[7] 
歴史的に[DFN[改元の期日]]にはこれといった決まりはなく、
その時々の政治的指導者が適切と考える時期に、
その時代に最適と思われるスケジュールで[[改元手続き]]が進められてきました。

[358] 従って[[改元]]がいつ行われた (と解釈する) かの処理は、
かなり複雑で込み入った問題のようです。

[187] 
[[現代日本]]人にとってはある日、ある瞬間に旧元号から新元号に変更されるという意識が強いようで、
事務処理上もある日がどの元号だったのか自動的に決まる方が便利なのであります。
ところが実際には旧元号と新元号の期間は互いに重なり合っているのであって、
[[改元日]]の含まれる[[年]]のはじめから[[無限]]の未来まで、
グラデーション状に移り変わるとでもいうべきものです。

[SEE[ 改元一般は[[改元]]、手続きは[[改元手続き]] ]]

* 改元の段階

[210] [[改元]]実施の時期に関する議論にはいくつかの要素があって混乱しやすく注意が必要です。

- [6001] ㋑ 改元事由発生の日時
- [6002] ㋺ 新元号の制定の日時
- [6003] ㋩ 新元号の発表の日時
- [6004] ㋥ 新元号の利用開始の日時
- [6005] ㋭ 新元号の対象となる最速の日時

[213] 改元事由発生㋑は主として[[代始改元]]・[[称元]]に関係します。
先代の年号から今代の年号に切り替えるに当たり、
先代の退位の年から新年号とするか、
その翌年を新年号とするか、
2つに大別できます。
[SEE[ 改元事由については[[改元]] ]]

[211] 制定㋺、発表㋩、利用開始㋥については、
日時制度、法制度、交通・通信と情報技術の発達に伴い、
互いに明確な区別が求められるようになり、
しかも利用開始㋥の精密化・同時化が進みました。
伝統と革新、利便性といったそれぞれの思惑で現在でもいろいろな議論があります。
利用開始㋥は厳密には法令の施行、書類やシステムの更新など段階を分けることができ、
議論はいくらでも複雑になります。
なお[[即位紀年]]に㋺㋩はありません。

[214] 対象日時㋭については利用開始㋥と同時とするのが直感的には自然でありますが、
改元は年の呼称が改められるのだから年始に遡及するという説が古くから唱えられていました。
代替わり㋑とそれ以後の手続きの時間的配置の問題とも影響してきます。
近現代に至っても、
制定㋺が利用開始㋥の日の途中だったときどう理解するべきか、
代替わり㋑と改元が一致しなければならないのではないかという議論があります。
利用開始㋥は「施行」と呼ばれますが、
対象日時㋭も「遡って施行」のように呼ばれるため混乱の元となっています。

-*-*-

[318] 
改元時期について、次のような用語がありますが、
定義が曖昧で、同じ語でも人によって違うものを指していることがあります。
対になっているような語でも、意味が対になっていないこともあります。
誤用から生じたとみられる語もあります。
(詳しくは >>10):
[DFN[即時改元]]
[DFN[即日改元]]
[DFN[践祚同年同日改元]]
[DFN[践祚同日改元]]
[DFN[即位同時改元]]
[DFN[翌日改元]]
[DFN[踰日改元]]
[DFN[踰月改元]]
[DFN[踰年改元]]
[DFN[越年改元]]
[DFN[翌年改元]]
[DFN[明年改元]]
[DFN[次年改元]]
[DFN[踰年正月改元]]
[DFN[践祚踰年改元]]
[DFN[立年改元]]
[DFN[当年改元]]
[DFN[立年即日改元]]
[DFN[立年踰日改元]]



[319] 誤解を防ぐため、こうした語は'''できるだけ避け'''、
何から何までの時期か説明的に記述するべきです。

[235] 説明的に時期を表す言葉にも混乱の要素があります。
「即位翌年の改元」が、
「即位翌年年始の改元」を表す場合と「即位翌年中の改元」を表す場合があり得ます
(「即位よりも後の年のいつかの改元」を表す場合すらあります)。
「即位」の時点も、
先帝崩御、
皇位継承発生、
[[践祚]]儀式、
[[即位]]儀式、
皇位継承の発生した日全体 (のいずれかの時点)、
皇位継承の一連の行事全体 (のいずれかの時点)
のどれを指す場合もあり得ます。
冗長になってしまいますが、記述したい対象を正確に説明する他ありません。





* 代始改元の時期

[17] 
[[即位紀年]]や[[代始改元]]は、
代替わり㋑から改元㋺㋩㋥までの時期が問題となります。
改元によって先代の最終年を途中で終わらせることを好ましくないとしたり、
逆に元号と在位時期が完全に一致することを好ましいとしたり、
いろいろな考え方があります。

;; [18] [[代始改元]]以外の理由の[[改元]]は、
おおむね改元事由㋑が生じ次第すぐに実施する趣旨のものですから、
あまり問題とされることはありません。

[19] 先代退位、[[称制]]・[[摂政]]、[[践祚]]、[[即位]]といった時代と地域によって異なり複雑な代替わりの過程も話を複雑にしています。

[56] 次のように分類できます。

- [57] 代替わりのあった年のうちに新元号を実施する
- [58] 代替わりの翌年以後に新元号を実施する
-- [59] 代替わりの次の年に新元号を実施する
-- [60] 代替わりの次々年かそれ以後に新元号を実施する
- [61] 代替わりの改元を実施しない

[20] 代替わりのあった年を当日、翌日、翌月などと細分することもあります。
ただし改元の諸段階㋺㋩㋥㋭の議論が交わり複雑になっています。

[21] 翌年(以後)に実施することを[[踰年改元]]ということが多いようです。
翌年といっても時期は様々で、元日でないことのほうが多いです。
「[[踰年改元]]」という言葉も使う人によって少しずつ意味が違っています。

-*-*-

[11] [[改元]]の実施時期は長年明確な定めを欠いていました。
[[日本]]の旧[[皇室典範]]時代は[[即位]]後ただちに[[改元]]すると定めていました。
[SEE[ [[日本の元号法制]] ]]

[146] 現在の[[法令][日本の元号法制]]は[[即位]]後どのタイミングで[[改元]]するべきかを定めていません。
[CITE[元号法]]制定当時の[[国会]]では翌年の新[[元号]]実施の是非も議論されました。
[[日本政府]]はその可能性を排除せず、
実際[[平成改元]]では仮に[[皇位継承]]が[[年末]]なら翌[[年始]]から新[[元号]]とすることが[[政府]]内で密かに検討されたといわれています。
[[令和改元]]でも[[年始]]からの新[[元号]]実施を提案する人はいました。
現実には、どちらも新年を待たずに[[皇位継承]]に近いタイミングで[[改元]]されました。

-*-*-



[48] 
[CITE[旧唐書]]によると、
[[唐]]の[[代始改元]]の19例中、
10例は「踰年正月改元」であって、
うち9例は正月、
うち5例は元日から新元号が使用開始されました。
[[漢]]から[[清]]の時代まで、
約100例、6割が「踰年正月改元」でした。
[SRC[>>49 普及版 p.16, p.23]]
㋑ - ㋥

;; [357] [CITE[Wikipedia]] の説 >>65

[50] 
[[日本]]では、
[[奈良時代]]には7例中4例が[[祥瑞][祥瑞改元]]を伴う「践祚同年同日改元」、
3例が「踰年改元」でした。
[[平安時代]]、[RUBYB[[[弘仁]]改元][[TIME[810年][year:810]]]]以来
「踰年改元」が慣例となりました。
[RUBYB[[[明治改元]]][[TIME[1868年][year:1868]]]]まで、
7割近くが「踰年改元」でした。
ただし正月以外の実施例が多くありました。 [SRC[>>49 普及版 p.17]]
㋑ - ㋥

[51] 
[CITE[日本後紀]]の[RUBYB[[[大同]]改元][[TIME[806年][year:805]]]]
([[践祚]]と同年) の記事は、
踰年せずの改元は1年に2君を持ち、
新帝が旧帝の年の残りを奪うことになるため非礼だ、
と批判しました。
次の[RUBYB[[[弘仁]]改元][[TIME[810年][year:810]]]]
([[践祚]]の翌年) でこれが主張されたと考えられています。
以後これが先例とされ、
[[平安時代]]中期の[CITE[新儀式]] (逸文) や[[平安時代]]末期の[[大外記]]の[[清原頼業]] 
([CITE[玉葉]] 治承4年12月4日条)
も同年の改元は不吉で、翌年の改元が慣例だとしていました。 
[SRC[>>49 普及版 p.18, p.23]]




[REFS[
- [49] [CITE[日本年号史大事典]]
]REFS]

-*-*-

[FIG(short list)[ [521] [[代始改元]]の時期
- [[西夏の元号]]
]FIG]

[522] [CITE@zh[晉書/卷028 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2022-01-28T05:16:01.000Z]], [TIME[2022-02-11T05:20:34.189Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7028>

[583] [CITE@ja[即位 - Uyopedia]], [TIME[2020-01-22T05:25:01.000Z]], [TIME[2023-09-27T06:22:24.501Z]] <http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E5%8D%B3%E4%BD%8D#.E7.A7.B0.E5.85.83>


>立年称元はまた当年称元、エジプト式紀年法、アンチデートシステム(antedate (時前)system)、などという。 踰年称元はまた越年称元、メソポタミア式紀年法、ポストデートシステム(postdate (時後)system)、などともいう。 古代イスラエル王国(北王国)では後者、ユダ王国(南王国)では前者が用いられた。 日本でも中国でも、古くは前者が用いられたが、中国では戦国時代から後者になり、歴史記録がそれに合わせて溯って改訂再編された。 日本でも『古事記』は前者のまま、『日本書紀』は後者に合わせた編集がされている。 後者の方が明らかに合理的ではるかに便利であり伝統もあったにかかわらず、明治以降、日本の代替わり改元では前者に従うようになった。愚かしいことではなかろうか。

** 中華王朝の代始改元

[652] 
[CITE[宋・太宗の太平興国の改元について - 和歌山大学学術リポジトリ]], [TIME[2024-02-07T03:29:55.000Z]] <https://repository.center.wakayama-u.ac.jp/ja/62>

[360] 
[CITE@ja[山口 洋「中国古代における踰年改元について」 : 関尾史郎のブログ]], [[s_sekio]], [TIME[2025-04-18T13:34:22.000Z]] <https://sekio516.exblog.jp/33567228/>



** 越南の代始改元


[567] 
[[越南の元号]]の[[改元]]の時期も、
[[皇帝]]の[[即位]]の翌年とする事例が多く、
[CITE[春秋]]
以来の望ましい方式と認識されていました。
[SRC[>>565]]

-
[569] 
[CITE[大越史記全書]]において著者[[呉士連]]は、
前帝崩御の翌年の[[改元]]が「春秋の法」であるとし、
1年に2君あるのは不適切とする[CITE[書経]]を引いて説明しました。
[SRC[>>568, >>565]]
-
[570] 
[[阮朝]]編纂の
[CITE[欽定大南会典事例続編]]
によると、
[[建福帝]]は即位時に翌年を建福元年とすることを定めましたが、
その即位の詔では、
古から帝王が践祚する際は翌年に改元するのが正しい礼だと述べていました。
[SRC[>>565]]


[571] 
しかし実際には[[即位]]と同年に[[改元]]した例も少なくありません。
簒奪など特別な事情がある例だけでなく、
[[李聖宗]]の[TIME[龍瑞太平元(1054)年][1054]]のように、
皇位争いがない平穏な即位でも年内に[[改元]]されています。
[SRC[>>565]]

[572] 
[[李朝]]は、[[李太宗]]が[[三王の乱]]で兄弟を殺して即位改元しましたが、
これが即位同年内の改元の先例となりました。
[SRC[>>565]]

[573] 
[[黎朝]]の時代に[[儒教]]が重視されるようになり、
[[呉士連]]のように[[儒教]]的観点から同年中の[[改元]]を批判し、
翌年の[[改元]]を良しとする風潮が生まれました。
[SRC[>>565]]


[574] 
[[陳朝]]の時代には[[譲位]]が多く、
同年中の[[改元]]が多く行われました。
先代 ([[上皇]]) の指名による新帝の即位改元であるため、
非礼には当たらないと解釈されたものと考えられます。
[SRC[>>565]]

;; [575] [[日本]]では8世紀の譲位では同年中の[[改元]]が多いですが、
[[院政期]]には原則通りの翌年の[[改元]]が普通になります。
[SRC[>>565]]



[REFS[

-
[568] 
[CITE@zh[[[大越史記全書]]/本紀卷之二 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-03-19T07:38:22.000Z]], [TIME[2023-04-02T07:38:46.517Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B6%8A%E5%8F%B2%E8%A8%98%E5%85%A8%E6%9B%B8%2F%E6%9C%AC%E7%B4%80%E5%8D%B7%E4%B9%8B%E4%BA%8C>
-
[566] 
[CITE[[[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]]]
--
[565] 
[[[CSECTION[[V[ベトナムの年号史試論 [WEAK(smaller)[―丁・前黎・李・陳朝期[WEAK(smaller)[(十世紀〜十四世紀)]]の事例を中心に―]]]]]]]]

]REFS]

** 朝鮮半島の代始改元

[SEE[ [[朝鮮半島の即位紀年]] ]]


* 改元日

[45] 
[[改元]]の日、[DFN[改元日]]に言及されることは多いですが、
[[改元手続き]]のどのタイミングを指すかは自明ではありません。

[52] 
[[日本の元号]]の[[改元]]の大多数は[[改元日]]に一応の定説があります。
複数説がある場合でも、
そのうちの1つが多くの[[一覧表の類][元号一覧]]で共通して採用されているようです。
[SEE[ [[日本の元号]]、[[元号一覧]] ]]

[72] 
[[昭和]]までの[[日本の元号]]は[[詔書]]㋺に記入された日付、
[[平成]]以降は[[政令]]の[[施行]]の日
(理論上は㋥、実態は㋭) を[[改元日]]とみなすのが一般的なようです。

;; [SEE[ 具体的な日付は[[元号一覧]]のデータファイル ]]


[76] 
ただし、[[流布されている一覧表の類][元号一覧]]の中には、
[[旧暦]]、[[グレゴリオ暦]]、[[ユリウス暦]]の[[換算][暦の換算]]に失敗したもの、
[[西暦]]への[[換算][暦の換算]]時に[[暦法]]による[[年始]]の違いの処理に失敗したものもあります。
[[西暦]]が[[グレゴリオ暦]]か[[ユリウス暦]]か明記されず一見しただけではわからないものもあります。
[SEE[ [[ユリウスグレゴリオ暦]] ]]

-*-*-

[97] [[日本の公年号][日本の元号]]のうち、唯一[[文中]]への[[改元]]だけ、
[[改元日]]に定説すらありません。

[77] [[一覧表の類][元号一覧]]は[[月]]までで[[日]]不明としており、
[[変換ソフトウェア][元号一覧]]は仮に月初を改元日として扱うのが主流のようです。
ただし西暦換算が原因の揺れが存在します。

[SEE[ [[日本の元号]]、[[元号一覧]] ]]

-*-*-

[265] [[日本の公年号][日本の元号]]のうち、
[[白雉]]と[[朱鳥]]は、
次の[[元号]]が定められずに使われなくなりました。

[78] 次の[[天皇]]の[[即位]]までが旧[[元号]]の期間とされていますが、
それを過ぎても旧[[元号]]が一部で使われた記録があります。

[79] 一覧表の類は無[[元号]]期間について[[天皇即位紀年]]によるもの、
空白期間と明記するもの、
明記しないが前後期間に含めないもの、
旧元号の期間に含めるもの、
架空の元号的なものを置いて代用させるものと対応が分かれています。
境界は前[[天皇]]の[[崩御]]の日とするもの、
新[[天皇]]の即位の日 (または前日) とするもの、
年末とするものがあります。

[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]

-*-*-

[150] 
[CITE[日本年号史大事典]]は[[改元]]の日のほか、
各手続きの日程も判明しているものは記載しています。
異説も掲載しています。
[SEE[ [[元号一覧]>>401] ]]

[153] 巻末一覧表は[[文応]]欄に誤植があります。

[154] [[平成]]について、本文、巻末とも[[政令]]の[TIME[1月7日][1989-01-07]]を改元日とし、
[[施行]]の[TIME[8日][1989-01-08]]は注記に示しています。

* 元号の期間

[491] 
[[改元]]から始まり[[改元]]で終わる[[元号]]の[[期間]]は、
本項で挙げた通り諸説諸流儀があります。
実用上どう取り扱うのが良い (便利) でしょうか。

-*-*-

[492] 
[[日]]単位で扱う場合、
[[改元日]]から[[改元日]]までを[[元号]]の[[期間]]とみなすのが、
[[現代日本]]の主流の扱い方と思われます。

[493] 
[[日]]を更に細かく区分したり、
ある[[日]]が複数の[[元号]]に属すると考えるのは一般的でなく、
扱いにくいものです。
もちろん詳細に説明したいこともありますが、
基本となるべきはある[[日]]が1つの[[元号]]にだけ属するという簡単なモデルでしょう。

[494] 
[[改元日]]は旧元号に属する日とも新元号に属する日とも解釈し得ますが、
どちらかを選ぶとなると新元号とするのが適切でしょう。
[[改元日]]とそれ以降の日は、
「当初旧元号の予定だったが新元号に変わった日」
という性質が共通しています。

[FIG[
- [495] 新元号開始日: 新元号が適用開始された最初の日。
- [496] 新元号開始日前日: 新元号開始日の前日。
]FIG]

[498] 適用開始の日が決定の日、発表の日と違うこともあるので注意。

-*-*-

[497] 
[[年]]単位で扱う場合、
新旧元号を併記する場合もありますが、
都合上1つに決めたいこともあります。
その場合新元号に統一するのが優勢に見えますが、
旧元号に統一する場合もあり、
適宜選択するものというべきです。

[499] 
新元号に統一する場合、
新元号の最初の日は[[年始]]に遡及します。
普通は[[改元日]]の属する[[年始]]ですが、
例外的に2年以降から始まる場合は前年以前に遡ります。
旧元号最終日はその前年末になります。

[FIG[
- [500] 新元号初年始: 新元号開始日の属する年の初日。
- [501] 新元号初年前日: 新元号初年始の前日。
]FIG]

[502] 
旧元号に統一する場合、
旧元号の最終日は[[改元日]]の属する年末まで延長されます。
新元号の最初の日は[[改元日]]後の最初の年始まで遅延します。

[FIG[
- [503] 旧元号末年翌日: 旧元号末年末の翌日。
- [504] 旧元号末年末: 新元号開始日前日の属する年の末日。
]FIG]

[505] 新元号開始日が年始のとき注意。

[506] 
ある元号の期間を年単位で決めたいとなると、
初年始から末年末までとするのが妥当でしょう。
前後の元号の期間を重複が生じ得ることに注意が必要です。

* 改元時期の特殊例

[94] [TIME[西暦749年][year:0749]]、
[[天平]]21年から[[天平感宝]]元年 ([TIME[4月14日][kyuureki:0749-04-14]])、
[[天平勝宝]]元年 ([TIME[7月2日][kyuureki:0749-07-02]])
と1年に2回[[改元]]されました。正式改元が2回あったのは日本史上この年だけです。

[35] 一覧表の類で[[天平感宝]]が欠落していることがあります。
[SEE[ [[元号一覧]] ]]

-*-*-

[151] [TIME[西暦781年][year:0781]]、
[TIME[宝亀12年正月1日に天応元年正月1日][kyuureki:0781-01-01]]に[[改元]]されました。
[[元日]]改元は日本史上このときだけです。

[331] 一覧表の類では宝亀12年を含めているものも省いているものもあるようです。
[SEE[ [[元号一覧]] ]]

-*-*-

[152] 
[[延長]]元年への[[改元]]は[TIME[閏4月11日][kyuureki:0923-04'-11]]でした。
[[閏月]]の[[改元]]は日本史上このときだけです。

* 事前の準備


[85] 
[[計算機システム]]など[[元号]]を扱う機構は、
[[改元]]がいつ発表㋩されいつ[[施行]]㋥㋭されるかまったく予期不能であることを想定し、
[[改元]]決定後可及的速やかにこれを実施できる備えが必要となります。
[SEE[ [[ロケールの更新]] ]]
一方で[[改元]]の実施によって即時すべての元号の表記を改めるべきとの考え方は存在してこなかった
(物理的にも存在できなかった) 歴史的事実を踏まえ、
[[計算機システム]]が即時新元号に改まらなかったとしても、
ただちにこれを不適切としない寛容性が今後も受け継がれることが望ましいといえます。


[144] 
[[日本]]の[[代始改元]]のほとんどは皇位継承の翌年の改元でしたが、
[[践祚]]の翌年というだけで時期は様々でした。
[[改元]]されないこともありました。
[[即位]]により[[改元]]が予期されるものの、
[[改元日]]が大々的に事前発表されることはなく、
新元号決定後に徐々に[[施行]]されていきました。
全国各地への情報伝達の時間差に加え、
[[公家]]、[[武家]]それぞれの改元儀式の時間差などもありました。
[SEE[ [[改元手続き]] ]]

[62] 
[[日本の元号]]のうち、
[[大正]]への[[改元]]、
[[昭和]]への[[改元]]は、
皇位継承と同じ日の改元でした。
新帝[[即位]]後ただちに[[改元]]の[[詔勅]]が[[公布]]され、
[[官報]]や[[新聞]]などの[[年号]]は[[詔勅]]の[[公布]]の後直ちに改められました。

[63] 
[[平成への改元][平成改元]]は、
新帝[[即位]]後ただちに[[改元]]の[[政令]]が[[公布]]されましたが、
[[施行]]は翌日とされました。
[[昭和天皇]]の[[崩御]]による[[譲位で行われた改元][代始改元]]だったため、
直前の連日の深刻なご容態の発表を[[改元]]の予告と捉えることは可能でしたが、
[[改元]]の手続きやシステム変更などの準備を行っていると公言するのはとても憚られる状況でした。

[64] 
[[令和への改元][令和改元]]は、
[[譲位]]であり[[改元]]される見込みであることが1年以上前に示されつつも、
直前まで法的措置はとられませんでした。
新[[元号]]は[TIME[1ヶ月前][2019-04-01]]に[[政令]]で[[公布]]されました。
あくまで今回限りのスケジュールであって恒久的制度ではありませんが、
今後の事前予告ありの[[改元]]は
1ヶ月前には発表されるとの前例になると期待したいところです。

[120] しかし[[令和改元]]では事前予告ありの[[改元]]ゆえの問題も指摘されました。

- [121] [[改元]]されることが発表された後肝心の[[元号名]]が長く未発表だったため、
[TIME[平成31年5月][2019-05-01]]以後の[[日付]]の表記が不安定となった。
-- [126] 「平成32年」のような表記を誤りと考える者や、
[[西暦]]を用いるべきと考える者が出現した。
-- [127] 「(新元号)元年5月」のような恒久的に通用しない暫定表記も現れた。
- [145] しかも[[改元日]]も暫定的なもので、
わずか4ヶ月前まで政治的な争いが続けられていた。
-- であるなら初めから[[改元日]]が未定であることを明確に発表するべきだった。
- [122] [[施行]]日を[[改元]]日としたため、
発表から[[改元]]までの1ヶ月間新元号の利用可否に法的な不安定性を生じた。
-- [123] [[改元]]日を明記して即日施行の政令とするべきだった。
-- [124] [[平成改元]]を踏襲したためか、
あるいは[[退位特例法]]と[[元号法]]との整合性のためそうするしか選択肢がなかったか。
-- [125] 政府は[[将来の日時]]の表記も[[改元]]後切り替えるとしたが、
民間では発表後既に利用開始した。
--- [129] 政府は[[公布]]以外の準備は始めて構わないという見解を[[地方公共団体]]に送付しました
[SRC[>>128]]。
--- [136] 民間から政府に提出する書類ではどちらの表記でも構わないという見解を示しました
[SRC[>>135]]。
--- [147] 実際は政府も一部下部組織で[[改元]]前から[[公布]]以外の事務に[[令和]]を使用し始めました。
[SEE[ [[令和改元]] ]]
- [133] つまり
1年以上の準備はできるが不完全な時期、
1ヶ月の準備はできるが実施はできない時期が生じ、
国民、特に事務担当者やシステム担当者の不安を招いた。
- [134] 実務上の影響の大きい[[年度]]名の呼称に疑義が生じることが明らかだったにも関わらず、
取り扱いを[TIME[新元号発表当日][2019-04-01]]まで決定すらしなかった
([SEE[ [[元和元年度]] ]])。

[148] [[令和]]発表から[[令和改元]]までの1ヶ月で、
政府機関や学術機関だけでも
「令和2年」「令和3年」「令和4年」
の利用例が少なからず見られました。数年先を取り扱う事務の量が少なくないことは明らかで、
「[[改元]]されるが新元号は不明」
という時期を十数ヶ月も継続させたことは実務上でも[[元号]]というシステムへの信用の面でも致命的な失策でした。
新旧元号の併存が新旧天皇の「二重権威」化につながるなどとする主張が政府・与党方面でなされていたようですが
([SEE[ [[令和改元]] ]])、そのような意味不明で実務無視の態度が[[元号]]と[[天皇]]家の権威全般を貶めていることを知るべきです。

[23] その一方で、
発表から約半月新元号に沸き、
約半月[[平成最後]]の時代の終わりを感じながら新元号の最終準備を済ませ、
改元を迎え約1週間の寿ぎに包まれた連休を過ごし、
新元号の仕事始めとなる、
という[[令和改元]]前後のスケジューリングは非常によくできていて、
国民こぞっての祝賀行事に最適だったとも思えます。
この令和の改元ノウハウが失われず、
現場経験者が各業界で現役のままの時期に次の改元が
(おなじく祝賀ムードで)
迎えられると良いのではないでしょうか。

[REFS[
- [128] [CITE@ja[総務省|「元号を改める政令等について」の発出について]] ([TIME[2019-04-02 16:06:10 +09:00]]) <http://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/kinkyu02_000318.html>
- [135] [CITE[改元に 伴う情報システムの 改修等を進めていく 上でよくご 質問いただく 事項]] ([TIME[2019-04-03 11:54:04 +09:00]]) <https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/kaigen/20190403_kaigen_faq.pdf>
]REFS]

* 施行手続き

[170] 
歴史的には[[改元]]にいろいろな手続があり、
[[施行]]は同時ではありませんでした。
[SEE[ [[改元手続]], [[改元伝達]] ]]

[172] 
[[改元]]の[[詔書]]㋺は[[覆奏]]を経て[[全国]]へ発送されました。
[[覆奏]]まで何日か、各地の到着まで更に何日かかかっていました。

[31] [[京都]]の[[朝廷]]では、それを待たずにすぐ㋺に新元号が使われた㋥とされています。
といっても新元号を決める[[改元定]]は[[改元日]]㋺当日のことが多く、
ときには夜明け近くまでもつれ込んだとされています。
すると[[改元日]]㋺当日にリアルタイムで新元号を使った㋥人が皆無だったこともあるかもしれません。

[185] 
[[武家]]は[[吉書始]]の後新元号を利用開始㋥しました。
[[吉書始]]まで何日かかかっており、
[[公家]]と時間差がありました。
[[幕府]]から各地の到着まで更に何日かかかっていました。

