[35] 
[[平安時代]]末期の[TIME[承安2(1172)年][year:1172]]、
[DFN[泰平]]や[DFN[万平]]に[[改元されるとの噂][改元デマ]]が[[京都]]にありました。
[SRC[[CITE[日本私年号の研究]] pp.四八〇-四八一]]

[214] 
現在知られている最古の[[改元デマ]]事案です。

* 元号名

[114] 
[[新字体]]は[[[L[万平]]]]、
[[旧字体]]は[DFN[[L[萬平󠄃]]]] [SRC[>>112]] です。

-*-*-

[88] 
[[新字体]]は[[[L[泰平]]]]、
[[旧字体]]は[DFN[[L[泰平󠄃]]]] [SRC[>>20]]
です。

[102] 
[[読み][元号名の読み方]]は
「たいへい」
[SRC[>>20]]
とされます。


* 用例

[148] 
2件の記録が現存します。

** [CITE[玉葉]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [94] [DATA(.label)[九条家本[CITE[玉葉]] 平成7年刊本]]
-- [105] 
[DATA(.label)[[TIME[承安2年閏12月10日甲戌][kyuureki:1172-12'-10]]条]]
「[V[十日、[LINES(smaller)[甲][戌、]]終日降雨、雷発[RUBY[拝、][〔声ィ〕]]、参女院御方、]]」
([[明朝体]]) [SRC[>>17]]
-- [SNIP[]]
-- [95] 
[DATA(.label)[[TIME[承安2年閏12月13日丁丑][kyuureki:1172-12'-13]]条]]
「[V[十三日、[LINES(smaller)[丁][丑、]]秉燭之後兼光来、余出逢、兼光仰下事等、[SNIP[]][BR[]]此外談雑事等、[BR[]][SNIP[]][BR[]]一、近日改元之由、[LINES(smaller)[万][平、]]天下風聞、其事之濫觴被尋問之処、余辺之云出云々、[RUBY[仍旨][〔此ィ〕]][BR[]]    親宗所語也云々、」[BR[]]余仰兼光事等、[BR[]][SNIP[]]]]」
([[明朝体]]) [SRC[>>17]]
- [140] 
[DATA(.label)[[CITE[国書刊行会]]本[CITE[玉葉]]]]
-- [141] 
「[V[一近󠄁日改元之由、[SUP(smaller inline)[萬平、]]天下風聞、其事之濫觴被[SUB(smaller)[二]]尋問[SUB(smaller)[一]][BR[]]之處、余邊之云出云々、此旨親宗所[SUB[レ]]語也、]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>139]]
- [98] 
[DATA(.label)[[CITE[武家時代之研究]]本[CITE[玉海︀摘要󠄃]]]]
-- [99] [[第一高等学校]]本[CITE[玉海︀]]を底本に九条家本[CITE[玉葉]]で校訂 [SRC[>>18 /282]]
-- [97] 
[DATA(.label)[[TIME[承安2年閏12月12日][kyuureki:1172-12'-12]]条]]
「[V[近󠄁日改元之由[SUP(smaller inline)[萬平]]天下風聞、]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>18]]
- [96] [CITE(.label)[訓読玉葉]]
-- [97] 
[DATA(.label)[[TIME[承安2年閏12月13日丁巳][kyuureki:1172-12'-13]]条]]
「[V[一近日改元の由 [WEAK(smaller)[(万平)]]、天下に風聞す。その事の濫觴尋ね[BR[]]問はるる処、余辺の云ひ出しと云々。この旨親宗語る所[BR[]]なり。]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>19]]

]ITEMS]

[149] 
[CITE[玉葉]]
は、
[[九条兼実]]
[WEAK[([TIME[久安5(1149)年][1149]]-[TIME[建永2(1207)年][1207]])]]
の[[日記]]です。
[TIME[長寛2(1164)年][1164]]から[TIME[正治2(1200)年][1200]]の記録があります。

[150] 
[[著者]]の[[九条兼実]]は、当時は[[右大臣]]で、[[朝廷]]でもトップクラスの地位にありましたが、
[[後白河法皇]]と[[平清盛]]の権勢の盛んな時期であり、政治的影響力は限定的だったとされます。

[151] 
文中で話し相手として登場する[[日野兼光]]
[WEAK[([TIME[久安元(1145)年][1145]]-[TIME[建久7(1196)年][1196]])]]
は、
[[朝廷]]の実務官僚として[[後白河法皇]], [[平氏]], [[九条兼実]]らに重用されたといいます。
当時は[[左少弁]]でした。

[152] 
話の中に出てくる[[平親宗]]
[WEAK[([TIME[天養元(1144)年][1144]]-[TIME[正治元(1199)年][1199]])]]
は、
[[院近臣]]として[[後白河法皇]]に仕え、
[[平家都落ち]]の後も[[京都]]で地位を保ちました。
当時は[[右少弁]]でした。



[REFS[

- [139] 
[CITE@ja-JP[玉葉 第一]], [[藤原兼実]], [TIME[明治39][1906]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T05:07:18.777Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1920187/1/144?keyword=%E4%B8%87%E5%B9%B3>
-- [142] 
[CITE@ja-JP[玉葉 上巻]], [[藤原兼実]], [TIME[1966]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T05:11:19.059Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2991064/1/142?keyword=%E4%B8%87%E5%B9%B3> (要登録)
-- [143] 
[CITE@ja-JP[玉葉 第1]], [[藤原兼実]], [TIME[1971]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T05:11:45.399Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12227828/1/144?keyword=%E4%B8%87%E5%B9%B3> (要登録)
-
[18] [CITE@ja-JP[武家時代之研究 第2巻]], [[大森金五郎]], [TIME[昭和2-4][1929]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T04:47:09.652Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1225644/1/294?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)
-
[19] [CITE@ja-JP[訓読玉葉 第1巻 (巻第1~巻第11)]], [[九条兼実 '''['''原著''']''', 高橋貞一]], [TIME[1988.7][1988]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T05:00:49.483Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13227779/1/184?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)
-
[17] [CITE@ja-JP[九条家本玉葉 2]], [[九条兼実]], [TIME[1995.3][1995]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-09T10:50:22.744Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13197946/1/90?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

