[4] 
[DFN[門守]]と[DFN[門元]]と[DFN[則吉]]は、
[[室町時代]]頃の[[日本の私年号]]です。

[109] 
本項は関連して[[日本刀]]の[[銘文]]で使われたとされる[[成化]]も扱います。

* 用例

** 門守

[5] 
刀銘で門守2年とされるものが1例知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [13] [DATA(.label)[[[脇差]]]]
-- [12] >>1 : 拓本 白黒写真 (解像度上の下)
-- [14] 「[DATA(.text)[[V[門守二年二月日]]]]」 [SRC[>>1]]

]ITEMS]

[6] 
>>13 は、現所在不詳ですが、[[昭和時代]]の論文で最近みたと書かれています
[SRC[>>1]]。

[55] 
第1字は[CH[門]]と読めます。
上部の2つの[CH[日]]が[[押形]]ではやや不明瞭な部分を含むのが気がかりですが、
問題はないと思われます。
構えの内側に何かがあったようには見えません。
[SRC[>>12]]

[56] 
第2字は[CH[守]]と読めますが、よく見ると上部が[CH[宀]]かどうかははっきりせず、
[CH[二]]のように見えます。
[SRC[>>12]]
[CH[宀]]が[CH[二]]のようになることはあり得そうなものですが、
他の刀剣銘に事例があるのか確認しておきたいです。

[57] 
[CH[寸]]の[CH[丶]]は、一般的な[[活字]]のような[CH[丶]]の向きではなく、
[CH[ノ]]的な逆向きの点となっているように見えます。
[[手書き]]でもまま見られる形です。

[15] この[[脇差]]は、[[信国]]系の作風とされます。 [SRC[>>1]]

[16] 
銘文には作者「□京」とあり、[CH[□]]は[CH[成]]か[CH[戌]]とされます。 [SRC[>>1]]

[23] 
[[成京]]と読み、[[室町時代]]のものであり、あるいは[[信国]]の隠し銘か、
とする説があります。 [SRC[>>2]] 根拠は不明ですが、様式によるものでしょうか。

[8] 
[[信国]]は[[室町時代]]の刀工で[[京]]で活動、
[[信国派]]はその後各地に広がり[[江戸時代]]には[[九州]]、
[[越後]]、
[[南部]]で活動したとされます。

[9] 
「信国系の作風」というのがどの範囲を指すのか不明ですが、
>>1 の[[著者]]の見立てでは初代[[信国]]本人の[[室町時代]]頃の様式に近いということなのでしょうか。

[11] 
[[昭和時代]]に紹介されたのが研究史上の初出と思われます。

** 門元

[36] 
刀銘で門元2年とされるものが1例知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [39] [DATA(.label)[[[脇差]]]]
-- [37] >>38 : カラー写真 (低解像度) 判読難しい
-- [41] 「[DATA(.text)[[V[門元二年正月日]]]]」
[SRC[>>38, >>49]]
- [48] [CITE(.label)[[V[銃砲刀剣類登録証]]]], 
[DATA(.author)[[[[V[岐阜県教育委員会]]]]]],
[DATA(.published)[[V[昭和卅八年九月□一日]]]]
-- [50] >>38 : カラー写真 (低解像度) 一部判読難しい
-- [63] >>39 の付属品
-- [49] 
[DATA(.label)[[V[銘文]] [V[裏]]]]
「[DATA(.text)[[V[門元二年正月日]]]]」 ([[手書き]])
[SRC[>>50]]

]ITEMS]

[47] 
[TIME[平成25(2013)年][2013]]、
[[日本]]の[[オークション]][[Webサービス]]に出品されました。
[SRC[>>38]]

[46] 
既に終了しており、その後の行方は不明です。 [SRC[>>38]]


[53] 
[[日本国]][[岐阜県]]での登録ということで、おそらく[[近代]]には (もしかすると[[近世]]あたりも)
[[岐阜県]]域で伝来したものでしょう。しかしそれ以上の詳細は不明です。




[40] 
第1字の[CH[門]]の中には元から何もなかったように見えます。
[SRC[>>37]]

[42] 
第2字は、写真から正確な字形を読み取ることが困難です。
[SRC[>>37]]

[58] 
写真が不鮮明なのか実物が既に不明瞭なのかわかりませんが、少なくても写真では、
第2字が[CH[元]]であることを肯定も否定もできません。
[SRC[>>37]]

[59] 
強いて言えば[CH[齐]]のような形に見えますが、上部が特に不明瞭です。
[SRC[>>37]]

[52] 
写真を見ると「門元」の2字目は[CH[守]]ではなさそうですが、
伝播のより上流で関係があるかもしれないという程度には[[字形]]が似ている気もします。


[60] 
>>52
[CH[守]]と読むこともできそうな形ではありますが、不明瞭すぎて何とも言えません。
左下に[CH[ノ]]とあるように見えるのが字画の一部だとすると、[CH[寸]]の[CH[丶]]と思われますが、
それにしては長すぎるし左寄り過ぎるように思えます。
が、字画と画質的に生じた幻影が組み合わさったもののように見えないこともありません。


[51] 
登録証は[CH[元]]と読んでおり、オークション出品者もこれを踏襲しています。

[71] 
実物を見ている人達が[CH[元]]と読んでいることは尊重したいところではあります。


[43] 
第6字は[CH[正]]と読まれていますが、伝統的[[楷書]]の系統の[CH[正]]のように見えます。
[SRC[>>37]]

[44] 
第7字に[CH[日]]があるとされますが、よくわかりません。
[SRC[>>37]]

[45] 
>>44 字形としては読み取り難いですが、文字らしきものが小さく書かれているのが
[CH[日]]
でしょう。
[SRC[>>37]]


[61] 
銘文には[[二王]]の作とあります。
[[二王]]は、[[日本国]][[周防]]の[[刀匠]]グループです。
[SRC[>>38]]

[62] 
様式から[[室町時代]]後期とされます。

[54] 
[[令和時代]]に至るまで、学術研究において紹介した事例は見当たりません。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[38] 
[CITE@ja[日本刀 脇差 菖蒲造37,2cm二王作 年期入 大刀短刀軍刀(脇差、短刀)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - [[オークファン]](aucfan.com)]], 
fp-Yr7KbylxB4IH*rZc1p,
開始日時    2013.12.20(金)22 : 00 ,
[TIME[2023-01-24T08:37:00.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/w93955877/>
]FIGCAPTION]

