[1] [[渤海国]]は[[元号]]を使っていました。

[FIG(short list)[ [108] [[渤海の元号]]

- [[咸和]]

]FIG]

* 異説

[2] 
歴代渤海王の[[即位]]、[[死去]]のおおよその年代が知られていますが、
[[改元]]の時期は明確な記録がありません。
そのため、
1,2年程度の差異のある諸説が示されてきました。

[3] 
[CITE[Wikipedia]] や各種[[Webサイト]]に示されている時期も、
記事や頁によって1,2年程度のバリエーションが生じています。


* 遡及命名

[4] 
初めて独自に[[建元]]したと考えられている[[仁安]]よりも前は、
[[元号]]があったとは考えられていません。
確実な出典が知られる最後の[[咸和]] ([TIME[y~1134]])
よりも後は[[元号]]があったと推測されていますが、
その[[元号名]]は知られていません。

[6] 
[[渤海国]]の[[領土]]は現在の[[中華人民共和国領内満州]]、
[[ロシア連邦領外満州]]、
[[朝鮮民主主義人民共和国]]に跨っており、
それに[[大韓民国]]を含めた各国が自国の歴史とみなしており、
そのことが[[政治的]]問題にもなっています
([SEE[ [[東北工程]] ]])。
とりわけ[[朝鮮人]]は民族の源流の1つと認識しているようで、
[[偽書]]など怪しげな言説に[[渤海の元号]]も関係しているようです。


-*-*-

[14] 
[[元号]]のない時代に後から[[元号]]を配置するのは、
[[日本史]]における[[古代年号]]の事例と似ています。


** 天統

[5] 
[[仁安]]の前には[DFN[天統]]
([TIME[y~2021]], [TIME[y~2020]])
があったとされることがあります。

[129] 
[[渤海国]]の初代王[[大祚栄]]は独自の[[元号]]が記録されておらず、
[[制定][建元]]しなかったと考えられています。
ところが[[天統]]は[[大祚栄]]の[[元号]]とされています。

[130] 
[[天統]]は[[偽書]]や信憑性の低い資料には出現しますが、
信頼できる資料にはまったく出現しません。

[8] 
[CITE[陝溪太氏族譜]]
に[[天統]]が掲載されました。
[SRC[[[中文]]版[CITE[Wikipedia]], >>125]]
本書の記述は学術的には信用しかねるものだそうです。


[22] 
[[天統]]の[[元号]]を掲載するのは[CITE[渤海國志長編]]の影響だという説があります。
[SRC[>>21]]

[38] 
同書は >>31 にありますが、どの部分のことを指しているのかわかりません。
[[Google検索]]でこの[[URL]]を対象にして「天統」を探しても何も見つかりません。
([[OCR]]テキストデータがあれば嬉しいのですが...)

[REFS[

- [125] 
[CITE@ja[天統 (渤海) - [[Wikipedia]]]], [TIME[2023-06-18T02:15:49.000Z]], [TIME[2023-07-02T03:04:51.287Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%B5%B1_(%E6%B8%A4%E6%B5%B7)>
- [21] 
[CITE[네오 :: 하나도 모르고 쓰는 역사 이야기<91>후고려기(後高麗記)(4) - 광인]], [TIME[2023-06-11T15:19:17.000Z]] <https://tadream.tistory.com/5644>
]REFS]

-*-*-

[117] 
[TIME[明治45(1912)年][1912]]、
[[檀君]]を信仰する[[朝鮮人]]の[[新興宗教]]の[[大倧敎]]は、
[CITE[三一檀誥]]と称する経典を刊行しました。
[SRC[>>118]]

[119] 
[CITE[三一檀誥]]
は、
「大興三年」
付の跋があって、
[[檀君]]の言が代々伝えられてきて[[太白山]]に保管された旨が説明されていました。
また、
「天統十七年三月三日」
の[[王野勃]]の奉勅の序がありました。
[SRC[>>118]]

[120] 
[[大興]]は[[渤海の元号]]と解され、
旧説では[TIME[渤海大興3(740)年庚辰][740]] ([TIME[y~821]])、
現在の説では[TIME[渤海大興3(739)年己卯][739]] ([TIME[y~2019]])
に当たります。

[121] 
[[天統]]は[TIME[天统17(714)年甲寅][714]] ([TIME[y~2021]])
なり[TIME[天统17(715)年乙卯][715]] ([TIME[y~2020]])
に相当すると思われます。
[[王野勃]]は[[天統]]の制定者とされる[[渤海国]]の初代王[[大祚栄]]の弟、
[[大野勃]]に比定されます。
[[大野勃]]については[CITE[新唐書]]にわずかな記述があるくらいで、
信憑性の高い記録はほとんどありません。

[122] 
[[大倧敎]]は[[檀君]]を信仰していて、
現行[[檀君紀元]]を大々的に利用し始めた最初とされます。
[SEE[ [[檀君紀元]] ]]
[[檀君]]の活動したとされる[[満鮮]]国境地帯で[[大倧敎]]も活動していて、
[CITE[三一檀誥]]
のような怪しげな経典を生み出したり、
[[朝鮮]]独立運動の拠点となったりしたといわれています。