]REFS]



** [CITE[百練抄]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [120] [DATA(.label)[[CITE[国史大系]]本[CITE[百練抄]]]]
-- [121] 
[DATA(.label)[承安2年]]
「[V[閏十二月十日。申尅有雷鳴二聲。◎近日。諸國[BR[]]稱有改元之由。公家被誡仰。[LINES(smaller)[其號泰平󠄃][元年云々。]]]]」
([[明朝体]]) [SRC[>>119]]
- [90] [DATA(.label)[[[国立公文書館]]本[CITE[百練抄]]写本]]
-- [91] 
[DATA(.label)[承安2年]]
「[V[閏十二月十日申尅雷鳴有二声  近日諸国祚󠄂有防元之由公家被誠仰[LINES(smaller)[共号泰平][元年云々]]]]」
[SRC[>>89]]
- [104] 
[DATA(.label)[[CITE[古事類苑全文データベース]]本[CITE[古事類苑]]所引[CITE[百練抄]]]]
「承安二年閏十二月、近日諸國稱下有[SUB[二]]改元[SUB[一]]之由上、公家被[SUB[二]]誡仰[SUB[一]]、〈其號泰平(○○)元年云々〉」
[SRC[>>4]]
- [107] 
[DATA(.label)[[CITE[SuikaWiki]]本[CITE[異年号考]]所引[CITE[百練抄]]]]
「[V[承安二年壬辰十二月、 近日諸國搆者改元之由公家被[SUB(smaller)[二]]誡作[SUB(smaller)[一]]。 [WEAK(smaller)[其號「泰平之年」云々。]]]]」
[SRC[>>106]]
- [109] 
[DATA(.label)[[CITE[SuikaWiki]]本[CITE[偽年号考]][CSECTION[附言]]所引[CITE[百練抄]] 承安二年閏十二月条]]
「[V[近日諸國称[SUB(smaller)[下]]有[SUB(smaller)[レ]]改元[SUB(smaller)[一]]之由[SUB(smaller)[上]]、公家被[SUB(smaller)[二]]誡仰[SUB(smaller)[一]]、[WEAK(smaller)[其号「泰平元年」云々]]]]」
[SRC[>>108]]


]ITEMS]


[153] 
[CITE[百錬抄]]
は、
[[鎌倉時代]]後期頃成立とみられる史書です。
[[公家]]の日記などを素材に編纂されています。

[154] 
当条の出典となった原資料は見つかっていません。

[198] 
[CITE[異年号考]]
は、
質の悪い写本しか入手できなかったと断りながら引いています (>>82)。

[REFS[

- [89] 
[CITE@ja[NAJDA-138-0015_百練抄5.pdf]], [TIME[2020-09-30T02:44:45.000Z]], [TIME[2026-08-19T06:39:46.712Z]] <https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/NAJDA-138-0015_%E7%99%BE%E7%B7%B4%E6%8A%845.pdf#page=11>
- [119] 
[CITE@ja-JP[国史大系 第11巻]], [[黒板勝美]], [TIME[昭和6 再版][1931]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:37:35.421Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3431623/1/217?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3+%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

]REFS]

* 諸説


[157] 
当事件については、
[CITE[玉葉]]
と
[CITE[百錬抄]]
の2系統の記録があります。
以後の史書等には、これらと微妙に異なる表現や出典を明示しない記述もあるものの、
両者から大きく離れるものではなく、根本的にこの2書から派生したものと推測できます。

[158] 
[CITE[玉葉]]
と
[CITE[百錬抄]]
の両記事の関係を議論したものは見当たりません。
[CITE[百錬抄]]
は諸日記から取材しており、[CITE[玉葉]]が当該記事の出典である可能性は否定しきれません。

[159] そこで両者を比較すると、

,* [CITE[玉葉]]     ,* [CITE[百錬抄]]
,(10日) 終日降雨、雷発拝  , 申尅有雷鳴二聲
,  13日             , 10日
,  濫觴被尋問       , 公家被誡仰
,   万平            , 泰平

... と、微妙な内容の差異があります。どちらも10日には雷の記事がありますが、
その内容にも違いがあります。また、[CITE[玉葉]]は10日雷記事と
13日[[改元デマ]]記事の間に色々な記述がありますが、
[CITE[百錬抄]]にはそれがありません。

[160] 
この両者に直接的な関係があると認定することは難しく、
一応両者は独立の原資料から派生した可能性が高いと考えるのがよさそうに思われます。

[161] 
此れら以外の史料は報告されていません。[[万平]]ないし[[泰平]]が実用されたことを実証する史料は、
現在のところ皆無です。


** 元号名

[162] 
[[元号名]]を[CITE[玉葉]]は[[万平]] / [[萬平]]、
[CITE[百錬抄]]は[[泰平]]としています。

[163] 
どちらも[CH[平]]こそ共通ですが、[CH[万]]/[CH[萬]]と[CH[泰]]は[[音]]も[[字形]]も似ていません。

[164] 
[CITE[玉葉]]/[CITE[百錬抄]]とも同時期に掛けた記事であり、
同一系統の風聞に属するものと考えられますが、
どちらか一方が正しいのか、どちらの噂もあったのか不明であり、
どちらの噂があったとしても、原形がどちらだったのかも不明であります (>>70)。