[28] [[朝廷]] → [[幕府]] → [[藩]] → 庶民の正式な伝達には時間がかかり、
庶民が別ルートで新元号を知ることもありましたが、
フライングして新元号を使うと正式な元号を使うよう指導されることもあったようです。

[340] 
[[前近代]]には新元号の利用開始は全国同時ではあり得ず、しかもそれが当然とされていたのです。

[24] 
[[大正]]と[[昭和]]の[[改元]]は、
皇位継承㋑のその日のうちに[[詔書]]が発され㋺㋩、
実施されました㋥㋭。
[[施行]]手続きとしては最も簡単な形だったといえます。

[68] この時代でもまだ離島には[[改元]]が伝わるのが何ヶ月もかかることがありました。
当然ながら利用開始は情報が伝わった後になり㋥、
それまで㋺-㋥は旧元号を使い続けたことになります ([SEE[ [[延長年号]] ]])。
といっても法的な[[施行]]は全国共通なので、
情報がひとたび伝われば[[改元日]]以後の日付㋺-㋥は新元号で表すことになったはずです㋭。

[25] 
[[平成改元]]は皇位継承㋑の日のうちに[[政令]]が制定㋺・公表㋩されましたが、
[[施行]]㋥㋭は翌日とされました。
従来の即日施行では当日が旧元号か新元号か安定して定められなくなるため、
翌日施行することとされました
[SRC[>>396]]。
(仮に[[政令]]の決定が遅れて皇位継承㋑当日中に[[官報]]によって[[公布]]㋩できない場合、
皇位継承㋑の翌日に[[公布]]㋩し翌々日に[[施行]]㋥㋭することが想定されました
[SRC[>>396]]。)

[26] 
[[令和改元]]は、皇位継承が事前の特例法制定により予告され、
新元号の発表と施行も首相談話として予告された上で、
1ヶ月前に[[政令]]が制定㋺、公表㋩され、
皇位継承㋑と同時に[[施行]]㋥されました。

[27] 
ここで法的に新元号の利用開始㋥は[[政令]]の[[施行]]のはずで、
政府もそのような方針を採りましたが、
一般には公表㋩の時点で使われ始めました。
しかもそれ以前の皇位継承の日が内定した段階で、
[[延長年号]]となることが確実な改元予定日以後の旧元号表記に疑念が持たれる状態となってしまっていました。
(>>120)
これを回避するには皇位継承㋑の日取り決定を新元号施行㋥と揃えるしかありませんが、
[[令和改元]]の経緯をみるに現実的とは思えません。

[30] 現代でも、全国共通の正式な改元とは別に、
例えば[[計算機システム]]の切り替えの都合による別の利用開始日時㋥が設定されることがあります。


[527] 
[[長享]]:

[528] [CITE@ja[元号一覧 (日本) - Wikipedia]], [TIME[2022-05-20T22:00:01.000Z]], [TIME[2022-05-21T08:48:29.097Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#cite_note-10>

>ただし改元後も幕府側の準備不足の為、8月9日(8月27日)まで公家も武家も「文明」の年号を使用した。


* 改元伝達

[640] 
[[新元号]]が[[定められる][改元手続き]]と、
[[全国]]に[[伝達][改元伝達]]され、[[施行]]されます。
現代では一瞬ですが、[[昭和改元]]までは[[日]]単位から[[月]]単位の時間差がありました。
伝達の方法も、時代により地域により様々でした。
[SEE[ [[改元伝達]] ]]



* 改元当日の所属

[161] [[Wikipedia]] の一覧表は、[[明治]]への[[改元]]までは、
旧[[元号]]の最終日も新[[元号]]の開始日も、どちらも[[改元]]のあった当日としています。

[625] 一般に[[西暦]]から[[元号]]への変換ソフトウェアでは、
[[改元]]日とそれ以後を新[[元号]]とするものが多いと思われます。

[162] [[大正]]への[[改元]]と[[昭和]]への[[改元]]は、
[[改元日]]から新[[元号]]であるとされています。
しかし[[改元]]の[[詔書]]は旧[[元号]]で[[改元日]]を表記しています。
つまり、[[改元日]]当日は旧[[元号]]でもあり、新[[元号]]でもある[[日]]ということになります。

[628] [[詔書]]が旧[[元号]]で書かれているのは、[[詔書]]を書いた時点ではまだ旧[[元号]]で、
これが[[公布]]され[[発効]]することで改まる、ということなのでしょう。
であるならば、少なくてもリアルタイムでは、[[発効]]の瞬間までは旧[[元号]]、
それ以後は新[[元号]]と処理するのが最も適切ということになります。
ただし、[[詔書]]に[[公布]]・[[発効]]の[[時刻]]が記載されているわけではありませんから、
これを厳密な境界として扱うのは困難です。

[157] 
歴史的には新元号選定の会議が長引き明け方近くまでかかったとされる例もあったようです。
それでも[[日界]]を無視して事前に定められた改元日を改元のあった日と取り扱っているようです。
改元日はその日の吉兆や各種日程との兼ね合いで決められるため、
時間がかかったからといって変えてしまうわけにもいかなかったのでしょうか。

[186] また[[慶応]]改元までの[[詔書]]の日付は新元号とされることが多かったようです。
[SRC[[CITE[日本年号史大事典]]改元詔書集成]]

[627] 法解釈的には[[詔書]]により[[日]]の始まりに遡って[[改元]]されたとする説と、
[[一世一元の制]]を根拠に新[[天皇]]の[[即位]]をもって[[改元]]されたとする説があるようです。
[SRC[>>298]] 

[629] 実務上、時刻精度で区別するのは扱いが複雑過ぎるので、
[[日]]の始まりに遡って新[[元号]]とするのが良いのでしょう。
一方で、旧[[天皇]]の[[崩御]]の[[時刻]]の表記で新[[元号]]が使われるのも不自然に見えます。
しかし少なくても、[[改元]]がその日にあった以上、当日の一部は新[[元号]]とするべきで、
翌日から新[[元号]]として扱うのは不適切そうです。

[626] 対応表や変換ソフトウェアの類では、
[[改元日]]を新[[元号]]開始日とするものと翌日を新[[元号]]開始日とするものでやや揺れていますが、
当日から新[[元号]]を採用するのが優勢のようです。
[SEE[ [[元号一覧]] ]]

[158] 
[[国立天文台]]の[CITE[日本の暦日データベース]]は、 
[[改元]]のあった日から新元号としています。 
[SEE[ [[元号一覧]>>347] ]]

[163] [[Wikipedia]] は[[改元日]]を旧[[元号]]の最終日かつ新[[元号]]の開始日とするのを「当時」、
[[改元日]]前日を旧元号の最終日とするのを「公的」として併記しており、
「当時」の出典を[[改元]]の詔書、「公的」の出典を [[JIS X 0301]]
としていますが、この区別に意味があるのかは謎です。
少なくても、[[詔書]]の記述よりも [[JIS]] が「公的」であるとするのは違和感があります。
[WEAK[(どちらも公的なものとはいえ、[[詔書]]は[[法令]]ですが、 [[JIS]] はただの[[工業標準]]です。)]]
実際には政府機関の解釈や取り扱いにも揺れがあり [SRC[>>356]]、
そうした明確な境界を定めることはできないように思われます。


[39] 
[CITE[読売新聞]]のアーカイブ検索サービス[CITE[読売記事検索]]は、
対象期間を「明治」「大正」「昭和戦前」
から選ぶと、
改元の日は前後どちらにも含めています。
[TIME[2019-05-29T08:45:04.800Z]]


[164] 
以上より、どちらか1つを選ぶとするなら[[改元日]]から新元号を使うのが適切と思われます。
スペースが許せば併記するのも一案です。


[526] [CITE@ja[元号一覧 (日本) - Wikipedia]], [TIME[2022-05-20T22:00:01.000Z]], [TIME[2022-05-21T08:00:36.080Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)>

>[SNIP[]]    これらは過去にさかのぼって改元するため、各元号の有効な期間は、
=    その後の文書で当時の日付に言及する場合
=    当時の文書でそのときの日付に言及した場合
>    のいずれかで異なる。この表の日付は主に後者であり、年初改元や当日改元は遡時を無視して改元公布の瞬間を元号の切り替わりとみなしている。すなわち、当日は新旧双方の元号に(一部ずつが)属す。しかしこれは(改元後の)公的な扱いとは異なる。法令や標準が整備されている明治以降に関しては、公文書等で使われる、前者の日付も記すこととする。これでは、新元号は当年初めまたは当日初めにさかのぼって始まり、旧元号はその前日に終わっている。

-*-*-


[350] 
[CITE@ja[94120801_01.pdf]], [TIME[2024-10-08T00:53:01.000Z]], [TIME[2025-01-30T05:10:05.662Z]] <https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/archive/pdf/94120801_01.pdf#page=9>



[351] 
>>350 [CITE[元号法]]制定当時の政府見解。[[改元]]は[[政令]]の[[施行]]によって実施されるのであり、
[[公布]]の日に[[施行]]されるとすれば、[[判例]]により、[[官報]]を閲覧できるようになったときである、
それによって1日が2分される ([[大正改元]]と[[昭和改元]]は[[崩御]]で2分される)。



-*-*-

[176] [[平成改元]]や[[令和改元]]は[[日の境界][日界]]で行われており、
どの[[日]]がどちらの[[元号]]に属するかは明確となっています。

[119] ただし、[[時差]]の取扱いの問題は残っています (>>195)。

[40] また[[改元日]]の記述では、例外的に
「[TIME[平成31年5月1日][2019-05-01]]に[[令和]]に改元された」
のように新元号初日も旧元号で表記することがあります。
これを避けるため
「[TIME[平成31年4月30日][2019-04-30]]の翌日に[[令和]]に改元された」
や
「[TIME[2019年5月1日][2019-05-01]]に[[令和]]に改元された」
のような表現をすることもありますが、
3表現のいずれも違和感を拭えないのは確かです。


[REFS[
- [166] [CITE[1912年7月30日は、明治か大正か?]]
([[M.Suzuki]] 著, [TIME[2012-08-04 07:23:27 +09:00]] 版)
<http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/200708020.htm>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[165] [CITE@ja[Perl - 西暦から元号のついた和暦に変換する]]
([TIME[2016-01-09 22:58:52 +09:00]] 版)
<http://atamoco.boy.jp/perl/datetime/seireki-wareki.php>
]FIGCAPTION]

> 1926年12月25日は大正15年であり、昭和元年でもある。 どちらを優先させるかは、システムごとに決定すればよいだろう。上記では新しい時代(昭和)を優先している。 

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[352] [CITE[元号の変わり目・改訂版(1) - 2007-07-16 - 雑記]]
([TIME[2015-11-21 20:40:55 +09:00]] 版)
<http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20070716#GengoEd2_1>
]FIGCAPTION]

> 簡単に答えるのであれば,政府の通達等のレベルで,大正元年内閣送第30号内閣書記官長回答*1が,国定教科書の記載について,新帝即位時説を採用していたこと,大正元年民事第62号司法省民事局長通牒*2が,司法行政事務に関する文書について,翌日説を採用していたこと,大正元年官房第1420号海軍省文書*3,昭和2年秘第29号司法省刑事局長通牒*4が,即位に伴う大赦令の解釈について,午前0時説を採用していた可能性があること,昭和39年9月17・18日高知地方法務局管内戸籍住民登録事務協議会連合総会決議*5が,戸籍事務について,改元日併用説を採用していたこと,昭和42年7月3・4日福岡連合戸籍住民登録事務協議会決議*6が,同じく戸籍事務について,午前0時説を採用していたことなどを指摘することができる。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[353] [CITE[2007-07-29 - 雑記]]
([TIME[2015-11-21 20:40:55 +09:00]] 版)
<http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20070729#GengoEd2_2>
]FIGCAPTION]

> この見解の重要な論拠は,大正,昭和の改元詔書が,「大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス」などと日単位で記載しているのに対し,慶應以前の改元詔書が,「改貞観十九年,為元慶元年」などと年単位で記載していることである。『続日本紀』など,正史における日付の記載が,年始説に整合的であることも指摘に値するであろう*2・*3。
> しかし,反対説も譲らない。改元詔書の記載は,単に「大まか」に書いた書式が慣用となったにすぎず*4,現に,慶應以前でも,「宜改天平勝宝九歳八月十八日,以為天平宝字元年」と日単位で処理した事例がある*5,『続日本紀』の記載は,日付を整理する上での「便法」にすぎず*6・*7,実際,改元日説を基本にして整理された史書として,『類従国史』を指摘することができるというのである*8。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[354] [CITE[2007-07-29 - 雑記]]
([TIME[2015-11-21 20:40:55 +09:00]] 版)
<http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20070729#GengoEd2_2>
]FIGCAPTION]

> 前近代の改元においては,遅くとも平安時代から,年始説と改元日説の対立がありながら,実際上,何となく曖昧な取り扱いが続けられてしまい,権威と認めるべき見解を見いだすのは困難である。まして,改元日説によった場合に,午前0時説によるのか,詔書発布時説によるのか,それ以外の説によるのかになると,さらに判然としない。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[355] [CITE[2007-09-30 - 雑記]]
([TIME[2015-11-21 20:40:55 +09:00]] 版)
<http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20070930#GengoEd2_6>
]FIGCAPTION]

> これまで紹介してきた各説を整理すると,以下のようになる。ただし,平成に関しては,争いがないので掲載せず,照会文書の中で披瀝された見解については,議論の途中経過にすぎないということができるので参考として掲載した。これによれば,元号の変わり目については,諸説紛々として,確立した解釈はないというのが正当であろう。

]FIG]

]REFS]

[443] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]の[[清の元号]]の一覧表は、
前の元号の終了日の次の日を次の元号の開始日としていました。
[SRC[>>442]]

[REFS[
- [442] [CITE@zh[後金及清朝年號列表 - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2021-04-14T06:37:44.000Z]], [TIME[2021-04-28T10:02:25.260Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%87%91%E5%8F%8A%E6%B8%85%E6%9C%9D%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%88%97%E8%A1%A8>
]REFS]

* 改元の遡及

[256] 
[[改元日]]より前に遡って新[[元号]]を使って[[日付]]を表記することがあります。

** 年始遡及説

[99] [[改元日]]にこだわらず、[[改元]]のあった[[年]]の[[年始]]に遡って新元号を使う、
[DFN[年始遡及年号法]]とでもいうべき方法を採ることがあります。

[405] 
歴史書でも伝統的に採用されてきました (>>304)。

[159] [[明治改元]]までは、
[[改元日]]の属する年の1月1日に遡って新[[元号]]を適用していた、
としばしば言われます。
しかしそれが適切な解釈なのかどうか、いつをもって[[改元]]と考えるべきかは、
[[平安時代]]から既に議論があったといいます [SRC[>>356]]。
年初に遡った切り替え方も、[[改元日]]当日の切り替えも、
どちらの方法も採られてきました。少なくても、
どちらが歴史的に正しいと言えるものでは無さそうです。

;; [206] 年始に遡って[[改元]]することを[DFN[立年改元]]と呼ぶとするものがあります [SRC[>>298]]
が、先述の通り、適切な用語か疑問です。

[306] 
[[所功]]は、
[[年]]を改めるという[[改元]]の詔書の記述方法から、
「その年の元日まで遡って新年号の元年としている、
とみなして差しつかえない」
としました。
[SRC[>>303]]

-*-*-

[312] [[明治改元]]までの[[詔書]]は、年を改めるという書き方になっていました。
ただし、
[[天平勝宝]]から[[天平宝字]]への[[改元]]のみ、
「改天平勝宝九歳八月十八日以為天平宝字元年」
と[[日付]]まで記載されていました
[SRC[>>303 ([CITE[続日本紀]])]]。

[313] 
[[太田晶二郎]]は、
[[藤原仲麻呂]]の識見によると指摘しました。
[SRC[>>303 ([CITE[厳密なる藤原仲麻呂]], [CITE[日本歴史]]第二十六号)]]

[314] この[[改元]]は、[[年]]が[[歳]]に改められていたのを[[年]]に同時に戻していることも注目されます。

[675] 
[CITE@ja[明治元年9月8日太政官布告第726号(改元詔書)を読む - 日本中近世史史料講読で可をとろう]], [TIME[2024-02-29T13:45:51.000Z]] <https://japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com/entry/20190103/1546502083>

[361] [CITE@ja[日本の災害・防災年表「災異改元」編 – WEB防災情報新聞]], [TIME[2025-05-11T03:09:18.000Z]] <https://www.bosaijoho.net/2025/05/10/bosai-chronicle_disaster-change-era/>

[362] >>361 

>
3. 年号の適用は、明治改元の時に定められた「改元の年の1月1日にさかのぼり適用する」ことは   せず、改元の前日までは前年の元号です。

なんか変な説が生まれている

[363] >>361 

>■「災異改元(災害・災厄から免れるための元号改称)編」

>・昌泰から延喜へ改元、三善清行の進言により災異改元始まる

確かに[[昌泰の変]]を理由とする[[災異改元]]という評価もできないことはないが...

** 年度名の改称

[156] 
[[令和改元]]で[[日本政府]]は[[平成31年度]]を[[令和元年度]]に改めるという遡及的な取り扱いを定めました。
[SEE[ [[年度と改元の関係]] ]]

** 元号一覧の表示

[90] [[年単位の対応表や変換ソフトウェア][元号一覧]]、
[[年表]]などでは、境界の[[年]]について、
新旧両方の[[元号]]を示すものが多いですが、新しい[[元号]]のみ、
または古い[[元号]]のみ示していることもあります。
[SEE[ [[元号一覧]] ]]

[155] 可能ならすべてを列挙するのが適切と思われますが、
スペースの都合などやむを得ないときは新年号で示す方が自然と思われます。
ただし消滅する元号が生じてしまいます (>>35)。

[264] [[明治]]への[[改元]]は、[[明治の改暦]]の前に行われたこと、
年始に遡及するか否かの問題、
多くの場合[[明治時代]]まで取り扱えれば十分でその前の[[改元]]を無視したいことがある、
といったような事情の組み合わせで、4種類[[以上]]の「[[改元]]日」
が存在してしまっています。
もちろん正しいのは当時使われていた暦であって、
[[旧暦]]の[[改元日]]か[[旧暦]]の[[年始]]の2種類だけです。
[SEE[ [[明治改元日]] ]]


** その他

[359] 現実問題として、[[改元日]]の前に旧[[元号]]を使ったものは
(すべて修正して回るわけにもいかないので) 残りますし、
後から新[[元号]]で言及したものもあり、混在することとなります。
[[改元日]]の後の[[日付]]についても、
[[改元]]の事実の伝達の時差や、政治的な理由による[[改元]]の拒否などで、
旧[[元号]]がしばらく (時には何年も) 使われ続けることがあります。従って、
[[元号]]表記の[[日付]]の解釈では、
境界を厳密に定めて、そこから外れたものを[[誤り]]とするのは適切ではありません。
[[改元]]から十分な時間が過ぎたものは[[誤り]]とする検査は可能かもしれませんが、
その「十分」の長さを確定するのが難しい。

[271] 
[[現代日本]]で[[歴史]]の[[教科書]]などで過去の出来事に言及する場合、
[[改元]]以前の出来事は[[改元]]前の当時の[[元号]]を使うのが普通だと思われます。
ただし、
改元直前の事件名が新元号で定着しているケースもあります。

[66] 
[[暦本]]についての歴史書の言及や図書館の所蔵目録などで、
[[改元]]前の旧年号が書名のとき、
[[改元]]後のものに改めて、
「慶応四年暦」ではなく「明治元年暦」
のように表記することがあります。
しかし書名は正確に記述するべきであって、
この[[元年の暦]]の慣習は好ましくありません。
[SRC[>>54]]

[FIG(short list)[ [300] [[遡及年号]]関連記事
- [[養老の遡及年号]]
- [[天平の遡及年号]]
- [[明治改元日]]
- [[遡及年号偽造文書事件]]
- [[正中]]
- [[天晴]]
- [[聖暦]]
- [[慶喜]]
- [[科学紀元]]
- [[元二年]]
- [[同慶乙酉年]]
- [[大同]]
- [[正保]]
- [[康正]]
- [[建永]]
- [[元亀]]
- [[嘉政]]
- [[永長]]
- [[万延]]
- [[文応]]
- [[建久]]
- [[建暦]]
- [[建保]]
- [[弘安]]
- [[正見]]
- [[吉備文字]]

]FIG]

[552] 
[[千々和到]]は、[[板碑]]の[[遡及年号]] (や[[延長年号]]) は個別に勘案すべき事情が考えられ、
それだけで必ずしも偽造と見なす必要がないことを指摘しました。
[SEE[ [[板碑とその時代]] ]]

[REFS[
- [356] [CITE[元号の変わり目・改訂版]]
([TIME[2015-11-21 20:40:55 +09:00]] 版)
<http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20070716>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[92] [CITE[米太郎【会社概要】]]
([TIME[2012-11-05 15:48:09 +09:00]])
<http://www.santyoku.com/company.html>
]FIGCAPTION]

> 創業 昭和元年
> [SNIP[]]
> 設立年月日	昭和元年6月1日

]FIG]

[100] 元年創業を謳うために敢えて[[遡及年号]]としたか。

]REFS]


[509] [CITE@ja[早稲田大学リポジトリ]], [[NetCommons]], [TIME[2021-09-08T12:27:14.000Z]] <https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=5485&item_no=1&page_id=13&block_id=21>

[516] [CITE[huibao_043.pdf]], [TIME[2022-01-09T05:52:45.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78853/huibao_043.pdf#page=7>

[415] 
[CITE@ja-JP[中山身語正宗の紹介│[[中山身語正宗]]]], 
[[中山身語正宗]],
[TIME[2022-02-27T02:54:11.000Z]], [TIME[2022-07-23T01:48:05.323Z]] <https://www.nakayamashingoshoshu.com/syokai.html>

>※元号が大正に改元されたのは7月30日ですので、厳密には明治45年2月18日になりますが、立教には新しい時代を象徴する大正がふさわしいとの思いから、本宗では大正元年と呼んでいます。


[548] [CITE[学叢29号 本満寺境内所在 蓮乗院廟発掘調査報告 - 029_tyousa_a.pdf]], [TIME[2022-02-03T13:25:02.000Z]], [TIME[2022-12-24T08:38:44.915Z]] <https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/assets/publications/knm-bulletin/29/029_tyousa_a.pdf#page=11>

延文元年正月[BR[]]十日

(3月28日改元)

[551] [CITE@ja-JP[坂戸市史 中世史料編 2]], [[坂戸市教育委員会]], [TIME[1980.4][1980]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-08T03:56:58.832Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642035/1/242> (要登録)

[561] 
[TIME[2023-02-19T13:29:45.900Z]]
<https://otemae.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=2201&item_no=1&attribute_id=20&file_no=1&page_id=33&block_id=62>
#page=37

- [579] [CITE@ja[(1ページ目)松井一郎氏の資金管理団体で“架空の日付”「令和1年3月」の領収書 「モラルの乱れ」と専門家 | AERA dot. (アエラドット)]], [TIME[2023-08-09T12:19:12.000Z]] <https://dot.asahi.com/articles/-/197883?page=1>

[580] >>579 [TIME[2019-03-15]]。記事は杜撰な会計管理だと批判しているものの、
不正とまでは言っていない。[[領収書]]が事後に発行されたため新元号が使われたとのこと。


[138] 
[CITE@ja[XユーザーのTakashi KOIKEさん: 「寛保/延享、享和/文化、文久/元治と、甲子年に改元されるのは恒例なので、それを見越して甲子年の甲子塔は改元後の元号で造立されるものかな、と思ったのだが、享和四年とか文久四年もいくつかあった。 https://t.co/9PuUfDNfJl」 / X]], [TIME[午前11:06 · 2024年9月22日][2024-09-22T02:06:49.000Z]], [TIME[2024-09-25T13:14:53.000Z]] <https://x.com/tk01k/status/1837674883385606598>

[349] >>138 [[改元]]あることが予想できてもどんな新元号になるかは予想不能だから、
それは無理なのではないかなあ。[[元号名]]書かないで「元年」だけにするわけにもいかないし。
[[元号名]]だけ彫るのを遅らせるのにも限度はあるだろうし。


[376] 
[CITE@ja-JP[柳田国男没後20周年記念シンポジウム : 柳田学の継承と展開・全国地名研究者大会]], [[日本地名研究所]], [TIME[1982.5][1982]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T15:20:26.185Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12206089/1/22?keyword=%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


** 遡及年号と作品

[674] 
[CITE@ja[改元月日を認識することのむずかしさ - 日本中近世史史料講読で可をとろう]], [TIME[2024-02-29T13:43:36.000Z]] <https://japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com/entry/20190104/1546571247>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[375] 
[CITE@ja[「[[あんぱん]]」嵩の戸籍にびっくりミスが 25日放送では訂正されるも、ネットは指摘続々/芸能/[[デイリースポーツ]] online]], 
2025.04.25,
[TIME[2026-01-07T07:39:02.000Z]] <https://www.daily.co.jp/gossip/2025/04/25/0018912229.shtml>
]FIGCAPTION]

> 23日の放送では、昭和11年(1936年)の年が明け、[SNIP[]]
> この戸籍、登美子の欄には、「昭和元年拾壱月拾参日夫清死亡」と書かれているが、大正天皇が崩御されたのは大正15年(1926年)の12月であるため、昭和元年に11月は存在しない。
> 一部ネットではこのことを指摘していたため、25日の放送で再び戸籍の画面が映った際には「昭和元年拾壱月」が「大正拾五年拾壱月」に直っている。
]FIG]



* 改元日を超えた旧元号表記

[241] [[改元日]]以後の[[日付]]が旧元号で表記されることがあります
([DFN[延長年号]])。
次のような事情が挙げられます。

- [80] [[改元]]前に[[将来の日時]]を記述し、結果的に旧元号表記となった場合
- [32] [[改元]]前に[[将来の日時]]として記述されたものをそのまま写した場合
- [70] [[改元手続き]]の段階により未だ新元号を使うべきでない場合
- [71] [[改元]]情報の伝達速度の限界から新元号を知らない場合
- [73] [[改元]]に伴う様式や[[計算機システム]]の改訂が済んでいない場合
- [74] [[改元]]に伴う改訂前の様式を使用する場合
- [82] [[改元をまたぐ年度][改元と年度の関係]]を旧元号で表記する場合
- [75] [[政治的理由]]により[[改元]]を承認しない場合
- [81] [[暦の換算]]などの便宜上敢えて旧元号で表記する場合
- [83] 誤記
- [91] 創作物で現実に近いが非現実であることを表したい場合
[SEE[ [[架空の日時]] ]]


[242] 最新の[[元号]]の終了日は定まりませんから、[[将来の日時]]を表現する時、
最新の[[元号]]が十分長く継続すると仮定します。
実際にはその時期には次の[[元号]]に[[改元]]されているかもしれません。
[[改元]]後からみると、終了日を超えた存在しないはずの[[元号]]表記となります。

[EG[
[243] [[リニア中央新幹線]]は、平成57年 (2045年) に[[大阪]]まで延伸する予定とされています。
しかし[TIME[西暦2045年][year:2045]]を待たずに[[改元][令和改元]]されました。
]EG]

