[3] 
[DFN[永和]]は、
[[日本の公年号]]の1つです。

* 元号名



** 永ワ

[80] 
[DFN[永ワ]]は、[[永和]]の異表記の1つです。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [15] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[中野区]]]] [[中野区史料館]]所蔵 ([[堀野良之助]]寄託) [[板碑]]]]
-- [48] >>35 : 白黒写真 (低解像度) ぎり判読できる程度
-- [22] >>5 : [L[h-21]]
-- [23] 永門5年3月 [SRC[>>14]]
-- [47] 「[DATA(.text)[[V[永ワ五[RUBY(normal)[年][三月日][[SNIP[]]]]]]]]」 [SRC[>>35]]
- [26] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[志木市]][[本町]]]] [[東明寺]] [[板碑]]]]
-- [27] >>6 /34 : [L[32]]
-- [29] >>27 : [[拓本]] 白黒写真 (解像度中の下) 判読しづらい
-- [28] 
「[DATA(.text)[[V[永和[LINES(normal)[二][二]]年六月八日]]]]」
[SRC[>>27]]
- [30] 富士見市 3基 [SRC[>>6]]
- [57] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[富士見市]][[上沢]]二丁目]] 地蔵堂墓地 [[板碑]]]]
-- [59] >>250 : 拓本 白黒写真 (解像度中の下) 銘文が一応読み取れる
-- [76] >>67 : 拓本 白黒写真 (解像度中の下) 銘文がぎり読み取れる
-- [77] >>67 : [L[15]] [L[5]]
-- [58] 
「[DATA(.text)[[V[永ワ三年正月廿五日]]]]」 [SRC[>>250, >>67]]
- [68] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[富士見市]][[水子]][[字寺下]]]] [[大応寺]] [[板碑]]]]
-- [71] >>67 : 拓本 白黒写真 (解像度中の下) 銘文が一応読み取れる
-- [70] >>67 : [L[30]] [L[15]]
-- [69] 
「[DATA(.text)[[V[永ワ元年十月十四日]]]]」 [SRC[>>67]]
- [72] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[富士見市]][[諏訪]]一丁目]] [[瑠璃光寺]]]]
-- [75] >>67 : 拓本 白黒写真 (解像度中の下) 銘文が一応読み取れる
-- [74] >>67 : [L[24]] [L[1]]
-- [73] 
「[DATA(.text)[[V[永ワ三年七月十[LINES(normal)[二][二]]日]]]]」 [SRC[>>67]]
- [31] 朝霞市 2基 [SRC[>>6]]
- [37] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[北足立郡]][[朝霞町]][[膝折]]]] [[一乗院]]]]
-- [38] 
[DATA(.label)[[[板碑]]]]
--- [39] 「[DATA(.text)[[V[永ワ二年二月廿四日]]]]」 [SRC[>>35 (>>51)]]
-- [40] 
[DATA(.label)[[[板碑]]]]
--- [41] 同八月十五日 [SRC[>>35 (>>51)]]
-- [42] 
[DATA(.label)[[[板碑]]]]
--- [43] 同三年九月十二日 [SRC[>>35 (>>51)]]
- [44] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[北足立郡]][[朝霞町]]]]根岸御嶽狭山 [[板碑]]]]
-- [45] 
「[DATA(.text)[[V[永ワ三年九月廿七日]]]]」 [SRC[>>35 (>>51)]]
- [64] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[新座市]][[畑中]]]] [[東福寺]] [[板碑]]]]
-- [66] >>62 : [L[(48)]]
-- [65] 「[DATA(.text)[[V[永ワ[LINES(normal)[二][二]]年十一月  日]]]]」 [SRC[>>62]]
- [46] [[香取文書]] [SRC[>>35]]
- [60] [DATA(.label)[[[立教大学]]博物館学研究室保管旧在地不詳[[板碑]]]]
-- [61] 「[DATA(.text)[[V[永ワ二年十月一日]]]]」 [SRC[>>192]]

]ITEMS]

