[59] 
[DFN[南部めくらもの]]は、
[DFN[南部文字]]で記述された[DFN[南部絵暦]]や[DFN[南部絵経]]と、
それらの文化の全体です。


* 呼称

[73] 
この分野に属するものの一部や全部を表す用語は数多くあります。

[74] 
全体を指す言葉として最適なのは[[南部めくらもの]]でしょうか。
ただ、[[南部]]地方以外にも広がった現代の[[絵経]]文化の全体を指すのに相応しいかどうかは議論の余地があります。



[72] 
[[昭和時代]]後期から[[平成時代]]の[[日本]]の学術界には[[差別的な風潮][言論統制]]があり、
[CH[盲]]や「めくら」という言葉が排除されていました。
中にはこれを名目に研究成果の発表を拒絶された事例すら存在します (>>70)。


[58] 
[[渡辺章悟]] (>>19) は、著書で主に[[絵心経]]と呼びつつも、歴史的には「めくら心経」が用いられてきたし、郷土の文化として誇りを持っている人もいるので、同書ではこれも用いるとしています。 [SRC[>>1767 p.[L[19]]]]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[68] 
[CITE@ja[絵心経・般若絵心経-絵で読む般若心経-田山系絵心経の絵文字の原図【みんなの知識 ちょっと便利帳】]], [TIME[2026-03-23T13:39:27.000Z]] <https://www.benricho.org/bukkyo/hannyashingyo_eshingyo/tayamakei.html>
]FIGCAPTION]

>
-この図では、標題が「盲心経」となっているが、「盲」は読み書きが達者でない人という意味で差別的な意味合いは有しない。このページでの標題は、現代に即した形で「絵心経」とした。
]FIG]

[69] >>68 は「現代に即した」として[CH[盲]]を排除していますが、「現代に即」すとは何のことなのか説明がなく不明です。
「[[ポリコレ]]のため」の婉曲表現でしょうか。

* 文字体系

[60] 
[[南部文字]]は、[DFN[田山文字]]と[DFN[盛岡文字]]の2系統があります。

[50] 
[[文字]]の解読は[[平成時代]]までにほぼ完了していますが、それ以上の分析は、
印象論的な範疇をあまり脱せていません。
[[文字学]]的検討がほぼほぼ手つかずのままです。

** 文字の意味

[51] 
[[絵経]]は >>1767 に全文字の解読があります。

[52] 
[[絵暦]]は [CITE[南部絵暦を読む]] に解説があります。





** 造字法論

[9] 
[[菅江真澄]]は[[北日本]]を旅して風土を記録に残したことで知られ、
いくつもの[[東北地方]]の[[方言漢字]]を書き残しています。
[CITE[[[菅江真澄全集]] 一〇]]所収の[CITE[かたゐぶくろ]]では、

>
津軽に[ASIS[〓][⿰氵⿳艹土石]]といふ文字あり。やちとよむ。谷地は、すたれたる処にて、水石まじりたる土に草生ひたるとなれば、かゝる文字製出たり。南部田山暦のたぐひにやあらん

と書いていました [SRC[>>10 p.[L[216]]]]。

[12] 
[[象形]]性の高い[[会意文字]]に[[絵暦]]との類似性を見出したようです。

[REFS[

- [10] [[南部めくらもの資料一覧]>>10]

]REFS]


[53] 
[[絵心経]]で使われている[[文字]]の用法による分類 [SRC[>>2618 #page=22]] :

>
,*    ,* 田山系 ,* 盛岡系 ,* 合計
,* (1) 音韻一致 , 211 , 193 , 404
,* (2) 数字表現 , 47 , 46 , 93
,* (3) 平仮名 , 5 , 3 , 8
,* (4) 類推 , 6 , 24 , 30
,* 合計 , 269 , 266 , 535

;; [54] >>2618 には集計値だけで具体的にどれを数えたかは書かれていません。
>>2619 も同様ですが、具体例が若干豊富です。

;; [55] >>2619 #page=11 では (3) と (4) が入れ替えられています。



[67] 
[[盛岡文字]]は[CH[゛]]を使って[[濁音]]を表します。

[66] 
[[盛岡文字]]の[[大覚寺]]の系統では、[[漢字]]と揃えるために2つの[[文字]]を1つに組み合わせて1音節を表す事例が多々あります。




[REFS[

- [2618] [[南部めくらもの資料一覧]>>2618]
- [2619] [[南部めくらもの資料一覧]>>2618]

]REFS]


** 異体字

[56] 
[[盛岡]]系の[[絵経]]は現在では全国各地の[[寺院]]や土産物屋などで販売されているようですが、
[[絵文字]]に異なりが生じているようです。
[SEE[ [[南部めくらもの資料一覧]] ]]

[57] 
しかし、それらの比較分析等の研究はほとんど行われておらず、全貌は不明です。

** 色

[SEE[ [[色付き文字]] ]]

-*-*-

[61] 
[[日本国]][[京都府]]の企業[[くろちく]]は[[絵心経]]を印刷した[[Tシャツ]],
[[ハンカチ]], [[バッグ]]その他の商品を開発、販売しています。
[SRC[>>2782]]