[EG[
[245] >>244 には「昭和62年11月1日から昭和72年10月31日まで」
のような期間の記述があります。昭和は64年までしかなく、
平成に入って改正されたらしい部分は平成で記述されていますが、
改正がなかったらしい部分は元の表記のままなのでしょう。
法的にも (適当に読み替えて) 有効であると考えられます。

[REFS[
- [244] [CITE[○銃猟禁止区域の設定]] ([TIME[2015-12-21 09:45:22 +09:00]] 版) <http://www3.e-reikinet.jp/iwate-ken/d1w_reiki/362902500924000000MH/362902500924000000MH/362902500924000000MH_j.html>
]REFS]
]EG]

[93] 
[[法令]]や[[契約書]]などで旧元号で[[日時]]が記入されている場合、
[[改正]]や訂正の手続きは不要で、
適切に読み替えて解釈することになっています。
[[改元]]時にはこのことを政府・地方公共団体や金融機関などが明示的に通知しています。
[SEE[ [[平成改元]]、[[令和改元 ]]

[95] 
ただし、[[改元]]時に新[[元号]]に書き換えたり、
新[[元号]]に読み替えることを明文化したりする[[地方自治体]]の[[条例]]や組織の規則などが制定される事例があるようです。
また、
別件で[[法令]]などが改正されることがあれば同時に旧[[元号]]の[[日付]]表記も新[[元号]]に改める事例がしばしば見られるようです。

[131] [[令和改元]]時には、[[元号]]のみを改める必要はないことが政府から明示的に通知されました。
ただし提出用の書式等改める方が好ましい場合は改めても良いともされました。
[SRC[>>130]]

[EG[
[310] [[令和改元]]時、[[改元]]と同時進行で法改正が審議され、
[[平成]]のまま残された事例がありました。
[SEE[ [[平成の延長年号]] ]]
]EG]

[246] [[改元]]前に印刷された書類などは、作り直されることもあるようですが、
難しい場合や実害のない場合は、そのまま用いられたようです。
申請書等の書式で旧元号が印字されている場合、手書きなら、
書き直して (無視して) 新元号にしていたようです。

[EG[
[96] 
[[改元]]前から用意されている課税関係の書類は、
[[改元]]後であっても旧[[元号]]のまま送付されることがあるようです。
]EG]

[248] [TIME[昭和64年][year:1989]]付けの[[硬貨]]は、
[[改元][平成改元]]後の[TIME[3月][1989-03]]まで発行が続けられました [SRC[>>247]]。
それとは別に、偽造硬貨や硬貨風玩具として、
昭和65年以後のものがあります。
[SEE[ [[昭和65年硬貨]] ]]

[55] [[暦本]]も[[改元]]を即座に反映させることが難しく、
[[元年の暦]]とはあり得ないものの喩えとされ、
2年の暦がない (旧元号のままとなる) ことも多々ありました。
[SEE[ [[元年の暦]] ]]

[251] [[計算機システム]]には、[[昭和]]や[[平成]]を ([[改元]]に関わらず)
内部的に用いているものもあります [SRC[>>249, >>250]]。


[252] [[神武天皇即位紀元]] ([[皇紀]]) も、
本来の終了日を超えて[[神武]]擬似[[元号]]が用いられる特殊な場合といえなくもありません。

[8] [[崇禎紀元]]もそのようなものです。

[116] [[改元]]に慣れていない人は、
旧元号表記に対して苦情を言うことがあります。
[[改元]]のたびに政府等が明確化する通知を出す必要があるのもそのためです。

[EG[
[117] [[令和改元]]時には、「有効期限: 平成33年」のような表記にそんな年はない、
永遠に来ないから無期限だ、などと自らの無教養さを政府や主張の異なる者を叩く理由にする輩が出現しました。
]EG]


[137] 
[[日本政府]]は、政府はこうする、とは発表しても民間には強制はしないし、
それどころか[[地方公共団体]]や政府傘下でも組織的に遠い組織なら自由裁量権を持たせていて、
取り扱いを統一していない。
そういうところが[[元号]]の使いにくさとして認識されたのではないか。
例えば平成33年は法的に有効だ、
といってもそれを明記した[[法令]]がないし、
現にそんな年はこないと言っている人がいる以上、
契約書など法的効力を持つ文書では念の為新元号にしたい、
でも新元号が発表されていないとどうしよう、
安全のため元号は避けて西暦を使うか、
と保守的(?)な態度を取る人が現れるのも仕方ない。
政府が早い時期に明確に、
[[延長年号]]は有効な表記だ、
元年と1年は同義だ、
新元号公表直後からすぐに新元号を使ってもいいし改元後から使い始めてもいい、
というような方針を定めて公表するべきだったし、
できれば[[内閣訓令]]にでもするべきだった。
(それができないのは、
[[元号]]を強制するのはいかがなものかとか言い出す連中がいるからだろう...)


[141] 
新元号発表から改元までの1ヶ月にシステム更新するのが嫌で、
それに先立って西暦を使うほうがいい、と話す人もいた。
改元後にゆっくりシステム更新しても何も悪いことはないはずなのに、
[[延長年号]]より西暦の方がいいと感じる人が少なくないようだ。
[[平成改元]]では突然の[[改元]]となったので、
間に合わなくて当然という雰囲気だったが、
[[令和改元]]は事前からわかっていたため、
逆にそれが準備を完璧にしないといけない、
うまくいかないなら西暦のほうがまし、
という意識につながっているらしい。



[118] 
[[元号]]に形式的に対応しているだけで実務適用経験に乏しい[[計算機システム]]は[[改元]]の[[日]]以後の[[日付]]が与えられた時エラーとすることがあります。
[[令和改元]]時にそうしたシステムのいくつかは修正されたようです。


[321] 
[[明治村]]で[[明治]]の[[延長年号]]が継続して利用中だったり、
[[平成ライダー]]のイベントで[[平成の延長年号]]が用いられたり、
[[エンターテインメント]]分野で[[延長年号]]が使われる事例もあります。
[SEE[ [[テーマパーク系異年号]] ]]


[FIG(short list)[ [67] [[延長年号]]関連記事
- [[日本の元号]]
- [[日本古代の日時]]
- [[神武天皇後空位年]]
- [[建安]]
- [[景初4年]]
- [[大業]]
-[[大化]]
- [[養老の延長年号]]
- [[日本南北朝時代の元号]]
- [[延元]]
- [[元治の延長年号]]
- [[幕末維新期の日時]]
- [[明治の延長年号]]
- [[大正改元]]
- [[昭和改元]]
- [[昭和の延長年号]]
- [[平成の延長年号]]
- [[支那の元号]]
- [[朝鮮半島の元号]]
- [[光緒]]
- [[宣統]]
- [[康徳]]
- [[強小]]
- [[聖暦]]
- [[乾隆]]
- [[祺祥]]
- [[宣統]]
- [[天基]]
- [[永祚]]
- [[光化]]
- [[光宝]] (誤認の事例)
- [[元二年]]
- [[建福]]
- [[仁平]]
- [[唐の元号]]
- [[正豊]]
- [[崇禎紀元]]
- [[太寧]]
- [[桓檀古記の日時]]
- [CITE[[[椿井文書]]]]
- [[百済年号]]
- [[大順]]
- [[檀君紀元]]
- [[明徳]]
- [[長禄]]
- [[永承]]
- [[文政]]
- [[応仁]]
- [[白鹿]]
- [[正和]]
- [[亢和]]
- [[弘治]]
- [[丹生山縁起]]
- [[元光]]
- [[太亨]]

]FIG]

[447] 
[[延長年号]]の特殊形とも言えるものに、一旦廃止された[[元号の復活]]例がいくつかあります。
[SEE[ [[元号の再開]] ]]

[REFS[
- [247] [CITE@ja[昭和64年の硬貨]] ([TIME[2013-05-19 03:29:51 +09:00]] 版) <http://homepage3.nifty.com/akky-han/110529.html>
- [249] [CITE@ja[昭和100年問題 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-12 13:31:30 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C100%E5%B9%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C>
- [250] [CITE@ja[平成100年問題 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-12 13:31:30 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90100%E5%B9%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C>
- [130] [CITE@ja[総務省|「元号を改める政令等について」の発出について]] ([TIME[2019-04-02 16:06:10 +09:00]]) <http://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/kinkyu02_000318.html>
]REFS]


[101] 
昭和70年って何かに似てると思ったら
[[MS-DOS 7.0]]
だ! wwww


[514] 
[CITE[[[《馬天祥造像記》與北齊武平九年紀年]]]]

>近有僞爲“漢和平二年三月”磚者,不知桓帝和平次年正月即改元元嘉,與此正同,皆不通古今者所爲也。[7]


[554] 
[CITE@ja-JP[戸籍関係判例総覧]], [[渡辺葆, 阿川清道 共編]], [TIME[1960]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-09T04:00:07.079Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1345849/1/139> (要登録)

[555] [CITE@ja[廣旗神社 [香川県]-人文研究見聞録]], [TIME[2023-01-03T14:41:54.000Z]], [TIME[2023-01-15T14:58:56.642Z]] <https://cultural-experience.blogspot.com/2015/11/blog-post_85.html>

>また一説には、天治元年(1124年)に当村の北原孫太夫の創建で、[B[元久5年]][WEAK(smaller)[※2]] 4月に再建されたとも云われているそうです。

>[B[※2]] 元久という元号は一般的には3年までとされるため、詳しい年代は不明(1200年代初頭と思われる)

[576] 
[TIME[2023-04-26T14:20:05.100Z]]
<https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1994&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1>
#page=6

>
[VRL[
『天地瑞祥志』は、薩守真によって麟徳三年 (六六六) に成立し[BR[]]
たという。だが、麟徳三年の年号は実際には存在せず、新羅で成[BR[]]
立したという説もある。[SNIP[]]
]VRL]

([[明朝体]])


[364] 
[CITE@ja-JP[葛飾区板碑調査報告]], [[東京都葛飾区教育委員会社会教育課]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-07-30T10:24:56.026Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221234/1/16?keyword=%E5%89%8D%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

** 幽霊年号

[367] [[延長年号]]のことを[DFN[幽霊年号]]といった用例が、極めて少数あります。

;; [368] [[幽霊元号]]とは意味が異なります。


- [372] 
[CITE@ja-JP[近代日本の争点 下]], [[家永三郎 等編]], [TIME[1968]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T05:55:12.995Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2991740/1/105?keyword=%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-- [371] 
[CITE@ja-JP[近代日本の争点 下]], [[家永三郎 他編]], [TIME[1972]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T05:54:52.568Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12229659/1/105?keyword=%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-- [370] 
[CITE@ja-JP[高橋磌一著作集 第11巻 (大衆文化)]], [[あゆみ出版]], [TIME[1985.8][1985]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T05:54:31.563Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12206306/1/10?keyword=%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
- [373] 
[CITE@ja-JP[講談社の歩んだ五十年 昭和編]], [[講談社社史編纂委員会]], [TIME[1959]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T05:55:40.322Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2941670/1/44?keyword=%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[374] 
>>372 >>373 はどちらも同じ雑誌[CITE[キング]]の大正16年号についてのもの。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[369] 
[CITE@ja-JP[607♊️🔴邪馬台国論争:鏡から見た畿内説と九州説|裏(村)の履歴書]], 
[[裏(村)の履歴書]],
2025年10月4日 14:08,
[TIME[2025-10-16T05:53:24.000Z]] <https://note.com/urarireki/n/n2fbc385d354a>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]しかし、魏の景初年間は三年(239年)で終わっており、「景初四年」は存在しない[B[「幽霊年号」である]]。[SNIP[]]
]FIG]


* 歴史書

[304] 
[[支那]]の歴史書 [SRC[>>408]] や、
それに倣ったとみられる [SRC[>>408]]
[[日本]]の[[六国史]] [SRC[>>408, >>303]] をはじめ多くの編年史書や[[年代記]]など
[SRC[>>303]]
は、
[[改元日]]のある[[年]]を、
[[年始]]から[[遡及年号]]で記述しました。
[SRC[>>303]]
これが[[東アジア]]の歴史書の伝統的で最も普及した表記法でした。

-*-*-

[409] 一方でそれ以外の方法を採った歴史書や記録もみられないわけではありません。

[305] 
[CITE[類聚国史]]は、
[[平安時代]]、
[[菅原道真]]が[[日本]]の史書の記事を整理して編纂した[[歴史書]]でした。
原則として[[遡及年号]]や[[延長年号]]を使わない方法を採りました
[SRC[>>303]]。

[311] 
[[坂本太郎]]は、
[CITE[類聚国史]]
の編纂方針を分析しその特質を指摘しました。
その中で、
[[六国史]]を再編集した書物でありながら、
[[改元]]年を新元号 ([[遡及年号]]) で統一する[[六国史]]の編纂方針を受け継がず、
[[改元日]]をもって新旧元号を切り替えていることを挙げました。
[SRC[>>408]]
[[坂本太郎]]は、
「国史を真に理解して読む人」だからこそと高く評価しました。
[SRC[>>303 ([CITE[六国史]], p.345)]]

[309] 
[[坂本太郎]]は概略を示したに留まりましたが、
[[所功]]が個別例を調査して報告しました。それによると、
[CITE[類聚国史]]
でも
[CITE[日本書紀]]や[CITE[続日本紀]]が出典の記事で、
[[遡及年号]]のものが6例ありました。
他のほとんどの記事は原則通りであって、この6例は例外と[[所功]]は判断しました。
逆に[[延長年号]]といえるものも12例ありました。
いずれも[[譲位]]や[[改元]]に関係する記事であり、
[[改元]]の詔書の[[公布]]が境界だとすれば[[延長年号]]でもないと解せるものでした。
ただ[[譲位]]や[[改元]]に関係する記事でも新元号によるものはあるので、
必ずしも統一されていませんでした。
とはいってもまさに境界線上の事例にとどまるのであって、
[[菅原道真]]の編纂方針を高く評価した[[坂本太郎]]の判断を覆すものではないといえます。
[SRC[>>303]]

-*-*-

[412] 
[[六国史]]のような編年の歴史書では年始から新元号になるのはやむを得ない書法で、
[CITE[類聚国史]]
のような[[日付]]単位の記事をまとめた歴史書で旧元号を使うのも当然ではないか、
とも考えられます。
ところが、[[坂本太郎]]によると (正確な計算ではないと断りつつ)
[CITE[日本文徳天皇実録]]
の伝記記事内の日付が正しく旧年号で記述されたものが19例、
[[遡及年号]]で記述されたものが11例でした。
したがって[[遡及年号]]が一般に相当に行われていたと考えられています。
[SRC[>>408]]



[307] 
[CITE[扶桑略記]]抄本は、
[[天皇]]ごとに記述しており、
前の[[天皇]]の最後に旧元号最終年を、
次の[[天皇]]の最初に新元号元年を書いていました。
[SRC[>>303]]

[308] 
[CITE[公卿補任]]
は、
旧元号年の下に[[割注]]で[[改元日]]と新元号年を書き入れていました。
[SRC[>>303]]
[[延長年号]]方式に近い併記といえます。


[REFS[
- [407] [CITE[[[日本古代史の基礎的研究]]]]
-- [408] [CITE[類聚国史について]], pp. 三一二-三三〇, 昭和十二年四月初出
]REFS]


@@
[BOX[

[377] 
[CITE@ja-JP[日本古代史研究 第2巻]], [[菟田俊彦]], [TIME[1972]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T16:15:17.387Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12238788/1/179> (要登録)


[365] 
[CITE@ja-JP[栃木県立博物館研究紀要 (5)]], [[栃木県立博物館]], [TIME[1988-03]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-12T06:47:15.073Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2226913/1/103?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[596] 
[CITE@ja[愛知教育大学学術情報リポジトリ]], [TIME[2024-01-05T15:08:23.000Z]] <https://aue.repo.nii.ac.jp/records/1847>


[678] [CITE@ja[youryou_koten.pdf]], [TIME[2018-04-20T03:19:01.000Z]], [TIME[2024-02-29T14:05:41.901Z]] <https://www.nijl.ac.jp/pages/images/youryou_koten.pdf#page=39>


[679] >>678 西暦年の範囲を改元年は含まないとしている


[689] 
[CITE@ja[Xユーザーのたらればさん: 「西暦1004年(寛弘元年)。 文学史では、一般的に、改元すると(何月に改元しようが)その年の正月までさかのぼって「改元後の元年」というカウントになります。 #光る君へ」 / X]], [TIME[午後8:04 · 2024年8月4日][2024-08-04T11:04:24.000Z]], [TIME[2024-08-07T03:25:21.000Z]] <https://x.com/tarareba722/status/1820053165892657622>

]BOX]

* 統計データ

[439] 年ごと、月ごとの統計データの時間軸の表現にも[[改元]]が絡んできます。
[SEE[ [[年度と改元の関係]] ]]

* 暦との関係

[200] [[元号]]表記の[[日付]]を解釈する際には、
[[暦]]との関係に注意する必要があります。
[[元号]]と[[西暦]] (や[[皇紀]]その他の[[紀年法]]) との関係と、
明治6年以前に[[日本]]で用いられていた[[旧暦]]と現在用いられている[[グレゴリオ暦]]、
かつて[[欧米]]で用いられていた[[ユリウス暦]]との関係が複雑で、
混同されていたり、換算に誤りがあったりすることがあります。

[FIG(list)[
- [201] [[グレゴリオ暦]]への[[改暦]]より前の[[元号]]表記の[[日付]]は、
[[旧暦]]であることがほとんどです。[[改元]]日も[[旧暦]]であることがほとんどです。
しかし、例外もあるので注意が必要です。
- [202] [[太陽暦]]との関係が示されている場合、
1582年の[[グレゴリオ暦]]への[[改暦]]より前は[[ユリウス暦]]であることが多いです。
しかし[[グレゴリオ暦]]に揃えることもあります。
また[[欧米]]でも国によって[[改暦]]の時期が異なるので注意が必要です。
- [411] [[西暦]]との変換を行うプログラムの中には、
[[旧暦]]の[[改元日]]をそのまま[[ユリウス暦]]や[[グレゴリオ暦]]の日付に当てはめるものもあります。
もちろんその出力は何の根拠もない適当な値になります。
]FIG]

[636] 「[[西暦]]」というとき、純粋に[[紀年法]]として言っているのか、
欧米式[[太陽暦]]まで含めて言っているのか明確でないことも、混乱を助長しています。

-*-*-

[240] [[元号]]による[[年]]の表記は、純粋な[[紀年法]]とは違って、
[[改元日]]を介して異なる[[元号]]の[[年]]と連結されています。
[[暦]]が違っても連結点自体 ([[改元]]という歴史的事実) は移動しませんが、
それが[[暦]]のもとでどう表現されるかは問題となります。

[199] [[旧暦]]が用いられていた当時の日本の[[元号]]表記の[[年]]と、
[[太陽暦]]が用いられていた[[欧米]]の[[西暦]]表記の[[年]]の対応関係は、
[[自明]]とまではいえません。
[[旧暦]]、[[グレゴリオ暦]]、[[ユリウス暦]]のそれぞれの[[年]]の開始と終了の[[日]]は違いますから、
同じ「[[年]]」という概念であっても、別のものです。
それでも次のように考えると対応関係は定まってきます。

[FIG(list)[
- [[太陽暦]]年の[[西暦]]表記は、[[欧米]]での利用により定義されていると考える
- [[太陽暦]]年の[[元号]]表記は、明治6年以降は[[日本]]で定義されている
- [[旧暦]]年の[[元号]]表記は、明治5年以前は[[日本]]で定義されている
- [[西暦]]表記における[[年]]は、[[改暦]]点も含め、連続している
- [[元号]]表記における[[年]]は、[[改暦]]点も含め、連続している
- 従って、次のものも、 (後述する[[改元]]付近の問題を除けば) [[改暦]]前後に自然に延長できる
-- [[旧暦]]年の[[西暦]]表記 (明治5年以前)
-- [[旧暦]]年の[[元号]]表記 (明治6年以降)
-- [[太陽暦]]年の[[元号]]表記 (明治5年以前)
- こうして決めた[[旧暦]]年と[[太陽暦]]年の対応関係は、
「異なる[[暦]]の[[年]]であっても、大部分の[[日]]が重なるなら、同じ[[年]]である」
という直感的な理解と一致する

;; [171] ここでいう[[年]]の連続性は、 [VAR[n]] 年の翌年が [VAR[n]]+1 年という関係がすべての[[年]]で成立することをいいます。
[[改元]]があっても旧元号最終年と新元号元年が同一年であることから、
全体としてこの関係は成立していると考えます。
]FIG]

[174] [[旧暦]]時代の年月日や年を[[西暦]]年と月日で表記することもよくあります。
普通、この西暦年は、旧暦の[[年]]を[[元号]]表記から[[西暦]]に改めたもので、
[[太陽暦]]の年とは必ずしも一致しません。

[EG[
[198] 例えば[[関ヶ原の戦い]]のあった[[旧暦]]慶長5年9月15日/[[グレゴリオ暦]]1600年10月21日のことを、
「1600年9月15日」、「慶長5年(1600年)9月15日」、「1600年(慶長5年)9月15日」
などと表記することがよくあります。
]EG]

[173] [[旧暦]]の[[年]]と[[太陽暦]]の[[年]]は開始と終了が一致しないため、
境界付近の日付の変換には注意が必要です。年月日の変換は、年と月日に分けず、
全体として行わなければなりません。

[175] [[改元]]が[[旧暦]]の [VAR[n]] 年年末に行われた場合、
[[太陽暦]]の [VAR[n]] + 1 年の年初に当たることがあります。
その新元号の元年を[[西暦]] [VAR[n]] 年とするのは不適切で、
[VAR[n]] + 1 年とするべきだ、とする人もいます [SRC[>>29, >>22]]。その場合、
新元号元年も新元号2年も[[西暦]] [VAR[n]] + 1 年ということになってしまいます。
[[太陽暦]]との関係の記述としては間違っていませんが、[[暦]]としては不自然です。
また、[[改元日]]ではなく年初に遡って[[元号]]を改めるという扱い (>>159) とは矛盾します。

[190] そのような[[改元]]の場合、[[太陽暦]]の[[西暦]] [VAR[n]] + 1 年の年初の日付を[[元号]]表記にすると、
[[旧暦]]では旧元号 [VAR[m]] 年が最後であっても、[[太陽暦]]では旧元号 [VAR[m]] + 1
年が生じることになります。しかも新元号元年が消失してしまいます。

[FIG[
[191] 
[PRE[
                       西暦n年        | 西暦n+1年
旧暦         旧元m年       | 新元元年 |  新元2年
        -------------------+----------+------------
                         改元
        ---------+---------+-----------------------
太陽暦   西暦n年 |            西暦n+1年
         旧元m年 |旧元m+1年|      新元2年
]PRE]
]FIG]

[177] 逆に公式な[[暦]]が[[太陽暦]]となった後の[[平成]]への[[改元]]は[[太陽暦]]の年初、
[[旧暦]]の年末に行われたため、昭和64年は消失し、昭和63年の途中で改元したことになりますが、
それは平成元年より1つ前の年となってしまいます。

[178] これを平成0年と呼ぶことがあります [SRC[>>84, >>179, >>183]]。

[FIG[
[192] 
[PRE[
                        1988年        |  1989年
旧暦           S63年       |   H0年   |   H1年
        -------------------+----------+------------
                         改元
        ---------+---------+-----------------------
太陽暦    1988年 |            1989年
           S63年 |  S64年  |      H1年
                        1/7|1/8
]PRE]
]FIG]

;; [457] なお、[[太陽暦]]である[[ユリウス暦]]でも平成0年が出現します。

;; [556] [[日本の旧暦]]、[[農暦]]、[[越南陰暦]]といった[[旧暦]]のバリエーションの違いにより
0年が出現するケースもあります。

;; [542] この他、実装によっては歴史的な[[年]]初の扱いの差により便宜上0年を設けていることがあります。
[[三正]]を参照。

[193] こうした問題は[[元号]]を[[日]]単位で考えるために起こるので、
([[明治]]への[[改元]]までは) [[改元]]が年初にあった (>>159) とすれば、 
違和感は少なくなります。 ([[旧暦]]、[[グレゴリオ暦]]、[[ユリウス暦]]で新元号の開始の時期が変わってしまいますが、
新元号2年、3年の年始もずれているのですから、構わないでしょう。)
ですが、そうはせずに実際の[[改元日]]を尊重して[[元号]]を決めるのが現在は一般的なようです。

-*-*-

[212] [[元号]]のない時代の[[天皇]]擬似[[元号]]は、
[[文武天皇]]を除き、1月1日を便宜上の改元日と定めています。
通常の[[元号]]とは異なりこの[[改元日]]には意味がありませんから、
純粋に[[年]]の名称と捉えて、[[暦]]に関わらず1月1日から新擬似[[元号]]とする方が妥当である、
という考え方もあり得ます。
[SEE[ [[日本の元号]] ]]

;; [630] 複数の[[暦]]と[[元号]]を扱う場面では、これもまた処理を複雑化させ不具合を誘発する要因ですから、
注意しなければなりません。

-*-*-

[290] [[年度]]もまた[[グレゴリオ暦]]とは[[年始]]が異なる[[暦法]]ということができ、
[[改元]]と[[年度]]名との関係の問題が生じてしまいます。
[[令和改元]]では、
年度名も新元号に改称されました。
それ以前は新旧併記していました。
[SEE[ [[年度と改元の関係]] ]]

[REFS[
- [179] [CITE[平成0年問題/総合雑学 鵺帝国]] ([TIME[2013-05-06 15:57:45 +09:00]] 版) <http://www.nue2004.info/knowledge/knowledge108.htm>
- [180] [CITE[明治以降の「旧暦」]] 
<http://rihnexap.chikyu.ac.jp/archives/getRepository.do?prkbn=2&achievementId=000019688>
- [183] [CITE[すのものの「いろいろ」(その112)]] ([TIME[2006-02-05 02:30:58 +09:00]] 版) <http://www5a.biglobe.ne.jp/~sunomono/iro0112.html#20050101081456>
- [181] [CITE[今日は旧暦で何年か: pokoponにっき]] ([TIME[2016-01-12 00:32:42 +09:00]] 版) <http://lapsang-souchon.tea-nifty.com/pokopon/2006/01/post_6979.html>
- [182] [CITE@ja-jp['''['''Tips''']'''旧暦、六曜を求める(JapaneseLunisolarCalendar)]] ([[中博俊]] 著, [TIME[2016-01-12 00:34:13 +09:00]] 版) <http://blogs.wankuma.com/ogiogi/archive/2006/11/07/43917.aspx>
- [184] [CITE[すのものの「いろいろ」(その22)]] ([TIME[2004-11-24 04:08:33 +09:00]] 版) <http://www5a.biglobe.ne.jp/~sunomono/iro0022.html#20010104171516>
- [29] [CITE@ja-JP[和暦、西暦の年月日対応に関する注意点]]
([TIME[2014-03-06 21:33:15 +09:00]] 版)
<http://chokanji.international-cooking.info/gengo/nanda.html>
- [22] [CITE@ja[西暦・元号変換機 - instant tools]]
([TIME[2016-01-09 22:52:56 +09:00]] 版)
<http://tools.m-bsys.com/original_tooles/ad-era_conversion.php>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[84] [CITE[HuTime - 時間基盤情報-暦変換(和暦(明治以降の旧暦))]]
([TIME[2015-12-09 14:30:35 +09:00]] 版)
<http://www.hutime.jp/basicdata/calendar/calendars/OldJapanese.html>
]FIGCAPTION]

