* 元号名

** 異体字

- [8] [CITE@ja-JP[千葉県史料 金石文篇 3 補遺]], [[千葉県企画部県民課]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-22T11:27:51.614Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/20?keyword=%E6%B0%B8%E7%A6%84> (要登録)
- [9] [CITE@ja-JP[千葉県史料 金石文篇 3 補遺]], [[千葉県企画部県民課]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-22T11:36:19.506Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/28?keyword=%E9%80%86%E4%BF%AE> (要登録)
- [10] /47

** 永

[SEE[ [[永 (元号名)]] ]]

** 永録

[155] 
[[永禄]]を[DFN[永録]]と表記した事例がまま見られます。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [13] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[長野県]][[諏訪市]][[中金子]]]] [[諏訪家文書]]]]
-- [18] >>12 : 同音異字の年号 誤り [L[2]]
-- [14] 
永録二年
[SRC[>>12 ([CITE[信濃史料]])]]
- [15] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[品川区]]]] [[松田福一郎]]所蔵 [[吊灯籠]]]]
-- [19] >>12 : 同音異字の年号 誤り [L[3]]
-- [17] 
永録二年己未
[SRC[>>12]]
- [161] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[鹿児島県]][[大口市]]]] [[神社]] [[棟木札]]]]
-- [162] 
「[L[永録(禄)2[BR[]]年8月11日]]」
[SRC[>>160]]
--- [163] [L[永禄2年(1559)]] [SRC[>>160]]
- [165] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[港区]][[高輪]]]] [[泉岳寺]]所蔵 [CITE[天文・永禄年間 古券巻]]]]
-- [166] 
[DATA(.label)[表紙]]
「古券巻 天文永録((ママ・正しくは永禄))年間」
[SRC[>>164]]
- [168] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[米国]][[コネチカット州]]]] [[イェール大学]]所蔵 [CITE[切支丹宗門来朝由来記]]]]
-- [169] >>167 : B7  
-- [170] [DATA(.label)[本文]]
「[SNIP[]]永録十一年八月廿四日、[SNIP[]]」 [SRC[>>167]]
-- [171] [DATA(.label)[終尾]]
「[SNIP[]]永録十一年戊辰♭宝暦十三年迄、凢弐百弐年ニ成、[SNIP[]]」
[SRC[>>167]]
- [176] 
[DATA(.label)[[CITE[畠山高政禁制]] [[写本]]]]
-- [177] 
「永録治(禄弐)年未九月」
[SRC[>>175]]

]ITEMS]

- >>5
- [45] 
[CITE@ja-JP[山都町史 第3巻 (民俗編)]], [[山都町市編さん委員会]], [TIME[1986.12][1986]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-19T08:53:53.071Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643913/1/451?keyword=%E6%B0%B8%E9%8C%B2> (要登録)
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[172] 
[CITE@en[CiNii Books - イエズス会日本書翰集]], [TIME[2026-08-29T03:41:04.000Z]] <https://ci.nii.ac.jp/ncid/BC13808225>
]FIGCAPTION]

