[126] 
[DFN[万喜]]や[DFN[高喜]]は[[日本の元号]]の2つです。

* 萬喜, 万喜, 高喜 (日本マタギ)

[17] 
[DFN[萬喜]] ([[新字体]]: [DFN[万喜]]),
[DFN[高喜]]
は、
[[マタギ]]の文書に出現することのある[[元号]]です。

-*-*-

[18] 
[[東日本]]の[[マタギ]]の家には
[CITE[山立根本巻]]
などと呼ばれる[[秘伝書]]が伝わることが多いそうです。
それらは大筋で一致しながらその細部は異なる、つまり異同のある[[写本]]がいくつもあります。

[19] 
そして[[写本]]によっては[[奥書]]に独特の[[元号]]が書かれています。

[27] 
[TIME[平成6(1994)年][1994]]時点で[[日本国]][[秋田県]]の歴史研究者[[髙橋正]]は、
この分野は資料の収集・分析に至るまで論じ尽くされた感すらある 
(が実際にはまだ研究の余地がある)
と指摘していました。
[SRC[>>26 #page=1]]

[162] 
その当時
[CITE[山立根本巻]]
の[[奥書]]は
「建久四年五月」
ないし
「建久四年五月中旬」
とあるのがさも当然のように論が進められていました。
[SRC[>>26 #page=1]]

[163] おそらくそれが最も一般的な[[写本]]の系統なのでしょう。

[164] 
ところが[[髙橋正]]も紹介するように、
奇妙な[[元号]]を書いた[[写本]]も存在するのです。


[NOTE[

[14] 
また、
[CITE[山立根本巻]]
と関係する文書が無年号だったり建久4年だったり元慶4年だったりするとのことです
[SRC[>>13]]。

[15] 
この種の文献の[[奥書]]はあまり信用できないのかもしれません。
はじめから作為ある[[日付]]が書かれていたのかもしれませんし、
伝写の過程で変化しておかしな[[日付]]になったのかもしれません。


[REFS[

- [13] [CITE@ja-JP[宮守村誌]], [[宮守村教育委員会]], [TIME[1977.9][1977]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T14:18:02.844Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569860/1/210> (要登録)

]REFS]

]NOTE]

[165] 
怪しげな[[紀年]]の正体は解明されておらず、大量に現存する写本群でどう表現されているのか、
その全体像も実は未だ明らかになっていません。


;; [16] [[奥書]]の[[紀年]]以外にも、怪しげな内容があります。
例えば: [[弘名天皇]]

[159] 関連: [[秘伝書の日時]], [[偽文書元号]]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [52] 
[DATA(.label)[[[喜田貞吉]]が閲覧した[[日本国]][[秋田県]]の[[マタギ]]伝来[CITE[山立根本巻]]]]
-- [53] 「[DATA(.text)[萬喜元乙丑天四月十七日]]」
[SRC[>>51]]
- [54] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[秋田県]][[秋田郡]][[荒瀬村]]]]の[[佐藤忠俊]]家伝来折本 [CITE[山立根本巻]]]]
-- [55] [DATA(.label)[[[奥書]]]] 「[DATA(.text)[萬喜元年]]」
[SRC[>>9, >>12]]
- [20] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[秋田]][[矢島郷]][[百宅村]]]][[齊藤七蔵]]家伝来[CITE[山立根本巻]]]]
-- [10] [DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[萬喜元 [SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[丑]] 天四月十七日]]]]」
[SRC[>>1]]
-
[57] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[岩手県]][[稗貫郡]][[大迫町]] [WEAK[([[平成の大合併]]で[[花巻市]])]]]] 中山山本文書 [CITE[山立根本巻]]]]
-- [22] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[萬喜元 [SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[丑]] 天  四月十七日]]]]」
[SRC[>>2]]
-
[63] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[新潟県]][[中魚沼郡]][[津南町]][[大赤沢]]]] [[藤ノ木新吉]]家所蔵[CITE[山立根本巻]]]]
-- [64] 
「[DATA(.text)[[V[万喜元[SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[丑]]天四月十七日]]]]」
[SRC[>>62 /53]]
-
[65] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[新潟県]][[五泉市]][[猿和田]]]] [[五十嵐彦吉]]家所蔵[CITE[山立根本巻]]]]
-- [66] 
「[DATA(.text)[[V[万喜[SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[丑]]天[BR[]]四月十七日]]]]」
[SRC[>>62 /52]]
-
[67] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[新潟県]][[東蒲原郡]][[鹿瀬町]] [WEAK[([[平成の大合併]]により[[阿賀町]])]] [[実川]]]] [CITE[山立根本巻]]]]
--
[68] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[万喜[SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[丑]]天[BR[]]四月十七日]]]]」
[SRC[>>62 /152 翻刻]]
--
[117] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[万喜[SUP(smaller inline)[乙丑]]天[BR[]]四月十七日]]]]」
[SRC[>>115 翻刻]]
-
[25] 
[DATA(.label)[[[令和時代]]に[DATA(.addr)[[[日本国]][[宮城県]][[仙台市]]]]の業者が[[オークション]]サイトに出品した[CITE[山立根本巻]]]]
--[56] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[__&&swc597(萬)&&____&&swc598(喜)&&__元[SUP(smaller)[__&&swc81(乙)&&__]]丑󠄃天四月十七日]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>24]]
-- [58] 
[[人名]]はなく発給、受給者は不明です。原所在地は不明ですが、
[[宮城県]]か[[東北地方]]の可能性が高そうです。
-
[37] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[秋田県]]]]ウェブサイトで公開されている [CITE[山立根本巻]]]]
-- [59] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[万喜元乙丑天[BR[]]四月十七日]]]]」 ([[楷書]]) 
[SRC[>>36 #page=27]]
---
[NOTE[

