前687年][year:-688]]。
魏武定8年は[TIME[西暦550年][year:550]]。
[SRC[>>902]]
-- [1045] 550 - -688 + 1 = 1237。
--
[905] 
[[元年]]は[TIME[西暦-686年 (紀元前687年)][year:-686]]。

- [1046] [CITE[弥勒経遊意]]
-- [1051] [[仏誕]]: 周荘王10年夏4月8日辛卯 [SRC[>>1043, >>1049]]
-- [1052] [[仏滅]]: 周匡王5年2月15日 [SRC[>>1049]]
-- [1053] 「[V[仏自出世従周荘王至契合得一千二百四十年]]」 [SRC[>>1043, >>1049]]
--- [1054] 「契」を[[梁]]の誤写と読んで、
[TIME[梁承聖2(553)年][year:553]]が1240年。
[[元年]]は[TIME[西暦-686年 (紀元前687年)][year:-686]]。
[SRC[>>1043]]
---- [1047] 誤写は考えにくい。
[[仏誕]]から1240年後、
[TIME[梁承聖3(554)年][year:554]]では本書が書かれた時代と合わないし、
本書の内容と時代が合わなくなる。
[SRC[>>1049]]
--- [1055] 「[[仏誕]]周荘王10年説に従えば[[仏滅]]から1240年にあたる」
と解すれば、
[TIME[唐貞観7(633)年][year:633]]で、
本書が書かれた時代となる。
[SRC[>>1049]]
---- [1056] [[元年]]は[TIME[西暦-606年 (紀元前607年) [LINES[甲][寅]]][year:-608]]。



[REFS[
- [901] [CITE@ja[[[魏書]]/卷114 - Wikisource]], [TIME[2020-12-24T04:38:47.000Z]], [TIME[2021-01-07T04:41:17.756Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8/%E5%8D%B7114?uselang=ja>
- [902] [CITE[譯註 [[魏書釋老志]]]], [[塚本善隆]], 
[TIME[2012-03-22T07:04:10.000Z]], [TIME[2021-01-07T04:41:56.157Z]] <https://acad.jodo.or.jp/bukkyobunka/pdf/bukkyobunka_008.pdf#page=74>
]REFS]



-*-*-

[729] 
[CITE[仏般泥洦名後記]]
に、

>
[VRL[
[ASIS[従仏般泥洹[SUB[一]]]]到[SUB[二]]永興七年二月十一日[ASIS[[SUB[一]]、][横並]]凡巳八百八十七年余七月十有一日、至[SUB[レ]]今丙[ASIS[戍]]歳、今為[SUB[二]]九百一十五年[SUB[一]]
是比丘康日所[SUB[レ]]記也、又󠄂至[SUB[二]]慶暦六年丙[ASIS[戌]]歳[SUB[一]]共計一千九百九十四年
]VRL]

... とありました。
[TIME[北宋慶暦6(1046)年[LINES[丙][戌]]][year:1046]]が1994年。
η
[SRC[>>700 p.[V[二五三]]]]

[732] ところでこの文章には辻褄が合わないところがあります。

-[1065] 
[CITE[仏滅年代私考]],
[[林屋友次郎]],
[TIME[1932-02-01]],
[CITE[KJ00005113788.pdf]], [TIME[2021-01-09T03:32:42.000Z]] <http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/18057/KJ00005113788.pdf>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[730] 
[CITE@zh[[[拘尸那羅結集]] - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2020-12-21T05:59:58.000Z]], [TIME[2021-01-04T06:03:08.591Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%98%E5%B0%B8%E9%82%A3%E7%BE%85%E7%B5%90%E9%9B%86#%E4%BD%9B%E6%BB%85%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E8%80%83%E8%AD%89>
]FIGCAPTION]

>《佛般泥洹經》附記了佛入滅年代的傳說:
>> 	從佛般泥洹。到永興七年二月十一日。凡已八百八十七年。餘七月十有一日。至今丙戌歲。合為九百一十五年。是比丘康日所記也。又至慶曆六年丙戌歲。共計一千九百九十四年。 	”
>
東漢、西晉、冉魏、前秦、北魏都沒有永興七年這個年號。北宋慶曆六年為公元1046年,回溯1994年為公元前949年,同於曇無最據《周書異記》之說,這是北宋時的補充記載。從晉朝某個丙戌年上溯915年則為佛滅年代,本經譯出是這個丙戌年之前的28年(915-887=28),按費長房記載,本經為白法祖譯,他活躍於晉惠帝末期,則從丙戌年公元326年上溯得到公元前590年。 
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[731] [CITE@zh-hant[華雨集第三冊-下編 雜附、疑偽與倒亂 | [[印順文教基金會推廣教育中心]]]], 
週五, 2011-09-09 00:29,
[TIME[2021-01-04T06:08:56.000Z]] <http://yinshun-edu.org.tw/zh-hant/Master_yinshun/y27_07_02>
]FIGCAPTION]

>『佛般泥洹經』末附記說:「從佛般泥洹,到永興七年二月十一日,凡已八百八十七年,餘七月十有一日。至今丙戌歲,合為九百一十五年:是比丘康日所記也。……一千九百九十四年」(大正一‧一七五下)。這是佛滅年代的一項傳說。經是西晉白法祖譯的;「永興」是西晉惠帝的年號,但永興是沒有七年的。所說的「永興七年」,可能是惠帝「元康九年」的誤寫?這一附記,可另行編入「史傳部」的。 

]FIG]

-*-*-


[939] 
[RUBYB[[[慧思]]][[TIME[515][year:515]]-[TIME[577][year:577]]]]によるとされる
[CITE[立誓願文]]
は、
[[仏誕]]以来の年を[[干支年]]で書いたり、
自身の略歴を[[末法]]何年と書いたりしていました。
[SRC[>>940]]
本書は[TIME[西暦558年][year:558]]成立とされますが、
[[江戸時代]]から現在まで偽書説があります。
[SRC[>>914]]

[942] [TIME[西暦515年[LINES[乙][未]]][year:515]]が末法82年 = 1582年。
χ

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[940] [CITE@ja[[[立誓願文]] - Wikisource]], [TIME[2020-12-24T08:29:59.000Z]], [TIME[2021-01-07T08:45:06.552Z]] <https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%AA%93%E9%A1%98%E6%96%87>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]仏従癸丑年七月七日入胎、至甲寅年四月八日生。至壬申年年十九、二月八日出家。至癸未年年三十、是臘月月八日得成道。至癸酉年年八十、二月十五日方便入涅槃。
>
正法従甲戌年至癸巳年、足満五百歳止住。像法従甲午年至癸酉年、足満一千歳止住。末法従甲戌年至癸丑年、足満一萬歳止住。[SNIP[]]
>[SNIP[]]仏従癸酉年、入涅槃後。[SNIP[]]
>我慧思即是末法八十二年、太歳在乙未十一月十一日、於大魏国南予州汝陽郡武津県生。[SNIP[]]
>[SNIP[]]至年四十四、是末法一百二十五年。太歳戊寅、[SNIP[]]

]FIG]

]REFS]

-*-*-



[1100] 
[[中華民国]]の頃、仏暦ηが使われていました。
これを[DFN[大乘佛曆]], [DFN[大乘佛历]]と呼ぶことがあります
[SRC[>>1111, >>1099]]。

[1106] 
[CITE[佛祖統紀]]
[WEAK[([TIME[西暦1269年][year:1269]]成立)]]
は、
[[仏誕]]を周昭王24年4月8日、
[[仏滅]]を周穆王52年2月15日としました。
これにより西曆2021年を[DFN[中國佛诞曆]]3048年とする数え方が現在まで使われています
[SRC[>>1105]]。
ζ

[1195] 
仏暦ζは[[清国]]や[[中華民国]]の他に、
[[清国]]の属国だった[[李氏朝鮮]]とその流れを引く[[大韓帝国]]、
[[日本領朝鮮]]で使われました。
[[日本]]での用例は未発見です。


[1243] 
[[中華仏教会]]の機関誌
[CITE[仏学叢報]]
は、
[[民国紀元]]と
「[DFN[釈迦牟尼仏応世]][VAR[何]]年」
を併記していました。
[SRC[>>1242]]
方式不明。

[1101] 
[TIME[西暦1913年][year:1913]]と[TIME[西暦1923年][year:1923]]に、
仏誕2940年、仏誕2950年の記念行事が開催されました。
[SRC[>>1111, >>1099]]
ζ

[REFS[
- [1154] [CITE@zh-Hans[《大唐西域记》12卷 三藏法师玄奘奉诏译 大总持寺沙门辩机撰 。尚书左仆射燕国公张说 大清宣统元(佛历两千九百三十六)年岁次己酉季夏月 常州天甯寺清镕谨识 (本店所售为高清激光彩色复制本打印成册,多购优惠)_玄奘、辩机撰_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T05:17:11.000Z]] <http://book.kongfz.com/377026/1802420904/>
-- [1155] [[奥書]]
「[V[[LINES[佛厯二千九百三十六][大淸宣統元]]年]]」
--- [1156] [TIME[清宣統元(1909)年][year:1909]]が2936年 ζ
- [1142] [CITE@zh-Hans[《阿毘达磨俱舍论》30卷全 唐三藏法师玄奘奉诏 尊者世亲造 佛历二千九百三十八年(大清宣统三年)重光大渊若荷月 常州天宁寺清镕谨识 湖北陶周楹刻(高清激光全彩复制打印,多购优惠)_唐三藏法师玄奘奉诏 尊者世亲造_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T04:42:03.000Z]] <http://book.kongfz.com/377026/2693594617/>
-- [1143] [[奥書]] 「[V[[LINES[佛厯二千九百三十八󠄂][大清宣統三]]年]]」
--- [1144] [TIME[清宣統3(1911)年][year:1911]]が2938年 ζ
- [1137] [CITE@zh-Hans[潮汕佛教重要文献--木刻本《龙舒净土文》《重刻龙舒净土文》(一册全)佛历二千九百四十六年(1919年)潮安王弘愿撰,王显智校。历二千九百四十七年(1920年)刻于潮安(广东潮州潮安县)刻经处!_潮安王弘愿撰,王显智校_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T04:35:54.000Z]] <http://book.kongfz.com/14629/654567094/>
-- [1138] 奥書「[V[佛曆二千九百四十六年巳未冬至日]]」
-- [1139] 奥書「[V[佛應世二千九百四十七年]]」
-- [1140] 販売 [[Webサイト]]の情報 「年代:   民国9年 (1920) 」
-- [1141] 商品説明通り[TIME[西暦1919年][year:1919]]、
[TIME[西暦1920年][year:1920]]とすると、ζ。
- [549] [CITE@zh-Hans[增正念诵集要 佛历纪元二九五五年岁次戊辰十月五版 世界佛教居士林敬印 上海闸北新民路国庆路口(缺少最后两页、品如图、64开)_[[世界佛教居士]]林敬印_孔夫子旧书网]], 
上书时间 2017-12-30,
[TIME[2020-03-23 16:08:33 +09:00]] <http://book.kongfz.com/591/819263052/>
-- [1091] 
書籍表紙
「[V[佛歴紀󠄂元二九五五年歲次󠄄戊辰十月五版]]」 [SRC[>>549]]
--- [1092] 販売 [[Webサイト]] [WEAK[([[中華人民共和国]])]] の表記
「佛历纪元二九五五年岁次戊辰十月五版」 [SRC[>>549]]
--- [1093] 「5版」は日付ではなく第5版の意味だろう。
--- [1094] 販売 [[Webサイト]]の情報
「出版时间:   1912
印刷时间:   1912」
[SRC[>>549]]
(出典不明)
---- [1095] [TIME[西暦1912年[LINES[壬][子]]][year:1912]]が2955年なら、
[[元年]]は[TIME[西暦-1042年 (紀元前1043年) [LINES[戊][戌]]][year:-1042]]。
---- [1096] [[民国][中華民国]]期ということで[TIME[中華民国元(1912)年][year:1912]]にした?
--- [1097] この付近の戊辰年は[TIME[西暦1868年][year:1868]]、[TIME[西暦1928年][year:1928]]。
---- [1098] [TIME[西暦1928年[LINES[戊][辰]]][year:1928]]が2955年なら、
ζ。
- [1145] [CITE@zh-Hans[佛历2975年(1948)油印线装本*净土法门经典*印光大师序跋*苦恼比丘德森敬跋*苏州灵岩山寺妙真住持谨识*《灵岩山寺专修净土道场念诵仪规》*全1厚册!_比丘德森 印光大師 妙真住持_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T04:54:39.000Z]] <http://book.kongfz.com/3240/821864793/>
-- [1146] 表紙扉「[V[佛曆二九七五年歲次戊子十月]]」
--- [1149] [TIME[西暦1948年[LINES[戊][子]]][year:1948]]が2975年とするとζ
-- [1147] 跋「[V[[LINES[仏曆二千九百六十五][中華󠄄民國戊寅二十七]]年古曆中秋]]」
--- [1148] [TIME[中華民国27(1938)年[LINES[戊][寅]]][year:1938]]が2965年とするとζ
]REFS]

[REFS[
- [1163] [CITE@zh-Hans[民国经书:佛教念诵集(贰集)心光讲学会编 佛历二九七六岁次戊子仲秋印 初版印三千二百本_新光讲学会 编集_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T05:32:47.000Z]] <http://book.kongfz.com/174454/647745083/>
-- [1164] 表紙「[V[佛曆二九七六年歲次戊子仲秋]]」
-- [1165] 奥付「[V[民國卅七年九月初[ASIS[版][ノ反]]]]」
--- [1166] [TIME[西暦1948年[LINES[戊][子]]][year:1948]]
-- [1167] [TIME[西暦1948年][year:1948]]が2976年 π
-
[1242]  
[CITE[[V[民初紀年考]]]],
[[[V[竹内弘行]]]],
[TIME[1989-06-15]], 
[TIME[2023-03-08T09:49:59.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61000/cks_007_021.pdf#page=9>



]REFS]




[REFS[
- [1111] [CITE@zh-CN[[[佛历]]两种不同算法的由来 你知道吗?-腾讯网]], 
2018
03/06
11:43,
[TIME[2021-01-09T09:55:52.000Z]] <https://new.qq.com/omn/20180306/20180306A06W0C.html>
- [1099] [CITE@zh-TW[關於[[佛曆]]的二種不同演算法 - ITW01]], 
2018-03-07 06:52:23,
[TIME[2019-10-02T02:34:22.000Z]], [TIME[2021-01-09T09:14:47.597Z]] <https://itw01.com/R5HME4U.html>
]REFS]

* 近代満州

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[532] [CITE@zh-cn[辽代艺术杰作 义县奉国寺,工巧明,地理-五明频道-学佛网]]
([TIME[2020-02-23 07:31:09 +09:00]])
<http://wuming.xuefo.net/nr/14/139499.html>
]FIGCAPTION]

> 僧人净慈法师所著《义县奉国寺纪略》(佛历2968年)记载,“清朝光绪八年(1882年),维修大雄殿时有八门尺从东南角梁架上坠落,上书‘辽开泰九年正月十四日起工。’”

]FIG]

[NOTE[

[555] [TIME[西暦1941年][year:1941]]とすると、ζ

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[554] [CITE@en[古城义县,千年辽代古寺_中国]]
([TIME[2020-03-23 18:14:16 +09:00]])
<https://www.sohu.com/a/365233015_99950990>
]FIGCAPTION]

> 民国三十年(1941年)《义县奉国寺纪略》记载:“清朝光绪八年(1882年),维修大雄殿时有八门尺从东南角梁架上坠落,上书‘辽开泰九年正月十四日起工。’”。

]FIG]

]NOTE]

]REFS]

* 中華人民共和国



[REFS[
- [548] [CITE@zh-Hans[莲华生大师消除障道遂欲成就祈请颂 红字修改本 '''['''郭元兴 孙景风敬译 密显敬校''']'''佛历2517年壬辰春密显作序_郭元兴 孙景风敬译 密显敬校_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T02:13:26.000Z]] <http://book.kongfz.com/1504/2277699069/>
-- [1129] 
序文「[V[佛曆二五一七年壬辰春正月廿五日]]」
--- [1132] [[農暦]]1月25日か?
-- [1130] 
販売サイトの情報「 年代:   新中国时期 (1949-1955) 」
-- [1131] この付近の壬辰は[TIME[西暦1952年][year:1952]]。
θ

]REFS]



[268] 
[TIME[西暦2006年4月][2006-04]]、
[[中華人民共和国]][[杭州]]で開催された[[世界仏教フォーラム]]のパンフレットは、
2500年としていました。β
(>>268)

[269] 
当時、
[[中国仏教協会]]国際部主任の[[普正]]は、
[[中華人民共和国]]でも[[仏暦]]の使用がごく一部で広まってきており、
[[大韓民国]]のものと一致しているβと述べました。
[[中華人民共和国]]の仏教に詳しい[[大韓民国]]の専門家は、
[RUBYB[[[文化大革命]]][[TIME[1966][year:1966]]-[TIME[1977][year:1977]]]]で[[仏教]]が破壊された[[中華人民共和国]]では[[大韓民国]]との交流で復元が進められており、
[[仏暦]]もフォーラム以前は見られず、
初の大規模イベントに当たり[[大韓民国]]の影響で採用したものだとしました。
報道は、
[[大韓民国]]の誤りが周辺国に悪影響を与えたものだとしました。
[SRC[>>256]]

;; [296] [[文化大革命]]で[[仏教]]が迫害されたのは事実だとしても、
[[仏暦]]について[[大韓民国]]の影響があったかどうかは、
検討が必要です。
この時期の[[大韓民国]]の仏教界は、
[[チベット]]や[[日本]]が先導してきた時代が変わって、
これからは[[大韓民国]]が世界の[[仏教]]を先導していくのであって、
国際化が進行していく、
などと意気込んでいたようです。
[[中華人民共和国]]に仏教を「伝授」している[[大韓民国]]の仏教界側からの見解であることは、
一応差し引いておく必要があります。
同じ[[大韓民国]]でも、
β型を正当化する立場の人達は、元々[[中華人民共和国]]でもβ型を使っていたと主張しています。

[REFS[
- [551] [CITE@zh-Hans[孔网搜索:[[佛历]]]], [TIME[2020-03-23 16:10:32 +09:00]] <http://search.kongfz.com/product_result/?status=0&key=%E4%BD%9B%E5%8E%86&pagenum=1&ajaxdata=1>
-- [1133] 仏暦が書かれた商品が多数出品されている。
- [546] [CITE@zh-Hans[法門珍宝..江泽民--中国法門寺佛指舍利大法会留念--佛歷二五四五年四月初八---右下角有净一監制'''['''纯金999.9''']'''_净一_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2020-03-23 16:04:23 +09:00]] <http://book.kongfz.com/20541/1036407790/>
-- [1125] 実物写真より「[L[佛歷二五四五年四月初八]]」
-- [1136] いつのものか不明、βと仮定すると[TIME[西暦2001年][year:2001]]。
- [1168] [CITE@zh-Hans[佛历2955年腊刻本*释印光、知非子识*姚秦三藏法师鸠摩罗什译*《梵刚经菩萨戒集证》*大开本原装全1冊!_鸠摩罗什_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T05:50:05.000Z]] <http://book.kongfz.com/3240/1695965392/>
-- [1169] 販売サイトの情報「 年代:   建国后 (1949至今)」
「上书时间2019-12-17 」
-- [1170] 序文「[V[佛历二千九百九十五年仲夏]]」
-- [1171] 序文「[V[佛历二千九百九十五年季夏]]」
-- [1172] 序文[[簡体字]]、本文[[繁体字]]。
-- [1173] ζとすると[TIME[西暦1928年][year:1928]]で時代が合わない。
(序文の日と発行日が違う可能性もあるか?)

]REFS]



[REFS[
- [1119] [CITE@zh-Hans[敦煌[[佛历]]2017年_孔夫子旧书网]], [TIME[2021-01-10T01:43:43.000Z]] <http://book.kongfz.com/197277/951876615/>
-- 表紙
「[V[[LINES[公历二〇一七年版][敦煌佛历][佛历二五六〇年农历丁酉年][[L[BUDDHIST ERA 2560]]]][YOKO[BUDDHIST CALENDAR]][YOKO[2017]]]]」
α
]REFS]

[REFS[
- [1159] [CITE@zh-Hans[演本老法师纪念会印送《佛法要论》1968年出版 佛历2512年戊申6月27日_达庵冯宝瑛 居士著_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T05:25:16.000Z]] <http://book.kongfz.com/253298/2424612251/>
-- [1160] 序文「[V[民国十五年丙寅舊󠄂曆三月朔]]」
--- [TIME[西暦1926年][year:1926]]
-- [1161] 奥書「[V[佛曆二五一二年歲次戊申六月二十七日]]」
--- [1162] [TIME[西暦1968年[LINES[戊][申]]][year:1968]]が2512年とするとβ
- [1150] [CITE@zh-Hans[1981年(佛历2525年) 金陵刻经处重印《净土四经》16开线装宣纸 木刻大字版._金陵刻经处_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T05:12:57.000Z]] <http://book.kongfz.com/22595/327253184/>
-- [1151] この販売サイトの情報「出版时间:   1981
印刷时间:   1981 」
-- [1152] 奥書「[V[佛歷二千五百二十五年 辛酉端節]]」
-- [1153] [TIME[西暦1981年[LINES[辛][酉]]][year:1981]]が2525年 β
- [550] [CITE@zh-Hans[邮资1.2元信封一枚:姑苏寒山寺性空法主和尚 九十五岁华诞留念 佛历二五六零年(2016)二月初五日---盖特制留念章一枚_性空长老_孔夫子旧书网]], [TIME[2020-03-23 16:09:50 +09:00]] <http://book.kongfz.com/2786/621399202/>
-- [1121] [TIME[農暦西暦2016年2月5日][kyuureki:2016-02-05]]か
--- [1120] [TIME[西暦2016年][year:2016]]が2560年 β
-- [1122] 実物写真より「[L[佛历二五六零年二月初五日]]」
-- [1123] 実物写真より説明文はすべて[[西暦年]]:
「[L[1922年3月14日]]」-「[L[2009]]」
-- [1124] この販売サイトの情報「出版时间:   2016」
「印刷时间:   2016」
「上书时间2017-01-16」
- [1157] [CITE@zh-Hans[西园戒幢律寺 2021年年历(佛历2565年) 西花园、三宝楼、常住集体禅修、布萨、上殿、戒幢佛学研究所2020年秋季开学典礼合影、升国旗、教务工作会议、研究生开题报告、研究所新春普茶、研究生中期考核、开学典礼会场、盂兰盆法会、诵经法会、三皈五戒法会、浴佛节等精美摄影作品。西园戒幢律寺简介,西园戒幢律寺发展理念,戒幢佛学研究简介,戒幢佛学研究办学理念,西园戒幢律寺2021年活动展望、弘法活动安排。_苏州西园戒幢律寺弘法部_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T05:20:51.000Z]] <http://book.kongfz.com/235306/2652228278/>
-- [1158] 表紙
「[L[2021]]
[L[佛历二五五五年  农历辛丑年]]」
β


]REFS]


[REFS[
- [547] [CITE@zh-Hans[【繁体竖版】佛学大辞典(上.下2册合售)(大32开硬精装巨厚3002页.公元1993年.佛历2437年.仅印6000套)_丁福保_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2020-03-23 16:05:46 +09:00]] <http://book.kongfz.com/26596/510293730/>
-- [1126] 消滅確認 [TIME[2021-01-10T02:01:24.100Z]]
-- [1127] [CITE@zh-Hans[【繁体竖版】佛学大辞典(上.下2册合售)(大32开硬精装巨厚3002页.公元1993年.佛历2437年.仅印6000套)_丁福保_[[孔夫子旧书网]]]], [TIME[2021-01-10T02:01:06.000Z]], [TIME[2020-03-23T07:06:41.890Z]] <https://web.archive.org/web/20200323070614/http://book.kongfz.com/26596/510293730/>
-- [1128] [[奥付]]「[V[公元一九九三年]]
[V[佛歷二四三七年]]」
ο (β100年ずれ)

]REFS]


[REFS[
- [545] [CITE@zh-Hans[佛历_北京彭措朗文化发展有限公司 著_孔夫子旧书网]], [TIME[2020-03-23 16:01:48 +09:00]] <http://book.kongfz.com/10624/875284077/>
-- 「佛历(3044年)(公历2017年)精装 实物图」ζ
- [1113] [CITE[佛历]], [[商务印书馆]]
-- [1114] [CITE@zh-Hans[[[佛历]]3045年_孔夫子旧书网]], [TIME[2021-01-10T01:26:39.000Z]] <http://book.kongfz.com/14367/1100075033/>
--- [1115] [[背表紙]]「[V[佛曆[YOKO[3045年]]]]」
「[L[公曆2018年]]」
「[L[農曆戊戌年]]」
ζ
-- [1116] [CITE@zh-Hans[[[佛历]]3045年_商务印书馆_孔夫子旧书网]], [TIME[2021-01-10T01:29:16.000Z]] <http://book.kongfz.com/22710/2344134869/>
--- [1118] 本文「[L[佛历3044年 农历丁酉年 公历2018年]]
[L[佛历: 十二月廿六]]
[L[农历 十二月]]
[L[廿六]]
[L[一月初四 雨水]]
[L[甲寅月 甲戌日  五行: 山头火]]
[L[2018年2月]]
[L[[LINES[星期日][Wednesday Feburary 11]] 11]]」
α ([[仏誕日]]前; +1 したらβ)
--- [1117] [[奥付]]「[L[2017年11月第1版]]
[L[2017年11月北京第2次印刷]]」






]REFS]



* 中華民国台湾

[REFS[
- [1112] [CITE[[[佛曆]]二五五○年(西元二○○六年)一月二十日]], [TIME[2020-05-08T03:38:52.000Z]], [TIME[2021-01-09T10:04:00.062Z]] <http://www.paoantang.org.tw/CH/p02/200601/200601.htm>
β
]REFS]


[1223] [CITE@ja[蓮池大師戒殺放生文図説 佛暦2535年発行 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」]], [[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2021-01-26T05:56:59.000Z]] <https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=87308723>

* 統一国家時代の朝鮮半島


[876] 
[[朝鮮半島]]でも仏滅からの年数が使われてきました。
他の地域と同じく異説も多いですが、時代によって傾向に違いがあります。

-*-*-

[1258] 
[[昭和時代]]初期の[[朝鮮史]]研究者[[鮎貝房之進]]は、
[[朝鮮半島]]の[[日時表示]]の特徴的な事例を抽出した論文 
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]]の研究史の項 ]]
で、[[仏滅紀元]]の利用例をいくつか挙げ、
数え方が諸説一致しない旨を指摘しました。
[SRC[>>1255]]


[789] 
[[昭和時代]]の[[朝鮮史]]研究者[[藤田亮策]]は、
[[朝鮮半島の紀年法]]を総まとめした論文 [SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]]の研究史の項 ]] で、
[[佛誕紀年]]として[[朝鮮半島]]の諸例を紹介しました。
ただ仏誕の資料は極めて多いので、
[CITE[朝鮮金石総覧]]、
[CITE[三国遺事]]、
[CITE[朝鮮寺刹史料]]
から拾い出したのだといいます。
(朝鮮の紀年に限定するため仏教史家の研究成果は除外しました。)
[SRC[>>606]]

[791] 
「仏誕」としてまとめているものの、
仏滅から何年という例も含まれていました。
異説の多いのは、
唐伝、
南方伝と時代と教派による違いがあったもので、
「[V[何れにしても佛誕󠄂を紀年に使󠄃用した例は他の紀年法を壓している]]」
といいます [SRC[>>606]]。

[790] 
昭王24、25、26年とするのは昭王甲寅とするものの年代推定の相違で、
同一系統と考えられます。 ζ2年ずれ ζ1年ずれ ζ

穆王42、52、53年も穆王壬申の系統と考えられます。 γ11年ずれ κ γ

共王その他の例は極めて少ないです。
[SRC[>>606]]



** 新羅時代

[512] [[新羅]]時代の[[金石文]]に[[仏滅]]からの経過年数を書いた例がいくつか知られています。
その年数の数え方は互いに一致しません。
同時期の[[唐]]や[[日本]]の遺物にも諸説あることと軌を一にするのであります
[SRC[>>700]]。

- [513] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[朝鮮]][[江原道]]原州郡地正面安昌里]][[興法寺]]址廉[ASIS[居][異: 「巨」]]和尚舎利塔誌]]
「[V[會󠄁昌四年歲[ASIS[次󠄄][<https://glyphwiki.org/wiki/koseki-181650>]]甲子季秋之月兩旬九日遷󠄆化[BR[]]去釋迦󠄃牟尼湼槃一千八百四年矣[BR[]]當此國慶膺大王之時]]」
[SRC[>>606]]
-- [792] 
「[V[会昌四年歳次󠄂甲子季 秋之月両旬九月遷化廉巨和尚塔去釈迦󠄃牟尼入涅槃一千八󠄂百四年矣 当此国慶膺大王之時]]」
[SRC[>>700 p.[V[二五七]] [V[[YOKO[13]]]] ([CITE[朝鮮金石志]], [[葛城末治]])]]
-- [1256] 
「[DATA(.text)[會󠄁昌四年歲次󠄄甲子季秋之月兩旬九日遷󠄆化廉巨和尚塔去釋迦󠄃牟尼佛入湼槃一千八百四年矣[BR[]]  當此國慶膺大王之時]]」
[SRC[>>1255]]
-- 仏暦1804年 西暦844年 新羅文聖王6年 会昌4年甲子 γ11年ずれ
- [514] [[全羅南道]]有治面徳里寶林寺毘盧舎那佛造像記
「[V[當成佛時釋迦󠄃如來入滅後一千八󠄂百八󠄂年耳]]
[V[時情󠄁王卽位三年也]]
[V[大中十二年戊寅七月十七日]]」
[SRC[>>606]]
([[漢字]]の[[字体]]以外同じ: [SRC[>>700 p.[V[二五七]] [V[[YOKO[14]]]] ([CITE[朝鮮金石志]], [[葛城末治]])]])
-- 仏暦1808年 西暦858年 新羅憲安王祐靖即位3年 大中12年戊寅 κ
- [625] 
[DATA(.label)[[[江原道]]鉄原郡東松面到彼岸寺[ASIS[鐵佛][>>700 云:毘盧舎那佛]]造像記]]
--
[1264] 
「[DATA(.text)[[V[夫釋迦󠄃佛晦影歸󠄂眞、遷󠄆儀越△紀世掩色、不鏡三千光、__&&swc145(亻凢)&&__一千八󠄂百六載耳[BR[]]唐咸通六年乙酉正月日]]]]」
[SRC[>>606]]
-- [793] 
「[DATA(.text)[[V[天釈迦󠄃仏晦影帰真□儀越□紀世掩色不鏡三千光□一千八󠄂百六載耳[SNIP[]][BR[]][SNIP[]]唐天子咸通六年乙酉正月日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>700 pp.[V[二五七]]-[V[二五八󠄂]] [V[[YOKO[15]]]] ([CITE[朝鮮金石志]], [[葛城末治]])]]
-- [1257] >>1255 も引用
-- 西暦865年 新羅景文王5年 咸通6年乙酉 η7年ずれ


[REFS[

- [1254] 
[CITE[[[雜攷]] 第六輯下卷]], [[鮎貝房之進]], [TIME[2023-05-19T07:46:50.000Z]], [TIME[2023-05-20T05:32:22.097Z]] <https://geocol.github.io/zakkou/book-6b.html#201>
-- [1255] [CSECTION[[[附書年月󠄃日例]]]]

]REFS]


** 高麗時代

[517] [[高麗]]時代には、
[[仏暦]]γで数えた例がいくつか知られています。
同じく13世紀頃の[[日本]]でもγが主流となったことが注目されます
[SRC[>>700]]。


- [626] [CITE[海東高僧傳]], 覺訓奉宣撰
「[V[周穆王壬申佛滅、都算佛入滅、至今乙亥二千一百六十四年]]」
[SRC[>>606]]
-- 西暦1215年 高麗高宗2年乙亥 γ
-- [794] [CITE[海東高僧伝]]
「[V[周穆王壬申仏都算仏入滅至[SUB[二]]今乙亥[SUB[一]]二千一百六十四年]]」
[TIME[高麗高宗2(1215)年[LINES[乙][亥]]][year:1215]] γ
[SRC[>>700 p.[V[二五八]]]]
- [627] [CITE[三国遺事]], 迦葉佛宴坐石
「[V[自釋尊󠄅下至元十八年辛巳歲、已得二千[ASIS[二][>>606: 脱字]]百三十矣]]」
[SRC[>>606]]
([[漢字]]の[[字体]]以外同じ: [SRC[>>707 p.[V[二五八]]]])
-- 西暦1281年 高麗忠烈王7年辛巳 至元18年 γ




** 李氏朝鮮、大韓帝国、日本領朝鮮

[562] 
[[李氏朝鮮]]時代や[[日本統治時代][日本領朝鮮]]はζを使っていました。
次のような用例が知られています。

- [515] 華藏寺寂默堂重剏記
「[V[隆熈二年戊申七月十七日華藏寺寂默堂重剏󠄂役事畢]]
[V[釋尊󠄅誕󠄂降二千九百三十五年]]」 
[SRC[>>606]]
-- 仏暦2935年 西暦1908年 朝鮮高宗隆煕2年戊申 ζ
- [516] 佛甲寺創設由緒
「[V[世尊󠄅降生後二千九百三十六年]]
[V[湼槃後二千八百五十八年]]」 
[SRC[>>606]]
(>>700 p.[V[二六二]] [V[([YOKO[6]])]] にも言及あり。)
-- 西暦1909年 朝鮮高宗隆煕3年己酉
-- 仏暦2936年 ζ
-- 仏暦2858年 γ
-
[1253] 
[CITE@ja-JP[[[朝鮮仏教通史]] 上・中編]], [[李能和]], [TIME[大正7][1918]]
[SRC[>>1252]]
-- 仏紀2945年 ζ
- [608] [CITE[乾鳳寺及乾鳳寺末寺事蹟]], [TIME[西暦1928年][year:1928]] [SRC[>>194]]
-- [[仏暦]]、[[王暦]]、[[干支]]併記
--- ζとみられるが要確認
- [610] 乾鳳寺不二門扁額「佛紀二九五五年戊辰四月日」 [SRC[>>178, >>177]]
-- 仏暦2955年重建 西暦1920年建立 (ζと仮定すると8年ずれ)
- [617] 乾鳳寺大方広仏華厳経石柱「佛紀二九五五戊辰夏」 [SRC[>>177, >>195, >>181, >>191]]
-- 仏暦2955年 西暦1928年 ζ
- [611] 「佛紀二九五七年 己巳九月九日」 [SRC[>>186]]
-- 仏暦2957年 西暦1929年 ζ1年ずれ
- [614] 「佛紀二千九百六十年癸酉閏五月二十九日」 [SRC[>>186]]
-- 仏暦2960年 西暦1933年 ζ
- [612] 「佛紀二千九百六十癸酉九月 日」 [SRC[>>186]]
-- 仏暦2960年 西暦1933年 ζ
- [619] 東鶴寺大雄殿「佛紀二千九百六十二年五月竣功」 [SRC[>>177, >>181]]
-- 仏暦2962年 西暦1935年 ζ
- [613] 「佛紀二千九百六十三年丙子十月十六日」 [SRC[>>186]]
-- 仏暦2963年 西暦1936年 ζ
- [615] 「佛紀二千九百六十三年昭和十一年丙子六月十一日」 [SRC[>>186]]
-- 仏暦2963年 西暦1936年 ζ
- [624] 梵魚寺天王門礎石 [SRC[>>195]]
-- 仏暦2963年
- [616] 「佛紀二九六六昭和十四年二月日」 [SRC[>>186]]
-- 仏暦2966年 西暦1939年 ζ
- [654] [[龍珠寺]] (現[[大韓民国]][[京畿道]][[華城市]]) 大蓮大禪師浮屠碑 [SRC[>>653]]
-- 大蓮大禪師 = [RUBYB[[[姜大蓮]]][1875〜1942]]
-- 「檀君四千二百七十七年」「世尊誕降二千九百七十一年甲申四月初八日」
-- その他「世尊入滅二千八百九十一年」など  (画像不鮮明)
-- 世尊入滅 = 세존탄강
-- 仏暦2971年 [TIME[西暦1944年][year:1944]] ζ
- [623] 修徳寺境内看板 [SRC[>>195]]
-- 仏暦2972年 (ζなら[TIME[西暦1945年][year:1945]])



[631] 
この他釈迦誕生・入滅から何年が経過、といった日付表記以外の用例もいくつか知られています
[SRC[>>606]]。

- [628] ?
「[V[釋迦󠄃從兜率󠄃降王宮、身放光明足踏蓮󠄄花[SNIP[]]乃周昭王二十四年甲寅歲也]]」
[SRC[>>606]]
-- 周昭王24年壬子または周昭王26年甲寅
-- 甲寅年を元年とすればζ
- [629] 黃海道鶴林寺事蹟誌 天啓八年述
「[V[釋尊󠄅西域淨飯王太子也、卽周王二十五年癸丑四月初八日示入胎乃瑞、二十六年甲寅二月初八󠄂日誕󠄂生]]」
[SRC[>>606]]
-- 周昭王26年甲寅を元年とすればζ
-- [875] 
[TIME[明天啓8(1628)年][year:1628]] ([[延長年号]] +1)?
- [630] 千佛山開心寺事蹟
「[V[此中國周昭王十三年癸丑[SNIP[]]入胎[SNIP[]]甲寅四月初八󠄂日午時[SNIP[]]誕󠄂生]]」
[SRC[>>606]]
-- 周昭王26年甲寅を元年とすればζ
- [632] 通度寺釋迦如來舎利浮屠碑
「[V[周昭王二十四年、佛從兜率󠄃天降王生淨飯王宮]]」
-- 周昭王24年壬子 ζ2年ずれ
- [633] 龍淵寺釋迦浮屠碑
「[V[釋迦󠄃氏圽一千六百余年]]」


[609] 
[[大韓民国]]でも建国当初引き続き[[北方仏紀]]が使われました (>>607)。
[[朝鮮民主主義人民共和国]]の事情は不明です。

[REFS[

-
[1252] 
[CITE@ja-JP[[[朝鮮仏教通史]] 上・中編]], [[李能和]], [TIME[大正7][1918]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-07T08:11:39.610Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/943681/1/2>
- [606] [CITE[[[朝鮮の年号と紀年]]]]
(下) PDF 30ページ
-- 出典は[[朝鮮金石總覽]]、[[三国遺事]]、[[朝鮮寺刹史料]]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[194] [CITE@ko[건봉사급건봉사말사사적(乾鳳寺及乾鳳寺末寺事蹟) - 한국민족문화대백과사전]], [TIME[2020-03-07 19:15:41 +09:00]] <http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0001990>
]FIGCAPTION]


>『건봉사급건봉사말사사적(乾鳳寺及乾鳳寺末寺事蹟)』은 1878년(고종 15)의 건봉사 화재로 인해서 사찰 자료가 소실되자 이를 보완하기 위해 만든 사적기이다. 일제 강점기인 1927년 건봉사의 본말사회의(本末寺會議)에서 책의 편찬이 결의되었고, 1928년 건봉사에서 사적기기 발간되었다. 
[SNIP[]]

[[Google翻訳]]

>「ゴンボンサ級ゴンボンサ末社私的(乾鳳寺及乾鳳寺末寺事蹟)」は1878年(高宗15)のゴンボンサ火災によってで査察資料が焼失すると、これを補完するために作られた史蹟期である。日本植民地時代の1927年ゴンボンサのボンマルサ会議(本末寺會議)で本の編纂が決議され、1928年ゴンボンサで私的機器発刊された。

>연대 표기는 불기(佛紀)를 사용하였고 왕력(王曆)과 간지(干支)를 병기하고 일본식 연호는 사용하지 않았다. 

[[Google翻訳]]
>連帯表記は打撃(佛紀)を使用しワンリョク(王曆)と気の利いた(干支)を併記して和風年号は使用しなかった。

>집필자
:집필 (1996년):정병조
:개정 (2017년):황인규(동국대, 한국사)

]FIG]

- >>195
- [178] [TIME[2012-04-27 15:11:27 +09:00]] <http://www.cultureline.kr/webgear/board_pds/11686/[%2021%20]%20%EA%B3%A0%EC%84%B1%EA%B5%B0%EC%9D%98%20%EB%AC%B8%ED%99%94%EC%9C%A0%EC%A0%81%20-%20%EA%B1%B0%EC%A7%84%EC%9D%8D_04.pdf#page=6>
-- 「不二門重建丹靑大施主 雪巖堂奉欣 佛紀二九五五年戊辰四月日」 >>179

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[186] [CITE[Ⅰ. 울산사찰연혁 Ⅱ. 사찰내문헌자료 Ⅲ. 기타문헌기록 •울산사찰문헌기록목록 •울산사찰]], [[morning]]
<https://www.udi.re.kr/bbs/download.php?bo_table=ulsan_report&wr_id=15&no=0&page=8>
]FIGCAPTION]

PDF 45ページ

>佛紀二九五七年 己巳[SUP[69)]]九月九日

([[縦書き]]写真あり)

[187] 
[TIME[西暦1934年][year:1934]]と説明されるが、
甲戌年。直近の己巳年は[TIME[西暦1929年][year:1929]]、
その場合ζ型1年ずれ。

PDF 86ページ

>佛紀二千九百六十癸酉九月 日

[TIME[西暦1933年][year:1933]]と説明され、ζ

PDF 87ページ

>
夫人時年六十九上元戊辰十月十六日生于東都古地嫁于玆州靑良回鶴
[SNIP[]]
>
佛紀二千九百六十三年丙子[SUP[130)]]十月十六日

[TIME[西暦1936年][year:1936]]と説明され、ζ

PDF 89ページ

>佛紀二千九百六十年
>癸酉[SUP[134)]]閏五月二十九日

[TIME[西暦1933年][year:1933]]と説明され、ζ

PDF 113ページ

>(1) 영산회상도(靈山會上圖, 도47-1〜도47-2)[SUP[167)]]
>佛紀二千九百六
十三年[SUP[168)]]
>昭和十一年丙子六
月十一日

([[縦書き]]写真あり)

ζ

PDF 118ページ

>(3) 칠성도(七星圖, 도49-1〜도49-3)[SUP[173)]]
>佛紀二九六六
>昭和十四年[SUP[174)]]
二月日

([[縦書き]]写真あり)

ζ

PDF 125ページ

>昭和七年[SUP[182)]]四月三日

>甲戌夏上生

([[縦書き]]写真あり)

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[177] [CITE[당신에게 꼭 말해주고 싶은 이야기]], 
2013.10.21 17:10,
[TIME[2020-03-07 16:18:47 +09:00]] <http://blog.daum.net/ilsimsycheonzoo/15977979>
]FIGCAPTION]

>불기(佛紀)에 대하여-불기 3천년 증거유물

>
남방불기를 채택해 사용하는 한국 불교계에서는 올해 2013년은 불기 2557년으로 공식적으로 사용하고 있다. 
[SNIP[]]
우리나라는 불교를 최초로 수입한 고구려 시대로부터 1962년까지 약 1300년 동안 석가부처님의 탄생을 BC1027, 입멸을 BC949로 하는 북방불기를 사용했다. 이에 따르면 서기 1973년이 불기 3000년이 되는 해이다. 기존 북방불교의 정설을 따르면 갑인(甲寅, 1974)년이 불기 3,001년이므로, 금년(2013년)은 불기 3,040년입니다. 

[[Google翻訳]]

>南方吹きを採用して使用する韓国仏教界では今年 2013 年は打撃 2557 年に正式に使用されている 。 
[SNIP[]]
韓国は仏教を最初に輸入した高句麗時代から 1962 年までに約 1300 年の間に仏の誕生を BC1027、 入滅を BC949 とする北方打撃を使用した 。 これによると西暦 1973 年が吹き 3000 年になる年である 。 既存北方仏教の教義に従うと、ガプイン ( 甲寅 、1974) 年が吹き 3,001 年なので 、 今年 (2013 年 ) は、吹き 3,040 年です 。

南方β、北方ζ


>가. 우리나라에서 예로부터 쓰던 것으로 기원전 1027년 갑인(甲寅) 4월 8일에 탄생하여 기원전 949년 壬申년 2월 15일에 입멸 하였다고 보는 설.
>
나. 태국과 미얀마등지에서 쓰던 기원전 544년이라고 보는 설.
>
다. 세일론에서 전하는 기원전 543년에 탄생했다는 설.
>
현재 세계적으로 통용되고 있는 불기는 1956년 네팔의 수도 카트만두에서 열린 제4차 세계 불교도대회에서 불법의 기원에 대해 논의하여 당 해 년도인 1956년을 2500년으로 공통적으로 적용하기로 결의한 것이다. 이는 태국과 미얀마 등의 남방불교에서 쓰던 불기가 채용된 것이다. 그래서 우리나라에서 본래 쓰던 북방불기(3040년)와는 약 500여년의 차이가 나는 것이다. 북방불교와 남방불교는 불기 년대를 계산하는 방법에 있어서는 많은 차이를 나타내고 있다. 그 학설이 다양할 뿐 아니라 서로 상당한 근거를 제시하고 있기 때문에 둘 다 무시될 수 없다 할 수 있다. 1960년대를 기준으로 하면 북방불교는 1973년을 불탄 3천년이 되는 해로 보고 있다. 이러한 북방불교의 연대는 중국에서는 수천 년 간 계승되었고 한반도에서는 1,500년 동안 사용되고 있다.
>
1967년 미얀마에서 세계불교인 대회에서 불기(佛紀)사용에 대한 년대가 북방과 남방이 서로 다른 점을 하나의 공통된 년대 표기로 할 것을 결의하였는데 남방불교의 년대를 사용하기로 결의하였다. 남방불교와 북방불교의 불기 년대의 차이는 무려 5백년의 차이가 있다. 이러한 합의점을 얻었다하지만 북방불교지역에 있는 많은 종단과 사찰들은 계속적으로 종전의 불기 년대를 사용해 오고 있었다. 한반도는 일천 수백 년 동안 불기 3,000년 설을 사용하였다.

[[Google翻訳]]

>が 。 韓国で昔から使っていたもので、紀元前 1027 年ガプイン ( 甲寅 )4 月 8 日に誕生し、紀元前 949 年 壬申 年 2 月 15 日に入滅したと見る説 。
>
私 。 タイとミャンマーなどで使っていた紀元前 544 年と見る説 。
>
である 。 セイロンで伝える紀元前 543 年に誕生したという説 。
>
現在、世界的に通用している打撃は 1956 年、ネパールの首都カトマンズで開かれた第 4 回世界仏教徒大会で違法の起源について議論して、当該年度の 1956 年を 2500 年に共通的に適用することを決意したのだ 。 これは、タイとミャンマーなどの南方仏教で使っていた打撃が採用されたものである 。 だから韓国で本来使っていた北方吹き (3040 年 ) とは、約 500 余年の差がある 。 北方仏教と南方仏教は打撃年代を計算する方法においては、多くの違いを示している 。 その学説は多様だけでなく、お互いかなり根拠を提示しているので、両方の無視することはできないことができる 。 1960 年代を基準にすると北方仏教は 1973 年に燃えた 3000 年になる年と見ている 。 これらの北方仏教の連帯は、中国では数千年の間受け継がれ、韓半島では、1500 年の間に使用されている 。
>
1967 年、ミャンマーで世界仏教大会で吹き ( 佛紀 ) の使用に関する年代が北方と南方が異なる点を一つの共通年代表記にすることを決意したが、南方仏教の年代を使用することを決意した 。 南方仏教と北方仏教の吹き年代の違いは、なんと 500 年の差がある 。 これらの合意点を得たが、北方仏教の地域にある多くの終端と寺院は継続的に、従来の吹き年代を使ってきていた 。 韓半島は千数百年の間に吹き 3000 年説を使用した 。

[183] 
[[大韓民国]][[江原道]]の[[건봉사]] ([[乾鳳寺]]) 
の[[大方広仏華厳経]]石柱の写真 ([[縦書き]])

>佛紀二九五五戊辰夏

[TIME[西暦1928年][year:1928]]と説明され、ζ型。
(>>182 に別アングル)

[179] 同じく[[乾鳳寺]]の[[不二門]] ([[불이문]]) の写真。
扁額に
「不二門重建丹靑大施主 雪巖堂奉欣 佛紀二九五五年戊辰四月日」
と墨書されているとのことだが写真では確認できない。
[TIME[西暦1920年][year:1920]]建立。
(同趣旨の説明が >>178 にもある。)
扁額というのが写真に写っているものではなく他にあるのか?
その紀年と建立年は同じなのか?
同年だとするとζ型と8年違う。

[[大韓民国]][[忠清南道]][[論山市]]の[[개태사]] ([[開泰寺]])
の[[上樑文]] ([[상량문]]) の写真 ([[縦書き]])

>
佛紀三千七年庚申八月二十八日午時

[TIME[西暦1980年][year:1980]]と説明され、ζ型。



[176] 
[[大韓民国]][[忠清南道]][[鶏竜山]]にある[[東鶴寺]]大雄殿の紀年の写真。

>
[BOX(vertical)[
佛紀

二千

九百

六十

二年

五月

竣功

]BOX]

[TIME[西暦1935年][year:1935]]と説明され、ζ型。

;; [180] 写真は >>165 と同じもの。どちらがオリジナルか不明。
釈読は画像作者によるもので、
該当部分が拡大されているものの写真からは判読不能。


]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[181] [CITE@ja[한국사 시간여행자 밴드 : 석가모니 탄생 해는 언제인가? 약 3천년전인가? 2천 5백년전인가? 2017년은 불기 2561년입니다. . 정말 그럴까요? ◈남방불기와 북방불기 무엇이 맞을까요? ○ 남방불기... | BAND]], 
[[시간여행자]],
2017年5月1日 午後9:57,
[TIME[2020-03-07 18:07:50 +09:00]] <https://band.us/band/59634353/post/12299>
]FIGCAPTION]

>○ 남방불기 - 태국, 미얀마 등 동남아시아에서 씀. BC 544년 사용 → 현재 2561년(2017년)

β

>
○ 북방불기 - 중국, 한국, 일본 등에서 씀. BC 1026(계축)년 사용 → 현재 3044년(2017년)

ζ

>
◈우리나라에 불교가 최초 수입된 것은 고구려 시대로 알려져 있습니다.그때부터 1962년까지 1600년 동안 북방불기를 사용하였습니다. 우리는 북방불기를 사용해왔습니다. 남방불기로 500년이 깍이게 된 것은 불과 55년밖에 되지 않습니다.
>
1956년 네팔의 수도 카트만두에서 개최된 세계불교도우의회(WFB)에서 각국의 통일된 불기 사용을 위해 남방불기를 사용하기로 의결한 것에 기인하여 우리나라는 1962년 캄보디아에서 열린 제 6차 회의에 청담스님 등을 파견시켜 처음 참가한 후 왕조중심의 남방불기를 채택하게 됩니다.

