* 延長年号

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [36] [DATA(.label)[[[東大寺文書]]]]
-- [37] 
「[DATA(.text)[[V[永延三年十月廿五日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>34]]
- [38] [DATA(.label)[[[東大寺文書]]]]
-- [39]  
「[DATA(.text)[[V[永延三年十月廿五日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>34]]
- [28] 
[DATA(.label)[[[東大寺百巻文書]] [[太宰府牒]] [CITE[在合御判]]]]
-- [29] >>27 : [V[へ]]
-- [30] 
「[DATA(.text)[[V[永延四年三月十三日]]]]」 ([[明朝体]], [[楷書]])
[SRC[>>40, >>27, >>32, >>34]]
--- [31] [[延長年号]] +1年

]ITEMS]

[33] 
[TIME[昭和3(1928)年][1928]],
[[昭和時代]]中期の史料集は、
>>28
を紹介して、
「[V[永延[RUBY[四][(三)]]年]]」 ([[明朝体]], [[楷書]])
と注釈し、
永祚元年 (= 永延3年)
に配置しています。
[SRC[>>40, >>32]]

[35] 
[TIME[昭和10(1935)年][1936]]の史料集は、
>>36, >>38 
を紹介して
「[V[永延[RUBY[三][(二)]]年]]」 ([[明朝体]])、
>>28
を紹介して
「[V[永延[RUBY[四][(三)]]年]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>34]]

[44] 
[CITE[日本国語大辞典]]
は、
>>28
を紹介して、
「永延四年(990)」
と注釈しています。
[SRC[>>43]]

[42] 
[[令和時代]]に至るまで、[[元号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。

[45] 
[[平安時代]]に[[太宰府]]まで7ヶ月も[[改元伝達]]が遅延することは通常考えられないため、
誤記・誤写の類とみなされているものと思われます。ただ、
[CH[二]]と[CH[三]]のような取り違えは容易にあり得ても[CH[三]]と[CH[四]]の間違いは起き難いこと、
複数例あることを勘案すると、背景事情を慎重に検討する必要がありそうに思われます。


[REFS[

- [40] 
[CITE@ja-JP[大日本史料 第2編之1]], [[東京大学史料編纂所]], [TIME[昭和3][1928]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T03:10:17.162Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450168/1/266?keyword=%E6%B0%B8%E5%BB%B6%E5%9B%9B%E5%B9%B4>
- [34] 
[CITE@ja-JP[福岡県史資料 第5輯]], [[福岡県]], [TIME[昭和7-10][1935]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T03:06:29.253Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1213915/1/47?keyword=%E6%B0%B8%E5%BB%B6%E5%9B%9B%E5%B9%B4>
- [27] 
[CITE@ja-JP[東大寺文書 第1 (東大寺百巻文書 第1-50巻)]], [[中村直勝]], [TIME[昭和20][1945]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T02:58:46.066Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1040570/1/192?keyword=%E6%B0%B8%E5%BB%B6%E5%9B%9B%E5%B9%B4> (要登録)
- [32] 
[CITE@ja-JP[大宰府史料 上世篇 第五分冊]], [[九州文化総合研究所大宰府調査文献班]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T03:02:42.681Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3433591/1/44?keyword=%E6%B0%B8%E5%BB%B6%E5%9B%9B%E5%B9%B4> (要登録)
(昭和29年[[国立国会図書館]]蔵書印)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[43] 
[CITE@ja[執行(シッコウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]], [[デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,改訂新版 世界大百科事典,普及版 字通,世界大百科事典内言及]], [TIME[2026-09-05T03:14:35.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E5%9F%B7%E8%A1%8C-521288>
]FIGCAPTION]

>(出典:百巻本東大寺文書‐四三号・永延四年(990)三月一三日・大宰府牒案)

>出典 精選版 日本国語大辞典

]FIG]

]REFS]

-*-*-

[46] 
[CITE@ja[高代寺の由緒「高代寺記」 official site : 高代寺日記・農園・スピリチャル体験など]], [[x7924]], [TIME[2026-09-05T03:21:00.000Z]] <https://hokusetuhist.exblog.jp/33808542/>

>
[BOX(center)[
[B[「髙代寺記」]]

(唯一東京大学史料編纂所に写本が蔵書されている)
]BOX]

>
天元五年壬午(九八二年)八月右寛運法眼タリ、
>
永延四年(九九〇年)九月寛運権大僧都タリ、此時六十七才、
>
正暦二年(九九一年)五月十二日寂ス、[SNIP[]]

