* [CITE[国学備忘]] [CSECTION[年號]]

[66] [CITE[国学備忘]], [CITE[閲史大疑]]は[[藤貞幹]]の覚書です。生前には刊行されませんでした
[SRC[>>14]]。

- [64] >>14 [CITE[国学備忘]] [CSECTION[年號]] 自筆稿本 やや崩れた[[楷書]]
- [63] >>15 [CITE[閲史大疑]] [CSECTION[年號]] [[明朝体]][[翻刻]]

[65] [CSECTION[年号]]は[[古代年号]]の一覧とそれに対する右書があります。
[CITE[逸号年表]]編纂の原段階とされています [SRC[>>14]]。 

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] 
[CITE@ja[[[国学備忘]] | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ]], [TIME[2024-10-31T08:33:04.000Z]] <https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013293?page=21>
]FIGCAPTION]

>
: 内容記述:
著者自筆稿本なり。未刊の珍籍なり。文字、神号称呼、素戔嗚尊、姓、衣服について記述す。奥に閲史大疑を附載し暦日、新羅、年号(之はその著逸号年表の土台なり)、天智帝記、私記について述ぶ。巻頭に藤原貞幹の印記あり。仮綴本にして表紙なきももとのままなり。(出典: 鈴鹿目録中巻 p.209)
]FIG]

- [15] 
[CITE@ja-JP[かがみ (13)]], [[大東急記念文庫]], [TIME[1969-02]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-31T08:56:13.236Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3431389/1/27> (要登録)

]REFS]

* [CITE[逸號年表]]

[91] 
[DFN[[CITE[逸号年表]]]]
は、
[[藤貞幹]]による[[古代年号]]の[[年表]]です。

- [146] [[国文学研究資料館]]所蔵寛政10年[[刊本]]
-- [89] >>10 1 [[表紙]] [CITE[[V[逸號年表]]]] [[明朝体]]
-- [90] >>10 2 - 3 [CSECTION[[V[叙]]]],
[[柴邦彦]],
寛政9年3月 [[楷書]]
-- [92] >>10 4 - 15 [CITE[[V[逸号年表]]]],
[[藤原貞幹]]纂 [[楷書]]
--- 4 - 15 本表
-- [93] >>10 16 [[奥付]],
[[北村四郎兵衛]],
[[鷦鷯摠四郎]],
[[北村庄助]],
[TIME[寛政10(1798)年戊午][1798]]初春発行
- [149] >>148 [[国文学研究資料館]]所蔵寛政10年刊本[[伴信友]]書入本
- [151] >>128 [[岩崎文庫]]所蔵寛政10年刊本[[伴信友]]書入本
-- [152] 電子化されていない
- [147] >>136 [[鴎外文庫]]本[CITE[逸号年表及補]][[写本]]
-- [153] 電子化されていない
- [150] >>45 [[早稲田大学]]本[CITE[増補逸号年表]][[写本]] [[草書]] [[中山信名]]補




[110] 
>>13 によると:

- [111] [[藤原貞幹]]の[CITE[逸號年表]]
- [112] [[藤原貞幹]]の死去 ([TIME[寛政9(1797)年][1797]]) の翌年 ([TIME[寛政10(1798)年][1798]])、
親交のあった[[柴野栗山]]の序文と共に刊行された
- [113] 自筆稿本
-- [114] [[山田以文]]の手に渡った
-- [115] 
はじめ[CITE[逸年號彙]]、後に改めて[CITE[異號年表]]、更に改めて[CITE[逸號年表]]
-- [116] 
[[山田以文]]が表紙を加えて[CITE[異年號考]]
-- [117] 
巻末に[CITE[逸號年表]]所引の出典若干を抄録した雑記
--- [118] 
刊本にはない
- [119] [[伴信友]]書入本
-- [120] 一層詳細な補訂
-- [121] 世に出したいものだ
- [122] [[色川三中]]などの増補本
-- [123] 筆が入っているというだけで[[伴信友]]の研究には及ばない

[178] 
[CITE[古事類苑]]が[CITE[逸号年表]]から1箇所、[CITE[逸号年表補考]]から数箇所引用しています。
[SRC[>>177]]

[167] 
[CITE[茅窻漫録]] [CSECTION[和漢異年号]]が参照しています。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[国書データベース]], [TIME[2024-10-31T06:26:05.000Z]] <https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200004577/1?ln=ja>
]FIGCAPTION]

>
:書写/出版事項:
[PRE[
寛政10
 〈京城〉北村/四郎兵衛(きたむら/しろべえ)
 〈京城〉鷦鷯/摠四郎(さざき/そうしろう)
 〈京城〉北村/庄助(きたむら/しょうすけ)
]PRE]

>
:国書所在:
【写】静嘉,東洋岩崎,宮書(明治三七写、異号年表と合),東博(明治八写),学習院(雕虫居写本の内),慶大斯道,教大(弘化二写),東大,早大,岩瀬,神宮,竹清,無窮神習(玉簏一〇八),[補遺]慶大幸田【版】静嘉,宮書,大谷,京大,慶大,教大,東大,大阪府,京都府,日比谷加賀,金沢市大島,井本,栗田,神宮,尊経,竹柏,無窮平沼,[補遺]九大,日比谷市村
]FIG]