[[Google翻訳]]

>○南方吹き-タイ、ミャンマーなど東南アジアで書くこと。BC 544年の使用→現在2561年(2017年)
>○北方吹き-中国、韓国、日本などで書くこと。BC 1026(ギェチュク)年使用→現在3044年(2017年)
>◈韓国の仏教が最初輸入されたのは、高句麗時代として知られています。それから1962年までの1600年の間に北方打撃を使用しました。私たちは、北方打撃を使ってきました。南方吹き500年刈り機がされたのは、わずか55年しかありません。
>
1956年、ネパールの首都カトマンズで開催された世界仏教徒連盟(WFB)で、各国の統一された吹き使用のために南方打撃を使用することに議決したことに起因して、韓国は1962年にカンボジアで開かれた第6回会議に清潭僧侶などを派遣させて初めて参加した後、王朝中心の南方打撃を採用しています。


>대구 팔공산 동화사에 있는 다리 완공일자에 쓰인 북방불기 기록입니다. 불기 2991년 甲辰 4月로 되어있네요. 갑진 4월이면 1964년입니다.

[[Google翻訳]]

>大邱八公山桐華寺の足完成日に書かれた北方吹き記録です。吹き2991年甲辰4月になっていますね。ガプジン4月に1964年です。

[[大韓民国大邱広域市]]の[[桐華寺]]にあるという石に
「佛紀二九九一年甲辰四」と掘られた写真。
ζ


>佛紀 二九五五 戊辰夏" 환산하면 1928년 무진여름이다.

[182] >>183 の石柱の別アングル写真。

>제주 금붕사 범종 불기 2999년이라 적혀있다

[[Google翻訳]]

>済州の金ホウ砂梵鐘吹き2999年と記されている

>불기 二九九九년 五월

[[大韓民国]][[済州市]]の[[金鵬寺]]の梵鐘の写真 ([[縦書き]])

[184] 
[[大韓民国]][[忠清南道]][[鶏竜山]]にある[[東鶴寺]]大雄殿の紀年の写真。
>>176 と同じ画像。

[185] 
[[大韓民国]][[江原道]]にある[[洛山寺]]の
「洛山寺再建記念」([[縦書き]]) 碑文
「佛紀二九七九年壬辰十一月 日」 ([[縦書き]])
の写真。
[TIME[西暦1952年][year:1952]]と説明され、ζ型。



]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[191] [CITE[[[건봉사]] :: 방명록 (3 Page)]], [TIME[2020-03-07 19:08:35 +09:00]] <https://www.geonbongsa.org/guestbook?time=1471927124>
]FIGCAPTION]

>이화형 2015.10.10 20:36  수정/삭제  댓글쓰기
>[SNIP[]]
불이문 들어가자 마자 10미터 앞 범종각앞 기둥에 佛紀 二九五五 戊辰夏로 되어있는데, 2015년 현재는 불기로 2559년으로 알고 있는데 어떻게 현재보다도 396년이나 후인 2955년을 돌기둥에 새기게 되었는지 이해가 안되기에 여쭈어 봅니다
>    건봉사 2018.08.23 10:09 신고  수정/삭제
>    답변이 늦었습니다.
>    ○ 남방불기
>    - 태국, 미얀마 등 동남아시아에서 씀. BC 544년 사용
>    → 현재 2562년 (2018년) (부처님 입멸기준)
>    ○ 북방불기
>    - 중국, 한국, 일본 등에서 씀. BC 1026 (계축)년 사용
>    → 현재 3045년 (2018년)
>    ◈ 우리나라에 불교가 최초 들어온 것은 고구려 시대로 알려져 있습니다.
>    그때부터 1962년까지 1600년 동안 북방불기를 사용하였습니다.
>    건봉사의 아미타불 석주(봉황석주/ 범종각 옆)는 불기 2955년 (북방불기 / 서기1928년)입니다.

[[Google翻訳]]

>[SNIP[]]
不二門入ってすぐに10メートル先梵鐘閣の前の柱に佛紀二九五五戊辰夏になっているが、2015年現在では打撃で2559年に知っているがどのように現在のより396年も後の2955年に石柱に刻まれていることを理解られないの伺いします
>
○南方吹き
>-タイ、ミャンマーなど東南アジアで書くこと。BC 544年の使用
>→現在2562年(2018年)(仏入滅基準)

β

>○北方吹き
>-中国、韓国、日本などで書くこと。BC 1026(ギェチュク)年使用
>→現在3045年(2018年)

ζ

>
◈韓国の仏教が最初入ってきたのは、高句麗時代として知られています。
それから1962年までの1600年の間に北方打撃を使用しました。
>ゴンボンサの阿弥陀仏石柱(鳳凰石柱/梵鐘閣横)は、打撃2955年(北方吹き/西暦1928年)です。

ζ

]FIG]

;; [192] さすがに回答遅れすぎにもほどがあるだろw
]REFS]

* 大韓民国

[234] 
[[大韓民国]]の[[仏教]]では、[[大韓民国の紀年法][朝鮮半島の紀年法]]たる[[西暦]]と共に、
[[仏暦]]β型もよく用いられているようです。
例えば最大の[[仏教]]団体の[[大韓仏教曹渓宗]]は、
文書に[[仏暦]]βと[[西暦]]を併記しているようです。
古い時代についての記述では、[[即位紀年]]や[[元号]]も併記されることがあるようです。


[459] 
[[西暦1960年代][60年代]]にαを採用しました。
さらに[TIME[西暦1970年][year:1970]]頃にβを採用し、現在に至っています。
[TIME[西暦2007年][year:2007]]に一部でαが使われましたが、
現在 [[Web]] でみられる用例のほとんどはβです。

[EG[
[511] 
例えば佛教メディアのWebサイトには
「불기 2564(2020)」β
と現在年の表示があります。 
[SRC[>>235]]
]EG]

** 大韓民国の北方仏紀

[607] [[大韓民国]]建国の頃は、前時代に続き[[北方仏紀]]が使われていました
(>>562)。

- [656] [RUBY[奉寧寺][봉녕사]] (現[[大韓民国]][[京畿道]][[水原市]])
세주묘엄박물관 (博物館) 展示文書
「應化二九七六年己丑五月十六日」 [SRC[>>653]]
-- 仏暦2976年 [TIME[西暦1949年][year:1949]] ζ
-- 應化 = 응화
- [622] 洛山寺再建記念碑銘文「佛紀二九七九年壬辰十一月 日」 [SRC[>>181]]
-- 仏暦2979年 西暦1952年 ζ
- [655] [RUBY[奉寧寺][봉녕사]] (現[[大韓民国]][[京畿道]][[水原市]]) 塔銘文 
「佛紀二九八七年庚子九月九日」 [SRC[>>653]]
-- 仏暦2987年 [TIME[西暦1960年][year:1960]] ζ
- [620] 桐華寺「佛紀二九九一年甲辰四」 [SRC[>>181]]
-- 仏暦2991年 西暦1964年 ζ
- [621] 金鵬寺梵鐘「불기 二九九九년 五월」 [SRC[>>181]]
-- 仏暦2999年
- [618] 開泰寺上樑文「佛紀三千七年庚申八月二十八日午時」 [SRC[>>177]]
-- 仏暦3007年 西暦1980年 ζ

[REFS[
- [653] [CITE@ko[봉녕사 탑에 불기 2987년이 의미하는 것은]], 
2018-05-23 16:28:16최종, 업데이트 : 2018-05-24 10:21:08, 작성자 : 시민기자   [[한정규]],
[TIME[2020-04-08 15:37:36 +09:00]] <http://news.suwon.go.kr/_Ext/news/viewPrint.php?reqIdx=201805231628166085>
-- [[Google翻訳]] 「スリランカBC543年、タイとミャンマーはBC544年だった。1956年WFBの世界仏教徒大会で仏入滅2500年を記念して、南方吹き基準の、タイとミャンマーのBC544年を公式ゆるめると採択ある」
]REFS]

** 南方紀元への移行

[230] 
[[大韓民国]]で使われた[[仏暦]]は、
[TIME[西暦1962年][year:1962]]まで[[北方仏紀]]、
その後[[南方仏紀]]に移行した
[SRC[>>177, >>191, >>181]]
とする説があります。
[TIME[西暦1962年][year:1962]]に[[カンボジア]]で開催された第6回[[世界仏教徒会議]]に初参加したことが契機になったための変更 [SRC[>>181]]
と説明されます。
ところが実際の第6回[[世界仏教徒会議]]は、
[TIME[西暦1961年11月][1961-11]]に開催されました (>>220)。

[233] 
ただの書き間違いの可能性もありますし、
会議参加と変更が2年にわたっていたのを略したため両方とも[TIME[西暦1962年][year:1962]]と書かれてしまった可能性もあります。
[TIME[西暦1962年][year:1962]]が切り替えの前なのか後なのか、中途なのかもはっきりしません。
決定と施行が2年にまたがっていた可能性もあります。
[[仏暦]]α型、β型の1年のずれによる換算の誤りの可能性もあります。

[247] 
根拠の曖昧なこの[TIME[西暦1962年][year:1962]]説より、
次に示す[TIME[西暦1966年][year:1966]]説の方が信憑性が高いと思われます。
[TIME[西暦1962年][year:1962]]説は誤りなのでしょうか。
それとも移行の何らかの段階を表してはいるのでしょうか。


[246] 
[TIME[西暦1966年][year:1966]]、
[[大韓仏教曹渓宗]]の第13回
조계종 중앙종회(임시회) (中央宗議会臨時会) 
は、
[[世界仏教徒会議]]の[[仏暦]]α型の採用を決定しました。 
[SRC[>>240, >>251, >>306]]

[231] 
その後の調査でこの時の決定の詳細は発見できなかった (>>340)
といいます。決定の事実自体は確認されたのでしょうか。
[[世界仏教徒会議]]のような[[西暦]]との併記の表記法について、
[[大韓民国]]でどう表記するかは議論されなかった [SRC[>>306]]
といいます。

[288] 
[TIME[西暦1966年8月11日][1966-08-11]]、
[[大韓民国]]は[[世界仏教徒会議]]決議に基づき[[仏暦]]を採用しました。
[SRC[>>282]]
これがどの機関の決定なのか、 >>246 との関係はどうなのか不明です。


[232] 
[TIME[西暦1962年][year:1962]]説も[TIME[西暦1966年][year:1966]]説も、
[[世界仏教徒会議]]に基づくという点は一致しています。
しかしいずれも具体的にどの決議なのかは明らかにしていません。
(>>260, >>229, >>228)


[254] 
[TIME[1967-04-23]]、
[[大韓民国]]の仏教メディア
[CITE[법보신문]]
[WEAK[(当時[[大韓民国]]唯一の仏教メディア)]]
がα型を採用しました。それ以前は[[北方仏紀]]を採用していました。
[SRC[>>251]]


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[639] 
[CITE[[[統一朝鮮年鑑]] - Google ブックス]], 
[[統一朝鮮新聞社]], 
1967,
[TIME[2020-04-07 12:00:48 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=KegMAAAAIAAJ&q=%E4%BB%8F%E7%B4%80>
]FIGCAPTION]

>523 ページ
三大再幕してきた仏紀を WFB (世界仏教教団)に従い・巧 10 年に改め・ 67 年をあ 11
年にすることと・無柑色の袈裟を黄色にかえ・卍印の仏教砥を 5 色旗江かえることに
決定した。このよぅにして仏教界においても柏神革命もとも俄式革命キは徐々に進んで
いる ...

1967年 = 2511年とするとβ

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[644] [CITE[[[새 불교 운동 의 전개: 성찰 로 본 20세기 우리 불교]] - [[김광식]] - Google ブックス]], 
2002,
[TIME[2020-04-07 15:44:20 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=_7oJAQAAMAAJ&q=%E4%BD%9B%E7%B4%80>
]FIGCAPTION]

>432 ページ
또한 그 선언문 의 말미 에는 '佛紀 2512 년 (西紀 1969 년 ) 6 月日發起人一同'
이라는 표현 이 전하고 있다 . 

[[Google翻訳]]

>もその宣言の末尾には「佛紀 2512年(西紀1969年)6月日發起人一同」
という表現が伝えている。

α

]FIG]

]REFS]

** 1年のずれの発生

[248] その後いずれかの段階でα型からβ型に移行しました。


[253] 
[[大韓民国]]の週刊仏教メディア
[CITE[대한불교]]
は、
[TIME[1970-09-20]]発行号に
「佛紀 2513年 9月 20日」
とあり、
[TIME[1970-09-27]]発行号に
「佛紀 2514年 9月 27日」
とあり、
ここで1年進んでいました。ところが変更の説明は何もありませんでした。
[SRC[>>251]]

[250] 
その他の有力説に、
1970年代に[[スリランカ]]との交流で1年ずれたとする説がありました。
[SRC[>>240]]
([TIME[西暦1969年][year:1969]]第9回[[世界仏教徒会議]] (>>359)
と関連付けた >>333 か。)

[249] 
[TIME[西暦1970年10月][1970-10]]に[[ソウル]]で開催された[[世界仏教指導者会議]]との関連を指摘する説もありました。
(>>333)

[508] 
[TIME[西暦2007年][year:2007]]の騒動で変更の理由が調査されましたが
(このとき >>253 が判明しました)、収穫は得られなかったようです。
約40年後で、当時の意思決定層は難しいとしても、
その時代を過ごした人がまだ生存していたはずなのに、
有力な証言も資料も見つけられなかったというのは不思議です。

[509] 
状況から、
組織的な決定による変更ではなく、なし崩し的に変化したものとみられます。
当時の仏教界ではほとんど[[仏暦]]が用いられなかったか、
新聞を見て記入する程度の非日常な存在でしかなかったのでしょう。

[REFS[



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[642] [CITE[[[中村元の世界]] - Google ブックス]], 
1985,
[TIME[2020-04-07 13:02:42 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=G2-GAAAAIAAJ&q=%E4%BB%8F%E7%B4%80>
]FIGCAPTION]

>.. q 引 HT 」(仏紀二五二一年、韓日日韓仏教交流協議会合同発会式記念学術大講演
会、一九八四年八月)
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[641] 
[CITE[[[East]] - Google ブックス]], 
第 15 号,
東方学院, 1999,
[TIME[2020-04-07 13:01:11 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=am8yAQAAIAAJ&q=%E4%BB%8F%E7%B4%80>
]FIGCAPTION]

>「韓'日仏教交流^
原点# 4 |卫斜^」(仏紀ニ五ニー年,韓日日韓仏教交流協議会合同発会式記念学術大
講演会) 
]FIG]

;;
[643] 
[[韓日日韓仏教交流協議会合同発会式]]は[TIME[昭和52(1977)年10月][1977-10]]。β



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[640] [CITE[[[世界]] - Google ブックス]], 
第 7~9 号,
1978,
[TIME[2020-04-07 12:38:12 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=BuOFAAAAIAAJ&q=%E4%BB%8F%E7%B4%80>
]FIGCAPTION]


>202 ページ
しかし、朴熙氏は退陣はもとより、強権政治を緩和する兆しも見せず、四月二十九日、第
二期の「統代」選挙を五月十八日に実施すると公告した。「統代」の定数は二千人以上、
五千人以下と憲法では規定しており、第一期の定数は二千三百五十九人だったが、第二期は全国一千六百六十五選挙区の二千五百八十三人
と公告された。単純計算では一選挙区当たり一・六人の選出である。この「統代」選挙に
...
まず、五月八日午後、国立ソウル大の学生
約千五百人が構内デモを行い、リーダー格の学生二十二人が警官隊に連行された。

>
254 ページ
五月八日のソウル大学のデモは、法科大学と師範大学が中心になって千名以上の学生
が参加したものであった。学生たちは機動隊におれながらも投石戦を展開した。五月一
四日は釈迦誕生日であった。そのために次参島のいわゆる「五・一六広場」では
、四十万の仏教信徒が集まって奉祝大法会を催した。その最中に「仏紀二五二二周年・
仏さま来られた日」という油印物がばらまかれた。そして、その次の日、仏教系大学である東国大学でも、千枚以上の同じビラがばらまか
れたそうである。それは長い間沈黙していた東国大学の学生たちの動きでさ思想的、
精神 ...

;; [638] 「[[統代]]」選挙・・・[[統一主体国民会議第二期代議員選挙]]、
[TIME[西暦1978年5月18日][1978-05-18]]投票

1978年が2522年なら、β

]FIG]

- [251] [CITE@ko[불교언론-한국 사용 불기 2550년 틀렸다 - 법보신문]], 
[[법보신문]],
승인 2006.08.21 09:51,
[TIME[2020-03-08 15:10:55 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=42654>
-- [[Google翻訳]]「現在、仏教が急速に伝播されている西欧圏をはじめとするアジアの大半の仏教国で使用されている打撃」α
]REFS]

** 西暦1990年の事件

[262] 
[TIME[西暦1990年][1990-10]]、
第17回[[世界仏教徒会議]]
(21 - 29 October B.E. 2533 (1990))
が[[大韓民国]]で開催されました (>>392)。
このとき、
[[世界仏教徒連盟]]中央本部職員が[[大韓民国]]の[[仏暦]]のずれに気づき、
問題を提起しました
[SRC[>>256]]。


[266] 
当時[[世界仏教徒連盟]][[大韓民国]]本部の
사무국장
(事務局長)
だった
이치란
위원
(委員)
によると、
[[仏暦]]の問題のために、
[[世界仏教徒連盟]]中央本部が作成した共同宣言文以外のすべてで[[西暦]]を使わざるを得ませんでした。
[SRC[>>256]]
配布資料案を何度も修正することになるなど、
文書制作は困難を極めました [SRC[>>271]]。
[[世界仏教徒会議]]で[[西暦]]が使われたのは、前にも後にもこのときだけでした
[SRC[>>271、当時の写真あり]]。
[[西暦]]を使うことになったのは、
서울대회
(ソウル大会)
대회장
(大会長)
だった
서경보
の意見によるものでした [SRC[>>271]]。
서경보
の大会挨拶は
2534年βとされましたが、
中央本部で作成された宣言文は
2533年αとしており、
2つの[[仏暦]]が混在したのも前代未聞でした [SRC[>>271]]。

;; [384] 実際には[[世界仏教徒会議]]で[[西暦]]が使われることは珍しくなく
(むしろ多い)、何が初めてだったのかは慎重に見極める必要があります。

[272] 
[TIME[西暦1989年5月][1989-05]]、
[[世界仏教徒連盟]]は[[大韓民国]]に、
[[仏暦]]の修正を要請しました [SRC[>>282]]。
[[이치란]]
によると、
準備中[[タイ]]の中央本部と何度も行き来して打ち合わせを行い、
中央本部は標準の[[仏暦]]を使用することを要求したのに対し、
[[大韓民国]]側の組織委員会は統一の重要性を認識せず、
これを拒みました
[SRC[>>271]]。



[264] 
이재창 (>>261)
の説明によると、
[[世界仏教徒連盟]][[大韓民国]]本部の
회장
(会長)
の
박동기 
教授は、
[[大韓民国]]本部理事会を招集し、
[[仏暦]]を修正することを決定し、
各宗派に修正を要求する文書を送付しました。
[SRC[>>256]]
この時期は[TIME[西暦1993年1月][1993-01]]で会議直後と説明されています [SRC[>>256]]
が、
第17回会議の直後とはいえず、
第18回会議 (27 October – 3 November B.E. 2535 (1992)、[[台湾]])
よりも後であって不審です。

[265] 文書送付はその年 ([TIME[西暦1993年][year:1993]]?)
の2月でしたが、
秋開催の
종단 정기총회
(宗派定期総会)
で議論されることなく、放置されました。
[SRC[>>256]]


[REFS[
- [271] [CITE@ko[불교언론-서기 쓴 WFB행사 90 서울대회뿐 - 법보신문]], 
2006.09.04 09:55,
[TIME[2020-03-08 18:48:02 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=42868>
]REFS]

** 西暦2007年の騒動

[510] 
[TIME[西暦2006年][year:2006]]頃から[TIME[2008年][year:2008]]頃にかけて、
βからαに変更するべきではないかと仏教界全体を揺るがす大論争が巻き起こりました。
当初はβは誤りでありαに修正するべきとの主張が大勢を占めましたが、
最大宗派が現状維持を主張し、移行は進みませんでした。
結局αに移行するべき根拠に乏しいと結論付けられ、
大山鳴動してうんたらかんたらというような騒ぎでした。



[241] 
以前から仏教学者や僧侶には[[大韓民国]]の[[仏暦]]が誤っていると指摘する者があり、
海外との関係で問題が生じることもありましたが、
対策は講じられてきませんでした。
修正されると大韓民国仏教の歴史とアイデンティティーが傷付けられるため、
とされていました。
[SRC[>>240]]

[261] 
[[동국대학교]]
([[東國大學校]])
の
명예교수
([[名誉教授]])、
이사
([[理事]])
の
이재창
は、
講義でたびたび[[大韓民国]]の[[仏暦]]の誤りを指摘していました。
[SRC[>>256]]


[267] 
이치란 
(>>266)
は、
西暦1980年代に[[タイ]]を訪問して以来[[大韓民国]]の[[仏暦]]の誤りを調べていたといい、
国際行事で[[大韓民国]]の[[仏暦]]を外国側からたびたび不思議に思われていたといいます。
[SRC[>>256]]

-*-*-


[252] 
[TIME[西暦2006年8月21日][2006-08-21]]、
[[大韓民国]]の仏教メディア
[CITE[법보신문]]
は、
[TIME[1970年][year:1970]]の新聞でα・βの1年のずれが発生した (>>253)
ことを突き止め、
当時の[[大韓民国]]の[[仏暦]]βは誤っていたと報じました。
[SRC[>>251]]

[255] 
記事によると、
[[世界仏教徒会議]]上級副会長の
양장운
は、過去の誤記が今に続くと聞いたことがあるとした上で、
[[大韓民国]]の誤りが国際的な場で混乱を招くおそれを指摘しました。
불교방송
(仏教放送)
の
홍사성
상무
(常務)
は、国際化が進む中で問題になるので、
正式な手続きで修正するべきだとしました。
[SRC[>>251]]



[257] 
報道を受け、
[[世界仏教徒連盟]][[大韓民国]]本部の
임선교 
회장 (会長)
は、
[TIME[翌年6月][2007-06-19]]に予定されていた
세계불교도우의회 사전 세미나
([[世界仏教徒連盟]]事前セミナー)
で仏紀誤り問題を正式議題として上程し、
改正を求めること、
한국불교종단협의회
(韓国仏教宗派協議会)
を通じて各宗派に修正を求める文書を送付することを方針として示しました。
世界的に統一されているのに[[大韓民国]]だけが誤っており、
困難でも必ず改正しなければならないとしました。
[SRC[>>256]]

[259] 
진각종 
([[大韓佛敎眞覺宗]])
통리원장 
(統理院長)
[[회정]] ([[悔淨]])
정사
([[世界仏教徒連盟]][[大韓民国]]本部の
이사
(理事))
は、
ずれていることは既知だったが原因が不明で問題提起されなかったとし、
判明したからには翌年のセミナーで修正すると述べました。
[SRC[>>256]]



[268] 
조계종 총무원
(曹渓宗総務院)
関係者は、
[TIME[西暦2006年4月][2006-04]]に[[中華人民共和国]][[杭州]]で開催された[[世界仏教フォーラム]]のパンフレットが
2500年βとすることから、
修正は不要とコメントしました。
[SRC[>>256]]
(>>269)


[270] 
[TIME[21日][2006-08-21]]の報道 (>>252) のわずか
1週間後の[TIME[28日][2006-08-28]]の報道で、
[[仏暦]]の誤りは恥ずべきもので修正するべき、
今まで専門家や媒体は何をしていたのだ、
との読者や専門家の多数の見解が示されました
(>>257, >>259, >>261, >>267 など、 >>268 のみ反対)。
이치란 
(>>266)
は、世界標準の[[仏暦]]を誤っているのは[[大韓民国]]だけであって、
早急に修正の議論が必要だとしました。
[SRC[>>256]]

[275] 
[TIME[9月4日][2006-09-04]]、
[[大韓民国]]の第1, 第2の規模の宗派が修正に積極的だと報じられました。


[273] 
조계종 종회의원 
(曹渓宗宗議員)
の
초격
は、根拠のない独自の[[仏暦]]は国際化にそぐわず、
今次の臨時中央宗議会で提起するとしました。
종회의원
(宗議員)
の
의연
は、
何年も放置し続けてきたことを反省しなければならず、
宗派で議論するよう最善を尽くすとしました。
조계종 총무원 사회부장
(曹渓宗総務院社会部長)
の
지원 
は、
間違いは当然修正しなければならず、
調査を開始し改正の先頭に立つとしました。
[SRC[>>271]]

[274] 
[[한국불교태고종]]
([[韓国仏教太古宗]])
は、
[[世界仏教徒連盟]]の正式な改正の文書があれば積極的に対応するとしました。
태고종 사회부장 
(太古宗社会部長)
の
법현
は、
[[大韓民国]]だけの独自[[仏暦]]は恥ずべきことで、
宗務会議に上程して検討するとしました。
[SRC[>>271]]

[278] 
[TIME[9月][2006-09]]、
[[世界仏教徒会議]]の[[大韓民国]]本部は、
中央本部に[[大韓民国]]の[[仏暦]]について報告しました。
[SRC[>>276]]

[277] 
[TIME[9月29日][2006-09-29]]、
報告を受けて[[世界仏教徒会議]]中央本部は、
한국불교종단협의회
(韓国仏教宗派協議会)、
태고종
(韓國佛敎太古宗)、
천태종
(大韓佛敎天台宗)、
진각종
(大韓佛敎眞覺宗)
ほか各宗派に対し、
[[仏暦]]の修正を公式に要請する文書を送付しました。
中央本部事務総長の
[[Phallop Thaiarry]]
は、
α型が正しく[[大韓民国]]のβ型は誤りで、
修正が必要だとしました。
その理由として、
西暦1950年の第1回[[世界仏教徒会議]]が2493年と記録されたことα、
[[世界仏教徒連盟]]加盟国のすべてのイベントでα型を正式に使用していることを挙げました。
[SRC[>>276]]

[279] 
なお、
[[Phallop Thaiarry]]
は、
[[仏暦]]がどう利用するかは加盟国の裁量に委ねられるとしましたが、
[[世界仏教徒連盟]]副会長の
양장운
との電話会談で、
[[大韓民国]]が[TIME[西暦1956年][year:1956]]の[[世界仏教徒会議]]決議を踏まえているなら[[仏暦]]α型を使わなければならないという意味だ、
と説明しました。
[SRC[>>276]]

[283] 
[[世界仏教徒連盟]]に強制力はなく、
また国内事情に訂正依頼を出すのも異例のことだといいます。
[CITE[법보신문]]
は、
[[中華人民共和国]]に輸出した (>>269) など周辺国に悪影響を与え続けていることが原因にあるとしました。
[SRC[>>282]]

[327] 
종단협 = 한국불교종단협의회
(韓国仏教宗派協議会)
の
사무총장 (事務総長)
の
[[홍파]]
(관음종 (観音宗)
の
총무원장 (総務院長))
は、
[[世界仏教徒連盟]]からの正式な要請を受け、
誤りを放置することはできないとし、
速やかに
이사회
(理事会)
を開いて各宗派と正式に議論するとしました。
[SRC[>>326]]

[328] 
[TIME[10月17日][2006-10-17]]に[[世界仏教徒連盟]]大韓民国本部の新しい
회장
(会長)
に指名された
진각종 (眞覺宗)
통리원장 (統理院長)
の
[[회정]]
は、
国際化が進む中で恥であるとし、
韓国仏教宗派協議会を通じて各宗派と議論しながら眞覺宗が主導して修正する方針だとしました。
[TIME[翌西暦2017年10月][2017-10]]に予定される[[世界仏教徒連盟]]国際学術フォーラムでα型を使う予定だとしました。
[SRC[>>326]]

[329] 
태고종 (太古宗)
と
천태종 (天台宗)
も、それぞれの宗務会議で正式に問題を確認していたと報じられました。
[SRC[>>326]]

[330] 
一方、
조계종 (曹渓宗)
関係者は、
まだ[[世界仏教徒連盟]]の要請文書を受け取っておらず、
受け取っても主要宗派が集まって決めることではなく、
韓国仏教宗派協議会で意見を集めて慎重に検討するべきだ、
と消極的な見解を示しました。
[SRC[>>326]]


-*-*-


[290] 
[TIME[11月][2006-11]]、
[[大韓仏教曹渓宗]]の
조계종 중앙종회
(曹渓宗中央宗議会)
정기회
(定期会)
が開催されました。
종회의원 (宗議員) の
[[성묵]]
が[[世界仏教徒連盟]]の修正の要請への対応を質したのに対し、
총무원 기획국장 (総務院企画局長)
の
[[원철]]
は、
한국불교종단협의회
(韓国仏教宗派協議会)
と資料を収集し歴史的経過を検討すると共に、
[[世界仏教徒連盟]]を通じて各国の学説を総合的に検討する、
幅広い議論が望ましいとの見解を表明しました。
[SRC[>>289]]

[291] 
[CITE[법보신문]]
は、
[[원철]]
の答弁は、
当初3年間
조계종 중앙종회
(曹渓宗中央宗議会)
の
결의
(決議)
によりα型を用い、誤ってβ型に変わったのを見落としていること、
当時[[中華人民共和国]]もβ型を使っていたとしたことを批判しました。
[SRC[>>289]]

[293] 
[[성묵]]
は、質問後の取材に対し、
[TIME[西暦1966年][year:1966]]の決定後単純な誤りでβ型になったとわかったので、
公聴会などで正確な原因を知り、間違いなら正さなければならないとしました。
[[大韓民国]]が誤っていることは明白で、
現在のみならず将来のために一刻も早く修正が必要だとしました。
答弁に対しては、
[CITE[법보신문]]
報道を無視しており、
[[文化大革命]]の[[中華人民共和国]]や、
[[世界仏教徒会議]]開催地の[[ネパール]]がβ型を使ったはずがない、
と非難しました。
調査の進行を見守り、進展がなければ宗派で特別委員会を設置する意向を示しました。
[SRC[>>292]]


-*-*-

[299]
こうした修正派に対し、現行β型から慌てて修正する必要はないという意見も少なくなかったようです 
[SRC[>>297]]。

[243] 
[TIME[西暦2007年1月][2007-01]]、
[[大韓仏教曹渓宗]]の
총무원장 
(総務院長)
の
[[지관]] 
(韓国仏教宗派協議会の
회장 (会長))
は、
新年記者会見で、[[仏暦]]は修正しないと述べました。 [SRC[>>240]]

-*-*-

[237] 
[TIME[西暦2007年5月10日][2007-05-11]]、
[[世界仏教徒連盟]][[大韓民国]]本部
([[World Fellowship of Buddhist Korea Regional Centre]]、[[WFBK]])
は、定期
이사회
(理事会)
で、
[TIME[10月][2007-10]]の第1回[[世界仏教徒連盟国際会議]] (>>307) で[[仏暦]]を
2550年αとすると決定しました。
これは[[大韓民国]]仏教界がβ型からα型に訂正する初めての決定と報じられました。
[SRC[>>343, >>294]]

[295] 加えて、
[[大韓民国]]仏教界全体で修正するため、
한국불교종단협의회
(韓国仏教宗派協議会)、
[CITE[대한불교]]、
조계종 중앙종회
(曹渓宗中央宗議会)、
国際交流団体などに通知しα型を普及させていく予定であり、
そのためには韓国仏教宗派協議会レベルで議論と実践していく必要があるとの認識で関係者らは一致していたといいます。
[SRC[>>294]]

[344] 
理事会参加者の1人は、
β型への固執は国際交流を放棄し時代に逆行するもので、
今回のα型採用が修正につながるものだと期待を示しました。
이사
(理事)
や関係者は、
[[中華人民共和国]]など周辺国にも影響を与えることになると予測しました。
[SRC[>>294]]


-*-*-

[242] 
[TIME[西暦2007年7月19日][2007-07-19]]、一般紙
[CITE[ソウル新聞]]
で問題が報じられました。
[SRC[>>240]]


[245] 
[TIME[翌年西暦2008年5月][2008-05]]に[[大韓民国]]で開催予定の第4回[[仏教学結集大会]]の準備委員会は、
記者会見で、
2551年αを採用すると発表しました
[SRC[>>240, >>297]]。



[236] 
[TIME[西暦2007年9月][2007-09]]、
[[大韓仏教曹渓宗]]の
제174회 조계종 중앙종회(임시회)
(第174回中央宗議会臨時会)
が開催されました。
[TIME[3日][2007-09-03]]、
議題が決定され、
[[大韓民国]]の当時の[[仏暦]]が当初の宗の決定や世界とずれている問題についての불기사용문제해결을위한특별위원회
(仏紀使用問題解決特別委員会)
を、
[[주경]]
を含む5名で構成するべきことが上程されました
[SRC[>>235 18., >>238]]。
[TIME[5日][2007-09-05]]、
特別委員会を設置することと委員選出を議長団に一任することが満場一致で決議されました
[SRC[>>239, >>240, >>297]]。
[[大韓民国]]の当時の[[仏暦]]は誤っており、
修正が必要なため調査すると議論された [SRC[>>240]] ようです。

[244] [[주경]]
は、
[[世界仏教徒連盟国際会議]]や[[仏教学結集大会]]がα型を採用した以上、
現行β型にこれ以上固執できなくなり、
宗派レベルで修正のため早急に対策が必要になったとしました。
[SRC[>>297]]

[298] 
[[曹渓宗]]当局はここまで変更を渋っており、
これは電撃的な決定でした [SRC[>>240]]。
修正の発表が相次いだことで問題を放置できなくなったための方針転換とされました
[SRC[>>240, >>297]]。

-*-*-

[301] 
[TIME[9月19日][2007-09-19]]、
불기사용 문제 해결을 위한 특별위원회
(仏紀使用問題解決特別委員会)
は、第1回会合を開催しました。
[SRC[>>300]]

[302] 
5名の委員中、
発議した
[[주경]]
と
[[선문]]、
[[성묵]]、 
[[보인]]
の4名が参加し、
[[주경]]
を満場一致で
위원장
(委員長)
に選出しました。
[SRC[>>300]]

[303] 
会合では現状が報告され、今後の活動計画が詰められました。
まずα型が採択された第13回臨時中央宗議会の議事や
β型に移行した[TIME[西暦1970年][year:1970]]当時の関係者を調査すると共に、
[[世界仏教徒連盟]]の協力を仰いで各国の現状を把握し、
各宗派の状況も調べることとしました。
それを踏まえて
한국불교종단협의회 (韓国仏教宗派協議会)
との連絡会議を開催し、
修正の正当性を示して各宗派代表の意見を求めることとしました。
加えて、
修正による混乱の防止策を専門家と検討することとしました。
[SRC[>>300]]

[304] 
また、前年の中央宗議会当時、企画室が、
簡単に決められる問題ではなく、
[[公聴会]]で慎重に検討する必要があると表明したことが槍玉に挙げられました
(>>330 か?)。
[[주경]]
は、
[[公聴会]]は大人数を集めて決定するためのもので、
一方[[仏暦]]問題は決定事項を理由なく勝手に変えた問題であって、
その経緯を調べて正す必要があり[[公聴会]]は不要と一蹴しました。
[SRC[>>300]]

;; [305] じゃあ >>293 は...?

-*-*-

[309] 
한국불교학회
([[韓国仏教学会]])
は、
内外の学術団体・仏教団体102箇所、すなわち、
宗教新聞社・放送局、
各宗派総務院長、宗議長、
한국불교종단협의회 (韓国仏教宗派協議会)、
25개 교구 본사 (25教区本部)、
学会、
종립대학교
총장 (総長)、이사장 (理事長)
などに対し、
[[仏暦]]の修正を要請しました。
[SRC[>>306, >>311]]
翌年の[[カレンダー]]でα型に修正することが推奨されました [SRC[>>318]]。

[312] 
회장 (会長) で
충남대학교
(忠南大學校)
명예교수
([[名誉教授]])
の
[[이평래]]
は、
翌年に[[仏教学結集大会]]を控えており、
国際大会では国際基準の[[仏暦]]を使うべきだとしました。
特別委員会の設置に触発され、宗派と学者が協力することで修正が促進されると考えたといい、
誤りを正すのは学者の義務で責任があるとしました。
[SRC[>>311]]


-*-*-

[307] 
[TIME[10月8日][2007-10-08]]から
[TIME[12日][2007-10-12]]、
[[大韓民国]]の[[コモドアーホテル慶州・朝鮮]]で、
[[世界仏教徒連盟国際会議]]
[WEAK[(翌年開催の[[世界仏教徒会議]]の事前イベント [SRC[>>343]])]]
が開催されました。
ここでは事前の決定 (>>237)
通り[[世界仏教徒連盟]]方式の
「불기 2550년(2007)」αが採用されました。
修正が提案されて以来初めてのα型の実用となりました。
[SRC[>>306]]

[308] 
[[世界仏教徒連盟]]世界本部は、
翌[TIME[西暦2008年][year:2008]]に予定されていた第24回[[世界仏教徒会議]]
(14 - 17 November B.E. 2551 (2008))
で、
各国の[[仏暦]]を統一して使用することとする決議文を再採用すると発表しました。
[SRC[>>306]]
(決議の再採用とはどういう意味かよくわかりません。
再決議するということか、
以前の決議を継続 or 再確認するということなのか。
第24回の議事録には該当しそうな記述は見当たりません。
次回・次々回に再採用して統一を推進すると正式発表した [SRC[>>318]]
との報道も同じものでしょうか。
なお、「10年前」にも統一して使用するべく決議した [SRC[>>318]]
と[[世界仏教徒連盟]]事務総長が語っていたようです。
10年前ではありませんが、
[TIME[西暦2002年][year:2002]]の決定 (>>411) を指すのでしょうか。)

[325] 
このとき、各国の関係者に取材して[[大韓民国]]の[[仏暦]]のずれについて尋ねたところ、
一笑に付されたといいます [SRC[>>318]]。

-*-*-

[314] 
[TIME[10月17日][2007-10-17]]、
仏紀使用問題解決特別委員会の
第2回会合が行われました。
[SRC[>>313]]

[310] 
[[仏暦]]の修正の正当性を確認し、
修正時の1年のずれの処理を議論する予定と報じられていました。
[SRC[>>306]]

[315] 
会合では実務委員の委嘱の結果が報告されました。
동국대 불교문화연구원 전임연구원
(東国大仏教文化研究院専任研究員)
の
[[조준호]]
([[박사]]
([[博士]])
[SRC[>>331]])
の委嘱が確認されました。
[SRC[>>313]]

[316] 
[[仏暦]]使用の経緯については、
材料が不足しているとの結論に至り、
再収集して検討することになりました。
[SRC[>>313]]

[319] 
[[조준호]]
は、
会合の場および取材に対し、
β型が誤りではなく、
[[タイ]]によって改変されたとする説を提示しました。
[SRC[>>318]]

[320] 
[[조준호]]
によると、
[[スリランカ]]・[[印度]]など[[南アジア]]の英文書籍や[[日本]]の学者の資料では、
[TIME[西暦1950年][year:1950]]の[[世界仏教徒連盟]]設立当時は
2494年βでした。
これを2493年αとするのは、
[[世界仏教徒連盟]]の
[[Webサイト]]のみでした。
[[世界仏教徒連盟]]が
[[지관]]
に送付した文書でも、
[TIME[西暦1950年][year:1950]]は2493年αと記載されていました。
このことから、
[[世界仏教徒連盟]]は[TIME[西暦1950年][year:1950]]を2494年、
[TIME[西暦1956年][year:1956]]を2500年としていた可能性が高く、
本部が[[タイ]]に移転してから、
[[タイ]]に合わせて1年ずらしたものと考えられました。
[SRC[>>318]]

[321] 
ただし、
[[조준호]]
は[[仏暦]]の根拠とされる[TIME[西暦1950年][year:1950]]と[TIME[西暦1956年][year:1956]]の決議文を入手し、
検証しなければならないことは認めていました。
本当に[TIME[西暦1956年][year:1956]]にα型が決議されたなら、
それは約束であるから履行しなければならないともしました。
当時の決議文が[[タイ]]にあるか、
[[ネパール]]にあるか、
どこにもないかわからないとし、
[[世界仏教徒連盟]]は根拠のない自分達の方法 (α) を勝手に使っている確率が高いとしました。
[[タイ]]による作為説は
[[조준호]]
の推測に過ぎず、証拠はありませんでした。
[SRC[>>318]]

[322] 
β型へ切り替えられたのは、
世界の宗教指導者大会の準備において、
主張な参加国たる[[印度]]や[[スリランカ]]の[[仏暦]]に合わせた可能性があり、
[[大韓民国]]の誤りとは断定できないとしました。
[SRC[>>318]]

[323] 
α型へ修正することについては、
変更に伴う混乱が考えられ、
伝統的な仏教国がβ型を使っているのだから、
β型のままでも問題ないとしました。
α型を使っている国の存在については、
[[世界仏教徒連盟]]が (決議文に基づかずに) α型を推奨したのに従っただけの可能性が高いので、
考慮する必要はないとしました。
国際イベントと国内表記で別々にしてもよく、
β型に変更された理由を特定することなくα型に戻すべきではないとしました。
β型を使う現状が中央宗会議の決定に違反していることは否定できないので、
根拠を示してβ型で良いと決議する必要があるとの見解を示しました。
[SRC[>>318]]


;; [324] 
ここまでの「間違っていて恥ずかしいからすぐに変えたい」
のような感情的な議論に焦りを感じたといい、
しっかり調査してから結論を出すべきだと主張する
[[조준호]]
の学者らしい冷静な態度は立派なものです。
それでいて、根拠はないと認めつつも、
[[タイ]]が勝手に変えたなど陰謀論めいたことを言い放つのはいかがなものでしょう。
まだ調査が必要といいつつも、
既に現状維持の結論は出ているように聞こえます。


-*-*-

[317] 
[TIME[10月30日][2007-10-30]]、
仏紀使用問題解決特別委員会の第3回会合が開催されました。
[SRC[>>313, >>331]]

[332] 
会合で
[[조준호]]
博士は、
[[世界仏教徒連盟]]は[[仏暦]]を統一したことがなく、
[[タイ]]に中央本部移転後、
[[タイ]]の[[仏暦]]に変更したものだと主張しました。
その根拠として、
[[世界仏教徒連盟]]設立の中核となった[[スリランカ]]、[[ミャンマー]]などが[TIME[西暦2007年][year:2007]]を
2551年βとしていること、
[[世界仏教徒連盟]]設立当時 ([TIME[西暦1960年][year:1950]])
2494年βと暗黙に了承されていたこと、
[TIME[西暦1956年][year:1956]]を2500年βと計算していたこと、
[[タイ]]がこれらより1年遅れていたαこと、
[[仏暦]]を統一しようとする決議が見当たらないことを挙げました。
決議がなかった根拠として、
[[世界仏教徒連盟]]が決議を提示せず、
口頭でのみ統一された[[仏暦]]αの利用を要求していることを挙げました。
[SRC[>>331]]

[333] 
更に
[[조준호]]
は、
[[世界仏教徒連盟]]本部移転後の[TIME[西暦1966年][year:1966]]、
[[仏暦]]がなかった[[大韓民国]]に[[タイ]]が[[仏暦]]αを推奨し、
[TIME[西暦1969年][year:1969]]の第9回[[世界仏教徒会議]]
(13 – 20 April B.E. 2512 (1969)、[[マレーシア]]、 >>359)
で採用された[[スリランカ]]式[[仏暦]]βや[TIME[西暦1970年10月][1970-10]]の[[世界仏教指導者会議]]
([[ソウル]])
の影響で[[大韓民国]]が[[仏暦]]βに切り替えたとしました。
[SRC[>>331]]

[334] 
委員らは
[[조준호]]
の報告に共感を示したものの、
状況証拠に限られ確実な証拠に欠くとして、
調査のため[TIME[翌年3月][2008-03]]の宗議会まで会期を延長することを決めました。
[SRC[>>331]]

[336] 
特別委員会は、ここまでの調査結果を第175回中央宗会議に報告書として提出しました。
報告書は[[大韓民国]]現行[[仏暦]]βを重視する立場で書かれており
(と報道記事の筆者は評しており)、
修正の要請は[[世界仏教徒連盟]]全体ではなく、
[[タイ]]の立場によるものだとの見解を示していました。
主要仏教国の利用状況は、
βが[[インド]]、[[スリランカ]]、[[ミャンマー]]、[[大韓民国]]、[[中華人民共和国]]、
[[ベトナム]]、[[チベット]]、[[モンゴル]]、[[台湾]]の9ヶ国、
αが[[日本]]、[[タイ]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]の4ヶ国であるとしていました。
[SRC[>>335]]

[338] 
特別委員会委員長の
[[주경]]
は、
[[世界仏教徒連盟]]内でも[[仏暦]]は統一されておらず、
どれが正しいか断定することは難しいとし、
[TIME[西暦1956年][year:1956]]の決議文を入手することが最も確実であるとの見解を示しました。
[SRC[>>335]]

[337] 
これに対し、学者らの大半は、
各国の利用状況より[[世界仏教徒連盟]]の決議が優先されるべきと考えていました。
また報告は慎重で公平ではないと指摘する者もありました。
[SRC[>>335]]

-*-*-

[340] 
[TIME[2008年1月][2008-01]]の報道によると、
特別委員会は[TIME[西暦1966年][year:1966]]の中央宗会議の決議文を発見できず、
確実な結論を導けない状況でした。
現行の[[仏暦]]βが誤りとの主張の根拠となる当時の決議文を上半期中に発見できなければ、
βを利用し続けて構わないという結論で特別委員会は解散することになっていました。
[SRC[>>339]]


[342] 
[TIME[2月1日][2008-02-01]]、
特別委員会の第4回会合が開催されました。
委員らは、
仏教国12ヶ国が[[大韓民国]]と同じ[[仏暦]]βを使用していること、
αとβは仏滅を[[元年]]とするか[[周年]]で数えるかの違いに過ぎず、
βには無理がなく間違っているとは言い難いことから、
[[조준호]]
の報告に賛同しました。
従って現行βに問題はないとの結論にまとまりました。
特別委員会は、
[[世界仏教徒連盟]]の決議文を入手後、
最終報告書を作成する予定としました。
[SRC[>>341]]


[345] 
この後の動向は報じられておらず、不明です。
[[大韓民国]]の最大宗派の[[曹渓宗]]が変更不要と判断した以上、
他宗派関係者や仏教研究者なども、
これを無視して変更を進めるのは難しかったものと思われます。





