* 讖緯説

-[1] [CITE@ja[讖緯説 - Uyopedia]] ([TIME[2014-01-14 19:25:26 +09:00]]) <http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E8%AE%96%E7%B7%AF%E8%AA%AC>
-[9] [CITE@ja[古事記に親しむ改 皇紀(BC660年)は讖緯説に基づいてない【第一部】]], [[浅草橋キッド]], [TIME[2023-01-18T15:02:35.000Z]], [TIME[2023-01-19T06:01:39.404Z]] <https://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-230.html>

[11] [CITE@ja[暦 - Uyopedia]], [TIME[2020-07-31T14:48:20.000Z]], [TIME[2023-04-21T09:31:36.700Z]] <http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E6%9A%A6%E5%88%B6#.E5.8E.9F.E7.90.86.EF.BC.9A.E6.98.9F.E8.AA.AD.E3.81.BF>

>なお日本で有名な讖緯説では『易緯』の鄭玄の注に、干支が一周する60年を1元とし、21元を1蔀(ぼう)として1320年(別解釈では1260年)周期で歴史が変動するという説が有名だが、これは平安時代に日本で捏造された説であって本来の讖緯説ではない。


* 神武天皇即位年

[15] [CITE@ja-JP[史学叢説 第1集]], [[星野恒 稿, '''['''星野幹, 星野彬 共編''']''']], [TIME[明治42][1909]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-17T07:18:34.471Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1026757/1/111> (要登録)

[17] >>81


[38] [CITE@ja-JP[日本国史学 (13);2018・秋]], [[日本国史学会]], [TIME[2019-03]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-20T06:58:13.574Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13697932/1/80>

[39] >>38 全体としてはちょっと独創性が強い論文だが辛酉年讖緯説問題についての考察はまあ妥当だろう。



[40] [CITE@ja-JP[真珠湾への道]], [[和歌森太郎 等編, 松山文雄 絵]], [TIME[1969]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-20T07:06:26.175Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12925491/1/115> (要登録)

[41] >>40 子供向けに書かれた皇国史観を否定する立場の本らしいが、
[[皇国史観]]の当否とは別次元でこの本の主張が支離滅裂すぎて、
逆方向に同じことをしている洗脳書と化している。
当記事に関連する部分のみ指摘しておくと、

- [42] 「おおくの学者たち」の研究で[[記紀]]の文飾や捏造や歴史引き伸ばしが判明した、
と述べている。出典を明らかにしていないのは児童向け概説書という形式ゆえにやむを得ないとはいえ、
戦前の教科書の歴史記述を検討して啓蒙するという本書の趣旨からすれば、
どの時代の「おおくの学者たち」なのかを明確にしていないのは、
読者の誤解を誘引する目的と邪推されても仕方あるまい。
- [43] [[神武天皇]]即位年を「できるだけつごうのいい年にもっていく」
目的で寿命の水増しや捏造の[[天皇]]の挿入を行ったのだと断定的に述べている。
しかし、これが出版された[[昭和時代]]中期の時点でも果たして断言しきれるだけの通説だったといえるか疑わしい。
- [45] 
[[聖徳太子]]の時代から[[讖緯説]]で遡った年に[[神武天皇]]が即位式をした
「ということになったのだといわれています」と説明している。
これ自体は[[近代]]の学界での有力説に基づく説明ではある。
「いわれています」ではいつ誰がどこで言っているのか (学説なのか伝承なのか、
ただの与太話なのか) わからない。
「いわれています」と伝聞調ながら、文脈的には確定的な事実のように読めてしまう。
読み方を訓練されていない児童なら解明された真実と受け取る可能性が高かろう。
- [46] 
考古学的知見によると、紀元前660年は「原始時代の縄文式文化のころ」で、狩猟採集社会で
「国どころのはなしではありません」といい、対して[[記紀]]では
「りっぱに国ができていた」のはおかしいと断ずる。
狩猟採集社会が国のはじまりになりえないというのは論理の飛躍で、
後世の「国」のイメージに引きずられた偏見というほかない。
文飾の存在を認知している (>>42) のだから、当然それを割り引かねばなるまいし、
後世の人が振り返って国の始まりの時点を探ったとき、
それが狩猟採集社会だったとしても不思議ではないだろう。
(念の為断っておくが、ここではそれが史実だと主張したいわけではなく、本書の論理展開に無理があると指摘しているのである。
極端なイメージを読者に植え付けるために敢えてこのような対比にしたとも邪推できる。)
- [44] 「皇紀 (日本だけの紀元)」「日本だけとくべつの皇紀元年」
が諸外国の建国記念日とは性質が違うとし、
あたかも[[明治時代]]の[[日本]]だけが世界標準と異なる独自の[[紀年法]]を採択したかのような印象を与えようとしているように思われる。


