[44] 
[DFN[至徳]]
([[旧字体]]: [DFN[至德]])
は、
[[日本の公年号]]の1つです。

[45] 
[[南北朝時代]]の[[北朝]]の[[元号]]です。

* 元号名

[43] 
[[新字体]]は[[至徳]]、[[旧字体]]は[[至德]]です。

** 致得

[143] 
[DFN[致得]]が1例知られており、[[至德]]の異表記と考えられています。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [38] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[武蔵国]][[北足立郡]][[片山村]]]][[法臺寺]] [[板碑]]]]
-- [73] [DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[新座市]][[道場]]]] [[法台寺]] [SRC[>>69]]
--- [91] 収蔵庫所蔵 [SRC[>>84]]
-- [66] >>64 : [L[43]]
-- [74] >>69 : [L[134]]
-- [107] >>105 : [L[40]]
-- [139] >>137 : [[同音異字年号]] [L[16]]
-- [164] >>163 : 14-1-12
-- [75] >>69 : 白黒写真 (解像度上の下)
-- [127] >>125 : 白黒写真 (解像度中の上) 不自由
-- [81] >>79 : 遠景 白黒写真 (低解像度) 判読不能
-- [65] >>64 : 拓本 白黒写真 (解像度中の上) 字形がおおむね読み取れる
-- [47] >>46 : 拓本 白黒写真 (解像度中) 字形の概略は読み取れる
-- [53] >>251 : 拓本 白黒写真 (解像度中) 字形の概略は読み取れる >>47 より見やすい
-- [166] >>161 /64 : 拓[L[14-8]] : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [140] >>141 : 拓本 白黒写真 (解像度中の下)
-- [88] >>84 : 拓本 白黒写真 (解像度下の上) 
-- [39] 「[DATA(.text)[[V[致得元年[LINES(smaller)[甲][子]]正月五日]]]]」
[SRC[>>3, >>46, >>251]]
-- [98] 「[DATA(.text)[[V[致得元年甲子七月五]]]]」
[SRC[>>94]]
-- [76] 「[DATA(.text)[[V[致得元年[LINES(smaller)[甲][丑]]七月□]]]]」
[SRC[>>69]]
-- [89] 「[DATA(.text)[[V[致得元年[LINES(smaller)[甲][丑]]七月五日]]]]」
[SRC[>>84]]
-- [165] 「[DATA(.text)[[V[致得元年[LINES(normal)[甲][丑]]七月[五__&&]&&__]]]]」
[SRC[>>164]]

]ITEMS]

[55] 
[[字形]]自体は比較的明瞭な[[楷書]]ですが、
実物の劣化および拓本・写真の解像度によると思われる不鮮明さのため、
不明点が残ります。 [SRC[>>47, >>53]]

[59] 
[[板碑]]上部が欠損しており、[CH[致]]は不完全です。
[[偏]]の[CH[至]]の上の[[横線]]は左端のみ残存します。
[[旁]]は[CH[メ]]のような部分が残存し、その上に何か書かれていたかは不明です。
配置的には上に[CH[𠂉]]を書ける空間がありますが、[CH[メ]]
にそれと接続した痕跡は見られず、何かあったともなかったとも断定しがたい状態です。
[SRC[>>53]]

[56] 
[CH[年]]は[[草書]]の簡略な[[字形]]の系統です。 [SRC[>>47, >>53]]

[57] 
[CH[正]]/[CH[七]]は >>47 >>53 >>64 では[[字形]]がよくわかりません。
[CH[正]]よりは[CH[止]]のようにも見えます。
>>75 では[CH[七]]のように見えます。ただし、横画の交差および左側が若干不自然にも感じます。

[77] 
[CH[子]]/[CH[丑]]は、 >>47 >>53 では確かに[CH[子]]とも読めるものの、
縦線が横画の上では左側、下では右側とずれているのが気になります。
[CH[丑]]にしても字形が不審です。[CH[子]]の縦画下部とされる部位は、
[CH[七]]の横画に接続していて、[CH[丑]]、[CH[七]]の両方の不自然さの一因となっています。