[REFS[
- [256] [CITE@ko[불교언론-“佛紀 오류 방관 말고 고쳐야” - 법보신문]], 
승인 2006.08.28 09:41,
[TIME[2020-03-08 17:15:11 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=42760>
- [276] [CITE@ko[불교언론-WFB중앙본부 佛紀정정 요청 - 법보신문]], 
2006.10.23 09:53,
[TIME[2020-03-09 16:55:22 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=43517>
- [282] [CITE@ko[불교언론-글로벌 시대 역행… 국제 망신 막아야 - 법보신문]], 
2006.10.23 09:58,
[TIME[2020-03-09 17:19:39 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=43518>
- [326] [CITE@ko[불교언론-“불기 바로잡겠다” 한목소리…조계종만 미적 - 법보신문]], 
2006.10.23 09:59,
[TIME[2020-03-11 19:35:18 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=43519>
- [289] [CITE@ko[불교언론-총무원 올해 분담금 48억 탕감 - 법보신문]], 
2006.11.22 20:48,
[TIME[2020-03-09 17:53:24 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=44045>
- [292] [CITE@ko[불교언론-“한국 佛紀 오류 바로 잡아야” - 법보신문]], 
2006.11.24 11:30,
[TIME[2020-03-09 18:32:55 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=44054>
- [343] [CITE@ko[불교언론-WFBK, ‘불기 2550년’ 사용한다 - 법보신문]], 
2007.05.10 21:08,
[TIME[2020-03-20 16:13:51 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=46306>
- [294] [CITE@ko[불교언론-글로벌 시대 발맞출 표준틀 마련 - 법보신문]], 
2007.05.14 09:21,
[TIME[2020-03-09 18:59:05 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=46314>
-- [[Google翻訳]]「WFB所属37カ国の中で、スリランカ、インド、日本など5〜6カ国を除くすべての国で使用されている」 α
- [235] [CITE@ko[조계종 제174회 임시회 상정 안건 조정 - 불교닷컴]], 
[[불교닷컴]],
2007.09.03 14:32,
[TIME[2020-03-08 14:10:14 +09:00]] <http://www.bulkyo21.com/news/articleView.html?idxno=2933>
- [238] [CITE@ko[제174회 조계종 임시중앙종회 안건 확정 - 불교신문]], 
2007.09.03 16:00,
[TIME[2020-03-08 14:17:42 +09:00]] <http://www.ibulgyo.com/news/articleView.html?idxno=82717>
- [239] [CITE@ko[중앙종회 폐회…승려법 개정 - 불교포커스]], 
[[신혁진 기자]],
승인 2007.09.05 19:53,
[TIME[2020-03-08 14:19:51 +09:00]] <http://www.bulgyofocus.net/news/articleView.html?idxno=47756>
- [297] [CITE@ko[불교언론-‘불기 오류’ 해결 위한 특위 구성 - 법보신문]], 
2007.09.10 09:21,
[TIME[2020-03-09 22:29:14 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=47810&replyAll=&reply_sc_order_by=I>
- [240] [CITE@ko[한국불교 불기 1년 늦춘다]], 
2007.09.12 23:47,
[TIME[2020-03-08 14:22:05 +09:00]] <http://m.blog.daum.net/kinhj4801/12665828?np_nil_b=-2>
-- [[Google翻訳]] 「世界の仏教界はほとんど今年の基準打撃を2550年に書いているが、韓国と韓国仏教の吹きをそのまま受け取った中国、スリランカ、ベトナムのみ2551年に書いている。」
- [300] [CITE@ko[불교언론-“불기 문제 종단협과도 논의하겠다” - 법보신문]], 
2007.09.19 18:28,
[TIME[2020-03-09 22:50:48 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=47994>
- [306] [CITE@ko[불교언론-한국佛紀 오류 바로 잡는다 - 법보신문]], 
2007.10.15 09:34,
[TIME[2020-03-10 17:30:52 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=48232>
- [311] [CITE@ko[불교언론-“잘못된 불기 정정에 학자 동참해야” - 법보신문]], 
2007.10.15 09:44,
[TIME[2020-03-10 17:53:15 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=48234>
- [313] [CITE@ko[佛紀사용해결특위 2차 회의 - 불교신문]], 
2007.10.17 15:01,
[TIME[2020-03-10 18:12:57 +09:00]] <http://www.ibulgyo.com/news/articleView.html?idxno=83554>
- [318] [CITE@ko[불교언론-“불기 정정 ‘창피’…그대로 쓰자” - 법보신문]], 
[[2007.10.29 16:43]],
[TIME[2020-03-10 20:19:42 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=48473>
- [331] [CITE@ko[불교언론-“WFB, 불기 통일한 적 없다” - 법보신문]], 
2007.11.01 12:57,
[TIME[2020-03-11 19:57:01 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=48541>
- [335] [CITE@ko[불교언론-조계종 불기 특위 보고서엔 ‘2551년’ 무게 - 법보신문]], 
2007.11.12 09:32,
[TIME[2020-03-20 15:46:58 +09:00]] <https://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=48653>
- [339] [CITE@ko[직능 종회의원 선출 ‘난제’ - 불교포커스]], 
2008.01.18 11:58,
[TIME[2020-03-20 16:00:48 +09:00]] <http://www.bulgyofocus.net/news/articleView.html?idxno=49766>
- [341] [CITE@ko[종회 특위 “현 佛紀사용 큰 문제 없다” - 불교신문]], 
2008.02.05 14:04,
[TIME[2020-03-20 16:05:20 +09:00]] <http://www.ibulgyo.com/news/articleView.html?idxno=85742>
]REFS]

** 現在の大韓民国

[1265] [CITE[기년법 - [[나무위키]]]], [TIME[2023-06-21T11:27:06.000Z]] <https://namu.wiki/w/%EA%B8%B0%EB%85%84%EB%B2%95>

[1266] 標準はβ、タイはαと解説。

@@
[1267] 
[CITE[불멸기원 - 나무위키]], [TIME[2023-06-21T11:27:36.000Z]] <https://namu.wiki/w/%EB%B6%88%EB%A9%B8%EA%B8%B0%EC%9B%90>

** 大韓民国の用例

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[193] [CITE[タンホ>金石文>チュダム大鐘碑文]], [TIME[2020-03-07 16:42:17 +09:00]] <http://www.tanheo.com/home/bbs/board.php?bo_table=01_18&wr_id=29>
]FIGCAPTION]

>佛紀 2526년(1982) 壬戌 10月 20日 五臺山人 呑虛 金宅成 謹撰

]FIG]

- [188] [CITE[人物 로 본 韓國佛教 1600年史: 佛紀 916-2546 - 조월생 - Google ブックス]], 
[TIME[2002][year:2002]],
[TIME[2020-03-07 19:00:44 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books/about/%E4%BA%BA%E7%89%A9_%EB%A1%9C_%EB%B3%B8_%E9%9F%93%E5%9C%8B%E4%BD%9B%E6%95%99_1600%E5%B9%B4%E5%8F%B2.html?id=vy0QAQAAMAAJ>
-- 発行年[TIME[西暦2002年][year:2002]]が 2546年とすれば、β
- [137] [CITE@ko[길상사]], [TIME[2020-03-06 13:52:00 +09:00]] <http://kilsangsa.info/aaa_mobile/comp/comp.asp?N_M=comp&N_F=comp&N_L=comp&N_T=comp_07&N_P=comp_0701>
-- 「불기 2537(1993)년 10월10일 창건 」
-- [134] [CITE@ko[Gilsangsa_JAPANESE]], [TIME[2020-03-06 13:48:10 +09:00]] <http://kilsangsa.info/aaa_japan/comp/comp.asp?N_M=comp&N_F=comp&N_L=comp&N_T=comp_07&N_P=comp_0701>
--- 「パリの吉祥寺 [SNIP[]] 仏紀2537年(1993年)10月10日に創建。 」 β
--- 「2009年8月現在194号が発行された月刊誌「吉祥消息誌」は、[SNIP[]]」
-- [135] [CITE@ko[Gilsangsa_English]], [TIME[2020-03-06 13:49:21 +09:00]] <http://kilsangsa.info/aaa_eng/comp/comp.asp?N_M=comp&N_F=comp&N_L=comp&N_T=comp_07&N_P=comp_0701>
--- 「October 10, 1993 (B.E. 2537)」β
-- [136] [CITE@ko[Gilsangsa_China]], [TIME[2020-03-06 13:50:06 +09:00]] <http://kilsangsa.info/aaa_china/comp/comp.asp?N_M=comp&N_F=comp&N_L=comp&N_T=comp_07&N_P=comp_0701>
--- 「创建于佛历2537(1993)年10月10日。 」β
- [155] [CITE@ja[JIN-GAK BUDDHIST ORDER]], [TIME[2020-03-06 16:19:47 +09:00]] <http://www.jingak.or.kr/jp/>
-- 「真覚元年(仏紀2491年, 西暦1947年) 6月14日」β
[SEE[ [[真覚]] ]]
-- [156] [CITE[JIN-GAK BUDDHIST ORDER]], [[Codrops]], [TIME[2020-03-06 16:34:59 +09:00]] <http://www.jingak.or.kr/chi/>
--- 「创 敎 : 眞觉元年(佛历2491年, 公元1947年) 6月14日」β
- [1184] [CITE@ja[洛倭亭悠遊録 北漢山中の山寺「[[興国寺]]」]], [[洛倭亭庵主]], 
2015-11-16,
[TIME[2021-01-10T07:47:23.000Z]], [TIME[2021-01-10T07:50:01.875Z]] <http://tokoyonoiori.blog110.fc2.com/blog-entry-733.html>
-- [1185] [CITE[20151116073501024.jpg (JPEG 画像, 800x1208 px)]], [TIME[2015-11-15T22:35:01.000Z]], [TIME[2021-01-10T07:50:33.357Z]] <http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/k/tokoyonoiori/20151116073501024.jpg>
--- [1186] [[興国寺]]鐘
「[V[佛紀二五三十年丙寅年一月  日]]」
---- [1187] 
βだとすると[TIME[西暦1986年[LINES[丙][寅]]][year:1986]]。
- [1176] 
[CITE[韓国の年号]], [TIME[2010-09-13T05:18:13.000Z]], [TIME[2021-01-10T06:22:35.083Z]] <http://busan.chu.jp/korea/old/life/etc/nengo.html>
-- [1177] [[梵魚寺]]墓碑 ([[ハングル]]一部[[漢字]]混じり[[韓国語]])
--- [1180] 紀年「[V[佛紀二五四󠄂一年 丁丑󠄃 十二月]]」
---- [1178] [TIME[西暦1997年[LINES[丁][丑]]][year:1997]] β
--- [1179] 本文中「[V[一九三六年 丙子 三月 十日]]」
---- [1182] [TIME[西暦1936年][year:1936]]
---- [1181] 当時の北方仏紀の紀年も残っている (>>624) ので、その辺のことが書かれているのだろう。
- [138] [CITE@ko[Gilsangsa_JAPANESE]], [TIME[2020-03-06 13:52:57 +09:00]] <http://kilsangsa.info/aaa_japan/comp/comp.asp?N_M=comp&N_F=comp&N_L=comp&N_T=comp_02&N_P=comp_0201>
-- 「仏紀2541年[WEAK[(西暦1997年)]]12月14日」β
-- [139] [CITE@ko[Gilsangsa_English]], [TIME[2020-03-06 13:54:04 +09:00]] <http://kilsangsa.info/aaa_eng/comp/comp.asp?N_M=comp&N_F=comp&N_L=comp&N_T=comp_02&N_P=comp_0201>
---「December 14, B.E. 2541(A.D. 1997)
Beopjeong, 1997」
- [140] [CITE@ko[길상사]], 
2012-12-17 오후 11:23:56,
[TIME[2020-03-06 13:55:16 +09:00]] <http://www.kilsangsa.info/qnda/view.asp?CURPAGE=6&N_M=comt&N_T=comt_03&N_L=list&N_F=qnda&N_P=comt_0301&N_S=&DB_SEARCH=&DB_FIND=&DB_CNT=4995&DB_REF=444>
-- 「불기2541(‘97)년 12월 14일
불기2556(‘12)년 12월 15일」β
- [141] [CITE@ko[Gilsangsa_JAPANESE]], [TIME[2020-03-06 13:56:24 +09:00]] <http://kilsangsa.info/aaa_japan/comp/stay.asp?N_M=baum&N_F=comp&N_L=stay&N_T=stay_01&N_P=stay_0101>
-- 「仏紀2542(1998)年に開設され」β
- [142] [CITE@ko[길상사]], [TIME[2020-03-06 13:57:21 +09:00]] <http://kilsangsa.info/aaa_mobile/comp/stay.asp?N_M=stay&N_F=comp&N_L=stay&N_T=stay_01&N_P=stay_0101>
-- 「불기 2542(1998)년」 β
- [143] [CITE@ko[길상사]], 
2020-01-22 오후 4:44:22,
[TIME[2020-03-06 13:59:06 +09:00]] <http://kilsangsa.info/qnda/view.asp?CURPAGE=1&N_M=comt&N_T=comt_01&N_L=list&N_F=qnda&N_P=comt_0101&N_S=&DB_SEARCH=&DB_FIND=&DB_CNT=8827&DB_REF=3979>
-- 「 [1/25] 불기 2564년 길상사 세알삼배 안내」β
-- 「불기 2564년 1월 25일(토) 새벽 4시에 극락전에서 」β
- [144] [CITE@ja[釈迦誕生日に集まった仏教徒 | Joongang Ilbo | [[中央日報]]]], 
2011.05.11 08:50,
[TIME[2020-03-06 14:00:49 +09:00]] <https://s.japanese.joins.com/JArticle/139820?sectcode=400&servcode=400>
-- 「仏紀2555年釈迦誕生日の10日、ソウル堅志洞(キョンジドン)曹渓寺(チョゲサ)で奉祝法要式が開かれた。」β
- [145] [CITE[「我々も仏様のように」 : Korea.net : The official website of the Republic of Korea]], 
2017.05.04,
[TIME[2020-03-06 14:02:15 +09:00]] <http://japanese.korea.net/NewsFocus/Society/view?articleId=145826>
-- 「仏紀2561年「釈迦誕生日」法要の主題である。 」β
- [189] [CITE[[[건봉사]] :: 불기 2563년 부처님오신날 봉축 법회 안내]], 
2019. 3. 26. 12:56,
[TIME[2020-03-07 19:03:38 +09:00]] <https://www.geonbongsa.org/143>
β
-- >>183 と同じ寺。
-- [190] [CITE[[[건봉사]] :: 기해년 봄맞이 산산대재 봉행안내]], 
2019. 3. 26. 12:52,
[TIME[2020-03-07 19:05:13 +09:00]] <https://www.geonbongsa.org/141>
--- 기해년 = 己亥年
- [153] [CITE@ko[仏紀2563年 お釈迦様生誕日奉祝辞 > お知らせ | 大韓仏教[[曹渓宗]]]],
[[최고관리자]],
19-05-07 13:05, [TIME[2020-03-04 16:30:15 +09:00]] <http://jp.koreanbuddhism.net/bbs/board.php?bo_table=70&wr_id=24>
-- 「仏紀2563年 お釈迦様生誕日」β
- [154] [CITE@ko[佛紀2564(2020)年新年記者会見 > ギャラリー | 大韓仏教[[曹渓宗]]]],
[[Jogye]],
20-01-22 14:13, [TIME[2020-03-06 14:49:13 +09:00]] <http://jp.koreanbuddhism.net/bbs/board.php?bo_table=80&wr_id=18>
-- 「불기2564(2020)년」β

]REFS]

[REFS[

- [168] [CITE[실증설 - [[대원 문재현 선사]] - Google ブックス]], [TIME[2020-03-07 11:54:55 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=ANclDwAAQBAJ&pg=PP2>
-- 「불기3037년 1월 1일」
--
「단기(檀紀) 4343년
불기(佛紀) 3037년
서기(西紀) 2010년」ζ
- [169] [CITE[하택신회대사현종기 - [[대원 문재현 선사]] 역저 - Google ブックス]], [TIME[2020-03-07 11:58:27 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=ygUkDwAAQBAJ&pg=PT5>
--
「단기(檀紀) 4343년
불기(佛紀) 3037년
서기(西紀) 2010년」ζ
- [170] [CITE[법성게 - [[대원 문재현 선사]] 역저 - Google ブックス]], [TIME[2020-03-07 11:59:11 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=MnsUDgAAQBAJ&pg=PT5>
--
「단기(檀紀) 4343년
불기(佛紀) 3037년
서기(西紀) 2010년」ζ
- [171] [CITE[방거사어록 - [[대원 문재현 선사]] 역저 - Google ブックス]], [TIME[2020-03-07 12:00:14 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=TEMqDwAAQBAJ&pg=PA20>
--
「단기(檀紀) 4343년
불기(佛紀) 3037년
서기(西紀) 2010년」ζ
- >>177
- >>181
- [542] [CITE[suanlee > 재발견논단 > 순도고문의 강의<曉峰스님의 一代記 02>]], [TIME[2020-03-23 15:49:16 +09:00]] <http://www.suanlee.org/bbs/board.php?bo_table=d_3_1&wr_id=7&sfl=&stx=&sst=wr_datetime&sod=asc&sop=and&page=1>
-- ζ
]REFS]


[REFS[



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[195] [CITE@ko[불기 2561년, 부처님 오신지 2561년? - 현대불교신문]], 
[[노덕현 기자]],
승인 2017.05.08 10:24,
[TIME[2020-03-07 20:35:45 +09:00]] <http://www.hyunbulnews.com/news/articleView.html?idxno=291558>
]FIGCAPTION]

>하지만 부처님 입멸 2500년을 기념해 열린 1956년 WFB세계불교도대회에서 남방불기 기준 중 태국과 미얀마의 BC544년 설로 통합을 결의한 바 있다. 즉, 서기를 불기로 변환할 때는 544년을 더하면 된다. 즉, 2017+544=2561년이다.

[[Google翻訳]]

>しかし、仏入滅2500年を記念して開かれた1956年WFBの世界仏教徒大会で南方吹き基準の、タイとミャンマーのBC544年説統合を決意している。つまり、西暦をゆるめるに変換するときは、544年を加えるとなる。つまり、2017 + 544 = 2561年である。

β

>2007년 한국불교계는 불기 표기를 두고 심각한 고민에 빠진 적이 있다. 바로 우리나라 불기 표기가 세계불교도대회에서 합의된 연도보다 1년 빠르다는 지적이 한국불교 학계에서 나온 것이다.
>우리나라는 서기에 544년을 더하는 반면, 태국과 미얀마, 캄보디아 등은 이보다 1년 늦은 543년을 더한다는 것이었다. 태국에서 올해는 불기 2560년인 것이다.
>이에 조계종 중앙종회는 불기 사용문제 해결을 위한 특별위원회를 구성하고 현재 우리나라에서 사용하고 있는 불기에 아무런 문제가 없다는 결론을 내린 바 있다.
>당시 위원회는 우리나라만 불기 계산이 틀리다는 지적에 의해 연구를 진행했지만 불교국가 중 12개국이 우리나라와 동일한 불기를 사용하고 있고, 부처님이 해탈한 기원전 544년을 원년(元年)이냐 주년(週年)이냐로 보는 차이에 따라서도 연도가 차이가 날 수 있음을 들어 불기 계산을 기존과 동일하게 유지하는 것으로 결론 내렸다. 불기 계산을 변경할시 초래하는 다양한 문제점도 판단에 고려됐다.
>[SNIP[]]
>우리나라의 경우 공식적으로 서기인 그레고리력과 동시에 불기가 바뀌고 있다. 즉 우리나라의 불기 계산은 WFB 합의사항, 남방불교계와 달리 동안거가 있어 하안거만을 기준 삼기 힘든 북방불교계의 상황, 서기 사용 영향 등이 복합적으로 작용하고 있다.

[[Google翻訳]]

>2007年韓国仏教界は打撃表記を置いて深刻な悩みに陥ったことがある。まさに韓国吹き表記が世界仏教徒大会で合意された年度より1年早いという指摘が韓国仏教学界から出たものである。
>韓国は西暦に544年を加える一方、タイとミャンマー、カンボジアなどはこれより1年遅い543年を加えることだった。タイで今年は打撃2560年のものである。

α

>これ曹渓宗中央宗は打撃の使用問題を解決するための特別委員会を構成し、現在、韓国で使用している吹きには問題がないという結論を下したことがある。
>当時委員会は、韓国だけ吹き計算が間違っていると指摘によって研究を進めましたが、仏教国のうち、12カ国が韓国と同じ打撃を使用しており、仏が解脱紀元前544年を元年(元年)か周年(週年)かで見る違いによっても年度が異なっていることを聞い吹き計算を従来と同じにすると結論した。吹き計算を変更する時にもたらす様々な問題点も判断に考慮された。
>[SNIP[]]
>韓国の場合、正式に書記のグレゴリオ暦と同時に吹きが変わっている。すなわち、我が国の吹き計算はWFB合意事項、南方仏教界とは異なり、ドンアンゴがあり夏安居のみに基づい視難しい北方仏教界の状況、広告使用の影響などが複合的に作用している。


>현재는 그렇다. 하지만 ‘불기 2955년’이라고 새겨진 고성 건봉사의 돌솟대와 ‘불기 2972년’이라고 쓰여진 예산 수덕사 경내 현판, ‘불기 2963년’이라고 쓰여진 범어사 천왕문 초석 등 사찰 곳곳에서는 500년 가까이 앞선 북방불기 표기를 볼 수 있다.
>사찰에 있는 근 500년 앞선 불기는 1966년 이전 세워진 불교건축물에서 찾아 볼 수 있는 불기로 1966년 조계종 중앙종회에서 WFB 불기를 도입키로 하기 전 사용된 북방불기다. 이는 우리나라와 중국에서 당초 현재 공식 불기보다 훨씬 연대가 앞선 기원전 10세기를 열반 연도로 보는 설이 지배적이었기 때문이다. 북방불기와 남방불기는 483년이 차이가 난다. 즉 불기 2963년 건립된 것으로 쓰여진 범어사 천왕문 초석은 남방불기로는 2480년, 서기로는 483년에 544년을 더한 연도를 뺀 1936년에 세워진 것이다.
>2007년 조계종 불교계산 특위 실무위원으로 연구조사를 담당한 조준호 고려대 철학연구소 교수는 “사실 열반일을 기리는 것보다 불교의 출발인 성도일을 기리는 것이 바람직하기에 불기 기준도 성도일로 삼는 것을 고려해 볼 만 하다”며 “현재 불기는 WFB 등에서 정해졌지만 각국이 다른 상황이다. 불교 주도권을 둔 미묘한 상황이 겹쳐있기 때문이다. 한국불교계의 국제적인 위상이 높아지고, 국제적 연대가 중요해진 지금, 한국불교계가 불기와 부처님오신날 행사 등을 정하는데 영향력을 높일 필요가 있다”고 강조했다.

[[Google翻訳]]

>現在はそうだ。しかし、「吹き2955年」と刻まれた古城ゴンボンサの石ソッテと「吹き2972年」と書かれた予算修徳寺境内看板、「吹き2963年」と書かれた梵魚寺天王門の礎石などの寺院が点在で500年近く進ん北方吹き表記を見ることができている。
>寺院の近くの500年先に進んだ打撃は1966年以前に建てられた仏教建築物で見られる打撃で1966年曹渓宗中央宗からWFB打撃を導入することにする前に使用された北方吹きます。これは韓国と中国で、当初、現在公式吹きよりもはるかに連帯が進ん紀元前10世紀を夢年度で見る説が支配的だったからである。北方吹きと南方吹きは483年の差がある。つまり吹き2963年建立されたもので書かれた梵魚寺天王門の礎石は南方打撃では2480年に、広告には483年に544年を加えた年を除いた1936年に建てられたものである。

ζ

>2007年曹渓宗の仏教計算特委実務委員に調査を担当したチョ・ジュンホ高麗哲学研究所教授は「事実ヨルバンイルを称えるよりも、仏教の出発である成都ことを称えることが望ましいことに吹き基準も聖人日視ことを検討するだけである」とし「現在吹きはWFBなど決まったが、各国が、他の状況である。仏教主導権を置いた微妙な状況が重なっているからである。韓国仏教界の国際的な地位が高まり、国際的な連帯が重要になっ今、韓国仏教界が吹きと仏様の日の行事などを定めるところに影響を高める必要がある」と強調した。


]FIG]


]REFS]



* 日本


[47] 
[[日本]]の[[仏教]]は、歴史的に[[日本政府]] ([[朝廷]]や[[幕府]])
との結び付きが強かったためもあってか、
[[仏暦]]や独自の[[紀年法]]は発達しませんでした。
[[北伝仏教]]系の[[仏暦]]が一部使われましたが、
例外に留まりました。

[530] 
現在は一部寺院で限定的に種々の[[仏暦]]が使われています。

** 律令時代の日本

- [795] 
[CITE[日本霊異記]]
[WEAK[([[平安時代]]初期成立)]]
下巻序文
「今探是賢劫尺迦一代教文有三時。
一正法五百年。
二像法千年。
三末法萬年。
自佛涅槃以來、迄于延曆六年歲次丁卯、而逕一千七百[ASIS[廿][>>861 大須観音本: 欠]]二年。
過正像二而入末法。」
-- [1008] [TIME[日本延暦6(787)年丁卯][year:787]]が1722年 (異本: 1702年)。
-- [796] 仏滅は[TIME[紀元前935年][year:-934]]。 [SRC[>>700 pp.[V[二五八]]-[V[二五九]], >>1060]]
γ14年ずれ
-- [1007] 
[[石田瑞麿󠄃]]によれば[TIME[日本延暦20(801)年][year:801]]が1722年。 [SRC[>>1006]]
--- [1064] [[元年]]は[TIME[西暦-920年 (紀元前921年) [LINES[庚][子]]][year:-920]]。
--- [1009] +14 したつもりがし忘れた誤記か。
-- [1061] 
>>1060 によればこの当時は
[CITE[周書異記]]
に基づき周穆王52年(または53年)壬申 = 紀元前949年を[[仏滅]]とするのが通説だった。
γ
-- [1063] 
[[仏教公伝]]年2説: 西暦538年、西暦552年の差が14、
γとγ14年ずれの差も14。
偶然ではなくこの差から生じたずれだろう。
[SRC[>>1006]]
- [797] 
[CITE[寛弘三年十月十一日紀伊国金剛峯寺解案]]
「[V[加以釈迦󠄃大師入滅以来一千九百四十三年、今年則第六十六王御代寛弘四年丁未也]]」
[TIME[日本寛弘4(1007)年[LINES[丁][未]]][year:1007]]。
[SRC[>>700 p.[V[二五九]]]]
-- [798] 仏滅は[TIME[紀元前936年][year:-935]]。
η12年ずれ
- [1024] 
[CITE[傳述一心戒文]], [[光定]]に従い計算すると、
[TIME[日本延暦20(801)年][year:801]]が1743年
[SRC[>>1006]]
-- [1025] [[元年]]は[TIME[西暦-941年 (紀元前942年) [LINES[己][卯]]][year:-941]]
-- [1062] 
[CITE[伝述一心戒文]] 上より、[[最澄]]は周穆王壬申を紀元前941年としていた。
[SRC[>>1006]]
- [1026] 
[CITE[受菩薩戒儀]] の朱註に従い計算すると、
[TIME[日本延暦20(801)年][year:801]]が1749年
[SRC[>>1006]]
η
- [1032] [[源信]], [[毘超]], [[江以言]]などは正確な年時を示していないが、
[TIME[日本延暦20(801)年][year:801]]が1785年、1790年以上
[SRC[>>1006]]
([[元年]]: -983年, -988年以下)
- [1033] 
[CITE[三寳縮詞]], [[源爲憲]], [TIME[西暦984年][year:984]]: γ
[SRC[>>1006]]


[1011] 
[CITE[高野雑筆集]], [[空海]]は、2説示していました。
[SRC[>>1010]]

- [1020] 
-- [1012] 周昭王25年甲寅7月15日入胎 [SRC[>>1010]]
-- [1013] 周昭王26年乙卯4月8日誕生 [SRC[>>1010]]
-- [1014] 周穆王3年壬午仏生 [SRC[>>1010]]
-- [1015] 周穆王51年壬申仏滅 [SRC[>>1010]]
-- [1016] 仏滅から日本弘仁12年辛丑まで1443年 [SRC[>>1010]]
--- [1021] [TIME[日本弘仁12(821)年[LINES[辛][丑]]][year:821]]
--- [1022] [[元年]]は[TIME[西暦-621年 (紀元前622年) [LINES[己][亥]]][year:-621]]。
- [1017] [CITE[周書異記]] の説 [SRC[>>1010]]
-- [1018] 仏滅壬申 [SRC[>>1010]]
-- [1019] 仏滅から日本弘仁12年辛丑まで1785年 [SRC[>>1010]]
-- [1023] [[元年]]は[TIME[西暦-963年 (紀元前964年) [LINES[丁][巳]]][year:-963]]。
[SRC[>>1007]]

[REFS[
- [1010] [CITE@ja[[[弘法大師全集]]. 巻8 巻9 巻10 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[祖風宣揚会]], [TIME[明44][year:1911]], [TIME[2021-01-08T09:02:46.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819284/288>
- [1006] [CITE[[V[『[[末法燈明記]]』について]]]], 
[V[[[石田瑞麿󠄃]]]], 
[TIME[2021-01-08T08:54:01.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/10/2/10_2_552/_pdf/-char/ja>
- [1060] [TIME[2010-12-03T17:00:29.000Z]], [TIME[2021-01-09T03:13:26.914Z]] <https://www.univie.ac.at/rel_jap/ryoiki/images/archive/6/6b/20101223220625!Snkbt_III-00.pdf>
- [861] [CITE[今朝のNHKニュースで報じた 大須観音から見つかった"未発見『日本霊異記』の巻頭部分”は元々大須観音にある「真福寺本」『[[日本霊異記]]』に欠けていて、前田家本には存在する下巻序: 天漢日乗]], [TIME[2021-01-06T06:19:12.000Z]] <http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2012/12/post-5be0.html>
]REFS]

-*-*-

- [799] 
[CITE[伝教正像末文]]:
仏滅1740 = [TIME[日本弘仁3(812)年][year:812]]。
仏滅は紀元前928年。ν
[SRC[>>700 p.[V[二五九]], >>877]]


[862] 
[CITE[古今著聞集]] 
[WEAK[(13世紀中期頃成立)]]
に、

>
[VRL[
地神の末にあたりて、釋迦如來天竺に出給けり。
[ASIS[鷲嶺に月かくれ、鶴林に烟盡て][(釈迦入滅)]]、一千四百八十年にあたつて、我朝第三十代欽明天皇十三年に、百濟國より始て金銅の釋迦の像・經論・幡盖等奉りけり。
]VRL]

... とありました。
[SRC[>>865, >>863, >>864]]
[TIME[欽明天皇13(552)年][year:552]]が1480年とすると
[TIME[西暦-927年(紀元前928年)[LINES[癸][巳]]][year:-972]]が[[元年]]。
ν

[HISTORY[
[716] 
[[久保常晴]]は、
[CITE[古今著聞集]]
を引いて、
仏滅は紀元前938年である
[SRC[>>700 p.[V[二五二]], p.[V[二六一]] [V[([YOKO[3]])]]]]
としたり、
紀元前928年νとしたり
[SRC[>>700 p.[V[二五九]]]]
と同じ論文中で矛盾していました。
前者は >>862 を引用しており、
後者は仏教伝来が仏滅後1480年とあるので、
同じ箇所を指しているようです。
従って前者は10年ずれの誤記でしょう。


[867] 
[[久保常晴]]はνの2例 (>>799、>>716 後者)
を引いて、
仏滅紀元前928年説の根拠は不明ながら、
壬子歳に基づくのであるから、
穆王と匡王の壬子説が結合したものかと推測しました。
[SRC[>>700 p.[V[二五九]]]]
匡王の壬子説はμ。

[868] 
壬子に基づくというのが何をいうのかよくわかりません。
穆王壬子は[TIME[周穆王33年 = 西暦-968年 (紀元前969年)][year:-968]]。
[TIME[西暦-937年 (紀元前938年)][year:-937]] は癸未、
[TIME[西暦-927年 (紀元前928年)][year:-927]] は癸巳です。

]HISTORY]



- [703] 
[[日本国]][[兵庫県]][[朝来郡]][[朝来町]]岩津鷲原寺奥院不動石仏に、
「[V[釈迦󠄃入滅至永仁二二年丙申二千二百二十五年也[SNIP[]]]]」
とありました。
[SRC[>>700 p.[V[二五〇]] [V[[YOKO[3]]]] ([CITE[播磨石造遺物古銘資料]], [[浅田芳朗]])]]
-- [705] [TIME[日本永仁4(1296)年[LINES[丙][申]]][year:1296]]が2225年とすると、
[[0年]]は[TIME[西暦-929年 (前930年) [LINES[辛][卯]]][year:-929]]、
[[元年]]は[TIME[西暦-928年 (前929年) [LINES[壬][辰]]][year:-928]]です。
ν1年ずれ
-- [704] [[久保常晴]]は
「永仁四年 (一二九六) が二二二五年なるゆえ、仏滅は[ASIS[紀元]]九八󠄂九年となる」
としましたが [SRC[>>700 p.[V[二五〇]]]]、
干支1巡ずれています。
- [708] 
[[日本国]][[兵庫県]][[神崎郡]][[香寺町]]須賀院常福寺出土瓦経に
「[V[釈迦󠄃滅後二千余年仏法論七之時至于彼慈尊出世五十六億七千万歳之時  [SNIP[]]]]」
「[V[康治二年[LINES[歳次][癸亥]]八󠄂月廿七日[SNIP[]]]]」
とありました。
[SRC[>>700 pp.[V[二五一]]-[V[二五二]] [V[[YOKO[6]]]] ([CITE[平安遺文]] 金石文編)]]
-- [709] [TIME[日本康治2(1143)年][year:1143]]から2001年-2099年の範囲とすると、
仏滅は紀元前956年-紀元前858年で、
「[V[上限二〇九九年とすれば紀元前九五六年となり、下限二]]
[V[〇〇一年とすれば紀元前八五八年となり、紀元前九五六年から紀元前八五八年の間となる。この期間に紀元前九]]
[V[八九年が含まれる]]」、
と[[久保常晴]]は書いていました。
[SRC[>>700 pp.[V[二五一]]-[V[二五二]] [V[[YOKO[6]]]]]]
-- [710] 60年 ([[干支]]1巡) ずらした西暦-929年なら、その範囲に収まります。

[HISTORY[
[711] 
2例目は文の構成上あり得ない間違い方です。
これは最初に書いた文を修正した時に誤りが混入したと解するべきでしょうか。
[[久保常晴]]の論稿は、[V[昭和一八年]]の紀要に発表されたものを、
[V[昭和四十二年]]刊の著書で
「[V[まったく書き]]
[V[改められた新稿]]」
とされています [SRC[>>700 p.[V[三六五]], p.[V[三七五]]]]。
[TIME[日本昭和18(1943)年][year:1943]]当時は学術論文でも[[皇紀]]を使うのは普通のことでした。
それを改稿時に[[西暦]]に書き改めたのだとすると、
[[皇紀]]と[[西暦]]の660年の差の[[換算][暦の換算]]ミスの可能性があるでしょうか。
(実際昭和18年の論文が[[皇紀]]を書いていたのかは未確認です。)
]HISTORY]


[REFS[
- [877] [CITE@ja[[[伝教大師]]全集. 第3 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[天台宗宗典刊行会]], [TIME[明45-大1][year:1912]], [TIME[2021-01-06T08:40:41.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819609/93>
- [865] [CITE[【[[古今著聞集]]】]], [TIME[2021-01-06T06:49:01.000Z]] <http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0339-007703&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E8%91%97%E8%81%9E%E9%9B%86%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&BID=null&IMG_NO=43>
- [863] [CITE@ja[[[古今著聞集]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2021-01-06T06:45:00.000Z]] <https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018126/22>
- [864] [CITE@ja[[[古今著聞集]]:巻2 _Taiju's Notebook]], [TIME[2015-08-17T22:56:00.000Z]], [TIME[2021-01-06T06:48:34.538Z]] <http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/1254_kokon_chomonju_02.htm#02>
]REFS]

-*-*-


[946] 
[[日本]]の[[天台宗]]の僧侶[RUBYB[[[安然]]][[TIME[841][year:841]]?-[TIME[915][year:915]]?]]の
[CITE[教時諍]]
は、
[CITE[費長房録]] (>>873)
に書かれた6説を示しました。
[CITE[佛法年代記]]
を根拠に、
そのうち2説を正しいとしました。
[SRC[>>945]]

- [969] 周書異説による[[沙門法上]]の説。 [SRC[>>945]]
-- [987] 周昭王25年癸丑7月15日入胎。 [SRC[>>945]]
-- [996] 甲寅4月8日誕生。 [SRC[>>945]]
-- [997] 周穆王52年壬申 (異本: 53年壬申) 入滅。 [SRC[>>945]]
-- [970] 仏滅から後漢永平10年丁卯 (支那伝来) まで1015年。 [SRC[>>945]]
--- [976] [TIME[西暦67年[LINES[丁][卯]]][year:67]] η
-- [971] 後漢永平10年丁卯から欽明天皇17年壬申、梁大宝3年壬申
(日本伝来) まで487年。 [SRC[>>945]]
--- [977] [CITE[日本書紀]]: [TIME[欽明天皇13(552)年[LINES[壬][申]]][year:552]]、
[TIME[欽明天皇17(556)年[LINES[丙][子]]][year:556]]
--- [978] [TIME[梁大宝3(552)年[LINES[壬][申]]][year:552]] ([[延長年号]] +1)
--- [979] 552 - 67 = 485
-- [972] 欽明天皇17年壬申から日本延暦14年乙亥まで245年。 [SRC[>>945]]
--- [980] [TIME[日本延暦14(795)年[LINES[乙][亥]]][year:795]]
--- [981] 795 - 552 = 243
--- [973] 仏滅から日本延暦14年乙亥まで1747年。 [SRC[>>945]]
---- [982] 1015 + 485 + 243 = 1743
-- [974] 日本延暦14年乙亥から日本貞観18年まで82年。 [SRC[>>945]]
--- [983] [TIME[日本貞観18(876)年[LINES[丙][申]]][year:876]]
--- [984] 876 - 795 = 81
--- [975] 仏滅から日本貞観18年まで1829年 (異本: 1825年)。 [SRC[>>945]]
---- [1029] 1829:
[[元年]]は[TIME[西暦-952年 (紀元前953年) [LINES[戊][辰]]][year:-952]]。
---- [985] 1743 + 82 = 1825 γ
- [998] [[費長房]]説。 [SRC[>>945]]
-- [999] 周荘王9年癸己4月8日入胎。 [SRC[>>945]]
-- [1000] 周荘王10年甲午2月8日仏誕。 [SRC[>>945]]
-- [1001] 周匡王4年壬子仏滅。 [SRC[>>945]]
-- [1002] 仏滅から後漢永平10年丁卯まで675年。 [SRC[>>945]]
--- [1005] [TIME[西暦67年[LINES[丁][卯]]][year:67]] μ
-- [1003] 仏滅から日本貞観18年まで1492年。 [SRC[>>945]]
--- [1004] [[元年]]は[TIME[西暦-615年 (紀元前616年) [LINES[乙][巳]]][year:-615]]。
μ8年ずれ
- [1030] 
[[石田瑞麿󠄃]]によれば
[CITE[教時諍]]
説は[TIME[日本延暦20(801)年][year:801]]が1743年。 [SRC[>>1006]]
-- [1031] [[元年]]は[TIME[西暦-941年 (紀元前942年) [LINES[己][卯]]][year:-941]]。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[945] [CITE[SAT DB]], 
教時諍 (No. 2395A ) in Vol. 00,
[TIME[2021-01-08T04:00:33.000Z]] <https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=2395A&&nonum=1>
]FIGCAPTION]

>二應現不同者。六説不同。一費長房録云。先
賢諸徳推佛生年。互有遐邇。一依法顯傳
推佛生年。當殷世武乙二十六年甲午。至
開皇十七年丁巳便已一千六百八十一年。
二依沙門法上。答高麗國問。則當前周第
五主昭王瑕二十四年甲寅。至今丁巳則一
千四百八十六年。引穆天子別傳爲證。稱
瑕子滿副爲穆王。聞佛出于迦維。遂西
遊而不返。三依像正記。當前周第十七主
平王宜伯四十八戊午。至今丁巳則一
千三百二十三年。四依後周沙彌釋道安。
用羅什年記及石柱銘推。則當前周第十八
[RUBY[年][主<甲>]]桓王之林五年乙丑。至今丁巳則一千二
百二十五年。五周第十[RUBY[五][九<甲>]]主莊王[RUBY[他][化<甲>]]十年。
即魯春秋莊公七年夏四月辛[RUBY[亥][卯<甲>]]夜恒星不
見。夜中星隕如雨。即是如來誕生時也。亦
云。涅槃以來至今開皇十七年丁巳一千一
百九十五年。六依趙[RUBY[𬽼伯][伯休<甲>]]。梁大同元年於
廬山遇弘度律師。得佛滅後。衆聖點記推。
則當前周第二十九主貞定王[RUBY[亮][高<甲>]]二年甲戌。
至今丁巳[RUBY[已始][殆<甲>]]一千六十一年。准三藏教
及善見律云。佛何以不度女人。爲教法故。
正法千年以度女人。減五百歳。制修八敬
還滿千年。然後像法千年末法萬年。五千年
來覺三達智。并得四果。六千年去不得
道。萬年已後經典文字自然滅盡。但現剃
頭有袈娑耳。正法之世大乘明淳。至于
像末明力談薄。若入末法則無大乘。奴婢
出家汚染淨行。惡王治世
裸税僧尼 [WEAK[云云]]
於六説中據第五説 [WEAK[云云]]
>今檢佛法年代記云。雖有六説二説爲正。
>一沙門法上等依周書異説。夜現五色光
氣。又晝有十二道白紅等文。而釋云。佛周
四主昭王瑕二十五年癸丑七月十五日入
胎。甲寅四月八日誕生。第五主穆王三年壬午
佛生年二十九出家。穆王八年丁亥二月八
日佛*生年三十五成道。穆王五十[RUBY[二][三<甲>]]年壬
申入滅。此師十九出家。三十五成道。四十
[RUBY[五][九<甲>*]]年説法爲宗。而今後人成二十九等也。
若依此説。自佛入滅壬申至于後漢第二
主明帝永平十年丁卯一千十五年。遺法屆
漢。自其丁卯至于日本第三十帝天國排開
廣庭天皇十七年壬申四百八十七年。佛法
屆日本也。即梁武帝大寶三年壬申是也。
自其壬申至延暦十四年乙亥二百四十五
年。通計佛入滅以來一千七百四十七年也。
自彼乙亥至于貞觀十八年八十二年。都合
一千八百二十[RUBY[九][五<甲>]]年。二費長房無道理法
林師等。依魯春秋恒星不見。夜明如晝等
文。而釋云。佛周第十*五主莊王化九年癸已
四月八日入胎。十年甲午二月八日誕生。第
十七主惠王二十年癸亥二月八日佛年三十
成道。四十九年説。第二十主匡王四年壬子
七十九入滅。并入胎年正八十年。此師十九
出家。三十成道爲宗。若依此説。自佛入滅
壬子至後漢明帝十年丁卯六百七十[RUBY[五][六<甲>]]
年。遺法屆漢自其丁卯。以後數同前所釋。
至貞觀十八年一千四百[RUBY[九][八<甲>]]十[RUBY[二][五<甲>]]年。以
此二説共爲正説。所以者何。周昭王時大史
蘇由占云。千餘年後聲教到此。後漢明帝
之時摩騰答云。佛入滅後千十五年。故前
説善 [WEAK[云云]] 佛入滅後六百七十五年。佛法屆
漢。自其丁卯至玄奘譯經顯慶元年丙辰
四百七十四年。合一千一百四十九年。其丙
辰正月三藏表云。像法東被五百餘年。又
云。垂六百歳。此文尤合正法五百之文。又天
親護法者。佛入滅後千一百年時人。玄奘所
承戒賢玄咸親承護法。故後説勝 [WEAK[云云]] 安然
評曰。若依前説則戒賢與護法年代相去
三百餘年。玄咸亦然。今准唯識樞要記中會
有二釋。一云。玄咸長壽相逢玄奘。一云。
玄咸雖逝釋論尚存 [WEAK[云云]] 可云正法
一千年
之後像法五百歳之間。玄奘往還表云五百
[WEAK[云云]] 今檢寶林傳文。天竺震旦年代對勘。以
周昭王而爲正義 [WEAK[云云]]

(注釈は一部のみ引用した)

]FIG]

]REFS]

** 中世日本

[28] 
[[中世]]から[[近世]]の[[日本]]では、
[TIME[西暦-948年 (紀元前949年)][year:-948]]
を[[元年]]とする数え方が最も広く使われました。
[[平安時代]]に流行した[[末法思想]] (>>36) はこの数え方が基本となっています。
γ

-*-*-

[25] 
[CITE[扶桑略記]]
[WEAK[([[平安時代]]末期成立)]]
は、
[DFN[如來滅後]]年を併記していました。
γ

[26] 
最古は
「應神天皇」の「元年庚寅」
([TIME[西暦270年][year:270]])
で、
「如來滅後一千二百一十九年」
でした。
[SRC[>>29]]

[27] 
最新は
「應德元年」
([TIME[西暦1084年][year:1084]])
で、
「如來滅後經二千三十三年」
でした。
[SRC[>>29]]

;; [37] おおむね「如來滅後[VAR[何]]年」
の形式でしたが、例外的に >>27 のごとく「経」字が入っているものがありました。
また「永延元年,如來滅後一千九百卅六季」
のように[[年]]を[[季]]としたものもありました
(が[[書写]]や[[翻刻]]の問題とも思われます)。

[689] 
[[鎌倉時代]]から[[江戸時代]]まで多くの文献や[[金石文]]が[[仏暦]]γで数えていました。
[SRC[>>700 p.[V[二四九]] ]]


- [911] [CITE@ja[[[多武峰略記]](群書類聚本)]], [[Niels Guelberg]], [TIME[2021-01-07T06:02:39.000Z]] <https://web.archive.org/web/20190504045554if_/http://www.f.waseda.jp/guelberg/ryakki/gshr.htm>

