[8] 
[DFN[貞親]], [DFN[泰平]], [DFN[羕久]]は、
[[日本の異年号]]です。


* 用例

[36] 
明らかに[[貞観]]を意味して[[貞親]]と書かれた例がたまにあります。
検索で出てくるものの多くは[[OCR誤読]]で実際は[[貞観]]か[[貞觀]]と書かれていますが、
たまに本当に[[貞親]]と書かれています。


** 木地師文書

[37] 
[[木地師]]の家に伝わる縁起書・免許状で「貞観初暦」と書いて貞観元年を表したものがあります。
各地にいくつか残っているようです。それとほぼ同内容で、「貞親初暦」となっているものがあります。

[10] 
[[木地師]]の[[文書]]であり、[[惟喬親王]]云々の由緒が語られます。



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [22] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[福島県]][[耶麻郡]][[山都町]][[川入]]]] [[小椋哲雄]]家所蔵 文書]]
-- [38] 
[[平成の大合併]]により[[喜多方市]]
-- [16] [CITE(.label)[御縁起]]
--- [17] >>21 : [L[①]]
--- [7] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[貞親初暦乙卯三月五日]][SNIP[]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>21]]
--- [6] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[元慶戍甲歳]]御年五十三]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>21]]
--- [3] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[干時泰平二壬辰九月十二日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>21]]
--- [4] 
「[DATA(.text)[[V[文政十亥七月]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>21]]
--- [5] 
「[DATA(.text)[[V[明治十五年十月]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>21]]
-- [23] [CITE(.label)[近江國愛智郡小椋庄筒井轆轤師職頭之事]]
--- [27] >>21 : [L[⑤]]
--- [39] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[承平五年十一月九日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>21]]
-
[25] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[高岡郡]][[大野見村]][[下ル川]]]] [[小椋家]]所蔵 [[文書]]]]
-- [1] [[平成の大合併]]により[[中土佐町]]
-- [13] [DATA(.label)[其の一]]
--- [26] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]貞親初暦乙卯三月五日[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>24]]
--- [11] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[元慶三巳亥年]]御年三十三]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>24]]
--- [12] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[于時承久二庚辰九月十二日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>24]]
-- [14] [DATA(.label)[其の二]]
--- [15] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[承平五年十一月九日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>24]]
-
[28] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[滋賀県]][[東近江市]][[蛭谷町]]]] [CITE[御縁起]]]]
--
[29] 
「[SNIP[]][DATA(.text)[貞観初暦己卯三月五日]][SNIP[]]」 [SRC[>>18 ([CITE[永源寺町史]])]]
---
[30] 
[TIME(.value)[日本貞観元(859)年己卯3月5日][kyuureki:859-3-5]]
----
[31] 
[TIME[天安3(859)年4月15日][kyuureki:859-4-15]][[改元]] [[遡及年号]] -1月
-- [58] 
「[DATA(.text)[元慶三己亥]](つちのと・い)御歳三十三」 [SRC[>>18 ([CITE[永源寺町史]])]]
-
[59] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[滋賀県]][[東近江市]][[君ヶ畑町]]]] [CITE[御縁起]]]]
-- [60] 
「[SNIP[]][DATA(.text)[貞観十七乙未年三月五日]][SNIP[]]」 [SRC[>>18 ([CITE[永源寺町史]])]]
-- [61] 
「[DATA(.text)[元慶三年己亥十一月九日]]預定薨日[SNIP[]][DATA(.text)[寛平九年巳二月二十日]]安詳薨山住十又九年世寿五十四歳」
[SRC[>>18 ([CITE[永源寺町史]])]]
- 
[41] 
[CITE(.label)[[V[木地屋いわれ書]]]]
-- [48] >>337 : [L[1]]
--
[42] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]貞観初暦己卯三月五日[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>337]]
--
[46] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[元慶三己亥年]]御年三十三]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>337]]
--
[43] 
「[DATA(.text)[[V[干時羕久二庚辰年九月十二日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>337]]
--- [44] 
[TIME(,value)[承久2(1220)年庚辰][kyuureki:1220-09-12]]
- [51] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[大分県]][[南海部郡]][[宇目村]][[木浦内]][[字落水]]]] [[小椋隆]]家 [[文書]]]]
-- [55] [DATA(.label)[由来書]]
--- [52] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[貞観初暦己卯三月五日]][SNIP[]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>50]]
--- [53]  
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[元慶三己亥年]]御年三十三[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>50]]
---[54] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[干時承久二庚辰年九月十二日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>50]]
-- [56] [DATA(.label)[綸旨]]
--- [57] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[承平五年十一月九日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>50]]


