* [CITE[泰澄和尚伝記]]

[19] 次の諸本があります。

- [16] 金沢文庫本 [TIME[正中2(1325)年][1325]]写 現存最古 [SRC[>>6]]
- [17] 尾添本 南北朝時代頃写 [SRC[>>6]]
- [18] 平泉本 永正・大永頃写 [SRC[>>6]]
- [15] 大谷本
-- [20] 元和本 (大谷本) [SRC[>>6]]
--- [47] >>46 はこの本の写本 (の明朝体翻刻) か、末尾に「私云」云々の奥書あり
-- [21] 慶安本 (大谷別本) [SRC[>>6]]

[45] 
原本の成立は[[村上天皇]]の[[天徳]]から[[正中]]の間とされます。



[10] 
>>6 は金沢文庫本を底本に諸本と校合したもの (巻末解説に説明あり)。
誤りが多く巻頭で訂正されているので注意。

[54] 
>>6 は金沢文庫本を底本に諸本と校合したもの。


[REFS[

-[6] 
[CITE@ja-JP[泰澄和尚伝記]], [[浄蔵 貴所口述, 平泉澄 解説]], [TIME[1953]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T09:04:45.701Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2988738/1/8> (要登録)
- [46] 
[CITE@ja-JP[越知神社文書]], [[山田秋甫]], [TIME[大正9][1920]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T12:53:58.718Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/927177/1/63>
- [53] 
[CITE@ja-JP[福井県史 資料編 1 (古代)]], [[福井県]], [TIME[1987.5][1987]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T13:17:48.905Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9540569/1/186> (要登録)


]REFS]

*[CITE[元亨釈書]]


- [70] [TIME[元亨2(1322)年][1322]]成立
- [65] 
[CITE@ja[元亨釈書 表目,30巻 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ]], [TIME[2025-03-23T14:10:21.000Z]] <https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012893?page=443>
-- [66] [[五山版]]
--[67] 第15巻
--- [68] 大日本国延文庚子六月
--- [69] [TIME[北朝延文5(1360)年庚子][1360]]6月

* 日時


[11] 
[CITE[泰澄和尚伝記]]文中に[[飛鳥時代]]の紀年が3つあります。

- [12] 天渟名原瀛真人天武天皇飛鳥浄御原宮御宇白鳳廿二秊壬午歳六月十一日 (誕生)
-- [56] 平泉本は[CH[名]]でなく[CH[中]] [SRC[>>53]]
-- [57] 平泉本は[CH[鳳]]でなく[CH[凰]] [SRC[>>53]]
-- [22] 金沢文庫本は22年。
-- [23] 尾添本、平泉本、大谷本は11年。 [SRC[>>6]] 比本も11年。 [SRC[>>53]]
-- [24] [TIME[天武天皇11(682)年'''壬午'''][682]]
--- [25] この年が22年なら、元年は[TIME[斉明天皇元(661)年辛酉][661]]
--- [26] この年が11年なら、元年は[TIME[天武天皇元(672)年壬申][672]]
-- [30] [[干支年]]はこれ以後の[[年齢]]と整合する
- [13] 高天原広野姫持統天皇藤原宮御宇七年壬辰歳 (11才)
-- [55] 平泉本では六年 [SRC[>>53]]
-- [27] [TIME[持統天皇6(692)年'''壬辰'''][692]]
-- [28] [TIME[持統天皇'''7'''(693)年癸巳][693]]
- [14] 広野姫持統天皇御宇大化元年乙未歳 (14才)
-- [58] 比本に[CH[姫]]なし [SRC[>>53]]
-- [29] [TIME[持統天皇9(695)年'''乙未'''][695]]
-- [48] >>46 本では広野姫持統天皇御宇大長元年壬辰 (11才)

[31] 
[[平泉澄]]は、
[[白鳳]]は諸説あるうち壬申説に一致する (白鳳11年) ことを指摘し [SRC[>>7]]、
[[大化]]は諸説と合わないものの[CITE[海東諸国紀]]の[[大和]]と年次が一致するため、
いずれかが誤ったのだと推測しています [SRC[>>7]]。