- [49] [CITE@ja-JP[藝林 57(1)(259);2008・4]], [[藝林会]], [TIME[2008-04]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-20T08:34:52.265Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11201842/1/13> (要登録)
- [47] [CITE@ja-JP[少年日本史]], [[平泉澄, 羽石光志 絵]], [TIME[昭和45][1970]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-20T08:04:15.410Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12925070/1/21> (要登録)


[48] >>47 [[讖緯説]]に基づく延長説で解説している。 >>40 と説の内容は似ているが、
読者が論理を追えるように丁寧に説明されている。出典を明記していないのは同じだが、
こちらは「おおくの学者」に「いわれています」のように権威を借るような書き方はしていない。
また、こちらは[[皇紀]]という[[紀年法]]と[[神武天皇]]の史実とを混同せず切り離して考えるよう読者に求めている。

[50] なお >>47 よりもかなり詳しい原形と思われる講演が >>49。

[56] 
[CITE@ja-JP[まぼろしの神武建国 : 日本書紀をどう読むか]], [[市村其三郎]], [TIME[1975]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-27T05:21:19.963Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12239389/1/89?keyword=%E8%BE%9B%E9%85%89> (要登録)


[57] >>56 [[神武天皇]]即位年[[讖緯説]]起源説の怪しげなところを指摘する。
ここまでは良い。それが
「原日本紀」「新日本紀」のような独特な説に結び付けられ、
「天皇教」「水戸学派」
を介して現代の「反動の政治体制」を語るという壮大で極めて怪しげな世界を展開するための、
その論拠の1つに使われてしまっている。

[60] 
[[日本私年号一覧表]]の[CITE[新日本史年表]]の項も参照。


* 革年改元

[69] 
[DFN[革年改元]]は、
[[讖緯説]]、[DFN[三革]]
([DFN[革令]]: [[甲子]]年,
[DFN[革運]]: [[戊辰]]年,
[DFN[革命]]: [[辛酉]]年)
を踏まえて行われた[[改元]]です。
[[日本]]では[[平安時代]]以来、
[CITE[易経]]により[[革命]]が起こるとされた[[辛酉]]年に[DFN[革命勘文]]により[[改元]]が提案され、
実施される慣例となっていました。
後には同じく[[革命]]の年である[[甲子]]年にも実施されました。 [SRC[>>68]]
元は[[菅原道真]]左遷の理論だったと言われています。

[2] 
[[三革]]の[[年]]に[[改元]]されたと説明されることがありますが、
実施例のあるのは[DFN[革命改元]]と[DFN[革令改元]]で、
[[革運]]を理由とする[[改元]]例はありません。

[3] 
迷信に過ぎないとする者や条件を満たす年ではないと判断する者もありましたが、
一応改元するに越したことはないとの判断が重ねられ、
[[江戸時代]]までほとんどの年次に実施されたようです。
つまり元々は[[干支年]]と直結したものではなかったはずなのですが、
いつの間にか60年毎の恒例行事化していました。


[58] 
[CITE@ja[国際忍者研究センター]], [TIME[2025-12-08T14:12:30.000Z]] <https://ninjacenter.rscn.mie-u.ac.jp/blog/2019/0718-2/>