> 昭和から平成への改元直後、12月1日から29日までの期間(新暦:平成1年1月8日~2月5日)は便宜上、平成0年として扱います。

]FIG]

[634] [CITE@ja[<西暦と元号の整合性>忠臣蔵・赤穂浪士はいつ「討ち入り」したのか?]]
([TIME[2016-03-17 22:43:07 +09:00]] 版)
<http://blogos.com/article/101141/>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[635] [CITE[歴史の年月日~旧暦と新暦の誤差: エムズの片割れ]]
([TIME[2016-10-09 10:04:14 +09:00]])
<http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-e8f7.html>
]FIGCAPTION]

> 大分前だが、読売新聞にこんな記事があった。
> 「歴史の年月日 正確な表記を 笠谷和比古

>  ■疑似西暦
>  このように「一七〇三年一二月一四日」がまずいので、「一七〇二年一二月一四日」と表記した例も目にした。だが、先に述べたように討ち入りは西暦1703年の出来事なので、完全な間違いである。

>  ■表記の改善を
>  疑似西暦を野放しにしていると、このようなトリックにからめ取られてしまいかねない。トリックとも気づかないままに、もはやどれが正しい西暦で、どれが疑似西暦であるかの判別もつかないまま、戸惑うことになるだろう。
>  歴史家として多くの本や資料に当たる中で、懸念し続けてきた問題である。早くこの病弊から脱却するために、表記が少し長くなっても、一部で実行されているように、せめて、関ヶ原合戦なら「慶長五(一六〇〇)年九月一五日」、王政復古なら「慶応三(一八六八)年一二月九日」とする書き方が適切だと、呼びかけたい。
>      ◇
>  かさや・かずひこ=1949年神戸市生まれ。国際日本文化研究センター名誉教授。日本近世史、武家社会論。著書に『歴史の虚像を衝(つ)く』『関ヶ原合戦と大坂の陣』『武士道』など。」(2016/09/21付「読売新聞」p21より)

]FIG]

]REFS]

* 時差との関係

[195] [[元号]]の選択には[[時差]]は考慮せず、年月日のみを使うのが一般的と思われます。

[194] [[明治]]への[[改元]]までは、[[標準時]]がなく、国内でも[[地方時]]の[[時差]]がありました。
[[大正]]や[[昭和]]への[[改元]]の時点では[[西部標準時]]などの[[中央標準時]]と異なる[[時間帯]]がありました。
[[日]]単位で[[元号]]が切り替わるとすると地域によって旧元号と新元号が同時に存在することになります。
[[昭和]]への[[改元]]までは切り替えの時刻が不明確である上、ある時刻に定めても、
[[時差]]をどう扱うべきかが問題となります。

[197] [[平成]]への[[改元]]の時点では、国内には[[中央標準時]]しかありませんでした。
[[改元]]の[[政令]]は「公布の日の翌日から施行する」としています。
[[日本国]]内はすべて[[中央標準時]]で、午前0時から[[平成]]が[[施行]]されたことは明白です。

[631] しかし、[[日本]]で1月8日となった後の (例えば) [[米国]]でまだ1月7日である間の出来事を記述するのに、
[[時差]]はあれど[[日本]]の1月7日と同じ[[日]]に属することから[[昭和]]とするべきなのか、
[[中央標準時]]に基づき[[施行]]された瞬間より後であることから[[平成]]とするべきなのかは不明です。

[534] [[戸籍]]事務では、現地時刻で1月8日以後を[[平成]]と取り扱うこととされました
[SRC[>>533]]。 ([[在外公館]]経由での手続きがあるので、[[時差]]も考慮する必要があるようです。)

[NOTE[
[111] [[在外公館]]用の[[出生]]や[[死亡]]の届出書にも、
国内用同様に、[[時刻]]の記載欄はあっても[[時差]]の欄はありません [SRC[>>109, >>110]]。
[[出生届]]は役所で保管されるものの、
[[戸籍]]に[[時刻]]は記載されません。現地の[[日付]]がそのまま記載されるものと思われます。
[[死亡届]](証明書)の[[時刻]]は[[戸籍]]に記載されます。
[[時差]]の処理の方法は不明ですが、
そのまま記載するのではないでしょうか。

[112] 
届出の日時 (医師が証明書に記載した日時) がそのまま使われるとすると、
[[在外公館]]の所在地や[[時差]]に関わらず、
医師が選択した[[時差]]に基づいた[[日時]]が記載されるということになります。

[113] 
例えば外国行きの船舶内で船医により出生または死亡が確認された場合、
船医が[[船内時]]で証明書を記載し、
これが到着地最寄りの[[在外公館]]に提出されると、
[[船内時]]の[[日時]]が[[戸籍]]に反映されると推測されます。
ただし証明書にも[[戸籍]]にも[[時差]]欄がないので、
[[船内時]]だったという情報は残らないとみられます。

[114] 
この推測の通り運用されているとすると、
[[船内時]]や[[日付変更][日付変更線]]のタイミングは船長がどうとでも定めることができるので、
ある[[元号]]が用いられていた期間を[[時差]]も含めて示すとなると、
[[改元]]当日の前後24時間くらいはずれる可能性があります。

]NOTE]

[140] 
この方法だと、[[日本]]本国で[[中央標準時]]0時に達して[[政令]]が[[施行]]される前であっても、
[[時差]]の関係で0時に達して新[[元号]]が開始される地域が生じるということになってしまいます。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[533] [CITE@ja[「平成1年」ではなく「平成元年」が正しい表記方法という根拠を知り... - Yahoo!知恵袋]]
([TIME[2016-02-10 23:58:52 +09:00]] 版)
<http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454853544>
]FIGCAPTION]

>新元号の施行の日以後に生じた事由については、新元号により記載する(在外公館から送付された届書の場合は、現地における一月八日から)。
]FIG]

- [109] [CITE@ja[戸籍・国籍関係届の届出について | 外務省]] ([TIME[2019-01-24 17:13:25 +09:00]]) <https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/todoke/koseki/index.html>
- [110] [CITE@ja[死亡届 : 在シカゴ日本国総領事館]] ([TIME[2018-09-04 12:24:09 +09:00]]) <https://www.chicago.us.emb-japan.go.jp/itpr_ja/con_reg_death.html>
]REFS]

* 日界との関係

[632] [[日本]]では、伝統的に[[日の出]](頃)が[[日]]の境界と考えられていました。
[[旧暦]]から[[太陽暦]]への切り替えと同時に、[[正子]]が境界と明確化されました。
それ以前であっても、知識層は[[正子]]が境界と認識しており、
[[旧暦]]はそれに基づいて計算されていました。
[SEE[ [[日界]] ]]

[633] [[明治]]以前の[[改元]]を[[時刻]]精度で扱う場合は、[[日界]]の扱いも問題となりそうです。


* 用語の変遷

[10] 改元の時期については歴史的にいろいろな整理といろいろな用語が行われてきました。
この歴史の蓄積に伴う現状の混乱を理解するため、
複雑な経緯を時系列順に追っていくことにしましょう。

-*-*-

[221] 
[[支那王朝]]では古くから王位継承の翌年に改元するのが原則とされました [SRC[>>7866, >>216]]
[SEE[ [[支那式即位紀年]] ]]。
年をまたぐことを「踰[SUB[レ]]年」というのは[[漢文]]でよく見られる表現であることは、
例えば [[Wikisource]] の[[中文]]版を検索すれば知ることができます [SRC[>>220]]。
逆にまたがないことを「不[SUB[レ]]踰[SUB[レ]]年」のようにいっていました。
なかでも[CITE[春秋]]を扱う各種文献で踰年の改元や即位が説明されてきたようです。
㋑ - ㋥㋭
[SEE[ [[改元踰年問題]] ]]

[237] 
[CITE[日本書紀]] [WEAK[([TIME[[LINES[養老4][720]]年][year:720]])]]
は、[[天皇即位紀年]]や[[元号]]を年単位でのみ記述していました。
即位や[[改元]]があった年であっても年を分けることはせず、
年始の最初の日付に新元号を記述する形としていました。
[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]
[[六国史]]では以後この方式が継承されました。
[[六国史]]を読めば自明ではありますが、
近現代歴史学において学術的に「明確に指摘」したのは[[坂本太郎]]の[CITE[六国史]]
[WEAK[([TIME[[LINES[昭和45][1970]]年][year:1970]])]]
とされます [SRC[>>37]]。
㋭ - ㋺

[222] 
[CITE[日本後紀]] [WEAK[([TIME[[LINES[承和7年][840年]]][year:840]])]]
は、
「国君即位踰[SUB[レ]]年而後改元者 [SNIP[]]。今未[SUB[レ]]踰[SUB[レ]]年而改元 [SNIP[]]」
[SRC[>>218]] とし、皇位継承の翌年に改元することと同年中に改元することに言及しました。
㋑ - ㋺㋩㋥㋭

@@
[277] 
1144年、
[CITE[台記]]の藤原頼長と中原師安の議論
[SRC[>>46]]

[258] 皇位継承と[[改元]]実施時期の関係について、
平安時代中期の[CITE[新儀式]]逸文は
「践祚の明年改元」、「年内改元」、
平安時代末期の[CITE[玉葉]] [WEAK[([TIME[[LINES[治承4][1180]]年12月4日][kyuureki:1180-12-04]])]] は
「践祚の明年改元」、「当年改元」
と表現していました [SRC[[CITE[[[日本年号史大事典]]]] p.23]]。
㋑ - ㋺㋥

[225] 
[CITE[三国史記]] [WEAK[([TIME[1145年][year:1145]])]]
は、諸説を引きながら称元法を議論しており [SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]], [[改元踰年問題]] ]]、
「踰[SUB[レ]]年稱[SUB[レ]]元」、
「踰[SUB[レ]]月稱[SUB[二]]元年[SUB[一]]」、
「踰[SUB[レ]]年而稱[SUB[二]]元年[SUB[一]]」、
「以[SUB[二]]先君終年[SUB[一]]卽位稱[SUB[レ]]元」
といった表現が見られました [SRC[>>215]]。
㋑ - ㋭

[223] 
[CITE[神皇正統記]] [WEAK[([TIME[[LINES[延元4年][1339年]]][year:1339]]頃)]]
の裏書は退位、即位、改元の時期関係を議論しており、
「踰年即位」、「当年即位翌年改元」、「禅譲年即位改元」、
「踰年不改元」、「隔年改為[VAR[○○]]」、
「即位似前改元」といったような書き方をしていました [SRC[>>224]]。
㋑ - ㋺㋩㋥㋭

[259] 
中世日本
[WEAK[(例えば[TIME[[LINES[康永元][1342]]年][year:1342]]、[TIME[[LINES[延文6][1361]]年][year:1361]]の文書)]]
では改元後の新元号で表記された改元以前の日付のことを「未来年号」
と呼んでいました。 [SRC[>>46]]
㋭ - ㋥



[226] 
[[朝鮮半島の紀年法]]に関する[[今西龍]]の論文
[WEAK[([TIME[[LINES[明治45][1912]]年][year:1912]])]]
[SRC[>>7864]]
は、[CITE[三国史記]]その他の史料を踏まえ、
朝鮮の[[即位紀年]]の「稱元法」には
「踰年稱元(法)」と
「踰月稱元(法)」があるとしました。
ほかに1例だけ強いて言えば「踰日稱元法」たるものも見られるとしました。 
㋑ - ㋭

[227] 
[[朝鮮半島の紀年法]]に関する[[小田省吾]]の論文
[WEAK[([TIME[[LINES[大正9][1920]]年][year:1920]])]]
[SRC[>>7866]] は、
[[即位紀年]]の方法を

- [1211] 一、即位年を元年とし、薨年まで在位年とする: 「薨年稱元」
-- ただし新旧両王の在位年が重複するため、
--- [12111] 一、旧王薨月内に境界を置く: 「薨月稱元」
--- [12112] 二、旧王薨月とその翌月の境界による: 「踰月稱元」
- [1212] 二、即位年を元年とし、薨年前年まで在位年とする
- [1213] 三、即位年翌年を元年とし、薨年まで在位年とする: 「踰年稱元」

... に分類しました。
「踰年稱元」と「踰月稱元」はいわゆるとあり、
用語として一般化していたとことがわかりますが、
「薨年稱元」と「薨月稱元」は今仮に称すとされていました
([[安鼎福]]が「薨年稱元」と書いているの (と[CITE[春秋]]の[[崩年改元]]) を引いており [SRC[>>7867 PDF 12ページ]]、
小田の完全オリジナルでもありません)。
㋑ - ㋭

[228] 
[[朝鮮半島の紀年法]]に関する[[藤田亮策]]の論文
[WEAK[([TIME[1958年][year:1958]])]]
[SRC[>>7862]]
は、今西と小田の研究を踏まえた上で、
「踰月稱元(法)」
は意識的に採用されたのではなく元年が記録に残されたのが翌月頃だった場合に過ぎないとし、
薨去、即位、改元が同時期の「卽位稱元法」
が原則だったとしました。 
㋑ - ㋥㋭
日本でも皇位継承は即位称元法であり (㋑)、
[[元号]]を用いてきたが[[一世一元]]により即位称元だとはっきりとしてきた
(㋑ - ㋺㋩㋥㋭)
と説明していました。

[410] 
[[西夏の元号]]に関する[[長部和雄]]の論文
[WEAK[([TIME[1933年][year:1933]])]]
[SEE[ [[西夏紀年考]] ]]
は、[[即位]]の当年の[[改元]]か翌年の[[改元]]かに言及し、
後者を「明年改元」と書いていました。
ただし一貫した利用ではなく、
より詳しく説明的な記述が多くありました。


[230] 
[CITE[日本書紀]]の[[紀年に関する研究][紀年論]]では、
翌年に改元する「越年称元法」と同年に改元する「当年称元法」
なる語が用いられることが多いと見受けられます。
前者は明治時代の研究者[[那珂通世]]以来と言われています [SRC[>>217]]。
後者は
[TIME[1962年][year:1962]]に既に用例があるようで [SRC[>>231, >>232]]、
更に遡れるとも思われます。
越年称元法は「翌年称元法」と呼ばれることもあるようで、
[TIME[1953年][year:1953]]には既に用例が見られ [SRC[>>233]]、
21世紀に入っても使われているようです。
㋑ - ㋭




[238] 
日本の[CITE[元号法]] [WEAK[([TIME[[LINES[昭和54][1979]]年][year:1979]])]]
をめぐる[[国会]]審議では、「踰年改元」の是非も議論されました。
各発言者の意図するところが同じかは不明ですが、
皇位継承㋑と実施㋥の関係を扱っていることは確かです。
[[内閣法制局長官]]の[[真田秀夫]]は、
「改元がいつ行われるか、新元号がいつから実施されるかというのは、実は第一項の「政令で定める。」と書いている、この政令の施行の日をいつ決めるかと、いつにするかという問題なんでございまして」
[SRC[>>239]] と述べており、[[政令]]が制定㋩と実施㋥を分離可能なことに言及しました。
当時の政府の想定問答集にもこうした内容は含まれていますが、
「翌日から」、「翌年から」、「遡及して」といった通常の言葉で表現しており、
踰年改元のような用語は使っていませんでした [SRC[>>255]]。
㋑ - ㋩㋥ / ㋑㋩ - ㋥


[403] 
[[元号の選定]]の手続き決定を伝える
[CITE[読売新聞]]
記事
[WEAK[([TIME[昭和54(1979)年10月][1979-10-23]])]]
は、
「「踰(ゆ)日改元」 (政令公布の翌日から改元) 」
か
「「踰年改元」 (翌年の一月一日から改元) 」
かなど具体的な時期は決定されていないしていました。
[SRC[>>402]]
[CITE[読売新聞]]
データベースの「踰年改元」や「踰月改元」の検索では、
これ以前の用例は見当たりません (が、似て非なる表現がこれ以前にあった可能性はあります)。


[260] 
「即日改元」という語は[[漢文]]中に見られるものや「即日、改元して」
のような表現もあって古くからいわれていたと思われますが、
[[平成改元]] [WEAK[([TIME[1989年][year:1989]])]]
の後、[[平成改元]]の
「翌日改元」とそれ以前の「即日改元」
がよく対比されるようになったことが
[CITE[Google Books]]
の検索結果から窺えます。
「翌日改元」も同様に一般的な表現でもありますが、
確実に用語といえるのは[[平成改元]]の頃からのようです。
㋑㋺㋩ - ㋥㋭
その他興味深い事例を挙げれば:

- [274] ([[大正]]、[[昭和]]の改元は)
「先帝崩御即日践祚、即日改元が例となったが」
[WEAK[([TIME[1968年][year:1968]])]] [SRC[>>261]]
- [273] 「政府の方針と伝えられる「[ASIS[室][皇]]位継承の翌日改元」(二.二毎日)ではなく、
公明[ASIS[覚][党]]の提唱といわれる「[ASIS[是][皇]]位継承があった翌年一月一日からとする」とする「翌年改元
」(三.二朝日)も一[ASIS[窪][案]]であるが」
[WEAK[([TIME[1979年][year:1979]])]] [SRC[>>272]]
- [266] 「「大正」から「昭和」に変わったときのような「即日改元」はムリなので、「翌日改元」
か「翌々日改元」とする。」
[WEAK[([TIME[1988年][year:1988]] - 改元前)]] [SRC[>>262]]
- [268] 「新天皇即位の当日から「即日改元」を実施したが、今回
は翌日か翌々日から改元することとし、キリのいい月初めや翌年元日から実施する「踰
[ASIS[厅][月]]」や「踰年」などの改元は行わないということも、このときに決定している。」
[WEAK[([TIME[1989年][year:1989]])]] [SRC[>>263]]
- [270] 元正天皇についての論文
[WEAK[([TIME[1991年][year:1991]])]]
「即日改元」 [SRC[>>269]]


[275] 
中世日本を研究した[[服部英雄]]は論文
[WEAK[([TIME[1983年][year:1983]])]]
で新元号を使った改元日以前の日付を「未来年号」
と呼びました。これは過去の用例 (>>259) 
に倣ったものでした。 [SRC[>>46]]
㋭ - ㋥


-*-*-

[257] 
[[日本の元号]]制度の研究者である[[所功]]の論文
[WEAK[([TIME[[LINES[昭和62][1987]]年][year:1987]]-[TIME[[LINES[平成元][1989]]年][year:1989]]、[CITE[[[日本年号史大事典]]]]収録[TIME[[LINES[平成26][2014]]年][year:2014]]、同普及版[TIME[[LINES[平成29][2017]]年][year:2017]])]]は、
次のような言葉を使っていました。

- 「即位 (践祚) の翌年 ([RUBY[踰年][ゆねん]]) の正月に改元」
「踰年正月改元」 ㋑ - ㋺㋥
- 「踰年改元」「践祚踰年改元」「践祚の翌年 (踰年) 改元」 ㋑ - ㋺㋥
- 「践祚同年同日改元」「践祚同日改元」「即日改元」 ㋑ - ㋺㋥
- 政令の施行の時期について㋥㋭ [SRC[普及版91ページ]]、
-- 「㋑先帝崩御の時刻まで遡らせる」
-- 「㋺さらに当日の午前零時まで遡らせる」
-- 「㋩むしろその翌日午前零時からと定める」
-- 「等」
-- 「新元号を決定し公布し、その施行は翌年正月一日午前零時からとする二段階方式
[SNIP[]] 古来の踰年改元に近く、それをより合理化したもの」
「いわゆる踰年改元説」
「踰年改元」 ㋑ - ㋺㋩ - ㋥㋭
- 「即日改元」 ㋑㋺㋩㋥㋭
- 「翌日改元」 ㋑㋺㋩ - ㋥㋭

;; [143] [[翌日改元]]への言及は[[昭和時代]]の元々の版にはなく、
[[平成改元]]以後に追加されたもののようです。
どの時点のものから追加されたのかは未調査。


[149] 
[CITE[日本年号史大事典]]の[CSECTION[平安以降の代始三儀 (践祚・即位・改元) 年表]]
は、
次の3種に分類しました [SRC[普及版 p.797]]。

- 「㋑践祚と同年改元年号」
- 「㋺践祚の翌年改元年号」
- 「㋩践祚後三年以上改元年号」
- 「㋥践祚後無改元」

[188] 
[CITE[日本年号史大事典]]の[CSECTION[大同]]項 [SRC[普及版 p.161]]
は「即位同時改元」との語を使っています。 ㋑ - ㋺㋥

[189] 
[[改元]]年の[[日付]]の表記方法は、
次の3種に分類しました
([TIME[昭和63(1988)年][year:1988]]) [SRC[>>303]]。

- ㋑ 改元の日より前は旧年号、それより後は新年号で区別する。
- ㋺ 改元の日以後も、その年は全て旧年号で一括する。
- ㋩ 改元の日以前に遡って、その年は全て新年号で一括する。



-*-*-

[397] 
[[平成改元]]
[WEAK[([TIME[1989年1月8日][1989-01-08]])]]
に至るまでの間、
[CITE[元号法]]
案の検討時から[TIME[昭和63(1988)年][year:1988]]秋頃を経て実際の[[平成改元]]まで、
[[日本政府]]は[[改元]]方法を検討していたようで、
[TIME[平成元(1989)年1月][1989-01]]またはそれ以後に書かれたとみられる[[内閣法制局]]文書にまとめられました。
[SRC[>>396]]

[398] 
まず [CITE[元号法]] 制定当時の検討について、
「「皇位の継承があった場合、事情の許す限り速やかに新元号を定める」べきもの」
「「施行の時期は政令で定められる。一番早い時期は公布された時点」が考えられる」
「「一日が交付の時点を境として二つの元号に分かれることになる」のもいかがかと思われる」
「翌日改元とするかどうかは「国民感情その他諸々の事情を考慮して決定する」」
といった答弁が示されました。「答弁」とあることから[[国会]]での政府発言とみられます。
[SRC[>>396]]
答弁中の断片的な言及のみであり、体系的な検討があったか、これだけでは不明です。

[399] 
その後、5案が議論されました。
文脈より、 [CITE[元号法]]
制定後、
[TIME[昭和63年9月][1989-09]]下旬以前の議論とみられます。
それによると、
「①公布即施行遡及適用(元旦まで、崩御日の午前零時まで又は崩御の時刻まで)」
「②公布即施行(不遡及)」
「③公布の翌日施行(翌日改元)」
「④踰󠄂月改元(翌月1日施行)」
「⑤踰󠄂年改元(翌年元旦施行)」
が議論され、
「③を基本的立場とすることが了解」されました。
[TIME[昭和63年9月][1989-09]]下旬の検討では③で問題ないとされました。
[SRC[>>396]]
従来の実施例やそれに関わる学説、
[[日本]]で前例のない翌日、翌月の施行も含め、
理論面と実用面から網羅的に検討されたことがわかります。
ただしこれ以上の詳細は記載されておらず、
④⑤の場合の[[公布]]の時期が検討に含まれたのか確定的なことはいえません。

[400] 
[TIME[昭和63年12月][1988-12]]、
③とするか
「踰󠄂年改元」
とするかが検討されましたが、結論は先送りされました。
[SRC[>>396]]




[108] 
[[共同通信社]]記事
[WEAK[([TIME[2019年][year:2019]])]]
は、
これと同じ公文書によるものとみられます。記事によると、
「(1)遡及適用(逝去した年の元日などまでさかのぼる)」
「(2)改元政令の公布時点(即日改元)」
「(3)翌日改元」
「(4)翌月1日改元の「踰月改元」」
「(5)踰年改元」
を検討し、
ご崩御の時期によって
「翌日改元」
を基本に「翌年の元日に改元する「踰年改元」」
も選択肢に入れつつ、
(2) か (3)
にすると意見集約されました [SRC[>>107]]。 
記事内容は基本的に公文書内容と一致しますが、
5案の表現は少しずつ異なっており、記者による改変とみられます。
その意図は不明です。
㋑㋺㋥㋭


[339]
[CITE[毎日新聞]]
記事
[WEAK[([TIME[2019年][year:2019]])]]
も、
これと同じ公文書によるものとみられます。記事によると、
「1. 天皇逝去日の午前0時などにさかのぼる」
「2. 改元政令の公布時点」
「3. 改元政令公布の翌日」
「4. 改元政令公布の翌月1日」
「5. 改元政令公布の翌年元日」
の5案を検討し、
3が選ばれました。
[SRC[>>338]]
やはり表現が異なり、記者による改変とみられます。
表現を統一して平易にする意図の書き換えとみられますが、
1 が[[共同通信社]]と違った要約になっている点や、
4、5 に「公布の」と挿入して文意を変えてしまったおそれがある点が注目されます。
㋑㋺㋥㋭


[139] 
[[改元]]実施のための当日スケジュールと[[施行]]期日の関係にも検討が及びました。
[TIME[昭和63年9月20日][1988-09-20]]付とみられる[[内閣法制局]]開示公文書は、
[[改元]]の[[政令]]の[[公布]]となる[[官報]]掲載について、
20時までに最終稿を提出する必要があり、
それに間に合わない場合、
[[崩御]]の翌日に[[政令]]が[[公布]]され、
翌々日に[[施行]]されるとしていました [SRC[>>396]]。
「翌日改元」
といっても[[皇位継承]]との関係で翌日になることでなく、
[[法令]]上の解釈に疑義が生じないよう[[公布]]の翌日となることが重視されたことがわかります。



[326] 
[[平成改元]]当時の
[CITE[朝日新聞]]
[WEAK[([TIME[1989年1月7日][1989-01-07]])]]
は、
過去の事例として
「その日から施行され た。いわゆる「即日改元」」、
専門家の意見として
「施行を翌年の一月一日 からとする「踰年(ゆねん)」」
「翌月の一日からと する「踰月(ゆげつ)」」
に言及していました。[[平成改元]]の場合の翌日の改元には特別の語を使いませんでした。
[SRC[>>324]]

[404] 
[[平成改元]]当時の
[CITE[読売新聞]]
[WEAK[([TIME[1989年1月7日][1989-01-07]])]]
は、
過去は
「「一世一元」(行政官布告)により、即日改元だった」、
今回は
「翌日改元となるのが特徴」
であってその理由は
「元号を政令で決めることになったため、手順の上から即日改元が困難な場合があること」と
[CITE[元号法]]の規定が「厳密に一世一元の原則にこだわらなくてよくなったため」
としました。
しかも
「政府内部では昨年中ごろまでは改元は、「区切りのよい日から実施する」として、翌月一日や翌年元日から実施する踰(ゆ)月、踰年改元が有力だった」
ところ、
「「新天皇になってからも、旧元号が続くのはまずい」との判断」
があったとしました。
[SRC[>>401]]
以前の記事の「踰日改元」 (>>403)
でなく今回は
「翌日改元」
と書いていることが注目されます。
この記事は[[施行]]タイミングの決定と[[一世一元]]を関連付けているのが大きな特徴といえます。
[[政令]]施行の技術的問題を理由とするのは[[内閣法制局]]文書と一致しますが、
「政府内部」案は矛盾します。

