[1] 
[[昭和時代]]の研究者[[友田吉之助]]の調査によると:
[SRC[>>698]]

- [779] 中国の年代歴だろう
- [787] [[釈霊実]]の年代歴による日中対比はかなり広く行われていた
- [777] [CITE[日本国見在書目録]]によると[CITE[帝王年代暦]], [[釈霊実]]
- [778] [CITE[東城伝灯目録]]によると[CITE[古今帝王年代暦]], [[釈霊実]]
- [775] [CITE[帝王編年記]] 周昭王
「周紀曰二十六年甲寅四月八日」
「釈霊実云二十四年甲寅四月八日」
-- [781] 神武天皇元年 周恵王17年 西暦紀元前660年
-- [782] 周僖王3年 西暦紀元前679年 19年差
- [780] 金沢文庫所蔵[CITE[春秋暦]]序文に「或者曰神武元年辛酉当周僖王三年是拠唐釈霊実暦歟然与馬史年表他家年代暦編年通載粗有疑錯莫弁其実今即不取」
- [783] [CITE[愚管抄]]第一皇帝年代記神武天皇
「元年辛酉歳如来の滅後二百九十年云々又相当周世第十六代の主僖王三年云々一説以周恵王十七年辛酉当之此説為吉至当時無相違之故歟」
-- [784] 「恵王17年説が正しい、現行紀年法に合致するから」
-- [785] [CITE[愚管抄]]は鎌倉時代初期、[CITE[春秋暦]]もほぼ同時代
-- [786] [CITE[愚管抄]]の僖王3年説も[[釈霊実]]の年代歴を指すと思われる
- [788] [CITE[帝王編年記]]巻第三
「神武天皇御宇七十六年元年辛酉如来滅後二百九十年当周僖王三年也」
-- [789] [CITE[延喜式]]附録弘仁歴運記 「当周僖王三年辛酉」
-- [790] 鎌倉時代初期に普及していただけでなく平安時代初期には行われていた,
[[奈良時代]]の僧侶の著述を記載する[CITE[東城伝灯目録]]にあるので[[奈良時代]]に行われた年代歴と推定
- [791] [CITE[歴代皇紀]]文武天皇裏書
「大唐釈霊実年代歴云従神農元年[LINES(smaller)[丁][亥]]至大唐文親(久視カ)二年[LINES(smaller)[辛][巳]]三千七百九十五年云々
-- [792] [CITE[史籍集覧]] 「久視」の誤写
-- [793] 年代記は久視2年 (大宝3年) 頃著作
-- [794] [[則天武后]]が[[周正]]を施行、毎年のように[[改元]],
暦法と紀年法が動揺していた時代
-- [795] 霊亀2年遣唐使帰朝、船載の可能性、そうでなくても[[奈良時代]]と推定
- [796] 文応二年革命定「不採王肇釈霊実之年紀」「可勘霊実之年数哉」
-- [797] [[三善清行]][CITE[革命勘文]]は[[王肇]]や[[釈霊実]]の年紀を採用していないので、[[釈霊実]]の年紀によるべきと主張
-- [798] [[鎌倉時代]]中期の[[改元]]で紀年計算の重要な根拠の1つだった
-- [799] 「且釈霊実末(年カ)代暦与諸家年代暦云支干云年数多以参差」
--- [800] 干支や年数が他の年代歴と異なると
--- [801] 2年差があることと符合
- [806] [CITE[瑚璉集]] 「古今帝王年代暦曰」
-- [807] 単なる年代記でなく形而上学的思想を包含したものであることがわかる
-- [808] 同文引用が[CITE[元元集]]天地開闢篇にも, 神道書にも影響を及ぼしていることわかる

[2] 
同時期の他の[[年代記類]]について [SRC[>>698]]

- [802] 応和四年革命勘文 「王肇暦紀経」引用 「王肇開元暦紀経」
-- [803] [[王肇]]は[[唐]]人
-- [804] [CITE[暦紀経]]は佚書
-- [805] 革命勘文で引かれているので単なる年代記でなく讖緯説関係だろう
- [809] [[三善清行]][CITE[革命勘文]] 「唐暦以後無唐家之史書」
-- [810] [CITE[唐暦]]なる年代歴が存在した
-- [811] [CITE[日本国見在書目録]]に柳芳撰40巻と、船載された年代歴であること間違いない
-- [812] [CITE[帝王編年記]]巻第二に[CITE[唐暦]]から引用
- [813] [CITE[日本国見在書目録]]に他に年代歴らしきものとして[CITE[通暦]]10巻
- [814] [[奈良時代]]に数種の年代歴が船載、史籍編纂に影響
- [815] [CITE[続日本紀]]大宝元年3月甲午「語在年代暦」
-- [816] いかなるものか不明だが[CITE[続日本紀]]成立以前に年代歴が存在し編纂に用いられたと思われる
-- [817] 唐の年代歴の影響で編纂されたものだろう
-- [818] [CITE[続日本紀]]「草案」は年代歴ではないか
- [820] 
唐代の年代歴の先行研究はほとんどない
-- [821] [[平田篤胤]][CITE[弘仁暦運記考]]が[[王肇]], [[釈霊実]]にふれるのみ

[3] 
[[友田吉之助]]は、
[CITE[古今帝王年代暦]]
や、そうでなくても同時期の[[唐]]の他の[[年代記類]]が[[日本]]に伝わり、
[[二年引き上げた干支紀年法]]が使われたと主張しました。

[4] 
そのような[[紀年法]]が (意識的に作られ) 存在し使われたとする説には疑問が呈され、
支持されていません。

[5] 
しかし[[中世日本]]の歴史書等に散見される[[2年ずれ]]の混乱の発生要因の説明としては、
大変興味を惹かれる説であり、一考の価値があると思われます。
[CITE[続日本紀]]や[CITE[王年代記]]の混乱との関係も追求が必要でしょう。

[6] 
それ以外の観点でも、[[年代記類]]の成立と発生を考える上で、
[[佚書]]である[[釈霊実]]の[[年代記]]の影響を指摘した点は重要といえます。


[REFS[

- [34] 
[CITE[[[日本書紀成立の研究]]]]
-- [698] 
[CSECTION[第九章  奈良時代の紀年法と中国の紀年法]]

]REFS]



@@
[BOX[

- [29] 
[TIME[2024-12-29T13:40:27.700Z]]
<https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00106199-00000003-0299.pdf?file_id=63492>
#page=2

[30] 
[CITE@ja[KJ00005086031.pdf]], [TIME[2024-12-29T13:58:28.000Z]] <http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/19347/KJ00005086031.pdf#page=6>

[31] 
[TIME[2024-12-29T14:04:29.000Z]]
<https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/2850/files/kenkyuhokoku_233_03.pdf>

[32] [CITE@ja[33_03_01.pdf]], [TIME[2018-12-19T01:42:44.000Z]], [TIME[2024-12-29T14:05:47.311Z]] <https://ajih.jp/backnumber/pdf/33_03_01.pdf#page=6>


]BOX]
