[1] [DFN[非戦]]
([TIME[y~1804]])
は、
[[平成時代]]の[[日本の私年号]]です。

* 野本三吉

[5] 
[[日本]]の[[極左活動家]]の[[野本三吉]] 
[WEAK[(本名[RUBYB[[[加藤彰彦]]][[TIME[1941][year:1941]]-]]、[[同姓同名]]の別人に注意)]]
は、
[[同人誌]]の
[CITE[個人誌『生活者』]]
で[[非戦]]を使っていたようです。
[SRC[>>4, >>9, >>10]]

[7] 
[TIME[平成14(2002)年][year:2002]]が[[元年]]に当たります。
[SRC[>>6]]

[12] 
「非戦2年~非戦8年」
の範囲のものがあるようです [SRC[>>10]]。
1冊なのか、
継続して発行されたものか不明です。
いずれにしても8年までは継続されたようです。

[13] 
それ以後の用例は見つからず、状況は不明です。


[15] 
関連して
[CITE[野本三吉 個人誌 生活者 1972‐2002]]
という書籍が[TIME[2003-08-01]]に発刊されました。
30年間書き続けた55号分が収録されているといいます。
[SRC[>>14]]
「非戦2年~非戦8年」
はその続編に当たるのでしょうか。
本書の題名は[[西暦年]]ですが、
末年は[[非戦]]元年に当たります。
本文中で[[非戦]]が用いられているのかは不明です。


[25] 
なお、
[[野本三吉]]は[TIME[2003-08-15]]の[[新聞]]に寄稿して、
[[戦後カレンダー]]と[[戦後暦]]への賛意を示したようです。
[SEE[ [[戦後暦]] ]]
[[野本三吉]]が[[戦後暦]]を使ったのかは不明です。


[REFS[
-[14] 
[CITE@ja-jp[[[野本三吉]] 個人誌 生活者 1972‐2002 | 野本 三吉 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2020-08-21 10:28:03 +09:00]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4784501738/wakaba1-22/>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE[コラム/[[野本三吉]]]], [TIME[2010-12-20 23:16:38 +09:00]] <http://www.shinjuku-shobo.co.jp/column/data_old/nomoto-sankichi/nomoto.html>
]FIGCAPTION]

>本文は野本三吉(加藤彰彦)個人誌『生活者』6月号No158、非戦元年6月1日、より転載
]FIG]

[NOTE[
[6] 本文中に一切記載がないが、
[[加藤彰彦]]が[[沖縄大学]]に赴任したとの内容から、
[TIME[平成14(2002)年4月][2002-04]]を描いたものとわかる。

- [8] [CITE@ja[加藤 彰彦 | [[沖縄大学]]]], [TIME[2020-08-21 10:12:43 +09:00]] <http://www.okinawa-u.ac.jp/276>
]NOTE]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[9] [CITE[出会い書評]], [TIME[2010-12-20 23:17:59 +09:00]] <http://www.shinjuku-shobo.co.jp/new5-15/shohyo/shohyo_data/DeaitoWakare.html>
]FIGCAPTION]

>
[BOX[
[B[出会いと別れの原風景]]

[B[--社会福祉ゼミナール・10年の記録]]

野本三吉 著 	

[BOX(right)[
[『生活者』第162号 非戦2年1月20日]
]BOX]

沖縄大学人文学部福祉文化学科教授

加藤彰彦(野本三吉)
]BOX]

]FIG]

;; [24] 
「昨年10月、ぼくは、横浜市立大学に別れを告げ、沖縄大学の教員となった。」
とある。別記事によると4月から[[沖縄大学]]で働き、
7月まで[[横浜市立大学]]で教え、
4ヶ月間は重複していたという [SRC[>>4]]
ので
「昨年10月」
がいつか特定し難いが、
[TIME[平成14(2002)年10月][2002-10]]だろうか。
この推測が正しいなら
「非戦2年1月20日」
は[TIME[2003-01-20]]となる。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE[CNICarchive(20140731ver1.0).pdf]], [TIME[2014-09-01 17:42:29 +09:00]] <https://cnic.jp/files/books/CNICarchive(20140731ver1.0).pdf#page=14>
]FIGCAPTION]

>[B[原子力資料情報室 保管書籍・資料一覧(Version.20140731)]]


,*ID番号,==     ,*タイトル,*編著名(作成者),*出版社(作成組織),*出版/作成年月日,*キーワード,*キーワード2
,*主番号,*枝番号
,1044,,生活者,個人誌『生活者』,個人誌『生活者』,非戦2年~非戦8年,沖縄・子ども・福祉,


]FIG]

;; [11] 
この一覧表ではタイトルに「昭和」「平成」と入っていても[[西暦年]]で[[日付]]が書かれていて、
原表記を保存せず[[西暦]]へ統一する編集方針を採ったものと思われますが、
この1例だけ[[西暦]]ではありません。
編集者の意図によるものか、
それとも原書から[[西暦年]]を特定できず止む無くそのまま書いたのでしょうか。


]REFS]

* 高橋健一

[2] 
[[日本]]の[[極左活動家]]の[[高橋健一]]
[WEAK[([[同姓同名]]の有名人多数につき注意)]]
は、
自身の 
[[Web日記]]で[[私年号]]の[[戦後][戦後暦]]を使っていましたが [SEE[ [[戦後暦]] ]]、
あるときから[[非戦]]を使うようになりました。

[17] 
[[自己紹介]]に
「加藤彰彦さん(筆名 野本三吉 前沖縄大学学長)
に出会い、大きな影響を受ける」
とあり [SRC[>>16]]、
[[非戦]]も[[野本三吉]]の影響と思われます。
[[戦後][戦後暦]]もその影響かもしれません。