[38] 
白黒写真と翻刻と平仮名文があります。
白黒写真は解像度が低くて字形の細部まではよくわかりません。
平仮名文の読みの根拠は不明ですが、機械的に仮名に開いたものでしょうか。
該当部分は

>
[VRL[
まんきがんおつうしてん

しがつじゅうしちにち
]VRL]

とあります。 [SRC[>>36 #page=27]]

]NOTE]
--
[NOTE[

[39] 
末尾に

>
[VRL[
秋田郡阿仁根子村

佐藤七之丞
]VRL]

とあります。
一覧にある[[根子児童館]]所蔵、[[佐藤富久栄]]所有の
[CITE[山立根本巻]]
に当たるのでしょうか?

]NOTE]
-
[119] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[福島県]][[耶麻郡]][[山都町]] [WEAK[([[平成の大合併]]により[[喜多方市]])]] [[一ノ木]]]] [[金子恒一]]家所蔵 [CITE[山立根本巻]]]]
--
[120] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[萬喜元[SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[丑]]天四月十七日]]]]」
[SRC[>>118]]


]ITEMS]



[11] 
[[佐藤雲外]]は[[昭和時代]]の民俗研究者[[藤井萬喜太]]の調査 (>>55)
を引いて[[萬喜]]は[[私年号]]でおそらく元中2年だろうとしています。
[SRC[>>9, >>12]]
[[藤井萬喜太]]の解説のままと書いているので、
これは[[藤井萬喜太]]の見解かもしれませんが、
判断の理由は書かれていません。

;; [32] [[藤井''萬喜''太]]、なんとも運命的な名前!

[NOTE[

[128] [[藤井万喜太]]の調査結果がいつどこで発表されたものかは不明。
[[佐藤雲外]]の言及の翌年[TIME[昭和12(1937)年][1937]]に関係しそうな題名の論文を発表していいる
[SRC[>>127]] ので、
続報があるかもしれません。


[REFS[

- [127] [CITE@ja-JP[下野史の新研究]], [[大島延次郎]], [TIME[1958]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-28T05:10:03.124Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2987859/1/117> (要登録)
右

]REFS]

]NOTE]


[21] 
[[昭和時代]]後期の[CITE[大迫町史]]は、 >>10 の[[万喜]]は、
「[V[私年号とみられ、この種巻物によく出てくる年号]]」
だと述べています。
[SRC[>>1]]
筆者は他にもこれを見たことがあるのかもしれませんが、
残念ながら詳しくは説明してくれていません。
なお、同じ[[奥書]]の[[人名]]は不明ながら[[近世]]の人物とされます [SRC[>>1]]。

[23] 
[CITE[大迫町史]]
は、 >>22 の[[萬喜]]は、
「[V[私年号と考えられている]]」
と述べています。
[SRC[>>2]]
誰が考えているのか明記されていませんが、当時の[[大迫町]]で漠然とそう理解されていたということでしょうか。


[92] 
[TIME[平成22(2010)年][2010]]の[[論文]]で
「万喜元年(架空)」
と書いているものがあるようです。
[SRC[>>91]]
詳細不詳。

-*-*-


[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[34] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[越後国]]]]の [CITE[山立根元巻]]]]
-- [60] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[高喜元天]]」
[SRC[>>26 #page=7 ([CITE[狩猟伝承研究]], [[千葉徳爾]], [TIME[1969]], pp.756-757)]]。
- 
[69] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[新潟県]][[北魚沼郡]][[湯之谷村]][[下折立]]]] [[星秀文]]家所蔵[CITE[山立根本巻]]]]
-- [70] 
「[DATA(.text)[高喜元天]]」 
[SRC[>>62 /53]]
-
[101] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[根子]]]]伝来[CITE[抑山達書]]]]
--
[102] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[高喜元年[SUP(smaller)[壬]][SUB(smaller)[戌]]七月朔日]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>48 上]]
-- [103] >>48 に一部分の白黒写真、低解像度で文字はやや不鮮明
-
[108] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[根子]]]]佐藤富松所蔵[CITE[山達根本之巻]]]]
--
[109] 
「[DATA(.text)[[V[抑山達始者高喜元歳也[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>107 翻刻]]
--
[110] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[高喜[WEAK(smaller)[甲寅]]歳]]]]」
[SRC[>>107 翻刻]]
-
[104] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[比立内]]]]伝来]]
--
[105] 
「[DATA(.text)[[V[𢬃山__&&swc601(逹)&&__始者髙喜󠄁元__&&swc600(歳)&&__也]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>48 下]]
--
[106] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[髙喜󠄁[SUP(quarter)[甲]][SUB(quarter)[寅]]__&&swc600(歳)&&__]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>48 下]]
-- [125] >>48 下に白黒写真、低解像度で字形やや不鮮明
- [122] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[秋田県]][[北秋田郡]][[阿仁町]] [WEAK[([[平成の大合併]]により[[北秋田市]])]] [[比立内]]]] [[松橋茂治]]家所蔵[CITE[[V[山達之由来]]]]]]
--
[123] 
「[DATA(.text)[[V[抑山達之始[SUP(smaller inline)[者]]高喜元年ヨリ[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>121 翻刻]]
--
[124] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[高喜[SUP(smaller inline)[甲]][SUB(smaller inline)[戌]]元歳[BR[]]         七月]]]]」
[SRC[>>121 翻刻]]
-
[28] 
[DATA(.label)[[[伊東仙一]]所蔵 [CITE[山立根本巻]] ([[阿仁町立マタギ資料館]]展示)]]
--
[61] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[高喜󠄁[SUP(quarter)[甲]][SUB(quarter)[寅]]__&&swc600(歳)&&__]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>26 #page=6 (翻刻), #page=8 (白黒写真)]]
-
[112] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[秋田県]][[北秋田郡]][[阿仁町]] [WEAK[([[平成の大合併]]により[[北秋田市]])]] [[打当]]]] [[鈴木末治]]家所蔵[CITE[山達根元之巻]]]]
--
[113] 
「[DATA(.text)[[V[枊山達ノ始者高喜󠄁元[ASIS[□][後紙損]]]]」
[SRC[>>111 手書き複写]]
--
[114] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
「[DATA(.text)[[V[高喜󠄁[SUP(quarter)[甲]][SUB(quarter)[寅]]__&&swc602(歲)&&__]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>111 手書き複写]]
-
[41] 
[DATA(.label)[[CITE[宮城県史]]所収[CITE[[V[[B[狩の巻物]] (マタギ秘巻)]]]]]]
--
[129] [CITE[山立根本巻]]の異本のようなもの
--
[42] 
冒頭
「[V[抑山立始者[DATA(.text)[高喜元年]]也、仁王五十六代之帝者清和天皇奉[BR[]]申、[SNIP[]]]]」
[SRC[>>40]]
--
[43] 
[DATA(.label)[[[奥書]]]]
[VRL[

