[44] 
[DFN[神治]]は、[[元号名]]の1種です。

* 神治 (日本幕末)

[43] 
[DFN[神治]]は、[[幕末]]の[[日本]]で用いられた[[私年号]]の1つです。

** 元号名

[45] 
[[元号名]]は[[神治]]です。

** 紀年法

[46] 
[[元年]]は、[TIME[慶応3(1867)年丁卯][1867]]です。

[47] [[元年]]を辰年 ([TIME[慶応4(1868)年戊辰][1868]]か) とする用例もあります。

** 用例

[48] 
用例は2系統3個が知られています。

*** 熊本県下

[2] 
[[人吉藩]]領で慶応3年に[[神治]]元年が使われました [SRC[>>18]]。

[3] 
[[日本国]][[熊本県]][[人吉市]]大畑麓町行者堂の[[役小角]]像の補修銘に
「干時神治元年丁卯九月日」、
不動明王像の補修銘に
「干時神治元年丁卯九月吉祥日」
とあります。
[TIME[慶応3(1867)年][year:1867]]とされています。 [SRC[>>60]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [22] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[熊本県]][[人吉市]][[大畑麓町]]]]行者堂]]
-- [24] [DATA(.label)[[[役小角]]像台座]] 
「[DATA(.text)[[V[干時神治元年[SUP[丁]][SUB[卯]]九月日]]]]」
-- [25] [DATA(.label)[不動明王後背]] 
「[DATA(.text)[[V[干時神治元年[SUP[丁]][SUB[卯]]九月吉祥日]]]]」
-- [26] いずれも >>23 に白黒写真あり (不鮮明で正確な判読はやや難し)


]ITEMS]


[27] 
明治38年8月10日に[[日本国]][[熊本県]][[人吉市]]上漆田より移転したものとされます。
[SRC[>>23]]

[20] 
[[前川清一]]は[[熊本県]]の[[私年号]]の1つとして紹介しました。
[TIME[日本慶応3(1867)年][1867]]を[[元年]]としました。
[SRC[>>513 p.31, >>23, >>19]]

[28] 
時期は銘文の仏師の活動時期と[[干支]]によります。 [SRC[>>23]]




[REFS[
- [8] [CITE[[[熊本県下の私年号考]]]]
- [21] [CITE[[[肥後の金石論集.I]]]]
-- [23] [CSECTION[[[熊本県の私年号小考]]]]
- [513] [CITE[[[郷土調査の手引き]]・1 三訂版]], p.[L[31]]
-
[19] [CITE@ja-JP[[[免田町史]] 第2巻]], [[免田町史編纂委員会 編著]], [TIME[1990.2][1990]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T09:32:34.120Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9639869/1/337> (要登録)
-[60] 
[CITE[「亀光元年」を彫る墓石に関する調査報告]] ([TIME[2017-08-31 14:45:43 +09:00]]) <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=6>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE[平成28年度第1回古賀市文化財保護審議会会議録]],
平成29年1月26日(木)
([TIME[2017-08-31 14:44:13 +09:00]])
<https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/111.pdf>
]FIGCAPTION]

>
神治についても、前川氏は中央政権に対抗意識的なものを持っていたのではないかと考えているようだが、私は、素朴に使用されていたのではないかと考える。
]FIG]

- [17] [CITE[[[近代諸元号現象]]]]
-- [18] [CITE@ja[奥羽越列藩同盟 - 木村 守一 | [[パブー]]]] ([TIME[2019-07-16 12:40:07 +09:00]]) <http://p.booklog.jp/book/126808/page/3626862>
]REFS]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[12] [CITE@ja[改訂增補九州相良の寺院資料 - [[Google Books]]]], 
[TIME[1986]],
[TIME[2021-04-16T03:19:27.000Z]] <https://www.google.co.jp/books/edition/%E6%94%B9%E8%A8%82%E5%A2%9E%E8%A3%9C%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%9B%B8%E8%89%AF%E3%81%AE%E5%AF%BA%E9%99%A2%E8%B3%87%E6%96%99/E-8yAQAAIAAJ?hl=ja&gbpv=1&bsq=%E7%A5%9E%E6%B2%BB>
]FIGCAPTION]