[33] 
[[平泉澄]]は現存最古の[[金沢文庫]]本を[[底本]]に選んだものの、
本文および解説ともに[[金沢文庫]]本以外の白鳳11年を採用しており、
巻頭の正誤表で[[金沢文庫]]本の白鳳22年に訂正しています。
本文と解説を執筆した時点では違いを見落としていたのを、
出版直前になって気付いたのでしょう。
そのため年数の違いに関して何も考察していません。


[32] 
[[下出積與]]は、
[[白鳳]]についての当時の学説に基づき、
白鳳22年とする本文の成立は[[室町時代]]を遡らないのであり、
白鳳11年とする本文の成立は[[村上天皇]]時代以後のことであり、
原本が[[村上天皇]]の[[天徳]]年間の成立と伝えられることとも符合すると指摘しています。
[SRC[>>2]]
しかし2つの年数の異説の先後関係には特に言及していません。

[34] 
[[下出積與]]は、
[[大化]]が諸説とも合わず、
[[大和]], [[大長]]にしても[[平安時代]]までに使われた痕跡がないこと、
[[大和]]と年数が一致するとしても、外国人による[CITE[海東諸国紀]]が[CH[化]]を[CH[和]]とするとは考えられない
(からその原典で既に[[大和]]だったと考えられる) ことから、
本書は信用できないとする根拠の1つに挙げています。
[SRC[>>2]]

;; [35] 外国人だから誤りとは考えられないというのはよくわかりません。
外国の知らないことだから慎重にしたはずということでしょうか。
あるいは[[漢字音]]が異なるから間違わないということでしょうか。

[36] 
[[下出積與]]は、
3つの紀年のうち2つは[[古代年号]]を使いながら、1つは[[天皇即位紀年]]であることも不審であり疑うべき点だと指摘しています。
[SRC[>>2]]

[37] 
本書の[[大化]]は、中世以後に使われたいわゆる[[持統大化]]説です。
近現代にはほとんど使われていないので、
研究者といえども知らなかったのはやむを得ないところですが、
その不存在を前提にした議論は訂正が必要です。

[49] 
しかし怪我の功名といいますか、このような議論が
>>48
のような大長元年の異説の出現事情を物語っているといってもいいでしょう。
現代の解説で年齢に2説がある [SRC[>>2507, >>2778]]
のも、この異説の存在が根拠となっていると思われます。

;; [60] 
なお、[[大長]]説だと壬辰年11才が2回書かれていることになり、文章構成が不自然です。

[38] 
また、[[白鳳]]の年数2説の一方を誤りとする考えもありますが、
[[白鳳]]に諸説あることがよく知られていないための誤解であり、
訂正が必要です。
[SRC[>>961]]

[39] 
白鳳の2つの年数のどちらもが当時の一般的な説に一致しているということは、
一方が他方の単純な誤りではなく、意図的に変更されたことを示唆します。
単純な誤記などで「十一」と「廿二」を取り違えるとは考えにくいでしょう。
書写した者が不審に思って年表か何かで確認して訂正したのでしょう。

[40] 
どちらが原形でどちらに訂正されたのかは容易には判断できません。
金沢文庫本の白鳳22年の方が現存写本としては古いですが、
他の諸本が揃って白鳳11年となっていますから、それらの共通祖本がより古いという可能性もあります。
現存最古が原形に近いとは限りません [SRC[>>2]]。 
白鳳11年説をとる尾添本は[[南北朝時代]]頃かその後とされており、
時期を確定できないのは遺憾ですが、
[[南北朝時代]]の初め頃であれば金沢文庫本の書写時期とそこまで離れていないことになりますから、
古さだけで見ても白鳳11年説は必ずしも分が悪くありません。