- [910] 
[CITE[[[多武峰略記]]]]
[WEAK[([[鎌倉時代]]頃成立)]]
「後記云。
天暦五年二月。僧都實性語大衆曰。
今年是世尊入滅當一千九百年。」
[SRC[>>911]]
[TIME[日本天暦5(951)年][year:951]]が1990年。 γ
-- [913] 「後記」は10世紀後半成立とされる。
-- [912] [[斉藤彦松]]調査によるγの最古例 [SRC[>>907]]。
- [691] 
[CITE[大鏡]]
[WEAK[([[白河][白河天皇]]院政期成立)]]
下巻道長の条に、
[[釈迦]]入滅から[TIME[日本万寿2(1024)年][year:1024]]まで1973年とありました。γ
[SRC[>>700 pp.[V[二四八󠄂]]-[V[二四九]]]]
-- [1034] [[石田瑞麿󠄃]]によればη [SRC[>>1006]]
- [692] 
[CITE[扶桑略記]]
[WEAK[([[平安時代]]末期成立)]]
[TIME[永保元(1081)年][year:1081]]の条に、
末法に入って30年 (2030年) とありました。γ
[SRC[>>700 p.[V[二四九]]]]
- [1035] [CITE[止観私記]], [[寳地房謹眞]]: γ [SRC[>>1006]]
-- [1036] [CITE[山家述記]] に従えば寳字五年が一七一〇年 [SRC[>>1006]]
--- [1037] [TIME[日本天平宝字5(761)年[LINES[辛][丑]]][year:761]]が1710年。 γ
--- [1038] [CITE[山家述記]] は
[CITE[山家顯佛滅年代述記]] か?
[CITE[佛法年代記]] との関係は不明。
[SRC[>>1006]]
- [690] 
[[日本国]][[鳥取県]][[東伯郡]]舎人村倭文神社蔵経筒に、
[[釈迦]]入滅が壬申年、
[TIME[日本康和5(1103)年[LINES[癸][未]]][year:1103]]まで2052年とありました。γ
[SRC[>>700 p.[V[二四八󠄂]] [V[[YOKO[1]]]] ([CITE[大日本金石史]], [[木崎愛吉]])]]
- [693] 
[CITE[水鏡]]
[WEAK[([TIME[西暦1195年][year:1195]]頃成立)]]
巻上神武天皇の条に[[釈迦]]入滅後290年に当たるとありました。γ
[SRC[>>700 p.[V[二四九]]]]
- [694] 
[CITE[愚管抄]]
[WEAK[([TIME[承久2(1220)年][year:1220]]頃成立後修訂)]]
巻一神武天皇の条に、
「元年辛酉、如来の滅後二百九十年」
とありました ([TIME[日本神武天皇元(-659)年[LINES[辛][酉]]][year:-659]])。γ
[SRC[>>700 p.[V[二四九]] [V[[YOKO[1]]]]]]
- [1058] 
[CITE[本朝祖師伝記絵詞]]
[WEAK[([TIME[日本嘉禎3(1237)年][year:1237]]成立)]]
「[V[如來滅後二千八十二年、日本國人皇七十五代崇德院長承]]
[V[二年[LINES[癸][丑]]]]」
[SRC[>>1059]]
[TIME[日本長承2(1133)年][year:1133]]
γ
- [917] 
[CITE[一代要記]]
[WEAK[([[後宇多天皇]] (在位[TIME[文永11(1274)年][kyuureki:1274-01-26]]-[TIME[弘安10(1287)年][kyuureki:1287-10-21]]) 頃成立し以後追記)]]: 仏教公伝が1501年 γ
[SRC[>>914]]
- [702] 
[[日本国]][[広島県]][[豊田郡]]瀬戸田町光明三昧院十三重石塔に、
「[V[釈迦󠄃如来遺法二千二百二十三年 奉勅造立之 永仁二年[ASIS[[LINES[午][甲]]]]七月日 忍性]]」
とありました。
遺法 (入滅) から[TIME[日本永仁2(1294)年][year:1294]]まで2243年。γ
[SRC[>>700 p.[V[二四八󠄂]] [V[[YOKO[2]]]] ([CITE[大日本金石史]], [[木崎愛吉]])]]
- [915] [CITE[聖徳太子平氏伝雑勘文]], 法空, 
[TIME[日本正和3(1314)年][year:1314]]
-- [916] ... 所引
[CITE[皇代記]]: 仏教公伝が1501年 γ
[SRC[>>914]]
- [695] 
[CITE[日蓮聖人御遺文]] [SRC[>>878, >>879, >>880]] γ
[SRC[>>700 p.[V[二四九]], p.[V[二六〇]] [V[([YOKO[1]])]]]]
- [881] 
[CITE[法然上人行状絵図]] [WEAK[([CITE[法然上人行状図]], [CITE[法然上人行状図絵]])]],
詞書
上人臨終の条
「釈尊の入滅におなじ寿算のひとしきにあらず、支干又ともに壬申なり、豈奇特にあらずや」
仏滅は壬申年
[SRC[>>700 p.[V[二四九]], p.[V[二五四]], p.[V[二六〇]] [V[([YOKO[1]])]]]]
- [882] 
[CITE[源平盛衰記]] 宇巻 第二四
-- [886] 
「我朝
には、如来滅後一千五百一年を経て、第三十代帝欽明天皇御宇十三年、〈 壬申 〉十月十三日」
[SRC[>>885]]
--- [887] [TIME[欽明天皇13(552)年[LINES[壬][申]]][year:552]] が1501年 γ
-- [884] 
「我が朝には如来滅後一千五百一年を経て第三十代の帝欽明天皇の御宇十二年」
とあって仏滅が壬申年
[SRC[>>700 p.[V[二四九]], p.[V[二六〇]] [V[([YOKO[1]])]]]]
とするが欽明天皇年が1年ずれている。
- [883] 
[CITE[神皇正統記]]
「天竺の釈迦如来入滅し給しより、元年辛酉までは二百九十年になれるか」 γ
[SRC[>>700 p.[V[二四九]], p.[V[二六〇]] [V[([YOKO[1]])]]]]
- [888] 
[CITE[鞍馬蓋寺縁起]]
「[V[釈迦󠄃御入滅二千四百六十二年]]
[V[永正十年癸酉まで]]」
[TIME[日本永正10(1513)年[LINES[癸][酉]]][year:1513]] γ
[SRC[>>700 p.[V[二四九]], p.[V[二六〇]] [V[([YOKO[1]])]]]]
- [889] 
[CITE[法隆寺良訓補忘集]]
「[V[欽明天皇即位十三年是則当[SUB[二]]于仏滅度後千五百一歳[SUB[一]]]]」 γ
[SRC[>>700 p.[V[二四九]], p.[V[二六〇]] [V[([YOKO[1]])]]]]
- [890] 
[CITE[和漢名数続編]]
「[V[自釈迦󠄃滅後到此歴千五百一年到元禄七年凡一千百四十三年]]」
[TIME[欽明天皇13(552)年[LINES[壬][申]]][year:552]] + 1143 - 1 =
[TIME[日本元禄7(1694)年][year:1694]]
γ
[SRC[>>700 p.[V[二四九]], p.[V[二六〇]] [V[([YOKO[1]])]]]]


- [919] [CITE[東大寺雑集録]]
-- [920] [[仏誕]]: [[彦波瀲武鸕鶿草茅葺不合尊]]の83万5676年、
[[周]]の建国106年、昭王26年甲寅 [SRC[>>918]]
-- [922] [[仏誕]]: [[周]]の武王160年、
昭王26年甲寅、
鸕羽不合尊御世83万5676年甲寅 [SRC[>>921]]
-- [923] [[仏滅]]: [[周]]の穆王53年壬申、
鸕羽不合尊御世83万5754年甲寅 [SRC[>>921]]
-- [924] [[支那]]に仏教伝来: 漢明帝永平10年丁卯、滅後1016年、
人皇11代垂仁96年丁卯
[SRC[>>921]]
-- [925] [[日本]]に仏教伝来: [[支那]]伝来から486年、
人皇30代欽明13年壬申、
如来滅穆王13年から1502年
[SRC[>>921]]
-- [927] [[仏滅]]: 朝葺不合尊83万5754年、
周穆王52年 [SRC[>>926]]
-- [929] [[支那]]に仏教伝来: 漢明帝永平10年丁卯、
第11代垂仁96年 [SRC[>>926]]
-- [930] [[日本]]に仏教伝来: 
[[支那]]伝来から486年、
欽明13年壬申、1501年 
[SRC[>>926]]
γ
[SRC[>>914]]


[REFS[
- [918] [CITE@ja[[[大日本仏教全書]]. 第121巻 東大寺叢書 第1 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[仏書刊行会]], [TIME[明治45-大正11][year:1922]], [TIME[2021-01-07T07:11:31.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952825/149>
- [921] [CITE@ja[[[大日本仏教全書]]. 第121巻 東大寺叢書 第1 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[仏書刊行会]], [TIME[明治45-大正11][year:1922]], [TIME[2021-01-07T07:17:47.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952825/151>
- [926] [CITE@ja[[[大日本仏教全書]]. 第121巻 東大寺叢書 第1 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[仏書刊行会]], [TIME[明治45-大正11][year:1922]], [TIME[2021-01-07T07:25:54.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952825/157>
- [885] [CITE[『[[源平盛衰記]]』(国民文庫)]], [TIME[2020-01-06T18:10:31.000Z]], [TIME[2021-01-06T09:20:26.028Z]] <http://www.kikuchi2.com/seisui/gsall.html>
- [1059] [CITE@ja[[[本朝祖師伝記絵詞]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[耽空]], [TIME[明45.3][year:1912]], [TIME[2021-01-09T02:44:23.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/822552/6>

]REFS]

@@
[1268] 
[CITE[NAJDA-141-0004_帝王編年記4.pdf]], [TIME[2020-10-13T08:42:46.000Z]], [TIME[2023-09-27T07:07:53.507Z]] <https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ad/NAJDA-141-0004_%E5%B8%9D%E7%8E%8B%E7%B7%A8%E5%B9%B4%E8%A8%984.pdf#page=9>

[1311] [CITE@ja-JP[日本古典の成立の研究]], [[平田俊春]], [TIME[1959]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-13T09:43:39.968Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3006623/1/173> (要登録)
/205

-*-*-

[697] 
[CITE[末法灯明記]]
は、
[TIME[日本延喜20(801)年[LINES[辛][巳]]][year:801]]に[[最澄]]が著したとされますが、
疑わしいといわれ、偽書と断定するものもあります。
[[平安時代]]末期頃に書かれたと見られ [SRC[>>914]]、
[[鎌倉時代]]には存在していたようです。

[733] 
[CITE[末法灯明記]]
は[[中世]]の[[日本]]で広く参照され大きな影響を及ぼしました。
[[仏暦]]γ説の拡散に貢献したものと考えられます。
[SRC[>>700 p.[V[二五四]], >>914]]


[767] 
[CITE[末法灯明記]]
には、
次のようにありました。 [SRC[>>768, >>769, >>771, >>770]]

>
[VRL[
問云若爾者。今世正當何時。
答滅後年代雖有多説且擧兩説。
一法上法師等、依周異記言、佛當第五主穆王滿五十三年壬申入滅。
若依此説從其壬申至我延暦二十年辛巳一千七百五十歳。
二費長房等、依出魯春秋、佛當周第二十一主匡王班四年壬子入滅。
若依此説從其壬子至我延暦二十年辛巳[ASIS[一][>>700 では脱字]]千四百十歳。
故知。今時是像法最末時也。
]VRL]

[768] 
つまり当時多説あったうち、2説を紹介していました。

- [698] [CITE[周異記]] (>>696): 「第五主穆王満五十三年壬申」に入滅。
「我延暦二十年辛巳」まで1750年。 γ
- [699] [CITE[魯春秋]] に基づく[[費長房]]説 (>>873): 「周第二十一主匡王班四年壬子」に入滅。
「我延暦二十年辛巳」まで1410年。 μ1年ずれ







[HISTORY[
[701] 
[[久保常晴]]は、これについて、

>
[VRL[
[SNIP[]]延暦二〇
年は辛巳年ではなく、二一年 (八󠄂三一) に相当するのである。したがって干支󠄂を尊重すれば仏滅は紀元前八󠄂二九
年となる。これは干支󠄂二巡遅れることになる。また魯氏春秋説についても紀元前四八󠄂八󠄂年の計算となり干支󠄂二巡
の遅れを見るのである点を一応ここで注意して置きたい。
]VRL]

... と書きました [SRC[>>700 pp.[V[二四九]]-[V[二五〇]]]]。しかし、

- [772] [TIME[日本延暦20(801)年][year:801]]は辛巳年です。
- [773] 21年が延暦21年だとすると、[TIME[西暦802年[LINES[壬][午]]][year:802]]です。
- [774] 西暦831年は[TIME[天長8年[LINES[辛][亥]]です。
- [775] 紀元前829年はγと120年ずれ、紀元前488年はμ1年ずれと120年ずれで、
干支2巡遅れとはその通りですが、
[CITE[末法灯明記]]
の年数の方が正しい。

... とおかしなことを言っています。何らかの誤解があるにしても、
どう間違ったのか謎です。
]HISTORY]

[944] 
なお仏滅年の穆王壬申について
[SRC[>>914]]:

>
[VRL[
([YOKO[1]])  益田宗「欽明天皇十三年仏教渡来説の成立」(坂本太郎博士還暦記念会
編『古代史論集』上、吉川弘文館、一九六二年)。
]VRL]
>[SNIP[]]
>
[VRL[
([YOKO[11]])  田村圓澄「末法思想の形成」(『史淵』六三、一九五四年)。
]VRL]
>[SNIP[]]
>
[VRL[
([YOKO[14]])  田村圓澄「欽明十三年仏教渡来説と末法思想」(『日本歴史』一七八、
一九六三年)。
]VRL]
>[SNIP[]]
>
[VRL[
([YOKO[16]])  田村圓澄「末法思想と道慈」(『続日本紀研究』=一四、一九六五年)
[SNIP[]]
]VRL]
>
[VRL[
([YOKO[18]])  水野柳太郎「日本書紀仏教伝来年代の成立について」(『続日本紀研
究』一二一、一九六四年)。同「日本書紀仏教伝来記事と道慈」(『続日本
紀研究』一二七、一九六五年)。
]VRL]
>
[VRL[
([YOKO[19]])  小谷仲男「ガンダーラ弥勒信仰と階唐の末法思想」(気賀沢保規編『中
国仏教石経の研究』京都大学学術出版会、一九九六年)。
]VRL]
>[SNIP[]]
>
[VRL[
([YOKO[37]])  楠山春樹「中国仏教における釈迦生滅の年代」(平川彰古稀記念論集
『仏教思想の諸問題』春秋社、一九八五年)。
]VRL]
>[SNIP[]]
>
[VRL[
([YOKO[49]])  楠山注([YOKO[37]])論文に復元掲載される『周書異記』を見れば一目瞭然のこ
とであるが、②説では釈迦の入滅年は「穆王五十二年壬申」とされてい
る。しかし、日本では流通の過程でいつしか「五十二年壬申」ではなく、
「五十三年壬申」とする誤説が広まるようになっていった (ただしどち
らも干支が壬申であるため、末法に入る年次の計算は同一になる)。推察
するに、おそらく『末法灯明記』が「五十三年壬申」としたのが後世に
]VRL]
[VRL[
大きな影響を与えたものと思われる。たとえば『神皇正統記』は「五十
三年壬申」としている。近代でも、橋川正「平安末期に於ける末法到来
の意識」(『仏教研究』六―三、一九二五年)、寺崎修一「日本末法思想の
史的考察」(『文化』一―四、一九三四年)、田村注([YOKO[11]])論文。数江教一
『日本の末法思想』(弘文堂、一九六一年)、田村注([YOKO[14]])論文。注([YOKO[16]])論
文。益田注([YOKO[1]])論文。水野注([YOKO[18]])論文。小谷注([YOKO[19]])論文などみな「五十
三年」としている。しかし、やはり正しく「五十二年壬申」として議論
を進めるべきだと私は考える。なお、『教行信証』は、本文で述べたよう
に、「五十一年壬申」としているが、これも流通の過程で生じた誤説とし
なければならない。
]VRL]



[906] [[齋藤彦松]]は、
昭和32年6月22日、23日の学会で
[CITE[佛滅年紀に據る「末法燈明記」の撰󠄃述期の研究]]
と題して発表しました。
その概要が学会誌に収録されていますが [SRC[>>907]]、
結論のみの要約しか掲載されていません。
他の場で詳細を公表したことがあるのか不明です。

[908] 
それによると、34の仏滅年紀を収集し、
[[平安時代]]前期は1つも正計算と合致しないこと、
[CITE[末法灯明記]]
の2つの仏滅年紀はすべて正計算に合致することから、
[CITE[末法灯明記]]
の撰述の上限は[[平安時代]]前期に入らないと結論づけました。
[SRC[>>907]]

[909] 残念ながら収集結果は数値のみですが、次の点数でした [SRC[>>907]]。

- 仏書 16 仏書奥書 2 写経奥書 1 絵詞 2 歴史、文学書 5 陀羅供養表白文 1 磨崖佛像刻銘 1 石仏造像刻銘 1 石塔刻銘 4 銅製鍍金経筒銘 1
- 平安前期(弘仁) 11 平安後期(藤原) 9 鎌倉期 13 吉野記 1


[1039] 
[[久保常晴]]は、
[[日本]]や[[朝鮮半島]]の[[金石文]]や文献から、
[[平安時代]]初期までばらばらの[[仏滅]]年代が使われていたものが、
[[平安時代]]末期以後おおむねγに統一されること、
[[朝鮮半島]]でも同様の傾向があることを示しました。
[SRC[>>700]]

[1040] 
[[石田瑞麿󠄃]]は、
ばらばらの年代
(>>795, >>1011, >>1024, >>946, >>1032)
がγに統一されていく傾向
(>>1026, >>1033, >>25, >>691, >>1035)
から、
γ説はまず[[天台宗]]教団の正統の[[源信]]らではなく民間で認められ、
固定化されたものが、やがて[[皇覚]]あたりで教団人も認めるようになったものと推測しました。
[SRC[>>1006]]



[REFS[
- [907] [TIME[2012-03-22T07:04:10.000Z]], [TIME[2021-01-07T05:24:37.539Z]] <https://acad.jodo.or.jp/bukkyobunka/pdf/bukkyobunka_008.pdf#page=87>
- [768] [CITE[[[末法燈明記]] やぶちゃん版]], [TIME[2016-12-16T04:23:19.000Z]], [TIME[2021-01-05T03:35:00.392Z]] <http://yab.o.oo7.jp/map.html>
- [769] [CITE[末法燈明記]], [TIME[2007-01-13T15:46:44.000Z]], [TIME[2021-01-05T03:35:20.340Z]] <http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/dengyodaisi/01/415.txt>
- [771] [CITE@ja[最澄『[[末法燈明記]](末法灯明記)』(漢文) * 戒律講説 * 真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺]], [TIME[2017-08-26T07:45:18.000Z]], [TIME[2021-01-05T03:39:38.124Z]] <http://www.horakuji.com/lecture/nippon/mappoutoumyouki/kanbun.htm>
- [770] [CITE@ja[六要9-6]], [TIME[2015-07-26T09:18:44.000Z]], [TIME[2021-01-05T03:36:49.112Z]] <http://www.biwa.ne.jp/~takahara/rokuyou09_06.html>
]REFS]



-*-*-

[727] [[仏暦]]γと1年ずれたη、κの例がありました。

- [723] 
[[日本国]][[静岡県]]田方郡善名寺村石塔
「[V[釈迦󠄃如来滅後二千二百五十二歳  正安壬寅卯月二日]]」
とありました。
[TIME[日本正安4(1302)年[LINES[壬][寅]]][year:1302]]が2252年。κ
[SRC[>>700 p.[V[二五三]] [V[[YOKO[8]]]] ([CITE[尚古年表]], [[入田整三]])]]
- [726] 
[CITE[興福寺略年代記]]
が仏暦κで数えていました。
[SRC[>>700 p.[V[二五三]]]]
- [728] 
[CITE[上宮太子御記]]
に[[欽明天皇]]時代の[[仏教公伝]]を
「[V[入像法五百歳]]」
としていました。
日本欽明天皇13年が正法1000年を過ぎて像法に入って500年とすると、
仏滅は[TIME[紀元前948年[LINES[癸][酉]]][year:-947]]となります。
[SRC[>>700 p.[V[二五三]]]]

[725] κから更に1年ずれたλの例もありました。

- [736] 
[[日本国]][[広島県]][[三原市]]鷺浦町[[磨崖和霊石地蔵]]
「[V[釈尊円寂二千二百五十一年]]
[V[□時正安二年□九月日]]」
[SRC[>>700 pp.[V[二五四]]-[V[二五五]] [V[[YOKO[9]]]] ([CITE[弥勒仏への憧景]], [[川勝政太郎]])]]

[737] 
[TIME[日本正安2(1300)年[LINES[庚][子]]][year:1300]]が2251年とすれば、
仏滅は[TIME[紀元前951年][year:-950]]です。
λ
[SRC[>>700 [V[pp.二五五]]]]

[738] 
[[久保常晴]]は、
多数説の仏滅紀元前949年説と2年のずれがあることを、
説明が思いつかず単なる誤りだろうかとしていました。
「正安2年」
は報告者 ([[川勝政太郎]])
が信頼できるから誤っていないはず、
とみていました。
[SRC[>>700 [V[pp.二五五]]]]
仮に[V[正安三年]]ならκ、
[V[正安二二年]]、[V[正安[YOKO[二二]]年]]ならγなので、
説明がつくはずなのに、ということでしょう。

[739] 
この崖仏は半分が満潮時海水面の下にあって摩耗が激しいようです。
[[Web]] 上では紀年銘部分の写真が見当たりません。

- [746] 
「さらにその脇に、大きく「釈圓寂二千二百五十一年、□時正安二年九月□日、[SNIP[]]」(石仏 日本の美術 久野健 小学館)と陰刻している。
しかしこれらは七百年もの間の風浪によって磨滅が進み、読むこと難しい。」
[SRC[>>747]]
(実見して書かれた文章)
- [745] 「造立は釈尊円寂(しゃくそんえんじゃく)2251年にあたる正安(しょうあん)2年(1300)に、[SNIP[]]」
[SRC[>>744]]
- [741] 「その左に「釈尊円寂二千二百五十一歳、干時正安二年[WEAK[(1300)]]庚子九月日、[SNIP[]]」とある」
[SRC[>>740]]
(現地写真を掲載した [[Webページ]]、実見して書かれたと思われるが現物からの引用か不明)
- [743] 「「二千二百五十一歳、干時正安二年(1300/鎌倉時代後期)庚子九月日、[SNIP[]]」の刻銘があると言うが全ては確認しづらい。」
[SRC[>>742]]
(現地写真を掲載した [[Webページ]]、伝聞だが出典は不明)


[749] 
現地で実見した者の
[[Webページ]]によると、
「陸に近い砂浜の奥に、小さな石碑のようなものがありました。右手に天保二(1832)年とあります。
こちらは磨崖仏の脇にある文章を写し取っているのだそうです。左から2行目「于時正安二庚子年九月日…」とあるのが見えます。こちらは磨崖仏に書かれている内容と同じことが書かれています。実は潮と風雨にさらされるうちに銘文は判読しにくくなっていたのですが、この記録のお陰で正確に知ることができます。正安二年とは1300年となります。」
のだということです [SRC[>>748]]。

[750] 
その写真内の天保の石碑横面は、少し判読しづらいのですが、
「[V[天保二[SUP[辛]]夘歳三月吉日]]」
と書いてあるようにみえます。
[TIME[日本天保2(1831)年[LINES[辛][卯]]][year:1831]]3月。
(西暦1832年とする [SRC[>>748]] のは、
おそらく[TIME[天保元(1830)年][year:1830]]への[[改元]]が[[グレゴリオ暦]]で[TIME[西暦1831年1月][1831-01-23]]だったことに起因する誤算。)

[751] 
さて写真によれば天保の石碑には、
「[V[釋尊圎𡨜二千二百五十一歳]]」
「[V[于時正安二[SUP[庚]]子歳九月日]]」
と書いてあるようにみえます。

[752] 
[[天保]]の石碑には
[RUBYB[[[川勝政太郎]]][[TIME[1905][1905-05-22]]-[TIME[1978][1978-12-23]]]]が判読できなかった文字も書かれていますが、
[[天保]]当時は判読できたのでしょうか、
それとも推測が含まれるのでしょうか。
「年」と「歳」、
「正安二年□」
も諸説少しずつ違っていますが、実物にはどう書かれていたのでしょうか。

[753] 
さて、これらどの釈読を採用するとしても、
仏滅年の解釈にはあまり影響がなさそうです。
干支が庚子と書かれていたなら、
2年が実は3年や4年という可能性はないことになります。
ただし[[川勝政太郎]]が[[干支]]を「□」としたことには注意が必要です。
[[天保]]当時既に年数と干支年が判読困難で、
かろうじて2年と読んで[[干支年]]を推測した可能性も出てきます。
(3年辛丑、
4年壬寅なので庚子とはかなり字形が違います。
誤読だとするならほとんど判読できなかったということでしょう。)


[REFS[
- [747] [CITE[謎を秘めた仏たち27]], 
[[川尻祐治]],
1999年12月,
[TIME[2012-04-11T06:18:12.000Z]], [TIME[2021-01-04T07:56:40.389Z]] <https://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/nazo/nazo27.html>
- [744] [CITE@ja[ひろしま文化大百科 - [[磨崖和霊石地蔵]]]], [[財団法人 ひろしま文化振興財団]], 
Copyright © 2007 広島県,
[TIME[2021-01-04T07:14:28.000Z]], [TIME[2021-01-04T07:53:24.891Z]] <http://www.hiroshima-bunka.jp/modules/newdb/detail.php?id=724>
- [740] [CITE[向田野浦(むこうたのうら)地蔵磨崖仏([[磨崖和霊石地蔵]])]], 
撮影:平成19年8月12日,
[TIME[2012-10-01T02:54:00.000Z]], [TIME[2021-01-04T07:48:34.782Z]] <http://kawai24.sakura.ne.jp/hirosima-mukaidajizou.htm>
- [742] [CITE@ja[広島県三原市鷺浦町 [[向田野浦和霊石磨崖仏]] - 愛しきものたち]], 
撮影2012.12.3,
[TIME[2021-01-04T07:50:22.000Z]] <https://blog.goo.ne.jp/pzm4366/e/232c0ea61461fe7119501feadd885d13>
- [748] [CITE@ja[POI申請を愉しむ⑤(磨崖仏・後編)|sinXsan|[[note]]]], 
[[sinXsan]],
2020/08/13 11:55,
[TIME[2021-01-04T08:12:06.000Z]] <https://note.com/sinxsan/n/nee49f09b32d6>
]REFS]


[931] 
[CITE[顯淨土眞實敎行證文類]]
[WEAK[([CITE[教行信証]]、[TIME[日本元仁元(1224)年][year:1224]]草稿)]]
は、
[CITE[末法灯明記]] (>>697)
を引用しつつ [SRC[>>933, >>935]]、
[[周]]穆王51年壬申から[TIME[日本元仁元(1224)年[LINES[甲][申]]][year:1224]]まで
2183年と書いていました [SRC[>>932, >>934]]。
[SRC[>>914]]
γ10年ずれ

[936] 
[[存覚]]は、
[CITE[教行信証]]
の注釈書
[CITE[六要抄]]
で、
2183年でなく2173年γを書き誤ったものではないかと指摘しました。
[TIME[日本延文5(1360)年庚子][year:1360]]が2309年としました。 γ
[SRC[>>934, >>914]]

[NOTE[
[937] なお
[CITE[六要抄]]
は[[正法]]500年説では
「欽明天皇治十五年貴楽二年壬申」
から[[末法]]としましたが、
欽明天皇15年は甲戌で、
欽明天皇13年[LINES[壬][申]]が正しいと思われます。
[SRC[>>914]]

[938] ただの誤記とも考えられますが、
当時の[[貴楽]]など[[古代年号]]をめぐる混乱の影響の可能性もありそうです。
[SEE[ [[古代年号]] ]]

]NOTE]

[REFS[
- [932] [CITE@ja[p360 / 顕浄土方便化身土文類六 本([[教行信証]]・化身土 本)]], [TIME[2012-10-11T09:48:04.000Z]], [TIME[2021-01-07T07:48:32.815Z]] <http://seiten.icho.gr.jp/html/360.html>
-- 「案三時教者勘如来般涅槃時代、当周第五主穆王五十一年壬申。従其壬申、至我元仁元年甲申、二千一百八十三歳也。又依賢劫経仁王経涅槃等説、已以入末法六百八十三歳也。 」
- [933] [CITE@ja[p362 / 顕浄土方便化身土文類六 本([[教行信証]]・化身土 本)]], [TIME[2012-10-11T09:48:04.000Z]], [TIME[2021-01-07T07:49:43.603Z]] <http://seiten.icho.gr.jp/html/362.html>
- [934] [CITE@ja[六要9-5]], [TIME[2015-07-26T09:18:43.000Z]], [TIME[2021-01-07T08:04:38.202Z]] <http://www.biwa.ne.jp/~takahara/rokuyou09_05.html>
-- 「至我等者。下所被引末法燈明記両説内周異記意。仏涅槃後至我延暦二十年辛巳一千七百五十歳也。就之勘之。自同二十一年壬午。至于元仁元年甲申。四百二十三箇年也。仍仏涅槃至件甲申。二千一百七十三年。而云八十。其八之字書生誤歟。宜云七也。已以等者。且依正法五百年説。若依此説。欽明天皇治十五年貴楽二年壬申之暦始入末法。自其壬申至此元仁元年甲申。六百七十三箇年也。而云八十。其八之字誤。又同前宜云七也。若依正法千年説者。後冷泉院御宇永承七年壬辰始入末法。自彼壬辰至此元仁元年甲申。一百七十三箇年也。以次検之。自彼元仁甲申翌年嘉禄元年乙酉之暦。今至延文五年庚子。一百三十六筒年也。故仏涅槃迄于当年庚子。二千三百九箇年也。」
- [935] [CITE@ja[六要9-6]], [TIME[2015-07-26T09:18:44.000Z]], [TIME[2021-01-07T08:04:57.179Z]] <http://www.biwa.ne.jp/~takahara/rokuyou09_06.html>

]REFS]


[1269] [[勝山記の日時]] : γ2年ずれ


-[1291] [CITE@ja-JP[大田区史 資料編 寺社 1]], [[東京都大田区史編さん委員会]], [TIME[1981.6][1981]], [TIME[2024-03-21T07:14:33.000Z]], [TIME[2024-05-26T13:41:53.489Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642287/1/268> (要登録)
-- [1296] 
[CITE[照栄院過去帳]] (折本・享保13年12月)
--- [1297] 大正11年までは少なくても書き足されている

- [1292] 「大建九丁酉六月[BR[]]南岳大師      仏滅後千四百六十四年」 [SRC[/268 左中]]
-- [1293] [TIME[陳太建9(577)年丁酉][577]] [SEE[ [[太建]] ]]
-- [1294] γ-62
--- [1295] γだと1526年
- [1299] 「貞応元年二月  房州[BR[]]宗祖御誕生  仏滅後二千百七十一年」 [SRC[/267 右]]
-- [1300] [TIME[貞応元(1222)年壬午][1222]] γ
-- [1301] 宗祖 = [[日蓮]]
- [1298] 「天親菩薩  仏滅後八百年出世」 [SRC[/263]]

-*-*-


[720] 概数ながら仏暦γで数えたとみられる例がいくつか知られています。

- [706] 
[[日本国]][[京都府]][[相楽郡]][[和束町]]白栖和束渓摩崖弥勒石に
「[V[正安二年四月日  当釈迦󠄃牟尼仏滅度之後二千二百余]]
[V[歳比]]」
とありました。
[SRC[>>700 pp.[V[二五〇]]-[V[二五一]] [V[[YOKO[4]]]] ([CITE[京都古銘聚記]], [[川勝政太郎]])]]
- [719] 
[[日本国]][[京都府]][[相楽郡]][[和束町]]原山金胎寺宝篋印塔に
「[V[釈迦󠄃□□□□二千余歳  正安二年[SNIP[]]]]」
とありました。
[SRC[>>700 p.[V[二五一]] [V[[YOKO[5]]]] ([CITE[京都古銘聚記]], [[川勝政太郎]])]]
- [714] 
[[日本国]][[京都府]][[相楽郡]][[和束町]]撰原石仏
「[V[釈迦󠄃如来滅後二千余歳  文󠄃永二二年  丁夘[SNIP[]]]]」
とありました。
[SRC[>>700 p.[V[二五二]] [V[[YOKO[7]]]] ([CITE[弥勒仏への憧景]], [[川勝政太郎]])]]
-- [707] 
正安2年の2例は、概数で、200年の違いがありますが、時代と場所の近さから同じ意味で、
字数の都合によると推測されます。
[TIME[日本正安2(1300)年][year:1300]]から2200年と逆算すると紀元前901年-紀元前999年で、
仏暦γはこの範囲に収まります。
[SRC[>>700 pp.[V[二五〇]]-[V[二五一]] [V[[YOKO[4]]]], [V[[YOKO[5]]]]]]
-- [715] 
[TIME[日本文永4(1267)年][year:1267]]の例は、
正安2年弥勒石仏を参考に2200年代と推測すると、
仏暦γがこの範囲に収まります。
[SRC[>>700 p.[V[二五二]] [V[[YOKO[7]]]]]]



-*-*-


- [717] 
[CITE[顕[ASIS[真業]]口決抄]]
「神武天皇ハ仏滅後二百九十九年也、」
仏滅は紀元前958年。
[SRC[>>700 p.[V[二五二]], p.[V[二六一]] [V[([YOKO[3]])]]]]
-- [891] 
[CITE[顕真得業口決抄]] [SRC[>>866]]
のこの部分は[[神武天皇]]の何の年が299年か明記していない。
紀元前958年は即位年と考えた時の値。
-- [892] 
[CITE[顕真得業口決抄]] 
のこの後の部分に神武天皇の始めから欽明天皇の終わり辛卯まで1182年歟とあります
[SRC[>>866]]。
[TIME[欽明天皇32(571)年][year:571]] - 
[TIME[神武天皇元(-659)年][year:-659]] = 1230。
誤差48年。

- [718] 
[CITE[上宮太子御記]],
[CITE[皇太子聖徳奉讃]] ([CITE[七十五首和讃]])
は仏滅を紀元前946年としていました。
[SRC[>>700 p.[V[二五二]]]]
-- [893] 
[CITE[皇太子聖徳奉讃]] [SUB[四七]]
「[V[像法第十三季に漢の明帝の時代にぞ天竺の摩騰迦󠄃、竺法蘭、仏教を白馬にのせきたる]]」
とあり、
[TIME[漢明帝永平10(西暦67)年][year:67]]の仏教の漢伝来が像法13年。
仏滅は紀元前946年。
[SRC[>>700 p.[V[二六一]] [V[([YOKO[3]])]]]]
(像法13年 = 1013年の計算。)

- [754] 
[[日本国]][[兵庫県]][[神崎郡]]香寺町須賀院常福寺阯出土瓦経に、
「[V[[SNIP[]]方今始自釈尊入滅二千一百六十四年之比[SNIP[]]天養元年歳次甲子六月廿九日奉書写了]]」
とありました。
[SRC[>>700 p.[V[二五五]] [V[[YOKO[10]]]] ([CITE[平安遺文]] 金石文編)]]
-- [755] 
[[久保常晴]]は、
[TIME[日本天養元(1144)年][year:1144]]から逆算して紀元前1025年-紀元前1017年に、
該当するべき入滅説が知られていないとしました。
[SRC[>>700 p.[V[二五五]] [V[[YOKO[10]]]]]]
-- [756] 
ζが近いですが、範囲からは1年ずれています。またζは仏誕説から起算したものです。
- [757] 
[[日本国]][[兵庫県]][[福崎町]]東田原大門地蔵堂塔
「[V[釈迦󠄃仏滅後    二千二百年]]
[V[石塔立時雲    □厂仁二年]]
[V[[SNIP[]]]]」
とありました。
[SRC[>>700 pp.[V[二五五]]-[V[二五六]] [V[[YOKO[11]]]] ([CITE[弥勒仏への憧景]], [[川勝政太郎]])]]
-- [758] 
[CITE[播磨石造遺物古銘資料]],
[[浅田芳朗]]は、
[TIME[日本応仁2(1239)年][year:1239]]と解しました。
[SRC[>>700 pp.[V[二五五]]-[V[二五六]]]]
-- [759] 
[TIME[日本暦仁2(1239)年][year:1239]]
[WEAK[(「応仁二年 (一二三九)」 [SRC[>>700 p.[[二五五]]]] は誤記。)]]
とすれば仏滅は紀元前1060年-紀元前962年、
[TIME[日本応仁2(1468)年][year:1468]]とすれば紀元前831年-紀元前733年となります。
[SRC[>>700 pp.[V[二五五]]-[V[二五六]]]]
-- [760] 
[[久保常晴]]は、
[[室町時代]]の[[金石文]]に仏滅年次を示した例が知られていないことから、
前者の蓋然性が強いとしました。
[SRC[>>700 pp.[V[二五五]]-[V[二五六]]]]
--- [761] 
「[V[紀元前一〇六〇[ASIS[〜][逆S]]九六〇年となり、紀元前九八󠄂九年を溯る。]]」
としています
[SRC[>>700 pp.[V[二五五]]-[V[二五六]]]]
が、
前989年がどの説を念頭に於いたものかは不明。
--- [762] 
γ12年ずれ (干支1巡) で一応範囲に入ります。
ζも範囲に入りますが、仏誕基準です。



- [894] [CITE[源平盛衰記]]
「謹で釈尊出世の時分を考るに、正像各一千年、末法一万年の其後こそ世は滅すべしなどいへば、後冷泉院の永承年中に末法に入て、僅に百三十余年也。」
[SRC[>>885]]
- [895] [CITE[皇太子聖徳奉讃]] [SUB[五〇]]
「[V[欽明天皇御時始自百済国渡仏法、入像法五百余年許也]]」
[SRC[>>700 p.[V[二六二]] [V[([YOKO[4]])]]]]


[721] 
2000余年や2200余年と年数を明示しない金石文 (>>720)、
[CITE[源平盛衰記]] (>>894) [SRC[>>700 p.[V[二六二]] [V[([YOKO[4]])]]]],
[CITE[皇太子聖徳奉讃]] (>>895)
のように、
その頃、年時を明記しないものが出現しました。
[CITE[日蓮聖人御遺文]]
は紀元前949年説γによる年時が多いのですが、
仏滅年時を2200余年と概数にもしていました [SRC[>>700 p.[V[二六二]] [V[([YOKO[4]])]], >>897, >>896]]。
更に仏滅年代の異説による混乱 (>>716, >>717, >>718)
もみられました。
[SRC[>>700 p.[V[二五二]]]]

[722] 
こうした現象は、
[[末法]]以前こそ、
[[末法]]の到来を恐れてその年代を明確にする必要があったものの、
[[末法]]に入って時が経つに従ってそれを明らかにする必要性が認められなくなった結果と考えられています。
[SRC[>>700 pp.[V[二五二]]-[V[二五三]]]]


[REFS[
-[866] [CITE@ja[[[大日本仏教全書]]. 112 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[仏書刊行会]], [TIME[明治45-大正11][year:1922]], [TIME[2021-01-06T09:59:18.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952816/63>
]REFS]

-*-*-

[777] 
μ
に基づくと考えられる
[SRC[>>700 p.[V[二五六]]]]
事例もありました。



- [776] 
[[日本国]][[奈良県]][[生駒郡]][[南生駒村]]輿山宝篋印塔
「釈迦󠄃入滅  一千八󠄂百六十七年  正元元年十月日  [SNIP[]]」
[TIME[日本正元元(1259)年][year:1259]]が1867年 μ
[SRC[>>700 p.[V[二五六]] [V[[YOKO[12]]]] ([CITE[大和輿山の宝篋印塔について]], [[佐々木利三]])]]

[788] 
当時の通説γではなくμを採用した理由は不明ですが、
μでは未だ[[末法]]に入っていないことになるためではないかとの推測があります。
[SRC[>>700 p.[V[二五七]] [V[[YOKO[12]]]] ]]



[779] 
[CITE[仏法伝来次第]]
は、
[TIME[日本治承4(1180)年][year:1180]]以後成立とされますが、
[[支那の元号]]や[[日本の元号]]の他に[[仏暦]]を使って日本伝来以前の時期を表していました。
次のようにありました
[SRC[>>778]]。

- [780] 「[V[經如[ASIS[來][亅]]滅後一百年]]」
- [781] 「[V[如[ASIS[來][亅]]滅後七百年中。[LINES[楞伽經][之意]] 或云[ASIS[。][アキなし]]五百年。]]」
- [782] 「[V[如[ASIS[來][亅]]去世一千年中]]」
- [783] 「[V[如[ASIS[來][亅]]滅後一千一百年中]]」
- [784] 「[V[當于如[ASIS[來][亅]]滅後六百年中。後漢明帝永平󠄃七年]]」
- [785] 「[V[當于如[ASIS[來][亅]]滅後一千二百餘年[ASIS[。][アキなし]][LINES[如[ASIS[來][亅]]滅後一千一百年護][法菩薩出世以其義述󠄃之]]]]
[V[我日本國志貴嶋金刺宮御宇。百濟國始獻佛像]]
[V[經論幡蓋等。[SNIP[]]]]」

[786] このうち[TIME[漢永平7(西暦64)年][year:64]]が600年中とする (>>784)
のを601年から699年の範囲とすると、
仏滅は紀元前537年から紀元前635年となり、μがこの範囲に入ります。
[SRC[>>700 p.[V[二五六]]]]

[712] 
[[日本]]への[[仏教公伝]]
[WEAK[([CITE[日本書紀]]によれば[TIME[西暦552年][year:552]])]]
を1200年余とする (>>785)
のを1201年から1299年の範囲とすると、
仏滅は紀元前747年から紀元前649年となり、
範囲が少しずれてしまいます。
[SRC[>>700 p.[V[二五六]]]]

[787] 
同じ文章中で矛盾した数え方が混在しているのは、
[[仏暦]]が一括して計算して求められたものではなく、
本書またはその元になった書物にある値をそのまま引き継いだからでしょう。
仏滅何年の表記が一定していないのも、
ただの文章表現上の揺れではなくネタ元の表記に引きずられたのかもしれません。



[713] 
[[久保常晴]]は後者 (>>712) に言及しつつも前者 (>>786)
より紀元前608年説μがあったものとし、
[CITE[末法灯明記]] (>>697)
所引
[CITE[魯氏春秋]] (>>699)
の壬子入滅説に源を発するのではないかと推測しました。
[SRC[>>700 p.[V[二五六]]]]




[REFS[
- [778] [CITE@ja[[[続群書類従]]. 第25輯ノ下 釈家部 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[塙保己一]], [TIME[大正12-14][year:1925]], [TIME[2021-01-05T06:00:57.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936496/4>
]REFS]

-*-*-

[31] 
[[日本]]の[[戦国時代]]-[[江戸時代]]初期頃に作られた[[年代対照表][年表]]
[CITE[[[新撰三国運数符合図]]]]
[SRC[>>13, >>258]] は、
[[天竺]]について[[釈迦]]の死後を[DFN[佛滅後]]何年と表していました。
γ

[32] 
[[神武天皇]]の[[元年]]
([TIME[西暦-659年][year:-659]])
は「二百九十年」でした。
[[明正天皇]]の[[元年]]たる寛永7年[[庚午]] 
(記載された最終年、[TIME[西暦1630年][year:1630]])
は「二千五百七十九年」でした。
[SRC[>>30]]


[677] 
[[江戸時代]]に作られた[[長暦]]
[CITE[皇和通暦]]
の[[早稲田大学]] [[Webサイト]]公開本に、
[[仏暦]]の書き込みがありました [SRC[>>679]]。

[[綏靖][綏靖天皇]]の三一年と三二年の中間やや三二側の欄外に、
「釈迦入滅ヨリ三百
九十九年メ」
([[縦書き]])
と黒字で書き込まれていました。

その直下、年数欄内の「三一」と「三二」の間に、
「此年孔子生
周霊王卄一年」
([[縦書き]])
と朱字で書き込まれていました。
年数の「三一」の上、
朱字の「年孔」
の右側に朱書の縦線があって、
31年を指しているように思われなくもありません。

[680] 
[TIME[綏靖天皇31年][year:-550]]は-550年 (紀元前551年)、周霊王21年です。γ
[TIME[綏靖天皇32年][year:-549]]は-549年 (紀元前550年)、周霊王22年です。η
現在[[孔子]]の生年は-550年 (紀元前551年)
または[TIME[-551年 (紀元前552年)][year:551]]とされているようです。
書入者は31年γを意図していたのでしょうか。


[REFS[
- [29] [CITE[[[扶桑略記]]]]
- [30] [CITE[[[新撰三国運数符合図]]]]
- [678] [CITE[[[皇和通暦]]]]
-- [679] [CITE[ni05_01494_0001_p0018.jpg (2592×1728)]], [TIME[2008-04-22 10:10:52 +09:00]] <https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ni05/ni05_01494/ni05_01494_0001/ni05_01494_0001_p0018.jpg>
- [700] [CITE[[V[金石文に現れたる仏滅年代]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[二四八󠄂]]-[V[二六二]]
- [258] [CITE@ja[[[日本における紀年認識の比較史的考察]]]]
- [13] [CITE@ja[「[[ホモ・ヒストリクスは年を数える]]」(10)~キリスト紀年を表す造語『西暦』~ 西暦に代わる通年紀年法としての皇紀(THE PAGE) - Yahoo!ニュース]]
([TIME[2019-12-11 17:12:00 +09:00]])
<https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190526-00010001-wordleaf-cul&p=2>
- >>662
- >>645

]REFS]



** 近代日本

[664] 
[[明治時代]]から[[昭和時代]]前期には、
引き続き一部で北伝系[[仏暦]]が使われました。

- [1194] 
[CITE[釈迦如来入滅以降二千八百三十一年本朝明治十七年仏暦一斑《和解仏暦一斑》]],
[[藤沢添治郎]],
明治16年(1883),
QA-1782 [SRC[>>1193]]
η
- [666] [CITE[明治校訂洞上行持軌範]] [SRC[>>71]]
-- [TIME[西暦1889年][year:1889]]発行
-- [[曹洞宗]]教義での仏滅年代計算 γ
- [663] [CITE[仏教世界年契]] [SRC[>>658]]
-- [TIME[西暦1910年][year:1910]]発行
-- [[印度]]暦として[[仏滅紀元]]γを採用した[[年表]]
- [665] [[日本人]]が[[印度]]で制作した仏画の紀年銘 δ (>>393)
-- [TIME[西暦1936年][year:1936]]
- [1248] 
[CITE@ja-JP[仏の降誕を紀元と為る仏教大年表]], [[重田勘次郎]]
-- [1249] [TIME[昭和13(1938)年][1938]]発行
-- [1250] 佛紀としてδ、他に[[日本の元号]]、[[皇紀]]、[[干支年]]、
[[支那の元号]]
-- [1251] 佛紀1の前年が「[L[1前]]」と[[紀元前方式]]


[596] 
[[昭和時代]]前期には、[[皇紀]]が[[流行しました][昭和時代の日時]]。
[TIME[昭和15(1940)年][year:1940]]には[[紀元2600年]]記念行事が国を挙げて実施され、
[[仏教]]界も例外ではありませんでした。
現在でも、例えば街中の[[地蔵]]台座の[[紀年]]で見かけることがあります。
([[仏教]]以外では[[鳥居]]などにみられます。)

[597] 
[[昭和時代]]中期には南方仏紀2500年の記念事業が開催されました
(>>523)。わずか十数年の間に2600年から2500年に100年逆戻りするとは、
当時の人はどう思っていたのでしょうか。

[598] 
[CITE[読売新聞]]
のアーカイブで検索すると、
「仏暦」
の初出は
[CITE[タイの作家たち 盛んな創作活動、戯曲も]],
[[岩城雄次郎]],
[TIME[1990.05.07][1990-05-07]]
で[[タイ暦]]としての紹介とみられます。
以後もほとんどは[[タイ暦]]とみられますが、
[CITE[ [京都の千二百年]山背の建都(上)延暦は末法か]],
[[林屋辰三郎]],
[TIME[1994.03.17][1994-03-17]]
のようにそうではないとみられるものもあります。
[[ミャンマー]]における「仏暦正月」を報じた例もありました [SRC[>>600]]。

[EG[
[599] 
[CITE[  [政治考現学]内外党首選び事情 新進党、ユニークな開放型「実験」]],
[TIME[1995.12.17][1995-12-17]]
は
「
《各国の党首選びの例》      
[SNIP[]]
◆タイ
仏暦2524年政党法で「総会にお[ASIS[タイ]]いて党員の投票で選出する」と規定。
」
と法令名の引用ながら詳しい解説なく「仏暦」を使っていました。
]EG]

[601] 
同じく「仏紀」
は初出が
[TIME[1957.05.08][1957-05-08]] の衆議院本会議記事、
続いて
[CITE[「仏紀二五四一年、秋」]], [[吉岡生夫]], [TIME[1998.09.26][1998-09-26]] 
(題名が掲載当時を指すとすれば、α)、
と2例しかみつかりません。
「仏滅紀元」は1件も見当たりません。

;;
[602] 他に
[CITE[ [20世紀文学紀行](63)セット P・ヴァレリー「海辺の墓地」]],
[TIME[1989.06.27][1989-06-27]]
がありますが。
「南仏紀行」
に出現するのみの誤一致です。


[REFS[
- [79] [CITE@ja[[[洞上行持軌範]]. 巻上 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[曹洞宗務局]], [TIME[明22.8][year:1889]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823402/39>
-- >>71 から引用


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[658] [CITE@ja[ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム]]
([TIME[2020-04-08 17:40:10 +09:00]])
<https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/2321315100/2321315100100010/mp02080300>
]FIGCAPTION]

[CITE[仏教世界年契]], [[木津無庵]]編, [TIME[明治43(1910)年2月][1910-02]]印刷・発行

> 仏陀入滅以後の仏教関連事項と政治的文化的に重要な事件を、印度・支那・日本・泰西の4段組にして示した年表。年号は、印度は仏滅紀元、中国は孔子紀元(仏滅紀元元年は孔子紀元前398年)、日本は神武紀元本(仏滅紀元元年は神武紀元前289年)、泰西は西暦紀元(仏滅紀元元年は西暦紀元前949年)を用いる。

γ

]FIG]


- [1247] 
[CITE@ja-JP[仏の降誕を紀元と為る仏教大年表]], [[重田勘次郎]], [TIME[昭13][1938]], [TIME[2023-03-28T13:58:31.000Z]], [TIME[2023-04-02T13:20:17.595Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1231925/1/11> (要登録)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[600] 
[CITE[スー・チーさんの自宅で正月の式典/ミャンマー]],
[TIME[1997.04.15][1997-04-15]],
[CITE[読売新聞]] 東京朝刊 外電B 01段
]FIGCAPTION]

