[375] 
[DFN[福徳]] ([[旧字体]]: [DFN[福德]])
は、
[[中世東国私年号]]の1つです。


* 元号名

[1628] [[新字体]]は[[福徳]]、
[[旧字体]]は[[福德]]です。


[1627] 
[[読み][元号名の読み方]]は
「ふくとく」
とされます。
[SRC[>>1880, >>457, >>1956]]

-[37] [CITE@ja-JP[立川市史研究 第4冊]], [[立川市史編纂委員会]], [TIME[1966]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T13:47:25.443Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2989351/1/35> (要登録)
->>42 /379


- >>1059

[415] [CITE@ja-JP[経済往来 29(2)]], [[経済往来社]], [TIME[1977-02]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-22T15:13:35.905Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1411874/1/14?keyword=%E7%A6%8F%E7%A6%84> (要登録)

[416] >>415 「福禄」が列挙中にある。福徳のことか。
[SEE[ [[永楽]] ]]

* 紀年法

[1631] 
[DFN[第二類]] : [TIME[延徳2(1490)年][1490]]が[[元年]]です。
最も普及したのがこのタイプです。 >>1638 参照。

[1632] 
[DFN[第三類]] : [TIME[延徳3(1491)年][1491]]が[[元年]]です。
一部の地域などで使われました。 >>1683 参照。

[1633] その他の少数用例や過去の学説 :

- [1634] [DFN[第五類]] : 福徳元年 = [TIME[文正元(1466)年丙戌 皇紀2126年][1466]] >>1696
- [1702] 福徳元年丁亥 >>1703
- [1704] [[応仁の乱]]の頃 >>1689
- [1635] [DFN[第一類]] : 福徳元年 = [TIME[延徳元(1489)年][1489]] >>1687
- [1636] [DFN[第四類]] : 福徳元年 = [TIME[延徳4(1492)年][1492]] >>1685

[1637] 
主要紀年の比較 :

,*[[干支年]],*[[西暦年]] ,* [[延徳]] ,* [[長享]]/[[明応]],*[[第一類]],*[[第二類]],*[[第三類]],*[[第四類]],*[[1年ずれ延徳]],*[[皇紀]]
,* 戊申  , [TIME[1488]]  ,       , 長享2         ,       ,       ,       ,       ,,2148
,* 己酉  , [TIME[1489]]  , 延徳1 (8/21) , 長享3  , 福徳1 ,       ,       ,       ,,2149
,* 庚戌  , [TIME[1490]]  , 延徳2 ,               , 福徳2 , 福徳1 ,       ,       ,延徳1,2150
,* 辛亥  , [TIME[1491]]  , 延徳3 ,               , 福徳3 , 福徳2 , 福徳1 ,       ,延徳2,2151
,* 壬子  , [TIME[1492]]  , 延徳4 , 明応1 (7/19)  ,       ,       ,       , 福徳1 ,,2152
,* 癸丑  , [TIME[1493]]  , 延徳5 , 明応2         ,       ,       ,       , 福徳2 ,,2153
,* 甲寅  , [TIME[1494]]  ,       , 明応3         ,       ,       ,       , 福徳3 ,,2154
,* 乙卯  , [TIME[1495]]  ,       , 明応4         ,       ,       ,       , 福徳4 ,,2155

* 用例

[1629] 
[[福徳]]の用例は、[[東国]]を中心に非常に多く知られています。

[1630] 
現存用例の個数では前近代の第1位、全時代でも[[征露]]に次ぐ第2位です。
[[私年号]]の代表事例といえます。

** 統計

[1098] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]には、
資料1から資料63までが収録されています。
[SRC[>>464]]

[102] 
[[板碑]]用例は調査の進展と共にどんどん増えており、何度か集成されています。

- [103] 昭和42年 [CITE[日本私年号の研究]] >>101 : 23件 (>>92)
- [1497] [[中秀夫]]晩年 ([[埼玉県]] 17件) [SRC[>>408]]
- [1450] 昭和53年-昭和55年 [[中山正義]] 
-- [1451] S53 : 34件 (うち[[埼玉県]] 12件, そのうち11件が >>1497 計上) [SRC[>>408]]
-- [1452] S54 : +6件 -1件 (うち[[埼玉県]] +3件) [SRC[>>2409]]
-- [1453] S55 : +3件 (うち[[埼玉県]] +2件) [SRC[>>2410]]
- [104] 昭和59年 >>251 : 36基
- [191] 平成10年 >>403 : [[多摩]]地域 [[板碑]]13件 + [[五輪塔]]1件 (参考: 文献1件, [CITE[東京都板碑所在目録(多摩分)]]所収[[多摩]]地域[[延徳]]板碑27件)
- [105] 令和2年 >>97

[106] [TIME[令和2(2020)年][2020]]の集計によると

- [107] 総数69基
- [109] 東京都 30基
- [110] 埼玉県 27基
- [111] 神奈川県 3基
- [112] 千葉県 1基
- [113] 茨城県 6基
- [114] 栃木県 1基
- [115] 山梨県 1基
- [108] 参考: [[弥勒]] 33基

が知られています (亡失資料を含みます)。 [SRC[>>97]]

[116] 
このうち[[武蔵]]地域に59基あります。また、同時期の[[公年号]]である延徳3年銘が25基あります。
[SRC[>>97]]
>>97 には一覧表があって、[[福徳]]・延徳3年の通しでNo.01 から No.84 まで連番が振られています。

[117] 
武蔵の59基中、

- [118] 福徳元年 10基
- [119] 福徳2年 42基
- [120] 元年か2年か不明 7基
- [121] 3年、4年 0基

にわけられます。 [SRC[>>97]]


[190] 
[[板碑]]以外は昭和42年以後集成されたものが見当たりませんが、
[[板碑]]の報告数増加や当記事収録の昭和42年以後の新報告から類推すると、
相当数の増加がありそうです。 (当記事は十分に新報告を収集できていませんが、
それでもかなりの追加分を掲載しています。)

[1101] 
[CITE@ja[東京新聞:「私年号」の板碑など展示 府中で元号企画展 天文との関係も紹介:東京(TOKYO Web)]], 
[[松村裕子]],
2019年10月6日,
[TIME[2026-08-05T02:37:53.000Z]], [TIME[2019-10-07T01:15:04.189Z]] <https://web.archive.org/web/20191007011335/https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201910/CK2019100602000110.html>

>約四十ある中世の私年号のうち最も使われたのは延徳(えんとく)三(一四九一)年に広まった「福徳(ふくとく)」。福徳と刻んだ板碑(いたび)(石の供養塔)は福島、山梨県も含む広い範囲に七十基以上残り、市内にも二基あった。

[1102] >>1101 は[[板碑]]数と全体数を混同したもの?



[REFS[

- [408] [CITE[[[私年号板碑仮年表]]]]
- [2409] [CITE[[[私年号板碑仮年表追加・訂正・削除]]]]
- [2410] [CITE[[[私年号板碑仮年表 (その三)]]]]
- [2411] [CITE[[[私が出会った私年号板碑]]]]

]REFS]

-*-*-

[367] 
令和8年8月6日時点当記事暫定集計 (未精査)

;; [438] [CITE[過去帳]]の各出現や写本の各巻などは別個に計上。

[FIG[ [1706] 年名ごと種別ごと

,* 年           ,* 板碑  ,* その他金石文      ,* 同時代文献      ,* その他文献      ,* 計
,* 福徳2年庚戌 (第一類), 1    , 2            ,             , 1           ,* 4
,* 福徳3年辛亥 (第一類),      , 1            , 8           , 1           ,* 10
,* 福徳元年庚戌 (第二類), 1    ,              ,             ,             ,* 1  
,* 福徳2年辛亥 (第二類), 19   , 4            , 23          , 1           ,* 47
,* 福徳元年辛亥 (第三類), 5    ,              ,             , 13          ,* 18 
,* 福徳4年乙卯 (第四類),      ,              ,             , 1           ,* 1
,* 福徳元年丙戌 ,      , 1            ,             ,             ,* 1
,* 福徳元年丁亥      ,      ,              ,             , 1           ,* 1
,* 福徳元年        , 8    ,              , 4           , 7           ,* 19
,* 福徳2年        , 26   , 5            , 9           , 1           ,* 41
,* 福徳3年        ,      , 1            , 1           ,             ,* 2
,* 福徳14年       ,      ,              ,             , 1           ,* 1
,* 福徳          , 7    ,              ,             , 1           ,* 8
,* 福徳 計        ,* 67  ,* 14          ,* 45         ,* 29         ,* 155
,* 延徳2年庚戌 (公年号),      ,              , 6           , 15          ,* 21
,* 延徳3年辛亥 (公年号), 13   , 1            , 12          , 1           ,* 27
,* 延徳4年壬子 (公年号),      ,              , 3           , 22          ,* 25
,* 延徳5年癸丑 (延長年号),      ,              ,             , 27          ,* 27
,* 明応元年        ,      ,              ,             ,             ,* 0
,* 明応2年甲子      ,      ,              ,             , 2           ,* 2
,* 明応2年癸丑 (公年号),      ,              ,             , 2           ,* 2
,* 延徳2年辛亥 (1年ずれ),      ,              ,             ,             ,* 0  
,* 延徳3年辛卯      , 1    ,              ,             ,             ,* 1
,* 延徳3年        , 11   ,              ,             ,             ,* 11

]FIG]

[FIG[ [1707] 地域ごと種別ごと

,* 県         ,* 板碑  ,* その他金石文      ,* 同時代文献      ,* その他文献      ,* 計
,* 宮城県         ,      , 1            ,             ,             ,* 1
,* 福島県         ,      , 2            , 2           ,             ,* 4
,* 栃木県         , 1    ,              , 11          ,             ,* 12
,* 群馬県         , 1    , 2            , 1           ,             ,* 4
,* 茨城県         , 2    ,              , 1           , 2           ,* 5
,* 千葉県         ,      , 1            , 5           , 25          ,* 31
,* 埼玉県         , 28   , 4            , 8           ,             ,* 40
,* 東京都         , 31   , 1            , 1           ,             ,* 33
,* 神奈川県        , 3    , 3            , 1           ,             ,* 7
,* 長野県         ,      ,              , 2           ,             ,* 2
,* 山梨県         , 1    ,              , 12          , 1           ,* 14
,* 滋賀県         ,      ,              , 1           ,             ,* 1
,* 東国(不明)      ,      ,              ,             , 1           ,* 1
,* 計           ,* 67  ,* 14          ,* 45         ,* 29         ,* 155

]FIG]

[FIG[ [1705] [[月]]ごと地域ごとの用例数

[SEE[ [[福徳私年号の月・地域別用例数]]

]FIG]


** 宮城県下

[170] >>866



*** 宇那弥神社棟札

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [945] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[宮城県]][[宮城郡]][[宮城村]]]] [[宇那弥神社]] [[棟札]]]]
-- [1673] >>1672 : [L[256]]
-- [1674] 
「[DATA(.text)[[V[福[RUBY[□][〔徳ヵ〕]][    ] ]]]]」
[SRC[>>1672]]
--- [1653] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元年丙戌年建立]]]]」
[SRC[>>1651]]
--- [1677] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元年丙戌十二月]]]]」
[SRC[>>1667]]
--- [1678] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元年丙戌十二月十三日]]]]」
[SRC[>>1669]]
--- [1659] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元年丙戌建立]]]]」
[SRC[>>1657]]
--- [1655] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年丙戌建立]]]]」
[SRC[>>1654]]
--- [944] 
「[V[[DATA(.text)[福徳元年丙戌十二月]]建之]]」
[SRC[>>464 ([CITE[封内風土記]])]]
--- [1676] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年丙戌十二月]]]]」
[SRC[>>1674 ([CITE[宮城県国分山根通芋沢村風土記御用書出]])]]
- [1666] 
[CITE(.label)[[V[風土記御用書出]]]],
[DATA(.addr)[[[宮城郡]][[国分山根通]][[芋沢村]]]],
[DATA(.author)[[[肝入]] [[仲兵衛]]]],
[DATA(.published)[[V[安永三年七月]]]]
-- [1667] 
「[V[[SNIP[]]古キ棟札四枚御座候ニ付左ニ寫御書上仕候[BR[]]事[BR[]]
一[DATA(.text)[福︀德元年丙戌十二月]]大檀那藤原氏御建立御棟札一枚[BR[]]但文字見得分り不申候事[BR[]]
一天文丙申十二月[SNIP[]][BR[]]
一永祿五[SUP(smaller)[壬]][SUB(smaller)[戌]]十二月[SNIP[]][BR[]]
一正保二[SUP(smaller)[乙]][SUB(smaller)[酉]]四月[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1665]]
-- [1660] 
[CITE(.label)[芋沢村風土記御用書出]],
[DATA(.published)[安永3年]]
--- [1661] 「古キ棟札四枚御座候」
[SRC[>>372]]
--- [1662] 「一、宝徳元年丙戌十二月大檀那藤原氏御建立御棟札一枚但文字見得分り不申候事」
[SRC[>>372]]
- [1668] 
[CITE(.label)[書出]],
[DATA(.addr)[[[宮城郡]][[国分山根通]][[芋沢村]]]],
[DATA(.author)[[[寿命院]] [[観実]]]],
[DATA(.published)[[V[安永三年七月]]]]
-- [1669] 
「[V[一開山之事  當院ハ[SNIP[]]但別當所宇那彌大明神︀社︀ニ棟札とも有之候内[DATA(.text)[福︀德[BR[]]元年丙戌十二月十三日]]天文丙申十二月と棟札貳枚御座候處福︀[BR[]]德元年丙戌ト申儀年代記等無御座候ニ付天文五年丙申より相[BR[]]考候得ハ當安永三年迄貳百四拾年ニ罷成候事]]」
[SRC[>>1665]]
-- [946] 
[CITE(.label)[風土記御用書出]],
[DATA(.published)[安永3年]]
--- [947] 
「[V[福徳元年丙戌ト申儀年代記等無御座候ニ付天文五年丙申ヨリ相考候得ハ文字見得分リ不申候事]]」
[SRC[>>464]]

]ITEMS]

[1652] 
[TIME[明和9(1772)年][1772]]に[[日本国]][[仙台藩]]が編纂した[[地誌]]
[CITE[封内風土記]]
は、
>>945 
を紹介して、
[[公年号]]になく、
誤字だろうかとしています。
[SRC[>>1651]]

[1664] 
[TIME[安永3(1774)年][1774]]に地元で調査された報告が
>>1666
>>1668
です。
前者は[[棟札]]が読みづらいと書いており、
後者は[[福︀德]]は[[年代記]]になくいつかわからないと書いています。

[1681] 
[TIME[昭和3(1928)年][1928]]の地誌は、
おそらく
>>1666
からの転記と
>>1652
の引用で構成されています。
[SRC[>>1680]]

[1658] 
[TIME[昭和32(1957)年][1957]]の地域史は、
>>945
を紹介して、
[[私年號]]で[TIME[延徳2(1490)年][1490]]にあたり、
[[干支]]は庚戌でなければならない、
としています。
[SRC[>>1657 ([CITE[仙台郷土研究としての国分ものがたり (一)]], [[藤原相之助]], [CITE[[[仙台郷土研究]] 一〇・8]])]]

[1663] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の地域史は、
[CITE[封内風土記]]
および
>>1660
を参照し、
[[福徳]]は[[私年号]]であり、[[宝徳]]には丙戌年がないのも問題だ、
と述べています。
[SRC[>>372]]

[1670] 
>>1660 は >>1667 と同じものと思われますが、[CH[福︀]]でなく[CH[宝]]と読んでいるのが謎です。
原物 (棟札でなく書出) は字形がわかりにくいのでしょうか。それとも[[宮城県図書館]]所蔵の
>>1667 底本以外の写本があるのでしょうか。

;; [1671] 
[[宝徳]]との混同は
>>1182
でも起こっています。[[字形]]的な必然性があるのでしょうか。

[1656] 
[TIME[昭和51(1976)年][1976]]の地域史は、
>>945
を紹介して、
[TIME[文正元(1466)年][1466]]とし、
[[私年号]] (民間で私に定めたもので、多くは神仏関係に用いられる。) であり、
[[福徳]]の[[私年号]]は当時のこの地方の社会不安定に対して福徳を神に祈る気持ちで作られたのだろう、
としています。
[SRC[>>1654]]

[1675] 
[TIME[平成7(1995)年][1995]]の史料集は、
>>945
を紹介して紀年はほとんど読めないとしつつも、
[CITE[宮城県国分山根通芋沢村風土記御用書出]]
を引いており、
福徳元年は[TIME[延徳元(1489)年][1489]]の[[私年号]]としています。
[SRC[>>1674]]

[REFS[

- [1651] 
[CITE@ja-JP[[[封内風土記]] 巻之1−4]], [[田辺希文, 鈴木省三 校]], [TIME[明26][1893]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T11:15:34.399Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/763469/1/63?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3>
- [1680] 
[CITE@ja-JP[宮城郡誌]], [[宮城郡教育会]], [TIME[1928]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T12:15:39.954Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1876539/1/596?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3>
- [1665] 
[CITE@ja-JP[[[宮城県史]] 第24 (資料篇 第2)]], [[宮城県史編纂委員会]], [TIME[1954]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T11:45:20.851Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2995364/1/110?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1657] 
[CITE@ja-JP[[[宮城県史]] 第1 (古代史・中世史)]], [[宮城県史編纂委員会]], [TIME[1957]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T11:24:44.507Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2995409/1/238?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [372] 
[CITE@ja-JP[宮城町誌]], [[宮城町誌編纂委員会]], [TIME[1967]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T11:29:46.340Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3019310/1/27?keyword=%E7%A6%8F%EF%B8%80%E5%BE%B7> (要登録)
- [1654] 
[CITE@ja-JP[[[水沢市史]] 2 (中世)]], [[水沢市史編纂委員会]], [TIME[1976.11][1976]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T11:21:43.179Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569710/1/385?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
-- [1679] 
[CITE@ja-JP[知られざる中世の仙台地方]], [[飯沼勇義]], [TIME[1986.11][1986]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T12:13:01.927Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571738/1/80?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1672] 
[CITE@ja-JP[仙台市史 資料編 1 (古代中世) /'''['''本編''']''']], [[仙台市史編さん委員会]], [TIME[1995.3.][1995-03]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T12:02:10.001Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13198054/1/196?keyword=%E7%A6%8F%EF%B8%80%E5%BE%B7> (要登録)

]REFS]





[182] [CITE@ja[宇那禰神社の情報| 御朱印集めに 神社・お寺検索No.1/神社がいいね・お寺がいいね|15万件以上の神社仏閣情報掲載]], [TIME[2024-01-14T15:01:13.000Z]] <https://jinja-bukkaku.net/detail.htm?jbId=71460>

>芋沢字明神に鎮座する宇那禰神社は、桓武天皇を祭祀しており、創祀年代は明らかではないが、封内風土記によれば、社殿造営の際に梁の上に古い棟札が3枚あり、その中の1枚は、藤原朝臣長沼伊勢守政継が、福徳元年(福徳という年号は公式にはないが、非公開の年号で西暦1490延徳2年にあたっている。)に建立したという棟札、その2は、藤原朝臣長沼式部少輔宗次が天文5年丙申(1536)に建立、その3は、藤原朝臣長沼郷六大膳宗家が永禄5年壬戊(1562)に建立したという棟札である。[SNIP[]]


[437] 
[CITE@ja[宇那禰(うなね)神社について調べている。詳しい資料など教えてほしい。 | レファレンス協同データベース]], [[国立国会図書館]], [TIME[2026-08-05T01:33:48.000Z]] <https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000384938&page=ref_view>

>『仙台市史 特別編5 板碑』p250には「宇那禰神社にも中世の紀年銘を持つ三点の棟札が所蔵されているが、宇那禰神社の福徳元年(延徳年間=一四八九~九一に用いられた私年号)紀年銘のものには、「藤原朝臣長沼」と読める記事があり、[SNIP[]]


** 福島県下

*** 宮城県角田市妙立寺鰐口

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [168] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[福島県]][[福島市]]]] [[小倉寺]][[観音堂]] [[鰐口]]]]
-- [172] >>371 : [L[2]]
-- [866] [[日本国]][[宮城県]][[角田市]][[神次郎]] [[妙立寺]] 所蔵 [SRC[>>464, >>371]]
-- [867] >>464 : [V[資料[YOKO[18]]]]
-- [868] 
「[DATA(.text)[[V[于時  福徳二年辛亥六月一日]]]]」
[SRC[>>464]]
--- [171] 「[V[[DATA(.text)[平時福徳三年辛宛六月日]][BR[]]安積郡部谷田住仁[BR[]]大工  高久殿守三郎左衛門]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>371]]

]ITEMS]

[869] 様式は[[室町時代]]後期 [SRC[>>464]]

[169] 
[TIME[昭和54(1978)年][1978]]の論文は、
福徳3年は[[私年号]]で延徳3年と注釈しています。 [SRC[>>371]]

[REFS[

- [371] 
[CITE@ja-JP[福島県歴史資料館研究紀要 (1)]], [[福島県歴史資料館]], [TIME[1979-03]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-04T12:22:24.567Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4421275/1/43?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]



[43] 
[CITE@ja-JP[福島市史 第6巻 (原始・古代・中世資料(資料編1))]], [[福島市史編纂委員会]], [TIME[1969]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-06T07:18:43.047Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2993589/1/205?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

[44] [CITE@ja-JP[福島市史 第1巻 (原始・古代・中世(通史編1))]], [[福島市史編纂委員会]], [TIME[1970]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T14:05:53.288Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3027510/1/335> (要登録)

[50] [CITE@ja-JP[郡山市史 第1巻 (原始・古代・中世)]], [[郡山市, 郡山書店連盟]], [TIME[1975]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T14:39:03.061Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569414/1/308> (要登録)

[45] [CITE@ja-JP[郡山市史 第3巻 (近世 下)]], [[郡山市, 郡山書店連盟]], [TIME[1971]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T14:06:29.672Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9536826/1/74> (要登録)

[48] [CITE@ja-JP[郡山市史 第8巻 (資料 上)]], [[郡山市]], [TIME[1973]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T14:13:16.294Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569387/1/202> (要登録)


-[53] 
[CITE@ja-JP[図説福島市史]], [[福島市史編纂委員会]], [TIME[1978.3][1978]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-06T07:22:30.826Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641429/1/54?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

福徳3年は延徳3年の私年号であろう

[2398] 
[CITE@ja-JP[福島市史 別巻 7 (福島の文化)]], [[福島市史編纂委員会]], [TIME[1989.3][1989]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T11:24:47.740Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3024599/1/128?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


[361] 
[CITE@ja[妙立寺の鰐口と長持 - 角田市公式ホームページ]], [TIME[2026-08-04T16:00:31.000Z]], [TIME[2026-08-04T16:02:15.236Z]] <https://www.city.kakuda.lg.jp/site/kokokakuda/1299.html>

>伊達家より拝領したと伝えられ、福徳2年(1490年)の私年号が刻してある。[SNIP[]]

[1160] 
[CITE@ja[郡山の歴史]], [TIME[2026-08-05T06:12:33.000Z]] <https://adeac.jp/koriyama-city/texthtml/d100010/ct00000001/ht000940>

>[SNIP[]]「…安積郡部谷田住仁大工高久殿…福徳三年…」の銘のある鰐口(わにぐち)が宮城県船岡町妙立寺(みょうりゅうじ)にある。福徳(ふくとく)三年は延徳(えんとく)3(1491)年の私年号で、この年は大鏑矢神社の鉄鉢の4年後である。

[1536] 
[CITE@ja[法光山 妙立寺(角田市) - 宮城県 仙南地域の墓石購入・墓石修理【お墓のおかだ】(角田市・伊具郡・柴田郡・亘理郡・白石市・岩沼市)]], [TIME[2023-05-09T05:08:10.000Z]], [TIME[2026-08-06T07:26:21.828Z]] <https://okadasekizai.co.jp/jiin/jiin03.html>

>市指定文化財で、伊達政宗から拝領したと伝えられ、福徳二年の私年号が刻まれています。[SNIP[]]

***[CITE[会津塔寺八幡宮長帳]]

[79] [CITE[会津塔寺八幡宮長帳]] [SEE[ [[延徳]] ]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [821] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[福島県]][[会津若松市]][[塔寺]]]] [CITE[会津塔寺八幡宮長帳]]]]
-- [822] >>464 : [V[資料[YOKO[7]]]]
-- [824] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
-- [823] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]正月八日]] 開白同十日結願]]」
[SRC[>>464]]
--- [825] 
「[V[延徳二年]]」と「[V[延徳[LINES(smaller)[二][二]]年[LINES(smaller)[壬][子]]]]」の間
[SRC[>>464]]
-- [826] 
[DATA(.label)[裏書]]
「[V[貞和三年[LINES(smaller)[丙][戌]]年ヨリ至福徳仁年[BR[]]辛亥年一百四十七年也貞和ノ以前ハ[BR[]]ウセテナシ[BR[]]福徳[LINES(smaller)[辛亥][仁]]年十一月十七日御遷宮[BR[]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>464]]


]ITEMS]

[2382] 
[TIME[平成9(1997)年][1997]]の史料集は、
>>826
を紹介し、
[[私年号]]で福徳2年は延徳3年と説明しています。
[SRC[>>2381]]


- [452] 
[CITE@ja-JP[重要文化財会津塔寺八幡宮長帳]], [[是沢恭三]], [TIME[1958]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-10T06:20:05.341Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3001042/1/100> (要登録)
- [453] 
[CITE@ja-JP[福島県史料集成 第1輯]], [[福島県史料集成編纂委員会]], [TIME[1952]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-11T09:49:12.111Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998471/1/74?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

[58] [CITE@ja-JP[会津坂下町史 2 (文化編)]], [[会津坂下町史編さん委員会]], [TIME[1976]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T12:46:19.936Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9640725/1/193> (要登録)

[REFS[

- [2381] 
[CITE@ja-JP[会津高田町史 第2巻(資料編 1)]], [[会津高田町史編纂委員会]], [TIME[1997.3][1997]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T11:09:55.081Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13227810/1/326?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]


** 上野国

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [174] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[群馬県]][[碓氷郡]][[松井田町]][[八城]]]] [[弁天谷津]] [[板碑]]]]
-- [176] >>420 : [V[一八四五]]
-- [175] 「[DATA(.text)[[V[福徳二年]]]]」
[SRC[>>420]]
- [178] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[群馬県]][[藤岡市]][[下栗須]]]] [[西勝寺]] [[宝篋印塔]]]]
-- [179] >>420 : [V[四二三]]
-- [180] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[[RUBY[庚][(カ)]]][[RUBY[戌][(カ)]]]][BR[]]七月十七日]]]]」
[SRC[>>420]]
- [181] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[群馬県]][[吾妻郡]][[吾妻町]][[岩井]]]] [[長福寺]] [[宝篋印塔]]]]
-- [183] >>420 : [V[四二四]]
-- [184] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二[LINES(smaller)[庚][戌]]]]]]」
[SRC[>>420]]
- [185] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[群馬県]][[前橋市]][[亀里町]]]] [[極楽寺]] [[宝篋印塔]]]]
-- [186] >>420 : [V[四二五]]
-- [187] 
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[延][(カ)]]徳三年][[SNIP[]]][[SUP(smaller inline)[辛亥]]二月□日]]]]」
[SRC[>>420]]

]ITEMS]

[177] 
[TIME[昭和63(1988)年][1988]]の史料集は、
>>174
を紹介して福徳2年は[[私年号]]で応仁2(1467)年 (正しくは応仁元年) 
か[TIME[延徳3(1491)年][1491]]と説明し、
>>178, >>181
を紹介して福徳は[[延徳]]の[[私年号]]と説明しています。
[SRC[>>420]]

[REFS[

-
[420] [CITE@ja-JP[群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文)]], [[群馬県史編さん委員会]], [TIME[1988.3][1988]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T07:47:17.511Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/379?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

]REFS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [363] [DATA(.label)[[[叡山文庫]][[真如蔵]] [CITE[渓嵐拾葉集]]]]
-- [1709] >>365 : [V[一八一五]]
-- [364] 
[DATA(.label)[奥書]] 
「[V[[DATA(.text)[福︀德二年[LINES(smaller)[辛][亥]]七月十日]]、於上州中宿蓮花寺書寫了]]」 
[SRC[>>365]]

]ITEMS]

[366] 
[TIME[昭和61(1986)年][1986]]の史料集は、
>>363
を紹介し、
「[V[[RUBY[福︀德二][(延德三)]]年]]」と注釈しています。
[SRC[>>365]]

[REFS[

- [365] 
[CITE@ja-JP[[[群馬県史]] 資料編 7 (中世 3 編年史料 2)]], [[群馬県史編さん委員会]], [TIME[1986.3][1986]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-08T02:53:40.441Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643687/1/153?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[362] 
[CITE@ja[中宿村(なかじゆくむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク]], [[日本歴史地名大系]], [TIME[2026-08-04T16:03:17.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%AE%BF%E6%9D%91-3030264#w-3261063>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]福徳二年(延徳三年、一四九一)七月一〇日の渓嵐拾葉集奥書(叡山文庫真如蔵)に「於上州中宿蓮花寺書写了」とみえる。[SNIP[]]

>出典 平凡社「日本歴史地名大系」[SMIP[]]
]FIG]

]REFS]

** 下野国



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1111] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[栃木県]][[真岡市]][[飯貝]]]] [[熊野神社]] 所蔵 [CITE[大般若経]]]]
-- [1114] >>1110 : [V[一四八]]
-- [1112] 
[DATA(.label)[四六八巻 奥書]]
「[V[[DATA(.text)[福徳二年二月廿四]]ヨリ至[DATA(.text)[三月廿四日]]也[BR[]]生所箕輪寺住人中里祐海奉信読全部]]」
[SRC[>>1110]]

]ITEMS]

[1113] 
[TIME[昭和59(1984)年][1984]]の史料集は、
>>1111
を紹介し、
[[私年号]]で延徳3年としています。 [SRC[>>1110]]
続巻では、
[[千々和到]]説により解説しています。
[SRC[>>1115]]


[REFS[

- [1110] 
[CITE@ja-JP[真岡市史 第2巻 (古代中世史料編)]], [[真岡市史編さん委員会]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T03:19:46.679Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643337/1/238?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1115] 
[CITE@ja-JP[真岡市史 第6巻 (原始古代中世通史編)]], [[真岡市史編さん委員会]], [TIME[1987.3][1987]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T03:24:20.899Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644109/1/327?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1126] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[栃木県]][[安蘇郡]][[田沼町]][[栃本]]]] [[唐沢農場隼人屋敷]] [[板碑]]]]
-- [1127] >>59 : 写真4 番号16
-- [1129] [[平成の大合併]]により[[栃木県]][[佐野市]]
-- [1128] >>59 : 白黒写真 (中解像度)
-- [1131] 
「[V[[LINES(normal)[福徳元年][九]]]]」
[SRC[>>59]]

]ITEMS]

[1130] 
[TIME[昭和59(1984)年][1984]]の史料集は、
>>1126
を紹介し、
いわゆる[[私年号]] ([[異年号]])
であるとし、
福徳元年は延徳元年または延徳2年だとしています。
おそらく連帯を持つある種の教団 (神社・寺院)、地方豪族が使用したものと思える、
としています。
[SRC[>>59]]


[REFS[

- [59] 
[CITE@ja-JP[田沼町史 第3巻 (資料編 2 原始古代・中世)]], [[田沼町]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T03:39:50.852Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643164/1/322?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]


- [1125] 
[CITE@ja-JP[中世古文書の世界]], [[小川信]], [TIME[1991.7][1991]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T03:39:22.970Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13246882/1/219?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


-*-*-

[189] >>188



*** 日光

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [72] [DATA(.label)[[[日光山]] [CITE[御忌日講師已役帳并提婆品講師]]]]
[SRC[>>207 ([[日光山輪王寺記録]])]]
-- [70] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二[LINES(smaller)[辛][亥]]年八月十八日]]]]」
[SRC[>>1537]]
- [73] [CITE[御念仏所作配]]
-- [1545] 福徳2年 (延徳3年) [SRC[>>207 ([[日光山輪王寺記録]])]]
- [793] [DATA(.label)[[[日光]][[輪王寺]][[慈眼堂]] 所蔵 [CITE[悉曇大抵]]]] [SRC[>>207 ([[日光山輪王寺記録]])]]
-- [794] >>464 : [V[資料[YOKO[3]]]]
-- [1541] 
[DATA(.label)[巻末奥書]]
「[V[[DATA(.text)[于時福︀徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]林鐘十六日]][SUP(smaller)[扵]]宇都宮今宿尾悵公[BR[]]小庵申尅書寫了                  亮心]]」
[SRC[>>1540]]
--- [795] 
[DATA(.label)[墨書裏書]]
「[V[[DATA(.text)[于時福徳二年辛亥林鐘十六日]]  於宇都宮今宿尾張公小庵申尅亮心書写]]」
[SRC[>>464]]
--- [1539] 
「[V[[DATA(.text)[于時福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]林鐘十六日]]、於宇都宮今宿尾張公小庵申刻亮心書写]]」
[SRC[>>464]]
--- [1547] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德二年[SUP(smaller inline)[辛]][SUB(smaller inline)[亥]]]]]]」
[SRC[>>1544]]
- [76] [DATA(.label)[[[日光]][[輪王寺]][[慈眼堂]] 所蔵 [CITE[草木抄]]]]
-- [791] >>464 : [V[資料[YOKO[2]]]]
-- [792] 
[DATA(.label)[墨書奥書]]
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]七月廿三日]]]]」
[SRC[>>464]]
--- [1551] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德二年[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]七月廿三日]]]]」
[SRC[>>1548]]
- [991] [DATA(.label)[[[日光]] [[輪王寺]][[慈眼堂]] 所蔵 [CITE[陁羅尼宗名目]]]]
-- [992] >>464 : [V[資料[YOKO[55]]]]
-- [1543] 
「[DATA(.text)[[V[福德元年五月廿一日]]]]」
[SRC[>>1540]]
--- [993] 「[DATA(.text)[[V[福徳元年五月二十一日]]]]」
[SRC[>>464 ([CITE[日光慈眼堂経蔵収納の典籍に就て]])]]
-- [77] >>207 の福徳元年はこれを指すか
- [997] [DATA(.label)[[[日光]] [[輪王寺]][[慈眼堂]] 所蔵 [CITE[被接義案立]]]]
-- [998] >>464 : [V[資料[YOKO[57]]]]
-- [1552] 
「[DATE(.text)[[V[福︀德二年九月三日]]]]」
[SRC[>>1548]]
--- [999] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年九月三日]]]]」
[SRC[>>464 ([CITE[[LINES(smaller)[昭和][現存]]天台書籍綜合目録]])]]
-- [78] >>207 の福徳2年はこれを指すか

]ITEMS]


[1546] 
昭和18年の目録は、
>>76
>>997
>>793
を紹介して、
延徳3(皇紀2151)年としています。 
[SRC[>>1548, >>1544]]

[1542] [TIME[昭和41(1966)年][1966]]の書籍は、
>>793
を紹介して[[福︀德]]は[[私年號]]で福徳2年は延徳3年、
>>991
を紹介して[[福︀德]]は[[私年號]]で延徳2年としています。
[SRC[>>1540]]




[75] 
[[日光輪王寺]]慈眼堂収納の
>>793
>>72
>>73
>>76
>>77
>>78
の用例があります。 
関東各地から[[日光]]に移されたと考えられています。
[SRC[>>207]] 



[74] 
[[浅沼徳久]]は、
[[延徳]]および[[福徳]]は当時[[日光山]]全体で使われた ([[公年号]]は使われなかった)
と推測しています。 [SEE[ [[室町時代における日光山の私年号使用]] ]]


[1538] 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]の地域史は、
[[浅沼徳久]]の発表を引いて、
[[足利成氏]]の時代の[[日光山]]で公式記録に[[延徳]]および[[福徳]]の[[私年号]]が用いられ、
私年号延徳2年は寛正3年、
福徳2年は公年号延徳3年にあたるという、
と
>>793,
>>72
を紹介しつつ述べています。 [SRC[>>1537]]


[REFS[

- [1548] 
[CITE@ja-JP[昭和現存天台書籍綜合目録 上巻]], [[渋谷亮泰]], [TIME[昭和15-18][1943]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-06T08:26:45.914Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1123635/1/125?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1544] 
[CITE@ja-JP[昭和現存天台書籍綜合目録 下卷]], [[渋谷亮泰]], [TIME[昭和18][1943]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-06T08:23:59.043Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1920701/1/81?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1540] 
[CITE@ja-JP[日光山「天海蔵」主要古書解題]], [[長沢規矩也]], [TIME[1966]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-06T07:56:35.982Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2937039/1/32?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [286] [CITE[[[日本の石仏]] 4号]],
[TIME[1977-12]]
-- [287] 
[CSECTION[小特集 中世板碑]]
--- [289] 
[CITE[[[[V[中世私年号と板碑[WEAK(smaller)[―私年号伝播者および足利成氏との関係を中心に―]]]]]]]],
[[[V[浅沼徳久]]]],
pp.[L[17]]-[L[23]]
- [204] [CITE[[[古文書研究]] 第12号]],
[TIME[昭和53(1978)年10月][1978-10]]
-- [206] [CSECTION[[V[日本古文書学会第十回学術大会発表要旨]]]]
--- [207] [CITE[[[[V[室町時代における日光山の私年号使用[BR[]][WEAK(smaller)[⸺下野に現存する私年号資料の紹介をかねて⸺]]]]]]]],
[[[V[浅沼徳久]]]],
pp.[V[一四〇]]-[V[一四一]]
- [54] 
[CITE@ja-JP[日光市史 上巻]], [[日光市史編さん委員会]], [TIME[1979]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-06T07:48:39.675Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641847/1/513?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
-- [1537] 
昭和52年11月 [[古文書学会]]大会 [[浅沼徳久]]発表

]REFS]





[57] [CITE@ja-JP[久喜市史 資料編 1 (考古・古代・中世)]], [[久喜市史編さん室]], [TIME[1989.3][1989]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T10:18:13.777Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644349/1/255> (要登録)

[1124] 
[CITE@ja-JP[栃木県歴史年表]], [[栃木県歴史年表編さん委員会]], [TIME[1970]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T03:35:26.032Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9640574/1/12?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

[71] 
[CITE@ja-JP[図説日本の歴史 9]], [[河出書房新社]], [TIME[1993.7][1993]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-06T08:14:57.678Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12206241/1/61?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


** 茨城県下



*** 常陸国[CITE[赤浜妙法寺過去帳]]

[1470] 
[CITE[赤浜妙法寺過去帳]]は、[[天文]]年間に一旦成立し、以後書き継がれたとされます。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [816] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[茨城県]][[高萩市]][[赤浜]]]] [CITE[常陸赤浜妙法寺過去帳]]]]
-- [817] [DATA(.label)[「[V[延徳二年庚戌]]」]]
--- [818] 
[DATA(.label)[傍書]]
「[DATA(.text)[[V[福徳元]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [819] [DATA(.label)[「[V[延徳三年辛亥]]」]]
--- [820] 
[DATA(.label)[傍書]]
「[DATA(.text)[[V[福徳二]]]]」
[SRC[>>464]]

]ITEMS]

[1109] >>1107 の写本には傍書がなく[[延徳]]だけです。

[1469] 
一部の写本にのみある[[傍注]]であり、その成立過程に検討を要するものです。
同時代的な[[福徳]]の知識に基づくとも、
他資料等からの推定とも考え得ます。
いずれにせよ何らかの[[福徳]]の知識を持った者が、 
[[延徳]]だけでも[[福徳]]だけでもなく両方の併記が必要と判断したことを示します。

[REFS[

- [1108] [CITE[第15巻 赤浜村妙法寺過去帳 アカハマムラ ミョウホウジ カコチョウ]], [TIME[2025-01-22T01:16:03.000Z]], [TIME[2026-08-05T03:17:19.835Z]] <https://www.lib.pref.ibaraki.jp/guide/shiryou/digital_lib/syourakanbunko/0015/index.htm>
-- [1107] 
[TIME[2026-08-05T03:16:40.0Z]]
<https://www.lib.pref.ibaraki.jp/guide/shiryou/digital_lib/syourakanbunko/0015/00000010.djvu>

]REFS]



*** 下総国古河公方文書

[188] 
[[古河公方]] ([[足利成氏]] / [[足利政氏]]) 発給とされる文書の用例があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [351] 
[DATA(.label)[[[茂木文書]] [CITE[某御教書]]]]
-- [1119] >>1116 : [[茂木文書]] [V[四六]]
-- [1571] >>1570 : [V[四五]] [CITE[足利政氏([YOKO[?]])判物]]
-- [1118] 
「[V[[DATA(.text)[福︀德二年六月二日]][BR[]]  茂木上總介殿]]」
[SRC[>>1116]]
--- [1117] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年六月二日]]]]」
[SRC[>>594 ([CITE[[[栃木県史]] 史料編 中世二]], [TIME[1975]])]]
--- [1570] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德二年六月二日]]]]」
[SRC[>>974]]
- [352] 
[DATA(.label)[[[秋田藩家蔵文書]] [CITE[某御教書寫]]]]
-- [1123] >>1121 : [[秋田藩家蔵文書]] [V[五三]]
-- [1122] 
「[V[[DATA(.text)[福︀德二秊七月十二日]][BR[]]  茂木上總介殿]]」
[SRC[>>1121]]
--- [1120] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年七月十二日]]]]」
[SRC[>>594 ([CITE[[[栃木県史]] 史料編 中世三]], [TIME[1978]])]] 

]ITEMS]

[1448] 
通説では[[足利政氏]]発給とされます。 [SRC[>>386, >>385]]

[353] 
>>351 >>352 は発給者不明で、茂木上総介宛です。
茂木上総介は天文20年に同じような御教書を[[古河公方]][[足利晴氏]]から受け取っているため、
これらの発給者を[[古河公方]][[足利成氏]]とする[[渡部恵美子]]の説があります。
[SRC[>>594]]

;; [354] [[足利成氏]]は[[延長年号]]は使っていましたが、
他の[[私年号]]を使った記録はありません。どうなのでしょうね。
[SEE[ [[関東の延長年号]] ]]

@@
[426] 
[CITE@ja-JP[足利政氏文書集 : 古河公方二代]], [[後北条氏研究会]], [TIME[1973]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-17T13:26:02.167Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12226916/1/32?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[REFS[

- [1116] 
[CITE@ja-JP[栃木県史 史料編 中世 2]], [[編集: 栃木県史編さん委員会]], [TIME[1975]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T03:27:39.975Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9640769/1/105?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1121] 
[CITE@ja-JP[栃木県史 史料編 中世 3]], [[栃木県史編さん委員会]], [TIME[1978.3][1978]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T03:32:13.406Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641490/1/89?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]


[355] 
[[渡部恵美子]]は、
[[私年号]]は寺社で呪術的に使われたものと主張していました ([SEE[ [[中世私年号]] ]])
が、
これらは[[足利成氏]]が使用したものとし、
[[足利成氏]]が[[延長年号]]を使ったように、
[[朝廷]]に対する政治的な対抗意識を寺社を通じて知った[[私年号]]で表したのだと主張しました。
[[日光山]]で[[福徳]]が使われ、[[足利成氏]]の死後にそれが使われなくなるのも、
宗教的理由ではなく[[足利成氏]]との関係で選択されたと主張しました。
[SRC[>>594]]

;; [356] 自らの呪術的私年号説を一貫させずに[[足利成氏]]と[[日光山]]だけ関係を逆転させて政治的理由に帰するのは、
あまり説得力を感じませんが...

