[7] 
[DFN[永元]]は、[[偽文書元号]]の1つです。


* 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1] [DATA(.label)[[[和田家文書]] [CITE[東日流外三郡誌]]]]
-- [16] 
[CSECTION(.label)[[V[荒磯郷墳舘之事]]]]
--- [17] 
「[V[[SNIP[]]時に永元二年十月に[RUBY[落][らつ]][RUBY[慶][けい]]せり。[SNIP[]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>14]]
-- [11] 
[CSECTION(.label)[[V[東日流荒波吹族之事]]]]
--- [15] 
「[DATA(.text)[[V[永元丙子年如月一日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>14]]
---- [12] 
「[DATA(.text)[[V[永元[RUBY[丙][ひのえ]][RUBY[子][ね]]年如月一日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>10]]
-- [19] 
[CSECTION(.label)[東日流二祖安倍安東抄]]
--- [20] 
「[V[高星、永元二年五月、城北に満蔵寺を建立し[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>18]]
--- [21] 
「[V[高星永元四年八月に卒去す。]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>18]]
-- [22] 
[CSECTION(.label)[東日流淵崎城之事]]
--- [23] 
[DATA(.label)[[V[永保二年四月二十日]]]]
「[V[[SNIP[]]高星丸君臨改安東十郎頼信姓名不日為出世永元四年三月二十一日卒去。]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>18]]
-- [24] 
[CSECTION(.label)[安倍治領録]]
--- [25] 
[DATA(.label)[[CSECTION[第一章]]]]
「[V[高星、永元四年八月七日に卒去し、[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>18]]
-- [26] 
[CSECTION(.label)[津軽安東史略]]
--- [27] 
「[V[高星丸、長して安東十郎頼信と号し、永元四年卒去す。[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>18]]

]ITEMS]

[8] 
同趣旨で少しずつ内容の異なる別記事群をまとめて整理すると3通りになります。

- [32] >>16 >>20             : 永元2年 [[満蔵寺]]建立
- [31] >>21 >>23 >>25 >>27  : 永元4年 [[高星丸]]死去
- [30] >>11                 : 永元丙子

[REFS[

- [14] 
[CITE@ja-JP[東日流外三郡誌 第1巻 (古代編)]], [[小館衷三, 藤本光幸]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-03T08:37:58.967Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571211/1/158?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%83> (要登録)
- [18] 
[CITE@ja-JP[東日流外三郡誌 第2巻 (中世編 1)]], [[小館衷三, 藤本光幸]], [TIME[1986.2][1986]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-03T09:27:54.287Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571711/1/42?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%83%E4%BA%8C%E5%B9%B4+%E6%B0%B8%E5%85%83%E5%9B%9B%E5%B9%B4> (要登録)

]REFS]

* 諸説

[9] 
[[永元]]は他にもありますが、共通性に乏しく、現状では無関係と考えるのが妥当とみられます。
[SEE[ [[永元 (日本)]] ]]

[33] 
本項の[[永元]]は、いくつかの用例がありますが、すべて[[和田家文書]]に属します。
[[和田家文書]]は[[昭和時代]]に出現した[[偽書]]であり、
[[昭和時代]]末期から[[平成時代]]初期にかけて真贋論争で歴史愛好家界隈を賑わせました。
この文献群には、
不審な[[日付]]表記が多いことも知られており、注意が惹かれています。
[SEE[ [[和田家文書の日時]] ]]

[34] 
[[和田家文書]]が[[偽書]]であることは、既に多くの根拠が提示され、
通説として広く合意されているところです。
[[令和時代]]の現在も、
依然として先鋭化した信奉者グループの活動は続いていますが、
結論を再検討する価値ある新たな材料は何ら提示されていないのが実情です。

[35] 
従って、もっぱら[[偽書]]にのみ出現する[[元号]]の「正体」
を検討する意義にも疑念が生じるところですが、
[[古代]]・[[中世]]の史実や当時の[[日時制度]]を明らかにする史料にはならないとしても、
次のような研究意義は認められます。