>
[PRE[
珍しい菖蒲造りの脇差しになります。 
菖蒲造りは室町期にはやりなぜか新刀期あたりより作刀が見られなくなります。
白鞘拵で岐阜の昭和38年の登録です。 
所有者変更届の提出をお願いします。 
刃渡り37,2cm反1.0cmです。 
銘は二王作で年期は門元二年正月日です。 
二王は周防の刀匠一派です。
清綱を祖とし鎌倉より新刀期まで続いています。
年期は門元とありますが不明で刀の時代は少なくとも室町後期はあります。
刃紋は五の目のたれで肌は柾がみえます。 
ハバキは本歌の赤銅製です。
 身幅31mm重ね5mmです。 
]PRE]

]FIG]

]REFS]


** 則吉

[72] 
刀工の[[信国]]の刀の銘文に[[則吉]]の用例があるとされます。
[[信国]]は[[南北朝時代]]から[[室町時代]]に[[山城]]を中心に数代にわたって活動した有名な刀工(の系譜)です。
複数の刀(銘)が知られていますが、則吉銘は1例だけです。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [74] [DATA(.label)[刀銘]]
-- [75] 
「[V[信國作[BR[]][DATA(.text)[則吉二年正月日]]]]」
[SRC[>>73]]
-- [76] 
信國作[DATA(.text)[則吉二年]]
[SRC[>>79]]
-- [82] 
信国作、[DATA(.text)[則吉二年]]
[SRC[>>81]]


]ITEMS]

[78] 
現物の現所在は不詳。写真、[[押形]]も見当たらず。

[94] 
[[昭和時代]]の論文は、
[[信国]]の「則吉二年」が
[CITE[校正古刀銘鑑]]
に記載されていると書いています (>>85)。
ところが、
[[国立公文書館]]所蔵[CITE[校正古刀銘鑑]]刊本 [SRC[>>92]] には見当たりません。
全文検索が出来ないので、どこかわかりにくいところに書かれている可能性は排除できませんが。

[95] 
[CITE[校正古刀銘鑑]]を見ると、他の記載は[[元号名]]か[[元号年]]までにとどまっています。
ところが >>73 は、[CITE[校正古刀銘鑑]]由来と思われるものはやはり[[元号年]]までの記載ですが、
>>75 だけは「正月日」まで書いています。この掲載態様からすると、
>>75 は[CITE[校正古刀銘鑑]]とは異なる出典があるように思われます。

[96] 
[CITE[校正古刀銘鑑]]よりとしたのは、他のこの種の資料からの誤引用でしょうか。
あるいは[CITE[校正古刀銘鑑]]の同名異本に >>75 を掲載したものがあるのでしょうか。

[101] 
現時点で確認できる最古の掲載は[TIME[昭和5(1930)年][1930]]です (>>77)。

** 成化

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [153] [DATA(.label)[刀]]
-- [154] [DATA(.text)[成化元年]]
[SRC[>>141]]
- [155] [DATA(.label)[太刀 磨上]]
-- [152] >>151 : [V[一五]]
-- [157] >>151 : 拓本 白黒写真 (解像度上の下)
-- [178] >>177 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [238] >>236 : 拓本 白黒写真 (解像度中の下)
-- [179] 
「[DATA(.text)[[V[成化[二]年九月]]]]」 ([[楷書]]) [SRC[>>157]]
--- [156] 
「[DATA(.text)[[V[成化二年九月]]]]」
[SRC[>>151, >>177]]


]ITEMS]

[158] 
>>153 は年号が伝わりますが、実物の所在は不明です。

[159] 
>>155 は昭和39年7月30日に[[日本美術刀剣保存協会]]の第十二回[[重要刀剣]]に指定されています。
[[日本国]][[東京都]]の[[大塚謙四郎]]名での登録となっています。
[SRC[>>151]]

[160] 
指定当時、[[茎]]は朽ち込んではいるものの、なお十分に判読できる、といいます。 [SRC[>>151]]

[161] 
[[押形]]が掲載されていますが、銘文の字形はおおむねわかるものの、
完全には自信を持って読めない、という状態に見えます。
[SRC[>>157]]
実物だともう少し読みやすいのでしょうか。

[163] 
第1字と第2字は、[CH[成]], [CH[化]]と知っているから容易にそう読めるものの、
点画が部分的に不明瞭で、知らなければ素直にそうとは読めないかもしれません。

[162] 
第3字はちょうど[[目釘孔]]に左半分が重なっており、右半分は不明瞭です。
実物だと[CH[二]]と読めるのでしょうか。

[164] 
第4字もやや不明瞭で、[CH[年]]にしてはバランスが悪い気もしますが、
刀剣に切られた[CH[年]]の字としては不審でもありませんし、
文脈的にも[CH[年]]で間違いありません。

[165] 
第6字は[CH[月]]ですが、下端に接しており、[[磨上]]時にぎりぎり残ったと思われます。
更に下に銘文が続いていた可能性があります。

[204] 
[[重要刀剣]]の指定には、「附」として「衛府太刀拵」が含まれます。
衛府太刀拵は、[[閑院宮]]家伝来と説明されています。 [SRC[>>151]]

[205] 
附の説明にだけ[[閑院宮]]家とあり、本体については言及がなく不明です。





* 諸説

** 日本刀系私年号三種の諸説

[10] 
[[門守]]と読まれる >>13 と[[門元]]と読まれる >>39、
[[則吉]]と伝わる >>74 の各1点ずつ計3例が知られています。

[66] 
[[門元]]の第2字がまさしく[CH[元]]であるか否かは明確ではありません。
今後実物または高画質の写真が出現する可能性はそう高いとも思われず、
真相は闇の中といったところです。

[67] 
2つの用例は、[[元号名]]が[CH[門]]から始まること、
「二年[VAR[●]]月日」
であること、
[[菖蒲造]]の[[脇差]]であること、などよく似た特徴を持っています。

[68] 
一方で、
>>13 は[[信国]]風と判定され、
>>39 は[[周防]]の[[二王]]の銘があり、
大きく異なる出自が想定されます。

[69] 
両者がいかなる関係性を持つ (持たない) かについては、
刀剣分野の専門的な知識に基づく検討が望まれます。


-*-*-

[29] 
>>13 が[[私年号]]として初めて報告されたのは刀剣の研究者による刀剣の論文誌であり、
刀工の信仰と結び付けられています。[[刀工]]が作り使ったと考えてのことでしょう。

[30] 
刀剣銘以外の用例が発見されておらず、積極的に肯定するべき材料も、
否定するべき材料もありません。

[31] 
作風から[[室町時代]]とされる他は、[[干支年]]などもなく、時期はまったく不明です。

[70] 
[CH[元]]はともかく[CH[門]]も[CH[守]]も[[元号らしさ]]をまったく感じない[[文字]]です。
[[公年号]]のみならず[[私年号]]にもなかなか見かけません。