>152 ページ
>... 神治元年丁卯九月とあるがエトによって慶応三年と判断=編者〉鍋屋幾弥山田善右衛門慶応四年(一八六八)上村柳別府、正伝寺仏堂の阿弥陀如来などを福江豊七と共同で補修〈銘>福江豊七慶応四年(一八六八)上村柳別府、正伝寺仏堂の阿弥陀如来像などを山田善右 ...
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[11] [CITE[新熊本市史: 史料編 - 新熊本市史編纂委員会 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[1993]],
[TIME[2021-04-16T03:12:10.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=wHYNAQAAMAAJ&dq=%22%E7%A5%9E%E6%B2%BB%22>
]FIGCAPTION]

>1253 ページ
>板碑は、天文 4 年(は3ら) 9 月吉大明辰銘の釈迦坐像線刻板碑、永禄 10 年(は6?)
の追善塔、光永 2 年の阿弥陀種子板碑がある。特に、光永 2 年塔については天皇
が定めた公年号ではなく、それ以外で定められた私年号であり貴重である。
全長 51001、厚さ 8010 のもので、主要部を残して他は
紛失している。熊本県内には他に、子平 5 年(永正 2 年: 1505〕、永政元年(永正 2
年: 1505〕、加平元年(永正 14 年: 1517〕、神治元年(慶応 3 年: 1867〕がある。

]FIG]

*** 滋賀県下

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [33] [DATA(.label)[[[宇野彰家文書]] [[往来手形]]]]
-- [34] 「[DATA(.text)[神治元辰年三月五日]]」
[SRC[>>15]]

]ITEMS]

[35] 
[[日本]][[近江国]][[栗太郡]][[山寺村]]の[[宇野甚次郎]]と[[つき]]の夫婦が[[日本]][[信濃国]][[善光寺]]に参詣するための[[往来手形]]です。
[SRC[>>15]]

[36] 
これを紹介した[CITE[草津市史]]は、
[[元号名]]に「[V[明カ]]」と注釈して、[[神治]]を[[明治]]の誤記か何かと推測したようです。
[SRC[>>15]]

[37] 
しかし[[明治改元]]は9月ですから、3月だと半年の[[遡及年号]]となります。
[[往来手形]]の[[日付]]であればそれは旅行前に発行当日ないし出発日の[[日付]]を書いているでしょうから、
[[遡及年号]]となる[[明治]]の意味ではあり得ません。

[38] 
ただそうなるとこれを[TIME[明治元(1868)年戊辰][1868]]に比定する根拠もなくなります。
文中の人物の活動時期や文書群の構成など他の情報から推測が必要となります。

[40] 
この資料は[[昭和時代]]後期には既に知られていましたが、
[[令和時代]]まで[[私年号]]史料として認識されていませんでした。
[CITE[草津市史]]は[[九州]]で[[神治]]が[[私年号]]として報告された直後の刊行なので、
編纂当時に既存の歴史辞典等の[[私年号]]一覧表に[[神治]]は掲載されていなかったはずで、
それも[[私年号]]でなく単なる誤記かと処理されてしまった一因かもしれません。

[49] 
なお本例は[[私年号]]とまったく無関係の説明でたまたま紹介されたものです。
同様の用例が同じ地域や周辺の地域にもまだ埋もれているかもしれません。

;; [39] これと同じように誤記だと思われて未報告の[[私年号]]用例は他にもありそうですね。


[REFS[

-
[15] [CITE@ja-JP[[[草津市史]] 第2巻]], [[草津市]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-20T12:53:30.725Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571186/1/194> (要登録)


]REFS]



** 研究史


[10] 
[[昭和時代]]後期に[[日本国]][[熊本県]]の歴史家研究者[[前川清一]]によって[[私年号]]として紹介されました。
[SRC[>>8]]
[[前川清一]]は石造物等[[金石文]]に詳しい地元の研究者で、
他の[[熊本県]]の[[私年号]]用例もあわせて報告することで、
従来中世東国が中心と考えられていた[[私年号]]が幅広い地域と時代に存在していたことを暗示し、
[[私年号研究]]の視野を広げました。
[SEE[ [[日本の私年号]] ]]


[4] 
[[前川清一]]は、
[[幕末]]の混乱期にあって、
[[公年号]]に反し[[幕府]]に抗する尊皇的態度を示し、
「神 (天皇) の治める」
世を祈念するものだと推測しました。
[SRC[>>23, >>60]]