>原譯文編之五: 自永禄四年八月至永禄五年十二月

>
-一五六一年十月八日(○永禄四年八月二十九日。)付、豊後発、フアン・フェルナンデスのインディアにあるアントニオ・デ・クアドロス宛書翰
-一五六一年十一月五日(○永録四年九月二十八日。)付、鹿児島発、島津貴久のインディアにあるアントニオ・デ・クアドロス宛書翰
-(永禄)四年(○一五六一年一月十六日〜一五六二年二月四日。)付、薩摩発、島津貴久のインド副王ドン・フランシスコ・コウティーニョ宛書翰
-一五六一年十一月二十八日付、バサイン発、アントニオ・デ・クアドロスのディエゴ・ライネス宛書翰
-一五六一年十二月一日(○永禄四年十月二十五日。)付、ゴア発、パードレ・ルイス・フロイスのポルトガルにあるイエズス会員宛書翰
-一五六一年十二月四日(○永禄四年十月二十八日。)付、バサイン発、マヌエル・テイシェイラのポルトガルにあるパードレ・マルコ・ヌーネス宛書翰
-一五六一年十二月(○永禄四年十月二十五日〜十一月二十五日。)付、ゴア発、インド管区におけるイエズス会員名簿
-一五六二年一月二十六日(○永禄四年十二月二十二日。)付、コチン発、ゴンサロ・ロドリゲスのエヴォラにあるレオン・エンリケス宛書翰
-一五六二年(○永禄四年十一月二十六日〜同五年十二月六日。)付、リスボン発、ポルトガル国王ドン・セバスチャンのインド副王ドン・フランシスコ・コウティーニョ宛書翰
-一五六二年三月十一日(○永禄五年二月七日。)付、リスボン発、ポルトガル国王ドン・セバスチャンの豊後にある大友義鎮宛書翰〔ほか〕


]FIG]
- [173] [CITE@ja[戸隠神社奉納祈願文(武田晴信願状) - 史跡をめぐる - 【川中島の戦い】総合サイト | Battle of Kawanakajima - 長野市]], [TIME[2026-08-29T03:43:35.000Z]] <https://kawanakajima.nagano.jp/tour/tour-379/>
-- [174] 原文(カラー写真 (中解像度))では[CH[禄]]の[[異体字]]。解説のほとんどは[CH[禄]],
解説引用の1箇所のみ[CH[録]]
- [178] [CITE@ja[奈良大学リポジトリ]], [TIME[2026-08-29T03:47:28.000Z]] <https://nara-u.repo.nii.ac.jp/records/2002922>
-- [179] 原文非公開
-- [180] 
「豊臣秀吉は、永録八年(一五六五) の初出文書において「木下藤吉郎秀吉」を名乗っている。」
- [181] 
[CITE@ja[2012_140.pdf]], [TIME[2026-08-29T03:49:23.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/vsj/2012/0/2012_140/_pdf>
-- [182] 
[LEFT[
[SNIP[]]ま た ,永 録 十 二 年 (1569年 )に 赤 城 山で 何 らか
の 火山 活動 が あ っ た 可 能 性を指摘 して い る が ,こ れ は 推
論 に よる もの で , 確 か な 記録 は 見 っ か っ て い な い .
]LEFT]



[REFS[

- [160] 
[CITE@ja[66_542.pdf]], [TIME[2026-08-29T03:31:48.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1915/66/6/66_6_542/_pdf/-char/ja#page=1>
- [164] 
[CITE@ja[『天文・永禄年間 古券巻』 - 港区文化財総合目録 | 港区立郷土歴史館]], [TIME[2026-06-02T04:17:29.000Z]], [TIME[2026-08-29T03:34:05.123Z]] <https://www.minato-rekishi.com/museum/2009/10/63.html>
- [167] 
[CITE@ja[イェール大学所蔵日本関連資料調査プロジェクト Japanese Manuscript調書]], [TIME[2026-08-29T03:37:04.000Z]] <https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/exchange/yale/sub_page/JMresult_B.html>
- [175] 
[CITE@ja[富田林市-文化財デジタルアーカイブ:富田林市史 第二巻 (本文編Ⅱ)]], [TIME[2026-08-29T03:45:08.000Z]] <https://adeac.jp/tondabayashi-city/texthtml/d000020/cp000002/ht000136>

]REFS]

*** 諸説

[157] 
[[永録]]は、同時代史料を含め多くの用例が知られています。 >>5
のように校訂で不可視化されているものまで含めれば、相当数が存在すると推測されます。

[158] 
それに比してその性格に敢えて言及したものはさほど多くありませんが、
[[誤字]]・[[宛字]]の類として扱われることが多いようです。

[159] 
ただ、[[永禄]]に限らず[CH[禄]]を[CH[録]]と表記した事例はあまりに多いので、
現代的な表記基準から単純な誤記と判定するよりは、
前近代的表記慣習における位置付けを検討する必要があるでしょう。
[SEE[ [[禄と録]] ]]

