* 元号名

[62] 
[[読み][元号名の読み方]]は、
「しんが」
とされます。
[SRC[>>61]]

* 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [6] [DATA(.label)[[[日光輪王寺]]慈眼堂經藏所蔵[CITE[眷属妙義]]]]
-- [2] 
[DATA(.label)[書写奥書]]
「[V[[DATA(.text)[文安二年二月十四日]]叡印書冩]]」
[SRC[>>4]]
-- [3] 「[V[本云]]」
--- [5] 
「[V[[DATA(.text)[于時眞賀二年五月十七日]]松林房法印書冩[SNIP[]]]]」
[SRC[>>4]]

]ITEMS]

[86] 
現所在地は[[日光]]ですが、各地から集められたものが収蔵されており、
[[日光]]で作られたものとは限りません。

[87] 
書写奥書より、[[比叡山]]で書写されたものと推測されていますが、
いつどのような経緯で[[東国]]へ渡ったのかの研究は見当たりません。

* 諸説

[83] 
関係する人物の活動期間から[[南北朝時代]]中頃と考えられています。

[84] 
それ以上に具体化したいろいろな説がありますが、
強い根拠を持たない推測によるものか、
伝言ゲームの結果であり、
現時点で範囲を狭める有力な材料はありません。

[85] 
[[正嘉]]説は根拠不明で、時系列から成り立たないと考えられています。

* 研究史

[7] 
[TIME[大正6(1917)年][1917]]、
[[古谷淸]]が[[日光輪王寺]]慈眼堂經藏所蔵品の調査報告で、
未知の[[私年號]]の[[眞賀]]の用例
>>6
を報告しました。 [SRC[>>4]]

[8] 
次のように述べています。
[SRC[>>4]]

-[9] 「本云」とある。[[文安]]書写時の原本か別本に、
「于時眞賀」云々とある、ということ。
- [11] [[眞賀]]が文安2年以前であることだけは明らか


[REFS[

- 
[1] 
[CITE@ja-JP[[[考古学雑誌]] 7(6)(209)]], [[日本考古学会]], [TIME[1917-02]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-03T11:44:29.832Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548224/1/28?keyword=%E7%9C%9F%E8%B3%80> (要登録)
-- [4] [CSECTION[雜錄 慈眼堂經藏收納の典籍に就て――(第二囘)]], [[古谷淸]]

]REFS]

-*-*-

[41] 
[TIME[昭和15(1940)年][1940]]の目録に
>>6
が掲載されており、
[[奥書]]の日付が
「[V[眞賀(正嘉カ)二年五月十七日]]」
とされています。
[SRC[>>40, >>39]]
推定の根拠は示されていません。

[42] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
これは発音の類似から判定したものだろうとみています。
[SRC[>>36]]
昭和39年の[[久保常晴]]の論文は、
時系列 (>>18) から成立しないと述べています。
[SRC[>>17]]

[REFS[

- [40] 
[CITE@ja-JP[昭和現存天台書籍綜合目録 上卷]], [[渋谷亮泰]], [TIME[昭和15][1940]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-03T13:04:58.862Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1920687/1/127?keyword=%E7%9C%9F%E8%B3%80> (要登録)
-- [39] 
[CITE@ja-JP[昭和現存天台書籍綜合目録 上巻]], [[渋谷亮泰]], [TIME[昭和15-18][1943]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-03T13:04:28.053Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1123635/1/126?keyword=%E6%AD%A3%E5%98%89> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[37] 
昭和12年12月に[[日本国]][[東京都]][[浅草]][[伝法院]]の[[大蔵会]]で
>>6
が公開されました。
[[久保常晴]]はこの際に実見したとのことです。
[SRC[>>36]]

;; [38] 当時発行の[CITE[大蔵会展観目録]]にも掲載されている [SRC[>>36]]
とのことです。
[[国立国会図書館デジタルコレクション]]で一般公開されている
[CITE[大蔵会展観目録]]
は何冊かありますが、該当するものは見当たりません。
[[大蔵会]]は[[京都]]の本家の他に[[東京]]などにもあったとされ、
[[京都]]の目録にはないので、[[東京大蔵会]]のものと思われます。

