* 長禄の変

[9] 
[TIME[1949-10-30]]に[[日本国]][[奈良県]][[吉野郡]][[川上村]][[金剛寺]]を訪問した研究者の[[滝川政次郎]]によると、
「自天勝公宮」
の[[扁額]]の裏書に
「長禄九[LINES(smaller)[丙][寅]]冬十二月二日謹書、北畠中納言具教(花押)」
とありました。
[SRC[>>72]]

[10] 
[[金剛寺]]は[[後南朝]][[二の宮]] ([[一の宮]][[自天王]]の弟) の御座所でした。
[[扁額]]は[[川上村]]大字[RUBY[井][ゐ]][RUBY[光][かり]]の名家伊藤氏の旧蔵です。
[SRC[>>72]]

[11] 
[[滝川政次郎]]によるとこの裏書は真っ赤な贋筆です。
というのも、
[[後南朝]]に仕えたのは[[北畠教具]]です。
他に[[北畠具教]]もいますが、時代が合いません。
伊藤氏の祖先が[[自天王]]の旧跡を[[川上]]に持ってくるため偽作したと推測されます。
[SRC[>>72]]

[12] 
[[長禄]]は4年で終わっており、
奥山かつ[[後南朝]]勢力下で[[改元伝達]]の遅延があったとしても、
5年の[[延長年号]]は遅れすぎです。
しかも9年だとしても、[[元年]]の誤りだとしても、
[[干支年]]が合いません。

- [14] [TIME[長禄元(1457)年丁丑][1457]]
- [13] [TIME[長禄9(1465)年 = 寛正6年乙酉][1465]]

[15] 
この付近の[[丙寅年]]は

- [16] [TIME[文安3(1446)年丙寅][1446]]
- [17] [TIME[永正3(1506)年丙寅][1506]]

と時代も[[年数]]も[[元号名]]も大きく離れています。

[18] 
[[金剛寺]]の後方、石段を上がったところには[[河野宮]] ([[二の宮]]) 御墓があります。
河野宮御墓は従来[[一の宮]][[自天王]][[尊義王]]の墓として[[川上村]]で守られてきましたが、
[[明治時代]]に[[宮内省]]が[[二の宮]][[河野宮]]の墓に治定しました。
[SRC[>>72]]

[19] 
[[河野宮]]御墓の玉垣内には[[宝篋印塔]]が2基あり、
「長禄元年十二月二日」と刻まれているとされますが、
[[滝川政次郎]]はよく見えなかったとしています。
[SRC[>>72]]

[20] 
この[TIME[長禄元(1457)年12月2日][kyuureki:1457-12-02]]は、
宮が[[赤松]]の残党によって殺された日とされています。
[SRC[>>72]]
この事件は[[長禄の変]]と呼ばれています [SRC[>>21]]。


[22] 
[[日本国]][[奈良県]][[吉野郡]][[上北山村]]の[[滝川寺]]の本堂の裏山に[[自天王]]の御墓があります。
[[石碑]]があり、

- [23] 表「南帝自天勝公正聖佛」
- [24] 裏「享保八[LINES(smaller)[癸卯歳][五月廿四日]]當時開基泰岸代」
- [25] 左右「康正三[LINES(smaller)[丁][丑]]歳」「十二月二日」

とあります。
[SRC[>>72]]

[26] 
[[長禄]]への[[改元]]は[TIME[康正3(1457)年9月28日][kyuureki:1457-09-28]]です。
康正3年12月2日はすなわち長禄元年12月2日です。
後の時代 ([[享保]]) になってわざわざ旧年号に書き換えることは、
まったくあり得ないとは言えないまでも、普通はしないでしょうから、
何らかの過去の記録に「康正三年」と書かれていた可能性が高いでしょう。
すなわち、[[長禄の変]]の当時この地域では「康正三年」が使われていた可能性があります。

[27] 
[[滝川政次郎]]は[[滝川寺]]の本堂で、
延徳2年3月の自天王の33回忌に[[北山]]の郷士30人が書写した[[大乗経]]を閲覧しました。
その[[奥書]]には、
「南帝崩  [LINES(smaller)[丁][子]]臘月二日夜赤松凶徒弑奉ル」
とありました。
[SRC[>>72]]

[28] 
[[元号年]]なく、[[干支年]]らしき[[非妥当干支]]だけが書かれています。
丁丑年の誤りだとすれば、まさしく長禄元年丁丑12月2日を表します。

[29] 
[[元号]]がないのは意図的でしょうか。
[SEE[ [[日本南北朝時代の日時]] ]]

[30] 
ところで33回忌に云々という事情も[[大乗経]]奥書に書かれているのでしょうか。
残念ながら[[滝川政次郎]]はその事情を知った経緯までは書き残してくれていません。


[REFS[

- [73] [CITE[[[文藝春秋]] 昭和二十五年一月号]]
-- [72] 
[CITE[[V[熊沢天皇[BR[]]吉野巡󠄃幸記]]]],
[[[V[瀧󠄆川政次󠄄郞]]]]
- [21] 
[CITE@ja[[[長禄の変]] - Wikipedia]], [TIME[2024-01-14T04:28:48.000Z]], [TIME[2024-01-28T14:16:16.872Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%A6%84%E3%81%AE%E5%A4%89>


]REFS]

[31] 
[CITE@ja-JP[日本外史講義 上]], [[河村北溟 述]], [TIME[明30.7][1897]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-28T15:20:03.870Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/770466/1/200>