[BOX(indent)[
[BOX(indent)[
[BOX(indent)[

[BOX(set)[
[BOX(left)[
[WEAK(smaller .text)[高喜元天]]
]BOX]

[BOX(right)[
[WEAK(smaller)[山立]]  万  三  郎
]BOX]
]BOX]

]BOX]

清和天皇

弘名天王

]BOX]
]BOX]

]VRL]
[SRC[>>40]]
--
[47] 
[[昭和時代]]初期に[[民俗学]]の分野で「マタギの秘巻」の概要が紹介されています。
原文ではなく要約ですが、「清和天皇の高喜元年」が云々とあります。
[SRC[>>45, >>46]]
その他の部分も含めて >>40 と同じようなものに基づいているようです。


]ITEMS]


[44] 
冒頭文 (例えば >>42) 
は[[清和天皇]] (現在の数え方でも第56代) の[[元号]]が[[高喜]]であるように読めますが、
実際には[[践祚]]時の[[天安]]と[[代始改元]]の[[貞観]] (と[[譲位]]後の[[元慶]])
です。約50年後に[[延喜]]となるのが最も近い「喜」です。

[90] 
[[昭和時代]]中期の[[民俗学]]研究者[[山口弥一郎]]は、
「高喜元年人皇五六代清和天皇」などと書いているが
「高喜という年号が見えるわけではない」
と述べています。
[SRC[>>86]]
意味はよくわかりませんが、[[清和天皇]]時代に[[高喜]]という[[元号]]がないことを言っているのでしょうか。


[29] 
[[平成時代]]の研究者[[髙橋正]]は >>61 (と >>60) の[[高喜]]を
「[V[年号なのか否か解釈できない]]」
と判断を保留しています。
[SRC[>>26 #page=6]]



[31] 
[[髙橋正]]は他本の[[奥書]]の「建久四年」に近い建久5年がちょうと甲寅年であることと、
他の関係事項も含めて考察しています。
[SRC[>>26 #page=6]]
ただし「建久四年」系統の写本と「甲寅歳」系統の写本の関係性が不明なままでの検討は不安が残ります。
より多くの資料を集めて考察の深化が望まれます。

;;
[35] 
[[奥書]]に「建久四年五月」と書かれた本では、
「高階将監」
と人名があります。
[SRC[>>26 #page=8]]
「高」の1文字が一致するだけであり、
他の文字も字形も音も似ていないのでこれがただちに[[紀年]](のようなもの)に変化したと考えるのは乱暴ですが、
しかし注意を惹かれます。






[96] 
[[平成時代]]の歴史研究者[[藤田恒春]]は、
[[偽文書]]研究の文脈で、
[[平成時代]]初期の[[網野善彦]]の研究を引いて
「高喜甲寅歳」
と書かれた[[文書]]を
「全く架空の元号をもつ偽文書」
と述べました。
[SRC[>>95]]
「全く架空の元号」との判断が[[網野善彦]]によるものなのか、
[[藤田恒春]]独自の見解なのかは不明です。

@@
[BOX[

[167] [CITE@ja-JP[マタギ狩猟用具]], [[太田祖電, 高橋喜平]], [TIME[1978.10][1978]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-19T08:13:55.507Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12168271/1/16?keyword=%E4%B8%87%E5%96%9C> (要登録)

万喜元[SUP(smaller)[乙]]丑天四月十八日 [CITE[猟人鉄砲御免之事]]

]BOX]

-*-*-

[30] 
[[髙橋正]]は慎重ですが (>>29)、
[[書き方][東洋の日時表示]]と異本の記述を鑑みて、
これは[[元号名]]とみなして問題ないと思われます
[WEAK[(他の解釈も思い当たりません)]]。
「高」はこの[[写本]]では「高」ですが、「髙」と書けば「萬」と[[字形]]がかなり似てきます。
[CITE[山立根本巻]]
諸本には誤字が多いとされ、異本と比べて微妙に[[文字]]が変わっている例もありますから、
これも同じとみて構いません。
ただしどちらの[[文字]]が原形だったのかはわかりません。
どちらも原形とは違う可能性もあります。