[62] 
[[くちろく]]版[CITE[般若心経]]の文字は[[盛岡文字]]の系統ですが、
一部の絵柄がポップに改められています。

[63] 
また、一部は色付きとなっています。同じ商品の同一の文字でも色付きとそうでないものが混在しており、
規則性は不明瞭です。視覚的な効果で使い分けているのでしょうか。

[64] 
各種商品で絵柄や色使いが同一なのかどうかは要調査です。
白地と黒地などで前景色も違ってきますが、色使いとの関係は要検討です。

[65] 
[DFN[わんにゃ絵心経]]は通常版より更に大胆に変更されています。
多くの文字が、[[犬]]や[[猫]]の動作の絵に差し替えられています。

[REFS[

- [2782] [[南部めくらもの資料一覧]>>2782]

]REFS]


** 神代文字関係説

[636] [[明治時代]]の[[神代文字]]研究者[[落合直澄]]が[[書島石窟文字]]と[[南部暦]]数字の類似性を指摘しました。
[SRC[>>635]]

[637] 
しかし[[昭和時代]]の[[神代文字]]研究者[[吾郷清彦]]は類似性を否定しています。
[SRC[>>635]]

[639] 
[[明治時代]]の[[大和田建樹]]
[CITE[和文学史]]
は[[南部]]の[[暦]]や[[経文]]の文字(や他の地域の記号)を[[神代文字]]と関係するものと説いています。
[SRC[>>638]]

[641] 
[[昭和時代]]の[[島屋政一]]
[CITE[印刷文明史]]
は[[神代文字]]と一体的に[[南部]]の[[数字]] (や他の地域の文字)
を解説しています [SRC[>>640]]。また、 >>636 説にも言及しています。

[REFS[

- [635] [[南部めくらもの資料一覧]>>635]
- [638] [[南部めくらもの資料一覧]>>638]
- [640] [[南部めくらもの資料一覧]>>640]

]REFS]


-*-*-

[629] 
昭和12年頃に[[田山文字]]と[[神代文字]]が関連あるのではと話題になり[CITE[岩手日報]]にも掲載されたといいます。
[SRC[>>626]]

[631] 
それによると[[神代文字]]の研究者だという地域の名士[[小保内樺之介]]が[[八幡源夫]]家([[田山暦]]版元)を訪ね、
調査したそうです。
[SRC[>>626]]

- [630] >>626 /133 : [[神代文字]]と[[田山文字]]の対照表 ([[か行]]、[[さ行]])

[632] 
昭和58年の[[八幡秀男]] ([[八幡源夫]]の[[子]]) の著書に比較があります [SRC[>>630]]。
この図がどのように作られたものかは不明です。新聞記事に基づき本書執筆時に作成したものでしょうか。
昭和58年時点で[[八幡源夫]]は故人、[[八幡秀男]]は当時幼少だったとのことで、
新聞記事からの伝聞になっているので八幡家には記録もなかったと思われます。

[633] 
[[八幡秀男]]は「[V[あて字み[BR[]]たいであるが、なにか関連性がないとも言えない面がある]]」
とわりかし肯定的に捉えていますが (しかしそれを軸に語っているわけでもありません)、
本書掲載の10字の比較を見ても何一つ似ておらず、読んでいるこちらが困惑します...

[634] 
示されている[[神代文字]]は[[豊国文字]]の一種と思われます。

[REFS[

- [626] [[南部めくらもの資料一覧]>>626]

]REFS]

** 「文字」性をめぐって

- [5] 「文字」性に否定的な立場
-- >>2095
-- >>308

* 数字

@@


* 元号名



[FIG(table)[ [76] [[南部絵文字]]の[[元号名]]

:e:[[元号]]
:m:[[盛岡暦]]
:n:[[盛岡暦]]年齢早見
:t:[[田山暦]]
:深:[[深山暦]]

:e:[[宝暦]]
:n:○

:e:[[明和]]
:n:○

:e:[[安永]]
:n:○
:t:([[元号年]]なし)

:e:[[天明]]
:n:○
:t:([[元号年]]なし)

:e:[[寛政]]
:n:
[CH[__&&swk:鐶.MROK1&&__]][CH[__&&swk:背井.MROK1&&__]]
:深:
[CH[__&&swk:寛政.TAYM0&&__]] [SRC[>>327 >>333 >>335]]
:t:([[元号年]]なし)

:e:[[享和]]
:n:
[CH[__&&swk:蝶.MROK0&&__]][CH[__&&swk:輪.MROK1&&__]]
:t:([[元号年]]なし)

:e:[[文化]]
:m:
[CH[__&&swk:文鍬.MROK0&&__]]
:n:
[CH[__&&swk:文鍬.MROK1&&__]]
:深:
[CH[__&&swk:分家紋.TAYM0&&__]] [SRC[>>348]]
:t:([[元号年]]なし)

:e:[[文政]] 
:m:
[CH[__&&swk:文.MROK0.u0&&__]][CH[__&&swk:背井.MROK0&&__]]
:n:
[CH[__&&swk:文.MROK0.u1&&__]][CH[__&&swk:背井.MROK1&&__]]
:t:(派生暦)
[CH[__&&swk:銭文.TAYM1&&__]] [SRC[>>355]]

