[25] 
[DFN[観睿]] ([[旧字体]]: [DFN[觀睿]]) なる[[元号名]]の用例が1つ知られています。

* 元号名

[28] 
[[新字体]]は[[観睿]]、
[[旧字体]]は[[觀睿]]です。

[29] 
[[読み][元号名の読み方]]は
「かんえい」
とされます。
[SRC[>>1]]

* 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [3] [DATA(.label)[[DATA(.author)[[[観世黒雪]]]]自筆[[謡本]]]]
-- [21] >>1 : [L[87]]
-- [4] [DATA(.addr)[[[日本国]][[長崎県]][[長崎市]]]] [[長崎県立長崎図書館]] 所蔵 [SRC[>>1]]
-- [5] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[觀睿元[BR[]]  卯月日]]]]」
[SRC[>>1]]

]ITEMS]

[6] 
[CH[睿]]は[CH[叡]]の[[異体字]]の1つです。 [SRC[>>1]]

[22] 
[[奥書]]に自筆である旨の記載があります。 
[SRC[>>1]]

[23] 
著者として[[奥書]]に署名[[花押]]があるのは[[観世黒雪]] (観世左近大夫 暮閑、
[TIME[永禄9(1566)年][1566]] - [TIME[寛永3(1626)年][1626]])。[[能楽師]]。
[SRC[>>1]]

* 諸説

[38] 
用例はこれまでに1例のみ知られています。

[39] 
[[公年号]]の[[寛永]]の異表記とみなす説があります。
用例の[[著者]]の生存期間内ではありますが、
[[干支年]]がありませんし、傍証として製作時期を特定できるような他の史料も提示されていません。

[40] 
[[寛永]]の異表記だとして、なぜ[[觀睿]]と表記されたかは、現在のところ不明とせざるを得ません。

[56] 
ところで
>>3
には
「観世左近大夫 暮閑」
の署名があるとされます。[[観世黒雪]]がこれを称したのは、
[TIME[慶長17(1612)年][1612]]から[TIME[元和7(1621)年][1621]]の間とされます。
[[寛永]]の頃には
「黒雪斎 暮閑」
と称していたことが確認できます。

[57] 
だとすると、
[[觀睿]]は[[寛永]]ではないか、
本人自筆の真書ではないか、
何か相当に特殊な事情で昔の名前で署名したことになります。


* 研究史

[26] 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]の書籍は、
>>3
を紹介して、

- [27] [V[観睿 [WEAK(smaller)[(寛永)]] 元(年)卯月日]]
- [30] [V[[RUBY[観][かん]][RUBY[睿][えい]]元]]
-- [31] [[私年号]]かもしれない
-- [32] [CH[睿]]は[CH[叡]]の[[異体字]]
- [33] [[観世黒雪]]自身の[[姓]]の1字の[[音通]]にヒントを得てであろうか
- [34] 寛永3年没、その2年前

... と述べています。
[SRC[>>1]]

[35] 
すなわち、[[私年号]]の可能性を指摘しながら、ただちに[[公年号]]の[[寛永]]に比定しています。
どうにも筆者の真意がわかりかねるところです。

[2] 
また、自身の名前の[[音通]]というのは、[CH[寛]]と[CH[観]]が同音であるということでしょうか。
確かに[[改元]]で[[元号名]]が自分の名前と同音であったら、
親近感の一つでも覚えるかもしれませんが・・・。
[CH[睿]]と[CH[永]]には何の言及もありません。

[7] 
名前が似ているから[[公年号]]を別字で書く、というのはどういう心の働きによるものか、
もう少し説明がほしいですね。「であろうか」と疑問形であり、
筆者自身も無理があるかもと思いつつ敢えて気づいたことを指摘したくらいの説かもしれません。

[8] 
ただ、そうであるならなぜ[[寛永]]であると断定的に書いているのかは謎です。
理由はわからなくても比定年には自信があったのでしょうか。



[REFS[

- 
[1] [CITE@ja-JP[日本書蹟大鑑 第14巻]], [[小松茂美]], [TIME[1979.3][1979]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T13:22:41.018Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12705251/1/119?keyword=%E8%A6%B3%E5%AE%B9> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[37] 
[[令和時代]]に至るまで、[[觀睿]]が[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。




