- 
[15] [CITE@ja-JP[[[考古学雑誌]] = Journal of the Archaeological Society of Nippon 7(6)(209)]], [[日本考古学会]], [TIME[1917-02]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T13:23:36.224Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548224/1/28> (要登録)
-- [381] [CSECTION[雜錄 慈眼堂經藏收納の典籍に就て――(第二囘)]], [[古谷淸]]

[CITE[韻鏡指南]]写本奥書 王徳8年 私年号 

室町時代頃 ([[真賀]]など他紹介資料と同じ頃) と推測

[2] 
[CITE[[[日本私年号の研究]]]] 普及版 pp.339-344

>>381 の推測を再検証、延徳-大永頃

[3] [CITE[板碑とその時代]]の私年号一覧表
p.241 
26番
延徳-大永 1490-1520 頃、あるいは延徳の誤記か

(一覧表なので根拠は示していない)

[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,王徳 	,- 	,延徳2年(1490年) 	,不明 	,日光輪王寺慈眼堂経蔵『韻鏡指南』。公年号「延徳」の異表記か。 

- [323] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:13:23.542Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21313544>
-- [324] 
[CSECTION[2008年8月18日 (月) 17:21時点における版]],
58.0.128.185



[5] [[延徳]] 1489 - 1492,
[[明応]],
[[文亀]],
[[永正]],
[[大永]] 1521 - 1528



[4] >>3 の西暦範囲、誤記説、>>10 の元年が何に由来する説なのかわからない

[6] 西暦範囲は[[十年紀]]?

[7] 
この時代は[[公年号]]の[[延徳]]と[[私年号]]の[[福徳]]があった。

[8] 
[[公年号]]の[[延徳]]は4年まで。8年の[[延長年号]]は長すぎるので、説明が必要。
[[福徳]]も8年はない。

[9] 
この時代で8年を超えたのは[[明応]]、[[永正]]。
誤記や同音では説明がつかない。

[11] 
同時代に[[越南]]で[[洪徳]]、
[[明]]で[[正德]]。
いずれも8年超え。






[75] [[日光輪王寺]]慈眼堂収納の[CITE[韻鏡指南]]に王徳八年の用例があります。
慈眼堂の所蔵物は関東各地から[[日光]]に移されたと考えられています。
[SRC[>>207]] 

[REFS[

- [204] [CITE[[[古文書研究]] 第12号]],
[TIME[昭和53(1978)年10月][1978-10]]
-- [206] [CSECTION[[V[日本古文書学会第十回学術大会発表要旨]]]]
--- [207] [CITE[[[[V[室町時代における日光山の私年号使用[BR[]][WEAK(smaller)[⸺下野に現存する私年号資料の紹介をかねて⸺]]]]]]]],
[[[V[浅沼徳久]]]],
pp.[V[一四〇]]-[V[一四一]]

]REFS]