- [379] 
[CITE@ja[Xユーザーの❖勝りり ❖大❖さん: 「『戦国武将列伝2 関東編【上】』 いや厚さ( ˙ꈊ˙ )!? これは全力で読まないと二週間で終われない しかも関東じゃん絶対途中で調べ物始めちゃうやつでしょ がんばる꜀(.௰. ꜆)꜄✨ https://t.co/nPJ9ZGtpBa」 / X]], [TIME[午後9:00 · 2023年2月16日][2023-02-16T12:00:07.000Z]], [TIME[2024-02-14T03:46:46.000Z]] <https://twitter.com/ryry4trd4gm/status/1626189679761530881>
-- [378] 
[CITE@ja[Xユーザーの❖勝りり ❖大❖さん: 「P.28- 政氏さんが家督相続をしたのはいつか 長享の乱の第一次和睦の成立を受けての可能性が高い話 ちゃちゃっと書いてあるだけだけど、 こういうの(推理)面白いね 📖(˙꒳​˙ )」 / X]], [TIME[午後9:11 · 2023年2月17日][2023-02-17T12:11:26.000Z]], [TIME[2024-02-14T03:46:46.000Z]] <https://twitter.com/ryry4trd4gm/status/1626554913848455168>
-- [377] 
[CITE@ja[Xユーザーの❖勝りり ❖大❖さん: 「P.29 私年号の使い方から、和睦が単なる停戦和睦だったんじゃないの?ってわかるの、面白いね 📖(˙꒳​˙ )」 / X]], [TIME[午後9:16 · 2023年2月17日][2023-02-17T12:16:06.000Z]], [TIME[2024-02-14T03:46:46.000Z]] <https://twitter.com/ryry4trd4gm/status/1626556089453137920>
-- [376] [CITE@ja[Xユーザーの❖勝りり ❖大❖さん: 「P.29 &gt; 政氏は家督を継いだとみなされる延徳三年(1491)については、福徳二年の私年号を使用していた。この私年号は、下総・下野・常陸・武蔵・甲斐での使用が確認されている。 📖(˙꒳​˙ )甲斐!?」 / X]], [TIME[午後9:27 · 2023年2月17日][2023-02-17T12:27:37.000Z]], [TIME[2024-02-14T03:46:46.000Z]] <https://twitter.com/ryry4trd4gm/status/1626558990460272640>

[386] 
[CITE[日本古文書ユニオンカタログ - 詳細]], [TIME[2024-07-30T13:48:24.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20210310001048?dispid=disp01>

> 【管理番号】
66503703426023
>【和暦年月日】
(延徳3年)6月2日(14910060020)
>【文書名】
足利政氏補任状

> 【詳細内容】
私年号「福徳二年」と記す。



[385] 
[CITE[日本古文書ユニオンカタログ - 詳細]], [TIME[2024-07-30T13:46:29.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20210310001094?dispid=disp01>

> 【管理番号】
66503703426069
>【和暦年月日】
(延徳3年)7月12日(14910070120)
>【文書名】
足利政氏補任状写

> 【詳細内容】
「補遺 茂木文書(流出文書)」所収、私年号「福徳二年」と記す。『栃三』五三


*** その他下総国

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [2376] [DATA(.label)[[[飯沼]][[弘経寺]]所蔵[CITE[羽生広貞安堵状]]]]
-- [2377] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元[LINES(smaller)[辛][亥]]卯月廿一日]]]]」
[SRC[>>2375]]

]ITEMS]

[2378] 
[TIME[平成6(1994)年][1994]]の論文は、
>>2376
を紹介し、
[[私年号]]で延徳3年としています。
[SRC[>>2375]]

[REFS[

- [2375] 
[CITE@ja-JP[仏教文化研究 (39)]], [[淨土宗教學院]], [TIME[1994-09]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T10:52:47.451Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4417946/1/18?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [952] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[茨城県]][[水海道市]][[豊聞]]]] [[岡光寺]] [[板碑]]]]
-- [953] >>464 : [V[資料[YOKO[37]]]]
-- [1898] >>251 : [L[(12)]]
-- [954] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年七月八日]]]]」
[SRC[>>464 ([CITE[福徳の年号ある板碑]]), >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]

]ITEMS]



[52] [CITE@ja-JP[水海道市史資料集 第4集 (諸家文書)]], [[水海道市史編さん委員会]], [TIME[1976.3][1976]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T14:44:17.378Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641441/1/7> (要登録)


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1454] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[茨城県]][[猿島郡]][[五霞村]][[小福田]]]] [[無量寿寺]] [[板碑]]]]
-- [1533] >>2411 : ⑬
-- [1534] >>2411 ⑬ : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [1532] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福徳元年][[SNIP[]]][六月廾七日]]]]]]」
[SRC[>>2411]]
--- [1506] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年六月廿七日]]]]」
[SRC[>>2410 ([CIET[五霞村の石造文化財]])]]

]ITEMS]


[1133] 
>>113 は茨城県に福徳板碑6基としています。それに >>952 >>1454 が含まれるか不明ですが、
他に少なくても4例あることになります。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1568] [DATA(.label)[[[秋田藩家蔵文書]]四四 [CITE[坊判物寫]]]]
-- [1569] >>974 : [V[二一]]
-- [978] [[片岡政行]]所蔵文書 [SRC[>>974]]
-- [1558] [[片岡次郎左衛門尉]]宛
-- [1554] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德二年二月廿一日]]]]」
[SRSC[>>974]]

]ITEMS]

[1572] 
[TIME[平成6(1994)年][1994]]の史料集は、
>>1568
を紹介し、
福︀德2年は[TIME[延徳2(1490)年][1490]]と説明しています。
[SRC[>>974]]

[REFS[

- [974] 
[CITE@ja-JP[茨城県史料 中世編 5]], [[茨城県立歴史館]], [TIME[1994.3][1994]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-06T08:51:25.676Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644741/1/95?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1576] 
[CITE[日本古文書ユニオンカタログ - 詳細]], [TIME[2026-08-06T09:01:42.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20190401002834?dispid=disp01>

]REFS]





** 千葉県下

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [796] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[香取郡]][[干潟町]][[清和]]]] [[下総国]][[松沢権現]] [[鰐口]]]]
-- [798] >>464 : [V[資料[YOKO[4]]]]
-- [797] [[東京国立博物館]]所蔵 [SRC[>>464]]
-- [799] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]八月八日]]]]」
[SRC[>>464]]
--- [1104] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德二年[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]八月日]]]]」
[SRC[>>1103]]

]ITEMS]

[94] 
「下総国松沢大権現鰐口也[BR[]]  大旦那頭白上人[BR[]]  当社大工聖浄金  福徳二年八月八日」
(同じく頭白上人の[[順礼札]] [SEE[ [[延徳]] ]])
[SRC[>>289]]

[1105] 
[CITE[千葉県印旛郡誌]]
は、
>>796
を紹介し、福徳2年は延徳3年としています。 [SRC[>>1103]]

[REFS[

- [1103] 
[CITE@ja-JP[千葉県印旛郡誌 後編]], [[千葉県印旛郡 編纂]], [TIME[1985]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T02:43:38.536Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643576/1/130?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]

[64] [CITE@ja-JP[千葉県史料 金石文篇 3 補遺]], [[千葉県企画部県民課]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-22T09:20:53.296Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/79> (要登録)


- [360] 
[CITE@ja[酒々井町の寺社 - jisha.pdf]], [TIME[2024-03-08T05:34:28.000Z]], [TIME[2026-08-04T16:01:32.874Z]] <https://www.town.shisui.chiba.jp/docs/2014021804927/file_contents/jisha.pdf#page=44>

[1132] 
[CITE@ja-JP[千葉県金石文所在目録]], [[千葉県企画部県民生活課]], [TIME[1970]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T03:50:26.940Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9640244/1/36?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

[1145] 
[CITE@ja[11604_鰐口(東京国立博物館) :: 東文研アーカイブデータベース]], [TIME[2026-08-05T05:17:37.000Z]] <https://www.tobunken.go.jp/materials/nenki/2063896.html>


-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1106] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[松戸市]][[平賀]]]] [[本土寺]] [[題目板碑]]]]
-- [1902] >>251 : [L[(16)]]
-- [1903] 
「[DATA(.text)[[V[福徳[  __&&]&&__十[    ]]]]」
[SRC[>>251 ([CITE[千葉県史料]])]]

]ITEMS]

*** 香取文書

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [847] 
[DATA(.label)[[[旧録司代家文書]] [CITE[萱田地頭分麦畑検注取帳]]]]
-- [848] >>464 : [V[資料[YOKO[13]]]]
-- [849] 
[DATA(.label)[端裏書]]
「[V[[DATA(.text)[かのとのい年]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [850] 
「[V[合在[DATA(.text)[福徳二年[LINES(smaller)[かのとの][い]]五月吉日]]]]」
[SRC[>>464]]
- [851] 
[DATA(.labeL)[[[旧録司代家文書]] [CITE[津宮村下五殿分麦畠検注取帳]]]]
-- [853] >>464 : [V[資料[YOKO[14]]]]
-- [852] 
[DATA(.label)[端裏書]]
「[V[[DATA(.text)[福徳三年]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [854] 
「[V[合在[DATA(.text)[福徳二年[LINES(smaller)[かのとの][い]]五月吉日]]]]」
[SRC[>>464]]
- [855] 
[DATA(.labeL)[[[旧録司代家文書]] [CITE[新部村大禰宜分麦畠検注取帳]]]]
-- [856] >>464 : [V[資料[YOKO[15]]]]
-- [857] 
[DATA(.label)[端裏書]]
「[V[[DATA(.text)[かのとのい年]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [858] 
「[V[合在[DATA(.text)[福徳二年[LINES(smaller)[かのとの][い]]五月吉日]]]]」
[SRC[>>464]]
- [859] 
[DATA(.labeL)[[[旧録司代家文書]] [CITE[大畠村横宇下五殿分麦畠検注取帳]]]]
-- [860] >>464 : [V[資料[YOKO[16]]]]
-- [861] 
[DATA(.label)[端裏書]]
「[V[[DATA(.text)[かのとのい年]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [862] 
「[V[合在[DATA(.text)[福徳二年[LINES(smaller)[□□□□][い]]五月吉日]]]]」
[SRC[>>464]]

]ITEMS]

[30] [CITE@ja-JP[千葉県史料 中世篇 香取文書]], [[千葉県史編纂審議会]], [TIME[1957]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-21T14:37:23.098Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/23> (要登録)


*** [CITE[本土寺過去帳]]

[1456] 
[CITE[本土寺過去帳]]の現存版は、主に天正本と明暦本の系統があります。天正本は天正の頃に本土寺伝来の過去帳を整理したものとされ、[CITE[千葉県史料]]は天正本の翻刻です。明暦本は明暦の頃に再編されたもので、[CITE[続群書類従]]本は明暦本の系統です。[CITE[続群書類従]]本より天正本が良本とされます。



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [811] [CITE[本土寺過去帳]]
-- [897] 朔日下段 [[妙生尼]]
--- [898] >>464 : [V[資料[YOKO[25]]]]
--- [1249] >>1186 : [L[1249]]
--- [1195] >>1155 /16 左下 : 白黒写真 (中解像度)
--- [902] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [901] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]二月]]]]」
[SRC[>>902, >>1195]]
---- [1161] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛]][SUB(smaller inline)[亥]]二月]]]]」
[SRC[>>1155 /85]]
---- [899] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元[LINES(smaller)[辛][亥]]二月]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [1163] 4日上段 [[妙照童子]] 
--- [988] >>464 : [V[資料[YOKO[53]]]]
--- [1262] >>1186 : [L[1262]]
--- [1164] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[RUBY[□][〔五〕]]月]]]]」
[SRC[>>1155 /98]]
---- [987] 福徳元五月四日 [SRC[>>464]]
-- [812] 4日下段 [[妙泉入]]
--- [1196] >>1155 /21 左上 : 白黒写真 (中解像度)
--- [814] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [815] 
「[DATA(.text)[[V[福徳三[SUP(smaller)[辛]]亥[BR[]]十二月]]]]」 [SRC[>>814, >>1196]]
---- [1162] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德三[SUP(smaller inline)[辛]][SUB(smaller inline)[亥]][BR[]]十二月]]]]」
[SRC[>>1155 /98]]
---- [813] 
「[DATA(.text)[[V[福徳三辛亥[BR[]]十二月]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [1165] 6日中段 [[道榮入]]
--- [982] >>464 : [V[資料[YOKO[50]]]]
--- [1240] >>1186 : [L[1240]]
--- [1167] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元正月]]]]」
[SRC[>>1155 /109]]
---- [981] 福徳元年正月六日 [SRC[>>464]]
-- [917] 6日下段 [[妙正入]]
--- [918] >>464 : [V[資料[YOKO[29]]]]
--- [1241] >>1186 : [L[1241]]
--- [920] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [919] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元辛亥正月]]]]」
[SRC[>>464, >>920]]
---- [1166] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛]][SUB(smaller inline)[亥]]正月]]]]」
[SRC[>>1155 /108]]
---- [430] 「妙正福徳四正月六日」 (>>694)
-- [1206] 6日下段 [[慮仙僧]]
--- [1242] >>1186 : [L[1242]]
--- [1207] 
「[V[同年]]」「[V[正月]]」 [SRC[>>1155 /108]]
---- [1209] 福徳元・正 / [RUBY[辛亥][(ママ)]] [SRC[>>1186]]
--- [1208] >>917 の左隣 [SRC[>>1155 /108]]
-- [921] 7日下段 [[蓮妙入]]
--- [922] >>464 : [V[資料[YOKO[30]]]]
--- [1279] >>1186 : [L[1279]]
--- [924] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [925] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]□月]]]]」
[SRC[>>924]]
---- [1168] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[RUBY[[SUP(smaller inline)[辛]][SUB(smaller inline)[亥]]][(マヽ)]]十一月]]]]」
[SRC[>>1155 /114]]
---- [923] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元辛亥]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [935] 12日 [[善性入道]]
--- [937] >>464 : [V[資料[YOKO[34]]]]
--- [1330] >>1186 : [L[1330]]
--- [936] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [939] 
「[DATA(.text)[[V[福徳四[SUP(smaller)[乚]][SUB(smaller)[夘]]七月]]]]」
[SRC[>>936]]
---- [1169] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德四[SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[卯]]七月]]]]」
[SRC[>>1155 /138]]
---- [938] 
「[DATA(.text)[[V[福徳四年乙卯七月]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [1170] 16日上段 [[能登日中]]
--- [1265] >>1186 : [L[1265]]
--- [1171] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛]][SUB(smaller inline)[亥]]六月]]]]」
[SRC[>>1155 /162]]
-- [863] 17日中段 [[妙本入]]
--- [1284] >>1186 : [L[1284]]
--- [865] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [864] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二辛亥八月]]]]」
[SRC[>>865]]
---- [1174]  
「[DATA(.text)[[V[福︀德二[SUB(smaller inline)[辛亥]]八月]]]]」
[SRC[>>1155 /168]]
---- [864] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年辛亥八月]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [883] 17日上段 [[匝瑳道高禅門]]
--- [885] >>464 : [V[資料[YOKO[22]]]]
--- [1276] >>1186 : [L[1276]]
--- [887] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [886] 
「[V[福徳元辛亥]]」「[V[九月]]」 [SRC[>>887]]
---- [1189] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛]][RUBYB[[RUBY[[SUB(smaller inline)[■]]][[RUBY[亥][イ]]]]][〻]]]]]]」
[SRC[>>1155 /268 正]]
----- [1172] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[RUBYB[[RUBY[[SUB(smaller inline)[辛■]]][[RUBY[亥][イ]]]]][〻]]]]]]」
[SRC[>>1155 /168, /268 誤]]
---- [884] 
「[V[福徳元[LINES(smaller)[辛][亥]]]]」「[V[九月]]」 [SRC[>>464]]
-- [909] 17日上段 [[羽黒修理亮]]
--- [910] >>464 : [V[資料[YOKO[27]]]]
--- [1231] >>1186 : [L[1255]]
--- [912] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [913] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元辛亥三月]]]]」 [SRC[>>912]]
---- [1173]  
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛亥]]三月]]]]」
[SRC[>>1155 /85]]
---- [911] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元[LINES(smaller)[辛][亥]]三月]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [903] 18日中段 [[鏡林入]]
--- [904] >>464 : [V[資料[YOKO[26]]]]
--- [1275] >>1186 : [L[1275]]
--- [908] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [907] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]八月]]]]」
[SRC[>>908]]
---- [1175] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛]][SUB(smaller inline)[亥]]八月]]]]」
[SRC[>>1155 /171]]
---- [905] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元[LINES(smaller)[辛][亥]]八月]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [1177] 21日上段 [木内下]野守
--- [990] >>464 : [V[資料[YOKO[54]]]]
--- [1266] >>1186 : [L[1266]]
--- [1178] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛亥]]六月]]]]」
[SRC[>>1155 /188]]
---- [989] 福徳元六月廿一日 [SRC[>>464]]
---- [1215] 福徳元・6 辛卯 [SRC[>>1186]]
-- [926] 21日下段 [[幸源母妙珎]]
--- [927] >>464 : [V[資料[YOKO[31]]]]
--- [1260] >>1186 : [L[1260]]
--- [928] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [930] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]四月]]]]」
[SRC[>>928]]
---- [1176] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛]][SUB(smaller inline)[亥]]四月]]]]」
[SRC[>>1155 /186]]
---- [929] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年辛亥四月]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [1197] [[太田道灌]]
--- [1460] [DATA(.label)[天正本系]]
---- [1198] >>1155 /66 左上 : 白黒写真 (中解像度)
---- [1190] 
26日上段
「[DATA(.text)[[V[同十八丙午七月]]]]」
[SRC[>>1198]]
----- [1199] 
「[V[太田道灌[LINES(smaller)[同十八[SUP(smaller inline)[丙午]]七月][相州[SUP(smaller inline)[ニテ]]被誅]]]]」
[SRC[>>1155 /213]]
--- [1459] [DATA(.label)[[[明暦本]]系]]
---- [1458] 
[DATA(.label)[26日]]
「[V[[DATA(.text)[福徳十四七月]][BR[]]相州ニテ]]」
[SRC[>>1457 #72 左中段右側]]
---- [431] 「福徳十四年七月廿一日太田道灌相州ニテ」 (>>567)
-- [888] 24日上段 [[禅師阿日応]]
--- [890] >>464 : [V[資料[YOKO[23]]]]
--- [1282] >>1186 : [L[1282]]
--- [892] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [893] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年辛亥[BR[]]十一月]]]]」
[SRC[>>892]]
---- [1179]  
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛亥]]十一月]]]]」
[SRC[>>1155 /203]]
---- [891] 
「[DATA(.text)[[V[福徳辛亥十一月]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [940] [DATA(.label)[25日]]
--- [1464] [DATA(.label)[天正本 25日中段 [[妙正童]]]]
---- [838] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
---- [1226] >>1186 : [L[1252]]
---- [941] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元丁亥二月]]]]」
[SRC[>>464, >>838]]
----- [1180] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[丁亥]]二月]]]]」
[SRC[>>1155 /209]]
--- [1193] [DATA(.label)[明暦本 25日 [[妙正]]]]
---- [986] >>464 : [V[資料[YOKO[52]]]]
---- [1463] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元二月]]]]」
[SRC[>>1457 #71 右上段中央左]]
----- [985] 福徳元二月廿五日 [SRC[>>464]]
-- [1191] 25日 [[石井源六]]
--- [984] >>464 : [V[資料[YOKO[51]]]]
--- [1218] >>1186 : [L[1247]]
--- [1192] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元正月]]]]」
[SRC[>>1155 /205]]
---- [983] 福徳元年正月廿五日 [SRC[>>464]]
---- [1462] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元正月]]]]」
[SRC[>>1457 #70 左上段右]]
-- [914] 26日上段 [[日源]]
--- [915] >>464 : [V[資料[YOKO[28]]]]
--- [1264] >>1186 : [L[1264]]
--- [1181]  
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛亥]]五月]]]]」
[SRC[>>1155 /213]]
---- [916] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元辛亥五月]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [894] 27日上段 [[二位阿日文]]
--- [896] >>464 : [V[資料[YOKO[24]]]]
--- [1278] >>1186 : [L[1278]]
--- [1187] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[辛亥]]]]]]」「[V[十月]]」
[SRC[>>1155 /218]]
---- [895] 
「福徳元辛亥」「十月」
[SRC[>>464]]
---- [1465] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元十月]]]]」
[SRC[>>1457 #74 左上段左]]
-- [1182] 27日上段 [[一色典厩妙叡]] 
--- [1200] >>1155 /68 右上 : 白黒写真 (中解像度)
--- [1201] 
「[DATA(.text)[[V[□德四夘月]]]]」 [SRC[>>1200]]
---- [1202] 虫喰か 
---- [1194] 
宝徳4・卯
[SRC[>>1186]]
---- [1183] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德四卯月]]]]」
[SRC[>>1155 /216]]
--- [1461] 
「[DATA(.text)[[V[宝德四夘月]]]]」
[SRC[>>1457 #74 右中段中央]]
-- [1184] 27日下段 [[道滿入]]
--- [1333] >>1186 : [L[1333]]
--- [1203] >>1155 /68 右下 : 白黒写真 (中解像度) 汚損酷い
--- [1185] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德四七月]]]]」
[SRC[>>1155 /217, >>1203]]
--- [1468] 
明暦本になし?
[SRC[>>1457 #73]]
-- [931] 28日中段 [[多辺田]]
--- [932] >>464 : [V[資料[YOKO[32]]]]
--- [1268] >>1186 : [L[1268]]
--- [933] >>464 : 白黒写真 (中解像度)
--- [934] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元亥六月]]]]」
[SRC[>>464, >>933]]
---- [1188] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元[SUP(smaller inline)[亥]]六月]]]]」
[SRC[>>1155 /223]]
-- [1204] 長享3.12 己酉 2日上段 [[本行院日詮位]]
--- [1237] >>1186 : [L[1237]]
--- [1205] 延徳元年なし [SRC[>>1186]]
-- [1363] 延徳2・正 庚戌 8日上段 [[大高寺]]
--- [1243] >>1186 : [L[1243]]
-- [1210] 延徳2・正 庚戌 13日中段 [[妙林尼]]
--- [1244] >>1186 : [L[1244]]
-- [1212] 延徳2・正 庚戌 15日上段 [[宝蓮坊]]
--- [1245] >>1186 : [L[1245]]
-- [1214] 延徳2・正 17日下段 [[妙正尼]]
--- [1246] >>1186 : [L[1246]]
-- [1216] 延徳2・正 戊戌 28日下段 [[正心尼]]
--- [1248] >>1186 : [L[1248]]
-- [1219] 延徳2・2 11日上段 [[妙歳童女]]
--- [1250] >>1186 : [L[1250]]
-- [1222] 延徳2・2 癸丑 15日下段 [[能信尼]]
--- [1251] >>1186 : [L[1251]]
-- [1224] 延徳2・3 12日下段 [[妙道入]]
--- [1253] >>1186 : [L[1253]]
-- [1227] 延徳2・3 戊戌 14日上段 [[日德位]]
--- [1254] >>1186 : [L[1254]]
-- [1229] 延徳2・3 庚戌 28日上段 [[飯野妙伝]]
--- [1256] >>1186 : [L[1256]]
-- [1232] 延徳2・3 庚戌 28日中段 [[妙宗尼]]
--- [1257] >>1186 : [L[1257]]
-- [1234] 延徳2・4 壬午 20日上段 [[宝蔵坊日秀]]
--- [1258] >>1186 : [L[1258]]
-- [1236] 延徳2・4 壬午 20日中段 [[妙正尼]]
--- [1259] >>1186 : [L[1259]]
-- [1239] 延徳2・4 庚戌 22日上段 [[妙林坊日実]]
--- [1261] >>1186 : [L[1261]]
-- [1211] 延徳2・5 庚戌 11日中段 [[妙立尼]]
--- [1263] >>1186 : [L[1263]]
-- [1213] 延徳2・6 庚戌 26日中段 [[道光]]
--- [1267] >>1186 : [L[1267]]
-- [1217] 延徳2・7 午 3日上段 [[鬼法師日善]]
--- [1269] >>1186 : [L[1269]]
-- [1220] 延徳2・7 庚戌 12日下段 [[道喜入]]
--- [1270] >>1186 : [L[1270]]
-- [1221] 延徳2・7 庚戌 19日上段 [[高城新右エ門]]
--- [1271] >>1186 : [L[1271]]
-- [1223] 延徳2・7 庚戌 21日中段 [[妙真尼]]
--- [1272] >>1186 : [L[1272]]
-- [1225] 延徳2・8 庚戌 1日上段 [[西坊日田位]]
--- [1273] >>1186 : [L[1273]]
-- [1228] 延徳2・8 壬午 18日中段 [[妙讃]]
--- [1274] >>1186 : [L[1274]]
-- [1238] 延徳2・10 壬午 16日下段 [[妙道]]
--- [1277] >>1186 : [L[1277]]
-- [1230] 延徳2・11 庚戌 9日上段 [[清蔵主]]
--- [1280] >>1180 : [L[1280]]
-- [1233] 延徳2・11 庚戌 12日上段 [[上野阿]]
--- [1281] >>1186 : [L[1281]]
-- [1235] 延徳2・12 壬午 27日上段 [[浄順日順]]
--- [1283] >>1186 : [L[1283]]
-- [1364] 延徳4・正 癸丑 14日中段 [[法松尼]]
--- [1285] >>1186 : [L[1285]]
-- [1365] 延徳4・正 壬子 18日中段 [[妙春尼]]
--- [1286] >>1186 : [L[1286]]
-- [1366] 延徳4・正 壬子 21日中段 [[法久尼]]
--- [1287] >>1186 : [L[1287]]
-- [1367] 延徳4・2 12日下段 [[妙際尼]]
--- [1288] >>1186 : [L[1288]]
-- [1368] 明応元・3 14日下段 [[妙因尼]]
--- [1289] >>1186 : [L[1289]]
-- [1369] 延徳4・4 28日下段 [[妙朝童子]]
--- [1290] >>1186 : [L[1290]]
-- [1370] 延徳4・5 壬子 3日上段 [[下野律師日威]]
--- [1291] >>1186 : [L[1291]]
-- [1371] 延徳4・5 壬子 11日上段 [[長遠坊日栄位]]
--- [1292] >>1186 : [L[1292]]
-- [1372] 延徳4・5 壬子 27日下段 [[法秀尼]]
--- [1293] >>1186 : [L[1293]]
-- [1373] 延徳4・6 壬午 2日下段 [[妙一尼]]
--- [1294] >>1186 : [L[1294]]
-- [1374] 延徳4・6 壬子 15日上段 [[日虎]]
--- [1295] >>1186 : [L[1295]]
-- [1375] 延徳4・6 壬子 17日上段 [[高城彦六]]
--- [1296] >>1186 : [L[1296]]
-- [1376] 延徳4・6 壬子 18日上段 [[日泉]]
--- [1297] >>1186 : [L[1297]]
-- [1377] 延徳4・6 28日下段 [[妙印童子]]
--- [1298] >>1186 : [L[1298]]
-- [1378] 延徳4・7 11日中段 [[法忍尼]]
--- [1299] >>1186 : [L[1299]]
-- [1379] 延徳4・7 27日中段 [[妙西尼]]
--- [1300] >>1186 : [L[1300]]
-- [1380] 延徳4・8 壬子 2日上段 [[宗信入道]]
--- [1301] >>1186 : [L[1301]]
-- [1381] 延徳4・8 壬子 3日下段 [[虎童女妙一]]
--- [1302] >>1186 : [L[1302]]
-- [1382] 延徳4・8 壬子 4日中段 [[香取典利位]]
--- [1303] >>1186 : [L[1303]]
-- [1383] 延徳4・8 壬子 6日下段 [[平次郎五郎]]
--- [1304] >>1186 : [L[1304]]
-- [1384] 延徳4・8 壬子 14日下段 [[法円入]]
--- [1305] >>1186 : [L[1305]]
-- [1385] 延徳4・9 壬子 26日中段 [[法染尼]]
--- [1306] >>1186 : [L[1306]]
-- [1386] 延徳4・10 壬子 7日下段 [[道泉五郎四朗]]
--- [1307] >>1186 : [L[1307]]
-- [1387] 延徳4・11 壬子 19日上段 [[妙福︀尼]]
--- [1308] >>1186 : [L[1308]]
-- [1388] 延徳4・11 壬子 23日上段 [[浄珠位]]
--- [1309] >>1186 : [L[1309]]
-- [1389] 延徳4・12 辛亥 4日下段 [[妙泉入]]
--- [1310] >>1186 : [L[1310]]
-- [1390] 延徳4・12 壬子 7日上段 [[日養]]
--- [1311] >>1186 : [L[1311]]
-- [1391] 延徳4・12 壬子 7日上段 [[蓮上坊日鏡]]
--- [1312] >>1186 : [L[1312]]
-- [1392] 延徳4・8 壬子 8日下段 [[妙円尼]]
--- [1313] >>1186 : [L[1313]]
-- [1393] 延徳4 2日中段 [[妙林尼]]
--- [1314] >>1186 : [L[1314]]
-- [1394] 延徳4 壬子 6日下段 [[妙祐位]]
--- [1315] >>1186 : [L[1315]]
-- [1395] 延徳4 壬子 15日中段 [[妙法比丘尼]]
--- [1316] >>1186 : [L[1316]]
-- [1396] 延徳5・正 4日下段 [[妙養尼]]
--- [1317] >>1186 : [L[1317]]
-- [1397] 延徳5・正 癸丑 4日下段 [[妙高入道]]
--- [1318] >>1186 : [L[1318]]
-- [1398] 延徳5・正 癸丑 19日中段 [[那須主計助宗院]]
--- [1319] >>1186 : [L[1319]]
-- [1399] 延徳5・正 癸丑 26日上段 [[道樹]]
--- [1320] >>1186 : [L[1320]]
-- [1400] 明応2・2 甲子 18日上段 [[戸張殿法名宝林]]
--- [1321] >>1186 : [L[1321]]
-- [1401] 延徳5・2 癸丑 23日上段 [[是俊日安]]
--- [1322] >>1186 : [L[1322]]
-- [1402] 延徳5・4 1日下段 [[道光位]]
--- [1323] >>1186 : [L[1323]]
-- [1403] 延徳5・4 癸丑 22日上段 [[真光坊日近]
--- [1324] >>1186 : [L[1324]]
-- [1404] 延徳5・4 24日下段 [[妙心尼]]
--- [1325] >>1186 : [L[1325]]
-- [1405] 延徳5・5 癸丑 6日中-下段 [[豊島次郎左エ門]]
--- [1326] >>1186 : [L[1326]]
-- [1406] 延徳5・5 癸丑 10日中段 [[妙祐入]]
--- [1327] >>1186 : [L[1327]]
-- [1407] 延徳5・6 13日中段 [[妙意尼]]
--- [1328] >>1186 : [L[1328]]
-- [1408] 延徳5・6 癸丑 22日下段 [[妙法入]]
--- [1329] >>1186 : [L[1329]]
-- [1409] 明応2・7 甲子 14日下段 [[妙照尼]]
--- [1331] >>1186 : [L[1331]]
-- [1410] 延徳5・7 癸丑 19日中段 [[妙応]]
--- [1332] >>1186 : [L[1332]]
-- [1411] 明応2・7 癸丑 30日中段 [[妙善尼]]
--- [1334] >>1186 : [L[1334]]
-- [1412] 明応2・8 5日上段 [[玉蔵坊日賢位]]
--- [1335] >>1186 : [L[1335]]
-- [1413] 延徳5・8 6日中段 [[妙浄尼]]
--- [1336] >>1186 : [L[1336]]
-- [1414] 延徳5・8 癸丑 9日上段 [[兵部日信]] 外一名
--- [1337] >>1186 : [L[1337]]
-- [1415] 延徳5・8 癸丑 11日中段 [[妙蔵位]]
--- [1338] >>1186 : [L[1338]]
-- [1416] 延徳5・9 癸丑 3日下段 [[妙心]]
--- [1339] >>1186 : [L[1339]]
-- [1417] 延徳5・9 癸丑 5日下段 [[左近三郎]]
--- [1340] >>1186 : [L[1340]]
-- [1418] 延徳5・9 癸丑 10日中段 [[妙法入]]
--- [1341] >>1186 : [L[1341]]
-- [1419] 延徳5・9 13日上段 [[田嶋左京亮]]
--- [1342] >>1186 : [L[1342]]
-- [1420] 延徳5・9 癸丑 13日上段 [[妙浄位]] 外一名
--- [1343] >>1186 : [L[1343]]
-- [1421] 延徳5・9 癸丑 21日中段 [[妙教尼]]
--- [1344] >>1186 : [L[1344]]
-- [1422] 延徳5・8 癸丑 21日中段 [[妙敬位]]
--- [1345] >>1186 : [L[1345]]
-- [1423] 延徳5・10 癸丑 24日下段 [[妙鏡位]]
--- [1346] >>1186 : [L[1346]]
-- [1424] 延徳5・10 癸丑 25日中段 [[妙佐]]
--- [1347] >>1186 : [L[1347]]
-- [1425] 延徳5・11 癸丑 3日上段 [[満蔵坊日敬]]
--- [1348] >>1186 : [L[1348]]
-- [1426] 延徳5・11 癸丑 7日下段 [[妙稲童女]]
--- [1349] >>1186 : [L[1349]]
-- [1427] 延徳5・11 癸丑 10日中段 [[妙祐尼]]
--- [1350] >>1186 : [L[1350]]
-- [1428] 延徳5・11 癸丑 23日中段 [[妙樹尼]]
--- [1351] >>1186 : [L[1351]]
-- [1429] 明応2・12 癸丑 6日上段 [[千葉介自胤]]
--- [1352] >>1186 : [L[1352]]
-- [1430] 延徳5・12 癸丑 10日中段 [[妙幼童子]]
--- [1353] >>1186 : [L[1353]]
-- [1431] 延徳5・12 癸丑 26日中段 [[祐泉尼]]
--- [1354] >>1186 : [L[1354]]
-- [1432] 延徳5 2日下段 [[妙覚霊]]
--- [1355] >>1186 : [L[1355]]
-- [1433] 延徳5・7 癸丑 3日下段 [[妙慶尼]]
--- [1356] >>1186 : [L[1356]]
-- [1434] 延徳5 11日下段 [[道光位]]
--- [1357] >>1186 : [L[1357]]
-- [1435] 延徳5 癸丑 14日上段 [[祐円小僧三位]]
--- [1358] >>1186 : [L[1358]]
-- [1436] 延徳・正  13日中段 [[妙賢尼]]
--- [1359] >>1186 : [L[1359]]
-- [1437] 延徳・10 4日下段 [[妙輪尼]]
--- [1360] >>1186 : [L[1360]]
-- [1438] 延徳 4日下段 [[妙円]]
--- [1361] >>1186 : [L[1361]]
-- [1439] 明応3・正 甲子 8日中段 [[円朝比丘尼]]
--- [1362] >>1186 : [L[1362]]