[165] 
仮に一方のみが正しいとすると、
[CITE[百錬抄]]は後世の編纂、[CITE[玉葉]]は要人の[[日記]]であり、[[万平]]が確実
(原形に近かろう) と考えられています (>>40)。

[166] 
ただ、[[万平]]は市井で直接噂に触れた者の記録でなく[[朝廷]]の上層部まで上がってきた情報の記録であります。
[CITE[百錬抄]]の情報源は不明ながら、[[九条兼実]]よりは下級の貴族の日記と想定されますから、
より生の風聞に近い位置で記録されたと考えることもでき、
その場合[[泰平]]の方が原形に近い可能性はあります。

** 時空間的分布

[167] 
[CITE[玉葉]]
の記事は、
[[平親宗]]が語ったものを、
[[日野兼光]]が伝え、
[[九条兼実]]が書き記したものです。
この3人はいずれも当時[[朝廷]]の幹部であり、
[[京都]]で職務に従事していたと考えられます。

[168] 
[CITE[百錬抄]]
の記事は、
その原資料の著者は不明ですが、
[[公家]]の日記でしょうから、
やはり[[京都]]で記録されたと考えられます。

[189] 
[CITE[玉葉]]
には
「天下風聞」、
[CITE[百錬抄]]
には
「諸国」
とあります。
おそらくこれらに由来し、諸国で流言があったと説明されています。

[169] 
ただし、ここでの「天下」「諸国」について、
具体的な範囲や情報源が明記されているわけではありません。
諸国から報告が上がってきていた、
という可能性がないともいえませんが、その証拠となる史料はありません。

[190] 
「天下」「諸国」はあちこちから情報が聞こえてくる、という程度のニュアンスとも考えられ、
一応現状では保守的に[[京都]]近辺に噂があった、と理解しておくのが良いでしょう。

[191] 
[[伊勢外宮]]を含む[[京都]]近辺とする説 (>>74) もありますが、
これは[[伊勢神宮]]から報告のあった[[怪異]]の件 (>>47)
と結び付けての推測と考えられます。
[[伊勢神宮]]もこの噂の流通範囲と考えるべき確証があるわけではありません。

-*-*-

[170] 
[CITE[玉葉]]は承安2年閏12月13日条に記事を掛けていますが、
[[日野兼光]]から情報を得た日付であり、実際に噂が流れ始めたのはこれよりもずっと前となります。

[171] 
[CITE[百錬抄]]は承安2年閏12月10日条に記事を掛けていますが、
「近日」としており、しかも「被誡仰」としており、10日に「被誡仰」
があったと取れます。だとすると、実際に噂が流れていたのはそれよりも前で、
無視できない規模になって10日に「被誡仰」したことになります。

[172] 
いつから噂が流れたのかはこれらの史料からは決められませんが、
おそらく閏12月か12月頃で、どんなに長くても数ヶ月以上前からではないでしょう。

** 事実関係

[176] 
この時期、実際には[[公年号]]の[[改元]]は行われていません。
[[改元]]が必ず行われるべき事情 ([[代始改元]]など) もありません。

[177] 
[[改元]]に向けた動き自体はあったのではないかと考える向きもあります (>>59)。
しかし、それを裏付ける記録は見つかっていません。

[178] 
通例、[[改元手続き]]は、概略、

= [199] [[改元]]を実施することを決め、
= [200] 次に[[改元日]]を決め、
= [201] [[改元日]]に[[改元定]]で[[元号名]]を選定し、
= [202] 勅裁を得て正式決定する、

... という手順を進みます。つまり、[[元号名]]が決まっているのは最終段階です。
決定した[[元号名]]の情報が出ているのに、
[[朝廷]]の人々が[[改元]]の実施を知らない、というのは有り得ないことです。

[203] 
[CITE[玉葉]]をはじめ当時の[[公家]]の記録が多く残っているこの時代に、
本来進んでいた[[改元手続き]]の記録が丸々抜け落ちて現存しない、
というのも考えにくいことです。

[179] 
[[院政]]/[[平氏政権]]の時代も正式な[[改元手続き]]が[[天皇]]の[[朝廷]]で進められることには変わりなく、
もし本当に[[改元]]の準備が進められていたなら、
[CITE[玉葉]]の著者の[[九条兼実]]が把握していないはずがありません。

[187] 
しかも[[朝廷]]本体ではなく[[後白河法皇]]や[[平氏]]の側で[[改元]]の機運が高まっていたとすると、
そちらサイドに属していた[[平親宗]]が知らないはずがありません。

-*-*-

[173] 
[CITE[百錬抄]]は10日条で「公家被誡仰」とします。
その「誡」の具体的内容、相手方の範囲、処分の強さは不明ですが、
[[朝廷]]は

- [204] 改元情報を虚偽であると否定し、
- [205] 虚偽の改元情報の流布の禁止、
- [206] あるいは偽の[[元号]]の利用の禁止、

... を各位に指示したと理解できます。具体的に誰の決裁で処分が行われたのかも不明瞭です。

[174] 
[CITE[玉葉]]は13日条で[[改元デマ]]を[[日野兼光]]からの伝聞として記録していますが、
[[改元デマ]]への対処を協議したわけではなさそうです。
[[九条兼実]]はこの処分に関与していなそうに読めます。

[218] 
また、[CITE[大日本史]]など[[近世]]・[[近代]]の文献は、
かなり厳しく禁止処分が下ったように読める書き方をしていますが、
史料上はそうとも断定できないことに注意が必要です。
[[九条兼実]]が知らない、[CITE[玉葉]]に記載しない程度で処理された事案です。

