[3] 
[DFN[神徳]]
([[旧字体]]: [DFN[神德]])
は、
[[日本の私年号]]の1つです。
[[幕末]]に[[使われ][幕末の私年号]]ました。

[50] 
[[公年号]]に訂正した[[文書]]が見つかっており、
[[誤った改元情報][改元デマ]]により意図せず使われた可能性があります。


* 元号名

[30] 
[[新字体]]は[[神徳]]です。

[31] 
[[旧字体]]は[[神德]]です。

[32] 
[[読み][元号の読み方]]は不明です。


* 紀年法

[29] 
[[元年]]は、
[TIME[慶応3(1867)年][1867]]です。

* 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [4] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[袖ヶ浦市]]岩井]] [[原幹雄家文書]] [CITE[御物成取調書上帳 (年貢書 上)]]]]
[SRC[>>8 [L[史料A]]]]
--
[11] 
[CITE[袖ヶ浦町史料目録  補遺編]] 年貢・租税45 [SRC[>>12]]
--- [35] 
[[神徳]]の記載なし。
--
[13] 
[DATA(.label)[[L[史料A-2]]]]
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[[DEL[神徳元]]][慶應三]]卯年五月]]]]」
[SRC[>>8 [L[史料A-2]], >>60]]
---
[14] >>8 の翻刻では「神徳元」に縦線2本を重ねている

]ITEMS]

[17] 
史料A (>>4) は、
慶応4年10月・11月の領地替えの際に作成されたと推測される史料A-1と、
その参考に綴られたと推測される史料A-2で構成されます。
史料A-2 (>>13) は、
[[江戸幕府]]の慶応3年4月23日付[[触書]] [SRC[[CITE[[[幕末御触書集成]] 第5巻]] 4485, [CITE[近世庶民生活史料 藤岡屋日記 第十五巻]], p.36]] 
に基づき[[永地村]]原半左衛門知行地で書かれ提出された正本の控書または写書と推測されます。
[SRC[>>8]]

[20] 
[[元号]]を訂正したのは、
[[永地村]]の知行地[[名主]]など[[村役人]]クラスの者か、
[[岩井村]]の[[名主]]など[[村役人]]クラスの者と推測されます。
[SRC[>>8]]


[21] 
[[神徳]]への[[改元]]の[[風聞][改元デマ]]があってそう書いたものの、
誤りとわかって訂正したと考えられます。
[SRC[>>8]]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

-[5] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[袖ヶ浦市]]横田]] [[切替一夫家文書]] [CITE[御上納金受取通帳]]]]
[SRC[>>8 [L[史料B]], >>60]]
--
[15] 
[CITE[[[袖ケ浦市史料目録]] (1)]] 13 (p.222)
--
[16] 
[DATA(.label)[表紙]]
「[DATA(.text)[[V[[LINES[  神徳元年][御上納金請取通帳][  卯十一月吉日]]]]]]」
[SRC[>>8]]

]ITEMS]

[18] 
史料B (>>5)
は、
[[日本]][[上総国]][[望陀郡]][[木更津村]]の[[船持]][[石渡半兵衛]]から[[望陀郡]][[横田村]]内[[紀州藩]]家臣[[曽根右衛門長邵]] ([[曽根衛門長邵]]) の[[知行地]]の[[名主]][[弥兵衛]]に宛てた文書の簿冊です。
[SRC[>>8]]

[19] 
[[切替一夫家文書]]で史料Bと「慶応元年八月吉日」文書
[SRC[[CITE[[[袖ケ浦市史料目録]] (1)]] 5 [CITE[御上納金請取通]] (p.221)]]
が重なった状態で保存されており、形態も内容もほぼ同じで、
ごく近い時期と推測されます。
従って慶応3年に比定できます。
[SRC[>>8]]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [36] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[袖ケ浦市]]]] [[浜宿区有文書]] [[出羽三山行人規定帳]]]]
-- [37] 
[DATA(.label)[表紙]]
「[DATA(.text)[[V[[LINES[天保四年][行人規定帳][巳正月𠮷日]]]]]]」
[SRC[>>28 /294]]
-- [38] 
「[DATA(.text)[[V[神徳□夘七月雨乞前行]]]]」
[SRC[>>28 /294]]
-- [39] 
他に[[天保]]、[[嘉永]]の年月あり。
- [40] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[袖ケ浦市]]]] [[浜宿区有文書]] [[出羽三山行人行数帳]]]]
-- [41]  
[DATA(.label)[表紙]]
「[DATA(.text)[[V[[LINES[天保四歳][行人御日数之帳][巳六月𠮷日]]]]]]」
[SRC[>>28 /295]]
-- [42] 
「[DATA(.text)[[V[神徳元夘七月雨乞行]]]]」
[SRC[>>28 /297 右下]]
-- [43] 
他に[[天保]], [[弘化]], [[嘉永]], [[安政]], [[文久]]の年月あり。


]ITEMS]

[44] 
他資料と同じく[[袖ケ浦市]]域で天保4年に作成され[[慶応]]の頃まで使われたと思われる対になる2つの文書にも[[神徳]]が出現します。

[45] 
1つは年数が読めませんが、他方から「元」と推測されます。

[46] 
他の資料と同じく慶応3年を表すと考えて矛盾しません。

[48] 
[[令和時代]]に至るまで[[私年号]]史料としては見落とされてきました。

* 地域

[6] 
[[上総国]]西部やや内陸の村役人と木更津船の船持の用例があることから、
かなり広い範囲で使用されたと考えられます。
[[船持]]は[[江戸]]や[[神奈川]]でも活動していたことから、
より広い範囲で用いられた可能性も指摘されています。
[SRC[>>60, >>8]]