-*-*-

[276] 
中世日本を研究した[[清水眞澄]]は論文
[WEAK[([TIME[1994年][year:1994]])]]
で「未来年号」は年号視点であるとし、
筆者視点がより適切であるとして次のように改元と表記の関係を分類しました。
[SRC[>>37]]
㋥ - ㋭

- 「(1)即時年号」: 改元前は旧元号、改元後は新元号
- 「(2)遡及年号」: 改元前に遡って新元号
- 「(3)延長年号」: 改元後に引き続き旧元号
- 「(4)折衷年号」: 旧年号に新年号を注記


[34] 
日本中世史研究者は[[改元]]を無視した[[延長年号]]を[DFN[不改年号]]と呼んでいるようです。
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]に[[峰岸純夫]]が提唱しました [SRC[>>604 (>>598)]]。
[CITE[足利成氏文書と不改年号]] [WEAK[([TIME[平成9(1997)年][year:1997]])]]
との論文があり [SRC[>>604]]、その後も用例を確認できます。
㋺ - ㋥

;; [597] 
ただしその後の研究で、意図的に[[改元]]を無視した[[不改年号]]とされてきたものについても、
積極的に無視したのかどうか見直されてきています。「不改」
という表現には自発的・積極的なニュアンスが感じられないでもありません。

;; [379] 
[[峰岸純夫]]は[[私年号]]についても公演で触れています。
[SEE[ [[至大]] ]]

[REFS[

- [602] 
[CITE[転換期の歴史学]], 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]
-- [598] 
[CITE[封建時代の年号と天皇]],
[[峰岸純夫]]
--- [603] 
おそらく >>601 の初出
- [599] [CITE[中世災害・戦乱の社会史]],
[[峰岸純夫]],
[TIME[平成23(2011)年6月][2011-06]]
-- [600] [CSECTION[1. 自然災害と中世の人びと]]
--- [601] [CSECTION[災異と元号と天皇]]
- [604] 
[CITE[[[足利成氏文書と不改年号]]]]



]REFS]


-*-*-

[229] 
支那古代史研究者の[[平㔟隆郎]]は、
[TIME[1992年][year:1992]]頃から、
古代[[支那王朝]]で「立年称元法」が用いられたと主張しました。
「立年」は平㔟の造語であり、
従来の「当年」などの表現は「踰年称元法」を原則とすることを前提にしており、
即位を表す「立」を使って即位後直ちに称元することであるとしました。
改元ではなく称元としたのは、今西ら朝鮮史研究者に倣ったとしました。
[SRC[>>205]]
㋑ - ㋥㋭
「立年称元法」の語は[[0年代]]頃まで、
主として平㔟説に言及するために用いられたようです。
対比のため、現代日本の改元はこれであるとも説明されました。
㋑ - ㋺㋩㋥㋭

[234] 「立年称元」/「立年改元」については、即位の翌年の「踰年改元」に対し、
「即位同時改元」という語が使われた例もあります [SRC[>>288, >>217]]。
㋑ - ㋺㋩㋥


-*-*-

[482] 
[TIME[公元2005年][2005]]、
[[中華人民共和国]]の研究者[[李学勤]]は、
[CITE[论汉简、钱范所见纪年超长现象]]
を発表しました。
この論文では、
[[漢簡]]に見られる[[延長年号]]を
「纪年超长现象」
(紀年超長現象)
と呼んでいました。


-*-*-

[236] 
[CITE[元号の変わり目]] [WEAK[([TIME[2007年][year:2007]])]] [SRC[>>356]] は、
[[日本の元号]]の切替時の取り扱いについて法令、学説、事務取扱などを収集、
検討しており、
新元号の利用開始㋭の主要説を次の通り整理しました。

- [1410] 改元の効果は改元㋺の日を境に生じる: 「改元日説」
-- [1411] [1] 改元㋺の日の午前0時: 「午前0時説」
-- [1412] [2] 即位㋑: 「新帝即位時説」
-- [1413] [3] 改元詔書発布時㋺: 「詔書発布時説」
-- [1414] [4] 改元㋺の翌日: 「翌日説」
-- [1415] [5] 改元㋺の日は新旧元号いずれも正式: 「改元日併用説」
- [1420] 改元の効果は改元㋺の年の年始に遡及する: 「年始説」

[253] また「即位後,年が改まるのを待つことなく」改元することを「立年改元」
と呼びました。
㋑ - ㋺㋩㋥

[254] 
なお、ここで引用されている各時代の文書は年始説を年始に遡って
(遡及して) 新元号を使うというような書き方としており、
特別な用語はありませんでした。
㋭ - ㋺


-*-*-

[291] [[日付情報処理]]に関する
[TIME[2007年][year:2007]]の論文は、
代替わりの同年の改元を「立年改元法」、
翌年の改元を「踰年改元」としていました。 [SRC[>>289]]
㋑ - ㋥


[53] 
[[暦]]の専門家として有名だった[[岡田芳朗]]は、
[[暦]]で使われた[[元号]]の解説
[WEAK[([TIME[2008年][year:2008]])]]
において、
[[改元]]前に出版されたため旧元号を使った[[改元]]後の年の表記を
「未来の年号の暦」、
「未来年号の暦」といって「実在しない年号の暦が出現」することを紹介していました
[SRC[>>54]]。
㋥ - ㋭
この「未来年号」は旧来の意味 (>>259) とは正反対です。





-*-*-

[278] 
[CITE[Wikipedia]] の[CSECTION[改元]]項で改元時期を説明した初期の版
[WEAK[([TIME[2006年][year:2006]])]]
[SRC[>>209]]
は、
次の4つに分類していました。 ㋺㋩ - ㋭

- 「1.」 布告年元日に遡及する ([[明治]])
- 「2.」 布告日日始に遡及する: 「即日改元」 ([[大正]]、[[昭和]])
- 「3.」 布告日翌日から: 「踰日改元」 ([[平成]])
- 「4.」 布告年翌年元日から ([[明]]以後[[支那王朝]])

さらに、「これとまぎらわしい分類」で、

- 即位年の改元: 「立年改元」
- 即位翌年の改元: 「踰年改元」

の2つに分類していました。 ㋑ - ㋺
いずれも出典は示していませんでした。

[98] 
細かな事実認定に疑義が残るものの、
新[[元号]]を使って表記される最初の日に関する分類と、
代替わりと改元の日付関係に関する分類の
2種類の分類法に慎重に区別されていたことがわかります。
用語も妥当で、
専用の用語がない分類には無理に名称を与えていません。



[279] その後の改訂 [WEAK[([TIME[2008年][year:2008]])]]
[SRC[>>207]] で、最初の4つの分類の 1. と 4. にも名称が与えられ、
2. と 3. の名称が改められました。

- 「1.」: 「立年改元」
- 「2.」: 「立年即日改元」
- 「3.」: 「立年踰日改元」
- 「4.」: 「踰年改元」

後の「まぎらわしい分類」も残されたため「立年改元」と「踰年改元」
は2つの意味が示された状態となりました。変更の根拠は不明です。

[280] 翌年更に改訂され [WEAK[([TIME[2009年][year:2009]])]]
[SRC[>>208]]、

- 「1.」: 「立年改元」
- 「2.」: 「即日改元」
- 「3.」: 「翌日改元」
- 「4.」: 「踰年改元、越年改元」

となりました。しかも前の版の「まぎらわしい分類」の説明が
4分類と別の分類法とは説明されなくなり、
旧「立年改元」が4分類の「立年改元」と「即日改元」
(その後の改訂で「翌日改元」も追加)、
旧「踰年改元」が4分類の「越年改元」の説明に変更されてしまいました。
やはり変更の根拠は不明ですが、
最初の版の筆者が「まぎらわしい」とわざわざ注意喚起して危惧した事態に陥ったといえます。

[282] 
その後 [WEAK[([TIME[2017年4月2日][2017-04-02]])]] [SRC[>>282]]、

- 「5.」 布告日翌月1日から: 「踰月改元」

が追加され、さらに
[WEAK[([TIME[2019年4月1日][2019-04-01]])]] [SRC[>>283]]
[[令和改元]]が該当するとされました。
根拠は示されていませんが、[[譲位と改元][令和改元]]が議論されていた時期であり、
あるいはそのような言葉で説明した人もいたのかもしれません (>>316)。

[285] くわえて [WEAK[([TIME[2019年4月2日][2017-04-02]])]] [SRC[>>284]]、
4+1 分類の出典が七戸論文とされ、同論文から
4+1 分類とは別に「即時改元」㋑ - ㋭ が紹介されました。
このときの編集者は
「各文献や関連サイトを当たってみた」
と述べており
[SRC[>>341]]、
当該論文以外に何を参照したのか明かしていませんが、
本文内容に近く[[学術論文]]の体を有する当該論文が出典と適切と判断したのでしょうか。

[286] 
[[九州大学]]の[[教授]]の[[七戸克彦]]による解説論文 
[WEAK[([TIME[2017年1月][2017-01]])]]
[SRC[>>33]] は、
元号の利用開始㋭について、次の4つに分類していました。

- 「①立年改元」: 改元年㋺の1月1日に遡及
- 「②即日改元」: 改元日㋺から
- 「③翌日改元」: 改元日㋺の翌日から
- 「④踰年改元(越年改元)」: 改元年㋺の翌年1月1日から

さらに文章中で[[践祚]]を境界とする「即時改元」に触れていました。 ㋑ - ㋭ 

;; [106] 七戸は法学を専門としており、
本論文は[[法令]]の紹介を中心に[[皇位継承]]と[[改元]]を説明するものでした。
七戸が[[元号]]や[[皇室]]についてこれ以前に特別に研究していた様子は確認できず、
この当時の時事の話題だった[[生前退位]]について法学の専門家の立場から紹介したに過ぎないとみられます。


[287] 七戸論文は、第1章中「改元」の語義の説明から利用開始時期の分類までの部分の構成と記述内容が当時の
[CITE[Wikipedia]] の[CSECTION[改元]]記事と極めて類似しており、
[CITE[Wikipedia]] を参考に執筆された可能性は高いといえます。

;; [336] 
七戸は「[[改号]]」についても
[CITE[Wikipedia]]
が出典と疑われる独自の見解を披露していました。
[CITE[Wikipedia]]
はそちらについては出典をその後も示していません。
[SEE[ [[改号]] ]]

[343] 
仮に七戸論文がまったく独自に執筆されたとしても、
10年近い歴史を有する [CITE[Wikipedia]]
の本項目が、
それよりはるかに新しくそれ自身の出典を明記しない七戸論文を出典として示すことには疑問を持たざるを得ません。
[CITE[Wikipedia]] との関連性が見出だせない出典が他に明記されない限り、
[[ソースロンダリング]]の批判は逃れられないのではないでしょうか。

[342] 
少なくても 4+1 分類のうち第5の「踰月改元」
[WEAK[(七戸論文より後に [CITE[Wikipedia]] に追加された。)]]
は七戸論文に現れませんから、
[CITE[Wikipedia]]
の出典の記述は不正確です。
これについて
[CITE[Wikipedia]]
の編集者は、
「いま時点で令和はまだ始まってないので、令和が踰月改元と言うのは出典を自明的に欠く」
と認識していたようです [SRC[>>341]]。

[344]
この編集者が七戸論文を異様に強調して「即時改元」の記述を追加したのは、
[CITE[Wikipedia]] に元からあった
「時刻レベルで改元時点を確定する必要が生じたのは日本の「大正」改元以降のみ」
との記述との関連性によるものだといいます [SRC[>>341]]。

[345] 
この「即時改元」は、
七戸が
「文部大臣官房文書課『(自明治三十年至大正十二年)文部省例規類纂』(帝国地方行政学会、大正13年)847-848頁」
の定める歴史教科書の分単位の元号の区切りを
「詔書の定める「即日改元」ではなく、「即時改元」の立場をとる」
と解し、
「広浜「明治45年7月30日」東北帝国大学法学会(編)『法学瑣論』(岩波書店、昭和14年)69頁」
の記述を
「天皇の崩御に関してだけ即時改元とする趣旨か」
と解したものでした。 [SRC[>>33]]
しからば七戸は「即日改元」は日始遡及と解し、
「即時改元」は代替わり瞬間遡及と解したことになります。
ところがこれは七戸の4分類の
「即日改元(改元の日から直ちに新元号を使用するもの)」との説明 [SRC[>>33]]
と明らかに矛盾します。こちらの説明に従うなら、
「即時改元」は「即日改元」の細分類の1つであるはずです。
4分類が七戸自身の慎重な検討により導かれたものなら、
このような矛盾した用法が同じ論文中に含まれるのはおかしい。
先行する
[CITE[元号の変わり目]]
の整理された分類 (>>236) と比較すれば、用語法の未整備は明白です。




[335] 
[TIME[2007年6月9日][2007-06-09]]付けのブログ記事に、
「立年改元」
「即日改元」
「踰日改元」
「踰年改元」
に分類したものがありました [SRC[>>334]]。
この分類法と説明は当時の
[CITE[Wikipedia]]
と似ているのですが、細部が異なっています。
特に
「立年改元」
「踰年改元」
を組み込んだ説明は、この当時の [CITE[Wikipedia]]
にはなく、
[TIME[2008年][year:2008]]ないし
[TIME[2009年][year:2009]]の改訂で組み込まれたものでした。
だとするとこのブログ記事が
[CITE[Wikipedia]]
に基づき書かれたと簡単にはいえませんし、
逆にこのブログ記事から
[CITE[Wikipedia]]
を改めたとするのも困難です。
このブログ記事が当初の半から大きく書き換えられてはいないだろうことは、
コメント欄の「muca   2007/06/13 8:56 AM」
が
「立年改元」
に言及していることから推測できます。
[CITE[Wikipedia]]
とこのブログ記事は、
同系統の別の説明から派生したと考えるべきでしょうか。
[CITE[Wikipedia]] はこの時点でまだ混入していなかった年始遡及型を
「立年改元」
と呼ぶ用法を
「改元が布告された年の元日にさかのぼって新元号の元年とする」
と先取りしていることに注意しなければなりません。



[293] 
[TIME[令和元年][year:2019]]現在、[CITE[Wikipedia]]
のいう正月に遡及する方式を「立年改元」と呼ぶとする
[[Webページ]]は無数に存在しているようで、
[[Google検索]]でいくらでも発見することができます。
[WEAK[(逆に従来の、即位年を元年とする意味で使っているものを見つけるのは困難です。)]]
非学術的な書籍でもそのように紹介していることがあるようで、
[CITE[Google Books]] で見つけることができます。
本ウィキも以前は [CITE[Wikipedia]] を出典にそのように説明していました。
しかし七戸論文以外の学術論文でこちらの意味で「立年改元」
を使った事例は発見できていません。

[295] 従来の意味では大正改元以前が「立年改元」ですが、
こちらの意味では明治改元以前が「立年改元」ということになり、
指しているものがまったく逆になってしまいます。

[294] 
現時点で得られる情報からは [CITE[Wikipedia]] の改訂で
「立年改元」に新しい意味が加えられたと推測するのが最も穏当ですが、
[CITE[Wikipedia]] の改訂者が明記しなかった何らかの出典が既にそのような意味で使っていた可能性はあります
(そうでもなければ >>335 のブログ記事が説明つきません)。

[337] 
年始に遡及することをなぜ「立年」と呼ぶのか謎は残ります。
「立年」という言葉がそれらしい意味で使われた形跡は他に見られません。
「立春」などの類推で確かになんとなくそれっぽい感じはするので、
多くの人が信じ込まされてしまったことは理解できる気がします。


[301] 
[CITE[朝日新聞]]
[WEAK[([TIME[2017-04-12]])]]
は、
[[令和改元]]に至る議論の過程の報道で、
「政府関係者」を出典に、
「即位の翌月に改元する「踰月(ゆげつ)改元」」
の方向で検討が進められているとし、
「官邸関係者」が「天皇と元号の『ズレ』は短い方がいい」
と発言したと報じました。
[[平成改元]]は「[[踰日改元]]」だったとしました。
[SRC[>>204]]

[424] 
[[朝日新聞社]]の
[CITE[[[秘録 退位改元 官邸 VS. 宮内庁の攻防1000日]]]]
[WEAK[([TIME[2019-10-30]])]]
は、
「改元日には主に三つのパターンがある」
として、
次の3つを挙げました。

- (1) 即日改元 新天皇の即位当日に改元
- (2) 翌日改元 新天皇の即位翌日に改元
- (3) [RUBY[踰][ゆ]][RUBY[年][ねん]]改元 新天皇の即位翌年の年始に改元

(1) は[[昭和改元]]、
(2) は[[平成改元]]、
(3) は[[平成改元]]の前年に「水面下で検討」されたものとしました。
[SRC[>>1181 pp.77-78]]

[425] 
同書は[[令和改元]]の検討が進んで登場した案として、
「踰月改元案」 [SRC[>>1181 p.83]]
という言葉を使いました ([TIME[2017年4月][2017-04]]頃の[[節]])。
「元日改元は維持しつつ、[YOKO[12]]月退位・即位とする踰月改元案が有力になった」
[SRC[>>1181 p.93]]
としました。
元日の[[譲位]]は難しいが、
新年ちょうどに[[改元]]したいとの折衷案をこう呼んだもののようです。
この言葉は[[朝日新聞社]]が選んだものか、
取材先の政府関係者に由来するものか定かではありませんが、
同書が先に示した分類の (3) に他ならず、
年でなく月と強調する意味も見出だせません。
なぜ敢えて踰年でなく踰月と書いたのかわかりません。

[426] 
同書はまた、
[TIME[2018年10月][2018-10]]の保守派の会合で検討されたという5案を提示していました。

- (1) 5月1日に決定・公表・公布。準備期間を1カ月設け、6月1日施行
- (2) 5月1日に決定・公表・公布。準備期間を2週間程度設け、5月中旬施行
- (3) 4月1日に仮決定・公表。準備期間を1カ月設け、5月1日に本決定・公布
- (4) 4月1日に決定・公表。準備期間を1カ月設け、5月1日に公布
- (5) 4月中旬に決定・公表。準備期間を2週間程度設け、5月1日公布

このうち (3)、(4)、(5) は
「新元号の施行は5月1日午前0時0分に遡及させるとしていた」ものです。
こうした表現が[[朝日新聞社]]の整理なのか
「保守派の会合」
に基づくものなのか、
やはり定かではありません。
ここでは
「踰月改元」
という説明は使われませんでした。
[SRC[>>1181 pp.210-211]]

[427] 
その会合を受けた協議では、
(1) や (2)
のように
「5月1日の新元号公表だと、新元号が始まる施行日は5月2日になってしまう」
ので不可だと反論されたといいます。
[SRC[>>1181 p.211]]
これがどの程度実際の協議内容を正確に説明したものか不明ですが、
(1) も (2) も施行日を公布日と切り離しているので、
この反論は当たりません。
この反論は5月1日に公布し即時施行する案
(ここで提示された5案だと、 (3)、(4)、(5))
に対するものでなければなりません。
複雑で混乱してしまう議論でやむなきところもありますが、
本書を執筆した[[朝日新聞]]記者や校閲担当者は誰も矛盾に気づかなかったのでしょうか。


[315] 
[[SNS]] や [[Web]] では「[[踰月改元]]」への言及が散見されますが、
多くは
[CITE[Wikipedia]] に基づく記述にみえます。
[CITE[Twitter]]
の検索で出てくる最古の用例は、
[CITE[朝日新聞]]
の記事 (>>301)
に言及するものでした [SRC[>>299]]。
[CITE[Twitter]]
ではその後も[[令和改元]]に至るまで定期的に発言例があり、
報道や
[CITE[Wikipedia]]
によって知識を得たようにみえます。 [SRC[>>299]]

[316]
[CITE[Wikipedia]]
に 
「[[踰月改元]]」
が追加されたのは[TIME[同じ月][2017-04]]ですが、
[CITE[朝日新聞]]
の報道よりも数日早かったようです (>>282)。
他にも同様の報道があったのでしょうか。

[323] 
いずれにしてもこれ以前に
「[[踰月改元]]」
の用例はほとんど見当たらず、
元から存在したとしても、
この時期に普及が始まった用語とみるのが穏当でしょう。


[346] 
この他
[CITE[Wikipedia]]
記事には不審な点が多いです。
たとえば前近代の[[日本]]では
「翌年の元日から新元号を用いる」という「越年改元」が行われ、
[[明治改元]]では
「布告された年の元日に遡って新元号の元年と見なす」
という
「立年改元」が行われるようになったのは、
「「孝」の理念よりは、国家元首である天皇の交代を速やかに国民に印象づけることが優先された」
ためだとしています [SRC[>>298]]。
ところが実際には[[明治改元]]とそれ以前の[[改元]]はいずれも[[践祚]]の翌年(以降)に布告があり、
その年始に遡って[[元年]]とみなす (と解釈し得る) もので、
この点で両者に区別し得る要素はない上に
[CITE[Wikipedia]] の「越年改元」の定義と一致しません。
当然、そこに[[孝]]云々なる理由を見出すことはできません。

;; [348] 
[CITE[ウィキペディア]]の不審な記述については、
[[改元伝達]]も参照。

[347] 
[CITE[Wikipedia]] は
「日本の改元は概ね1か2か3のいずれかのパターン」
としたうえで[[明治改元]]が1 (「立年改元」)、
[[大正改元]]と[[昭和改元]]が 2
(「即日改元」)、[[平成改元]]が 3 (「翌日改元」)
に当たると述べています [SRC[>>298]]。すると「概ね」
によって覆われない一部は前近代の[[改元]]と解さざるを得ません。
これは前近代の[[日本]]の[[改元]]がパターン4 (「越年改元」)
だったという説明と矛盾します。

[386] 
[[令和改元]]は、新元号発表後に 5 (「踰月改元」) と追記されましたが
[SRC[>>283]]、
[[要出典]]とされました [SRC[>>284]] (>>342)。
その後の
[TIME[6月][2019-06-11]]の改訂で、
[[要出典]]のまま、
3 (「翌日改元」)
でありながら月末退位月初即位改元ゆえ
5 (「踰月改元」)
「にも当てはまる」
と改められました
[SRC[>>387, >>388, >>389]]。
元の 5 とする解釈は、
[TIME[4月1日][2019-04-01]]に[[改元]]が[[公布]]され、
翌月たる[TIME[5月1日][2019-05-01]]に施行されたことによるものでしょう。
改変された解釈は、
[TIME[4月30日][2019-04-30]]に[[退位特例法]]が[[施行]]されこの日の終わりに[[皇位継承]]が発生し、
[TIME[翌日かつ翌月たる5月1日][2019-05-01]]に[[改元]]が[[施行]]されたことによるものでしょうか。
改元の布告を基準とする [CITE[Wikipedia]]
の定義に忠実なのは前者の解釈でした。
[CITE[Wikipedia]] 
の定義を無視して新天皇の[[即位]]を基準にするなら
3 (「即日改元」)
とするべきで、
改変された解釈は理論的根拠が不安定です。
いずれにせよこうした記述の変遷は言葉遊びに近く、
用語に踊らされている感が否めません。

[390] 
[CITE[Wikipedia]]
には、
[[慶応]]およびそれ以前が
「『[[続日本紀]]』や改元詔書に見られるとおり年単位であったと言われるが、『[[類聚国史]]』では日単位(つまり即日改元または翌日改元)による改元の記載があるとの指摘もある」
[SRC[>>284]]
などとしつつ、
その「指摘」の出典は曖昧に濁され明記していません (>>285)。
[CITE[続日本紀]]や[CITE[類聚国史]]への言及は[[所功]]の研究 (>>305) を想起させますが、
「つまり即日改元または翌日改元」
としたのは
[CITE[Wikipedia]]
編集者の解釈でしょうか。
[[所功]]によれば[CITE[類聚国史]]は代替わりを境界とする、
強いて言えば「即日改元」を原則としているのであり、
どの部分が「翌日改元」によるといえるのか、
根拠が不明です。
矛盾の多い記述 (>>346) を残してこうした曖昧な新情報を追加したことで、
ますます混迷を深めています。



-*-*-

[297] 
[[令和改元]]までの議論では、
新元号の「事前公表」を早期に行うべきとする主張と、
皇位継承後にはじめて元号を制定するべきとする主張が対立しました。
過去の事例を紹介するためここまでに挙げた各用語が使われることがあったり、
「事前公表」を前年に行うことを「踰年改元」
といったりする人もいくらか見られたりはしたものの、
[[一世一元]]下での[[譲位]]という日本史上初の[[改元]]を踏まえた時期に関する用語として広がったものはありませんでした。

[6] そのような記事の1つ
[WEAK[([TIME[2019年4月1日][2019-04-01]])]]
[SRC[>>115]]
は、大正改元から[[令和改元]]までをすべて「即日改元」
であると説明し ㋑ - ㋺、
[[元号の選定]]に十分な期間を置いて「翌年改元」
する ㋑ - ㋥ ことを提案しました。

-*-*-

[645] 
令和元年には、[[元二説]]と呼ばれる中世の特殊な[[改元]]理解を想定する学説を[[踰年改元]]と表現する[[論文]]が発表されました。
[SEE[ [[元二年]] ]]
従来のいずれの[[踰年改元]]の意味ともまた異なったものです。

-*-*-

[13] 以上から次のように結論付けることができます。

- [14] 改元時期に関する用語と意味はひどく混乱しており、
ひろく安定して通用するといえるものが存在しない。
- [15] そのなかで、代替わりの翌年に改元することを
「踰年改元」と呼ぶことは歴史的にも分野的にも比較的広く共通しているが、
厳密な定義の一致は怪しく、類義の別語も使われている。
- [16] 近現代の日本の改元方式が変化を続けているため、
新語の導入と既存語の意味の変質も続いている。
- [41] 改元時期に関する議論では、何と何の間の時間を気にしているか明示するべきである。


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- [232] [CITE[Nihon shoki Chōsen kankei kiji kōshō]],
[TIME[1962][year:1962]] ([TIME[2019-05-20 18:58:31 +09:00]]) <https://books.google.co.jp/books?id=W2UlAAAAMAAJ&q=%22%E5%BD%93%E5%B9%B4%E7%A7%B0%E5%85%83%22>
- [261] [CITE[[[Meiji Tennō]] - [[Kishio Satomi]] - Google ブックス]],
[TIME[1968][year:1968]]
([TIME[2019-05-24 14:58:44 +09:00]]) <https://books.google.co.jp/books?id=AKrTAAAAMAAJ&q=%E2%80%9D%E5%8D%B3%E6%97%A5%E6%94%B9%E5%85%83%E2%80%9D>
- [255] [CITE@ja[法律案審議録(元号法案 その1) 昭和54年第87回国会 総理本府関係 1]] ([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2019-05-21 22:48:15 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2011021814402318057>
PDF 153ページあたりから
- [239] [CITE[参議院会議録情報 第087回国会 内閣委員会 第12号]],
[TIME[昭和五十四年五月二十九日(火曜日)][1979-05-29]]
([TIME[2019-04-13 01:00:01 +09:00]]) <http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/087/1020/08705291020012c.html>
- [272] [CITE[[[Hōritsu jihō]] - [[Izutarō Suehiro]] - Google ブックス]],
[TIME[1979][year:1979]] ([TIME[2019-05-24 15:16:54 +09:00]]) <https://books.google.co.jp/books?id=OOhQAQAAIAAJ&q=%E2%80%9D%E7%BF%8C%E6%97%A5%E6%94%B9%E5%85%83%E2%80%9D&dq=%E2%80%9D%E7%BF%8C%E6%97%A5%E6%94%B9%E5%85%83%E2%80%9D>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[402] 
[CITE[夕刊 [[讀賣新聞]]]],
[TIME[昭和54年([I[1979]]年)10月23日(火曜日)][1979-10-23]] 4版,
2面
]FIGCAPTION]