;; [33] [[''髙''橋正]]もまた数奇な運命に導かれた研究者です。

[71] 
[[昭和時代]]後期の民俗学研究者[[佐久間惇一]]は、
その収集した
[CITE[山立根本巻]]
について、

- [72] 建久4年5月付のもの: 
大石河内源吉本、赤谷小田切丑松本、田子倉皆川甚平本
- [73] 万喜元[SUP(smaller)[乙]][SUB(smaller)[丑]]4月17日付のもの:
猿和田五十嵐彦吉本 (>>65)、大赤沢藤ノ木新吉本 (>>63)
- [74] 高喜元天付のもの:
下折立星秀文本 (>>69)

があったと報告しています。
[SRC[>>62 /55]]

;;
[85] 
[TIME[昭和60(1985)年][1985]]のこの報告が「万喜」と「高喜」の2つがあると同時に示した最初でしょうか。
と思いきや既に[TIME[昭和13(1938)年][1938]]に報告がありました [SRC[>>81]]。


[130] 
[CITE[山立根本巻]]
は[[マタギ]]研究の基本資料で、よく言及されていますが、
書名や一部の紹介が多く、有名な割には全文掲載されることは多くありません。
東北地方各地に多数の異本が現存するようですが、
それらを収集して比較検討する研究も、この資料の重要性に比べると少ないです。
特にその[[奥付]]の[[日付]]に注目した研究は
>>29 と >>71
くらいしか見当たらず、「万喜」と「高喜」の両方を掲載しているのは >>71
しかありません。

[131] 
この分野は[[地方自治体]]の[[自治体史]]編纂事業や博物館[[学芸員]]などに関係する地域史・地域文化の研究者による取り組みが多いように見受けられます。
そのために多くの報告が[[地方自治体]]単位の資料収集・比較に留まっていて、
広域的に分布する
[CITE[山立根本巻]]
諸本の比較検討、系統分析を行う動機に欠けているのかもしれません。
また、[[偽文書]]であることが明らかで、[[文献史学]]方面からの興味も惹かれにくいのかもしれません。

[132] 
「万喜」「高喜」の存在は[[昭和時代]]初期から知られていて、
[[私年号]]説、[[架空の元号]]説などが提示されていますが、
[[令和時代]]に至るまで[[元号研究]]、[[私年号]]研究の方面では見逃されてきました。
これも[[文献史学]]に近い[[元号研究]]分野や関東の[[仏教考古学]]を中心とした[[中世私年号]]研究分野と[[東北地方]]の[[民俗学]]分野との距離の遠さによるのでしょう。

-*-*-

[133] 
これら一連の文書の冒頭と奥付の紀年は、

- [134] 無年号、そもそも該当記述がない
- [135] 建久など[[公年号]]
- [136] 万喜
- [137] 高喜

とまったくばらばらです。「万喜」と「高喜」を除けば字面も似ておらず、
続く年月日の記述にも違いが多いです。地理的な分布も混在していて、
地域差が異本の伝播の違いともなっていません。

[138] 
[[日付]]以外の本文も含め、諸本を広域的に収集、比較分析し、
原形がどのようなもので、どう変化しながら広まったのかを解明する作業がまず必要でしょう。
それは[[マタギ]]の諸派の活動実態、各地域への進出や地域交流の様子とも深く関わっているはずです。

[157] 
諸本の成立時期がいつなのか、祖本の成立時期がいつなのか、
その中で「万喜」「高喜」がいつ出現したのかを解明する必要があります。


[139] 
[[万喜]] ([[萬喜]]) と[[高喜]]が同源なのはほぼ間違いないでしょうが、
どちらが原形なのか、どこから生じたのかも解明が必要です。
何らかの[[公年号]]から派生したのか (候補は思いつきませんが)、
他の何らかの語句の誤読から発生したのか、
それともまったく[[架空の元号]]として創造されたのか、
だとしたらその目的は何なのか。

;; [160] 
[TIME[元中2(1385)年乙丑][1385]]説 (>>11) は根拠が明らかではないので、
一旦保留とせざるを得ません。

;; [166] 
[[万喜]]を「マンギ」と読めば「マタギ」との関係も考えたくなってきます。


[158] 
他の[[マタギ]]関連文書等に用例はあるのかどうか、
[[マタギ]]と関係しない文書等、他地域の文書等に用例はあるのかどうか、
の調査も必要です。
現時点でウェブ上にはそのような情報は発見できませんが、
電子化されていない文献に出現例が眠っている可能性はあります。



[140] 
[[年数]]は[[元年]]と明記されたものと、省略されたものがあります。
どちらが原形なのでしょう。単純な多数決なら[[元年]]でしょうが...

[141] 
[[干支年]]は[[万喜]]が乙丑で揃っていますが、
[[高喜]]は壬戌, 甲寅, 甲戌とばらばらです。甲寅が多いでしょうか。
これはどう理解するべきなのでしょうか。
これだけ違いが多いと、単純な誤写では片付かないようにも思われます。

[146] 
[[清和天皇]]の在位中の[TIME[天安2(858)年][858]]から[TIME[貞観18(876)年][876]]を中心にすると

- [147] [TIME[承和元(834)年甲寅][834]]
- [155] [TIME[承和12(845)年乙丑][845]]
- [148] [TIME[斉衡元(854)年甲戌][854]]
- [149] [TIME[貞観元(859)年己卯][859]]
- [150] [TIME[貞観11(869)年己丑][869]]
- [151] [TIME[寛平6(894)年甲寅][894]]
- [152] [TIME[延喜2(902)年壬戌][902]]
- [156] [TIME[延喜5(905)年乙丑][905]]
- [153] [TIME[延喜14(914)年甲戌][914]]
- [161] [TIME[万寿2(1025)年乙丑][1025]] (c.f. >>5)