[123] 
[[大倧敎]]にとって[[檀君]]以来の[[古朝鮮]]、
[[高句麗]]、
[[渤海国]]、
[[高麗]]と連なる[[朝鮮]]民族の歴史を証明することが信仰と民族主義の高揚に必須であり、
[[高句麗]]と[[渤海国]]をつなぐ[[ミッシングリンク]]が必要とされたのでありましょう。

[132] 
[[近代日本]]の[[朝鮮史]]研究者として有名で[[檀君]]研究でも知られる[[今西竜]]は、
[CITE[三一檀誥]]
や[[天統]]は歴史学的な価値がないと判断しています。
[SRC[>>118]]


[REFS[
- [118] 
[CITE@ja-JP[朝鮮古史の研究]], [[今西竜]], [TIME[1937]], [TIME[2023-06-27T13:15:37.000Z]], [TIME[2023-07-02T02:33:31.865Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1921111/1/73>
-- [141] 
[CITE@ja-JP[朝鮮古史の研究]], [[今西竜]], [TIME[1970]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-21T08:50:22.869Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12173017/1/73?keyword=%E5%A4%A9%E7%B5%B1> (要登録)


]REFS]

-*-*-


[55] 
20世紀の[[偽書]][CITE[桓檀古記]]には[[渤海国]]の[[元号]]として記載されています
[SRC[>>125]]。
[SEE[ [[[CITE[桓檀古記]]の日時]] ]]

;; [124] 
[CITE[桓檀古記]]
それ自体は20世紀後半になって出現した[[偽書]]ですが、
>>123 
のような素地があって作られたもので、
必ずしもそのすべてが出現の直前に作られたものでもないのでしょう。
[CITE[桓檀古記]]
の記述と符合する (が依存関係にはない) ものが偶然にも[[満州]]で発見された
(と主張される)
のも、
あながちまったくの虚構というわけでもなく、
>>123
のような前世代の活動に連なっていると思われます。


-*-*-

[24] 
「[DFN[[V[天統[BR[]]捌年]]]]」 ([[行書]]) と書かれてた
「[[渤海通寶]]」なる[[紀年錢]]があります。
[SRC[>>23, >>28, >>43]]

[30] 
[TIME[2006-10-03]]に[[大韓民国]]の[[대진대학교]] ([[大眞大學校]]) 教授の[[서병국]]が公表しました。
[SRC[>>43]]

[48] 
「来週中」に[[媒体]]と学界に公開して検証すると説明していました。
[SRC[>>43]]
[TIME[2006-10-13]]に[[媒体]]に5点が公表されたようです。
[SRC[>>59, >>96]]

[47] 
[[서병국]]によると「最近」[[大韓民国]]内の家で5点が発見されました。
[SRC[>>43]]
「6ヶ月前」に調査を始めました。
[SRC[>>98]]
[[西暦1930年代]]に[[満州]]の旧[[渤海国]]首都で出土したと推測されます。
[SRC[>>43]]
というのも所有者が[[北鮮]]出身の前所有者から購入し、
前所有者は父親から[[西暦1930年代]]に旧[[渤海国]]首都で出土した[[貨幣]]を受け継いだのだそうです。
[SRC[>>98]]


;; [51] 
怪しいところしかありませんね。

[49] 
[[서병국]]が鑑定して[[渤海]]の[[貨幣]]と判明したのだそうです。
[SRC[>>43]]


[56] 
しかし文化財当局が積極的でないので科学的な検証がなされていない、
と信奉派は批判しています。 
[SRC[>>52]]
その辺の経緯はよくわかりません。

[57] 
現物は行方不明で[[서병국]]も知らないと供述しているようです。
[SRC[>>52]]


[29] 
この[[貨幣]]は[[天統]]の実在の証拠として紹介されています。
[SRC[>>43, >>23]]
[[渤海国]]が独自の[[元号]]を使っていた物証で、
[[東北工程]]を覆す発見なのだそうです。
[SRC[>>43]]
[[天統]]が[[中国]]の文獻になく[[朝鮮]]の文獻にだけ出現することや、
[[満鮮]]の版図が描かれているとされることが特に紹介されていて
[SRC[>>43]]、
[[渤海]]が[[朝鮮]]であるという主張を裏付ける物証とみなされているようです。
[SEE[ [[東北工程]] ]]

[50] 
[[国号]]と[[元号]]を共に刻んだ[[貨幣]]は[[中国]]にはないとされます。
[SRC[>>43]]
それが本当かどうかわかりませんが、事実だとすると、
[[渤海]] (= [[朝鮮]]) の独自性を示すという主張なのでしょう。

[60] 
[[서병국]]は、[[天統]]とは[[高句麗]]滅亡後に再び統一したという意味で、
[[唐]]は認めたくなかったので記録しなかったと主張しています。
[SRC[>>59]]

;; [61] それではなぜその「続き」の[[元号]]は記録されてるのか謎ですが...

