[3] 
[DFN[禅源]]
([TIME[y~1763]])
は、
[[高麗]]の[[私年号]]とされることがあるものです。

[6] 
[[文化庁]]のデータベースと[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]が[[私年号]]説を掲載しています。
[SRC[>>9, >>8, >>1]]

[15] 
[[元号]]とみるかどうかは慎重論があるようです [SRC[>>13, >>14]]。

[7] 
[[長崎県]]が公開している解説は、不明としていて、[[禅源]]が[[元号]]とも断定していないように読めます。
[SRC[>>2]]

[16] 
[[元号名]]と[[干支年]]の間に[[元号年]]があれば[[元号]]の可能性が高くなりますが、
唯一の用例は[[元号年干支年表示]]の形式をとっていて、
[[元号名]]にみえるものが本当に[[元号]]なのか断定しかねます。

[17] 
明らかに[[禅宗]]の影響がありそうな名称で、[[公年号]]にはなかなかなさそうですが、
[[私年号]]ならあり得なくはないものです。

[18] 
しかし[[元号名]]よりは[[人名]]のような感じもあります。
[[高麗]]では[[元号]]を使わない[[干支年]]の単記も多いので、
銘文を書いた人の名前 (号) と[[干支年]]がたまたま並んだだけという可能性はあります。

[19] 
[[高麗]]はもちろん[[朝鮮半島]]の歴史上ほとんど[[私年号]]が知られていないのも、
[[私年号]]説にとって懸念材料です。
たまたま[[日本]]に渡った1例だけ[[私年号]]が現存するというのも無理のある偶然です。


[20] 
[TIME[西暦1245年][1245]]はちょうど[[金]]の滅亡後、
[[蒙古帝国]]の時代で[[元の元号]]の創設前に当たります。
[[高麗]]では[[元号]]がなく[[干支年]]が使われていました。
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]

[21] 
という時代性を考慮すると[[干支年]]が使われたのは頷けますし、
[[元号]]が必要とされて[[私年号]]が作られたという説も成り立たないことはなさそうです。


[9] [CITE[国指定文化財等データベース]], [TIME[2023-06-18T04:31:00.000Z]] <https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/7136>

>ト書 	: 	禅源乙巳五月日の刻名及び正平十二〈丁/酉〉十月十八日の後刻銘がある
>画賛・奥書・銘文等 	: 	左肩刻銘:「禅源□(乙)巳五月日晋陽府鋳成□福寺飯子一部」
表面中区上部刻銘:「奉懸鐘一口/右志者為/合輩所成/之業回悉/皆消滅殊/心中所願/成就也/正平十二丁酉/十月十八日/大蔵経種敬白」 
>[SNIP[]]
>[SNIP[]]禅源は私年号とみられ、乙巳年を高麗朝高宗三十二年(一二四五)にあてられる。慶尚南道晉州の寺院にあったもので、日本の正平十二年(一三五七)に対馬に舶載された旨をしるしており、日韓交渉の資料として価値高いもの。 


[8] [CITE@ja[文化遺産データベース]], [TIME[2023-06-18T04:30:18.000Z]] <https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/155188>

>[SNIP[]]禅源は私年号とみられ、乙巳年を高麗朝高宗三十二年(一二四五)にあてられる。慶尚南道晉州の寺院にあったもので、日本の正平十二年(一三五七)に対馬に舶載された旨をしるしており、日韓交渉の資料として価値高いもの。

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[多久頭魂神社 - Wikipedia]]
([TIME[2018-04-27 18:38:25 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E4%B9%85%E9%A0%AD%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE>
]FIGCAPTION]

> 「禅源□巳五月日晋陽府」云々の銘と、正平12年(1357年)の追銘がある。「禅源」は私年号とみられ、「□巳」は高麗の高宗32年乙巳(1245年)とみられる。同年に現在の韓国慶尚南道晋州市で制作されたもの'''['''3''']'''。

]FIG]


[4] [CITE@ja[新指定重要文化財 : 解説版 4 (工芸品 1)|書誌詳細|国立国会図書館オンライン]], [TIME[2023-05-17T10:19:26.000Z]], [TIME[2023-06-18T04:26:48.999Z]] <https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001515054-00>

[5] >>1 が引いているのは >>4。電子化されているものの非公開。検索してもそれらしい文字列がヒットしない。

[42] [CITE@ja-JP[新指定重要文化財 : 解説版 4 (工芸品 1)]], [[「重要文化財」編纂委員会]], [TIME[1981.7][1981]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-27T06:04:51.269Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12418262/1/87?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] ([TIME[2016-03-29 17:14:19 +09:00]])
<https://www.pref.nagasaki.jp/shared/uploads/2016/03/1459239259.pdf#page=10>
]FIGCAPTION]