*** 研究史


[16] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[異年号]]のうち[[私年号]]に分類されないものの中で、
[CSECTION[[[[V[一字異音の年号]]]]]]
の章のうち、[[同音異字の年号]]とは趣を異にし、
意識して故意に異字を使用したわけではなく、
単なる誤認によるものが多い、
とするものの1つとして、
>>13, >>15
を提示しています。
他に[[享録]],
[[嘉録]]を紹介しています。
[SRC[>>12]]

[REFS[

- [11] [CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [20] p.[V[一七一]], p.[V[一八二]], p.[V[一八五]]
-- [12] pp.[V[一八八]]-[V[一九五]]

]REFS]

-*-*-

[156] 
[TIME[昭和46(1971)年][1971]]の書籍は、
いくつかの文献の[[翻刻]]本ですが、
そのうち2件で、
[[永録]]は[[永禄]]の
「[V[宛字]]」
「[V[当然誤字・宛字と判るもの]]」
であり、
「[V[正字に訂正]]」
した、と[CSECTION[[V[凡例]]]]で述べています。実際本文中に「永録」は皆無で、
注釈なしで校訂されているようです。
1件は、本文中に「[V[永録]]」 ([[明朝体]]) がそのまま残されています。
[SRC[>>5]]


[REFS[

-
[5] 
[CITE@ja-JP[越前若狭地誌叢書 上巻]], [[杉原丈夫, 松原信之 共著]], [TIME[1971]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-29T03:16:07.212Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9536939/1/29?keyword=%E6%B0%B8%E9%8C%B2> (要登録)

]REFS]

** 永六

[183] 
[[永禄]]を[DFN[永六]]と表記した事例がまま見られます。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]


- [133] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[岐阜県]][[岐阜市]][[三輪]]]] [[真長寺文書]] [CITE[惣兵衛外五名連署申状]]]]
-- [132] >>131 : [V[十七]] - [V[四三]]
-- [134] 
「[V[[DATA(.text)[仁壽元年かのとのひつし]]        但當年迄八百年程、]]」
[SRC[>>131]]
-- [135] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[永六元年八月三日]]ニ[SNIP[]][DATA(.text)[仁壽元[BR[]]年]]より[DATA(.text)[永六元年]]迄者、[SNIP[]]]]」
[SRC[>>131]]
-- [136] 
「[V[[DATA(.text)[永六拾壹年つちのへたつ年]]より[DATA(.text)[天正拾年]]迄、]]」
[SRC[>>131]]

]ITEMS]

[137] 
[TIME[昭和44(1969)年][1969]]の史料集は、
>>133
を紹介して、
最初の永六元年に「[V[〔祿、下同ジ〕]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>131]]


[REFS[

- [131] 
[CITE@ja-JP[岐阜県史 史料編 古代・中世 1]], [[岐阜県]], [TIME[1969]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T13:30:34.511Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3034949/1/160?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [122] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[市原市]][[奉免]]]] [[満蔵寺]] [[如来形立像]]]]
-- [123] >>121 : [L[454]]
-- [129] [[日本国]][[千葉県]][[市原市]][[妙香]] [[青松寺]] (現・廃寺) 旧蔵 [SRC[>>126]]
-- [127] [[万蔵寺]] [SRC[>>126]]
-- [124] 
[DATA(.label)[後面材内側墨書銘]]
「[DATA(.text)[[V[永六二年六月二十四日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>121]]
--- [128] 
[DATA(.label)[胎内背部]]
「[DATA(.text)[[V[永六二年六月十四日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>126]]

]ITEMS]

[130] 
[TIME[昭和61(1986)年][1986]]の地域史は、
>>122
を紹介して、
永六二年は永禄二年に該当すると考えられる、
としています。
[SRC[>>126]]

[125] 
[TIME[平成5(1993)年][1993]]の報告書は、
>>122
を紹介して、
「[V[永[RUBY[六][(ママ)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>121]]