[58] 
[CH[日]]は >>47 >>53 では存在するのかよくわかりません。
[CH[日]]がありそうな位置は空欄で[[字形]]がありません。

[78] 
>>65 >>75 では[CH[五]]のような[[字形]]が明瞭に見えますが、
>>76 が[[日番号]]以下すべて[CH[□]]としているのは、
[[日番号]]だけで[CH[日]]がなく不審なためでしょうか。

[54] 
[[干支年]]は、厳密には「[V[年正]]」の左右に配置されています。 [SRC[>>47, >>53]]

[40] 
[[公年号]]かつ元年正月だとすると、[[遡及年号]]たること明らかです。

[90] 
[[甲丑]]だとすると、[[非妥当干支]]です。

*** 諸説

[146] 
これまで1例のみ知られており、[[致得]]の研究はすなわちその[[板碑]]銘の研究となります。

[147] 
当該[[板碑]]銘の日付の解読は、複数説あります。実[[字形]]はいずれとも決め兼ねる、
不明確なものです。あらゆる議論の基礎として、銘文の正確な読みを確定させる必要があります。
ところが、[[令和時代]]に至るまで、読み方の検討は記録に残されておらず、
「結論」たる各論者の見解だけが示されています。 
(異読の存在も指摘されてきませんでした。各論者が先行研究の調査を行っていないとも思えないのに、
不思議なことです。)

-*-*-

[149] 
諸論者とも致得元年 = 至徳元年とする解釈で一致しています。その根拠として、

- [150] [[干支年]]の一致
- [151] [[音通]]
- [152] [[元号名]]における[CH[徳]]と[CH[得]]の通用
- [153] [[板碑]]の様式からの時代推定

... のいくつかが指摘されています。

[154] ただし、これらに対して、

- [155] [[干支年]]に異読説があること
- [156] [CH[致]]と[CH[至]]が同音か議論の余地があること
- [157] 「正月」と読んだ場合[[遡及年号]]となること

... は、致命的とはならずとも、何らかの説明を要します。ところが、
これらは[[令和時代]]に至るまで、ほとんど検討されていません。

-*-*-

[158] 
[[私年号]]と認めるか否かには、若干の立場の違いがあります。
それは主として[[私年号の定義に関係][私年号の定義と分類]]するものであり、
[[公年号]]の[[至德]]の異表記であるという見解では大方の一致を見ています。

[159] 
>>61 は同音性に疑問があることから[[同音異字年号]]説に疑問を呈しつつ、
[[至德]]と同年の[[私年号]]であることには賛同しています。


*** 研究史


[67] 
[TIME[昭和6(1931)年][1931]]の図録は、
[[異年号]]の[[板碑]]の事例の1つとして
>>38
を紹介しています。
[[異年号]]を僧侶が[[私年号]]または縁起の良い文字に書き換えた[[年号]]だと説明しています。
[SRC[>>64]]

[68] 
[[致得]]元年は[[至德]]元年であると断言しています。
[SRC[>>64]]
根拠は示されていません。

[82] 
[TIME[昭和30(1955)年][1955]]や[TIME[昭和34(1959)年][1959]]の書籍は、
昭和6年図録と同じく[[板碑]]研究者の[[稲村坦元]]の著書ですが、
[[私年号]]の[[板碑]]の事例の1つとして
>>38
を紹介しています。
[SRC[>>99, >>619]]

[83] 
[[致得]]は[[至徳]]だと思われるとしており、
[[音通]]し[[干支年]]も一致することを示しています。
[SRC[>>99, >>619]]


[REFS[

- [64] 
[CITE@ja-JP[日本考古図録大成 第拾參輯]], [[日東書院]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T05:15:37.489Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1903708/1/87?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [99] 
[CITE@ja-JP[東京都文化財調査報告書 第2]], [[東京都教育委員会]], [TIME[1955]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T06:30:12.427Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2515336/1/22?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- 
[619] 
[CITE@ja-JP[武蔵野の青石塔婆]], [[稲村坦元]], [TIME[1959]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T05:54:08.723Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2979986/1/23?keyword=致得> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[95] 
[TIME[昭和10(1935)年][1935]]の[[柴田常惠]]の論文は、
域内の[[板碑]]の目録であり、
>>38
を紹介しています。
すべてを自ら調査したものでは無さそうで、 >>38 を実見したかは不明です。
[SRC[>>94]]

