[6] 
[DFN[亀光]]
([[旧字体]]: [DFN[龜光]], [TIME[y~1758]])
は、
[[幕末]]に[[使われた][幕末の私年号]][[日本の私年号]]の1つです。


* 元号名

[68] 
[[新字体]]は[[亀光]]です。

[71] 
[[旧字体]]は[[龜光]]です。

[33] 
[[読み方][元号の読み方]]は不明ながら
「きこう」
または
「きっこう」
とされます。
[SRC[>>8]]

[114] 
[[亀光]]銘墓石 (>>9) を管掌している[[日本国]][[福岡県]][[古賀市立歴史資料館]]は
「きっこう」
と読んでいます。
[SRC[>>19]]



* 紀年法

[11] 
[[元年]]は、
[TIME[日本文久2(1862)年][1862]]です。
[SRC[>>2, >>60]]

[52] 
これまで2年以降の用例は発見されていません。

[226] 
他に[[天保]]説があります (>>189)。


* 用例

[217] 
現在までに11件の用例が知られています。

- 亀光元年戌9月25日 福岡県古賀市 墓石 >>9 [明治12年]
- 亀光元年戌9月 福岡県 博多商人文書 >>10
- 亀光元年壬戌9月9日 福岡県 小倉藩士詩序 >>72 [文久2年壬戌4月8日]
- 亀光元年 滋賀県甲賀市 >>14 [天保13年,天保14年]
- 亀光元癸戌3月25日 岐阜県 >>36
- 亀光元年(文久2)戌3月 愛知県一宮市 村方文書 >>209 [文久2年戌3月]
- 愛知県名古屋市 文書 >>45
- 三重県いなべ市 文書 >>44
- 亀光元年戌霜月吉日 三重県鳥羽市 >>38 [安政元年]
- 亀光元年戌3月 岐阜県飛騨市 >>158
- 亀光元壬戌3月5日 近江商人文書 >>13 [文久2年]


** 福岡藩領の用例


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [9] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[福岡県]][[古賀市]]新原]] [[高木・前田遺跡]]第2地点墓石]]
「[DATA(.text)[[V[亀光元年󠄂[SUP[戌]]九月卄五日]]]]」
[SRC[>>60 #page=10, >>19]]
-- [111] >>60 #page=4 に拓影, #page=5 に白黒写真
-- [112] >>19 にカラー写真, 拓本カラー写真
-- [113] >>34 にカラー写真
-- [110] >>101 にカラー写真、低解像度で銘文判読困難
-- [32] [TIME[平成6(1994)年][1994]]出土
[SRC[>>60]]
-- [39] 墓制等から幕末と推定 [SRC[>>60]]
- [10] 
[DATA(.label)[「九州大学法学部蒐集文書」内「福岡県文書」内山本屋文書 [CITE[講鋪證文之事]] ([[山本屋甚兵衛]])]] 
「[DATA(.text)[亀光元年戌九月]]」
[SRC[>>60 #page=10]]
-- [69] >>60 #page=17 に[[翻刻]]
-- [28] 
[[九州大学附属図書館]] [[OPAC]] 
「[B[時代・年代]]	亀光元年戌9月」 [SRC[>>22]]
-- [35] 山本屋は[[博多商人]]

]ITEMS]


[83] 
墓石 (>>9) は[TIME[平成6(1994)年][1994]]に[[県道]]工事の発掘調査で出土しました。
出土地は墓地ではなく、
昭和30年代に他 (不明ながら、おそらく近く [SRC[>>2 #page=2]]) 
から造成用に持ち込まれた土砂に含まれていたと考えられています。
[SRC[>>60 #page=3, >>19]]
平成29年時点で[[古賀市]]の所有または管理下にあり、
[[古賀市立歴史資料館]]の所蔵となっています。
[SRC[>>60 #page=2]]


[115] 
墓石とそこに刻まれた[[私年号]]は、
[TIME[平成21(2009)年][2009]]時点で既に[[古賀市]]のウェブサイトに紹介がありました。
当時既に[[文化財]]で観光資源の1つと市当局から認識されていたようです。
[SRC[>>82]]

[147] 
[TIME[平成16(2004)年][2004]]に発掘報告書が発行されており、
そこに墓石と[[私年号]]の記載があるようです [SRC[>>146]]。


[88] 
博多商人文書 (>>10) も墓石 (>>9) の紹介の中で言及されており、
[[平成時代]]初期頃から存在が認識されていたものと思われます。
[SRC[>>82]]
現在は[[九州大学]]に所蔵されているようです
[SRC[>>22]]。
[[墓石]] (>>9) のみつかった遺跡の発掘報告書に博多商人文書を調査した[[三池賢一]]による説明があるようです
[SRC[>>2 #page=2]]。

[12] 
[[墓石]], 博多商人文書とも、
その性格や内容などから後世の偽作ではないことは明らかで、
他に似た[[公年号]]なく誤記、誤読ともできません。
[SRC[>>60 #page=10]]


[80] 
[[墓石]]は、
その所在する[[日本国]][[福岡県]][[古賀市]]で平成28年度 (平成29年)
に[[文化財]]登録が審議され [SRC[>>48]]、
平成30年に市[[指定文化財]]となりました [SRC[>>1, >>21, >>101]]。

[140] 
[[墓石]]には[[人名]]がありますが、素性は明らかではありません。
[SRC[>>60 #page=11]]



[116] 
[[墓石]]は、同時出土の明治12年墓石の存在からその時期 (前後30年の60年間
[SRC[>>60 #page=3, >>60 #page=10, >>2 #page=1]]) と推測され、
銘文の様式から明治よりも前と推測されます
[SRC[>>19, >>60 #page=3, >>60 #page=10]]。
[[十二支]]から[TIME[文久2(1862)年][1862]]の可能性が高いとされます
[SRC[>>19, >>60 #page=3, >>60 #page=10]]。

[117] 
博多商人文書は、
調査した[[三池賢一]]によると、
[[山本屋文書]]が天保から明治の約30年にわたること、
文中の[[人名]]から[TIME[明治3(1870)年][1870]]以前となること
[SRC[>>60 #page=3, >>60 #page=10]]
を踏まえ、
文久2年が最も妥当とされます。
[SRC[>>19, >>60 #page=3]]

[107] 
博多商人文書にはこれを認める裏書があり、
[[福博町屋衆]]の間で[[亀光]]が通用していたことが知られます。
[SRC[>>60 #page=10]]

[139] 
博多商人文書は政治的、宗教的色彩のない一般的な商人の文書のようで (>>136)、
発給者が敢えて[[私年号]]を選択するとは考えにくいようです。



[REFS[

- [146] 
[CITE[高木・前田遺跡.3. - [[全国遺跡報告総覧]]]], [TIME[2024-03-02T14:21:47.000Z]] <https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/79633>
- [20] [CITE@ja[近世| 古賀の歴史| [[古賀市]]の魅力 -観光ガイド-| 古賀市オフィシャルページ]], [TIME[2021-03-09T09:51:20.000Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/history/005.php>
-- [82] 
[CITE@ja[近世|古賀の歴史|古賀市の魅力 -観光ガイド-|[[古賀市役所]]]], [TIME[2024-02-26T14:04:54.000Z]], [TIME[2009-08-04T12:29:06.010Z]] <https://web.archive.org/web/20090804122829/http://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/history/005.php>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[58] [CITE[古賀市の公式サイトの街角スナップコーナーに「古賀すたいる」さんで実施された「まわしよみ新聞」の様子が掲載されたそうです!嬉しい^^ | [[mutsu-satoshi.com]]]], 
2014 年 4 月 12 日,
[TIME[2022-12-29T12:35:59.000Z]] <http://mutsu-satoshi.com/2014/04/12/9959/>
]FIGCAPTION]