;; [79] 
[[天孫降臨]]からの年数にも似た問題があります。
尾添本は当時の一般的な説と一致していますが、
金沢文庫本は漢数字が1文字脱落しています。
金沢文庫本が原本に近いとすれば尾添本は他書と校合した結果ということになりますし、
尾添本が原本に近いとすれば金沢文庫本は誤写による脱字ということになります。
[SEE[ [[一百七十九萬二千四百七十餘歳]] ]]




[71] 
また、[TIME[延文5(1360)年][1360]]に印刷された[CITE[元亨釈書]]は白鳳11年説をとっています
(>>62)。
おそらく[TIME[元亨2(1322)年][1322]]の成立時に既に白鳳11年説の
[CITE[泰澄和尚伝記]]
があったのでしょう。
そうだとすれば、[TIME[正中2(1325)年][1325]]の金沢文庫本より古いことになります。


[41] 
3つのうち1つだけ[[元号]]でなく[[天皇即位紀年]]であることは従来の研究でも注意されていますが、
その[[天皇即位紀年]]の[[年数]]にも問題があります。
[[持統天皇]]の[[即位紀年]]が[CITE[日本書紀]]紀年と[[1年ずれ]]ています。
[[持統天皇]]紀年は[[朱鳥]]と関係して混乱しており ([SEE[ [[日本古代の日時]] ]])、
混乱した年表か何かの影響を受けた可能性があります。

[50] 
現代の解説で比定年を2説挙げているものがありますが [SRC[>>2507]]、
[[天皇即位紀年]]の[[年数]]と[[干支年]]や[[年齢]]のどちらを取るか解釈が分かれたものです。


;; [51] 
>>40, >>50 のように一般人向けの“わかりやすい”解説で情報量を落とした結果、
「諸説」が独り歩きして原形や異説の出現理由がわかりにくくなっているのは、
困ったものです。

[42] 
[[天皇即位紀年]]だったり[[元号]]だったりすることは、
文章の信憑性を疑わせる要素と指摘がなされていますが、
もしこれが写本での改変の結果ではなく原本に由来しているとなれば、
原本が依拠した原資料の表記を引き継いでいる可能性を示唆します。
つまり異なる日付表記を用いる異なる原資料を素材にしている可能性があります。
原本の著者がそれを完全に統一する意思を持ち合わせていなかったことを表します。

[43] 
ただし天皇名の構成要素の順序はやや独特で、3点とも共通していますから、
この形式に統一する意思が明確に働いていたと言って良さそうです。

[44] 
ここまで統一されているとなると、[[天皇即位紀年]]だけの1つは[[元号名]]の「朱鳥」
が欠落したとも考えられます。 
朱鳥元年を持統天皇元年とする数え方は他にも歴史上無くはないものの、
他にほとんど見られないので、
誤脱説の方が納得感はあります。
(その場合は >>42 の前提が崩れ何ともいえないことになります。)

[61] 
本書から派生したとされる[CITE[元亨釈書]]の[[泰澄]]の条には、
「白鳳十一年六月十一日」、
「持統六年」
とあります。3つ目の年がなく、相当する場所にはかわりに
「十一歳、十四時」
とあります。
[SRC[>>53]]

[62] 
[CITE[元亨釈書]]著者が見た本は白鳳11年になっていたようです。
著者は1つめの[[白鳳]]からは[[天皇]]名と[[干支年]]を削り、
2つめの[[持統天皇]]は[[漢風諡号]]のみ残して7年から6年にしています。
(著者が見た本が元々六年だったのかもしれませんが。
[[元号名]]は元々なかったのでしょう。)
3つめはなぜか紀年を丸ごと削っています。
[[大化]]を介せなかったのでしょうか。
おかしいと思っても[[干支年]]を信じる方法もあったはずですが、不思議です。
(改変して引用していないということは、2つめは元々六年だった可能性が高いでしょうか。)