]ITEMS]

[1591] 
[CITE[本土寺過去帳]]は、[[福徳]]期に限らず[[元号年]]と[[干支年]]の一致しない用例が散見され [SRC[>>1186]]、
取り扱いには注意を要します。もっとも、不審紀年はまったく無視されるべきものでもなく、
本書の成立過程や原資料の紀年を推測するために使い得る貴重な史料であることには違いありません。

[1613] 
[[福徳私年号]]の研究では早期から注目され、重要史料とされてきているものの、
異本による相違や成立過程の推定など、当史料特有の事情を踏まえた考察や、
計量的な分析など、詳細に立ち入った研究は十分に行われていません。

[1592] 
本書の紀年を整理すると、大部分の用例は一貫しています。すなわち、

- 己酉年 ・・・ 長享3年
- 庚戌年 ・・・ 延徳2年
- 辛亥年 ・・・ 福徳元年
- 壬子年 ・・・ 延徳4年
- 癸丑年 ・・・ 延徳5年

... となるもの (または干支年なし) が大多数です。

[1593] 
次のものは明らかに少数例です。

- 辛亥年 ・・・ 福徳2年、福徳3年
- 壬子年 ・・・ 明応元年
-- 甲子年 ・・・ 明応2年、明応3年
- 癸丑年 ・・・ 明応2年
- 福徳4年乙卯, 福徳4年, 福徳14年

[1594] 
このような状況は、次のように考えると合理的に解釈可能です。

- [1595] ほとんどの用例は、年単位で整理された原資料に由来する
-- [1596] 原資料では年はまとめて記述され、個々には月と日の情報しか与えられていなかった
-- [1597] 年は年始時点 (厳密に年初とは限らず、その年の記録を記載しはじめた時期) の呼称で一度だけ記載され、
--- [1598] 途中で改元があっても記載されなかった、
--- [1599] または改元日が明確でないなどの理由で、旧元号で統一することを現行本編者が選択した
-- [1614] 原資料が同時代的記録かどうかは不明ながら、新元号でなく旧元号で統一されているとしたら、同時代的記録か、それを引き継いだ表記である蓋然性は高い
- [1600] 一部の用例は、
-- [1601] 現行本の編集の過程で何らかの誤りが発生したか、
-- [1602] 別個の原資料から追補されたが、
--- [1603] 当該原資料が異なる紀年を用いていたか、
--- [1604] 年の記載がないなどの事情で編者が補う必要があり、その際に誤りが生じた

[1605] 
もしこの解釈が認められるなら、
この資料では、年始の頃の認識が推測できるものの、年内の具体的にいつの時点で[[元号]]が切り替わったかまでは推測できないことになります。

[1606] 
辛亥年は年始時点で福徳元年と認識されていたことになります。
ただし、原資料がどのように構成されていたか不明である以上、当時福徳2年と認識されていたものが、
現行本編者によって何らかの誤解で福徳元年と誤認された可能性も完全には排除できません。

[1607] 
癸丑年 (明応2年) は、年始時点で未だ[[改元]]が行われず、延徳5年と認識されていたことになります。
[[明応]]改元は延徳4年7月であり、半年以上の遅れが出ています。[[福徳]]期の[[改元]]運用の実情を探る上で重要です。

[1608] 
辛亥年を福徳2年、福徳3年とするものは、明らかに少数であり、

- [1609] 何らかの誤り
- [1610] 別紀年の資料に由来する

... のどちらの可能性も排除できません。

[1611] 
福徳4年は、天正本と明暦本での差異に係るものが含まれることに注意が必要です。また、
字形不明瞭で[[宝徳]]を誤読したらしい例も含まれています。
同時代的に実用されたかどうかには慎重になる必要があります。

[1612] 
福徳14年は、天正本と明暦本での差異に係るものです。[[年数]]が他の用例とあまりにかけ離れており、
同時代的に実用されたかどうかには慎重になる必要があります。

[1639] 
[[太田道灌]]の死去は、通説では[TIME[文明18(1486)年丙午7月26日][kyuureki:1486-07-26]]で、
これは天正本の記述と一致します。令和8年現在、これを否定する説は [[Web検索]]では見つけられません。

[1640] 
一方で明暦本によると福徳14年ですが、

- [1641] 福徳元年が[TIME[延徳2(1490)年][1490]]なら、福徳14年は[TIME[文亀3(1503)年][1503]]、史実の17年後
- [1642] 福徳14年が[TIME[文明18(1486)年][1486]]なら、福徳元年は[TIME[文明5(1473)年][1473]]

... となります。後者は旧説を含むどの[[福徳]]とも一致しません。17回忌説 (>>569) もありますが、
それを支持する記述は本書中に見られません。




[REFS[

- [1155] 
[CITE@ja-JP[千葉県史料 中世編 本土寺過去帳]], [[千葉県企画部広報県民課]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T05:34:12.373Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642635/1/85?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1186] 
[CITE@ja-JP[本土寺過去帳年表]], [[森田洋平]], [TIME[1985.1][1985]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T07:59:48.368Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643502/1/54?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1457] 
[CITE@ja[ビューア | 本土寺過去帳]], [TIME[2026-08-05T14:53:30.000Z]] <https://www.digital.archives.go.jp/img/1217429>


]REFS]

- [2383] 
[CITE@ja-JP[我孫子市史資料 古代・中世篇]], [[我孫子市教育委員会市史編さん室委員会]], [TIME[1987.3][1987]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T11:12:07.481Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644142/1/45?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

** 埼玉県下



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1003] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[戸田市]][[美女木]]]] [[美笹中学校]]付近 出土 [[板碑]]]]
-- [2019] 埼(9-10-5) [SRC[>>97]]
-- [2018] >>1972 : [L[128]]
-- [2020] >>97 : 03
-- [2027] [[戸田市]][[美女木]] [[戸田市立教育研究所]] 所蔵 [SRC[>>1972]]
-- [2023] >>1972 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [2021] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2022] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[延徳三年[LINES(smaller)[辛][亥]]][[SNIP[]]][正月七日]]]]]]」
[SRC[>>1972]]
- [1037] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[戸田市]][[新曽]]]] [[元常楽院]] [[板碑]]]]
-- [2024] 埼(9-22-16) [SRC[>>97]]
-- [2002] >>1972 : [L[129]]
-- [1919] >>251 : [L[(27)]]
-- [2025] >>97 : 37
-- [1998] >>1972 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [2026] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2000] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福徳二年][[SNIP[]]][八月廿八日]]]]]]」
[SRC[>>1972]]
--- [1920] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年八月廿八日]]]]」
[SRC[>>251]]
- [1485] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[戸田市]][[柳原]]]] [[津島神社]] [[板碑]]]]
-- [1486] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年九月□□]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[戸田市文化財調査報告[YOKO[IV]]]])]]


]ITEMS]

[1992] 
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]の地域史は、
>>1037
を紹介し、
[[私年号]]で一般に延徳3年、
[[私年号]]の性質上、ところによっては1、2年の前後があると考えられている、
としています。
[SRC[>>1972]]

[REFS[

- [1972] 
[CITE@ja-JP[戸田市史 資料編 1 (原始・古代・中世)]], [[戸田市]], [TIME[1981.5][1981]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T03:33:56.065Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642301/1/306?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]

@@
[1977] 
[CITE@ja-JP[戸田市史 通史編 上]], [[戸田市]], [TIME[1986.8][1986]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T10:09:55.694Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643895/1/327> (要登録)

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1006] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[狭山市]][[笹井]]]] [[宗源寺]]裏[[権現堂]]付近 [[板碑]]]]
-- [2064] 狭山市の青石塔婆(338) [SRC[>>97]]
-- [2065] 埼(22-52-4) [SRC[>>97]]
-- [2066] >>97 : 06
-- [2067] 延徳3.2.1 辛亥 [SRC[>>97]]
- [1035] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[狭山市]][[東三ツ木]]]] [[共同墓地]] [[板碑]]]]
-- [2068] 狭山市の青石塔婆(136) [SRC[>>97]]
-- [2069] *埼(22-17-4) [SRC[>>97]]
-- [1922] >>251 : [L[(281)]]
-- [2070] >>97 : 35
-- [2071] 型式L [SRC[>>97]]
-- [1498] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二天八月[LINES(normal)[辛][井]]十六日]]]]」
[SRC[>>2409 ([CITE[狭山市文化財調査報告[YOKO[VI]]狭山市の青石塔婆]], 昭和52年3月)]]
--- [1923] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年八月十六[LINES(smaller)[辛][][亥]]日]]]]」
[SRC[>>251]]

]ITEMS]

[1881] 
[TIME[平成8(1996)年][1996]]の地域史は、
>>1035
を紹介して[[干支年]]から延徳3年の[[私年号]]とし、
[CITE[中世]]が延徳2年とするのは誤りと説明しています。
[SRC[>>1880]]

[REFS[

- [1880] 
[CITE@ja-JP[狭山市史 通史編 1]], [[狭山市]], [TIME[1996.3][1996]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-10T06:53:03.123Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644852/1/213?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1010] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[富士見市]][[上沢]]]] [[地蔵堂墓地]] [[板碑]]]]
-- [2090] 富士見市史資料編3(15-13) [SRC[>>97]]
-- [2091] 埼(24-25-11) [SRC[>>97]]
-- [1939] >>251 : [L[(31)]]
-- [2093] >>97 : 10
-- [2347] >>2325 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [2094] 型式I [SRC[>>97]]
-- [2350] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]][[SNIP[]]][二月吉日]]]]]]」
[SRC[>>2347]]
--- [1940] 
[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]二月吉日]]]]
[SRC[>>251 (実見)]]
--- [1482] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[SUP(normal)[辛]]二月吉日]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[板碑集録]](富士見町、福岡町、大井町、三芳村))]]
--- [2095] 福徳2.2.吉日 辛亥 [SRC[>>97 (実見)]]
- [1049] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[富士見市]][[上沢]]]] [[地蔵堂]] [[板碑]]]]
-- [2096] *富士見市史資料編3(15-14) [SRC[>>97]]
-- [2098] 埼(24-25-14) [SRC[>>97]]
-- [1530] >>2411 : ⑪
-- [1941] >>251 : [L[(32)]]
-- [2099] >>97 : 49
-- [1531] >>2411 ⑪ : 拓本 白黒写真 (解像度上の下)
-- [1529] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福徳二[ ][[SNIP[]]][[辛__&&]&&__亥十[ ]]]]]]」
[SRC[>>1531]]
--- [1942] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二[   十[    ]]]]」
[SRC[>>251 (実見)]]
--- [1528] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福徳二][[SNIP[]]][  亥十]]]]]]」
[SRC[>>2411]]
--- [2100] 福徳2.10 □亥 [SRC[>>97]]
- [1050] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[富士見市]][[上沢]]]] [[西の墓地]] [[板碑]]]]
-- [2101] 富士見市史資料編3(54-27) [SRC[>>97]]
-- [2102] 埼(24-6-18) [SRC[>>97]]
-- [1924] >>251 : [L[(29)]]
-- [2104] >>97 : 50
-- [1926] [[埼玉県]][[富士見市]][[渡戸]] [[観音寺]]墓地 [SRC[>>251]]
-- [1927] [[富士見市考古館]]所蔵 [SRC[>>251]]
-- [2336] >>2325 : 拓本 白黒写真 (解像度中の上)
-- [2105] 型式I [SRC[>>97]]
-- [2343] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[辛 福徳二年󠄂][[SNIP[]]][□ 十一月二日]]]]]]」
[SRC[>>2336]]
--- [1925] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(normal)[辛][][]]十一月二日]]]]」
[SRC[>>251]]
--- [2106] 福徳2.11.2 幸□ [SRC[>>97 (実見)]]
- [1058] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[富士見市]][[南畑]]]] [[難波田城跡]] [[板碑]]]]
-- [2107] 富士見市史資料編3(54-28) [SRC[>>97]]
-- [2108] 埼(24-6-16) [SRC[>>97]]
-- [1929] >>251 : [L[(30)]]
-- [2110] >>97 : 58
-- [1932] [[埼玉県]][[富士見市]][[勝頼前田]] [[護国寺]] [SRC[>>251]]
-- [1935] [[富士見市考古館]]所蔵 [SRC[>>251]]
-- [2111] 型式I [SRC[>>97]]
-- [1938] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年亥十一月日]]]]」
[SRC[>>251]]
--- [1481] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年十一月  日]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[板碑集録]](富士見町、福岡町、大井町、三芳村))]]
--- [2112] 福徳2.11 □亥 [SRC[>>97 (実見)]]
- [1062] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[富士見市]][[南畑]]]] [[難波田氏館跡]] [[板碑]]]]
-- [2113] 富士見市文化財調査報告 60 [SRC[>>97]]
-- [2114] >>97 著者採拓
-- [2115] >>97 : 62
-- [233] >>232 : カラー写真 (解像度上の下) 
-- [2116] 型式I [SRC[>>97]]
-- [2117] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福徳二年][[SNIP[]]][十二月十日]]]]]]」 [SRC[>>233]]
- [1064] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[富士見市]][[南畑]]]] [[難波田城資料館]] [[板碑]]]]
-- [2118] 富士見市史資料編3(54-26) [SRC[>>97]]
-- [2119] >>97 著者採拓
-- [2120] >>97 : 64
-- [2121] 福徳1.12.29 庚戌 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

[2353] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]の地域史は、
次のように述べています。
[SRC[>>2325]]

- [2359] [[千々和到]]によると[[私年号]は[[延徳]] → [[福徳]]のように[[公年号]]の1字を改編して作るのが多い
- [2360] 富士見市域では[[福徳]]4例 (市立考古館2、上沢地蔵堂2)
-- [2361] いずれも2年、うち3つは辛亥ないし亥
-- [2362] よって延徳3年
- [2363] [[埼玉県]]で14基、[[富士見市]]4基は最多

[REFS[

- [2325] 
[CITE@ja-JP[富士見のあゆみ : 市制十周年記念誌]], [[富士見市]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T09:37:04.801Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642519/1/105?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[232] 
[CITE@ja[難波田城資料館の「私年号板碑」が新聞で紹介されました|富士見市]], [[Fujimi City]], [TIME[2022-12-21T17:00:22.000Z]], [TIME[2022-12-24T12:14:28.774Z]] <https://www.city.fujimi.saitama.jp/madoguchi_shisetsu/02shisetsu/shiryoukan/nanbatajo/exhibitions/Fukutoku-itabi.html>
]FIGCAPTION]

>読売新聞[東京本社版]3月21日朝刊34面(文化面)
>ネット版“[日本人と元号]<下> 乱世物語る 3元号並立”(現在は公開を終了しています)

>新聞で紹介された板碑は、難波田城資料館常設展示室でごらんいただけます。難波田城跡で発見されたものです。[SNIP[]]

>「福徳」年号を持つ板碑は、埼玉南部から多摩を中心に分布し、50例以上が知られています。そのうち6例が富士見市内で見つかっています(詳しくは平成16年春季企画展図録『富士見之板碑』をご覧ください)。市内の板碑を年代順に並べると、延徳2年(1490)3月の日付を持つ板碑の次に、福徳元年[RUBY[庚戌][かのえいぬ]](1490)12月の板碑があります。そして福徳2年の板碑が4例あるのに、延徳3年と刻まれた板碑はありません。この地域では「福徳」に改元したと信じられていた可能性があります。

> この時代、福・徳の2文字とも、現在以上に経済的なニュアンスがありました。福神は貧乏神と対になる、豊かさをもたらす神であり、富んだ人を[RUBY[「有徳者][うとくしゃ]]」、借金帳消令を徳政令と呼ぶなどです。その背景として、貨幣経済の浸透による貧富の格差も拡大していました。
> また、この頃の関東地方は、二大勢力の対立による戦乱が続いていました。相次ぐ災害や[RUBY[飢饉][ききん]]の記録も残されています。
> そのような情勢であったからこそ、豊かさを意味する年号へ改元したという情報が、広まりやすかったと想像できます。
]FIG]

]REFS]


[8] [CITE@ja-JP[埼玉県史 第四巻]], [[埼玉県]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T07:02:13.798Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3439275/1/309> (要登録)

[9] [CITE@ja-JP[富士見市史 資料編 3 (古代・中世)]], [[富士見市総務部市史編さん室]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T07:21:53.106Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643536/1/112> (要登録)

福徳元年1例、2年辛亥4例、いずれも図録に拓影

巻頭に写真1例

[10] [CITE@ja-JP[浦和の歴史と文化を知る本]], [[青木義脩]], [TIME[1982.4][1982]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T07:26:30.890Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642619/1/94> (要登録)





[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1017] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]越生町古池]] [[浅野家]] [[板碑]]]]
-- [2140] 埼(30-19-2) [SRC[>>97]]
-- [2141] >>97 : 17
-- [2142] 延徳3.3.13 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1018] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[さいたま市]][[南区]][[内谷]]]] [[普門寺]] [[板碑]]]]
-- [2143] *浦和市史2(P259・図175) [SRC[>>97]]
-- [2144] 埼(2-117-3) [SRC[>>97]]
-- [2145] 埼玉史談13-2 [SRC[>>97]]
-- [1089] >>464 : [V[資料[YOKO[60]]]]
-- [1905] >>251 : [L[(18)]]
-- [2147] >>97 : 18
-- [1488] [[日本国]][[埼玉県]][[浦和市]][[内谷]] 旧[[普門寺]]墓地 [SRC[>>408]]
-- [2148] 型式F [SRC[>>97]]
-- [2149] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年三月十六日]]]]」
[SRC[>>464 ([CITE[県内における私年号板碑]]), >>408 ([CITE[県内における私年号板碑]])]]
- [1057] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[さいたま市]][[緑区]][[中野田]]]] [[明照寺]] [[板碑]]]]
-- [2150] 浦和市史2(P220・図177) [SRC[>>97]]
-- [2151] 埼(2-4-10) [SRC[>>97]]
-- [2152] *野仏39(5) [SRC[>>97]]
-- [1904] >>251 : [L[(17)]]
-- [1513] >>2411 : ⑤
-- [2153] >>97 : 57
-- [1503] [[日本国]][[埼玉県]][[浦和市]][[中野田]] [[明照寺]] [SRC[>>2409]]
-- [1514] >>2411 ⑤ : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [2154] 型式F [SRC[>>97]]
-- [1512] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福徳二年][[SNIP[]]][[SNIP[]] 十一月  日]]]]]]」
[SRC[>>2411]]
--- [1504] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年十一月  日]]]]」
[SRC[>>2409 ([CITE[浦和市史第二巻[LINES(normal)[古代][中世]]史料集[YOKO[II]]]], 昭和53年3月)]]
--- [2155] 福徳2.11 [SRC[>>97]]
- [1061] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[さいたま市]][[北区]][[奈良町]]]] [[薬師堂墓地]] [[板碑]]]]
-- [2156] 埼(3-97-3) [SRC[>>97]]
-- [2157] *大宮の板石塔婆(113-2) [SRC[>>97]]
-- [2158] >>97 : 61
-- [2159] 延徳3.11 [SRC[>>97]]
- [1068] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[さいたま市]][[緑区]][[三室]]]] [[毘沙門堂]] [[板碑]]]]
-- [2160] 浦和市史2(P230) [SRC[>>97]]
-- [2161] 埼(2-22-2) [SRC[>>97]]
-- [2162] >>97 : 68
-- [2163] 延徳3.-.6 辛亥 [SRC[>>97]]
- [1072] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[さいたま市]][[北区]][[奈良町]]]] [[宝性寺跡]] [[板碑]]]]
-- [1090] >>464 : [V[資料[YOKO[61]]]]
-- [2165] >>97 : 72
-- [1493] [[日本国]][[埼玉県]][[大宮市]][[奈良町]] [[観音堂]] [SRC[>>408]]
-- [2166] 福徳二年 [SRC[>>464 ([CITE[県内における私年号板碑]]), >>408 ([CITE[県内における私年号板碑]])]]
- [1078] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[さいたま市]][[緑区]][[大崎]]]] [[国昌寺]] [[板碑]] 破片]]
-- [2167] 浦和市史2(P222) [SRC[>>97]]
-- [2168] 埼(2-9-6) [SRC[>>97]]
-- [2169] >>2411 : ⑭
-- [1906] >>251 : [L[(19)]]
-- [2170] >>97 : 78
-- [1535] >>2411 ⑭ : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [1505] [[日本国]][[埼玉県]][[浦和市]][[大崎]] [[国昌寺]] [SRC[>>2409, >>2411]]
-- [1907] 
「[DATA(.text)[[V[福徳[    ]]]]」
[SRC[>>251 ([CITE[板碑]] 資料編(1))]]
--- [2171] 
「[DATA(.text)[[V[福徳]]]]」
[SRC[>>97, >>2409 ([CITE[浦和市史第二巻[LINES(normal)[古代][中世]]史料集[YOKO[II]]]], 昭和53年3月), >>2411]]

]ITEMS]


- [262] 
[CITE@ja[untitled - jihou15.pdf]], [TIME[2026-04-06T08:00:18.000Z]], [TIME[2026-08-04T15:43:25.530Z]] <https://www.city.saitama.lg.jp/004/005/006/002/002/p002509_d/fil/jihou15.pdf#page=3>


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1029] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]川越市古谷本郷]] [[灌頂院]] [[板碑]]]]
-- [2224] 川越市史2中世編別巻板碑(572) [SRC[>>97]]
-- [2225] *埼(19-36-5) [SRC[>>97]]
-- [2226] >>97 : 29
-- [2227] 型式J [SRC[>>97]]
-- [2228] 延徳3.6.29 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1031] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]久喜市佐間]] [[定福院]] [[板碑]]]]
-- [2229] *栗橋町史3(6-13) [SRC[>>97]]
-- [2230] >>97 : 31
-- [2231] 型式M [SRC[>>97]]
-- [2232] 福徳2.7.6 [SRC[>>97]]

]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1047] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]ふじみ野市大井]] [[徳性寺]] [[板碑]]]]
-- [2281] *大井町の板碑(40) [SRC[>>97]]
-- [2282] 埼27-1-18 [SRC[>>97]]
-- [2283] >>97 : 47
-- [2284] 型式I [SRC[>>97]]
-- [2285] 延徳3.10.24 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1054] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]杉戸町堤根]] [[青木家]] [[板碑]]]]
-- [2292] *杉戸町史古代中世資料編(281) [SRC[>>97]]
-- [2293] 埼(89-14-3) [SRC[>>97]]
-- [2294] >>97 : 54
-- [2295] 型式N [SRC[>>97]]
-- [2296] 延徳3.11.15 [SRC[>>97]]

]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1095] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[深谷市]][[稲荷町]]]] 関口氏所蔵 十一面観音懸仏]]
-- [1096] >>464 : [V[資料[YOKO[63]]]]
-- [1097] 福徳二年霜月吉日 [SRC[>>464 ([CITE[武蔵史料銘記集]], [[稲村坦元]])]]


]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1065] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]美里町小茂田]] [[勝輪寺]] [[板碑]]]]
-- [2328] >>97 : 65
-- [2329] 福徳 2.12 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1073] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[蕨市]][[中央]]]] [[斎藤家]] [[板碑]]]]
-- [2340] 埼(8-7-1) [SRC[>>97]]
-- [1917] >>251 : [L[(26)]]
-- [2339] >>2384 : [L[8]]
-- [2341] >>97 : 73
-- [2385] >>2384 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
--[1918] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[    ]]]]」
[SRC[>>251, >>2384]]
--- [2342] 福徳2 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

[2386] 
[TIME[平成3(1991)年][1991]]の史料集は、
>>1073
を紹介し、
[[私年号]]で延徳3年としています。 
[SRC[>>2384]]

[REFS[

- [2384] 
[CITE@ja-JP[新修蕨市史 資料編 1 (古代・中世)]], [[蕨市]], [TIME[1991.3][1991]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T11:13:08.861Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13216459/1/423?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [237] 
[DATA(.label)[[[日本国]][[埼玉県]][[八潮市]][[中央]] [[妙光寺]] [CITE[題目曼荼羅]]]],
[DATA(.author)[[[日正]]]]
-- [240] >>35 : カラー写真 (解像度中の上)
-- [238] 
福徳3年6月吉日
[SRC[>>35]]

]ITEMS]

[241] 
文字が重なっていて、よりによって年の部分がよくわかりません。 [SRC[>>240]]

[239] 
[TIME[令和2(2020)年][2020]]付の文化財紹介は、
>>237
を紹介して、「[L[福徳3年(1491)]]」を[[私年号]]としています。
[SRC[>>35]]

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[35] 
[CITE[私年号曼荼羅.indd - 18.mandara.pdf]], [TIME[2020-03-26T01:27:43.000Z]], [TIME[2023-12-18T07:11:37.455Z]] <https://www.city.yashio.lg.jp/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai.files/18.mandara.pdf>
]FIGCAPTION]

>
[LEFT[
[SNIP[]]この題目曼荼羅には、福徳3年6月吉日[BR[]]
の紀年がみられるが、「福徳」という年号は朝廷[BR[]]
によって定められた公式の年号ではなく、一時的[BR[]]
に関東地方の一部の豪族や寺社などで使用された[BR[]]
私年号であり、この福徳3年は、[RUBY[延][えん]][RUBY[徳][とく]]3年(1491)[BR[]]
に相当する。
]LEFT]
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[380] [CITE@ja[幸田一族の墓域.indd - 29.koudaitizoku.pdf]], [TIME[2020-03-26T01:43:22.000Z]], [TIME[2024-02-29T12:48:39.253Z]] <https://www.city.yashio.lg.jp/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai.files/29.koudaitizoku.pdf>
]FIGCAPTION]

>
[LEFT[
昭和 47 年 3 月 9 日 八潮市指定記念物(史跡)[BR[]]
●八潮市中央3丁目 19 番地2(妙光寺)
]LEFT]

>[L[福徳3年日正筆私年号曼荼羅(非公開)]]
]FIG]

]REFS]


[429] 
[CITE@ja-JP[塩舟観音寺]], [[武蔵書房]], [TIME[1970]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-10-31T07:43:28.922Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12270823/1/29?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)



[433] 
[CITE@ja-JP[新座の金石文]], [[新座市教育委員会市史編さん室]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-28T08:56:26.395Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12207344/1/41?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[439] 
[CITE@ja-JP[武蔵野 11(3)]], [[武蔵野文化協会]], [TIME[1928-03]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T09:07:57.338Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7932468/1/39?keyword=%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[449] 
[CITE@ja-JP[日本考古図録大成 第拾參輯]], [[日東書院]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T05:15:37.489Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1903708/1/87?keyword=福徳> (要登録)


- [446] 
[CITE@ja-JP[武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡)]], [[千々和実]], [TIME[1968]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T09:00:58.934Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/148?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[454] 
[CITE@ja-JP[埼玉県板石塔婆調査報告書 本文・図版編]], [[埼玉県立歴史資料館]], [TIME[1981.3.][1981]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-29T07:31:08.949Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261363/1/22?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


[448] 
[CITE@ja-JP[板碑 : 特別展図録]], [[埼玉県立博物館]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T05:48:40.912Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261498/1/60?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

[784] 
[CITE@ja-JP[歴史考古学 (5)]], [[歴史考古学研究会]], [TIME[1980-09]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-07-29T03:48:49.792Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7951453/1/30?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


[419] 
[CITE@ja-JP[研究紀要 (16)]], [[埼玉県立歴史資料館]], [TIME[1994-03]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T07:19:39.770Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7952173/1/78?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[422] 
[CITE@ja-JP[新座市史 第1巻 (自然・考古・古代中世資料編)]], [[新座市教育委員会市史編さん室]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-13T09:28:01.140Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643199/1/430?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[423] 
>>422 [[足利成氏]]が好んで用いたという説があることになっている


*** 大里郡

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [2365] 
[CITE(.label)[上杉定正遺言状]]
-- [2366] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年庚戌[BR[]]    三月二日]]]]」
[SRC[>>2364]]

]ITEMS]

[2380] 
[TIME[昭和19(1944)年][1944]]の書籍は、
>>2365
を紹介して、
[[私年號]]で延徳2年としています。
[SRC[>>2379]]

[2367] 
>>2365
の昭和39年私家版本は、
[[私年号]]で福徳元年は延徳2年と注釈しています。
[SRC[>>2346]]

[REFS[


- [2379] 
[CITE@ja-JP[日本人の遺言状]], [[桑田忠親]], [TIME[昭和19][1944]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T11:07:37.309Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1042937/1/25?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [2364] 
[CITE@ja-JP[上杉定正遺言状]], [[平野実]], [TIME[1964]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T09:49:38.777Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998444/1/20?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


]REFS]

*** 新座郡

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1002] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]朝霞市根岸台]] [[金子家]] [[板碑]]]]
-- [2010] 朝霞市博物館調査報告3(447) [SRC[>>97]]
-- [2011] 埼(11-7-24) [SRC[>>97]]
-- [2012] >>97 : 02
-- [2013] 延徳3.1.6 [SRC[>>97]]
- [1024] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]朝霞市根岸台]] [[御嶽神社]] [[板碑]]]]
-- [2014] 朝霞市博物館調査報告3(448) [SRC[>>97]]
-- [2015] 埼(11-15-88) [SRC[>>97]]
-- [2016] >>97 : 24
-- [2017] 延徳3.5.20 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1147] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[入間郡]][[瀧入村]]]] [[桂林寺]][[観音堂]] [[鰐口]]]]
-- [1876] >>1875 : [L[248]]
-- [1877] [[日本国]][[埼玉県]][[入間郡]][[毛呂山町]] [[桂林観音堂]] [SRC[>>1875]]
-- [1878]  
「[V[奉懸氷河之大明神御宝前之鰐口武州新座之郡広沢之郷浜[BR[]]崎之宮[BR[]][DATA(.text)[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]九月吉日]]願主大夫三郎太郎[LINES(smaller)[敬][白]]]]」
[SRC[>>1146]]
--- [1149] 
「奉懸氷河之大明神御宝前之鰐口武州新座之郡広沢之郷浜崎宮 [DATA(.text)[福徳二辛亥九月吉日]] 願主 太夫三郎太郎敬白」
[SRC[>>1146]]

]ITEMS]

[1879] 
[TIME[平成6(1994)年][1994]]の史料集は、
>>1147
を紹介し、
[[福徳]]は[TIME[西暦1491年][1491]]の[[私年号]]であり、[[関東]]を中心に[[東北]]・[[中部地方]]と広範囲で用いられたのであり、
[[私年号]]はめでたい文字の仕様例が多く、[[福徳]]は[[延徳]]の[[1字を変え][1字置き換え説]]、
[[元号]]の攘災招福の呪術性を高めようとしたといわれる、
戦乱続きから平和な日々の復活を祈って用いたのかもしれない、と解説しています。 [SRC[>>1875]]

[REFS[


- [1151] [CITE[新編武蔵風土記稿]]
-- [1153] [CITE@ja-JP[新編武蔵風土記稿埼玉編 上之巻1]], [['''['''間宮士信ほか''']''']], [TIME[1981]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T05:26:51.765Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642529/1/52?keyword=%E9%80%B8%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-- [1152] 
[CITE@ja-JP[新篇武蔵風土記稿 第5]], [['''['''間宮士信 等編''']''']], [TIME[1969]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T05:26:20.478Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12279586/1/184?keyword=%E9%80%B8%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-- [1150] 
[CITE@ja-JP[大日本地名辞書 中巻 二版]], [[吉田東伍]], [TIME[1907/10/17][1907-10-17]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-05T05:25:36.308Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2937058/1/588?keyword=%E9%80%B8%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1146] 
[CITE@ja[浜崎氷川神社。朝霞市浜崎の神社、浜崎村鎮守]], [TIME[2026-08-05T05:19:33.000Z]] <https://tesshow.jp/saitama/asaka/shrine_hamazaki_hikawa.html>
]FIGCAPTION]

>>氷川社
>>(浜崎)村の西の方にあり。社は2間半に3間。前に鳥居を建つ。鎮座の年暦は傳へざれど、入間郡瀧入村桂林寺の観音堂に掛し鰐口に、奉掛氷川之大明神、御寶前之鰐口、武州新座郡之廣澤郷浜崎之宮、福徳2年辛亥9月吉日、願主大夫三郎太郎敬白と銘せしは、恐らくは元当社の物なるべければ、古社なる事證すべし。されどご神徳は逸年号にして、何れの朝の号なるや詳ならず。村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)

>>
当社がこの地に勧請された年代については定かではないが、毛呂山町滝ノ入の桂木寺にある桂木観音堂に懸かる鰐口の銘文から、室町中期には既に存在していたことがうかがわれる。この銘文は「奉懸氷河之大明神御宝前之鰐口武州新座之郡広沢之郷浜崎宮 福徳二辛亥九月吉日 願主 太夫三郎太郎敬白」というもので、文中の氷河之大明神は当社のこと、私年号である福徳二年は干支から延徳三年(一四九一)のことと推測される。当社に奉納された鰐口が毛呂山町にある理由は不明である。このことは、化政期(一八〇四-三〇)に編纂された「風土記稿」いも記されている。
>[SNIP[]](「埼玉の神社」より)
]FIG]

;; [1154] 「ご神徳」は「[V[神︀德]]」が正しい [SRC[>>1152, >>1153, >>1150]]
[[OCR]] 誤りか。

- [1875] 
[CITE@ja-JP[板橋区史 資料編 2 (古代・中世)]], [[板橋区史編さん調査会]], [TIME[1994.3][1994]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-10T05:33:57.548Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13128460/1/188?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

]REFS]


*** 埼玉郡

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1022] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[加須市]][[根古屋]]]] [[妙光寺]] [[題目板碑]]]]
-- [2203] 埼71-46-10 [SRC[>>97]]
-- [2204] *栗橋町史3 [SRC[>>97]]
-- [1948] >>251 : [L[(35)]]
-- [2205] >>97 : 22
-- [1949] [[日本国]][[埼玉県]][[北埼玉郡]][[騎西町]][[根古屋]] [[萩原茂雄]] 所蔵 [SRC[>>251]]
-- [2206] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年四月十二日]]]]」
[SRC[>>251]]

]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1067] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[宮代町]][[東]]]] [[西光院]] [[板碑]]]]
-- [2330] *宮代町の板石塔婆(3) [SRC[>>97]]
-- [2331] 野仏39(4) [SRC[>>97]]
-- [2332] 埼玉(82-1-3) [SRC[>>97]]
-- [1509] >>2411 : ④
-- [1950] >>251 : [L[(36)]]
-- [2333] >>97 : 67
-- [96] >>274 : カラー写真 (中解像度)
-- [1511] >>2411 ④ : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [2334] 型式N [SRC[>>97]]
-- [1510] 
「[V[[LINES(normal)[福徳元年][[SNIP[]]][□月三日]]]]」
[SRC[>>2411]]
--- [1483] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年□□月三日]]]]」
[SRC[>>408 ([[星野昌治]])]]
--- [1951] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年□月三日]]]]」
[SRC[>>251]]
--- [2335] 福徳1.-.3 [SRC[>>97]]

]ITEMS]


-[48] [CITE@ja[ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム]]
宮代町史 通史編第二編 中世第四章 中世の寺社と信仰第四節 石造供養塔の造立
コラム 板碑に刻まれた私年号
([TIME[2019-06-24 18:43:10 +09:00]]) <https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1144205100/1144205100100010/ht200510>
-[274] [CITE@ja[テキスト / コラム 板碑に刻まれた私年号]], [TIME[2024-01-20T13:40:43.000Z]] <https://adeac.jp/miyashiro-lib/text-list/d100010/ht200510>
-[275] [CITE@ja[宮代町史 通史編'''['''2''']''']], [TIME[2024-01-20T13:43:18.000Z]] <https://adeac.jp/miyashiro-lib/viewer/direct/tsushihen2/?p=89>

>宮代町における私年号は、西光院にある板碑に刻まれた「福徳元年□月三日」銘である。「福徳」は、延徳元年(一四八九)に甲斐国あたりで疫病が流行し、翌年の秋は異常寒気となり降雪に悩まされていた。そのため、これまでのように年号を変えることによって、この惨況を克服するため公年号の一字を入れ替えて「福徳」と命名したと考えられている。福徳元年は延徳二年に該当する。
> 私年号の「福徳」が使用された範囲は、武蔵、相模をはじめ関東地方一帯に及んでいる。





*** 比企郡



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1046] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[吉見町]][[久保田]]]] [[無量寺墓地]] [[板碑]]]]
-- [2277] *埼(41-28-2) [SRC[>>97]]
-- [1946] >>251 : [L[(34)]]
-- [2278] >>97 : 46
-- [2279] 型式K [SRC[>>97]]
-- [1947] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[□][亥]]十月十七日]]]]」
[SRC[>>251]]
--- [2280] 福徳2.10.17 辛亥 [SRC[>>97]]
--- [1507] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(normal)[□][□]]十月十七日]]]]」
[SRC[>>2410 ([CITE[[[吉見町史]] 上巻]], 昭和53年12月10日)]]


]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1080] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[嵐山町]][[遠山]]]] [[板碑]]]]
-- [1000] >>464 : [V[資料[YOKO[58]]]]
-- [1916] >>251 : [L[(25)]]
-- [2354] >>97 : 80
-- [1085] [[埼玉県]][[比企郡]][[菅谷村]][[遠山]] [[遠山寺]] [SRC[>>464, >>408]]
-- [2355] 福徳 [SRC[>>464 ([CITE[県内における私年号板碑]]), >>97, >>408 ([CITE[県内における私年号板碑]])]]

]ITEMS]