-
[13] [CITE@ja-JP[椎園 第1輯]], [[安田文庫]], [TIME[昭12至14][1939]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-31T06:36:58.057Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1137509/1/32> (要登録)
右上
-
[177] 
[CITE@ja-JP[[[古事類苑]] 歳時部2]], [[神宮司庁古事類苑出版事務所]], [TIME['''['''明41''']'''][1908]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-11-24T08:06:42.440Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/897572/1/7?keyword=%E9%80%B8%E5%8F%B7%E5%B9%B4%E8%A1%A8>


]REFS]





-*-*-

[136] 
[[鴎外文庫]]に[DFN[[CITE[逸号年表及補]]]]があります。 [SRC[>>18]]

[137] 
[[解題]]によると[[森鴎外]]の[[題簽]]で
[CITE[逸号年表  全]],
[CITE[逸号年表補  全]]
の写本2冊があります。
[SRC[>>18]]

[138] 
[CITE[鷗外文庫書入本画像データベース]]にはこれは所蔵されていないようです。
[SRC[>>135]]

[166] >>110 の流れとの関係は不明。

[REFS[

-[18] 
[CITE@ja-JP[鴎外 (30)]], [[森鴎外記念会]], [TIME[1982-01]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-31T09:08:42.570Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4436788/1/75?keyword=%E9%80%B8%E5%8F%B7%E5%B9%B4%E8%A1%A8> (要登録)
-[135] 
[CITE@ja[鷗外文庫書入本画像データベース · HOME · 東京大学学術資産等アーカイブズ共用サーバ]], [TIME[2024-11-23T09:37:50.000Z]] <https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/ogai/page/home>

]REFS]



* [CITE[異年号考]]

[163] 
[DFN[[CITE[異年号考]]]]は、
[[穂積保]]による[[私年号]]の考察です。
[TIME[文化元(1804)年][1804]]序。

- [164] >>79 : [CITE[池底叢書]]本[CITE[異年号考]][[写本]] [[草書]]
- [165] >>105 : [CITE[百家叢説]]本[CITE[異年号考]][[翻刻]] [[明朝体]]
- [199] >>52 : 明治12年写本 [[草書]]
- [198] [[[CITE[異年号考]]本文]] : >>164 と >>165 に基づく電子版


[70] 
[CITE[異年號考]]は >>5 
の[[解題]]によると[[藤貞幹]][CITE[逸號年表]],
[[木村蒹葭堂]][CITE[和漢年契]]などに基づき[[古代年号]]や[[私年号]]を考証したものです。
文化元年[[穂積保]]の自序があります。

[192] [[元号]] [SRC[>>105]]:

- [[端正]]
- [[證明]]
- [[朱雀]]
- [[白鳳]]
- [[永昌]]
- [[白龜]]
- [[天平咸寶]]
- [[泰平]]
- [[彌勒]]
- [[福德]] [SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]] ]]
- [[寶壽]]
- [[寛]]


[71] >>5 は次のように指摘しています。

- [72] [[天平感宝]]は国史にないというが[CITE[続日本紀]]にある
- [73] [[彌勒]]2年は文安4年か永禄10年かというが[CITE[妙法寺記]]にあって時代が合わない




* [CITE[偽年号考]]

[43] 
[DFN[[CITE[偽年号考]]]]
は、
[RUBYB[[[中山信名]]][[TIME[1787]]-[TIME[1836]]]]による[[私年号]]の考察です。



[205] 
内容に違いのあるいくつかの版があります。


- [206] 系統不明
-- [58] 
[[静嘉堂文庫]] 自筆稿本 [SRC[>>34]]
--- [59] 電子化されていない
-- [157] 謎[[写本]] [SRC[>>57]]
--- [158] 電子化されていない
- [200] 甲種
-- [197] >>196
[CITE[鶯宿雑記]]本[[写本]] [[楷書]] 
--
[42] >>39 [[早稲田大学]]所蔵[[写本]] [[楷書]]
--- [60] [CSECTION[附言]] ([[山崎美成]]) 付き
-- [159] >>156 [CITE[一話一言]]本[[翻刻]] [[明朝体]]
- [201] 乙種
-- [161] >>109 [CITE[百家叢説]]本[[翻刻]] [[明朝体]]
--
[61] >>48 [[早稲田大学]]所蔵明治12年[[写本]] [[草書]]
- [219] [[[CITE[偽年号考]]本文]] : 電子版 >>196 >>42 >>159 >>161 >>61 からの派生

[207] 
大きく分けて、甲種と乙種の2つの系統があります。
乙種は甲種の用例を使いつつ、[CITE[妙法寺記]]の引用を加え、
これを柱に構成されています。従って、甲種が成立した後、
[CITE[妙法寺記]]を入手し、その知見により全面改訂されたものと推測できます。