-*-*-

[102] 
[[則吉]]は、他の2つとは文字が異なる上に、実物の情報がほぼ皆無です。
唯一、[[信国]]の作であるとの情報があるものの、
他の作が知られる[[信国]]と同一人物かは定かではありません。

[103] 
しかし[[門守]]も[[信国]]風とされており、
[[信国]]は[[明の元号]]を使った例も知られていますから、
[[異年号]]を使いやすい何らかの素地を共有しているとも考えられます。

;; [104] あるいはその情報があるために[[門守]]が[[信国]]風に見えているのではないか、
という疑いも念のため差し挟んでおきます。

[105] 
[CH[則]]は、[CH[門]]とどことなく[[字形]]が似ていないこともありません。
実例が知られている2つの[CH[門]]と読まれる字は明らかに[CH[門]]で、しかも左右対称ですから、
それを[CH[則]]とは読めません。これとは違ってもう少し歪んだり、不鮮明だった[CH[門]]は、
[CH[則]]と誤読し得るのではないか、あるいは銘文を[[崩し字]]や乱雑な字でメモ書きし、
それを再解釈した時に変化し得るのではないか、と考えられないでもありませんが、
想像の域を出ません。

[106] 
[CH[守]]と読まれる字が[CH[吉]]である可能性はなさそうですが、
[CH[元]]と読まれる字は不鮮明過ぎて、[CH[吉]]である可能性は否定できません。
(しかし、あまりに不鮮明なので、およそどんな字の可能性も否定できなそうです...)
[CH[守]]や[CH[元]]と[CH[吉]]も、乱雑な字を媒介して繋がり得ると思われますが、
これも想像に過ぎません。

[108] 
[[信国]]らが並んでいる[[刀工]]のリストの割と近いところに[[則吉]]なる者が並んでいる
[SRC[>>92, >>73]] のは、
ちょっとした気になるポイントです。

-*-*-

[107] 
同じ[[元号名]]の他の用例が出現するか、[[信国]]の素性がより詳しく判明するか、
といった新材料がないことには、不確定な要素が多すぎて、あまり推測に推測を重ねるのも骨折り損のように思われます。

** 成化銘日本刀の研究

[244] 
[[成化]]について、確実な用例は[[昭和時代]]報告の成化二年銘の1件です。
他に、[[近世]]から知られる成化元年の1件がありますが、
正確な銘文や出典の詳細は不明です。
その他にもいくつか異なる情報がありますが、
別の判読または誤伝、不正確な要約の可能性があり、はっきりしません。

[245] 
諸説いずれも[[明の元号]]と解釈しています。また、[[偽銘]]などではなく、
実際の製作年と考えているようです。

[246] 
制作者については[[信国]]の銘がありますが、いつどこの[[信国]]か諸説一致しません。
古くからの説は、[[山城国]]の[[信国]]とみなします。
近年の説は、[[豊前国]]の[[宇佐]]の[[信国]]とみなすものが多くなっているようで、
系図も示されています。
いずれの所在にせよ、多くは[[成化]]と同時期にあたる[[文禄]]・[[文正]]の頃の活動が確認される[[信国]]と同一人物説を採っています。

[247] 
諸説いずれも、[[明]]への輸出を目的として制作されたために[[明の元号]]が使われたと説明します。
その多くは、これが異例であることを指摘していますが、
それでは他の輸出刀剣類の銘文はどうだったのか、
刀剣類以外の輸出品ではどうだったのか、
なぜ[[明の元号]]を使う必要があったのか、
といったところまでは踏み込んでいません。
唯一、[[昭和時代]]初期の説は[[明]]の文明を吸収せんとする時代の風潮に根拠を求めています 
(>>130)。

[248] 
[[陶磁器]]では[[明の元号]]が使われた事例が非常によく知られており、
偶然なのか否か、[[成化]]銘はその中でも最も多く作られました。
[[陶磁器]]の場合は、商業的理由から[[漢土]]の製品が模倣されたのであり、
銘文も実日付ではなく、[[成化]]銘であっても実際の製造は[[近世]]です。
[SEE[ [[東洋近世陶磁器銘の日付]] ]]

[249] 
[[日本]]のみならず輸出先の[[欧州]]等にも多数実物が現存する[[明の元号]]の日本製陶磁器とは違って、
[[成化]]銘の刀剣は日本でしか確認できず、[[漢土]]にも[[欧州]]にも実物・記録とも知られていません。
何らかの事情で輸出されなかったとする説や、
戻ってきたとする説はあるものの、
確証は示されていません。

[255] 
模倣に価値がある陶磁器とは違って、[[日本刀]]は明らかに日本製品として輸出されたもので、
用途が美術品としてか実用目的かの問題はあるにせよ、
[[明の元号]]とするべき積極的な理由がありません。




[251] 
[[昭和時代]]になって、輸出説の有力史料として
[CITE[[LINES(smaller)[応仁二年][成化四年]]戊子入明記]]
[SRC[>>250]]
が提示されました。本書は[[室町幕府]]から[[明]]への使節派遣記録ですが、
[[信国]]の[[太刀]]が目録に記載されています。
残念ながら銘文は記載がなく不明です。
いつのどこの[[信国]]かも不明ですが、同時代の人物の可能性が高いでしょう。


[252] 
もし[[明国]]政府に対する正式な献上品として製作された特注品だとすると、
異例の[[明の元号]]の使用や、類例がほぼ皆無であることも説明が付きます。
ただし、製作と遣使の時系列や国内に残った経緯など、未解決の問題は残ります。

[253] 
一部の論者は[[明の元号]]を使用したことと[[則吉]]のような[[私年号]]を使用したことを関連付けていますが、
[[私年号]]側の性格がはっきりしないこともあり、歯切れのよい説明を出来ていません。
両者の[[信国]]が同一人物かどうかも未決のままですが、
全国に無数に記録される刀匠の中で、特殊な[[元号]]を使った者が[[信国]]派に集中しているのはまったくの偶然とも思われず、
[[明の元号]]と[[私年号]]の双方から検討を進めていく必要がありそうです。

[254] 
成化2年銘太刀の年代鑑定が[[元号]]以外の条件で行っても同じ時代になるのかどうか、
が明確ではないのは不安要素といえます。

* 研究史

** 日本刀系私年号3種の研究

[77] 
[TIME[昭和5(1930)年][1930]]の[CITE[新刀古刀大鑑]]は、
[[信国]]の[[銘]]として
>>74
を紹介しています。
[SRC[>>73]]
それ以上の情報はありません。