:e:[[天保]] 
:m:
[CH[__&&swk:貂穂.MROK0&&__]] [SRC[>>512]],
[CH[__&&swk:貂.MROK0&&__]][CH[__&&swk:穂.MROK0&&__]] [SRC[>>3075]]
:n:○
:t:
[CH[__&&swk:天.TAYM1&&__]][CH[__&&swk:帆.TAYM4&&__]],
[CH[__&&swk:天.TAYM1&&__]][CH[__&&swk:帆.TAYM5&&__]]
[SRC[>>1490 >>377 >>381]]
:深:
[CH[__&&swk:点.TAYM0&&__]][CH[__&&swk:帆.TAYM6&&__]]
[SRC[>>362]]

:e:[[弘化]]
:m:
[CH[__&&swk:子.MROK1&&__]][CH[__&&swk:鍬兎.MROK0&&__]] [SRC[>>20]],
[CH[__&&swk:子.MROK6&&__]][CH[__&&swk:🐇.MROK0&&__]][CH[__&&swk:鍬.MROK0&&__]] [SRC[>>22]]
:n:
[CH[__&&swk:子鍬.MROK0&&__]]

:e:[[嘉永]]
:m: 年による差異あり 
:n:○
:t:
[CH[__&&swk:蚊.TAYM1&&__]][CH[__&&swk:家.TAYM0&&__]] [SRC[>>383]]

:e:[[安政]]
:m:○
:t:
[CH[__&&swk:あん.TAYM0&&__]][CH[__&&swk:瀬.TAYM0&&__]] [SRC[>>403]]

:e:[[万延]]
:m:○
:t:([[漢字]]版のみ発見)

:e:[[文久]]
:m: 年による差異あり

:e:[[元治]]
:m:○

:e:[[慶応]] 
:m:年による差異あり

:e:[[明治]]
:m: 年による差異あり
:t:
[CH[__&&swk:目.TAYM1&&__]][CH[__&&swk:乳.TAYM1&&__]] [SRC[>>1637]]

:e:[[大正]]
:m:○

:e:[[昭和]]
:m:○
:t: 
[CH[__&&swk:将棋.TAYM1&&__]][CH[__&&swk:輪.TAYM0&&__]] [SRC[>>574 >>604]]

:e:[[平成]]
:m:○
:t:(不明)

:e:[[令和]]
:m:通常版と大型版で違いあり

]FIG]

[REFS[

- [327] [[南部めくらもの資料一覧]>>327]
- [333] [[南部めくらもの資料一覧]>>333]
- [335] [[南部めくらもの資料一覧]>>335]
- [348] [[南部めくらもの資料一覧]>>348]
- [355] [[南部めくらもの資料一覧]>>355]
- [362] [[南部めくらもの資料一覧]>>362]
- [377] [[南部めくらもの資料一覧]>>377]
- [380] [[南部めくらもの資料一覧]>>380]
- [383] [[南部めくらもの資料一覧]>>383]
- [403] [[南部めくらもの資料一覧]>>403]
- [572] [[南部めくらもの資料一覧]>>572]
- [574] [[南部めくらもの資料一覧]>>574]
- [604] [[南部めくらもの資料一覧]>>604]
- [1490] [[南部めくらもの資料一覧]>>1490]
- [1637] [[南部めくらもの資料一覧]>>1637]

]REFS]

* 暦注

@@



*研究史


[1763] 
[[田山暦]]の近現代研究史については >>7 を、
[[絵経]]の研究史については >>1767 を参照されたい。

-*-*-


[2001] 
>>7 は[[田山暦]]の研究史を整理し現存史料を分類するものだが、
研究の基礎として史料の性格を見極めることの重要性を説いている。
一言でいってしまうなら[[史料批判]]の重要性ということなのだろうが、
新出史料が続出してそれなりの分量になってきた今、
研究を新たな段階に進めるためには重要な作業だろう。


[2002] 
おそらく今後は[[盛岡暦]]や[[盲経]]、あるいは暦と共に配布された解説書の類についても同様の観点で整理することが必要になるだろう。
特に、[[昭和]]以後の[[盛岡暦]]は今までの時代の研究者にとって「現在」だったため、
あまり研究対象とみなされていない感があるものの、今や数十年も前の歴史時代になっているし、
研究史としても重要であろう。
また、[[盲経]]は暦と違って年代がはっきりしないため、これまで何が何種類作られどのように広められたのか見通しが非常に悪い。

[2053] 
>>7 は[[田山暦]]の研究史を3期に分けていて、
時代区分論の叩き台として重要だと思われるが、それと同時にいくつか問題も指摘できよう。

[2054] 
まず、第1期を昭和初期としていて、それ以後の「研究」と近世の「記録」を区別していること。
しかし自分達と異なる地域の文化資料を収集し、分析し、それを公表し、
模造品が制作される段階にまで到達した営為を研究史に組み込まないのは妥当な判断なのかどうか。
それでいて現代の博物館の展覧会図録を、新出史料が掲載されているとはいえ、
「研究」の枠内に収めることに一貫性があるのかどうか。

