[12] 
[DFN[福伝]] ([[旧字体]]: [DFN[福︀傳]]) は、
[[日本の私年号]]の1つです。[[幽霊元号]]と考えられています。

* 用例

[23] 
[[昭和時代]]において、[[大学教授]]などの肩書を持つ者の著作で、
[[福伝]]に言及するものがいくつか出現します。

** 昭和24年の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [33] 
[CITE[[V[日本文化史[YOKO[IV]]]]]],
[[[V[辻󠄁善之助]]]],
[V[昭和二四年九月二〇日  初版印刷]],
[V[昭和二四年九月二五日  初版發行]],
-- [34] 
「[V[[SNIP[]]福︀傳元年[BR[]][FENCED[(][[LINES[延󠄅德二年に當る。薩󠄁][藩舊記・入來院文書]]][)]] [SNIP[]]]]」
[SRC[>>32]]

]ITEMS]

[35] 
本書は[CITE[薩藩旧記雑録]]と[[入来院文書]]に「福伝元年」があると主張していますが、
これまでに確認されていません。[[入来院文書]]には[[永伝]]があり、
何らかの形で誤った可能性があります。

[36] 
本書では、[[戦国時代]]の[[下剋上]]を論ずる中で、
[[朝廷]]の[[政令]]が地方に及ばなかった証拠として[[私年号]]群を提示しており、
その1つにあたります。

[39] 
[[著者]]の[[辻善之助]]
[WEAK[([TIME[明治10(1877)年][1877]] - [TIME[昭和30(1955)年][1955]])]]
は、
[[史料編纂所]]の幹部を務めています。
昭和16年には、これまで確認されている辞典類で初めて[[永伝]]を掲載した
[CITE[大日本年表]]
を発行しています。
[SEE[ [[永伝]] ]]

[40] 
依拠できる先行資料の乏しい環境下で最新の情報を盛り込もうとして誤ったのでしょうか。

[42] 
後に発行された改訂版では、当該箇所が「[V[永傳元年]]」に変更されています。
[SRC[>>44, >>41]]


[REFS[

- [32] 
[CITE@ja-JP[[[日本文化史]] 4]], [[辻善之助]], [TIME[1949]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T06:02:47.544Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8795479/1/29?keyword=%E7%A6%8F%E4%BC%9D> (要登録)
- [44] 
[CITE@ja-JP[日本文化史 第4巻]], [[辻善之助]], [TIME[1950]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T15:03:17.603Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2983240/1/28?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
- [41] 
[CITE@ja-JP[日本文化史 第4巻 (吉野室町時代・安土桃山時代)]], [[辻善之助]], [TIME[1960]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T15:00:21.052Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2983252/1/28?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)

]REFS]


** 昭和25年以降の用例

[285]
昭和25年以降の用例群は、異なる[[著者]]でありながら、 
[[天皇]]による[[公年号]]の制定と対比して[[私年号]]をいくつか例示し、 
[[天皇]]権力の一種の限界を提示する、 という形が共通しており、 
いずれも出典を明記せず断定的な事実として類似した表現を用いていることが観察できます。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [21] 
[CITE(.label)@ja-JP[天皇 : 天皇統治の史的解明]], 
[DATA(.author)[[[石井良助]]]],
[TIME(.published)[昭和25(1950)年][1950]]
-- [22] 
「[V[[SNIP[]]薩󠄁摩󠄁地[BR[]]方で行われた福︀傳 [FENCED[(][[LINES[元年が延󠄅德][二年に當る]]][)]] [SNIP[]]]]」
[SRC[>>14]]


]ITEMS]

[24] 
この用例群の現在知られている最古は、昭和25年の書籍に出現するものです。 [SRC[>>22]]
これに続く用例は、いずれも酷似した表現を持っており、
本書を共通祖先とする可能性があります。

[15] 
[[石井良助]]
[WEAK[([TIME[明治40(1907)年][1907]] - [TIME[平成5(1993)年][1993]])]]
は日本法制史研究者で、
[TIME[昭和17(1943)年][1943]]に[[東京帝国大学]]教授となっています。