が該当する[[年]]です。

[154] 
想像を逞しくして、「貞[ASIS[雚][觀]]己丑」あたりが「{萬/髙}喜乙丑」に変わった、
というのはどうですかね? ちょっと強引ですかね。


[142] 
[[年の字]]は[[天]]が目に付きます。[[天]]は[[近世]]によく使われていました。
[SEE[ [[天年号]] ]]

[143] 
[[月日]]は[[万喜]]が4月17日で揃っていますが、
[[高喜]]は省略されたものが多く、7月や7月1日のものもあります。
この[[日付]]にはなにか意味があるのでしょうか。

[144] 
[[ウェブ]]上にない諸本にはこれらとは異なった特徴のものもあるかもしれません。
更なる調査が望まれます。


[145] 
現時点の情報では、
[[高喜]]と[[万喜]]は、
[[マタギ]]の[[伝承]]中の[[清和天皇]]の時代を記述するため発生した[[私年号]]
[WEAK[([[古代年号]]と同種のもの)]]
と理解しておくのが妥当でしょうか。


[REFS[


- [49] 
[CITE@ja-JP[歴史地理 59(5)(388)]], [[日本歴史地理学会]], [TIME[1932-05]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-26T09:16:37.470Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3566639/1/2>
(非公開)
-- [50] 
「山民マタギの硏究――(一) / 喜田貞吉/p1~15」
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[51] 
[CITE[[[歷史地理]] - Google ブックス]], 
[TIME[1932]],
[TIME[2023-12-26T09:17:19.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=XbI5AAAAMAAJ&q=%E2%80%9D%E8%90%AC%E5%96%9C%E5%85%83%22>
]FIGCAPTION]

>11 ページ
>... 巻第五號山. ンの卷物亦此の類で、田舎者の純朴なるよく其の言ひ傳へを違奉し、開けて見以所に其の食厳と威宝とが保持されて ... 立根本裕なるものを秋田地方のマタギが傳へて居た。余輩の探訪にかくるもの、秋田営林署の培村卯助君より二篇、之を假りに甲 ...
>12 ページ
>歴史地理第五十九巻第五號山民マタギの研究(喜山)四五四たけなかで其の宣命書きを讀み易き樣本假字交り書き下しとして、煩はしけれど$左に紹介する。山立根本念抑人王五拾八代清和天皇の御時、關東下野國日光の麓に、万事万三郎と云ふ人あり。天智天皇より十七代の子孫なり。下野國に流され、日光山の麓に住み給ふ。此の人天下無双の弓の上手なり。譬へば天に飛ぶ鳥の聲を聞いても、射落さずといふ事なし。さろに依て山へ行き、鹿猿 s ろくの歌を射殺して月日を暮らし給 ...
>
15 ページ
>... 注意すべく、終に、萬喜元乙丑天四月十七日右先祖山立家相傳此卷物之趣令傳者万三郎六十八代孫相野氏とある。此の万事万三郎の說話は、奥州遠野地方にもあるらしく、嘗て同地の土俗研究者佐々木喜善君が、何かに書かれた事があると聞く。大の筋は近江の湖水の龍神が、田原藤太に依嘱して三上山の百足を退治した說話と同じ事で、敢て異とするにも當らいが、共の報酬として與へられた狩猟權は、津輕高野ュタンの ...
>52 ページ
>... の火にかしつた凡ての料理品は、絕對に出獵せるものの家に入れない事にして居るとある。是は勿論山神に對する遠慮で、前記山立根本念にも、萬三郎が伊佐志明神と航はれ、山の神にておはします。之に て産火死火を忌むなり」とあるの. 52.

]FIG]
- [45] 
[CITE@ja-JP[[[民俗学]] 5(12)]], [[民俗学会]], [TIME[1933-12]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-25T14:52:04.967Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1583648/1/50> (要登録)
- [46] 
[CITE@ja-JP[[[山岳講座]] 第4巻]], [[共立社]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-25T14:53:27.508Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1229021/1/23> (要登録)
- [78] [CITE@ja-JP[[[旅と伝説]] 第9年(7)(103)]], [[三元社]], [TIME[1936-07]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-26T11:47:41.837Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1483569/1/11>
(非公開)
-- [79] 「マタギの話 / 武藤鐵城/p11~24」
-- [80] 「身離さず持つてゐる、高喜元年だとか、建久四年だとかの年號を記るしてあるマタギの祕卷には、ど」
- [9] [CITE@ja-JP[[[上毛及上毛人]] (232)]], [[上毛郷土史研究会]], [TIME[1936-08]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:46:40.399Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3567422/1/13> (要登録)
- [12] [CITE@ja-JP[私時雑記]], [[佐藤錠太郎]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:56:31.903Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1219874/1/31> (要登録)
-
[81] 
[CITE@ja-JP[[[旅と伝説]] 第11年(3)(123)]], [[三元社]], [TIME[1938-02]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-26T11:50:11.641Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1483589/1/37>
-- [82] 「秋田マグキ諸資料 / 武藤鐵城/p63~73」
-- [83] 「建久四年、萬喜元年、高喜元年などゝ年號のある祕卷をば所持してゐるが、その內容には、彼等の」
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[84] 
[CITE[[[旅と傳說]] - [[Google ブックス]]]], [TIME[2023-12-26T11:50:52.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=8u0_AQAAIAAJ&q=%E2%80%9D%E9%AB%98%E5%96%9C%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]

>63 ページ
>... (寺石ギタマ○取締令禁裏御警衛戊辰役参加叉鬼、即ち狩獵人達は物、或は證文と稱し、建久四年、萬喜元年、高喜元年など年號のある秘をば所持してゐるが、その内容には、彼等の大祖先の萬字萬三郎といふ者が、武藤鐵城秋田マタギ諸資料.