[96] 
[[昭和時代]]の通説的判読と異なる点が注目されます。

[97] 
[[致得]]元年が[[至德]]元年を指すことは[[干支]]から察せられることであり、
地方で[[改元]]のことを耳にするも正確な文字を知らず、
推測で書いた結果と思われるとし、[[元得]]を類例としています。
[SRC[>>94]]

;; [160] [[改元デマ]]に準じる説といえるでしょうか。

[104] 
[TIME[昭和11(1936)年][1936]]の[[柴田常惠]]の論文は、
[[板碑]]の[[紀年]]の意味解釈を議論したものですが、
>>38
も扱っています。 [[紀年銘]]自体に関する議論はありません。
[SRC[>>103]]



[REFS[

- [94] 
[CITE@ja-JP[埼玉史談 6(4)]], [[埼玉郷土会]], [TIME[1935-03]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T06:12:27.898Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1477720/1/5?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [103] 
[CITE@ja-JP[埼玉史談 7(5)]], [[埼玉郷土会]], [TIME[1936-05]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:08:32.518Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1477727/1/10?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[41] 
[TIME[昭和8(1933)年][1933]]の[CITE[板碑概論]]は、
[[板碑]]の[[私年号]]や[[私年号]]に近きものの事例の1つとして[[致得]]の用例
>>38
を紹介しています。 [SRC[>>3]]

[42] 
[[致得]]は[[至德]]であろうか、[[干支年]]が一致し[[音通]]する、
と推測を述べています。 
[SRC[>>3]]

[1] 
[TIME[昭和9(1934)年][1934]]の[[自治体史]]は、
[[私年号]]の[[板碑]]の1つとして[[致得]]の用例
>>38
を紹介しています。 [SRC[>>46]]

[42] 
[[致得]]は[[至德]]だと思われるとしており、
[[音通]]し[[干支年]]も一致することを示しています。
[SRC[>>46]]

[48] 
[TIME[昭和11(1936)年][1936]]の書籍は、
[[板碑]]の[[私年号]]の事例の1つとして[[致得]]の用例
>>38
を紹介しています。 [SRC[>>2]]

[42] 
[[致得]]は[[至德]]だと思われるとしており、
[[音通]]し[[干支年]]も一致することを示しています。
[SRC[>>2]]

[49] 
これらのいずれも同系統の解説です。

[REFS[

- [3] 
[CITE@ja-JP[板碑概説]], [[服部清五郎]], [TIME[1933]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T02:34:15.211Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/384?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [46] 
[CITE@ja-JP[埼玉県史 第四巻]], [[埼玉県]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T02:42:40.720Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3439275/1/309?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [2] 
[CITE@ja-JP[仏教考古学講座 第五卷]], [[雄山閣]], [TIME[昭和11][1936]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T02:57:49.193Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1914064/1/82?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
-- [122] 
[CITE@ja-JP[仏教考古学講座 2 (塔婆編)]], [[雄山閣編集部]], [TIME[1970]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:52:57.702Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12223270/1/97?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)


]REFS]


-*-*-

[133] 
[TIME[昭和18(1943)年][1943]]の
[CITE[国史辞典]]
は、
>>38
を紹介して
「公年號に對する宛字」
を使って[[至德]]を表した例とし、
[[私年号]]の一種ともみなせると解説しつつも、
[[私年号]]の表に[[致得]]を掲載していません。
[SRC[>>135]]

[REFS[

- [135] [[日本私年号一覧表]]

]REFS]

-*-*-

[101] 
[TIME[昭和9(1934)年][1934]]の[[久保常晴]]の[[異年号]]の論文は、
用例が限られるものの1つとして
>>64
から引いて
>>38
を紹介しています。
[SRC[>>100]]

[102] 
>>64 を支持して[[至德]]であるとし、他の[[公年号]]の[[同音異字年号]]と同じ類としています。
[SRC[>>100]]

[110] 
>>109 は >>100 を引いて >>38 を紹介しています。

[138] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[致得]]を[[私年号]]ではない[[異年号]]の一種である[[同音異字年号]]に分類しています。
>>64 を典拠に >>38
を紹介しています。
[SRC[>>137]]

[142] 
様式から[[南北朝時代]]とし、
[[音通]]と[[干支年]]から[[至徳]]であると推測しています。
[CH[徳]]を[CH[得]]とする事例が多数あることを傍証としています。
[SRC[>>141]]

