[7] 
[DFN[建武]]は、[[後醍醐天皇]]の[[年号]]です。

* 元号名

** 異体字

[52] 
[CITE@ja-JP[甲斐の石造美術]], [[植松又次]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:02:26.945Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12423973/1/94?keyword=%E5%BB%BA%E6%AD%A6> (要登録)

** 元武

[8] [[建武]]を[DFN[元武]]と表記したと思われる事例が知られています。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [4] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[和歌山県]][[那賀郡]][[粉河町]]]] [CITE[悦谷上池代地売渡状]]]]
-- [15] >>14 : [V[二九四]]
-- [5] >>53 : [L[47]]
-- [26] >>25 : [V[四八]]
-- [6] 
「[DATA(.text)[[V[元武元年[LINES(smaller)[甲][戌]]十二月廿五日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>53, >>24, >>25]]
--- [13] 
「[DATA(.text)[[V[元武元年[SUP(smaller inline)[甲]][SUB(smaller inline)[戌]]十二月廿五日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>12, >>14]]

]ITEMS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [21] [DATA(.label)[[[金沢文庫]] 所蔵 [CITE[宮中記]] 写本]]
-- [22] 
「[V[[DATA(.text)[于時元武元年六月十日]]書寫了]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>20]]
--- [63]  
「[V[[DATA(.text)[于時元武六年六月十日]]書寫了]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>62]]
- [65] [DATA(.label)[[[金沢文庫]] 所蔵 [CITE[肝心鈔]] 写本]]
-- [66] 
「[V[元武二年五月八日[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>62]]

]ITEMS]

[70] 建武元年だとすると六月は[[遡及年号]]。建武六年だとすると[[延長年号]] +1年。

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [28] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[但馬国]][[美含郡]][[美含庄]]]] [[大乗寺]] [CITE[但馬国大乗寺檀那願文]]]]
-- [29] >>27 : [V[三一]]
-- [55] 
「[V[[DATA(.text)[元武元年[LINES(smaller)[甲][戊]]八月十日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>27]]

]ITEMS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [58] [DATA(.label)[[[東寺]][[観智院]] 所蔵 [CITE[伽陀]] [[写本]]]]
-- [59] >>57 : [V[第二門]] [V[第一項]] [L[38]]
-- [60] 
[DATA(.label)[墨書奥書]]
「[DATA(.text)[[V[元武元年八月  日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>57]]
-- [61] 
[DATA(.label)[墨書異筆]]
「[V[[DATA(.text)[應永四年四月八日]][SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>57]]

]ITEMS]

[REFS[

- [57] 
[CITE@ja-JP[大蔵会展観目録 : 自第一回至第五十回]], [[大蔵会]], [TIME[1981.11][1981]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:34:10.984Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12265417/1/94?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[11] 「[V[元武元年]]」 ([[刊本]]) 要検討 :

- [10] [CITE@ja-JP[日本政記字類大全 : 冠註插画 下]], [[斎藤実]], [TIME[明18.1][1885]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:12:07.552Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/771020/1/30?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6>

[69] 「[V[[RUBY[元武][(ママ)]]二年]]」 ([[明朝体]]) おそらく建武。近世文献

- [67] [CITE@ja-JP[金森家関係文書集]], [[上山市史編さん委員会]], [TIME[1983.8][1983]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:43:34.936Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571000/1/128?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)


*** 諸説

[72] 
用例はいくつか知られています。

[73] 
個別のものに注釈を付けたものはありますが、詳しく検討したものや、
横断的に検討したものは見当たりません。

-*-*-

[74] 
諸説いずれも[[建武]]に比定しています。
いずれも簡単な注釈程度で判断の根拠は示されていませんが、
[[音]]の類似、
[[干支年]]、
内容などが勘案されているのでしょうか。