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1033] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[川島町]][[中山]]]] [[正泉寺]] [[板碑]]]]
-- [2248] 埼(40-19-3) [SRC[>>97]]
-- [2249] *川島町の板碑(1-7-5) [SRC[>>97]]
-- [1944] >>251 : [L[(33例)]]
-- [2250] >>97 : 33
-- [2251] 型式J [SRC[>>97]]
-- [1489] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年七月晦日]]]]」 [SRC[>>408 ([CITE[戸田市文化財調査報告[YOKO[IV]]]])]]
-- [2252] 福徳2.7.晦日 辛亥 [SRC[>>97]]
-- [1945] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年七月十五日]]]]」
[SRC[>>251]]
- [1069] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[川島町]][[表]]]] [[養竹院]] [[板碑]]]]
-- [2253] *川島町の板碑(3-2-6) [SRC[>>97]]
-- [2254] >>97 : 69
-- [2255] 型式J [SRC[>>97]]
-- [2256] 福徳2.-.11 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]





*** 入間郡


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1060] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[入間市]][[小谷田]]]] [[谷津墓地]] [[板碑]]]]
-- [2319] 入間市史中世史料金石文編(61) [SRC[>>97]]
-- [2320] *野仏30(6) [SRC[>>97]]
-- [2321] 埼(23-54-1) [SRC[>>97]]
-- [2322] >>97 : 60
-- [2323] 型式A [SRC[>>97]]
-- [2324] 延徳3.11 辛亥 [SRC[>>97]]
- [1079] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[入間市]][[小谷田]]]] [[東光寺墓地]] [[板碑]]]]
-- [948] >>464 : [V[資料[YOKO[35]]]]
-- [1913] >>251 : [L[(23)]]
-- [2326] >>97 : 79
-- [1484] [[日本国]][[埼玉県]][[入間市]][[武蔵町]] [[東光寺]] [SRC[>>408]]
-- [2327] 福徳 [SRC[>>464 ([CSECTION[板碑]], [[中島利一郎]], [CITE[考古学講座]]), >>97, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
- [832] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[入間市]][[毛呂山町]][[滝入]]]] [[桂山寺]] [[鰐口]]]]
-- [833] >>464 : [V[資料[YOKO[9]]]]
-- [834] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年辛亥九月吉日]]]]」
[SRC[>>464]]
- [1091] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[入間市]]]] [[最勝寺]]]]
-- [1093] >>464 : [V[資料[YOKO[62]]]]
-- [1092] [[日本国]][[埼玉県]][[入間郡]][[越生町]][[内裡宮]] [SRC[>>464]]
-- [1094] 福徳第二年 [SRC[>>464 ([CITE[[[新編武蔵風土記稿]] 入間郡之二十]])]]

]ITEMS]

-*-*-

[1148] >>1147



*** 北足立郡



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1051] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[上尾市]][[菅谷]]]] [[平野家]] [[板碑]]]]
-- [2287] 埼(5-42-1) [SRC[>>97]]
-- [2288] *野仏39(6) [SRC[>>97]]
-- [1515] >>2411 : ⑥
-- [1914] >>251 : [L[(24)]]
-- [2286] >>2133 : [L[302]]
-- [2172] >>2133 : 文化財 [L[38]]
-- [2369] >>2368 : [L[230]]
-- [2289] >>97 : 51
-- [2371] >>2368 /10 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [1516] >>2411 ⑥ : 拓本 白黒写真
-- [2146] >>2133 : 拓本 白黒写真 (解像度中の下)
-- [2290] 型式H [SRC[>>97]]
-- [2164] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]十一月七日]]]]」
[SRC[>>2133]]
--- [1158] [V[[RUBY[福徳][ふくとく]]二年十一月七日]] [SRC[>>7]]
--- [1159] 福徳三年 [SRC[>>1156]]
--- [1517] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年十一月廾日]]]]」
[SRC[>>2411]]
--- [1915] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]十一月廿日]]]]」
[SRC[>>251, >>2368]]
--- [2297] 福徳2年枠線月20日
[SRC[>>2298]]
--- [2291] 福徳2.11.7 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

[1518] [[日番号]]は[CH[廿]]なのか[CH[七]]なのか不明瞭。 [SRC[>>1516]]

[2370] 
[TIME[平成4(1992)年][1992]]の史料集は、
>>1051
を紹介し、
[[私年号]]で延徳3年にあたる、
[[福徳]]は県内で17基確認されている、
[[私年号]]の出現は飢饉や天災など、自然災害や兵乱などの社会状況を反映し、
[[改元]]はこれらを克服したいという願望からである、と説明しています。
[SRC[>>2368]]

[2267] 
[TIME[平成11(1999)年][1999]]の地域史は、
>>1051
を紹介し、
[[私年号]]で延徳3年とし、
[[私年号]]は時の[[元号]]の[[1字をめでたい字に置き換え][1字置き換え説]]て攘災招福の呪術性を高めようと考えたものである、
と説明しています。
[SRC[>>2133 /316]]


[7] [CITE@ja-JP[史跡ある記 続]], [[石島潔, 上尾市企画財政部広報課]], [TIME[1990.3][1990]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:59:19.248Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644437/1/62> (要登録)

[REFS[

- [2368] 
[CITE@ja-JP[[[上尾市史]] 第2巻 (資料編 2 古代・中世・近世1)]], [[上尾市教育委員会]], [TIME[1992.3][1992]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T10:37:49.572Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13181056/1/131?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [2133] 
[CITE@ja-JP[[[上尾市史]] 第9巻 (別編 2 金石・文化財)]], [[上尾市教育委員会]], [TIME[1999.3][1999]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T09:15:33.782Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13134453/1/184?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [2298] [CITE[東国板碑データベース]], 平成20年

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1156] [CITE@ja[ageo_no_kankou_2025_A.pdf]], [TIME[2026-02-27T04:41:15.000Z]], [TIME[2026-08-05T06:01:08.934Z]] <https://mitte-x-img.istsw.jp/ageo-kankou/file/ageo_no_kankou_2025_A.pdf#page=3>
]FIGCAPTION]

>[L[私年号福徳三年銘板石塔婆]]

(地図)
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1157] 
[CITE@ja[広報あげお№971 - 25535.pdf]], [TIME[2021-11-08T10:16:48.000Z]], [TIME[2026-08-05T06:03:16.302Z]] <https://www.city.ageo.lg.jp/uploaded/attachment/25535.pdf>
]FIGCAPTION]

>
[LEFT[
また「延徳」や「福徳」といった、朝廷が正式[BR[]]
に定めたものでない年号を用いた板碑もある[BR[]]
([B[写真3]])。これらの年号は[RUBY[私][し]]年号と呼ばれ、[BR[]]
社寺や有力者が時の年号をめでたい字に置き[BR[]]
換えたもので、元号の[RUBY[攘][じょう]][RUBY[災][さい]]や招福のためと考[BR[]]
えられている。
]LEFT]

>
[VRL[
[B[写真3 私年号板石塔婆[BR[]](個人蔵)]][BR[]]
私年号の「福徳」が刻まれ[BR[]]
ている
]VRL]

(カラー写真 低解像度)
]FIG]

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1005] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]川口市道合]] [[庄陣場遺跡]] [[板碑]]]]
-- [2036] *川口市史古代中世資料編(477) [SRC[>>97]]
-- [2037] 埼(1-43-3) [SRC[>>97]]
-- [2038] >>97 : 05
-- [2039] 型式G [SRC[>>97]]
-- [2040] 延徳3.1 [SRC[>>97]]
- [1008] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]川口市元郷]] [[平柳遺跡]] [[板碑]]]]
-- [2041] *平柳遺跡 [SRC[>>97]]
-- [2042] >>97 : 08
-- [2043] 福徳-.2.21 [SRC[>>97]]
- [1015] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]川口市柳崎]] [[観音院]] [[板碑]]]]
-- [2044] 川口市史古代中世資料編(亡失90) [SRC[>>97]]
-- [2045] >>97 : 15
-- [1494] 亡失 [SRC[>>97]]
-- [2046] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2047] 延徳3.3.10 [SRC[>>97]]
- [1038] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[川口市]][[舟戸]]]] [[善光寺]] [[板碑]]]]
-- [942] >>464 : [V[資料[YOKO[33]]]]
-- [2048] *川口市史古代中世資料編(478) [SRC[>>97]]
-- [2049] 埼(1-23-12) [SRC[>>97]]
-- [1525] >>2411 : ⑩
-- [1909] >>251 : [L[(21)]]
-- [2051] >>97 : 38
-- [1527] >>2411 ⑩ : 拓本 白黒写真 (解像度上の下)
-- [1526] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福徳元年[LINES(normal)[□][亥]]][[SNIP[]]][八月時正]]]]]]」
[SRC[>>2411]]
--- [2052] 福徳1.8. 時正 □亥 [SRC[>>97]]
--- [943] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年辛亥十八月時正]]]]」
[SRC[>>464]]
--- [1910] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年辛亥八月時正]]]]」
[SRC[>>251 (実見)]]
--- [1496] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年[LINES(normal)[辛][亥]]八月時正]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[県内における私年号板碑]])]]
- [1086] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[川口市]][[舟戸]]]] [[善光寺]] [[板碑]]]]
-- [1087] >>464 : [V[資料[YOKO[59]]]]
-- [1912] >>251 : [L[(22)]]
-- [1088] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年八月  日]]]]」 
[SRC[>>464 ([CITE[県内における私年号板碑]]), >>408 ([CITE[県内における私年号板碑]])]]
- [1045] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[川口市]][[前川]]]] [[観福寺]] [[板碑]]]]
-- [808] >>464 : [V[資料[YOKO[6]]]]
-- [2053] 埼玉史談13-2,川口市古代中世資料編(亡91) [SRC[>>97]]
-- [2054] *野仏39(7) [SRC[>>97]]
-- [2055] 埼1-47-3 [SRC[>>97]]
-- [1520] >>2411 : ⑦
-- [1908] >>251 : [L[(20)]]
-- [2056] >>97 : 45
-- [1490] 亡失 [SRC[>>97]]
-- [1521] >>2411 ⑦ : 拓本 白黒写真
-- [2057] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2058] 福徳2.10.16 辛亥 [SRC[>>97]]
--- [809] 
「[DATA(.text)[[V[福徳三年辛亥十月十六日]]]]」 [SRC[>>464, >>251 (実見)]]
--- [1492] 
「[DATA(.text)[[V[福徳三年[LINES(normal)[辛][亥]]十月十六日]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[県内における私年号板碑]])]]
--- [1519] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福徳二年[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]][[SNIP[]]][十月廾六日]]]]]]」
[SRC[>>2411]]
-- [122] No.45 は2年説と3年説があります。原物は既になく、拓本から2年だと >>97 は判定しています。




- [1052] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[埼玉県]]川口市舟戸町]] [[善光寺]] [[板碑]]]]
-- [2059] *川口市史古代中世資料編(補27) [SRC[>>97]]
-- [2060] 埼(1-23-92) [SRC[>>97]]
-- [2061] >>97 : 52
-- [2062] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2063] 延徳3.11.8 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]


[69] [CITE@ja-JP[川口市史 古代・中世資料編]], [[川口市]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-04T10:11:04.000Z]], [TIME[2024-01-04T13:30:47.507Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/338> (要登録)

かつて福徳二年と読まれていたが不明に

[68] [CITE@ja-JP[川口市史 古代・中世資料編]], [[川口市]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-04T10:11:04.000Z]], [TIME[2024-01-04T13:24:09.260Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/317> (要登録)

福徳元年辛亥


-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [264] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[和歌山県]][[伊都郡]]]] [[釈迦文院]] 所蔵 [CITE[諸尊表白抄]] 写本]]
-- [265] >>263 : 1554
-- [266] [DATA(.label)[第一奥書]]
[PRE[
  延
  福徳三年{辛/亥}四月一日於武州足立郡
  河口錫杖寺依求法弟子之所
  望抄之沙門印融
]PRE]
[SRC[>>263]]
-- [270] [DATA(.label)[第二奥書]]
[PRE[
  延
  福徳三年{辛/亥}四月二日記之
                 沙門印融
]PRE]
[SRC[>>263]]
-- [271] [DATA(.label)[第三奥書]]
[PRE[
  延
  福徳三年{辛/亥}四月七日記之了
                 沙門印融
]PRE]
[SRC[>>263]]
-- [332] [DATA(.label)[第四奥書]]
[PRE[
  延
  福徳三年{辛/亥}四月八日記之了
                 沙門印融
]PRE]
[SRC[>>263]]
-- [333] [DATA(.label)[第五奥書]]
[PRE[
  延
  福徳三年{辛/亥}四月十一日記之了
                 沙門印融
]PRE]
[SRC[>>263]]
-- [334] [DATA(.label)[第六奥書]]
[PRE[
  延
  福徳三年{辛/亥}四月十九日記之了
                 沙門印融
]PRE]
[SRC[>>263]]
-- [335] [DATA(.label)[第七奥書]]
[PRE[
  延
  福徳三年{辛/亥}四月廿三日記之了
                 沙門印融
]PRE]
-- [336] [DATA(.label)[第八奥書]]
[PRE[
  右八帖表白付三宝院流諸尊法
  (抹消)
  [  ]或拾古賢之筆跡或廻
  今愚之短才為求法ノ弟子所
  記也
  延
  福徳三年{辛/亥}五月二日
               沙門印融
]PRE]
[SRC[>>263]]

]ITEMS]

[REFS[

-
[263] 
[CITE@ja[1554_諸尊表白抄(釈迦文院) :: 東文研アーカイブデータベース]], [TIME[2026-08-04T15:48:11.000Z]] <https://www.tobunken.go.jp/materials/nenki/121028.html>
-- [267] 「年紀 	福徳三年(1491)」

]REFS]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1139] 
[CITE@ja[宝珠山 錫杖寺 <公式HP> - 寺院紹介]], [TIME[2026-08-05T04:42:23.000Z]] <https://www.shakujouji.jp/%E5%AF%BA%E9%99%A2%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E5%AF%BA%E9%99%A2%E7%B4%B9%E4%BB%8B?utm_source=chatgpt.com#h.16ae5a6b3dcf19f1_333>
]FIGCAPTION]

>印融法印は関東各地の真言宗寺院の復興に努めるとともに、密教教学の興隆にも尽力したことでも知られ多くの著作が残されており『諸尊表日抄』は錫杖寺で著されました。奥書に「延徳三年辛亥四月一日、於武州足立郡河口錫杖寺において、求法弟子の所望によってこれを抄す。沙門印融」(原稿は漢文)と記されています。

>埼玉県川口市本町2−4−37
]FIG]

[337] 
[CITE@ja[2023hensan.pdf]], [TIME[2024-11-13T05:42:37.000Z]], [TIME[2026-08-04T15:53:55.113Z]] <https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/shoho0059/2023hensan.pdf#page=1>

>
[VRL[
[SNIP[]]富山市立図書館[BR[]]
所蔵山田孝雄文庫本『表白鈔』(高野山宝珠院旧蔵室町後期写本。同館ホー[BR[]]
ムページの電子図書館から画像を公開)第二冊の奥書には「延徳二年四月十[BR[]]
九日、記之、/沙門印―」と載せる。他の冊に「延徳三年〈辛亥〉四月一日」[BR[]]
(第一冊)あるいは「延徳二〈辛亥〉四月十一日」(第五冊)といった年記が[BR[]]
見えており、明らかに一連のものであって四月が一致するにもかかわらず、[BR[]]
二年・三年の両年にわたるうえ、延徳二年としながらも同三年の干支辛亥を[BR[]]
載せているものがあるなど、年記になんらかの混乱を来していることが推察[BR[]]
される。[BR[]]
実は、ここでの混乱の原因もまた関東の私年号にあった。この表白集の印[BR[]]
融自筆本は、高野山釈迦文院本『諸尊表白抄』(『特別展 中世よこはまの学[BR[]]
僧印融―戦国に生きた真言密教僧の足跡―』横浜市歴史博物館、一九九七年、[BR[]]
七四~七七頁に図版掲載)として伝わっており、第一冊の奥書は「延徳三年[BR[]]
〈辛亥〉四月一日、於武州足立郡河口錫杖寺、依求法弟子之所望抄之、 沙門[BR[]]
印融」とある。ただし、「延」の字は「福」の字を抹消した右傍に小書され、[BR[]]
「三」の字は「二」の字の上に墨線一本を加えて「三」に改竄したものだと[BR[]]
認められる。そして、「延」の字の筆跡は印融のそれとは別物のようだ。す[BR[]]
なわち、印融自身は本来「福徳二年〈辛亥〉」と記していたのである。
]VRL]

※[[1年ずれ延徳]]

** 東京都下

@@
[REFS[

- [1643] 
[CITE@ja-JP[東京都板碑所在目録 23区分]], [[東京都教育委員会]], [TIME[1979.3][1979]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T08:23:49.955Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261723/1/38> (要登録)
- [1646] 
[CITE@ja-JP[東京都板碑所在目録 多摩分]], [[東京都教育委員会]], [TIME[1980.2][1980]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-07T08:26:19.052Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261022/1/8> (要登録)

]REFS]


*** 区部


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1019] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[品川区]][[南品川]]]] [[海晏寺]] [[板碑]]]]
-- [2173] >>97 : 19
-- [1647] 福徳 二 三 十八 庚戌 [SRC[>>1463 /42 左]]
-- [1508] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(normal)[庚][戌]]三月十八日]]]]」
[SRC[>>2410 ([CITE[東京都板碑所在目録[YOKO[23]]区分]])]]
-- [2174] 福徳2.3.18 [SRC[>>97 ([CITE[東京都板碑所在目録23区分]])]]

]ITEMS]

[1648] 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]の目録は、
>>1019
を掲載して、
[TIME[西暦1490年][1490]]の[[私年号]]としています。

[ITEMS[

- [1027] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[品川区]][[荏原]]]] [[摩耶寺]] [[板碑]]]]
-- [2175] 品川区史史料編別冊2 [SRC[>>97]]
-- [2176] >>97 : 27
-- [2177] 延徳3.6.9 [SRC[>>97]]

]ITEMS]



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1020] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[練馬区]][[南大泉町]]]] [[妙福寺]] [[板碑]]]]
-- [2178] 練馬の板碑(123) [SRC[>>97]]
-- [2179] *ミロクと福徳 [SRC[>>97]]
-- [2180] >>97 : 20
-- [880] >>464 : [V[資料[YOKO[21]]]]
-- [1885]  >>251 : [L[(4)]]
-- [881] [[日本国]][[東京都]][[練馬区]][[石神井]] ([[南大泉]][[妙福寺]]所蔵) [SRC[>>464]]
-- [86] 
[[日本国]][[東京都]][[練馬区]][[南大泉]][[妙福寺]] [[月待信仰]][[板碑]] [SRC[>>80]]
-- [235] >>234 : カラー写真 (低解像度)
-- [882] >>464 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [236] >>234 : 拓本 白黒写真 (低解像度)
-- [2388] >>2387 : 拓本 白黒写真 (低解像度)
-- [2181] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2182] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年[LINES(smaller)[辛][亥]]三月廿三日]]]]」
[SRC[>>464, >>80, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
--- [2389] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年辛亥三月二十三日]]]]」
[SRC[>>2387]]
-- [958] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[練馬区]][[南田中町]]]] [[月待供養板碑]]]]
--- [959] >>464 : [V[資料[YOKO[39]]]]
--- [2405] [[田中]][[小字龜の尾]] [[鴨下源五郎]]家 後ろの林 [SRC[>>294]]
--- [2404] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德元年[SUP(smaller inline)[辛]][SUB(smaller inline)[亥]][BR[]]三月廿三日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>294]]
---- [1874] 福︀德元年 [SRC[>>1872]]
---- [960] 福徳元年 [SRC[>>464 ([CITE[板橋区史]]), >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]] 

]ITEMS]

[1873] 
[TIME[昭和29(1954)年][1954]]の地域史は、別の[[私年号]]の紹介において、[[練馬区]][[南田中町]]にあった福徳元年の板碑が特に有名だと述べています。
[[私年号]]は私に用いたので比定年が所によって差異あり、継続年数もまちまちなのは当然というべきで、天地凶変、不祥事件などの時に縁起を担いで嘉吉な文字を選んで定めたものが多く、[[福︀德]]はそのよい例と説明されています。
[SRC[>>1872]]

[2390] 
[TIME[昭和47(1972)年][1972]]の書籍は、
>>1020
を紹介して、次のように述べています。
[SRC[>>2387]]

- [2391] [[妙福寺]]秘仏 
-- [2392] 多くの人はここにこれがあることを知らない 
- [2393] [[干支年]]と[CH[徳]]から、延徳2年の[[私年号]]ではないか 
- [2394] 「聞くところ」 
-- [2395] 数十年前、[[練馬区][[石神井]]あたりの[[小字]] [[田中]] 旧家[[鴨下源五郎]]がこれを所蔵していた 
-- [2396] 知らぬ間に誰かが持ち出した 
-- [2397] ついに[[妙福寺]]所有となった


[REFS[

- [1872] 
[CITE@ja-JP[板橋区史]], [[板橋区史編纂委員会]], [TIME[1954]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-10T04:18:53.773Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3010277/1/154?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
- [2387] 
[CITE@ja-JP[武蔵野の地蔵尊 都内編]], [[三吉朋十]], [TIME[1972]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T11:16:06.680Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12170991/1/37?keyword=%E5%BB%B6%E5%BE%B3%20%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[234] 
[CITE@ja[福徳元年の月待板碑 (ふくとくがんねんのつきまちいたび):練馬区公式ホームページ]], [[Nerima city]], [TIME[2026-08-03T03:00:33.000Z]], [TIME[2026-08-04T14:46:57.814Z]] <https://www.city.nerima.tokyo.jp/kankomoyoshi/annai/rekishiwoshiru/rekishibunkazai/bunkazai/b2003.html>
]FIGCAPTION]

> [RUBY[私年号][しねんごう]](注釈1)である「福徳」や6[RUBY[躯][く]]の[RUBY[地蔵菩薩立像][じぞうぼさつりゅうぞう]]が刻まれる[RUBY[板碑][いたび]]は区内唯一です。[SNIP[]]

>(注釈1)[RUBY[私年号][しねんごう]]・・・朝廷が正式に定めた年号以外に用いられた年号で、戦国時代の[RUBY[東国][とうごく]]では広範囲で使用されました。民衆の天災や飢饉、戦乱からの救済願望によるものとされており、「福徳」も元号「延徳」の「[RUBY[延][えん]]」の字をめでたい「福」の字におきかえたものと考えられています。

]FIG]


]REFS]

[173] 
[CITE[練馬区史 歴史編]], [TIME[2020-02-14T10:24:45.000Z]], [TIME[2024-01-14T14:34:17.347Z]] <https://www2.i-repository.net/contents/myc/text_2rekishihen/rekishihen_honcho6.xhtml>

[2] [CITE[練馬区史]], [TIME[2017-07-28T05:16:46.000Z]], [TIME[2022-03-22T09:11:41.297Z]] <https://www2.i-repository.net/contents/myc/text_1junenshi/junenshi_honcho2.xhtml>



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1034] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]北区堀船]] [[福性寺]] [[板碑]]]]
-- [2257] *北区中世石造物調査報告書(131) [SRC[>>97]]
-- [2258] >>97 : 34
-- [2259] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2260] 福徳2.8.12 辛□ [SRC[>>97]]
- [1081] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]北区]] [[飛鳥山博物館]] [[板碑]]]]
-- [2261] *北区中世石造物調査報告書(116) [SRC[>>97]]
-- [2262] >>97 : 81
-- [2263] 福徳 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1084] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]江戸川区東小岩]] [[東養寺]] [[板碑]]]]
-- [2356] 江戸川区史1 [SRC[>>97]]
-- [2357] >>97 : 84
-- [2358] 延徳3 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1059] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[新宿区]][[西落合]]]] [[自性院]] [[板碑]]]]
-- [253] >>428 : [L[9-1-9]]
-- [2316] >>97 : 59
-- [254] [[自証院]] [SRC[>>97]]
-- [243] >>245 : カラー写真 (解像度上の下) 不自由
-- [247] >>428 : 白黒写真 (中解像度)
-- [2317] 型式E [SRC[>>97]]
-- [242] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[福︀__&&swc771(徳)&&__元年󠄂][[SNIP[]]][十一月  日]]]]]]」
([[楷書]])
[SRC[>>243]]
--- [244] 「[V[福__&&swc772(徳)&&__元年]]」「[V[十一月□日]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>428]]
--- [1644] 福徳 元 十一 [SRC[>>1643]]
--- [2318] 福徳1.11 [SRC[>>97]]
--- [1475] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年十一月  日]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[[[新宿区文化財報告書]] 第一集]])]]
--- [1953] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年十一月日]]]]」
[SRC[>>251]]

]ITEMS]

[255] 
[[妙正寺川]]の改修で川底から發見されました。 [SRC[>>428]]

[246] 
>>1059 の銘文は点画の明瞭な[[楷書]]で彫られています。 [SRC[>>243]]

[248] 
第2字はよくわからない[[字形]]です。[[草書]]の[[楷書]]化でしょうか。

[249] 
[TIME[昭和45(1970)年][1970]]の文化財紹介は、
第2字を作字して銘文を掲載し、
[[振り仮名]]を「とく」とし、
[[室町時代]]ごろの[[私年号]]としています。
[SRC[>>428]]
「とく」と読ませることから[[福徳]]を意識していると思われますが、
[[福徳]]であるとはどこにも書いていません。

[257] 
この[[元号名]]が[[福徳]]であるかは自明でなく、説明が必要と思われます。

[256] 
[[日番号]]を >>428 は□としていますが、 >>243 を見ると[[元々空欄だった][何月日]]ように見えます。

[1645] 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]の目録は、
>>1059
を掲載して、
[TIME[西暦1489年][1489]]としています。
[SRC[>>1643 /38]]

[1955] 
[TIME[昭和58(1983)年][1983]]の書籍は、
>>1059
を[CSECTION[[V[追記]]]]で他と分けて掲載し、刻字が余りに鮮明で痛みがないこと、界線からはみ出す文字があることを指摘し、本編一覧に加えるには若干の考慮を必要とするとしています。
[SRC[>>251]]
断言していないものの、改刻の可能性を疑っているようです。


[252] 
令和8年時点の文化財紹介 (初出不明) は、
[[字形]]についての説明はなく、
福徳元年は延徳2年の私年号としています。
[SRC[>>245]]

[REFS[

- [428] 
[CITE@ja-JP[新宿と石造文化]], [[東京都新宿区教育委員会]], [TIME[1970]], [TIME[2025-07-02T03:11:48.000Z]], [TIME[2025-07-22T13:32:10.934Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12423854/1/9?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[245] 
[CITE@ja[検索結果詳細 | 温故知しん!じゅく散歩 新宿文化観光資源案内サイト]], [TIME[2026-08-04T15:23:45.000Z]] <https://bunkakanko-annai.city.shinjuku.lg.jp/shosai3/?id=A085>
]FIGCAPTION]

>年代 	延徳2年(1490)

>戒名の両脇には「福徳元年」「十一月日」という年紀が刻まれている。福徳の年号は私年号であり、福徳元年は室町時代の延徳2年に当たる。私年号は中世に地方豪族や寺社が用いた私的な年号で、福徳の年号が刻まれた板碑は東京で11枚、埼玉で20枚のほか、神奈川や茨城などで合計40枚ほどが確認されている。
]FIG]

]REFS]

- [65] [CITE@ja-JP[新宿区史跡散歩]], [[高橋庄助]], [TIME[1978.5][1978]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-22T10:10:45.333Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641460/1/54> (要登録)
- [66] [CITE@ja-JP[新宿区史 : 区成立三〇周年記念]], [[新宿区]], [TIME[1978.3][1978]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-22T10:11:27.451Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641468/1/471> (要登録)

[1099] 
[CITE@ja[東京都新宿区の歴史 自性院]], [TIME[2026-08-05T02:28:44.000Z]] <https://tokyoshinjuku.blog.shinobi.jp/%E8%A5%BF%E8%90%BD%E5%90%88/%E8%87%AA%E6%80%A7%E9%99%A2>

> 「福徳元年(1490)11月 日」の紀年銘を記す、高さ41センチの阿弥陀一尊種子板碑で、ほぼ完全な形を保っている。「福徳」は私年号で、室町時代の延徳2年(1490)にあたると推定されている。
> 室町時代後期、中央政府の衰退と世相の混乱、民衆の現世利益の追求などにより、公年号と並び、地方豪族や寺社による私年号の使用が流行した。
> 「福徳」の私年号を記す板碑は南関東を中心に分布しているが区内では唯一のものである。
> 当時の社会的風潮を表す遺物として貴重である。
> 平成3年(1919)11月 東京都新宿区教育委員会

[1100] 
[CITE@ja[自性院 私年号板碑| 一般社団法人新宿観光振興協会]], [TIME[2026-08-05T02:29:42.000Z]] <https://www.kanko-shinjuku.jp/spot/-/article_313.html>

>高さ41センチ、幅18.5センチの小型の区指定文化財『私年号板碑』は、円光と蓮台を配置した阿弥陀の種子の下に「逆修妙心禅尼」と供養者の名を刻み、その左右に「福徳元年」「十一月」の紀年銘を記しています。福徳というのは私年号で、延徳2年(1490年)にあたると推定されます。私年号は室町時代に多く、政令が行き届かなかったことを示します。福徳の私年号を用いた板碑は、三多摩地方には稀に見られますが、区内では唯一の例です。


-[785] 
[CITE@ja[Xユーザーの桜まめさん: 「令和6年3月31日☀大安 12:53自性院 「福徳元年」という私年号の板碑があります。私年号の板碑とは室町時代に多く見られ政令が行き届かなかった事を示します。太田道灌が合戦中に道に迷い、猫に道案内をされて無事に勝利したことから猫寺としても有名です😹 13:05落合南長崎発🚃 お疲れさまでした💞 https://t.co/JsBUzRHYfg」 / X]], [TIME[午前5:58 · 2024年4月6日][2024-04-05T20:58:47.000Z]], [TIME[2026-08-04T03:12:56.000Z]] <https://x.com/4WFB0fZpOfra9Cj/status/1776353816922960084>
-[788] 
[CITE@ja[XユーザーのKeatonMasuda(キートン増田)さん: 「@KiichanNexus4 ここには室町時代の私年号『福徳』の板碑があるそうです。 私年号なんてあったんですね。 https://t.co/xLQATxMemy」 / X]], [TIME[午前8:37 · 2021年5月18日][2021-05-17T23:37:38.000Z]], [TIME[2026-08-04T03:17:48.000Z]] <https://x.com/KeatonMasuda/status/1394436982705590273/photo/1>

-*-*-


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1041] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]板橋区蓮根]] [[蓮華寺]] [[板碑]]]]
-- [2268] *板橋区史資料編2(221) [SRC[>>97]]
-- [2269] 文化財シリーズ26(106) [SRC[>>97]]
-- [2270] >>97 : 41
-- [2271] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2272] 延徳3.9.17 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1044] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[中野区]][[南台]]]] [[宝福寺]] [[板碑]]]]
-- [955] >>464 : [V[資料[YOKO[38]]]]
-- [1886] >>251 : [L[(5)]]
-- [2273] *中野区板碑資料集(52) [SRC[>>97]]
-- [2274] >>97 : 44
-- [957] >>464 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [2275] 型式E [SRC[>>97]]
-- [956] 
「[V[[LINES(normal)[福徳元年][[SNIP[]]][十月一日]]]]」
[SRC[>>464]]
--- [2276] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年十月一日]]]]」 [SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]

]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1032] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]大田区鵜の木]] [[光明寺]] [[板碑]]]]
-- [2233] *大田区の板碑集録(19-065) [SRC[>>97]]
-- [2234] >>97 : 32
-- [2235] 延徳3.7.19 辛亥 [SRC[>>97]]
- [1039] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]大田区鵜の木]] [[光明寺遺跡]] [[板碑]]]]
-- [2236] *環8光明寺地区遺跡調査報告(318) [SRC[>>97]]
-- [2237] 大田区の板碑集録 [SRC[>>97]]
-- [2238] >>97 : 39
-- [2239] 福徳1.8. 時正 辛亥 [SRC[>>97]]
- [1040] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]大田区鵜の木]] [[光明寺遺跡]] [[板碑]]]]
-- [2240] *環8光明寺地区遺跡調査報告(320) [SRC[>>97]]
-- [2241] 大田区の板碑集録 [SRC[>>97]]
-- [2242] >>97 : 40
-- [2243] 福徳2.8 [SRC[>>97]]
- [1070] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]大田区鵜の木]] [[光明寺遺跡]] [[板碑]]]]
-- [2244] *環8光明寺地区遺跡調査報告(321) [SRC[>>97]]
-- [2245] 大田区の板碑集録 [SRC[>>97]]
-- [2246] >>97 : 70
-- [2247] 福徳2 [SRC[>>97]]

]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1023] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]世田谷区大蔵]] [[永安寺]] [[板碑]]]]
-- [2207] *世田谷区現存板碑集成(118) [SRC[>>97]]
-- [2208] >>97 : 23
-- [2209] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2210] 福徳-.4.14 [SRC[>>97]]

]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1014] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]足立区古千谷]] [[妙蓮寺]] [[板碑]]]]
-- [2134] *足立区文化財調査報告板碑編(141) [SRC[>>97]]
-- [2135] >>97 : 14
-- [2136] 延徳3.2 庚戌 [SRC[>>97]]
- [1026] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]足立区伊興]] [[源正寺]] [[板碑]]]]
-- [2137] *足立区文化財調査報告板碑編(110) [SRC[>>97]]
-- [2138] >>97 : 26
-- [2139] 延徳3.6.3 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1009] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[葛飾区]][[青戸]]]] [[葛西城跡]] [[板碑]]]]
-- [2077] 葛飾区板碑調査報告(145) [SRC[>>97]]
-- [2078] >>97 著者採拓
-- [2079] >>97 : 09
-- [2080] 型式E [SRC[>>97]]
-- [1474] 
「[DATA(.text)[[V[福徳元年亥二月三日]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[葛飾区文化財総合調査報告書]])]]
-- [2081] 福徳1.2.23 □亥 [SRC[>>97]]
- [1043] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[葛飾区]][[青戸]]]] [[葛西城跡]] [[板碑]]]]
-- [2082] 葛西城1983(65-4) [SRC[>>97]]
-- [2083] 葛飾区板碑調査報告(197) [SRC[>>97]]
-- [2084] >>97 : 43
-- [2085] 型式E [SRC[>>97]]
-- [2086] 延徳3.10.4 [SRC[>>97]]
- [1083] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[葛飾区]][[東堀切]]]] [[杉浦家]] [[板碑]]]]
-- [2087] 葛飾区板碑調査報告(64) [SRC[>>97]]
-- [2088] >>97 : 83
-- [2089] 延徳3 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]



[442] 
[CITE@ja-JP[葛飾区板碑調査報告]], [[東京都葛飾区教育委員会社会教育課]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T15:33:44.268Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221234/1/28?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[451] 
[CITE@ja-JP[東京都古代中世古文書金石文集成 第4巻 (金石文編)]], [[角川文化振興財団, 平野邦雄, 杉山博 監修]], [TIME[1997.5][1997]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T06:32:31.580Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13176990/1/102?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)




*** 多摩



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1036] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[立川市]][[綿町]]]] 出土 [[板碑]]]]
-- [2264] *立川市史研究5 [SRC[>>97]]
-- [2265] >>97 : 36
-- [2266] 型式E [SRC[>>97]]
-- [1502] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(normal)[辛][井]]八月十六日]]]]」
[SRC[>>2409 ([CITE[立川市錦町出土の板碑について]], [[庄司緯子]], [CITE[[[立川市史研究]]第三冊]])]]
-- [1500] 福徳2.8.16 [SRC[>>97]]
- [215] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[立川市]][[柴崎町]]]] [[坂谷家]] [[板碑]]]]
-- [214] >>403 : ⑥
-- [213] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]/八月十六日]]/逆修性賢禅尼]]」 [SRC[>>403]]
--- [1501] 
「[DATA(.text)[[V[[福徳]元年八月六日[YOKO[?]]]]]]」
[SRC[>>2409 ([CITE[立川市柴崎町板谷氏邸内の板碑]], [[庄司緯子]], [CITE[[[立川市史研究]]第四冊]])]]

]ITEMS]



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1071] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[あきる野市]][[瀬戸岡]]]] [[瀬戸岡神明社]] [[板碑]]]]
-- [949] >>464 : [V[資料[YOKO[36]]]]
-- [1883] >>251 : [L[(2)]]
-- [2337] >>97 : 71
-- [226] [[日本国]][[東京都]][[西多摩郡]][[秋多町]][[瀬戸岡]] [[明神社]] [SRC[>>464, >>408]]
-- [224] [[日本国]][[東京都]][[あきる野市]][[瀬戸岡]] [[明神社]] [SRC[>>403]]
-- [950] 亡失 [SRC[>>403, >>97]]
-- [2338] 福徳 [SRC[>>464 ([CSECTION[板碑]], [[中島利一郎]], [CITE[考古学講座]]), >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
-- [225] 福徳二年 [SRC[>>403]]
-- [951] 福徳2 [SRC[>>97 ([CITE[日本私年号の研究]])]]

]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1055] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[八王子市]][[川口下川口]]]] [[板碑]]]]
-- [979] >>464 : [V[資料[YOKO[49]]]]
-- [1896] >>251 : [L[(11)]]
-- [2299] >>97 : 55
-- [980] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年十一月十四日]]]]」
[SRC[>>464 ([CITE[板碑概説]]), >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
--- [1897] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][][亥]]十一月十四日]]]]」
[SRC[>>251 ([CITE[板碑概説]])]]
--- [2300] 福徳 2.11.16 [SRC[>>97 ([CITE[板碑概説]], [CITE[日本私年号の研究]])]]
-- [1449] 
[CITE[板碑概説]]
の
>>1053
の記載を
[CITE[日本私年号の研究]]
が誤引用したもので、実在しない [SRC[>>2409]]
- [1063] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[八王子市]][[川口]]]] 十二社 原家 [[板碑]]]]
-- [836] >>464 : [V[資料[YOKO[10]]]]
-- [2301] *八王子市の板碑(6-15) [SRC[>>97]]
-- [2302] 野仏30(図4) [SRC[>>97]]
-- [2303] 新八王子市史資料編2(B18-1) [SRC[>>97]]
-- [218] >>403 : ⑩
-- [2304] >>97 : 63
-- [835] [[八王子市]][[新地]] 原家 所蔵 [SRC[>>464]]
-- [2305] 型式A [SRC[>>97]]
-- [217]  
「[V[[DATA(.text)[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]十二月十六日]]/妙秀/禅尼]]」
[SRC[>>403]]
--- [2306] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]十二月十六日]]]]」
[SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
- [1074] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[八王子市]][[滝山町]]]] [[板碑]]]]
-- [2307] 新八王子市史資料編2(A20-3) [SRC[>>97]]
-- [2308] *八王子市郷士資料館所蔵拓本 [SRC[>>97]]
-- [2309] >>97 : 74
-- [2310] 型式C [SRC[>>97]]
-- [2311] 福徳2 [SRC[>>97]]
- [1082] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[八王子市]][[弐分方町]]]] [[市川家]] [[板碑]]]]
-- [2312] 八王子市の板碑(8-29) [SRC[>>97]]
-- [2313] 新八王子市史資料編2(B75-6) [SRC[>>97]]
-- [2314] >>97 : 82
-- [2315] 福徳 [SRC[>>97]]
- [227] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[八王子市]][[戸吹]]]] [[桂福寺]] [[五輪塔]]]]
-- [228] >>403 : ⑭
-- [229] 
[DATA(.label)[[[地輪]]]]
「[V[[DATA(.text)[福徳二年十一月廿三日]]/妙幸禅尼]]」
[SRC[>>403]]