[32] >>31 [[長禄の変]]のことを[V[戊寅ノ歳]]、[V[長祿九年]]と書いています。
そして何行かあって次が[V[丙寅ノ歳]]、[V[文安二年]]と書いています。

[33] これが直接[[川上村]]の遺物に関係しているとは思われませんけど、
あるいはこういう資料を元に作って誤ったという可能性もあるでしょうか。

* 遡及年号

[51] 
[CITE@ja-JP[坂戸市史 中世史料編 2]], [[坂戸市教育委員会]], [TIME[1980.4][1980]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T09:23:57.145Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642035/1/242?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


* 長禄の延長年号


[6] [[長禄]]の[[延長年号]] [SEE[ [[中世私年号]] ]]

-*-*-

[50] 
[CITE@ja-JP[多古町史 上巻]], [[多古町史編さん委員会]], [TIME[1985.7][1985]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-10T11:38:21.262Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643568/1/120> (要登録)

長禄5年7月 千葉県下

-*-*-

[38] [CITE@ja-JP[新井白石全集 第五]], [[国書刊行会]], [TIME[明治39][1906]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-28T15:28:30.866Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/990985/1/351> (要登録)
右上

長禄9年 (干支なし)

[39] 
[CITE@ja-JP[大日本地名辞書 上巻 二版]], [[吉田東伍]], [TIME[1907/10/17][1907-10-17]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-29T04:09:51.679Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2937057/1/883>
右上

長禄9年 (干支なし)

[42] 
[CITE@ja-JP[日本随筆大成 㐧三期 㐧六巻]], [[日本随筆大成編輯部]], [TIME[昭和5][1930]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-29T04:14:40.562Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1914187/1/344> (要登録)
右

長禄9年 (干支なし)

[43] [CITE@ja-JP[尾三郷土史料叢書 第5編]], [[愛知県教育会]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-29T04:33:49.656Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1243481/1/161>
右

長禄9年 (干支なし)


[44] 
[CITE@ja-JP[吉川村郷土誌 第2輯]], [[吉川村編輯部]], [TIME[昭和10][1935]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-29T04:35:02.264Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1056924/1/70>
右

長禄9年 (干支なし)

[45] 
[CITE@ja-JP[豊島区史]], [[坂本辰之助]], [TIME[昭和16][1941]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-29T04:36:05.321Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1042113/1/57> (要登録)
右

長禄9年 (干支なし)

-*-*-

[47] [CITE@ja-JP[歴史研究 = Journal of historical studies (25)]], [[大阪教育大学歴史学研究室]], [TIME[1988-03]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-29T04:43:03.234Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7938715/1/21> (要登録)
左

長禄9年卯月22日付長逸判物


-*-*-

[41] 
[CITE@ja-JP[大日本史料 第8編之9]], [[東京大学史料編纂所]], [TIME[大正12][1923]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-29T04:13:26.289Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450591/1/302>
右

長祿九年を文明9年の誤りと解釈している模様

-*-*-

-[34] [CITE@ja-JP[国文読本 : 中等教育]], [[明石中和, 岡直盧]], [TIME[明31.1][1898]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-28T15:24:15.437Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/868128/1/165> (要登録)
左
-[36] [CITE@ja-JP[偉人の言行]], [[俣野節村]], [TIME[明33.11][1900]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-28T15:25:42.681Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/777014/1/23>
右
- [37] 
[CITE@ja-JP[日本風景文範 : 古今大家]], [[俣野義郎 (節村)]], [TIME[明33.4][1900]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-28T15:26:40.770Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/865148/1/79> (要登録)
右

「[V[[SNIP[]]長祿九丁丑の年四月八日[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])

[35] >>34 >>36 >>37 明らかに「元」の誤り


[40] [CITE@ja-JP[布教大辭典]], [[田淵静縁]], [TIME[1909]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-29T04:11:27.590Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1085751/1/152>
左下

長祿九丁丑の年四月八日


[7] [CITE@ja-JP[江差町史 第5巻 (通説 1)]], [[江差町]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-28T13:45:37.754Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570777/1/48> (要登録)

[8] >>7 右に「長禄九年」、左に「長禄元年」。[[誤植]]でなければ、
「元」を「九」に誤写して伝わったものか。

* 長録


- [48] 
[CITE@ja-JP[皇統正史]], [[長島銀蔵]], [TIME[1966]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-18T03:55:28.129Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3448741/1/129> (要登録)
/122

[49] >>48 は[[長禄]]とする箇所が多いですが、2箇所「[V[長録]]」 ([[明朝体]]) と書いています。
同じページでも混在しています。
[[誤植]]と思われます。
[SEE[ [[天請]], [[明応]] ]]

* 張六

[1] 
[CITE@ja-JP[香取文書纂 巻之12]], [[伊藤泰歳, 村岡良弼 校]], [TIME[明39-41][1908]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-22T13:51:33.608Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/815210/1/5> (要登録)

[4] [CITE@ja-JP[千葉県史料 中世篇 香取文書]], [[千葉県史編纂審議会]], [TIME[1957]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-22T13:55:32.011Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/236> (要登録)

[3] [CITE@ja-JP[日本担保法史序説]], [[小早川欣吾]], [TIME[昭和8][1933]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-22T13:52:46.240Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1272256/1/131>


[2] 
[CITE[日本私年号の研究]]


[5] 
[[仮名書年号]]

* メモ



[46] [CITE@ja-JP[日本橋駿河町由来記]], [[駿河不動産]], [TIME[1967]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-29T04:38:43.292Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3010393/1/15> (要登録)
左下

長禄元年丁己