[2055] 
ひとまず[[天明]]の[[菅江真澄]]から明治9年の[CITE[新撰陸奥国誌]]までは暫定的に第0期とでもしておくのが良いかもしれない。

[2056] 
次に問題となるのは[[田山暦]]のみの研究史と時代区分を設けることの妥当性。
それは >>7 が研究対象とした範囲が[[田山暦]]である故で、 
>>7 の文脈内ではまったく正当な整理ではあるのだが、
これをより一般的に活用していくには多少問題がある。

[2059] それは、

- [2057] 従来の大部分の研究が[[田山暦]]単独ではなく[[盛岡暦]]と共に扱っていること。
- [2060] 派生物の中には[[田山暦]]と[[盛岡暦]]の両方の特徴を併せ持つものが存在すること。
- [2058] 従来の研究が多かれ少なかれ[[盲暦]]だけではなく[[盲経]]にも言及していること。
重要な研究者が[[盲経]]も含めた[[南部盲物]]全体を研究対象としていること。
- [2061] 研究者だけでなく利用者の側も[[盲暦]]と[[盲経]]の強い関係を意識していること。
例えば発行者が同じだったり、[[盲暦]]の販売資材に[[盲経]]が用いられたり。

により、[[田山暦]]だけの研究史は完結したものにならず、
必ず[[南部めくらもの]]全体の研究史に発展するということが1つ。
[[田山暦]]だけの研究史の整理に加え、[[盛岡暦]]だけの研究史や[[盲経]]の研究史も整理され、
それらを俯瞰統合した上で改めて時代区分を再検討するという作業は間違いなく必要になるだろう。

[2062] 
もう1つは研究者と当事者の距離感。研究者が必ずしも中立的で透明な観測者ではなく、
現地で発行に関わったり、全国に広報して普及、振興を図ったりと関与を続けてきた経緯。
逆に当事者や現地住民が収集・研究活動を先導してきた経緯。これらを考えると、
純粋な学術的成果という側面だけで分析することは必ずしも十分とはいえない。
もちろん学術的成果を分析することは必要で重要な作業には違いないが、
それだけで終わらせてしまうのはもったいなく、より多方面へと発展させる必要があろう。





[REFS[

- [7] [[南部めくらもの資料一覧]>>7]
- [1767] [[南部めくらもの資料一覧]>>1767]
- [1757] [[南部めくらもの資料一覧]>>1757]

]REFS]

** 近世

@@
[BOX[

[35] この時代の知識人たちの活動は、単なる珍品収集に留まらない、まさに学術的探求の原点であった。彼らは、自身の知的好奇心に基づき、未知の文化を記録し、分析し、そして共有することで、後の研究の礎を築いた。

[36] 菅江 真澄 (1754-1829) :
天明5年(1785)の田山訪問と、その記録。
東北地方を遊歴し、その記録『凡国異器』
の中で天明3年田山暦を詳細に模写・紹介。外部の知識人による最古級の記録の一つを残した。
南部絵暦の文字を津軽地方の方言漢字と比較考察するなど、単なる記録に留まらない分析的視座の萌芽を示した。

[37] 橘 南谿 (1753-1805):
寛政9年(1797)の『東西遊記後編』刊行。
天明3年暦を図と共に紹介。その出版を通じて、絵暦の存在を全国的に知らしめた。
シーボルトが『Nippon』で南部絵暦を紹介する際には、『東西遊記』
が参照元となったと考えられ、西洋への伝播において重要な役割を果たした。

[38] 山片 蟠桃 (1748-1821)、松浦 武四郎 (1818-1888):
山片蟠桃は著作『夢の代』(文政3年(1820)頃)で、
[[松浦武四郎]]は『鹿角日記』(嘉永2年(1849)頃)で、
それぞれ絵暦に言及・記録している。武四郎は版元から原本を入手するなど、
積極的な収集活動も行った。
南部絵暦が当時、広範な知識人の関心の対象であったことを示している。

]BOX]


** 明治時代から昭和時代中期

@@
[BOX[

[39] 落合 直澄 (1840-1916):
明治15年(1882)の『日本古代文字考』刊行。
南部絵暦の数字を神代文字の体系の中に位置付ける学説を提示。


]BOX]


@@
[BOX[

[40] 
この時期、[[南部めくらもの]]は近代的な学問(民俗学、歴史学)の研究対象へと移行し始める。
新聞や雑誌という新しいメディアを通じて、その価値が再発見され、研究の基礎が築かれた。

[41] 阿部 秀三 (1893-1965):
雑誌『日本民俗』において昭和2年(1927)に「南部のめくら暦」発表。
南部絵暦を民俗学的な文脈に位置づけ、学術的な関心を喚起した。

[42] 渡邊 敏夫 (1899-1994):
昭和15年(1940)の『日本の暦』出版。
現存しない寛政12年暦や天保10年暦の貴重な写真を収録していることを含め、
[[暦]]史の研究史における貢献は計り知れない。


]BOX]

-*-*-

[22] 
[[新渡戸仙岳]]は、[[日本国]][[岩手県]]の[[近代]]の名士です。[[郷土史]]の研究や文化振興のため積極的に活動しました。
[[新渡戸仙岳]]の多彩な活動の1つに[[南部めくらもの]]関連もありました。