[REFS[

- [126] 
[CITE@ja-JP[市原市史 中巻]], [[市原市教育委員会]], [TIME[1986.3][1986]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T13:23:06.774Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643783/1/99?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [121] 
[CITE@ja-JP[市原市内仏像彫刻所在調査報告書 南部編]], [[市原市教育委員会社会教育部文化課]], [TIME[1993.3][1993]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T13:18:45.268Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13240506/1/41?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [119] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]]]] [[中尾邦雄]]所蔵 [CITE[永禄三年銘備前焼水指]]]]
-- [120] 
[DATA(.label)[底裏彫銘]]
「[DATA(.text)[[V[永六三年九月十五日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>118]]

]ITEMS]

[REFS[

- [118] 
[CITE@ja-JP[陶磁 9(4)]], [[東洋陶磁研究所]], [TIME[1937-11]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T13:15:16.538Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1516106/1/26?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [107] [DATA(.label)[[[菅浦文書]] [CITE[平方孫六銭請取状]]]]
-- [108] >>106 : [V[六七二]]
-- [109] 
「[DATA(.text)[[V[永六八年十一月六日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>106]]
- [110] [DATA(.label)[[[菅浦文書]] [CITE[平方孫六銭請取状]]]]
-- [111] >>106 : [V[六七八]]
-- [112] 
「[DATA(.text)[[V[永六八年十一月十六日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>106]]
- [113] [DATA(.label)[[[菅浦文書]] [CITE[平方孫六銭請取状]]]]
-- [114] >>106 : [V[六八〇]]
-- [115] 
「[DATA(.text)[[V[永六八年十一月廿四日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>106]]

]ITEMS]

[116] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の史料集は、
>>107
>>110
>>113
を紹介して、
「[V[[RUBY[永六][(永祿)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>106]]


[REFS[

- [106] [CITE@ja-JP[菅浦文書 下巻]], [[滋賀大学経済学部史料館 編纂]], [TIME[1967]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:58:31.016Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2984212/1/30?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [88] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[長野県]][[松本市]][[沢村]]]] [[一志家]]所蔵 [CITE[大町組宮本村検地帳]] 巻末写本]]
-- [89] >>87 : [V[一二六]]
-- [78] [[日本国]][[信濃国]][[北安曇郡]][[社村]] [[仁科]][[御厨]] [[仁科神明宮]] [SRC[>>77]]
-- [103] [CITE[[V[宮本神明祭禮貳月九日作始[SUP(smaller inline)[メ]]舞臺]]]] [SRC[>>77]]
-- [101] >>100 : 白黒写真 (低解像度)
-- [95]  
「[DATA(.text)[[V[永六九年[BR[]]    二月吉日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>94, >>99, >>105]]
--- [79] 
「[DATA(.text)[[V[永六九年[BR[]]    貳月吉日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>77]]
--- [92] 
「[DATA(.text)[[V[永六九年[BR[]]  二月吉日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>87, >>97]]
--- [102] 
「[DATA(.text)[[V[永六九年二月吉日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>100]]

]ITEMS]

[80] 
[TIME[昭和18(1943)年][1943]]の[[一志茂樹]]の論文は、
>>88
を紹介して、
「[V[永[RUBY[六九][(祿)]]年]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>77]]

[96] 
[TIME[昭和33(1958)年][1958]]の史料集は、
>>88
を紹介して、
「[V[永[RUBY[六][(祿)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>94]]

[93] 
[TIME[昭和60(1985)年][1985]]の史料集は、
>>88
を永禄9年条で紹介して、
「[V[永[RUBY[六][(祿)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>87]]
別巻の[TIME[昭和59(1984)年][1984]],
[TIME[昭和60(1985)年][1985]]の地域史では、
「[V[永[RUBY[六][(禄)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>99, >>105]]