* 研究史


[47] 
[[昭和時代]]後期の自治体史 [SRC[>>28, >>12]]
編纂過程で資料の存在が知られるようになったと思われますが、
[[私年号]]史料とは認識されていなかったようです。


[9] 
[TIME[平成11(1999)年][1999]]に[[日本国]][[千葉県]]の歴史研究者[[筑紫敏夫]]によってはじめて[[私年号]]として紹介されました。
史料A、史料Bから考察しました。
[SRC[>>8]]



[22]
[[筑紫敏夫]]は、史料Aは領主に提出した正本では「慶応三年」と書いたと考え、
領主提出文書ではない史料Bは訂正されなかったのだろうと考えました。
[SRC[>>8]]
しかしこれは提出と訂正のタイミング次第で、それがわからないとどうともいえないのではないでしょうか。
[[延寿]]の例では領主に[[私年号]]のまま提出しています。


[23] 
[[筑紫敏夫]]は使用の要因や社会的な基盤などとして、

- [24] 慶応2年8月の[[徳川家茂]][[将軍]]の死去,
慶応2年12月の[[孝明天皇]]の死去,
慶応3年正月の[[孝明天皇]]死去の[[江戸幕府]][[触書]]
- [25] 慶応2年5月の[[木更津村]]の[[打ちこわし]]など「世直し」的社会状況
- [26] 慶応2年3月の[[望陀郡]]内の神主組合復興など神道運動の高揚
- [27] 慶応元年に周准郡の村々で「神徳講」という[[伊勢講]] [SRC[[[君津市]]草牛 [[三平吉郎家文書]]]]
の展開,
慶応3年8月頃から[[江戸]]以西で[[ええじゃないか]]

といった「[L[「状況証拠」]]」を挙げています。
[SRC[>>8]]


[REFS[

-
[28] 
[CITE@ja-JP[[[袖ケ浦町史]] 史料編 2]], [[袖ケ浦町]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-20T13:02:02.138Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642789/1/297> (要登録)
/294
- [12] 
[CITE@ja-JP[[[袖ケ浦町史料目録]] 補遺編]], [[袖ケ浦町教育委員会]], [TIME[1988.3][1988]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-27T12:28:40.833Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12159373/1/16> (要登録)
- [8] 
[DFN[[CITE[[L[私年号「神徳」と木更津船の船持]]]]]], 
[[[L[筑紫敏夫]]]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[[[東京湾学会]] The Society for Tokyo Bay Science | 学会誌目次]]
([TIME[2016-04-10 14:42:48 +09:00]])
<http://tokyowangaku.info/periodic.html>
]FIGCAPTION]

> 『私年号「神徳」と木更津船の船持』 筑紫敏夫

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE[千葉県立中央博物館 -「古文書が語る江戸時代の東京湾」-]]
([TIME[2013-11-16 11:09:23 +09:00]])
<http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/ex_old/special_ex/edotokyo/edotokyo.htm>
]FIGCAPTION]

> 五大力船の船主が使用した私年号「神徳」が記載された古文書は、初公開です。

]FIG]



]REFS]

-*-*-

[33] 
[[平成時代]]の[CITE[ウィキペディア]]の[[私年号]]一覧表に掲載されています。
[SRC[>>10]]

[34] 
[[平成時代]]後期の文化財行政関連の資料にも紹介されています。 [SRC[>>60]]

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,神徳 	,- 	,慶応3年(1867年) 	,不明 	,千葉県袖ケ浦市個人蔵文書[SUP[__&&[&&__10__&&]&&__]]

>筑紫敏夫 「私年号『神徳』と木更津船の船待」(『東京湾学会誌』第1巻第3号 東京湾学会、1999年12月、NCID AA12099601)
]FIG]

-[60] 
[CITE[「亀光元年」を彫る墓石に関する調査報告]] ([TIME[2017-08-31 14:45:43 +09:00]]) <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=6>

]REFS]

@@
[BOX[

- [321] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:01:03.449Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21472516>
-- [322] 
[CSECTION[2008年8月27日 (水) 17:42時点における版]],
[[可怜]]


- [51] 
[CITE@ja[Xユーザーの上総行さん: 「というわけで地域の郷土史講座「幕末の西上総」🧑‍🏫 前半は前回の「会津藩と房総の幕末」のおさらい、後半は幕末の木更津近辺の打ちこわしと私年号について聴講 やっぱ史料と一緒に読み解くのは楽しいね😉既知の文書もテーマごとに視点を変えて読み返すと面白い https://t.co/ZXQ3WO8LtC」 / X]], [TIME[午後2:48 · 2025年10月17日][2025-10-17T05:48:05.000Z]], [TIME[2025-10-19T11:09:00.000Z]] <https://x.com/tokazusa/status/1979061834872156199/photo/1>
-- [52] 
[CITE@ja[Xユーザーの上総行さん: 「私年号は章題に発見とあるが数十年前のことで調査に携わった筑紫氏ご自身が紹介してきた経緯で、その後の新資料は無さそうかな 袖ケ浦市の指定文化財候補に幕末動乱期文書をまとめてという動きで該当史料も含むが、講座での言及はなく、さすがにまだ今後検討を重ねていく段階のことは触れられないか🤔」 / X]], [TIME[午後2:53 · 2025年10月17日][2025-10-17T05:53:22.000Z]], [TIME[2025-10-19T11:09:00.000Z]] <https://x.com/tokazusa/status/1979063166048010314>




]BOX]

* 関連

[7] 
この時期には他にもいろいろな[[私年号]]が用いられました。
[SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]]

[49] 
中でも同年に[[神治]]と[[長徳]]が用いられたことは、この[[元号名]]に時代的な必然性を感じさせます。


* メモ