[75] 
[[干支年]]がないものや >>21 のような特殊な事例もあり、
より深掘りした検討が望まれるところです。

[76] 
[[建武]]は[[北朝]]で五年まで続いていますが、[[元武]]の用例は[[元年]]に集中しています。

[77] 
新元号に慣れない時期に[[音]]で覚えた、伝えられたといった状況も想定する必要があるかもしれません。

*** 研究史

[23] 
[TIME[昭和14(1939)年][1939]]の史料集は、
>>21
を紹介して
「[V[[RUBY[元][マヽ]]武]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>20]]

[64] 
[TIME[昭和31(1956)年][1956]]の史料集は、
>>21
を紹介して
「[V[[RUBY[元][(建カ)]]武]]」 ([[明朝体]])、
>>65
を紹介して
「[V[[RUBY[元][(建)]]武]]」 ([[明朝体]])、
と注釈しています。
[SRC[>>62]]

[REFS[

- [20] 
[CITE@ja-JP[金沢文庫古書目録]], [[金沢文庫]], [TIME[1939]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:21:52.600Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1870497/1/118?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6>
- [62] 
[CITE@ja-JP[金沢文庫古文書 第10輯]], [[金沢文庫]], [TIME[1956]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:38:52.632Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2996526/1/43?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[16] 
[TIME[昭和14(1939)年][1939]]の史料集は、
>>4
を紹介して
「[V[[RUBY[元武][(建か)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>14]]

[9] 
[TIME[昭和48(1973)年][1973]],
[TIME[昭和50(1975)年][1975]],
[TIME[昭和57(1982)年][1982]],
[TIME[昭和61(1986)年][1986]]の書籍は、
>>4
を紹介して
「[V[[RUBY[元][(建)]]武]]」 ([[明朝体]])
と注釈し[[建武]]元年と説明しています。
[SRC[>>53, >>24, >>12]]

[REFS[

- [14] 
[CITE@ja-JP[高野山文書 第9巻]], [[高野山史編纂所]], [TIME[昭12至14][1939]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:17:45.448Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1219257/1/211?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6>
-- [17] 
[CITE@ja-JP[高野山文書 第5巻]], [[総本山金剛峯寺]], [TIME[1973]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:19:30.979Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12227785/1/208?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)
- 
[12] 
[CITE@ja-JP[白山史学 (17)]], [[白山史学会]], [TIME[1973-03]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:13:32.507Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7920471/1/6?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)
- [25] 
[CITE@ja-JP[和歌山県史 中世史料 1]], [[和歌山県史編さん委員会]], [TIME[1975]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:27:22.536Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9573553/1/242?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)
- [24] 
[CITE@ja-JP[近世国家の成立過程]], [[津田秀夫]], [TIME[1982.6][1982]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:25:03.469Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12281659/1/49?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6%E5%85%83%E5%B9%B4> (要登録)
-
[53] [CITE@ja-JP[粉河町史 第2巻]], [[粉河町史編さん委員会]], [TIME[1986.3][1986]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T15:02:12.248Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9576112/1/219?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[56] 
[TIME[平成5(1993)年][1993]]の史料集は、
>>28
を紹介して、
「[V[[RUBY[元][(建)]]武]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>28]]

[REFS[

- [27] 
[CITE@ja-JP[兵庫県史 史料編 中世 7]], [[兵庫県史編集専門委員会]], [TIME[1993.2][1993]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:29:42.086Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9576695/1/129?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[71] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。

*** 関連

[18] [CITE@ja-JP[語りべ日本の歴史 1 (旧石器時代~奈良時代)]], [[片山丈士]], [TIME[1987.4][1987]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T11:20:08.029Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13217575/1/119?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)

[19] >>18 [V[天武元年]]が一箇所[V[元武元年]]に誤植。


** 建

[78] 
[[建武]]が[DFN[建]]と[[省略された][元号略号]]といわれる事例があります。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [79] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[豊後国]][[東国東郡]][[田染村]][[陽平]]]] [[板碑]]]]
-- [93] >>90 : [V[二二]]
-- [95] >>94 : [L[(13)]]
-- [100] >>99 : [L[⑩]]
-- [110] >>102 : [V[一一〇]]
-- [91]
[[日本国]][[大分県]][[豊後高田市]]蕗、陽平、平野園 [SRC[>>90]]
-- [96] 
[[日本国]][[大分県]][[豊後高田市]][[大字蕗]][[陽平]]
[SRC[>>94]]
-- [97] >>94 : 白黒写真 (解像度中の下)
-- [80] 「[DATA(.text)[[V[建二八廿]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>113, >>900 ([CITE[板碑概説]]), >>90, >>94, >>99, >>101, >>102, >>103]]