[REFS[

- [100] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 24(12)]], [[日本考古学会]], [TIME[1934-12]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:03:47.032Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548437/1/8?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [109] 
[CITE@ja-JP[經濟史觀日本 上巻]], [[中村直勝]], [TIME[1948]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:25:21.517Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9852904/1/63?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
-- [111] 
[CITE@ja-JP[経済史観日本 上巻]], [[中村直勝]], [TIME[昭和23][1948]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:27:16.078Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1276238/1/66?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
-- [117] 
[CITE@ja-JP[岩波講座日本歴史 第5]], [[国史研究会]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:45:19.988Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1920798/1/127?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97>
- [136] 
[CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [137] p.[V[一七一]]
-- [141] p.[V[一七八]]

]REFS]

-*-*-


[50] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の[[板碑]]の入門書は、
[[板碑]]の[[私年号]]の事例の1つとして[[致得]]の用例
>>38
を紹介しています。 [SRC[>>4]]

[51] 
[[致得]]は[[干支年]]が一致するので[[至徳]]とする、と断定しています。
[SRC[>>4]]

[52] 
また、
[[板碑]]の様式から[[南北朝時代]]であるとしています。 [SRC[>>4]]


[115] 
[TIME[昭和48(1973)年][1973]]の[[板碑]]の書籍は、
[[板碑]]の[[私年号]]の事例の1つとして[[致得]]の用例
>>38
を紹介しています。 [SRC[>>114]]

[116] 
[[至徳]]であろう、としています。 [SRC[>>114]]

[126] 
[TIME[昭和50(1975)年][1975]]の[[福島正義]]の調査では、

>左右に銘「□阿弥陀佛往生 致得元年甲子正月五[日]」(私年号)

と記録されています。 [SRC[>>125]]


[REFS[

- [4] 
[CITE@ja-JP[板碑入門]], [[小沢国平]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T03:02:14.536Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [114] 
[CITE@ja-JP[中世史ハンドブック]], [[永原慶二 '''['''等''']'''編]], [TIME[1973]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:29:11.471Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12156456/1/135?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [125] 
[CITE@ja[khirin | 法台寺板石塔婆]], [TIME[2026-05-29T06:52:16.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:57:43.294Z]] <https://khirin.rekihaku.ac.jp/pid/nmjh_rekimin_h/11149027.html>


]REFS]


-*-*-

[162] 
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]の調査報告書は、
>>38
を紹介し、
[[致得]]を[[私年号]]とし、
[[至徳]]の当て字か、
としています。
[SRC[>>161, >>163]]

[REFS[

- [161] 
[CITE@ja-JP[埼玉県板石塔婆調査報告書 本文・図版編]], [[埼玉県立歴史資料館]], [TIME[1981.3.][1981]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-29T07:21:31.657Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261363/1/22?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
-- [163] 
[CITE@ja-JP[板碑 : 埼玉県板石塔婆調査報告書 2]], [[埼玉県立歴史資料館 編集]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-29T07:24:52.329Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12220942/1/236> (要登録)


]REFS]

-*-*-


[60] 
[TIME[昭和58(1983)年][1983]]の[[板碑]]の書籍は、
[[板碑]]の[[私年号]]の事例の1つとして[[致得]]の用例
>>38
を紹介しています。 [SRC[>>250]]

[61] 
先行研究に触れつつ、[[同音異字年号]]とするには同音でない点が問題だと指摘しています。
[SRC[>>250]]

[62] 
[[私年号]]とした上で、
[[干支年]]と、
[[板碑]]の様式が[[南北朝時代]]であることから、
年代は[[至徳]]であるとしています。
[SRC[>>250]]

[63] 
[[私年号]]の発生理由は、
[[時宗]]僧徒の政治への不満の所産か、
としています。
[SRC[>>250]]

[REFS[

-
[250] 
[CITE@ja-JP[板碑の総合研究 1 (総論編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.2][1983]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T03:19:55.216Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12226011/1/155?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
--
[251] 
[CSECTION[[V[私年号板碑]]]],
[[[V[石村喜英]]]]

]REFS]

-*-*-

[70] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]の図録は、
[[板碑]]の[[私年号]]の事例の1つとして[[致得]]の用例
>>38
を紹介しています。 [SRC[>>69]]