> 側 縁 部 に 陰 刻 銘 が あ り 「禅源乙巳五月日 晋陽府鋳成□福寺飯子一印」
> と 読 ま れ 、 年 号 が 不 明 で あ る が 、 乙 巳 は 高 麗 高 宗 3 2 年 ( 1245) と考え
> ら れ 、 慶 尚 南 道 の 晋 州 で 作 ら れ た も の で あ る こ と が わ か る 。 そ の 後 、
> 本 邦 に も た ら さ れ 、 正 平 1 2 年 ( 1 3 5 7) に大蔵経種によって奉 懸された
> こ と が 追 銘で知られる。

]FIG]


[10] [CITE@ja[旅 1023 多久頭魂神社 と 高御魂神社: ハッシー27のブログ]], [TIME[2023-06-18T04:32:22.000Z]] <https://0743sh0927sh.seesaa.net/article/202002article_2.html>

>2017年 5月12日
>多久頭魂神社 と 高御魂神社
> 昨日は上対馬を中心に廻ったので、今日は下対馬を廻る。

>現地説明板より
『[SNIP[]]
>多久頭魂神社の金鼓(国指定重要文化財)
>指定年 昭和50年6月12日
>所有者 多久頭魂神社
> 高麗時代の大形金鼓でわが国では例がない。総径81cm、面径78cm、肩部に「禅源乙巳五月日晋陽府鋳成□福寺飯子一印」と銘記。制作年は高麗国前高宗32年(1245)とされている。
>[SNIP[]]
>   平成21年12月  対馬市教育委員会 』
> 「金鼓」とは日本でいう「鰐口」のことだという。「禅源乙巳五月日晋陽府鋳成□福寺飯子一印」の、「禅源」は私年号とみられ、「乙巳」は高麗の高宗32年乙巳(1245年)とみられる。同年に現在の韓国慶尚南道晋州市で製作されたものとされる。

[11] [CITE@ja-JP[文化庁月報 (1)(136)]], [[文化庁]], [TIME[1980-01]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-18T04:46:36.025Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2802993/1/13> (要登録)
左下

白黒写真、銘文判読不可


[34] 
当初は「律源」と読まれていました。 [SRC[>>32, >>36, >>40, >>41]]

[38] 
しかも「律源乙 巳五月日」と読まれていて、
「巳五月日」だけが[[日付]]と理解されていた [SRC[>>36]] ようです。

[39] 
「律源乙」の解釈は不明ですが、[[人名]]と考えたのでしょうか。

[35] 
晋陽府は現在の[[慶尚南道]][[晋州市]]のことです。 [SRC[>>32]]


[40] [CITE[多久頭魂神社大鉦 | khirin]], [TIME[2023-06-18T06:04:40.000Z]] <https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_rekimin_h/14247047?lang=ja&aipTypeId=rdf&aipId=14247047&templateId=nmjh_rekimin_h>

>律源乙巳五月日 晋陽府鋳成◇福寺飯子一◇(側面陰刻) 奉懸鐘一口 右志者為 合輩所成 之業回悉 皆消滅殊 心中所願 成就成 正平十二丁酉 十月十八日 大蔵経種 敬白 (表面上部に追彫)  


- [36] [CITE@ja-JP[長崎県の文化財 上]], [[長崎県教育委員会]], [TIME[1969]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-18T05:59:12.438Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2526203/1/84> (要登録)

[37] >>36 カラー写真、銘文判読不可


- [32] [CITE@ja-JP[[[日本文化と朝鮮]] 第3集]], [[朝鮮文化社]], [TIME[1978.3][1978]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-18T05:55:54.738Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12212890/1/112> (要登録)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[13] 
[CITE[[[日本文化と朝鮮]] - [[Google ブックス]]]],
[TIME[1973]],
[TIME[2023-06-18T04:48:25.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=_F80AQAAIAAJ&q=%22%E7%A6%85%E6%BA%90%22>
]FIGCAPTION]

>216 ページ
>... 陰刻されていて「禅源乙巳五月日晋陽府鋳成□福寺飯子一印」と読まれる。冒頭の禅の字は従来律と読またくったまつつ以下かつて日本に到来し現在佚亡のものと現存する朝鮮金鼓の主要なものを紹介する。 11 金鼓の大きさは最大のもので直径七七センチ、 ...
>217 ページ
>この禅源は私年号かとの解釈もあるがにわかにそうとは判定できない。乙巳の年がいつにあたるかが問題であるが、表面中央の撞座の蓮華文が高麗後期に属する次の二口の梵鐘、韓国全南海南郡三山面大興寺鐘癸巳十月日(一二三三)愛知県江南市前飛保曼陀羅寺鐘甲午五月日(一二三四)のものと酷似する点をふまえて高麗高宗三二年乙巳の年(一二四五年)にあてるのが妥当であろう。