>古賀市ってどんなとこなんやろうか?と調べたら、私年号「亀光」のエピソードが面白かったですな。勝手に年号を作るってすごいww これ、まちおこしに使えそうですがww
]FIG]

- [22] [CITE@ja[講鋪証文之事 - 九大コレクション | [[九州大学附属図書館]]]], 
[B[登録日]] 	2013.08.28,
[B[更新日]] 	2017.09.01,
[TIME[2021-03-09T09:57:22.000Z]] <https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=0&amode=MD820&bibid=415811>
- [48] [CITE@ja[[[古賀市]]文化財保護審議会| 会議結果報告| 会議の公開制度| 総務課| 市役所の仕事としくみ| 行政情報| 古賀市オフィシャルページ]], [TIME[2021-06-16T10:52:13.000Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/cityhall/work/somu/kaigi/28/020.php>
-- [29] 
平成28年度  第1回  [[古賀市]]文化財保護審議会,
平成29年1月26日(木)
--- [60] 
[CITE[「[[亀光元年]]」を彫る墓石に関する調査報告]] ([TIME[2017-08-31 14:45:43 +09:00]]) <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=6>
--- [2] 
[CITE[平成28年度 第1回[[古賀市]]文化財保護審議会会議録]]
([TIME[2017-08-31 14:44:13 +09:00]])
<https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/111.pdf>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[近世| 古賀の歴史| 古賀市の魅力 -観光ガイド-| 古賀市オフィシャルページ]]
([TIME[2018-03-06 16:33:09 +09:00]])
<http://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/history/005.php>
]FIGCAPTION]

> 高木・前田遺跡で発見された墓石には「亀光元年戌九月廿五日」と彫られていました。「亀光」は私年号といわれるもので、朝廷によって定められた年号(公年号)とはことなるものです。
> この私年号は博多商人の間でも使用されたようで山本屋甚兵衛名義の『講鋪證文之事』にも「亀光元年戌九月」とあります。
> この「亀光」のつくられた年は、現在のところ文久2(1861)年をあてるのが最も妥当と思われますが、この年号を使用した人々やこれを考えつくった人に関しては不明です。
> また使用された地域は福岡藩内に留まるものと思われます。なお、確認されている2例ともに「亀光元年戌九月」ですから、ごく短期間に使用された可能性も考えられます。
文久2年は坂下門外の変に始まり、寺田屋騒動、吉田東洋暗殺などが続き、幕藩体制は大きく変わろうとしていました。
>生麦事件もあり日英関係を危機的な状況に陥らせ、疱瘡や疫病も大流行し、人々の不安が高まったことは想像に難くありません。
>年号を改めることの一因として、治世一新の願いがあり、したがって、人々は「亀光」という年号を起こすことで、世直しの気運を高めようとしたのでしょうか。

]FIG]

;; [51] 
文久2年は西暦1862年。

- [21] 
[[古賀市教育委員会]],
2018年10月15日,
[TIME[2021-03-09T09:56:26.000Z]] <https://www.facebook.com/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E5%B8%82%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-1772132976379991/photos/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E5%B8%82%E6%8C%87%E5%AE%9A%E6%9C%89%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%82%92%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AB%E6%8C%87%E5%AE%9A%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8F%A4%E8%B3%80%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8%E3%81%AB%E5%B1%95%E7%A4%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E4%BA%80%E5%85%89%E5%85%83%E5%B9%B4%E9%8A%98%E5%A2%93%E7%9F%B3%E3%82%92%E6%9C%89%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E8%80%83%E5%8F%A4%E8%B3%87%E6%96%99%E3%81%AB%E6%8C%87%E5%AE%9A%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8F%A4%E8%B3%80%E5%B8%82%E6%96%B0%E5%8E%9F%E3%81%AE%E7%99%BA%E6%8E%98%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%A3/2104436393149646>
-- [34] [CITE[44202356_2104436396482979_2486821467799420928_n.jpg (JPEG 画像, 2016x1512 px)]], [TIME[2018-10-15T08:51:57.000Z]], [TIME[2021-04-14T09:01:32.875Z]] <https://scontent-sjc3-1.xx.fbcdn.net/v/t1.6435-9/44202356_2104436396482979_2486821467799420928_n.jpg?_nc_cat=101&ccb=1-3&_nc_sid=9267fe&_nc_ohc=YHeIEpz7JpUAX84sOEu&_nc_ht=scontent-sjc3-1.xx&oh=9a559a61ab9e6c93e2033c58a011e50a&oe=609CB14A>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[[[私年号]]「亀光元年」銘墓石 [[文化遺産オンライン]]]]
([TIME[2019-07-17 16:04:15 +09:00]])
<https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/427992>
]FIGCAPTION]

> 「きこう」と読むのか「きっこう」と読むのか不明

]FIG]
-- [5] [CITE@ja[私年号「亀光元年」銘墓石 [[文化遺産オンライン]]]],
[TIME[2019-07-16 19:18:02 +09:00]]
<http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/427992/2>
-
[101] 
[CITE@ja[[[市指定文化財]]| 文化財| 古賀市の魅力 -観光ガイド-| 古賀市オフィシャルページ]], [TIME[2024-03-02T08:15:00.000Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/culture/003.php>
- [59] 
[CITE@ja[れきしのアルバム| 刊行物案内| 歴史資料館| 文化課| 市役所の仕事としくみ| 行政情報| 古賀市オフィシャルページ]], [TIME[2022-12-29T13:59:18.000Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/cityhall/work/bunka/bunkazai/kankoubutsu/003.php>
-- [19] [CITE[[[れきしのアルバム]] No.43.pdf]], 
[[古賀市立歴史資料館]],
令和2年1月31日発行,
[TIME[2020-02-07T08:22:58.000Z]], [TIME[2021-03-09T09:45:18.036Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/source/bunka/No.43.pdf>
-- [62] 
[CITE@ja[詳細情報です。 | 古賀市立図書館]], [TIME[2022-12-29T14:02:40.000Z]] <https://www.lib-citykoga.org/WebOpac/webopac/searchdetail.do?biblioid=1292331#v2>
-- [61] 
この巻より紙での配布は終了し [[PDF]] のみで配布されている [SRC[>>59]]
とのことですが、[[古賀市立図書館]]に所蔵されています [SRC[>>62]]。
一般配布されていないだけで紙版も関係機関に配布されているのかもしれません。


]REFS]

[63] [TIME[2022-12-29T14:09:12.300Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/7975556> (非公開)

>歴史読本 40(13)(645)
>雑誌
>(Kadokawa, 1995-07)
>146: とすべきところを、「亀光元年と記されていた。私年号の使用は、全国で四十例ほど確認されているという。(4·18/西日本新聞)一昨年十月、全