[16] 
[TIME[昭和25(1950)年][1950]]に[CITE[天皇]]なる著書を刊行しています。
副題が「天皇統治の史的解明」となっています。 [SRC[>>14]]

[17] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]にも[CITE[天皇]]なる著書を刊行しています。
副題が「天皇の生成および不親政の伝統」となっています。
内容は酷似しているようですが、[[近代日本語]]表記法から[[現代日本語]]表記法に改められています。
それ以外にどれだけ差異があるのかは不明です。

[18] 
[TIME[平成23(2011)年][2011]]にも刊行されており、 >>17 の再版とみられます。


[11] 
[[私年号]]に関する部分は、 >>14 と >>227 の比較により、表記を除けば同一であることが知られます。


[37] 
>>14 は、提示される[[私年号]]の一覧が >>36 とよく似ていますが、
出典がなく地域が記載される、
[[年号]]単位ではなく[[元号]]単位でまとめられるなど、
著しい違いがあります。
また、[[朝廷]]権力の限界を示すという文脈は大きく共通しているものの、
幾分のニュアンスの違いが感じられます。

[38] 
従って、 >>36 と >>14 とは関係性が示唆されるものの、 >>14
において一旦まとめ直されたものといえます。
>>36 と >>14 との断絶は、 >>14 とそれ以後の諸文献の異なりよりずっと大きいといえます。


[REFS[

- [14] 
[CITE@ja-JP[天皇 : 天皇統治の史的解明]], [[石井良助]], [TIME[1952 2版][1952]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-27T03:33:09.115Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980108/1/83?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[227] [CITE@ja[[[石井良助]]『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』における〝私年号〟 - 「魏志倭人伝」への旅 ブログ版]], [[hyenanopapa]], [TIME[2021-10-02T03:06:31.000Z]], [TIME[2021-10-02T03:10:49.149Z]] <https://hyenanopapa.blog.fc2.com/blog-entry-1862.html>
]FIGCAPTION]

>石井良助『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』p217

>たとえば、甲斐、常陸、陸奥、相模、下総などで行なわれた福徳(元年が延徳二年に当たる)、薩摩地方で行なわれた福伝(元年が延徳二年に当たる)、甲斐、常陸、会津地方で行なわれた弥勒(元年が永正二年に当たる)、甲斐に行なわれた宝寿(元年が天文二年に当たる)のごときこれである。改元を奉じないで古い年号を用いた例もある。たとえば、文明三年を享徳二〇年と記したごときこれである(享徳と文明のあいだには、康正、長禄、寛正、文正、応仁がある)。
]FIG]
- [10] >>227 には「昭和57年の刊行で」と書かれているので、そちらの版を参照したものか。
-
[19] >>227 は出典が記載されないこの部分の記述について、
[CITE[日本私年号の研究]]を参照したのかと疑っていますが、
>>14 にもこの部分が存在していることから否定されます。
- [1] [CITE@en-us[Amazon.co.jp: 天皇 天皇の生成および不親政の伝統 (講談社学術文庫 2059) : 石井 良助: Japanese Books]], 
2011/7/12,
[TIME[2024-06-21T14:35:25.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406292059X/wakaba1-22/>
--
[FIG(quote)[ 
[FIGCAPTION[
[2] >>1 コメ欄

[CSECTION[昭和25年上梓]],
[[珈琲はキリマンジャロ]],
January 13, 2021

]FIGCAPTION]

>本書は、1907年生まれの著者が1950年に上梓し、1982年に山川出版から刊行されたものを原本としています。
]FIG]
- [13] 
[CITE@ja-JP[日本史上の天皇]], [[水戸部正男]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-27T04:41:32.990Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980181/1/96?keyword=%E7%A6%8F%E4%BC%9D> (要登録)
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] 
[CITE[日本史上の天皇 - [[水戶部正男]] - Google ブックス]], 
[TIME[1967]],
[TIME[2024-06-21T14:42:00.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=PHU6AAAAMAAJ&q=%22%E7%A6%8F%E4%BC%9D%22+%E2%80%9D%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%22>
]FIGCAPTION]