[98] 
[TIME[昭和50(1975)年][1975]],
[TIME[昭和56(1981)年][1981]],
[TIME[平成4(1992)年][1992]]の書籍は、
>>88
を紹介して、
「[V[永[RUBY[六][(禄)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>100, >>104, >>97]]

[REFS[

- [77] 
[CITE@ja-JP[信濃 '''['''第2次''']''' (21)]], [[信濃毎日新聞社]], [TIME[1943-11]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:04:17.125Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2202800/1/7?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [94] 
[CITE@ja-JP[信濃史料 第12巻 (天文23年正月-永禄8年是歳)]], [[信濃史料刊行会]], [TIME[1958]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:40:44.300Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3013102/1/79?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [100] 
[CITE@ja-JP[やしろ]], [[社誌編集委員会]], [TIME[1975]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:48:26.557Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9536716/1/49?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [104] 
[CITE@ja-JP[農と田遊びの研究 上]], [[新井恒易]], [TIME[1981.5][1981]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:56:08.940Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12168555/1/298?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [87] 
[CITE@ja-JP[大町市史 第2巻 (原始・古代・中世) 資料編]], [[大町市史編纂委員会]], [TIME[1985]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:35:38.405Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9539833/1/98?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
-- [105] 
[CITE@ja-JP[大町市史 第5巻 (民俗・観光) 本編]], [[大町市史編纂委員会]], [TIME[1984]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:57:06.167Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9539456/1/465?keyword=%E6%B0%B8> (要登録)
-- [99] 
[CITE@ja-JP[大町市史 第2巻 (原始・古代・中世) 本編]], [[大町市史編纂委員会]], [TIME[1985]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:46:06.391Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9539832/1/156?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [97] 
[CITE@ja-JP[大北地方の神社と文化]], [[長野県神社庁大北支部, 長野県神社総代会大北支会]], [TIME[1992.9][1992]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:44:54.375Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13287954/1/142?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)

]REFS]

-*-*-


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [73] [DATA(.label)[[[備州国]]住[[長船祐定]]作 [[刀]]]]
-- [74] [[相原務]]所蔵 [SRC[>>72]]
-- [75] 昭和35年4月15日 [[日本美術刀剣保存協会]]松山支部 [[貴重刀剣等認定]] [SRC[>>72]]
-- [76] 
「[DATA(.text)[[V[永六十年二月日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>72]]
- [85] 
[DATA(.label)[備州長船幸光 [[保存刀剣]]]]
-- [86] 
[DATA(.text)[永六十年八月日]] [SRC[>>84]]

]ITEMS]

[REFS[

- [72] 
[CITE@ja-JP[刀剣美術 (3)]], [[日本美術刀剣保存協会]], [TIME[1964-10]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T11:59:29.964Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1815648/1/155?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
-
[84] 
[CITE@ja[備州長船幸光(備前) 永六十年八月日(山陽道) | 日本刀・刀剣購入・販売・買取なら刀剣杉田]], [[刀剣杉田]], [TIME[2026-08-22T12:32:48.000Z]] <https://www.token-net.com/soldout/202007-44.html>

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [21] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[大分県]][[津久見市]][[市堅浦]]]] [[薬師寺家]]所蔵 [[薬師寺文書]] [CITE[薬師寺鑑直渡状]]]]
-- [58] >>52 : [V[一一三三]]
-- [51] >>46 : [V[三四]]
-- [57] >>56 : [V[一九七]]
-- [26] >>20 : [[同音異字年号]] [L[26]]
-- [60] >>59 : [V[一八七]]
-- [54] [[日本国]][[大分県]][[北海部郡]][[津久見町]][[徳浦]] [SRC[>>52]]
-- [47] [[薬師寺鑑真]]文書 [SRC[>>20]]
-- [53] 
「[DATA(.text)[[V[永六十一𭘾[BR[]]  正月廿一日]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>52 (原本)]]
--- [49] 
「[DATA(.text)[[V[永六十一年[BR[]]    正月廿一日]]]]」 ([[明朝体]], [[楷書]])
[SRC[>>46, >>56, >>59 ([CITE[大分県史料]] 一二)]]
--- [22] 
「[DATA(.text)[[V[永六十一年正月廿一日]]]]」
[SRC[>>20 ([CITE[[[大分県史料]] 第一二]])]]
--- [62] 
「[DATA(.text)[[V[永  六  十  一  年[BR[]]  正  月  廿  一  日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>61]]

