* 元号名

[1] [CITE@ja-JP[袖ケ浦町史 史料編 2]], [[袖ケ浦町]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-20T13:03:40.870Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642789/1/294> (要登録)

異体字

** 賀永

[27] 
[DFN[賀永]]と表記した事例がいくつかあります。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [331] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[長野県]][[北安曇郡]][[川内]]]] [CITE[越度峯の馬頭観音]]]]
-- [12] >>10 : [L[331]]
-- [14] >>10 : 白黒写真 (解像度中の下) 字形の雰囲気がなんとか掴める程度
-- [11] 「[DATA(.text)[[V[賀永元年]]]]」[SRC[>>10]]
-- [13] 「[V[申五月十七日]]」 [SRC[>>10]]
- [7] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[石川県]][[羽咋市]]]] [[高橋勇仁家文書]] [CITE[嘉永二年 百姓名買入証文]]]],
-- [8] 「[DATA(.text)[[V[賀永二年酉五月廿三日]]]]」
[SRC[>>6]]
- [18] [CITE(.label)[二十一回叢書]],
[DATA(.author)[[[吉田松陰]]]]
-- [19] [CSECTION(.label)[[V[卷六目次]]]],
[DATA(.published)[[V[安政丁巳七月朔日調[SUB(quarter)[レ]]之]]]]
--- [20] 
[DATA(.label)[「[V[白川侯御示書]]」]]
---- [21] 
「[V[[DATA(.text)[賀永元年秋九月十一日]]写[SUB(quarter)[レ]]之]]」
[SRC[>>17]]

]ITEMS]

[16] 
>>331 は >>14 の写真によるとややわかりにくいものの、第1字が[CH[賀]]であることがわかります。
字画のはっきりした[[楷書]]で彫られているようにみえます。

[23] 
>>331 >>7 は[[元号年]]と[[十二支年]]があり、[[嘉永]]の場合と一致します。

[24] 
>>18 は文脈からして[[嘉永]]とみなして矛盾がありません。


[REFS[

- [17] 
[CITE@ja-JP[吉田松陰全集 第9巻]], [[山口県教育会]], [TIME[昭和10][1935]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-01T09:52:09.816Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1051556/1/91?keyword=%E8%B3%80%E6%B0%B8>

]REFS]

*** 諸説

[28] 
これまでに3例が知られています。うち2例は半ば暗黙裡に[[嘉永]]に比定され、
残りの1例も[[嘉永]]であることが明らかです。

[29] 
[[干支年]]や文脈からいずれも[[嘉永]]として良いと考えられます。
[CH[嘉]]が入った他の[[元号]]でも、[CH[賀]]への交替が見られます。
[SEE[ [[日本の異年号の一覧]] ]]

[30] 
検出されても軽微な異表記ないし誤記とみられて[[異年号]]として一々報告する発想につながらないとみられ、
これ以外にも用例が存在する可能性があります。[[元号名]]における異表記の研究の進展のためもあって、
こうした事例を丁寧に拾う作業が望まれます。




*** 研究史

[22] 
[TIME[昭和10(1935)年][1935]]の著作集は、
>>21
を紹介し、「[V[賀永]]」の[CH[賀]]あたりに[[ママ注]]を付しています。
[SRC[>>17]]

[15] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]の地域史料集は、
>>331
を紹介し、
嘉永元年5月17日と説明しています。
[SRC[>>10]]

[9] 
[TIME[平成3(1991)年][1991]]の地域史は、
>>7
を紹介し、
賀永2年は[TIME[嘉永2(1849)年][1849]]と注釈しています。
[SRC[>>6]]

[26] 
[[令和時代]]に至るまで、[[元号研究]]の文脈で紹介した事例は見当たりません。

[REFS[

- [10] 
[CITE@ja-JP[小谷の石造文化財]], [[小谷村教育委員会]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-01T09:44:51.507Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12424010/1/95?keyword=%E8%B3%80%E6%B0%B8%E5%85%83%E5%B9%B4> (要登録)
- [6] 
[CITE@ja-JP[千里浜のれきし]], [[千里浜のれきし刊行委員会]], [TIME[1991.2][1991]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-01T08:56:56.276Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13204030/1/114?keyword=%E8%B3%80%E6%B0%B8> (要登録)


]REFS]

*** 関連

[SEE[ [[[CH[嘉]]と[CH[賀]]]] ]]

** 喜永

[34] 
[DFN[喜永]]と書いた事例が知られています。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [36] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[岡山県]][[井原市]][[芳井町]][[下鴫]]]] [[下鴫小原の堂]]([[観音堂]]) [[地蔵]]像]]
-- [37] 
「[DATA(.text)[喜永三丑天 七月五日]] 田中三良」
[SRC[>>35]]
- [40] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[宿毛市]][[大島]]]] [[小野家文書]] [CITE[小野氏家譜]]]]
-- [41] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[喜永七寅年十一月五日]][SNIP[]]]]」 
[SRC[>>39]]

]ITEMS]

*** 研究史

[42] 
[TIME[昭和62(1987)年][1987]]の史料集
[CITE[新収日本地震史料]]
は、
>>40
を紹介して、
「[V[[RUBY[ 喜永][(ママ)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈し、
嘉永7年 = 安政元年条に収録しています。
同書には他の安政元年11月5日地震の記録も収録されています。
[SRC[>>39]]


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[39] 
[CITE@ja[詳細検索 - 地震史料集テキストデータベース]], [TIME[2026-10-11T02:05:15.000Z]] <https://materials.utkozisin.org/articles/detail?id=J1900485>
]FIGCAPTION]