[175] 
[CITE[玉葉]]には「濫觴被尋問」とあり、
[[改元デマ]]の流布元に興味が向いていたことがわかりますが、
[[朝廷]]として組織的に調査していたのか、
[[公家]]の中で話題になっていただけなのか曖昧で、どちらかといえば後者に感じられます。
[[九条兼実]]の名が上がったものの、 
([[九条兼実]]寄りの立場とみられる[[日野兼光]]から間接的に知らされただけで)
事情聴取されているわけでもなさそうです。
(といっても本当に[[九条兼実]]が黒幕だった場合、これを公然と糾弾できる立場のものはそれほど多くなさそうですが。)

-*-*-

[207] 
[CITE[玉葉]], [CITE[百練抄]]とも、「改元がこれからある」という風聞なのか、
「改元が既になされた」という風聞なのか、必ずしも明確ではありません。

[208] 他の[[改元デマ]]の事例から考えても、そもそもデマとして流布される状態で、
どちらか明瞭でない表現の可能性もあります。

[209] 
「改元が既になされた」ないし「ただちに改元が施行されるところである」
と受信者が理解したなら、新元号を実用した者もいたかもしれません。
しかし、現在それを確認できる史料は知られていません。

[210] 
[[朝廷]]が「誡」したのも改元情報の流布に対してなのか、偽新元号の実利用に対してなのか不明瞭です
(>>173)。

[211] 
諸解説の中には、[[私年号]]であるとか、
一部で利用されたものであるような書き方をしているものが見られますが、
独自の根拠があるようには見えません。

** 発生源と発生理由

[180] 
[[改元デマ]]の発生源は不明です。

[181] 
現存する記録は[[京都]]のものと推測され (>>169)、その他の地域には記録がありません。
[[京都]]が発生地である可能性は高いですが、それ以外の可能性を排除できる史料的根拠はありません。

[192] 
[[京都]] (またはその周辺) のどのような人々の間で流通していたのかは定かではありません。

[193] 
民間、と説明するものもありますが、2史料に明確にそのような表現があるわけではありません。

[194] 
やがてそれが[[朝廷]]に到達したのか、はじめから[[公家]]の中で流れた噂だったのかは不明ですが、
ともかく[[公家]]の間で話題となりました。
[CITE[玉葉]]は[[九条兼実]]が発信源と疑われていたとしていますが、
[[九条兼実]]がこの噂を流せる、流しそうだ、と感じた (感じられる人脈知識を持つ) 人達がいた、
そういう人達が出てくるような流布の態様だった、と言うことは出来ます。


[195] 
逆にいえば、[[九条兼実]]が発信源でもおかしくない形で情報が回っていたのであり、
例えば遠方の国からはるばる伝わってきた怪情報、のような形ではありませんでした。

-*-*-

[182] 
[CITE[玉葉]]によると、当時の人々は[[九条兼実]]を発信源と疑ったようです。
その根拠までは不明ですが、
[[院政]]・[[平氏政権]]下で[[九条兼実]]は[[朝廷]]の高い地位にあるにも関わらず冷遇されており、
それに不満を持って噂を流したとでも思われていたのでしょうか。

[183] 
[CITE[玉葉]]はそれに対する釈明も何も記載しておらず真偽不明、と説明されることがあります。
確かにその通りで、正確な説明ではあるのですが、わざわざ記録に残さないという選択もできる中で、
聞いたまま書き残したのは、後ろめたいことがなかった、という解釈も可能です。

[212] 
当時の政界の力学をよく理解するためにも興味深い史料のはずですが、
これを使った議論はあまり見かけません。

-*-*-

[185] 
[[近世]]の[CITE[異年号考]]は、
[[弥勒]]と[[泰平]]が[[平氏政権]]への人々の不満から生じた、
とする説を提起しました。

[213] 
ただし、[[弥勒]]を[[承安]]年間の[[私年号]]とする説は現在では成立しないと考えられています。
[SEE[ [[弥勒]] ]]
また、[[平氏政権]]への不満が蓄積してゆく時代背景はあるとしても、
それが[[私年号]]の発生に結びつくか、には疑問もあるところです。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[186] 
[[昭和時代]]の[[久保常晴]]は、
この年、[[伊勢神宮]]等からの[[怪異]]の報告が相次ぎ、
[CITE[玉葉]]記事当日もその対処が協議されていることに着目し、
これによって[[改元]]の動きが発生したと考えています。 (>>57)
しかしながら、実際には[[九条兼実]]周辺で[[改元手続き]]は進められていないのであり、
ありもしない[[改元]]の理由を推測しても意味はないでしょう。何を意図した考察かよくわかりません。

[217] 
[[近世]]の[CITE[偽年号考]]も、[[改元に向けた動きはあったが実施に至らなかった][未成改元]]と考えました
(>>103)。その理由は明記されておらず、[[火のないところに煙は立たない]]との暗黙の前提によるのでしょうか。

[188] 
当時の[[公家]]や民衆の間で、
[[怪異]]が続く時[[改元するべきだとの共通認識][改元待望]]があったとすれば、
それが[[改元]]の風聞が生じる根拠・素地となることはあり得ます。
これについてはよく検討する必要があるでしょう。


** 位置付け

[215] 
[[近代]]以来の多くの[[年表]]類等が[[泰平]] (や[[万平]]) を[[私年号]]と扱ってきました。

[6] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]ではこれら2つを[[私年号的諸資料]]として立項し、
従来[[私年号]]と目されてきたものの、[[私年号]]ではないとしています。

[8] 
[CITE[板碑とその時代]]は[CITE[日本私年号の研究]]を参照しながら、
[[泰平]]を承安2年の[[私年号]]としています。一覧表のみで理由は記載なく不明です。


[2] 
[CITE[Wikipedia]]
は括弧付きながら[[私年号]]の一覧に掲載しています。
風説と注記されてはいます。
[SRC[>>1]]

