* 研究史


[6] 
[[宋]]の
[CITE[玉海]]
は、
[[日本の元号]]として[[永然]]を掲載しています。
[SRC[>>1, >>4]]


[2] 
[CITE[元号略]]に、
[[永然]]は[[日本の元号]]であり、
時代不明とあります。
[SRC[>>1 ([CITE[清清士集]]), >>4 ([CITE[清白士集]])]]


[5] 
[[清]]の[[梁玉縄]]の
[CITE[清白士集]]
は、
>>2
を引いています。
[SRC[>>1, >>4]]

[7] 
[[清]]の[[李兆洛]]の
[CITE[紀元編]]
は、
>>6
を引いています。
[SRC[>>1, >>4]]

[8] 
[[日本]]の[[冨山房]]の
[CITE[国史辞典]]
は、
[[永然]]を[[私年号]]としています。
[SRC[>>4]]
[CITE[清白士集]]を引いています。
[SRC[>>1]]

[9]
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
>>6 >>5 >>7 >>8 
を紹介した上で、
[[中国]]の[[日本の元号]]資料には誤りが多いことを示し、
[[永然]]も必ずしも[[私年号]]とはいえないとします。
[SRC[>>4]]

[10] 
その上で、
[CITE[玉海]],
[CITE[清白士集]],
[CITE[紀元編]]
掲載の[[日本の元号]]には[CH[永]]から始まる[[公年号]]のうち[[永治]]がいずれも欠けており、
その誤りとみるべきではないかとしています。
[SRC[>>4]]

[11] 
それに先立つ昭和39年の論文の辞典では、
[CITE[清白士集]], [CITE[玉海]]
収録の[[公年号]]に含まれないものから、
[[永承]],
[[永長]],
[[永治]],
[[寿永]]のいずれかと推定し、
[[私年号]]の1つとして収録されていましたが、
>>9 同様に[[私年号]]とは断じ難いと留保しています。
[[私年号]]か[[異年号]]かの区分は空欄となっており、
誤認であるから[[私年号]]から当然除かれるべきと述べています。
[SRC[>>1]]



[REFS[

- [1] 
[CITE[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]]
- [3] 
[CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [4] pp.[V[四九三]]-[V[四九五]]

]REFS]



* メモ