]FIG]

[33] >>13 は >>32。>>13 が [TIME[1973]] とするのは第1集の発行年で誤り。

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] 
[CITE[日本のなかの朝鮮文化 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[1975]],
[TIME[2023-06-18T04:51:18.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=WTdEAAAAIAAJ&q=%22%E7%A6%85%E6%BA%90%22>
]FIGCAPTION]

>47 ページ
>これによって既に正平十二年(一三五七)には本邦に齎らされていたことが知られる。この大金鼓のある豆酸の観音堂には、今一つ別の小型 ... 
>銘文はその側面に一行縦書きに陰刻されていて「禅源乙巳五月日晋陽府鋳成口福寺飯子一印」と読まれる。冒頭の禅の字は従来律と読まれていたが、奈良国立博物館の岡崎譲治氏によって禅と訂正された。この禅源は私年号かとの解釈もあるが遂かにそうとは判定できない。乙巳の年がいつにあたるかが問題であるが、表面 ... 成就也・正平十二愛知県江南市前飛保曼陀羅寺鐘甲午五月日(一二三四)のものと酷似する点をふまえて高麗高宗三十二年乙巳の年(一二四五)にあてるのが妥当であろう。

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[12] 
[CITE[対馬の美術 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[1978]],
[TIME[2023-06-18T04:47:12.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=O0AEAAAAMAAJ&q=%22%E7%A6%85%E6%BA%90%22>
]FIGCAPTION]

>308 ページ
>(原銘)「禅源乙巳五月日晋陽府鋳成口福寺飯子一印」(追銘)「奉懸鐘一口」右志者為」合輩所成」之業因悉」皆消滅殊」心中所願」成就也」正平十二町」十月十八日」大蔵経種瞰」口厚六・四~七・一撞(参考)この原銘の筆頭文字「禅源」は年号かと見られるが今 ...
>343 ページ
>... 梵鐘を豆殿観音堂に入(銘)一四〇八一五一四一〇豆酘観音堂旧蔵、至正六年二月兜率山鋳成銘金鼓(高田十郎「対馬の古金石文」)一四一六二三対馬州惟宗信濃守満茂、朝鮮! (李朝実録)万松院蔵、至正壬辰刊大仏頂首楞厳経会解敍(刊記)大藏経種、禅源乙巳五 ...




]FIG]

- [41]
[TIME[2013]], 
[TIME[2023-06-18T06:07:25.400Z]]
<http://www.cha.go.kr/cmm/fms/BoardFileDown.do?atchFileId=FILE_000000000010047&fileSn=0&bbsId=BBSMSTR_1019>
#page=59

>律源乙巳五月 日晋陽府鑄成◯福寺飯
子一口

-*-*-

[23] 
「禅源」は[[高麗]]に限らず[[佛教]] ([[禪]]) 関係でよく使われている語です。

[24] 
「禅源寺」も複数ありますが ([[日本]]にもいくつか現存します。)、
[[高麗]]の[[江華島]]にもありました [SRC[>>22]]。

[26] 
[[高麗]]の禪源寺は、
[TIME[西暦1245年乙巳][1245]]に[[崔瑀]]により創建されました。
[SRC[>>25]]

[27] 
[[崔瑀]]は[[高麗]]の[[執権者]] (政権幹部) で、
[[高麗]]王朝は[[蒙古]]の侵攻を受けて[TIME[西暦1232年][1232]]7月に[[江華島]]に[[遷都]]していました。
[SRC[>>28]]

[29] 
当時の[[高麗]]では[[遷都]]に[[起算][元期]]する[[江都紀年]]の例も見られることが注意を引きます。

[30] 
「[[禅源]]」の[[紀年]]もあるいはこうした時代の産物の1つかもしれません。

[31] 
むしろ[TIME[西暦1245年乙巳][1245]]という重要な年をそのまま記述した一種の[[大事紀年]]というべきものかもしれません。


[REFS[

- [25] 
[TIME[2023-06-18T05:11:26.400Z]]
<https://dms.donga.ac.kr/bbs/seokdang/1099/16078/download.do>
#page=19 [L[58)]]
- [22] [CITE@zh-TW[觀光景點查詢 : 韓國觀光公社 江華仙源寺址(강화 선원사지) < 觀光景點查詢 < 旅遊精選 < [[韓國觀光公社]]]], [TIME[2023-06-18T05:08:45.000Z]] <https://big5chinese.visitkorea.or.kr/cht/ATT/3_2_view.jsp?category=&cid=1550792>
- [28] 
[CITE@ja[[[崔瑀]] - Wikipedia]], [TIME[2023-06-04T05:12:35.000Z]], [TIME[2023-06-18T05:15:00.584Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%94%E7%91%80>


]REFS]