[3] 
実用例が確認されておらず、[[私年号]]とする根拠は明らかではありません。
現段階では[[改元デマ]]としかいえません。

[15] 
>>3 これなのですが、研究史を遡ってみた結果、
[[近世]]のまだ研究が始まったばかりの頃、[[公年号]]以外のものが雑多に一括りにされていたものが[[異年号]]とか[[逸年号]]とか呼ばれていて、
それが[[近代]]に入るとそのまま[[異年号]]や[[私年号]]と呼ばれる括りになって、
[[昭和]]の頃に[[私年号]]と呼ばれるようになった経緯があるみたいです。

[216] 
[CITE[日本私年号の研究]]が指摘した通り、
実用されたことが確認されていない以上、
[[公年号]]であるとも[[私年号]]であるともいうことはできません。
[[私年号]]とは別個の1つの[[改元デマ]]と扱うのがよいでしょう。

* 研究史

** 中世

[155] 
[TIME[承安2(1172)年][1172]]、
[[九条兼実]]は、
入手した[[万平]]なる[[改元デマ]]の情報を自身の日記
[CITE[玉葉]]
に記録しました (>>94)。
現在確認されている唯一の同時代記録であり、
最古の (嫌疑を受けているとはいえ一応) 第三者的な立場からの記録です。

[156] 
[[鎌倉時代]]後期頃の史書
[CITE[百錬抄]]
は、
何らかの情報源から[[泰平]]の[[改元デマ]]の記事を採録しました (>>120)。


** 近世

[123] 
[TIME[寛文10(1670)年][1670]]成立の[[江戸幕府]]の史書
[CITE[本朝通鑑]]
は、
承安2年閏[12]月是月条で、
「民間訛言。改元泰平󠄃元年。降令禁止之。」
と書いています。
[SRC[>>122]]

[197] 
明記されていませんが、
[CITE[百練抄]]
が出典と思われます。

[REFS[

-
[122] 
[CITE@ja-JP[本朝通鑑 第8]], [[林恕 撰]], [TIME[大正7-9][1920]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:41:28.397Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/945848/1/69?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3>

]REFS]

-*-*-

[81] 
文化元年序の
[CITE[異年號考]]
は、
[CITE[百練抄]]
からの引用で[[泰平]]を掲載しています。
[SRC[>>14]]

[82] 
ただし、[CITE[異年號考]]注釈を「泰平之年」とするなど品質の悪い異本を著者が所蔵していたところに基づいていたようであり、
「泰平元年」の誤りと考えられるとし、良い本を入手して考える必要があると書いています。
[SRC[>>14]]

[184] 
[CITE[異年号考]]は[[弥勒]]の検討の中でも[[泰平]]の事例を引いています。
[SEE[ [[弥勒]] ]]

[196] 
本書は、[[私年号研究]]分野で取り扱った現在知られている最古の事例です。


[REFS[

- [14] 
[CITE[異年号考]]
-- [106] 
[[[CITE[異年号考]]本文]]

]REFS]


[5] 
[[天保]]時代の
[CITE[紀伊国名所図会]]
は、
[[和勝]]の考察で[[泰平]]の事例を引いています。
[SEE[ [[和勝]] ]]

[103] 
天保10年の [CITE[偽年号考]][CSECTION[附言]]
は、
[CITE[百練抄]]
からの引用で[[泰平]]を掲載しています。
「泰平元年」
と引いており、
このときは[[改元]]の議論だけがあって、そのことが公にならないまま、
沙汰止みとなったのだろう、
と推測しています。
[SRC[>>21]]

[REFS[

- [21] [CITE[偽年号考]]
-- [108] [[[CITE[偽年号考]]本文]]

]REFS]


[1927] 
[[伴信友]]は、
[[妖僞年號]]の一例として、
[CITE[百練抄]]
承安二年壬辰十二月の條に
「近日諸國稱有改元之由、公家被誡仰、其號泰平元年云々」
とあるのを引きました。
[SRC[>>1731]]

[REFS[
- [1731] [CITE[[[年号の論]]]]
-- [135] 
[CITE@ja-JP[伴信友全集 第4]], [[国書刊行会]], [TIME[明治40][1907]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T05:01:10.151Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/991315/1/304?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3>

]REFS]



[83] 
[[明治時代]]の
[CITE[逸年号考]]
は、
[CITE[百練抄]]
からの引用で[[泰平]]を掲載しています。
「泰平元年」
と引いており、
[[泰平]]と[[改元すると諸国に訛言があった][改元デマ]]とを言っているのだろう、
としています。
[SRC[>>22]]

[REFS[

- [22] 
[CITE[[[逸年号考]]]]
-- [136] 
[CITE@ja-JP[日本社会事彙 下巻]], [[経済雑誌社]], [TIME[明34,35][1902]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T05:01:37.056Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/898059/1/570?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3>

]REFS]

[86] 
[[明治時代]]の[[類書]]
[CITE[古事類苑]]
は、
[[逸年号]]の部に
[CITE[百練抄]]
該当条を引いています。
[SRC[>>4]]

[REFS[

- [4] 
[CITE[歳時部/年號下〈逸年號併入〉 - Kojiruien]], [TIME[2020-05-29 17:55:30 +09:00]] <http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php?%E6%AD%B3%E6%99%82%E9%83%A8/%E5%B9%B4%E8%99%9F%E4%B8%8B%E3%80%88%E9%80%B8%E5%B9%B4%E8%99%9F%E4%BD%B5%E5%85%A5%E3%80%89#content_1_327>

]REFS]

[116] 
[[近世]]に編纂が開始され[[明治時代]]に完成した史書
[CITE[大日本史]]
は、
承安2年閏[12]月是月条に、
[CITE[百錬鈔]]
を出典に、
「諸国訛言、改元泰平󠄃、敕禁遏之」
と書いています。
[SRC[>>115]]