** 小倉藩領の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [72] [DATA(.label)[[CITE[西田直養自筆]]]]
-- [73] [DATA(.label)[序文]]
「[DATA(.text)[[V[龜光元年壬戌九月九日の夜[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>49]]
- [74] [DATA(.label)[[CITE[西田直養遺稿萬葉類語]]]]
-- [75] 
「[DATA(.text)[[V[文久二年壬戌四月八日]]]]」
[SRC[>>49]]

]ITEMS]

[76] 
[RUBYB[[[西田直養]]][[TIME[1793]]-[TIME[1865]]]]は[[小倉藩]]士の[[国学者]]でした。
親[[長州藩]]派とされます。

[77] 
[[昭和時代]]初期の展覧会目録に[TIME[壬戌(1862)年][1862]]の直筆とされるものが2点掲載されています
(目録なので断片的情報のみ)。

[79] 
詳しい内容は不明ですが、地元の歌人の展覧会への出品で、
概要を読む限りどちらも政治的色彩はありません。

[78] 
うち1点、[[短歌]]の会の記録の序文の日付が[[亀光]]です。
その5ヶ月前が[[文久]]で、その間に[[改元]]情報を得たと考えられます。

[149] 
目録ではそれがいつかは特に検討されておらず、
[[令和時代]]に至るまで私年号資料として認識されずに埋もれていました。

[REFS[

-
[49] [CITE@ja-JP[郷土歌人概観展覧会目録]], [[福岡県立図書館]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T11:31:51.479Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1261737/1/14>

]REFS]


** 甲賀の用例

[14] 
[[天保]]時代に[[日本]][[近江国]]で発生した[[近江天保一揆]]について[[隠岐邑浅五郎]]が記述した
[CITE[近江国田畑御見分ニ付騒動写]]
([[岡山大学]]付属図書館[[黒正文庫]]所蔵)
の表紙に書かれた[[日付]]が
「亀光元年」
でした。
[SRC[>>27, >>4, >>15, >>16, >>17, >>186]]
[[日本]][[近江国]][[甲賀郡]][[隠岐村]]は[[明治時代]]に[[佐山村]]に属し、
現在は[[甲賀市]]の一部となっています。

[187] 
[[黒正文庫]]は、
[[京都帝国大学]]農学部農史講座の[RUBYB[[[黒正巌]]][[TIME[1895]]-[TIME[1949]]]]が収集した[[百姓一揆]]関連記録などで構成され、
[[黒正巌]]が旧制[[第六高等学校]] (現在の[[岡山大学]])
の校長だったため現在[[岡山大学]]に所蔵されています。
[SRC[>>47]]

[188] 
現在知られている中では[TIME[昭和54(1979)年][1979]]に[[保坂智]]らが編集した
[CITE[編年百姓一揆史料集成]]
[SRC[>>27]]
が当文書の研究史上の初出で、
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]には[[保坂智]]により一般向け書籍でも紹介されました
[SRC[>>186]]。
[RUBYB[[[保坂智]]][[TIME[1946]]-]]は[[百姓一揆]]の研究者で、
当時は大学教員、[[平成時代]]に入って[[国士舘大学]]の[[教授]]となりました。


[18] 
この[[近江国]]の[[一揆]]は[TIME[天保13(1842)年][1842]]に発生し[TIME[天保14(1843)年][1843]]に至ったもので、
それを記録した本書の成立はその時期かそれ以後となります。


[46] 
[[昭和時代]]の研究では[[著者]]の[[隠岐邑浅五郎]]が作った[[私年号]]と[[されていた][現存最古を発生と誤認した事案]]ようですが
(>>189)、
近年の発見例を踏まえて再検討してみる価値はありそうです。


[64] 

- [TIME[西暦1802年壬戌][1802]]
- [TIME[天保7(1836)年][1836]] 高山写本
- [TIME[天保9(1838)年壬戌][1838]]
- [TIME[天保13(1842)年][1842]] 近江一揆
- [TIME[天保14(1843)年][1843]] 近江一揆
- [TIME[嘉永3(1850)年庚戌][1850]]
- [TIME[安政4(1857)年][1857]] 高山写本
- [TIME[文久2(1862)年壬戌][1862]]




[REFS[

-
[178] 
[CITE@ja-JP[石部町史]], [[石部町教育委員会]], [TIME[1959]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-03T06:18:33.174Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3018963/1/136> (要登録)
- [27] [CITE@ja[[[編年百姓一揆史料集成]] 16 - [[Google Books]]]], 
[TIME[1979]],
[TIME[2021-04-14T08:17:45.000Z]] <https://www.google.co.jp/books/edition/%E7%B7%A8%E5%B9%B4%E7%99%BE%E5%A7%93%E4%B8%80%E6%8F%86%E5%8F%B2%E6%96%99%E9%9B%86%E6%88%90_16/rOgxAAAAMAAJ?hl=ja&gbpv=1&bsq=%22%E4%BA%80%E5%85%89%E5%85%83%E5%B9%B4%22&kptab=overview>
- [185] 
[CITE@ja-JP[[[歴史への招待]] 19]], [[日本放送出版協会]], [TIME[1981.12][1981]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-03T07:00:58.463Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12209734/1/21> (要登録)
-- [186] 
[CSECTION[[V[一揆と私年号]]]],
[[[V[保坂智]]]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[17] [CITE[歴史への招待 - 南條範夫, 鈴木健二, 日本放送協会 - [[Google ブックス]]]]
(第 19 巻  南條範夫, 鈴木健二, 日本放送協会 日本放送出版協会, 1981 [TIME[2019-07-23 21:44:49 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=ZJLSAAAAMAAJ&dq=%E4%BA%80%E5%85%89>
]FIGCAPTION]

> 37 ページ
> そして今るを得なかったに違いないこのように考え得る根拠は、史料の表紙害かれた「
亀光元年」という文字である。もちろん亀光という元号は存在しない。浅五郎が勝手に
作った元号、すなわち私年号である。明治以降の一世一元制と異なり、それ以前は朝廷
が ...

> 37 ページ
>もちろん他光という元号は存在しなであった 処神取締め切。れたこ年写装さ、 5
合以上本「反 37 百姓一揆大行進 。て、この私年号問題は大いに興味深い。今い
。浅五郎が勝手に作った元号、すなわち岡山大学図書館の黒正文庫は、全国の一
...