]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1025] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]稲城市矢野口]] [[妙覚寺]] [[板碑]]]]
-- [2211] *石造物と信仰(9) [SRC[>>97]]
-- [2212] >>97 : 25
-- [2213] 型式B [SRC[>>97]]
-- [2214] 延徳3.5.20 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1028] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[府中市]][[宮西町]]]] [[称名寺]] [[板碑]]]]
-- [827] >>464 : [V[資料[YOKO[8]]]]
-- [1882] >>251 : [L[(1)]]
-- [2215] 武蔵野の青石塔婆 [SRC[>>97]]
-- [2216] *埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵拓本 [SRC[>>97]]
-- [219] >>403 : ⑪
-- [2217] >>97 : 28
-- [830] >>464 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [828] 亡失 [SRC[>>403, >>97]]
-- [220] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]/□月廿七日]]/淨祐善門]]」 [SRC[>>403]]
-- [829] 
「[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]][BR[]]浄祐禅門[BR[]]月□七日]]」
[SRC[>>464]]
--- [1480] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(normal)[辛][亥]]□月□七日]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
--- [2218] 福徳2.6.27 辛亥 [SRC[>>97]]
--- [831] [[月番号]]欠損、日第1字判読不能 [SRC[>>830]]
- [1048] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[府中市]][[本町]]]] [[1435T次調査]] [[板碑]]]]
-- [2219] 府中市埋文報告 51 [SRC[>>97]]
-- [2220] >>97 著者採拓
-- [2221] >>97 : 48
-- [2222] 型式B [SRC[>>97]]
-- [2223] 福徳1.10.27 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[258] 
[CITE@ja[企画展 「中世東国と改元」|公益財団法人府中文化振興財団]], [TIME[2026-08-04T15:05:51.000Z]], [TIME[2026-08-04T15:37:16.742Z]] <https://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/tenji/1000074/1000862/1004920/1003583.html>
]FIGCAPTION]

>府中本町駅前の発掘調査で、石の供養塔―板碑―が出土しています。板碑そのものは中世の東国、特に武蔵では盛んに造立されていて、けっして珍しいものではありません。しかし、ここで出土した1枚には見慣れない年号が刻まれていたのです。それは〈福徳元年〉。

>開催期間    2019年7月27日(土曜日)~2019年10月27日(日曜日)
]FIG]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1021] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[青梅市]][[吹上]]]] [[宗泉寺]] [[板碑]]]]
-- [1567] >>1563 : 拓本-528
-- [975] >>464 : [V[資料[YOKO[48]]]]
-- [1894] >>251 : [L[(10)]]
-- [2183] *青梅市の板碑(1-30-11) [SRC[>>97]]
-- [205] >>403 : ④
-- [2184] >>97 : 21
-- [2185] 型式A [SRC[>>97]]
-- [1557] >>1556 : 拓本 カラー写真 (高解像度) S4.2.10
-- [977] >>464 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [208] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年三月[ ]]/妙海/禅尼]]」 [SRC[>>403]]
--- [2186] 福徳2.3 [SRC[>>492 ([CITE[青梅市の板碑]], [[青梅市教育委員会]], [TIME[1980]]), >>97]]
-- [1555] 「[DATA(.text)[[V[福徳二年十二月[ ]]]]」 
[SRC[>>1556]]
--- [976] 「[DATA(.text)[[V[福徳二年十二月五日]]]]」 
[SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
--- [1895] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年三月五日]]]]」
[SRC[>>251 ([CITE[考古学講座]][CSECTION[板碑]])]]
- [1053] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[青梅市]][[吹上]]]] [[宗泉寺]] [[板碑]]]]
[SRC[>>492 ([CITE[青梅市の板碑]], [[青梅市教育委員会]], [TIME[1980]])]]
-- [1566] >>1563 : 拓本-527
-- [2195] *青梅市の板碑(1-30-13) [SRC[>>97]]
-- [972] >>464 : [V[資料[YOKO[47]]]]
-- [1892] >>251 : [L[(9)]]
-- [212] >>403 : ⑧
-- [2196] >>97 : 53
-- [1565] >>1563 : 拓本 カラー写真 (高解像度) S4.2.10
-- [973] >>464 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [2197] 型式A [SRC[>>97]]
-- [211] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年十一月十四日]]/教阿弥/禅門]]」 [SRC[>>403]]
--- [2198] 「[DATA(.text)[[V[福徳二年十一月十四日]]]]」 
[SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
- [1042] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[青梅市]][[吹上]]]] [[宗泉寺]] [[板碑]]]]
[SRC[>>492 ([CITE[青梅市の板碑]], [[青梅市教育委員会]], [TIME[1980]])]]
-- [1562] >>1559 : 拓本-526
-- [2190] 青梅市の板碑(1-30-12) [SRC[>>97]]
-- [2191] *野仏39(8) [SRC[>>97]]
-- [970] >>464 : [V[資料[YOKO[46]]]]
-- [1891] >>251 : [L[(8)]]
-- [210] >>403 : ⑦
-- [1523] >>2411 : ⑧
-- [2192] >>97 : 42
-- [1561] >>1559 : 拓本 カラー写真 (高解像度) S4.2.10
-- [971] >>464 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [1524] >>2411 ⑧ : 拓本 白黒写真 (解像度上の下)
-- [2193] 型式A [SRC[>>97]]
-- [209] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年九月廿五日]]/道徳/禅門/十七年]]」 [SRC[>>403]]
--- [2194] 「[DATA(.text)[[V[福徳二年九月廿五日]]]]」 
[SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
--- [1522] 
[DATA(.text)[[V[福徳二年九月廾五日]]]]
[SRC[>>2411]]
]ITEMS]

[REFS[

- [1556] 
[CITE[所蔵史料目録データベース(Hi-CAT) - 詳細(全表示)]], [TIME[2026-08-06T08:42:01.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w01/detail/full-disp/00227884?page=1&itemsperpage=200>
-- [1553] 
[CITE@ja[画像表示 - SHIPS Image Viewer]], [TIME[2026-08-06T08:39:49.000Z]] <https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/0T1/_000takuhon_/528/00000001?m=limit&n=20&vo=1&db=01>
-- [1573] 
[CITE[金石文拓本史料データベース - 詳細]], [TIME[2026-08-06T08:59:46.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w24/detail/A0000521>
- [1559] 
[CITE[所蔵史料目録データベース(Hi-CAT) - 詳細(全表示)]], [TIME[2026-08-06T08:43:30.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w01/detail/full-disp/00227882?page=1&itemsperpage=200>
-- [1560] 
[CITE@ja[画像表示 - SHIPS Image Viewer]], [TIME[2026-08-06T08:44:02.000Z]] <https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/0T1/_000takuhon_/526/00000001?m=limit&n=20&db=01>
-- [1574] 
[CITE[金石文拓本史料データベース - 詳細]], [TIME[2026-08-06T09:00:29.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w24/detail/A0000519>
- [1563] [CITE[所蔵史料目録データベース(Hi-CAT) - 詳細(全表示)]], [TIME[2026-08-06T08:45:10.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w01/detail/full-disp/00227883?page=1&itemsperpage=200>
-- [1564] [CITE@ja[画像表示 - SHIPS Image Viewer]], [TIME[2026-08-06T08:45:23.000Z]] <https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/0T1/_000takuhon_/527/00000001?m=limit&n=20&db=01>
-- [1575] 
[CITE[金石文拓本史料データベース - 詳細]], [TIME[2026-08-06T09:01:00.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w24/detail/A0000520>

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [1030] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[青梅市]][[今寺]]]] [[泉蔵院]]跡 [[板碑]]]]
-- [2187] 青梅市の板碑(1-15-7) [SRC[>>97]]
-- [2188] >>97 : 30
-- [203] 亡失 [SRC[>>97]]
-- [2189] 延徳3.6 辛卯 [SRC[>>492 ([CITE[青梅市の板碑]], [[青梅市教育委員会]], [TIME[1980]]), >>97]]
- [1066] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[青梅市]][[河辺]]]] [[東円寺]] [[板碑]]]]
-- [2199] *青梅市の板碑(2-1-4) [SRC[>>97]]
-- [222] >>403 : ⑫
-- [2200] >>97 : 66
-- [221] [[日本国]][[東京都]][[青梅市]][[川辺]] [[東円寺]] [SRC[>>403]]
-- [2201] 型式A [SRC[>>97]]
-- [223] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年[ ]]/道[ /禅門]]」 [SRC[>>403]]
-- [2202] 福徳 2.12 [SRC[>>97]]
- [230] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[青梅市]]]] [[塩船観音]] 所蔵 [CITE[大般若経]]]]
-- [231] 
[DATA(.label)[奥書 墨書]]
「[V[[DATA(.text)[太歳福徳弐[LINES(smaller)[辛][亥]]稔極月初八日]]/慶秀]]」
[SRC[>>403 ([CITE[青梅市の板碑]], [[齋藤慎一]], [[青梅市教育委員会]], 昭和55年)]]


]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1007] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[東京都]]狛江市猪方]] [[谷津田家]] [[板碑]]]]
-- [2073] *狛江の板碑(49) [SRC[>>97]]
-- [2074] >>97 : 07
-- [2075] 型式B [SRC[>>97]]
-- [2076] 延徳3.2.5 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1012] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[町田市]][[根岸町]]]] [[守屋家]] [[板碑]]]]
-- [2109] >>2072 : 一連番号 [V[三三五]]
-- [2124] >>2072 : 史料番号 [V[三四八]]
-- [2122] *町田市史史料集4(348) [SRC[>>97]]
-- [2123] 板碑概説 [SRC[>>97]]
-- [965] >>464 : [V[資料[YOKO[44]]]]
-- [1887] >>251 : [L[(6)]]
-- [199] >>403 : ②
-- [2125] >>97 : 12
-- [197] [[日本国]][[東京都]][[町田市]][[小山町]] [[守屋家]] [SRC[>>403]]
-- [2092] [[小山町]] [[守屋家]] 所蔵 / [[根岸町]][[檜山]] 伝存 [SRC[>>2072]]
-- [2126] 型式C [SRC[>>97]]
-- [198] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二天二月[ ]]/妙円/禅尼]]」 [SRC[>>403]]
--- [2127] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二天二月]]]]」 [SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
--- [2097] 
「[V[福徳二天二月[   妙円禅尼]]」 [SRC[>>2072]]

]ITEMS]

[2103] 
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]のち騎士は、
>>1012
を紹介し、
[[私年号]]で[TIME[西暦1491年][1491]]か、としています。
[SRC[>>2072]]

[REFS[

- [2072] 
[CITE@ja-JP[町田市史 上巻]], [[町田市史編纂委員会]], [TIME[1974]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T06:43:58.016Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641034/1/386?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]

@@
- [2050] 
[CITE@ja-JP[町田市史史料集 第4集]], [[町田市史編纂委員会]], [TIME[1971]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T14:10:48.995Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641054/1/163> (要登録)

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1013] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[奥多摩町]][[氷川峰畑]]]] [[板碑]]]]
-- [2128] 奥多摩町誌歴史編 [SRC[>>97]]
-- [2129] >>97 : 13
-- [2130] 福徳2.2 [SRC[>>97]]
- [1016] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[奥多摩町]][[氷川峰畑]]]] [[山本家]] [[板碑]]]]
-- [2131] 野仏30 [SRC[>>97]]
-- [200] >>403 : ③
-- [2132] >>97 : 16
-- [202] 亡失 [SRC[>>403]]
-- [201] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年三月十日]]/道生/禅門]]」 [SRC[>>403]]
--- [1476] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年]]]]」
[SRC[>>408 ([CSECTION[板碑等よりみた羽村]], [[県敏夫]], [CITE[羽村町史]])]]


]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1001] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[福生市]][[熊川]]]] [[熊川神社]] [[板碑]]]] [SRC[>>97]]
-- [2001] *福生市史資料編考古(55) [SRC[>>97]]
-- [967] >>464 : [V[資料[YOKO[45]]]]
-- [1888] >>251 : [L[(7)]]
-- [195] >>403 : ①
-- [2003] >>97 : 01
-- [966] [[日本国]][[東京都]][[南多摩郡]][[福生町]][[能川]] [[福生院]] [SRC[>>464]]
-- [1889] [[日本国]][[東京都]][[西多摩郡]][[福生町]][[能川]] [[福生院]] [SRC[>>251]]
-- [1479] [[日本国]][[東京都]][[福生市][[熊川]] [[福生院]] [SRC[>>408]]
-- [196] [[日本国]][[東京都]][[福生市]][[熊川]] [[第二小学校]] [SRC[>>403, >>408]]
-- [969] >>464 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [2004] 型式A [SRC[>>97]]
-- [2005] 福徳2.1.6 [SRC[>>97 ([CITE[福生市史]], [CITE[日本私年号の研究]])]]
-- [968] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年十月八日]]]]」
[SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
-- [1890] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年九月八日]]]]」
[SRC[>>251 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
-- [194] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年正月六日]]/道西/禅門]]」 [SRC[>>403]]
--- [1477] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年正月六日]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[[[福生郷土資料集]] 第五集]])]]
- [1011] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[福生市]][[福生]]]] [[長徳寺]] [[板碑]]]]
-- [2006] *福生市史資料編考古(28) [SRC[>>97]]
-- [2007] >>97 : 11
-- [2008] 型式A [SRC[>>97]]
-- [1478] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二[LINES(normal)[辛][亥]]年二月]]]]」
[SRC[>>408 ([CITE[[[福生郷土資料集]] 第五集]])]]
--- [2009] 福徳2.2 辛亥 [SRC[>>97]]

]ITEMS]

- [261] 
[CITE@ja[0019.pdf]], [TIME[2012-03-12T15:00:00.000Z]], [TIME[2026-08-04T15:42:41.893Z]] <https://www.lib.fussa.tokyo.jp/digital/digital_data/connoisseur-history/pdf/07/01/0019.pdf#page=18>



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1004] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[東村山市]]]] [[東光庵薬師堂]] [[板碑]]]]
-- [2028] *東村山市史6(408) [SRC[>>97]]
-- [2029] >>97 : 04
-- [2030] 型式D [SRC[>>97]]
-- [2031] 福徳2.1.9 辛亥 [SRC[>>97]]
- [1056] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[東村山市]][[諏訪町]]]] [[徳蔵寺]] [[板碑]]]]
-- [2032] *東村山市史6(306) [SRC[>>97]]
-- [216] >>403 : ⑨
-- [2033] >>97 : 56
-- [1884] >>251 : [L[(3)]]
-- [436] >>80 : 銘文部分 拓本 写真 銘文のおよその字形がぎりぎり読み取れる解像度。
-- [434] 上部欠 [SRC[>>80]]
-- [1577] [[埼玉県]]原在か [SRC[>>97]]
-- [2034] 型式J [SRC[>>97]]
-- [2035] 
「[V[[DATA(.text)[福徳二年十一月廿三日]]/妙幸禅尼]]」 [SRC[>>403]]
--- [95] 
[DATA(.label)[右行]]「[V[福徳二年]]」
[SRC[>>80]]
--- [435] 
[DATA(.label)[左行]]「[V[[ASIS[土][(十一)]]月廿三日]]」
[SRC[>>80]]
--- [1499] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年十一月廿三日]]]]」
[SRC[>>2409 (実見)]]

]ITEMS]


[14] [CITE[徳蔵寺(とくぞうじ)釈迦三尊種子板碑]], [TIME[2013-04-08T02:49:00.000Z]], [TIME[2022-12-25T09:27:57.352Z]] <https://kawai24.sakura.ne.jp/tokyo-tokuzouji-40_90_179_227.html>


** 神奈川県下


[2374] 
[TIME[昭和40(1965)年][1965]]の書籍は、
[[神奈川県]]では[[都筑郡]]で2基の[[板碑]]用例が知られていると述べています。
[[延徳]]に相当すると考えられるが、一部では[[文正]]年間にも使われたとの説もある、としています。[SRC[>>2372]]


[REFS[

- [2372] 
[CITE@ja-JP[鎌倉の板碑]], [[服部清道]], [TIME[1965]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-12T10:45:35.747Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2992866/1/25?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]

*** 武蔵国

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1075] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[神奈川県]][[川崎市]][[幸区]][[北加瀬山崎]]]] [[板碑]]]]
-- [963] >>464 : [V[資料[YOKO[43]]]]
-- [1901] >>251 : [L[(15)]]
-- [2344] >>97 : 75
-- [964] >>464 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [2345] 型式C [SRC[>>97]]
-- [2346] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二天]]]]」 [SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]

]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1076] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[神奈川県]][[横浜市]][[緑区]][[西八朔町]]]] [[西八朔神社]] [[板碑]]]]
-- [962] >>464 : [V[資料[YOKO[42]]]]
-- [1899] >>251 : [L[(13)]]
-- [2348] >>97 : 76
-- [2349] 福徳二年 [SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]
- [1077] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[神奈川県]][[横浜市]][[港北区]]]] [[高田貝塚]] [[板碑]]]]
-- [961] >>464 : [V[資料[YOKO[41]]]]
-- [1900] >>251 : [L[(14)]]
-- [2351] >>97 : 77
-- [2352] 福徳二天 [SRC[>>464, >>408 ([CITE[日本私年号の研究]])]]

]ITEMS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1141] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[神奈川県]][[横浜市]]]] [[宝生寺]] 所蔵 [CITE[韻鏡]]]]
-- [1143] >>1140 #page=61 : 白黒写真 (中解像度)
-- [1142] 
「[V[[DATA(.text)[于㞱福徳貳年暮春十七日]]書了]]」
[SRC[>1140]]

]ITEMS]


[REFS[

- [1140] 
[CITE@ja[湘南工科大学学術リポジトリ]], [TIME[2026-08-05T05:10:24.000Z]] <https://shonan-it.repo.nii.ac.jp/records/2000716>
#page=2

[1144] 
[TIME[2026-08-05T05:15:58.00Z]]
<https://kobe-cufs.repo.nii.ac.jp/record/1472/files/mono52.pdf>
#page=26

>
[LEFT[
[SNIP[]]なお「福徳」も室町期に関東を中心と[BR[]]
する東日本で主に使われていた私年号で、延徳 3 年 1491 に相当する。[SNIP[]]
]LEFT]

]REFS]

*** 相模国

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1134] [DATA(.label)[短刀]]
-- [1135] 「[V[相州住宗吉]]」 [SRC[>>427]]
-- [1136] [DATA(.label)[裏銘]] 「[DATA(.text)[[V[福徳二年]]]]」 [SRC[>>427]]

]ITEMS]

[1137] 
水戸家家老中山氏家来の差料だったものとされます。 [SRC[>>427]]

[1138] 
[TIME[昭和41(1966)年][1966]]の論文は、
>>1134
を紹介し、
2回用いられた[[私年号]]で文正2年と延徳3年のどちらか不明としています。
[SRC[>>427]]


[427] 
[CITE@ja-JP[刀剣と歴史 (431)]], [[日本刀剣保存会]], [TIME[1966-05]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T05:17:39.861Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7901125/1/20> (要登録)

関東の[[公年号]]無視風潮の極限が偽年号 私年号

文正元年 福徳 継続年数不明

常陸 妙法寺過去帳 延徳2年 = 福徳元年 → 関東、甲斐、奥州。
大飢饉と前年の将軍足利義政死去

福徳3年 「神武以来?」の豊作が年号のためと大騒ぎで「福徳の三年目」という諺に、
思いがけず幸運に巡り合うという意味。
福徳の神は3年目にやってくると解説する辞書は曲解。
「福徳の百年目」は原義を知らない濫造。




**** 鶴岡八幡宮

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [994] [DATA(.label)[[[鶴岡八幡宮]] [[着到軸]]]]
-- [995] >>464 : [V[資料[YOKO[56]]]]
-- [996] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年正月吉日]]]]」
[SRC[>>464 ([CITE[昆陽漫録]]), >>2372 (先人)]]

]ITEMS]

[398] 
[CITE@ja-JP[甲子夜話 : 未刊 第1]], [[松浦静山, 坂田勝 校訂]], [TIME[1964]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-30T08:44:44.452Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2933205/1/80> (要登録)

**** 光明寺

[SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]] ]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [837] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[神奈川県]][[鎌倉市]]]] [[光明寺]] 「祈祷」 [[勅額]]]]
-- [838] >>464 : [V[資料[YOKO[11]]]]
-- [843] [CITE[集古十種]] : 模写
-- [842] 
[DATA(.label)[裏書]]
--- [839] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年辛亥九月吉日]]]]」 [SRC[[CITE[新編鎌倉志]]]]
---- [841] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]九月七日]]]]」 [SRC[>>464]]
---- [2373] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]九月吉日]]]]」 [SRC[>>2372 (先人)]]
--- [840] 
「[DATA(.text)[[V[延徳三辛亥九月吉日]]]]」 [SRC[[CITE[新編相模風土記]], >>843]]

]ITEMS]

**

@@
[BOX[

[417] 
[CITE@ja-JP[集古会誌]], [[集古会]], [TIME[1901-12]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T05:02:46.776Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1588966/1/50?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


[418] 
[CITE@ja-JP[大日本金石史 第3巻]], [[木崎愛吉]], [TIME[大正10][1921]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T05:04:09.193Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/960210/1/80?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3>


-[36] [CITE@ja-JP[立川市史研究 第5冊]], [[立川市史編纂委員会]], [TIME[1966]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T13:45:07.410Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2989352/1/60> (要登録)
->>42 /394

[38] [CITE@ja-JP[青梅 : 定本市史]], [[青梅市史編さん実行委員会]], [TIME[1966]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T13:48:09.861Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3022484/1/130> (要登録)
/311, /326

福徳2 = 延徳2、文正説も

[41] [CITE@ja-JP[八王子市史 下巻]], [[八王子市史編纂委員会]], [TIME[1967]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T13:55:33.700Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3022498/1/735> (要登録)

福徳2 = 1467, 1491

[46] [CITE@ja-JP[大宮市史 第2巻 (古代・中世編)]], [[大宮市史編さん委員会]], [TIME[1971]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T14:08:50.732Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2989704/1/296> (要登録)
/318



[60] [CITE@ja-JP[酒々井町史 通史編 上巻]], [[酒々井町史編さん委員会]], [TIME[1987]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T14:43:20.193Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644122/1/119> (要登録)

[61] [CITE@ja-JP[騎西町史 考古資料編 2 別冊]], [['''['''騎西町教育委員会''']'''社会教育課郷土史料係]], [TIME[1999]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T14:59:29.303Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644935/1/15> (要登録)


[67] [CITE@ja-JP[板碑入門]], [[小沢国平]], [TIME[1967]], [TIME[2024-01-04T08:37:58.000Z]], [TIME[2024-01-04T09:01:51.935Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78> (要登録)






- [2192] 
[CITE@ja-JP[板碑の総合研究 2 (地域編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.11][1983]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T12:40:19.464Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12285158/1/72?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

[2193] 
第二巻では、[[肥留間博]]が紹介しています。 [SRC[>>2192]]



]BOX]

-*-*-


@@ [39] 注意を要するもの

[40] [CITE@ja-JP[立川市史研究 第3冊]], [[立川市史編纂委員会]], [TIME[1966]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T13:54:41.131Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2989350/1/39> (要登録)

[42] [CITE@ja-JP[立川市史 上巻]], [[立川市史編纂委員会]], [TIME[1968]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T13:56:34.308Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9640331/1/376> (要登録)



- [425] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 9(5)(232)]], [[日本考古学会]], [TIME[1919-01]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-13T09:40:11.122Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548247/1/7?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [424] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 9(6)(233)]], [[日本考古学会]], [TIME[1919-02]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-13T09:39:31.632Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548248/1/23?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


[786] 
[CITE@ja[Xユーザーの会鳥ねこさん: 「あけましておめでとうございます。 旧年中は、いいねやコメントをいただき、ありがとうございました。 本年もよろしくお願いいたします。 私年号「福徳」の板碑です。 自分の身近に感じる場所にあります。 この一年が「福徳」に包まれますように…。 https://t.co/Sh5oh7iGEC」 / X]], [TIME[午前3:51 · 2022年1月1日][2021-12-31T18:51:31.000Z]], [TIME[2026-08-04T03:17:48.000Z]] <https://x.com/kaichouneko1/status/1476989413096050689/photo/1>












** 信濃

[341] 
[[諏訪文書]]に「福徳元年十二月一日」が2通あります。 [SRC[>>340]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [870] 
[DATA(.label)[[[日本国]][[長野県]][[諏訪市]][[金子]] 諏訪家文書]]
-- [871] >>464 : [V[資料[YOKO[19]]]]
-- [872] 
「[V[[DATA(.text)[福徳元年十二月一日]]  大祝神頼満]]」
[SRC[>>464]]
- [873] 
[DATA(.label)[[[日本国]][[長野県]][[諏訪市]][[金子]] 諏訪家文書]]
-- [874] >>464 : [V[資料[YOKO[40]]]]
-- [875] 
「[V[[DATA(.text)[福徳元年十二月一日]]  大祝]]」
[SRC[>>464]]

]ITEMS]

[342] 
[CITE[信濃史料]]はこれを延徳2年に排列していますが、
延徳2年12月にも同様の文書があり不審だと注記しています。
[SRC[>>340]]

[343] 
延徳元年、延徳3年、延徳4年にもあるので、前後にも収まらず謎です。

- [344] 延徳元年己酉12月2日、延徳元年12月5日 [SRC[>>340 /267]]
- [345] 延徳2年庚戌12月26日、延徳2年12月28日 [SRC[>>340 /273]]
- [346] 延徳3年辛亥12月6日、延徳3年12月6日 [SRC[>>340 /280]]
- [347] [DEL[延徳4年]][INS[明応元年]]壬子12月15日、[DEL[延徳4年]][INS[明応元年]]壬子12月15日 [SRC[>>340 /288]]

更に前後、本書収録範囲の応仁2年から明応2年まで、毎年すべて埋まっていて、どこにも福徳元年が入る余地がありません。


[348] 延徳の4組はすべて[CITE[当社神幸記]]、福徳だけ[[諏訪文書]]で出典が違うのも関係ありそうです
(どちらも諏訪家所蔵)。延徳の4組には[[干支年]]があり福徳にはまったくないのも不思議で、
我々には都合が悪い。

[349] 
[[元号]]を改めて[CITE[当社神幸記]]に収録したということでもなさそうです。
[[日付]]がどれとも一致していません。延徳元年が一番近いですが...

[350] 
[[平成時代]]の歴史研究者[[渡部恵美子]]は、
[[干支年]]がなく福徳元年がいつに当たるか定かでないものの、
[CITE[信濃史料]]が
「[V[この福徳元年を延徳二年と考えているので、延徳二[BR[]]年もしくは三年に当たると想定されているのだろう。]]」
としています。
[SRC[>>594]]
どういう意味でしょうか。




[REFS[

- [340] 
[CITE@ja-JP[[[信濃史料]] 第9巻 (応仁2年正月-明応2年11月)]], [[信濃史料刊行会]], [TIME[1957]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-07T12:51:58.561Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3013099/1/273> (要登録)
- [594] [CITE[[[戦国大名と私年号]]]], 
[[渡部恵美子]]


]REFS]

** 甲斐国



[281] 
[[日本国]][[山梨県]][[塩山市]][[竹森]] [[玉宮神社]]旧蔵[CITE[大般若経]]
([[野尻倹之助]]所蔵)
について、
[TIME[平成5(1993)年5月][1993-05]]の[[塩山市]]市史編さん係と[[山梨県]]の県史編さん中世部会の合同調査によると、

- [282] 現存 298巻
-- [283] 年紀を伴う奥書 103巻
--- [284] 応安 33巻
--- [285] 文明 49巻
--- [288] 正徳 20巻
--- [290] 福徳 1巻

がありました。 [SRC[>>279]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [291] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[山梨県]][[塩山市]][[竹森]]]] [[玉宮神社]]旧蔵[CITE[大般若経]] ([[野尻倹之助]]所蔵)]] 
-- [292] 
[DATA(.label)[第三八九巻 奥書]]
「[DATA(.text)[時福徳二夏辛亥梅天十九日]]」
[SRC[>>279]]
--- [293] [[梅天]]: 5月
-- [323] 
[DATA(.label)[第三八七 奥書]]
「福徳二年夏辛亥梅天十九日」
[SRC[>>492 ([CITE[[[塩山市史]] 史料編 第一巻]])]]
-- [324] どちらが正しいのか不明

]ITEMS]



[REFS[

- [279] 
[CITE[[[[WEAK(quarter)[史料紹介]] 河口湖町常在寺所蔵史料]]]]
-
[259] 
[CITE@ja-JP[[[信濃]] '''['''第3次''']''' 49(12)(575)]], [[信濃史学会]], [TIME[1997-12]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:25:20.525Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6070057/1/19> (要登録)
-- [492] 
[CITE[[[[V[戦国期の私年号について[BR[]][WEAK(smaller)[―「福徳」「弥勒」「命禄」を中心として―]]]]]]]],
[[[V[渡部恵美子]]]],
pp.[L[889]]-[L[906]]

]REFS]

[134] 
[CITE@ja-JP[甲斐近世史の研究 上]], [[磯貝正義, 村上直 共編]], [TIME[1974]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-03T12:10:35.890Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9537166/1/32> (要登録)

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [326] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[山梨県]][[中巨摩郡]][[敷島町]][[牛句]]]] [CITE[長光寺月待供養板碑]]]]
-- [327] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]][BR[]]十一月初八日]]]]」
[SRC[>>492 ([CITE[甲斐の石造美術]], [[植松又次]], [TIME[1978]]), >>330 /98, >>330 /109 (模写), >>330 /111]]
--- [1473] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二年辛亥十一月初七日]]]]」
[SRC[>>408 ([[植松又次]], [CITE[[[甲斐路]] 二六号]])]]

]ITEMS]

;; [331] >>330 /111 は、[[福徳]]は[[私年号]]で、[[延徳]]であることが解明されている、
と書いています。[[福徳]]と[[延徳]]は[[元年]]が違うのですが、
[[西暦]]換算は正しいので、まったくの別名と考えているわけでもなさそうです。
言葉の綾のようなものでしょうか。

[REFS[

- [330] 
[CITE@ja-JP[[[山梨県立考古博物館・山梨県埋蔵文化財センター研究紀要]] = Bulletin of Archaeological Museum & Archaeological Center of Yamanashi Prefecture (9)]], [[山梨県立考古博物館, 山梨県埋蔵文化財センター]], [TIME[1993-03]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-03T12:17:24.188Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7958880/1/111> (要登録)
- [260] 
[CITE@ja[長光寺月待供養板碑 - 甲斐市公式ウェブサイト(生涯学習文化課)]], [TIME[2026-08-03T19:00:25.000Z]], [TIME[2026-08-04T15:38:56.299Z]] <https://www.city.kai.yamanashi.jp/page/4941.html>


]REFS]

*** [CITE[一蓮寺過去帳]]

[295] 
[[日本国]][[山梨県]][[甲府市]][[太田町]]の[[一蓮寺]]の
[CITE[一蓮寺過去帳]]
は、
[[文安]]頃までに一旦成立し、その後追記されていったとされます。

[1471] 次のような[[日付]]がみられます。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [800] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[山梨県]][[甲府市]][[太田町]]]] [[一蓮寺]] [CITE[一蓮寺過去帳]]]]
-- [801] >>464 : [V[資料[YOKO[5]]]]
-- [296] 延徳2年庚戌10月24日
[SRC[>>492]]
-- [297] 延徳2庚戌12月17日
[SRC[>>492]]
-- [298] 延徳2庚戌12月17日
[SRC[>>492]]
--- [802] 「[V[[DATA(.text)[二年十二月十七日]]逆修  板垣善保]]」 [SRC[>>464]]
-- [299] 福徳2辛亥正月4日
[SRC[>>492]]
--- [803] 「[DATA(.text)[[V[福徳二年正月四日]]]]」 [SRC[>>464]]
-- [300] 福徳2辛亥2月13日
[SRC[>>492]]
-- [301] 福徳2辛亥3月24日
[SRC[>>492]]
--- [804] 「[DATA(.text)[[V[同  二年三月廿四日]]]]」 [SRC[>>464]]
-- [302] 福徳2辛亥3月27日
[SRC[>>492]]
-- [303] 福徳2辛亥4月11日
[SRC[>>492]]
--- [805] 「[DATA(.text)[[V[四月十一日]]]]」 [SRC[>>464]]
-- [304] 福徳2辛亥5月9日
[SRC[>>492]]
-- [305] 福徳2辛亥5月21日
[SRC[>>492]]
-- [806] 「[V[[DATA(.text)[五月廿二日]]  関]]」 [SRC[>>464]]
-- [306] 福徳2辛亥6月10日
[SRC[>>492]]
-- [307] 延徳3辛亥7月6日
[SRC[>>492]]
-- [308] 延徳3辛亥8月13日
[SRC[>>492]]
-- [309] 延徳3辛亥8月27日
[SRC[>>492]]
-- [310] 延徳3辛亥9月16日
[SRC[>>492]]
-- [807] 「[DATA(.text)[[V[延徳三年十月十六日]]]] [SRC[>>464]]
-- [311] 延徳3辛亥10月27日
[SRC[>>492]]
-- [312] 延徳3辛亥12月17日
[SRC[>>492]]
-- [313] 延徳2庚戌12月14日
[SRC[>>492]]
-- [314] 延徳2庚戌12月7日
[SRC[>>492]]
-- [315] 福徳2辛亥正月20日
[SRC[>>492]]
-- [316] 福徳2辛亥2月10日
[SRC[>>492]]
-- [317] 延徳3辛亥7月6日
[SRC[>>492]]
-- [318] 延徳3辛亥8月16日
[SRC[>>492]]
-- [319] 延徳3辛亥8月29日
[SRC[>>492]]
-- [320] 延徳3辛亥9月16日
[SRC[>>492]]
-- [321] 延徳3辛亥10月8日
[SRC[>>492]]
-- [322] 延徳4年壬子正月21日
[SRC[>>492]]

]ITEMS]

[1588] 
多くの日付が連続的に記載され、しかもほぼ[[実時間]]での追記と考えられ、非常に貴重な史料です。

[1589] 
これによると、戌年は延徳2年、子年は延徳4年が使われていますが、その間の亥年は1月4日から6月10日までは福徳2年辛亥、
7月6日から10月8日までが延徳3年辛亥となっています。例外はありません。

[1590] 
つまり、戌年12月17日から亥年1月4日までの間に福徳へと切り替わり、
亥年6月10日から亥年7月6日までの間に延徳へと復帰したことがわかります。

[1587] 
[CITE[勝山記]]書き入れ (>>368) がこれに言及しています。

*** [CITE[勝山記]]

[280] 
[[常在寺]]所蔵[[聖教]]に福徳2年辛亥5月16日の写本奥書があります。
[SEE[ [[勝山記の日時]] ]]


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1440] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[山梨県]][[南都留郡]][[河口湖町]][[小立]]]] [[常在寺]]所蔵 [CITE[教機時国教法流布五段鈔]] 写本]]
-- [1441] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[于時福徳二秊[LINES(smaller)[辛][亥]]五月十六日書畢]]]]」 ([[草書]])
-- [1442] 
[DATA(.label)[[CITE[日国覚書]]]]
--- [1443] 
「[DATA(.text)[[V[福徳二[LINES(smaller)[辛][亥]]年]]]]」 ([[草書]])
--- [1444] 
「[V[[SNIP[]]去秊[DATA(.text)[庚戌年]][SUP(quarter)[ト]][BR[]]当年[DATA(.text)[辛亥秊]][SUP(quarter)[ノ]]春[SUP(quarter)[ル]]也、[SNIP[]]]]」
([[草書]])
--- [1445] 
「[V[[SNIP[]]此[SUP(quarter)[ノ]][DATA(.text)[亥[SUP(quarter)[ノ]]年[SUP(quarter)[ノ]]二月[SUP(quarter)[ノ]]彼岸]]也[SNIP[]]]]」
([[草書]])
--- [1446] 
「[V[又云明[SUP(quarter)[ル]]年[DATA(.text)[延徳四秊壬子ノ[BR[]]年]]也此年[SUP(quarter)[ハ]]六月十一日[SNIP[]]]]」
([[草書]])

]ITEMS]

[1447] 
[CITE[日国覚書]]
は、
[CITE[勝山記]]
の重要な原資料とみられる同時代記録です。
[SEE[ [[日国覚書]] ]]


-*-*-


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [790] [CITE[勝山記]] 延徳元年条
-- [791] >>464 : [V[資料[YOKO[1]]]]
--
[88] 
「京ニテハ正享二年ト延徳ヲ改玉フ也。・・・又京ニテ王崩御トテ。福徳二[LINES(smaller)[庚][戌]]年ト年号ヲ改ル也。殊ノ外ニ大飢饉・・・」
[SRC[>>80 ([CITE[続群書類従]]本[CITE[妙法寺記]]延徳元年条)]]

]ITEMS]

[91] 
[[私年号]]の[[正享]]が同時期に伝えられたこと、
[[足利義政]]、[[足利義尚]]の死去が[[改元]]理由と伝えられたことがわかります。
[SRC[>>80]]

[810] 
[CITE[日本私年号の研究]]は、[CITE[妙法寺記]]の紀年の混乱から、
これは福徳元年 = 延徳元年とする説 (第一類) だと解釈しました。 [SRC[>>464]]

[1455] 
[CITE[日国覚書]]
の存在が[[平成時代]]初期に報告され、
現存[CITE[勝山記]]成立までの編纂作業で混乱した年紀を容易に信用してはいけないことが明らかになりました。


[SEE[ [[勝山記の日時]] ]]

-*-*-

[368] 勝山記書き入れ [SEE[ [[勝山記の日時]] ]]