]ITEMS]

[48] >>21 は[[仮名]]多めの[[文書]]。

[55] 
[TIME[昭和30(1955)年][1955]],
[TIME[昭和41(1966)年][1966]]の史料集は、
>>21 を紹介して、
「[V[永[RUBY[六][(マヽ)]]]]」 ([[楷書]])
と注釈しています。 
[SRC[>>52, >>56]]

[50] 
[TIME[昭和32(1957)年][1957]],
[TIME[平成3(1991)年][1991]]の史料集は、
>>21 を紹介して、
「[V[永[RUBY[六][(禄)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。 
[SRC[>>46, >>59]]

[REFS[

- [52] 
[CITE@ja-JP[續大友史料 : 家わけ 第4]], [[田北學]], [TIME[1955]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T11:28:00.337Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2531433/1/16?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [46] 
[CITE@ja-JP[大分県史料 第12]], [[大分県史料刊行会]], [TIME[1957]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T11:22:47.318Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2999809/1/186?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [56] 
[CITE@ja-JP[編年大友史料 : 併大分県古文書全集 第22]], [[田北学]], [TIME[1966]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T11:33:56.847Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3016915/1/60?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [61] 
[CITE@ja-JP[臼杵史談 第5巻]], [[臼杵史談会]], [TIME[1979.5][1979]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T11:38:45.031Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9770555/1/70?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [59] 
[CITE@ja-JP[豊後国荘園公領史料集成 6 (豊後国佐賀郷・丹生荘・臼杵荘・佐伯荘・紫山村史料)]], [[渡辺澄夫]], [TIME[1991.9][1991]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T11:36:36.910Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9639881/1/198?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [64] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[茨城県]][[東茨城郡]][[大洗町]][[大貫]]]] [[西光院]]所蔵 [[西光院文書]] [CITE[西光院末寺衆一臈證文]]]]
-- [65] >>63 : [V[一六]]
-- [66] 
「[V[[DATA(.text)[永六十一年戊广]]死、[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>63]]

]ITEMS]

[67] 
[TIME[平成2(1990)年][1990]]の史料集は、
>>64
を紹介して、
「[V[永[RUBY[六][(祿)]]十一年戊[RUBY[广][(辰)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>63]]

[REFS[

- [63] 
[CITE@ja-JP[茨城県史料 中世編 3]], [[茨城県立歴史館]], [TIME[1990.3][1990]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T11:41:52.250Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644436/1/209?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)

]REFS]


-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [23] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[大分県]][[大野郡]][[三重町]][[大字市場]]]] [[有田家]]所蔵 [[有田文書]] [CITE[三浦かつさ等連署売渡状]]]]
-- [148] >>146 : [V[二]]
-- [153] >>152 : [V[三五八]]
-- [27] >>20 : [[同音異字年号]] [L[27]]
-- [147] [[平成の大合併]]により[[日本国]][[大分県]][[豊後大野市]]
-- [149] 
「[DATA(.text)[[V[永六十二ねんミのとし五月十日]]]]」 ([[明朝体]], [[楷書]])
[SRC[>>146, >>152]]
--- [24]  
「[DATA(.text)[[V[永六十二ねん五月十日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>20 ([CITE[[[大分県史料]] 第一二]])]]
-- [150] [[仮名]]多め[[文書]]

]ITEMS]

[151] 
[TIME[昭和32(1957)年][1957]]の史料集は、
>>23
を紹介して、
「[V[永[RUBY[六][(禄)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>146]]

