[40] 
[DFN[賀慶]]は、
[[日本の異年号]]の1つです。

[41] 
[[嘉慶]]の異表記と考えられています。

* 用例

** 宮城県下

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [37] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[宮城県]][[登米市]][[豊里町]]]] [[猪眠山]] [[板碑]]]]
-- [38] 
[DATA(.text)[賀慶二年]]
[SRC[>>1]]

]ITEMS]

[44] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介した事例は知られていません。

** 千葉県下

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [9] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[佐原市]][[香取町]]]][[香取神宮]] [[香取文書]] [[録司代家文書]] [CITE[中村胤幹還付状寫]]]]
-- [20] >>5 : [V[一[YOKO[35]]]]
-- [21] >>5 : [V[二四]]
-- [24] >>4 : [V[三-[YOKO[13]]]]
-- [17] >>11 : [[同音異字年号]] [L[17]]
-- [10] 
「[DATA(.text)[[V[賀慶二年[LINES(smaller)[戊][辰]]十二月十一日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>2, >>5, >>11]]
--- [23] 
「[DATA(.text)[[V[賀慶二年[ASIS[[SUB(smaller inline)[戊]][SUP(smaller inline)[辰]]]]十二月十一日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>4 ([CITE[千葉県史料]])]]

]ITEMS]

[14] 
>>9 に出現する[[中村胤幹]]は、同じ[[香取文書]]の嘉慶2年戊辰9月6日付のもの、
嘉慶2年12月付のものにも出現します。
[SRC[>>11]]

** 土佐国

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [28] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[土佐国]][[高岡郡]][[檮原村]]]] [[百姓]][[勘右衛門]]所蔵 文書]]
-- [32] >>7 /378 : [V[七四 (古二四二)]]
-- [34] >>7 /563 : [V[二四二 (木七四)]]
-- [33] 
「[DATA(.text)[[V[賀慶元年[BR[]]  丁卯八月三日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>7 /378]]
--- [29] 
「[DATA(.text)[[V[賀慶元年丁卯八月三日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>8, >>6, >>7 /563]]

]ITEMS]

[30] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。

* 諸説

[45] 
いくつか用例が知られていますが、それぞれで検討されることはあっても、
全体として議論したものは見当たりません。

[49] 
各用例は出現する文脈がまったく異なるもので、互いにまったく別個に生じたとみられます。

[46] 
いずれも比定年を示したものは[[嘉慶]]に同定することで一致しています。
根拠は必ずしも明示されているわけではありませんが、
[[干支年]]の一致、
[[音]]の類似、
[[固有名詞]]の一致する他史料などから、
この比定で問題はなさそうです。

[47] 
[CH[嘉]]と[CH[賀]]の異表記の[[元号名]]は他にもいくつも知られており、
比定説を裏付ける傍証となると共に、前近代の表記慣習という視点での検討を促すものです。

[48] 
文字の選択に意図を見出そうとする説もあります (>>18) が、
この利用状況からすれば、慎重になるべきと思われます。

* 研究史

[13] 
[[幕末]]から[[明治時代]]に編纂された
[CITE[香取文書纂]]
は、
嘉慶2年9月と康應元年の間に
>>9
を配置しています。
[SRC[>>2]]

[22] 
[TIME[昭和32(1957)年][1957]]の史料集は、
嘉慶2年12月2日と康應元年の間に
>>9
を配置しています。
[SRC[>>5]]

[25] 
その他にも 
>>9 を紹介したり [SRC[>>4]]、
参照したり [SRC[>>3]]
するものがいくつかみられます。


[REFS[

-
[2] 
[CITE@ja-JP[[[香取文書纂]] 巻之7]], [[伊藤泰歳, 村岡良弼 校]], [TIME[明39-41][1908]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-10T12:14:05.579Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/815205/1/18?keyword=%E8%B3%80%E6%85%B6> (要登録)
-
[5] 
[CITE@ja-JP[千葉県史料 中世篇 香取文書]], [[千葉県史編纂審議会]], [TIME[1957]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-10T12:15:59.361Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/151?keyword=%E8%B3%80%E6%85%B6> (要登録)
-
[4] 
[CITE@ja-JP[八日市場市史 上巻]], [[八日市場市史編さん委員会]], [TIME[1982.2][1982]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-10T12:15:19.159Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13220910/1/288?keyword=%E8%B3%80%E6%85%B6> (要登録)
- 
[3] [CITE@ja-JP[北日本中世史の研究]], [[羽下徳彦]], [TIME[1990.2][1990]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-10T12:14:35.866Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13211720/1/217?keyword=%E8%B3%80%E6%85%B6> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[19] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
>>14
および[[嘉慶]]と[[賀慶]]は同音で、
[[干支年]]も一致するので、同一の[[年号]]と考えられるとしています。 [SRC[>>11]]