]FIG]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[180] 
[CITE@ja[NHK [[歴史への招待]]19 百姓一揆大行進 天明・長屋の反乱 その他 日本放送出版協会 - 古本うしおに堂]], [TIME[2024-03-03T06:47:58.000Z]] <https://huruhon.shop-pro.jp/?pid=115036423>
]FIGCAPTION]

>昭和56年12月1日 並 百姓一揆大行進・・・杉浦明平 天明・長屋の反乱・・竹内誠 十節・天保六花撰・・・多岐川恭 日の丸誕生・・・草柳大蔵 明治新聞戦争・・・三好徹

]FIG]
--
[182] 
[CITE@ja[[[歴史への招待]] - Wikipedia]], [TIME[2024-02-17T12:24:27.000Z]], [TIME[2024-03-03T06:48:59.172Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8B%9B%E5%BE%85>
--
[NOTE[

[179] 
[CITE[歴史への招待]]
は当時の [[NHK]] の人気[[テレビ番組]]シリーズ [SRC[>>182]] で、本書はその書籍化。
編者の[[南條範夫]]は歴史作家、
[[鈴木健二]]は[[NHK]][[アナウンサー]]。

[181] 
当該部分は
[CSECTION[百姓一揆大行進]]
の中のコラム。
[CSECTION[百姓一揆大行進]]
は[TIME[1980-12-04]]放送と思われるが、[CITE[ウィキペディア]]の放送リスト [SRC[>>182]]
ではこの日が欠落しており、事情は不明。
また、該当部分が放送で紹介されたかも不明。

[184] 
[RUBYB[[[杉浦明平]]][[TIME[1913]]-[TIME[2001]]]]は、小説家。
放送より前の[[昭和時代]]中期頃には地元の[[町議会議員]]。
任期中の[TIME[昭和36(1961)年][1961]]に[[共産性の違い]]により[[日本共産党]]の党員資格停止処分を受けている。
[SRC[>>183]]


]NOTE]
--
[183] 
[CITE@ja[[[杉浦明平]] - Wikipedia]], [TIME[2024-03-01T15:45:18.000Z]], [TIME[2024-03-03T06:51:29.194Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%B5%A6%E6%98%8E%E5%B9%B3>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[15] [CITE[一揆 - Google ブックス]]
(第 2 巻 東京大学出版会, 1981 [TIME[2019-07-23 21:41:40 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=k6EyAQAAIAAJ&dq=%E4%BA%80%E5%85%89>
]FIGCAPTION]

> 280 ページ
> この一揆を記した黒正厳文庫の史料の表題には、「亀光元年近江国田畑御見分ニ付
騒動写発端より御裁許逸記」とあり、「亀光元号」とは私年号と考えられる。国家威信
保持の道具立てである元号に私年号が対置されていることは、反幕政を掲げた一揆の
性格 ...

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [CITE[史料教養の日本史 - Google ブックス]]
(竹内誠 東京大学出版会, 1991 - 273 ページ [TIME[2019-07-23 21:43:31 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=310wAAAAMAAJ&dq=%E4%BA%80%E5%85%89>
]FIGCAPTION]

> (太田尚宏)社会が大きく変わることを予見し、これを私年号「亀光」という幕府の政策が
一揆の前に撤回を余儀なくされたことを眼前にして、年までも続くようにと願ったもので
あろうか。ともあれ浅五郎は、ものとされる「亀」と「光」とを組み合わせ、新たな世の光が
万「 ...

>
そこで九月に入り、野洲郡三上村の庄屋土川平兵衛らは、検「亀光」というのは
浅五郎が自ら作った年号である。縁起が良い地中止を求める嘆願書を作成し、
市野との直接交渉を計画した。ものとされる「亀」と「光」とを組み合わせ、
新たな ...


]FIG]

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[65] 
[CITE@ja[ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム]], [TIME[2022-12-30T02:01:31.000Z]] <https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2521105100/2521105100100010/ht040940>
]FIGCAPTION]

> なおここでひとつ付け加えておきたい。というのは、とにもかくにもこうして世間をゆるがした甲賀騒動が終った。そしてその発端から一揆に関わった者の裁決まで一年余りを費やした。その間、すでに記したように入牢中の費用が村方に請求された。裁決までの取り調べ中の全費用がどのくらいであったかわからないが、取り調べを受けた人数からみてもかなりの費用が請求されたことが想像される。亀光(ママ)元年の『近江国田畑御見分ニ付騒動写』(岡山大学附属図書館黒正文庫所蔵 裏表紙に「隠岐邑浅五郎書」とある)という文書の末尾に取り調べの費用ともからんで一揆に対する心境が簡単に語られている。
>>三郡の村々不残御取調中一ヶ年余も相懸り、諸入用多分の金高雑ヲ買無限事難渋の村方後悔至極ニ候、末々世迄も相心得べき事ニ候
> もちろんこの文書の史料としての検討がなされねばならないであろう。しかしともかくこの記述からは石部宿をはじめこの一揆に関わった村々の人たちの心境を知りつくすことはできず、また彼らの生の声であったかどうかもいま確かめることはできない。


]FIG]
-- [174] 消滅確認 [TIME[2024-03-03T05:54:55.600Z]]
-- [175] システム更新で失敗して[[リンク切れ]]になったようです。
[SEE[ [[Webサイトリニューアル失敗事例]] ]]
-- [176] 
[CITE@ja[テキスト / 一揆の結末]], [TIME[2024-03-03T06:10:32.000Z]] <https://adeac.jp/konan-lib/text-list/d100010/ht040940>
--- [177] >>65 と同内容のページ
- [172] [CITE[石部南小学校郷土歴史]],
[[石部南小学校]]パソコン教室
-- [173] 「平成元年3月石部教育委員会発行「新修石部町史」から転載」
--- [66] すなわち >>65
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] ([TIME[2016-10-17 18:41:24 +09:00]])
<http://www.edu-konan.jp/ishibeminami-el/kyoudorekishi/404030100.html>
]FIGCAPTION]

> 亀光(ママ)元年の『近江国田畑御見分ニ付騒動写』(岡山大学付属図書館黒正文庫所蔵 裏表紙に「隠岐邑浅五郎書」とある)という文書の末尾に取り調べのひようをもからんで一揆に対する心境が簡単にかたられている。

]FIG]


-[53] [CITE@ja-JP[[[歴史地理教育]] (499)]], [[歴史教育者協議会]], [TIME[1993-03]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T11:33:11.811Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7939672/1/2> (要登録)
- [47] 
[CITE@ja[個人文庫 - [[岡山大学]] 附属図書館]], [[岡山大学附属図書館]], [TIME[2022-03-01T05:12:28.000Z]], [TIME[2024-03-03T07:22:22.120Z]] <https://www.lib.okayama-u.ac.jp/collections/kojinbunko.html#kokusho>


]REFS]

- [229] 
[CITE[[V[[B[編年 百姓一揆資料集成]]  第十六巻]]]],
[V[一九九一年十月十五日  第一版第一刷発行]]


[FIG(quote)[ [230] >>229 pp.[L[139]]-

>
[VRL[

十月十四日  近江野洲・甲賀・栗太郡幕領外三上・市原・杣[BR[]]中村等ノ百姓、幕府ノ検地ニ反対シテ検地役人旅󠄃宿ヘ強訴シ、[BR[]]
十万日日延ノ約束ヲサセルコトニ成功ス [WEAK(smaller)[(近江検地反対一揆、三]][BR[]][WEAK(smaller)[上山騒動)]]、

[BOX(set)[
[BOX(left)[
〔近江国田畑御見分ニ付騒動写〕
]BOX]

[BOX(left)[

[WEAK(smaller)[黒正文庫、岡山大学付属図書館所[BR[]]蔵]]

]BOX]

]BOX]

[BOX(indent)[

[RUBY[「][(表紙)]]  亀光元年

[BOX(indent)[

近江国田畑御見分ニ付騒動写

[BOX(indent)[

発端より御裁許迄󠄃        」

]BOX]

]BOX]

]BOX]

発端天保十二年丑十一月[SNIP[]]

[SNIP[]]卯十一月[SNIP[]]

]VRL]

([[明朝体]])