[208] 
どちらも[[中山信名]]本人によると考えられるものの、
この点については一応何らかの確証を得ておきたいものです。

[218] 
本文が[[綱文]]のようであり、[[割書]]として引用文や考察が記述される構造となっています。
[[割書]]が非常に長文で、むしろそちらが本体とまで言い得る程であります。
[CITE[一話一言]]本と[[[CITE[偽年号考]]本文]]は[[割書]]のかわりに[[字下げ]]で表しています。



[209] 
甲種には「常陸誌料之内」との副題があります。
このため[CITE[常陸誌料]]と強く関係すると推測されます。
しかし現在 [[Web]] 上で参照可能な [CITE[常陸誌料]]
本文や関係する資料等でこの事情を説明するものは見当たらず、
検討を要します。

[210] 
甲乙とも、諸本で漢字の異体字、仮名と漢字の選択、送り仮名など、
細かな表記差が散見されます。
甲種早稲田本と甲種[CITE[鶯宿雑記]]本は[[片仮名]]ですが、
甲種[CITE[一話一言]]本、乙種[CITE[百家叢説]]本、
乙種明治12年本は平仮名です。
なお乙種[CITE[百家叢説]]本末尾には「原書眞假字交文なり今改む」とあります。

[211] 
表記差にとどまらない甲乙両種内での違いも多いですが、特に主要なものを挙げれば、

- [212] 乙種明治12年本には[CSECTION[引用書目]]があります。
-- [215] 乙種[CITE[百家叢説]]本に無い部分の書名も含まれます。
-- [214] 本文に見えない書名も含まれます。 [SEE[ [[偽年号考本文]] ]]
- [213] 乙種明治12年本にはいくつか頭注が追加されています。
他書の類似記述を参照しています。明治12年本編纂者の追加したものかもしれません。
- [216] 乙種明治12年本は乙種[CITE[百家叢説]]本に無い引用等が少々含まれます。
やや不自然な挿入であり、成立過程の検討を要します。
- [220] 甲種[CITE[一話一言]]本、乙種[CITE[百家叢説]]本の末尾には、
他本にない記述があります。
その末尾に文政3年庚辰4月の[[中山信名]]と名があります。
- [217] 甲種[CITE[鶯宿雑記]]本には書写奥書があります。
- [221] 甲種早稲田本には
[CSECTION[附言]]
があり、[[元号]]が増補されています。
その末尾に天保10年己亥4月の[[山崎美成]]と名があります。



[189] 掲載[[元号]] [SRC[>>155]]:

- [[永享]]
- [[享徳]]
- [190] 関東の[[偽年号]]
-- [[福徳]] [SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]] ]]
-- [[弥勒]]
-- [[命禄]]

[154] 
[RUBYB[[[山崎美成]]][[TIME[1796]]-[TIME[1856]]]]による[TIME[天保10(1839)年][1839]][CSECTION[附言]]のある版があります
(>>42)。


[191] [CSECTION[附言]]の[[元号]] [SRC[>>155]]:

- [[古代年号]]
-- [[法興]]
- [[經明]]
- [[端正]]
- [[證明]]
- [[泰平]]
- [[大道]]
- [[永福]]
- [[天靖]]
- [[宝壽]]



-*-*-

[183] 
[CITE[古事類苑]]
が
[CITE[偽年号考]]
から数箇所引用しています。
[SRC[>>182]]

[REFS[

- [182] 
[CITE@ja-JP[[[古事類苑]] 歳時部2]], [[神宮司庁古事類苑出版事務所]], [TIME['''['''明41''']'''][1908]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-11-24T08:10:15.923Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/897572/1/46?keyword=%E5%83%9E%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E8%80%83>

]REFS]

-*-*-


[222] [CITE[鶯宿雑記]]本:
[[駒井乗邨]]の[CITE[鶯宿雑記]]に収録。書写奥書によれば、
[[二本松藩]]の[[嶋友鷗]]こと[[成田頼直]]から[[翠関子]]へと送られたものを[[蘭堂]]経由で閲覧し、
写してすぐに返却したものとのこと。
甲種早稲田本と同系統ながら、漢字の違い、漢字と仮名の違い、細かな表現の違いが散見される。
検討を要するものの、
書写奥書の来歴から見て異同は早稲田本の方を採るべきと考えられる。


[REFS[

- [196] 
[CITE@ja-JP[[[鶯宿雑記]] 巻三百二十、巻三百二十一]], [['''['''駒井乗邨''']''']], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-08T15:33:26.603Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/10303656/1/28>

]REFS]


[155] 甲種[[早稲田大学]]本:

-[37] >>35 #page=1 [[表紙]] [CITE[[V[僞年號考]]]]
-[38] >>35 #page=2 [[表紙]] [CITE[[V[僞年號考]]]]
-[39] >>35 #page=3 [[表紙]] [CITE[[V[關東僞年號考]]]]
- [40] >>35 #page=4 - #page=7
[CITE[[V[僞年號考[SUP(quarter)[常陸誌料之内]]]]]],
[[中山信名平四]]著
- [41] >>35 #page=7 - #page=13
[CSECTION[[V[附言]]]]
-- [30] 
#page=13 [[識語]] [TIME[天保10(1839)年己亥][1839]]孟夏の日 [[山崎美成]]