>
その中で、明治1年の戊辰戦争の「戊辰」についてGengoroで調べてみると、なぜか「戊辰」年は改元が多いことに気づきました。明治1年の120年前は寛延1年。そして、その60年前は元禄1年です。
>そのことについて調べてみたら、改元理由の一つに「革年改元」といって、特定の干支の年(甲子、戊辰、辛酉)は改元する慣習があることがわかりました。甲子園でおなじみの「甲子」は、神亀元年、康保元年、万寿元年、応徳元年、天養元年、元久元年、文永元年、正中元年、至徳元年、文安元年、永正元年、寛永元年、貞享元年、延享元年、文化元年、元治元年なのだそうです。


[59] >>58 間違った解説を読んで間違った結論を得た事例かな?

** 支那の改元

[7] 
現在[[革年改元]]と確認されているのは[[日本]]の事例のみです。
[[支那王朝]]の事例は知られていません。

[8] 
[[三善清行]]は、
[[辛酉年]]や[[甲子年]]の[[称元]]や[[改元]]を27例示しました。
そのうち7例は本来の年と合致しません。
うち3例は[[称元法]]の違いかもしれませんが、
残り4例は三善の作為が疑われています。
[SRC[>>4]]
いずれにしても革命があった (その結果が[[改元]]) と三善が主張したのであって、
革命を予期して[[改元]]したと史書などで記録されているものではありません。


[12] [CITE[JIAJS_PRINTED01_Hirayama.pdf]], [TIME[2022-02-25T06:05:28.000Z]], [TIME[2023-04-22T13:49:31.671Z]] <https://japan.tsukuba.ac.jp/content/uploads/sites/43/2022/02/JIAJS_PRINTED01_Hirayama.pdf#page=6>

[81] 
[CITE@ja-JP[古代 = Journal of the Archaeological Society of Waseda University (29/30)]], [[早稲田大学考古学会]], [TIME[1958-10]], [TIME[2023-11-28T02:04:43.000Z]], [TIME[2023-11-28T06:01:38.136Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6062471/1/44> (要登録)



** 朝鮮半島の改元


[13] 
[[弓裔]]の挙兵が辛酉年 [SRC[>>14]]、
[[武泰]]建元が甲子年 [SRC[>>14, >>1555]] なのを[[讖緯説]]と関係付ける説があります。
後に[[改元]]された[[水徳万歳]]なる[[元号名]]にも関係を見出します。
[SRC[>>14]]



[REFS[
- [14] 
[CITE@ja-JP[元号を考える]], [[鈴木武樹]], [TIME[1977.2][1977]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-03T14:26:08.099Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12208591/1/31> (要登録)
- [1553] [CITE[[[日本語学]]]]
-- [1554] [CSECTION[[[年号を考える]]]]
--- [1555] [CITE[[[韓国の年号]]]], [[吉本一]], p.[L[82]]
]REFS]

** 研究史

[5] [[斎藤励]]が概観を示しました。

[6] [[所功]]が[[三善清行]]の理論を検討しました。
[DFN[辛酉革命改元]]の創始者たる三善が、
藤原氏による[[菅原道真]]排除に加担するため恣意的に理論展開したことを明かしました。 [SRC[>>4]]


[REFS[
- [461] [CITE[[[年号の歴史]]]]
-- [4] [CITE[[[三善清行の辛酉革命論]]]]
- [68] [CITE@ja[革命勘文 - Wikipedia]] ([TIME[2019-02-15 07:07:56 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%A9%E5%91%BD%E5%8B%98%E6%96%87>
]REFS]

@@
[BOX[

[32] 
[CITE@ja-JP[日本経済叢書 巻19]], [[滝本誠一]], [TIME[大正4-6][1917]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-05-31T12:41:29.085Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/950402/1/72>

[33] 
[TIME[2024-07-28T03:45:02.900Z]]
<https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/2850/files/kenkyuhokoku_233_03.pdf>

[34] 
[TIME[2024-12-29T14:04:49.900Z]]
<https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/2850/files/kenkyuhokoku_233_03.pdf>