]FIG]

@@
[BOX[

[231] 
[CITE@ja-JP[新視点日本の歴史 第5巻(近世編)]], [[新人物往来社]], [TIME[1993.7][1993]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T09:01:30.206Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13201077/1/53?keyword=%E4%BA%80%E5%85%89> (要登録)

[232] 
[CITE@ja-JP[新修石部町史 通史篇]], [[『新修石部町史』編さん委員会]], [TIME[1989.3][1989]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T09:02:35.746Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13133161/1/239?keyword=%E4%BA%80%E5%85%89> (要登録)

[234] 
[CITE@ja-JP[日本史もの知り事典 : 歴史の本に出てこない]], [[主婦と生活社]], [TIME[1987.4][1987]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T09:13:03.425Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12210319/1/272?keyword=%E4%BA%80%E5%85%89> (要登録)

]BOX]


** 名古屋周辺の用例

[36] 
[[岐阜県歴史資料館]]所蔵[[林周教]]旧蔵
[CITE[伊勢山御運上帳]]
に[[日付]]が
「亀光元癸戌.3月25日」
とされるものがありました。
[SRC[>>26]]

[86] 
[[林周教]]は[[昭和時代]]の[[日本国]][[岐阜県]][[大垣市]]在住の歴史研究者でした。

[87] 
ウェブサイトの目録では日付と文書名以上の詳細は不明です。

[37] 
「癸戌」
は[[干支にありません][非妥当干支]]が、
[TIME[文久2(1862)年[LINES(smaller)[壬][戌]]][1862]]の意としても矛盾はなさそうです。

[84] 
[CH[癸]]の[[異体字]][CH[关]]と[CH[壬]]が[[書写]]や[[翻刻]]の過程で混同されたのかも?
原本を確認したいところです。

[85] 
もっと単純に、
[RUBY[[CH[壬]]][みずのえ]]と[RUBY[[CH[癸]]][みずのと]]の取り違えでしょうね。




[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[26] [CITE@ja[[[林周教]]_1_9 - 岐阜県公式ホームページ(歴史資料館)]], 
2020年2月27日更新,
[TIME[2021-04-14T07:12:11.000Z]], [TIME[2021-04-14T07:45:10.518Z]] <https://www.pref.gifu.lg.jp/page/12904.html>
]FIGCAPTION]

>
,亀光元癸戌.3月25日 	,伊勢山御運上帳 	,  	,  	,1冊 	,9文化9-228
]FIG]


]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [209] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[尾張国]][[丹羽郡]][[下奈良邑]][[酉新田]]]] [CITE[下奈良酉新田宗門御改帳]]]]
-- [210] 
[DATA(.label)[表紙]]
[VRL[

(表紙)

「[WEAK(smaller)[(追筆)]] 文 久 二

[BOX(indent)[
「不改」 亀 光 元 年
]BOX]

丹波郡下奈良酉新田宗門御改帳

[BOX(right)[
戌 三 月」
]BOX]

]VRL]
[SRC[>>55]]
-- [211] 
[[日付]]
「[DATA(.text)[[V[文久二年[SUP(smaller inline)[戌]]三月]]]]」
[SRC[>>55]]
--- [212] 3箇所

]ITEMS]

[213] 
[[昭和時代]]後期に[[市史]]に収録されて知られるようになった資料です。
注釈も特になく、[[私年号]]資料としては[[令和時代]]まで見落とされてきました。

[214] 
当[[文書]]はごく一般的な[[宗門改帳]]です。表紙には[[亀光]]元年と文久2年の2つの記載がありますが、
末尾の署名と共にある[[日付]]3箇所はいずれも文久2年のみです。

[215] 
表紙には「亀光元年」「文久二」「不改」の3つの記述があります。
どのような順序で書かれたものかいまいちよくわからないのですが、
「亀光元年」 → 「文久二」 → 「不改」 → 末尾署名、
でしょうかね?
これが村方の控えだとすると、領主に提出された方では「文久二年」とだけ書かれていたのでしょうか。

[67] >>55 「不改」って意味深やな。[[改元デマ]]だったってこと?

[216] 
文久2年、戌の記載から、この[[亀光]]の[[元年]]が文久2年を指すことは間違いありません。
その3月に一時[[亀光]]が使われたことがわかります。

[REFS[

-
[55] [CITE@ja-JP[[[一宮市史]] : 新編 資料編 10 (市域関係近世史料集)]], [[一宮市]], [TIME[1971]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T11:41:02.267Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3030440/1/170> (要登録)

]REFS]




-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [45] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[愛知県]][[名古屋市]]]] 個人所有文書]] [SRC[>>25]]
-- [100] [TIME[令和3(2021)年][2021]]の「最近」発見 [SRC[>>25]]
- [44] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[三重県]][[いなべ市]]]] 個人所有文書]] [SRC[>>25]]
-- [99] [TIME[令和3(2021)年][2021]]の「最近」発見 [SRC[>>25]]

]ITEMS]

[98] 
[[いなべ市]]と[[名古屋市]]の[[文書]]は令和2年か令和3年に存在が知られました
(>>70)。
詳細情報はウェブ上になく不明です。

** 伊勢の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [38] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[三重県]][[鳥羽市]]浦村町今浦]] [[小林千代太郎]]家所蔵文書]]
「[DATA(.text)[亀光元年 諸色掟之帳 戌霜月吉日若連中]]」
[SRC[>>25]]
-- [42] 他の所蔵文書から[TIME[安政元(1854)年][1854]]以後 [SRC[>>25]]
-- [43] [TIME[令和3(2021)年][2021]]発見 [SRC[>>25]]

]ITEMS]


[97] 
今浦の文書 (>>38) は[TIME[令和3(2021)年][2021]]に存在が知られて[[新聞]]で報じられました。
元[[三重県史]]編集委員の[[吉村利男]]が[[文書]]を解読しました。
[SRC[>>23]]



[REFS[

- [23] [CITE@ja[私年号「亀光」確認 鳥羽・浦村、民家の古文書に 三重、福岡、愛知で5例 /三重 | [[毎日新聞]]]],
[[林一茂]],
2021/4/14,
[TIME[2021-04-14T07:28:39.000Z]]
<https://mainichi.jp/articles/20210414/ddl/k24/040/129000c>
-- [25] [CITE@ja[<私年号>私年号「亀光」確認 鳥羽・浦村、民家の古文書に 三重、福岡、愛知で5例 /三重([[毎日新聞]]) - goo ニュース]], 
[[林一茂]],
2021/04/14 07:39,
[TIME[2021-04-14T07:40:10.000Z]] <https://news.goo.ne.jp/article/mainichi_region/region/mainichi_region-20210414ddlk24040129000c.html>
]REFS]


** 飛騨の用例

[157] 
[[日本]][[飛騨国]][[吉城郡]][[塩屋村]]
(現在の[[日本国]][[岐阜県]][[飛騨市]][[宮川町]][[塩屋]])
の[[慶蔵]]
([[日本国]][[岐阜県]][[高山市]]の[[尾崎慶三]]の[[祖先]])
の自学自習の資料が残っています。
[SRC[>>54]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [158] [DATA(.label)[[CITE[御文様]] 写本]]
-- [159] 亀光元年戌三月
[SRC[>>54]]