[129] 
[[明治時代]]の史書
[CITE[皇朝編年史]]
は、
承安2年閏[12]月是月条に、
「諸国訛言、改元泰平󠄃、敕禁遏之」
と書いています。
[SRC[>>128]]

[REFS[

- [115] 
[CITE@ja-JP[大日本史 第6冊 巻46−52 本紀]], [[源光圀, 源綱条 校, 源治保 重校]], [TIME[明33][1900]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:28:12.659Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/770028/1/50?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3>
-- [130] 
[CITE@ja-JP[譯註大日本史 2]], [[建國記念事業協會]], [TIME[1946]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:53:11.290Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8795481/1/111?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3> (要登録)
- [128] 
[CITE@ja-JP[皇朝編年史 巻之3]], [[岡谷繁実]], [TIME[明33-42][1909]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:51:06.987Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/769203/1/261?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3>


]REFS]

** 近代

[138] 
[[大正時代]]の
[CITE[史料綜覧]]
は、
承安2年閏12月13日条で、
是ヨリ先に諸国流言で[[[L[萬平󠄃]]]]と[[改元]]されたとのことで、
令してこれを誡諭した、
と書いて[CITE[玉葉]]と[CITE[百錬抄]]を典拠としています。
[SRC[>>137]]


[118] 
昭和元年の[[年代記]]は、
承安2年是年条に、
[[泰平󠄃]]と改元の流言があり、
閏12月に勅してこれを禁止した、
と書いています。
[SRC[>>117]]


[87] 
昭和8年の年表は、
承安2年の[[私年號]]として[[泰平󠄃]]元を掲載しています。
[SRC[>>7]]

[113] 
[TIME[昭和17(1942)年][1952]]の年表は、
[CITE[玉葉]]と[CITE[百練抄]]を出典に、
承安2年閏12月13日、
諸国に[[[L[萬平󠄃]]]] ([[[L[泰平󠄃]]]])
と[[改元]]したとの流言があり、
令してこれを誡諭した、
と書いています。
[SRC[>>112]]

[125] 
[TIME[昭和30(1955)年][1955]]の年表は、
承安2年この年条に[[[L[萬平󠄃]]]]
([[[L[泰平󠄃]]]]とも) 
と[[改元]]したとの噂が広まったとし、
[[元号]]の欄に[L[泰平󠄃1]]を併記しています。
巻末索引[CSECTION[[L[タ]]]]欄に、
[L[泰平󠄃と改元の流言]]を掲載しています。
[SRC[>>124]]

[111] 
[TIME[昭和37(1962)年][1962]]の論文は、
[[日本の元号]]の概略をまとめたものですが、
[[偽年号]]・[[逸年号]]を列挙する中で、
[CITE[百練抄]]
を引いて、
承安2年に泰平元年があったことは明らかだと述べています。
[SRC[>>110]]

[127] 
[TIME[昭和37(1962)年][1962]]の年表は、
承安2年条の[[元号]]の欄に[L[泰平1]]を併記しています。
[SRC[>>126]]

[REFS[

- [137] 
[CITE@ja-JP[史料綜覧 巻3]], [[東京帝国大学文学部史料編纂掛]], [TIME[大正12-15][1926]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T05:04:13.853Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/932104/1/264?keyword=%E4%B8%87%E5%B9%B3>
- [117] 
[CITE@ja-JP[丹後史料叢書 第3輯]], [[丹後史料叢書刊行会]], [TIME[昭和2][1927]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:32:58.048Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1175339/1/146?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3>
-
[7] [CITE@ja-JP[読史備要]], [[東京帝国大学史料編纂所]], [TIME[1933]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T09:11:25.486Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3430740/1/113> (要登録)
- [112] 
[CITE@ja-JP[大日本年表]], [[辻善之助]], [TIME[1942]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:23:41.547Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3440522/1/145?page=right&keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3+%E8%90%AC%E5%B9%B3>
- [124] 
[CITE@ja-JP[新日本史年表]], [[西岡虎之助]], [TIME[1955]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:44:46.185Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998385/1/73?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3+%E4%B8%87%E5%B9%B3> (要登録)
- [110] 
[CITE@ja-JP[石田・和田・竜・山中四先生頌寿記念史学論文集]], [[頌寿記念論文集刊行委員会]], [TIME[1962]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:17:41.862Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3006676/1/239?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3> (要登録)
- [126] 
[CITE@ja-JP[日本歴史年表]], [[日本歴史大辞典編集委員会]], [TIME[1962]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:48:48.773Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3007250/1/66> (要登録)

]REFS]

** 久保常晴

[61] 
昭和39年の[[久保常晴]]の論文は、
[[私年号]]の1つとして[[泰平]]を掲載し、
次のように述べています。
[SRC[>>60]]

- [62] [CITE[百練抄]]
-- [63] 承安2年に[[泰平]]に[[改元]]する風説の旨
- [64] 実用資料は未発見
- [65] 使用を公家に誡められたためか

[66] 
また、[[私年号]]の1つとして[[万平]]を掲載し、
次のように述べています。
[SRC[>>60]]

- [67] [CITE[玉葉]]
-- [68] [[万平]]に[[改元]]される由
- [69] [[泰平]]と同時で、同一のものだろうが、
-- [70] [[泰平]]か[[万平]]か、噂ゆえ、あるいは両者が巷間云々されていたか、不明
-- [71] [CITE[百練抄]]は編纂物、[CITE[玉葉]]は典故に通じ政治的要人の[[藤原兼実]]の日記、[[万平]]により確実性
- [72] 辞典・年表の多くは[[泰平]]のみ
-- [73] [[万平]]は[CITE[大日本年表]]のみ
- (>>41 とほぼ同内容)
- [74] 地域的には[[伊勢外宮]]を含み、[[京都]]ないしその付近に発生したのだろう
-- [75] 単に噂であり、唱えた人々の身分は知り得ない
- [79] 使用: 無
- [77] [[公家的]]名称か否か: 公
- [78] 仏教的色彩: 無
- [76] [[私年号]]か[[異年号]]か: 空欄
- [80] 噂に過ぎず、[[私年号]]から除かねばならない