[53] 
なかなかに不思議な形をしています。
[[金貨]]も他に例がないそうです [SRC[>>52]]。
[[서병국]]は常用目的ではなく記念通貨だと考えています [SRC[>>52, >>96]]。

[54] 
保存状態が異常によく不審です。 [SRC[>>52]]

[26] 
当時は[[渤海]]の国名がまだなく不審です。 [SRC[>>28, >>52]]

[62] 
公表直後の記事に、研究者らと見られる匿名コメントが掲載されています。
[SRC[>>59]]

- [63] ある教授: [[金]]は変化がほとんどないので科学的検証は容易でない、
真偽確認の方法はほとんどない
- [64] 他の教授: 即位8年当時は国内も体外関係も不安定で記念貨幣が作れるかどうか、
「渤海通寶」のような国号入り貨幣は[[中国]]にも[[朝鮮]]にもほとんどない
- [65] [[国立中央博物館]]関係者: 出土と入手の経緯、昔発見されたのがなぜ今になって公開されたのかを明らかにしないと

[94] 
このニュースを紹介したブログ記事にいくらするのか
[SRC[>>92]]
というコメントがついています。素朴な感想ですが、重要な点です。
果たしてこの貨幣5点は本当に[[金]]で出来ているのでしょうか。

[58] 
信奉派は、
[[朝鮮総督府]]の植民地史学を継承する歴史学界が黙殺していると非難しているようです。
[SRC[>>52]]
この種の学界[[陰謀論]]的なものはどこの国にもあるのですね。

[67] 
>>66
は一見何の変哲もない歴史記事ですが (著者が信奉派かどうかもわかりません)、
さらっと当然のように「渤海通寶」を真正品として紹介しています。
深く考えずに漠然と信じこんでいる人もそれなりにいそうです。

[230] 
それにしても、[[西暦1930年代]] ([[満州国]]の時代) 
というのは[[朝鮮人]]が[[満鮮]]を自由に行き来出来た時代なので
(しかも[[大東亜戦争]]と[[朝鮮戦争]]・[[冷戦]]という断絶を経ているので)、
[[高句麗]]や[[渤海]]の後裔を主張したい[[朝鮮人]]にとっては大変都合が良い道具になるのですね。
[SEE[ [[開化]] ]]


[REFS[

-
[43] 
[CITE['''['''단독''']'''발해 화폐로 추정되는 금화 첫 공개]], 
입력 2006. 10. 4. 07:22,
수정 2006. 10. 4. 07:22, 
[TIME[2023-06-12T12:08:42.000Z]] <https://v.daum.net/v/20061004072212547>
-- [46] 1個?のカラー写真あり
--
[92] 
[CITE@ko[BEMIL 사진 자료실 - 유용원의 군사세계]], [[유용원의 군사세계]], 
2007-01-28 08:05:08,
[TIME[2023-06-12T14:04:10.000Z]] <https://bemil.chosun.com/nbrd/bbs/view.html?b_bbs_id=10044&pn=0&num=83344>
--- [93] 転載
--
[44] 
[CITE[네오 :: 발해 화폐로 추정되는 금화 첫 공개 - 세계]], 
2012. 11. 25. 20:38,
[TIME[2023-06-12T12:09:15.000Z]] <https://tadream.tistory.com/4538>
--- [45] 転載
-
[98] 
[CITE[발해화폐 추정 금화 뒷면의 의미는]], 
입력 2006. 10. 5. 07:44,
수정 2006. 10. 5. 07:44,
[TIME[2023-06-12T14:11:52.000Z]] <https://v.daum.net/v/20061005074411964>
-- [99] 5個のカラー写真あり
-
[59] 
[CITE[‘발해시대 금화’ 진짜일까?]], 
입력: 2006.10.14 00:00,
수정: 2006.10.14 00:00,
[TIME[2023-06-12T13:02:25.000Z]] <https://m.seoul.co.kr/news/newsView.php?cp=seoul&id=20061014009014>
-
[96] 
[CITE["발해 금속화폐는 독립국가 증거물"]], 
입력 2006. 10. 14. 08:51,
수정 2006. 10. 14. 08:51,
[TIME[2023-06-12T14:09:00.000Z]] <https://v.daum.net/v/20061014085114778>
-- [97] 
教授が素手で5個全部持ってるカラー写真あり。
-
[27] 
[CITE[네오 :: 하나도 모르고 쓰는 역사 이야기<91>후고려기(後高麗記)(4) - 광인]], 
2013. 3. 20. 17:49,
[TIME[2023-06-11T15:47:59.000Z]] <https://tadream.tistory.com/5644>
-- [28] 
[CSECTION[[하나도 모르고 쓰는 역사 이야기<91>후고려기(後高麗記)(4)]],
2009/04/25 06:22
-
[100] 
[CITE@ja[한국사 시간여행자 밴드 : 발해화폐에서 나온 대조영 연호 천통의 비밀 http://m.koreahiti.com/news/articleView.html?idxno=796위의 기사를 보고 다시 천통 연호에 관... | BAND]], 
[[시간여행자]],
2016年8月1日 午後7:51,
[TIME[2023-06-12T14:18:58.000Z]] <https://band.us/band/59634353/post/2285>
-
[66] 
[CITE[발해의 의복 및 섬유생활문화 ⑤ - TIN뉴스]], 
2016/11/17 [12:11],
[TIME[2023-06-12T13:15:40.000Z]] <https://www.tinnews.co.kr/12531>
-
[52] 
[CITE@ko['천통8년' 화폐가 말해주는 대진국, 발해의 실체... < 고대사 < 시대별 주제 < 기사본문 - 코리아 히스토리 타임스]], 
입력 2016.08.01 11:40,
수정 2018.01.31 08:47,
[TIME[2023-06-12T12:50:10.000Z]] <http://www.koreahiti.com/news/articleView.html?idxno=796>
- [23] 
[CITE@ja-JP[환단고기 북 콘서트 광주 편 2부 환단고기, 독보적 사서史書 가치 - [[YouTube]]]], [TIME[2023-06-11T15:31:25.000Z]] <https://www.youtube.com/watch?v=6T9dLF8mSAc>
27分頃