[9] 
これは[CITE[日本私年号の研究]]など[[昭和時代]]までの通説の延長線上の解釈です。
現在では[[私年号]]だからといって反政府的態度に結びつける必要はないと考えられるようになっています
[SRC[>>1]]。
[SEE[ [[日本の私年号]] ]]

[5] 時代が近い[[元治]]の1字置き換えとの関係も示唆されています。
[SRC[>>60]]

[30] 
[[平成時代]]の[[千々和到]]の各表に収録されて広く知られるようになりました。
[CITE[日本年号史大事典]]の一覧にも掲載されました。
[SEE[ [[日本私年号一覧表]] ]]

[32] 
[[平成時代]]の[CITE[ウィキペディア]]の一覧表にも掲載されています。
[SRC[>>16]]


[41] 
[[令和時代]]に至るまで[[熊本]]の用例しか[[私年号研究]]の場では認識されていませんでしたが、
他に[[近江国]]でも[[神治]]が使われたことが実は知られていました (>>34)。
しかしこの[[神治]]の元年は辰年で、[[熊本]]の卯年とは[[1年ずれ]]があります。
両者の関係も今後検討が必要になるでしょう。

[42] [[1年ずれ]]は他の[[私年号]]でも報告されています。
[[不確かな非正規の改元情報][改元デマ]]が日本全国に伝播された結果生じているずれなのかもしれません。


[50] 
[[往来手形]]の用例は、[[私年号]]は反政府的な意識を持った人が私的に使うという説が 
(少なくてもこの事例では) 成立しないことを示しています。
[[往来手形]]は読む人がそれを信用することを期待して書かれるもので、
[[近江国]]から[[信濃国]]までの旅程で間違いなく通用する[[元号]]だと信じて筆者は書いたもののはずです。

;; [51] 慶応4年3月という政情と治安がきわめて不安定な時期ですが、
[[明治政府]]が[[江戸]]に入城して[[東海道]]を一応掌握していた頃合いです。
[[東山道]]に独自の[[元号]]を使わせ得る[[明治政府]]以外の勢力があったとも思えません。

[52] 
[[不確かな改元情報][改元デマ]]であっても一定の信用を得て普通に使われ得る場合がある、
ということを示す貴重な用例ともいえます。
この例と違って平時の都市での話ではありますが、[[永長]]の事案の裏付けともいえそうです。




[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,神治 	,- 	,慶応3年(1867年) 	,不明 	,熊本県人吉市大畑麓町行者堂安置役小角木像補修銘
]FIG]

]REFS]


- [319] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:00:16.087Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=12991145>
-- [320] 
[CSECTION[2007年6月7日 (木) 19:38時点における版]],
124.25.210.158


** 関連


[6] 
この時代には他でも[[私年号]]が用いられました。
[SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]]

[29] 
[[神徳]]、[[長徳]]のように似た名前のものも同時に使われていて、
その関係は興味を惹かれます。


* 神治 (マイクロネーション)

[SEE[ [[ワコク連邦帝国の元号]] ]]




* 神治 (作中元号)

[350] [CITE[从皇子开始无敌,正文 第181章 神治元年,三大法条 - 笔趣阁_书友最值得收藏的网络小说阅读网_书友最值得收藏的网络小说阅读网]]
([TIME[2021-04-16T02:56:50.000Z]])
<https://m.1155m.com/0_221/48490.html>


* メモ

[13] [CITE[地域史研究: 尼崎市立地域研究史料館紀要 - Google ブックス]], 
[TIME[2000]],
[TIME[2021-04-16T03:24:29.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=0SVvEBPBMMIC&dq=%22%E7%A5%9E%E6%B2%BB%22>

>66 ページ
>政策で、一〇四社が現在六六社になった経過を概観し、神治元年(一八六八)の神仏
習合禁止・同二九年の社寺合併この編の第一章は「尼崎市域の神社建築と大工」
で、第一節「尼崎市域の神社分布と神社建築について」では、明第一編「神社 ...

[14] [[OCR]] 誤認識の疑い


[7] 明治が[[OCR]]誤読で神治になることがなぜかたまにあって、時代が同じなので困りもの。