> 【バンコク14日=高須賀茂文】ミャンマーからの情報によると、同国民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんは十四日、ヤンゴン市内の自宅で仏暦正月を祝う式典を行い、民主化実現に向けて「勇気と不屈の精神を新たにしよう」と呼びかけた。
]FIG]

- [1193] [CITE@ja[[[東京国立博物館]] - 展示 日本美術(本館) シリーズ「歴史を伝える」 特集陳列「暦と干支」 作品リスト]], [[東京国立博物館 -トーハク-]], 
2011年1月2日(日) ~ 2011年1月30日(日),
[TIME[2021-01-10T09:35:30.000Z]], [TIME[2021-01-10T09:38:09.372Z]] <https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=2818>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[71] [CITE@ja[[[曹洞宗]]の「仏紀」の数え方 - つらつら日暮らし]], 
2015-02-20 08:30:18,
[TIME[2020-03-05 11:30:58 +09:00]] <https://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/90b8213ccea93eec6c1f1185cf02f2c7>
]FIGCAPTION]

>「仏紀」という概念がある。要するに、仏陀釈尊が誕生・成道・入滅等の年数から経年を示したものである。それで、曹洞宗では今年、平成27年(2015)を仏紀2581年であるとしている。然るに、宗派で出している仏教関連の教科書では、ゴータマ=ブッダは紀元前463年誕生、紀元前383年入滅とあって、この数字が一致しない。

δ

>例えば、道元禅師などは、このように指摘している。
>
[FIG(quote)[
>
参学しきたること、すでに二千一百九十年〈当日本仁治二年辛丑歳〉……

[FIGCAPTION[
『正法眼蔵』「仏性」巻
]FIGCAPTION]
]FIG]
>
[SNIP[]]
仁治2年(1241)段階でいわれているのだから、774年前に入滅から2190年と数えていることになる。よって、道元禅師の時代の仏滅を基準として仏紀を換算するならば、今年は仏紀2964年になるはずである。

γ

>
[FIG(quote)[
> 仏滅の暦算は仏祖統紀・仏祖通載共に、周昭王廿六年甲寅四月八日誕生、周穆王五十三年壬申二月十五日七十九歳にして入滅とす。天竺支那日本の祖師、皆な此の説に同じ。
> 禅苑に云く、「如来大師入般涅槃、今皇宋元符二年に至て已に二千四十七年を得たり」と。
> 瑩規に云く、「元亨四年甲子に至て已に二千二百七十一歳を得たり」と〈以上、禅苑〉。
> 瑩規は推算を失す。禅苑は一算を誤り、瑩規は二算を誤まれり。
> 敕修に云く、「大元重紀至元元年に至て已に二千二百八十四歳を得たり」。
> 小規に云く、「日本享和三年癸亥に至て已に二千七百五十二歳を得たり」と。
> 敕修・小規を正当とす。則ち、「明治廿二年己丑に至て已に二千八百三十八歳を得たり」。是れ仏教古今通規の真説なり。

[FIGCAPTION[
『明治校訂洞上行持軌範』「月分行持・八日」項、明治22年(1889)刊行
]FIGCAPTION]
]FIG]
>
明治時代に刊行された『行持軌範』では、僧堂での念誦の中に読み込まれる仏紀を採り上げて、その詳細を註記している。それで、同軌範の立場は、道元禅師と同じであることが分かる。なお、『瑩山清規』は、元亨4年(1324)に合わせているので、「2273年」でなくてはならず、確かに2年ずれている。

- [518] [TIME[元符2年 = 西暦1099年][year:1099]] 2047年 η = γ1年ずれ
- [519] [TIME[元亨4年 = 西暦1324年][year:1324]] 2271年 γ2年ずれ
- [520] [TIME[大元重紀至元元年 (2回目の至元の元年) = 西暦1335年][year:1335]] γ
- [521] [TIME[享和3年 = 西暦1803年][year:1803]] γ
- [522] [TIME[明治22年 = 西暦1889年][year:1889]] γ

>「仏紀2581年」はどうも高楠順次郎博士の「仏誕」に数字を合わせているようである。

]FIG]


]REFS]


- [1288] [CITE@ja-JP[浄土宗便覧 前]], [[吉水融我]], [TIME[明26][1893]], [TIME[2024-03-21T07:14:33.000Z]], [TIME[2024-05-26T13:31:26.689Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/821282/1/28>
-- [1289] 「我紀元千二百十二年佛滅後千五百一年にして西洋紀元後五百五十二年」γ


[1290] 
[CITE[国立国会図書館デジタルコレクション]]によると (その蔵書の性質によるのかもしれませんが)
近代には仏教書で「仏滅後[VAR[何]]年」と書いたり、[[元号]]や[[皇紀]]や[[西暦]]と併記したりして仏教関係の出来事の時期を書いたものが大量にありました。[[昭和時代]]後期になるとそうした書物は少なくなっていき、学術研究で引用や簡単な説明で言及されるもの中心に変わっていきます。


[1309] 
[CITE@ja-JP[現代仏教 11(111);2月號]], [[大雄閣]], [TIME[1934-02]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-11-01T05:14:25.822Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11185606/1/21> (要登録)


[1310] 
[CITE@ja-JP[世界仏教 5(4)]], [[世界仏教協会]], [TIME[1950-04]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-11-01T06:01:01.595Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3556916/1/28> (要登録)


[4348] 
[CITE@ja-JP[日本洞上紀年]], [[栗山泰音]], [TIME[明25.12][1892]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-05T09:11:10.798Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/823430/1/8>

[4349] >>4348 [[年表]]。
[[釈尊入滅紀年]] ([[仏暦]]γ型)、
[[神武天皇即位紀年]]、[[干支]]、
歴代天皇御宇年号 ([[天皇]]名と[[元号]])、
[[宗名勅定紀元]]前後 ([[著者]]の属する[[曹洞宗]]を基準にした[[紀年法]])、
従明治26年の年数 (明治25年12月の書籍なので、新年基準で遡った年数) を記載している。



** 現代日本

[48] 
[[現代日本]]では、一般社会と同様に[[日本の元号]]、
[[西暦]]、その併記がよくみられます。
一般社会よりはやや[[日本の元号]]を使う傾向が強いと思われます。

[49] 
それらに加えて[[仏暦]]も使われます。
[[仏暦]]の利用度は個別の寺院によって様々なようで、
まったく使わない (少なくても[[Web]]上には痕跡がみられない)
ところが多いですが、
[[年始]]など特別な日に紹介する程度のところや、
[[カレンダー]]には記述しているところもあれば、
少数ながら[[日付]]表記にまで積極的に使っているところもあります。
ほとんどの場合、[[日本の元号]]、
[[西暦]]、併記の3種のいずれかとの併記ですが、
[[仏暦]]が先のこともあれば、[[仏暦]]が後のこともあります。

[50] 
多くの場合、[[日本の元号]]、[[西暦]]、[[仏暦]]のどれを使うかに統一された方針はみられず、
同じ文書内でも混在することは珍しくありません。
仏教界全体、あるいは宗派ごとの統一的な方針もない、または強制力の弱いもののようです。
([[仏暦]]が使われ得ることを除けば、一般社会の状況と同じです。
[SEE[ [[現代日本の紀年法]] ]])

[109] 
[[日本]]人の多くは[[仏教徒]]ですが、[[仏暦]]の認知度はかなり低いとみられます。
[[Web]] で検索しても、むしろ[[タイ暦]]としての方が知られているようです。



-*-*-

[526] 
[[現代日本]]の[[仏教]]で[[仏暦]]を扱う場合、
αが多く、
他にβεγηθιがみられます。
[[曹洞宗]]を中心にδがみられ、[[仏紀]]と呼ばれています。
この他、実用されるものか誤記か判断が難しい、
1年程度ずれた用例が数件みられます。

[527] 
[[昭和時代]]中期には、
[[東南アジア]]の影響でβが使われ、
[[仏紀]]や[[南方仏紀]]と呼ばれていました
(>>524)。
主流の呼称が[[仏紀]]から[[仏暦]]へと移行したのは、
[[キリスト紀元]]の一般的な呼称として[[西紀]]が衰退し[[西暦]]に統一されたことと合わせて考える必要がありそうです。

[528] 
日本国内で[[仏暦]]各種が使われているとはいえ、
補助的なものが多いようで、日常的な利用はみられません。
多数のバリエーションがあるのも、
他の寺院との[[情報交換]]に供されていないからこそでしょう。
各バリエーションの利用が古くから続く伝統なのか、
近年 (例えば[[全日本仏教会]]のα採用後)
広まったものかは不明です。

[535] 
[[日付]]表記に実用する[[紀年法]]としてのγは現代ではほとんどみられないようですが、
[[2ch]] などに投稿される[[仏滅]]以来の年数に言及した記事では、
γらしき数値がみられることがたまにあります。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[175] [CITE@ja[[[仏暦]]とは? ブッダ(お釈迦様)が亡くなった年は何年? - 禅の視点 - life -]], 
2018-11-05,
[TIME[2020-03-07 12:32:04 +09:00]] <https://www.zen-essay.com/entry/butsureki>
]FIGCAPTION]

>亡くなった年(前544年)を仏暦の元年と考えているのはミャンマーやスリランカであり、亡くなった年の翌年(前543年)を元年と考えるタイ、カンボジア、ラオスとは、仏暦における元年が1年ズレている。

β、α

>一周忌と一回忌では、意味が異なるということだ。
>ほかにも、人は0歳で生まれて1年経ったら1歳になるが、小学校に入学するときは0年生ではなく1年生が最初となる。
>[B[0を基点とするか、1を基点とするか。]]


>全日本仏教会[SNIP[]]も、紀元前544年を仏暦の元年としている。
他方、私が属している曹洞宗では、[B[教科書『仏教概論』に記載してある入寂の年は紀元前383年]]。
また、同じ曹洞宗が毎年発行している手帳には、西暦2018年の手帳になぜか
「[B[仏紀 2584年]]」
と記されている。
>
これは入寂の年を紀元前486年とし、なおかつ入寂ではなく降誕の日、つまりは[B[ブッダが生まれた日を紀元として考えた仏暦である]]。
入寂年の計算式を示すと、
>
2584年-2018年-80年=紀元前486年
>
となる。
80年というのは、ブッダが亡くなった歳の年齢。
ブッダは80歳で亡くなった。
したがって、紀元前486年から80年遡り、ブッダの生まれた年を計算すると……
>
486年+80年=566年

δ

]FIG]

]REFS]

-*-*-

[1218] 
なお、
[[日本国]][[鹿児島県]][[奄美]]地方や[[日本国]][[沖縄県]]には、
[[仏教]]が[[日本本土]]ほど普及していません。
そのためなのか、
[[仏暦]]の用例も確認できません。


** 日蓮宗

[1307] 
[[日本]]の[[仏教]]諸派の中では[[日蓮]]の系統の宗派が特に[[仏滅]]からの年数に関心を持っているように見えます。
[[日蓮]]がいくつかの[[文書]]で[[仏滅]]から当時までの年数を書いていたことに関係しています。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[878] [CITE@en[波木井三郎殿御返事 - [[日蓮聖人御遺文検索]]]], [[日蓮聖人御遺文検索]], [TIME[2020-09-27T12:17:57.000Z]], [TIME[2021-01-06T08:57:06.382Z]] <https://www.xn--gmqx52bpnexk914iu0fkyv.net/texts/%E6%B3%A2%E6%9C%A8%E4%BA%95%E4%B8%89%E9%83%8E%E6%AE%BF%E5%BE%A1%E8%BF%94%E4%BA%8B/?q=%E4%BB%8F%E6%BB%85%E5%BE%8C>
]FIGCAPTION]

>仏滅後今に二千二百二十二年也

>文永十年太歳癸酉八月三日

γ

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[879] [CITE@en[[[報恩抄]] - 日蓮聖人御遺文検索]], [[日蓮聖人御遺文検索]], [TIME[2020-09-27T13:36:01.000Z]], [TIME[2021-01-06T09:01:10.806Z]] <https://www.xn--gmqx52bpnexk914iu0fkyv.net/texts/%E5%A0%B1%E6%81%A9%E6%8A%84_%E5%BB%BA%E6%B2%BB%E4%BA%8C%E5%B9%B4/?q=%E4%BB%8F%E6%BB%85%E5%BE%8C>
]FIGCAPTION]

>一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。

>建治二年[太歳丙子]七月二十一日 記之

γ

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[880] [CITE@en[妙法比丘尼御返事 - [[日蓮聖人御遺文]]検索]], [[日蓮聖人御遺文検索]], [TIME[2020-09-27T13:36:09.000Z]], [TIME[2021-01-06T09:03:39.602Z]] <https://www.xn--gmqx52bpnexk914iu0fkyv.net/texts/%E5%A6%99%E6%B3%95%E6%AF%94%E4%B8%98%E5%B0%BC%E5%BE%A1%E8%BF%94%E4%BA%8B/?q=%E4%BB%8F%E6%BB%85%E5%BE%8C>
]FIGCAPTION]

>而るに仏御入滅ありては既に二千二百二十七年なり。

>仏滅後既に二千二百二十七年になり候に、

>弘安元年戊寅九月六日

γ

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[897] [CITE@en[富木入道殿御返事 - [[日蓮聖人御遺文]]検索]], [[日蓮聖人御遺文検索]], [TIME[2020-09-27T13:36:12.000Z]], [TIME[2021-01-06T11:57:32.663Z]] <https://www.xn--gmqx52bpnexk914iu0fkyv.net/texts/%E5%AF%8C%E6%9C%A8%E5%85%A5%E9%81%93%E6%AE%BF%E5%BE%A1%E8%BF%94%E4%BA%8B_%E6%96%87%E6%B0%B8%E5%85%AB/?q=%E4%BB%8F%E6%BB%85%E5%BE%8C>
]FIGCAPTION]

>神世十二、仁王九十代、仏滅後二千二百余年未曾有の大瑞也。

>文永八年十一月二十三日 日 蓮花押

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[896] [CITE@en[[[撰時抄]] - 日蓮聖人御遺文検索]], [[日蓮聖人御遺文検索]], [TIME[2020-09-27T13:36:22.000Z]], [TIME[2021-01-06T11:56:01.425Z]] <https://www.xn--gmqx52bpnexk914iu0fkyv.net/texts/%E6%92%B0%E6%99%82%E6%8A%84/?q=%E4%BB%8F%E6%BB%85%E5%BE%8C>
]FIGCAPTION]

>建治元年(1275.06) 真筆あり 

>仏滅後二千二百三十余年が間、いまだいでざる大長星、いまだふらざる大地しん出来せり。

]FIG]

]REFS]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[763] [CITE[祖師伝]], [TIME[2007-04-13T08:36:04.000Z]], [TIME[2021-01-04T11:53:44.316Z]] <http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/yousyuu/yousyuu5_2.htm>
]FIGCAPTION]

>人皇八十五代後堀河院、東海道十五ケ国第十二に相当る安房の国長狭の郡東条の郷小湊片海人の御子息なり。
>仏滅度後二千百七十一年の時代貞応元年壬午二月十六日御誕生なり、八十七代四条院の御宇天福元年御年十二にして清澄山に登り給ひて御師匠は道善の御房、同御宇に延応元年十八才にして御出家あり十月八日なり、御学文の次第、初には浄土宗本山に於て御談義と云云。

[TIME[日本貞応元(1222)年][year:1222]]が2171年 γ

]FIG]

[1057] [CITE@ja[身延山大学 リポジトリ]], [[NetCommons]], [TIME[2021-01-09T02:15:08.000Z]] <https://minobu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=536&item_no=1&page_id=13&block_id=21>

PDF 101頁

[1041] [CITE[Vol.9 , No.1(1961)039岡田 榮照「[[日蓮]]の遺文及び曼荼羅に現れたる佛紀」.pdf]], [TIME[2011-10-06T01:54:16.000Z]], [TIME[2021-01-08T10:08:39.766Z]] <http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%A6%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%B8%E4%BD%9B%E6%95%99%E5%AD%B8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%AC%AC9%E5%B7%BB%E7%AC%AC1%E5%8F%B7/Vol.9%20,%20No.1(1961)039%E5%B2%A1%E7%94%B0%20%E6%A6%AE%E7%85%A7%E3%80%8C%E6%97%A5%E8%93%AE%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%96%87%E5%8F%8A%E3%81%B3%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85%E3%81%AB%E7%8F%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%8B%E4%BD%9B%E7%B4%80%E3%80%8D.pdf>

[1042] [CITE[Vol.45 , No.1(1996)039石川 力山「『末法燈明記』と道元禅」.pdf]], [TIME[2012-07-11T16:12:36.000Z]], [TIME[2021-01-08T10:10:25.492Z]] <http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%A6%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%B8%E4%BD%9B%E6%95%99%E5%AD%B8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%AC%AC45%E5%B7%BB%E7%AC%AC1%E5%8F%B7/Vol.45%20,%20No.1(1996)039%E7%9F%B3%E5%B7%9D%20%E5%8A%9B%E5%B1%B1%E3%80%8C%E3%80%8E%E6%9C%AB%E6%B3%95%E7%87%88%E6%98%8E%E8%A8%98%E3%80%8F%E3%81%A8%E9%81%93%E5%85%83%E7%A6%85%E3%80%8D.pdf>


- [765] [CITE@ja[観心本尊抄文段より『仏滅年紀』 | 明るい未来へ弟子として生きる]], [TIME[2021-01-04T12:02:14.000Z]] <https://ameblo.jp/kingdog136/entry-12224289934.html>
- [766] [CITE@ja[本尊書写に関する日興上人の言 | 明るい未来へ弟子として生きる]], [TIME[2021-01-04T12:02:37.000Z]] <https://ameblo.jp/kingdog136/entry-12224970080.html>


- [645] [CITE@ja[日蓮の遺文及び曼荼羅に現れたる佛紀]]
([TIME[2020-04-07 15:57:17 +09:00]])
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/9/1/9_1_162/_article/-char/ja>
-- [673] [TIME[2020-04-12 15:23:46 +09:00]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/9/1/9_1_162/_pdf/-char/ja>

*** 仏滅度後二千二百二十余年 vs 仏滅度後二千二百三十余年

[1303] 
[[日蓮宗]]系各派では
「仏滅度後二千二百''二''十余年」
と
「仏滅度後二千二百''三''十余年」
の計算ないし筆写の違いが現在に至るまで相互の対立点となっています。

- [662] [CITE[仏滅年代]]
([TIME[2017-08-10 17:52:20 +09:00]])
<http://monnbutuji.la.coocan.jp/all/nendai.htm>
-- [672] 「御法主日顕上人御講義
「万年救護本尊に関する妄説と宗祖大聖人究竟の本尊について」より抜粋 (大日蓮第548号 36~51頁)」
- [1305] [CITE@ja[質問会編 16 仏滅後二千二百三十余年と二十余年 | 白富士蛍雪のブログ]], [TIME[2024-05-26T14:19:21.000Z]] <https://ameblo.jp/sirofujikeisetu/entry-12846332317.html>
- [1306] [CITE[日蓮大聖人と私 日顕宗の「妄説:53」を破折する(その二) 連載77回]], [[墨田ツリー]], [TIME[2024-05-26T14:19:35.000Z]], [TIME[2024-05-26T14:19:36.989Z]] <http://aoshiro634.blog.fc2.com/blog-entry-257.html>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[764] [CITE@ja[地涌353]], 
1991年12月19日,
[TIME[2020-10-20T07:07:00.000Z]], [TIME[2021-01-04T11:59:18.046Z]] <http://www.houonsha.co.jp/jiyu/10/353.html>
]FIGCAPTION]

>総本山第六十世阿部日開(日顕の実父)は、昭和三年の登座直後、本尊を間違って書写した。「仏滅度後二千二百三十余年」と書くべき讃文を、「仏滅度後二千二百二十余年」と書写してしまった。
> これが、いわゆる“御本尊誤写事件”だが、誤写された本尊は何体であったかは不明である。
>[SNIP[]]
その結果、阿部日開は過ちを認め、訂正文を書き、自署花押したのである。
> 「御本尊二千二百二十余年並に二千二百三十余年の両説は、二千二百三十余年が正しく、万一、二千二百二十余年の本尊ありとすれば後日訂正することとする。依って弟子旦那は二千二百三十余年の本尊を信ずべきものである。
以上 
六十世 日開 花押」
>[SNIP[]]
> この相伝書によれば、まぎれもなく「仏滅度後二千二百三十余年」と認めることが正しい。そこには、議論の余地はない。
> 宗祖日蓮大聖人の御立場においては、年代によって「仏滅度後二千二百二十余年」「仏滅度後二千二百三十余年」とお認めになっている。しかし日興上人に連なる代々の法主においては、「仏滅度後二千二百三十余年」が正しい書写であることが、この相伝書より明らかとなるのである。



]FIG]




- [1302] [CITE@ja-JP[大田区史 資料編 寺社 1]], [[東京都大田区史編さん委員会]], [TIME[1981.6][1981]], [TIME[2024-03-21T07:14:33.000Z]], [TIME[2024-05-26T14:16:24.018Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642287/1/318> (要登録)

[1304] >>1302 「仏滅」で検索するといくつかの寺の[[棟札]]に
「仏滅度後二千二百二十余年之間」云々と書かれているものが掲載されています。


*** [CITE[一代五時鶏図]]

[1279] 
[[日蓮宗]]の[CITE[一代五時鶏図]]に[[仏滅後]]の年数らしきものがあります。
この資料は

> 本抄は、釈尊一代五時の説法の次第と中国・日本に成立した諸宗派との関連、また釈尊の立場と諸宗の立てる諸宗が一目瞭然に見渡せるように書かれたメモ、あるいは覚書といってよい。[SNIP[]]
>ところで本抄御執筆の年代については文永9年(1272)、文永10年(1273)、建治元年(1275)説があり、したがって、大聖人51歳、52歳、あるいは54歳の御時の著作ということになる。おそらく、若い弟子たちを教育するための教材として構想されたものではないだろうか。御真筆は西山本門に現存する。

というものです。 [SRC[>>1278]]

[1284] 
当該部分は[[写本]]によって違って、

- [1281] >>1278 所引御真筆「仏滅後三六八」
- [1280] >>1278 本文「仏滅後六七八」
- [1283] 日興写本「仏滅後三六七八」 [SRC[>>1282]]

となっています。

[1285] >>1278 は

>竜樹の出現は仏滅後六百七十八年である。

と訳しつつ

>[SNIP[]]「仏滅後六七八」とあるのは、竜樹の生涯を表すと思われるが、御真筆には「仏滅後三六八」とあり、意味は定かではない。[SNIP[]]

と解説しています。 

[1286] [[漢数字]]の[[位取り記数法]]はこの時代に似つかわしくないように思われます。
実際本書の他の年数は「十」が入っています。

[1287] この時代の[[日付表示][東洋の日時表示]]と解釈するなら
「仏滅後三六八」は仏滅後3年6月8日の略記とみなすのが妥当なのでしょうが、
すると時代が全然違って[[釈迦]]の死後すぐということになってしまいます。

[REFS[

- [1278] [CITE@ja[[[一代五時鶏図]] 0623~0632 : 創価教学研究室 (Tommyのブログ) 稲枝創価学会]], [TIME[2024-05-26T12:43:42.000Z]] <http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_52399.html>
- [1282] 
[CITE@ja[2012no.24_b13_42.pdf]], [TIME[2024-05-26T12:46:24.000Z]] <https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900116259/2012no.24_b13_42.pdf#page=11>


]REFS]



** 全日本仏教会

[427] 
[[日本]]の仏教の代表的な組織である[[全日本仏教会]]は、
[[世界仏教徒連盟]]設立初期の会議で、
「仏旗、仏紀の普及」
を日本から提案し、決議として採択されていました
(>>214)。[[全日本仏教会]]設立当初から仏旗の普及に努めたらしき形跡が機関紙からうかがえます。
しかし[[仏暦]]については、2500年記念事業 (>>523) を除き、不審なくらいに言及が見当たりません。

[463] 
機関紙の初期は基本的に[[昭和]]の[[元号]]を使っていて、
[[西暦]]は国際行事関連でたまに使われることがある程度でした。
国際会議の報告中で[[昭和]]が使われることもありました。

-*-*-

[115] 機関紙
[CITE[全仏]]
は[TIME[昭和63年9月][1988-09]]まで[[昭和]]の[[元号]]を使い、
表紙の号数も[[昭和]]の[[元号年]]
(年数のみ)
にしていました [SRC[>>116]] が、
[TIME[翌月][1988-10]]から突如[[西暦年]]で
[TIME[1988年10月][1988-10]]となり、
表紙は[[2桁西暦年]]となりました [SRC[>>117]]。

[118] 
変更の説明は見当たりませんが、
このタイミングは[[昭和天皇]]のご病状の悪化と関連していることが明らかです。

[119] 
[[西暦年]]化された
[TIME[1988年10月][1988-10]]も、
本文中には「昭和[YOKO[63]]年[YOKO[11]]月[YOKO[19]]日[YOKO[(土)]]」
([[縦書き]])
のように (未到来の[[日付]]でも) [[昭和]]の[[元号年]]が使われました。
ちなみにこの月の
「第三十三回全日本仏教徒岐阜大会」
報告によると、メインテーマは記事本文によると
「二十一世紀は心の時代」 ([[縦書き]])、
写真によると「21世紀は心の時代」
と[[西暦世紀]]で来たるべき時代を表していました。
[SRC[>>117]]
その後本文にも[[西暦]]が使われるようになり、[[元号]]と混在するようになりました。

[122] [[年度]]の呼称は「昭和六十三年度」 [SRC[>>116]]
のように従来[[元号]]でしたが、
[TIME[1989年12月][1989-12]]号掲載の理事会の議案紹介は
「一九八九年度」 [SRC[>>121]]
と[[西暦年]]でした。
しかしその
[TIME[1989年][year:1989]]になると「平成元年度」
と[[元号]]に戻り、以後[[元号年]]表記のまま続けられたようです。
([[令和改元]]の[[平成31年問題]]と同じ、[[延長年号]]を忌避したものでしょうか。)



[120] 
[[西暦年]]化以後、発行日や第3種郵便物認可の日も[[西暦年]]表記になりました
[SRC[>>117]]。一般の雑誌などは[[西暦年]]メインで使っていても法的手続きである認可日は[[元号]]とすることが多いように見受けられるので、
ここまで徹底しているのは珍しいです。
その割に本文に[[元号]]が残存しているのは、
機関紙の編集部と他の部門の温度差でしょうか。

-*-*-

[125] 
[CITE[全仏]] 「仏暦2537年8月 (1994年)」号から、
表紙に[[仏暦]]αが併記されるようになり [SRC[>>124]]、
(問い合わせがあったのか) 後に[[タイ]]方式に合わせたものだと説明されました
[SRC[>>123]]。
αを選択した理由は説明されましたが、
併記することにした理由は説明されませんでした。
また、
表紙以外での利用は確認できません。

[126] 
この決定が機関紙の編集部門のものなのか、
[[全日本仏教会]]全体のものなのか不明です。
一般にはよく[[全日本仏教会]]の決定として参照されているようです。
(機関紙は組織の顔ですから、判断が取り消されていない以上、
どちらにしても組織全体の決定とみて良いのでしょうが。)
[[全日本仏教会]]の採用している方法だから、という根拠でαを採用するものもみられます。
一方で[[全日本仏教会]]の傘下でも他の方式を採用しているところもみられますから、
拘束力はそれほど強くないようです。
([[元号]]ではなく[[西暦]]を優先する決定も、傘下で広く追随されているとはいえません。)

[524] 
これより前、
[[仏暦]]αが[[全日本仏教会]]や[[日本]]国内の寺院で利用された事例があるか不明です。
[TIME[西暦1978年][year:1978]]に[[日本]]で開催された[[世界仏教徒会議]]では、
[[仏暦]]βが使われていました (>>374)。
[TIME[西暦2008年][year:2008]]に[[日本]]で開催された[[世界仏教徒会議]]では、
[[仏暦]]αが使われていました (>>413)。

-*-*-

[129] 
[[全日本仏教会]]の[[西暦]]を重視し
「「日本国の元号」を全く無視している」 [SRC[>>128]]
方針を批判する人も複数いるようです。
そうした人達は、
[[日本]]の仏教を代表する[[全日本仏教会]]の反政府的な活動に疑問を持っているようで、
特定の集団の思想で組織が動かされているとみているようです。

[130] 
その当否はともかくとして、
[[元号]]を「全く」無視しているというのは事実誤認でしょう。
[[西暦]]への統一は徹底していませんし、
[[全日本仏教会]]のこの方針が[[日本]]の仏教界に強い影響を与えているようにも見えません。

[132] 
ためしに現在どのように[[日付]]が記載されているか、
機関紙 [CITE[全仏]]
の 「No.644」 号を見てみます。 [SRC[>>131]]

- 表紙には「仏暦2563年1月[2020年]」αとあります。
- 表紙には[[二十四節気]]のうち6つをテーマにした絵が掲げられています。
- 第3種郵便物でなくなったのか、認可の日の表示はありません。
- 「新年のご挨拶」が2人分あります。 ([[縦書き]])
-- 会長は、「新春をお祝い」し、「改歳にあたり、 [SNIP[]]」
と挨拶文をはじめています。
「二〇一五年九月の国連サミット」に言及しています。
-- 理事長は、
「令和の時代に移り、初めての新春を迎え」たことを祝って挨拶文をはじめています。
「一昨年日本で開催いたしました世界仏教徒会議で「二〇一六年東京宣言」を採択いたし」
たことに言及しています。
- PDF 3ページの著者プロフィールは
「1974年、京都市嵯峨にある正覚寺に生まれる。」など[[西暦年]]。
- PDF 4ページの著者プロフィールは
「昭和59年4月より羽咋市に臨時職員として勤務し」
など[[元号年]]。
- PDF 5ページ
「本会が2020年に頒布する花まつりポスター・絵はがきは、大賞作品をもとに作成いたしました。」
([[横書き]])
- PDF 5ページの[[東京大学]]で開催される講習会の案内
「日時 令和二年三月十一日(水)
午後二時〜午後四時」
([[縦書き]])
- PDF 6ページの下部組織の活動の記事
「令和元年十二月二日、各審議会における答申書を釡田隆文理事長へ提出した。」
- PDF 6ページの協賛イベント紹介記事
「令和元年十一月二十二日立正大学付属立正中学校・高等学校内の行学ホールにおいて第三十六回仏教主義学校連盟弁論大会が開催された。
[SNIP[]]
この仏教主義学校連盟弁論大会は、一九七八(昭和五十三)年に [SNIP[]] に始まり、東京都仏教連合会が後援、本会が協賛している。」
(写真内の会場イベント名「令和元年度(第36回)」)
- PDF 6ページの資金関係の記事
「二〇一九(令和元)年九月一日〜二〇一九(令和元)年十一月三十日」
- PDF 7ページの[[天台宗]]ポスター
「2021年6月4日」
- PDF 8ページの[[顕本法華宗]]ポスター
「平成[YOKO[33]]年」 ([[縦書き]])
- PDF 9ページの[[普通寺]]新年祝賀名刺枠
「令和5年4月23日(開白)~     6月15日(結 願)」
- PDF 11ページ挿絵「2020」
- PDF 13ページ欄外注記「12月14日時点」
(おそらく前年の12月)
- PDF 15ページ
「第3回を迎えた花まつりデザイン公募、2019年は仏教行事「花まつり」を題材に自由に描いていただきました。」
- PDF 15ページ末
「2020年1月1日発行 1月号 第644号」

[133] ここから推測できるのは、
機関紙の編集部門は[[西暦]]を使い、
[[全国仏教会]]の活動でも[[西暦]]が主として使われるものの、
編集部門以外の部門では徹底しておらず、
傘下の各組織もそれぞれの方針を持っていて、
それをそのまま受け入れる編集方針を持っているのであろうということです。
[[元号]]を積極的に使わないとしても、排除しようとする意思がないことは、
理事長の発言からもうかがえます。
[[仏暦]]は依然併記されていますが、
それ以外では利用の痕跡がありません。



[REFS[
- [116] [CITE[全仏]] 9/63, 
昭和63年9月1日,
[TIME[2016-10-07 01:22:16 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/341.pdf>
- [117] [CITE[全仏]] 10/88, 
1988年10月1日,
[TIME[2016-10-07 01:22:16 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/342.pdf>
- [121] [CITE[全仏]] 12/88, 
1988年12月1日,
[TIME[2016-10-07 01:22:17 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/344.pdf>
- [124] 
[CITE[全仏]] 仏暦2537年8月 (1994年), 
[TIME[2016-10-07 01:22:31 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/400.pdf>
α

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[123] [CITE[全仏]] 仏暦2537年10月 (1994年), 
[TIME[2016-10-07 01:22:31 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/402.pdf>
]FIGCAPTION]

>
[BOX(vertical)[
[B[仏暦の表示について]]

四百号より本誌表紙に「仏暦二五三七年」
と表示するようにいたしました。

仏暦には諸説がございます。中村元氏の紀
元前三八三年が、研究者の間では有力な仏滅
年です。これによりますと今年は二三七七年
ということになります。ところが、世界的に
最も普及している仏暦は、今年を二五三七年
とするものです。 [YOKO[W]][YOKO[F]][YOKO[B]]本部のあるタイでは
公文書にもこの仏暦を使用しています。全仏
は[YOKO[W]][YOKO[F]][YOKO[B]]の日本センターでもありますので、
この「仏暦二五三七年」を採用しました。

]BOX]

α

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[636] 
[CITE[[[財団創立四十周年記念全日本仏教会の步み]]: 1988-1998 - [[全日本仏教会]] - Google ブックス]], 
1998,
[TIME[2020-04-07 11:49:54 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=xa4JAQAAMAAJ&q=%E4%BB%8F%E7%B4%80>
]FIGCAPTION]

>6 ページ
... 三十七回全日本仏教徒会議が、仏紀ニ五四〇年二九九七年)十月十六日、神戸市
において開催されるにあ

α

]FIG]

- [128] [CITE@ja[[[全日本仏教会]]を批判してみる - 黒駒 思いのままの記]], 
2010-11-06 17:00:41,
[TIME[2020-03-05 20:41:44 +09:00]] <https://blog.goo.ne.jp/ebosi626/e/de79c15447b92e16fb21e68a98d936fd>
- [131] [CITE[全仏]] 仏暦2563年1月[2020年],
[TIME[2019-12-24 11:17:14 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/644.pdf>
α



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[552] [CITE@ja[同血新聞社機関紙「[[闢邪]]」第五號発行のお知らせ | [[皇道日報]](防共新聞)]]
([TIME[2020-03-23 16:22:25 +09:00]])
<http://web.archive.org/web/20160424143404/http://koudoupress.net/%E5%90%8C%E8%A1%80%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE%E6%A9%9F%E9%96%A2%E7%B4%99%E3%80%8C%E9%97%A2%E9%82%AA%E3%80%8D%E7%AC%AC%E4%BA%94%E8%99%9F%E7%99%BA%E8%A1%8C%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/>
]FIGCAPTION]

> 「仏暦」使用の全日本仏教会を撲滅せよ

;; [148] ちなみにこの
[CITE[闢邪]]
は[[日本の元号]]と[[天孫紀元]]を使っています。

]FIG]


]REFS]

** 真宗大谷派

[150] [[日本]]の[[宗派]]の1つ、[[浄土真宗]]の[[真宗大谷派]]
([[東本願寺派]]) は、
[TIME[西暦1999年][year:1999]]の内局通達で、
宗務機関文書における
「西暦 (元号)」
という表記法を定めました。
[SRC[>>3]]

[151] 
しかし宗派に属する寺院まで徹底されてはおらず、
他の宗派の寺院同様、いろいろな表記がみられます。
[[西暦]]を積極的に使うことを高く評価する者がいる [SRC[>>5]]
一方で、[[仏暦]]αを使い普及させようとする者もいます [SRC[>>3]]。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] ([TIME[2008-03-28 15:03:18 +09:00]] 版)
<http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/syoutoku/syoutoku011.html>
(消滅確認 [TIME[2020-03-24T08:48:13.900Z]])

[TIME[2020-03-24 17:47:55 +09:00]] <https://web.archive.org/web/20080518100420/http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/syoutoku/syoutoku011.html>
]FIGCAPTION]

>> 一方、我が真宗大谷派は公文書に『元号』ではなく、『西暦』を使っている。それに対して、「伝統教団が何故?」とか「仏暦にしては」といった声を聞くことがあるが、それらは申しわけないが、浅薄なナショナリスティクな考え方と言わねばならない。
>> もっと大きく物事を見てみよう。なるほど、日本は、元号を用いてきたが、それは元々、中国文化である。また、明治までは、天変地異があったり、大事件があると、新たな出直しとして元号が変えられた。天皇の即位から死亡までを、ひとつの元号で表わすなんてことは、明治の造作にすぎないのである。仏暦はどうだろう。個人が趣味的に用いるにはよいと思うが、年代のはっきりしないものを基準に用いるのはいかがなものかと思う。世界の多くの人々と通じる基準を用いる事が世界の中の自分の位置を明確にする事につながるのである。季節との違いが、そこにはある。
>―――以上 『顛倒』04年11月号 No.251より―――

]FIG]

;; [149] 1つ1つはそうおかしなことを言っていないのだけど、全体として違和感を拭い得ない。
「ナショナリスティック」の論拠に「中国文化である」が出てくるのはちゃんちゃらおかしい。
[[一世一元]]が[[明治]]以来なのは正しいが、[[代始改元]]はそれ以前から続く伝統で、
[[奈良時代]]は実質[[一世一元]]だった。輸入元の[[中国]]も元を辿れば[[即位紀元]]だ。
「明治の造作」というのは無理があるし、なぜ[[仏教]]で使わない、
という疑問に何も答えていない。
年代がはっきりしないと駄目なのなら、[[キリスト紀元]]もだめだろう。
世界人口の多数決で決めるのなら、[[仏教]]を捨てて[[キリスト教]]にでも改宗すれば良い。

]REFS]

** 日本の南伝仏教

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[578] [CITE@ja[ブッダに帰依する | [[日本テーラワーダ仏教協会]]]], 
No.219(2013年5月),
[TIME[2020-03-25 19:00:25 +09:00]] <https://j-theravada.net/dhamma/kantouhouwa/kantou219/>
]FIGCAPTION]

>今年は仏紀二五五七年になります。年号の数え方は般涅槃を元年にしているので、お釈迦さまが涅槃に入られて二五五七年経ったことになります。

β
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1215] [CITE@ja[世界平和パゴダ]], [TIME[2015-05-07T00:31:12.000Z]], [TIME[2021-01-11T03:12:01.922Z]] <http://www.worldpeace-pagoda.net/buddhism.html>
]FIGCAPTION]

>1954年、釈尊が入滅して2500年目に当るため、ビルマではこれを記念して第6回の仏典結集会を開催しました。

β2年ずれ

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1201] [CITE@ja[[[日本上座仏教修道会]] 淨心庵 sima(戒壇)・仏塔建立について]], [TIME[2021-01-11T02:47:31.000Z]] <http://jyouzabukkyo.jp/sima/>
]FIGCAPTION]

>日本上座仏教修道会では、淨心庵・瞑想堂開庵25周年にあたる仏暦2561年11月3日に三宝の師である、バッダンタ・ウ・ケサラ大長老とバッダンタ・ウ・ニャーヌッタラ大長老のお二人の大恩師を導師として、総勢20名の比丘サンガによって、シーマー(戒壇)認定儀式を行いました。近い将来その土地の上にシーマー(戒壇)の建物と、仏塔を建立いたします。
>
日本上座仏教修道会のシーマー(戒壇)は、ちょうど20年前の1996年7月28日(日)、ミャンマー国より、バッダンタ・ウ・ケサラ大長老とバッダンタ・ウ・ニャーヌッタラ大長老を含む8名の比丘サンガを迎え、シーマー(戒壇)の認定儀式を行って以来、尊く存在し続けました。


]FIG]


- [1202] [CITE[sima_aisatsu_syusei.pdf]], [TIME[2019-07-04T16:01:39.000Z]], [TIME[2021-01-11T02:48:27.362Z]] <http://jyouzabukkyo.jp/news2018/sima_aisatsu_syusei.pdf>
-- [1203] 挨拶文「[L[仏暦2561年 西暦2018年 平成30年1月1日 満月のウポサタの日]]」 α
- [1204] [CITE[14gishiki-1.pdf]], [TIME[2019-07-04T16:44:51.000Z]], [TIME[2021-01-11T02:51:29.992Z]] <http://jyouzabukkyo.jp/news2018/14gishiki-1.pdf#page=5>
-- [1205] 看板「[L[仏暦2561年]]
[L[平成29年11月3日(金)]]
[L[満月のウポサタの日]]」
β
- [1206] [CITE[calendar2020.1.2.3.4.5.6.pdf]], [TIME[2020-05-24T11:55:19.000Z]], [TIME[2021-01-11T02:54:28.632Z]] <http://jyouzabukkyo.jp/news2020/calendar2020.1.2.3.4.5.6.pdf>
-- [1207] カレンダー全体題字「仏暦2563年・2020年・令和2年」α
-- [1208] カレンダー5月題字「5月 仏暦2564年」β
- [1209] [CITE[calendar2020.7.8.9.10.11.12.pdf]], [TIME[2020-06-29T01:52:19.000Z]], [TIME[2021-01-11T02:56:05.354Z]] <http://jyouzabukkyo.jp/news2020/calendar2020.7.8.9.10.11.12.pdf>
-- [1210] カレンダー全体題字「仏暦2564年・2020年・令和2年」β
- [1197] [CITE@ja[シーマー(戒壇)・シェーダゴンパゴダ形仏塔建立プロジェクト(上座仏教修道会 2020/03/01 公開) - クラウドファンディング [[READYFOR]] (レディーフォー)]], [TIME[2021-01-11T02:42:06.000Z]] <https://readyfor.jp/projects/jpagoda>
-- [1198] 「2020年3月27日 上座仏教修道会」
-- [1199] [CITE@ja[起工安全吉祥儀式 シーマー(戒壇)・シェーダゴンパゴダ形仏塔建立プロジェクト([[上座仏教修道会]] 2020/08/17 投稿) - クラウドファンディング READYFOR (レディーフォー)]], [TIME[2021-01-11T02:42:55.000Z]] <https://readyfor.jp/projects/jpagoda/announcements/141819>
--- [1200] 「仏暦2564年令和2年、ミャンマー暦1382年(2020年)7月4日(土)、満月のウポサタの日、午後1時より、茨城県鉾田市淨心庵「Sāsana Sirī Dhara Sīmā(お釈迦さまの教えが伝わるために品位を保つ淨心庵戒壇)」において、」
β



** 日本の朝鮮系仏教

[1272] 
[[在日朝鮮人]]を中心に信仰される[[仏教]]系の[[寺院]]である[[朝鮮寺]]は、
[[日本国]][[大阪府]]を中心に[[日本]]各地にあります。
[[仏教]]に[[朝鮮]]や[[日本]]の土着信仰が[[習合]]した教義となっています。

[1273] 
[TIME[昭和63(1968)年][1968]]の調査では、
[[日本國]][[大阪府]][[大阪市]][[生野区]]の[[曹渓宗]]の[[寺]]の経歴に
「仏紀2522年(?)」
が出現しています。
[SRC[>>1174]]

[1274] 
「(?)」とある意味は明らかではありませんが、
報告者がいつを指すか明らかにし得なかったということでしょうか。
「仏紀」
が使われていたことは確実でしょうが、なぜ比定できなかったのか疑問は残ります
(当人ないし周囲の者に聞き取りはできたはず)。

[1175] 仏暦βだとすると、2522年は[TIME[西暦1978年][year:1978]]にあたり、
経歴に矛盾は生じません。

[1276] 
[[曹渓宗]]は[[大韓民国]]の宗派の1つです。
[[在日朝鮮人]]の[[仏教]]にはいくつかの系統がありますが、
そのうち[[大韓民国]]の仏教界と結びつきが強いものに属するようです。
[SRC[>>1174]]
すると[[仏紀]]は[[大韓民国]]の[[曹渓宗]]から伝来したものでしょうか。


[1275] 
[TIME[令和6(2024)年][2024]]に[[日本国]][[生駒山地]]の[[朝鮮寺]]を訪問した
[SRC[>>1270]]
という者が現地で入手したカレンダーには、
「[L[佛紀2568年]]」
とあります
[SRC[>>1271]]。
仏暦βに当たります。

[1277] 
この[[朝鮮寺]]が[[大韓民国]]の仏教界と交流があるのかはわかりませんが、
[[カレンダー]]には[[大韓民国]]の[[国旗]]で[[祝日]]が示されているので [SRC[>>1271]]、
[[朝鮮民主主義人民共和国]]系ではなく[[大韓民国]]系であることがわかります。
[[仏紀]]も[[大韓民国]]の系統に連なり使われているものでしょうか。



[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1174] 
[CITE[在日韓国・朝鮮人社会における仏教および民俗宗教寺院の諸形態]],
[[飯田剛史]],
<https://toyama.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=12806&file_id=18&file_no=1#page=13>
]FIGCAPTION]

>
(17)禅法寺
>[曹渓宗 韓公和 (法名禅法華、公照、女性) 生野区中川西 2-25-6]
>[住職経歴] 年齢50代。済州道城山浦に生まれすぐ大阪に
来る。[SNIP[]] 1972年頃から家で仏を祭る。 1975年家を寺にする。 1981
年金峰山より公照の名をもらう。仏紀2522年(?)に清光寺(2)
で菩薩受戒。
>[創立] 1975年家の二階を直し寺にする。[SNIP[]]
>(調査:飯田、’88 12/2)


]FIG]

- [1270] 
[CITE@ja[Xユーザーのきりゑだう⛩folkloreさん: 「(1/13) 生駒山地のとある朝鮮寺を訪問した際、そこの主人であるポサル(女性霊媒師)にお話を伺うことができたので、見聞した内容を以下に記しておこうと思う その前に、そもそも「朝鮮寺」とは如何なるものであるか、簡単に述べることとする ↓続 https://t.co/2CUDbCphQi」 / [[X]]]], [TIME[午後10:34 · 2024年5月23日][2024-05-23T13:34:02.000Z]], [TIME[2024-05-24T10:50:22.000Z]] <https://x.com/kirie_folklore/status/1793636510581055542>
-- [1271]  
[CITE@ja[Xユーザーのきりゑだう⛩folkloreさん: 「朝鮮寺でいただいたカレンダー 旧暦や諸仏の縁日が記されている 注目すべきは左上の年の表記で、 ・西暦 ・檀君紀元(檀君の即位を元年とする紀年法) ・仏滅紀元(釈迦の入滅を元年とする紀年法) ・日本の元号 という4種の紀年法によって記されている https://t.co/fChUPn5fIP」 / [[X]]]], [TIME[午後6:20 · 2024年5月24日][2024-05-24T09:20:38.000Z]], [TIME[2024-05-24T10:50:22.000Z]] <https://x.com/kirie_folklore/status/1793935128055468053/photo/2>

]REFS]

** 現代日本の用例 α

[REFS[
- [98] [CITE@ja[霊園概要・アクセス | フラワーメモリアル国立府中]], [TIME[2015-04-25 15:31:09 +09:00]] <http://flowermemorial.jp/reien_access.html>
-- 「仏暦二五四二(国際暦一九九九)年四月八日」α
-- 本文は「一九二四(大正十三)年十一月」のような西暦元号併記。
-- 「追記」の参考文献の日付が
「昭和五十六年十二月発行」
「昭和六十(一九八五)年十月一日発行」
「昭和三十三年五月二十五日発行」。
原典紀年の不統一か引用者の不統一か不明。
-- 「住職プロフィール」
に
「1957(仏暦2500)年、東京築地生まれ
1980年、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。」
以下[[西暦]]。
-- [99] [CITE[無題ドキュメント]], [TIME[2011-04-05 16:55:25 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/Orijin-main.html>
--- 本文の別バージョン
-- [100] [CITE[Center]], [TIME[2013-03-11 11:52:52 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/ProfileCenter.html>
--- 住職プロフィールの別バージョン。[[漢数字]]と[[アラビア数字]]で微妙に違う。
- [101] [CITE@ja-JP[今月の法話]], [TIME[2020-03-03 11:42:20 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/houwa.html>
-- 「仏暦2563年2月」α
-- [102] [CITE@ja-JP[今月の法話]], [TIME[2020-03-03 11:42:27 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/houwa1912.html>
--- 「仏暦2562年12月」α
-- [103] [TIME[2020-03-03 11:42:21 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/houwa0511.html>
--- 「仏暦2548年11月」α
-- [[仏暦]]単記。しかし本文は一貫して[[西暦]]単記。
[[URL]] は[[西暦2桁年号]] + [[月]]2桁。
- [114] [CITE@ja[仏教手帳・仏教カレンダー]], [TIME[2020-03-05 18:12:49 +09:00]] <http://bukkyo.info/calender/index.shtml>
-- 公開日・改訂履歴不明
-- 「Copyright (C) 2004-2005 Daiji Yoshida, All rights reserved.」
-- 「【今日】 仏暦2563年 西暦2020年 <庚子歳> <己卯月>
平成32年3月4日(水曜日) 丙午 柳宿 大安
<旧暦2月10日>・・・旧初午」α
--- [[平成の延長年号]]。何年もメンテナンスされていないものか。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[60] [CITE@ja[2006年末のタイな雑感 | タイとタイ語に魅せられて - 楽天ブログ]], 
[CSECTION[日本でも仏暦が!]],
2007/01/02,
[TIME[2020-03-04 22:58:57 +09:00]] <https://plaza.rakuten.co.jp/lamyaidaeng/diary/200612310000/>
]FIGCAPTION]