]ITEMS]

[98] >>97 の写真によると、[[字間]]が各一字分くらいあって、
意図的に省略して空間を生かした配置にしているように感じさせられます。


[REFS[

- [102] 
[CITE@ja-JP[豊後国荘園公領史料集成 1 (豊後国田染荘・田原別符史料)]], [[渡辺澄夫]], [TIME[1984.12][1984]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T12:58:28.169Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9775373/1/76?keyword=%E5%BB%BA%E4%BA%8C%E5%85%AB%E5%BB%BF> (要登録)

]REFS]

*** 諸説

[104] 
[[板碑]]一例のみ知られています。

[105] 
[[昭和時代]]以来、[[建武]]の略であることが当然のように語られています。
各時代で実見した[[板碑]]の専門家らによる判定なのでしょうが、
改めて確認して明確にしておく作業が望まれるところです。

-*-*-

[106] 
[[昭和時代]]初期には[[私年号]]として扱われていましたが、
その後はなぜか言及されなくなっています。

[107] 
[[私年号]]の定義が整理されていく中で、他の[[私年号]]とは一緒に扱えないとなったのでしょうが、
他の分類に入れられるでもなく、[[元号研究]]の分野から抜け落ちて現在に至っています。
[SEE[ [[私年号の呼称と分類]] ]]

*** 研究史

[81] 
[TIME[昭和8(1933)年][1933]]の書籍は、
[[板碑]]の[[私年號]]の事例として
>>79
を紹介して次のように述べています。
[SRC[>>113]]

- [83] [[寛正]]を[[寛]]と[[略する][元号略号]]ように、
- [84] [[建武]]の[[略][元号略号]]だろう
- [85] 従って建武2年8月20日とするべきで、
- [86] [[金石文]]、ことに[[板碑]]にはこうした[[略字]]を使うことが多い

[87] 
[[略字]]という概念が現代ほど整理されていなかったようです。
[[漢字]]の[[略字]]は[[板碑]]でよく見かけますが、本例にはあまり関係しません。
[[年月日]]の省略表記は[[系図]]などではよく見られますが、
[[板碑]]でもそこまで多くはないものの、たまに見られます。 [SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]
[[元号名の省略形][元号略号]]はかなり稀です。

[45] 
昭和9年の[[久保常晴]]の論文は、
[[異年号]]と思われながら孤例のものとして
>>79
を紹介しています。
[SRC[>>900]]

[82] 
出典の[CITE[板碑概説]]説を支持して[[建武]]の単称としています。
[SRC[>>900]]

[88] 昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]にはなぜか掲載されていません。

[REFS[

- [113] 
[CITE@ja-JP[板碑概説]], [[服部清五郎]], [TIME[1933]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T12:12:01.774Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/384?keyword=%E5%BB%BA%E4%BA%8C%E5%85%AB> (要登録)
- [900] [CITE[[[金石文󠄃に現れたる異年號に就いて]]]]

]REFS]

-*-*-


[68] 
[TIME[昭和10(1935)年][1935]]の書籍は、
[[大分県]]下の[[板碑]]の[[私年號]]の事例として、
[[建]]を挙げています。
それら[[私年号]]を意識的に使用したのか否かは不明としています。
[SRC[>>136]]