]ITEMS]

;; [45] 
[[元号年]]と[[年の字]]の間に[[干支年]]を挟むのは[[近世]]頃の書き方
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]


[REFS[

- [24] 
[CITE@ja-JP[大野見村史]], [[大野見村史編纂委員会]], [TIME[1956]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-19T09:59:25.061Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3009170/1/89?keyword=%E8%B2%9E%E8%A6%B3+%E5%85%83%E6%85%B6+%E4%BA%8E%E6%99%82%E6%89%BF%E4%B9%85+%E6%89%BF%E5%B9%B3> (要登録)
- [337] 
[CITE@ja-JP[宗良親王信州大河原の三十年・東海信越南北朝編年史]], [[松尾四郎]], 
[V[発行  [TIME[昭和五十六年十二月][1981-12]]]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:42:52.271Z]],
[TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-19T10:15:01.860Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12270332/1/161?keyword=%E8%B2%9E%E8%A6%B3+%E5%85%83%E6%85%B6+%E5%B9%B2%E6%99%82> (要登録)
- [21] 
[CITE@ja-JP[山都町史 第3巻 (民俗編)]], [[山都町市編さん委員会]], [TIME[1986.12][1986]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-19T09:13:54.635Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643913/1/448?keyword=%E8%B2%9E%E8%A6%AA> (要登録)
- [19] 
[CITE[kc00708.pdf]], [TIME[2023-12-27T13:24:08.000Z]], [TIME[2023-12-27T14:07:34.892Z]]
<https://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=4996>
#page=1
-- [20] >>18 と同じと思われる蛭谷本[CITE[御縁起]]全文翻刻
-- [49] 消滅確認 [TIME[2026-08-19T10:18:21.500Z]]
-- [50] 
[CITE[Wayback Machine]], [TIME[2026-08-19T10:18:11.000Z]] <https://web.archive.org/web/20260510150326/http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=4996#page=1>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[18] 
[CITE@ja[滋賀報知新聞]], [[滋賀報知新聞社,The Shiga-hochi Shimbun Co.,Ltd.,Shiga Japan]], [TIME[2023-12-27T14:02:25.000Z]] <http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0028136>
]FIGCAPTION]

>[B[小椋谷に伝わる「惟喬親王御縁起」]]
>
2019年1月7日(月) |東近江・湖東 特集
>[SNIP[]]
>いっぽう、東近江市蛭谷町・君ヶ畑町には、惟喬親王は木椀やお盆などをつくる轆轤(ろくろ)の技術を考案した方としての話がつたわる。[SNIP[]]
>[SNIP[]]
>「御縁起」は、蛭谷町に一つ(漢文体一巻)、君ヶ畑町に三つ(漢文体一つ、和文体二つ)がつたわっている。
> これら「御縁起」の全文は、すべて『永源寺町史』「木地師編・下巻」に収録されている。
>[SNIP[]]
> まず、蛭谷につたわる「御縁起」(漢文体、約千百二十字)の冒頭部分を紹介する。
> 「抑、惟尊親王御位盛和天王奪取議宣親王鱗乱座宛迫身捨宣貞観初暦己卯三月五日階出白馬乗東路飛宣悉達太子壇徳(特)山飛宣不異」
> 以上であるが、読解が難しい。およその意訳を試みるとつぎのようになろう。
>「惟尊親王(「惟喬」)は盛和天王(清和天皇)により天皇の位を奪取された。親王は身を捨て給い貞観初暦(元年=八五九)己卯(つちのと・う)三月五日、都を出て白馬に乗り東路へと飛び給うたことは、悉達太子(シッダールタ=釈尊の俗名)が壇特山に飛び給うたことと異ならない。」 
>[SNIP[]]
> つぎに、君ヶ畑につたわる三つの「御縁起」のうち、漢文体(約千四百字)のものについて見てみよう。
> 「謹以 惟喬親王苟位于儲弐不屑世栄欲遁身於丘壑棲心于煙霞也為僧改名算延又名素覚学密教於宗叡受悉曇安然貞観十七乙未年三月五日出水無瀬宮乗白馬東向近江路是偏不異悉達太子脱珍御潜行於壇特山也」