]FIG]
-
[40] 
[CITE@ja-JP[[[宮城県史]] 第20 (民俗 第2)]], [[宮城県史編纂委員会]], [TIME[1960]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-25T14:37:16.789Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2992583/1/29> (要登録)
-
[48] 
[CITE@ja-JP[野性への旅 第2]], [[戸川幸夫]], [TIME[1962]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-25T15:01:47.679Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2975517/1/40> (要登録)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[86] 
[CITE@ja-JP[過疎村農民の原像 : 南奥羽の民俗を追って]], [[山口弥一郎]], [TIME[1972]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-26T11:58:12.784Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9536501/1/19> (要登録)
]FIGCAPTION]

>
[VRL[
[SNIP[]]この時[BR[]]
代は高喜元年人皇五六代清和天皇 (八五八―八七六) などと書き、ときに清和天皇・弘名天王など[BR[]]
の判まで見えるが、高喜という年号が見えるわけではない。それよりはるかくだって鎌倉期、し[BR[]]
かも頼朝のご朱印のある建久四年 (一一九三) の「山立根元巻」というのが流布されて、只見町の[BR[]]
水没村田子倉の皆川甚平という狩人などは持っていた。[SNIP[]]
]VRL]

[NOTE[

[89] 同文がここにも掲載されているようです。

[REFS[

- [87] [CITE@ja-JP[福島県史 第23巻 (各論編 第9(民俗 第1))]], [[福島県]], [TIME[1964]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-26T12:03:21.577Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3019585/1/102>
- [88] [CITE@ja-JP[山口弥一郎選集 : 日本の固有生活を求めて 東北地方研究 第8巻 (伝統工芸)]], [[世界文庫]], [TIME[1976]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-26T12:03:37.414Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9537237/1/120>

]REFS]

]NOTE]

]FIG]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[76] 
[CITE[日本常民生活資料叢書 4 水産篇 3 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[1972]],
[TIME[2023-12-26T11:34:45.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=lqMyAQAAIAAJ&q=%E2%80%9D%E9%AB%98%E5%96%9C%E5%85%83%22>
]FIGCAPTION]

>613 ページ
>... 清和天皇山判高喜元天尤心外無別法者山崩計也其時萬三郎少*不騷白木之弓神通神矢取引操奇引而放者明神之左`御目發立者亦奇引,放矢右,御自發*當者神變武*明神*兩眼被射而其儘黑雲*一成而上野`山江行給扠日光權現者大喜給從夫內裏登-萬三郎物語弓,名人御咄 ...



]FIG]

- [107] 
[CITE@ja-JP[無形の民俗資料 : 記録 第18集 (狩猟習俗 1(秋田県,山形県,茨城県))]], [[文化庁文化財保護部]], [TIME[1973]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-27T11:49:25.203Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9546078/1/51> (要登録)
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[97] 
[CITE[狩猟習俗 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[昭和48(1973)年][1973]],
[TIME[2023-12-26T14:37:17.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=-6AG6k8FzTYC&q=%E2%80%9D%E9%AB%98%E5%96%9C%E5%85%83%22>
]FIGCAPTION]

>53 ページ
>... 清和天皇五拾六代之御時関東下野之国日光山之山麓爾萬事萬三郎止云人從天智天皇拾七代子孫也下野国被流日光山麓爾住此人天下無双之弓上手也譬波天於飛志鳥成止毛射落左寿止云事奈志依而去山江行鹿猿色々埜獣於射落志天月日於暮志給所爾上野国赤木明神止 ...
>55 ページ
>... 高喜元歳也仁皇五十六代之孫清和天皇奉申其頃関東下野国日光山麓二萬治萬三郎ト云狩人有之弘明天皇九十三代後胤也下野之国日光山麓住玉此人天下無隻之弓術之達人也天高々飛行ノ鳥迄モ声聞不射落無云支依テ是レ山歩行シ鹿猿色々之獣物射殺シテ身命續月日ヲ送玉ヒケル然ルニ彼ノ所 ...
>56 ページ
>... 清和天皇弘明天皇己上日本六十余州地々裏々島々之山々嶽々ニ至迄天下一ットゥ代々御証印ノ者如件♡山達根本之巻<日光派〉(打当シカリ鈴木辰五郎氏所蔵)山達萬三郎源助成花押 五月中旬事然者汝是日本一之. 立也一位山/守護権現ト奉仰今御座ナリ依去山立何
... 高喜甲寅歳赤木之明神者其長拾八尋之大蛇爾天御座寿依去度々軍尓御負被成恵留或時権現白鹿登成天山於出天給処尓万三郎此鹿射取武止昼夜三日三夜之間押掛留去登茂此鹿尔矢不當万三郎不思議尓思天日光山之御堂之前迄天押掛利行見礼波鹿忽尔権現止頭礼如何万三郎 ...