[23] 
[[新渡戸仙岳]]の[[南部めくらもの]]関係の活動は[[佐藤勝郎]]に引き継がれたようです。


[24] 
[[佐藤勝郎]]は、
[[昭和時代]]の[[岩手県]]周辺で[[南部めくらもの]]の資料収集と研究を行いました。
[TIME[大正5(1916)年][1916]]生まれ、
[TIME[昭和61(1986)年][1986]]死去。


[25] 
[CITE[南部めくらものシリーズ]]をはじめ多くの著作を残しており、本来なら[[南部めくらもの]]研究の必読の基礎文献となるべきものと思われますが、
ほとんどが[[ガリ版]]刷りで地元の少数の図書館にのみ所蔵されている (それも不完全な疑いあり) らしく、
書誌情報の確認すら困難な状態です。

[SEE[ [[南部めくらもの資料一覧]>>683] ]]


** 昭和時代中期から平成時代

@@
[BOX[

[43] 
史料の網羅的な収集が進み、南部絵暦研究は飛躍的な発展を遂げる。

[44] 岡田 芳朗 (1934-2014):
昭和37年(1962)頃から平成25年(2013)頃まで、半世紀以上にわたり活動。
全国の史料を調査し、その成果を『南部絵暦』(昭和55(1980)年)、『南部絵暦を読む』(平成16(2004)年) 
として発表。田山暦を「前期」「後期」に分類。現代の研究の基礎を完全に確立した。
コレクションは[[国立天文台]]に岡田文庫として収蔵されている。


]BOX]


[1] 
[[工藤紘一]]は、[[昭和時代]]後期から[[平成時代]]の[[日本国]][[岩手県]]の郷土史研究者です。[TIME[昭和17(1942)年][1942]]生まれ。
長年[[岩手県立博物館]]に勤務していたとみられます。県内各地の民俗資料の収集や分析など幅広い分野に業績がありますが、
その中でも[[南部絵暦]]の他には[[漆]]に関する研究が目立ちます。

[6] 
[[南部絵暦]]に関しては、[[岩手県]]内各地の多数の史料を報告し、それらを解析しています。
[TIME[平成16(2004)年][2004]]にはそれまでの関連論文等を再編集し大幅加筆した単著
[CITE[田山暦・盛岡暦を読む]]
を刊行しています。
[SRC[>>860]]

[8] 
[[昭和時代]]後期から[[平成時代]]にかけて断続的に多数の[[南部絵暦]]関連の論著が発表されており、
他の研究活動と合わせて県内各地を巡ったり、地元住民からの情報提供を受けたりしながら資料収集を進め、
時間をかけて分析と考察を発展させたものと思われます。

[11] 
全国的な視点で研究した[[岡田芳朗]]と地元に根付いた地道な活動で貢献した[[工藤紘一]]とは、
[[昭和時代]]から[[平成時代]]にかけて相補的にこの分野を牽引した二大巨頭というべき存在であります。

[REFS[

- [860] [[南部めくらもの資料一覧]>>860]

]REFS]

-*-*-

[26] 
[[金澤浩]] ([[新字体]]: [[金沢浩]]) は、
[[昭和時代]]の[[日本国]][[青森県]]の郵便局員です。
[TIME[昭和17(1942)年][1942]]生まれ [SRC[>>1630]]。

[28] 
[[金澤浩]]は近所の老人との話から[[絵暦]]に興味を持ち、
[[南部めくらもの]]資料を収集するようになりました [SRC[>>1630]]。
昭和41年には[[ガリ版]]刷の小冊子を刊行。
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]時点で

- [29] 寛永6年から明治3年まで14枚の[[盛岡絵暦]]
-- [32] 嘉永6年
-- [33] 嘉永8年(年齢早見表付き)
- [30] 明治から「現在」までのほとんどの[[盛岡絵暦]]
- [31] [[田山暦]]数枚  

を擁し、江戸期盛岡絵暦コレクションとして最大と言われていました。
[SRC[>>1630]]
それらは当時の研究者に参照され、後に[[金澤コレクション]]として[[岩手県立博物館]]に寄贈されました。

[34] 
また、[[賀状]]に暦の絵を使っており、受け取った人に喜ばれたといいます。 [SRC[>>1630]]

[27] 
[[金澤浩]]自身の著作と思われるものは、
[[青森県]]のいくつかの[[図書館]]にわずかに所蔵されるのみです。
[[古書]]として [[Web]] 上に掲載されるものも見当たりません。
その全貌はまったく不明と言わざるを得ません。

[SEE[ [[南部めくらもの資料一覧]>>2054] ]]

[REFS[

- [1630] [[南部めくらもの資料一覧]>>1630]

]REFS]


-*-*-

[2093] 
[RUBYB[[[[RUBY[小笠原][おがさわら]][RUBY[喜康][ひろやす]]][小笠原喜康]]][[TIME[1950]]-]]は、
[[平成時代]]の[[教育学者]]です。
[[日本大学]]文理学部教育学科の専任講師 (後に[[教授]]) として、
[[視聴覚教育]]を研究していました。

[2094] 
[TIME[平成9(1997)年][1997]]の[[論文]]では、
「絵図記号」と「言語記号」を区別する視聴覚教育分野の「常識」
に当てはまらない「特殊な例」として「「南部めくら暦」」を取り上げています。
[SRC[>>2092]]