]REFS]

-*-*-

[127] 
一般には[[天統]]の史実性は低いとされていますが、
[[大韓民国]]や[[朝鮮民主主義人民共和国]]では、
研究者も含め、
その実在が広く信じられています [SRC[>>125]]。

[126] 
[[大韓民国]]では歴史の[[教科書]]にまで掲載されました
[SRC[[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]]]。
[TIME[西暦699年][699]]から[TIME[西暦719年][719]]と記述されています
[SRC[>>125]]
([TIME[y~2020]])。

[128] 
その他、
多くの[[元号一覧]]等に掲載されています (が掲載していないものも多いです)。

[116] >>112 これは[TIME[西紀2011年][2011]]に[[大韓民国]]であった[[檀君紀元]]復活運動の解説記事。
[[渤海]]では[[天統]]の[[元号]]があったと[[高句麗]]の[[永楽]]などとともに紹介されている。


[131] 
[[朝鮮人]]もすべてが実在を完全に信じているわけではありません。
[[大韓民国]]の研究者[[李孝珩]]は、
[CITE[俠溪太氏族譜]]
に出現するとはいえ、
史料として問題が多く歴史学者は利用を控えているもので、
[[天統]]の実在性は十分考証が必要で、
歴史教科書に記載する必要性があるのかは疑問だとしています。
[SRC[>>125]]



[REFS[

-
[112] 
[CITE@ko[이제는 우리민족의 단기 연호를 되찾읍시다 < 문화 < 기사본문 - K스피릿]], 
2011.07.14 15:37,
[TIME[2023-06-20T13:00:28.000Z]] <http://www.ikoreanspirit.com/news/articleView.html?idxno=24853>

]REFS]

@@
[135] 
[CITE@ja-JP[日満の古代国交]], [[沼田頼輔]], [TIME[昭和8][1933]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-21T08:32:08.850Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1213101/1/18?keyword=%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83> (要登録)

** 重光

[7] 
20世紀の[[偽書]]
[CITE[桓檀古記]]
には、
[[天統]]や、
更に前の時代の[DFN[重光]] ([TIME[y~2022]])
が掲載されました。
[SRC[[[中文]]版[CITE[Wikipedia]]]]
[SEE[ [[[CITE[桓檀古記]]の日時]] ]]

** 後期

[17] 
[[渤海国]]時代最後の4人の王の時代の[[元号]]は、
確実な文献や金石文が知られていませんが、
諸説があります。

[9] 
[[中文]]版[CITE[Wikipedia]]は
[CITE[陝溪太氏族譜]]
を根拠に3つの[[元号名]]を挙げていますが、
単独の元号記事は立項していません。

[13] 
[[中文]]版[CITE[Wikipedia]]は
[CSECTION[天統 (渤海國)]]
の記事に
[CITE[桓檀古記]]
を出典に4つの[[元号名]]を掲載しています。
[SEE[ [[[CITE[桓檀古記]]の日時]] ]]

[10] 
かつて[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は
4つの[[元号名]]を挙げ、
単独の元号記事も立項していました。
削除依頼が却下され[[偽年号]]だと説明する内容になりました
[SRC[>>537]]
が、その後削除されました。

[12] 
[CITE[ウィキペディア]]は怪しいサイト [SRC[>>104]] が出典である (から信用できない)
としていましたが、その出典が追加される前から記事はあったようです
(履歴が参照できないので詳細不明)。
また、その怪しいというサイトと期間に微妙な違いがあります。
当該サイト以外にも出典があったらしい記述もあります。