[18] 
昭和39年の[[久保常晴]]の論文と昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
次のように推測しています。 [SRC[>>17, >>36, >>43]]

- >>6
- [19] [CITE[眷属妙義]]の[[著者]]は[[政海]] = [[松林房]]
-- [20] [[文永]]、[[永仁]]年間の成立と見て差し支えあるまい
- [21] >>20 以後、[[文安]]以前で、[[無動寺]][[十妙房]]で書写の浄行を行えるのは、
現存典籍上[[十妙房救海]]しかいない
-- [22] [[延文]]、[[応安]]年間に存命
- [23] [[真賀]]は >>22 の[[南北朝時代]]か
-- [24] 資料追加がなければこれ以上推定困難
- [25] [[延文]]から[[応安]]の頃 [SRC[>>17]] / [[南北朝時代]]中頃 
-- [30] [[北朝]]の[[公年号]]と比べると、
--- [26] 天変等多く、実際の[[改元]]以外にも[[改元]]して然るべき年がある
--- [27] [[元号名]]は[[北朝]]の[[公家]]が求める字句ではない
-- [28] 一方[[南朝]]は勘文奉進者も改元理由も資料が少ない
--- [29] [[後村上天皇]]と[[後亀山天皇]]は[[践祚]]翌年に[[改元]]
--- [31] [[長慶天皇]]は[[践祚]]年、翌年に[[改元]]がない
---- [32] 応安元年、応安2年に[[改元]]あるものとして、一部に[[年号]]を設定したか
---- [33] 天変、疾疫に縁遠い、御代始めに相応しい名称だ
--- [47] 「真に賀す」として慶事を喜ぶ姿を素直に示し、[[長慶天皇]]即位を賀すと受け取られる
[SRC[>>17, >>44]]
--- [48] [[元真]]の[CH[真]]は[[真賀]]にもあり[[南朝]]的な色彩を持つと考えたい [SRC[>>44]]
- [34] [V[応安元-二[YOKO[?]]]]に、北朝との対立を理由に畿内(叡山)で使われた[[私年号]] (≠ [[異年号]])
で、仏教的色彩なく、公家的ではない [SRC[>>17]]
- [46] [CH[真]]も[CH[賀]]も[[公年号]]にない [SRC[>>17, >>43]]
-- [88] 公家的とは受け取れない [SRC[>>17, >>44]]
-- [45] [[元号名]]は公家的とも仏教的色彩とも、いずれにも取れる [SRC[>>43]]
- [50] [[延文]]~[[応安]] [SRC[>>49]]

[16] 
[[所功]]の表は、[CITE[日本私年号の研究]]を出典に「[V[[TIME[一三六九][1369]][YOKO[?]]]]」
としています。
[SRC[>>15]]


[REFS[

- [17] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]]]]
- [35] [CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [36] pp.[V[二三二]]-[V[二三四]], pp.[V[二四三]]-[V[二四四]]
-- [43] pp.[V[二六三]]-[V[二六五]], pp.[V[二六九]]-[V[二七〇]]
-- [44] p.[V[二七五]]
-- [49] p.[V[五三三]]
- [15] 
[CITE@ja-JP[日本の年号 : 揺れ動く<元号>問題の原点]], [[所功]], [TIME[1977.2][1977]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-03T12:01:51.740Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12207409/1/85?keyword=%E7%9C%9E%E8%B3%80> (要登録)

]REFS]

-*-*-


[12] [TIME[昭和53(1978)年][1978]]の研究報告 (要旨のみ記録され、詳細は不明) に、
次のようにあります。
[SRC[>>207]]

- [75] [[日光輪王寺]]慈眼堂収納の[CITE[眷属妙義]]に真賀二年の用例があります。
- [13] 真賀二年は[[文安]]以前とされます。
- [14] 慈眼堂の所蔵物は関東各地から[[日光]]に移されたと考えられています。