[2095] 
ここでは[[南部めくらもの]]が

>
[LEFT[
[SNIP[]] 「南 部[BR[]]
め く ら 暦 」 [SUP[〔注 2 )]] と か 「絵 経 」 と い う、一般[BR[]]
に 「判 じ 物 」 と呼 ば れ る も の が あ る 。 こ れ は[BR[]]
子 ど も の 時 に 経 験 し た こ と の あ る 人 も多 い 、[BR[]]
絵 に よ る 遊 び に 類 し た も の で あ る と い わ れ[BR[]]
る 。[SNIP[]]
]LEFT]

として紹介されています。[[絵暦]]と[[絵経]]は明確に区別されず、
[[盛岡]]系と[[田山]]系の違いにはまったく言及せず、一般の[[判じ物]]とすら区別しないままに雑に扱われています。

[2096] 
図2には[[盛岡絵暦]]から2マス分を抜き出したと思われるものと、
[[絵経]]の「[[摩訶般若波羅蜜多]]」部分の漢字と南部文字の併記部分が白黒低解像度で掲載されています。
図の出典は示されていません。

[2097] 版元として[[中儀本店]]の連絡先と、
「手近な文献」として永野賢の昭和51年の論文が挙げられています。

[2098] 
著者は、絵がただその対象の単純な形状を記述しただけのものではなく、
発音を通じた類推などの原理で対象と結び付けられていると指摘しています。
しかし、いくつかの例示に留まり、深い分析もなければ、先行研究による分析の引用もありません。

[2101] 
本文中には[[漢字]]や[[ヒエログリフ]]への言及もあるものの、
それらを「絵図」のようにも見える「言語記号」として扱い、
南部のものは「言語記号」のようにも見える「絵図」として扱って、
異なる方向からの境界事例として取り上げているようにも読めます。

[2100] 
文字と絵の関係性の中で[[南部文字]], [[ヒエログリフ]], [[漢字]], 
その他の図記号の類の性格や機能性を問い直すという着眼点は当論文の優れた点であると考えられる一方で、
視聴覚教育分野の「常識」を疑い、それに反対する自論を展開するという強い目的意識が議論の幅を狭めてしまっているようにも感じられます。

[2102] 
当論文の本筋とは若干逸れてしまう
[WEAK[(あるいは言語と絵との二元論に反対する著者の立場の逆に向かってしまう)]]
おそれはあるものの、「文字」とは何か、[[南部めくらもの]]を構成するものは「文字」なのか、
といった当論文の検討の前提となる基礎的な事実認識の擦り合わせ
(文字学における先行研究や[[南部めくらもの]]の構成要素の体系的な検討)
は行われるべきだったでしょう。

[2103] 
それがないままの当論文の議論は、[[南部めくらもの]]を娯楽性が強く体系的で継続的な利用が見られない一般の「判じ物」
と一緒くたにした雑な印象論の範疇を出ておらず、脆弱と評さざるを得ません。

[2099] 
なお、教育現場で接する機会もあると思われる一般の[[判じ絵]]ではなく、
特に[[南部文字]]を選んで取り上げたことは一見奇怪ですが、
著者が[[日本国]][[青森県]][[八戸市]]生まれであることから、地元での知見、
もしかすると自らの体験も背景にあったのかもしれません。


[70] 
[[小笠原喜康]]は、[[博士論文]]に[[南部めくらもの]]関連の研究を収録しようとしたそうです。
ところが査読者がこれを妨害したといいます。査読者は、「めくら」は[[差別用語]]であって、
たとえ[[参考文献]]の書名であっても使うことが許されないとしたそうです。
そこで[[小笠原喜康]]は[[南部めくらもの]]の章を[[博士論文]]からすべて削除せざるを得なくなりました。
[SRC[>>1170]]

[71] 
[[小笠原喜康]]は[TIME[平成13(2001)年6月][2001-06]]に[[筑波大学]]から[[博士号]]を授与されたようです。
[[Web]] で公開されている[[博士論文]]は確かに[[南部めくらもの]]への言及がありませんが、
そこまでの研究過程からすると不自然に感じていました。研究方針の転換でもあったのかと不可解に思っていましたが、
本人の >>1170 の述懐で合点がいきました。



[1171] >>70 酷い話。「査読者の一人」の研究不正なのでは。


[2088] 
こうやって不当に葬られた研究成果が少なくても1つ、もしかしたら他にもあるってこと!? [[日本学術会議]]さん、我が国の[[学問の自由]]は一体どうなってるんです???


