[7] 
[DFN[永彭]]は、
[[昭和時代]]に[[日本中世の私年号]]の可能性が指摘されたものの1つです。
現在では[[人名]]と考えられています。


[4] 
[[永彭]]と書かれた碑文があるとされます。

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [3] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[奈良県]][[奈良市]]]][[東大寺]] 脊光五輪塔 碑]]
「[DATA(.text)[[V[永彭  [LINES(normal)[戊][申]]二月時正]]]]」
[SRC[>>1]]
]ITEMS]

[5] 
[[昭和時代]]初期の[[東大寺]]の銘文集では、
これについて[[私年号]]かと思われる、
[[何年][年数]]とあれば[[私年号]]なのだが[[人名]]かもしれない、
[[私年号]]流行時期ゆえ[[私年号]]でないともいえない、
と述べていました。
[SRC[>>1]]

[6] 
[[昭和時代]]中期の[CITE[[[日本私年号の研究]]]]では、
同じ様式のものと[[干支年]]から慶長13年の可能性が高いと推測しつつ、
銘文の様式から[[年]]ではなく[[法号]]であろうとし、
類例ない限り[[私年号]]とすべきでないと判断しました。
[SRC[>>2 pp.[V[四八󠄃六]]-[V[四八󠄃七]]]]

[8] 
[[永彭]]と[[干支年]]の間には少し広い空間が有り、
右行と対になっているとされます。
[SRC[>>2 pp.[V[四八󠄃六]]-[V[四八󠄃七]]]]

[9] 
[[元号名]]と[[干支年]]のみで[[年数]]がないとき、
[[干支年]]が[[割書]]にするのはあまりない書き方です。
ただ[[元号名]]も[[年数]]もなく[[干支年]]のみ書かれていて[[割書]]にするのも珍しいです。

[10] 
上が少し開いているとしても、[[元号名]]と[[元号年]]が入るほどのスペースはなさそうな書きぶりです。
ちょうど右行が空いていそうですが、
[[元号名]]・[[年数]]と[[干支年]]との間で区切るのも (皆無ではないにせよ) 不自然です。

[11] 
[[永彭]]が[[元号名]]とは言い難いにせよ、
そうでないと解釈したときにすっきりしないこともまた事実です。

[12] 
その後他の解釈は提示されていないようです。
[[私年号の一覧表の類][日本私年号一覧表]]にも掲載されたことはありません。
[[私年号]]とは考えないのが通説化しているといえます。

[REFS[
- [1] [CITE@ja-JP[寧楽 (14)]], [[寧楽発行所]], [TIME[1931-11]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T07:55:59.744Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1517265/1/113> (要登録)
-- [13] 
[CITE@ja-JP[東大寺論叢 論考篇]], [[筒井英俊, 筒井寛秀]], [TIME[1973]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-10T14:15:38.714Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12224312/1/198?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
- [2] 
[CITE[日本私年号の研究]]
]REFS]