[REFS[

- [204] [CITE[[[古文書研究]] 第12号]],
[TIME[昭和53(1978)年10月][1978-10]]
-- [206] [CSECTION[[V[日本古文書学会第十回学術大会発表要旨]]]]
--- [207] [CITE[[[[V[室町時代における日光山の私年号使用[BR[]][WEAK(smaller)[⸺下野に現存する私年号資料の紹介をかねて⸺]]]]]]]],
[[[V[浅沼徳久]]]],
pp.[V[一四〇]]-[V[一四一]]

]REFS]

-*-*-

[51] 
[CITE[日本私年号の研究]]以後の一覧表等では時期が次のように説明されています。
[SRC[>>52]]

- [53] 延文-応安
- [65] 延文-応安頃 [SRC[>>64]]
- [55] 1350-1356頃
- [56] 1350-1370頃
- [58] 1356-1374 [SRC[>>10]]
- [60] 1356- [SRC[>>59 (平成20年まで)]]
- [57] 14世紀半ば
- [54] 南北朝中期か

[71] 
いずれも[CITE[日本私年号の研究]]からの派生と思われますが、
元の時期特定のニュアンスを無視して勝手に要約したり、断定化したり、
[[西暦年]]に換算した結果、
諸説に増殖しています。


[63] 
[TIME[平成30(2018)年][2018]]の [[SNS]] 投稿で「僧侶らの内輪での私年号」
断言するものがあります [SRC[>>61]]。
出典等の記載はなく根拠は不明です。

[REFS[

- [52] [[日本私年号一覧表]]
- [64] 
[CITE[私年号一覧表]], [TIME[2001-01-16T18:06:39.000Z]], [TIME[2026-05-03T13:25:02.644Z]] <https://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi12.html>
- [59] [[ウィキペディアの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,真賀 	,- 	,延文-応安年間(1356年-1374年) 	,不明 	,日光輪王寺慈眼堂経蔵『眷属妙義』奥書 
]FIG]
- [61] 
[CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「【元号】339 真賀 しんが 延文-応安年間(1356年-1374年)期間不明 日光輪王寺慈眼堂経蔵『眷属妙義』奥書 これは僧侶らの内輪での私年号。」 / X]], [TIME[午後1:03 · 2018年10月29日][2018-10-29T04:03:04.000Z]], [TIME[2026-05-03T11:10:21.000Z]] <https://x.com/11111hiromorinn/status/1056758290003111937>


]REFS]

* 関連

[66] 
時系列 :

- [81] [TIME[康元2(1257)年3月14日][kyuureki:1257-03-14]]、
[[正嘉]]に[[改元]]
- [82] [TIME[正嘉3(1259)年3月26日][kyuureki:1259-03-26]]、
[[正元]]に[[改元]]
- [74] [TIME[弘長4(1264)年2月28日][kyuureki:1264-02-28]]、
[[文永]]に[[改元]]
- [76] [TIME[文永12(1275)年4月25日][kyuureki:1275-04-25]]、
[[改元]]
- [77] [TIME[正応6(1293)年8月5日][kyuureki:1293-08-05]]、
[[永仁]]に[[改元]]
- [78] [TIME[永仁7(1299)年4月25日][kyuureki:1299-04-25]]、
[[正安]]に[[改元]]
- [79] [TIME[貞和6(1350)年2月27日][kyuureki:1350-02-27]]、
[[観応]]に[[改元]]
- [80] [TIME[観応3(1352)年9月27日][kyuureki:1352-09-27]]、
[[文和]]に[[改元]]
- [67] [TIME[文和5(1356)年3月28日][kyuureki:1356-03-28]]、
[[延文]]に[[改元]]
- [68] [TIME[延文6(1361)年3月29日][kyuureki:1361-03-29]]、
[[康安]]に[[改元]]
- [69] [TIME[貞治7(1368)年2月18日][kyuureki:1368-02-18]]、
[[応安]]に[[改元]]
- [73] [TIME[応安2(1369)年][1369]]
- [70] [TIME[応安8(1375)年2月27日][kyuureki:1375-02-27]]、
[[永和]]に[[改元]]
- [72] [TIME[文安2(1445)年][1445]]: >>2


* メモ