* 関連

[18] [[大福]]

* メモ

[19] 
[CITE[[[偽年号考]]]][CSECTION[附言]]


[1] [CITE@ja-JP[武蔵名勝図会 多摩郡之部 巻第9]], [[植田孟縉 稿, 小林幸次郎]], [TIME[大正14-15][1926]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T01:52:55.731Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1172232/1/55>

(手書き)
武蔵国多摩郡平井村不動堂棟札 永福元年 創設


[15] [CITE@ja-JP[北区の歴史]], [[芦田正次郎 ほか文, 東京にふる里をつくる会]], [TIME[1979.10][1979]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T02:58:06.685Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641767/1/31> (要登録)

清光寺 永福5年 板碑 私年号

[17] 
[CITE@ja-JP[北区史 : 新修]], [[東京都北区]], [TIME[1971]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-22T10:09:27.495Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9640491/1/91> (要登録)

[14] 
[CITE[日本私年号の研究]]

[16] [CITE[[[日本歷史]] - Google ブックス]], [TIME[2022-12-29T03:02:01.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=MbEkAAAAMAAJ&q=%22%E6%B0%B8%E7%A6%8F%22>

>133 ページ
>公年号に反感をもち云っという立場ではなく、単なるプライベトなもの、即ち著者も「永伝」においてみせているそれに、見たてる ...
前にも触れたように、考古学上の遺品を縦横に駆使して私年号を研究する点は、本書の圧巻である。碑文・銘文などの書式や表記の方法によって時代時代の特色をとらえ、その私年号に照明をあてて行く。また私年号の伝播に、順礼札にみられる私年号を検討した結果、順礼をひとつの重要な伝播要素と考えている点も見逃がすことができない部分であろるのだが)とする裏付けになる。結論を急きすぎて前段階の検討に欠ける恨みがあるように思われる。こういう恨みは「永福」を永仁年間と推定し、永仁の徳政発布前後の社会状態と私年号発生の理由とを関係させる場面にもあらわれているようにも思われる。
>7 ページ
>日本私年号の研究久保常晴著大化以前の架空年号|古代年号、中世以降創作使用された私年号に関する始めての集成的研究で、非公年号研究の唯一無二の労作。金石文・考古学的資料を縦横に駆使相当年次を決定し、発生の史的背景と本質を解明する。
>7 ページ
>戦乱と人物高柳光寿博士類寿記念会編日本私年号の研究久保常晴著日本社会経済史研究全三冊賀月圭吾先生還暦記念会編全冊寶月編 1 振替口座東京 244 番第第第第. 日本史学界の長老たる高柳光寿博士の南山の寿をことほいで、博士の知友および門下生から献呈 ...


([CITE[日本私年号の研究]]の書評)

-
[250] [CITE@ja-JP[[[板碑の総合研究]] 1 (総論編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.2][1983]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-14T08:15:37.343Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12226011/1/155> (要登録)
--
[251] 
[CSECTION[[V[私年号板碑]]]],
[[[V[石村喜英]]]]


[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,永福 	,- 	,永仁5年(1297年)? 	,不明 	,法隆寺東院書写『同学抄』奥書、武蔵国豊島郡清光寺板碑(『新編武蔵風土記稿』[SUP[__&&[&&__2__&&]&&__]]) 

>新編武蔵風土記稿 豊島村.


-*-*-

[2] [CITE@ja-JP[東洋之拿破翁豊太閤 巻之1]], [[新智社編輯局 漢訳・編]], [TIME[明39.8][1906]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T02:07:25.933Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/781795/1/35>

永福元年春二月

([[中世]]後期 [[永正]]?)

-*-*-

[3] [[草書]]の[[永禄]]を[[OCR]]が[[永福]]と誤読しがち。

-*-*-

[12] [CITE@zh-my[马杭敦本堂《贺氏宗谱》入藏武进区档案馆 - 每日头条]], [TIME[2022-12-29T02:49:13.000Z]] <https://kknews.cc/culture/4qq8ezx.html>

>东汉永福元年(107年)后,庆氏改名后才有贺氏。[SNIP[]]


[13] 
正しくは永福でなく永初。


-*-*-

[4] [CITE@zh-TW[華夏文化: 南北朝佛教的持續發展]], [TIME[2022-11-25T12:15:43.000Z]], [TIME[2022-12-29T02:44:34.730Z]] <http://huaxiaace.blogspot.com/2017/10/blog-post_72.html>


>在中國佛經翻譯史上,南北朝是產生譯人和譯籍最多的時期。根據《開元錄》記載,從南朝宋永福元年(公元420年)到陳後主禎明三年(公元589年),經南北八個朝代169年,共有譯者67人,譯籍750部,1750卷。佛教典籍品類的翻譯範圍,比任何時期都要廣泛。這個時期著名的譯經僧人有佛陀跋陀羅、菩提流支、真諦等。

[5] [CITE[GZSF200103014.pdf]], [TIME[2020-02-20T17:30:14.000Z]], [TIME[2022-12-29T02:45:01.549Z]] <https://www.globethics.net/pdfs/CNKI/CJFD/GZSF200103014.pdf#page=3>


>[SNIP[]]据«开元录»记载, 仅从南朝宋永福元年 ( 公元 420 年) 到陈后主祯明三年 ( 公元 589 年) , 经南北
8 个朝代 169 年, 就有译者共 67 人、译籍 750 部 1750 卷。[SNIP[]]

[6] [CITE@zh-cmn-Hans[南北朝佛教编年 (豆瓣)]], [TIME[2022-12-29T02:45:55.000Z]] <https://book.douban.com/subject/26923291/>

>[SNIP[]]据《开元录》记载,从南朝宋永福元年到陈后主祯明三年,经南北8个朝代169年,共有译者67人,译籍750部,1750 卷。[SNIP[]]

[8] 
正しくは永福でなく永初。

[9] どれもほぼ同文なので、発信源は同じらしい。

[7] 
[CITE@zh[[[開元釋教錄]] - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2022-12-15T02:46:40.000Z]], [TIME[2022-12-29T02:46:42.133Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%96%8B%E5%85%83%E9%87%8B%E6%95%99%E9%8C%84>

[11] 
[CITE[開元錄]]こと[CITE[開元釋教錄]]には「永福」の語が出てこない。「永初」は数回。