>
,*和暦 	,嘉永七年十一月四日
,*綱文 ,	安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
,*書名 	,〔小野氏家譜〕○宿毛市大島小野鉄一家文書(旧庄屋)
,*本文 ,	[未校訂](九代義秋)[BR[]]一喜永(ママ)七寅年十一月五日大ニ地動揺シテ大津浪打来リ海辺ノ[BR[]]漁屋潮ノ為ニ破ラレ水底ニ亡滅ス尤漁屋転倒スル事二三屋[BR[]]流舎一二軒計リ此時家内ノ宝器家財流亡無之義秋公用ヲ以[BR[]]佗出致居候事此時宝器ノ四稜ノ鑓スクモ立田安兵衛方へ見セニ遣シ候処右時変ニ付紛失致候趣申来事
,*出典, 	新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
,*ページ ,	2357
,*備考, 	本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 

]FIG]

]REFS]

-*-*-

[38] 
[TIME[令和8(2026)年][2026]]付 [[Web頁]] (初出不明) は、
>>36
を紹介して、
[TIME[嘉永3(1850)年][1850]]かと注釈しています。
[SRC[>>35]]

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[35] 
[CITE[備中西国三十三所観音霊場 画像集3]], [[mini_henro]], [TIME[2026-05-28T22:18:00.000Z]], [TIME[2026-10-11T01:58:25.564Z]] <https://minihenro.main.jp/s33/bitchu/bitchu33_img03.htm>
]FIGCAPTION]

>
[BOX(center)[
「喜永(※ママ)三丑天 七月五日 田中三良」

嘉永三年(1850年)庚戌か?
]BOX]
]FIG]

]REFS]

*** メモ

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[43] 
[CITE@ja[3943.pdf]], [TIME[2024-05-28T05:45:42.000Z]], [TIME[2026-10-11T02:58:59.245Z]] <https://www.town.nakanojo.gunma.jp/uploaded/attachment/3943.pdf#page=314>
]FIGCAPTION]

>
[VRL[
[SNIP[]]小沢を渡ると芳ヶ平ヒュッテになり︑[BR[]]
ヒュッテ小屋の東が大平湿原から来る道を合わせた所である︒ここに火[BR[]]
山の噴出物と思える三角形の自然石があり︑正面は﹁大日知来﹂で︑下[BR[]]
に﹁右ハくさつ[YOKO[/]]左ハ入山村 中の条 しれ昭﹂と刻む道標花しき湯[BR[]]
である︒喜永と間違えたが︑嘉永七(一八五四)年の碑で︑﹁入山都[BR[]]
山本藤左衛門﹂等の名がある︒嘉永七年に行った道路修復の記念で建て[BR[]]
たと思える道標で︑他にも同年の道標が幾つかあり︑﹃入山研究﹄の記[BR[]]
述を裏付けている︒﹃入山研究﹄を見ると︑嘉永七年に﹁京塚のみちし[BR[]]
るべは︑入山村と信州側で道を整備しあった時に造られたと聞いていま[BR[]]
す﹂の記載があり︑この時にこの道標を建てたと考えても不自然ではな[BR[]]
かろう︒[SNIP[]]
]VRL]
]FIG]

[44] >>43 は実際に石碑に「喜永」と書かれていて著者が間違いと判定したということなのか、
実際には「嘉永」と書かれているのに著者が「喜永」と読み間違えるような字形だったということなのか、
いまいち文意が掴みかねます。

* 改元手続き

[32] 
[CITE@ja-JP[東山御文庫御物 : 皇室の至宝 4]], [[毎日新聞社「至宝」委員会事務局]], [TIME[2000.4][2000]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-27T12:09:39.573Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12671869/1/267?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)



[3] [CITE@ja-JP[三川町史資料集 第6集]], [[三川町教育委員会]], [TIME[1996.3][1996]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-09T10:32:25.086Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13243281/1/65?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


[4] 
[CITE@ja-JP[神私実事集 : 東之庄神主家役所 続 (自天保十三年至安政二年)]], [[東庄郷土史研究会]], [TIME[1988.2][1988]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T04:51:58.657Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13177304/1/34?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[[日本国]][[千葉県]][[東庄町]]

* 改元伝達

[5] [CITE@ja-JP[古川市史 上巻]], [[古川市史編纂委員会]], [TIME[1968]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T09:36:02.991Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3451131/1/210?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[33] 
[CITE@ja-JP[岸和田市史 第7巻 (史料編 2)]], [[岸和田市史編さん委員会]], [TIME[1979.3][1979]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-27T12:35:49.667Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9574261/1/364?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


* 用例

[31] 
[CITE@en[wakizashi; blade | British Museum]], [TIME[2026-06-25T12:19:27.000Z]], [TIME[2026-06-25T12:20:03.801Z]] <https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_1981-0808-72-a>

>Inscription transliteration: Yokoyama Kaga-no-suke Fujiwara Sukenaga Kaei sannen nigatsu jitsu
>Inscription translation: Yokoyama Kaga no suke Fujiwara Sukenaga; a day in the second month in the third year of the Ka'ei era [1850]


* 関連

[2] 関連: [[嘉政]], [[永佳]]

[25] 
[[国立国会図書館デジタルコレクション]]で「賀永」で見つかるほとんどは、
「[[寶永]]」の[[OCR]]誤読です。
[TIME[2026-06-01T10:25:57.200Z]]

* メモ