>
大機翁曰、昆陽漫録ニ載ス鎌倉鶴岡八幡宮座不冷所着到ノ軸ニ福徳二年四月一日ト彫テアリ、
>
同所光明寺ニ祈禱ノ額ノ裏ニ福徳二年辛亥九月吉日トアル由鎌倉志出、
>
一条過去帳ニ延徳二年十二月十七日板垣善満逆修、福徳二年正月四日同五月一日トアリ、延徳三年七月六日、八月十三日同九月十六日ト記セリ同六月十日[SUP(smaller)[云]][SUB(smaller)[云]]、按ニ庚戌十二月ノ末ニ改元、但シ復[SUB(quarter)[二]]延徳[SUBSUP(quarter)[一][ニ]]六月十日ノ後七月六日迄ノ間ナリ

[369] [CITE[一条過去帳]]は[CITE[一蓮寺過去帳]]のこと (>>295)。


-*-*-

[2428] 
[TIME[昭和38(1963)年][1963]]の[[丸子亘]]の
[CITE[勝山日記と妙法寺記]]
は、[CITE[勝山記]]の諸本の異同を検討したものですが、
当元号記事に関しては、

- [2429] 延徳元年己酉
- [2430] 延徳2年庚戌
- [2431] [CITE[勝山日記]]によれば、
-- [2432] [[京都]]では[[延徳]] → 正享二年 → 福徳二年、と年号を替えたことになる
- [2433] 二度改めれば3つの年号
-- [2434] 「1年中に3度年号を替える」の意義不祥

... との解釈を述べています。
[SRC[>>2435]]
[SEE[ [[勝山記]], [[正京]] ]]

[REFS[

-[2435] 
[CITE[[[勝山日記と妙法寺記]]]] #page=9

]REFS]




** 東国 (不明地)


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [876] [DATA(.label)[[[蜷川氏所蔵年代記]]]]
-- [877] >>464 : [V[資料[YOKO[20]]]]
-- [878] 
「福徳辛亥」
[SRC[>>464]]
--- [879] 
「延徳二庚戌」の次、
「明応壬子」の前
[SRC[>>464]]

]ITEMS]

** 近江国

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [166] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[滋賀県]][[大津市]][[坂本]]]] [[西教寺]] 所蔵 [CITE[二諦義案立]]]]
-- [846] >>464 : [V[資料[YOKO[12]]]]
--
[844] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[福徳二年[LINES(smaller)[辛][亥]]孝憲写]]]]」
[SRC[>>464]]
-- [1549] 
「[DATA(.text)[[V[福︀德二年[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]幸憲寫]]]]」
[SRC[>>1548]]
--- [845] 
「福徳二年辛亥」
[SRC[>>97]]

]ITEMS]

[1550] 
昭和18年の目録は、
>>1549
を紹介し、
延徳3(皇紀2151)年としています。
[SRC[>>1548]]

[167] >>166 令和2年時点で知られる (有形物の) 西限 
[SRC[>>97]]



* えびす信仰の福徳元年

[SEE[ [[福徳 (恵比寿)]] ]]


* 福徳の3年目と100年目

[SEE[ [[福徳の三年目]] ]]


* 諸説

[1578] 
[[福徳]]という[[年]]の表現は、大別して3種類が知られています。

- [1579] [[福徳私年号]] - [[中世]]に[[東国]]を中心に[[日付表示]]に用いられた
- [1580] [[えびすの福徳元年]] - おそくても[[近世]]以来[[瀬戸内海]]周辺を中心に[[えびす信仰]]に関係して用いられた
- [1581] [[福徳の三年目]] - [[近世]]から[[近代]]の[[東国]]を中心に使われた[[慣用句]]

[1582] 
[[福徳私年号]]と[[えびすの福徳元年]]は、どちらも[[元号年]]の形をしていますが、
[[福徳私年号]]が同時代的な[[日付]]の表記に使われたのに対し、
[[えびすの福徳元年]]は説話的過去世界の時代記述に使われています。
用例のみられる時代と地域も重なりません。

[1583] 
両者の関係は、これまでほとんど研究されていません。一方が他方に転じた可能性も、
まったく独立に発生した可能性もあり、容易に結論を出せません。ただ、
[[中世]]後期に実用された[[福徳私年号]]をきっかけに、
それと同時期または直後に[[えびすの福徳元年]]の説話が生じたのだとすると、
[[恵比寿様]]は同世代またはほんの数世代前の近過去に生まれた人と認識されていたことになりますが、
それでいいのか疑問はあります。

[1584] 
[[福徳私年号]]と[[福徳の三年目]]は、[[近世]]の学説で結び付けられました。
福徳3年の頃の世情が[[福徳の三年目]]という語句を生んだとするものです。
よく使われていたとされる地域は近いようですが、
[[福徳の三年目]]が[[私年号福徳]]の時代に使われたかは不明で、
確実に用例が見える時代とは少し開きがあります。

[1585] 
両者の関係は[[私年号研究]]の初期に提唱されたものの、近年はほとんど言及されることもなく、
議論はあまり深まっていません。
[[福徳の三年目]]が[[福徳]]年間またはその直後に存在したという物証はなく、
福徳3年の状況と[[福徳の三年目]]という言葉の意味が一致しているのかどうかも不明瞭、
他の[[元号]]と違って[[福徳]]だけが何百年も[[慣用句]]として語り継がれるものなのかも腑に落ちません。

[1586] 
現時点では三者を積極的に統合して考えるべきといえるだけの根拠はありませんが、
かといってまったく別個に発生したと断定する材料も不足しています。
[[えびすの福徳元年]]や[[福徳の三年目]]の用例や伝承の調査が進展し、
[[中世]]末期から[[近世]]初期の状況が明確になれば、これらの関係もはっきりさせられることでしょう。
それまでは取り敢えず別種と見なしておくのが良いでしょう。

** 時期

[1638] 
福徳元年を[TIME[延徳2(1490)年庚戌][1490]]とする[[第二類]]説は、
[TIME[文化元(1804)年][1804]]の[CITE[異年号考]]が初めて提唱 (>>373) して以来、
通説となっています。多数の用例が、直接または間接に当説を支持し、
その多くが当説でなければ矛盾を生じます。
よって史実として同時代的に実在したと断定できるものです。

-*-*-

[1683] 
福徳元年を[TIME[延徳3(1491)年辛亥][1491]]とする[[第三類]]説は、
同時代記録の可能性もある[CITE[蜷川氏所蔵年代記]]が「福徳辛亥」
と書いたものが福徳元年辛亥を意味するとしたら、
現在に伝わる最古となります。明確に学説として議論された最古の記録は[[近世]]後期の
[CITE[偽年号考]]ですが、甲種本 (旧版) では否定的に扱い (>>680)、
乙種本 (新版) では複数実在したうちの1種と主張しています (>>722)。

[1701] 
[[近世]]の辞典類等は多くこれを無視してきましたが、
[[板碑]]などの用例が多いことから[CITE[日本私年号の研究]]が[[第二類]]と区別し、以後の研究者もこれを踏襲しています。

[1684] 
[[第二類]]には劣るものの少なくない数の用例が、直接または間接に当説を支持し、
その多くが当説でなければ矛盾を生じます。
よって史実として同時代的に実在したと断定できるものです。

-*-*-

[1685] 
福徳元年を[TIME[延徳4(1492)年壬子][1492]]とする[[第四類]]説は、
[[近世]]後期の[CITE[偽年号考]]が最古の記録ですが、甲種本 (旧版) では否定的に扱い (>>687)、
乙種本 (新版) では複数実在したうちの1種と主張しています (>>750)。

[1686] 
[[第四類]]に該当するのは[CITE[本土寺過去帳]]の一部の用例のみで、
しかも問題を含んでいます (>>1611)。外形的に[[第四類]]に当てはまる用例が実在するのは確かとしても、
それが同時代的に実用されたかどうかは疑問が残るところです。仮に同時代的に実在したとしても、
限られた環境で特殊な状況に限って用いられたに過ぎず、広く普及したものではなかったと思われます。

-*-*-

[1687] 
福徳元年を[TIME[延徳元(1489)年][1489]]とする[[第一類]]説は、
昭和9年に[[久保常晴]]が[CITE[妙法寺記]]の記事から立てたものです。
しかしながら、この時点では他に用例が知られていないこと、
[CITE[妙法寺記]]は紀年の錯乱があり、後に出現した同時代的原資料[CITE[日国覚書]]と矛盾すること (>>1455)
から、これが同時代的根拠のある記述かどうかには現在では疑問が持たれています。

[1688] 
その後の調査で[[第一類]]に該当する金石用例が報告されており (>>178 >>181 >>1019)、
その銘文には疑問も残されているものの、同時代的に実在した可能性が残ります。
[[福徳私年号]]の成立過程を探る上でも興味が持たれる用例で、調査研究の進展が期待されます。

[1769] 
福徳3年とされる用例がいくつかあります。

- [1770] >>168, >>1051, >>1045 は福徳2年辛亥説と福徳3年辛亥説の異なる判読があり、銘文が不明瞭です
- [1771] >>851 は福徳2年辛亥文書群のうちの1つの裏書が福徳3年とされますが、何らかの誤りの疑いがあります
- [1773] >>812 は福徳2年辛亥用例多数のうち1例のみ福徳3年辛亥で、何らかの誤りの疑いがあります
- [1775] >>264 は福徳2年辛亥から延徳3年辛亥に訂正された可能性があります
- [1776] >>237 は福徳3年と読まれていますが、写真では年数が不明瞭です

[1777] 
>>237 以外は辛亥年であり、たしかに福徳3年だとすれば[[第一類]]に属します。

[1778] 
いずれも銘文の読みに問題を抱えており、現時点では同時代的に福徳3年が用いられたことがあったのかどうか、
断定することができません。福徳2年との圧倒的な用例数の差を鑑みれば、
福徳2年ほど広く用いられなかったことは確実と考えられます。


-*-*-

[1689] 
福徳を[[応仁の乱]]
[WEAK[([TIME[応仁元(1467)年][1467]] - [TIME[文明9(1477)年][1477]])]]
の頃とする説は、「頃」の幅の解釈次第で[[延徳]]年間 
[WEAK[([TIME[西暦1489年][1489]] - [TIME[西暦1492年][1492]])]]
まで含められないこともないものの [WEAK[(いずれも[[後土御門天皇]]の治世)]]、
20年の開きがあります。

- [1690] [[近世]]中期の
[CITE[昆陽漫録]]
は、[[後土御門天皇]]の頃であるとし、[[応仁の乱]]の時の混乱に絡めて解釈しました (>>1650)。
- [1691] [[近世]]後期の
[CITE[類聚名物考]]
は、[[応仁の乱]]のときに使われ、細川と山名が死去したのが福徳3年のことだったとしました。
[SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]] ]]
-- [1692] 通説の死去年から換算すると、[TIME[文明3(1471)年辛卯][1471]]が福徳元年となります。
- [1693] [[近世]]中期の
[CITE[玉沢手鑑草稿]]
に、[[応仁]]の頃に3年間[[福徳]]が用いられたとの説があります。
[SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]] ]]

[1694] 
[[応仁]]説は、[[後土御門天皇]]の[[福徳]]用例とされるものの存在から推測されたものです。
この説の初出と考えられる
[CITE[昆陽漫録]]
は、明確に年代を特定したものではなく、[[応仁の乱]]以来の乱世で、というくらいのニュアンスだった可能性もありますが、
後続の
[CITE[類聚名物考]]
は具体的に比定年を決定しています。

[1695] 
しかしながら、比定の確実な根拠は提示されていませんし、用例の[[干支年]]も無視されています。
[[応仁]]・[[文明]]年間に比定する説は成立し得ないと考えられます。

-*-*-

[1696] 
福徳元年を[TIME[文正元(1466)年][1466]]とする[[第五類]]説は、
明治41年の[CITE[国史大辞典]]
以来他説と併記されてきたものです。

[1697] 
当初何を根拠に記載されたものかは現在の處不明ですが、
昭和18年[CITE[国史辞典]]は[[宇那弥神社]][[棟札]] (>>945)
を挙げています。辞典類以外の文正元年説は現在知られている中では[TIME[昭和51(1976)年][1976]] (>>1656)
まで下ってしまいますが、おそらくそれ以前にも行われたのでしょう。

[1698] 
[[宇那弥神社]][[棟札]] (>>945) は、
[[近世]]中期に「福徳元年丙戌」と読まれたものの、当時から判読が難しかったらしく、
平成の調査では判読不能とされています。従って、
当用例を唯一の根拠とする[[第五類]]の実在性には慎重にならざるを得ません。
仮に実在するとしても、わずか1例であり、単純な[[十干]]の誤記の可能性を否定できません。

[1699] 
なお[[久保常晴]]は、
昭和9年に文正元年丙戌と[TIME[大永6(1526)年丙戌][1526]]のいずれが妥当か実見による確認が必要と指摘していました
(>>631) が、昭和40年には延徳2年 (= [[第二類]]の誤記) とみるのが適切だと論じています (>>489)。

[1700] 
[[昭和時代]]中期以後の辞典類等は[[第五類]]説を掲げなくなっているようです。

-*-*-

[1703] 
福徳元年丁亥は、[CITE[本土寺過去帳]]に1例だけ見られます (>>940)。
福徳元年辛亥の誤りと見なして[[第三類]]の特殊例と考えるのが通説的見解のようで、
これを根拠に比定年を決める説は見当たりません。

[1779] 
福徳4年、福徳14年の用例は、[CITE[本土寺過去帳]]にのみありますが、
同時代的に用いられたことがあったのかどうか、慎重にならざるを得ません
(>>1611, >>1612)。


** 時空間的分布

[1708] 
[[福徳]]の利用期間を、連続して記録された史料で見ると、次の通りです。

- [1710] [[甲斐国]]の[CITE[一蓮寺過去帳]]によると、
戌年12月17日から亥年1月4日までの間に福徳へ、
亥年6月10日から亥年7月6日までの間に延徳へ
(>>1590)
- [1711] [[武蔵国]][[足立郡]]の[CITE[諸尊表白抄]]によると、
亥年4月1日から亥年5月2日は福徳 (>>264)

[1712] 
[[板碑]]の日付は建立日とは限らず前後することも考えられ、
取り扱いには注意を要するところですが、その日付の範囲は次の通りです。

- [1713] [[武蔵国]]の[[板碑]]の日付は、
-- [1714] [[福徳]]が戌年12月から亥年12月までに分布します。
-- [1715] 福徳2年 (第二類) と福徳元年 (第三類) が混在します。
--- [1716] [[第二類]]出現は戌年12月 - 亥年12月
--- [1717] [[第三類]]出現は亥年2月 - 亥年12月
-- [1718] 延徳3年 (公年号) も混在します。
-- [1719] [[逆修]]か否かや型式から推定される工房の違いなどを考慮した分析によると、 (>>128)
--- [1720] 2月頃に[[福徳]]が使われはじめ、
---- [1721] ただしその後も[[延徳]]は使われており、
--- [1722] 11月頃に[[延徳]]に戻りはじめ、
---- [1723] しかし12月まで[[福徳]]が優勢なままでした。
--- [1724] 型式ごとに福徳2年 (第二類) と福徳元年 (第一類) は偏って使われており、
---- [1725] [[旧利根川]]あたりを境に西側では第二類、東側では第一類が多いです。
- [1726] 他国の[[板碑]]も同じ範囲に収まります。

[1727] 
[[板碑]]以外の同時代的史料も[[干支]]あるものはおおむね亥年に属しますが、例外的に戌年のものがいくつかあります。

- [1728] [[武蔵国]][[品川区]] [[板碑]] 元年庚戌3月 (>>1019)
- [1729] [[上野国]][[藤岡市]] [[宝篋印塔]] 2年庚?戌?7月 (>>178)
- [1730] [[上野国]][[吾妻郡]] [[宝篋印塔]] 2年庚戌 (>>181)
- [1731] [[陸前国]] [[宇那弥神社]] [[棟札]] 元年''丙''戌年12月 (>>945)
- [1732] [[武蔵国]][[富士見市]] [[板碑]] 元年庚戌12月 (>>1064)
- [1733] この他に干支なしのものが多く、特に12月の >>1062 >>870 >>873 などは戌年の可能性を否定できません

[1734] 
これらは孤立的な事例であり、何らかの誤りを含む可能性もありますし、
12月の[[板碑]]などは亥年になってから遡って使われた可能性があります (>>133)。

[1735] 
一方で初期的な流布である可能性も一応考えられます。[[上野国]]には2年戌が2例あり、
うち1つは判読が不明瞭という難点はあるものの、偶然の誤りとは言い切れません。
福徳2年庚戌 (第一類) は[[延徳]]と同じ数え方であり、
この場合[[福徳]]が[[延徳]]の何らかの理由で生じた別名だった可能性が出てきます。
ただし、そうだとしてもその後半年間の空白を経て別地域で再出現したとき[[元年]]が変わっていることに説明が必要となります。
[[上野国]]では2年辛亥の用例もあり (>>363)、
2年庚戌7月は[[干支]]誤記の可能性を排除しきれません。

[1736] 
[[甲斐国]]は亥年6月-7月より後にほとんど[[福徳]]用例がありませんが、
亥年11月に1例だけ[[板碑]]があります (>>326)。

[1737] 
以上、不確定要素が多いものの、主な動きを簡潔にまとめると、

- [1738] 戌年12月 - 亥年2月の頃に広範囲に[[福徳]]の開始の情報が流布され、
-- [1739] 多くはそれを元年戌、2年亥 (第二類) と解釈
-- [1740] 一部はそれを元年亥 (第三類) と解釈
- [1741] 亥年6月 - 亥年7月の頃に[[甲斐国]]に[[延徳]]への復帰の情報が流布された
- [1742] 亥年11月 - 亥年12月の頃に[[関東平野]]に[[延徳]]への復帰の情報が流布された

... といった様子がみえます。

-*-*-

[1762] 
[[第二類]]と[[第三類]]については、

- [1763] [[近世]]後期の
[CITE[偽年号考]]
で初めて2類の併存が意識されました。
-- [1764] 甲種本時点では一方が誤りと考えられましたが、
-- [1765] 乙種本では両方 (と[[公年号]]) の混在と改められました。
- [1766] 昭和9年に[[久保常晴]]により各類の地理的な偏りが指摘され、
[[伝播経路][改元伝達]]との関係が示唆されました (>>635)。
- [1767] [[平成時代]]に[[千々和到]]により[[武蔵国]]の東西で2類の優勢が異なること、
複数の[[改元伝達]]経路の存在が明確に主張されました (>>277)。
- [1768] [[令和時代]]に[[深澤靖幸]]により、
[[板碑]]の[[型式]]により推定される工房の違いが[[旧利根川]]の付近を境界とする
2類の分布の違いと重なっており、異なる[[改元伝達]]経路が存在したことが計量的に実証されました。

... と研究の進展に伴い徐々に解像度が向上し、
用例の時空間的分布から具体的に[[改元]]情報の流布の経路を議論できる段階まで到達しました。



-*-*-

[1743] 
用例の多くの原所在地は[[関東]]で、[[山梨県]], [[長野県]], [[福島県]], [[宮城県]]にも分布します。
孤立して[[滋賀県]]にも文書1点がありますが、どこで書かれたものかは不明です。

[1744] 
[[武蔵国]]の[[板碑]]用例が突出して多いですが、[[板碑]]以外の用例数で見ると他地域と極端な差はありません。
[[武蔵型板碑]]という[[媒体]]の存在が主因とも考えられ、真の分布の中心や発祥地なのかどうかは慎重に考える必要があります。



** 伝播

[1780] 
[[昭和時代]]の[[久保常晴]]は、
用例の時空間的分布を分析し、
[[甲斐]] ([[第一類]]) → [[関東]] ([[第二類]]) → [[関東]]東部 ([[第三類]]) → [[下総]] ([[第四類]])
と伝播、変質したと考えました。
具体的には[[甲州街道]]を東遷して伝えられたと考えました。

[1781] 
この説は、[[甲斐国]]に早期の用例や[[改元]]記録が見られ、[[信濃国]]、[[関東]]へと進んでいく用例の関係性に立脚しています。
他の[[中世東国私年号]]の観察も含め、[[甲斐国]]が発生地と推定しています。

[1782] 
ただ、この説の起点である[[甲斐国]]の[CITE[妙法寺記]]は現在の研究では同時代記録そのものではないと考えられていること、
同書の紀年の錯乱を踏まえるとこれを最も先行する時期の記事と認定することには疑問もあること、
は差し引いて訂正する必要があります。

[1783] 
[[昭和時代]]後期から[[平成時代]]の[[千々和到]]は、
[[公年号]]と誤認されて[[福徳]]などの[[私年号]]が伝播されたと考えましたが、
宗教系の史料に用例が偏在することから、
寺社間の[[改元伝達]]経路で広まったと推測しました。

[1784] 
更に、[[武蔵国]]の[[第二類]]と[[第三類]]の用例の地域的な偏りは、
複数の[[改元伝達]]ルートの存在を示唆すると指摘しました。 (>>278)

[1785] 
[[令和時代]]に[[深澤靖幸]]は、
[[板碑]]の[[型式]]により推定される工房の違いから、
[[旧利根川]]の付近を境界とする異なる[[改元伝達]]経路が存在したことを計量的に実証しました。

[1786] 
研究の進展によって地理的な[[改元伝達]]経路は明瞭になってきましたが、
その意味すること (地域同士の結合や勢力圏の関係性、
寺社の情報伝達と武家の伝達経路の違いなど) の解明と分析は今後の課題といえます。



** 利用形態

[1745] 
[CITE[一蓮寺過去帳]]では、特定の時期は完全に[[福徳]]のみが使われており、
[[延徳]]との併用や使い分けは見られません。

[1746] 
[[武蔵国]]の[[板碑]]は、[[福徳]]と[[延徳]]が混在していて完全な切り替わりとはなっていないものの、
各工房とも一定期間は[[福徳]]を中心とする傾向が見られ、
個々の[[板碑]]の銘文中での併記は一切見られません。

[1747] 
[CITE[本土寺過去帳]]
と
[CITE[蜷川氏所蔵年代記]]
では、[[福徳]]が前後の[[公年号]]と同じような[[元号]]の1つとして、
直列に利用されていて、併記や混用のような形とはなっていません。
これらの編者は[[福徳]]を特別な[[元号]]と理解していなかったと思われます。

[1748] 
一方で
[CITE[赤浜妙法寺過去帳]] (>>816)
では、一部の写本のみ[[延徳]]の傍注として[[福徳]]が記されており、
[[公年号]]の体系とは異なる扱いになっています。 
[CITE[妙法寺記]]
でも[[公年号]]とは別扱いになっています。
これらの編者は[[福徳]]を通常の[[元号]]とは異なると理解していたようです。

[1749] 
[CITE[勝山記]]/[CITE[妙法寺記]]は、

- [1750] 戌年
-- [1751] 京都で正京/正亨2年と延徳を改元
-- [1752] 京都で[[王]]が[[崩御]]して福徳2年と改元
-- [1753] この年1年で3度年号が変わった
- [1754] 亥年
-- [1755] この年も年号いろいろ

... と書いています。 [SEE[ [[勝山記の日時]] ]]

[1756] 
この記事の成立過程は検討を要しますし、内容にも問題が多々あります。
[SEE[ [[勝山記の日時]] ]]
三度変わったというのが3つの[[年号]] = 2回の[[改元]]があったという意味なのか、
3回の[[改元]] = 4つの[[年号]]があったという意味なのかも定かではありません。

[1757] 
ともあれ、この記事の筆者は何らかの特殊な[[元号]]利用があったと認識していたのではなく、
通常の[[公年号]]の[[改元]]が異常な頻度で繰り返されていたと認識していたように読めます。

[1758] 
[CITE[諸尊表白抄]]写本奥書 (>>264) は、
[[福徳]]から[[延徳]]へと訂正が入っています。訂正は別人によるものと推定されています [SRC[>>337]]。
筆者の意図はともかく、訂正者はこれを誤記か何かの訂正を要するものと認識し、
「正しい」[[公年号]]に改めたことになります。

;; [1759] 
[[私年号]]から[[公年号]]への訂正は、他の[[私年号]]の用例にもたまに見られます。
[SEE[ [[私年号言説]] ]]


[1760] 
この他の多くの用例において、[[福徳]]と他の[[元号]]との併記や混在など特殊な利用法は見られませんし、
通常の[[元号]]と異なる特別な表記なども見られません。
仏教関連の媒体が多いものの、一般の文書もあり、
特定の階層・勢力や文脈に著しく偏った利用とは思われません。
あたかも通常の[[公年号]]のように利用されています。

[1761] 
以上を総合すると、同時代的には[[福徳]]は他の[[公年号]]と同じように[[改元]]された通常の[[元号]]と認識され利用されていたものの、
その後通常の[[公年号]]とは異なる特別な扱いを要するものと認識されるに至ったように感じられます。


** 利用者像

[1787] 
現存用例は、
[[板碑]]、[[宝篋印塔]]、[[過去帳]]、[[経典]]写本などの仏教色ある[[媒体]]に多く見られます。
[[諏訪神社]]文書、[[香取文書]]、神社[[棟札]]のような神社系の[[媒体]]も見られますが、
[[神社]]所蔵の仏教経典や[[板碑]]もあり、[[仏教]]と[[神道]]を厳密に区別することはできません。

[1788] 
この他に、宗教的要素が皆無の[[古河公方]]発給文書にも用例があります。
[[香取文書]]の用例も神社関係とはいいつつ内容は領地経営に関係する非宗教的な内容です。

[1789] 
これらの用例の利用者 (筆者) は、大部分が宗教関係者と思われます。
[[鶴岡八幡宮]]や[[香取神宮]]や[[日光山]]のような大寺院の関係と思われるものもありますが、
[[板碑]]などは地元に密着した寺社や地方を巡回する僧侶、あるいは地元の有力者が関与したと考えられます。

[1790] 
[[平成時代]]の[[千々和到]]は、民間信仰である[[月待信仰]]の[[板碑]]の用例に着目し、
[[村落]]の[[農民]]にまで使用者が広がっていると説明しています。 (>>85)

[1791] 
ただし、現存用例の利用者像が当時の利用者層と一致するとは限らないことには注意が必要です。
武家文書の用例は多くありませんが、[[古河公方]]すら利用していたのだとすれば、
その勢力圏内の国人などにも広まっていたのではないかと推測できます。

[1792] 
一時は[[後土御門天皇]]が使用したと考えられ、[[逸年号]]説の根拠となりました (>>1650) が、
地理的にかけ離れており、そこまでの広がりは認められません。

[1793] 
仏教系の媒体が多いのは、当時作られ現存する史料が多いからで、
仏教僧によるものが多いのは、当時地方に在住の知識層といえば仏教僧だからとも考えられます。
現存史料の仏教系への偏りから直ちに仏教界での利用が中心、
あるいは仏教界で作られたものと結論付けることはできません。

** 性格と発生の事情

[1868] 
[[福徳]]が誰にどのような意図で作られ (あるいは偶発的に発生し)、
誰のどのような意思で拡散され、どのような性格を持って利用されたものか、
といった問題に関して論理的な考察から思いつきのような稚拙な憶測に至るまで、
数多くが公表されてきました。

-*-*-


[1794] 
[[近世]]初期には単純な誤記を疑う説がありました (>>1649)。
当時は[[福徳]]の用例が他に知られていませんでしたから、
単発の誤りを疑ったのは自然なことです。しかし、
3桁もの用例が知られる現在となっては、この説は成立の余地がありません。

-*-*-

[1795] 
[[代始改元]]説は、
[CITE[妙法寺記]]
が記録するものです (>>790)。
[[京都]]で[[王]]が[[崩御]]したとのことで[[改元]]があったと、
[[改元]]の理由が伝聞形で記述されています。
出典は不明ですが、おそらく当時そのような噂が流布されていたのでしょう。
[SEE[ [[勝山記の日時]] ]]

[1796] 
[[王]]の[[崩御]]とそれに伴う新[[王]]の[[即位]]によって[[改元]]が行われるという[[代始改元]]の知識を前提に、
今次もその種の[[改元]]が行われたとするのが当説 (噂) の主張と考えられます。
これを聞いた当時の人々、最低でも[CITE[妙法寺記]]の素材となった原資料の著者は、
自身の経験に照らしてこれを尤もな話だと受け入れ、記録したと推測されます。

[1797] 
しかし、現在知られている史料によれば、これに該当する[[改元]]は行われていませんし、
「王」が誰を指すかも不明です。 [SEE[ [[勝山記の日時]] ]]
この説は何らかの誤解で生じたものと考えられ、史実としては成立し得ません。

[1869] 
[[代始改元]]説自体は成立しませんが、「[[代始改元]]を謳った[[改元デマ]]」とみれば、
当記事はそれを伝える重要な史料となります。少なくても[[甲斐国]]において、
[[福徳]]が[[改元デマ]]の形で拡散された蓋然性は極めて高いといえます。


[2427] 
>>2408 は、[[延徳]]の新年号の評判がよくなかった上に、
延徳2年には「王」こと[[足利義政]]が死去し、[[福︀德]]や[[正亨]]が勝手に作られた、
とする説です。[CITE[妙法寺記]]説を引きつつも、「王」死去それ自体ではなく、
[[公年号]]の不評も含めた混乱を発生要因と主張しています。



-*-*-

[1798] 
[[逸年号]]説は、[[近世]]中期に提唱されました (>>1650)。
[[後土御門天皇]]直筆とされた用例があったことと、
公式の記録にない[[元号]]であることの矛盾を解消するために考案されたと思われます。
具体的な比定年説や、
[[朝廷]]内部でのみ使われ全国に広まらなかったとする派生説も生じました。
[[近代]]以後は他説が支持されフェードアウトしています。

[1799] 
この系統の説は、当時よりはるかに多くの[[福徳]]用例が検出されたこと、
にも関わらず[[畿内]]の用例が皆無であることから、成立しがたいと考えられます。
戦乱の時代とはいえ[[京都]]の[[公家]]の記録も皆無ではなく、
[[公年号]]の正式な[[改元]]の存在が完全に抜け落ちるような状況ではありません。
直筆用例も、本体はともかく裏書銘文の[[福徳]]は[[後土御門天皇]]と切り離して考えるべきと思われます。
ただし、宸筆とされる扁額の奥書に[[福徳]]が使われたとされることは、
[[福徳]]の性格を考える上で無視できません。

[1800] 
[[逸年号]]説のバリエーションで[[誤伝][改元デマ]]説があります。
[[近世]]に行われた誤伝説は[[応仁の乱]]の頃の誤伝と想定しているので、
何をどう誤ったのか不明で評価不能ですが、
現在の比定年である[[延徳]]から[[1文字置き換え]]の[[誤伝][改元デマ]]なら、
現実味を帯びてきます (>>1735, >>357)。一考の価値はありそうです。

-*-*-

[1801] 
[[後南朝]]説は、[[近世]]後期に提唱されました (>>782)。
確固たる物証があってのことではなく、
他の[[後南朝の元号]]とされるものと[[福徳]]や[[弥勒]]を同類と考えての類推でした。
[[近代]]になって否定されフェードアウトしています。

[1802] 
[[後南朝]]の東走の伝承はあるものの、史実性は低いとされます。 [SEE[ [[勝山記の日時]] ]]
当時の[[東国]]で[[後南朝]]関係者が活動した証拠は見つかっていませんし、
[[福徳]]や[[弥勒]]の利用者や利用媒体にも[[後南朝]]と結びつく要素は指摘されていません。
当説は成立しがたいと考えられます。

-*-*-

[1803] 
[[足利成氏]]系譜説は、[[近世]]後期に提唱されました (>>665)。
元来は[[足利成氏]]系[[関東の延長年号]]の素地に民間の[[私年号]]が発達したとの間接影響説でした。

[1870] 
[[昭和時代]]の[[久保常晴]]はこれを発展させ、
[[足利成氏]]系[[関東の延長年号]]をうけて[[足利成氏]]の影響下の者が使った[[室町時代]](狭義)の[[私年号]]が出現し、
その地盤を受け継ぎつつ民間で[[福徳]]など[[戦国時代]]の[[私年号]]が作られたと考えました。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[1805] 
これらに対して、より積極的に[[足利成氏]]と結びつける主張もあります。
[[明治時代]]の[[片岡弥吉]]は、
[[福徳]]などを[[足利氏]]の[[僭号]]と見なしました。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]
[[昭和時代]]後期の地域史も、[[福徳]]を[[足利成氏]]が好んで使ったとの説を示しています
(>>423)。[[福徳]]の[[板碑]]の存在を[[古河公方]]の統治の根拠とする論も見られます (>>272)。
しかし、いずれもこれといった物証を提示していません。

[1806] 
実は物証は皆無ではありません。
[[古河公方]]発給とされる文書で[[福徳]]を使ったものがあります (>>351, >>352)。
[[平成時代]]の説で、
ここに[[足利成氏]]の意図を読み解こうとするものがあります (>>355)。
[[昭和時代]]後期には、
[[古河公方]]勢力圏と[[福徳]]の利用を関連付けて理解しようとした研究があります (>>1538)。

[1807] 
要するに[[足利成氏]] (ないし[[古河公方]]) と[[福徳]]の関係論には、

- [1808] [[関東の延長年号]]の存在や戦乱などを[[中世東国私年号]]の背景とする間接影響説
- [1809] [[足利成氏]]が[[福徳]]の制定者ないし積極採用者とみる直接関与説

... の二通りがあります。ところが[[足利成氏]]という名前ばかりが前に出て、
両者の区別が曖昧にされがちなきらいがあります。

[1810] 
間接影響説については、多く論じられてはいるものの、印象論や地理的一致の状況証拠に留まっている感があります。
何の影響もないとは考えづらいので、具体論、例えば支配境界と[[改元伝達]]の関係の検討などの深化が期待されます。

[1811] 
直接関与説については、確かに[[古河公方]]発給文書に[[福徳]]用例がみられるものの、
用例数の全体からみればごくわずかであり、初出というわけでもなく、
内容も変哲のない一般の文書であることに問題があります。
改元趣旨の表明など主体性を裏付ける文献ではありませんし、
用例は[[古河公方]]の勢力圏を遥かに超えて広がっています。
積極性を表す史料を提示し、
勢力圏外への拡散の原理を説明できない限り、当説の成立は難しいと思われます。

-*-*-

[1812] 
[[昭和時代]]後半には、私年号独立権力説が提起されました。具体的な[[年号]]を特定した論ではありませんが、
用例数最多で知名度も高い[[福徳]]はその代表例と想定されていたはずです。
[[天皇]]と異なる権力が[[天皇]]の[[元号]]を拒否する独立宣言的な性格を[[私年号]]が持つ、
などとと主張しました。
当時の史学界の民衆や地域・地方に光を当てようとする風潮や、
人文系の職業研究者に大きな勢力を持った[[元号法制化反対運動]]のような反政府的風潮を背景としています。
[SEE[ [[私年号言説史]] ]]

[1813] 
こうした議論は、特定の史料に依拠して行われたものではない抽象的なものであり、
例えばどこの誰がどの[[元号]]を建てたのかも示されていません。
[[福徳]]について当てはめてみると、[[天皇]]の[[元号]]を拒否し、
その意思を[[東国]]の全域に反映させられる能力を持った政治勢力は存在していません。
その規模で自律的に統一された行動を行い得る政治的民衆運動組織も存在しません。

[1814] 
[[私年号研究者]]らは[[福徳]]の用例から再現される利用形態とかけ離れた社会像を描くこうした類の説に否定的です。
[[福徳]]のようにわずか1年であっさりと[[公年号]]に復帰する
「独立宣言」の在り方とその主体を合理的に説明できない限り、
当説は成立し得ないと考えられます。

-*-*-

[1815] 
[[地域年号]]説は、[[平成時代]]に提唱されたもので、
[[京都]]の[[年号]]の他に[[東国]]の[[年号]]があったとし、
[[東国]]人は両者を別世界と考えていたと説きます。
[[福徳]]は、[[東国]]の[[公年号]] ([[地域年号]]) でしたが、
やがて忘れられ、[CITE[妙法寺記]]では[[京都]]の[[改元]]と記録されたのだといいます。
その証拠の1つが、[CITE[妙法寺記]]が[[福徳]]や[[正京]]を「京都の」[[改元]]と記録していることで、
それは[[京都]]の[[年号]] / [[東国]]の[[年号]]の概念を持っていた故の発想だとします。
[SEE[ [[地域年号]] ]]

[1816] 
[[地域年号]]説の枠組みで[[東国]]の[[元号]]体制を示したのが[[三島神社]]制定説です。
[[平成時代]]に[[地域年号]]説と同じ研究グループが主張しています。
それによれば、[[三島神社]]は[[年号]]の攘災招福機能を利用し年号改定権を行使しており、
[[弥勒]]や[[福徳]]のような[[東国]]の[[年号]]で弥勒の世、福徳の世など至福千年の世界を招来せんとし、
[[三島暦]]の頒布を通じて[[東国]]に伝達されたのだとされます。
[SEE[ [[地域年号]] ]]

[1817] 
[[三島神社]]を[[建元]]者とするのは、[[命禄]]について[[三島暦]]に関係するとも読める記録が残されることによります。
それを[[福徳]]や他の[[中世東国私年号]]にも対象を拡大するものですが、
[[命禄]]の解釈自体にも問題がある [SEE[ [[命禄]] ]] だけでなく、
[[福徳]]への適用に限っても

- [1818] [[福徳]]と[[三島暦]]や[[三島神社]]を関連付ける史料は一切提示されていません
- [1819] [[福徳]]の使用圏と[[三島暦]]の頒布圏ないし[[三島神社]]の影響圏が重なるとの根拠は示されていません
- [1820] [[三島暦]]による一元的な[[改元伝達]]という主張と、[[第二類]]と[[第三類]]の地域的偏り
(から推測される異なる[[改元伝達]]路) は必ずしも整合しませんが、その関係が説明されていません
- [1821] [[京都]]の[[年号]]と[[東国]]の[[年号]]の違いの知識が継承されていると主張すると同時に、
[[福徳]]が[[東国]]の[[年号]]であることは忘れられていたと主張するのは、
容易に納得できないトリッキーな論法です

... といった根幹に関わる疑問を抱えています。さらに、[[地域年号]]モデル自体にも、

- [1822] 独立した[[年号]]の制定権がなぜ断続的にのみ行使され、他の多くの期間に[[京都]]の[[年号]]が使われるのか、
説明が与えられていません
- [1823] [[私年号延徳]], [[福徳]], [[弥勒]], [[命禄]]という[[東国]]の[[年号]]とされるものが、
それぞれ異なる時空間的分布を示す理由が説明されていません
- [1824] [[鹿島神宮]]や[[日光山]]など他の寺社との間で年号制定権がどのような位置付けとされるのか、
十分に説明されていません