[33] 
>>1 これは[[中山信名]]の[CITE[偽年号考]]を[[山崎美成]]が書写して[CSECTION[附言]]を足したということか。

[55] >>34 にはない本の模様。


[REFS[

- [1] [CITE[偽年号考 : 常陸誌料之内 / [[中山信名]] 著 ; [[山崎美成]] 補]]
([TIME[2019-10-21 18:06:36 +09:00]])
<http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri04/ri04_04708/index.html>
-- [35] 
[CITE@ja[ri04_04708.pdf]], [TIME[2008-10-01T06:32:56.000Z]], [TIME[2024-11-23T06:42:03.804Z]] <https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri04/ri04_04708/ri04_04708.pdf>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[34] 
[CITE@ja[国書データベース]], [TIME[2024-11-23T05:43:39.000Z]] <https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100369048/>
]FIGCAPTION]

>
:統一書名:
偽年号考(ぎねんごうこう)(Ginengoukou)

>
:国書所在:
【写】国会(鶯宿雑記の内),静嘉(自筆稿本を付す),宮書(静幽堂叢書三),早大(一冊)(増補逸号年表と合),東大(年号例説と合),東北大狩野(改元出処の付),無窮神習(玉簏一〇八)(合冊六一),[補遺]静嘉(付録共)【複】〔活〕百家叢説一
]FIG]

]REFS]

-*-*-


[57] >>56 はどこの所蔵本なのか書かれていない謎の書誌情報。
>>34 の「東大(年号例説と合)」か。

[160] [[南葵文庫]]は[[紀州徳川家]]。現所在は[[東京大学]]。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[56] [CITE[年号例説 . 偽年号考 : 常陸誌料之内 | CiNii Research]], [TIME[2024-11-23T07:10:09.000Z]] <https://cir.nii.ac.jp/crid/1130000794050308608>
]FIGCAPTION]

>
写本
>
和装本
>
朱筆の書入れあり
>
虫損あり
>
表紙に南葵文庫のラベル貼付あり
>
印記:「東氏蔵書」「東洲文庫」「一尾文庫」「やすむろ」
]FIG]

]REFS]

-*-*-

[156] 
甲種 [CITE[一話一言]] 昭和3年刊本:

- [144] >>142 /490 - /493 [[翻刻]] [[明朝体]]
-- [143] /490
[CITE[[V[僞年號考〔常陸誌料之内〕]]]],
[[中山信名平四]]著
-- [145] /493
[[中山信名]]しるす,
文政3年庚辰4月

[223] 
甲種早稲田本と同系統ながら、漢字の違い、漢字と仮名の違い、語句の細かい出入りが散見される。意味が通らないものが多く、異同は早稲田本の方を採るべきと考えられる。早稲田本の割書がこの本では字下げで表されていると考えられるが、本文のはずが字下げに含まれる箇所もみられる。原写本、[CITE[一話一言]]原本、昭和刊本のどの段階で異同が発生したかは要検討。質の低い写本を経由しているか。

[7] 
[CITE[一言一話]]所収のものと[CITE[百家叢説]]所収のものはやや異なり、
後者が詳述している [SRC[>>6]]
とのこと。これは甲種と乙種の違いを言っているものと考えられます。

[REFS[

- [28] 
[CITE@ja-JP[[[日本随筆大成]] 別卷下]], [[日本随筆大成編輯部]], [TIME[1927-1931][1931]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-11-23T13:55:49.977Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1914170/1/491?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-- [142] 
[CITE[一話一言]]
- [6] [CITE[[[私年号命禄の年代に就いて]]]]

]REFS]

-*-*-

[187] 関連:
[CITE[[[蜷川氏所蔵年代記]]]]


* [CITE[古史伝異年号考]]

[175] 
[DFN[[CITE[古史伝異年号考]]]]
は[[平田篤胤]]の
[CITE[神字日文伝]]
のうちで[[古代年号]]
(特に[[端正]]と[[法興]])
についての[[伴信友]]の説が書かれた部分です。


- [162] >>74 [CITE[池底叢書]]本[CITE[古史伝異年号考]][[写本]] [[草書]]
- [172] >>171 [CITE[平田篤胤全集]]本[CITE[神字日文伝]][[翻刻]]のうち[[古代年号]]部分
[[明朝体]]



[67] 
[CITE[古史傳異年號考]]は >>3 
の[[解題]]によると、

- [68] 
[[平田篤胤]][CITE[古史伝]]の内に[[伴信友]]の[CSECTION[異年号考]]があるのを後の人が抜粋したもので、
- [69] 
[[伴信友]]の考察は[[藤貞幹]][CITE[逸號年表]]の漏れを補ったものです。


[173] 
[CITE[古史伝]]にこれに該当する部分は見当たりません。
全文検索でうまく見つけられないだけで実はどこかにあるのかもしれませんが...