[36] 
[CITE@ja-JP[國學院雜誌 28(12)(340)]], [[國學院大學]], [TIME[1922-12]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-04T12:46:44.251Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3364983/1/10> (要登録)

[37] 
[CITE@ja-JP[立正史学 (48)]], [[立正大学史学会]], [TIME[1981-01]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-10T13:24:23.810Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7937886/1/10> (要登録)


[51] 
[CITE@ja-JP[革命・革令勘文と改元の研究]], [[佐藤均]], [TIME[1991.12][1991]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-09T09:57:02.711Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13246877/1/4> (要登録)

[52] 
[CITE@ja-JP[神皇正統記論考]], [[我妻建治]], [TIME[1981.10][1981]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-09T10:02:31.123Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12210668/1/17> (要登録)


[53] 
[CITE@ja-JP[建武中興]], [[建武中興六百年記念会]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-09T10:35:47.956Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1241204/1/44?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83+%E9%A2%A8%E8%81%9E> (要登録)


[55] 
[CITE@ja-JP[國學院雜誌 28(12)(340)]], [[國學院大學]], [TIME[1922-12]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-27T04:44:38.280Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3364983/1/10> (要登録)


]BOX]


* 地理讖緯説

[SEE[ [[三元甲子]], [[檀君紀元]] ]]

[35] 
[DFN[盤古開闢戊寅]],
[DFN[開闢上元甲子]] :
[[三元甲子]]参照。

* 仏教公伝

[SEE[ [[仏教公伝]] ]]

* 関連

[16] [[術数]]

[18] [[萬壽]]

* メモ

[10] [CITE@ja-JP[日本古代史の諸問題]], [[岡田芳朗 等著]], [TIME[1968]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-15T12:17:30.315Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2966839/1/71> (要登録)