;;
[11] 
削除されたため現在では履歴を参照できませんが、
削除依頼記事や[CITE[ウィキペディア]]の内容を複製した外部サイト
[SRC[>>101, >>102]]
から[[偽年号]]だとする説明文を確認できます。
また、朝鮮の元号の一覧記事の過去履歴で掲載を確認できます。
([CITE[ウィキペディア]]は削除されると履歴まで消えてしまうのが困ったものです。)

[77] 
>>74 によるとかつては[[朝鮮語]]版[CITE[Wikipedia]]にもその4元号がありました。


[FIG(table)[

:n:渤海王
:o: 旧学説
:陝溪太氏族譜:[CITE[陝溪太氏族譜]]
:w:[CITE[ウィキペディア]]
:桓檀古記:[CITE[桓檀古記]]

;;
:n:[[大祚榮]]
:陝溪太氏族譜:天統

:n:[[大虔晃]]
:陝溪太氏族譜:黃龍
:w: 正永
:桓檀古記:大定

:n:[[大玄錫]]
:陝溪太氏族譜:甘露
:w:寛明
:桓檀古記:天福
:o: [[秋豊]]

:n: [[大瑋瑎]]
:w:慶成

:n:[[大諲譔]]
:陝溪太氏族譜:天授
:w:文徳
:桓檀古記:清泰

]FIG]

[15] 
[[渤海の元号]]を研究した[[金毓黻]]は、
この時代の4人の王の4つの[[元号]]の時期を推定しましたが、
[[元号名]]は不明としました。

[16] 
[[中文]]版[CITE[Wikipedia]]の[[元号一覧]]は、それを根拠に、
[[元号名不明][元号名不詳]]の[[元号]]4つを掲載しています。
[SRC[>>18]]

[95] 
[[金毓黻]]は[CITE[渤海國志長編]]の著者です。
そのどこかに書かれているのでしょうか (引用には出典を書いてくれ!)。



[REFS[

-
[104] 
[CITE[史海寻踪.帝王世系.唐时期(二)]], [TIME[2023-06-12T14:25:06.000Z]], [TIME[2007-09-28T07:38:08.344Z]] <https://web.archive.org/web/20070928073617/http://40881.host3.tfidc.com/tang2.htm>
- [101] [CITE@ja[慶成 (渤海)とは - わかりやすく解説 Weblio辞書]], [TIME[2023-06-12T14:21:51.000Z]] <https://www.weblio.jp/content/%E6%85%B6%E6%88%90+%28%E6%B8%A4%E6%B5%B7%29>
- [102] [CITE@ja[寛明 (渤海) - ユニオンペディア]], [TIME[2023-06-12T14:22:06.000Z]] <https://ja.unionpedia.org/i/%E5%AF%9B%E6%98%8E_(%E6%B8%A4%E6%B5%B7)>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[103] 
[CITE@ja[ノート:元号一覧 (朝鮮) - [[Wikipedia]]]], [TIME[2023-05-29T14:21:24.000Z]], [TIME[2023-06-12T14:23:15.005Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%3A%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%9C%9D%E9%AE%AE)>
]FIGCAPTION]

>吉川弘文館の歴史手帳の付録にある「年号索引」には高麗の年号として「天授」(918年-944年)という、ここの本文にないものがあるのですが。211.128.136.77 2004年10月3日 (日) 19:37 (UTC)

>>    渤海の「天統 (천통)(699年-718年)は出典史料が判明すれば項目に戻したいと思います。また「虔晃 (건황)(858年-926年)は王名との混同と考えられていますのでノートに移動させておきました。こちらも元号としての出典史料の提示があれば項目に戻したいと考えます。--Yonoemon 2007年4月13日 (金) 08:00 (UTC)

>渤海の年号4件(正永 寛明 慶成 文徳)については、史海寻踪#帝王世系》唐时期(二)に記述が見られることを確認できましたので、{{fact}}は除去しました。(ただ、原典が解っていないので引き続き調査が必要かと思います。また、後百済の元号「正開」について三国史記・三国遺事では見当たらないのでいったん{{fact}}をつけておきます。(高麗史を調べるべきでしょうか)--田英 2007年5月6日 (日) 01:17 (UTC)


]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[537] [CITE@ja[Wikipedia:削除依頼/渤海史の偽史関係 - [[Wikipedia]]]]
([TIME[2016-01-11 14:23:07 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E6%B8%A4%E6%B5%B7%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%81%BD%E5%8F%B2%E9%96%A2%E4%BF%82>
]FIGCAPTION]

> 正永 (渤海) - ノート
> 寛明 (渤海) - ノート
> 慶成 (渤海) - ノート
> 文徳 (渤海) - ノート
> 一次史料に確認できない偽年号。参考文献として個人サイトらしき'''['''1''']'''をのせるが、これは桓仁王朝とかをのせるようなあきらかにいかがわしいサイト。

]FIG]