... といった問題があります。

-*-*-

[1825] 
[[土一揆代償説]]は、
[[昭和時代]]に[[久保常晴]]が論じたものです。
それによれば、民衆の団結力が強い地域では[[土一揆]]などで抑圧を跳ね返すことができたものの、
[[東国]]では庶民の力が弱く、[[改元]]の噂を信じて消極的な為政者への反抗として、
密かに[[年号]]を変えることしかできなかった、とします。
(>>513, [SEE[ [[私年号研究史]] ]])

[1826] 
この説は、[[東国]]に[[私年号]]が集中し[[畿内]]などに見られないことを説明しようと試みたものと考えられます。
ただ、[[代始改元]]の噂を信じることがなぜ為政者への反抗たり得るのか、
[[板碑]]に公然と[[年号]]を刻むことが密かな反抗といえるのか、
といった根本的な疑問があります。そもそも[[土一揆]]と[[私年号]]に因果を見出すことは困難といえます。

-*-*-

[1827] 
仏教僧建元説は、
[[仏僧]]が創作したと考えるものです。
現存用例の主要な利用者層が仏教系であることを主な根拠としており、
[[近世]]後期以来、広く受け入れられています。

[1828] 
他の[[私年号]]、例えば[[弥勒]]ではその仏教的[[元号名]]が根拠に挙げられますが、
[[福徳]]に対しては特別に肯定する材料も、否定する材料もありません。
具体的にどこの誰なのか、が特定されないことには議論のしようがありません。
なぜ、については歳運転換論や[[改元待望]]論、呪術的私年号説などが該当しますし、
他の説にも可能性はありそうです。

-*-*-

[1829] 
[[陰陽道]]説は、
[[陰陽道]]関係者が関与したと考えるものです。
[[福徳]]や他の[[私年号]]の[[元号名]]の語感に[[陰陽道]]的要素を感じるとしています。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[1830] 
[[平成時代]]に可能性として提示されたものですが、感覚以外の物証が提示されているわけではありません。
可能性としては否定できるものではありませんが、何らかの根拠がないことには議論のしようがありません。

-*-*-

[1831] 
天災・戦乱からの歳運転換を[[私年号]]/[[改元]]の目的とする理解は、
[[公年号]]の[[災異改元]]を基礎としており、[[近世]]から現在に至るまで、
何らかの形で通説的地位を得ています。

[1832] 
[[近世]]後期の[CITE[偽年号考]]乙種本は、
[[福徳]]やその他の[[中世東国私年号]]が出現する時期の
[CITE[妙法寺記]]
に天災・飢饉等の記事が多発することから、
これを転じることが企図され、
僧侶によって[[私年号]]が作られたと考えました。
[[昭和時代]]の[[久保常晴]]もこの路線を踏襲しました。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[1833] 
[[昭和時代]]の[[久保常晴]]は、
天災や戦乱で荒廃した世相に日々直接接している、
地域の精神的指導者層である僧侶らが、
[[私年号]]を通じて悲惨な世を変えようと試み[[私年号]]を作ったと考えました。

[1834] 
[[平成時代]]の[[千々和到]]は、
天災・戦乱や[[代替わり]]などで[[改元への期待が民衆の間で高まった][改元待望]]時、
僧侶がこの願望を承けて[[私年号]]を作り、
民衆が[[改元伝達]]の形で ([[公年号]]と[[誤認][改元デマ]]し) それを受け容れる、
との[[改元待望]]モデルを提示しました。
こと[[福徳]]については、[CITE[妙法寺記]]の[[改元]]記事にある「王」の死去なども[[改元待望]]の理由となります。
本来なら[[公年号]]によって満たされるべき[[改元待望]]が満足されないとき、
[[私年号]]が普及すると論じました。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[1835] 
災異契機論は、[[公年号]]の改元理由との整合性が理論的根拠となりますが、
[[私年号]]全般に対しても[[福徳]]に関しても直接的な物証を持ちません。
改元理由を明記した史料が出現しない限りは状況証拠に留まります。
天災、戦災、飢饉、疫病といった状況はこの時代ありふれていて、
関連付けの方法には恣意性も否めません。
[CITE[妙法寺記]]の改元理由と一致しないことも問題です。

[1836] 
[[改元待望]]論は[[改元]]の理由を[[災異改元]]に限らないことでこの問題を解決しています。
[[福徳]]の場合は[CITE[妙法寺記]]に[[代始改元]]らしき改元理由の記録があるので、
それで良しとするわけです。もちろんそれは実際の[[京都]]の[[天皇]]の[[代始改元]]ではありませんが、
そうであるとの認識が広まり、
[[改元]]がもっともらしいと受け入れられる環境が醸成されたこと自体が[[私年号]]の広まった理由と見ます。
筋は通っており、非常に有力な解釈といえます。

-*-*-

[1837] 
文盲庶民流伝説は、
[[年号]]の重要性を理解しない文盲の庶民によって拡散されたとするものです (>>579)。
ここでの文盲とは必ずしも非識字層に限ったものでなく、
知識・教養を欠いた在野の人々ということでしょう。

[1838] 
[[近世]]後期に仏教僧建元説と組み合わせて唱えられました。仏教僧が歳運を変えるために発案したとはいえ、
[[国家]]の正式な[[年号]]の代替品のつもりではなかったのに、一般庶民が見境なく使い始めた、
というシナリオのようです。

[1839] 
庶民の行動原理の解釈は違えど、構図は[[改元待望]]論とよく似ています。[[私年号]]の発案者と利用者を切り離す考え方は、
[[平成時代]]に[[千々和到]]によって重要性が説かれましたが、既に研究史の初期から提示されていたもので、
[[昭和時代]]の[[久保常晴]]も多少の考慮はしていました。ただ、[[久保常晴]]が地方の寺社などの“地域の指導者”
層の主体的な建元と意識的な利用を強調していたように、[[昭和時代]]にはこの考え方は後退していました。

;; 
[1840] 
もっとも、[[年号]]の重要性を理解しない人々の寄与、は[[久保常晴]]の[[公年号軽視の風潮]]論の原型ともいえます。

[1841] 
[[改元待望]]論との本質的な違いは、[[改元待望]]論が[[公年号]]と誤認された[[私年号]]の流布と見るのに対し、
文盲庶民説は[[公年号]]の重要性を理解しない人々のある種の積極性を想定するところにあります。
縁起が良ければ[[公年号]]のかわりに使っても面白い、という軽いノリで普及したような状況をイメージしたものでしょうか。

[1842] 
実際の用例を見ると、大寺院や[[古河公方]]のような識字層の知識人が重要な場面で日用しているのであり、
[[年号]]の重要性を知らない愚者のような印象論は的外れと言わざるを得ません。

-*-*-

[1843] 
巡礼伝播説は、
[[私年号]]の伝播に[[巡礼者]]が関与したとします。
[[昭和時代]]に[[久保常晴]]や[[浅沼徳久]]によって主張されました。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[1844] 
主に他の[[中世東国私年号]]が根拠史料とされますが、
[[福徳]]にも[[順礼]]にかかる用例 (>>94)
が見られますし、その他の[[福徳]]用例の所在地にも順礼との関連を主張し得る寺社があります。

[1845] 
これに対して[[平成時代]]の[[佐々木茂]]は、
[[私年号]]の伝播の速さを[[巡礼者]]の移動では説明できないとします。加えて、
[[福徳]]の[[改元]]理由を記した[CITE[妙法寺記]]や他の用例には、
交通や商業への関心が窺えるものがあり、
所在地が交通の要衝に位置することを指摘しています。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]
巡礼者の宗教的な伝導ではなく、物理的な情報伝達路の方こそ有意に寄与しているということでしょう。

[1846] 
用例の広域的で宗派を問わず武家まで含めた分布は順礼だけで説明するのは難しく、
順礼によって伝播される事例があったとしても、それが主体ではないとみるのが妥当性が高いと感じられます。

-*-*-

[1847] 
呪術的私年号説は、
[[平成時代]]に提唱されたもので、
[[私年号]]の使用を積極的な呪術行為と考えるものです。
[[福徳]]をはじめとする[[私年号]]の用例は、[[公年号]]の用例と近接するため、
[[公年号]]を誤認したとは考えられず、
[[私年号]]と知った上で、呪術目的で意図的に使い分けられたと主張しています。
(>>355, >>328)

[1848] 
呪術とまではいわずとも、招福のために意図的に選択した (利用者に選択の余地があった)
との主張は他にも散発的に見られます (>>409, [[中山太郎]]の遷禍招福説 [SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]] ]])。

[1849] 
[[改元待望]]論が[[元号]]や[[改元]]一般の呪術的性格を社会に共有された
(民衆の意識に埋め込まれた) 装置と解釈して総体的な「呪術」を考えるのに対して、
呪術的私年号説は1つ1つの[[私年号]]の用例に使用者の呪術的意図を見出そうと試みます。

[1850] 
当説は、他の[[私年号]]に対するものも含め、呪術性の認定基準が強引であったり、
根拠が明確に提示されていなかったり、といった課題を抱えています。
特殊な祈祷の願文などの呪術的意図の明確な史料で使われているわけでもなければ、
宗派などに共通性がみられるわけでもありません。
[[福徳]]の用例は多数見られますが、そのいずれも他の[[公年号]]と同じような態様で利用されており、
[[私年号]]であるという事実以外の特殊性が見られません。
仮に一部の用例にだけ特別な説明を与えることが可能だとしても、
それを一般化するのは難しいと思われます。



-*-*-

[1851] 
[[公年号]]からの[[1字置き換え説]]は、
[[公年号]]の攘災招福の呪術性を高める操作としてめでたい[CH[福]]の字に置き換え、
[[私年号]]を作ったとするもので、
[[昭和時代]]末期に[[千々和到]]が提唱しました。
[[千々和到]]は多くの[[私年号]]が同時期の[[公年号]]の[[1字置き換え]]の関係にあるという観察的事実を、
[[私年号]]創作の方法論に発展させようとしました。[[福徳]]はその代表例となります。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[1852] 
しかし、創作者による記録がない限り創作の意図は実証不能とは[[千々和到]]自身が主張するところであり、
この説が[[福徳]]について確実に言えるのは、
同時期の[[延徳]]の[CH[延]]がよりめでたく感じる[CH[福]]に置き換えられている、
という外形的な事実だけです。それ以上の[[作者の意図]]は、推測はできても、
それを肯定するのも否定するのも困難です。

[1853] 
縁起物風習説は、元号の一字を縁起の良い文字に変えて使う風習があったと主張するものですが (>>387)、
[[1字置き換え説]]を雑に要約した派生説と思われます。オリジナルの[[千々和到]]説は制作者と使用者を明確に区別しており、
置き換えを行った当事者はあくまで制作者だけですが、
風習説は使用者が個々に置き換えるという理解のようにみえますし
(従って呪術的私年号説の一種ともいえます。)、
[[延徳]]から (1年ずれた) [[福徳]]を新たに作るのではなく、
[[延徳]]自体を[[福徳]]という別名で表記するという話のようにしか読めません。
そうだとすると[[福徳]]の用例の実態と乖離しています。

-*-*-

[1854] 
福神信仰説は、[[福徳]]の[[元号名]]を[[福の神]]の信仰と絡めて説明するものです。
[[元号名]]から直接に想像されるものですが、物証があるわけではないため、
肯定も否定も困難です。

[1855] 
[[昭和時代]]の[[久保常晴]]は、[[私年号]]には理念的な[[公年号]]とは違って庶民の生活を反映した直接的な文字が使われるとし、
[CH[福]]は戦乱の世で自助努力の限界を感じた庶民が[[福の神]]の信仰に頼ったものと解釈しています。
[CH[徳]]は[[公年号]]的な[[儒学]]の[[徳]]ではなく、損得の[[得]]と理解されたものと解釈しています。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[1856] 
[[令和時代]]の新聞記事は、[CH[福]]は[[''福''神]]、[CH[徳]]は[[有''徳''者]]や[[''徳''政令]]にみられるような、
経済的な豊かさを表す文字だと解説しています。 [SRC[>>232]]

-*-*-

[1857] 
[[福徳]]を[[福徳の三年目]]と結びつける説は、[[近世]]以来行われています (>>1584)。

-*-*-

[1858] 
[[ミロク信仰]]説は、
[[昭和時代]]後期に出現したもので、
[[福徳]]や[[弥勒]]のような[[私年号]]を[[ミロク信仰]]に関係するものと主張します。
更に、[[ミロク信仰]]とは農民の[[共産コミューン]]の夢だと説きます。
この説は、[[弥勒私年号]]から他の[[私年号]]に類推し、
[[昭和時代]]の[[マルクス主義史学]]的解釈を施したものと考えられます。
[SEE[ [[私年号言説史]] ]]
これといった根拠は提示されておらず、結論ありきの我田引水的な論理の飛躍と思われます。

[1859] 
ただし、[[共産コミューン]]は極端だとしても、
[[私年号]]の代表である[[福徳]]と[[弥勒]]を同じ理論で解釈しようとする試みが歴史上繰り返しみられる
(しかもしばしば[[弥勒]]側の解釈が採用される) ことは、受容史・研究史的観点から注意されます。

-*-*-

[1860] 
[[流行正月]]説は、[[福徳]]や[[弥勒]]は[[流行正月]] ([[取越正月]]) の一種だとする説です。
[[明治時代]]に提唱されました (>>193)。そもそも[[弥勒十年]]が宝暦10年と結び付けられ、
[[流行正月]]が行われた[[近世]]の風習に端を発したものですが、
[[弥勒]]一般と[[流行正月]]一般に[[拡大解釈][主語が大きい]]され、
さらに[[私年号]]一般と[[流行正月]]一般にまで[[拡大][主語が大きい]]されました。
この考え方は、[[民俗学]]系の[[ミロク信仰]]研究の方面でその後も (根拠なく)
信じられていることがあります。

[1861] 
確かにこれらは一種の[[年]]の改めという共通点はあるのですが、
[[流行正月]]は異例の正月儀礼を実施する行事であるのに対し、
[[福徳]] (や[[弥勒私年号]]) に正月儀礼が伴ったとする記録はありません。
[[福徳]] (や[[弥勒私年号]]) は日付表記を改めますが、
[[流行正月]]で[[日付]]表記を変化させたとする記録はありません。
両者の関係性を主張するのであれば、どのような性質が共通しており、
何の影響でどのようにして表面的形態が変化したのかを説く必要があるでしょうが、
そのような言説は見当たりません。


** 終息

[1862] 
多くの論者は、[[福徳]]やその他の[[私年号]]がいかにして生み出されたかを論じても、
なぜそれが使われなくなったかを論じていません。用例によれば、[[福徳]]が使われたのは約1年間で、
その後これといった混乱もなく[[公年号]]の[[延徳]]に復帰しています。
突発的な一過性の現象というには用例数が多く、長く持続していますから、
使用を停止するべき何らかの事情が生じたと考えざるを得ません。

[1863] 
[[近世]]後期の[CITE[偽年号考]]は、
飢饉からの歳運転換のために[[福徳]]が作られたと考えたので、
豊作でこれが満たされ、自然に停止されたと主張しました (>>746)。

[1864] 
この成就終了説は、その後の[[私年号研究者]]にも引き継がれています。

[1865] 
[[昭和時代]]の[[久保常晴]]は、発生理由を失った時 = 災害が過ぎ去った時、
[[私年号]]から[[公年号]]に復すると論じています。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[1866] 
[[平成時代]]の[[千々和到]]は、[[改元待望]]は[[災異改元]]の除災招福効果を期待しており、
[[私年号]]を継続使用することでなく、[[改元]]されたという情報にこそ価値があったと考え、
長期間持続しないことを説明しようとしました。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[1867] 
[[令和時代]]の[[深澤靖幸]]は、用例の計量的分析を通じて、
ある時期に[[福徳]]への[[改元]]が誤りだったとの情報が新たに流布され、
やや時間差がありながらもそれが拡散し、終息に至ったと考えました。 (>>130)

[1871] 
訂正情報がいかなる形で流布されたかは、未だほとんど議論がありません。
[[武蔵国]]方面の[[公年号]]への復帰は11月、12月の頃とされますから、翌年の暦書によって正式な[[年号]]を知った可能性が考えられます。












* 研究史

** 近世

[1649] 
近世初期成立の
[CITE[新編鎌倉志]]
は、
[[鎌倉光明寺勅額]]用例について、
不明な[[元号]]であり誤刻か、
と記載していました。
[SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]] ]]

[1650] 
近世中期の
[CITE[昆陽漫録]]
は、
[[鎌倉光明寺勅額]]用例と[[鶴岡八幡宮]]用例から、
[[応仁の乱]]の混乱に伴う[[逸年号]]説を唱えました。
[SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]] ]]

[373] 
[TIME[文化元(1804)年][1804]]の[CITE[異年号考]]
は、
[CITE[昆陽漫録]]
説に賛同しました。
[[干支年]]より、福徳元年を延徳2年に比定しました。
[SEE[ [[異年号考]] ]]




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1682] 
[CITE@ja-JP[[[甲子夜話]] : 未刊 第1]], [[松浦静山, 坂田勝 校訂]], [TIME[1964]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-30T08:43:32.071Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2933205/1/81?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4> (要登録)
]FIGCAPTION]

未刊甲子夜話 第一 巻之七

>
[VRLBOX[
【一四】 水戸御撰鎌倉志、光明寺ノ条ニ、寺寶勅額二枚、
一枚ハ  後土御門天皇宸筆、祈祷ノ二字ナリ、裏ニ福徳二年
辛亥九月吉日トアリ、祈祷堂ノ額ナリ、福徳ノ年号不審、
恐ハ[RUBY[誤彫][アヤマリエリ]]タル歟。

善筑曰、コノ頃[LINES(smaller)[後士御門ノ][御時ヲ云]]ハ、[RUBY[何][イカ]]ナル故カ、東国別ニ年ノ
偽号有テ是ヲ用ユ、福徳ハ迺東国ノ偽号、其元年ハ正ニ延
徳二年庚戍ニ当ル、然レバ福徳二年辛亥ハ、正ニ延徳三年
辛亥ニシテ、後土御門帝即位廿七年トス、然レバ筑カ云ケ
ル事誣ナラズ、筑何ニ拠ル所カ、又水戸御撰ハ、其頃ハ未
ダ及バザル所有シカ。

又偽号ニ弥勒ト云アリ、元年ハ丙寅ニシテ、永正三年丙寅
トス、後柏原ノ朝、又食禄ト云アリ、元年ハ庚子ニシテ、
天文九年庚子ナリ、後奈良ノ朝、サレバ皆足利権柄ノ間、
東方ノ偽号ノミ。

予因テ云フ、世ニ万歳ト呼デ、 三河ノ農夫烏帽素袍ヲ着テ
舞フアリ、歌詞ニ弥勒十年辰ノ歳ト唱フ、是マサシク弥勒
十年ハ偽号ノ謂ナリ、サレドモ弥勒元年ハ永正三年丙寅ニ
シテ、十年ハ永正十二年乙亥ナリ、辰歳ニ非ズ、若クハ予
ガ万歳ノ詞ヲ誤聴セシ乎。
]VRLBOX]

]FIG]




[461] 
嘉永元年の 
[CITE[新撰年表]], [[清宮秀堅]]


[400] 
文化元年序の
[CITE[異年号考]]は[[鎌倉光明寺額]]裏書用例を紹介していました。
[CITE[昆陽漫録]]の説を引いていました。
[SRC[>>664]]

[REFS[

- [664] [CITE[[[異年號考]]]]

]REFS]

[665] 
[[中山信名]]の[CITE[偽年号考]]は、
[[関東の延長年号]]を素地に、ついには民間で[[偽年号]]というものが生じたとして、
[[福徳]]を説明しています。
[SRC[>>443]]
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[695] 
甲種本の説明は次の通りです。 [SRC[>>443]]

- [666] [[延徳]]時代に[[福徳]]
- [667] [[常陸國]][[赤濱村]] [[妙法寺]] [[過去帳]] 
-- [668] 延徳二年庚戌 傍書 「福徳元」
-- [669] 延徳三年辛亥 傍注 「福徳二」
- [670] [[陸奥国]][[河沼郡]][[塔寺村]] [[八幡宮]] [[長帳]]
-- [671] 文明十九年丁未 → 「福徳二年辛亥」 → 延徳四年壬子
-- [672] その下の注 「貞和二年丙戌年ヨリ至福徳仁年辛亥年一百四十七年也」
--- [673] 延徳三年辛亥から貞和二年丙戌は 146年、1年誤算
--- [674] 二年辛亥は[CITE[妙法寺過去帳]]と一致
- [675] [[下総国]][[平賀村]] [[本土寺]] [[過去帳]]
-- [676] 「妙本入道福徳二辛亥八月十七日」
- [677] [CITE[新編鎌倉志]] 
-- [678] [[光明寺]]「祈禱」額 裏「福徳二年辛亥九月吉日」
- [679] 延徳二年庚戌に[[福徳]]を制定したのは明らか
- [680] 一説、辛亥を福徳元年
-- [681] 蜷川氏所蔵年代記
--- [682] 延徳二庚戌 → 「福徳辛亥」 → 明應壬子 
-- [683] [CITE[本土寺過去帳]]「妙生尼福徳元辛亥二月朔日匝嵯道高禅門福徳元辛亥九月十七日鏡林位福徳元辛亥八月十八日禅師阿日応福徳元辛亥十一月廿四日」
-- [684] 年代記は年を追記していくもので、[[改元]]の年までは旧年号により、
翌年に新年号を書く事例があるから、これもその類かも
-- [685] 過去帳も自身に齟齬があるから、いずれかが誤りであることは明らか
-- [686] ならば諸書に合致する庚戌元年を正しいとするべき
- [687] 一説、壬子を福徳元年
-- [688] [CITE[本土寺過去帳]] 「善性入道福徳四乙卯七月十二日」
-- [689] 乙卯は明応四年、逆算して元年壬子
-- [690] この過去帳は齟齬が多く、他書に類例ないので、誤りであることは明らか
-- [691] 明応四年になってたまたま[[福徳]]を用いることがあって、
その年まで連続して用いていたわけではなかったため、
[[明応]]の4年を取って福徳4年乙卯と書いたのかもしれない
- [696] [[福徳]]は4年続いたことが明らか
-- [692] [CITE[妙法寺過去帳]]「福徳二」
-- [693] [[関東]]の俗諺に、僥倖を得たことを「福徳の三年め」という
-- [694] [CITE[本土寺過去帳]]「妙泉福徳三十二月四日妙正福徳四正月六日」で5年以後なし
-- [697] つまり延徳2年庚戌に始まり、明応2年癸丑に終わったらしい
- [759] 仏教僧が作ったものなので多くは仏寺の記録や器材に見える
-- [760] [[塔寺村]]八幡長帳も社僧の書いたものなので



[698] 
乙種本の説明は次の通りです。
[SRC[>>443]]

- [699] 延徳2年庚戌に[[福︀德]]
- [700] [[常陸國]][[赤濱村]] [[妙法寺]] [[過去帳]]
-- [701] 延徳二年庚戌 傍書 「福︀德元」
-- [702] 延徳三年辛亥 傍注 「福︀德二年」
- [703] [[陸奥国]][[塔寺村]] [[八幡宮]] [[長帳]]
-- [704] 文明十九年丁未 → 「福徳二年辛亥」 → 延徳四年壬子
-- [705] その下の注 「貞和二年丙戌年ヨリ至福徳二年辛亥年一百四十七年なり」
--- [706] 延徳三年辛亥から貞和二年丙戌は 146年、1年誤算
--- [707] 二年辛亥は[CITE[妙法寺過去帳]]と一致
- [708] [[下総国]][[平賀村]] [[本土寺]] [[過去帳]]
-- [709] 「妙本入道福徳二辛亥八月」
- [710] [CITE[新編鎌倉志]]
-- [711] [[光明寺]] 「祈禱」額 裏「福徳二年辛亥九月吉日」
- [712] 延徳二年庚戌に[[福徳]]を制定したのは明らか
- [713] この年、[[東国]]大飢饉、前年に[[京都]]の[[将軍]]死去、この年[[足利義政]]死去、
歳運を転ずるために俗間で猥に[[福徳]]を設けて、東方諸国に流伝させた
- [714] [[甲斐國]] [[妙法寺]] 舊記
-- [715] 延德庚戌「此年は多く日でり、後には大風又雨降て、 作毛皆實なし。大飢饉無申計、又京に王崩御とて、 福︀德二庚戌年と年號を改むなり。 殊の外に大飢饉にて、牛馬渇死ること大半に越たり。 人民餓死こと無限。」
-- [716] この年に[[天皇]]の[[崩御]]なし
-- [717] [[将軍]]家のことを誤って聞いたのか、[[将軍]]家のことを王崩御と書いたのか
-- [718] 初めて[[年号]]を設けて「福徳二」は疑わしく思えるがそうではない
- [719] 元々[[天皇]]の制定ではなく、民間の流言なので、
用法は一定せず、あるものは但し[[延徳]]の[[年号]]に従い、
ある者は福徳元年とし、
ある者は福徳2年とした
-- [720] 福徳2年とするのは、延徳2年をそのまま使ったもの
- [721] 延徳3年辛亥、引き続き飢餓。
-- [722] [[年号]]もまた人それぞれで一定せず、
ある者は正しい[[年号]]、
ある者は福徳2年、
ある者は福徳元年
-- [723] [CITE[本土寺過去帳]]「妙生尼、福︀德元辛亥二月、匝嵯道高禅門、福︀德元辛亥九月、鏡林位、福︀德元辛亥八月、禅師阿日應、福︀德元辛亥十一月」
-- [724] 蜷川氏所藏 東國佛寺 年代記
--- [725] 延德二庚戌 → 「福︀德辛亥」 → 明應壬子
-- [726] [CITE[甲州妙法寺舊記]]
--- [727] 前年を二年としたので、この年は福徳3年
--- [728] 延德辛亥「此年も年號色々也」
---- [729] よって[[年号]]が一定しなかったこと明らか
-- [730] [CITE[本土寺過去帳]]
--- [731] 福︀德元辛亥、福︀德二辛亥、彌勒元丁卯など
--- [732] 自身で齟齬しているが、[[僞號]]がそれぞれ別々に用いられて一定しなかった明証
- [733] この年飢饉だったことは、[CITE[妙法寺舊記]]「此年大飢饉無申計、賣買なし、牛馬餓死こと無限」
- [734] 次の壬子年、[[朝廷]]は延德四年を明應元年に[[改元]]
-- [735] [[東國]]は[[僞號]]を用いたこと、前年の[[年号]]一定しなかったのと同じ
-- [736] 作柄良く夏から生活は安定
-- [737] [[福徳]]が使われ始めて3年
-- [738] 現在でも[[東国]]の俚諺で、僥倖にして食を得て飽満することお
「福徳の3年め」というのは、これに由来する
- [739] 次の明応2年癸丑
-- [740] 民間はいよいよ安定
-- [741] よって[[福徳]]はこの年には使われなくなった
-- [742] 延徳2年からここまで4年
- [743] [CITE[甲州妙法寺舊記]] 
-- [744] 延德四壬子 「當年夏より世間くつろぐなり」
-- [745] 明應二癸丑 「世間福︀貴す、賣買安し」
- [746] この年で使用をやめたことは、
-- [747] [CITE[本土寺過去帳]] 「妙泉福︀德三十二月、妙正福︀德四正月六日」、5年以後は無し
-- [748] 元々歳運を転じようとしたものだから、
豊作の年で停止することは自然な成り行き
- [749] 次の明応3年甲寅、旱魃不作
- [750] 次の明応4年乙卯、悪天候飢餓
-- [751] 福徳4年とするものあり
-- [752] 4年は明応の4年によったものである
-- [753] [CITE[甲州妙法寺舊記]] 
--- [754] 明應三甲寅「此年耕作二分も實不入なり」
--- [755] 明応乙卯「七月十三日大風吹、作一木も實不入飢饉す」
-- [756] [CITE[常州田島村和光院年代記]] 明應三「自三月至極月旱魃」
-- [757] [CITE[本土寺過去帳]]「善性入道福徳四乙卯七月十二日」
-- [758] 明応4年から福徳4年としたのは、延徳2年を福徳2年としたのと同様である
- [761] 仏教僧が作ったものなので多くは仏寺の記録や器材に見える
-- [762] [[塔寺村]]八幡長帳も社僧の書いたものなので


[REFS[

- [443] [CITE[[[偽年号考]]]]

]REFS]

[763] 
[[明治時代]]の[CITE[逸年号考]]は、
次のように述べています。
[SRC[>>445]]

- [764] 福德元年庚戌
-- [765] [[常陸]][[赤濱]] [[妙法寺]] [[過去帳]]
-- [766] [CITE[甲斐妙法寺記]] 延德元年「京に王崩御とて福德二(庚戌)年と年號を改る也、殊の外に大飢僅而其年の內に米は七十、大豆六十、粟は更に無之、牛馬渴死すること大半に過たり、人民飢死事無限」
--- [767] 「延徳元年」とするのは「延徳二年」の誤り
--- [769] 「福徳二年」とするのは「福徳元年」の誤り
--- [768] 「王崩御」は[[足利義政]]の死去の誤りとみられる
- [770] 福德二年辛亥
-- [771] 鎌倉光明寺額裏書 後土御門院宸筆「福德二年辛亥九月吉日」
-- [772] [CITE[新編鎌倉志]]
-- [773] 鶴岡八幡宮座不冷所着到軸 「福德二年正月一日」
-- [774] 赤濱 妙法寺 [[過去帳]]
-- [775] [CITE[昆陽漫錄]]
--- [776] [[福徳]]の[[年号]]はないが、
--- [777] [[後土御門院]]勅筆というのなら、
---- [778] [[福德]]の[[年號]]しばらく使われたのに、
---- [779] [[応仁の乱]]で史官が書き漏らしたのではないか
-- [780] しかし[CITE[妙法寺記]]にあるとおり私に改めたものだろう
-- [781] 庚戌は延德二年、辛亥は延德三年の当たることが[CITE[妙法寺過去帳]]延德二三年の旁書「福德元」「福德二」から明らか

[REFS[

- [445] 
[CITE[[[逸年号考]]]]

]REFS]


** 後南朝説と不時の正月説

[782] 
[[江戸時代]]の[[水戸学者]][[小山田与清]]と[[太田元貞]]は、
[[福徳]]を含む[[中世私年号]]を[[後南朝]]のものと考えました。
これは[[天靖]]からの類推でした。
[SRC[>>299]]
[SEE[ [[後南朝の元号]] ]]


[783] 
それに対する[[明治時代]]の注釈は、[[後南朝]]とは無関係で[[流行正月]]の類だと考えました。
[SRC[>>1053]]
[SEE[ [[私年号研究史]], [[取越正月]] ]]


[192] [CITE@ja-JP[川柳獅子頭 3(3)]], [[獅子頭発行所]], [TIME[1911-03]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-15T08:06:27.582Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1511890/1/13> (要登録)

[193] >>192 [[福徳]]、[[弥勒]]を[[不時の正月]]の一種だったとする説。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[299] [CITE@ja-JP[[[近古文芸温知叢書]] 第3編]], [[内藤耻叟, 小宮山綏介 標註]], [TIME[明治24-44][1911]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-12T01:59:48.249Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1088008/1/30>
]FIGCAPTION]

>
[VRLBOX[

○武家功名記[OKURI[ノ]]。上嶋氏下島氏[OKURI[ノ]]支流の系圖を[RUBY[載][のせ]]たる條に。天靖元年としるし[BR[]]
て。分註に北朝は嘉吉三年と書たり。此天靖といへる南朝の年號は。をさ[BR[]]
〱きこえざるものから。今吉野十津川わたりにて。長祿二年高福院の弑[BR[]]
せられたまひしまでを。後南といひつたへたれば。なほその頃まで年號を[BR[]]
建られしにやありけん。後南とは後の南朝といへる心なるべし。また[RUBY[諸國][くに〱]][BR[]]
に三四百年ばかりのさまなる墓碑殘りて。彌勒某年。福徳某年などしるせし[BR[]]
があり。近[OKURI[キ]]頃下總[OKURI[ノ]]國野田の里にて。地中より尼[OKURI[ノ]]妙心といへるが墓碑をほ[BR[]]
り出して。彌勒二年三月二十五日と[RUBY[彫][ゑり]]たりし。など𛀕もふに。南朝の餘黨[BR[]]
[RUBY[諸所][ところ〱]]にかくれすみけるが。なほ御世の年號を書んをねたくおもひなして。か[BR[]]
くはものせしわざと見ゆ。陶淵明が甲子のみ書し跡にもな𛁚゙へつべくて。[BR[]]
いとかたほにもまめしき心ばへなりやと。太田元貞がものがたりき

]VRLBOX]

[1053] 頭注

>
[VRLBOX[
彌勒福德の年[BR[]]
號は關東及甲[BR[]]
州奧州等皆同[BR[]]
時に用ひたり[BR[]]
凶災の頻りに[BR[]]
行はるゝとき[BR[]]
に私に此號を[BR[]]
立て年を改め[BR[]]
しものにて後[BR[]]
の流行正月に[BR[]]
同しかるへし[BR[]]
遺臣の所爲に[BR[]]
はあらぬなり[BR[]]
[BR[]]
蜀山人の假名[BR[]]
世説にも彌勒[BR[]]
の年號の考あ[BR[]]
り
]VRLBOX]


]FIG]

]REFS]




** 近代

[2399] 
[[明治時代]]初期の書籍は、
[[足利氏]]が[[正朔]]を乱したとし、

- [2400] [[足利義稙]] [[私號]] [[福︀德]]元年 (延徳2年)
- [2401] [[足利義澄]] [[私號]] [[彌勒]]元年 (永正3年)
- [2402] [[足利義晴]] [[私號]] [[永喜]]元年 (大永6年)

... の3つが知られているとしています。 [SRC[>>2403]]

[REFS[

- [2403] 
[CITE@ja-JP[風雲 第6集]], [[片岡弥吉 (明治潜夫)]], [TIME[明22,23][1890]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-16T07:19:14.094Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/893094/1/5?keyword=%E6%B0%B8%E5%96%9C> (要登録)

]REFS]

-*-*-






@@
[462] 
[CITE[私年号]],
[[河田羆]],
[CITE[[[史学雑誌]] 第七巻第三号)

@@
[463] 
[CITE[福徳の年号ある板碑]],
[[橋川正]],
[CITE[[[考古学雑誌]] 第九巻第六号]]


[441] 
[CITE@ja-JP[日蓮宗宗学全書 第19巻 (史伝旧記部 第2)]], [[立正大学日蓮教学研究所]], [TIME[1960]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-28T10:18:48.120Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2967870/1/141?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

[SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]], [[日本の私年号]] ]]

-*-*-

[2406] 
[TIME[昭和3(1928)年][1928]]の書籍は、
次のように述べています。
[SRC[>>294]]

- [2407] [[福︀德]]は民間で私に用いたいわゆる[[私年號]]また[[逸年號]]
- [2408] 長享3年に[[延徳]]と[[改元]]したが、[[元号名]]を非難する者もいた
- [2412] 延徳2年正月早々[[足利義政]]の死去などがあり、
-- [2413] 民間では勝手に[[年号]]を改めて[[正亨]]などというものもあった
-- [2414] 同時に[[福︀德]]という[[年号]]を立てて直ちに2年とするものがあり、
-- [2415] 福︀德の[[元年]]とするものがあった
-- [2416] めいめい勝手にいろいろの年号を使った
-[2417] [CITE[妙法寺記]]にこの間の消息を書いて
-- [2418] 延徳2年庚戌年に [SNIP[]] [SEE[ [[勝山記の日時]] ]]
--- [2419] [[王]]とは[[足利義政]]のこと
-- [2420] 延徳3年辛亥に [SNIP[]]
--- [2421] しかし一般には延徳2年庚戌を福︀德元年とするものが多かった : >>816 >>821 >>837 
--- [2422] 福︀德元年辛亥も少なくない : >>811 >>958
- [2423] 福︀德は三五年にして止んだようだ
-- [2424] 十数年後の永正4年には彌勒二年などという[[私年號]]もあった
-- [2425] 福︀德以前にも僧徒などが甚だ勝手な[[私年號]]を使ったことが多くある

[2426] 
>>2412 は[CITE[妙法寺記]]と別の情報源がありそうな書き方ですが、実際には
[CITE[妙法寺記]]と同内容の繰り返しです。ただ、著者の解釈なのか、
少し細部が違っています。 [SEE[ [[正京]] ]]
[CITE[妙法寺記]]の[[代始改元]]説に加え、[[延徳]]の不評を遠因として組み入れているのが当説の特色といえます。

[REFS[

-
[294] 
[CITE@ja-JP[武蔵野歴史地理 第1冊]], [[高橋源一郎]], [TIME[昭和3][1928]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-01T12:51:16.898Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3432375/1/206> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[382] 
[CITE@ja-JP[刀剣刀装鑑定辞典]], [[清水孝教]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-06-21T13:00:57.278Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1222005/1/271> (要登録)


[440] 
[CITE@ja-JP[山中共古全集 3]], [[山中笑]], [TIME[1987.10][1987]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-28T10:13:11.339Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12408511/1/150?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


** 久保常晴


[389] 
昭和7年の[[久保常晴]]の論文では、[[福徳]]は4種あると指摘しています。
[SRC[>>388]]

- [390] a. 延徳元年
-- [394] [CITE[続群書類従]]本[CITE[甲斐国妙法寺記]] 「福德二[LINES(smaller)[庚][戌]]年」
- [391] b. 延徳2年
-- [395] [CITE[続群書類従]]本[CITE[会津塔寺村八幡宮長帳]]「福德二年[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]」
- [392] c. 延徳3年
-- [396] [CITE[続群書類従]]本[CITE[平賀本土寺過去帳]]朔日上「妙生尼福德元年[SUP(smaller)[辛]][SUB(smaller)[亥]]二月」
- [393] d. 明応元年
-- [397] [CITE[続群書類従]]本[CITE[平賀本土寺過去帳]]十二日下「善性入道福德四[SUP(smaller)[乙]][SUB(smaller)[卯]]年七月」

[618] 
昭和9年の[[久保常晴]]の論文では、
次のように述べています。
[SRC[>>900]]

