[ITEMS[ [[日時事例]]

- [2] [DATA(.label)[[[朝鮮]][[海美]]普願寺法印国師宝乗塔碑]],
[TIME[高麗景宗3(978)年戊寅][978]]
-- [3] 
「在[DATA(.text)[同光紀曆丙戌□年冬十月]]  太祖以[SNIP[]]」
[SRC[>>1]]
---
[4] [TIME[後唐同光4(926)年丙戌][926]] ([TIME[y~982]])
----
[5] 4月改元, この年の10月だとすると: [[延長年号]] +6月

]ITEMS]

[6] 
[CITE[高麗史]]によると[TIME[高麗天授16(933)年癸巳][933]]に[[後唐]]の[[正朔を奉じ]]て[TIME[後唐長興4(933)年癸巳][933]]に改めました。
そこから遡って[[同光]]の[[元号]]を適用したものです。
[SRC[>>1]]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [7] 
[DATA(.label)[[[朝鮮]][[原州]]居頓寺円空国師勝妙塔碑]],
[TIME[高麗顕宗16(1025)年乙丑][1025]]
--
[8] 
「[DATA(.text)[太平紀曆歳在旃蒙赤奮若秋七月二十七日樹]]」
[SRC[>>1]]
---
[9] [[旃蒙]]: 乙
---
[10] [[赤奮若]]: 丑
---
[11] [TIME(,value)[遼太平5(1025)年乙丑][1025]]7月27日
- [12] 
[DATA(.label)[[[朝鮮]][[稷山]]弘慶寺碣]],
[TIME[高麗顕宗18(1027)年丁卯][1027]]
--
[13] 
「[DATA(.text)[聖上御囿之十八載太平紀暦之第六年夏四月 日[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1]]
---
[330] 
[TIME[太平6(1026)年丙寅][1026]] ([TIME[y~1323]])
---
[18] 
[TIME[太平7(1027)年丁卯][1027]]
---
[331] 
[TIME[㬎宗17(1026)年丙寅][1026]] ([TIME[y~4042]])
---
[332] 
[TIME[㬎宗18(1026)年丙寅][1026]] ([TIME[y~4089]])
--- [SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]
- [14] 
[DATA(.label)[[[朝鮮]][[金溝]]金山寺慧徳王師真應塔碑]],
[TIME[高麗睿宗6(1111)年辛卯][1111]]
--
[15] 
「[DATA(.text)[以太平紀曆十有七年歳在戊寅七月哉生明誕師于[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1]]
---
[16] 
[TIME[太平17(1037)年丁丑][1037]]
---
[17] 
[TIME[太平18(1038)年戊寅][1038]]
--
[22] 
[[哉生明]]: 3日


]ITEMS]

[19] 
[[高麗]]が[[遼の元号]]である[[太平]]を利用開始したのが[TIME[遼太平2(1022)年壬戌][1022]]なので、
太平紀曆はそこから数えているとするのが[[鮎貝房之進]]の説。
>>12 は[TIME[西暦1027年][1027]]が正しいと主張しました。
[SRC[>>1]]
確かに >>14 の[[干支]]と一致するのはこの数え方です。

[20] 
>>12 の[[高麗王]]の[[即位紀年]]は[CITE[高麗史]]説ならその数え方で合いますが、
そうではなく実際と1年ずれていたとするのが[[小田省吾]]の説。
この説は朝鮮史における[[即位紀年]]の決め方の変遷をうまく説明できています。
[SEE[ [[朝鮮半島の即位紀年]] ]]
その場合 >>12 は[TIME[西暦1026年][1026]]となります。
>>14 は[[干支]]が合わないことになります。



[REFS[

-
[21] 
[CITE[[[雜攷]] 第六輯下卷]], [[鮎貝房之進]], [TIME[2023-05-19T07:46:50.000Z]], [TIME[2023-05-20T07:29:30.383Z]] <https://geocol.github.io/zakkou/book-6b.html#197>
--
[1] [CSECTION[[[附書年月󠄃日例]]]]

]REFS]


[23] 
関連:
[[元号紀元]]


