[22] 
[DFN[永祖]]は、
[[日本の異年号]]の1つです。

* 用例

[23] 
1例のみ知られていますが、異本により表記が異なります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [35] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[岩代国]][[会津]]]] [[浦野勝平]] 所蔵 文書]]
-- [10] 
「[DATA(.text)[[V[永禄十年[SUP(smaller)[丁]][SUB(smaller)[夘]][BR[]]  五月朔日]]]]」
([[草書]])
[SRC[>>9, >>12, >>16]]
--- [14] 
「[DATA(.text)[[V[永祿十年丁卯五月朔日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>13, >>15]]
--- [6] 
「[DATA(.text)[[V[永祖︀十年[LINES(smaller)[丁][卯]][BR[]]    五月朔日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1]]
--- [34] 
「[DATA(.text)[[V[永祖十年[LINES(smaller)[丁][卯]]五月朔日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>32 ([CITE[新編会津風土記]])]]
--- [39] 
「[DATA(.text)[[V[永祖十年[SUP(smaller)[丁]][SUB(smaller)[卯]]五月朔日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>37]]

]ITEMS]

[11] 
>>9, >>12, >>16 の写本と文書原本との[[字形]]の関係は定かではないのですが、
>>9, >>12, >>16 写本字形は明らかに[CH[禄]]であって[CH[祖]]ではありません。

[REFS[

- [12] 
[CITE@ja[ビューア | 新編会津風土記6]], [TIME[2026-09-03T07:00:11.000Z]] <https://www.digital.archives.go.jp/img/4287360#72>
- [9] 
[CITE@ja[新編会津風土記 巻之6 提要之3 家士古文書]], [TIME[2026-09-03T06:52:33.000Z]] <https://adeac.jp/city-aizuwakamatsu/iiif/mp400060-100040/aizu_fudoki_006/uv#?c=0&m=0&cv=68&r=0&xywh=153%2C606%2C1071%2C581>
- [16] 
[CITE@ja[新編会津風土記]], [TIME[2026-09-03T07:09:51.000Z]] <https://adeac.jp/fukushima-pref-lib/iiif/m000043-02/i043-006/uv#?c=0&m=0&cv=135&r=0&xywh=-2023%2C0%2C5945%2C3228>
- [13] 
[CITE@ja-JP[新編会津風土記 第1−10]], [[会津藩地誌局]], [TIME[明26-34][1901]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-03T07:02:45.962Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/763340/1/118?keyword=%E6%B0%B8%E7%A6%84%E5%8D%81%E5%B9%B4>
- [1] 
[CITE@ja-JP[[[大日本地誌大系]] 第30巻]], [[花見朔巳 校訂]], [TIME[昭7-8][1933]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-03T06:26:43.169Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1179191/1/64?keyword=%E6%B0%B8%E7%A5%96>
-- [20] 
[CITE@ja-JP[大日本地誌大系 第30巻]], [[蘆田伊人]], [TIME[昭和7][1932]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-03T07:44:56.411Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1876869/1/65?keyword=%E6%B0%B8%E7%A5%96> (要登録)
- [15] 
[CITE@ja-JP[福島県史料集成 第1輯]], [[福島県史料集成編纂委員会]], [TIME[1952]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-03T07:04:35.882Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998471/1/62?keyword=%E6%B0%B8%E7%A6%84%E5%8D%81%E5%B9%B4> (要登録)

]REFS]

* 諸説

[25] 
[[昭和時代]]に
[CITE[新編会津風土記]]
を出典に、
[[異年号]]であると考えられ、次いで[[私年号的諸資料]]に分類しなおされたものです。

[26] 
これまでに知られている用例はその1系統のみです。そこで
[CITE[新編会津風土記]]
の諸本を調べてみると、 [[Web]] 上で画像を閲覧できるもののうち、

- [27] [[手書き]]の[[写本]]では[[草書]]であり、明らかに[CH[祖]]ではなく[CH[禄]]と書かれている
- [28] [[明治時代]]および[TIME[昭和27(1952)年][1952]]の[[翻刻]]本では[CH[祖]]ではなく[CH[禄]]と読まれている
- [29] [TIME[昭和7(1933)年][1933]]の[CITE[大日本地誌大系]]本でのみ[CH[祖︀]]と読まれている