[170] 
[[平田篤胤]]の[CITE[神字日文伝]] ([TIME[文政2(1819)年][1819]]) という[[神代文字]]関係の著作には、
[[古代年号]]の1つ[[端正]]に関係して、
[[伴信友]]の見解が記載されています。

[171] 
[CITE[平田篤胤全集]]本[CITE[神字日文伝]]では
>>169 /31 左上から /33 左上までの部分がそれに当たり、
>>74 と (細部までチェックしていませんが大方) 一致しています。

[174] 
[CITE[神字日文伝]]が原典だったとすると、当該部分は[[見出し]]どころか区切りすらなく、
[CSECTION[異年号考]]
というのも元の題名ではなく後補だったことになります。

[62] 
>>67 だけ読むと[[伴信友]]が分担執筆したようにも読めますが、
実際に >>74 の冒頭を読むと[[伴信友]]と話したときに[[伴信友]]が言うには云々とあるので、
[[伴信友]]の説を[[平田篤胤]]が書き記したものというべきです。

[185] 
とはいえその続きはどこまでが[[伴信友]]の説でどこからが[[平田篤胤]]の説なのか、
あるいは2人相談しての説なのかよくわかりません。
ともかく[[伴信友]]書入本[CITE[逸号年表]]を指すと思われる説明とその内容を使っての推測が続いていて、
[[伴信友]]が自身の[CITE[逸号年表]]をどのように使っていたかを知ることができます。

[REFS[

- [168] [CITE[[[神字日文傳]]]]
-- [169] 
[CITE@ja-JP[[[平田篤胤全集]] 第15]], [[室松岩雄]], [TIME[明治44-大正7][1918]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-11-24T04:47:47.874Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/946549/1/31?keyword=%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

]REFS]


* [CITE[逸年號考]]

[176] 
[DFN[[CITE[逸年号考]]]]
は[[栗田寛]]による[[私年号]]の一覧表です。
[TIME[明治17(1884)年][1884]]稿。

- [124] >>335 /212 - [[翻刻]] [[明朝体]]
-- [125] /212 - 
[CITE[[V[逸年號考]]]],
明治17年8月稿
--- [126] /212 - /218 [[古代年号]]
--- [127] /218 - /223 [[私年号]]
- [227] [[[CITE[逸年号考]]本文]] : >>124 より派生

[193] [[元号]]:

- [78] [[古代年号]]各種
- [[天平感寶]]
- [[白龜]]
- [[泰平]]
- [[彌勒]]
- [[福德]]
- [[寶壽]]
- [[寛]]
- [[證明]]
- [[興國]]
- [[天靖]]
- [[應長]]
- [[大道]]



[181] 
[CITE[古事類苑]]が[CITE[逸年号考]]から数箇所引用しています。
「逸年號考删餘」からの引用も1箇所あります。
[SRC[>>180]]

[REFS[

- [335] [CITE@ja[[[栗里先生雑著]] : 一五巻. 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション]] ([[栗田寛 著栗田勤]]著, [TIME[明治34][year:1901]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087995/212>
-- [225] 
[CITE@ja-JP[栗里先生雑著 巻11]], [[栗田寛, 栗田勤]], [TIME[1901]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-11T15:23:29.722Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/993559/1/208>
- [180] 
[CITE@ja-JP[[[古事類苑]] 歳時部2]], [[神宮司庁古事類苑出版事務所]], [TIME['''['''明41''']'''][1908]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-11-24T08:09:05.090Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/897572/1/105?keyword=%E9%80%B8%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E8%80%83>


]REFS]

-*-*-

[195]
[CITE[日本社会事彙]]
の 
[CSECTION[[V[年號]]]]
の
[CSECTION[[V[異年號]]]]
の項 [SRC[>>194]]
は
[CITE[逸年號考]]
に多くを拠っているようですが、若干の異同があるようで検討を要します。


[REFS[

- [194] 
[CITE@ja-JP[日本社会事彙 下]], [[経済雑誌社]], [TIME[明23,24][1891]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-20T10:34:11.306Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/898057/1/646>

]REFS]

* [CITE[逸號年表補考]]

[148] 
[[伴信友]]旧蔵[CITE[逸号年表]]には大量の書き入れがあります。
また、[DFN[[CITE[中古偽年号考]]]]が付属しています。



- [94] >>20 1 [[表紙]] [CITE[[V[伴信友日筆書入逸號年表[WEAK(quarter)[[SUP(normal)[附]]中古僞年号考]]]]]] [[楷書]]
- [95] >>20 2 [[表紙]] [CITE[[V[逸號年表]]]] [[明朝体]]
- [97] >>20 3 貼り紙: [[識語]], [[川瀬一馬]],
昭和13年夏日
- [98] >>20 3 貼り紙: 天龍元年云々、右書中に「享保中」云々
- [96] >>20 4 - 7 [DFN[[CITE[中古譌年號考]]]] [[草書]]
- [99] >>20 8 富岡文庫入札会の印のある札
[CITE[逸號年表]]
- [100] >>20 9 貼り紙
- [101] >>20 10 - 11 [CSECTION[叙]] 書き込みあり
- [102] >>20 12 - 13 [CSECTION[引用書目]] 書き込みあり
- [103] >>20 13 - 24 本表 書き込みあり
- [104] >>20 25 - 28 奥書と貼り紙の書き込み [[楷書]]


