[8] 
[DFN[秋豊]]
([TIME[y~4159]])
は、
[[渤海の元号]]とされるものの1つです。

[9] 
[TIME[西紀1993年][1993]]の[[大韓民国]]等の報道によると、
[[ロシア連邦領外満州]]の[[沿海州]]地域にある[[コルサコフカ寺院]]址で出土した瓦から、
「秋豊己亥六月」
とはっきり読み取れたとのことです。
[SRC[>>1, >>2]]

[10] >>1 には写真が掲載されているとのこと ([[ウェブ]]では閲覧不可)。

[11] 
[[渤海国]]王[RUBYB[[[大玄錫]]][在位[TIME[871]]-[TIME[895]]]]の[[元号]]で[TIME[西暦879年己亥][879]]と推定されていました。
[SRC[>>2, >>3]]

[12] 
推定の根拠は不明ですが、遺跡の年代から己亥年を探したものでしょうか。

[13] 
ところが続報が見つからず、以後の学術研究等から参照もされていません。
いったいどうなってしまったのでしょうか。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] 
[CITE[月刊文化財発掘出土情報 - [[Google ブックス]]]], 
第 125~128 号,
[[ジャパン通信社]], 
[TIME[1993]],
[TIME[2023-06-16T11:40:09.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=rXkjAAAAMAAJ&q=%22%E7%A7%8B%E8%B1%8A%22>
]FIGCAPTION]

>101 ページ
>中国名では図們江であるが、中国吉林省と国境をなして流れ、河口付近でロシアの沿海州と接している。近年、その豆満江の中・下流域が注目されている。かつて「海東の盛国」朝鮮咸鏡北道と中、両国がきびすを接して「黄金の三角地帯」といわれ始めたの ...
>102 ページ
>(前頁より続く)たことは、この両者の親縁関係と結びつきをよく証してく西浦項遺跡が眠る西藩湖の西北側の湖岸には、西浦項遺跡とほぼ同時期の浦ポ)里遺跡があり、咸鏡北領域は東側は、ロシアの沿海州の海岸と里龍江(アムール道の南側の海には草島遺跡が ...
>ロシア琿春ポシェット豆満江先鋒 O 東海流域は渤海の故地吉林省琿春はかつての「東京龍原府」朝鮮羅津地方の牡丹江、松花江を越える地域に至る。西側は遼河南側は咸鏡南道の南端、金野江(旧龍興江)と大同江を境界として新羅と相対するのように広大な領域 ...

>102 ページ
>こうし渤海と日本の画期的な国交が約二百年間続き、渤海は遣日本使を三十四回、日本から渤海使が十三回を数え高句麗王宮の次ぐ大規模な建築物が建てられていただろうと思われる。絵画的な美しさ全体像不明わが国固有の王宮建築の様しかしながら、式は、 ...

>107 ページ
>コルサコフカ寺院址。瓦の銘文「秋豊」は渤海年号の可能性。土壙墓は高句麗系統の墓であるよう。ウスリスク近郊のコルサコフカ寺院址発掘現場から期待された「銘文」が出土した。銘文瓦の破片を組み合わせると「秋豊己亥六月」(写真)という銘文がはっきり見える。

>118 ページ
>南北学者、渤海遺跡をはじめて共同発掘ロシアの沿海州で韓国側が高句麗文様瓦などの収穫に成功ロシア沿海州蓮華鳳凰の軒丸瓦。美しい渤海の「蓮華鳳凰の軒丸瓦」。二つがいの鳳凰と蓮華文様が幾何学的に配置されているこの軒丸瓦は高句麗形式の蓮華と新羅 ...

>118 ページ
>文明大東国大教授(左)キムジョンヒョク(後側の中折帽子)イチャンオン(麦藁帽子)など北朝鮮学者、シャフクノフ博士(ロシア)金貞培韓国発掘団長。本社発掘団の歴史的凱歌。渤海は我らの民族史。実証史料確認初めての海外発掘に出かけた韓国の歴史・考古学者 ...