[154] 
[TIME[昭和41(1966)年][1966]]の史料集は、
>>23
を紹介して、
「[V[永[RUBY[六][(祿󠄂)]]]]」 ([[楷書]])
と注釈しています。
[SRC[>>152]]


[REFS[

- [146] 
[CITE@ja-JP[大分県史料 第13]], [[大分県史料刊行会]], [TIME[1957]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-23T00:25:09.685Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2999810/1/60?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)
- [152] 
[CITE@ja-JP[編年大友史料 : 併大分県古文書全集 第22]], [[田北学]], [TIME[1966]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-23T00:29:45.746Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3016915/1/96?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [69] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[大和国]]]] [CITE[法隆寺衆分成敗曳附幷諸證文寫]]]]
-- [70] 
「[DATA(.text)[[V[永六十二年[LINES(smaller)[己][巳]]]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>68]]

]ITEMS]

[71] 
[TIME[昭和7(1932)年][1932]]の史料集は、
>>69
を紹介し、
永禄12年に収録して「[V[永[RUBY[六][(祿)]]]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>68]]

[REFS[

- [68] 
[CITE@ja-JP[大日本史料 第10編之3]], [[東京大学史料編纂所]], [TIME[1932.5][1932]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T11:51:51.931Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12208292/1/432?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%AD> (要登録)

]REFS]

*** 諸説

[140] 
解釈を明示しているほとんどの文献は、[CH[六]]を「ロク」音を表すと解釈し、
[[永禄]]と同定しています。

[141] 
[[干支年]]や文脈から、
いずれの用例にも[[永禄]]として不自然なところは見当たりません。
また、これといった異説も見当たりません。

[142] 
[CH[六]]表記に筆者の積極的な意図を見ようとする見解もあります (>>91) が、

- [144] 広い地域の互いに無関係で媒体も類似しない用例が多数あること
- [143] 他の[[元号名]]にもみられること
- [145] [[元号名]]以外の語にもみられること

... からすれば、深い意図がない当時の一般的な表記慣習の範囲内の揺れと見なす方が説得力を感じます。
[SEE[ [[仮名六]] ]]

*** 研究史

[138] 
事例の紹介はちらほらあるようですが、
体系的な検討はほとんどなされていません。


[25] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[異年号]]のうち[[私年号]]でない[[同音異字年号]]として
>>21 >>23
を紹介し、
次のように述べています。
[SRC[>>20]]

- [28] [[香取文書]]で[[張六]]の[CH[六]]は[CH[禄]]
- [29] 従って[[永禄]]と考えられ、
-- [30] 文書の内容にも矛盾はない
- [31] [[関東]]でも[[九州]]でも[CH[六]]とする例が見られることに注目
- [90] [[年号]]の[CH[禄]]を[CH[六]]と表現、
-- [91] 為政者に対する揶揄が潜むものとも受け取られる

[82] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]は、
[CITE[日本私年号の研究]]を出典に、
[CITE[大分県史料]]が[[永禄]]を[[永六]]と書いていると説明しています。
[SRC[>>81]]


[REFS[

- [81] 
[CITE@zh[日本年號列表 - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2026-08-21T05:11:48.000Z]], [TIME[2026-08-22T12:18:01.913Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%88%97%E8%A1%A8#%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3>

]REFS]

-*-*-

[139] 
[CITE[日本私年号の研究]]が[[私年号]]ではないと分類したためもあるのか、
その後の[[私年号研究]]などではほとんど扱われていません。


*** メモ

[117] 
検索だと部分一致や[[OCR]]誤読のノイズがあまりに多くて用例を探すのがかなり難しいです。

** 永緑

[189] 
[[永禄]]を[DFN[永緑]]と表記した事例がいくらか見られます。

*** 用例

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[184] 
[CITE@ja[宗像関連古文書・史料|世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブ]], [TIME[2026-08-29T12:48:29.000Z]] <https://www.munakata-archives.asia/frmSearchArchiveDetail.aspx?id=1469&langid=>
]FIGCAPTION]