]ITEMS]

[160] 
他に[TIME[天保7(1836)年][1836]]7月と[TIME[安政4(1857)年][1857]]3月の資料が残っています。 [SRC[>>54]]

[161] 
この資料は[[昭和時代]]後期の地域教育史の研究で紹介されました。
[SRC[>>54]]
出典として地元自治体史[CITE[宮村史]]が参照されていますが、
同じ記事の他の部分に相当する記述しかなく [SRC[>>57]]、
この資料の紹介部分の記述はありません。
自治体史からの引用ではなく筆者が他の地元の資料を元に紹介したのか、
実見したものだと推測されます。

[163] 
所蔵者などの記載がなく、現所在は不明です。写真や[[翻刻]]も見当たりません。


[162] 
この資料は[[令和時代]]に至るまで[[私年号]]史料として認識されておらず、
見落とされてきました。

[169] 
>>54 はその趣旨的に[[亀光]]がいつなのか関心を持たなかったのか、
その時期には何も触れていません。
[[天保]]年間の記事の1つとして掲載していますが、
紹介資料の1つが天保7年付だからというだけの理由と思われます。

[164] 
亀光と安政の2つは「塩屋村 慶蔵」と名前があるようです。
天保には記載がないようです。
[SRC[>>54]]
説明はないのですが、筆跡などから3つとも同一人物の所持品と判断されたのでしょうか。

;; [165] >>54 では天保、亀光、安政の順で掲載されています。
この順序に意味があるのかは不明です。

[166] 
[[慶蔵]]の生没年は不明ですが ([[子孫]]まで判明しているなら、
[[過去帳]]などである程度の情報はわかるのでしょうか)、
3つの資料が同一人物によるものなら、
[[江戸時代]]の後期から[[明治時代]]の初期にかけての期間のものであることは明らかです。

[167] 
[[慶蔵]]は[[寺子屋]]教育も受けずに自学自習のみだった [SRC[>>54]]
とのことで、天保と安政で20年の開きがあるのは長年学習を続けていたということなのでしょうか。
そうだとすれば[[亀光]]が文久2年だとしても不思議はなさそうです。

;; [168] 3つの資料の内容 (や筆跡など?) から学習の順序が判明するといいのですが...

;; [228] 飛騨では慶応4年に[[天政]]が使われたこともあります。

[REFS[

- [57] 
[CITE@ja-JP[宮村史]], [[宮村教育委員会]], [TIME[1968]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-03T04:07:44.099Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3448784/1/311> (要登録)
- [54] 
[CITE@ja-JP[[[珠算春秋]] 18(1)(34)]], [[全国珠算教育連盟研修学教委員会]], [TIME[1971-11]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T11:36:05.918Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3241182/1/19> (要登録)

]REFS]


@@
[233] 
[CITE@ja-JP[岐阜県所在史料目録 第25集]], [[岐阜県歴史資料館]], [TIME[1990.3][1990]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T09:09:43.435Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12163581/1/33?keyword=%E4%BA%80%E5%85%89+%E6%96%87%E4%B9%85> (要登録)



** 伝近江商人旧蔵文書

[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[13] 
[DATA(.label)[伝近江商人旧蔵文書]]
「[DATA(.text)[[V[龜光元[SUP[壬]][SUB[戌]]三月五日]]]]」
[SRC[>>3]]
-- [40] 他の日付から文久2年と推定 [SRC[>>41]]

]ITEMS]

[150] 
[TIME[令和元(2019)年][2019]]、
[[古書店]]の[[祥展堂]]の [CITE[Twitter]] アカウント
(おそらく[[日本国]][[静岡県]][[榛原郡]][[吉田町]]に所在する[[祥展堂]])
が、[[亀光]]元年文書の写真を公開しました。
[SRC[>>3]]

[151] 
[[文書]]の性質は不明ですが、[[近江商人]]のものと伝わっています。
[SRC[>>30]]

;; [152] 旧蔵者がどこの誰かもまったく不明なのですが、
[[静岡県]]ないし[[東海地方]]なのでしょうかね。
[[古書店]]・[[古物商]]のネットワークで遠方から持ち込まれた可能性もありますが。


[153] 
[[文書]]の他の記述 [SRC[>>41]] や[[干支年]]から、
文久2年と確定できます。

[155] 
現所在は不明です。
残念ながら [CITE[Twitter]] アカウントも削除されて、
写真も閲覧できなくなってしまいました。


[REFS[

- [3] [CITE@el[Ο χρήστης 祥展堂 στο Twitter: "新元号が話題となっていますがこちらの史料には私年号「[[亀光]]」が使用されています。使用されていた期間、地域など不詳です。そもそも当史料の性格(商取引関係か)も今一つわかりません。 #古文書 #新元号 #私年号… "]]
([TIME[2019-07-16 17:55:04 +09:00]])
<https://twitter.com/shotendo88/status/1109798591344734208>
-- [41] [CITE@ja[祥展堂さんは[[Twitter]]を使っています 「@sundayhistorian 横の記載からそうだと思われます。とすればごく短期間使用された可能性が高くなるかと。」 / Twitter]], 午後10:16 · 2019年3月24日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-04-14T09:05:13.000Z]] <https://twitter.com/shotendo88/status/1109806287439560710>
-- [30] [CITE@ja[祥展堂さんは[[Twitter]]を使っています 「@sundayhistorian 旧蔵者のメモには近江商人旧蔵とありましたが根拠が不明です。当時の商取引、慣習についての知識がありませんと読解は難しそうです。そう考えますと符丁も文化財ですね。」 / Twitter]], 午後10:32 · 2019年3月24日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-04-14T08:32:56.000Z]] <https://twitter.com/shotendo88/status/1109810175437729801>
--[24] [CITE@ja[祥展堂さんは[[Twitter]]を使っています 「@jijicom こちらは私年号「亀光」が使用された史料です。 https://t.co/Xj2NKc0ehM」 / Twitter]], 午後8:06 · 2019年3月25日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-04-14T07:30:16.000Z]] <https://twitter.com/shotendo88/status/1110135816909512704/photo/1>
-- [56] 消滅確認 [TIME[2022-12-29T12:29:54.700Z]]

]REFS]



* 研究史

[170] 
[[昭和時代]]にいくつか[[亀光]]の用例のある資料が報告されていました
(>>73, >>36, >>157, >>209)
が、[[私年号]]史料としては認識されず[[令和時代]]まで埋もれていました。

-*-*-

[189] 
[[日本]][[近江国]][[甲賀]]の百姓一揆の記録に見える用例 (>>14)
は[[昭和時代]]後期に[[百姓一揆]]研究者[[保坂智]]によって紹介されました。
[[保坂智]]は次のように指摘しました。
[SRC[>>186]]

- [191] 裏表紙に隠岐邑浅五郎とあり、筆者がわかる
-- [192] 隠岐村は甲賀郡にあり、一揆の渦中の人物の記録である
-- [193] 事件後すぐに成立したと考えられる
[NOTE[