>118 ページ
>朝鮮日報と大陸研究所、文化放送、渤海遺跡発掘調査団(団長金貞培高麗大副総長)は、二十七日ロシアのウスリスク市郊外のコルサコフカ渤海寺院跡で鳳凰と蓮華文様が施された渤海軒丸瓦の完形品を発掘した。発掘された軒丸瓦の文様は高句麗の軒丸瓦文様を ...
>119 ページ
>北朝鮮学者達は韓国学者達が発掘しているウスリスク市郊外コルサコフカ渤海寺院跡から約三離れたコプイト渤海寺院跡で発掘を開始した。北朝鮮のキムジョンヒョク室長は「民族の前で南北がともに大事な仕事に携わることが出来て嬉しい」と述べ「渤海の遺跡 ...

>119 ページ
>この軒丸瓦文様は渤海が高句麗の系統を継ぐものであり、統一新羅と親縁性がある証拠」と述べ、高く評価した。韓国学者達と共同で発掘作業をしているロシア極東歴史考古民族学研究所のシャフクノフ博士も「軒丸瓦の蓮華文様技法は高句麗に起源が求められており、鳳凰文様は確実に新羅との交流を明らかにするようだ」と韓国との関係を裏付けた。


]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] 
[CITE@ko[대진국 연호가 새겨진 명문기와 발견 - 발해에 관한 기사 - 발해를 꿈꾸며]], 
07.01.03,
[TIME[2023-06-16T11:52:12.000Z]] <https://m.cafe.daum.net/longlonghistory/5eQ5/39?listURI=%2Flonglonghistory%2F5eQ5>
]FIGCAPTION]

>대진국 연호가 새겨진 명문기와 발견
>
토광묘 고구려 계통 무덤일 듯, 코르사콥카 사원터 - 기와 명문 秋豊, 발해 연호 가능성
>
[연해주(러시아), 최보식 기자]우스리스크 근교의 코르사콥카 사원지 발굴현장에서 기대하던 글자들이 나왔다. 글자기와 파편들을 맞춰보면 추풍기해유월(秋豊己亥六月)이라는 글자가 뚜렷이 모습을 드러낸다. 이 글자가 무엇을 의미하는 지는 아직 확실치 않으나 코르사콥카 사원지 발굴팀장인 문명대 동국대 교수는 "추풍은 역사속에서 사라진 발해 왕조의 연호일 가능성이 있다"고 말했다.
>
발해(699~926)는 12대 왕인 대건황(大虔晃, 858~870) 이후 연호가 전하지 않고 있으며, 중국과 일본에도 이같은 연호가 없다. 추풍이 발해 왕조의 연호일 경우 이 기와는 경왕 시절인 879년(기해년)에 만든 것이 된다. 크라스키노에서 발굴한 고분은 지름 15m, 높이 2m 규모. 대(臺)를 쌓듯 점토로 다진 뒤 그 위에 토광(土壙, 흙 구덩이 무덤, 길이 280cm, 깊이 25cm)를 만들고 닷 둥그렇게 봉분을 올린 형태다.
>
발굴팀의 이남석 공주사대교수(고고학)는 "중국학계에서는 토광묘를 말갈족 무덤의 특징으로 꼽고 있으나 현재까지 보고된 토광묘는 땅밑에서 축조된 것들"이라며 "이번처럼 지상에 무덤을 만드는 방식은 고구려 계통과 연결할 수 있을 것 같다"고 말했다.조선일보 1993. 6.13

[[Google翻訳]]

>
大津国連号が刻まれた名門記と発見
>
土光墓高句麗系統墓のように、コルサコプカ寺院跡 - 瓦名門秋豊、渤海連護の可能
>
性文字が出ました。文字と破片を合わせてみると、秋豊己亥六月という文字がはっきりとした姿を現わす。この文字が何を意味するのかはまだ確かではないが、コルサコプカ寺院地発掘チーム長である文明大学東国大教授は「追風は歴史の中から消えた渤海王朝の年号である可能性がある」と話した。
>
渤海(699~926)は、12代王である大虔晃、858~870以降、連号が伝えておらず、中国と日本にもこのような連号がない。追風が渤海王朝の年号である場合、この瓦は慶王時代の879年(起海年)に作られたものとなる。クラスキノで発掘した古墳は直径15m、高さ2m規模。臺を積むように粘土で刻んだ後、その上に土壙、土の穴の墓、長さ280cm、奥行き25cmを作ってドットのように封分を上げた形だ。
>
発掘チームのイ・ナムソク公州史大教授(考古学)は「中国学界では土光墓をマルガル族墓の特徴として挙げているが、現在までに報告された土光墓は地下で築造されたもの」とし「今回のように地上に墓を作る方法は高句麗系統と接続できそうだ」と話した。朝鮮日報1993. 6.13