>タイでは、とくにお役所関係では西暦ではなく仏暦を使ってますよね。
占いでも聞かれるので、生まれた曜日・時間とあわせて、
自分の生まれた年の仏暦も覚えておくと何かと役立ちます。
>
で、この仏暦、てっきりタイでだけ使っているのだと思っていたのです。
>
しかし、今日立ち寄った都内某所のお寺で、こんな貼り紙に遭遇!
>>
[BOX(vertical)[
恭賀新春

[BOX(indent)[
仏暦二五五〇年
]BOX]

[BOX(right)[
[ASIS[〓〓][画像加工消去]]寺
]BOX]

]BOX]

α

]FIG]

- [63] [CITE[八幡山 宝泉寺 山門]], [TIME[2019-02-16 18:51:51 +09:00]] <http://housen.main.jp/housen.html>
--
「釈尊成道 2607年
仏暦2562年/西暦2019年/平成31年2月」
α
-- [62] [CITE[仏教 No.13 「仏旗」]], [TIME[2011-05-25 18:35:57 +09:00]] <http://housen.main.jp/bukkyou/bukkyou-13.html>
--- 「上棟式(仏暦2550年:平成18年11月11日)」
α
- [64] [CITE[万行寺寺報]] 2009(仏暦2552)年1月号 (第37号),
[TIME[2017-04-29 10:22:46 +09:00]] <http://www.mangyoji.jp/_src/1235614/jiho200901.pdf?v=1491975564679>
α
- [69] [CITE[ひだご坊]] No.235,
2009 年2月 20 日, 
[TIME[2018-07-03 12:49:48 +09:00]] <http://goenki750.hidagobo.jp/goenki750wp/wp-content/uploads/2018/07/hidagobo235.pdf>
-- 「仏 暦 2 5 5 2(  2 0 0 9  ) 年」α
- [87] [CITE[仏暦。(仏滅紀元暦)]], 
B.E2552/02/26/作成,
[TIME[2016-04-17 08:44:57 +09:00]] <http://www.bukkyo.net/tisiki/butureki.htm>
α
-- 他のページも作成日は[[仏暦]]。本文は[[西暦]]、[[元号]]混在。
- [82] [CITE@ja[ずぼら帖 --気ままなZEN.blog: ゆく年くる年]], 
2012年1月1日日曜日,
[TIME[2020-02-29 16:48:45 +09:00]] <http://anjyuji.blogspot.com/2012/01/blog-post.html>
--
「仏暦2555年・平成24年壬辰の新年をつつがなく迎えられたでしょうか。」α
- [97] [CITE[親蓮坊通信2014.05.15.pdf]], [TIME[2015-02-03 15:31:59 +09:00]] <http://o-jyosyoji.com/wp-content/uploads/2015/02/%E8%A6%AA%E8%93%AE%E5%9D%8A%E9%80%9A%E4%BF%A12014.05.15.pdf>
-- 「仏暦2557年2014/05/15」α
- [67] [CITE@ja[仏暦2560年〈西暦2017年〉お盆総括 | [[西光寺]](浄土真宗本願寺派)BLOG]],
2017年08月21日(月),
[TIME[2020-03-05 11:11:23 +09:00]] <https://ameblo.jp/saikou-ji/entry-12303079001.html>
α
- [68] [CITE[Print - pdf1517189472.pdf]], [TIME[2018-01-29 10:31:12 +09:00]] <http://www.namuamidabutsu.com/pdf/pdf1517189472.pdf>
-- 「[SINCE 仏暦2162 西暦1619 元和5]」α
- [106] [CITE[行事予定 ・広島県尾道市・浄土真宗本願寺派・[[法光寺]](法光寺心理相談室)]], [TIME[2020-03-05 17:31:29 +09:00]] <http://www.houkouji.net/original3.html>
-- 「仏暦2562(2019年ー平成31年)行事予定」α
- [55] [CITE[平成三十一[RUBY[己亥][つちのとゐ]]年([LINES[南][伝]]仏紀2562年・西暦2019年) 法会・行事予定表]],
八王子山[[了慶寺]],
[TIME[2019-09-20 18:35:31 +09:00]] <http://ryokeiji.net/jap/nenkangyoji%20H31(2).pdf>
α
- [56] [CITE[令和二[RUBY[庚子][かのえね]]年([LINES[南][伝]]仏紀2563年・西暦2020年) 法会・行事予定表]],
八王子山[[了慶寺]],
[TIME[2019-12-18 17:25:11 +09:00]] <http://ryokeiji.net/jap/2020%20ryokeiji%20nenkan%20gyouji%20keikaku.pdf>
α
- [88] [CITE[時宗東岡山[[福田寺]]]] 第60号,
令和元年五月,
[TIME[2019-10-14 17:16:25 +09:00]] <https://kyoto-fukudenji.com/wp-content/uploads/sites/4/2019/05/5%E6%9C%88-60%E5%8F%B7%E3%80%80-.pdf>
α (βにも言及)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[112] [CITE@ja[【宗教リテラシー向上委員会】 [[令和]]時代の宗教 池口龍法 2019年5月11日 | キリスト新聞社ホームページ]], [TIME[2020-03-05 18:03:32 +09:00]] <http://www.kirishin.com/2019/05/10/25002/>
]FIGCAPTION]

>お寺ではもっぱら西暦は使わず和暦を用いる。西暦を用いて文書を書くと、先達から批判が来ることさえある。西暦は西洋の暦であり、しかも、イエス・キリスト生誕の年代がベースになった暦だから、お寺にはふさわしくないというのがその根拠である。
>ただし、和暦よりもふさわしい暦がある。釈迦の没年から起算する仏暦である。仏教界で発行されるカレンダーなどには、和暦や西暦の横にしばしば仏暦が併記される。ちなみに今年は仏暦2562年である。仏暦を用いると仏法が脈々と受け継がれている趣が出て私は好きだが、残念ながら日本では現実的な暦として通用しない。さらには、近代仏教学による研究では、釈迦の没年を紀元前383年(西暦)とするのが有力であり、そうすると暦が160年ほどもずれてしまう、という問題点もある。

α

>さて、改元である。仏教界でこれをどう祝うか。和暦はあくまで世俗社会の暦であるから、お寺に改元は関係ない。しかし、仏教が伝来して千数百年もの歳月が経つから、お寺文化と皇室文化をいまさら切り離すのも無理である。
[SNIP[]]
>いっそのこと改元を盛大に祝うのも一計かもしれない。だが、
[SNIP[]]

]FIG]

;; [113] この著者は[[浄土宗]][[龍岸寺]]住職。
もっぱら[[西暦]]を使う寺もみられるし、
この著者のような躊躇なく大々的に[[改元]]を祝っている寺も多かった。
日本全体に視点を広げればこの記述はあまり正しくないが、
おそらく著者の周りでは正しいのだろう。
日本の仏教界と一口に言っても、それくらいの多様性がみられる。

- [1196] [CITE[季刊覚法寺]] 仏暦2562年 2019年(令和元年)秋号, [TIME[2019-10-03T02:00:49.000Z]], [TIME[2021-01-11T02:38:05.532Z]] <http://kakuhouji.sakura.ne.jp/IMG_20191002_0002.pdf>
α
- [51] [TIME[2020-03-03 22:54:37 +09:00]] <https://www.kohzansha.com/news2020.html>
-- 「2020年1月吉日 仏紀2563年」α
-- 「1974(昭和49)年に創刊した『月刊住職』は全国全宗派の寺院住職のための実用実務報道誌として46周年を迎えます。」
- [152] [CITE@ja[教心寺([[真宗大谷派]])]], [TIME[2020-01-27 18:17:09 +09:00]] <http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/temple.html>
-- 「2020年1月28日 第47号」
-- [556] [CITE[サーサナ47 - sasana47.pdf]], [TIME[2020-01-18 21:00:22 +09:00]] <http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sasana/sasana47.pdf>
--- 「第47号 仏暦2563(西暦2020)年1月28日」α
-- [557] [CITE@ja[教心寺法要の記録]], [[釋眞弌(山口真一)]], [TIME[2010-12-05 17:00:38 +09:00]] <http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/document/index.html>
--- 「仏暦2551(2008)年6月28日 住職就任式」α
-- 住職個人サイト >>3
- [1213] [CITE@JA[[[おざわひとし]]の温泉のことをもっと知ろう READ MORE ABOUT HOTSPRING]], [TIME[2020-07-14T16:48:57.000Z]], [TIME[2021-01-11T03:07:19.377Z]] <http://hitoshiozawa526.travel.coocan.jp/index.html>
-- [1214] 「仏紀二五六三(令和2・基督暦2020)年7月15日更新)」α


]REFS]

** 現代日本の用例 β

[REFS[

- [86] [CITE[仏教ぎふ]] 第61号 平成6年夏期号(仏暦2538年),
平成6年7月25日,
[TIME[2018-03-06 04:22:56 +09:00]] <http://bukkyogifu.net/pic/back/061.pdf>
β
-- 
[[Webサイト]]に掲載されているこれより古い直近は第55号 (平成3年夏季号)、
仏暦併記なし ([[平成]]のみ)。
- [83] [CITE[仏教ぎふ]] 第67号 平成9年夏期号(仏暦2541年),
平成9年7月15日,
[TIME[2018-03-06 04:22:57 +09:00]] <http://bukkyogifu.net/pic/back/067.pdf>
β
- [85] [CITE[仏教ぎふ]] 第74号 平成13年新春号(仏暦2544年),
平成13年1月1日,
[TIME[2017-03-17 22:03:24 +09:00]] <http://bukkyogifu.net/pic/back/74.pdf>
α
-- これ以後α型
- [76] [CITE[[[歎異抄]]に聞く会 3月のご案内(仏暦2554)]], [TIME[2017-02-18 00:48:14 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1103.html>
-- 「3月のご案内[WEAK[(B.E. Buddhist era 仏暦2554)]]」 α
- [78] [CITE[[[歎異抄]]に聞く会 4月のご案内(仏暦2555)]], [TIME[2017-02-18 00:48:15 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1104.html>
-- 「4月のご案内[WEAK[(B.E. Buddhist era 仏暦2555)]]」 β
- [77] [CITE[花祭りのご挨拶]], [TIME[2017-02-18 00:48:16 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1104hanamatsuri.html>
-- 「仏暦2555年(2011年、H23年)4月8日」β
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[75] [CITE[[[歎異抄]]に聞く会 8月のご案内(仏暦2555)]], [TIME[2017-02-18 00:48:24 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1108.html>
]FIGCAPTION]

>8月のご案内 [WEAK[(B.E. Buddhist era 仏暦2555)]]
>
「念仏はなぜ難信なのか」(在家仏教講演 2011.1より)(第1回)

β

]FIG]
-- タイ式の4月[[年始]]?

- [198] [CITE@ja[大阪 宝厳寺]], [TIME[2019-12-01 22:39:00 +09:00]] <http://hougonji.net/activity.html#act180101>
-- 「西暦2018年 佛紀2562年 平成30年」β
-- [[旧暦]]、[[干支年]]、[[十二支時刻]]など記述あり
-- [[大韓民国]]の[[仏教]]界と関係が深そう
- [58] [CITE@ja[仏紀2562年・平成30年(西暦2018年)11月4日の夜、ニコ生中ご祈祷動画。 - [[ニコニコ動画]]]], [TIME[2020-03-04 20:03:57 +09:00]] <https://www.nicovideo.jp/watch/sm34149640?playlist=eyJpZCI6InZpZGVvX3dhdGNoX3BsYXlsaXN0X3VwbG9hZGVkIiwidXNlcklkIjoxMDA2MTMxM30>
β
]REFS]

** 現代日本の用例 δ

[REFS[




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[196] 
[CITE[第二部十七章 サルナート[[初轉法輪寺]]壁画と野生司香雪]], [TIME[2020-03-07 21:07:08 +09:00]] <http://web.archive.org/web/20100411120118/http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/all/2chap17.html>

[197] 
[CITE@en-us[皇紀二千五百九十六年 野生司香雪 / A.D.1936 Kosetsu Nosu | Yusuke Kawasaki | Flickr]], [TIME[2020-03-07 21:04:26 +09:00]] <https://www.flickr.com/photos/u-suke/3155960623>
]FIGCAPTION]

>>196

>野生司が絵の具の色を奪うコンクリートの灰汁と格闘していたとき、突き止めたのは、日本の墨の、絶対に色あせぬ事実だったという。その墨をもって、画業の終わりに記されたのは、次のような言葉であった。

>>196, >>197 写真

>
[BOX(vertical)[
此壁畫ハ大菩提協會ヨリ日本政府を通ジテ依嘱セラレ 佛紀二千四百九十八年ヨリ同二千五百二年ニ至リテ完成ス  

[SNIP[]]

[BOX(indent)[
皇紀二千五百九十六年
]BOX]

[SNIP[]]

]BOX]

>>197 写真には英訳もあり。インド語 (ヒンディー語?) 訳もあるが途切れている。
英訳では年号はそれぞれ
「1932」δ、
「1936」δ、
「A.D. 1936」。

]FIG]

- [1188] [CITE[The Lion Magazine 1982-05 - 198205_text.pdf]], [TIME[2019-12-12T22:47:02.000Z]], [TIME[2021-01-10T08:40:07.309Z]] <https://ia803108.us.archive.org/14/items/the-lion-magazine-1982-05/198205_text.pdf#page=84>
-- 「[V[[SNIP[]]須賀一司の〝数字と除夜の鐘〟[SNIP[]]]]
[V[[SNIP[]]一九八二 (西暦)、二六四二 ]]
[V[(皇紀)、二五四八 (仏紀) から、[SNIP[]]]]」
δ
- [61] [CITE[交通安全とブッダ(釈迦)の八正道]], 
[[早川吉則]],
[TIME[2011-06-02 13:27:57 +09:00]] <http://ccmg.cc.toin.ac.jp/tech/bmed/ft28/freshman2.html>
-- 「平成15年(西暦2003年:仏紀2569年) 4月吉日」
δ
- [54] [CITE[和尚さんから・・・]], [TIME[2019-04-20 15:26:42 +09:00]] <http://www.chorinji-sanctuary.com/main/005.html>
-- 「平成16年甲申(きのえさる)、国際暦2004年、仏紀2570年の新春を迎え、」δ
- [52] 
[CITE[瑞雲山だより]] 第61号,
[[三松禅寺]],
[TIME[平成26年1月1日][2014-01-01]]
-- 「平成二十六年・甲午 (きのえうま) 仏紀二千五百八十年」 ([[縦書き]]) δ
- [57] [CITE@ja-JP[曹洞宗金龍山瑞雲寺]], [TIME[2020-01-22 14:32:16 +09:00]] <http://zuiunzi.net/index.html>
-- 「仏紀2586年 令和二年 創建より562年」δ

]REFS]

** 現代日本の用例 γ、η

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[604] [CITE@ja[[[日蓮宗新聞社]] : 和暦・西暦・仏暦・共通暦]], 
2019年1月20日,
[TIME[2020-03-30 20:22:03 +09:00]] <http://news-nichiren.jp/2019/01/20/21738/>
]FIGCAPTION]

>日本では昔から、神武天皇が即位し日本が建国された年(西暦換算で紀元前660年)を基準とする「皇紀」(今年は2679年)が用いられたり、釈尊の没年を基準とする「仏暦」(諸説あるが、伝統的に用いられてきた仏暦では今年は2968年)が用いられてきた。日蓮宗では、本年は日蓮聖人ご降誕798年、立教開宗767年、ご入滅738年であり、こうした歴年数も大切にされている。
[SNIP[]]
>(論説委員・柴田寛彦)

γ

]FIG]


- [91] [CITE@ja[長唱山 [[大立寺]]]], [TIME[2016-12-25 21:14:00 +09:00]] <http://dairyuji.net/>
--
「令和2年(仏暦2968年) 3月5日(木)
旧 暦:2月11日
六 曜:【赤口】凶日。何事にも悪い。
ただし、正午だけ吉。仏事はよい。
廿八宿:【星】大悪日。何事にも用いてはなら
ない。結婚、服薬、埋葬は大凶。」
η
-- <http://dairyuji.net/js/basic.js> で [N[948]] 加算して算出。
-- [[旧暦]]計算は [[qreki]]。
- [540] [CITE[oterades]], [TIME[2020-03-12 23:02:57 +09:00]] <https://sites.google.com/site/oterades/home>
-- 「薬王山寺報第190号 平成30年3月21日発行 仏歴2967年」γ
-- [[令和]]、[[平成]]、[[西暦]]4桁年、[[西暦2桁年]]

]REFS]

** 現代日本の用例 その他

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[93] [CITE[[B[住職のぶらり旅]] 住職の寺報原稿から]], [TIME[2003-02-18 15:15:35 +09:00]] <http://www.netwave.or.jp/~shinsyu1/sonkoji/tabe.htm>
]FIGCAPTION]

> [B[浄土真宗の旅]]
> 成道の地 ブダガヤ (インド)
> 今年は仏暦二五三三年(南方暦)南無阿弥陀仏のみ教えは、長い年月をかけて、インドからヒマラヤを越え、ゴビを渡り中国で花開き、わが国へ伝わった。教えを伝えた方々のご苦労ははかり知れない。 

[94] 
これが何年か確定できる情報がない。α型なら[TIME[西暦1990年][year:1990]]。
β型なら[TIME[西暦1989年][year:1989]]。

>38/3/3
> 阿弥陀経のふるさと・祇園精舎

[95] 
[[年月日][日時表示]]のようにみえるが解釈が難しい。
仏暦[[下2桁年号]]なら前段の5年後。
[TIME[昭和38(西暦1963)年][year:1963]]は文脈上不自然、
[TIME[西暦1938年][year:1938]]もあり得ないだろう。
この後次のような項目が続くところから、
「第38号平成3年3月」
の意味の可能性が高いか。


>七高僧第二 北インド 天親菩薩  41号平成4年3月

>七高僧第四 中国  道綽禅師     45号 平成5年7月

>46号 平成5年12月

>48号 平成6年7月

>平成7年3月

>52―7―11

[96] これも「第52号平成7年11月」と解するべきか。

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[73] [CITE[仏教ちょっと教えて - [[ミレニアム]]と仏歴について]], [TIME[2000-02-20 17:56:13 +09:00]] <http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_C019.htm>
]FIGCAPTION]

>このように、仏歴には諸説があり、そのために一般化もされていません。もし、宗派で仮に特定して使用したとしても西暦を併記しなければなりたちません。
> 私たちは、西暦を世界共通の国際歴として解釈しています。国際化が進む中で、教団としても、広く世界を視野に入れた活動をしていかなければならないとの立場からです。また、事実、浄土真宗は海外にも多くの拠点を持っています。浄土真宗のみ教えの普遍性を考えましても世界共通の国際歴の採用は大切なことだと考えます。


]FIG]

;; [74] このサイトは4桁西暦年と[[2桁西暦年]]が混在。

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[570] [CITE[明治寺百観音 ひとくち伝言]], [TIME[2011-08-28 09:39:28 +09:00]] <http://www.meijidera.com/hitokuchi/dengon9812.html>
]FIGCAPTION]

>来年は、西暦1999年になりますね。9が並ぶといよいよ「ドン詰まり」の感を深くします。歳末気分ならぬ「世紀末気分」が、あちこちに漂っているような気がしないでもありません。しかし考えてみれば、西暦というのはグレゴリオ歴のことで、キリスト教の年間行事に合うように作ってあります。クリスマスの一週間後に一年の始まりがあるのは、そのためなのだそうです。
> ちなみに仏教では、仏紀という年号を使います。来年は仏紀2564年、つまり26世紀のまん真ん中であります。平成の年号ならば若々しい11年です。余り世紀末という漠とした空気に囚われずに、一人ひとりの心と言葉を見つめて暮らしたいと思います。

θ

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[569] [CITE[明治寺百観音 ひとくち伝言]], [TIME[2011-08-28 09:39:30 +09:00]] <http://www.meijidera.com/hitokuchi/dengon9902.html>
]FIGCAPTION]

>平成11年(仏紀2564年)2月の行事ご案内
>こういう時だけ仏紀を併記するのも唐突ですが、暦も色々あって、世界中が世紀末という訳でもないということを言うために、併記を続けたいと思います。

θ

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[

[59] [CITE[明治寺百観音 ひとくち伝言]], [TIME[2012-11-11 15:00:23 +09:00]] <http://www.evam.ne.jp/meijidera/hitokuchi/dengon0001.html>
]FIGCAPTION]

>
平成十二[WEAK[(庚辰<かのえたつ>)]]閏年
西暦二〇〇〇年、仏紀二五六五年
元 旦

θ

>「コンピュータ 越すに越されぬ 二千年」という川柳を面白く拝見した覚えがあります。まさに今、世界中が固唾を呑み、無事に年越しができるかを見守っているという、希有な年明けとなっている模様であります。[SNIP[]]
> 昨年はミレニアム(千年間、至福千年)という耳慣れない言葉が急に飛び出し、話題となりました。それは西暦、つまりグレゴリオ暦を生み出したキリスト教の中では、きっと特別な意味で語られる言葉なのだと思います。しかし、地球上のすべての人が今年を二千年目と思っているわけではなく、平成ならば十二年、仏暦では二五六五年ですし、調べた所では、イスラム暦なら二六六二年、ユダヤ暦では五七六一年に当たっているようです。皆それぞれ、自分たちにとって最も大きな意義のある出来事を紀元として、歳月を計っているわけであります。してみると年号というのは、あたかも滔々と流れる大河の水に、それぞれ持ち前の「万年筆」でインクの染みを付けているようなものなのではないかという思いがいたします。
> 世の中には色々な「時間」があるものです。仏教の歴史観は、「無始よりこのかた」と言い、「未来際を尽くすまで」と言って、世界の初めと終わりを説きません。仏暦で何年と数えるのも、おそらく西暦に影響された結果であって、インドには全く異なる時間の物差しがありました。 [SNIP[]]

]FIG]

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[571] [CITE@ja[list;百観音明治寺]], [TIME[2018-07-05 18:55:50 +09:00]] <http://www.meijidera.com/hitokuchi/hitokuchi1001.html>
]FIGCAPTION]

>平 成 二 十 二 庚 寅  年
>                          西暦二〇一〇年 仏暦二五七五年 元 旦

θ
]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[572] [CITE@ja[list;百観音明治寺]], [TIME[2018-07-05 18:55:55 +09:00]] <http://www.meijidera.com/hitokuchi/hitokuchi1101.html>
]FIGCAPTION]

>平 成 二 十 三 辛 卯  年
>                          西暦二〇一一年 仏暦二五六五年 元 旦

]FIG]
-- [1189] θ10年ずれ
-- [1190] [[元年]]は[TIME[西暦-554年 (紀元前555年) [LINES[丙][午]]][year:-554]])
-- [1191] 前年までθだったのに、突然10年 (1+9年) 進んでいる。
-- [1192] この翌年から[[仏暦]]記載なしに。

- [589] [CITE[悠悠三界]], [[Kyo-zyun]], [TIME[2020-03-27 12:24:28 +09:00]] <http://www.yuyusangai.com/>
-- 「[B[佛紀2566(西紀2001・平成13)年開設]]
※今年は佛紀2579(西紀2014・平成26)年です。」θ


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[89] [CITE@ja[仏暦はあるの?]], [TIME[2020-03-05 15:26:45 +09:00]] <https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-11-15/ftp20061115faq12_01_0.html>
]FIGCAPTION]

>
[BOX(right)[
2006年11月15日(水)「しんぶん赤旗」
]BOX]
>
[SNIP[]]
>
[SNIP[]]
入滅を紀元とする暦法は、仏滅紀元といって、仏教徒の多い東南アジア諸国で使われています。
> 日本でも仏暦を重んじている僧侶が書く位牌(いはい)などに使われる場合がありますが、一般化していないために手紙などでは西暦(キリストの生誕年といわれている年を紀元元年とする暦法)と併記することが多いようです。
>[SNIP[]]
> 仏暦には入滅を元年とする暦法とその1年後を元年とする暦法の2種類があります。どちらも入滅を西暦で紀元前544年としています。この釈迦没年は仏教伝承のなかで流布されたもので、入滅を元年とするか、1年後から数え始めるかも、ゼロの概念を知っていたインド文明の影響とか宗教的な解釈の違いとかの諸説があります。[SNIP[]]
> 入滅を元年とする仏暦はスリランカやミャンマーなどで使われ、入滅1年後を元年とする仏暦はタイ、カンボジア、ラオスなどで使われているようですが、世界的な交流がすすんでいる現在ではこれらの国で西暦も通用しています。
> 全日本仏教会の機関誌『全仏』には、1年後の立場で仏暦が書かれ、西暦を添え書きしています。入滅1年後を元年とすれば、西暦に543(こよみ)を足すと仏暦になる、と語呂あわせでいわれます。日本の仏教徒のなかには、駄洒落(だじゃれ)のような計算方法をきらい、伝承された入滅年を元年として、今年は仏暦2550年とこだわる人もいます。(平)
> 〔2006・11・15(水)〕

入滅α、
1年後β、
仏暦2550年β

]FIG]

;; [90] 
他[[宗教]]を否定する[[共産主義]]者がなぜか[[仏暦]]を解説している不思議な記事。
不自然に[[元号]]を無視して[[西暦]]ageしているのは[[共産党]]らしい。
[SEE[ [[共産主義の日時]] ]]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[72] [CITE@ja[仏教での[[紀年法]]は何ですか? - 神社では元号、キリスト教会では... - Yahoo!知恵袋]], [TIME[2020-03-05 11:46:40 +09:00]] <https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1182639241>
]FIGCAPTION]

[[zen]],
2012/3/3 19:04:05

>
仏忌(ぶっき) 2579年 仏陀の涅槃から算定する中国暦に基づくといわれる。

χ

>
仏成道暦(ぶつじょうどうれき) 2544年 仏陀の誕生をB.C.566年、般涅槃を同486年と定めたもので、成道に重点を置いたもの。

ε 1年ずれ

>
仏誕(ぶったん) 2578年 仏忌と同じだが、1年の表記上のズレがある。

δ

>
仏暦(ぶつれき) 2556年 タイ国制定の仏暦。仏暦2455年(西暦1912)にタイ国で制定した仏暦で、日本の元号に相当する。西暦と同様に1月を新年度とする。

β

制定 α

>
仏暦 2557年 ブッダ暦。ウェーサーカー月が新年度になりスリランカ、ミャンマーなどがこれに従っている。ただし、2548年とする説もある。

β 1年ずれ

異説 ε 5年ずれ

>
仏紀(ぶっき) 2557年 上記の仏暦2549年を仏紀に替えた表記。仏暦、仏忌、仏誕などを仏紀と表現することもある。

β 1年ずれ

>
B.E. 2556年 英語によるBuddhist eraの省略表記。

β

;;
(投稿日の[TIME[西暦2012年][year:2012]]を基準にすると
全体的に1年ずれており、
本来[TIME[西暦2011年][year:2011]]の計算か。)

]FIG]

- [107] [CITE[こよみの学校 第65回『数え年と満年齢-[[仏紀]]のちがいもしかり』|暦生活]], 
[[中牧弘允]],
2015.10.8,
[TIME[2019-01-31 16:04:13 +09:00]] <https://www.543life.com/campus65.html>
-- 「ところで、暦にも数え年と満年齢のちがいがあります。仏暦・仏紀は釈迦の涅槃=入滅とされる紀元前544年を基準とした年数をつかいますが、タイやラオスなどでは満で数え、中国、韓国、ミャンマー、スリランカなどでは数えでやっています。つまり、国によって1年のズレがみられるのですが、それは上座部仏教と大乗仏教のちがいという訳ではありません。日本ではこれだけ仏教が定着しているにもかかわらず、仏紀をお寺のカレンダーに記載している例を見たことがありません。」
αβ

;; [108] [[暦]]の専門家の中牧でも[[仏暦]]の[[カレンダー]]では見たことがないとは、
よほど珍しいのか。
[[宗教暦]] (宗教行事予定) として[[仏暦]]を書いている (かつ[[Web]]に掲載している)
ところは日本各地にあるので、
檀家に配る[[カレンダー]]の形で掲載しているところも探せばありそう。
(広く流通しないだろうから探すのが難しいかもしれない。
あるという証言 >>112)
[[仏教]]の普及と寺院の数の割に[[仏暦]]の利用が少ないのは指摘の通り。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[84] 
[CITE[曹洞春秋]] (總和会報) 第119号,
2018.12.20,
[TIME[2018-12-28 15:17:32 +09:00]] <http://souwakai.info/cms/wp-content/uploads/2018/12/%E6%9B%B9%E6%B4%9E%E6%98%A5%E7%A7%8B-119%E5%8F%B7.pdf#page=5>
]FIGCAPTION]

>全国大会意見発表(要旨)
>[SNIP[]]
>
2、九州ブロック代表
[WEAK[熊本県第48番]]
[WEAK[神照寺住職]] 岩崎哲秀
>
日本の仏教興隆を願い、全日本仏教会において各宗派の仏紀(仏暦)を調査し「日本仏紀」(案)を制定していただきたい
> 〈回答者:森副理事長〉 
>仏紀・仏暦にはさまざまな説明があり、書に残すことはありませんでした。調べることは可能かと思いますが、この件につきまして、全日本仏教会に委ねたいと思います。


]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[70] [CITE@ja[【仏暦】2020年はお釈迦様が亡くなって何年目? | 真宗興正派 [[円龍寺]]]], 
[[かっけい]],
2019.12.31, 2018.01.31,
[TIME[2020-03-05 11:19:41 +09:00]] <https://kaxtukei.com/buddhist-calendar-this-year>
]FIGCAPTION]

>「仏暦(ぶつれき)」は「[B[仏滅紀元]](ぶつめつきげん)」とも表現されます。

>[B[仏暦のことを、「タイの仏暦」・「タイ暦」ともいわれることもありますように、南伝仏教による入滅の年を仏滅紀元元年としています。]]
>
[B[日本でもどういうわけか、西暦紀元前543年が仏滅紀元元年として、仏暦をカウントしています。]]

>[B[全日本仏教会は1994年10月の機関誌「全仏」第402号にて、世界的に普及している仏暦(没年を西暦紀元前544年)そしてタイの公文書でも使用されている仏暦を採用するように報告しています。]]

>>使っている人もいれば、使わない人もいる
>そりゃ当たり前でしょうと思うでしょうが、日常生活において元号が使いにくいように西暦による考えが浸透している現代では、[B[あえて仏暦を使う必要がない]]のです。
>しかし全く使われていないかと言えば、そんなことはありません。

>ですので他の紀年法が誕生や即位などを記念するのとは異なり、[B[仏教を開かれたお釈迦様の亡くなられた年を起点とする仏暦とは、仏法を聞きいただいていく後の私たちにとって「最大のご縁」であり、「最大の関心」となるのだと思います。]]

>[B[普段は西暦や元号を使うのですが、仏教行事をする時には仏暦も採用し、心の中の関心事として仏法のご縁を届けられた仏様に思いはせるのだと感じます。]]

>仏暦と皇紀は、西暦元年からの差は「543年」と「543年+117年」です。

>「[B[543・117]]」を「[B[こよみ・いいな]]」で覚えてみて下さい。

>[B[仏暦のことを”Bhudda Era”と表現します。]]eraには「時代、時期、紀元」の意味があります。
>
省略した形は“[B[B.E.]]”となります。
>
ですので令和2年なら、仏暦はB.E.2563、西暦はA.D.2020となります。

α

>しかし西暦2020年(令和2年)を仏暦2563年とせずに、仏暦2586年と表す人もいます。

δ

>[B[マイナーな「西暦の数字+566」[[の誕生年が基準の仏暦を使用するお坊さんもいます。
>>
曹洞宗では釈尊誕生の年を起点としているようだ
>
参考サイト『曹洞宗の「仏紀」の数え方<https://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/90b8213ccea93eec6c1f1185cf02f2c7>(つらつら日暮らし)』
>
この曹洞宗のお坊さんのブログ記事を参考にすると、明治の仏教学者高楠順次郎の「仏誕」に数字を合わせているようです。


]FIG]

- [104] [CITE@ja[[[仏暦]](仏教の暦)は、西暦とどう違うの? | こども仏教情報]], 
[[僧侶かつごん]],
2019.12.31,
2019.10.02,
[TIME[2020-03-05 17:26:52 +09:00]] <https://souryo.info/butsureki/>
-- 「西暦2020年は、仏暦2563年」α

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[53] [CITE@ja[[[擔雪II]]法務管理 暦計算(暦変換)ツールのご紹介 - ブログ 禅 -Blog ZEN-]], [TIME[2019-06-24 16:22:15 +09:00]] <https://www.zenbunka.or.jp/zenken/archives/2010/05/ii_11.html>
]FIGCAPTION]

>【2.皇紀・仏紀・仏暦変換】
西暦(新暦)と皇紀・仏紀との相互変換を行なえます。皇紀とは、日本書紀に記される神武天皇即位の年を元年とする紀元であり、仏紀は釈迦の没後1年後を元年とする暦です。

>西暦 [ 794 ] 年
>皇紀 [ 1454 ] 年
>仏紀 [ 1360 ] 年
>仏暦 [ 1336 ] 年

[525] 仏紀δ 仏暦ι

]FIG]

- [66] [CITE@ja[寺報 生きる166 – 真宗 大谷派 [[存明寺]]]], [TIME[2020-03-05 11:07:14 +09:00]] <https://zonmyoji.jp/archives/%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%82%8b166/>
-- 「2015年(仏歴2546年)5月3日発行」ε
- [65] [CITE@ja[生きる195(春のお彼岸号) – 真宗 大谷派 [[存明寺]]]], [TIME[2020-03-05 11:02:38 +09:00]] <https://zonmyoji.jp/archives/%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%82%8b182-2-2-2-2-2-2-2-2-3-2-3-2-2/>
-- 「真宗大谷派 存明寺通信『生きる』 195号です。
発行日 2020 年(仏暦2551年)3月1日」ε

]REFS]


[1315] 
[CITE@ja[マサカ🇯🇵亜細亜的功夫世代・世代(@masaka_akg)さん / X]], [TIME[12月14日][2025-12-14T12:48:31.000Z]], [TIME[2025-12-24T05:50:34.000Z]] <https://x.com/masaka_akg>

>西暦2025年は仏滅紀元2568年。
>
アジカンと水木しげる先生とブッダ好き、護憲、厭戦、反虐殺、嫌原発、社会民主主義者。


[1316] >>1315
プロフィールの先頭に書くくらいですから重視しているのだと思われます。そのわりには、数年ごとくらいの頻度で言及しているのを確認できますが、積極的に使っているわけでもなさそう。


** その他

[1183] 
[[日本]]の[[仏教]]系[[宗教団体]]の[[平等大慧会]]の教主[[梅本禮暉譽]]の経歴を書いた
[[Webページ]]の年表に、
「仏紀」
欄があります。
それによると[[元年]]は
[TIME[西暦-839年 (紀元前840年) [LINES[辛][酉]]][year:-839]]または[TIME[西暦-829年 (紀元前830年) [LINES[辛][未]]][year:-829]]でした。
出典は不明です。
[SEE[ [[弥勒][弥勒 (平等大慧会)]] ]]

-*-*-

[536] [[日本]]の代表的な[[掲示板]]サービスだった
[[2ch]]
は、
[TIME[西暦2005年4月1日][2005-04-01]]の[[エイプリールフール]]に当たり、
一部の[RUBY[[[板]]][いた]]で[[仏暦]]を[[日時表示]]に利用しました。
[TIME[西暦2005年][year:2005]]が仏暦2547年でした。
ι
[SEE[ [[2chの日時形式]] ]]

-*-*-

[127] 
政治活動家?の[[中川陽夫]]は、
[DFN[東洋暦]]と称して[[仏暦]]γを[[平成時代]]後期頃から使っているようです。
[[平成]]や[[令和]]と併記しています。それ以前は[[平成]]を使っていたようです。
[SRC[>>533, >>534]]

;;
[605] 
なお、「東洋暦」で検索して出てくるほとんどの用例は、
これとは異なる意味です。
「東洋暦」の意味を明確にしたものは見当たりませんが、
おおむね[[東洋]]で使われてきた[[暦]]の性質の一部分を指しているようです。
例えば[[二十四節気]]、[[夏正]]の[[年始]]、
[[干支]]といったものをそう呼んでいる事例がみられます。
その中では[[占星学]]分野で[[東洋]] ([[中華文化圏]]) 
の手法を指す用法がやや多めにみられます。



[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[533] [CITE@ja[裁判 憲法]]
([TIME[2019-08-27 21:15:49 +09:00]])
<http://nakagawa12.jugem.jp/>
]FIGCAPTION]

>
[BOX(center)[
東洋暦と西洋暦
]BOX]
>
西洋暦はキリストが誕生を紀元としている。
>
東洋暦は釈尊の入滅を紀元とする。
>
西洋暦は2012年
>
東洋暦は西洋暦紀元前949年2月15日を紀元と。
>
東洋暦は2961年
>
[BOX(indent)[
平成24年 6月 17日
]BOX]
>
[BOX(right)[
中 川 陽 夫
]BOX]

]FIG]

-
[534] [CITE@ja[My First JUGEM]]
([TIME[2020-03-22 11:18:20 +09:00]])
<http://dcba321.jugem.jp/>

]REFS]




* 世界仏教徒連盟

[199] 
[[世界仏教徒連盟]]は、
世界各国の仏教団体で構成される世界最大規模の[[仏教]]団体です。
総会である[[世界仏教徒会議]]は数年おきに各国持ち回りで開催されています。
[SEE[ 組織や会議の性質、議事録について[[世界仏教徒連盟]] ]]

[201] 
[[WFB]] の
[[Webサイト]]は、
[[英語]]のページでは
「13 Feb B.E.2563 (2020) 」 [SRC[>>202]]
など[[仏暦]]α型に[[西暦]]を併記しています [SRC[>>200]]
が、
「Thursday 6 February 2020」 [SRC[>>203]]
のように[[西暦]]単記のものもちらほらみられます。
[[タイ語]]のページでは、
「เสาร์ที่ 3 สิงหาคม พ.ศ. 2562」 [SRC[>>204]] (2562年8月3日土曜日)、
「๑๕ ตุลาคม พ.ศ. ๒๕๖๑」 [SRC[>>205]] (2561年10月15日)
のように[[仏暦]]α型単記です 
[SRC[>>206]]。
どちらも[[著作権表示]]は
「Copyright © 2015 THE WORLD FELLOWSHIP OF BUDDHISTS.」
と[[西暦年]]です [SRC[>>200, >>206]]。

-*-*-

[209]
第1回会議
(25 May - 6 June B.E. 2493 (1950)、[[スリランカ]])
の決議には「25[SUP[th]] May 2493 (1950)」
とあり、
決議番号にはそれぞれ「2493 (1950)」と付されていました。
議事録には題名に「2493 (1950)」とあり、
本文に「26 My to 6 June, 2493」とありました。
[SRC[>>208]]
これが当時そのままのものであれば、当初から[[仏暦]]α型が使われていたということになります。
ただ第1回を含む初期会議の決議録・議事概要記録の体裁や書きぶりは、
何年か経過してから改めての編纂を思わせます。
議事概要記録は何年か後に振り返るような文面です。
決議録も冒頭の説明文や決議番号 [SEE[ [[世界仏教徒会議]] ]] は、
記録をまとめた段階で付加されたと考えるのが自然です。
決議文本文以外は、
当時のものと考えるのは危険です。

[207] 
第1回会議の決議文には、[[日付]]表記は見当たりません。

[284] 
第1回会議 (25[SUP[th]] May 2493 (1950))
で[[仏暦]]の統一が議論されたとする説があります [SRC[>>282]]
が、議事録からは確認できません。

[285] 
[[世界仏教徒連盟]]の事務総長は、
第1回の文書に[[仏暦]]αで日付が記載されたとしました
(>>277)。

[286] 初回から[[仏暦]]が使われていたとすると、
会期中または事前の準備段階で、
各国間で調整が必要になったことは想像できます。


[1102] 
[TIME[西暦1950年][year:1950]]の第1回[[世界佛教徒友誼會]]で、
[[仏誕]]が紀元前623年、
[[仏滅]]が紀元前543年と決められたとする
[[Webページ]]がありました
[SRC[>>1107, >>1111, >>1099, >>1105, >>1134]]。
[[台湾]]で発行された仏教辞典
[CITE[佛光大辭典]]
にも書かれていたようなので、
その出典は不明ですが、
それなりに根拠があるのではないかとも思われます。

[1108] 加えて、
[[仏暦]]は[[仏滅]]から起算すると決めたと説明する
[[Webページ]]もあります 
[SRC[>>1111, >>1099, >>1134]]
が、その出典はまったく不明です。

[REFS[
- [1107] [CITE[佛光大辭典]], [CSECTION[衛塞節]], [TIME[2021-01-09T09:40:38.000Z]], [TIME[2018-07-28T13:14:39.998Z]] <https://web.archive.org/web/20180728131316/http://buddhaspace.org/dict/fk/data/%25E8%25A1%259B%25E5%25A1%259E%25E7%25AF%2580.html>
- [1105] [CITE@zh[[[佛曆]] - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2020-12-26T09:11:49.000Z]], [TIME[2021-01-09T09:30:36.100Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%9B%E6%9B%86>
- [1134] [CITE[佛历_[[百度百科]]]], [TIME[2021-01-10T04:02:18.000Z]] <https://baike.baidu.com/item/%E4%BD%9B%E5%8E%86>
]REFS]

-*-*-

[347] 
第2回会議
(25 - 30 September B.E. 2495 (1952)、[[日本]]) で、
「[[Buddhist Era]]
の普及」
が決議されました (RES. 9/5/GC 2/2495 (1952))。
それによると、
各国専門家会議を組織して
[[Buddhist Era]]
の疑問を研究し、
結果を次回会議に提出することとしました。
[SRC[>>346]]
これが決議文中の[[仏暦]]を指す語句の初出でした。


[348] 
この回の他の決議には、
「the Third World Buddhist Conference to be
held in 1954」
と[[西暦年]]が使われた例がありました。
他に、
「requests [SNIP[...]] to compile [SNIP[]]
as one of the enterprises to be undertaken in
commemoration of the 2,500[SUP[th]] anniversary of Maha Pari-
nirvana of the Buddha Sakyamuni」
という形で来たる仏滅2500年への言及がありました。
[SRC[>>346]]

[500] 
専門家会議が実際に設置されたのか、
次回第3回会議の決議がそれを反映したものであるのかは、不明です。

-*-*-

[214] 
第3回会議
(3 - 6 December B.E. 2497 (1954)、[[ビルマ]])
では、
「仏滅二千五百年記念事業」 [SRC[>>147]]
「仏紀二千五百年記念事業」 [SRC[>>147]]
(「the Sanbuddha Jayanti, the 2500th anniversary of the Passing Away of the Buddha」
[SRC[>>210 (RES. 47/22/GC 3/2497 (1954))]])
の実施が決議されました。
決議文は実施期日を
「sacred year (B.E. 2500―2501)」 [SRC[>>210]]
としていました。
[[全日本仏教会]]の会報はもう少し詳しく、
[TIME[昭和31年5月][1956-05]]から[TIME[昭和32年5月][1957-05]]としていました [SRC[>>147]]。
他の決議には「year 2500 B.E.」の表記もありました
[SRC[>>210 (RES. 27/2/GC 3/2497 (1954))]]。
2500年が[TIME[西暦1956(昭和31)年][year:1956]]ならβ、
[TIME[西暦1957(昭和32)年][year:1957]]ならαです。

[216] 
また、
[[仏陀]]の記念日を調査し世界的に統一された仏教暦を確立すべく専門家の特別委員会を設立することが決議されました
[SRC[>>210]]。 (この会議以外でも[[記念日]]の調査や各国の[[祝日]]化がたびたび決議されました。)
この決議文では、宗教行事の日取りという意味の[[暦]]なのか、
経過年数や[[紀年法]]まで含んでいるのかはっきりしません。
当時の[[全日本仏教会]]の会報に掲載された報告には、
相当するとみられる
「仏教の降誕会、涅槃会、成道会等を一定の日に世界的に定める樣推進する」
との項目があり、前者のようにも思われます。
[SRC[>>147]]

[349] 
更に、[[仏教徒]]の統合や相互理解の推進も決議され、
その中に記念日を記入した[[暦書]] (Buddhist Almanac) の出版や、
当年を2498年とする Buddhist Era β
の普及が含まれていました。
[SRC[>>210 (RES. 52/27/GC 3/2497 (1954))]]
[[全日本仏教会]]会報にも
「日本提案」として
「仏旗、仏教紀元の普及推進に関する件」
[SRC[>>147]] が挙げられていました。
この決議本文の[[仏暦]]βと決議番号の[[仏暦]]αが矛盾することは明白で、
決議番号が後年に付されたものと推測される [SEE[ [[世界仏教徒会議]] ]] 根拠の1つです。

[351] 
この回が決議文中の 「B.E.」表記の初出で、
β型の初出でもありました。

[211] 
別の決議には
「the First WFB Conference in Colombo in 1950」
[SRC[>>210 (RES. 44/19/GC 3/2497 (1954))]]
や
「in 1952」
[SRC[>>210 (RES. 55/30/GC 3/2497 (1954))]]
や
「in 881 C.E.」
[SRC[>>210 (RES. 56/31/GC 3/2497 (1954))]]
のように[[西暦年]]もみられました。


[1103] 
[TIME[西暦1954年][year:1954]]の第3回大会で仏教国家が[[仏暦]]を[[紀元]]とすること、
[TIME[西暦1954年][year:1954]]を仏暦2497年とすることが決められたαと説明する
[[Webページ]]があります [SRC[>>1111, >>1099, >>1134]]。
出典は不明です。
(同じ頁が直前の段落で第1回大会で決められた (>>1102)
とも書いていて、関係は不明です。)

[1109] 
[[中文]]版 [CITE[Wikipedia]] にも同様の記述がありましたαが、
[[仏滅]]が紀元前544年と決められたともありました。
第1回大会で紀元前543年と決められたとも書いてあって (>>1102) 矛盾しています。
しかも第3回で仏教国家が[[仏暦]]を[[紀元]]とすること、
[TIME[西暦1954年][year:1954]]を仏暦2497年とすることが決められたα
ともありました。
[SRC[>>1105]]
出典は付されていますが、その出典 [[Webページ]]に該当する記述がなく、
真の出典は不明です。


[1104] なおその 
[[Webページ]]はその[[仏暦]]を[DFN[小乘佛曆]]と呼んでいますが
[WEAK[(この呼び方は[[中文]] ([[簡体字]]、[[繁体字]]とも) でままみられます。)]]、
[[仏誕]]の前は[[西暦]] + 543 年α、後は[[西暦]] + 544 年β
[SRC[>>1111, >>1099]]
と説明していました。
(一方で[[大乘佛曆]]は[[西暦年]]と一致させていました。)
出典は不明です。


[1110] 
[[中文]]版 [CITE[Wikipedia]] は、
[[仏滅]]を紀元前544年としたのを0年にしたのが[[南伝仏教]]α、
1年にしたのが[[北伝仏教]]βと説明していました。
当該記事が説明する第3回決議に北伝側が違反していることになりますが、
何も説明がありません。
[SRC[>>1105]]


[1135] 
[CITE[百度百科]]
は、
西暦年に543を足すという説明αと、
[[仏誕]]前は543α、後は544βを足すという説明の2系統の説明が混じって書かれており、
説明と例示が一致しないなど混乱しています。
編集履歴を見ると、
別のタイミングで2つの説明が追加され、
その後内容の整合性を持たせようと編集して混同が生じたものと思われます。
なおその後者は当初他の
[CITE[佛历计算方法]]
と題した[[Webページ]]を出典としていましたが、
現在既に消失しておりその内容は確認できません。
例示から、
[TIME[西暦1972年][year:1972]]前後に最初に書かれたものと思われます。
[SRC[>>1134]]



-*-*-

[226] 
第4回会議
(15 - 21 November B.E. 2499 (1956)、[[ネパール]])
では、
[[世界仏教徒連盟]]中央本部の設置について、