[REFS[

- [136] 
[CITE@ja-JP[郷土要録]], [[大分県師範学校郷土室]], [TIME[昭和10][1935]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-11T14:52:48.054Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1232609/1/29?keyword=%E5%BB%BA> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[92] 
[TIME[昭和47(1972)年][1972]],
[TIME[昭和50(1975)年][1975]],
[TIME[昭和55(1980)年][1980]],
[TIME[昭和61(1986)年][1986]],
[TIME[平成3(1991)年][1991]]の書籍は、
>>79
を紹介して、
建武二年八月廿日の略と説明しています。
[SRC[>>94, >>90, >>99, >>101, >>103]]

[REFS[

- [94] 
[CITE@ja-JP[国東半島の石造美術]], [[酒井富蔵]], [TIME[1972]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T12:46:13.524Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12423871/1/46?keyword=%E5%BB%BA%E4%BA%8C%E5%85%AB%E5%BB%BF> (要登録)
- [90] 
[CITE@ja-JP[大分の石造美術]], [[望月友善]], [TIME[1975]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T12:41:40.342Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12423894/1/82?keyword=%E5%BB%BA%E4%BA%8C%E5%85%AB%E5%BB%BF> (要登録)
- [101] 
[CITE@ja-JP[私の郷土探訪]], [[岩野勝]], [TIME[1980.11][1980]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T12:56:29.194Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9773518/1/72?keyword=%E5%BB%BA%E4%BA%8C%E5%85%AB%E5%BB%BF> (要登録)
- [99] 
[CITE@ja-JP[豊後国田染荘の調査 1]], [[大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館]], [TIME[1986.3][1986]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T12:54:11.720Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9775701/1/60?keyword=%E5%BB%BA%E4%BA%8C%E5%85%AB%E5%BB%BF> (要登録)
- [103] 
[CITE@ja-JP[宇佐神宮史 史料篇 巻8 (南北朝時代 建武元年(1334)~明徳5年(1394))]], [[中野幡能 編纂]], [TIME[1991.2][1991]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-19T12:59:40.715Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13288017/1/519?keyword=%E5%BB%BA%E4%BA%8C%E5%85%AB%E5%BB%BF> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[89] 
その後[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。


* 縫武

[49] 
[DFN[縫武]]
([TIME[y~4190]])
の用例が[[日本]]で1例知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [30] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[静岡県]][[小笠郡]][[大須賀町]]]][[三熊野神社]] 宝物 鈴]]
-- [39] 
「[V[[DATA(.text)[縫武二年、楠正成祭修具、乙亥正月元日]]、鎮宅七十士[BR[]]霊符神]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>337]]
-- [38] [[平成の大合併]]で[[日本国]][[静岡県]][[掛川市]]。

]ITEMS]

[40] >>337 にこの鈴と思われる白黒写真がありますが、銘文は判読不能です。
ウェブ検索でも写真は見当たりません。

[32] 
[CH[縫]]は注意してみると[CH[建]]に[CH[糸]]偏を付けたようにも見えます。
[SRC[>>337]]

[36] 
[CH[𦂩]]は[[中華民国]]の「內政部戶政用字」として [[CNS 11643]]
に追加され、 [[Unicode]] にも追加されました。 [SRC[>>37]]
つまり[[台湾]]の[[人名]]にあると思われますが、
それ以外は[[ウェブ検索]]などでもこれといった用例の説明が出てきません。


[31] 
>>337 は >>30 について、銘文から[[楠木正成]]の冥福を祈って作られたものに間違いないと断定します。
しかし[TIME[延元元(1336)年丙子5月25日][kyuureki:1336-05-25]]に死去した[[楠木正成]]と[TIME[''建''武2(1335)年乙亥1月1日][kyuureki:1335-01-01]]は一致しません。
[SRC[>>337]]

[33] 
[[元号]]をわざと1年間違えて[[月日]]も違えながらも、
[[楠木正成]]であることには相違ないと、地元では十分承知していたといいます。
[SRC[>>337]]

[34] 
>>337 は聞いたことのない[[偽年号]]を使い表向き誤魔化したのは、
謀反人等支配権力に憚る人を祀る場合の常套手段だとします。
そして[[元和]]の13天の事例や[[偽名]]で墓に葬った事例をいくつか挙げます。
[SRC[>>337]]