[97] なお、[[信国]]を2つにわけて掲載しており、
著者は別人と認識した可能性があります。


[80] 
[TIME[昭和9(1934)年][1934]]の書籍は、
>>74
を紹介しています。
居住[[国][令制国]]不明の[[信国]]によるものとし、
[[私年號]]であり、
[[国][令制国]]不明[[山城]]ならん、
としています。
[SRC[>>79]]
その根拠は不明です。

[98] [[山城国]]の[[信国]]とは分けています。

[83] 
[TIME[昭和43(1968)年][1968]]の書籍は、
>>74
を紹介しています。
居住[[国][令制国]]不明の[[信国]]による[[古刀]]とし、
[[私年號]]であり、
[[国][令制国]]不明、
[[山城]]か、
としています。
[SRC[>>81]]
その根拠は不明です。

[99] [[山城国]]の[[信国]]とは分けています。

[174] 
[TIME[昭和48(1973)年][1973]]の書籍は、
>>74
を紹介しています。[[成化]]と共に輸出に関連付けています (>>175)。 


[REFS[

- [92] 
[CITE@ja[NAJDA-154-0133_校正古刀銘鑑1.pdf]], [TIME[2020-10-15T04:27:44.000Z]], [TIME[2026-06-17T09:59:00.130Z]] <https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/29/NAJDA-154-0133_%E6%A0%A1%E6%AD%A3%E5%8F%A4%E5%88%80%E9%8A%98%E9%91%911.pdf#page=8>
-- [93] 
[CITE@ja[NAJDA-154-0133_校正古刀銘鑑3.pdf]], [TIME[2020-10-15T04:29:28.000Z]], [TIME[2026-06-17T10:12:21.321Z]] <https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e8/NAJDA-154-0133_%E6%A0%A1%E6%AD%A3%E5%8F%A4%E5%88%80%E9%8A%98%E9%91%913.pdf#page=19>
- [73] 
[CITE@ja-JP[[[新刀古刀大鑑]] 上卷]], [[川口陟]], [TIME[1930]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-17T09:15:38.852Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1870859/1/205?keyword=%E5%89%87%E5%90%89> (要登録)
-- [201] 
[CITE@ja-JP[新刀古刀大鑑 古刀乃部]], [[川口陟]], [TIME[1972]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T00:33:02.275Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12424696/1/202?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96+%E5%89%87%E5%90%89> (要登録)
- [79] 
[CITE@ja-JP[刀工全集]], [[清水澄]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-17T09:36:50.050Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1212527/1/250?keyword=%E5%89%87%E5%90%89> (要登録)
- [81] 
[CITE@ja-JP[刀工総覧]], [[川口陟, 飯田一雄 校訂]], [TIME[1968]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-17T09:43:08.874Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2518402/1/244?keyword=%E5%89%87%E5%90%89> (要登録)
- [173] 
[CITE@ja-JP[定本日本刀剣全史 第6巻]], [[川口陟]], [TIME[1973]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T15:09:56.886Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12424723/1/37?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)


]REFS]


-*-*-


[17] 
[TIME[昭和41(1966)年][1966]]の刀剣の[[私年号]]に関する論文は、
>>13
を紹介し、

- [18] [[私年号]]
- [19] 都の門を守るとも解される
- [20] [[文殊]] ([[文殊菩薩]]) の宛て字とも考えられる (c.f. [[弥勒]])
-- [21] 刀工に[[文殊]]信仰はあった

... と述べています。
[SRC[>>1]]

[7] 
明言していませんが、文脈的に[[室町時代]] ([[江戸時代]]になる前) と想定されているようです。


[84] 
また、 >>74 を紹介し、

- [85] [[信国]]が切った[[私年号]] [SRC[[CITE[校正古刀銘鑑]]]]
- [86] 従来の[[私年号研究]]で[[則吉]]は述べられていない
-- [87] [[公年号]]の何年か不明
- [88] [[元号名]]から、縁起を担いだ[[私年号]]と解される
- [89] [[室町時代]]の[[私年号]]の本場は[[関東]]
-- [90] [[朝廷]]/[[幕府]]の膝元の[[京都]]で使用されている点は、大いに注目に値する

... と述べています。
[SRC[>>1]]

[91] 
更に、[[信国]]は[[成化]]元年銘 [SRC[>>92 #page=8, >>73 /204, >>93]] も残しており
[SRC[>>1 ([CITE[校正古刀銘鑑]])]]、[[明]]への[[輸出]]品ゆえと推測されています。
[SRC[>>1 /20]]
[SEE[ [[日本で使われた漢土の元号]] ]]

;; [100] >>97 はこれを一人目の方の[[信国]]としています。





[22] 
[TIME[昭和47(1972)年][1972]]の同じ著者の論文でも[[私年号]]の事例として
>>13
が紹介されています。
[SRC[>>2]]


[REFS[
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] 
[CITE@ja-JP[刀剣と歴史 (431)]], [[日本刀剣保存会]], [TIME[1966-05]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-17T09:46:37.551Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7901125/1/21?keyword=%E9%96%80%E5%AE%88+%E5%89%87%E5%90%89> (要登録)
]FIGCAPTION]

>
[VRL[

刃長三九、二センチ、反り○、八センチあって、剣形は[BR[]]
菖蒲造り、庵棟、小板目肌、刃文直刃締まり心、鉄子小丸[BR[]]
で、これまた信国系と見える作風であるが、作者銘は□京と[BR[]]
あって、一字は目釘孔にかゝっているため判読できない。残っ[BR[]]

]VRL]

]FIG]
- [2] 
[CITE@ja-JP[刀剣と歴史 (465)]], [[日本刀剣保存会]], [TIME[1972-01]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-17T07:27:55.828Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7901159/1/29?keyword=%E9%96%80%E5%AE%88> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[28] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の方面では紹介された事例が見当たりません。

[25] 
中文版[CITE[維基百科]]の一覧は[[門守]]を
「※見《新刀古刀大鑑》,稱「門守二年」。」
と書いています。
[SRC[>>24]]

[26] 
ところが、[[国立国会図書館デジタルコレクション]]の全文検索によれば、
[CITE[新刀古刀大鑑]]
には[[門守]]紀年のものは見つかりません。

[27] 
[[則吉]]は
「※見《新刀古刀大鑑》,稱「則吉二年」。」
となっており [SRC[>>24]]、こちらは実際に
[CITE[新刀古刀大鑑]]
にあります。[[則吉]]の出典を誤って[[門守]]にも記載したと思われます。