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE[천문과 역사 그리고 진실... : 상식과 이설]], [[Comte]], [TIME[2023-06-16T11:55:15.000Z]] <http://katnani.egloos.com/490288>
]FIGCAPTION]

>143.조선일보 1993.6.13자 보도에 의하면, 러시아 우스리스크 근교의 코르사콥카 사원터에서 지금껏 알려져있지 않던, 발해의 연호로 추정되는 秋豊이 새겨진 기와가 발굴되었다. 추풍은 발해 경왕(9세기말)의 연호로 추정된다.

[[Google翻訳]]

>143.朝鮮日報 1993.6.13者 報道によると、ロシア・ウイスリスク近郊のコルサコプカ寺院跡で今まで知られていない、渤海の年号と推定される秋豊が刻まれた瓦が発掘された。追風は渤海慶王(9世紀末)の年号と推定される。

]FIG]

]REFS]

-*-*-

[14] 
興味深いことに、[[近代]]に[[コルサコフカ]]は[[秋豊]]と呼ばれていた形跡があります。
あるいは[[ロシア領]]となる以前からの元来の[[地名]]かもしれません。

[15] 
検索してもあまり用例は出てこないのですが、
[[ロシア領]]になっていた[[近代]]には既に衰退しつつあった呼称なのでしょうか。

[4] [CITE@ja-JP[東部吉林省経済事情]], [[南満洲鉄道東亜経済調査局]], [TIME[1928]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-16T12:16:28.205Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1454099/1/360>

[5] >>4 [[満州]]方面の地図。
「露」と書かれたエリア ([[ソビエト連邦領外満州]]) の地名として、
「[V[コルサコフカ[BR[]](秋豊)]]」
が描かれています。

[6] [CITE[[[朝鮮]] - Google ブックス]], 第74号,
[[朝鮮総督府]],
[TIME[1921]],
[TIME[2023-06-16T12:19:07.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=KFVEAQAAIAAJ&q=%E7%A7%8B%E8%B1%8A%20%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%AB>

>
... 我が一町一段(三千三百坪)に當り收穫高は精白後に於ける日本石數を示す由是觀之一町步平均の收穫は精白米十六七石乃至二十一二石にして其率たるや日本内地のものに比して稍劣るのあるも勞力竝に資力の點に於ては殆ど比較になら報○秋豊○カコルサコフ ...


[7] 
[CITE[朝鮮史研究会論文集 - [[Google ブックス]]]], 
第40卷,
[TIME[2002]],
[TIME[2023-06-16T12:19:39.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=DmlGAAAAMAAJ&q=%22%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%AB%22++%E2%80%9D%E7%A7%8B%E8%B1%8A%E2%80%9D>

>
133 ページ
>『皇城新聞』は、ウラジオストックの三八三戸四六九〇人、秋豊(コルサコフカ)の四五三戸四二四三人をはじめとして、総計三三四四六名の朝鮮人が居住して、ロシア国籍を取る。しかし、韓国政府は鴨緑江対岸の自国民に対する「管轄権」の行使について豆満江 ...

-*-*-

[16] 
件の瓦銘文も[[元号名干支年表示]]というわけではなく、
[[地名]]と[[干支年]]を併記したに過ぎないということなのかもしれません。

[17] 
それだとしても銘文を検索しても全然情報が出てこないのは謎です。
注目されることなく忘れ去られているのでしょうか。


[20] 
[[元号名干支年表示]]の用例としては少し時期が早すぎるようにも思われます。

-*-*-

[18] [[コルサコフ遺跡]]についてはこちらに言及がありますが、
同じ遺跡を指しているのでしょうか。
[TIME[西暦1993年][1993]]のロシア語論文が引かれています。


- [19] 
[CITE[2005報告.indd - houkoku.pdf]], [TIME[2009-02-09T05:39:28.000Z]], [TIME[2023-06-16T13:14:03.051Z]] <https://pub.sgu.ac.jp/~siberia/pdf/2005/houkoku.pdf>