[REFS[

- [5]
[CITE@ja-JP[資料総目録]], [[東京都中野区教育委員会中野区史料館]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-07T05:34:42.281Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3448981/1/19?keyword=%E6%B0%B8%E9%96%80> (要登録)
-- [10] [[堀野良助]]寄託 [SRC[>>5]]
--- [14] h-21 [[永門]]5年3月
--- [SEE[ [[徳応]] ]]

]REFS]


*** 諸説

[81] 
当初は[DFN[永門]]と解読する説がありました。
その後[CH[門]]の草書体でなく[[片仮名]]の[CH[ワ]]と解釈する説が提起され、
現在に至るまで通説となっています。

[82] 
[[中世]]の文字表記の習慣において[[漢字]]のかわりに[[片仮名]]を使うことは、
取り立てて不自然ということはなく、
[[元号名]]に限ってもいくつか[[仮名まじり年号]]の事例が知られていますから、
[[永和]]でもそうした表記が行われたとしても不思議ではありません。

[85] 
特に、[[平仮名]][CH[わ]]の[[字源]]は[CH[和]]であり、
[[片仮名]][CH[ワ]]の[[字源]]の有力説も[CH[和]]です。
[[漢字]][CH[和]]の[[崩し字]]の用例には、
相当崩れて[CH[ワ]]ないし[[草書]][CH[門]]に近い[[字形]]となったものも見られます。
[[仮名]]ではない[[漢字]]の[CH[和]]そのものという意識で書かれた可能性もあります。

[86] 
あいにく現時点で [[Web]] 上で見られる[[板碑]]の[[拓本]]はさほど解像度の高くない写真ばかりですが、
[CH[年]]も[[楷書]]と程遠い[[草書]]の[[字形]]となっているので、他の文字もそうだった可能性が少なくありません。

[83] 
[[草書]]以外の[CH[門]]の用例が見つかったり、
特に[[私年号]]と考えるべき新たな強力な根拠が出現しない限りは、
[[公年号]]の[[永和]]の異表記という解釈が妥当と考えられます。

[84] 
なお、使用域が集中していること、同系統の[[板碑]]での利用が見られることが指摘されており、
[[板碑]]の制作工程とそれを通した[[元号]]の流通の双方の面で注目されます。



*** 研究史

[24] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の[[中野区史料館]]所蔵品一覧に、
[[堀野良助]]寄託の[[板碑]]として、
>>15
があります。
[SRC[>>5]]

[25] 
[[中野区史料館]]の[[堀野良助]]寄託品には他にも[[私年号]]板碑があります。
[SEE[ [[徳応]] ]]
経緯の詳細は不明ですが、
歴史研究者である[[堀野良之助]]が[[私年号]]と意識して収集したものの1つと思われます。

-*-*-

[36] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[異年号]]の小分類の1つに[[仮名書年号]]を設けていますが、
その説明の章の中で[[仮名まじり年号]]をいくつか紹介しており、
そのうちの1つに[[永ワ]]があります。
[SRC[>>35]]

[49] 
他の[[仮名まじり年号]]と合わせて、学問の浅い農民や生活のための労働時間の必要からの簡便さもあろうが、
為政者に対する揶揄が潜むとも受け取られる、としています。 [SRC[>>35]]

;; [50] ただし、「永ワ」に対して具体的な「揶揄」の読み解きを行っているわけではありません。
また、他の[[元号名]]の「揶揄」も、[[異体字]]や同音字の書き分け意識が現在と異なる前近代の表記慣習との関わりを検討していない、
現在の学術的水準から見ると物足りない推測に過ぎません。

;; [52] 
ところで、[[平成]]になってから再版された[CITE[日本私年号の研究]]に付属する年号索引には
「永ワ」や「永和」は掲載されていません。

[REFS[

- [8] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [35] p.[V[一八五]], p.[V[一八八]]
--- [51] 引用: [CITE[埼玉県朝霞町「一乗院」裏山出土の板碑について]],
[[坂井利明]], [[吉川国男]],
[CITE[金鈴]] 第九・一〇合併号


]REFS]