[208] 
具体的に何年に当たるかまでは言及なし。

]NOTE]
- [194] [[亀光]]は存在しない、[[浅五郎]]が勝手に作った[[私年号]]である
-- [195] [[公年号]]の[[改元]]は時代の理想、願望を込めた[[年号]]を改めることで、
前の時代を否定し新しい時代に期待を込めること
-- [196] [[浅五郎]]は[[天保]]という時代を否定し新たな時代に期待を込めて名付けた
- [197] 強大な幕府の政策が一揆で撤回されるのを目の当たりにし、
社会が大きく変化すると実感、今後の社会が良い世の中であることを祈らざるを得なかったに違いない
- [198] 一揆が生んだ[[私年号]]は他に[[長徳]]がある
-- [190] [[打ちこわし]]された[[久次郎]]は翌年に[[私年号]]を書いた
-- [199] [[浅五郎]]や[[久次郎]]の期待の内容はわからない
-- [200] [[浅五郎]]も[[久次郎]]のように一揆に対立する勢力かもしれない
-- [201] 今後他の事例の掘り出しも期待される

[202] 
[[保坂智]]が具体的にどのように検討したのか、一般向け書籍のコラムに過ぎない >>186
では詳細はわからないのですが、おそらくその内容が具体的で信憑性が高く、
事件直後の成立とみて良いと判断した (が直接的に時期を確定できる記述は見つからなかった)
ということなのでしょう。

[203] 
しかし[[私年号]]の制作者を何の根拠も示さずに[[浅五郎]]と断定しているのは問題です。
また、[[浅五郎]]の村内での立ち位置、一揆との関係性がまったく判明しておらず、
一揆に賛同しているのか反対しているのかすら画定されない中で結論を急いでいるのは、
とても危険です。

;; [204] 
[[保坂智]]はその後も[[百姓一揆]]に関係する著作をいくつか発表していて、
それらにも何らかの言及があるかもしれませんが、未調査です。

[205] 
[[昭和時代]]末期から[[平成時代]]初期にかけて、
[[保坂智]]の見解を踏襲する形でしばしばこの事例が紹介されました。
[SRC[>>15, >>16, >>65, >>4, >>53]]
おそらくそれ以上の研究が進められない (追加の根拠が提示されない) ままに、
百姓一揆に伴い反幕府的態度から[[私年号]]が作られ使われたと既定事実化が進んでいるようにもみえます。

[206] 
その後は言及例が見当たらず一旦忘れられたようにも見えますが、
電子化され閲覧可能になっている書籍が少ない谷の時代に当たるためかもしれず、
改めて調査が必要です。

[207] 
いずれにしても[[百姓一揆]]関係の研究者には知られたものの[[私年号]]の研究者や事典類等の[[私年号]]の[[一覧表][日本私年号一覧表]]に捕捉されることなく[[令和時代]]を迎えることになります (>>154)。

-*-*-


[89] 
[[日本国]][[福岡県]][[古賀市]]の墓石 (>>9)
は[TIME[平成21(2009)年][2009]]時点で既に[[古賀市]]のウェブサイトに紹介があり、
博多商人文書 (>>10) もその紹介文中で触れられていました。
[SRC[>>82]]


[31] 
その[[古賀市]]ウェブサイトの紹介文は、次のように解説していました。
出所は不明ですが、元々は墓石を調査した文化財担当職員か研究者の見解でしょうか。
[SRC[>>82]]

- [91] [TIME[文久2(1862)年][1862]]に作られたとするのが最も妥当と思われる
-- [94] >>9 >>10 どちらも元年9月、ごく短期間に使用された可能性もある
-- [95] 政情不安定化、疫病流行、社会不安の高まっていた時期
- [92] 使用者や考案者は不明
-- [93] 使用地域は福岡藩内に留まると思われる
- [96] 改元により治世一新、世直しの機運を高めようとしたものか



[81] 
[[日本国]][[福岡県]][[古賀市]]の墓石 (>>9)
の文化財登録審議 (>>80) の資料 [SRC[>>48]] 
は元々は遺跡調査の報告と思われ (>>147 のようです [SRC[>>2 #page=1]]。)、
市の文化財担当の学芸員か発掘に関わった研究者が用意したものなのでしょうが
(審議会では[[古賀市]]の業務主査の[[井英明]]が説明しています [SRC[>>2 #page=1]])、
[[私年号研究]]の当時として最新の状況を非常に的確かつ簡潔にまとめていました。
[[ウェブ]]上で入手できる良質の[[私年号]]情報として、
[[平成時代]]末期から[[令和時代]]初期における最も良質な情報源でした。
[[亀光]]に限らず[[私年号]]の研究への非常に大きな貢献といえます。
その甲斐あって平成30年には文化財登録されました (>>80)。

;; [90] [[私年号]]資料の[[文化財]]としての扱いは[[自治体]]の担当者 (や文化財行政全般?)
の熱量に左右される部分が大きいようで、全国で唯一の貴重例でも無登録だったりいろいろです。

次のように考察されています。

- [119] >>9 >>10 どちらも元年9月、ごく短期間に使用された可能性もある
[SRC[>>60 #page=10]]
- [120] 中世後期以外の[[私年号]]は[[元年]]のみのものが多く、今回もその特徴に当てはまる
[SRC[>>60 #page=10]]
-- [121] [[亀光]]は創作、使用された[[私年号]]であること間違いない
[SRC[>>60 #page=10]]
[NOTE[

[122] これはおそらく、誤記、誤認、デマなどではなく[[私年号]]として実在したということ。
この点の実証は自明としてか省略されていることが多い。
この資料が丁寧に論じている一例。

]NOTE]
-- [145] 
文久2年に[[改元デマ]]の記録は確認できず、共同体で意識的に建元された[[私年号]]であることは間違いない。
[SRC[>>60 #page=15]]
- [123] >>9 >>10 ともに文久2年が最も妥当である
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [132] [[幕末]]の世情不安: 政治的、経済的、社会的に不安定だった時期
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [133] [[福岡藩]]でも佐幕派と尊攘派の対立、尊攘派弾圧、
[[島津久光]]上京により[[九州]]の尊攘派の活発化
[SRC[>>60 #page=11]]
- [124] 
[CH[亀]], [CH[光]]は[[日本の公年号]], [[日本の私年号]]に事例はあるが時期などが違い、
それらとは無関係に、
佳字を選んで創作されたものだろう
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [125] 
瑞兆の[CH[亀]]や[CH[光]]に世情一新の願いを込めたと考えられる
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [126] 
[[祥瑞改元]]を思わせ復古的傾向を思わせる
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [141] 
[CH[亀]], [CH[光]]が時代を超えて使用されている点は注目される。
時代背景や風潮は異なると考えられるが、
佳字で攘災招福の呪術性のシンボルとして普遍性をもって選択されたと考えられ、
[[私年号]]あるいは[[年号]]を考える上で重要な問題
[SRC[>>60 #page=14]]
[NOTE[

[142] 
これは本論からそれて脚注で書かれていて、
近年の[[私年号研究]]でもあまり触れられない視点なのですが、
確かに[[元号名]]の特異性と普遍性はもっと考察されるべきテーマでしょうね。
[SEE[ [[元号名の選定]], [[元号らしさ]] ]]
筆者が指摘する事例の他にも[CH[光]]は[[平成改元]]の頃の[[改元デマ]]事例に出現していて、
その汎時代性は[[現代]]にまで及んでいます。
[SEE[ [[改元デマ]] ]]