;;
[29] 
[TIME[平成28(2016)年][2016]]時点で、
[[加藤彰彦]]の主宰する[[結社]]の幹部として[[高橋健一]]が活動していたことが確認できます。
[SRC[>>31]]
両者の親密な関係がその後も継続したことが伺えますが、
[[紀年法]]は不明です。



[73] 
「戦後57年(2001年)10月15日」
[WEAK[([TIME[2001-10-15]])]]
付の記事まで[[戦後][戦後暦]]が使い続けられましたが、
その次の
「非戦元年(2002年)9月11日」
[WEAK[([TIME[2002-09-11]])]]
付け記事から、
[[非戦]]に[[改元]]されました。
この[[Web日記]]はその次の
[TIME[12月][2002-12]]で終わっており、
以後の状況は不明です。
[SRC[>>65]]

[REFS[
- [65] [CITE[このごろ思うこと(4頁目)]], [TIME[2013-04-25 19:01:01 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogoro.html>
- [16] [CITE[生活歴]], [TIME[2020-03-07 23:50:33 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/history.html>
- [27] 
[TIME[2022-03-02T09:23:01.900Z]]
<https://fr-fr.facebook.com/TAIZANS/posts/660137044139861/>
-- [28] 
[CITE[[[泰山塾]] - Postingan | Facebook]], [TIME[2022-03-02T09:23:09.000Z]] <https://archive.is/okdLh>
-- [30] 
[CITE[開塾準備会を終えてのご報告 & 開塾式のお知らせ]],
[[須田]]拝,
1 Mei 2016
---
[FIG(quote)[ [31] 

> この度の会において、今後は加藤彰彦先生を塾長として様々な活動を通じて『た問自答』(『タ』を『た』に変更しました)をしていければと思いますので皆様どうぞ宜しくご支援・ご協力願います。
> なお、個人的に今回のお話の中でも特に興味深かったのが『情報保障部の設立』と『シェルター部の設立』という部分についてだと感じました。
>[SNIP[]]また『シェルター部』には加藤先生との親交も深い高橋健一さんのご紹介による茅ヶ崎の里山を活用した活動について共に考えていければと思っております。
>同時に平良さんと高橋さんには事務局へ参加していただくことができ、大変心強く思っております。

]FIG]




]REFS]

* 暦法

[21] 
[CITE[個人誌『生活者』]]
の入手方法が不明で、
[[Web]]
上に用例もほとんどないので、
多くを推測に頼らざるを得ません。

[3] 
[[高橋健一]]の
「非戦元年9月11日」
記事には[[アメリカ同時多発テロ事件]]
[WEAK[([TIME[2001-09-11]])]]
から1年が経過したことが言及されていました [SRC[>>65]]。
[[非戦]]の[[建元]]はそれに因むものなのでしょうか。
だとすると、
[[高橋健一]]が[[改元]]前に使った[[戦後][戦後暦]]と同じく[[周年]]で数えることを意図し、
事件の1年後を[[元年]]としたものでしょうか。

[22] 
テロ事件を受けて[[米国]]を中心とする連合軍は[[アフガニスタン]]に進攻し、
その年のうちに[[タリバン政権]]は崩壊、
年末には暫定政権が樹立されました
([[アフガニスタン紛争]])。
紛争はそれで終結せず、
その後も戦闘が続きました。
関連して[[日本]]の[[自衛隊]]は[[インド洋に派遣][自衛隊インド洋派遣]]されました。
[[野本三吉]]や[[高橋健一]]は、
こうした情勢に不満を持っていた可能性が高いでしょう。
テロ事件や[[アフガニスタン紛争]]自体よりも、
[[自衛隊]]派遣への反発が直接の理由かもしれません。


[23] 
[[戦後][戦後暦]]と同じく[[改元]]日に[[年数]]を進める[[英国式改元]]の可能性もありますが、
現在知られている用例と推測が正しいなら、
[[グレゴリオ年始]]に[[年数]]を進める[[東洋式改元]]の可能性が高そうです。

- 非戦元年6月1日: [TIME[2002-06-01]]か
- 非戦元年(2002年)9月11日: [TIME[2002-09-11]]
- 非戦元年(2002年)12月11日: [TIME[2002-12-11]]
- 非戦2年1月20日: [TIME[2003-01-20]]か

* 関連


[18] 
[[極左活動家]]が使う[[私年号]]には他に[[核時代]]、
[[ヒロシマ紀元]]、
[[戦後暦]]、
[[原爆暦]]、
[[エコ暦]]などが知られています。
[[非戦]]同様に[[戦争]]に関係するものが多く、
強い思想的背景を思わせると同時に、
[[極左活動家]]の[[元号]]とひとくくりにし難い派閥の分断も感じられます。

[26] 
「非戦」
が[[戦争]]のない状態を指すのなら、
[[戦後暦]]と同じか、
[[日本国との平和条約]]なり[[日中平和友好条約]]なりの成立した時点から起算するべきです。
[[日本]]だけでなく広く[[世界]]で[[戦争]]がない状態をいうのだとすれば、
始めからまったく成立し得ません。
あるいは使用者らが個人的に非戦の誓いを立てたようなものに由来するのでしょうか。
そうしたものが広く受け入れられ普及するとは考えにくく、
まさしく[[私年号]]というに相応しいものでしょう。


[19] 
こうした活動をする人々は反政府的、反天皇的思考を持ちがちなようで、
それらに関係の深い[[日本の元号]]を嫌う傾向にあるようですが、
これらもまた政治的思想を時代に結び付ける東洋の[[元号]]の伝統を踏襲したものに過ぎず、
一つ穴の狢といったところでしょうか。

[20] 
[[極左主義]]と[[時刻]]の結びつきという観点では、
[[世界終末時計]]との類似性も指摘できましょう。



* メモ