[35] 
>>337 はまた、[[偽年号]]を使って支配者を憚る必要があった[[足利政権]]の時代の作であるとし、
「乙亥」は制作年ではなく没年を建武2年と合わせるための偽作だろうとしています。
[SRC[>>337]]

[43] 
一方社伝では、
建武2(1335)年元旦に[[新田義貞]]が戦勝祈願のため[[楠木正成]]の鈴を奉納したとされます。
[SRC[>>42, >>41]]
銘文には[[新田義貞]]の名が無いので、他の伝承によると思われます。

[44] 
銘文は[[楠木正成]]を追悼するものと解釈するより、
[[楠木正成]]の持ち物の[[鈴]]だったと解釈する方が自然に思われます。

[45] 
史実かどうかはともかくとして、
[[鈴]]が[[楠木正成]]の持ち物だったのを、
生前の建武2年1月1日付で奉納していた、
と銘文が主張していると読めば、
日付と死去の日はそもそも無関係で、
何の矛盾も隠蔽もないことになります。

[46] 
隠蔽工作だとすれば、命日をわざわざ不自然に書き換えているのに、
[[楠木正成]]の名前がそのまま書かれているのは極めて不可解です。

[47] 
[CH[建]]が[CH[縫]]に置き換わったのは、
何らかの意図があったとも誤記とも断定できるだけの材料がありません。

[48] 
[[建武]]から離れた時代になって、何らかの資料から書き写した時に、
伝写の過程で文字が書き換わっていたその資料 ([SEE[ [[秘伝書の日時]] ]]) 
の誤りを引き継いだとも考えられますが、
確証はありません。

[51] 
この鈴が作られた時代や[[銘文]]が書かれた時代はよくわかりません。




[50] 
>>337 のいう[[偽年号]]がどのようなものかはいまいちよくわかりませんが
([SEE[ [[偽年号]] ]])、
ともかく、
[[縫武]]は[[私年号研究者]]には知られていなかったようで、
[[令和時代]]に至るまで[[私年号]]や[[異年号]]の一覧に掲載されてこなかったようです。


[REFS[

- [337] 
[CITE@ja-JP[宗良親王信州大河原の三十年・東海信越南北朝編年史]], [[松尾四郎]], 
[V[発行  [TIME[昭和五十六年十二月][1981-12]]]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:42:52.271Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12270332/1/69> (要登録)
- [42] 
[CITE[furusatoyokosuka]], [TIME[2014-10-24T05:07:21.000Z]], [TIME[2024-07-27T02:17:12.921Z]] <http://earth1.g2.xrea.com/furusatoyokosuka.html>
- [41] 
[CITE@ja[三熊野神社について]], [TIME[2014-05-27T00:49:00.000Z]], [TIME[2024-07-27T02:17:00.760Z]] <http://www4.tokai.or.jp/mikuma/about.html>
- [37] 
[CITE@zh-Hant['''['''𦂩''']''' 15-5133 - 字形資訊 - CNS11643 中文全字庫]], [[CMEX中文數位化推廣基金會]], [TIME[2024-07-27T02:05:41.000Z]] <https://cns11643.gov.tw/wordView.jsp?ID=1003827>


]REFS]





* 延長年号

[54] [[日本中世の延長年号]]

[2] 
[CITE@ja[長崎大学学術研究成果リポジトリ]], [[NetCommons]], [TIME[2021-02-24T12:04:27.000Z]] <https://nagasaki-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=24247&item_no=1&page_id=13&block_id=21>
PDF 8ページ

「建武癸酉」


* 用例






* 事件

[3]  [[建武の新政]]


* メモ

[FIG(short list data)[ [[文字]]

:[F[文字]]:[CH[縫]]
:[F[字形類似]]:[CH[𦂩]]

]FIG]

[1] 
[[後醍醐]]はんは、[[光武帝]]が[[漢朝]]再興したみたいに[[天皇家]]の権力を復活させようと意気込んで、[[元号]]も''建武''にしたと言われてます。結果はご存知の通り。