* 関連

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[54] 
[CITE@ja[観世左近大夫暮閑(かんぜさこんたゆうぼかん)とは? 意味や使い方 - コトバンク]], [[,世界大百科事典内言及]], [TIME[2026-07-03T15:54:29.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E8%A6%B3%E4%B8%96%E5%B7%A6%E8%BF%91%E5%A4%A7%E5%A4%AB%E6%9A%AE%E9%96%91-1295700>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]1612年2月には帰参を許され(《享和二年観世大夫由緒書》),観世左近大夫暮閑と称したが[SNIP[]]
]FIG]

([TIME[慶長17(1612)年][1612]])

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[55] 
[CITE@ja[元和卯月本百番(げんなうづきぼんひゃくばん)とは? 意味や使い方 - コトバンク]], [[,世界大百科事典内言及]], [TIME[2026-07-03T15:57:22.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E5%85%83%E5%92%8C%E5%8D%AF%E6%9C%88%E6%9C%AC%E7%99%BE%E7%95%AA-1311957?utm_source=chatgpt.com>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]この間,1621年夏から翌春のころには出家隠退して黒雪斎と称した。[SNIP[]]
]FIG]

([TIME[元和7(1621)年][1621]])

- [52] [CITE@en[元和七年観世左近大夫暮閑筆巻子本「芭蕉」 | UTokyo Digital Archive Portal]], [TIME[2026-07-03T15:51:31.000Z]], [TIME[2026-07-03T15:52:01.852Z]] <https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/en/assets/68e61933-153e-9ffb-1440-073523387539?pos=20>

[53] >>52 は[V[元和七[BR[]]    水無月日]]、[V[観世左近大夫[BR[]]    暮閑]]。


- [50] [CITE@en[元和八年黒雪斎暮閑筆絹本巻子本「長谷六代」 | UTokyo Digital Archive Portal]], [TIME[2026-07-03T15:47:56.000Z]], [TIME[2026-07-03T15:49:01.112Z]] <https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/en/assets/7604948c-48be-05e3-1990-1dc1606b3f02?pos=6>

[51] >>50 は[V[元和八年七月□日]]、[V[黒雪斎[BR[]]  暮閑]]。

- [41] [CITE[法政大学能楽研究所 能楽貴重資料デジタルコレクション 1.謡本]], [TIME[2023-09-29T08:14:39.000Z]], [TIME[2026-07-03T15:30:29.144Z]] <https://nohken.ws.hosei.ac.jp/nohken_material/htmls/index/pages/cate1.html>
-- [42] 
[CITE[観世暮閑筆小謡巻;能楽研究所蔵]], [TIME[2017-09-21T07:28:11.000Z]], [TIME[2026-07-03T15:30:36.717Z]] <https://nohken.ws.hosei.ac.jp/nohken_material/htmls/index/pages/y14/10.html>

[43] >>42 は[V[寛永弐[BR[]]  初夏廿三日]] (4/23)、[V[黒雪斎[BR[]]  暮閑]]。

- 
[44] 
[CITE@ja[寛永二年水無月黒雪斎暮閑筆巻子本「初瀬六代」 | 東京大学デジタルアーカイブポータル]], [TIME[2026-07-03T15:36:31.000Z]], [TIME[2026-07-03T15:37:19.852Z]] <https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/0293ad48-3779-7c51-35b9-f238d17678fc?pos=7>

[45] >>44 は[V[寛永弐[BR[]]  水無月廿七日]] (6/27)、[V[黒雪斎[BR[]]  暮閑]]。


- [46] 
[CITE@ja[寛永三年極月 観世黒雪辞世(乙) | 東京大学デジタルアーカイブポータル]], [TIME[2026-07-03T15:36:05.000Z]], [TIME[2026-07-03T15:39:04.048Z]] <https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/e9192982-0b72-194b-2200-0fa064703c22?pos=4>

[47] >>46 は[V[寛永三年極月日]] (12/)、[V[黒雪斎[BR[]]  暮閑]]。


[58] 
これらによると、[[寛永]]の頃にはもう
「観世左近大夫暮閑」
とは名乗っていません。

[59] 
「観世左近大夫暮閑」
時代は[[徳川家]]に許され仕える身ではあったとはいえ、
かつてほどの重用はされなかったといわれています。

[60] 
「観世左近大夫暮閑」
を名乗らず
「黒雪斎暮閑」
となったのは、
宗家当主の地位から完全に離れて出家隠退したことを意味します。
その後も作品の製作活動は継続しているものの、
それまでのような表立った活動形態とは異なると理解されます。


* メモ