[64] 
[[門元]]は出典記載なしで掲載されています。
[SRC[>>24]]

[65] 
なお、この一覧表は直接の出典を明記していませんが、その編集履歴から、
当 [CITE[SuikaWiki]] の[[令和時代]]最初期頃の時点の[[私年号]]記事から、
いくつかを不明な基準で選出し、追記した可能性が強いと見られています。
[CITE[SuikaWiki]] から採られたのは[[元号名]]のみで、
典拠は独自に記載されています。


[REFS[

- [24] 
[CITE@zh-Hant-TW[維基專題:年號/年號索引 - [[維基百科]],自由的百科全書]], [TIME[2026-06-14T15:42:08.000Z]], [TIME[2026-06-17T07:37:21.980Z]] <https://zh.wikipedia.org/zh-tw/WikiProject:%E5%B9%B4%E8%99%9F/%E5%B9%B4%E8%99%9F%E7%B4%A2%E5%BC%95#%E9%99%84%E9%8C%84>

]REFS]

** 成化銘日本刀の研究



[112] 
[[江戸時代]]の刀剣研究者[[本阿弥長根]]の
[CITE[校正古刀銘鑑]]
は、
[[信国]]に[[明]]の[[憲宗]]の成化元年の年号を打ったものがある、
としています。
[SRC[>>93]]

[HISTORY[
[113] >>114 は >>93 の[[孫引き]]ですが、憲[ASIS[正]]と誤植しています。
]HISTORY]

[141] 
[CITE[校正古刀銘鑑]]
は、
[[信国]]に
「[V[〻[BR[]]成化元年[BR[]]寛正六年𬻿]]」
と記載しています。
[SRC[>>92]]

[142] 各刀匠の代表的な(?)銘文を記載しているようです。
[[信国]]には「信国」「成化元年」のように書かれた刀が知られていて、
編者が注釈するに[[日本]]の寛正6年に当たる、
という意味と思われます。


[143] 
[TIME[昭和5(1930)年][1930]]の[CITE[新刀古刀大鑑]]は、
[[信国]]に
「[V[信國[BR[]]成化元年、寛正六年]]」
と記載しています。
[SRC[>>92]]

[144] 
[CITE[校正古刀銘鑑]]
由来と思われますが、
特に説明もなく、2つの[[元号]]をどう解釈したものかよくわかりません。
なお、同じ[[山城]]の[[信国]]派の欄にもう一人別人扱いの[[信国]]がおり、
そちらには[[則吉]]が掲載されています。


[145] 
[TIME[昭和9(1934)年][1934]]の
[CITE@ja-JP[刀工全集]]
は、
[[山城]]の[[信国]]の欄で、
「[V[信國成化元年]]」
で寛正6年にあたる異邦の年号であるとしています。
[[信国]]の時代は空欄になっていますが、
[[長禄]]・[[文[ASIS[政]]]]の頃の[[信国]]と同人だろう、
としています。
[SRC[>>79]]

[146] 
隣に[[山城]]の[[信国]]で[[文[ASIS[正]]]]の者が掲載されており、
それを指すと思われます。なお、[[国][令制国]]不明で[[山城]]かとされる[[信国]]も掲載があり、
そちらには[[則吉]]が記載されています。

[220] 
[TIME[昭和14(1939)年][1939]]の書籍は、
[[古刀]]の[[山城]]の[[信國]]の欄で、
成化元は異邦の年号で、寛正六にあたり、
[[長祿]]・[[文正]]頃の[[信國]]だろうとしています。
[SRC[>>219]]


[147] 
[TIME[昭和43(1968)年][1968]]の
[CITE[刀工総覧]]
は、
[[山城]]の[[信国]]の欄で、
成化元年があり、寛正6年にあたる異邦の年号であるとしています。
[[長禄]]・[[文正]]の頃の[[信国]]と同人だろう、
としています。
[SRC[>>81]]

[148] 
隣に
「[V[信国、長禄三年、信国作、文正元年、同二代]]」が掲載されており、
それを指すと思われます。なお、[[国][令制国]]不明で[[山城]]かとされる[[信国]]も掲載があり、
そちらには[[則吉]]が記載されています。

[240] 
日付不明の[[日本刀]] [[Webサイト]] ([[English]]) 
は、
[[信国]]について、
銘文に

> [RUBYB[信國成化元年][nobukuni seika gan-nen]]

があるとし、紀年作に

> Chōroku 2,3. Kanshō 3,6. Bunshō 1, 成化 1, 2 (Bunshō 1) [1].

があるとしています。ここで [1] は 

>    Nihonto Meikan, Honma, Junji, and Ishii Masakuni , Tokyo, p.1618, (1976) 

です。 [SRC[>>239]]

[REFS[

- [219] 
[CITE@ja-JP[刀匠銘集録]], [[高瀬梧堂 編著]], [TIME[昭14][1939]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:10:26.262Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1686897/1/175?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [149] 
[CITE@ja-JP[鏨をたづねて (2)]], [[備前鏨会]], [TIME[1956-04]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T14:35:01.639Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1729986/1/12?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
-- [150] >>81 からの引用
- [239] 
[CITE@en[Nobukuni - NOB313 | Nihonto Club]], [TIME[2026-06-26T01:56:50.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:58:14.826Z]] <https://nihontoclub.com/smiths/NOB313>


]REFS]

-*-*-

[222] 
[TIME[大正2(1913)年][1913]]に

- [223] [CITE[成化年號信國中心押形]],
[[竹中公鑑]],
[CITE[[[刀剣会誌]] 一五一]]

なる論文が発表されています。 [SRC[>>221]]

[REFS[

- [221] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 4(5)]], [[日本考古学会]], [TIME[1914-01]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:17:52.172Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548187/1/34?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[209] 
[TIME[昭和8(1933)年][1933]]以来の[[内田疎天]]の書籍に、
[[信国]]の成化元年銘刀についての記述があります。

[212] 
そのうち、[TIME[昭和11(1936)年][1936]]の書籍は、
[[古刀]]の[[信國]]について次のように書いています。
[SRC[>>208]]

>
[VRL[
式部亟の二代也、二字銘、長祿三年、文正元年の裏銘あるものあり、支那への輸出刀中成[BR[]]
化年號の信國あり、支那の成化元年は我邦の寛正六年に當るを以て、成化年號の信國は、[BR[]]
長祿、文正の信國なるべし。成化年號の信國は二字銘、信の字非常に大きく國の字稍小さ[BR[]]
し、國の中右打ち、刄文は五の目亂、出來は先普通也。

]VRL]