- 「NEXT HEADQUARTERS」: 「for the next two years, viz. B.E. 2500 to 2501」
- 「HEADQUARTERS AFTER NEXT」: 「for the two years term viz. B.E. 2503 to 2504」
- 「HEADQUARTERS AFTER THAT」: 「for the two years term for B.E. 2505 to 2506」

... と2年間ずつ決議しました。
また次回会議の実施を
「in Thailand in B.E. 2501 (1958)」 α
と決議しました。
[SRC[>>215]]

[352] 
これが決議文中α型の初出で、[[西暦]]との併記の初出でもありました。

[353] 
ここで注意しなければならないのは、
2年ずつの期間を3つ並べているにも関わらず、
仏暦2502年が何の断りもなく飛ばされている点です。
1年間本部を設置しない理由も考えにくく、
単純なミスで起こり得るような誤りでもなく、大変不審です。
この2年×3の[[西暦年]]が併記されていませんが、
「next」とあることから当年は含まないとみられ、
決議当時が2499年だとするなら、α型です。

[454] 
[[全日本仏教会]]の機関紙の報告には、次のようにありました。
([[縦書き]])
[SRC[>>453 PDF 1ページ]]
年の途中から途中までを表すものか、3年の期間が2年間というよくわからない記述になっています。

- 「一九五六年~一九五八年の二年間」
- 「一九五八年~一九六〇年の二年間」
- 「一九六〇年~一九六二年の二年間」
- 「一九五八年」

[369] 
議事概要記録には、それぞれ次のようにありました。
[SRC[>>367]]
決議文と年次がずれている上に、最初の4年間は[[暦年]]でなく[[年度]]なのか、
2年 + 2年 = 3年のよくわからない記述になっています。
α

- 「for the next 2 years viz. 2499-2500 (1956-57) and 2500-2501 (1957-58)」
- 「for the two years term thereafter, viz.― 2501-2502 (1958-59) and 2502-2503
(1959-60)」
- 「for the 2 years term for 2503-
2504 (1960-61))」


[537] 
[[仏暦]]が[[グレゴリオ年]]でなく [[Wesak]] など異なる[[年始]]である可能性も検討するべきですが、
それにしても不可解です。

[538] 
本部移転3決議と大会会場決議で年表記が違うのは、
決議案の起草者が異なるためとみていいでしょうか。
そうであるとすると、
[[タイ]]での大会実施の決議案を起草したのは[[タイ]]代表で、
自国方式の[[仏暦]]α型を使ったのでしょうか。


[539] 
α型採用決議は実在せず[[タイ]]による改変だと主張する[[大韓民国]]の研究者
(>>319) なら、この不自然な状況は決議文が改竄された証拠とでも言うのでしょうか。
(この決議文を入手したかどうかは不明。)
そういわれても納得してしまいそうな混乱した状況ではあります。



[355] 
第5回会議
(24 - 30 November B.E. 2501 (1958)、[[タイ]])
では、前回決議通り、
[TIME[西暦1961年][year:1961]]-[TIME[1962年][year:1962]]の本部の場所が決定されました。
[SRC[>>354 N.B.]]
これを第4回の3つ目の期間と照合すると、2505年が[TIME[西暦1961年][year:1961]]となります。

[371] 第5回の議事概要記録には、
第4回の決定で[[スリランカ]]から移転して2501年から2503年の[[ビルマ]]に本部設置となり、
第5回にその後[[タイ]]に本部設置となることが記載されました。
加えて、実際には2503年に移転されず、2506年まで[[ビルマ]]のままだったことが記載されました。
[SRC[>>370]]

[499] 
どの記録も素直に読めない不審な記述が含まれていて解釈に苦しみますが、
決議文以外で最も時代が近い[[全日本仏教会]]の記録を重視しつつ比較すると、
仏暦αと解するより仏暦βと解する方が適切に思われます。

[FIG(table)[

:w: [[西暦]]
:a: α
:b: β
:gc: 総会
:4a: 本部 (決議4α)
:4b: 本部 (決議4β)
:4j: 本部 (日本報告)
:gp: 本部 (議事概要記録4)
:gch: 本部 (決議録5)
:gp5: 本部 (議事概要記録5)
:h: 本部 (実際)

:w: [TIME[1956][year:1956]]
:a: 2499
:b: 2500
:gc: 4: [[ネパール]]
:gp: [[セイロン]]
:4b: [[セイロン]]
:h: [[セイロン]]
:4j: [[セイロン]]

:w: [TIME[1957][year:1957]]
:a: 2500
:b: 2501
:gp: [[セイロン]]
:gp5: [[セイロン]]
:4a: [[セイロン]]
:4b: [[セイロン]]
:h: [[セイロン]]
:4j: [[セイロン]]

:w: [TIME[1958][year:1958]]
:a: 2501
:b: 2502
:gc: 5: [[タイ]]
:gp: [[セイロン]] → [[ビルマ]]
:gp5: [セイロン →] [[ビルマ]]
:4a: [[セイロン]]
:h: [セイロン →]? [[ビルマ]]
:4j: [[セイロン]] → [[ビルマ]]

:w: [TIME[1959][year:1959]]
:a: 2502
:b: 2503
:gp: [[ビルマ]]
:gp5: [[ビルマ]]
:h: [[ビルマ]]
:4b: [[ビルマ]]
:4j: [[ビルマ]]

:w: [TIME[1960][year:1960]]
:a: 2503
:b: 2504
:gp: [[ビルマ]] → 次回決定
:h: [[ビルマ]]
:gp5: [[ビルマ]] → [[タイ]]
:4b: [[ビルマ]]
:4a: [[ビルマ]]
:4j: [[ビルマ]] → 次回決定

:w: [TIME[1961][year:1961]]
:a: 2504
:b: 2505
:gc: 6: [[カンボジア]]
:gch: [[タイ]]
:gp: 次回決定
:h: [[ビルマ]]
:gp5: [[タイ]]
:4a: [[ビルマ]]
:4b: 次回決定
:4j: 次回決定

:w: [TIME[1962][year:1962]]
:a: 2505
:b: 2506
:gch: [[タイ]]
:h: [[ビルマ]]
:4b: 次回決定
:4a: 次回決定
:4j: 次回決定

:w: [TIME[1963][year:1963]]
:a: 2506
:b: 2507
:h: [[ビルマ]] → [[タイ]]
:4a: 次回決定

]FIG]


[368] 
この回は、仏紀2500年記念として[[ネパール]]国主催の記念行事と共に盛大に開催されました
(>>433)。
第4回会議の議事概要記録には、
「2499 (1956)」
年αは
「This was the year of Buddha Jayantī, the commemoration of the 2,500th anniversary of Śākyamuni Buddha's parinirvāṇa.」
と仏滅2500年だったことが記されました [SRC[>>367]]
が、1年のずれがあってよくわからない記述になっています。

[350] 
第4回会議で[TIME[西暦1956年][year:1956]]を2500年とするβことが決議されたとする説が[[大韓民国]]にあります
[SRC[>>177, >>181, >>195, >>163]]。しかし議事録にはそれらしきものを確認できません [SRC[>>225]]。
[TIME[西暦1957年][year:1957]]の第4回会議 ([[ネパール]])
で[TIME[西暦1957年][year:1957]]が2500年と決定したα説
[SRC[>>240, >>251]] もあります。

[260] 
[[大韓民国]]の
조계종 국제교류위원회 
(曹渓宗国際交流委員会)
위원
(委員)
で
세계불교연구원
(世界仏教研究院)
원장
(院長)
の
이치란
は、
[TIME[西暦1956年][year:1956]]の決議の当時、
[[南方仏教]]の紀元を採用することになった立役者は[[チベット]]で、
[[チベット]]が積極的に賛同したので[[北方仏教]]諸国も反対しなかったとし、
このことは[[世界仏教徒連盟]]の創設メンバーである
미야바라
上級常任理事、
티텐츄
マレーシア代表、
スリランカの
말라라세케라
博士の弟子の
아난다 구루게
博士などに直接確認したものであるとしました。
[SRC[>>256]]

[280] 
のみならず、
[[世界仏教徒連盟]]の事務総長も、
[[世界仏教徒連盟]]の[[仏暦]]αは[TIME[西暦1956年][year:1956]]に決議されたもので、
加盟国は[[仏暦]]をどう利用するかの裁量を持つものの、
[[世界仏教徒連盟]]決議の[[仏暦]]を使うのであれば、
それはαであるとの見解を示しました (>>279)。



[281] 
[[世界仏教徒連盟]]文書によると、
[TIME[西暦1956年][year:1956]]の第4回会議 ([[ネパール]])
で、
[[仏暦]]αを採用すること、
括弧で[[西暦]]を併記することを公式に採択しました。
[SRC[>>276]]
そのような表記が決議文に採用された (>>226)
という意味ならば、一応正しいといえます。

[287] 
[TIME[西暦1956年8月][1956-08]]に[[世界仏教徒連盟]]が正式にαを採用したことを踏まえ、
[TIME[西暦1957年1月][1957-01]]に正式に初めて2500年が使用された、
という説明もあります [SRC[>>282, 306]]。
決定翌年[[施行]]という意味でしょうか。根拠は不明です。


[356] 
第5回会議の決議文中では、
「14[SUP[th]] October 1956」
と[[西暦年]]がありました。
他には[[日付]]はなく、
決議の欠落に関する後年の注記らしきもの (>>355) に
「the years 1961‐1962」
「28th November 2501 (1958)」α
とあるくらいでした。

-*-*-

[220] 
第6回会議
(14 - 23 November B.E. 2504 (1961)、[[カンボジア]])
では、
事務局に対し
「resolutions
No. 7 and No. 27 passed at the Conference held in 1954」
を実施するよう決議されました [SRC[>>219]]。
ところが参照された第3回会議の決議7番はどうにもそれらしき内容ではありません
(27番は一応該当しますが)。
[[全日本仏教会]]の会報は、
「一九五四年ビルマの第三回世界仏教徒会議で第七号決議案及び、第廿七号決議案「[SNIP[...]]」が通つたが」
云々とし、
専門委員会設置の決議 (>>214) を引いていました
[SRC[>>146]]。
「決議」でなく「決議案」とあるのは筆が滑っただけとも考えられますが、
気にかけておくべきでしょう。決議案を2つ示して内容が1つなのも不審です。
この時期にはまだ決議番号が確立していなかったのでしょう。

[221] 
ともあれ、
総会で採択されてもその通り実行されるとは限らなかったことがわかります。
[CITE[全仏通信]]
を信じるなら、仏教の宗教暦の画定委員会もこの時点で設置されていなかったことになります
(今回こそ設置されたのかは不明です)。


[357] 
この回では、その「in 1954」以外にも、
「1962‐1963」、
「1963‐1964」
のように[[西暦年]]が使われました。
[SRC[>>219]]
会場写真にも会期が
「6-11 November 1966」
とあったのが写っています。
[SRC[>>362]]


[HISTORY[


[229] 
[TIME[西暦1962年][year:1962]]の会議で南方に世界的に統一されたとする説が[[大韓民国]]にあります
[SRC[>>160]]
が、この年に開催された記録はなく、
誤解により生じた説でしょう (>>230)。

[228] 
[TIME[西暦1967年][year:1967]]の[[ビルマ]]の会議で南方と北方の紀元が異なるため、
南方に統一することが決議されたとする説もあり、
[TIME[西暦1956年][year:1956]]説を紹介する[[大韓民国]]の
[[Webページ]]の1つが続けて説明しています [SRC[>>177]]。
[TIME[西暦1956年][year:1956]]に決定したという説明との関係が不明で矛盾する上、
[TIME[西暦1967年][year:1967]]は不開催年で、
[[ビルマ]]開催はこれまでに第3回だけでした。
これも誤解により生じた説でしょう (>>254)。

]HISTORY]

[359] 第7回、第8回と決議文中に[[年号]]は見えませんでした。
第9回
(13 – 20 April B.E. 2512 (1969)、[[マレーシア]])
の決議文には
「in May 1968」
と[[西暦年]]が使われました [SRC[>>358]]。 
なおこの回で、
[[タイ]]の中央本部の恒久化が決議されました。

[361] 
第10回
(22 - 27 May B.E. 2515 (1972)、[[スリランカ]])
の決議文には、
「as soon as possible, at least by the end of 1972」、
「The Tenth General Conference of the World Fellow-
ship of Buddhists held in this island of Ceylon (Sri Lanka)
where it was founded in the year 2494 of the Buddhist Era 
(1950 A.D.)」β、
「in the UNESCO programme and 
budget (Document 17C/5) for the period
1973/74」、
「in July 1972」、
「the Eighth General Conference held in Chiangmai in
1966」、
「in May 1968」
と[[西暦年]]が多く、設立年だけ[[仏暦]]βでした。
[SRC[>>360]]

-*-*-

[363] 
第11回
(20 - 25 February B.E. 2519 (1976)、[[タイ]])
の決議文中には[[西暦年]]が頻出しました。
[SRC[>>364]]

[365] 
この回では、
仏誕2600年記念行事実施が決議されました。
それによると、
[TIME[西暦1956年][year:1956]]が仏滅2500年として祝われたβため、
仏誕2600年は[TIME[西暦1976年][year:1976]]-[TIME[1977年][year:1977]]に当たるとされました。
正確な[[日付]]の決定は現実的でないことから1年間祝うものとし、
国の事情により前後数ヶ月延長することも可とし、
この2年間が祝賀期間としました。
[SRC[>>364]]

[366] 
ここまで数回決議文中にほとんど[[仏暦]]の利用が見られず、
この回はむしろ[[仏暦]]を避けているようにも見えます。
文中明言こそされていませんが、仏誕2600年の期間決定には国ごとの事情が云々とあって、
[[仏暦]]をめぐる対立があったとも解しえます。
この回の会場は[[タイ]]αで、
言及された仏滅2500年と1年のずれがあることが注目されます。

-*-*-

[374] 
第12回会議
(1 – 6 October B.E. 2521 (1978)、[[日本]])
の宣言文には、
題名に「1978」 (原文にあった題名かは不明)、
末尾の紀年に
「October 6, 1978」
とありました。
本文中、
「October 1st through 6th in the 
year 2552 [SMALCAPS[B.E.]] (1978)」、
「inaugural conference of the World Fellowship of Buddhists held in
Sri Lanka in 2494 [SMALLCAPS[B.E.]] (6th June 1950)」β
とありました。
[SRC[>>372]]
25''5''2年は計算があいませんが、25''2''2年とすればβです。

[502] 
[[全日本仏教会]]の機関紙には、大会宣言の[[日本語]]版が掲載されました。
[[日付]]はそれぞれ次のようにありました。 ([[縦書き]])
「仏紀二五二二年 (一九七八年) 十月一日より六日」
「仏紀二四九四年 (一九五〇年六月六日)」
「一九七八年十月六日」
[SRC[>>501]]


[375] 
決議文では[[西暦年]]が使われました。
特に
[[Lumbini Year]]  の決定は
「the year 1979」
とされました。
[SRC[>>373 (RES. 201/9/GC 12/2521)]]

-*-*-

[381] 
第13回会議
(21 – 29 November B.E. 2523 (1980)、[[タイ]])
の宣言は、
題名に
「B.E. 2523 (C.E. 1980)」α
とあり、
本文に
「November 22nd through 28th in 
Year B.E. 2523 (C.E. 1980)」α、
「Declaration made by us in Japan
in the Year B.E. 2521 (C.E. 1978)」α
とありました。
[SRC[>>378]]

[382] 
更に、
仏教暦 (Buddhist calendar) とりわけ 
[[Wesak]] 日が各国で異なることから、
特別委員会を設置して現状を再研究して
Buddhist Era
と
[[Wesak]] の[[日付]]の統一を目指すことが決議されました。
[SRC[>>379]]
これについて前回第12回会議の団結と連帯委員会に日本が
「仏歴の国際的採用のウエサカを統一した日に行なおう」
を提案しましたが、次回第13回会議まで継続審議となっていました [SRC[>>503]]。



[383] 
この年は創立30周年に当たり、
記念硬貨も発行されました
(>>224)。
記念の皿?も作られたようで、写真によると次のようにありました
[SRC[>>380]]。α

- 「๒๑‐๒๙ พฤศจิกายน ๒๕๒๓ (ค.ศ. ๑๙๘๐)」
- 「21-29 NOVEMBER 1980 (B.E.2523)」
- 「๒๔๙๓‐๒๕๒๓」
- 「1950‐1980」


[388] 
この回の決議録が当時のものだとすれば [SEE[ [[世界仏教徒会議]] ]]、
決議番号の初出となります。

-*-*-

[386] 
第14回会議
(2 - 7 August B.E. 2527 (1984)、[[スリランカ]])
の宣言文では、
本文中[[西暦年]]が1箇所のみ出現しました。
決議文もほとんどが[[西暦年]]でした。
1箇所だけ「B.E. 2528 (May, 1985)」α
とありました。
また
「resolution 108/2/GC7/2507 (1964)」αなど従来の決議の参照がいくつかあり、
決議文中の決議番号の初出でした。
[SRC[>>385]]

[387] 
第15回会議
(26 November - 2 December B.E. 2529 (1986)、[[ネパール]])
では、宣言題名、決議文中にいくつか[[西暦年]]のみ見られました。
第16回会議
(19 - 26 November B.E. 2531 (1988)、[[米国]])
では、決議文中に1例[[西暦年]]が見られるだけでした。

-*-*-

[392] 
第17回会議
(21 - 29 October B.E. 2533 (1990)、[[大韓民国]])
の宣言本文では、[[西暦年]]のみが使われました [SRC[>>389]]。
議事概要記録もこれ以前の年は[[仏暦]]単記または併記が多い中で、
この年は題名以外[[西暦]]単記となっていました [SRC[>>391]]。
一方で決議録は[[仏暦]]αと[[西暦]]の併記で統一されていました。
「B.E. 2506 -2533 (1963-1990)」のような範囲の記述もあり、
決議文中の範囲の併記は初出でした [SRC[>>390]]。

[263] 
このとき[[大韓民国]]の[[仏暦]]βと[[世界仏教徒会議]]中央本部 ([[タイ]])
の[[仏暦]]αの1年の違いが問題となり、折衷案として[[西暦]]が採用されました
(>>262)。

-*-*-

[393] 
第18回会議
(27 October – 3 November B.E. 2535 (1992)、[[台湾]])
でも、宣言本文や議事概要記録で[[西暦年]]が使われました。
決議文は併記していますが、1例
「by the year 2000」
と[[西暦年]]単記がみられました [SRC[>>394]]。
節目として[TIME[西暦2000年][year:2000]]が選ばれたものと思われます。

[395] 
第19回会議
(22 – 29 November B.E. 2537 (1994)、[[タイ]])
では、宣言題名、宣言本文、議事概要記録が[[仏暦]]αと[[西暦]]の併記
(議事概要記録に1例だけ[[英暦]]に[[仏暦]]αの併記)
がありました [SRC[>>396, >>398]]。この回から形式が変わったのか、
決議は2項しかなく、従来の決議番号は使われなくなっていました [SRC[>>397]]。

[399] 
第20回会議
(29 October – 2 November B.E. 2541 (1998)、[[豪州]])
の宣言、議事概要記録は[[仏暦]]αと[[西暦]]の併記で統一されていました。
一方で会場写真には
「29 OCTOBER ~ 2 NOVEMBER. 1998」
と書かれた看板が写っていました [SRC[>>400]]。


[401] 
第21回会議
(5 - 9 December B.E. 2543 (2000)、[[タイ]])
の宣言題名には「2000」とありました [SRC[>>402]]。
宣言本文に
「the year Buddha Day (Vesak) 2001 to Buddha Day (Vesak) 2002 as the International Year of Metta (loving kindness)」
と[[西暦年]]があり、
議事概要記録にも転記されました [SRC[>>402, >>404]]。
しかし決議録では[[仏暦]]αと[[西暦]]の併記でした [SRC[>>403]]。
議事概要記録の他の日付も併記でした [SRC[>>404]]。
[[Webサイト]]のロゴ画像 (当時のものと思われますが、不明)
には、
「2493-2543」αとありました [SRC[>>405]]。

-*-*-

[406] 
第22回会議
(9 - 13 December B.E. 2545 (2002)、[[マレーシア]])
では、
宣言題名で[[仏暦]]α、[[西暦]]の併記、
宣言本文で[[西暦]]、
決議で[[西暦]] [SRC[>>408]]、
議事概要記録で併記が見られました。
会場写真には、
「December 9 - 13, 2002」
とありました [SRC[>>407]]。
[[Webサイト]]のロゴ画像 (当時のものと思われますが、不明)
には、
「9-13 Dec 2002」とありました
[SRC[>>412]]。

[409] 
なお決議文中に
「the Declaration of Peace and Reuni-
fication of the Korean Peninsula, dated June 15, B.E. 2000」
とあり [SRC[>>408]]、
[TIME[西暦2000年6月15日][2000-06-15]]調印の[[6.15南北共同宣言]]を指すとみられますから、
「B.E.」は誤記です。

[411] 
[[Webサイト]]には、
[[Buddhist era]] ([[B.E.]])
の後に括弧書きで [[C.E.]]
を記述する方式を[[世界仏教徒連盟]]グループで利用することを決めたのであり、
[[世界仏教徒連盟]]本部その他の従来の慣習通り
B.E. 2545 は C.E. 2002
であるα、
と記述があります [SRC[>>410]]。
決議録に見当たらず、下位の会合による決定とみられますが、不明です。


[213] 
以後は概ね
「5-9 November B.E. 2561 (2018)」
のようなα併記で統一されているようですが、
「by the 2015 earthquake」
のような[[西暦]]単記も珍しくありません。
[SRC[>>212]]


[504]
[TIME[西暦2007年10月][2007-10]]、
[[大韓民国]]で[[世界仏教徒連盟国際会議]]が開催されました。
[[大韓民国]]の[[仏暦]]βと[[世界仏教徒連盟]]の[[仏暦]]αの
1年のずれが問題となり、[[大韓民国]]内で大論争となりましたが、
結果αが採用されました。
(>>307)



[413] 
第24回会議
(14 - 17 November B.E. 2551 (2008)、[[日本]])
の会場写真によると
「November 14th-17th, 2008」
と看板にありました [SRC[>>414]]。
宣言文・議事概要記録中に
「the   forthcoming   celebration   of   the   2600[SUP[th]] anniversary   of   the Buddhahood in Vesak 2011」
[SRC[>>505, >>415]] とありました。他は併記でした。
ロゴにも「14-17 NOV. 2551/2008」α とありました [SRC[>>416]]。
第29回会議 (5 - 9 November B.E. 2561 (2018)、[[日本]])
のロゴは
「2018」でした [SRC[>>426]]。
(>>308 も参照。)

[507] 
なお[[全日本仏教会]]機関紙に日本語の大会宣言文が掲載されており、
そこでは ([[縦書き]])
「平成二十年十一月十三日から十七日」
「来る二〇一一年のべサックにおける釈尊成道二千六百年記念行事」
とありました
[SRC[>>506]]。


[417] 
第25回会議
(13 - 17 November B.E. 2553 (2010)、[[スリランカ]])
の会場写真によると
「14th to 17th November, 2554/2010」β
と看板にありました [SRC[>>418]]。
議事録中には「B.E. 2553 (2010)」 [SRC[>>419]] のような[[世界仏教徒連盟]]表記αか、
[[西暦年]]が使われていました。

[420] 
なお議事概要記録中
「the inaugural conference of The World Fellowship of Buddhists was held in B.E. 1950」
とあり、「B.E.」は誤記です。 [SRC[>>419]]

[422] 
第26回会議
(11 - 16 June B.E. 2555 (2012)、[[大韓民国]])
の会場写真では[[日付]]部分が一部隠れて確証がありませんが、
[TIME[2012年][year:2012]]と西暦年のみ壁に記載されたようです
[SRC[>>421]]。
議事録中には[[世界仏教徒連盟]]表記αか、
[[西暦年]]が使われていました。
第28回会議 (26 - 30 September B.E. 2559 (2016)、[[大韓民国]])
の宣言中の日付も[[世界仏教徒連盟]]表記αでした。


[424] 
第27回会議
(14 - 19 October B.E. 2557 (2014)、[[中華人民共和国]])
の会場写真によると、
壁面に
「17 October B.E.2557(2014)」α
とありました [SRC[>>423]]。
議事録中には[[世界仏教徒連盟]]表記αか、
[[西暦年]]が使われていましたが、1箇所
「16-18  October  2014  (B.E.2557)」
と逆順の例もありました [SRC[>>425]]。




-*-*-

[224] 
創立20周年、30周年には、[[タイバーツ]][[記念硬貨]]が発行されました。
「B.E.2493-2523」
のように[[仏暦]]が刻印されていました。
[SRC[>>222, >>223]]
(>>380 の写真に「21-29 NOVEMBER 1980」)

[227] 
第17回
(21 - 29 October B.E. 2533 (1990)、[[大韓民国]])
のテーマは
「Buddhist Challenges Into the Next Decade」
でした。 [[decade]] は「次の10年」とも解せなくはありませんが、
開催年を考えれば[[西暦1990年代][90年代]]とみるべきでしょう。
第20回
(29 October – 2 November B.E. 2541 (1998)、[[豪州]])
のテーマは
「Buddhism and Challenges in the 21st Century」
でした。
第26回
(11 - 16 June B.E. 2555 (2012)、[[大韓民国]])
のテーマは
「Buddhist Ecological - Environmental Thought & Practice for the 21st Century」
でした。

[377] 
議事概要記録に
「This would, no doubt, be one of the challenges for W.F.B. in the 2533's
(1990s).」という記述もありました [SRC[>>376]]。[[1990年代]]と解するべきでしょうが、
「2533's」では意味が不明です。

[218] 
議事概要記録には、
「2505-2506 (1962-63)」
という[[西暦]]だけ[[2桁年号]]化された表記例もありました [SRC[>>217]]。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[346] [CITE[Resolution-2nd.pdf]], [TIME[2015-10-07 14:07:07 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000003/01505/Resolution-2nd.pdf#page=4>
]FIGCAPTION]

>
[B[RES. 9/5/GC 2/2495 (1952)]] [SUP[(1)]]
>
[BOX(center)[
[B[POPULARIZATION OF THE BUDDHIST ERA]]
]BOX]
>
A Conference of experts from various countries shall
be formed to study the question of a Buddhist Era, so that
the result may be reported to the next Conference.

>
(1) See also Res. 52 (H)

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[649] 
[CITE[Buddhist Political Thought: A Bibliography. '''['''Outlines and Bibliographical ... - Google ブックス]], [TIME[2020-04-07 16:53:32 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=YxZPAQAAMAAJ&q=2494>
]FIGCAPTION]

>
Buddhist Political Thought: A Bibliography. [Outlines and Bibliographical Index, SAIS, Summer Session, 1952
>School of Advanced International Studies, 1952 - 146 ページ

>[U[World]] [U[Fellowship]] [U[of]] [U[Buddhists]] [U[News]] [U[Letter]] (The only periodical of the 
W.F.B.) (Colombo) No. 1 (August) 2495 B.E., 1951 C.E. — 
>[U[The]] [U[Buddhist]] [U[World]] (Colombo). Vol. I, No. 1 (1st Nov., 1950/2494)— 
(A newspaper published every other Wednesday)

β

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[210] [CITE[Resolution-3rd.pdf]], [TIME[2015-10-07 14:18:00 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000004/01505/Resolution-3rd.pdf>
]FIGCAPTION]

>
[B[RES. 48/23/GC 3/2497 (1954)]][SUP[(1)]]
>
That whereas in the interests of Buddhist unity and
solidarity it is desirable that the main Buddhist observances
connected with important events in the life of Lord Buddha
be held in identical dates all over the Buddhist world, this
Conference resolves that a special committee of experts be
appointed to investigate the various Buddhist calendars and
make suitable recommendations for the adoption of a 
universally acceptable Buddhist calendar.

>(1) (2) See also Res. 2, 99, 133, 182 and 202

> [B[RES. 52/27/GC 3/2497 (1954)]]
>
That this Conference regards it important that in
order to establish Buddhist unity and solidarity and to bring
about mutual understanding among the Buddhists everywhere,
all efforts should be made, including following:
>[SNIP[]]
>(E) The publication of a Buddhist Almanac in
English and if possible in other languages
containing matters of interests to Buddhists such
as Buddhist Calendar of sacred and ceremonial
dates, etc;
>[SNIP[]]
>(H) Popularization of the Buddhist Flag and the
Buddhist Era taking the present year as 2498
B.E;
>[SNIP[]]

β

]FIG]

- [147] 
[CITE[全佛通信]],
昭和30年1月25日,
([TIME[2016-10-07 01:22:00 +09:00]])
<http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/3.pdf#page=2>
- [215] [CITE[Resolution-4th.pdf]], [TIME[2015-10-07 14:22:18 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000005/01505/Resolution-4th.pdf>
- [453] [CITE[23.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:46 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/23.pdf>
- [354] [TIME[2015-10-07 14:24:28 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000006/01505/Resolution-5th.pdf>
- [362] [CITE[016000049_01602.jpg (JPEG 画像, 1447x900 px)]], [TIME[2015-10-15 19:35:15 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/016000049_01602.jpg>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[219] [CITE[Resolution-6th.pdf]], [TIME[2015-10-07 14:27:14 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000007/01505/Resolution-6th.pdf#page=6>
]FIGCAPTION]

>
[B[RES. 101/16/GC 6/2504 (1961)]]
>
Resolved: That the Secretary General of the World
Fellowship of Buddhists be requested to implement resolutions
No. 7 and No. 27 passed at the Conference held in 1954 and
that the Secretary General publish a list of all resolutions
passed since the World Fellowship of Buddhists was founded
indicating which of these resolutions have been implemented
and which not.


]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[652] [CITE[[[The Numismatic Scrapbook Magazine]] - Google ブックス]], 
第 37 巻、第 2 号,
Hewitt Bros., 1971,
[TIME[2020-04-07 18:44:51 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=MqQuAQAAIAAJ&q=2493>
]FIGCAPTION]

>IN COMMEMORATION OF 20TH ANNIVERSARY — OF THE WORLD FELLOWSHIP OF BUDDHISTS. Initials W.F.B. appears above and Buddhist era (BE) dates 2493-2513 below. Dates are synonymous with AD 1950- 1970.

α

;; 「coin」とあるので記念硬貨か? (>>224)
]FIG]

- [146] 
[CITE[全仏通信]],
昭和37年1月25日,
[TIME[2016-10-07 01:23:04 +09:00]]
<http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/68.pdf#page=2>
- [358] [CITE[Resolution-9th.pdf]], [TIME[2015-10-07 14:43:05 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000010/01505/Resolution-9th.pdf>
- [360] [CITE[Resolution-10th.pdf]], [TIME[2015-10-07 14:45:44 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000011/01505/Resolution-10th.pdf>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[364] [CITE[Resolution-11th.pdf]], [TIME[2015-10-15 18:54:09 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000017/01505/Resolution-11th.pdf>
]FIGCAPTION]

>
The Buddha Jayanti was celebrated in the year 1956
as the twenty-fifth centenary of the Mahaparinibbana (the
great passing away) of the Buddha.  Prince Siddhartha, the
Bodhisatva, was born eighty years prior to Mahaparinibbana
and the Buddha was considered to be eighty years old when
he passed away.  Therefore Prince Siddhartha's twenty-sixth 
birth centenary falls within the period 1976-1977.  In view
of the time differences accepted from country to country
now depending on the geographical situation of each country,
we need not be concerned about the exact date and month
of the year for this celebration.  It may also be considered
scientifically unrealistic to expect a precise date for our
purpose in view of the time differences referred to above.
Therefore the whole year from the Vesak (May) Full Moon
day of 1976 to Vesak Full Moon Day of 1977 may be
considered as the centenary year.  If necessary this may
even be extended both ways be a few months if such exten-
sions are found useful for special reasons in any particular
country.  What is important within this year is to focus
the attention of the world on the relevance of the teachings
of the Buddha to present day society, which needs them
more now than they were ever needed before.
>[SNIP[]]

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[635] [CITE[[[新羅佛教戒律思想研究]] - [[蔡印幻]] - Google ブックス]], 
1977,
[TIME[2020-04-07 11:45:48 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=89IyAQAAIAAJ&q=%E4%BB%8F%E7%B4%80%E5%B9%B4%E4%BB%A3>
]FIGCAPTION]

>66 ページ
この仏紀年代に関する質問をしたことについて、高句 88 に仏教が入りすでに二百余年
が経過した五六年にネパ—ルで行われた第四次世界仏教徒大会で決議された一九五
六年を仏滅後一一五〇〇年とする仏紀年代がいたのであり、李朝仏教においても同じく

β

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[637] [CITE[[[宗務時報]] - Google ブックス]], 
第 40~42 号,
[[文部省]]調查局宗務課,
1977,
[TIME[2020-04-07 11:55:18 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=Tx__ko0dcAwC&q=WFB+%E4%BB%8F%E7%B4%80>
]FIGCAPTION]

>12 ページ
世界仏教徒連盟(WFB)ーその組織と理念ー財団法人全日本仏教会事務総長鱗淵正浩
世界仏教徒連盟(World Fellowship of ... (3)仏紀の問題。(4)仏教徒の平和実現のため
の具体的実践方策等が論議されると共に、第2回WFB 大会を、日本で開催されたい旨 ...

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[647] 
[CITE[[[Wiener Zeitschrift Für Die Kunde Südasiens]] - Google ブックス]],
第 1~30 巻、第 32~35 巻,
Brill, 1978,
[TIME[2020-04-07 16:36:26 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=sXQHAQAAMAAJ&q=2494>
]FIGCAPTION]

>
Already at that conference a motion was set up "that the said World Fellowship of Buddhists adopt the year 2494 as the established year of the Buddhist Era as of date (i.e. 1950 A.D.) and ... that a copy of this resolution be circulated to all known Buddhist organizations and socie-
ties for information and acceptance” [SUP[83]]. It was then deferred for consi-
deration.  The Committee of experts formed after the Second W.F.B. Conference[SUP[84]] decided in favour of the Theravāda Era which was adopted in a resolution of the Third Conference in 1954[SUP[85]].  In spite of these attempts to reach a lasting agreement concerning the Buddhist Era, this question has remained controversial not only in

β

]FIG]

- [372] [CITE[Declaration-12th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:08:43 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000012/01503/Declaration-12th.pdf>
- [373] [CITE[Resolution-12th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:01:00 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000012/01505/Resolution-12th.pdf>
- [501] [CITE[243.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:50 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/243.pdf#page=3>
- [503] [CITE[244.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:49 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/244.pdf#page=4>
- [378] [CITE[Declaration-13th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:11:09 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000013/01503/Declaration-13th.pdf>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[379] [CITE[Resolution-13th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:11:09 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000013/01505/Resolution-13th.pdf>
]FIGCAPTION]

>RES. 211/9/GC13/2523 (1980)
>The Thirteenth General Conference:
>[I[Having noted]] with apprehension diversity among the member countries regarding the
Buddhist calendar and, in particular the date of Wesak,
>Resolves to request the Ad-hoc committee appointed to deal with the matter to study
the situation once again, and to arrive at a universal agreement for the Buddhist Era and date
for Wesak, taking into account the traditions prevailing in the various countries.
]FIG]

- [385] [CITE[Resolution-14th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:16:51 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000014/01505/Resolution-14th.pdf>

[FIG(quote)[
[648] 
[CITE[[[Thailand: Headquarters of the World Fellowship of Buddhists]] - World Fellowship of Buddhists - Google ブックス]], 
World Fellowship of Buddhists,
National Identity Office, Office of the Prime Minister, 1984,
[TIME[2020-04-07 16:50:29 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=WeMEAAAAMAAJ&q=2494>

>at this first conference of the World Fellowship of Buddhists, this 6th day of [I[Asadha]] B.E. 2494 (June 6, 1950) do hereby adopt, enact and give to ourselves this Constitution.

β

[651] [CITE[Thailand: Headquarters of the World Fellowship of Buddhists - World Fellowship of Buddhists - Google ブックス]], [TIME[2020-04-07 18:37:17 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=WeMEAAAAMAAJ&dq=2493>

>The World Fellowship of Buddhists (WFB) was founded on 25th May 1950 (B.E. 2493) in Colombo, Sri Lanka,

α

]FIG]

- [367] [CITE[Record-of-Proceedings-4th.pdf]], [TIME[2015-10-07 14:22:18 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000005/01507/Record-of-Proceedings-4th.pdf>
- [370] [CITE[Record-of-Proceedings-5th.pdf]], [TIME[2015-10-07 14:24:28 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000006/01507/Record-of-Proceedings-5th.pdf>
- [376] [CITE[Record-of-Proceedings-12th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:01:00 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000012/01507/Record-of-Proceedings-12th.pdf>
- [389] [CITE[Declaration-17th.pdf]], [TIME[2015-10-15 19:02:01 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000019/01503/Declaration-17th.pdf>
- [390] [CITE[CONSTITUTION - Resolution-17th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:30:01 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000019/01505/Resolution-17th.pdf>
- [391] [CITE[Record-of-Proceedings-17th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:30:01 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000019/01507/Record-of-Proceedings-17th.pdf>
- [394] [CITE[CONSTITUTION - Resolution-18th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:32:51 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000020/01505/Resolution-18th.pdf>
- [396] [CITE[Declaration-19th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:36:34 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000021/01503/Declaration-19th.pdf>
- [397] [CITE[Resolution-19th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:36:34 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000021/01505/Resolution-19th.pdf>
- [398] [CITE[Record-of-Proceedings-19th.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:36:34 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000021/01507/Record-of-Proceedings-19th.pdf>
- [400] [CITE[016000116_01602.jpg (JPEG 画像, 1314x900 px)]], [TIME[2015-10-07 15:40:40 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/016000116_01602.jpg>
- [402] [CITE[Declaration-21st.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:42:56 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000023/01503/Declaration-21st.pdf>
- [403] [CITE[Resolution-21st.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:42:56 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000023/01505/Resolution-21st.pdf>
- [404] [CITE[Record of Proceedings 21st.pdf]], [TIME[2015-10-27 15:52:24 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000023/01507/Record%20of%20Proceedings%2021st.pdf>
- [405] [CITE[015000023_01501.jpg (400×225)]], [TIME[2015-10-07 15:42:56 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000023_01501.jpg>
- [407] [CITE[016000133_01602.jpg (JPEG 画像, 904x657 px)]], [TIME[2015-10-07 15:51:09 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/016000133_01602.jpg>
- [408] [CITE[Resolution-22nd.pdf]], [TIME[2015-10-07 15:49:38 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000024/01505/Resolution-22nd.pdf>
- [412] [CITE[015000024_01501.jpg (400×225)]], [TIME[2015-10-07 15:49:38 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000024_01501.jpg>
- [414] [CITE[016000140_01602.jpg (JPEG 画像, 640x480 px)]], [TIME[2015-10-07 15:55:37 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/016000140_01602.jpg>
- [505] [TIME[2015-10-07 15:55:01 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000026/01503/Declaration-24th.pdf>
- [415] [CITE[Record of Proceedings 24th.pdf]], [TIME[2015-10-27 15:51:13 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000026/01507/Record%20of%20Proceedings%2024th.pdf>
- [506] [CITE[546号(1月号)カラー/表紙 - 546.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:51 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/546.pdf#page=6>
- [416] [CITE[015000026_01501.jpg (400×225)]], [TIME[2015-10-07 15:55:01 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000026_01501.jpg>
- [418] [CITE[016000146_01602.jpg (JPEG 画像, 700x274 px)]], [TIME[2015-10-07 16:00:13 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/016000146_01602.jpg>
- [419] [CITE[Record of Proceedings 25th.pdf]], [TIME[2015-10-27 15:50:56 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000027/01507/Record%20of%20Proceedings%2025th.pdf>
- [423] [CITE[016000162_01602.jpg (JPEG 画像, 1350x900 px)]], [TIME[2015-10-07 16:06:19 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/016000162_01602.jpg>
- [425] [CITE[Declaration-27.pdf]], [TIME[2015-10-07 16:05:34 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000029/01503/Declaration-27.pdf>
- [200] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 10:12:54 +09:00]] <http://wfbhq.org/index.php>
-- 「The World Fellowship of Buddhists (WFB) is an international Buddhist organization established since B.E. 2493 (1950) in Sri Lanka by the initiation of Dr. Gunapala Piyasena Malalasekera, a famous Sri Lankan Pali scholar, who inspired a Buddhist meeting leading to the founding of a world organization.」α
-- [206] [CITE@en[องค์การพุทธศาสนิกสัมพันธ์แห่งโลก]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 10:23:21 +09:00]] <http://wfbhq.org/th/index.php>
--- 「องค์การพุทธศาสนิกสัมพันธ์แห่งโลก (พ.ส.ล.) เป็นองค์กรระหว่างประเทศของพุทธศาสนิกชนซึ่งจัดตั้งขึ้นเมื่อ พ.ศ. ๒๔๙๓ (๑๙๕๐) ณ ประเทศศรีลังกา โดยการริเริ่มของ ดร.」 (2493年)
-- [208] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 10:43:52 +09:00]] <http://wfbhq.org/general-conference-detail.php?id=015000018>
-- [217] [CITE[Record-of-Proceedings-6th.pdf]], [TIME[2015-10-07 14:27:14 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000007/01507/Record-of-Proceedings-6th.pdf>
-- [225] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 12:32:49 +09:00]] <http://wfbhq.org/general-conference-detail.php?id=015000005>
-- [212] [CITE[Tokyo Declaration 2018.pdf]], [TIME[2019-07-30 14:20:51 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000032/01503/Tokyo%20Declaration%202018.pdf>
-- [205] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 10:19:27 +09:00]] <http://wfbhq.org/news-detail.php?id=002000094>
-- [204] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 10:17:32 +09:00]] <http://wfbhq.org/news-detail.php?id=002000119>
-- [203] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 10:16:47 +09:00]] <http://wfbhq.org/news-detail.php?id=002000131>
-- [202] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 10:15:46 +09:00]] <http://wfbhq.org/news-detail.php?id=002000132>
-- [222] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 12:17:03 +09:00]] <http://wfbhq.org/souvenir-detail.php?id=019000028>
-- [223] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-08 12:17:35 +09:00]] <http://wfbhq.org/souvenir-detail.php?id=019000026>
-- [380] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-21 10:52:19 +09:00]] <http://wfbhq.org/general-conference-detail.php?id=015000013>
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[410] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-21 12:41:57 +09:00]] <http://wfbhq.org/general-conference-detail.php?id=015000024>
]FIGCAPTION]

>
At the conference, adoption of using the Buddhist era (B.E.) followed by the C.E. in parentheses for communications in the WFB family.  In this connection, B.E. 2545 is equivalent to C.E. 2002 of which in fact, it has been the traditional practice of the WFB Headquarters, the WFBY Headquarters, and the WBU. 
>
In addition, resolve of VESAK Day be observed as World Meditation Day was adopted. 
]FIG]
-- [421] [CITE@en[The World Fellowship of Buddhists]], [[Zubvector Studio]], [TIME[2020-03-21 13:07:50 +09:00]] <http://wfbhq.org/general-conference-detail.php?id=015000028>
- [426] [CITE[015000032_01501.jpg (400×225)]], [TIME[2019-07-30 14:20:51 +09:00]] <http://wfbhq.org//uploads/conferences/015000032_01501.jpg>

]REFS]

* 末法思想

[590] [[中世]]には[[末法思想]]が流行しました。

[34] 
[[支那]]や[[日本]]では、[[釈迦]]の死去を[TIME[周穆王53年(西暦紀元前949年、-948年)][year:-948]]
と考えました。
[SRC[>>258 PDF 8ページ, >>672]]
γ

[35] 
[[支那]]では、
[[正法]]500年、[[像法]]1000年を経た[TIME[北斉天保3(西暦552)年][year:552]]から[[末法]]としました。
γ
[SRC[>>258 PDF 8ページ, >>914]]

[36] 
[[日本]]では、
[[正法]]1000年、[[像法]]1000年を経た[TIME[永承7(西暦1052)年][year:1052]]をもって[[末法]]としました。
[SRC[>>258 PDF 8ページ]]

[674] 
[[日本]]の[[日蓮宗]]の開祖[[日蓮]]
([TIME[承久4(1222)年2月16日][kyuureki:1222-02-16]]、仏暦γ2171年-[TIME[弘安5(1282)年10月13日][kyuureki:1282-10-13]]、仏暦γ2231年)
は、
[CITE[如来滅後五五百歳始観心本尊抄]]
を著しました。
北方仏紀γの5五百年 = 2500年で、[[末法]]時代を指しています。

[REFS[
- [914] [CITE@ja[『[[日本書紀]]』仏教伝来記事と末法思想(その二)]], 
[[吉田一彦]], 
[TIME[2008-06-25]],
[TIME[2021-01-07T06:40:52.000Z]] <https://ncu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=212&item_no=1&page_id=13&block_id=17>
- [800] [CITE@ja[[[末法思想]] - Wikipedia]], [TIME[2020-12-22T10:22:08.000Z]], [TIME[2021-01-06T06:15:28.976Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%B3%95%E6%80%9D%E6%83%B3#:~:text=%E6%9C%AB%E6%B3%95%E6%80%9D%E6%83%B3%EF%BC%88%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%9D%E3%81%86,%E8%A6%B3%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82>
]REFS]


* 仏滅2500年記念事業

[496] 
[[世界仏教徒会議]]の第2回 ([TIME[西暦1952年][year:1952]] >>347)、
第3回 ([TIME[西暦1954年][year:1954]] >>214)
で、仏滅2500年記念事業を世界的に展開していくことが決められました。
以後数年に渡り各国で国家ぐるみの記念イベントが相次いで実施されました。

[431] 
[TIME[昭和31(1956)年][year:1956]]には「東南アジア仏教圏の仏紀二千五百年」
[SRC[>>430 PDF 1ページ]]
「佛紀二千五百年」
[SRC[>>430 PDF 4ページ]]
「仏滅二千五百年」
[SRC[>>430 PDF 4ページ]]
で世界的に国家ぐるみの行事が行われました。
β

** セイロン

[432] 
[[セイロン]]では仏跡の修復に莫大な費用が投入されました
[SRC[>>430 PDF 4ページ]]。


[429] 
「仏紀二千五百年」を記念した仏教百科事典が編纂されました [SRC[>>428, >>430 PDF 4ページ]]。

[449] 
[TIME[昭和31年5月23日][1956-05-23]]-[TIME[24日][1956-05-24]]、
[[セイロン]]で仏紀二千五百年記念式典が開催されました
[SRC[>>437 PDF 2ページ, >>437 PDF 3ページ, >>464 PDF 4ページ, >>470 PDF 2ページ]]。
[[日本]]の[[皇太子殿下 (現在の上皇陛下)][明仁]]
の招聘が計画されました
[SRC[>>430 PDF 4ページ]]
が、その後言及がないので実現しなかったのでしょう。

[450] 
[TIME[8月][1956-08]]、
[[セイロン]]で仏紀並に建国二千五百年祝典が開催されました。
[[日本]]からは三笠宮殿下・妃殿下御夫妻が参列されました。
[SRC[>>448 PDF 2ページ, >>464 PDF 4ページ, >>470 PDF 2ページ]]

[462] 
[TIME[昭和32年1月][1957-01]]、
[[セイロン]]で仏紀二千五百年記念祭 (ブツダジヤヤンテイ)
が開催されました。
[SRC[>>456 PDF 4ページ, >>464 PDF 4ページ, >>470 PDF 2ページ]]

[461] 
[TIME[昭和32年5月3日][1957-05-03]]-[TIME[17日][1957-05-17]]、
[[セイロン]]で仏紀二千五百年の最終記念行事として、
国際仏教徒会議が予定され、
各国代表が招聘されました。
[SRC[>>456 PDF 3ページ]]

[579] [[記念切手]]が発行されました。 [SRC[>>577]]

** インド

[434] 
[[印度]]では、
政府主催で
[SRC[>>453 PDF 5ページ]]
[TIME[昭和31(1956)年11月][1956-11]]に仏紀二千五百年祝賀祭が盛大に開催され、
シンポジウムに各国から代表が招聘されました。
[SRC[>>430 PDF 4ページ, >>437 PDF 2ページ]]
β

[580] [[インド]]では[[記念切手]]が発行されました。 [SRC[>>577]]

-*-*-

[595] 50年後、
[TIME[西暦2005年5月13日][2005-05-13]]から
[TIME[2006年5月2日][2006-05-02]]にかけて、
ブッダ[ASIS[生誕]]二千五百五十年記念行事が開催されました。
[SRC[>>594]]
β

[REFS[
- [594] [CITE[旧宗教新聞 The Religion News]], 
平成19年2月20日号,
[TIME[2020-03-28 10:48:01 +09:00]] <http://religion.easy-magic.com/user/index.php?menu_id=29&mode=view_content&news_content_id=255&page=2>
]REFS]