[64] 
「十一歳、十四時」はちょうど2つめと3つめの中間に当たる箇所にあり、
以上は11歳のとき、以下は14歳のとき、というつもりで書いたのかもしれませんが、
意味が取りづらい不自然な書き方に思われます。原文ではもっと前の方にあったはずの「十一歳」
が2つめの末尾まで移動させたのはなぜなのでしょう。年齢は冗長だと思って省いたものの、
3つめの年を書けないのでやっぱり必要だとここで補ったのでしょうか。



[3] 関連: [[白鳳]], [[持統大化]], [[日本古代の日時]]

[REFS[

- [7] >>6 /25 [CSECTION[[V[白鳳]]]]
- [8] >>6 /26 [CSECTION[[V[大化]]]]
- >>2

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[961] [CITE@ja[賀茂探求(41)京都/[[愛宕神社]](41)]], 
written by Lumi on 00/05/24 12:55.,
[TIME[2020-01-31 11:39:48 +09:00]] <http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kamo/kamo41.htm>
]FIGCAPTION]

> [SNIP[]] 泰澄上人の生年ですが、泰澄和尚伝記の金沢文庫本には「白鳳二十
二年壬午」となっていますが、尾添本・平泉本では「白鳳十一年壬午」にな
っています。しかし金沢文庫本でもその後で持統天皇6年に11歳と書いてあ
り、また亡くなったのは神護景雲元年で86歳と書かれています。
> [SNIP[]] この付近の壬午
の年は682年なので、壬午を信用すると、泰澄上人の生年は682年で白鳳11年
であり、よって白鳳は672年から始まると考えられます。
> [SNIP[]] ということでやはり
金沢文庫本の「二十二年」は「十一年」の誤りで、白鳳は672年から始まっ
ており、泰澄は682年の生まれで、 [SNIP[]]。
>[SNIP[]] (00/05/24 13:42)
>
白鳳という年号ですが、天智天皇元年662年から始まるという説、またその
前年の斉明天皇が崩御し、中大兄皇子の称制が始まった年661年から始まる
という説もあるようです。
>
従って、白鳳22年壬午というのも、白鳳が661年から始まったとすれば682年
ということになり正しいことになります。つまり泰澄和尚伝記の金沢文庫本
は白鳳が661年から始まったという立場で記述してあることになりますので、
単純な書写ミスという訳ではないようです。




]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2507] [CITE@ja[泰澄|越前町 織田文化歴史館]]
([TIME[2019-05-08 11:41:58 +09:00]])
<https://www.town.echizen.fukui.jp/otabunreki/panel/05.html>
]FIGCAPTION]

> 『泰澄和尚伝記』によると、泰澄は越前国麻生津の三神安角を父、伊野氏の女性を母として、天武天皇11年(682)6月11日に生まれた。幼い頃から普通の児童とは異なり、泥で仏像を作ったりしていたが、持統天皇7年(693)[11歳を重視すれば持統天皇6年(692)]にこの地を訪れた道昭が神童であることを見抜き、両親にその旨を伝えた。14歳[元和本・大谷寺本では11歳]の時に十一面観音の夢告を受け、越知峯の坂本の岩屋に通い、後年この峰に籠もって修行に励んだ。

]FIG]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2778] [CITE@ja[えちぜん年代記|越前町 織田文化歴史館]], [TIME[2023-05-23T01:54:30.000Z]], [TIME[2023-09-27T05:15:02.658Z]] <https://www.town.echizen.fukui.jp/otabunreki/panel/29.html#2-18>
]FIGCAPTION]

>
[B[第38回(2008.05) 堀大介]]
>
[B[大化元年(695) 泰澄の夢の中に、西方に住む高僧が現れる]]
> 泰澄の本師
> 『泰澄和尚伝記』によると、泰澄には、越知峰(越知山のこと)の方面に「本師」(師となる方)がいたように書かれています。持統天皇の大化元年、泰澄は14歳(11歳説もあり)のとき、八弁の蓮華の上に座る夢を見ました。[SNIP[]]
]FIG]

]REFS]