[75] 
[[八戸市]]出身という著者の出自も鑑み、地域の伝統文化を外部の「有識者」の独自の論理で踏みにじった弾圧に他ならぬという厳しい評価を下す者もあります。



[REFS[

- [2092] [[南部めくらもの資料一覧]>>2092]
- [1170] [[南部めくらもの資料一覧]>>1170]

]REFS]




-*-*-

[19] 
[[渡辺章悟]]は、[[平成時代]]の[[日本]]の[[仏教学]]、特に[[般若心経]]の著名な研究者です。
[TIME[平成24(2012)年][2012]]の著書
[CITE[絵解き般若心経―般若心経の文化的研究]]
は、
[[南部絵経]]各種について、その全文とその文字の解釈を収録しています。巻頭にはそれらの実物のカラー写真も収録されています。
[SRC[>>1767]]
ありそうであまりない、[[南部絵経]]の基礎的資料として重宝できる書籍です。

[20] 
おそらく唯一の、全国流通の[[南部絵経]]の学術書です。

[21] 
本書は「文化的研究」と銘打ってはいますが、史料の全文の提示やいくらかの事実関係の整理と解釈の提示にとどまっています。
もちろん、それは研究基盤を整えるための重要な仕事で、その成果を全国区で一般流通させ続けていることには大きな意義があります。
しかし、[[渡辺章悟]]自身によっても、他の研究者によっても、その後十数年にわたって新たな研究成果はごくわずかであり、
研究分野としての発展が見られないのは残念です。


[REFS[

- [1767] [[南部めくらもの資料一覧]>>1767]
--[625] [CITE@ja-jp[Amazon.co.jp: 絵解き般若心経―般若心経の文化的研究 : [[渡辺章悟]]: 本]], [TIME[2025-04-25T15:09:08.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4903470644/wakaba1-22/>

]REFS]

-*-*-

[45] 
[[平成時代]]には、
[[博物館]]等の展覧会で取り上げられたり、
[[暦]]や[[判じ物]]の書籍で紹介されたりと、
[[南部絵暦]]の知識を普及させる活動も多く行われました。
[SEE[ [[南部めくらもの資料一覧]] ]]



** 令和時代


[13] 
[[太田原潤]]は、[[平成時代]]から[[令和時代]]の[[日本国]]の[[考古学]]・[[民俗学]]の研究者です。
[TIME[昭和36(1961)年][1961]]生まれ。[[日本国]][[青森県]]生まれで、長年当地の文化財行政に携わっています。
また、[[令和時代]]に入って[[神奈川大学]]で[[民俗学]]を専攻しています。

[14] 
[[太田原潤]]の研究分野は多岐にわたりますが、[[博士論文]]とそのもとになったと思われる論文群では[[自然暦]]を中心課題としています。
[SEE[ [[太田原潤]] ]]
その隣接分野であり、郷里とも関係が深い[[南部絵暦]]にも興味を持ったようで、
[TIME[令和4(2022)年][2022]]に論文
[CITE[田山暦の分類と比較― 絵暦から読み解く生業と信仰 ―]]
を発表しています [SRC[>>7]]。
[[博士論文]]要旨によれば、これと同じと推測されるものが[[博士論文]]にも収録されています。

[15] 
本段落執筆時点で[[南部めくらもの]]に関する[[太田原潤]]の業績として知られるのはこれだけです。
当論文の優れた内容や活動領域の広さを鑑みれば、今後もこの分野の発展へのご尽力を願わずにはいられません。

[16] 
さて、当論文は、題名にある通り[[田山暦]]を題材としています。[[昭和時代]]から[[平成時代]]にかけて五月雨式に報告が続けられてきた[[田山暦]]を、
改めて集大成し、それらの来歴を検討して6種類に分類しています。 [SRC[>>7]]
これは、研究対象となる史料を特定しその性格を明らかにする重要な、
しかし蔑ろにされがちな作業であり、[[田山暦]]を扱う今後のすべての研究が参照するべき研究基盤を整備するものと高く評価できます。

[17] 
当論文はその上で、[[田山暦]]の[[暦注]]の取捨選択の基準を探ります。[[農事暦]]的性格を想定する従来の素朴な通説に対し、
農耕作業の手引きとしては不完全で、むしろ[[庚申信仰]]との関連性が強いことを指摘し、信仰とのつながりに造暦の動機を求めます。
[SRC[>>7]]
[[南部絵経]]との歴史的な関係をみればむしろ自然な解釈といえます。

;; 
[18] 
[[昭和時代]]から[[平成時代]]は[[暦]]史研究の方面からの関心が強く、[[絵経]]は周辺文化として触れる程度で深入りされないことが多かったのも、
両者をまたがる研究が進展しなかった理由かもしれません。



-*-*-

[302] 
[TIME[2023-05-20]]に[[情報処理学会]]の[[人文科学とコンピュータ研究発表会]]の「学生ポスターセッション」
で発表された
[CITE[IIIFを利用した非文字資料・文字資料の比較分析]]
は、[[小野寺華子]]が[[田山暦]]の内容を検討したもので、
その予稿が公開されています。 [SRC[>>1958]]

およそ題名から予想が付きませんが、概要によると[[田山暦]]と[[伊勢暦]]を [[IIIF Curation Viewer]]
で比較し、[[田山暦]]の[[暦注]]の選択に法則性を見出そうと試みたものとなっています。
[SRC[>>1958]]

[303]
当論文および他の [[Webサイト]]から得られる情報は多くありませんが、[[著者]]は発表当時[[千葉大学]]の大学院生で、
[[南部めくらもの]]関係で公表された業績は当論文のみです。所属は日本史系と思われますが、
本人および周辺で他に近接する業績も見当たらず、なぜ[[田山暦]]を題材に取り上げたのかは定かではありません。