>
[BOX(vertical)[
まず有識者([YOKO[若干名]])が選定

[BOX(indent)[
「元号」手続き決まる [LINES[読みやすく][書きやすい]]
]BOX]

[SNIP[]]
また、
改元の時期 (政令の施行時期) に
ついては、政府は、さきの国会審
議を通じ、「皇位継承後、できる
だけすみやかに」との基本方針を
打ち出している。しかし「踰(ゆ)
日改元」 (政令公布の翌日から改
元) か、または、公明党など野党
が主張している「踰年改元」 (翌
年の一月一日から改元) とするか
など具体的な方針については、こ
の「選定手続き」では触れておら
ず、「政令決定の際、その時の内
閣が判断すべきこと」 (総理府)
としている。

[SNIP[]]

]BOX]

]FIG]

- [46] [CITE@ja[未来年号の世界から : 日付に矛盾のある文書よりみた荘園の様相]],
[[服部英雄]],
[CITE[史学雑誌]] 92 巻 (1983) 8 号 p. 1304-1331,1419- 
([TIME[2019-02-12 21:12:48 +09:00]])
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/92/8/92_KJ00003650411/_article/-char/ja/>
-- [378] 
[CITE[服部英雄のホームページ]], [TIME[2022-11-03T14:27:17.000Z]], [TIME[2026-04-24T10:58:01.234Z]] <https://hattorihideo.org/gyohihan.html>
- [262] [CITE[[[Seikai ōrai]] - Google ブックス]],
[TIME[1988][year:1988]] ([TIME[2019-05-24 15:05:53 +09:00]]) <https://books.google.co.jp/books?id=ems4AAAAIAAJ&q=%E2%80%9D%E5%8D%B3%E6%97%A5%E6%94%B9%E5%85%83%E2%80%9D>
- [461] [CITE[[[年号の歴史]]]]
-- [302] [CITE[三善清行の辛酉革命論]]
--- [303] [CITE[[B[〔補論〕 『類聚国史』 の年号表記]] (改元の境目)]]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[324] [CITE@ja[(1) TasukuさんはTwitterを使っています 「昭和六十四年一月七日の朝日新聞。今回は踰月改元って認識でいいのかしら。 https://t.co/wnYBaJtKtB」 / [[Twitter]]]], 
午後11:51 · 2019年4月1日,
[TIME[2020-02-19 11:17:53 +09:00]] <https://twitter.com/blackjuck17/status/1112729280608260096>
<https://pbs.twimg.com/media/D3E1YVQUwAA16-J?format=jpg&name=4096x4096>
]FIGCAPTION]

>
[BOX(vertical)[
あすから施行 新元号

政府は七日、新天皇が即位さ
れたのに伴って臨時閣議を開
き、元号法に基づいて新元号を
「平成」と決めた。施行は八日
午前零時からで、新しい元号名
とともに政令で決定、公布し
た。 [SNIP[]]

「大正」「昭和」の場合、新
元号は新天皇が即位した当日に
決められ、その日から施行され
た。いわゆる「即日改元」だっ
たが、今回は天皇が亡くなられ
る時間帯によっては即日改元が
事実上難しくなることもあり得
るため、施行は公布の翌日から
とする方針をあらかじめ決めて
いた。

元号問題の専門家や政治家の
中には、国民生活への影響など
を考え、施行を翌年の一月一日
からとする「踰年(ゆねん)」
や、あるいは翌月の一日からと
する「踰月(ゆげつ)」を主張
するひともいたが、ここ二代の
先例を準用することになった。

[SNIP[]]
]BOX]

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[401] [CITE[読売新聞]]
]FIGCAPTION]

>新元号は「平成」に あす8日に施行 出典は史記と書経=号外も
1989.01.07
東京夕刊
夕一面
896字
08段
>[SNIP[]]「大正」や「昭和」への改元は、新天皇即位当日の「即日改元」だったが、今回は翌日改元となるのが特徴だ。
>[SNIP[]]
政令は新天皇のご決裁(ご署名)を経て七日中に公布され、改元実施は八日からとなる。
> 今回の特徴は、大正、昭和への改元が「一世一元」(行政官布告)により、即日改元だったのに対し、翌日改元となること。これは元号法により、元号を政令で決めることになったため、手順の上から即日改元が困難な場合があることと、元号法では「元号は皇位継承があった場合に限り改める」との規定となり、厳密に一世一元の原則にこだわらなくてよくなったため。
> このため、政府内部では昨年中ごろまでは改元は、「区切りのよい日から実施する」として、翌月一日や翌年元日から実施する踰(ゆ)月、踰年改元が有力だった。
> しかし、「新天皇になってからも、旧元号が続くのはまずい」との判断で、翌日改元となった。

]FIG]

- [263] [CITE[[[昭和天皇: 全記錄]] - [[山本七平]] - Google ブックス]] 
[TIME[1989][year:1989]] ([TIME[2019-05-24 15:08:08 +09:00]]) <https://books.google.co.jp/books?id=heIzAQAAIAAJ&q=%E2%80%9D%E5%8D%B3%E6%97%A5%E6%94%B9%E5%85%83%E2%80%9D>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[396] [CITE@ja[「昭和→平成」改元の裏でどんな手続きや発言があったのか? [[内閣法制局]]&内閣府から開示された政府資料を全公開します - スズキオンライン]], [TIME[2020-02-20 18:06:47 +09:00]] <https://michsuzuki.hatenablog.com/entry/2019/03/20/113127>
]FIGCAPTION]

[[内閣法制局]]文書

>施行期日については、元号法の趣旨である一世一元の原則と国民生活への影響の重大性とにかんがみ、同法の制定当時の見解としては、「皇位の継承があった場合、事情の許す限り速やかに新元号を定める」べきものとか、「施行の時期は政令で定められる。一番早い時期は公布された時点」が考えられるとか、しかしながら「一日が交付の時点を境として二つの元号に分かれることになる」のもいかがかと思われるとか、翌日改元とするかどうかは「国民感情その他諸々の事情を考慮して決定する」とかという答弁が記録されているものの、明確な結論が出ていなかったようである。
> その後の検討において、①公布即施行遡及適用(元旦まで、崩御日の午前零時まで又は崩御の時刻まで)、②公布即施行(不遡及)、③公布の翌日施行(翌日改元)、④踰󠄂月改元(翌[ASIS[日]]1日施行)、⑤踰󠄂年改元(翌年元旦施行)の各方法について議論され、②と③とのいずれによるかに論点が収れんし(①では、政令の公布文に付すべき日付けが書けない等の根本的な論理矛盾あり。)、更に②も、「公布」が何時となるかはそれが規範的概念でもあって一般には、直ちにその時刻がわからない(従って「公布の日から施行する」という規定も同様に、具体的な意味がわからない)欠点を免れず、その欠点の結果、人の出生時刻その他法律生活上の事実の特定表記(例.戸籍簿等)に混乱を生ずるという弊害を生ずるため、おおむね、③を基本的立場とすることが了解されていた。
> 今回(昭63.9下)においては、この③による案が内審の政令案とされており、これについては特段問題がない(③から⑤までのいずれの案も違法ということにはならないことを当然の前提としつつ)とされた。
> ところで、9月中の危機的なご容体が何とか切り抜けられ、12月に至った段階で、もし、崩御が年末に生じた場合になお既定の方針どおり翌日改元とするか、踰󠄂年改元に切り替えるべきかを検討することがあったが、大正から昭和の改元の例にもあるとおり、12月25日以前の崩御の場合にはその崩御が現実のものとなる直前にいかにすべきかを決すべきものとした(その「現実」がまだ生じないうちに昭和63年が暮れた。)。


]FIG]

- [269] [CITE[元正朝前期の内政策とその特質]],
[[高島正人]],
[TIME[1991][year:1991]] ([TIME[2014-04-24 01:33:14 +09:00]]) <http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/1778/1/KJ00000160888.pdf>
- [37] [CITE@ja[文学の歴史叙述に於ける遡及年号について ―『平家物語』の紀年の問題から―]],
[[清水眞澄]],
[CITE[中世文学]] [TIME[1994年][year:1994]] 39 巻 p. 73-85 
([TIME[2019-02-12 21:08:12 +09:00]])
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/chusei/39/0/39_39_73/_article/-char/ja/>
- [288] [CITE[[[古代王権と恩赦]] - [[佐竹昭]] - Google ブックス]],
[TIME[1998][year:1998]] ([TIME[2019-05-24 22:15:11 +09:00]]) <https://books.google.co.jp/books?id=GVk2AQAAIAAJ&q=%22%E7%AB%8B%E5%B9%B4%E6%94%B9%E5%85%83%22>
-- 「「立年称元」と「[ASIS[跪][踰]]年称元」の語を用いられており、元号確立後は、前者の場合「立
年改元」となるかもしれないが、本稿では即位と同時の改元という趣旨を活かすため、後
掲注( ? ? )山ロ洋氏の「即位[ASIS[: ! :][同]]時改元」の[ASIS[浯][語]]を使用する。」
- [289] [CITE[暦象オントロジの構築-日本旧暦時代の文献分析支援のために]],
[[相田満]],
[TIME[2007][year:2007]]
<https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/?action=repository_action_common_download&item_id=54969&item_no=1&attribute_id=1&file_no=1>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[334] [CITE[元号と生年のお話 | さらすな日記]], 
2007年06月09日 土 08:52,
[TIME[2020-02-19 14:31:42 +09:00]] <http://muca.jugem.jp/?eid=81>
]FIGCAPTION]

>[B[新元号の起点には次の4種類があります]]
>	
-立年改元 	改元が布告された年の元日にさかのぼって新元号の元年とする
-即日改元 	改元の布告日を新元号の元年とする
-踰日改元 	布告の翌日から後を新元号の元年とする
-踰年改元 	布告の翌年の元日から新元号を用いる
> ちなみに、明治は立年改元、大正と昭和は即日改元、平成は踰日改元です。

]FIG]

- [54] [CITE[暦と年号]],
[[岡田芳朗]],
[CITE[歴史読本]] [TIME[2008年1月][2008-01]]号 特集 日本の年号, pp. 124-131
- [298] [CITE@ja[[[改元]] - [[Wikipedia]]]] ([TIME[2015-12-14 01:00:03 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E5%85%83>
-- [209] [CITE@ja[「改元」の版間の差分 - [[Wikipedia]]]] ([TIME[2019-05-16 15:59:00 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&type=revision&diff=8662586&oldid=8495975>
---
[CSECTION[2006年11月5日 (日) 06:30時点における版]],
[[Novo]]
-- [207] [CITE@ja[「改元」の版間の差分 - Wikipedia]] ([TIME[2019-05-16 15:59:00 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&type=revision&diff=23504937&oldid=21409890>
--- 
[CSECTION[2008年12月22日 (月) 00:20時点における版]],
122.134.176.190 
-- [208] [CITE@ja[「改元」の版間の差分 - Wikipedia]] ([TIME[2019-05-16 15:59:00 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&type=revision&diff=27411409&oldid=27377336>
--- 
[CSECTION[2009年8月13日 (木) 20:16時点における版]],
210.252.238.235
-- [281] [CITE@ja[「改元」の版間の差分 - Wikipedia]] ([TIME[2019-05-19 16:15:54 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&type=revision&diff=63593099&oldid=62694076>
---
[CSECTION[2017年4月2日 (日) 10:49時点における版]],
[[Inotti twitter]]
-- [283] [CITE@ja[「改元」の版間の差分 - Wikipedia]] ([TIME[2019-05-19 16:15:54 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&type=revision&diff=72211993&oldid=72100299>
--- [CSECTION[2019年4月1日 (月) 03:47時点における版]],
[[Woofu]]
-- [284] 
[CITE@ja[「改元」の版間の差分 - [[Wikipedia]]]] ([TIME[2019-05-19 16:15:54 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&type=revision&diff=72236042&oldid=72230553>
--- [65] 
[CSECTION[2019年4月2日 (火) 23:17時点における版]],
[[Kyuri1449]]
---- [341] [CSECTION[改元の基準点について]],
[[Kyuri1449]],
2019年4月2日 (火) 23:25 (UTC),
[CITE@ja[ノート:[[改元]] - Wikipedia]], [TIME[2020-02-06 11:40:03 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%94%B9%E5%85%83#%E6%94%B9%E5%85%83%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%BA%96%E7%82%B9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6>
-- [387] [CITE@ja[「[[改元]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2020-02-11 23:46:04 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&diff=73075907&oldid=73045317>
---
[CSECTION[2019年6月11日 (火) 17:42時点における版]],
240b:11:1761:8800:c6:24a1:b1dc:862f
-- [388] [CITE@ja[「[[改元]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2020-02-11 23:46:04 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&diff=73075949&oldid=73075925>
--- [CSECTION[2019年6月11日 (火) 17:55時点における版]],
240b:11:1761:8800:c6:24a1:b1dc:862f
-- [389] [CITE@ja[「[[改元]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2020-02-11 23:46:04 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&diff=73075987&oldid=73075949>
--- [CSECTION[2019年6月11日 (火) 18:03時点における版]],
240b:11:1761:8800:c6:24a1:b1dc:862f
- [205] [CITE[中国の伝統と立年称元法]],
[[平㔟隆郎]]
([TIME[2009-07-30 18:25:44 +09:00]])
<http://edo.ioc.u-tokyo.ac.jp/edo2/edo.cgi/_XxHhNZPDy4-X4OO0r6ESXQ.html>
- [216] 
[CITE[宋・太宗の太平興国の改元について]],
[[滝野邦雄]],
[TIME[2010-09-30]]
([TIME[2019-05-19 10:38:57 +09:00]]) <http://repository.center.wakayama-u.ac.jp/ja/62>
- [217] [CITE[即位改元について]],
[[土橋誠]], 
[CITE[京都府埋蔵文化財論集 第6集]]
([TIME[2011-03-08 09:50:04 +09:00]]) <http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu6/18dobashi.pdf>
- [33] [CITE[皇位継承と改元に関する若干の覚書]],
[[七戸克彦]],
ふくおか: 会報. 122, pp.3-6, [TIME[2017-01]]
([TIME[2019-01-24 19:25:57 +09:00]])
<https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1790495/shichinohe_1790495.pdf>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[204] [CITE@ja[陛下退位、18年12月に 政府検討、改元は19年元日:[[朝日新聞]]デジタル]], 
2017年4月12日 1時01分,
[TIME[2020-02-19 13:02:12 +09:00]] <https://www.asahi.com/articles/ASK4C5FGTK4CUTFK00M.html>
]FIGCAPTION]

> 政府は、天皇陛下の退位と皇太子さまの新天皇即位を、2018年12月中に行う方向で検討に入った。19年元日に想定する新元号への改元まで、一定の期間を置く方針だ。即位と改元を19年元日とする案も検討したが、早朝から新年の宮中行事が続くため、元日の即位は難しいと判断した。
>複数の政府関係者が明らかにした。
[SNIP[]]
>政府は、改元を元日にすることで国民生活への影響を最小限に抑える方針だ。一方、「1月1日は皇室にとって極めて重要な日。譲位、即位に関する行事を設定するのは難しい」(宮内庁の西村泰彦次長)との事情があり、即位の翌月に改元する「踰月(ゆげつ)改元」で臨む方向になった。
>
[SNIP[]]
>即位してから改元されるまでの期間は、新天皇の下で「平成」が続く想定だ。官邸関係者は「天皇と元号の『ズレ』は短い方がいい」と指摘。「『生前退位』のメリットを生かし、長すぎず短すぎない期間を置くのがいい」としており、12月中で候補日の絞り込みを進めている。
> 最近の皇位継承では、天皇が逝去した当日や翌日に元号が改められてきた。昭和から平成への改元は、即位翌日に新元号を施行する「踰日(ゆじつ)改元」だった。今回は逝去に伴う皇位継承ではなく、現憲法下では、政府が皇位継承と改元のタイミングを決めることができる初めての例となる。

]FIG]

;; [325] 「政府が皇位継承と改元のタイミング」を決めた現憲法の初例といって and
で結んでいるのでこの命題は正しいが、改元のタイミングは前回決めているので初めてではない
([CITE[朝日新聞]] も報道した通り >>324)。この書き方では誤解を招く。

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[327] 
[CITE@ja[日本への回帰 さまざまな改元の方法 展転社編集長 [[荒岩宏奨]] | [[Yamato Press]]]], 
2018年7月15日,
[TIME[2020-02-19 13:40:13 +09:00]] <https://www.yamatopress.com/contribution/30039/>
]FIGCAPTION]

>明治以降の改元には三通りある。
> 一つめは、立年改元である。これは改元が布告された年の一月一日にまでさかのぼって改元する方法である。明治への改元はこの立年改元であった。 [SNIP[]]
> 二つめは、即日改元である。これは改元が布告された日に改元する方法である。 [SNIP[]] 昭和の改元も、この即日改元であった。
> なお、即日改元していることから「明治四十五年七月三十日」は公式には「大正元年七月三十日」となる。
> 三つめは、踰日(ゆじつ)改元である。元号が布告された翌日に改元する方法で、平成の改元は踰日改元であった。 [SNIP[]] この政令の付則には「この政令は、公布の日の翌日から施行する」とあり、一月八日からが平成となったのである。
> なお、日本には例がないが、布告された月の翌月一日から改元する踰月改元や、布告された年の翌年の一月一日から改元する踰年改元という改元の方法もある。
>[B[新元号の公表時期]]
>来年の御代替わりによって、平成という元号から新たな元号へと変わることになる。今回の改元は即日改元となる。これまでは、崩御の日と践祚の日が同日だったのだが、来年は「御退位」が四月三十日で御即位が五月一日と一日違うので、踰日改元のように感じられるかもしれない。
>[SNIP[]] 政府は改元の約一ヶ月前に新元号を公表しようとしているみたいだが、新元号は天皇御即位後に公表すべきである。 [SNIP[]]

]FIG]

;; [328] 
明記されていないが、内容から推測して [CITE[Wikipedia]] が出典か。
布告と実施の関係で整理しているのは一貫しているところは良いが、
[[令和改元]]が「即日改元となる」と断言しているのは、
筆者の主張通り事前公表が見送られた (少なくても[[政令]]が[[公布]]されなかった) 
場合の話である。
ちなみに「公式には「大正元年七月三十日」となる」根拠も示されていない。



- [219] [CITE[「翌年元日」改元か、それとも「践祚の翌月」改元か ──30年で一変した所功先生「改元論」の不思議]],
[[斎藤吉久]],
[CITE[「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン]] [TIME[2018年10月7日][2018-10-07]]
([TIME[2019-05-19 10:57:46 +09:00]]) <https://saitoyoshihisa.blog.so-net.ne.jp/2018-10-07>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[413] [CITE@JA[朝日カルチャーセンター 新宿教室 「漢字と元号・姓名・地名」]],
[[加藤徹]],
[TIME[2018/10/22月曜][2018-10-22]]
[TIME[2019-03-12 16:36:03 +09:00]] <https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/asahi-culture20181022.html>
]FIGCAPTION]

>在位紀年法…越年称元法と当年称元法があった。前者は前の君主の死去ないし退位後の翌年を元年とするもの、後者は前の君主の死去ないし退位の年から元年とするもの。

>当年改元と越年改元(踰年改元、次年改元)

>即日改元と踰日改元
>明治は「翌々年改元」。大正と昭和は即日改元。平成は諸般の事情で踰日改元。

>ただし中国の「一世一元の制」は基本的に越年改元だが(即位後一ヶ月で死去した明の泰昌帝のケースを除く)、日本の「一世一元の制」は当年改元である。


]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[107] [CITE@ja[[[神戸新聞]]NEXT|全国海外|総合|昭和から平成、改元日は5案]], 
2019/2/10 05:34,
[TIME[2020-02-19 10:26:56 +09:00]] <https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201902/p1_0012053305.shtml>
]FIGCAPTION]

[[共同通信社]]配信記事

>共同通信の情報公開請求に基づいて開示された公文書で明らかになった。逝去当日の改元は混乱を招くとして「翌日改元」を基本としつつ、年末に逝去した場合は翌年の元日に改元する「踰年改元」とすることも選択肢に入れていた。
> 天皇逝去と改元のタイミングについて(1)遡及適用(逝去した年の元日などまでさかのぼる)(2)改元政令の公布時点(即日改元)(3)翌日改元(4)翌月1日改元の「踰月改元」(5)踰年改元―の五つを議論し、(2)か(3)にすると集約した。


]FIG]

- [338] [CITE@ja[新元号:昭和からの改元日5案 逝去前に政府検討 当日午前0時や翌年元日 - [[毎日新聞]]]], 
2019年2月10日,
[TIME[2020-02-19 18:45:51 +09:00]] <https://mainichi.jp/articles/20190210/ddm/001/040/145000c>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[332] [CITE@ja[[[改元日]] - Enpedia]], 
2019-02-11 18:29:19,
[TIME[2020-02-19 06:04:43 +09:00]] <https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E6%94%B9%E5%85%83%E6%97%A5>
]FIGCAPTION]

> [B[改元日]](かいげんび)とは、元号を改める日である。日本では現在は改元政令の施行日と重なる。 [SNIP[]] 元号法では、元号改元の日時については明文化されていない。昭和から平成への改元では、 [SNIP[]] 「翌日改元」が採用された。これは昭和64年1月7日公布の「元号を改める政令」付則に「公布の日の翌日から施行する」と明記されているためである。
>
なお、改元には様々な方法がある。
-    [B[遡及適用]](そきゅうてきよう) - 天皇など君主が崩御した年の元日まで遡って改元されたことにする。
-    [B[即日改元]](そくじつかいげん) - 天皇・君主などが崩御した日に即日改元する。改元政令の公布時点による。
-    [B[翌日改元]](よくじつかいげん) - 天皇・君主が崩御した日の翌日に改元する。
-    [B[踰月改元]](ゆげつかいげん) - 天皇・君主が崩御した月の翌月1日に改元する。
-    [B[踰年改元]](ゆねんかいげん) - 天皇・君主が年末に崩御した場合、翌年の元日から改元する。

]FIG]

;; [333] 
[[共同通信]]記事の翌日であり、これを出典としたものか。
明記されていないが分類法が一致する。
「即日」とは「公布時点」 (≒ 日始遡及) という説明も継承している。


- [115] [CITE@jp[新元号決定、不敬なプロセスが生む「第2の光文事件」]],
[[後藤致人]],
[TIME[2019/04/01][2019-04-01]]
([TIME[2019-04-01 09:27:22 +09:00]])
<https://ironna.jp/article/12265>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[329] [CITE@ja[新しい元号について - だるろぐ]], 
2019-04-02,
[TIME[2020-02-19 14:16:53 +09:00]] <https://blog.daruyanagi.jp/entry/2019/04/02/174210>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]
Twitter では新しい元号を早く発表しないこと、それによってシステムのアップデートが進まないことを批判する声が多く聞かれた。Twitter を使う人は IT エンジニアが多いし、自分もそういう系統の人を多くフォローしているから仕方ないところもあるが、目に余るポジショントークだと思った。
>[SNIP[]]
>そもそも、元号というのはわりと緩い制度だ。古い時代、新しい元号が制定され、それが津々浦々にまでいきわたるには相当の時間がかかったろう。なので、かつては即日改元ではなく、踰年改元(年をまたいで改元すること)、踰月改元が一般的だった。そう思えば、「平成31年」が2019年いっぱいまで使われたからといってどうだというのだろう? 5月1日の改元までに、なにがなんでもシステムの改修を間に合わさなければならないという強迫観念はどこからきたのだろう?
>
かつては元号が決まり、それに合わせてゆるゆると社会が変わっていったのに、今では社会が元号の決定を急いている。そういう逆転現象に自分は強い違和感を感じたし、それを強いる社会やシステムの傲慢さも感じた。なぜ IT システムの都合で元号が左右されなければならない? 互いに譲歩するのはありだと思うが、もともとあまりよくない設計にしておいて一方的な主張だなぁ、とちょっと思っていた。
>
一方で、今回の改元で踰年が十分に議論されなかったのも不思議に思う。そっちの方が伝統(?)に即しているし、「元号を公表して皇太子さまは即位するが、新元号を用いるのは年明けから」という運用の方がなにかと都合がよかったのではないだろうか。そこはエンジニアたちの言い分ももっともだと思う。
[SNIP[]]

]FIG]

;; [330] 「踰月改元が一般的だった」という記述の根拠は不明。
[CITE[Wikipedia]] の記述と整合しないので、別系統の知識だろうか。
「相当の時間がかかったろう。なので、」
の接続はおかしく、
情報伝達のための猶予期間を経て施行されたと筆者が認識しているとも読める。
この点は [CITE[Wikipedia]]
の記述に近い (が、 [CITE[Wikipedia]] は[[支那王朝]]についてそうだと述べているに過ぎないので、
厳密には一致していない)。
その他の事実関係は正しく、ポジショントークに対する主張ももっともだろう。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[391] [CITE@ja[新元号「令和」 自然災害が多いが戦争のなかった「平成」(饒村曜) - 個人 - [[Yahoo!ニュース]]]], 
[[饒村曜]],
[TIME[4/3(水) 5:00][2019-04-03T05:00+09:00]],
[TIME[2020-02-20 16:38:15 +09:00]] <https://web.archive.org/web/20190405112009/https://news.yahoo.co.jp/byline/nyomurayo/20190403-00120470/>
]FIGCAPTION]

>「令和」が閣議決定されたのは4月1日ですが、改元の施行は1か月後の5月1日で、「踰(ゆ)月改元」です。
> しかし、最近では珍しいことです。
> 「平成」は、昭和64年(1989年)1月7日に昭和天皇が崩御すると、7日に閣議決定で改元が決まり、翌日から「平成」となっています。「翌日改元」です。
> これに対し、「大正」と「昭和」は天皇が崩御された日に改元の詔勅がだされ、崩御された日が改元日でした(即日改元)。
> しかし、その前は、改元が布告された年は、1月1日まで遡っての改元でした(図)。 
> 明治元年9月8日(1868年10月23日)の行政官布告では、慶応4年を明治元年とする立年改元でした。 
> 改元が多くの人に伝わるのに時間がかかった「明治」以前、ラジオや新聞などで多くの国民が瞬時に知ることができるようになった「大正」から「昭和」、コンピューターネットワークが広く使われ、改元に伴うプログラム改修等に多くの時間がかかるようになってきた「平成」と「令和」。
> 時代とともに改元に対する考えかたが変わっていることの反映の一つが布告と施行の時間差です。
> 「令和」の次の元号は、プログラム改修に時間がよりかかるようになって踰年改元になるかもしれません。
> あるいは、割りきって立年改元になるかもしれません。 

]FIG]