-*-*-

[32] 
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]の[[自治体史]]によると、

- >>26
- >>30
- >>31

の計6点の「永門」と読み得る[[板碑]]が報告されていました。
[[私年号]]と思われました。
[SRC[>>6]]

[33] 
これについて、[[朝霞市]]の調査担当者は、[CH[門]]の[[草書体]]ではなく[CH[わ]]の変形で、
[[永和]]であると考え、[[志木市]]の担当者もこれに従いました。
[SRC[>>6]]

[34] 
この[[永和]]板碑群は、おそらく同一の石工の作と思われるとされます。
[SRC[>>6]]

[63] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]の[[自治体史]]は、
>>64
の注釈として、
「永ワ」銘は[[仮名まじり年号]]の例であり、
[[志木市]], [[朝霞市]], [[富士見市]]等にみられ、[[香取文書]]に散見されるとしています。
[SRC[>>62]]

[78] 
[TIME[昭和60(1985)年][1985]]の[[自治体史]]は、
>>57 >>68 >>72
に「[V[永[RUBY[ワ][(和)]]]]」と注釈を付けて、[[永和]]の比定年を示していますが、
それ以外に特に注記はありません。
[SRC[>>67]]

;; [79] なお[[私年号]]にはその旨を別途注釈しています。

[REFS[

- [6]  
[CITE@ja-JP[志木市史 民俗資料編 2 (石造遺物)]], [[志木市]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-07T06:23:18.071Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642260/1/48?keyword=%E6%B0%B8%E9%96%80+%E6%B0%B8%E5%92%8C> (要登録)
- [62] 
[CITE@ja-JP[新座の金石文]], [[新座市教育委員会市史編さん室]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-07T09:49:50.773Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12207344/1/29?keyword=%E6%B0%B8%E3%83%AF> (要登録)
- [67] 
[CITE@ja-JP[富士見市史 資料編 3 (古代・中世)]], [[富士見市総務部市史編さん室]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-07T10:02:51.331Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643536/1/152?keyword=%E6%B0%B8%E3%83%AF> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[53] 
[TIME[昭和58(1983)年][1983]]の[CITE[板碑の総合研究]]の第1巻は、
次のように述べています。
[SRC[>>250]]

- [54] [[永ワ]]は、[[永門]]とよく類似するので、[[永門]]という[[私年号]]とすることも行われている
- [55] [[板碑]]が[[埼玉県]][[北足立]]地区 ([[富士見市]], [[朝霞市]],
[[志木市]], [[新座市]]など) に限定集中するのは興味深い
- [56] ここでは[[永和]]の同音異字表記とみなしたい


[193] 
第二巻では、[[肥留間博]]が[CITE[日本私年号の研究]]から永ワ五年を
「[V[永和(一三七九)]]」
の[[仮名まじり年号]]であると紹介しています。 [SRC[>>192]]

[19] 中野区14など2基があるとし、ほかに参考ながら、
として[[立教大学]]博物館学研究室保管旧在地不詳の類例一基「永ワ二年十月一日」を実見した、
とあります。
[SRC[>>192]]


[REFS[

-
[250] 
[CITE@ja-JP[板碑の総合研究 1 (総論編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.2][1983]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-07T09:41:30.944Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12226011/1/155?keyword=%E6%B0%B8%E3%83%AF> (要登録)
--
[251] 
[CSECTION[[V[私年号板碑]]]],
[[[V[石村喜英]]]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[7] 
[CITE[仏教考古学研究 - [[石村喜英]] - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[1993]],
[TIME[2022-12-26T08:38:49.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=NbIwAAAAMAAJ&q=%22%E6%B0%B8%E9%96%80%22>
]FIGCAPTION]