[188] 掲載[[元号]]は[[日本私年号一覧表]]参照。

[20] 
[CITE@ja[国書データベース]], [TIME[2024-10-31T09:30:23.000Z]] <https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200043359/1?ln=ja>

>
:伝来:
(印記)「コノフミヲカリテミムヒトアラムニハヨミハテヽトクカヘシタマヘヤ若狭酒井家々人伴氏蔵本」「古川蔵書」「富岡文庫入札会」「三柚書屋」「一馬」。
書誌注記
〈奥〉川瀬一馬識語。
〈書〉付箋,本文・頭注朱書入れ多数あり。
〈般〉「中古譌年號考/信友草」の別紙1枚,帙題「伴信友自筆書入逸號年表/附/中古偽年号考」(川瀬一馬書)。
:コレクション:
国文学研究資料館,川瀬一馬旧蔵書(特別コレクション)



[21] 
[[伴信友]]は[CITE[年号の論]]で[[妖僞年號]]として

[FIG(quote)[
- [1927] [[泰平]]
- [1928] 応安の頃に文德
- [1929] 延徳の頃に正亨、福德
- [1930] 永正の頃に彌勒
- [1931] 天文の頃に命祿
- [1932] 深久、
天龍、
和勝、
謝德、
寶壽、
善喜、
證明、
元長、
永覺など
- [1933] あまりに煩わしいので出典省略。
社寺の記録、
文書、仏塔、名板、墓碑、器物などにある。
[CITE[逸號年表]]
に補記した。
]FIG]

を挙げています。 [SEE[ [[年号の論]], [[日本の私年号]] ]]

[22] >>21 の「補記した」本が >>20 と推測されるのですが、内容は微妙に一致しません。

- [23] 記載があるもの:
[[泰平]],
[[福德]],
[[彌勒]],
[[元長]],
[[永覺]],
[[和勝]],
[[寶壽]],
[[證明]],
[[善喜]]
- [24] 記載が見つからないもの:
[[文德]],
[[正亨]],
[[命祿]],
[[深久]],
[[天龍]] (>>20 3 の貼り紙にあり),
[[謝德]]

[25] 
[CITE[年号の論]]の書き方を見ると[CITE[補考]]の書き込みから拾って掲載してそうなのに、
一致しないのはどういうことなのでしょう。他にも素材となったメモがあったのですかね。

[26] 
どちらの自筆稿本も[[楷書]]なので、[CITE[年号の論]]の[[翻刻]]時の誤読という可能性もなさそうで。

[27] 
[[天龍]]は[[天靖]]の、
[[謝德]]は[[福德]]の誤記の可能性、も考えたのですけど、
自筆稿本はそんな誤読しそうな感じでもありませんでした。


[1915] 
[CITE[年号の論]]は[[古代年号]]に関して

>
藤貞幹が証文20数種類、朝鮮籍も含めて収集した
[CITE[逸號年表]]
がある。
それに見つけたものを書き加えて証文80数種類書き加えている。

との旨も書いています。


[226] 
[CITE[年号の論]]は[[古代年号]]と[[妖僞年號]]の他、[[南朝]]関連で、
[[天靖]],
[[大道]],
[[天壽]]を挙げています。


[139] >>16, >>19 は >>20 のごく一部を白黒写真で挿絵として掲載しています。

[186] 
[CITE[古史伝異年号考]] (>>175) も参照。



[179] 
[CITE[古事類苑]]が[CITE[逸号年表補考]]から数箇所引用しています。
[SRC[>>177]]
[[伴信友]]書入本を指すと思われます。

[184] 
[CITE[日本私年号の研究]]も[CITE[逸號年表補考]]を参照しています。

[REFS[

-[16] 
[CITE@ja-JP[名家自筆本の諸問題]], [[川瀬一馬 '''['''述''']''']], [TIME[1960.10][1960]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-31T08:58:48.091Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11176942/1/11?keyword=%E9%80%B8%E5%8F%B7%E5%B9%B4%E8%A1%A8> (要登録)
-[19] [CITE@ja-JP[日本書誌学之研究 続]], [[川瀬一馬]], [TIME[1980.11][1980]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-31T09:10:09.163Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12234789/1/350?keyword=%E9%80%B8%E5%8F%B7%E5%B9%B4%E8%A1%A8> (要登録)

]REFS]

-*-*-

-
[17] 
[CITE@ja-JP[東洋文庫書報 (9)]], [[東洋文庫]], [TIME[1977]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-31T09:06:15.246Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3446903/1/52> (要登録)

[128] >>17 [[岩崎文庫]]所蔵[[伴信友]]書入本[CITE[逸号年表]]の[[解題]]。

[129] 
>>17 の説明と >>20 と、特徴の多くは一致しますが、完全に同じではありません。
[[国文学研究資料館]]と[[東洋文庫]]に、[[伴信友]]の同じようで微妙に違う本が1つずつ所蔵されているということなのでしょうか...