-*-*-

[49] 
[CITE[甲斐国志046古蹟部009巨摩郡中郡筋]], [TIME[2015-02-21T14:14:18.000Z]], [TIME[2026-09-05T03:22:27.909Z]] <http://ventussolaris.web.fc2.com/html/kaikokushi/kaikokushi046koseki009.html>

>    古今著聞集ニ、永延五年五月九日右近の馬場にて競馬五番ありけるに、三番左 府生下野公里穂坂七葦毛に乗りたりけり。右近衛三宅忠政九鴇毛に乗りたりけり、トアリ。

[50] [CITE@ja[677 永延元年五月九日右近の馬場にて競馬五番ありけるに・・・ '''['''やたがらすナビ''']''']], [TIME[2026-09-05T03:25:31.000Z]] <https://yatanavi.org/text/chomonju/s_chomonju677>

>
永延元年五月九日、右近の馬場にて競馬(くらべうま)五番ありけるに、


* 特殊な用例

[41] 
>>40 /263, /264 に永延二年戊子を三年己丑に校訂する事例

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [2] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[神奈川県]][[厚木市]]]] [[船子橋]] 付近 出土 [[板碑]]]]
-- [16] >>13 : [V[九]] - [V[三]]
-- [47] >>1 : [L[47]]
-- [7] >>1 : 拓本 白黒写真 (低解像度)
-- [18] >>13 : 模写
-- [3] 
「[V[[永]__&&[&&__延__&&]&&__]]」
[SRC[>>1]]

]ITEMS]

[4] 
昭和16年より、[[玉川]]流路変更工事が開始され、
[[新玉川]]の開削工事が行われた折、
多数の[[板碑]]が出土しました。 [SRC[>>1]]

[5] 
[[小野]][[竜鳳寺]]の[[住職]]の[[大下義雄]]は、出土[[板碑]]2基を収集し、
[[温水菩提寺]]本堂に保存していましたが、
その後[[厚木市教育委員会]]に寄贈されました。
[SRC[>>1, >>13]]

[14] 
残余の[[板碑]]は土中に埋められました。 [SRC[>>13]]

[6] 
>>2 の出土地は、平成元年現在の[[国道246号]]の[[船子橋]]付近といわれています。
[SRC[>>1]]

;; [15] もう1基 [SRC[>>13 ([V[九]] - [V[二]])]] は文字の痕跡のみで判読不能。 
[SRC[>>1 ([L[48]])]]

[8] 
銘文はまったく判読不能ですが、
わずかに[CH[永]], [CH[延]]らしき文字が見えるとされます。 [SRC[>>1]]

[17] 
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]の地域史は、
>>2 を紹介して、
彫刻粗雑で[[年号]]判読不能、作風は[[室町時代]]と判定しています。
[SRC[>>13]]

[9] 
[TIME[平成元(1989)年][1989]]の地域史は、
>>2 を紹介して、次のように述べています。
[SRC[>>1]]

- [10] [[永延]]は[[平安時代]]
-- [11] [[板碑]]は[[鎌倉時代]]以降、よって該当せず
- [12] [[私年号]]とも考えられるが明らかではない

[19] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介した事例は知られていません。

[20] 
この[[板碑]]に関する言及はほとんど見当たりませんが、
その中で「永延」が唯一の解読案で、
しかも実見したであろう市史が昭和49年にはまったく判読不能とし、
平成元年が判読不能としつつも「らしき文字」としているに過ぎず、
慎重に扱うべきものと考えられます。

[21] 
仮に「永延」だとすると、[[板碑]]の[[元号名]]とするのは不審であること、
平成元年市史の指摘の通りです。この場合、他の[[板碑]]の事例も勘案し、
次のような可能性が考えられます。

- [22] たまたま「永延」のように読めるが、そうではなく[[字形]]が似た他の既知の[[元号]]である
- [23] 「永延」は未知の[[異年号]]である
- [24] 古めかせる作為をもって「永延」銘で作られたまたは改刻された
- [25] ここに書かれているのは[[年号]]ではない ([[人名]]など)

[26] 
現状ではどの可能性も肯定・否定する材料が皆無でありますが、
同時代・同地域・同様式の他の[[板碑]]との比較などによって強弱を付けることはできるかもしれません。

[REFS[

- [13] 
[CITE@ja-JP[厚木市史史料集 5 (中世金石編)]], [[厚木市史編さん委員会]], [TIME[1974.3][1974]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T02:30:31.357Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13139022/1/27> (要登録)
- [1] 
[CITE@ja-JP[厚木市史 中世資料編]], [[厚木市秘書部市史編さん室]], [TIME[1989.3][1989]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T02:16:22.978Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9523013/1/497?keyword=%E6%B0%B8%E5%BB%B6> (要登録)

]REFS]


* メモ