]FIG]

- [98] 
[CITE[狩猟伝承 - 千葉徳爾 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[1975]],
[TIME[2023-12-26T14:45:26.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=YKNQEAAAQBAJ&pg=PA205&lpg=PA205&dq=%E2%80%9D%E9%AB%98%E5%96%9C%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
(一部のみ閲覧可能)
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[99] 
[CITE[シュリョウデンショウ - 千葉德爾 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[1975]],
[TIME[2023-12-26T14:46:56.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=TDohAQAAMAAJ&q=%E2%80%9D%E9%AB%98%E5%96%9C%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]


>205 ページ
>... 高喜元年という存在しなかった年号としたものである。前者が九州方面の狩の巻物のうち、狩猟のはじめをこの点ではむしろ高野派の巻物には、住民の慣行の一部が含まれており、口頭伝承には第一節に記したような、二人の狩人があって神の恩恵を受けた者と ...

]FIG]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[100] 
[CITE[狩猟伝承研究続 - 千葉徳爾 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[1984]],
[TIME[2023-12-26T14:47:41.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=Tts5AAAAMAAJ&q=%E2%80%9D%E9%AB%98%E5%96%9C%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]

>
... 動雷電稲妻ハ山モ崩ル計也去共万三郎少モ不」騒白木ノ弓ニ神通鏑箭取而作イ寄引而放矢が明神之左之御( ? )抑山達初リハ高喜元年也然者人王五拾六代之帝ヲハ清和天皇ト申其頃関東下野国日光山之麓二満治万三郎芸人( ? ) (延? ) 1 山達初り 12.

]FIG]
-
[115] 
[CITE@ja-JP[[[高志路]] (242)]], [[新潟県民俗学会]], [TIME[1976-07]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-27T13:00:21.797Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6062356/1/17> (要登録)
-
[62] 
[CITE@ja-JP[狩猟の民俗]], [[佐久間惇一]], [TIME[1985.6][1985]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-26T09:53:57.679Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12166771/1/53> (要登録)
-- [116] >>115 収録論文をベースにしている
-
[111] 
[CITE@ja-JP[[[民話と文学]] (3)]], [[民話と文学の会]], [TIME[1978-03]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-27T11:58:09.944Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7959522/1/26> (要登録)
-
[121] 
[CITE@ja-JP[[[群馬県史]] 資料編 27 (民俗 3 年中行事.口頭伝承)]], [[群馬県史編さん委員会]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-27T13:26:51.125Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641990/1/590> (要登録)
-
[1] [CITE@ja-JP[[[大迫町史]] 教育・文化編]], [[大迫町史編纂委員会]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T12:54:27.679Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570885/1/161> (要登録)
-
[2] [CITE@ja-JP[[[大迫町史]] 産業編]], [[大迫町史編纂委員会]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T14:13:45.933Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571445/1/121> (要登録)
-
[118] 
[CITE@ja-JP[[[山都町史]] 第3巻 (民俗編)]], [[山都町市編さん委員会]], [TIME[1986.12][1986]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-27T13:04:24.723Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643913/1/448> (要登録)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[75] 
[CITE[サンカとマタギ: サンカとマタギ - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[1989]],
[TIME[2023-12-26T11:25:36.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=OZbTAAAAMAAJ&q=%E2%80%9D%E9%AB%98%E5%96%9C%E5%85%83%E5%A4%A9%22>
]FIGCAPTION]

>325 ページ
>... 元年仁平淳助狩人弐人御賄壳夜分受取申候追而御判紙引替可申侯以上文久四年 以上のマタギ文書中、時以上の用例 御賄狩人七人老夜分請取申侯右者鹿討御用明罷帰候時追而切八十六已二月明治二年茅根喜 ... 元年山崎運助(印)狩人老人昼食御賄老攵度請取申侯右者 ...
>344 ページ
>... 万三郎白鹿於射取止昼夜三日押掛気留去共鹿雨矢不当万三郎不思議爾思天日光山之御堂之前迄押懸行見礼波白鹿忽千爾権現止顕礼 ... 元量寿学仏止願念志天神通之矢於寄曳兵止離世波明神之左御眼爾噹止立石流之武幾明神毛二度矢亦右御目爾立気礼波両眼被射其儘村雲止成利上野国江引給日光山権現大仁喜給天從其內裏江上里給天万三郎加弓之上手一々次第奏聞有気礼波公卿大臣茂舌於卷感給布其時從內裏御朱印於被下置日本国中 ...

>393 ページ
>... 年から猟師渡世をしてゐるが山の不思議なんかに会った事はない。方々で話は聞くが理窟に会はない話で話しにならぬ。 1 宝川 ... 高喜元年也仁王五十六代之帝者清和天皇奉申其頃関東下野国日光山麓万治万三郎云人有是然者弘名天王九十三代之末孫也下野国日光山麓住給、此人天下無双弓之上手也、天飛(越後北魚沼郡湯之谷村下折立、星秀文氏蔵)狩の巻物[ (七) (八)大坪沖衛氏談〕(昭和十二年三月 ...


>393 ページ
>... 高喜元天. オ十二サマと云ひ春は旧二月十二日秋は旧十月十二日に祭りがある。皆寄って酒を飲むだけである。供物として頭付きの魚をあげたがどんな魚でもよい。オコヂョと呼ぶダボハゼの如き頭の大きい川魚は旧十月二十日のエベス講に供へたものだ。オ十二サマがどう ...

>394 ページ
>サンカとマタギ 谷川健一. 尤心外無別法高喜元天座而其時権現仰鳧様者、何万三郎御身是迄連来事別之子細"而不者上野国赤貴之明神度~之合戦仕候然者赤樹明神〝十八`蜈蚣也我者大蛇成依合戰負也汝者日本一之弓之上手汝頓赤城明神為射利度御身頼今度合戦”勝成 ...