[132] 
[[東洋文庫]]には[CITE[逸号年表]]が2つ所蔵されています。 [SRC[>>130, >>131]]
どちらが >>17 の参照したものなのかはわかりません。

[133] 
このうち >>130 は

> 印記: 木邨正辭圖書. - 和装

とあります。 

[134] 
>>17 は[[岩崎文庫]]所蔵の[[伴信友]]関係とされる3書のうちの1つとして
[CITE[逸号年表]]を紹介していますが、そのうちの1つ[CITE[伊呂波字類抄]]に[[木村正辞]]の[[蔵書印]]があるとのこと。
>>130 にはそのような記載はありませんが、関係はあるのでしょうか。


[REFS[

- [130] 
[CITE[東洋文庫資料検索 詳細]], [TIME[2024-11-23T09:24:32.000Z]] <https://www.toyo-bunko.org/is/show_detail_allsyoshi.php?targetid=194843>
- [131] [CITE[東洋文庫資料検索 詳細]], [TIME[2024-11-23T09:25:18.000Z]] <https://www.toyo-bunko.org/is/show_detail_allsyoshi.php?targetid=206585>

]REFS]



* 早稲田大学本[CITE[増補逸号年表]]

[REFS[

- [2] [CITE[[[増補逸号年表]] / 藤貞幹 纂 ; 中山信名 補]]
([TIME[2019-10-21 18:11:39 +09:00]])
<http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri04/ri04_02239/index.html>
-- [29] 
[CITE@ja[ri04_02239.pdf]], [TIME[2008-10-17T05:05:35.000Z]], [TIME[2024-11-23T06:48:53.980Z]] <https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri04/ri04_02239/ri04_02239.pdf>


]REFS]

[36] >>2 によると
[RUBYB[[[藤貞幹]]][[TIME[1732]]-[TIME[1797]]]],
[RUBYB[[[中山信名]]][[TIME[1787]]-[TIME[1836]]]],
[[穂積保]]による本の、
[TIME[明治12(1879)年][1879]]の写本。

[32] [[草書]]。

- [31] >>29 #page=1 [[表紙]]
[V[[CITE[増補逸号年表]][BR[]][CITE[偽年号考]][BR[]][CITE[異年号考[WEAK(smaller)[并雜抄]]]]]]
- [44] >>29 #page=2 [[表紙]]
[V[[CITE[増補逸号年表]][BR[]][CITE[偽年号考]][BR[]][CITE[異年号考[SUB(smaller)[并雜抄]]]]]]
- [45] >>29 #page=3 - #page=15
[CITE[増補逸号年表]],
[[藤貞幹]]纂,
[[中山信名]]補
-- [46] #page=3 - #page=14 本表
-- [47] #page=14 - #page=15 貞幹曰
- [48] >>29 #page=15 - #page=20
[CITE[偽年号考]]
-- [49] #page=15 [CSECTION[引用書目]]
-- [50] #page=16 [CITE[偽年号考]], [[中山平四信名]]著
-- [51] #page=16 - #page=20 本文
- [52] >>29 #page=21 - #page=25
[CITE[異年号考]]一巻,
[[穂積保]]著
- [202] >>29 #page=25 - #page=29 [CSECTION[雜抄]]
-- [203] 冒頭: 「南北和融已後小倉宮万寿寺[虫喰][SNIP[]]」
-- [204] [[南朝]]・[[後南朝]]関係の文献の一部
- [53] >>29 #page=30
明治12年9月

[224] >>53 に書写者の名らしきものがあるものの、誰か不明。

[54] 
>>34 の「早大(一冊)(増補逸号年表と合)」はおそらくこれか。


* [CITE[池底叢書]]本[CITE[古史傳異年號考]], [CITE[異年号考]]

[74] >>4 [CITE[池底叢書]]本[CITE[古史伝異年号考]]

- [75] >>4 3763 [[表紙]] [CITE[[V[古史傳異年號考]]]]
- [76] >>4 3764 - 3769 本文 [[写本]] [[草書]]

[77] [[端正]]などについて。


-*-*-

[79] >>78 [CITE[池底叢書]]本[CITE[異年号考]]

- [80] >>78 4360 [[表紙]] [CITE[[V[異年号考]]]]
- [82] >>78 4361 - 4363 [[写本]]
-- [84] [[自序]] [[草書]]
--- [81] 4361 [CITE[[V[異年号考]]]], [[穂積保]]
--- [83] 4363 文化元年甲子春
-- [85] 4364 - 4377 本文 [[楷書]]
--- [86] 4364 [CITE[[V[異年號考]]]]
--- [87] 4367 [CITE[[V[異年號考]]]]



-*-*-

[88] 
名前は似ていますがまったく別です。


[REFS[

-[4] 
[CITE@ja[国書データベース]], [TIME[2024-02-09T13:02:43.000Z]] <https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100020573/3763?ln=ja>
-
[78] 
[CITE@ja[国書データベース]], [TIME[2024-11-23T08:00:31.000Z]] <https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100020573/4360?ln=ja>
-
[3] 
[CITE@ja-JP[史籍集覧 〔19〕 池底叢書要目(黒川春村]], [[近藤瓶城]], [TIME[明26-31][1898]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-09T12:44:59.589Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/769672/1/22>
右
-
[5] 
[CITE@ja-JP[史籍集覧 〔19〕 池底叢書要目(黒川春村]], [[近藤瓶城]], [TIME[明26-31][1898]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-09T13:06:27.371Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/769672/1/31>