- [619] [[金石文]]の主なもの (14例)
-- [620] 拓本 白黒写真 (中解像度)
--- [621] 宝福寺 福徳元年10月1日板碑
--- [622] 宗泉寺 福徳2年9月25日板碑
--- [623] 宗泉寺 福徳2年2年11月14日板碑
--- [624] 宗泉寺 福徳2年2年12月□板碑
- [625] [[文書]]等 (銘文引用あるものだけでも20例)
- [626] 第一類 延徳元年(紀元二一四九)に當るもの
-- [656] [CITE[妙法寺記]]
--- [653] [CITE[逸年号考]]に延徳元年、福徳2年の[CH[元]]と[CH[二]]は互いに字の錯乱、
延徳二、福徳元と訂正すべし、と
--- [654] 延徳元→二はもちろんだが、
--- [655] 単に字の錯乱と改めるのはどうだろうか
- [627] 第二類 延徳二年(紀元二一五〇)に當るもの
- [628] 第三類 延徳三年(紀元二一五一)に當るもの
- [629] 第四類 延徳四年(紀元二一五二)に當るもの
-- [657] [CITE[本土寺過去帳]] 福徳4年乙卯 
--- [658] 明応4年乙卯と察せられる
--- [659] [CITE[偽年号考]]は誤りとする
---- [660] [[元年]]を一種とし、しかも4年丁卯の類例ないためと思われる
---- [661] 1つに定まらないから、一応是認しておく
- [630] 第五類 
-- [631] 芋澤宇那彌神社 福徳元年[SUP(smaller)[丙]][SUB(smaller)[戌]]年
--- [632] [[延徳]]年間にない
--- [633] そのため[[延徳]]の前の文正元年丙戌に当てているものがある
--- [634] それとも大永6年丙戌なのか、実見後解決されるべき
- [635] 地理的に偏りあり、伝播の経路や使用年代の遅速に暗示あるか
-- [636] 第一類 甲斐
-- [637] 第二類 相模・下総・下野・岩代・武蔵
-- [638] 第三類 武蔵・下総
-- [639] 第四類 下総
- [640] [[干支]]あるもの、第一類から第四類まで17例中15例が辛亥 
-- [641] 延徳3年辛亥に、[[元年]]として用いられたり、2年として用いたりしたものを、第[VAR[何]]類と区別する形になったに過ぎない
-- [642] 使用年で分類すると第二類・第三類を併合し、延徳2年、延徳3年、[ASIS[明応4年]]の3種となる
- [643] 3種と地理的組み合わせ
-- [644] 最も早く延徳2年に甲斐方面 (第一類)
-- [645] 延徳3年に関東に広く (第二類、第三類)
--- [646] 最も遅く下総
-- [647] 最も早い[CITE[甲斐妙法寺記]]に改元理由があるのは興味深い
-- [648] 最も遅い下総方面の[CITE[本土寺過去帳]]に福徳2年、福徳4年などのほか、
--- [649] 26日 [[太田道灌]] 福徳十四七月
--- [650] [[下総]]方面よほど後まで使用されていたのだろう
-- [651] 福徳元年17例中下総に15例、福徳2年18例中下総にわずか3例である、興味深い
--
[NOTE[

[652] [[彌勒]]の項に、福徳第5類と彌勒第3類について記載あり
[SEE[ [[彌勒]] ]]

]NOTE]
- [662] 干支ない赤浜妙法寺の福徳元は第二類で一見矛盾するが、
-- [663] 延徳3年に福徳2年と書き、逆算して延徳2年の傍に福徳元としたと考えられる

[399] 
昭和40年の[[久保常晴]]の論文 [SRC[>>458]]

- [592] [CITE[甲斐妙法寺記]]延徳元[LINES(smaller)[戊][申]]条
-- [593] [[正亨]]
-- [595] 「又京ニテ王崩御トテ福徳ニ庚戌年ト年号ヲ改ル也」
-- [596] [[干支]]より延徳2年庚戌のはず
-- [597] 延徳2年=福徳2年、よって福徳元年は延徳元年
- [598] [[輪王寺]][CITE[草木抄]]奥書 福徳2年辛亥7月23日
-- [599] 筆者活動時期[[文明]]-[[大永]]と[[干支年]]から、
-- [600] 延徳3年辛亥、よって福徳元年は延徳2年
- [601] [[輪王寺]][CITE[悉曇大抵]]奥書 于時福徳2年辛亥林鐘16日
-- [602] 筆者活動時期より福徳2年=延徳3年、よって福徳元年は延徳2年
- [603] [[香取秀真]]旧蔵[[下総国]]松沢権現[[鰐口]] 福徳2年辛亥8月8日
-- [604] 銘文人物より福徳元年は延徳2年
- [605] [CITE[甲斐一蓮寺過去帳]] 福徳2年正月
-- [606] 文脈から福徳二年=延徳3年、よって福徳元年は延徳2年
- [607] [[元年]]は1つに定まらない
-- [608] 第一類  延徳元年に相当するもの
-- [609] 第二類  延徳二年に相当するもの
-- [610] 第三類  延徳三年に相当するもの
-- [611] 第四類  延徳四年に相当するもの
--- [612] [CITE[本土寺過去帳]] 12日条「[V[福徳四年乙卯七月]]」
-- [613] 第五類  延徳二年と推定されるもの
--- [614] [CITE[封内風土記]] [[宮城県]][[宮城郡]][[宮城村]][[那弥神社]] [[棟札]]
「福徳元年丙戌十二月建之」
---- >>489
-- [615] [[干支]]なし
- [616] 年代
-- >>521 と同趣旨
- [617] 利用期間や名称 [SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[465] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
[SRC[>>464]]

- [466] 資料1 [CITE[甲斐妙法寺記]]延徳元[LINES(smaller)[戊][申]]条
-- [[正亨]]
-- [469] 「又京ニテ王崩御トテ福徳ニ庚戌年ト年号ヲ改ル也」
-- [467] [[干支]]より延徳2年庚戌のはず
-- [468] 延徳2年=福徳2年、よって福徳元年は延徳元年
- [470] 資料2 [[輪王寺]][CITE[草木抄]]奥書 福徳2年辛亥7月23日
-- [471] 筆者活動時期[[文明]]-[[大永]]と[[干支年]]から、
-- [472] 延徳3年辛亥、よって福徳元年は延徳2年
- [473] 資料3 [[輪王寺]][CITE[悉曇大抵]]奥書 于時福徳2年辛亥林鐘16日
-- [474] 筆者活動時期より福徳2年=延徳3年、よって福徳元年は延徳2年
- [475] 資料4 [[東京国立博物館]]所蔵[[下総国]]松沢権現[[鰐口]] 福徳2年辛亥8月8日
-- [476] 銘文人物より福徳元年は延徳2年、鰐口様式も相応
- [477] 資料5 [CITE[甲斐一蓮寺過去帳]] 福徳2年正月
-- [478] 文脈から福徳[ASIS[三][(二)]]年=延徳3年、よって福徳元年は延徳2年
- [479] [[元年]]は1つに定まらない
-- [480] 第一類  延徳元年に相当するもの
--- [481] 資料6
-- [482] 第二類  延徳二年に相当するもの
--- [483] 資料7 - 資料19
-- [484] 第三類  延徳三年に相当するもの
--- [485] 資料20 - 資料33
-- [486] 第四類  延徳四年に相当するもの
--- [487] 資料34 [CITE[本土寺過去帳]] 12日条「[V[福徳四年乙卯七月]]」
-- [488] 第五類  延徳二年と推定されるもの
--- [489] [CITE[封内風土記]] [[宮城県]][[宮城郡]][[宮城村]][[那弥神社]] [[棟札]]
「福徳元年丙戌十二月建之」
---- [490] 文正元年説も多くある
----- [494] 遠隔のこの地 ([[陸前]])、この時期まで遡る[[私年号]]は考え得ず、
----- [495] この地で発生した[[私年号]]とする客観的根拠も乏しい
---- [491] (信憑性の検討)
---- [493] 庚戌とすれば第二類, 近接地用例(伝達経路)
---- [496] 数十例中わずか1例の孤立
-- [497] [CITE[本土寺過去帳]] 25日中段 「福徳元丁亥二月」
--- [498] 丁亥は[[明応]]年間で他に甚だ遅れる
--- [499] 古くは[[十二支]]を重視、辛亥だろう、第三類
-- [500] [[干支]]なし
--- [501] 資料35 - 資料63
- [502] pp.[V[図版第七]]-[V[図版第十]] : 白黒写真 (低解像度 - 中解像度)
- [503] [CITE[常陸赤浜妙法寺過去帳]]
-- [504] [CITE[偽年号考]], [[中山信名]]によると延徳二年庚戌の傍書に福徳元年
-- [505] [CITE[続群書類従]]本になし、[[宮内省図書寮]]本が底本
-- [506] [[中山信名]]は[[塙保己一]]の元で転籍渉猟、別本を得たのか

[508] 
また、次の通り述べています。 [SRC[>>507]]

- [509] [CITE[甲斐妙法寺記]]で[[正亨]]と[[福徳]]が同時記述
-- [510] [CITE[妙法寺記]]長享2年3年の不作疫病飢饉記事
-- [511] その翌年延徳二年は[[畿内]]で気象災害記録
--- [512] [[関東]]・[[東北]]は一層悪条件
-- [513] 先進地域と違って[[甲斐]]では[[土一揆]]も起こし得なかった
-- [514] この地方ではひそかに[[改元]]ありの噂を信じ、消極的な為政者への反抗を試み、
ひそかに年号を代えることで新しい世界の到来を願ったと思われる
-- [515] [[美濃]]・[[尾張]]にも記録される広範囲災害
--- [516] この方面に[[私年号]]の使用がないのは漸進地域で[[関東]]と農民の生活条件が異なるからか

[518] 
また、次の通り述べています。 [SRC[>>517]] 

- [519] 分布圏
-- [520] 諏訪、甲斐、相模・武蔵・下総・常陸・下野、岩代、陸前、近江
- [521] 年代
-- [522] 延徳二年[CITE[妙法寺記]]を初見
-- [523] [[諏訪神社]]関連[[大祝頼満]]発給文書に福徳元年12月1日、他文書より延徳2年相当なので年次は >>522 に次ぐ、第二類では初見
-- [524] [CITE[甲斐一蓮寺過去帳]]延徳3年1月4日に福徳2年、5月まで[[福徳]]、10月16日から[[延徳]]
-- [525] [[福徳]]第二類18例中、 >>523 を除いて福徳3年辛亥、実年代は延徳3年
-- [526] [[福徳]]第三類14例すべて福徳元年辛亥、実年代は延徳3年
-- [527] 実使用年は >>522 >>523 を除き延徳3年
-- [528] 無干支の28例はすべて元年または2年、資料40の諏訪神社を除き、
ことごとく第二類か第三類に属し、実年代は延徳2年に相当するだろう
-- [529] 干支ありに限ると、
--- [530] 5月に香取神宮
--- [531] 6月に宇都宮・岩代国信夫郡
--- [532] 7月に武蔵国児玉郡金讃
--- [533] 8月に下野国小金井・太田
--- [534] 9月に鎌倉光明寺・新座郡広沢
--- [535] 11月に会津耶摩郡塔寺
--- [536] 12月に南多摩郡川口
-- [537] [CITE[二諦義案立]]は書写場所不明、同名書奥書に下野とあり、
福徳年間書写とすれば北関東とみなせる
-- [538] [[干支]]なき第二類
--- [539] 1月に[[鎌倉八幡宮]]
--- [540] 2月に[[町田市]]根岸
--- [541] 7月に[[福生]]
--- [542] 12月に南多摩郡川口
--- [543] 青梅市に9月から12月まで3例
--- [544] 横浜市港北区と川崎に3例
--- [545] 府中市・川越市に各1例
--- [546] 地域的まとまり
-- [547] 第三類 
--- [548] 大部分は小金井本土寺5例 2月から11月
--- [549] 練馬区に3月
-- [550] 干支なし元年
--- [555] 地域的まとまり
--- [551] 中野区に10月2例
--- [552] 練馬区に1例
--- [553] 本土寺に1月から10月まで6例
--- [554] [[下総国]]結城富岡に7月1例
-- [556] 川口・浦和・大宮方面 第一類から第三類 5例
-- [557] 辛亥年でみると
--- [558] 1月 甲斐、すわ、鎌倉八幡宮、松戸本土寺
--- [559] 2月 武蔵南多摩郡根岸
--- [560] 3月 豊島郡
--- [561] 5月 香取郡
--- [562] 6月 岩代国
--- [563] 7月 常陸国
--- [564] 東や北に伝播
-- [565] 延徳4年相当は本土寺に1例のみ、要検討
--- [566] この地で後まで使用されたと見て除外
-- [567] [CITE[本土寺過去帳]] 「福徳十四年七月廿一日太田道灌相州ニテ」
--- [568] 文明18年7月21日殺害、祥月命日
--- [569] 17回忌とみると第一類
--- [570] 17回忌は文亀2年相当、「福徳十四年」はそのころ記録されたと扱うべき
- [571] 利用期間や名称 [SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[572] 
また、研究史については主に次の通り述べています。
[SRC[>>460]]

- [573] [CITE[昆陽漫録]] 
-- [574] [[光明寺]]の寺伝を信じた結果、[[公年号]]と考えた誤謬
-- [575] [[応仁の乱]]という混乱した社会と結び付け、発生の解決を求めた着想は、
(先行する[[私年号研究]]より) 前進
- [576] [CITE[異年号考]]
-- [577] 数ある資料から辛亥、庚戌、壬年の3つの元年を指摘、
前2者は誤りありとし、後者は[CITE[本土寺過去帳]]で齟齬多く誤りなること明らかとする
--- [578] さらなる追求はないが、進歩のあとがうかがえる
-- [579] 兵乱による庶民の不安定生活から歳運を変じたもの、
文盲庶民が[[年号]]の重事たるを知らず流伝、
と発生の一因を明らかにしている
- [580] [CITE[逸年号考]]
-- [581] [[私年号]]発生の背景に仏家と明らかに
- [582] [[河田羆]]
-- [583] >>574 の[[逸年号]]説は有り得ない、[[私年号]]と力説
--- [584] [CITE[新撰年表]]を引く
- [585] [[山中笑]]
-- [586] 文献史料から年代考証、[[福徳]]の[[元年]]は1つに定まらないと考証
- [587] [[橋川正]]
-- [588] 延徳2年と延徳3年の[[元年]]があるとし、 [[山田笑]]説を強調
- [589] この考え方は無視され、一部の辞典・年表は資料の豊かな延徳3年のみに一本化
- [590] [[服部清五郎]]
-- [591] 知られる限りの[[板碑]]資料を収録、大きな貢献


[REFS[

- [388] [CITE[[[私年号命禄の年代に就いて]]]]
- [900] [CITE[[[金石文󠄃に現れたる異年號に就いて]]]]
- [458] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究(二)―室町時代―]]]]
- [101] [CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [459] [CSECTION[[V[序章]]]]
--- [460] [CSECTION[[V[第二章  日本の古代年号・私年号研究の沿革]]]],
pp.[V[一二]]-[V[二三]]
-- [464] 
pp.[V[三一二]]-[V[三三六]], pp.[V[三七四]]-[V[三七六]]
-- [507] 
pp.[V[三八〇]]-[V[三八二]]
-- [517] 
pp.[V[三九一]]-[V[三九八]]

]REFS]


** 昭和時代後期


-
[250] [CITE@ja-JP[[[板碑の総合研究]] 1 (総論編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.2][1983]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-14T08:15:37.343Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12226011/1/159> (要登録)
--
[251] 
[CSECTION[[V[私年号板碑]]]],
[[[V[石村喜英]]]]


[401] 
昭和50年代の
[CITE[私年号板碑仮年表]]
の時点では[[福徳]]銘[[板碑]]が
43 - 1 = 42件知られていました。
[SEE[ [[私年号板碑仮年表]] ]]


[REFS[

- [402] [CITE@ja-JP[東村山の板碑]], [[東村山市教育委員会]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-07T13:03:49.271Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261691/1/46?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-- [405] 
[CSECTION[[V[私年号としての福徳二年]]]]
-
[404] 
[CITE[[[野仏]] 30]], [[多摩石仏の会]], [TIME[1999]]
-- [403] 
[DFN[[CITE[[V[私年号福徳の伊奈石五輪塔]]]]]],
[[[V[縣敏夫]]]],
[V[平成十年五月十八日稿]],
pp.[L[18]]-[L[25]]

]REFS]

[406] >>403 によると >>405 の筆者は[[縣敏夫]]。

[407] 
[TIME[1997-11-09]]の[[多摩石仏の会]]見学会で、
[[多摩]]の[[板碑]]以外の石造物で初めて、
[[伊奈石]]の五輪塔の「福徳二年」銘を[[縣敏夫]]が見出しました。
[SRC[>>403]]

[1472] >>403 に白黒写真があります。やや見づらいですが、「[V[福徳二年]]」が一応読み取れます。

[409] 
造塔を指導した僧侶が招福の願いで敢えて採用したのだろうと推測していました。
[SRC[>>403]]
その推測自体の根拠は特にありませんが、当時の学説からの類推でしょう。

[410] 
また、多摩地域の福徳板碑13基(うち3基は当時既に消失) (+ 1 五輪塔) の銘文や所在地などの表があり、
紀年の日付に偏りがあることなどが指摘されています。
[SRC[>>403]]

[411] 
更に、[[公年号]]も含めた同時期の関東地方の[[板碑]]等の紀年銘を集め、
多摩地方で当時もっぱら[[福徳]]が用いられたことや、
[[改元伝達]]の遅れを考慮した上で当時遅延は特に見られないことなどを指摘してます。
[SRC[>>403]]

;; [412] それでなぜ >>409 の推測になったのかが謎...

[413] 
[[1年ずれ]]の福徳2年庚戌[[宝篋印塔]]が[[群馬県]]で報告されたことにも触れて重要性を指摘していますが、
それ以上の考察は特にしていません。
[SRC[>>403]]



** 平成時代


[81] 
[[千々和到]]は他の[[私年号]]と異なる[[福徳]]固有の特徴を5つ指摘しました。
[SRC[>>80]]
[SEE[ [[中世私年号]] ]]

- [82] 用例数が最多 (>>93)。
- [83] [[武蔵]]を中心に[[信濃]]・[[甲斐]]から[[陸奥]]に至る広範囲に見える。
- [85] 使用者の階層が村落の農民にまで広がっていた。
-- [84] 東国村落の民間信仰である[[月待信仰]]
[SRC[[CITE[板碑と宗教史研究]], [[千々和到]] (考古学ジャーナル86)]]
の[[板碑]]用例 [SRC[>>86 など]] がある。
- [87] [[改元]]理由らしきものが伝わっている (>>88)。
- [89] 資料数が多いため通用期間をかなり正確に知れる。
-- [90] 元年、2年、3年、4年の用例があるが、[[干支年]]を見ると実はほぼ延徳3年だけ。


[92] 
[[福徳]]の用例は[CITE[日本私年号の研究]]に63件、うち[[板碑]]が23件ありました。
[SRC[>>80]]

[93] 
[[昭和時代]]後期時点で[[東国板碑調査団]]の十年の調査の資料の整理
[SRC[[CITE[武蔵国板碑集録]], [[千々和実]]編が一部刊行済]]
途中でしたが、
[[板碑]]用例は倍増すると見込まれました。
[SRC[>>80]]

[276] 
[[平成時代]]初期時点で延徳3年、[[福徳]]の[[板碑]]の[[武蔵国]]における分布を図示しましたが、
どちらも[[武蔵国]]に満遍なく所在していること、
延徳3年は少数で大多数は福徳であることがわかります。
[SRC[>>444]]

[277] 
また、図には示されていませんが、武蔵の東側には福徳元年が比較的多く、
西側では福徳2年が多く用いられています。
[SRC[>>444]]

[278] 
同じ延徳3年が福徳の違う年数で使われていることは、
複数の[[改元伝達]]ルートの存在を示唆しています。
[SEE[ [[中世東国私年号]] ]]


[REFS[

- [80] [CITE[[[中世東国の「私年号」]]]]
- [444] [CITE[[[改元と私年号]]]]

]REFS]

-*-*-

[325] 
[[平成時代]]初期の歴史研究者[[渡部恵美子]]は、
これらの[[日本国]][[山梨県]]域の用例 (>>295 >>280 >>281) から、
[[甲斐国]]では延徳3年の1月頃から6月頃まで福徳2年が使われ、
その後7月頃から延徳3年が使われるようになったとしました。
[SRC[>>492, >>97 (渡部1997)]]

[328] 
ところが[[山梨県]]には11月8日の[[板碑]]も1例あります (>>326)。
[[渡部恵美子]]はこれが[[公年号]]と[[私年号]]が選択的に使用された証拠で、
[[板碑]]という場だから呪術的な目的で[[私年号]]に使ったのだと説いています。
[SRC[>>492]]

[329] 
しかしそれではなぜ[[一蓮寺]]を始め[[甲斐国]]一円で呪術が6月に不要になったにも関わらず、
1例の[[板碑]]でだけ呪術を「復活」しなければならなかったのかは説明されていません。
当該[[板碑]]のある地域で前後にどのような年号が使われたのかも不明です。

[338] 
[[渡部恵美子]]はまた、
[[日本国]][[東京都]][[青梅市]]の
「[V[歩いて[BR[]]も半日もあればたどり着けるような大変近い距離]]」
の[[板碑]]が同時期に福徳2年だったり延徳3年だったりする事例
(>>332 >>337)
を引いて、
片方が[[私年号]]のみを(そうだとは思わず)知っていたとは考えられず、
[[私年号]]だと理解して呪術的に利用していたに違いないとしています。
[SRC[>>492]]

[339] 
しかしやはり一方の[[板碑]]は呪術を必要とし、他方は不要としたのかは説明されていません。


** 令和時代

[99] 
[TIME[令和2(2020)年][2020]]、
[[日本国]][[東京都]][[府中市]]の歴史研究者[[深澤靖幸]]は、
[[福徳]]の[[板碑]]を計量的に分析してその伝播の様子を詳細に描き出しました。
[SRC[>>97]]

[100] 
この研究は[[武蔵]]地域の[[板碑]]を対象としています。
[[福徳]]銘の[[板碑]]のほとんどは[[武蔵]]に分布しているためなのですが [SRC[>>97]]、
域外は対象外となることや、[[板碑]]以外の[[金石文]]や文献なども対象外となることには、
注意が必要です。

[123] 
この研究では、

- [125] 福徳元年も福徳2年も (>>117) 同じ辛亥年を表すと考えられます。 [SEE[ [[元二年]] ]]
- [124] [[福徳]]の[[板碑]]と同時期の[[公年号]]延徳3年の[[板碑]]は、
分布する地域が違うわけではなく混在しています。
- [126] 福徳元年と福徳2年の[[板碑]]の分布する地域も明確な違いはありません。
- [127] [[千々和到]]は延徳3年銘の[[板碑]]が極端に少なく、
[[福徳]]の[[板碑]]がそれを補うことを示していました
[SRC[>>97 ([CITE[板碑とその時代]])]]。
>>97 図2 は[TIME[西暦1487年][1487]]から[TIME[西暦1495年][1495]]の[[板碑]]を(おそらく)最新の数値に再集計して、
改めて実証しています。
- [128] 銘文から[[改元]]情報の伝搬を推定すると、
-- [129] 2月に[[改元]]情報がもたらされたが、延徳3年もまだ使われていた
-- [132] その後[[福徳]]が流布していった
-- [130] 11月に[[改元]]が誤りだったという情報がもたらされた
-- [131] が12月まで[[福徳]]が優勢だった
-- [133] ただし No.64 福徳元年庚戌12月29日 (富士見市) など例外資料もあり不確定な要素も残っている
- [135] 前後含め9年間の[[板碑]]の[[型式]]分類により、
-- [136] A型式からG型式までに分類できる
-- [137] 各型式の濃密分布範囲は互いにほぼ重ならず、在地工房の供給圏を表すと考えられる
-- [138] [[福徳]]は型式に偏らずに分布している
--- [139] 福徳のみ: C, D, F, H, K, L, M
--- [140] 福徳と延徳3年の両方: A, B, E, I, J, N
--- [141] 延徳3年のみ: G (ただし1基のみ)
-- [142] A型式工房では11月以後に福徳と延徳が混在していて、
改元が誤りと知りながら福徳を使い続けたことに。
わずか1ヶ月程度で、移行期だろう。
-- [143] 福徳元年と福徳2年は型式によって偏りがみられる
--- [144] 
元年のみ: N (1基のみ)
--- [145] 
元年と2年: B (元年1基, 2年1基), E (元年3基, 2年6基, 不明1基)
---- [147] E型式の元年と2年の時期は混在している (時間的前後ではない)
---- [148] [[大田区光明寺遺跡]]出土 型式不明 No.39 (元年8月時正), No.40 (2年8月)
(どちらも秋彼岸か、混在しているといえる)
--- [146] 
2年のみ: A, C, F, I, J
-- [149] 元年/2年の型式工房の地理的偏りが推定される
--- [150] 元年
---- [155] 常陸、下野 (元年7基、2年0基)
---- [156] 武蔵の中・東部
----- [152] 型式不明: No.22 (加須市), No.38 (川口市), No.39 (大田区), No.64 (富士見市)
----- [154] N (朝霞市周辺), E (川口市周辺)
--- [151] 2年
---- [157] F
---- [153] 武蔵の中・西部: A (西多摩), C, I (富士見), J (川越), L (越辺川・入間川流域)
--- [158] (>>97 図15の地図を見ると一目瞭然)
--- [159] 武蔵の東部に元年、西部に2年が多いことは注意されながらも有意な現象とは捉えられていなかった
[SRC[[CITE[板碑とその時代]]]]。
--- [160] 型式学的分析から、積極的に評価するべきといえる。
--- [161] 1つの改元情報から個々に元年、2年が選択されたとは想定できず、
異なる改元伝達ルートを持っていたとしか考えようがない。
--- [162] E型式工房は水運を利用して江戸湾に注ぐ河川の下流域に圧倒的なシェアを誇り、
元年と2年が錯綜して分布。在地工房の選択でなく施主側の意思の錯綜したグレーゾーンだろう。
--- [163] [[旧利根川]]がグレーゾーンの東辺であるのは見逃せない。
---- [164] 15世紀の内耳鍋、15世紀なかばから16世紀のかわらけ、
幕府・上杉氏と古河公方の勢力圏といった境界。
---- [165] 異なる地域圏を基盤にした情報伝達ルートでそれぞれ流布したと考えられよう。

といった指摘がありました。
[SRC[>>97]]

[269] >>268 

ふくとく

>>97 の結論の要約 + いくつかの資料のカラー写真


[REFS[

- [98] 
[CITE[[L[[[府中市郷土の森博物館紀要]] 第33号]]]],
[L[2020年3月]] ([TIME[令和2(2020)年3月][2020-03]])
-- [97] 
[DFN[[CITE[[L[板碑からみた私年号「福徳」の受容]]]]]],
[[[L[深澤靖幸]]]],
pp.[L[1]]-[L[30]]
- [268] 
[CITE[[[中世東国と年号]]]] p.[L[30]]-[L[35]]

]REFS]

[272] 
[CITE@ja[テキスト / 板碑(いたび)]], [TIME[2024-01-20T13:34:42.000Z]] <https://adeac.jp/miyashiro-lib/text-list/d100010/ht200500>


>[SNIP[]]また、西光院の福徳(ふくとく)元年銘阿弥陀三尊種子板碑は、私年号板碑であり、この板碑からこの時期におけるこの付近の領主は古河公方とも考えられている。[SNIP[]]


[273] >>272 これは[[中世私年号]]の一部と[[足利成氏]]との関係を指摘した説を誤って拡大解釈しているのでは...?
[SEE[ [[関東の延長年号]] ]]

[370] >>353 の説と関係あるのかは不明。


[447] 
[CITE@ja-JP[板碑入門]], [[小沢国平]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T03:10:30.763Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)


[432] 
[CITE@ja-JP[古河公方文書展 : 昭和六十三年度特別解説]], [[埼玉県立文書館]], [TIME[1988.10][1988]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T09:01:46.231Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13199992/1/15?keyword=%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

福徳=延徳

- [450] 
[CITE@ja-JP[中世史ハンドブック]], [[永原慶二 '''['''等''']'''編]], [TIME[1973]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:29:11.471Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12156456/1/135?keyword=福徳> (要登録)





[4] [CITE@ja-JP[日本歴史論究 : 遺物遺習資料と歴史研究 昭史会三十周年記念論文集]], [[東京教育大学昭史会]], [TIME[1964]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:02:19.695Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2972384/1/99> (要登録)


[5] [CITE@ja-JP[東京都文化財調査報告書 第19 (西多摩文化財総合調査報告書 第1分冊)]], [[東京都教育委員会]], [TIME[1967]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:04:47.525Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2476882/1/83> (要登録)

[6] [CITE@ja-JP[東京都文化財調査報告書 第19 (西多摩文化財総合調査報告書 第1分冊)]], [[東京都教育委員会]], [TIME[1967]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:06:39.438Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2476882/1/85> (要登録)

[12] [CITE@ja-JP[歴史考古学 (5)]], [[歴史考古学研究会]], [TIME[1980-09]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:59:40.629Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7951453/1/30> (要登録)

[13] [CITE@ja-JP[考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 9(6)(233)]], [[日本考古学会]], [TIME[1919-02]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T05:04:39.542Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548248/1/23> (要登録)

- 
[15] [CITE@ja-JP[[[考古学雑誌]] = Journal of the Archaeological Society of Nippon 7(6)(209)]], [[日本考古学会]], [TIME[1917-02]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T13:23:36.224Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548224/1/28> (要登録)
-- [381] [CSECTION[雜錄 慈眼堂經藏收納の典籍に就て――(第二囘)]], [[古谷淸]]



[17] [CITE@ja-JP[武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡)]], [[千々和実]], [TIME[1968]], [TIME[2022-12-27T12:44:39.000Z]], [TIME[2022-12-28T08:17:24.539Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/46> (要登録)

[18] [CITE@ja-JP[武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡)]], [[千々和実]], [TIME[1968]], [TIME[2022-12-27T12:44:39.000Z]], [TIME[2022-12-28T08:18:00.333Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/148> (要登録)

[19] [CITE@ja-JP[仏教考古学講座 第五卷]], [[雄山閣]], [TIME[1936-1937][1937]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T08:08:03.381Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1914064/1/82> (要登録)

[20] [CITE@ja-JP[板碑概説]], [[服部清五郎]], [TIME[1933]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T08:28:34.344Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/384> (要登録)




[31] [CITE@ja-JP[群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文)]], [[群馬県史編さん委員会]], [TIME[1988.3][1988]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-24T14:12:29.417Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/192> (要登録)

[32] [CITE@ja-JP[群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文)]], [[群馬県史編さん委員会]], [TIME[1988.3][1988]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-24T14:13:25.015Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/379> (要登録)











[63] [CITE@ja-JP[神奈川県の歴史]], [[中丸和伯]], [TIME[1974]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-22T09:16:45.280Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9536176/1/66> (要登録)

変革を望む声が広まっていた、その証拠に公年号を拒否して私年号福徳を使っている。












[387] [CITE@ja[XユーザーのDr. Yusuke YAMASHITA, PhD, Associ.Prof. of CSRさん: 「歴史上、日本には「私年号」「異年号」と言われるものが存在する。これは、 元号の一字を縁起の良い文字に変えて使う、という縁起物的風習であり、 例えば、「延徳」を「福徳」として使用した事例が存在する(※二代古河公方・足利政氏の御書の事例)。 (参照:市村高男『足利成氏の生涯』)」 / X]], [TIME[午前11:56 · 2023年3月3日][2023-03-03T02:56:47.000Z]], [TIME[2024-08-21T06:39:48.000Z]] <https://x.com/YAMASHITAnoID/status/1631488764248993793>




[414] 
[CITE@ja-JP[岩手の懸仏]], [[岩手県立博物館]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-22T12:58:50.170Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12424053/1/40> (要登録)

[421] [CITE@ja-JP[武蔵野歴史地理 第1冊]], [[高橋源一郎]], [TIME[昭和3-5][1930]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-27T15:44:27.325Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1178635/1/203?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>


** 辞書類等


[1616] 
[[福徳]]は[[日本の私年号]]の代表例であり、ほとんどの辞書・年表類に掲載されています。
[SRC[>>374]]

[1617] 
ほとんどは、延徳2年説を掲載しています。ただし、福徳元年の相当年を掲載する表と、
福徳2年の相当年を掲載する表があるので、読解に注意を要します。

[1618] 
明治41年[CITE[国史大辞典]]から昭和時代中期頃まで、少なからずが延徳2年説の他に文正元年説を記載しています。
それらは異なる2つの同名の[[私年号]]であるかのように提示したり、
1つの[[私年号]]なのに該当する年が2つあるように提示したりしていますが、
その事情を説明していません。

[1619] 
[[千々和到]]の系統の表では、元年が延徳元年-4年に相当し、
利用年は[TIME[西暦1491年][1491]]、稀に[TIME[西暦1490年][1490]]に相当するという、
それだけだとよくわからない記述になっています。
[[久保常晴]]の第一類から第四類と、その利用年のほとんどは辛亥年という[[千々和到]]の観察に基づくもので、
[[千々和到]]の論文には説明がありますが、その文脈を離れた表でこれを汲み取るのは困難でしょう。

[1620] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]には初期から掲載があります。
[SRC[>>1615]]

- [1621] 平成18年には、比定年が
「1466年・1489年~1491年」
と記載されました。
-[1622] 
平成19年には、
比定年が
「延徳元年」「1489年」
と変更されました。
-[1623] 
平成20年には、
比定年が
「[[延徳]]元年([[1489年]])など」
に変更され、典拠に
「『旧録司代家文書』(『香取文書』)、『本土寺過去帳』など」
と記載されました。

[1624] いずれも直接的な根拠は不明です。

[1625] 
おそらく当初は文正・延徳の2説併記のもの、次に延徳のみのもの、次に[[千々和到]]系統、
と出典となる表を変えながら、自分の依拠する表が正しいと考えた編集者が上書きを続けていったのでしょう。

[1959] 
[TIME[平成元(1989)年][1989]]の書籍は、次のように述べています。 
[SRC[>>1956]]

- [1961] 延徳2年が福徳元年 
- [1962] 悪天候、疫病
--[1963]  これまでの例により[[年号]]をかえて惨状からの脱出の願いを込めた 
- [1965] 地域は[[東京]], [[埼玉]], [[神奈川]], [[千葉]], [[栃木]], [[茨城]]など

[1626] 
[TIME[平成30(2018)年][2018]]の [[SNS]] 投稿は、おそらく [CITE[Wikipedia]] の表の系統と思われますが、
[[福神信仰]]による、という表にない (他出典由来?) の情報が付け足されています。この頃から神仏に祈るようなものが増える、
との解説もありますが、これも根拠不明で、投稿者の印象でしょうか。
[SRC[>>457]]





[REFS[

- [374] [[日本私年号一覧表]]
- [1956] 
[CITE@ja-JP[元号事典]], [[川口謙二, 池田政弘]], [TIME[1989.2][1989]], [TIME[2026-07-28T01:09:38.000Z]], [TIME[2026-08-10T12:17:17.242Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13246881/1/146?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)
- [1615] [[Wikipediaの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,福徳 	- 	,延徳元年(1489年)など 	,不明 	,『旧録司代家文書』(『香取文書』)、『本土寺過去帳』など多数 
]FIGCAPTION]
]FIG]
-
[457] [CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「【元号】354 福徳 ふくとく 延徳元年(1489年)ほか 期間不明 『旧録司代家文書』(『香取文書』)、『本土寺過去帳』など多数 戦国の世が近くなり、世の中は不穏な空気が漂い、政権はあってないような状態。この頃から私年号は神仏に祈るようなものが増え出す。この「福徳」も福神信仰による。」 / X]], [TIME[午前5:49 · 2018年11月7日][2018-11-06T20:49:44.000Z]], [TIME[2026-07-02T13:11:40.000Z]] <https://x.com/11111hiromorinn/status/1059910727022997504>

]REFS]


** その他現代的受容等



[34] [CITE@ja[室町時代の1490年ごろ、関東以北では「福徳」という、なんともめでたい「私年号」が使用されていた - Google 検索]], [TIME[2023-11-08T13:24:10.000Z]] <https://www.google.com/search?q=%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE1490%E5%B9%B4%E3%81%94%E3%82%8D%E3%80%81%E9%96%A2%E6%9D%B1%E4%BB%A5%E5%8C%97%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%80%8C%E7%A6%8F%E5%BE%B3%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%81%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%82%81%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8C%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E3%80%8D%E3%81%8C%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F>

>室町時代の1490年ごろ、関東以北では「福徳」という、なんともめでたい「私年号」が使用されていた。 飢饉や戦乱が続き、「そろそろ改元があってほしい」「徳政があってほしい」との期待から私年号が広がった。 続いて、反政府という文脈で改元が準備された近代の例も見ておこう。2019/04/03
>
論点:元号を考える | 毎日新聞
<https://mainichi.jp/articles/20190402/ddm/007/040/133000c>



[33] 
[[弥勒]]と合わせて考えたい。



[357] 
福徳の草書を低解像度画像で見たら延徳になるような気がしてきた。。。

[358] 
実際は延徳時代に福徳が出現したし、低解像度画像がそう見えたからどうなんだという話ではあるんだが。
でも文字図形として似てないとは言い切れない可能性が出てきたのは収穫なのかも。

[359] 
中世の草書で「延」が「福」に見えるとか「福」が「延」に見えるとかが発見されないか?


[787] 
[CITE@ja[XユーザーのナオキMOONSTEPさん: 「昭和も平成も令和め嫌いなので私年号生活始めます。今は福徳531年だよ。俺は福徳488年生まれ。」 / X]], [TIME[午前0:11 · 2021年8月12日][2021-08-11T15:11:21.000Z]], [TIME[2026-08-04T03:17:48.000Z]] <https://x.com/naokimoonstep/status/1425474928065744898>

;; [789] 他のツイートには実用例なし




[383] [CITE@ja[Xユーザーのところてんさん: 「安野君のポスター張りを手伝おうかと思って申し込みフォームから張ってない場所の地図を見ているんだけど 都心部はほぼほぼ張り終わっていて、郊外はほとんど埋まってなくて、 支持者が都心に集まっていることが図らずとも可視化されていてめちゃくちゃ面白い 例えば、荒川が境界線になってたりする https://t.co/Ckarev7Pg8」 / X]], [TIME[午後7:51 · 2024年6月22日][2024-06-22T10:51:00.000Z]], [TIME[2024-06-22T11:23:04.000Z]] <https://x.com/tokoroten/status/1804467114172158248/photo/1>


[384] 
>>383 川を挟んで綺麗にわかれてるけど、完全に綺麗ではなくてぽつぽつ混じってるのがちょっと不思議でおもしろい。
たまたま人が寄りにくいとか逆に行きやすいとか、たまたまそこの近くの人がいたとかいろいろと事情はあるのだろうけど。

で、これを一目見たとき、これって福徳元年と福徳2年の分布図じゃんwって思っちゃったw

どちらも結局地形から街が出来て人が動いて生じる結果の現象だから似てくるのかな。
きっとこういう現象は他にももっといろいろありそう。探せばもっと福徳板碑分布に似てるのも見つけられそう。




* 関連

[455] [[育喜]]は[[福徳]]の影響を受けたとされます。

[456] [[干支年]]

* メモ