[71] 
銘文の解読が従来研究と改められている点が注目されます。
その理由は明記されていません。

[72] 
[[私年号]]で、[[至徳]]にあたるとされる、と説明されています。
[SRC[>>69]]

[85] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]の史料集は、
>>38
を紹介しています。 [SRC[>>84]]

[86] 
銘文の解読が従来研究と改められている点が注目されます。
その理由は明記されていません。
研究史として >>95 を参照しています。それに近い読み方となっているのが興味深いです。

[87] 
「[V[[RUBY[致][ちと]][RUBY[得][く ]]]]」と[[振り仮名]]があります。
[[同音異字年号]]と注釈されています。
[SRC[>>84]]


[80] 
[TIME[昭和58(1983)年][1983]]の[[自治体]]の文化財資料集は、
>>38
を紹介し、
[[致得]]を[[至徳]]の[[私年号]]と説明しています。
[SRC[>>79]]


[REFS[

- [69] 
[CITE@ja-JP[板碑 : 特別展図録]], [[埼玉県立博物館]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T05:26:53.956Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261498/1/60?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- 
[84] 
[CITE@ja-JP[新座の金石文]], [[新座市教育委員会市史編さん室]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T06:02:49.219Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12207344/1/22?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [79] 
[CITE@ja-JP[埼玉の文化財 書跡・典籍・古文書,考古資料,歴史資料編]], [[埼玉県教育委員会]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T05:50:41.284Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12707021/1/33?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)

]REFS]

-*-*-

- [93] 
文化財の紹介として
>>38
を掲載するもの : >>92 >>119 >>118 >>128 (案内板 令和7年撮影)
- [113] 文化財であることに加えて[[致得]]が[[私年号]]と説明するもの : >>108 >>112
>>124 (「私年号である致得(至徳)元年」)
>>131=>>132 (現地看板「致得(至徳の私年号)元年」)
- [130] 文化財であることに加えて年次を説明するもの :
>>129 ([L[「致得」は「至徳」か。]])

[106] 
>>105 は[[板碑]]に関する論文で、本文で直接扱っていませんが、一覧表に
>>38
を掲載しています。紀年を「[V[致得元年 (至徳)]]」としています。
[[久保仁平]]の教示とあります。
[SRC[>>105]]

[123] 
[[板碑]]や[[自治体史]]の系統の[[私年号]]の列挙にしばしば代表例の1つとして紹介されています。


[121] 
>>120 は観光案内で、
>>38
を[[私年号]]の[[板碑]]として紹介しています。
銘文を「[V[致得元甲丑七月五日]]」としています。


[REFS[

- [92] 
[CITE@ja-JP[埼玉県文化財目録 昭和44年3月現在]], [[埼玉県教育委員会]], [TIME[1969]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T06:11:37.019Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12654344/1/39?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [108] 
[CITE@ja-JP[埼玉県市町村誌 第3巻]], [[埼玉県地域総合調査会]], [TIME[1973]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:24:05.251Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9640825/1/128?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [119] 
[CITE@ja-JP[埼玉大百科事典 1 (あーか)]], [[埼玉新聞社]], [TIME[1974]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:46:59.555Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9640830/1/65?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [118] 
[CITE@ja-JP[埼玉年鑑 昭和54年版 本編]], [[埼玉新聞社]], [TIME[1978]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:46:21.457Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641554/1/292?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [112] 
[CITE@ja-JP[埼玉県郷土の文化財 : 国・県・市町村指定]], [[柳田敏司 編著]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:27:49.582Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12708789/1/29?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [105] 
[CITE@ja-JP[歴史考古学 (33)]], [[歴史考古学研究会]], [TIME[1993-12]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:13:13.757Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7951481/1/34?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [120] 
[CITE@ja-JP[石仏散歩 : ふるさとの信仰をたずねて30コース 埼玉支部15年のあゆみ]], [[日本石仏協会埼玉支部]], [TIME[1994.11][1994]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:48:08.514Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13214988/1/54?keyword=%E8%87%B4%E5%BE%97> (要登録)
- [124] 
[CITE@ja[法台寺板石塔婆群 - 新座の文化財 - 新座市ホームページ]], [TIME[2026-05-31T07:01:18.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:56:03.231Z]] <https://www.city.niiza.lg.jp/site/bunkazai/shitei-houdaijiitaishitouba.html>
- [131] 
[CITE@ja[法臺寺。新座市道場にある浄土宗寺院]], [TIME[2026-05-31T08:06:06.000Z]] <https://tesshow.jp/saitama/niza/temple_dojo_hodai.html>
- [132] 
[CITE@ja[大平山廣澤院法台寺の行き方・御朱印・口コミ情報| 御朱印集めに 神社・お寺検索No.1/神社がいいね・お寺がいいね|15万件以上の神社仏閣情報掲載]], [TIME[2026-05-31T08:07:28.000Z]] <https://jinja-bukkaku.net/detail.htm?jbId=10841>
- [128] 
[CITE[ocr-generated げん - Monumento(モニュメント)]], [TIME[2026-05-31T08:00:49.000Z]] <https://monumen.to/spots/19555>
- [129] 
[CITE@ja[saitamaken_bunkazai_r7.pdf]], [TIME[2025-05-08T02:15:31.000Z]], [TIME[2026-05-31T08:03:09.309Z]] <https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/27121/saitamaken_bunkazai_r7.pdf#page=76>