[16] 
それに先立つ昭和39年の論文では、同音異字の異年号表に掲載され、
やはり[[嘉慶]]と同定されています。 [SRC[>>15]] (が、結論だけで説明はありません。)

[18] [CH[嘉]]を[CH[賀]]としたのは、むしろ[CH[賀]]こそ庶民のとって実感をもって受容しやすい文字だからにほかならない、
とされています。
[SRC[>>11]]


[REFS[

- [15] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]]]]
- [12] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [11] p.[V[一七一]], pp.[V[一七八]]-[V[一七九]], p.[V[一八四]]

]REFS]


-*-*-

[36] 
[TIME[昭和52(1977)年][1977]]の史料集は、
>>28
を紹介しています。
[SRC[>>8]]

[31] 
[TIME[昭和52(1977)年][1977]],
[TIME[平成2(1990)年][1990]]の史料集は、
>>28
を紹介して、
「[V[[RUBY[賀][(嘉カ)]]慶]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>7 /563, >>6]]

[REFS[

-
[8] [CITE@ja-JP[皆山集 : 土佐之国史料類纂 第8巻 (民俗(2)・地理(1)篇)]], [[編集委員: 平尾道雄 '''['''等''']''']], [TIME[1974]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-10T12:20:18.054Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769765/1/289?keyword=%E8%B3%80%E6%85%B6> (要登録)
- [7] 
[CITE@ja-JP[高知県史 古代中世史料編]], [[高知県]], [TIME[1977.3][1977]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-26T05:42:06.407Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3022516/1/378?keyword=%E8%B3%80%E6%85%B6> (要登録)
- [6] 
[CITE@ja-JP[南路志 : 土佐国史料集成 第1巻]], [[武藤致和, 高知県立図書館]], [TIME[1990.5][1990]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-10T12:17:40.950Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13266247/1/58?keyword=%E8%B3%80%E6%85%B6> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[42] 
[CITE[日本私年号の研究]]
が[[私年号]]ではないと判定したためなのか、
[[私年号]]の表などにも掲載はほとんど見られません。
[SRC[>>43]]

[27] 
[[中文]]版[CITE[維基百科]]の一覧は、
[[嘉慶]]の欄で
[CITE[日本私年号の研究]]
を出典に
[CITE[香取文書·嘉慶二年十二月付文書]]
が[[賀慶]]とすると述べています。
[SRC[>>26]]


[39]
[TIME[令和7(2025)年][2025]]の
[[SNS]]
投稿は、
>>37
を紹介しています。
[SRC[>>1]]

[REFS[

- [43] [[日本私年号一覧表]]
- [26] 
[CITE@zh-Hant-HK[日本年號列表 - [[維基百科]],自由的百科全書]], [TIME[2026-08-21T05:11:48.000Z]], [TIME[2026-08-26T05:35:31.081Z]] <https://zh.wikipedia.org/zh-hk/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%88%97%E8%A1%A8#%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3>
-
[1] [CITE@ja[Xユーザーの[[豆人]]さん: 「豊里の板碑といえば、既周知の分だと美濃館跡の反対側、西側の薬師神社さんの板碑群が知られている。南北朝時代、貞和三年銘板碑(1347)を在銘最古として十六基からなるという甘露院医王寺跡の碑群。後は供養壇の南側、猪眠山の賀慶二年銘板碑。……「賀慶」って私年号かこれ。 #今日のいしぶみ語り」 / X]], [TIME[午後10:09 · 2025年4月10日][2025-04-10T13:09:55.000Z]], [TIME[2025-07-02T06:08:07.000Z]] <https://x.com/_mamehito_/status/1910319330275086595>

]REFS]

* 関連

[SEE[ [[賀應]], [[賀吉]], [[賀永]] ]]

* メモ