-*-*-

[74] 
これらの日付は[[九州王朝説]]でも都合よく結論ありきで解釈されて、
[[九州年号]]だということにされています。
それによると、

>九州王朝説に立った史料批判の結果として、「泰澄和尚傳」は九州年号が使用された原史料に基づいて泰澄の事績を記したか、平安時代10世紀(天徳元年、957年)の成立時に、『二中歴』「年代歴」などの九州年号史料を利用して、大和朝廷に年号が無かった700年以前の記事の年次を表記したものと思われます。いずれにしても「泰澄和尚傳」は平安時代10世紀に成立した九州年号史料であり、九州年号偽作説のように「鎌倉時代以後に次々と偽作された」とすることへの反証にもなる貴重な史料ということができるのです。

ということになっています。 [SRC[>>73]]

;; [78] 当然のように、先行研究の検討などは何も行われていません。
かどいって >>2 や >>6 にあるような基礎的な事実確認を自ら行っているわけでもありません。
「史料批判」といっていますが、[[九州王朝説]]と矛盾しない紀年を正しいと認定しただけです。

[75] 
[CITE[二中歷]]の成立時期は判明していませんが、[[鎌倉時代]]頃と考えられており、
その素材となった資料が12世紀の成立とされています。
[SEE[ [[二中歷]] ]]
10世紀に[CITE[二中歷]]などを使って編集されたということは、
[[九州王朝]]はタイムマシンを開発していたのでしょう。

;; [77] 
なぜ唐突に[CITE[二中歷]]が出てくるかというと、
[[九州王朝説]]の経典の1つになっているからです。
[SEE[ [[九州年号]] ]]
[[元号]]の正誤の判断は[CITE[二中歷]]で行われています。

;; [80] 
10世紀に成立したといっているのは、文中にそのような日付があるからです。
先行研究は疑いの目を向けつつも判断を確定させていないのですが、
ここでは特に検討もなく既定の事実と扱われています。


[76] 
[[朱鳥]]の[[元号名]]の欠落の可能性 (>>44)
を指摘した研究者はいなかったのではないかと思われるので、
その当否はともかく、問題提起自体は評価して良いでしょう
(結論ありきで当てはめた結果であろうとはいえ)。


[REFS[

- [72] 
[CITE@ja[第1068話 2015/10/03]], [TIME[2025-03-23T14:44:26.000Z]] <https://koganikki.furutasigaku.jp/koganikki/the-name-of-an-era-for-kyushu-dynasty/post-1808/>
- [73] 
[CITE@ja[第1069話 2015/10/04]], [TIME[2025-03-23T14:44:33.000Z]] <https://koganikki.furutasigaku.jp/koganikki/the-name-of-an-era-for-kyushu-dynasty/post-1810/>

]REFS]


-*-*-

[59] [[一百七十九萬二千四百七十餘歳]]も参照。

* 研究

[9] >>6

- [2] 
[CITE@ja-JP[[[日本古代史論集]] 上巻]], [[坂本太郎博士還暦記念会]], [TIME[1962]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T08:34:32.707Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2994725/1/296> (要登録)
-
[63] 
[CITE@ja-JP[若越郷土研究 8(1)(38)]], [[福井県郷土誌懇談会]], [TIME[1963-01]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T07:50:12.330Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6072789/1/8> (要登録)
-- [4] >>2 の要約紹介

[52] 
[CITE@ja-JP[福井県史 通史編 1 (原始・古代)]], [[福井県]], [TIME[1993.3][1993]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T13:12:45.879Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9540944/1/464> (要登録)


[5] [CITE@ja[『福井県史』通史編1 原始・古代]], [TIME[2019-04-19T02:32:03.000Z]], [TIME[2025-03-23T08:58:49.009Z]] <https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T1/6a7-02-03-01-01.htm>

* メモ

[1] [CITE@ja[泰澄 - Wikipedia]]
([TIME[2025-03-12T09:36:22.000Z]], [TIME[2025-03-23T08:34:21.204Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%B0%E6%BE%84>