- [18] 
[CITE@zh[中国年号列表 - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2021-12-27T16:04:41.000Z]], [TIME[2022-02-08T05:43:10.748Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E5%88%97%E8%A1%A8#%E5%B9%B4%E8%99%9F%E4%B8%8D%E6%98%8E>

]REFS]


@@
[137] 
[CITE@ja-JP[唐代官文書研究]], [[中村裕一]], [TIME[1991.12][1991]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-21T08:36:09.222Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12711411/1/211?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


-*-*-

[19] 
[DFN[天授]] ([TIME[y~2034]]) はほぼ同じ時期に[[高麗]]の[[天授]] [TIME[y~281]]
があります。何らかの関係があるのかもしれません。

[25] 
[[清泰]]も[[後唐]]にあって、[TIME[西暦934年][934]]が[[元年]]です。
その次が[[後晋]]の[[天福]]で、[TIME[西暦936年][936]]が[[元年]]です。

** [CITE[Wikipedia]]記事における謎元号

[68] 
[[朝鮮語]]版[CITE[Wikipedia]]の記事には謎[[元号]]が追加されたり削除されたりしているようです。

[74] 
[CITE@ko[발해 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-06-12T13:07:26.000Z]], [TIME[2023-06-12T13:37:54.083Z]] <https://ko.wikipedia.org/w/index.php?title=%EB%B0%9C%ED%95%B4&oldid=1061713>

[75] [TIME[2007-08-15]]時点の >>74 にはなぜか2系統の[[元号一覧]]が掲載されています。

>
=    대중상: 세조(世祖) 진국열황제(振國烈皇帝), 연호 중광(重光)
=    고왕: 태조(太祖) 성무고황제(聖武高皇帝), 연호 천통(天統)
=    무왕: 광종(光宗) 무황제(武皇帝), 연호 인안(仁安)
=    문왕: 세종(世宗) 광성문황제(光聖文皇帝), 연호 대흥(大興)
=    대원의: 폐위되어 묘호와 시호 없음. 재위 당시 사용한 연호는 기록 없음
=    성왕: 인종(仁宗) 성황제(成皇帝), 연호 중흥(中興), 휘 화흥(華興)
=    강왕: 목종(穆宗) 강황제(康皇帝), 연호 정력(正曆)
=    정왕: 의종(毅宗) 정황제(定皇帝), 연호 영덕(永德)
=    희왕: 강종(康宗) 희황제(僖皇帝), 연호 주작(朱雀)
=    간왕: 철종(哲宗) 간황제(簡皇帝), 연호 태시(太始)
=    선왕: 성종(聖宗) 선황제(宣皇帝), 연호 건흥(建興)
=    대이진: 장종(莊宗) 화황제(和皇帝), 연호 함화(咸和)
=    대건황: 순종(順宗) 안황제(安皇帝), 연호 대정(大定)
=    경왕: 명종(明宗) 경황제(景皇帝), 연호 천복(天福)
=    애왕: 묘호 없음. 애제(哀帝), 연호 청태(淸泰)

>
=    인안(仁安): 720년-738년
=    대흥(大興): 738년-794년
=    보력(宝暦): 774년-?
=    중흥(中興): 794년-795년
=    정력(正暦): 795년-809년
=    영덕(永徳): 809년-813년
=    주작(朱雀): 813년-817년?
=    태시(太始): 817년?-818년
=    건흥(建興): 819년-831년
=    함화(咸和): 831년-857년
=    정영(正永): 857년-871년
=    관명(寛明): 872년-893년
=    경성(慶成): 894년-906년
=    문덕(文徳): 907년-926년

- [80] [CITE@ko[발해: 두 판 사이의 차이 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-06-12T13:07:26.000Z]], [TIME[2023-06-12T13:48:15.678Z]] <https://ko.wikipedia.org/w/index.php?title=%EB%B0%9C%ED%95%B4&diff=prev&oldid=741923>
-- [CSECTION[2007년 2월 8일 (목) 14:32 판]],
[[Russ]]

[81] オリジナルの一覧が掲載されたのはこのとき。なぜか2つはコメントアウトされている。

- [82] [CITE@ko[발해: 두 판 사이의 차이 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-06-12T13:07:26.000Z]], [TIME[2023-06-12T13:50:03.335Z]] <https://ko.wikipedia.org/w/index.php?title=%EB%B0%9C%ED%95%B4&diff=prev&oldid=767161>
-- [CSECTION[2007년 2월 23일 (금) 00:21 판]],
[[Russ]]

[83] コメントアウトが解除。

- [78] [CITE@ko[발해: 두 판 사이의 차이 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-06-12T13:07:26.000Z]], [TIME[2023-06-12T13:45:00.169Z]] <https://ko.wikipedia.org/w/index.php?title=%EB%B0%9C%ED%95%B4&diff=prev&oldid=896993>
-- [CSECTION[2007년 5월 7일 (월) 22:56]],
[[ToePeu]]