[26] 昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
[SRC[>>25]]

- [27] 従来[[私年号]]と目されてきた
-- [28] [[泰平]]は多くの辞典・年表類
-- [29] [[万平]]は[CITE[大日本年表]]のみ
- [30] [CITE[[[百練抄]] 八]] 高倉の条
-- [31] 承安2年[[泰平]]改元の風説
- [32] [[泰平]]が実際使用されている資料は未発見
-- [33] [[公家]]に使用を誡められた結果、噂のみに終わったか
- [34] [CITE[[[玉葉]]]] 承安2年閏12月13日条
-- [36] [[万平]]に[[改元]]される由
- [37] 共に承安2年閏12月, 3日違い
-- [38] 同時に出た噂と思われる
-- [39] もともと別名だったかいずれかが誤り伝えたか速断しがたい
-- [40] 誤りとすれば、[CITE[百練抄]]は編纂物、[CITE[玉葉]]は典故に通じ政治的要人の[[藤原兼実]]の日記、[[万平]]により確実性
- [41] 承安2年後半
-- [42] [[代始]]でも[[甲子]]・[[辛酉]]でもない、天変以下諸例は?
-- [43] [CITE[百練抄]]によると
--- [44] [[三合]]の噂があったが、天文の司が否定
---- [45] [[三合]]による[[改元]]とは考えられない
--- [46] 8月13日、12月27日 : 世間不静の理由に該当しようが、これだけでそう決定できない
-- [47] [CITE[玉葉]]によると
--- [48] 6月9日 [[多武峯]][[大織冠]]像破裂記事、
--- [49] 7月15日 [[多武峯]]怪異、
--- [50] 10月[[神宮]]怪異、
--- [51] 11月[[右大臣]][[藤原兼実]]が[[神宮]]の猿怪を卜うことを弁官に沙汰、
--- [52] 11月19日伊勢神主が牝鶏の怪を告ぐ、
--- [53] 12月8日 伊勢大神宮の屋根の檜皮を烏が抜き取る、豊受大神宮死穢と月宮で牝鶏晨を告ぐ、
--- [54] 閏12月8・9日荒祭宮怪異、
--- [55] 13日[[藤原兼光]]が[[藤原兼実]]を訪問して怪異対処など論議し、その終わりに改元の噂の記述
-- [56] [[天徳]], [[天喜]]の2例のみだが、
-- [57] 日時の近接する怪異による改元の動きの発生と考えられる
- [58] [[公年号]]の[[改元]]の噂であり、正式な[[改元]]に至らなかったもので、
[[公年号]]でも[[私年号]]でもない


;; [59] どうやら[[公年号]]としての[[改元]]の動き自体は真実と理解しているような書かれ方をしています。


[REFS[

- [60] [CITE[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]]
- [24] [CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [25] 
pp.[V[四八〇]]-[V[四八三]]

]REFS]

** 昭和時代後期


[9] 
[TIME[昭和55(1980)年][1980]]の年表は、
承安2年閏12月13日条に次のように記述しています。
[SRC[>>16]]

- [10] 諸国に[[泰平]]と[[改元]]したとの流言があり、これを戒める [SRC[[CITE[百練抄]]]]
- [11] [[藤原兼実]][CITE[玉葉]]承安2年閏12月13日条には[[万平]]とある
-- [12] どちらか、あるいは両方いわれたのか、不明
-- [13] [[万平]]と[[改元]]の風聞があり、[[公家]]で濫觴 = 出所が話題に
--- [23] 「余辺之云出ト云々」 = [[藤原兼実]]がいいだしたと考えられていた
--- [92] [[藤原兼実]]は弁明しておらず、真偽不明
- [93] この経緯から、[[私年号]]とするのは正しい理解ではないと思われる

[101] 
[TIME[昭和60(1985)年][1985]]の
[CITE[日本歴史大辞典]]
は、
[CITE[百練抄]]記事を引きつつも、その内容は解説せず、
[TIME[承安2(1172)年][1172]]に相当する[[平安時代]]末期に使われた[[私年号]]としています。
[SRC[>>20]]

[REFS[

- [16] 
[CITE@ja-JP[年表日本歴史 2]], [[井上光貞 '''['''ほか''']'''編集]], [TIME[1980.9][1980]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-19T14:26:13.331Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12195207/1/100?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3+%E4%B8%87%E5%B9%B3> (要登録)
- [20] 
[CITE@ja-JP[日本歴史大辞典 第6巻 (すーち)]], [[日本歴史大辞典編集委員会]], [TIME[1985.7][1985]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-18T15:25:53.158Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12192186/1/209?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

]REFS]

** 平成時代

[132] 
[TIME[平成6(1994)年][1994]]の書籍は、

- [133] 承安2年閏12月13日、諸国に[[泰平]]と改元されたとの流言、これを戒めた [SRC[[CITE[百練抄]]]]
- [134] [CITE[玉葉]]に[[万平]]とあって[[公家]]で出所が話題になり、
[[九条兼実]]らしいと噂も出たが、本人はそれについて記さず、真偽不明

... と説明しています。 [SRC[>>131]]

[REFS[

- [131] 
[CITE@ja-JP[奈良時代史入門]], [[小山田和夫]], [TIME[1994.4][1994]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-20T04:53:52.153Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13208232/1/148?keyword=%E6%B3%B0%E5%B9%B3> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[144] 
[[近世]]後期以来現在に至るまで、ほとんどの[[私年号]]の表の類が[[泰平]]を承安2年の[[私年号]]として扱っています。
[SRC[>>100]]