... ことがわかります。

[30] 
また、少し前の[[丁]]には同じ文書群に属する「永禄十年丁卯」「永禄十二年」
の文書も収録されています。草書の[[字形]]は >>35 とほぼ同じであり、[[翻刻]]本は
[CITE[大日本地誌大系]]を含めすべての本が[CH[禄]]と読んでいます。

[46] 
[[干支年]]および[[固有名詞]] (>>40, >>41)
より、 >>35 は[[永禄]]を意味すると断定できます。

[31] 
諸本の系統関係を確認する必要はあるものの、現在判明しているこれらの情報を総合すれば、
[CITE[大日本地誌大系]]
編纂過程で何らかの誤りによって1箇所だけ[[永禄]]が[[永祖]]に転訛した可能性が高いといえます。

[45] 
[CITE[日本私年号の研究]]はたまたま誤りが混入した[CITE[大日本地誌大系]]本を参照したため、
これを拾ったのでしょう。

* 研究史

[21] 
[TIME[昭和7(1932)年][1932]]の
[CITE[新編会津風土記]]
翻刻本で、
>>35
が[[永祖︀]]として掲載されました。

[33] 
昭和40年の[[久保常晴]]の論文では、
[[同音異字の異年号]]の表に[[永禄]]として収録していましたが、
説明はありませんでした。
[SRC[>>32]]

[38] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[異年号]]・[[私年号]]でなく[[私年号的諸資料]]として、
次のように述べています。
[SRC[>>37]]

- [40] 宛名の人物の関係文書: 天正10年、8年、6年
- [41] 同年代で[[干支年]]より永禄10年丁卯
- [42] [CITE[新編会津風土記]]が[CH[禄]]を[CH[祖]]と見誤ったのではないか
-- [43] [[草書体]]はよく似ていて誤りやすい

;; [44] [[一字異音年号]]としてよさそうなのにそうしていないのは、
編纂資料の誤りと推定したからでしょう。

[8] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]の一覧表は、
[[永祿]]において
[CITE[日本私年号の研究]]
を出典に
[CITE[新編會津風土記]]が誤って[[永祖]]とする、
としています。
[SRC[>>7]]

[REFS[

- [32] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究(二)―室町時代―]]]]
- [36] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [37] pp.[V[四八八]]-[V[四九九]]
- [7] 
[CITE@zh[日本年號列表 - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2026-09-02T09:09:00.000Z]], [TIME[2026-09-03T06:29:39.611Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%88%97%E8%A1%A8#%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3>

]REFS]

-*-*-

[24] 
[CITE[日本私年号の研究]]が[[私年号]]ではないと判定したためなのか、
その後の[[私年号研究]]の文脈ではほとんど紹介例が見当たりません。

* 関連

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [4] 
[CITE(.label)[日本気象学史研究]],
[DATA(.author)[[[田村専之助]]]]
[TIME(.published)[昭和56年][1981]]
-- [3] 「[DATA(.text)[[L[永祖元年 (989)・8月13日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>2]]

]ITEMS]

[5] 
[[西暦年]]より[[永祚]]の[[誤植]]であることが明らかです。

[REFS[

- [2] 
[CITE@ja-JP[[[日本気象学史研究]] 下巻]], [[田村専之助]], [TIME[1981.12][1981]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-03T06:24:13.285Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9584514/1/439?keyword=%E6%B0%B8%E7%A5%96> (要登録)

]REFS]

[17] 
[CITE[宮城中世郷土史(伊達一族物語編)]], [TIME[2020-01-15T00:38:58.000Z]], [TIME[2026-09-03T07:14:08.984Z]] <https://tm10074078.web.fc2.com/date1000.html>

>御社名をめぐっては、一条天皇の時代、989年(永祖元年)、平安時代中頃、京都三条に住む刀匠小鍛冶宗近が、勅命で宝刀を鍛えるための霊水をこの水神宮で見つけ、無事鍛えることができた。[SNIP[]]

[18] 
[CITE[郷土歴史倶楽部]], [TIME[2024-04-13T06:28:00.000Z]], [TIME[2026-09-03T07:14:59.702Z]] <https://www7b.biglobe.ne.jp/~tm1007/history14000.html>

>[SNIP[]]御社名をめぐっては、 一条天皇の時代、989年(永祖元年)、平安時代中頃、京都三条に住む刀匠小鍛冶宗近が、勅命で宝刀を鍛えるための霊水をこの水神宮で見つけ、無事鍛えることができた。[SNIP[]]

[19] >>17 >>18 は別サイトの別記事だが、同著者。





* メモ