]REFS]

* [CITE[百家叢説]]本[CITE[異年号考]], [CITE[偽年号考]]


- [105] >>9 /42 - /45 [[明朝体]] [[翻刻]]
-- [106] /42 [[自序]] [CITE[[V[異年號考]]]], [[穂積保]], 文化元年甲子春
-- [107] /42 - /45 [CITE[[V[異年號考]]]]
- [108] >>9 /46 - 48 [[明朝体]] [[翻刻]]
-- [109] /46 - 48 [CITE[[V[僞年號考]]]], [[中山信名平四]]著

[REFS[

-
[9] [CITE@ja-JP[[[百家叢説]] : 珍書文庫 第1編]], [[田辺勝哉, 井上頼圀 校]], [TIME[明44][1911]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-30T07:00:54.684Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/899104/1/42> (要登録)

]REFS]



* [CITE[異号年表]]


[11] [CITE@ja[検索結果一覧 - 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム]], [TIME[2024-10-31T06:34:17.000Z]] <https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Search?keyword=%E7%95%B0%E5%8F%B7%E5%B9%B4%E8%A1%A8>

[12] >>11 [CITE[異号年表]]はまだ電子化されていない
[TIME[2024-10-31T06:34:42.800Z]]


[140] >>11 [[宮内公文書館]]に[CITE[異号年表]]が2件、
[[図書寮文庫]]に[CITE[逸号年表並異号年表]]が1件所蔵されています。


[141] 
>>140 の後者は明治37年5月の写本。
>>10 に

>宮書(明治三七写、異号年表と合)

とあるもののようです。

* [CITE[山中氏僞年號考]]

[234] 
刀剣銘関連の文献で[DFN[[CITE[山中氏僞年號考]]]]がしばしば引かれています。

- >>236
- >>229
- >>232
-- [240] [CITE[古刀銘鑑]]経由

[230] 
記載内容からみて >>43 と思われます。

[233] 
引用元の諸書の著者は[CITE[僞年號考]]を読んでいるのか、
それとも先行する[CITE[山中氏僞年號考]]系文献の孫引きなのか、
怪しいものです。

[REFS[

-
[232] [CITE@ja-JP[能登志徴 : 森田平次遺稿 下編]], [[森田平次]], [TIME[1969]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-26T10:59:05.793Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9536040/1/169?keyword=%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E6%B0%8F> (要登録)

]REFS]

* [CSECTION[日本僞年号之事]]

[237] 
[TIME[安政3(1856)丙辰年][1856]]に[[尾關善兵衛永冨]]が編纂した
[CITE[掌中古刀銘鑑]]
の目次には
[DFN[[CSECTION[[V[日本僞年号之事]]]]]]
という項目があります。
[SRC[>>255]]

[238] 
本文中には相当する[[見出し]]は無いものの、[[私年号]]の解説があります。
[SRC[>>236]]

[239] 
内容は、[CITE[山中氏僞年號考]]の要旨に、刀剣銘関連の情報をいくらか足したものとなっています。
[SRC[>>236]]

[241] 
掲載: [[福徳]], [[弥勒]], [[命祿]], [[天靖]], [[寶壽]]

[242] 
このうち最初の3つとその前の導入部分は
[CITE[僞年號考]]
がベースです。

[243] 
[[天靖]]は[CITE[武家功名記]]を出典とし、独自の解説です。
著者によるものか、それとも他に直接の出所があるのかは不明です。

[244] 
[[寶壽]]は独自の解説で、著者によるものかと思われます。


[REFS[

- [235] 
[CITE@ja[国書データベース]], [TIME[2026-04-26T11:56:16.000Z]] <https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200000850/6?ln=ja>
-- [236] 
[CITE@ja[国書データベース]], [TIME[2026-04-26T11:56:44.000Z]] <https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200000850/19?ln=ja>

]REFS]


* [CITE[俗間僞年號考]]

[231] [[明治時代]]の[DFN[[CITE[俗間僞年號考]]]]は、
[[弥勒]]と[[宝寿]]を主に扱った短い雑誌記事です。
[CITE[山中氏僞年號考]]を引いています。

[REFS[

- [228] 
[CITE@ja-JP[[[骨董雑誌]] 2(4)]], [[骨董雑誌社]], [TIME[1897-07]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-26T08:28:30.293Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1506258/1/19?keyword=%E5%AE%9D%E5%AF%BF> (要登録)
-- [229]  
[DFN[[CSECTION[[V[俗間僞年號考]]]]]],
[[[V[關口老雲]]]]

]REFS]




* 関連

[8] [[命禄]],
[[年号の論]],
[[日本私年号一覧表]],
[[二中歴]],
[[私年号]]

* メモ