]NOTE]
-- [143] 
文久2年には[[彗星]]や[[流星群]]の記録があり、[CH[光]]を連想させる。
[SRC[>>60 #page=14]]
-- [144] 
[[民話]]の「物言うグウズ (亀)」から[[亀]]へのこの地域の期待感も興味深い。
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [127] 
[[福博町屋衆]]の考案の可能性あるが断定できず、
いずれにしろ教養ある人物
[SRC[>>60 #page=11]]
- [128] 
使用者の範囲は情報が少ない
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [129] 
博多商人文書 (>>10)
より、福博町屋衆で使用されたことは疑いなく、関連する組織・共同体での使用は十分考えられる
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [130] 
墓石 (>>9) の人物は不明ではっきりしない
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [131] 
現在のところ、[[福岡藩]]の領域を超えないと推定するにとどめざるを得ない
[SRC[>>60 #page=11]]
- [134] 世情の一新のため[[私年号]]が作成され意識を同じくする共同体で通用し始めたと考えられる
[SRC[>>60 #page=11]]
- [135] 
[[私年号]]を使う理由は時代や地域で違いがあり、単純に中央に対する地方の独立とは理解できない
[SRC[>>60 #page=11]]
[NOTE[

[138] 
これは[[私年号]]を中央政府への反逆と捉えた[[昭和時代]]の言説に対し、
否定的に理解するようになった[[平成時代]]の通説をいっています。
[SEE[ [[中世東国私年号]] ]]

]NOTE]
-- [136] 
[[三池賢一]]は博多商人文書に[[私年号]]を使う意義は見い出せず、
当時の一般的風潮を反映したものとしか考えられないとする
[SRC[>>60 #page=11]]
-- [137] 
[[亀光]]も案外抵抗なく利用されたのではないか
[SRC[>>60 #page=11]]





[102] 
[[古賀市]]ウェブサイトの文化財紹介では、

- [103] [[亀光]]は福博町衆が使用、通用していた
- [104] 墓石 (>>9) により使用範囲がわかった
- [105] 文久2年の建元であることもわかる
- [106] [[江戸時代の私年号]]例は少なく時代背景も窺え貴重

と説明されています [SRC[>>101]]。


[118] 
[TIME[令和2(2020)年1月][2020-01]]に[[古賀市立歴史資料館]]は広報誌で墓石を紹介しました。
墓石が文久2年と推測される理由を説明し、
[[亀光]]が墓石 (>>9) と博多商人文書 (>>10) の2例しか知られておらず、
不安定な政治状況を一新する発想で狭い共同体で使用されたと考えられるとしていました。
[SRC[>>59]]



[108] 
[TIME[令和2(2020)年][2020]]に[[古賀市立歴史資料館]]は[[墓石]]の調査結果をウェブで公開したとされます
[SRC[>>25]]。
これが具体的に何を指すのか[CITE[毎日新聞]]の記事は明瞭さを欠くのですが 
[WEAK[(これに限らず新聞記事は曖昧な記載が多く困ったものです。)]]、
[TIME[令和2(2020)年1月][2020-01]]の広報誌を指す可能性が高そうです
[SRC[>>59]]。

[70] 
[TIME[令和3(2021)年][2021]]の新聞報道によると「最近」、
その広報誌で知ったのか[[古賀市立歴史資料館]]に2件 (>>44, >>45) 
の報告がありました。
[SRC[>>25]]

[109] 
[TIME[令和3(2021)年][2021]]までに3件[[東海地方]]から報告が続いた (>>70, >>38)
ことについて、
[[古賀市立歴史資料館]]は理由が分からず新たな謎だとコメントしました。
[SRC[>>25]]

[148] 
ここまで挙げてきたように、[[古賀市]]はウェブサイトで文化財審議の議事録を公開している
[SRC[>>48]] のに加えて一般人対象でも積極的に紹介しており
[SRC[>>20, >>1, >>21, >>101, >>59]]、
[[亀光]]をはじめとする[[私年号]]の認知の拡大に貢献しています [SRC[>>58]]。
それが3点もの新資料の報告につながり (>>70, >>109)、
[[幕末の私年号]]の実態解明のためにも重大な貢献をもたらしているのであり、
地方の文化財行政の1つのモデルケースともいえるのではないでしょうか。

;; [156] 
ただ少しずつニュアンスが違う情報がいくつも別々に (相互参照なく) 
掲載されているのは、情報を見る人には少しわかりにくいかもしれませんね。
(どう扱われてきたのか履歴をたどるには便利なのですが...)

-*-*-

[154] 
[TIME[令和元(2019)年][2019]]には、[[令和改元]]の折、
伝近江商人文書 (>>13) が [[SNS]] で紹介されました (>>150)。
紹介した古書店は不明な[[私年号]]としていましたが、
読者から[[リプライ]]で[[古賀市]]のウェブページや甲賀の用例のウェブページ
[SRC[>>4]] を提示されています。


[50] 
[[令和時代]]になって、
[[令和改元]]などがきっかけで新たな用例が知られるようになったり、
埋もれていた用例が再発見されたりと、
急な進展がありました。
まだまだ未発見の用例が眠っていそうです。

;; [171] 
[[改元]]きっかけで他地域の用例が見つかるというのは、[[天晴]]の状況とも似ています。

[224] 
これまでの研究は局所的な用例だけに基づいており、
他のすべての用例を踏まえて全面的な再検討が求められます。
しかも現在知られている用例は当時の利用事例のほんの一部でしかない可能性があります。
利用できる史料はあくまでたまたま現在に伝わったものに過ぎないという歴史研究の前提 
(あるいは限界) は改めて確認されるべきです。


[218] 
現在知られている用例によると、

- [219] 文久2年3月に[[東海地方]]方面で使われた
- [220] 文久2年9月に[[福岡県]]下で使われた
- [221] 文久2年11月に[[伊勢]]で使われた

ということは確実です。

[222] 
使用者は商人、農民、藩士と幅広く、政治的意図の考えられない[[媒体]]に書かれた用例が多いです。
[[公年号]]への訂正と思われる意味深な事例もあり (>>67)、
[[私年号]]と意図することなく[[改元デマ]]を信じてしまって使われた可能性があります。

;; [223] これは[[中世]]など他の時代にも見られる現象です。 
[SEE[ [[改元デマ]], [[中世東国私年号]] ]]

[225] 
月単位の時間を置いてまったく別の地域で出現するということは、
通常の[[改元その他の情報伝達][改元伝達]]ルートとはまったく異なる伝達経路を想定する必要があります
(末端の伝達は既存の伝達ルートを通っている可能性はありますが)。
[[幕末]]の政治体制の変化 (主要大名の[[上洛]]など)
や経済構造の変化に伴う人の移動とも関係するのかもしれませんし、
[[江戸城]]を経由する従来の[[公年号]]の[[施行手続き][改元手続き]]からの変化と関係するのかしないのかも検証が必要でしょう。
当時流布されていた ([[改元]]以外の) さまざまな噂の伝達過程ともあわせて議論できると有意義かもしれません。

;; [227] 
[[幕末の私年号]]のうち[[天晴]], [[神治]], [[延寿]]も広域的に用例が見られます。


* 関連

[7] 
他にもいろいろな[[私年号]]が使われました。
[SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]]

* メモ