[304]
当論文が実のところポスターセッションの予稿であることや、[[人文科学とコンピュータ研究発表会]]という学会の性格によるところもあるのでしょうが、
題名をみても本文を読んでも当論文の主題が何であるのか分かりづらいものとなっています。[[田山暦]]の分析だとしても、
工具の利用報告 (研究手法の提案や紹介) としても不完全で軸がぶれている感が否めません。また、当研究は対象史料の
IIIF データを製作してソフトウェアを活用して分析するものですが、製作された史料データや注釈データは公表されていないようで、
第三者による再検証や発展的研究も困難となっています。

[305]
当論文は

>
[LEFT[
[SNIP[]]通説では文字[BR[]]
が読めない農民向けに農作業の適切な時期を伝えるためで[BR[]]
あったり,娯楽のために利用されていたと言われているが,[BR[]]
そこには疑問が多くある.
]LEFT]

と説明しているものの、この「通説」には出典が示されておらず、詳細は不明です。 [SRC[>>1958]]

[306]
確かに世間ではこうした通俗的理解も見られるものの、専門の研究者はここまで単純化した構図では語っていないように思われます。
特に、実用的性格が強い[[田山暦]]と娯楽的性格が見える[[盛岡暦]]の違いを無視して「通説」としてまとめることには無理があります。

[307]
当論文は

>
[LEFT[
[SNIP[]]文字が[BR[]]
使われない“絵暦”[SNIP[]]
]LEFT]

としており、[[田山暦]]を「非文字資料」とみなしているようです。 [SRC[>>1958]]

[308]
しかし、[[岡田芳朗]]が平成16年に刊行した[CITE[南部絵暦を読む]]は「絵文字」と表現するなど、
学術的な「通説」は[[南部絵暦]]の構成要素を一種の「文字」と考えていると思われます。
何の説明もなくこれを「非文字資料」とみなすのは乱暴です。
あるいは「文盲」に引きづられて[[漢字]]や[[仮名]]でなければ「文字」と認めないような立場でしょうか。

[2] 
令和5年に発表された当論文にとっての不幸は、令和4年に発表された[[田山暦]]の研究史の画期となり得る重要論文 [SRC[>>7]] を (おそらく)
参照できなかったことでしょう。同論文は、既知のすべての[[田山暦]]を整理分類した上で、
[[暦注]]の検証を通して[[農事暦]]的性格よりも信仰の重要度の高さが検出できると結論付けています。
着眼点と方法論の大筋において両者は一致していますが、資料収集、[[史料批判]]、分析のすべての段階で同論文は非常に優れており、
そこで当論文と異なる方向の結論が導かれているとすれば、
当論文の着想は評価しつつも、分析結果には厳しい目を向けざるを得ません。

[NOTE[
[3] 
大学院の学生の研究会発表にこうした不満が残るのは、ある種予定されていることであり、その事自体が問題とされるべきではないでしょう。
当論文の場合 (少なくても [[Web]] で見つけられる限りにおいては) 孤立した発表であり、その後の改善、発展した研究成果が見当たりません。
指導教員が研究の進め方と発表の方法を適切に指導し、
完成に近づけさせられているのかどうか、
大いに疑問を持たざるを得ません。

[4] 
本段落執筆時点で既に3年が経過しているわけですが、もし大学院を修了し研究職に就いていないのであれば、
指導教員や後輩大学院生が引き継いでいるのか、それとも放置されているのか。
もし仮に後者だとすればあまりに無責任な研究・教育体制です。

]NOTE]

[REFS[

- [1958] [[南部めくらもの資料一覧]>>1958]

]REFS]

-*-*-

[46] 
[[令和時代]]に引き続き[[南部絵暦]]を展示するイベント等はたびたび開催されています。
地元の[[岩手県]]では、地域の児童や住民を対象とする体験型のワークショップも定期的に行われているようです。
[SEE[ [[南部めくらもの資料一覧]] ]]

[47] 
[[平成時代]]後期以後、諸機関で史資料の電子化が進められており、
[[南部めくらもの]]関連資料もその恩恵を受けています。
中でも[[国立国会図書館デジタルコレクション]]は、
貴重な[[絵暦]]史料等の高解像度画像を自由利用可能な形で公表しています。
また、[[昭和時代]]の雑誌等の関連記事も閲覧可能となっており、
研究環境は著しく改善されました。
[SEE[ [[南部めくらもの資料一覧]] ]]

[48] 
一方で、北東北地方に偏在する重要史料や初期の研究者の著作はアクセス困難なままであること、
電子化された画像を [[Web]] 公開していても、低解像度だったり、
法的根拠不明の謎の利用制限が提示されていたりすることが少なくないこと、
といった課題も山積しています。

-*-*-

[49] 
[[岡田芳朗]]の死後、[[南部めくらもの]]に継続的に取り組む研究者が不在の状態が長く続いていること、
[[令和時代]]に入って[[盛岡暦]]の発行も中断してしまっていることなど、
[[南部めくらもの]]自体もその研究体制も存続が危ぶまれています。


* 原資料、収録文献、論文その他

[SEE[ [[南部めくらもの資料一覧]] ]]

* 関連

[SEE[ [[めくら道標]], [[めくら帳]], [[日本近世絵文字]] ]]

[SEE[ [[南部の私大]] ]]

* メモ