[218] 他の版もほぼ同文です。細かな表現の違いがある中で >>215 がやや詳しいと思われます。

[210] ほぼ先行文献通りですが、最後の1文は根拠不明です。実見したのでしょうか。

[REFS[

- [216] 
[CITE@ja-JP[大日本刀剣新考]], [[内田疎天]], [TIME[昭和8][1933]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:05:57.595Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1234705/1/497?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
-- [217] 
[CITE@ja-JP[大日本刀剣新考]], [[内田疎天]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:06:52.101Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1234708/1/497?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [215] 
[CITE@ja-JP[日本刀研究便覧]], [[内田疎天]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:05:29.022Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1235416/1/225?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [214] 
[CITE@ja-JP[日本刀通観]], [[内田疎天]], [TIME[昭和10][1935]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:03:03.184Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1225365/1/234?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [208] 
[CITE@ja-JP[新考日本刀研究便覧]], [[内田疎天]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T00:51:13.328Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1229264/1/162?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
-- [213] 
[CITE@ja-JP[新考日本刀研究便覧]], [[内田疎天]], [TIME[昭14][1939]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:02:28.197Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1229274/1/164?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [211] 
[CITE@ja-JP[刀剣価格帳]], [[大阪刀剣会]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:01:14.993Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1207670/1/110?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96>


]REFS]



-*-*-

[119] 
[TIME[昭和9(1934)年][1934]]の書籍は、

- [120] [CITE[雲智明集]] = [CITE[鑑定秘事録]]に、
[NOTE[
[121] = [CITE[掌中古刀銘鑑]]
]NOTE]
- [122] [[了戒派]]の正系外にある[[信国]]は、
- [123] [[明]]の[[憲宗]]の成化元年の年号を打ったものがある
- [124] 刀に筋違いの年号を彫ったと識者の嘲を買った刀匠である
- [125] [[足利義満]]以下[[明]]の文明を吸収するに全力の時世柄
-- [126] [[日本国王]]の[[冊封]]を受ける大失態
- [127] 自然にその風潮は無学の刀匠にまで感染し、
- [128] 他国の[[正朔]]を自家の制作物に刻んだ
-- [129] 隷属民視されることなどの思慮もなくやったのだろう

と述べています。 [SRC[>>118]]

;; [130] [[昭和時代]]初期の国粋主義の高まった時世柄もあるのでしょうが、
なかなかに激しい非難です。一応、他国の[[正朔を奉じる]]ことへの批判は、
[[東アジア]]の思想の文脈では間違ったことを言っているわけでは無いのですが...
「識者の嘲」というのは記録としては見当たらないのですが、著者の周辺でしょうか。

[116] 
[TIME[昭和33(1958)年][1958]]の史料集は、
[[信国]]銘のある短刀の紹介文で、
[[信国]]には如何なるわけか、あるいは対支貿易を物語るのだろう、
[[明]]の「成化元年」の年号をきったものがある、
と述べています。
[SRC[>>115]]
当該短刀には年号銘はなく、[[信国]]にだけ着目して説明を加えたものです。
出典は記載がありませんが、
[CITE[校正古刀銘鑑]]
でしょう。

[139] 
[TIME[昭和33(1958)年][1958]]の書籍は、
[[信国]]の刀で成化元年の年号をきったものがあり、
[[支那]]の[[年号]]であるとし、
[[長禄]]・[[文正]]の頃の[[信国]]の作と思われ、
支那貿易の対象で作られたためか、研究すべき、
と述べています。
[SRC[>>138]]


[REFS[

- [118] 
[CITE@ja-JP[稿本本朝鐔談]], [[河島台蔵]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T13:44:07.032Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1259601/1/33?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [114] 
[CITE@ja-JP[刀剣刀装鑑定辞典]], [[清水孝教]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-06-21T13:00:57.278Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1222005/1/271> (要登録)
- [115] 
[CITE@ja-JP[銘刀押形 : 御物東博]], [[佐藤貫一, 沼田鎌次]], [TIME[1958]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T13:37:40.306Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8799600/1/56?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [138] 
[CITE@ja-JP[日本古刀史]], [[本間順治]], [TIME[1958]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T14:03:22.504Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2487272/1/111?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
-- [140] 
[CITE@ja-JP[日本古刀史]], [[本間順治]], [TIME[1963]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T14:06:48.439Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2508636/1/116?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)

]REFS]

[111] 
[TIME[昭和37(1962)年][1962]]の[[福永酔剣]]の論文は、
[CITE[校正古刀銘鑑]]
を引いて、
[[信国]]の成化元年の刀があるとし、
対[[明]]貿易品として[[明の元号]]を用いたのだろうと述べています。
[SRC[>>168]]

[225] 
[TIME[昭和40(1965)年][1965]]の[[福永酔剣]]の書籍は、
[[日本刀]]の輸出について、
[[信国]]には成化元年九月と[[明]]国の年号を切ったものさえある、
としています。
[SRC[>>224]]

[110] 
[TIME[昭和41(1966)年][1966]]の[[すいけん]]の論文は、
>>111
より少し詳しく、
[[京]]の[[信国]]が[[室町時代]]に作ったものであり、
当時刀剣の対[[明]]輸出が盛んであり、
輸出用だったのだろうと述べています。
また、
[[信国]]は[[明の元号]]だけでなく[[則吉]]という[[私年号]]も使う
「[V[〝学〟のあるインテリだったらしい]]」
と述べています。
[SRC[>>169]]


[REFS[

-[168] 
[CITE@ja-JP[刀剣史料 (46)]], [[南人社]], [TIME[1962-10]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T12:50:14.924Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8099939/1/9?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [224] 
[CITE@ja-JP[薩摩の刀と鐔]], [[福永酔剣]], [TIME[1965]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:22:05.057Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2507782/1/42?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
-[169] 
[CITE@ja-JP[刀剣と歴史 (431)]], [[日本刀剣保存会]], [TIME[1966-05]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T13:15:20.657Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7901125/1/20?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[166] 
[TIME[昭和39(1964)年][1964]]、
[[日本国]][[東京都]]の個人所蔵[[信国]]銘太刀が[[日本美術刀剣保存協会]]の[[重要刀剣]]に指定されました。
その図録に掲載されています。 [SRC[>>151]]

[167] 
その説明によると、成化二年は[[明の元号]]で、
[TIME[文正元(1466)年][1466]]に当たるとし、
[[明]]の年紀をきったものは他に類を見ないものの、
[CITE[銘鑑]]に成化元年紀のものが掲載されており、
[[日本刀]]が対[[明]]貿易品として盛んに輸出された事実を立証する貴重なものとされています。
[SRC[>>151]]