]REFS]

-*-*-

[144] 
[CITE[日本私年号の研究]]が[[私年号]]でないと分類した影響が大きいのか、
その後の[[私年号]]の一覧表等にほとんど掲載されていません。

[145] 
[[板碑]]関係の[[私年号]]の解説ではそれ以前も以後も一貫して[[私年号]]とされており、
地元の文化財関係の資料でも[[私年号]]として扱われ続けていますが、
それ以外の文脈で言及されることは (他の多くの[[私年号]]と違って) 
ほとんどありません。



* 至徳の遡及年号


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [5] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]]]],
[[彦太郎]],
「[DATA(.text)[[V[至徳元年二月  日]]]]」
[SRC[>>10, >>148]]
-- [7] 
[TIME[至徳元(1384)年][1384]]2月
--- [6] 
[TIME[日本永徳4(1384)年2月27日][kyuureki:1384-02-27]] [[改元]]


]ITEMS]

[8] 
>>5 は[[百姓]]が屋敷を変換する際の証文ですが、
[[香取]]まで[[改元伝達]]があるのは早くても至徳元年3月のことと思われます。
[SRC[>>148]]
ところがこれは至徳元年2月とあり、[[遡及年号]]に該当する可能性が高いと言えます。

[9] 
[[元二年]]説をとる歴史研究者の[[山田邦明]]は、
これは至徳2年2月の意味だと主張しています。
[SEE[ [[元二年]] ]]



[REFS[

- [10] 
[CITE@ja-JP[[[香取文書纂]] 巻之11]], [[伊藤泰歳, 村岡良弼 校]], [TIME[明39-41][1908]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T12:18:40.432Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/815209/1/44> (要登録)
- [148] [CITE[[[香取文書にみる中世の年号意識]]]]

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [13] [DATA(.label)[[V[二四一二 [CITE[中野村大字今堀日吉神社文書]]]]]]
-- [12] 「[DATA(.text)[[V[至德元年[LINES(smaller)[甲][子]]二月十日]]]]」
[SRC[>>11]]
--- [14] 
[TIME[至徳元(1384)年甲子2月10日][kyuureki:1384-02-10]]
---- [16] 
[TIME[日本永徳4(1384)年2月27日][kyuureki:1384-02-27]] [[改元]]
[[遡及年号]] -17日



]ITEMS]

[15] これは土地の四至を定めた文書。このタイプの文書で[[遡及年号]]はもう[[アウト][偽文書]]でしょう。

[REFS[

- [11] 
[CITE@ja-JP[[[近江蒲生郡志]] 巻6]], [[滋賀県蒲生郡]], [TIME[大正11][1922]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T12:20:03.153Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/965735/1/430>

]REFS]

-*-*-


- [17] [CITE@ja-JP[金皷と鰐口]], [[香取秀真]], [TIME[大正12][1923]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T12:26:38.698Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/971698/1/74>
- [18] [CITE@ja-JP[高知県史要 : 附・高知沿革略志、元禄大定目]], [[高知県]], [TIME[大正13][1924]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T12:27:16.165Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/978760/1/23>
左
- [19] [CITE@ja-JP[土佐美術史]], [[山本淳]], [TIME[昭和2][1927]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T12:28:26.379Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1212886/1/230> (要登録)
左
- [22] 
[CITE@ja-JP[宿毛市史]], [[宿毛市史編纂委員会]], [TIME[1977.3][1977]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T12:33:08.356Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9573993/1/79> (要登録)