[79] [CITE[桓檀古記]]からの一覧が掲載されたのはこのとき。

- [84] [CITE@ko[토론:발해 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-05-29T13:25:36.000Z]], [TIME[2023-06-12T13:52:21.363Z]] <https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%86%A0%EB%A1%A0:%EB%B0%9C%ED%95%B4#%ED%99%98%EB%8B%A8%EA%B3%A0%EA%B8%B0_%EA%B4%80%EB%A0%A8_%ED%95%AD%EB%AA%A9%EB%93%A4_...>

[85] しかしすぐに
[CITE[桓檀古記]]
なんて載せるなと怒られています。

[69] [CITE@ko[발해 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-06-12T13:07:26.000Z]], [TIME[2023-06-12T13:31:13.203Z]] <https://ko.wikipedia.org/w/index.php?title=%EB%B0%9C%ED%95%B4&oldid=2692844>

[70] [TIME[2009-01-01]]時点の >>69 には
「‘천통팔년’(天統捌年)」
の紹介があって、
本物なら[[東北工程]]を覆すと述べられています。
[CITE[世界日報]]記事 (現存せず。) が引用されていて、1日違いですが >>43 
と同じものでしょうか。

[76] 
実はこの記述は >>74 の時点で既に存在していましたが、そちらでは出典が付いていません。

[71] [CITE@ko[발해 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-06-12T13:07:26.000Z]], [TIME[2023-06-12T13:35:04.353Z]] <https://ko.wikipedia.org/w/index.php?title=%EB%B0%9C%ED%95%B4&oldid=3700890>

[72] [TIME[2009-08-29]]時点の >>71 には[[元号一覧]]に
「천통[天統]」
があります。

[73] それとは別個に、
[CITE[桓檀古記]]には別の歴史が書かれているが学界では[[偽書]]とされている、
と書かれています。

[86] [CITE@ko[발해 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-06-12T13:07:26.000Z]], [TIME[2023-06-12T13:54:49.718Z]] <https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%B0%9C%ED%95%B4#%EA%B1%B4%EA%B5%AD>

[87] >>86 令和5年6月現在、年表にこそ天統はありませんが、本文には

>[SNIP[]] 고왕(高王) 대조영은 천통(天統)이라는 독자 연호를 사용하였다. 

としれっと初代が天統の元号を使ったと書かれています。

[88] 年表には[[天統]]がないかわりに

>
,871 	,대현석 	,대정15년 	,대건황 붕어. 대현석 즉위.
,894 	,대위해 	,천복24년 	,대현석 붕어. 대위해 즉위.
,906 	,대인선 	,?13년 	,대위해 붕어. 대인선 즉위.
,906 	,	,청태7년 	,신라와 비밀리에 연계를 맺음.
,924 	,	,청태19년 	,발해의 거란 침입, 요주자사를 죽이고 백성들을 빼앗음.
,925 	,	,청태20년 	,발해인 장군 500여 명 고려로 망명. 12월, 거란이 발해에 침입.
,926 	,	,청태21년 	,거란군, 부여부 점거. 발해 멸망. 국명을 동단국으로 바꾸고 거란 태자 야율배가 지배.
,934 	,대광현 	,청태29년 	,대광현 발해의 유민을 이끌고 고려로 귀순. 

のように[CITE[桓檀古記]]系の[[元号]]が書かれています。

実はこの年表はかなり前の版からありますが、
末尾の方は[[元号]]が書いてませんでした。途中で誰かが[CITE[桓檀古記]]の[[元号]]で埋めたというわけです。


[90] [CITE@ko[발해 : 네이버 블로그]], 
[[휘참]],
2008. 12. 31. 19:29,
[TIME[2023-06-12T14:02:23.000Z]] <https://m.blog.naver.com/PostView.naver?isHttpsRedirect=true&blogId=braveattack&logNo=10039724651>

[91] >>90 これは[CITE[Wikipedia]]の記事コピーブログ。
当時の[[天統]]関係の記述が含まれています。

-*-*-

[105] [CITE@zh[渤海國的爭議年號 - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2023-05-31T11:01:42.000Z]], [TIME[2023-06-12T14:29:55.349Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7%E5%9C%8B%E7%9A%84%E7%88%AD%E8%AD%B0%E5%B9%B4%E8%99%9F>

[106] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]には疑わしい[[元号]]を集めた記事があります。

[107] 
[TIME[公元2011年][2011]]に[CITE[桓檀古記]]系の5個が、
[TIME[公元2022年][2022]]に[CITE[陝溪太氏族譜]]系の4個が
(異なり8個)
掲載されています。

-*-*-

[133] [CITE@lzh[天統 (渤海國) - [[維基大典]]]], [TIME[2023-06-18T03:04:02.000Z]], [TIME[2023-07-02T03:19:23.614Z]] <https://zh-classical.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%B5%B1_(%E6%B8%A4%E6%B5%B7%E5%9C%8B)>