[REFS[

- [151] 
[CITE@ja-JP[重要刀剣等図譜 第12回 第2輯]], [[日本美術刀剣保存協会]], [TIME[昭和39年][1964]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T14:38:06.097Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8799597/1/35?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [241] 
[CITE@ja[Jūyō Index - Juyo Index.pdf]], [TIME[2021-03-19T08:50:51.000Z]], [TIME[2026-06-26T02:01:04.375Z]] <https://to-ken.uk/onewebmedia/Juyo%20Index.pdf#page=59>
-- [242] [[重要刀剣]]一覧 ([[English]])

]REFS]


-*-*-

[132] 
[TIME[昭和43(1968)年][1968]]の書籍では、

- [133] [[信国]]では[[室町時代]]の[[年号]]を切ったものがある
- [134] 珍しいものでは[[シナ]]の成化元年の[[年号]]のある太刀がある
- [135] なぜ[[シナ]]の[[年号]]かはわからない、あるいは貿易品などの関係かも
- [136] なかなか出来もよく、重要刀剣に指定されている

と説明されています。
[SRC[>>131]]

[137] 
対談の書き起こしの形式の文章で、厳密な文意は曖昧なところがありますが、
[[佐藤寒山]]は成化元年銘[[太刀]]を実見したように読めます。

[171] 
しかし[[重要刀剣]]の[[太刀]]と言っているので、成化2年太刀をを指しているようにも思われます。

[172] 
[TIME[昭和47(1972)年][1972]]の書籍は、
[[明の元号]]の「[V[「成化年製」の裏銘]]」のある[[筑紫信国]]の刀の存在で、
対[[明]]輸出の主力が[[日本刀]]だったことが裏付けられる、
と述べています。
[SRC[>>170]]

[175] 
[TIME[昭和48(1973)年][1973]]の書籍は、
成化元年銘の[[信国]]と則吉二年正月日銘の[[信国]] (と他の[[信国]]派刀匠たち)
を紹介しています。
[SRC[>>173]]
これ自体は[CITE[銘鑑]]の系譜の資料からの引用と思われます。

[176] 
それについて、

>
[VRL[
右に信国作に成化とか則吉とかの年号があるが、成化は当時の中国の年号で、則吉は中国にもない[BR[]]
が、別項「海外流出刀剣」の条にもあるように、当時、外国貿易品の第一位が刀剣であったから、こ[BR[]]
れらは輸出品として作られた刀剣であろう。
]VRL]

... と推測を述べています。 [SRC[>>173]]

[207] 
[TIME[昭和50(1975)年][1975]]の論文は、
>>155
を紹介し、
珍しい年号、[[中国の年号]]の[[脇差]]で、
[[閑院宮]]家の蔵刀だとしています。
対[[明]]貿易品として最初から作ったものと思われる、
としています。
[SRC[>>206]]


[REFS[

- [131] 
[CITE@ja-JP[寒山刀剣教室 基礎篇]], [[佐藤寒山]], [TIME[1968]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T13:56:05.493Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2516694/1/93?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [170] 
[CITE@ja-JP[刀剣鑑賞入門]], [[細野耕三, 中島国雄]], [TIME[1972]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T15:06:04.264Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12424715/1/158?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)
- [206] 
[CITE@ja-JP[刀剣と歴史 (488)]], [[日本刀剣保存会]], [TIME[1975-11]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T00:48:16.525Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7901182/1/10?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)

]REFS]

-*-*-


[180] 
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]の書籍は、
次のように述べています。
[SRC[>>177]]


- [181] >>153
-- [182] いつのころか里帰りしている
-- [183] 作者[[信国]]は[[京]]で栄えた[[信国]]派の流れをくむ刀匠
-- [184] 成化2年は[[日本]]の文正元年
- [185] [CITE[戊子入明記]] [SRC[>>250]]
-- [186] [[応仁の入明]]のことを記している
-- [187] 「一、龍太刀    二腰実三貫文充信国作之」
-- など
- [188] [[応仁の入明]]は、
-- [189] [TIME[寛正元(1460)年][1460]]に計画され、
-- [190] 文正元年2月に出航、
-- [191] 暴風雨
--- [192] 大内船は難破
--- [193] 幕府船は[TIME[応仁2(1468)年][1468]]再出航
---- [194] 応仁2年11月初旬前後に入明
----- [195] 応仁元年説もある
- [196] >>153 は文正元年2月に出帆、暴風雨で何らかの事情で幕府船に搭載された可能性もあるが、
- [197] 幕府が信国に太刀を作らせ明への進物に用いたので、[[明]]では[[信国]]の名の通りが良く、
私貿易品として信国に明の年号をいれさせた太刀を作らせ売却したほうが高価になるので、
このような太刀を作らせた、と考えたほうが理解しやすい
[NOTE[

[198] ややこしくて理解しづらい... 「信国は有名」「高価になる」「私貿易のため作らせた」は全部仮定?

]NOTE]
- [199] [CITE[戊子入明記]]の年紀の扱いにより太刀 >>153 の年紀の解釈も違ってくるので、
-- [200] >>187 と >>153 の関係は、より多くの史料 ([CITE[銘鑑]]の成化元年刀)
の検討と今後の研究


[REFS[

- [250] 
[CITE@ja-JP[史籍集覧 続〔17〕戊子入明記 他]], [[近藤瓶城]], [TIME[明27][1894]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T02:49:06.654Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/769669/1/4?keyword=%E4%BF%A1%E5%9B%BD>
- [177] 
[CITE@ja-JP[在外日本の至宝 第10巻]], [[毎日新聞社]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-25T15:24:58.998Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12701904/1/106?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[230] 
[TIME[昭和58(1983)年1月19日][1983-01-19]]の[[石井昌国]]の
[CITE[筑州信国吉政家系図]]
は、

>〔信国〕康応~應永 [B[祥雲 貞光]] 後宇佐へ 

の次の代に

>〔信国〕長禄二,成化二、[B[吉久]]宇佐住 

を繋げています。
[SRC[>>229]]

;; [232] >>229 #page=25 にカラー写真がありますが、該当部分は写っていません。

[231] 
[TIME[平成29(2017)年][2017]]の[[信国]]系図に関する論文は、
>>112 (の一本である[CITE[雲智明集]])
と
>>230 
を引用しています。
[SRC[>>229 #page=16, >>233 #page=10]]

[234] 
[TIME[平成30(2018)年][2018]]の続編には、
次のような注釈もあります。
[SRC[>>233 #page=15]]