[145] 
[[久保常晴]]が[[私年号]]ではないと分類したにも関わらず、
これに大きな影響を受けたはずの[[千々和到]]の表はそれを無視して (風聞と注記しつつも)
掲載し続けています。
[SRC[>>100]]

[146] 
[[万平]]を掲載した表の類は[[近代]]以来いくつかあるものの、主流とはなっていません。
[SRC[>>100]]

[147] 
こうした傾向は、最新の研究成果を反映しないで前例を踏襲する一覧表等の保守的姿勢、
と簡単に説明出来てしまえば楽なのですが、 >>145 であったり、
新規で情報追加される他の[[私年号]]だったりの事例を考えると、
編集者らの態度に一貫性がありません。何も考えず、理解しないで雑に扱っている
(編集チームに詳しい人がいない) という評価が一番しっくり来ます。


[85] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]の表には初期から[[泰平]]が掲載されており、
平成20年には別名として[[万平]]が追加されています。いずれも直接的な根拠は不明です。
[SRC[>>84]]

[REFS[

- [100] [[日本私年号一覧表]]
- [84] [[Wikipediaの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] 
[CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2020-05-15 17:21:05 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号	,*異説	,*元年相当公年号(西暦)	,*継続年数	,*典拠・備考
,(泰平)	,万平	,承安2年(1172年)	,-	,『百錬抄』承安2年閏12月10日条、『玉葉』同月13日条。公年号改元の風説。

]FIG]
-- [321] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:01:03.449Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21472516>
--- [322] 
[CSECTION[2008年8月27日 (水) 17:42時点における版]],
[[可怜]]

]REFS]

- [226] 
[CITE@ja[Xユーザーのこうくさん: 「『百錬抄』によると、「承安二年閏十二月、近日、諸国、改元有るを称する由、公家、誡め仰せらる。〈其の号、泰平元年と云々〉」という 改元の風聞で、「泰平」となると噂されたらしいけど、わざわざ「公家(天皇)」が否定している」 / X]], [TIME[午前5:02 · 2025年8月13日][2025-08-12T20:02:06.000Z]], [TIME[2026-08-22T03:20:19.000Z]] <https://x.com/usedtobe_sth/status/1955359158695608720>


-*-*-

[219] 
以上をまとめると、[[近世]]以来主に[CITE[百練抄]]を通してのみこの事案が知られてきました。
[[近代]]になって[CITE[玉葉]]の記事が知られるようになり、
[[久保常晴]]は初めて両者を本格的に検討しました。
しかし、未だ両史料の精読と先入観を排した事実関係の復元作業は十分に行われているとはいえないのが現状です。

[220] 
また、他の時代の[[改元デマ]]や[[私年号]]現象、[[公年号]]の正規の[[改元手続き]]などとの比較対照や、
当時代の政治史の流れの中での位置付けなど、手つかずの課題も多いです。

* 関連

[SEE[ [[改元デマ]], [[私年号研究史]] ]]

[SEE[ [[泰平 (山口)]], [[泰平二年壬辰]] ]]

[SEE[ [[正京]] ]]



- [225] 
[CITE@ja[Xユーザーの泰平さん: 「過去の年号の頭文字MTSHは避けると言われてるけど念のために言っておく、泰平やめて。」 / X]], [TIME[午後2:07 · 2018年9月27日][2018-09-27T05:07:17.000Z]], [TIME[2026-08-22T03:20:19.000Z]] <https://x.com/taihei/status/1045178038109974528>
- [224] 
[CITE@ja[Xユーザーのなかやまちえこ 𝒞ₕᵢₑₖₒ𝒩ₐₖₐ𝓎ₐₘₐさん: 「次の年号、泰平とかがいいなぁ」 / X]], [TIME[午後1:26 · 2018年10月20日][2018-10-20T04:26:54.000Z]], [TIME[2026-08-22T03:20:19.000Z]] <https://x.com/chiekonakayama/status/1053502795398098944>
- [223] 
[CITE@ja[Xユーザーのるーこん【パドック魂🔥🐴】さん: 「平成の年号も2文字とは限らんぞ (゚ω゚) 高輪ゲートウェイ みたいにトリッキーな 名前にされんじゃね?(゚ω゚) 泰平パーリナィとか(゚ω゚)」 / X]], [TIME[午後11:20 · 2018年12月26日][2018-12-26T14:20:51.000Z]], [TIME[2026-08-22T03:20:19.000Z]] <https://x.com/lucas49fct/status/1077932255975071745>
- [222] 
[CITE@ja[Xユーザーのバジさん: 「年号予想みたいのあった 「平和、安久、泰平、和平、明成、大成、」 ワイは大穴狙い⬇ https://t.co/jNCQ35sk9T」 / X]], [TIME[午後9:12 · 2019年1月7日][2019-01-07T12:12:53.000Z]], [TIME[2026-08-22T03:20:19.000Z]] <https://x.com/Y25250207/status/1082248705757986817>
- [221] 
[CITE@ja[Xユーザーの呑み気🍻C108両日参加(固ツイ見て!)さん: 「「地平天成」からとられた平成…… 意味は平和で天地が治まること なので似たような意味を持つ四字熟語でかつ現在の日本の状況から考えたりして新年号は「万民泰平」からとって「やすひら」ですね 今年から「泰平元年」ですね」 / X]], [TIME[午前11:23 · 2019年2月9日][2019-02-09T02:23:06.000Z]], [TIME[2026-08-22T03:20:19.000Z]] <https://x.com/ikuzonomiki12/status/1094059082435031041>


* メモ