[134] >>133
[CITE[桓檀古記]]から引いて、
[TIME[西暦698年][698]]から[TIME[西暦719年][719]]の[[元号]]としています
([TIME[y~718]])。
[[中国]]と[[朝鮮]]の古籍にはないとも書いています。

-*-*-

[89] 関連: [[[CITE[Wikipedia]]の日時関連記事]]

* 渤海亡後紀年

[33] 
[[中華民国]]大陸時代に編纂された
[CITE[渤海國志長編]]
の補遺にある
[CSECTION[渤海遺裔大事表]]には、
[DFN[渤海亡後之紀年]]が示されています。
[[宋の元号]]、[[遼の元号]]、[[金の元号]]を記した「宋遼紀年」
と共に、
[[渤海国]]の滅亡後の出来事が[[年表]]にまとめられたいます。
[SRC[>>32]]

- [34] 「後四十六年」から始まります。
宋開寶五年・遼保寧四年に当たります。
-- [39] 
[TIME[西暦972年][972]]
([TIME[y~918]],
[TIME[y~436]])
-- [42] 
逆算すると[TIME[西暦927年][927]]が[[元年]]。
- [35] 「後五十年」は[[定安国]]の「元興元年」、
「後五十五年」は「元興六年」となっています。
-- [40] 
[TIME[西暦976年][976]], [TIME[西暦981年][981]]
([TIME[y~1698]])
- [36] 「後一百九十年」で終わります。
[[大渤海]]の「隆基元年」、一云「應順」となっています。
-- [41] 
[TIME[西暦1116年][1116]]
([TIME[y~1289]])

[37] 
その少し後 [SRC[>>32 #page=1136]] には
「東丹之五十年[LINES(smaller)[景宗保][寧七年]]七月」
([TIME[西暦975年][975]]。逆算すると[TIME[西暦926年][926]]が[[元年]]。)
「其後二十年[LINES(smaller)[聖宗統和][十三年]]」
([TIME[西暦995年][995]], [TIME[y~1121]])
という表現があります。
この場限りの即席の[[紀年法]]でしょう。



[REFS[

- [31] [CITE@en[Bo hai guo zhi chang bian [[渤海國志長編]] | bnAsie]], [[Feng Yi, Christian Henriot]], [TIME[2023-06-11T15:22:47.000Z]], [TIME[2023-06-11T15:22:57.543Z]] <https://www.bnasie.eu/BN/Books?ID=427>
--[32] 
[TIME[2023-06-11T15:22:20.800Z]]
<https://www.bnasie.eu/Asset/Source/bnBook_ID-427_No-1.pdf>
#page=1125

]REFS]

* 外交文書

[109] 
[[渤海使]]が持参した[[渤海国]]政府から[[日本政府]]への文書が[[日本]]に残ります。
[[咸和]]の[[元号年]]が使われています。
[SEE[ [[外交文書の日時]], [[咸和]] ]]

* 一世一元

[110] 
[[渤海の元号]]は、現在知られている限りでは、 ([[宝暦]]の例外を除けば)
[[一世一元]]だったとみなされています。

;; [111] 同時代の[[日本]]でもほぼ[[一世一元]]でした。
[SEE[ [[一世一元]] ]]

[114] 
[[中国正史]]等は各代1つずつ[[元号]]を記録しています。

[115] 
ただ[[宝暦]]が漏れていたり、[[中国正史]]の[[日本の元号]]の低品質ぶりを見るに、
これを全面的に信用するのは躊躇されるところです。

[113] 
[[日本]]に残る[[咸和]]文書を根拠に、
[[一世一元]]を基本としたことが確認できる
[SRC[>>112 ([CITE[渤海国中台省牒の基礎的研究]], [[酒寄雅志]])]] 
とされることがあります。
しかし用例1つで[[一世一元]]を言うのは無理があるとも思われます。
(それとも引用されている[CITE[渤海国中台省牒の基礎的研究]]にはもっと詳細な考察があるのでしょうか? 未確認)


[REFS[

- [112] [CITE[[[百済紀年考]]]]

]REFS]

* 前後の時代

[SEE[ [[高句麗の元号]], [[東丹の元号]], [[契丹の元号]], [[高麗の元号]], [[金の元号]] ]]


[138] [[隆基]]

[140] [[寛永]]

* 関連

[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]

* メモ


[20] [CITE@zh[新唐書/卷219 - 维基文库,自由的图书馆]]
([TIME[2023-05-28T14:49:47.000Z]], [TIME[2023-06-11T14:52:06.303Z]])
<https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8/%E5%8D%B7219#%E6%B8%A4%E6%B5%B7>

[136] [CITE@ja-JP[古代の中国と日本]], [[汪向栄, 蔵中進, 由同来 訳]], [TIME[1992.10][1992]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-21T08:34:31.024Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13228759/1/175?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[139] [CITE@ja-JP[法政史学 (28)]], [[法政大学史学会]], [TIME[1976-03]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-21T08:42:32.030Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7928436/1/73> (要登録)