>
[LEFT[
③ 1466 年:【刀】銘「信國」。(「本間銘字」[WEAK(smaller)[p.85]] では「銘字の太刀に表《信國》裏に「成化二[BR[]]
年九月(〔明〕の元号)(以下切)」と切る二尺二寸五分の貴重な資料がある」と記される。ま[BR[]]
た、p.84 では「このころの宇佐信国は長禄二、文正元年記のある〔信國吉家〕の時代で、こ[BR[]]
の工の作に有名な成化二年紀の作がある」と記される(『戊子入明記』に関連記事あり[SUP[34全文]])。[BR[]]
しかし、「柳原系図」では〔信國吉家〕は「文安三[WEAK(smaller)[[1446__&&]&&__]]年死ス」とある。従って、〔吉家〕[BR[]]
であれば、文正元年作は「柳原系図」にある〔吉包〕文龜之頃[WEAK(smaller)[[1501-03__&&]&&__]]─〔吉勝〕永正之頃[BR[]]
[WEAK(smaller)[[1504-20__&&]&&__]]、あるいは「守次信国系図」の五代〔吉包〕、六代〔吉政〕、七代〔吉勝〕が〔吉家〕[BR[]]
をも名乗ったことも考えられる。「昌国記」では〔信國吉久〕長禄二[WEAK(smaller)[[1458__&&]&&__]]成化二[WEAK(smaller)[[1466__&&]&&__]]を比[BR[]]
定している。
]LEFT]

>
[LEFT[
34 Boshi Nyuminki |『戊子入明記』(『続史籍集覧. 第 1 冊』所収:国会デジコレ 1259144)コマ 240 URL:[BR[]]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1259144/240 「龍太刀 二腰實三貫文充信國作之」応仁の入明記に明皇帝[BR[]]
への献上品の一つの信國太刀である。銘「信國作」裏銘「成化二年」と本作の関連は要調査。
]LEFT]

>
[LEFT[
⑤ 1474 年:【脇指】銘「豊前宇佐住信國」裏銘「文明六甲午年八月」(「本間銘字」[WEAK(smaller)[p.86]] では「「宇[BR[]]
佐住」とあるのは永享三、長禄二、文正元、天正二年紀のみであったが、ここに文明六年が[BR[]]
加えられ(中略)成化の太刀はこの作者ではなく、その先代であろう」と記される。「昌国[BR[]]
記」では〔吉包〕を比定)。銘「信國」裏銘「文明六年」(「福永信国」p.5 は、③と同作と[BR[]]
推定される)国字の終画はこの頃から「へ」から「一」に戻る。
]LEFT]

;; [235] 
[CITE[本間銘字]]とは、
[CITE[刀剣銘字大鑑]],
[[本間薫山]], [[石井昌国]],
[TIME[1997-10]]。



[REFS[

- [229] 
[TIME[2026-06-26T01:31:58.200Z]]
<https://atomi.repo.nii.ac.jp/record/835/files/atomi_bungaku52_21.pdf#page=16>
- [233] 
[TIME[2026-06-26T01:40:25.600Z]]
<https://atomi.repo.nii.ac.jp/record/3364/files/atomi_bungaku53_25.pdf>

]REFS]

-*-*-


[203] 
[TIME[平成元(1989)年][1989]]の論文は、
>>155
を紹介し、
刀剣類の輸出の説明に加えています。
[SRC[>>202]]

[REFS[

- [202] 
[CITE@ja-JP[Museum (463)]], [[東京国立博物館]], [TIME[1989-10]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T00:33:45.090Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4429852/1/11?keyword=%E6%88%90%E5%8C%96> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[227] 
美術館 [[Webサイト]]の解説 (日付不明) は、
[[豊前国]]の「信国 (宇佐)」の刀剣の解説において、

>なお、本工の作であろうと思われるものに成化二年紀の作品が残されています。成化二年は明の年紀で日本の文正元年にあたり、対明貿易の資料として貴重な作品です。 

と述べています。 [SRC[>>226]]

[228] >>155 を参照しているものと思われます。「本工の作」と推測した根拠は不明です。


[REFS[

- [226] 
[CITE@ja[【脇差】信国(宇佐)――倉敷刀剣美術館]], [[https://www.touken-sato.com/]], [TIME[2021-10-27T01:00:47.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:26:55.888Z]] <https://www.touken-sato.com/event/katana/2015/04/W-nobukuni-04.html>

]REFS]

-*-*-

[237] 
[TIME[西暦2013(平成25)年][2013]]の [[Webページ]]記事 ([[English]])
は、
日本刀の輸出に関係して、

> [SNIP[]] For example, there exists a [I[tachi]] signed „Nobukuni“ (信国) which bears a Chinese [I[nengô]], namely „ninth month Chénghùa two“ (成化二年九月), what corresponds to the first year of Bunshô (文正, 1466) (see picture 2). This is an important reference pieces as it is one of the very few export swords which did not make it abroad for whatever reason. And this Nobukuni blade is also of special interest as it backs up the transmission of the Kyôto-based sword dealers where the origins of the Nobukuni school were, and the founding of the Kyûshû-offshoot the Tsukushi Nobukuni school (筑紫信国).

と書いて
>>155
を紹介しています。 [SRC[>>236]]


[REFS[

- [236] 
[CITE@en[Japanese Sword Trade with Ming China | Markus Sesko]], 
Posted on 2013/11/01,
by [[Markus Sesko]],
[TIME[2026-06-26T01:51:30.000Z]] <https://markussesko.com/2013/11/01/japanese-sword-trade-with-ming-china/>

]REFS]

-*-*-

[243] 
[[令和時代]]に至るまで、[[元号研究]]の方面で紹介された事案は知られていません。

* 関連


[3] 
[[Google Books]] だと「文殊二年」が多数見つかりますが、 [[OCR]] の誤読のようです。

-*-*-


[117] [CITE@ja-JP[大谷学報 35(2)]], [[大谷学会]], [TIME[1955-09]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-22T14:17:36.807Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4437044/1/37> (要登録)
右下

[32] 
[[唐土]]の経典の目録ですが、唐開元年間のものに混ざって

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [33]  
[DATA(.label)[仏典目録中の年紀]]
「[DATA(.text)[[V[門元二十七年 [L[(739)]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>117]]
]ITEMS]

とあります。
[SRC[>>117]]

[34] 
目録[[著者]]が[[開元]]と解釈したのは明らかですが、
注記も何もないため、誤植なのか実物にもそう書かれているのかはわかりません。

[35] 
[[日本刀]]の用例とはおそらく独立したものでしょう。
他に類似用例が見当たらないので、偶発的な誤記でしょうか。

-*-*-

[SEE[ [[永門]] ]]

* メモ