]FIG]

]REFS]

** 近代の貞親

[34] 近代の[[明朝体]][[活字]]の出版物で「貞親」と書かれていることがたまにあります。例えば:

[REFS[

- [32] [CITE@ja-JP[石川県鹿島郡誌]], [[鹿島郡自治会]], [TIME[昭和3][1928]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-27T14:26:55.758Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1232332/1/1383>
左
- [33] [CITE@ja-JP[山陰の旅 : 山陰遊覧案内]], [[山陰の旅社]], [TIME[昭和5][1930]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-27T14:27:48.313Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1031181/1/36> (要登録)
右
- [35] [CITE@ja-JP[詳解紀伊郷土文献拾遺]], [[井上豊太郎 選]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-27T14:29:53.623Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1229173/1/76> (要登録)
左

]REFS]

[40] 
[[活字]]化の際の[[誤植]]の可能性も高いですが、原稿や原資料の時点で誤っていた可能性もないではありません。


* 諸説

[9] 
[[貞親]]は[[公年号]]にありませんが、他本との比較および[[惟喬親王]]関係であることから、
[[貞観]]の訛と思われます。


[47] 
[[羕久]]は、[[承久]]の[CH[承]]が[[異体字]][CH[羕]]で表記されたものです。
[CH[承]]は[CH[𣴎󠄃]]と表記されることが非常に多く、
[CH[羕]]はその表記の一変種との認識で書かれた可能性もあれば、
[[誤写]]・誤[[翻刻]]の可能性も否定できません。
いずれにせよ、[[承久]]の一表記であって、独自の[[元号]]ではありません。

[63] 
[[奥書]]が他本では承久二庚辰 / 羕久二庚辰であるところが、
>>22
では
'''泰平'''二'''壬'''辰となっています。
また、
他本では元慶三巳亥年であるところが、
>>22 では元慶'''戍甲'''歳となっています。
[[泰平]]は[[公年号]]に見当たりませんし、
[[元慶]]に戊申年はありません。

[64] 
伝写による誤りと片付けるのは簡単ですが、どのような過程 (偶発的変化、
善意による校訂、
作為による改竄)
でかかる異本が生じたのか、十分に考察する価値がありましょう。

[65] 
なお、
[[泰平]]は他にもありますが、いずれとも文脈が異なりすぎるため、
別個の[[元号]]と思われます。

;; [66] 
[[改元デマ]]の[[泰平]]が出現したのは承安2年壬辰ですが、
泰平元年壬辰であり、泰平二年壬辰と近いですが、一致しません。
>>16 は明治15年の日付があり、
[[改元デマ]]の[[泰平]]の知識を何らかの手段で得ていた者の「校訂」
の可能性を完全に排除し切れるものでもありませんが、
まだ近代的辞典類の出現前であり、その種の知識の普及には早すぎる感があります。
[SEE[ [[泰平]] ]]

* 研究史

[2] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。

[62] 
[[木地師]]文書としての紹介事例は全国にいくつもあるようですが、
全国規模で諸本の校合、系統分析などを試みた事例は見当たりません。

* 関連

[SEE[ [[初暦]] ]]

[SEE[ [[秘伝書の日時]] ]]

[SEE[ [[泰平 (改元デマ)]], [[泰平 (山口)]] ]]

[SEE[ [[万喜]] ]]

* メモ