[NOTE[
[392] 
この内容は [CITE[Wikipedia]] によるものでしょうか。
他には見られない、説明のための図が示されています。

こうして時代順に整理されると[[施行]]が徐々に遅くなっており、
やがて「踰年改元」になるとの分析にも納得させられそうになります。

冷静に考えれば遡及適用するかしないかと情報伝達速度に関係はないので、
[[明治改元]]までの「立年改元」を[[大正改元]]以後と並べても理屈は通りません。

プログラム改修に時間がかかると「踰年改元」になるのはまだしも、
「立年改元」になる「割りき」りは意味不明です。

[393] 
プログラム改修に時間がかかるようになったとの前提も怪しく、
[[平成改元]]後何年も[[昭和]]のままのシステムが残ったのに比べれば、
今回の[[令和改元]]ではほとんど即座に改修が完了していました。
ネットワークとソフトウェア産業の発達で、
システム更新は[[平成改元]]当時より遥かに容易になっていたのが事実でした。
[WEAK[(もっとも[[令和改元]]はこの記事の時点で未到来なので、理解不足は責めにくい。)]]

それが今後ますます時間がかかるようになるとの予測は、
[[平成時代]]30年間の技術の発達を無視し、
情報技術者に学習能力がないと冒涜するようなもので、
根拠を示さずいうべきものではないでしょう。
]NOTE]

- [220] [CITE@ja[site:https://zh.wikisource.org/wiki/ 踰年 - Google 検索]] ([TIME[2019-05-20 13:21:13 +09:00]]) <https://www.google.com/search?q=site%3Ahttps%3A%2F%2Fzh.wikisource.org%2Fwiki%2F+%E8%B8%B0%E5%B9%B4>
- [1181] [CITE[[[秘録 退位改元 官邸 VS. 宮内庁の攻防1000日]]]]
- [299] [CITE@ja[(1) 踰月改元 - Twitter検索 / [[Twitter]]]], [TIME[2020-02-19 11:14:00 +09:00]] <https://twitter.com/search?q=%E8%B8%B0%E6%9C%88%E6%94%B9%E5%85%83&src=typed_query&f=live>
]REFS]



[517] 
[CITE[[[十六国夏の年号について]]]]
PDF p.7

[557] [CITE@ja[古事記に親しむ改 皇紀(BC660年)は讖緯説に基づいてない【第二部】斉桓公と箕子朝鮮]], [[浅草橋キッド]], [TIME[2023-01-19T06:01:14.000Z]], [TIME[2023-01-19T06:06:40.337Z]] <https://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-238.html>

>[SNIP[]]治世年次の表記には「エジプト式紀年法」と「メソポタミア式紀年法」があり、エジプト式の方はアンチデートシステム(antedate (時前)system)ともいい、中国では「立年称元」(または当年称元)という。メソポタミア式はポストデートシステム(postdate (時後)system)ともいい、中国では「踰年称元」(または越年称元)といっている。エジプト式は即位したその年を「元年」として治世の年次を数えていくやり方だが、メソポタミア式は即位した年ではなく、翌年を元年とするもので、先王と新王の年次のダブリが生まれないようになっている。
>[SNIP[]]


[563] [CITE[呪文?「歳舍柔兆涒灘」―和漢古書の出版事項(12) (TRC データ部ログ)]], [TIME[2023-02-27T13:58:57.000Z]] <http://datablog.trc.co.jp/2016/08/29162209.html>

>[SNIP[]]なお、日本では年内でも即日に改元するので一年のうちに二つの年号があることはよくありますが、中国では「踰年(ゆねん)改元」といって、代替わりがあった翌年の正月に改元しますので、そうしたことは基本的にありません。

[578] [CITE@ja[「原左氏傳」と清華簡「繫年」における卽世と卽位 ─「春秋經」の正月卽位法の再検討に及ぶ ─]], [[NetCommons]], [TIME[2017-06-30]], [TIME[2021-09-17]], [TIME[2023-05-07T01:54:00.000Z]] <https://tohoku.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=33&block_id=46&item_id=135390&item_no=1>


- [608] [CITE@ja[Xユーザーの山田邦和さん: 「⇨すみません。上で「鎌倉幕府の成立は寿永3年・・」と書きましたが、寿永3年は4月16日に元暦に改元されました。前近代においては改元されるとその年の元旦に遡って新年号が適用される「立年改元」を原則としております。したがって、「鎌倉幕府の成立は元暦元年(1184)1月20日」と修正です。」 / X]], [TIME[午後9:06 · 2024年1月20日][2024-01-20T12:06:47.000Z]], [TIME[2024-01-22T03:13:33.000Z]] <https://twitter.com/fzk06736/status/1748678455275786440>
-- [609] [CITE@ja[Xユーザーのrose history templeさん: 「@fzk06736 ということは,1207年2月に法然や親鸞が配流された「建永の法難」は10月に承元に改元されているのでさかのぼって「承元の法難」と言うべきなんですね。 ネットで調べると「建永の法難」「承元の法難」「承元の法難(建永の法難)」の3つがあり,仏教史の本には「建永の法難」が多い印象でした。」 / X]], [TIME[午後9:22 · 2024年1月20日][2024-01-20T12:22:17.000Z]], [TIME[2024-01-22T03:13:33.000Z]] <https://twitter.com/rosehistory2022/status/1748682358604407119>
-- [610] [CITE@ja[Xユーザーの山田邦和さん: 「@rosehistory2022 (修正) おっしゃる通りこれは難しいのですね。事件名まで立年改元原則を貫徹するべきかどうか。例えば「文禄の大地震」なのか「慶長の大地震」なのか(後者が多い)。「安元の大火」なのか「治承の大火」なのか(前者が多い)。矛盾といえば矛盾なのですが、これは慣例にしたがうほかないかなぁと。」 / X]], [TIME[午後10:01 · 2024年1月20日][2024-01-20T13:01:01.000Z]], [TIME[2024-01-22T03:13:33.000Z]] <https://twitter.com/fzk06736/status/1748692105248260581>


[611] >>608 このアカウントは大学教授を称していますが、[CITE[ウィキペディア]]のような解説をしています。






* 改元の手続き

[SEE[ 元号選定、各種儀式、法的措置などについては[[改元手続き]] ]]

* 改元日の一覧

[SEE[ 元号、改元日、読み方などの一覧表や換算ソフトウェアの実装状況などは[[元号一覧]] ]]

* メモ


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[592] [CITE@ja-jp[元号の改元日の境界処理]]
([[中博俊]]著, [TIME[2016-06-26 01:40:26 +09:00]])
<http://blogs.wankuma.com/ognac/archive/2008/07/30/150960.aspx>
]FIGCAPTION]

> DateTime.ParseExact(r, "ggy年M月d日", culture); で和暦の整合性をチェックできます。
> 昭和65年1月1日はNG...昭和の終了年超は押さえているようです。
> 昭和64年12月31日はOK...改元日は押さえてないのか。
> 平成1年1月1日 はOK.....改元日は押さえてないのか。
> 昭和1年1月1日はOK......改元日は押さえてないのか。
> 明治1年1月1日はNG......?なんでNG?
> 明治1年10月1日はOK.....?なんでOK?
> 境界点は明治1年9月8日でしてた。 この日は、明治に改元された日です。 なんで、明治だけ、改元日が考慮されているの?
> しかし、コンピュータ上はの9月8日は太陽暦で処理されている。  明治1年9月8日改元は旧暦で行われているので、一致しません。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[593] [CITE@ja[JavaSE6 和暦の昭和の改元日が違う!? - Java Solution - @IT]]
([TIME[2016-06-26 01:43:49 +09:00]])
<http://www.atmarkit.co.jp/bbs/phpBB/viewtopic.php?topic=35637&forum=12&6>
]FIGCAPTION]

> また、元号法の審議の際の政府委員の答弁 
> ( http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/087/1020/08705241020009c.html の後半部分) 
> によると、 
> ・理論的な考え方は崩御の時刻によって分けるという見解だった 
> ・しかし、世の中の実際の実務として、役所の出生届等の受理については、 
>  大正と昭和のどちらの日付でも受理されていた。 
> と言うのが実態のようです。

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[267] [CITE[【太陽暦】暦について語るスレッドpart7【太陰暦】]]
( ([TIME[2015-03-01 12:00:00 +09:00]]))
<http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sky/1429294131/675>
]FIGCAPTION]

> 平成になってもしばらくは昭和に換算した人がいたくらいだし。 
> (例えば平成3年を昭和に換算して昭和66年と理解していた人もいたほど) 
> その段階では定着度が昭和>西暦>平成でカレンダーもしばらく昭和併記したくらいだからなあ…。 
> (平成1桁のカレンダーにはその手のが結構あった) 

]FIG]




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[385] [CITE[Mule Software - 改暦のはざまで]]
([TIME[2015-03-14 09:30:33 +09:00]])
<http://hp.vector.co.jp/authors/VA004777/strn/1501.html>
]FIGCAPTION]

> 別のシステムでは、担当プログラマーが1989年1月7日までは昭和表記、1月8日以降は平成表記をするべきだと勝手に決めつけて苦しんでいた.年・月・日を個別に比較するロジックを何十本ものプログラムに組み込むため、テストに膨大な時間が必要となるからだ.
> 業務内容によってはそんな必要はなく、1989年は元日から平成表記で構わない場合も多い.そうすれば「年」の比較だけで済み、格段に楽になる.実際、多くの企業が昭和64年は存在しないものとみなして仕事をしていたように思う.

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[394] [CITE@ja[[[禁中並公家諸法度]] - Wikipedia]]
([TIME[2018-01-26 08:21:56 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E4%B8%AD%E4%B8%A6%E5%85%AC%E5%AE%B6%E8%AB%B8%E6%B3%95%E5%BA%A6>
]FIGCAPTION]

> 実際にはこの法度の発布される4日前の7月13日に「慶長」から「元和」に改元されているが、現存する法度の写本は「慶長廿年七月」の日付が記載されている。まさにこの改元において、当法度第8条に規定されている改元権を巡り、朝幕間で諍いがあった。

]FIG]




[12] [CITE@ja[元号の変わり目(1) - 略本雑記]]
([TIME[2018-12-16 15:36:24 +09:00]])
<https://hakuriku.hatenablog.com/entry/20070716/GengoEd2_1>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[42] [CITE[神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 : 東京時事新報 1912.8.7 (大正1)]]
([TIME[2019-02-08 12:16:33 +09:00]])
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00765906&TYPE=HTML_FILE&TRUE_TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA&AID=6&HISTORY=null>
]FIGCAPTION]

> 改元と小切手
> 東京組合銀行の申合せ

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[43] [CITE[神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 : 大阪毎日新聞 1912.8.2 (大正1)]]
([TIME[2019-02-08 12:17:33 +09:00]])
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00765905&TYPE=HTML_FILE&TRUE_TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA&AID=6&HISTORY=null>
]FIGCAPTION]

> 改元と手形交換

]FIG]

[655] [CITE@ja[法令の条文中に未来の日付が記述されているものがあるが、改元された場合、どのような取扱いになるのか知り... | レファレンス協同データベース]]
([[国立国会図書館]]著, [TIME[2018-05-12 16:48:34 +09:00]])
<http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000232427>



[36] [CITE@ja[本邦における被害地震の日本暦について]]
([TIME[2019-02-12 21:07:22 +09:00]])
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/22/3/22_3_253/_article/-char/ja/>




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[203] [CITE@ja[改元と暮らしのトラブル 詐欺や遺言…注意は怠りなく|マネー研究所|NIKKEI STYLE]]
([[日本経済新聞社・日経BP社]]著, [TIME[2019-05-03 12:14:35 +09:00]])
<https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44045770S9A420C1PPD001?channel=DF280120166591&style=1&n_cid=DSTPCS001&page=2>
]FIGCAPTION]

> 法律の専門家である公証人が作成する「公正証書遺言」と違い、「自筆証書遺言」は本人が作成する。自筆証書遺言の場合、相続時には家庭裁判所が相続人を集めて遺言の状態を確定する。この「検認」の件数は17年に1万7千件を超えた(グラフB)。
> 注意したいのは過去に書いた遺言を何らかの理由で修正する場合だ。署名・なつ印などをすれば上書きも有効だが、元の記載が平成だからといって、つい「平成32年」などと書くのは避けたい。
> 日付を記載するのは、遺言者がその能力を当日有していたことを確定させるのが目的の一つ。改元後かなりの時間が経過したにもかかわらず旧元号を書いていると、「真実の作成日や遺言者の遺言能力について疑義を生じさせかねない」(法務省)。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[167] [CITE@ja[明治5年12月3日(太陰暦)旧暦と明治6年1月1日(太陽暦)は同じ日である。この改暦について太政官布... | レファレンス協同データベース]]
([[国立国会図書館]]著, [TIME[2019-05-05 10:10:44 +09:00]])
<http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000212032>
]FIGCAPTION]

> 『明治改暦 「時」の文明開化』(岡田芳朗著 大修館書店 1994)
>  p59‐69「「明治」改元‐一世一元制の採用」
> [SNIP[]]
>  「(中略)この詔書も覆奏は九月十二日となり、この日に天応裁可の御畫が記されている。したがって、改元は九月八日とされているが、実際に一般に公布通達されたのは十二日以降のこと思われる。改元と「御一代一号」を知らせた次の行政官布告には九月とだけあって日付がない。
> [SNIP[]]
> 改元の布告は全国に伝達されたが、外国の使節団には神奈川府知事東久世通禧によって、次のように通告された。手紙を以て啓上候、然ば、今般我国年号を明治と改元之あり、以来一代一号と相定め候趣、此段御意を得べく、此の如くに御座候以上 九月十八日  東久世中将 各国公使閣下

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[168] [CITE@ja[吉書 - Wikipedia]]
([TIME[2019-04-20 18:26:56 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9B%B8>
]FIGCAPTION]

> 改元が実施された際には、朝廷より将軍・管領の下への改元詔書の到達を受けて、将軍の吉書始と管領の沙汰始が実施されることで初めて武家における新元号の使用が開始されるものとされ、公武両者の齟齬を避けるために武家側での新元号の開始まで公家の室町殿(花の御所)への参上が控えられた。だが、何かの事情で詔書の到着が遅れたり、将軍や管領が病気などによって吉書始や沙汰始が行えない場合には公武の改元の実施に時間差が生じる場合もあった'''['''1''']'''。

]FIG]


[169] [CITE[改元をめぐる制度と歴史(短報)]]
([TIME[2019-05-05 10:34:04 +09:00]])
<http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11126513_po_081105.pdf?contentNo=1>



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[292] [CITE@ja[改元方法はいろいろ | musicbox]]
([TIME[2019-05-24 22:28:21 +09:00]])
<https://kumico1214foryou.wixsite.com/musicbox/single-post/2017/12/19/%E6%94%B9%E5%85%83%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%84%E3%82%8D>
]FIGCAPTION]

> 本人確認法が施行されたころ、「大正15年12月25日」が生年月日と記載されてる確認書類で対応したことがあった。翌日、対応部署から「大正はその前日までではないのか?」と連絡がきて、さて、どうしたものかと色々調べまくったことを覚えている。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[296] [CITE@ja[4/4 Java 6で和暦を使う '''['''Javaプログラミング''']''' All About]]
(掌田 津耶乃 更新日:2007年03月01日 [TIME[2019-05-25 09:51:26 +09:00]])
<https://allabout.co.jp/gm/gc/80621/4/>
]FIGCAPTION]

> 昭和への切り替わりについては、どうもバグのように思えてしまいますが……。いろいろ調べてみたところ、大正15年12月25日という日は、「改元の詔書」によると存在することになっているようです。要するに、この年の12月25日は、「大正15年」としても「昭和元年」としても誤りではないようです。(同様に、1912年7月30日も、「明治45年」と「大正元年」の両方が存在するようです)
> ただ、コンピュータの世界では「どっちでもOK」というのは少々困ります。世間では昭和は12月25日から始まるというのが一般的な認識ですから、これはバグといってよいのではないでしょうか。Sun Microsystemsの正式な見解を伺いたいところですね。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[38] [CITE@ja[和暦から西暦変換(年月日) - 高精度計算サイト]]
([TIME[2019-05-27 21:29:29 +09:00]])
<https://keisan.casio.jp/exec/system/1239884730>
]FIGCAPTION]

> 明治までの改元は布告された年の元日に遡って新元号の元年としています。(立年改元) 
>  ※改元の変わり目の年には、両方を併記しております。(例:元和10年/寛永元年)

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[44] [CITE@ja[暦の会に寄する──会員の呟き]]
(渡邉治美(暦の会会員) [TIME[2014-07-20 20:07:32 +09:00]])
<http://www1.cts.ne.jp/~koyomi/kikou4.html>
]FIGCAPTION]

> 丑若(うしわか)さんと云う叔父(おじ)さんがいるね。今、北支で軍務中の兵隊さんだが、大正二年丑歳(うしどし)の生まれなのに、自分は、明治四(シ)十六年生まれと云う。

]FIG]


[47] [CITE@ja-JP[安政大地震、実は嘉永大地震 :嘉永7年11月4日'''['''1854/12/23(土曜)''']''']]
([TIME[2019-06-14 21:55:09 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20160326085631/http://chokanji.international-cooking.info/gengo/ansei.html>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[69] [CITE@ja[大正 - Qnewニュース辞典]]
([[Qnewニュース編集部]]著, [TIME[2019-07-25 10:16:57 +09:00]])
<https://qnew-news.net/news/word/so/taisyo.html>
]FIGCAPTION]

> 同日、改元の詔書が公布され、元号が明治から「大正」に改元されました。
> 即日改元のため、明治最後の日「明治45年7月30日」は存在しない日になり、同日は「大正元年7月30日」となりました。
> なお、消えた明治45年7月30日ですが、公文書(改元の詔書)などにも残っており、そのため混乱が生じ、現在(平成以降)の改元では、翌日改元(布告の翌日から新元号)が採用されています。
> [SNIP[]]   
> なお、このときも即日改元となり、大正最後の日「大正15年12月25日」は存在しない日になり、同日は「昭和元年12月25日」となりました。
> 次の昭和から平成への改元では、翌日改元が採用され、昭和天皇が崩御した昭和最後の日(昭和64年1月7日)は存在し、翌日から平成に改元されました。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[86] [CITE@ja[「Java SE 6完全攻略」第51回 和暦への対応 その1 | 日経 xTECH(クロステック)]]
([[日経 xTECH(クロステック)]]著, [TIME[2019-09-04 19:37:00 +09:00]])
<https://tech.nikkeibp.co.jp/it/article/COLUMN/20071102/286289/>
]FIGCAPTION]

> 大正天皇が崩御なされたのは1926年12月25日ですが、昭和への改元は崩御なされた12月25日からという場合と、次の日である12月26日からという場合の両方が使用されています。12月25日を改元日とする場合が一般的なようですが、12月26日でも間違いではないのだそうです。
> どちらも間違いではないというところが、コンピュータで扱いにくいところですね。
> ちなみにSunのJava SE 6u2からは1926年12月25日が昭和の改元日になっています。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[87] [CITE@ja[Java で和暦 - Aufheben - GLAD!! の日記]]
([TIME[2019-09-04 19:39:45 +09:00]])
<https://aufheben.hatenadiary.com/entry/20080705/1215261824>
]FIGCAPTION]

> 明治までは改元されると年始まで遡って適用される (即年改元)。
> 旧暦の 1868/09/08 (グレゴリオ暦では、1868-10-23) に、明治改元の詔が出されたが、1868/01/01 (グレゴリオ暦では、1868-01-25) から明治元年となる。
> 1868/01/01 から 1868/09/08 は慶応4年でもあり、明治元年でもある。
> 1873-01-01 から現在の暦 (グレゴリオ暦) が採用された。
> 大正、昭和は天皇が亡くなられたその日に改元され、その日の最初に遡って適用される (即日改元) 。
> 1912-07-30 は明治45年でもあり、大正元年でもある。
> 1926-12-25 は大正15年でもあり、昭和元年でもある。
> 平成以降は天皇が亡くなられた次の日に改元される (踰日改元)。
> 1989-01-07 までは昭和64年。
> 1989-01-08 から平成元年。

]FIG]




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[89] [CITE[コード内容説明表]]
([TIME[2019-09-13 16:33:04 +09:00]])
<https://www.jpo.go.jp/system/laws/sesaku/data/keikajoho/document/keikajoho-20190910/4-08.pdf>
]FIGCAPTION]

> ※平成から令和への元号の切り替えについて
> 公開番号、公表番号は 2019 年 5 月 1 日を切り替え境界とする。(発行日が 2019 年 4 月 30 日以前の番号は平成で設定、2019
> 年 5 月 1 日以降の番号は令和で設定)
> 公開番号、公表番号以外で、元号コードを含む番号は 2020 年 1 月 1 日を切り替え境界とする。(年部が 2019 以前の番号は平成
> で設定、2020 以降の番号は令和で設定)

]FIG]





[9] [CITE@ja[ノート:令和/過去ログ1 - Wikipedia]]
([TIME[2019-10-02 11:35:50 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%BB%A4%E5%92%8C/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%83%AD%E3%82%B01#%E6%94%B9%E5%85%83%E3%81%AE%E9%9A%9B%E3%81%AE%E6%99%82%E5%88%BB%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[102] [CITE@ja[瀬戸内海国立公園|一般財団法人セブン-イレブン記念財団]]
([TIME[2014-07-23 15:21:47 +09:00]])
<http://www.7midori.org/lets/park/setonaikai2/01.html>
]FIGCAPTION]

> 1934年(昭和9年)に、阿寒など7つの国立公園と共に日本で初めて国立公園に指定されました。人文景観もすばらしく、1996年(昭和71年)にユネスコの世界文化遺産に指定された広島県厳島神社は、日本3景の一つとして広く知られています。

]FIG]

[103] なぜ昭和なのかまったくわからない。真面目なサイトなようだし。
検索してもこのサイト以外にこういう記述はないし。

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[104] [CITE[八重瀬町低所得の高齢者向けの年金生活者等支援臨時福祉給付金支給事業実施要綱]]
(平成28年5月2日告示第9号)
改正 令和元年5月29日告示第21号
([TIME[2019-05-30 00:03:02 +09:00]])
<https://www.town.yaese.lg.jp/reiki/act/content/content130005970_1.htm>
]FIGCAPTION]

> 地方公務員等共済組合法(昭和73年法律第152号)

]FIG]

;; [105] 正しくは昭和三十七年法律第百五十二号。
[[延長年号]]に見えてただの誤記。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[132] [CITE[古事類苑]]
([CSECTION[歳時部四]], [CSECTION[年號下]], [CSECTION[改元式]], 第 1 巻 287 頁, [TIME[2011-10-22 21:37:34 +09:00]])
<http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f000287.html>
]FIGCAPTION]

> 〔僞年號考〕
> [SNIP[]] 正長二年改めて永享とす、鎌倉これを用ひず、正長の號を行ふ事三年にして、後に永享に從ふ、〈神明鏡に出たり〉

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[142] [CITE@ja[架空の日付 - Wikipedia]]
([TIME[2019-10-30 01:37:32 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E3%81%AE%E6%97%A5%E4%BB%98>
]FIGCAPTION]

> 日本においては運転免許証の有効期限などのように未来の(元号が確定されていない)日付であるにもかかわらず現在の元号が適用され、結果として「架空の日付」が発生し得る。

]FIG]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[160] [CITE@ja[平成は31年で終わるので、今年車検を受けた車輌の書類や検査... - Yahoo!知恵袋]]
([TIME[2019-11-13 12:47:25 +09:00]])
<https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10187208620>
]FIGCAPTION]

> 平成は31年で終わるので、今年車検を受けた車輌の書類や検査標章が『32年⚪月⚪日』と表記されるのはおかしいと思います。
> どうなるのか楽しみに待ちたいのですが、昭和が終わった頃、つまり平成元年には既に印刷済みの『昭和64年、65年』の標章を堂々と貼っていたような気がします。
> 特に点検ステッカーの場合、数字の『64』の部分を上から強引に『1』の余剰シールを再利用させて貼っていたりしてましたね。点検ステッカーは、当該標示数字月以外の剥離紙は捨てるので、『1』『2』など必要な数字だけ器用に丸い形に合わせて切り取って貼っている車両を覚えています。

]FIG]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[196] [CITE@ja[【日本語メモ】元号切り替えは要注意 - 産経ニュース]]
(2019.11.17 06:00 [[SANKEI DIGITAL INC.]]著, [TIME[2019-11-17 13:45:52 +09:00]])
<https://www.sankei.com/premium/news/191117/prm1911170002-n1.html>
]FIGCAPTION]

> 元号切り替えは間違いが起こりやすい要注意ポイントなのです。
> (1)哀訴状は明治元(1868)年3月7日に届いた。
> [SNIP[]] ただし、新聞紙面では、統計などで「平成31年4月から令和元年6月まで」といった期間を表す際に、「令和元年4月から6月まで」とみなすことを認めています。
> (正解例)哀訴状は慶応4(1868)年3月7日に届いた。

]FIG]






[317] [CITE@ja[JavaSE6 和暦の昭和の改元日が違う!? - Java Solution - @IT]]
( ([TIME[2014-05-15 09:53:21 +09:00]] 版))
<http://www.atmarkit.co.jp/bbs/phpBB/viewtopic.php?topic=35637&forum=12>



[322] [CITE@ja[たかなし@原稿中/3月忍FES O11bさんはTwitterを使っています 「平成と令和の切り替えがキリがよかったので、私も令和○年を平成換算して考える大人になりそう 親世代がずっと平成○年を昭和…って言いながら時間の経過を計算してたよね…」 / Twitter]]
([TIME[2020-02-18 11:39:09 +09:00]])
<https://twitter.com/takanashi_nin/status/1212555415579324417>


[406] 
[[延長年号]]すこすこ民の気持ちは[[残塁マニア]]と似ている?