-[19] 
[CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「皮錫瑞『経学歴史』では、洪範五行伝や春秋災異説と並んで、斉詩の四始五際説を挙げて、漢代経学の「天人之學」の代表格としています。 四始五際とは十二支の亥・午・酉などを変革・革命のタイミングとする言説です。本邦で神武紀元や改元の根拠となった辛酉革命説にも、その影響が見られます。 https://t.co/VsnoVAxcLa」 / X]], [TIME[午後9:47 · 2024年5月27日][2024-05-27T12:47:17.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795074296403960195>
--[20] 
[CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「斉詩学派の文献は現存しませんが、『後漢書』や『毛詩正義』に引かれている郎顗や『詩緯汎歴枢』の説から、具体的には、寅・巳・申・亥を四始とし、卯・午・酉・戌・亥を五際とすることが分かっています。 しかし、これが何故、斉詩という『詩経』に関する学術の中で説かれたのでしょうか。」 / X]], [TIME[午後9:47 · 2024年5月27日][2024-05-27T12:47:49.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795074429807993083>
-- [21] 
[CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「あくまでも仮説ではありますが、孔広森『経学卮言』が四始五際説の復元を試みています。なかなか面白いので以下にご紹介したいと思います。 https://t.co/7AOvRA6vug」 / X]], [TIME[午後9:48 · 2024年5月27日][2024-05-27T12:48:24.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795074574452683001>
--[22] [CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「孔広森はまず、四始五際説に挙げられている『詩経』の篇と十二支との関係に、更に十二律を当てはめます。『詩』は性情に関する学術であり、性情は律暦に依拠して治められるのだから、『詩』は十二支(暦法)と十二律(音律)に結びつくのだと言うわけです。 https://t.co/HWhpasEgc7」 / X]], [TIME[午後9:54 · 2024年5月27日][2024-05-27T12:54:59.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795076231035023570>
--[23] [CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「更に、詩と十二支との配当については、(『斉詩』が現存しないので)『毛詩』での篇次に基づいて、大雅・小雅の詩を三篇一組にして並べると、四始五際説による配当(大明—亥、四牡—寅、天保—卯etc...)に合致すると言います。 なるほど、この発想はすごい。 https://t.co/QWeP5Gjwsb」 / X]], [TIME[午後10:00 · 2024年5月27日][2024-05-27T13:00:32.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795077631647359071>
--[24] [CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「ただし、例外の組み合わせもいくつかあります。 例えば『毛詩』では「南有嘉魚」「南山有臺」の後には「蓼蕭」「湛露」等が続き、「采芑」はそれよりもだいぶ後ろです。しかし「南有嘉魚」を巳とし、「采芑」をその次の午としています。 『毛詩』の順番に従えば、午は「蓼蕭」「湛露」等になるはずです」 / X]], [TIME[午後10:09 · 2024年5月27日][2024-05-27T13:09:53.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795079983066456298>
--[25] [CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「こういったことについて、孔広森は「篇次之異」と説明しています。つまり、四始五際説が基づいた『斉詩』は、現存の『毛詩』と、詩の順序が異なっていたのだろう、ということです。 このあたりは新しい竹簡でも出てこない限り、本当のところは確かめようがありません。」 / X]], [TIME[午後10:13 · 2024年5月27日][2024-05-27T13:13:20.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795080852973510688>
--[26] [CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「一方、十年ごとに孟・仲・季の「旬首」を設け(「十年一移」)、三十年ごとに「仲」が巡ってくるものとします。 干支は合計六十ですので、「仲」の始まりは必ず甲子か甲午の年になります。そして甲子年もしくは甲午年からの三十年間を「〇仲」「△仲」「□仲」等々と呼ぶようです。 https://t.co/gXKwcmWc8d」 / X]], [TIME[午後10:19 · 2024年5月27日][2024-05-27T13:19:37.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795082430191145096>
--[27] [CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「例えば紀元4年甲子からの30年間は「午仲」、紀元34年からは「未仲」、紀元64年からは「申仲」といった具合です。30年ごとに十二支が一つ進む勘定になります。 このような「〇仲」「△仲」を歴史上の革命に当てはめると、周王朝滅亡は酉仲、秦王朝滅亡は亥仲、王莽簒奪は午仲…… https://t.co/L0TH1npc3j」 / X]], [TIME[午後10:24 · 2024年5月27日][2024-05-27T13:24:12.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795083586183274526>
--[28] [CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「……なんと確かに「亥」「午」「酉」が革命のタイミングに当たります!」 / X]], [TIME[午後10:28 · 2024年5月27日][2024-05-27T13:28:00.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795084540488085550>
--[29] [CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「以上のように、「午年」や「酉年」で考えるのではなく、三十年ごとの「午仲」「酉仲」といったものを用意して、それについて「卯酉為革政、午亥為革命」等々を述べたのが、斉詩の四始五際説なのではないか、というのが孔広森の仮説です。」 / X]], [TIME[午後10:30 · 2024年5月27日][2024-05-27T13:30:06.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795085071273120147>
--[30] [CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「『詩経』の三篇一組と十干の三旬一組を重ね合わせた論理展開が大変鮮やかで、読み終えた後にはとてもスッキリ。 現存する文献が不足しているので、残念ながらこれで「証明完了」というわけにはいきません。しかし、経学・術数学研究の面白さを存分に味わえる議論であるように思われます。」 / X]], [TIME[午後10:45 · 2024年5月27日][2024-05-27T13:45:48.000Z]], [TIME[2024-05-28T03:43:51.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795089021154013469>
-- [31] 
[CITE@ja[Xユーザーの東大中国思想文化学研究室の住人さん: 「昨夜の投稿のうち、西暦に2ヶ所誤りがありました。繰り上がりのない足し算のミス……。 大変失礼いたしました。訂正版の表を再度投稿します。 https://t.co/CWiFKx72SM」 / X]], [TIME[午後0:39 · 2024年5月28日][2024-05-28T03:39:11.000Z]], [TIME[2024-05-30T13:57:45.000Z]] <https://x.com/UTokyo_chutetsu/status/1795298751080485138>


















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[CITE@ja-JP[予言と革命 : ここにも大変革の危機がある]], [[安居香山]], [TIME[1976.9][1976]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-25T05:38:43.923Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12611320/1/12> (要登録)