** その他のインド方面諸国

[433] 
[[ネパール]]では、
[TIME[昭和31年11月][1956-11]]に仏紀二千五百年を記念した第4回[[世界仏教徒会議]]が仏誕の聖地で盛大に開催されました (>>226)。
[SRC[>>430 PDF 4ページ, >>448 PDF 3ページ, >>452 PDF 1ページ, >>470 PDF 2ページ]]
(事前の[[全日本仏教会]]の阿部国際局長談話には、
「仏紀二五〇〇年慶祝の年に偶々ネパールに於ける㐧四回世界仏教徒会議に日本代表団が参加出来た事は [SNIP[]]」
とありました [SRC[>>452 PDF 1ページ]]。)


[435] 
[[ビルマ]]では、
第6回仏典結集の完結を祝って
[SRC[>>430 PDF 4ページ, >>437 PDF 2ページ, >>442 PDF 3ページ, >>470 PDF 2ページ]]、
[TIME[昭和31年5月22日][1956-05-22]]から[TIME[27日][1956-05-27]]、
仏紀二千五百年記念式典が開催されました
[SRC[>>442 PDF 3ページ, >>470 PDF 2ページ]]。

[581] [[ビルマ]]では[[記念切手]]が発行されました。 [SRC[>>577]]

[439] 
[[パキスタン]]では、
[TIME[昭和31年2月][1956-02]]に[[東パキスタン]]の[[チタゴン]]近郊の[[ラウザン]]で仏紀二千五百年祭が開催されました。
[SRC[>>437 PDF 2ページ]]
[[ネパール]]の[[世界仏教徒会議]]と重なる時期に仏紀二千五百年祭が開催されました
[SRC[>>470 PDF 2ページ]]。

** タイ

[436] 
[[タイ]]では、
[TIME[昭和32年5月10日][1957-05-10]]-[TIME[19日][1957-05-19]]に仏紀二千五百年記念祝典が開催されました
[SRC[>>456 PDF 2ページ, 3ページ, >>467 PDF 3ページ, >>470 PDF 2ページ, >>477 PDF 1ページ, >>494 PDF 4ページ]]。
[TIME[12日][1957-05-12]]から
[TIME[18日][1957-05-18]]に王城前広場で仏紀二千五百年の大祝典が開催されました
[SRC[>>447 PDF 1ページ]]。
[TIME[13日][1957-05-13]]には中心行事のウエサーカ祭が実施されました
[SRC[>>447 PDF 1ページ]]。

[458] 
[TIME[昭和30年10月][1955-10]]発行時点の[[全日本仏教会]]会報では検討中とされ詳細がありませんでした
[SRC[>>430 PDF 4ページ]]
が、
[TIME[昭和31年8月][1956-08]] [SRC[>>447 PDF 1ページ]]、
[TIME[昭和32年2月][1957-02]] [SRC[>>456 PDF 2ページ]]
に開催予定が掲載されていました。
α

[482] 
[TIME[昭和33年][year:1958]]には第5回[[世界仏教徒会議]]が[[タイ]]で開催されました (>>355)。
[TIME[前年][year:1957]]の仏紀二千五百年祝典の延長として、
莫大な国家予算を計上して記念事業が予定されました
[SRC[>>478 PDF 2ページ]]。

[582] [[記念切手]]が発行されました。 [SRC[>>577]]


** その他の東南アジア諸国

[466] 
[[カンボジア]]では、
[TIME[昭和32年5月12日][1957-05-12]]-[TIME[18日][1957-05-18]]に記念祝典が開催されました
[SRC[>>464 PDF 4ページ, >>467 PDF 3ページ, >>470 PDF 2ページ]]。

[471] 
[[ラオス]]では、
[TIME[昭和32年11月3日][1957-11-03]]-[TIME[8日][1957-11-08]]に政府主催の仏紀二千五百年記念祭が盛大に開催されました
[SRC[>>470 PDF 2ページ, >>472 PDF 2ページ]]。

[583] [[ラオス]]では[[記念切手]]が発行されました。 [SRC[>>577]]

[455] 
[[中華人民共和国]]では、
[TIME[昭和32年5月][1957-05]]初旬に仏紀二千五百年祝典が予定されました
[SRC[>>453 PDF 8ページ]]。
日本代表団は[TIME[9月][1957-09]]から約1ヶ月間、
各地の仏紀二千五百年記念祝典に参加しました
[SRC[>>470 PDF 2ページ]]。

** 日本

[523] 
[[日本]]は[[東南アジア]]各地の祝典に政府代表、仏教界代表を派遣した他、
国内各地でも記念イベントが実施されました。


[438] 
[TIME[昭和31(1956)年][year:1956]]、
「仏教二千五百年運動」を中核に[[日本全国]]で活発に活動することとされ
[SRC[>>430 PDF 1ページ、3ページ]]、
各地で講演会など仏紀二千五百年記念行事が実施されました [SRC[>>437 PDF 4ページ]]。

[445] 
[TIME[4月][1956-04]]の[[花まつり]]を中心に大々的な仏紀二千五百年記念行事が予定され、
[TIME[前年][year:1955]]末から準備されました
[SRC[>>430 PDF 4ページ]]
(「南方仏教二千五百年協賛記念事業」 [SRC[>>442 PDF 4ページ]]、
「仏紀二千五百年記念伝道」 [SRC[>>452 PDF 3ページ, 4ページ]]、
[TIME[昭和31年1月18日][1956-01-18]]仏紀二千五百年記念事業に関する懇談会、
[TIME[2月9日][1956-02-09]]仏紀二千五百年協賛記念事業委員会 [SRC[>>442 PDF 2ページ]]
など)。


[584] [TIME[昭和30(1955)年12月22日][1955-12-22]]、
[[全日本仏教会]]は、
[TIME[昭和31(1956)年4月8日][1956-04-08]]から1ヶ月間の
「花まつり・仏陀2500年記念月間」
記念行事に合わせて[[記念切手]]を発行するよう、
[[日本政府]]の[[郵政大臣]]に
「仏陀2500年記念切手発行申請書」
を提出しました。 [SRC[>>577]]

[585] 
[TIME[12月24日][1955-12-24]]、
[CITE[日本国憲法]]第20条との関係を憂慮した[[郵政省]]は、
[[文部省]]調査局に切手発行の是非を照会しました。
[[文部省]]は、
「記念行事の計画は仏教系の機関誌に散見されるだけで国が主催ないしは後援する予定のものはない」、
「もし今回の行事(花祭り・仏陀2500年記念月間)に記念切手を発行すれば、国が特定の宗教的世界観を勧奨したようになるので問題がある」
と回答しました。
そのため[[郵政省]]は[[記念切手]]発行を却下しました。
[SRC[>>577]]


[446] 
[TIME[昭和31(1056)年5月24日][1956-05-24]]、
京都府京都市の[[円山公園]]音楽堂で[[全日本仏教会]]主催の南方仏紀二千五百年協賛ウエサーカ
(世界仏陀の日) 大祝典が開催されました。
[SRC[>>437 PDF 3ページ]]
[TIME[同日][1956-05-24]]、
[[NHK]]
から[[印度]]に向けて記念放送が予定されました
[SRC[>>437 PDF 4ページ]]。

[443] 
[[全日本仏教会]]の機関紙は「本年が仏紀二千五百年に当る」
[SRC[>>437 PDF 3ページ]]、
「南方仏紀二千五百年の記念すべきこの年」
[SRC[>>442 PDF 1ページ]]、
「本年は南方仏紀の二千五百年という記念すべき聖なる年」
[SRC[>>442 PDF 1ページ]]
と明言し、
「南方仏紀二千五百年協賛の意義ある新年度」
[SRC[>>437 PDF 4ページ]]
としていました。
β


[444] 
[TIME[昭和31年5月][1956-05]]の機関紙には、
[[ウエサーカ]]の解説を[[全日本仏教会]]事務総長の[[北畠敎眞]]が書いていました。
「南方仏紀二千五百年を記念して、セイロ
ン・ネパール・ビルマ・カンボジア等の諸
国はこぞつてウエサーカ祭を行ひ、釈尊の
遺徳を讃えるための行事をおこなつてい
る。 [SNIP[]] 仏紀二千
五百年説が、日本や支那の紀年と相違して
いるのは計算の基準が異るためであつて、
日本仏教徒もその趣旨を賛し、むしろこれ
に同調して、いよいよ南北仏教の提携を緊
密にすることが肝要である。」
としていました。 [SRC[>>442 PDF 3ページ]]

[451] 
[TIME[8月8日][1956-08-08]]、
英字新聞
[CITE[The Japan Times]]
は、
[[全日本仏教会]]の折衝によって付録に仏紀二千五百年の記念特集号として[[日本仏教]]の各宗派を紹介しました。
[SRC[>>448 PDF 2ページ]]


[457] 
[[長田恒雄]]作詞、
[[伊藤完夫]]作曲の仏紀二千五百年記念曲
[CITE[仏陀]]
が制作され、 [[NHK]] で放送されていました。
[SRC[>>437 PDF 3ページ]]
記録映画
[CITE[釈尊をたづねて]]
の製作へ仏紀二千五百年記念事業として協力することが検討されました。
[SRC[>>456 PDF 2ページ]]
[[全日本仏教会]]は
「南方仏紀二千五百年協賛
花まつりポスター」
を制作しました。
[[國際佛教傳道会]]は
「南方仏紀二千五百年奉賛記念」
のポスターを制作しました。
[SRC[>>464 PDF 4ページ]]


[576] 
[TIME[昭和31(1956)年10月25日][1956-10-25]]-[TIME[11月25日][1956-11-25]]、
[[東京国立博物館]]は秋の特別展として仏紀二五○○年を記念する仏教美術展を開催しました。
仏教芸術各分野約160点が展示されました。
[SRC[>>575]]

[460] 
昭和32年度の仏紀二千五百年の記念行事として、
[TIME[4月][1957-04]]から
[TIME[7月][1957-07]]までの予定で[[日本]]を含む[[アジア]]各国に仏教美術学術調査団が派遣されました。
また[TIME[9月][1957-09]]の㐧五回全日本仏教徒会議に各国代表を招聘し歓迎国際仏教会議を開催する予定としました。
[SRC[>>456 PDF 3ページ]]

[465] 
[TIME[昭和32年][year:1957]]、
福岡県仏教連合会、
仏舎利奉讃会主催の仏紀二五〇〇年記念仏舎利奉讃花まつり大会・展覧会が大々的に予定されました。
[SRC[>>464 PDF 2ページ]]

[473] 
[TIME[昭和33年4月13日][1958-04-13]]、
茨城県水戸市千波湖畔で茨城県仏教連合会は、
世界平和茨城仏舎利塔建立奉賛会の仏舎利塔定礎式に合わせ、
「「仏紀二千五百年記念」県仏教徒大会」を実施を予定しました。
[SRC[>>472 PDF 1ページ]]


[574] 
[TIME[昭和33(1958)年11月29日][1958-11-29]]、
[[東方学会]]と[[毎日新聞社]]はインド仏跡踏査隊を派遣しました。
[[京都大学]]教授の[[長尾雅人]]を隊長とし、
仏教学、美術史学、考古学の専門家の隊員6名が4ヶ月の予定でインド北部で調査しました。
[SRC[>>573]]

-*-*-

[469] 
[TIME[昭和32年9月][1957-09]]の㐧五回全日本仏教徒会議では、
[TIME[昭和33年][year:1958]]に南方仏紀二千五百年祭典に協賛して日本で式典を実施することが提案されました。
[SRC[>>468 PDF 2ページ]]
国内イベントはあったものの国際行事がなかったため機運が高まったとされ、
秋頃に実施が見込まれていました。
[SRC[>>470 PDF 2ページ]]

[476] 
国会議員の協力により昭和33年度予算に「仏教文化会議補助金」
として計上され、「アジア文化会議」として準備委員会が設置されました。
[SRC[>>474 PDF 8ページ]]
[[東南アジア]]諸国を重視する[[岸信介]]
([TIME[昭和32(1957)年][yeare:1957]]に[[内閣総理大臣]]就任)
の外交姿勢が後押しになったといわれています。
当初[[外務省]]予算に「アジア仏教文化会議」準備費用3000万円が計上されましたが、
[[社会党]]議員が[CITE[日本国憲法]]第20条に抵触すると主張し
「アジア文化会議」に改められました。
[SRC[>>577]]
この理由から、仏教関係者が個人の立場で参加する形が採られました。
[SRC[>>474 PDF 8ページ]]
「仏教」が除外されたことに反発した一部の仏教関係者は、
ボイコットまで主張したといいます。
[SRC[>>577]]
かろうじて開催にはつなげられたものの、
政府主催で国を挙げた記念イベントが開催された東南アジア諸国とは対称的な態度です。


[475] 
[TIME[昭和33年6月15日][1958-06-15]]の㐧六回全日本仏教徒会議㐧三部会では、
南[ASIS[北]]仏紀二千五百年を記念した仏教興隆運動が提案されました。
提案中、
国際文化会館の建設、
百科事典の刊行は賛成されました。
全国的な仏教興隆運動の展開は第2部会に回付が決定されました。
[SRC[>>474 PDF 5ページ]]
回付後の扱いは不明です。
アジア文化会議を
「本当の意味の仏紀二千五百年祭」
とすべく仏教興隆運動を展開したい[[全日本仏教会]]の意向を提案したものであって、
全会一致で可決され準備が進められた
[SRC[>>474 PDF 8ページ]]
ようです。

[495] 
その後 ([TIME[昭和33年9月][1958-09]]の「最近」)、
アジア文化会議は「釈尊二五〇〇年を賛える会」に改称された
[SRC[>>494 PDF 2ページ]] とされます。
仏教系議員を中心とする人々の熱意によって「釈尊を讃える会」が発足しました。
[SRC[>>483 PDF 1ページ]]
「釈尊二千五百年を讃える会」の会長は、[[石橋湛山]]
[WEAK[(前[[内閣総理大臣]]、[[日蓮宗]]僧侶)]] でした。
[SRC[>>488 PDF 2ページ]]
「釈尊二五〇〇年を讃えるの会」には他に
[[安藤覚]] [WEAK[([[衆議院議員]])]] が属していました。
[SRC[>>478 PDF 1ページ]]
「釋尊2500年をたゝえる会」 [SRC[>>483 PDF 1ページ]]、
「釈尊二千五百年を讃える会」 [SRC[>>488 PDF 2ページ]]
は東京大会 (>>481) を主催しました。
この会が主催し、式典から宗教色を排除するという条件で予算3000万円が支出されました
[SRC[>>577]]。

[479] 
[[全日本仏教会]]は[TIME[昭和33年][year:1958]]夏に釈尊二千五百年祝典実行委員会を組織しました。
[SRC[>>488 PDF 2ページ、3ページ]]



[480] 
[TIME[昭和34年3月][1959-03]]-[TIME[4月][1959-04]][[花まつり]]にかけて、
釈尊二五〇〇年祝典が全国で盛大に開催されました [SRC[>>477 PDF 3ページ, >>488 PDF 1ページ-3ページ, >>491 PDF 1ページ, >>494 PDF 1ページ-2ページ]]。
[TIME[昭和33年11月7日][1958-11-07]]の[[全日本仏教会]]常務理事会で日程が決められました
[SRC[>>478 PDF 1ページ]]。
[[全日本仏教会]]事務局は準備に忙殺されました [SRC[>>478 PDF 4ページ, >>488 PDF 4ページ, >>490 PDF 1ページ-4ページ, >>492 PDF 7ページ, >>493 PDF 2ページ-3ページ]]。
[TIME[昭和33年11月19日][1958-11-19]]、
近畿2府4県の仏教会代表懇談会は、
仏紀二五〇〇年記念式典への協力を決議しました
[SRC[>>478 PDF 3ページ]]。

[481] 
釈尊二五〇〇年祝典、
釈尊二五〇〇年を記念する祝典行事、
釈尊二千五百年記念として、
[TIME[昭和34年3月27日][1959-03-27]]-[TIME[31日][1959-03-31]]に[[東京]]で記念大会仏教主義によるシンポジウム等、
[TIME[4月1日][1959-04-01]]-[TIME[8日][1959-04-08]]に全国各地方大会
(京都大会、大阪大会、愛知県大会、福岡県大会、広島県大会、石川県大会、
静岡県大会、神奈川県大会、山形県大会)、
[TIME[9日][1959-04-09]]に[[東京都知事]]主催歓送パーテイーが予定されました
[SRC[>>478 PDF 1ページ, >>483 PDF 1ページ-4ページ]]。
その他に奈良、福井、栃木でも開催されました。
地方イベントは[TIME[5月][1959-11]]まで続きました。 [SRC[>>488 PDF 2ページ]]


[484] 
「記念ポスター その一」には、
「釋尊2500年祝典
東京大会 3月27日→31日
地方大会 4月1日→8日」 ([[横書き]])、
「2500TH
MARCH→APRIL 1959」 ([[横書き]][[時計回り]]90度回転)
とありました。
[SRC[>>483 PDF 1ページ]]

[486] 
釈尊二千五百年を讃える記念行事の一環で釈尊をたたえるうた
[CITE[いかなる日にも ―ゴータマ・ブッダ頌―]]
が[[長田恒雄]]作詞、
[[伊藤完夫]]作曲で制作されました。
[SRC[>>483 PDF 1ページ]]
(>>457 との関係は不明。)



[489] 
各国代表が招聘され、
[[ビルマ]]、
[[カンボヂヤ]]、
[[セイロン]]、
[[インド]]、
[[ラオス]]、
[[マラヤ]]、
[[パキスタン]]、
[[中華民国]]、
[[シンガポール]]、
[[タイ]]、
[[ヴエトナム]]の代表が参列しました。
[SRC[>>488 PDF 2ページ、3ページ (参加者リストあり)]]

[586] 
この情報とやや不整合なため同じ会か不明ですが、
[[南ベトナム]]と[[大韓民国]]との外交関係の配慮から、
[[北ベトナム]]と[[朝鮮民主主義人民共和国]]は招聘されず、
[[中華人民共和国]]は政府宛でなく仏教界個人が招待されました。
[SRC[>>577]]



[485] 
この祝典の開催までには[[日本政府]]と難しい折衝があったようです。
世間の一部にも批判的な意見があったようです。
祝典は政府資金を投入せず、仏教徒の献金により運営されました。
地方によっては官民共同で準備が進められましたが、
それは「むしろ恵まれた地区」だったといいます。
[SRC[>>483 PDF 1ページ]]

[487] 
[TIME[昭和34(1959)年3月27日][1959-03-27]]、
釈尊二千五百年アジア文化会議記念切手が発売が予定され
[SRC[>>483 PDF 4ページ]]、
「釈聖2500年・アジア文化会議」記念切手が発売されました [SRC[>>577]]。
「釈聖二千五百年アジア文化会議記念 1959」
と書かれていました [SRC[>>577 (写真あり)]]。


[587] 「釈尊」でなく「釈聖」となったことについて、
[CITE[日本国憲法]]第20条の関係から、
[[内閣法制局]]は
「釈迦という聖人、つまり釈聖、道徳の最高峰としての釈聖の2500年に当り、その人格をほめ讃え、アジアの文化交流を図る国際文化会議であって、仏教会議ではなく、つまり宗教的色彩を全く帯びない行事である。」
との見解を示しました。 [SRC[>>577]]


-*-*-

[441] 一応仏教行事として盛大に祝いながらも、
一方であくまで「南方仏紀」に「協賛」するという立場で一定の距離を置こうとする、
[[北方仏教]]系の日本仏教の微妙な立ち位置が細部に感じられます。
「全国各府県市町 
村仏教界の自主的活動に於て夫々独特の仏教 
運動の展開をねらつたのであるが、仲々之が 
末端への主旨伝達が困難であつた」
[SRC[>>452 PDF 4ページ]]
と国内のイベントは想定ほど盛り上がらなかったようで、
「昭和三十一年度は南方仏紀
二千五百年に協賛したる為インド
ネパール、セイロン国等への日本 
仏教親善使節団の渡航が相次ぎ、 
之に比して国内運動がいさゝか軽 
視された嫌いもあつた」
との批判までありました
[SRC[>>456 PDF 2ページ]]。
[TIME[昭和32年3月][1957-03]]には、
「南方仏教諸圏では仏紀二千五百
年を記念して祝典が特に盛
んである」とありました。
[SRC[>>464 PDF 4ページ]]


[588] 
昭和31年β、昭和32年αの2500年を、
[[東南アジア]]各国が一通り祝い終えた後の昭和33年にようやく祝い、
しかも[[左派政党]]の反対や憲法解釈問題で [[gdgd]] 
で当の仏教界が不満たらたら、
郵便切手に至っては昭和34年発売で2500年から3年遅れという惨憺たる有様でした。
節目の年が何年ずれても気にしないのは、
[[日本仏教]]界にとって縁の薄い[[南方仏紀]]ベースの祝典だったからに違いありません。
この後[[日本]]で[[仏暦]]β・αが定着しなかったのも当然でしょう。



[REFS[
- [428] [CITE[5.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:47 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/5.pdf#page=4>
- [430] [CITE[11.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:18 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/11.pdf>
- [437] [CITE[16.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:29 +09:00]] 
<http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/16.pdf>
- [442] [CITE[17.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:31 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/17.pdf>
- [447] [CITE[20.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:38 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/20.pdf>
- [448] [CITE[20.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:38 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/20.pdf>
- [452] [TIME[2016-10-07 01:21:41 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/21.pdf>
- [456] [CITE[24.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:48 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/24.pdf>
- [464] [CITE[25.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:50 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/25.pdf>
- [467] [CITE[28.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:56 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/28.pdf>
- [468] [CITE[29.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:21:58 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/29.pdf>
- [470] [CITE[30.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:00 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/30.pdf>
- [472] [CITE[33.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:13 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/33.pdf>
- [474] [CITE[35.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:18 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/35.pdf>
- [494] [CITE[37.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:23 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/37.pdf>
- [477] [CITE[38.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:25 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/38.pdf>
- [478] [CITE[39.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:28 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/39.pdf>
- [483] [CITE[41.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:32 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/41.pdf>
- [488] [CITE[42.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:34 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/42.pdf>
- [490] [CITE[43.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:35 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/43.pdf>
- [491] [CITE[44.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:37 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/44.pdf>
- [492] [CITE[46.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:43 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/46.pdf>
- [493] [CITE[47.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:43 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/47.pdf>
- [575] [CITE@ja[仏教美術展 :: 東文研アーカイブデータベース]], [TIME[2020-03-25 18:45:46 +09:00]] <https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/2815.html>
- [573] [CITE@ja[インド仏跡踏査隊派遣 :: 東文研アーカイブデータベース]], [TIME[2020-03-25 18:42:44 +09:00]] <https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/5971.html>
- [553] [CITE@ja[[[アジアの仏像と民芸店 仏紀2500年記念]] / たなべ書店本店 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」]]
([[東京都古書籍商業協同組合]]著, [TIME[2020-03-23 16:23:59 +09:00]])
<https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=307079675>
- [577] [CITE@ja-JP[郵便学者・[[内藤陽介]]のブログ  花祭の政治学]],
[[内藤陽介 Yosuke NAITO]], 
2007-04-08 Sun 07:51,
[TIME[2020-03-25 18:55:36 +09:00]]
<http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-696.html>



]REFS]


** その他

[440] 
米軍新聞
[CITE[Stars and Stripes]]
([CITE[星条旗新聞]])
は、
南方仏紀二千五百年を記念した
「仏陀の誕生日」
との1ページ分の記事を掲載しました。
[[日本]]各地の[[花まつり]]も詳しく紹介しました。
[SRC[>>437 PDF 4ページ]]


[497] 
[[台湾]] ([[中華民国]])、
南北[[朝鮮]]、
南北[[ベトナム]]、
[[マラヤ]]・[[シンガポール]]、
[[蒙古]]、
[[ブータン]]、
[[シッキム]]、
[[チベット]]の状況は不明です。
このうち[[中華民国]]、
[[マラヤ]]、
[[シンガポール]]、
[[ベトナム]] (南北どの立場かは不明)
は[[日本]]の記念行事に代表を派遣しており (>>489)、
[[全日本仏教会]]と交流があったようですから、
記録がない以上国際的な行事は実施されなかったとみるべきでしょう。

[498] 
なお、各行事について祝典、祭、記念行事など呼称は一定しません。
翻訳によるものか、
原名称に揺れがあったものか、
一連の行事中の1イベントとしての記念式典のような包含関係があるものか、
事情は詳細に検討が必要ですが、
同じ行事とみられるものが同じ記事でも別々に呼ばれていることがあり、
細部までこだわっていなかったことは間違いありません。
「二千五百年」「二五〇〇年」「2500年」の表記揺れも同様と思われます。
ただ「仏紀2500年」「南方仏紀2500年」「仏陀2500年」「釈尊2500年」
やそれに相当する各国言語の呼称の違いは、
慎重に検討する価値がありそうです。


* エスペラント

[559] 
[[釋眞弌]] ([[山口真一]]、[[真宗大谷派]][[教心寺]][[住職]]、
[[国際仏教エスペランチスト連盟]]事務局長、
[[日本仏教エスペランチスト連盟]]理事長)
は、
[TIME[西暦2006年][year:2006]]から自身の [[Webサイト]]や[[教心寺]]の
[[Webサイト]]で[[仏暦]]α・[[西暦]]を併記しています [SRC[>>3, >>152]]。
[[Webサイト]]で[[仏暦]]を推奨する文書を公開しています [SRC[>>3]]。
([[西暦]]単記の部分もあり、使い分けは定かでありません。)

[560] 
[[釋眞弌]]らによって創刊された[[国際仏教エスペランチスト連盟]]機関紙の表紙には、
「B.E.2545」と表記されました。これはα型のようですが、
その根拠を問われたといいます。 [SRC[>>3]] 

[561] 
その機関紙の第8号
[CITE[La Esperanta Budhano]] n-ro 8 novembro, B.E. 2552 (2009),
bulteno de 
[[Budhana Ligo Esperantista]] ([[BLE]])
は、表紙写真 [SRC[>>558]] の通り、[[仏暦]]αと[[西暦]]の併記を継続しているようです。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE@ja[仏暦を使おう]]
([TIME[2007-03-07 18:57:28 +09:00]] 版)
<http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/eseo/eseo_17.html>
]FIGCAPTION]

> 仏暦は、東南アジアではわりあいに普及しています。ただ、今年が仏暦2549年(B.E.2549、BE=Buddha Era)であるというのは、タイ・ラオス・カンボジアのはなしであって、ミャンマーやスリランカでは仏暦2550年です。どちらも、釈尊入滅をB.C.544年としているのは同じなのですが、その年を0とするのか1とするのかの違いがあるために1年ずれてしまいました。ゼロの観念をもっていたインド文化からすれば、2549年ということになりますが、時々論争になることがあります。そのためもあるのか、日本でも仏暦を使おうと思うと、この問題にぶちあたり、結局決めることができないから採用しない、ということがあるようです。実は私自身、4年前に国際仏教エスペランチスト連盟の機関誌を創刊した時、表紙にB.E.2545と書いたら、「その根拠は何か」と言われた経験があります。これは実に微妙な問題ではありますが、そのことで論争しても意味がないと思います。ですから私は、全日本仏教会に「とりあえず」したがって、2549年とします。

2549 α

2550 β

> 真宗大谷派では、宗務機関の発する文書には西暦(元号)という年数表記をすることになっているそうです。電話で本山総務部に尋ねてみると、西暦1999年に内局通達というかたちで、このように定まったそうです。それに反対するわけではありませんが、仏教徒の組織ならば何らかのかたちで仏暦を入れられないものか、と思います。
> (B.E.2549年/A.D.2006年12月18日脱稿)

;; 寺のサイト >>152


]FIG]

;; [4] [[0]] を発明した[[インド]]云々という理屈なら、
[[インド]]や[[インド]]に近い[[ミャンマー]]、[[スリランカ]]こそαでなければならないのではないか。
実際には[[インド]]から遠い[[タイ]]の方がαなのだから、
この説はこのままでは成立しない。

- [558] 
[CITE[仏教エスペラント運動の歴史と現在]],
[[山口真一]],
[TIME[2010-03-05 07:39:36 +09:00]]
<http://www001.upp.so-net.ne.jp/jble/movado/interface.pdf#page=10>
-- 消滅確認 [TIME[2021-01-29T05:26:59.300Z]]
-- [CITE[Wayback Machine]], [TIME[2021-01-29T05:26:48.000Z]] <https://web.archive.org/web/20170104162854/http://www001.upp.so-net.ne.jp/jble/movado/interface.pdf#page=10>
]REFS]

* ラエリアンムーブメント

[173] 
[[フランス]]で創立され[[日本]]や[[大韓民国]]など世界中で活動する[[宗教団体]][[ラエリアンムーブメント]]は、
[[教祖]]が[[仏紀]]ζ型の3000年に出現した弥勒だとしているようです。

[174] 
ただしこの[[宗教団体]]は[[仏紀]]でなく[[西暦]]や [[AH][ラエリアンムーブメントのAH]]
を使っているようです。
[SEE[ [[ラエリアンムーブメントのAH]] ]]

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[172] 
[CITE[maitraya A2 panel.indd - seihokarano_maitreya_AH690128.pdf]], [TIME[2015-01-30 03:46:50 +09:00]] <http://www.rael.org/_downloads/_forms/seihokarano_maitreya_AH690128.pdf>
]FIGCAPTION]

>阿含経には“仏紀3000年に三世、すなわち過去 ・ 現在 ・ 未来の火を明かす真実がが現われてその7日後にマイトレーヤが現れる”と予言されている。北方仏教の仏仏紀に従う場合、仏紀3000年になる年はまさに1973年である。
]FIG]

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[160] 
[CITE[The maitreya]], [TIME[2020-03-06 18:14:21 +09:00]] <http://www.maitreyarael.org/jp/maitreyacall.htm>
]FIGCAPTION]

>北方仏教仏紀3000年 = AD 1973
>仏教の年度、すなわち仏紀を表記するには南方仏教と北方仏教の主張がお互いに違っていた。1962年世界仏教人大会でこの問題を論議した結果、南方仏教の主張を採用することにした。この時から世界的に仏紀の表示は統一された。2003年は仏紀2547年だ。
[SNIP[]]

β

>[SNIP[]]
北方仏教の仏紀に従う場合、仏紀3000年になる年はまさに1973年である。
>弥勒菩薩ラエルは1973年12月13日異星人エロヒムに遭遇し、6日間に渡って彼らからメッセージを受け取り、彼らの地球大使に任命された。そして7日目から人類の最後の預言者としての活動を開始した。

ζ

]FIG]
- [161] [CITE[마이트레야 라엘은 이미 우리곁에 와 있다]], [TIME[2020-03-06 18:18:38 +09:00]] <http://www.maitreyarael.org/en/maitreyarael14.htm>
- [162] [CITE[The maitreya]], [TIME[2020-03-06 18:19:51 +09:00]] <http://www.maitreyarael.org/cn/maitreyarael14.htm>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[163] [CITE[미륵 출현 시기는 1973년이다]], [TIME[2020-03-06 20:14:36 +09:00]] <http://www.maitreyarael.org/kr/buda-3-3.htm>
]FIGCAPTION]

>◎ 불교는 태국, 미얀마 등 동남아시아를 중심으로 한 남방불교와 중국, 한국, 일본 등을 중심으로 한 북방불교로 나뉘어 발전하였다. 남방불교와 북방불교는 사용하는 불기가 서로 다르다. 남방불기는 BC 544년을 기준으로 하고, 북방불기는 BC 1026년을 기준으로 삼는다. 불교를 숭상하고 크게 일으켰던 인도 아소카왕의 비문에도 BC1026년(계축년)을 불기 원년으로 삼고 있다.

[[Google翻訳]]

>◎仏教はタイ、ミャンマーなど東南アジアを中心とした南方仏教と中国、韓国、日本などを中心とした北方仏教に分かれて発展した。南方仏教と北方仏教は、使用する打撃が異なる。南方吹きはBC 544年を基準とし、北方吹きはBC 1026年を基準とする。仏教を崇めて大きく起こし、インドアショーカ王の碑文にもBC1026年(ギェチュク年)を吹き元年としている。


>◎ 세계의 불교 종파 간 불기가 통일되지 않음으로 해서 불편이 따르자, 1956년 네팔 카투만두에서 개최된 제4차 세계불교도우의회(WFB) 총회에서 남방불기를 채택하기로 의결함으로써 그후 세계 각국의 불기는 통일되었다.

[[Google翻訳]]

>◎世界仏教宗派間の打撃が統一されていないにしても不具合が従おう、1956年、ネパールカトマンズで開催された第4回世界仏教徒連盟(WFB)総会で南方打撃を採用することで議決することにより、その後、世界各国の吹きは統一された。

>>
2016년을 남방불기로 표시하면 불기 2560년, 북방불기로 표시하면 3043년이다.
따라서 석가모니부처가 예언한 미륵 도래 시기, 즉 (북방)불기 3천년은 1973년이다.

[[Google翻訳]]

>>
2016年に南方打撃で表示すると、非加熱2560年には、北方打撃で表示すると、3043年である。
したがって釈迦牟尼仏が予測した弥勒到来時期、すなわち(北方)吹き3000年は1973年である。

南方β

北方ζ


>1973년(불기 3,000년) 2호의 표지
>1973년 7월에 발간
>동2호의 내용에 불기 3,000년 7월이 표기
>
『 위의 자료는 불교계 월간지 「불교사상 2호」로서, 1973년 7월 25일자로 발간되었다. 이에 수록된 내용 중 불기 3,000년 7월 2일에 원고를 썼다고 표기한 것은 1973년 7월이 불기 3,000년 7월임을 증거하고 있다. 』

[[Google翻訳]]

>1973年(非加熱3,000年)2号の表紙
>1973年7月に発刊
>同2号の内容に吹き3000年7月に表記
>
「上記の資料は、仏教界月刊誌「仏教思想2号」として、1973年7月25日に発刊された。これ収録された内容の中で打撃3000年7月2日に原稿を書い表記したのは、1973年7月に吹き3000年7月であることを証明している。」

;; [164] [CITE[佛教思想]]
という雑誌への寄稿者の署名に
「佛紀 三千年 七月 二日」 ([[縦書き]])
としたものがあるらしい[[写真]]。

>계룡산 「동학사 대웅전」의 건물에 북방불기 사용

;; [165] [[大韓民国]][[忠清南道]][[鶏竜山]]にある[[東鶴寺]]大雄殿の紀年の写真。
[SEE[ >>176 ]]


>또한 최근에 세워진 사찰도 여전히 북방불기를 사용하기도 한다. 아래의 사찰 상량판에는 서기 2010년, 불기 3037년이라고 선명하게 적혀 있다. 

[[Google翻訳]]

>最近に建てられた寺院もまだ北方打撃を使用することもある。下の査察商量版には、西暦2010年には、吹き3037年と鮮明に書かれている。

;; [166] 3037年に2554年、2010年が併記されている写真。
ζ、β

>
,2977, 庚寅,4283, 32, 1950 ,25 ,2493

;; [167] 
[TIME[西暦1946年][year:1946]]-[TIME[1951年][year:1951]]の換算表冊子の写真。
ζ、[[干支年]]、[[檀君紀元]]、[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]、[[西暦]]、α



]FIG]

]REFS]

* 仏誕仏滅年代研究

[900] [CITE[t106_001.pdf]], [TIME[2008-10-25T15:10:57.000Z]], [TIME[2021-01-06T12:28:07.012Z]] <http://www.totetu.org/assets/media/paper/t106_001.pdf>

[899] [CITE[駒澤大学佛教学部論集 26 015原 実「仏誕伝説の背景」.pdf]], [TIME[2014-09-20T15:45:56.000Z]], [TIME[2021-01-06T12:24:05.008Z]] <http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/%E9%A7%92%E6%BE%A4%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%AD%A6%E9%83%A8%E8%AB%96%E9%9B%86/%E9%A7%92%E6%BE%A4%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E4%BD%9B%E6%95%99%E5%AD%A6%E9%83%A8%E8%AB%96%E9%9B%86%20%2026/%E9%A7%92%E6%BE%A4%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E4%BD%9B%E6%95%99%E5%AD%A6%E9%83%A8%E8%AB%96%E9%9B%86%2026%20015%E5%8E%9F%20%E5%AE%9F%E3%80%8C%E4%BB%8F%E8%AA%95%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E8%83%8C%E6%99%AF%E3%80%8D.pdf>

* 研究史

[1259] 
[[仏誕]]・[[仏滅]]の年代研究や年代研究史の研究は多いですが、
[[紀年法]]としての[[仏暦]]の研究はそれほど多くありません。

[1260] 
[[金石文]]集などで[[仏暦]]を含む銘文等を集めて年代を決定したようなものはままあります。
(他の研究の基礎的作業として) 個別事例を検討した研究もままあります。

[1261] 
[[日本]]のものは、[[昭和時代]]の研究者[[久保常晴]]によるこの問題をテーマにした論文があります。
ただし[[近世]]以後はカバーされていません。
(日本の項参照。)

[1262] 
[[朝鮮半島]]のものは、[[昭和時代]]の研究者らが[[金石文]]を中心とする[[紀年法]]等の研究の一貫で[[仏暦]]の事例も検討されました。
ただし[[近代]]以後はカバーされていません。
(朝鮮半島の項参照。)

[1263] 
東亜仏教の南伝説への移行という重大イベントが近代に起こっているのですが、
近現代の[[仏暦]]の使われ方はほとんど未解明です。


[1312] 
[CITE@ja-JP[藝林 57(1)(259);2008・4]], [[藝林会]], [TIME[2008-04]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-20T08:34:52.265Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11201842/1/13> (要登録)




* その他の紀年法

[157] 
[[仏教]]では、[[仏暦]]のほか、
[[西暦]]や当地の[[紀年法]]も使われます。

[158] 
[[仏教]]派生の[[宗教団体]]が独自の[[紀年法]]を定める事例もあります。

[FIG(short list)[ [159] [[仏教]]系[[宗教団体]]の独自[[紀年法]]

- [[宗名勅定紀元]]
- [[オウム真理教の元号]]
- [[진기]]
- [[ラエリアンムーブメントのAH]]
- [[古代年号]]
- [[弥勒]]
]FIG]

* 関連

[92] [[六曜]]の[[仏滅]]とは無関係です。

[650] [[ビルマ暦]]も「B.E.」と略されることがあります。

* メモ

[634] 
[[東アジア]]では[[仏陀]]の生きた時代の記述に、
[[周]]王朝の[[即位紀年]]を使うことがありました。
[[日本]]の[[昭和時代]]の歴史研究者の論文すらその延長線上にありました
[SRC[>>606]]。
現在であれば[[西暦]]のような長期間を扱いやすい[[紀年法]]で記述するところです。
さて、その[[周]]王朝の各王の在位年代も、
歴史学研究の進展によってずれが生じています。
そのため年代の換算にも注意が必要です。

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[646] 
[CITE[[[Voice of Buddhism]] - Google ブックス]], 
第 6~9 巻,
Buddhist Missionary Society, 1969,
[TIME[2020-04-07 16:31:05 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?id=jVhTAAAAYAAJ&q=2512>

]FIGCAPTION]


>1968 (B.E. 2512)

β
]FIG]



[6] [CITE@th[太陽暦、タイ - ウィキペディア。]]
( ([TIME[2016-05-20 02:29:10 +09:00]]))
<https://th.wikipedia.org/wiki/%E0%B8%9B%E0%B8%8F%E0%B8%B4%E0%B8%97%E0%B8%B4%E0%B8%99%E0%B8%AA%E0%B8%B8%E0%B8%A3%E0%B8%B4%E0%B8%A2%E0%B8%84%E0%B8%95%E0%B8%B4%E0%B9%84%E0%B8%97%E0%B8%A2>

[7] ( ([TIME[2006-02-20 06:06:24 +09:00]]))
<http://www.ratchakitcha.soc.go.th/DATA/PDF/2455/A/264.PDF>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[③ タイ仏暦とビルマ暦 |タイに魅せられてロングステイ]]
( ([TIME[2016-06-21 15:38:12 +09:00]]))
<http://ameblo.jp/hiro-1/entry-10553012247.html#main>
]FIGCAPTION]

> 西暦(キリスト紀元年)と仏歴(仏滅紀元年)の区分を明記するために、
> 英語では、B.E.2553 (Bhuddha Era) と表示しますが、
> タイ語では、下記の略語を年数の頭に付けて表記します。
> ●西暦2010年 = ค.ศ. 2010    ค.ศ. ๒๐๑๐  ( 発音 = コー・ソー ) 
> ค.ศ. = คริสต์ศักราช  クリット・サカラーツ ( キリスト紀元年 )の略語
> ●仏暦2553年 = พ.ศ. 2553    พ.ศ.๒๕๕๓   ( 発音 = ポ-・ソー ) 
> พ.ศ. = พุทธศักราช プッタ・サカラーツ ( 仏滅紀元年 ) の略語

]FIG]




[10] ([TIME[2013-11-24 12:38:22 +09:00]])
<http://nihon-thaikyokai.go-web.jp/Portals/0/24_%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E6%B3%95%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8D%94%E6%9C%83%E3%80%85%E5%A0%B1_%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E8%99%9F.pdf#page=13>

[11] ([TIME[2013-11-24 13:37:08 +09:00]])
<http://nihon-thaikyokai.go-web.jp/Portals/0/33_%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E6%B3%95%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8D%94%E6%9C%83%E3%80%\85%E5%A0%B1_%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E8%99%9F.pdf#page=56>


[12] [[TIS 1111]]







[541] [CITE[汉化佛教参访录-佛教导航]]
([TIME[2018-11-30 15:23:57 +09:00]])
<http://www.fjdh.cn/wumin/2010/03/094751100544.html>





[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[603] [CITE@ja[西暦、和暦、仏暦、年齢の対応表 ]]
([TIME[2020-03-30 20:16:43 +09:00]])
<http://sabaijaicons.com/reki.html>
]FIGCAPTION]

> タイの公用暦は、พ.ศ.(ポーソー、Put Sakaratの略)といい、直訳すると仏暦となるが、周辺の仏教国においても採用されているわけではなく、タイ独自の暦ともいえる。1913年にタイで公式に採用された。

]FIG]



[657] [CITE[Early Use of the Buddhist Era in Burma]]
([TIME[2014-10-24 03:24:02 +09:00]])
<http://www.myanmarnet.net/nibbana/pdf/budhiera.pdf>




[675] ([TIME[2019-04-01 09:31:18 +09:00]])
<https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DH/0008/DH00080R013.pdf>

[676] [CITE[八宗伝来集]]
([TIME[2020-06-15 13:39:08 +09:00]])
<https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_e0943/index.html>

[681] ([TIME[2012-10-16 16:44:13 +09:00]])
<http://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/eden2.pdf#page=7>

[682] [CITE@ja[保立道久さんはTwitterを使っています 「親友の僧侶からは「仏誕二五八三年元旦」という賀状がきた。核時代後年号(after N=AN)は イスラム暦の方々にも使いやすいと思う。」 / Twitter]]
(午後6:23 · 2018年1月1日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T06:49:53.000Z]])
<https://twitter.com/zxd01342/status/947760232050016257>

[683] [CITE@ja[名誉白人 池沼害吉さんはTwitterを使っています 「#害鉄 HPにタイ仏暦を表示できるようにしました。 http://t.co/XveyqSoIIR」 / Twitter]]
(午前1:26 · 2015年4月13日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T07:00:13.000Z]])
<https://twitter.com/gaikitirail/status/587290669921632256>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[684] [CITE@ja[ミャゼディ碑文 - Wikipedia]]
([TIME[2020-10-29T02:12:16.000Z]], [TIME[2020-11-12T02:13:13.924Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%82%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E7%A2%91%E6%96%87>
]FIGCAPTION]

> 一般には1112年'''['''2''']'''か1113年に作られたとされる。これは碑文の中でチャンシッターの即位を仏暦1628年とし、王が28年在位したと述べていることを根拠にしている。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[687] [CITE@ja-JP[【仏滅紀元2556/02/13】仏陀釈迦牟尼涅槃像 / Bangkok - YouTube]]
(台湾建国応援団 [TIME[2020-12-28T03:50:41.000Z]])
<https://www.youtube.com/watch?v=-kXyepoZZx8&list=UL4VtyEzPdqZ8&index=86>
]FIGCAPTION]

> 【日時】平成25年(2013)2月13日(水)AM9:15~
> 【場所】タイ王国 ワットポー(Wat Pho)

]FIG]


[688] [CITE@en[BuddhistEra · Day.js]], [TIME[2020-12-29T03:12:03.000Z]], [TIME[2020-12-31T06:06:32.719Z]] <https://day.js.org/docs/en/plugin/buddhist-era>


[898] 
[CITE[祖書に現れたる仏滅年代]],
[[塩田義遜]],
[CITE[大崎学報]] 第四八号

(>>700 から引用)


[1224] [CITE[【歴代皇紀】]], [TIME[2021-02-28T03:35:50.000Z]] <http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0091-001401&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E7%9A%87%E7%B4%80%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&BID=null&IMG_NO=23>

[1225] [CITE[南アジアの文字]], [TIME[2021-02-12T08:04:00.000Z]], [TIME[2021-08-02T03:51:19.039Z]] <https://coin-walk.site/Z064.htm>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1226] [CITE[历史沿革_法门寺]]
([TIME[2021-12-05T12:51:24.000Z]])
<http://www.famensi.com/about_content.asp?id=173&title=%A1%B6%B4%F3%CC%C6%CF%CC%CD%A8%C6%F4%CB%CD%E1%AA%D1%F4%D5%E6%C9%ED%D6%BE%CE%C4%A1%B7&classname=%C0%FA%CA%B7%D1%D8%B8%EF>
]FIGCAPTION]

>    释迦大师示灭一百一十九年

]FIG]


[1229] [CITE[[[西暦表記を求める会]]: タイでの年の表記方法]], 
2021年12月23日木曜日,
[TIME[2022-06-24T14:00:02.000Z]], [TIME[2022-07-24T09:31:43.966Z]] <https://seirekiheiyo.blogspot.com/2021/12/blog-post_23.html>


>[SNIP[]]在東京タイ王国大使館の広報部に電話で教えてもらうことができました。
>>    公文書は、学校も含めて仏歴のみ(西暦なし)。[BR[]]
ただしパスポートは西暦表記。
>仏暦の使用が法律で決められているのかを尋ねましたが、明確にすぐ回答はできないとのことでした。仏歴が一般的で混乱はない、とのことだったので、法規定はないのかも知れません。とにかく、皆さん、気にしていない、とのことでした。
> 在東京大使館のホームページの記事における年の表記はすべて西暦でした。パスポートと同じくその場、その場で通用するように使い分けているのでしょう。

[1230] [CITE@ja-JP[国史の研究 総説]], [[黒板勝美]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T03:49:15.993Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1075909/1/85>

[1231] [CITE@ja-JP[動向 (6)(1369)]], [[動向社]], [TIME[1977-06]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T09:16:44.280Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2781072/1/14> (要登録)

[1232] [CITE@ja-JP[欧米之仏教 第1編]], [[浄川香雲]], [TIME[明22.10][1889]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:34:28.857Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/816302/1/33> (要登録)

[1233] [CITE@ja-JP[落葉の掃きよせ 4]], [[響洋会]], [TIME[1895-02]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:35:17.987Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1599681/1/5> (要登録)

[1234] [CITE@ja-JP[著作権関係法令集]], [[内務省警保局]], [TIME['''['''19--''']'''][1900]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:38:22.442Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1343083/1/63>

[1235] 
[CITE@ja-JP[大阪仏教 1(6)]], [[大阪仏教社]], [TIME[1909-01]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:42:51.952Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1599649/1/16> (要登録)

[1236] [CITE@ja-JP[教史綱要 : 台学階梯]], [[天台宗務庁学務課]], [TIME[明43.12][1910]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:43:54.823Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/819201/1/4>

[1237] [CITE@ja-JP[耕地整理研究会報 (33)]], [[耕地整理研究会]], [TIME[1917-05]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T09:47:29.391Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1505727/1/14> (要登録)

[1238] [CITE@ja-JP[仏教学関係雑誌論文分類目録 昭和6年~昭和30年]], [[竜谷大学図書館]], [TIME[1961]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-09T14:14:50.286Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3013128/1/100> (要登録)


[1239] >>1238 /79 によると

- [1241] [CITE[[[紙魚小誌]] (10)]], 昭和12年4月
-- [1240] [CITE[金石文に表れた佛滅年代]], [[佐々木利三]]

という論文があるとのこと。


[1308] [[仁寿鏡]]


[1313] 
[CITE@ja-JP[川合教授還暦記念論文集]], [[川合貞一教授還暦祝賀会]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-20T11:35:33.895Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1223528/1/217> (要登録)

仏滅以後 BC543