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[414] ([TIME[2019-08-03 13:46:17 +09:00]])
<http://www14.plala.or.jp/nikorobin/komonjyo.html>
]FIGCAPTION]

> >文化十五年三月
> 文化十五年三月:文化年間は1804年から1817年であって文化15年は存在しない。翌文政元年への改元は1818年2月5日であるから文化から文政への改元の知らせが届くのが遅れていた可能性がある。

]FIG]




[416] [CITE@ja[衆法 第198回国会 6 天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行の日の翌日以後における平成の元号を用いた法律の表記の取扱い等に関する法律案]]
([TIME[2020-06-22 09:09:51 +09:00]])
<http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/g19805006.htm>

[417] [CITE@ja[衆法 第198回国会 6 天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行の日の翌日以後における平成の元号を用いた法律の表記の取扱い等に関する法律案]]
([TIME[2020-06-22 09:09:51 +09:00]])
<http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DCE512.htm>

[418] [CITE@ja[衆法 第198回国会 6 天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行の日の翌日以後における平成の元号を用いた法律の表記の取扱い等に関する法律案]]
([TIME[2020-06-22 09:09:51 +09:00]])
<http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DCDB8A.htm>

[419] [CITE@ja[衆法 第198回国会 6 天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行の日の翌日以後における平成の元号を用いた法律の表記の取扱い等に関する法律案]]
([TIME[2020-06-22 09:08:10 +09:00]])
<http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DCD532.htm>

[420] [CITE@ja[衆法 第198回国会 6 天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行の日の翌日以後における平成の元号を用いた法律の表記の取扱い等に関する法律案]]
([TIME[2020-06-22 09:08:10 +09:00]])
<http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DCCD26.htm>



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[421]  [CITE@ja[暦応 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-11 23:13:15 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6%E5%BF%9C>
]FIGCAPTION]

> なお、江戸時代に柳原紀光が書いた歴史書『続史愚抄』によれば、「暦応」改元の決定を朝廷が室町幕府に伝えなかったために、足利尊氏ら室町幕府の人々が改元の事実を知ったのは9月4日のことであったという。このことは、洞院実夏の『実夏公記』暦応元年8月28日条からも裏付けられる。もっとも、以後においても改元詔書到達後に幕府側の施行手続であった室町殿(将軍)の吉書始と管領の沙汰始が諸般の事情で速やかに行い得ない場合には公武間にて新旧別元号が用いられる場合もあった'''['''1''']'''。

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[422] [CITE@ja[平成 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-12 11:41:53 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90>
]FIGCAPTION]

> 大正と昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサを初めとするOAに伴うプログラム等の変更を行うためと報道された。

]FIG]




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[646] [CITE@ja[五箇条の御誓文 - Wikipedia]]
([TIME[2016-12-14 00:22:32 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%AE%87%E6%9D%A1%E3%81%AE%E5%BE%A1%E8%AA%93%E6%96%87>
]FIGCAPTION]

> 奉答書の日付が「慶応四年」となっているが、後の明治改元により慶応四年は1月1日に遡って明治元年に改められた(大正以降の改元とは異なるので要注意)。よって正式には「慶応四年」は「明治元年」に読みかえる'''['''要出典''']'''。

]FIG]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[423] ([TIME[2016-04-06 16:49:32 +09:00]])
<https://www.postalmuseum.jp/publication/research/research_07_03.pdf#page=11>
]FIGCAPTION]

> 渡辺襄家文書複製資料1110。表紙に「辛卯文政十四年正月吉日」とあるが、すでに天保と改元されている。

]FIG]


[88] [CITE@ja[Ruru いつもいつでもいつだって秀樹さんはTwitterを使っています 「@kururu31255862 @hy8tvNMgYefEgki @chiki25530442 @ameba_official 私も、いまだに昭和なら95年とか考えてますよ〜😂カレンダーにも、令和2年、平成32年、昭和95年と印刷されている物も😂平成までは、大正時代まで書いてありましたね。😂自分の歳数えるのに便利かな❓🤔西暦で分かるけど、何となく拘ってしまって🤣」 / Twitter]]
(午前11:35 · 2020年5月28日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T02:16:23.000Z]])
<https://twitter.com/Ruru28252160/status/1265833959398621184>

[428] [CITE@ja[Ruru いつもいつでもいつだって秀樹さんはTwitterを使っています 「@hy8tvNMgYefEgki @kururu31255862 @chiki25530442 @ameba_official 証拠写真📷😎 https://t.co/4PYYHMI2kx」 / Twitter]]
(午後3:46 · 2020年5月28日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T02:35:46.000Z]])
<https://twitter.com/Ruru28252160/status/1265897189563174913>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[429] ([TIME[2020-09-02T04:44:53.000Z]])
<https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/12/12884/10005_1_%E6%B5%B7%E8%94%B5%E5%BA%B5%E6%9D%BF%E7%A2%91%E7%BE%A4.pdf#page=81>
]FIGCAPTION]

> 註16 これらの板碑が被供養者死亡時、あるいは石組構築時に一度に製作されたものではないことは明らかである。
> 「妙幸上座」の場合、死亡時に製作されだとすると、次の年号の貞治や応安を知ることができないし、石組構
> 築時に製作されたとすると、康安3年という実在しない年号(康安は2年9月23日に貞治と改元)は使用しないと
> 思われる。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[430] [CITE[元号対応に関するまとめ - Qiita]]
([TIME[2020-10-23T04:07:42.000Z]])
<https://qiita.com/tfukumori/items/1dc60eb473eff5efb994#65-%E5%85%B1%E9%80%9A>
]FIGCAPTION]

> 19261224を使用している(昭和開始日)
> 19890107を使用している(平成開始日)

]FIG]


[431] この日付は誤り。正しくは前元号の終了日。
この解説記事だけが誤っているのか、それとも誤ったシステムも実在しているのか。


[432] [CITE@ja[西暦1926年12月25日は、大正天皇が崩御された日ですが、即日改... - Yahoo!知恵袋]]
([[Yahoo! JAPAN]], [TIME[2020-10-23T04:29:37.000Z]])
<https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13133911993>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[433] [CITE@ja[平成Ruby会議01にフードスポンサーとして参加しました - マチマチ技術ブログ]]
([TIME[2020-11-22T07:57:30.000Z]])
<https://tech.machimachi.com/entry/2019/12/17/170738>
]FIGCAPTION]

>  マチマチにJoinして2ヶ月の[DEL[昭和63年]]平成0年生まれのエンジニア*1 @nappan23 です。

]FIG]


[434] [CITE@ja[平成0年問題/総合雑学 鵺帝国]]
([TIME[2020-09-06T08:06:24.000Z]], [TIME[2020-11-22T08:01:38.136Z]])
<https://nue2004.info/knowledge/knowledge108.htm>

[435] [CITE@ja[法律案等審査経過概要 第202回国会 天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行の日の翌日以後における平成の元号を用いた法律の表記の取扱い等に関する法律案(大島敦君外6名提出、第198回国会衆法第6号)]]
([TIME[2020-11-26T08:33:33.000Z]], [TIME[2020-11-27T06:04:01.984Z]])
<http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_iinkai.nsf/html/gianrireki/202_198_shuho_6.htm>

[436] [CITE@ja[衆法 第198回国会 6 天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行の日の翌日以後における平成の元号を用いた法律の表記の取扱い等に関する法律案]]
([TIME[2020-11-27T00:35:07.000Z]], [TIME[2020-11-27T06:05:17.653Z]])
<http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DD05D2.htm>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[437] [CITE@ja[永禄1年(弘治4年)~元和1年(慶長20年)年表つくりました - 日本中近世史史料講読で可をとろう]]
([TIME[2020-12-10T05:23:20.000Z]])
<https://japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com/entry/20201209/1607495072>
]FIGCAPTION]

> 「大日本史料総合データベース」よりコピペして年表をつくりました。ただし、和暦年号は改元年の元日に遡及せず、同時代の表現に改めました。
>  
> 某大河ドラマではまだ嘉永7年なのに「安政元年」との日付のある文書を出してしまう大チョンボをやらかしましたが、そういった勘違いを防ぐ意味もあると思います。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[438] [CITE@ja[改元月日を認識することのむずかしさ - 日本中近世史史料講読で可をとろう]]
([TIME[2020-12-10T05:33:30.000Z]])
<https://japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com/entry/20190104/1546571247>
]FIGCAPTION]

> 上の写真は大河ドラマのひとこまであるが、初歩的な誤りを犯していることにお気づきだろうか。

]FIG]


[320] ([TIME[2015-08-24T03:31:52.000Z]], [TIME[2021-02-28T09:34:53.972Z]])
<http://www.zuikouji01.sakura.ne.jp/monngo/sinnrann/02nennpu/nennpu0730/1207/hounan02/01kakehasi/01kakehasi.pdf>

[616] 
[CITE@ja[古い陶器の箱書きに「天保16年乙巳年」と記して有りましたが、... - Yahoo!知恵袋]]
([[Yahoo! JAPAN]], [TIME[2021-03-19T01:49:32.000Z]])
<https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1065722130>

[441] [CITE[服部英雄のホームページ]]
([TIME[2016-03-10T15:29:11.000Z]], [TIME[2021-04-15T06:30:40.082Z]])
<https://isgs.kyushu-u.ac.jp/~hatt//gyohihan.html>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[445] [CITE@ja[元号一覧 (中国) - Wikipedia]]
([TIME[2021-04-23T20:33:51.000Z]], [TIME[2021-04-29T04:47:06.446Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)>
]FIGCAPTION]

> なお歴史書の紀年では、年内途中で改元された場合、その年はすべて新しい元号に従っている。しかし、ここではその元号が使用された年までを記載した。また中国の暦は太陰太陽暦であり、12月はユリウス暦に換算すると、翌年の1月・2月になるが、ここでは翌年までは含めていない。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[446] 
[CITE@zh-TW[[[國立臺灣圖書館]] ─ 中國/日本年號相關的幾個問題]], 
張貼日期:2019/12/18,
[TIME[2021-04-29T09:55:27.000Z]] <https://www.ntl.edu.tw/fp.asp?fpage=cp&xItem=69746&ctNode=1756&mp=1>
]FIGCAPTION]

> 四.日本明治時期的結束日期是1912-07-29還是1912-07-30?是否有較權威的文獻可以參考?
> 答:日本明治天皇於1912年7月30日死亡,當日大正天皇即位,隨即改元大正。故明治於7月30日結束,同日大正開始。(請自行至國立日本公文書館檢索改元詔令)
> 五.日本是否為新天皇繼位即換年號?是否有相關文獻可以參考?
> 答:中國要隔年才改元,日本則是新天皇繼位隨即改元。請自行參見日本國立公文書館檢索改元詔令與內閣閣令。(臺灣日日新報亦有大正改元、昭和改元新聞)

]FIG]


[449] [CITE@ja[ノート:元号一覧 (日本) - Wikipedia]]
([TIME[2021-05-19T17:40:38.000Z]], [TIME[2021-06-02T06:10:06.067Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%3A%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[489] [CITE@ja[厳島合戦の年号について hikogの歴録]]
([TIME[2021-07-07T13:55:58.000Z]])
<http://tanamori.blog.shinobi.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E5%90%88%E6%88%A6%E3%81%AE%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6>
]FIGCAPTION]

> 安芸の国の毛利元就と陶晴賢の「厳島合戦」は弘治元年10月1日と弘治元年と錯誤されてきましたが、弘治に改元されたのは天文24年10月23日です。

]FIG]


[490] [CITE@ja[きこさんはTwitterを使っています 「@akaiosorani 違う暦を使用していたケースも。確か足利義氏や佐竹義重が「元亀五年」の判物を発給しています。佐竹氏は鹿島暦を使用。義氏は北条氏との関係を考えると三島暦でしょうが、北条氏には「元亀五年」なる年記はなく、政治的な、もしくは私年号に近いケースかと思われます。」 / Twitter]]
(午前3:08 · 2012年12月31日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-07-14T07:22:04.000Z]])
<https://twitter.com/quiqueaux/status/285447264971923458>

[384] [CITE@ja-JP[防災情報、地震災害情報のトップニュース|[[防災情報新聞]]]], [TIME[2021-08-27T06:59:44.000Z]] <http://www.bosaijoho.jp/topnews/item_5820.html>

>3.本文中の年月日は太陽暦(グレゴリオ暦)を使用、かっこ内の年月日は太陰暦=その時代の年号と暦日。なお、太陽暦の使用開始は1872年(明治5年)12月3日からで、この日が明治6年1月1日になりました。
>4.年号の適用は、明治改元の時に定められた「改元のあった年の1月1日にさかのぼって適用する」ことはせず、改元の前日までは前年の元号で表しました。



[508] [CITE@ja[明治改暦の布告の時刻の表(午前と午後): suchowan's blog]]
([TIME[2021-09-02T12:40:53.000Z]])
<https://suchowan.at.webry.info/202108/article_11.html#comments>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[510] [CITE[Report82.pdf]], [TIME[2021-08-30T06:59:12.000Z]], [TIME[2021-09-19T04:04:11.152Z]] <http://www.aisf.or.jp/sgrareport/Report82.pdf#page=42>
]FIGCAPTION]

>
[LEFTBOX[

そしてもっとも興味深い事実は、この「[RUBY[永][えい]][RUBY[仁][にん]]元年二月九日」という日付の表記は当時存在せず、正しく書くとすれば「[RUBY[正][しょう]][RUBY[応][おう]]六年二月九日」とすべきだったという点であろう([RUBY[荻][おぎ]][RUBY[野][の]][ASIS[[RUBY[三][みな]][RUBY[七][ひこ]]彦]]説)。永仁への改元は正応6年8月5日のことであり、中国・朝鮮のごとき即位年(零年)の観念のなかった中世日本では、同年(1293年)の8月5日までは正応年間、それ以後は永仁元年と記すのが普通である。つまり、この「永仁元年二月九日」という書き方は、正応6年2月当時の人間には知る由もない元号表記、つまり言うなれば「[RUBY[未][み]][RUBY[来][らい]][RUBY[年][ねん]][RUBY[号][ごう]]」なのであった。逆に言えば、この日付の記載は、永仁改元以後のものと見るほかない。つまり、本絵巻そのものが、文永・弘安の戦争時(1274・81年)を少なくとも十年以上くだる時期に制作されたという事実を明示するわけである。それどころか、永仁元年をさらに降ってしまう可能性すら否定できない。本絵巻の制作意図が見通せず、多くの研究者を悩ませることとなった所以である。

[BOX(indent)[
__&&*&&__こうした絵巻物には、ふつう奥書が添えられ、年月日も記載される。もし「蒙古襲来絵詞」が正応6年当時に作成されたならば、「正応六年二月......」と記されたであろう。当然、のちに改竄・改作を行なう人間は、この日付をなぞるのが自然と思われ、ゆえに本絵巻原本(宮内庁三の丸尚蔵館蔵本)の原態が永仁元年以降のことだと推定できるわけである。
]BOX]


]LEFTBOX]

#page=47

>
そして、奥書A・Bともに「永仁元年二月九日」と記した1293年は、上述の通り、8月まで「正応6年」であった。ところが、上記「竹崎季長置文」(塔福寺文書〔第2版〕・[RUBY[秋][あき]][RUBY[岡][おか]]家文書〔第1版〕)の日付は「正応六年正月廿三日」の如く、正確な元号で表記されている。これがもっとも不審な点である。つまり、「置文」が同時代史料であるのに対して、奥書A・Bは、ともに後世の作だとしか考えられない。


]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[511] [CITE@zh[宋太宗 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2021-09-15T04:32:12.000Z]], [TIME[2021-09-20T02:19:53.465Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E5%A4%AA%E5%AE%97#%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E7%88%AD%E8%AE%AE>
]FIGCAPTION]

> 一般來說,新皇帝在先帝駕崩后翌年改元。宋太宗的改元時間是繼位當年的農曆十二月[SUP[__&&[&&__6__&&]&&__]],當時距離農曆新的一年已經只剩下幾天而已。這一點為後人所詬病,也為即位爭議留下了另一個頗具爭議性的口實。

]FIG]


[512] [CITE@ja[資料から探る改元の歴史 - 上越市ホームページ]]
([TIME[2021-10-15T07:00:46.000Z]], [TIME[2021-10-15T07:34:34.991Z]])
<https://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/koubunsho/tenji24.html>

[513] 
[CITE@ja[[[武家年代記]] (治承4年―明応8年(貞和5年―観応5年欠)) - 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム]], [TIME[2021-10-20T09:30:32.000Z]] <https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Viewer/1000444660000/55c00b842ca2429abec42d873f4c3f18?p=9>

「[V[康元]]」の改元日が「[V[八十五]]」と書かれています。
他の[[元号]]を見るとこれは8月15日改元の意味だとわかりますが、
実は正しくは建長8年10月5日。
改元日を年月日で書いていた原資料からの転記の際に誤ったのでしょう。

p.13 乾元、嘉元にも異説が記載あり。
@@他も要チェック。

[515] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]には何日に「即日改元」と書いてある[[元号]]記事があります。
「踰年改元」と書かれている記事もあるので、その対義語が「即日改元」のように見えます。
正月元日に即日改元したと書かれている記事もありますが、
1月1日に改元が制定されたのか (即日改元という語感から連想されるのはこちら)、
前年に制定され1月1日に実施されたのが記録に実施日だけ残っているのか、
検証しないことにはわかりません。
しかし出典も書かれていないので、
検証してそう書いたのか、
独自の「即日改元」の定義によるのか、わかりません。
1月1日以外の「即日改元」も同じで、本当に「即日」なのか、
そうだとすれば出典を示すべきでしょうし、
そうでないなら適切な用語に改めるべきでしょう。




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[518] [CITE@zh[安国 (大长和) - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2022-01-01T02:19:42.000Z]], [TIME[2022-01-15T02:19:50.965Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9B%BD_(%E5%A4%A7%E9%95%BF%E5%92%8C)>
]FIGCAPTION]

> 即位隔年改元

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[520] [CITE@zh[安国 (大长和) - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2022-01-01T02:19:42.000Z]], [TIME[2022-01-15T02:21:45.669Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9B%BD_(%E5%A4%A7%E9%95%BF%E5%92%8C)>
]FIGCAPTION]

> 即位當年改元

]FIG]

[523] [CITE@zh[元史/卷174 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2022-01-28T09:08:41.000Z]], [TIME[2022-02-11T09:28:37.793Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B2/%E5%8D%B7174>

>燧先在蘇門山時,讀通鑑綱目,嘗病國統散於逐年,不能一覽而得其離合之概,至告病江東,著國統離合表若干卷,年經而國緯之,如史記諸表,將附朱熹凡例之後,復取徽、建二本校讎,得三誤焉,序於表首。略曰:「其一,建安二十五年,徽本作『延康元年』。凡例:中歲改元,在興廢存亡之際,以前為正。當從建本,於建安二十五年下,注『改元延康』。其二,章武三年,徽本大書『三年,後主禪建興元年』,建本無『三年』,則昭烈為無終。徽、建皆曰『後主』,於君臣父子之教,所害甚大,是起十四卷、盡十六卷,凡曰後主者,皆失於刊正也。當於三年下注『帝禪建興元年』,明年大書『帝禪建興二年』,庶前後無齟齬也。其三,天寶十五載注『肅宗皇帝至德元載』,明年惟曰『二載』,為無始。當大書『二載』上加『肅宗皇帝至德』,使上同於開元。三者鈞失,而建安之取,至德之去,統固在也。若章武之距建興,纔三年耳,遽有帝父主子之異,豈不於統大有關乎!」詳見序篇。 



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[524] 
[CITE@ja[100 [[日本の元号]]③近代篇 - 奈良歴史漫歩]], 
[[橋川紀夫]],
2019-04-11,
[TIME[2022-03-22T09:24:14.000Z]] <https://awonitan.hatenablog.com/entry/2019/04/11/100_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%85%83%E5%8F%B7%E2%91%A2%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%AF%87>
]FIGCAPTION]

>
戦前に発行された『明治天皇紀』には「明治四十五年七月三十日午前零時四十三分、明治天皇崩御」とあります。しかし最近発行された『昭和天皇紀』には「明治四十五年七月二十九日午後十時四十三分、崩御」となっています。2時間早くなっているのです。どちらが事実なのでしょうか。後者が事実です。なぜこんなことが起きたのでしょうか。登極令には「天皇践祚の後は、直ちに元号を改む。」とありました。午後10時43分に崩御したのですからもうすぐに日が変わってしまいます。いくら急いでも29日中に改元手続きを完了させるのは無理です。「直ちに元号を改める」という記述を当時の人は践祚=即位との同日改元と解釈して、崩御時間をずらすということをやったわけです。


]FIG]


[525] 
[[改元]]のためにずらしたという根拠はあるのだろうか?
([[改元]]も含んだ一連の[[皇位継承]]儀式のためというなら議論はなかろうが。)



[529] [CITE@ja[天皇や将軍の交代、元号の改元などの周知方法は何だったんですか?時代劇... - Yahoo!知恵袋]], [[Yahoo! JAPAN]], [TIME[2022-10-15T04:22:22.000Z]] <https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14269516134>

>別に庶民に対しては、周知させる必要など無いから放置です。

[530] 根拠は示されていない。酷いデマ。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[531] [CITE@ja[山川健次郎 - Wikipedia]]
([TIME[2022-11-18T03:50:56.000Z]], [TIME[2022-12-03T03:42:37.552Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E5%81%A5%E6%AC%A1%E9%83%8E#cite_note-1>
]FIGCAPTION]

> 『男爵山川先生伝』略年譜の記載「安政元年閏七月十七日(一歳)會津若松本二ノ丁に誕生、初名重教」に依る。なお、国立公文書館所蔵の枢密院高等官転免履歴書では生年月日「安政元年甲寅七月十七日」とある。安政への改元は嘉永7年11月であるが、凶事を避ける災異改元として当該年の元日に遡って元年とみなされたため、嘉永7年=安政元年とされた。

]FIG]

[559] [CITE[この10年]], [TIME[2023-02-15T09:16:49.000Z]], [TIME[2001-11-06T21:14:35.952Z]] <https://web.archive.org/web/20011106211359/http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/89/89n14.htm>

> このため、政府内部では昨年中ごろまでは改元は、「区切りのよい日から実施する」として、翌月一日や翌年元日から実施する踰(ゆ)月、踰年改元が有力だった。  
> しかし、「新天皇になってからも、旧元号が続くのはまずい」との判断で、翌日改元となった。 

[560] [CITE@ja-JP[歴史民俗資料学研究 = History and folk culture studies (2)]], [[神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科]], [TIME[1997-02]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-15T11:26:57.342Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4428956/1/22> (要登録)


[562] [CITE@ja[改元政令 - Enpedia]], [TIME[2022-08-31T08:30:40.000Z]], [TIME[2023-02-22T07:55:51.893Z]] <https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E6%94%B9%E5%85%83%E6%94%BF%E4%BB%A4>

>天皇の崩御後、22時までに天皇の署名が終わらなかったら、翌日公布、翌々日施行となる。 


- [564] [CITE@ja[田中 草大 (たなか そうた)さんはTwitterを使っています: 「「1989年1月」に発行された雑誌が和暦換算で昭和なのか平成なのかを確認するためだけに図書館へ往く。」 / Twitter]], [TIME[午後0:47 · 2023年2月7日][2023-02-07T03:47:09.000Z]], [TIME[2023-03-14T01:51:48.000Z]] <https://twitter.com/_sotanaka/status/1622804131781156865>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[577] [CITE@ja[太初 (南朝宋) - Wikipedia]]
([TIME[2023-04-16T03:02:47.000Z]], [TIME[2023-04-30T03:03:18.017Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%9D_(%E5%8D%97%E6%9C%9D%E5%AE%8B)>
]FIGCAPTION]

> 元嘉30年2月:皇太子劉劭、文帝を殺害し即位。踰年改元すべきとの意見があったが、西晋の恵帝が即位とともに改号した例があるとの意見に従い、改元した。

]FIG]

[581] [CITE[『関孝和全集 第三巻 資料』 - 0913280_vol3.pdf]], [TIME[2023-08-30T02:57:00.000Z]], [TIME[2023-08-31T12:19:32.078Z]] <https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0913280_vol3.pdf#page=11>

>
[VRLBOX[
ところで、従来から問題になっているのが関孝和が書写し[BR[]]
た年代である。両写本とも、年紀「寛文」の横に「本ノマ[BR[]]
マ」と記されている。他の箇所の「本ノママ」は間違った文[BR[]]
字の当該箇所に記されていることから、「本ノママ」と記し[BR[]]
た筆者は「寛文」に注目したことになる。「寛文癸丑」は一[BR[]]
六七三年で、この年の九月に「延宝」に改元されている。書[BR[]]
写が終了したのは「仲夏下浣日」とある通り五月下旬である。[BR[]]
従って、年紀「寛文癸丑」で何ら矛盾はない。影印で見るこ[BR[]]
とができる通り、高樹文庫本は「癸丑」の上から「辛丑」と[BR[]]
書き直している。藪内清旧蔵本は「寛文癸丑」となっている[BR[]]
ことから、原本は「寛文癸丑」と記されていたと考えられる。[BR[]]
また、書写の年紀を朝鮮で『楊輝算法』が重刻された「癸丑[BR[]]
五月」に意図的に合わせたと見ることもできよう。巻の順番[BR[]]
を変えたことは、関孝和が序文に目を通していたことを窺わ[BR[]]
せ、『楊輝算法』の数学的内容だけでなく、その成り立ちに[BR[]]
も関心を持っていたことが推測される。
]VRLBOX]


[582] 寛文辛丑は元年。訂正者は最終年が新元号元年になった[[便覧][元号一覧]]か何かを見て誤記と思って[[十二支]]が一致する12年前に改めてしまった、ということ。



[665] [CITE@ja[【元号について】 年号が明治→大正・大正→昭和に変わる時は、天皇が亡くなった日であったが、平成に変... | レファレンス協同データベース]], [[国立国会図書館]], [TIME[2024-02-21T03:56:40.000Z]] <https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000190191&page=ref_view>

>
:事例作成日:    2014/4/23
:登録日時:    2016/03/29 00:30
:更新日時:    2023/12/26 00:30



>【元号について】  年号が明治→大正・大正→昭和に変わる時は、天皇が亡くなった日であったが、平成に変わる時だけ、天皇が亡くなった次の日であった(利用者調べ)のは、なぜか。

>『日本史年表 増補版』歴史学研究会/編(岩波書店、1995年)(111618537)p.342                 
>平成も、(大正・昭和と同様に)亡くなった1/7当日に改元されている。ただし、施行は翌日となった。
>
>『北國新聞 縮刷版 平成元年1月号 No.274』 p.313(1/7号外)
>「元号法に基づいて(中略)公布の翌日から施行する。」との記載あり。

>【回答】
>平成も、大正・昭和と同様に天皇が亡くなった日に改元されている。
>しかし、昭和にできた元号法により、平成に変わる時には、当日改元・翌日施行となった。


[666] 
当然の疑問だけど「なぜ」をちゃんと説明してる資料はあまりないような。

[667] 
「元号法により」だと回答として不十分で (法文にそんなことはかいてない)、
法理論的理由を説明した論考がどっかにあったような...


[668] 
「改元した」を施行日でなく公布日に置くという解釈にも注意したい。
この用語法だと令和改元の日は4月1日?

[669] 
[[平成時代]]の資料だとこの解釈のものがままあるのだけど、[[令和改元]]はやはり5月1日が改元の日となるべきだと思われるので、
今後は施行日に改元が行われたという表現に改めていくべき。

[670] 
すると前近代の改元の日は[[覆奏]]や[[吉書始]]の日にするべきなのか、という疑問もないではないが、
そうすると改元日を特定するのは難しくなるから、歴史的に新元号が始まる日と認識されてきた従来の
「改元日」 (詔書の日付の日) を使うほかに現実的な選択肢がない。

[671] 
それとの連続性から政令の公布の日を改元の日とみなす解釈が発生し得るのだろうが、
前近代の詔書と現代法制度下の政令では仕組みが違うので場合分けが必要だと諦めるしかない。
日付が1つしかない詔書と公布の日と施行の日が明記された政令で場合分けが生じるのはおかしなことではない。


[683] [CITE@ja[所功先生、いまさらの「政府批判」の真意──もしかして矛先は男系男子継承維持派に向けられている(2018年9月24日)|斎藤吉久]], [TIME[2024-07-19T03:23:47.000Z]] <https://note.com/saito_syse/n/na41cc4689c88>

[682] 
[CITE@ja[「翌年元日」改元か、それとも「践祚の翌月」改元か──30年で一変した所功先生「改元論」の不思議(2018年10月7日)|斎藤吉久]], [TIME[2024-07-19T03:21:17.000Z]] <https://note.com/saito_syse/n/nb581d1b8aa86>



[366] [CITE@ja-JP[栄花物語全注釈 1]], [[松村博司]], [TIME[1969]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-12T07:09:01.547Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12454250/1/138?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

改元を翌年と誤った異本