>177 ページ
>... 私年号が行なわれていた。福徳(元年は延徳二年)、福伝(同上)、弥勒(元年は永正二年)、宝寿などこれであり、また改元があっても古い年号を依然として用いた場合もあった(享徳二十年=文明三年)。朝廷だけでなく幕府の政治的権威も喪失したことを物語る現象 ...
]FIG]
- [659] 
[CITE@ja-JP[歴史の見かた]], [[和歌森太郎]], [TIME[1973]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-27T04:42:30.957Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12148751/1/78?keyword=%E7%A6%8F%E4%BC%9D> (要登録)
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] 
[CITE[[[王と天皇]] - [[赤坂憲雄]] - Google ブックス]], 
[TIME[1988]],
[TIME[2024-06-21T14:40:57.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=1e8zAQAAIAAJ&q=%22%E7%A6%8F%E4%BC%9D%22+%E2%80%9D%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%22>
]FIGCAPTION]

>187 ページ
>... 私年号を唱え、世直しや徳政への熱い願望をそこに託したとしても、それが私年号で ... 福伝」(延徳二年、薩摩)、「弥勒」(永正二年、甲斐・常陸・会津)、「宝寿」(天文 ... 私年号の基底に、弥勒仏出現を待望する世直し的意識構造が存するといえる ...
]FIG]
- [20] 
[CITE@ja-JP[図説歴代天皇紀]], [[水戸部正男 編著, 肥後和男 '''['''ほか''']'''著]], [TIME[1989.3][1989]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-27T15:11:22.272Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13140403/1/175?keyword=%E5%AE%9D%E5%AF%BF> (要登録)

]REFS]

* 諸説

[5] 
「福伝」が出現する諸文献は、内容から見てすべて同じ系統か。 >>21 が一番古そうである。

[25] 
[[福伝]]については、少なくても次の2説が有り得ます。

- [27] '''延徳2年実在元号説''': [[薩摩]]で延徳2年に実用された[[私年号]]である。
- [28] '''永伝訛伝説''': [[永伝]]が誤記によって変化したものである。

[29] 
>>34 と >>21 以下の諸文献が実在元号説の立場と考えられますが、
>>21 以下は出典を記載していません。
>>34 は出典を記載していますが、
「福伝」
の出現を確認できません。
用例の実在を提示出来ない限り、実在元号説は成立が困難です。

[30] 
>>34 と >>21 以下諸文献の著者はいずれも[[元号研究]]を専門とする者ではありません。
日本史に関する知識を有すると想定される者もありますが、
[[私年号]]を専門とする研究者の知らない新知識を提示できるかには疑問があります。
仮に独自の知識に基づくなら、 >>21 以下の諸文献のように新発見であることを記載せず、
あたかも歴史学の一般常識であるかのように記述するのは不自然です。
だとすると、何らかの誤りで発生したと疑わざるを得ません。

[6] 
「福伝」「福傳」を使った史料は皆無で、[[元号]]を専門とする研究者による言及も皆無、
「延徳2年」「薩摩」という特徴からみて、
[[永伝]]の誤記 ([[福徳]]との混同) で発生した実在しない[[私年号]] ([[幽霊元号]]) の可能性が高い。

;; [7] なお[[宝寿]]の記述も疑わしい。 [SEE[ [[宝寿]] ]]

* 研究史

[26] 
[[福伝]]は、歴史的な史料にも、[[元号]]を主題とする文献にも出現しなかったためか、
[[令和時代]]に至るまで[[私年号研究]]の文脈で捕捉されることがありませんでした。

[31] 
[[福伝]]は中世史の研究にとってはおそらくノイズでしかありませんが、
[[私年号研究]]の成果がどのように受容されるかを考えるために重要な史料群となることでしょう。

* メモ

[8] 論旨に大きく影響しない例示の1つ2つに過ぎないとはいえ、
論者の事実認識と記述の正確性を疑うに足る大きな誤りであるし、
後続の文献の著者らは情報の裏とりもせず (かといって出典も明確にせず)
先行文献の怪しい記述を[[コピペ]]して論じていることがバレてしまったわけで、
情けない話ですな。

[9] 
>>659 に至っては[[元号廃止]]の政治活動の材料に使ってる、
という本当に酷い事案。