[20] 銘文が至徳元年2月25日。[[遡及年号]] -2日。

[21] この種のものは遡って日を書いていることもあるので、これだけで偽銘とは断言できない。

[37] [CITE@ja-JP[新編岡崎市史 2 (中世)]], [[新編岡崎市史編集委員会]], [TIME[1989.3][1989]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-17T07:05:32.288Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9540743/1/220?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3> (要登録)

遡及年号  -1月


* 至徳の延長年号


[28] 
[CITE@ja-JP[和菓子 (5)]], [[虎屋虎屋文庫]], [TIME[1998-04]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:34:05.711Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3329048/1/47?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%9C%88> (要登録)

[23] [CITE@ja-JP[和菓子 (6)]], [[虎屋虎屋文庫]], [TIME[1999-09]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:30:18.768Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3329049/1/25?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%9C%88> (要登録)
/33

[24] [CITE@ja-JP[佐賀県史料集成 古文書編 第28巻]], [[佐賀県立図書館]], [TIME[1987.12][1987]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:31:27.075Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9776135/1/216?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%9C%88> (要登録)

[25] [CITE@ja-JP[和歌山県史蹟名勝天然紀念物調査会報告 第18輯]], [[和歌山県]], [TIME[昭和14][1939]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:32:11.805Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1113637/1/45?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%9C%88> (要登録)

[26] [CITE@ja-JP[重要美術品等認定物件目録 第2輯]], [[文部省宗教局]], [TIME[昭11至13][1938]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:32:48.352Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1071803/1/27?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%9C%88>

[29] 
[CITE@ja-JP[会津鶴ケ城]], [[梁取三義]], [TIME[1974]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:34:39.912Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569258/1/19?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%9C%88> (要登録)

[30] 
[CITE@ja-JP[会津若松史 第1巻]], [[会津若松史出版委員会]], [TIME[1967]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:35:27.907Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3048618/1/89?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%9C%88> (要登録)


[27] 
[CITE@ja-JP[美術史上より見たる仁科氏文化の研究]], [[一志茂樹]], [TIME[昭12][1937]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:33:42.566Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1257440/1/69?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%9C%88> (要登録)


[31] 
[CITE@ja-JP[鎌倉府体制形成過程の研究 : 守護・国人・一揆政策と領域的展開]], [[小国浩寿]], [TIME['''['''2000''']'''][2000]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:36:05.798Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3176069/1/385?keyword=%E8%87%B3%E5%BE%B3%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%9C%88> (要登録)


[32] 
[CITE[大粟文化圏と板碑について]], [TIME[2007-04-11T02:38:26.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:36:56.087Z]] <https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/22/2214.html>

> 阿川宮分の勧善寺所蔵の大般苦経172巻の奥書に,於阿波国名西郡大粟山尾呂野観学坊書写了,至徳4年11月4日とある。元享3年は鎌倉時代末期の年号であり,至徳4年は西紀(1387)で元享3年より64年後の南北朝時代の北朝の年号である。


[33] 
[CITE@ja[研究紀要 第16号 (15) - kiyo_016_15.pdf]], [TIME[2023-03-03T04:42:01.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:40:55.672Z]] <https://www.echiba.org/wp-content/uploads/2022/12/kiyo_016_15.pdf#page=23>

-[34] >>33 至徳四年丁卯十一月十八日 秩父郡東秩父村 浄蓮寺 [[宝篋印塔]]
-[35] >>33 至徳四□」十一月十□ 児玉郡美里町 光勝寺 [[宝篋印塔]]


[36] >>403
「[V[至徳四年十一月[ASIS[□][冂]]]]」
八王子市日吉町 小松家 [[板碑]]

[REFS[

- [403] 
[CITE[[[[V[私年号福徳の伊奈石五輪塔]]]]]],
[[[V[縣敏夫]]]],
[V[平成十年五月十八日稿]]

]REFS]

* 関連

[SEE[ [[弘徳]], [[至大]] ]]


* メモ