>和暦 	(永禄十一年カ)十一月七日
>西暦 	1568年 11月 7日

>(永緑十一年カ)十一月七日
]FIG]

[186] 
[CITE@ja-JP[奈良帝室博物館絵画一覧]], [[奈良帝室博物館]], [TIME[大正11][1922]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-29T15:16:24.970Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/936562/1/15?keyword=%E6%B0%B8%E7%B7%91>


[185] 
[CITE@ja-JP[高鳥屋城主内村鶴寿丸の死闘]], [[下村繁雄]], [TIME[1993.11][1993]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-29T15:15:34.431Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13201419/1/26?keyword=%E6%B0%B8%E7%B7%91> (要登録)


[187] 
[CITE@ja-JP[豊田市の文化財 : 写真と解説]], [[豊田市郷土資料館]], [TIME[1972]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-29T15:18:00.617Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12706232/1/8?keyword=%E6%B0%B8%E7%B7%91> (要登録)

[188] 
その他[[近現代]]の用例が少なからずあるようです。

*** 諸説

[191] 
現時点で確認されているのはいずれも[[近現代]]の出版物の用例です。

[192] 
おそらくそのほぼすべてが[[誤記]]・[[誤植]]であり、特別の意図なく
[CH[禄]]
を
[CH[緑]]
としたものと思われます。

*** 研究史

[190] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で言及した事例は知られていません。

** 永祖

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [35] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[岩代国]][[会津]][[渋河]]]] 文書]]
-- [34] 
「[DATA(.text)[[V[永祖十年[LINES(smaller)[丁][卯]]五月朔日]]]]」
[SRC[>>32 ([CITE[新編会津風土記]])]]
-- [39] 
「[DATA(.text)[[V[永祖十年[SUP(smaller)[丁]][SUB(smaller)[卯]]五月朔日]]]]」
[SRC[>>37]]

]ITEMS]

[1] [CITE@ja-JP[大日本地誌大系 第30巻]], [[花見朔巳 校訂]], [TIME[昭7-8][1933]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-22T14:26:45.454Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1179191/1/64>


[33] 
昭和40年の[[久保常晴]]の論文では、
[[同音異字の異年号]]の表に[[永禄]]として収録していましたが、
説明はありませんでした。
[SRC[>>32]]

[38] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[異年号]]・[[私年号]]でなく[[私年号的諸資料]]として、
次のように述べています。
[SRC[>>37]]

- [40] 宛名の人物の関係文書: 天正10年、8年、6年
- [41] 同年代で[[干支年]]より永禄10年丁卯
- [42] [CITE[新編会津風土記]]が[CH[禄]]を[CH[祖]]と見誤ったのではないか
-- [43] [[草書体]]はよく似ていて誤りやすい

;; [44] [[一字異音年号]]としてよさそうなのにそうしていないのは、
編纂資料の誤りと推定したからでしょう。

[83] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]は、
[CITE[日本私年号の研究]]を出典に、
[CITE[新編会津風土記]]が[[永禄]]を誤って[[永祖]]と書いていると説明しています。
[SRC[>>81]]



[REFS[

- [32] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究(二)―室町時代―]]]]
- [36] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [37] pp.[V[四八八]]-[V[四九九]]

]REFS]


* 干支不一致

[3] [CITE@ja-JP[川口市史 古代・中世資料編]], [[川口市]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-04T10:11:04.000Z]], [TIME[2024-01-04T13:29:10.972Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/335> (要登録)

干支ずれ

[6] 
[CITE@ja-JP[群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文)]], [[群馬県史編さん委員会]], [TIME[1988.3][1988]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-21T10:27:42.896Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/136?keyword=%E6%B0%B8%E7%A6%84> (要登録)

[7] >>6 永禄二天丁宛

(永禄2年は己未)


* メモ

[4] [CITE@ja-JP[古鐘逸響年表稿]], [[坪井良平]], [TIME[1955]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-10T04:30:51.397Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2478237/1/37> (要登録)
右

永禄と記録があるが実は元禄