]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[77] 
[CITE[Nihon Jōmin Bunka Kenkyūjo nōto - Nihon Jōmin Bunka Kenkyūjo - [[Google ブックス]]]], [TIME[2023-12-26T11:44:28.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=RFMlAAAAMAAJ&q=%E2%80%9D%E9%AB%98%E5%96%9C%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]

>64 ページ
>... 高喜元年也仁王五十六代之帝者清和天皇奉申其頃關東下野國日光山麓"萬治萬三郎云人有是然者弘名天王九十三代之末孫也下野國日光山麓住給、此人天下無双弓之上手也、天飛鳥迄聲聞者射落無云事依之山行鹿猿狩の巻物(越後北魚沼郡湯之谷村下折立、星秀文氏藏) ...


]FIG]

-
[26] 
[CITE@ja-JP[「山立根本巻」の世界 : その奥書について]], [[髙橋正]], [TIME[1994-03]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-25T13:30:58.575Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11455031/1/1>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[95] 
[CITE@ja-JP[[[日本史研究]] = Journal of Japanese history (543);2007・11]], [[日本史研究会]], [TIME[2007-11]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-26T14:16:02.463Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13007284/1/17> (要登録)
]FIGCAPTION]

>
[VRL[
二通を一通にした[BR[]]木下秀吉書状について[BR[]]―偽文書作成の真意をさぐる―

[BOX(right)[
藤田恒春
]BOX]
]VRL]

>
[VRL[

網野善彦がいうように偽文書を偽文書として切り捨てる[BR[]]
ことは、その由緒などの上に立ってさまざまな歴史像をつ[BR[]]
くりあげてきた人々の世界を顧みないことに通底しよう。[BR[]]
たとえば、マタギの由緒を記した『山達根本巻』は、ひと[BR[]]
つは「建文四歳五月中旬」、今ひとつは「高喜甲寅歳」、と[BR[]]
いう全く架空の元号をもつ偽文書であるが、少くとも近世[BR[]]
秋田藩内ではマタギの由緒と特権を語る根本史料として今[BR[]]
日まで伝えられてきたのである。そのまま信じることはで[BR[]]
きないにせよ、マタギ集団の歴史を窺ううえでは捨象しき[BR[]]
れないものであることを網野は言っているのであろ[RUBY[う][([YOKO[4]])]]。

[SNIP[]]

([YOKO[4]]) 網野善彦『日本中世史科学の課題―系図・偽文書・文書[BR[]]
―』一八󠄂三頁、弘文堂、一九九六年。秋田県北秋田郡阿仁[BR[]]
町「鈴木松治氏・伊東仙一氏蔵文書」。

]VRL]



]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[91] 
[CITE[東北学 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[2010]],
[TIME[2023-12-26T12:20:40.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=tj5MAQAAIAAJ&q=%E2%80%9D%E4%B8%87%E5%96%9C%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]

>218 ページ
>... (高)「奥州五十四郡のうち猟廻るべしの由(他)「山の神より七つ峯七つ谷を下さる也、そのときよりまたきと申すなり」|万喜元年(架空) (日)「日本国中山々嶽々その身そのままにて行かざる所なく山立許すことなり」建久 4 年( 1193 )宝永 3 年( 1706 ) (日)「この末汝に嶽々山々嶋々まで獣もの汝あたふるものなり」(日)「日本国中山々嶽々知行今御朱印下し置し山立御免」(日 ...

[NOTE[

[93] ページ番号に従うと、これか?

[REFS[

- [94] [CITE@ja[「国日記」にみる弘前藩の猟師--『後狩詞記』を起点にして(特集 遠野物語百年)|書誌詳細|[[国立国会図書館オンライン]]]], [TIME[2023-05-17T10:19:26.000Z]], [TIME[2023-12-26T12:29:26.579Z]] <https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I10698323-00>

]REFS]

]NOTE]


]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[24] 
[CITE@ja[Yahoo!オークション - [[山立根本巻]] マタギ開祖 万次万三郎 秘伝書 狩猟...]],
[B[開始日時]] 	2023.05.10(水)16:08,
[TIME[2023-12-25T12:50:26.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j1091372821>
]FIGCAPTION]

(写真あり)

>最終箇所に萬喜元?とあります。

>[B[発送詳細 	]]
>宮城県仙台市より

]FIG]

- [36] 
[TIME[2023-12-25T14:22:48.00Z]]
<https://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000003381_00/siryou.pdf>


]REFS]


* 萬喜 (日本熊野)

[5] 
[CITE[紀伊続風土記]]
所収
[CITE[熊野別當代々次第]]
および
[CITE[新宮市史]]
所収
[CITE[熊野山別当次第記]]
に
「三條院御時萬喜元年十一月十三日」
とあります。
[SRC[>>4, >>7]]

[6] 
前後の文脈から、[[三条天皇]]の次の[[後一条天皇]]の[[萬壽]] ([[万寿]])
を意味することは明らかです。
直前に「萬壽元年六月廿日」ともあります [SRC[>>4 /83]]。

[8] 
[CITE[新宮市史]]
は「[V[三条院御時]]」に「[V[(後一乗院カ)]]」、
「[V[万喜元年]]」に「[V[(寿カ)]]」
と注釈を加えています。
[SRC[>>7]]

[REFS[


- [4] [CITE@ja-JP[[[紀伊続風土記]] 第3輯 牟婁,物産,古文書,神社考定]], [[仁井田好古 等編]], [TIME[明43-44][1911]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:04:04.392Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/765519/1/84>
- [7] [CITE@ja-JP[[[新宮市史]] 史料編 上巻]], [[新宮市]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:12:16.732Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9575213/1/95> (要登録)


]REFS]

* メモ

[3] 
[[萬壽]]が[[萬喜]]と[[OCR誤読]]されていることはままあるようです。