>373 ページ
>これらはカッコ内の公年号を誤って記したか、異字にそれほど違和感や正誤感をもたなかったための表記であったものと思われる。ゆえに、私年号からはここでは除外し、同音異字年号として扱っておく。
また片仮名交り私文で表示した「永ワ」(永和)なども、これを「永門」とよく類似するところから「永門」とみて、私年号とすることも行私年号板 市・新座市など)に限定集中する 373 碑久保氏の同書以前にも、すでに服部清道氏の『板碑概説』(註 2 )稲村坦元 ...
>374 ページ
>恐らくこのほかにも幾つか五『海録』があり、久保常晴氏の説かれた(註 7 )ところによると、この中に古写経零本の奥書が収められ、それには「論「永ワ」とみて同音異字表記と見年図 119 木玉県北足立地区(富士見市・朝霞市・志銘正月われている。
>375 ページ
>た(註 9 )が、埼玉県で調査の『板碑』でもこれを「元悳(徳)」とし( # 10 )て、同様の観点に立っている私年号板 埼玉鼻比企 ... への疑問を併せて銘文中、年号の二字目がやや不明確ながら、大沢氏はこれを「元悳(徳)元年」と見て、「元徳」の同音異字年号 ...
>379 ページ
>板 私年号板図 130 弥勒 2 年 9 月 され、しかも「如」件」の用例からみれば、恐らく康永(一二~一四)前後のものであろうといわれる(註 2 )。同じ登米郡や隣 5 と見え、私年号としては他に全く未見のもので、久保氏は行書体の書体に限ってみれば、南北朝に ...
熟知の一基であるが、あるいは一般的といえるかどうか、これを同音異字の「至徳元年甲子(三四)」とすることが行われている。
>387 ページ
>5 福徳(欠、不明)、同浦和市 387 私年号板碑 11 千々和実篇『武蔵国板碑集録』二、旧比企郡菅谷村の条。 10 『板碑』 III (埼玉県板石塔婆調査報告書、昭和五十六年)資料編 7 九三頁。同氏と初めて面識を得た折り、同氏からお聞きした。 9 8 同右。

]FIG]
- [192] 
[CITE@ja-JP[[[板碑の総合研究]] 2 (地域編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.11][1983]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T12:39:22.687Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12285158/1/72?keyword=%E6%B0%B8%E3%83%AF> (要登録)


]REFS]


** 永知

[SEE[ [[永知]] ]]

* 永和の延長年号

[11] [[日本国]][[東京都]][[府中市]]本町出土 板碑 (府中市教育委員会所蔵)
永和五年 五月十六日
[SRC[>>390 [V[[YOKO[04]]]]]]

[12] [[日本国]][[東京都]][[府中市]] 板碑 ([[府中市郷土の森博物館]]所蔵)
永和五年八月  日
[SRC[>>390 [V[[YOKO[05]]]]]]

[13] 
[[府中市]]の板碑で永和五年銘が6基、康暦元年は0基。
永和5年3月22日より後の[[延長年号]]のものが5基。
[SRC[>>390]]
(8月が遅い例らしい。9月から12月は0基ということか。)

[REFS[

- [390] 
[CITE[[[中世東国と年号]]]]

]REFS]

[566] 
[TIME[2025-11-19T10:07:15.000Z]]
<https://tsuru.repo.nii.ac.jp/record/2000111/files/%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%80%80%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E4%BF%9D%E5%AD%98%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9A%84%E7%A0%94%E7%A9%B6%20.pdf>
#page=20

[17] 
[CITE@ja-JP[東京都文化財調査報告書 第19 (西多摩文化財総合調査報告書 第1分冊)]], [[東京都教育委員会]], [TIME[1967]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T09:45:23.823Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2476882/1/85?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[18] 
[CITE@ja-JP[しまね史記]], [[読売新聞松江支局]], [TIME[1974]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T09:26:07.111Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9573210/1/74?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83+> (要登録)



* 関連

[1] [[永和]]は他にもあります。 [SEE[ [[永和]] ]]

[9] 
[[仮名書年号]]


[2] 時系列 :

- [20] [TIME[応安8(1375)年2月27日][kyuureki:1375-02-27]]、
[[永和]]に[[改元]] ([[代始改元]])
- [21] [TIME[永和5(1379)年3月22日][kyuureki:1379-03-22]]、
[[康暦]]に[[改元]]

* メモ