- [36] [[現代思想史]]としての[[偽書]]研究
-- [37] [[和田家文書]]の史観と、その中に構築された時空間の構造を明らかにすること。
-- [38] 既知の史実や史料との内容上・時空上の接続を検討し、
[[偽史]]の創出に史料がどのように利用されたか、または利用されなかったかを明らかにすること。
-- [39] 他の[[偽史]]体系の構造や生成過程を研究するための比較事例とすること。
- [40] [[現代史学史]]としての受容研究
-- [41] [[和田家文書]]の受容・批判・信奉の中で、どう理解されてきたかを追跡すること。
- [43] [[年代学]]上の必要性
-- [44] 他の「[[永元]]」用例との異同を検討し、
異なるのであれば違い・弁別の方法を明らかにすること。
-- [66] 偶然[[偽書]]に拾われた実用された[[異年号]]の可能性を検討すること。
- [67] [[情報災害]]への対策
-- [42] 善意の誤解または信奉者の活動により、
史実として歴史解説へ混入・拡散する事態に備えること。
-- [68] [[偽史]]・[[偽書]]でいかに[[日時]]が記述されるかの事例を蓄積し、
将来の[[偽史]]・[[偽書]]への対処方法の確立に資すること。

[45] 
なお、 >>9 の判定の妥当性もかかる検討に依拠するものであり、必要とあらば >>9
の暫定的な判断も訂正することになります。

[49] 
[[和田家文書]]の全体を見ると、特異な表記法など見かけの不審点はあるにしても、
その大部分は通常の[[日本の公年号]]です。
[[超古代史]]系[[偽史]]は特殊な独自の[[暦法]]を持つようなタイプもありますが、
[[和田家文書]]はそうでは無さそうです。

[50] 
だとすると[[和田家文書]]で数少ない非[[公年号]]の[[永元]]は、
何らかの[[公年号]]の誤記などの意図せぬ理由で発生した可能性を考えねばなりません。

-*-*-

[46] 
[[和田家文書]]の[[永元]]用例は数件ありますが、3系統にまとめられます (>>8)。

[51] 
>>32 >>31 の2系統は近接した記事に出現し、2年と4年であり、
同じ[[元号]]とみて間違いないと思われます。

[52] 
対して >>30 はまったく異なる記事に出現し、[[丙子]]年と[[年数]]なしの[[干支年]]表記です。

[47] 
この2種を同名で別箇の[[元号]]として扱う説 (>>13) があります。
当該説はその根拠を明確にしていませんが、
同一元号説と別元号説のどちらが妥当かは自明ではなく、検討を要します。


[54] 
>>32 >>31 については、

- [55] [[元永]]説 >>29 
-- [56] 内容が矛盾するとして否定 >>13
- [57] [[元暦]]説 >>13

... が提示されています。

[59] どちらの説も[[元号名]]からの推測でしょう。
しかし[[元永]]を[[永元]]と誤ることは大いに有り得そうですが、
[[元暦]]を[[永元]]と誤るのは難しそうで、更に検討を要します。

[58] 
[[偽史]]でなくともこの種の伝承的な歴史記述に時系列の乱れは付きものであり、
作為ある[[偽書]]ならなおのこと考え得るでしょうから、
必ずしも[[元永]]説を棄却する必要もないとも思われますが、
それにしても根拠が明示されての比定説ではないので、
改めて十分検討することが望まれます。

[48] 
どちらの説にしても、 >>30 の[[干支年]]は当該[[公年号]]の期間に存在しません。
これが別元号説が立てられることになった理由でしょうか。


[60] 
>>30 については、

- [61] [[永長]]説 >>13
- [62] [[保元]]説 >>13
- [63] 11世紀-12世紀説 >>4

... が提示されています。

[64] [[永長]]と[[保元]]は[[干支年]]によると説明されていますが、
[[元号名]]からの推測と[[干支年]]の重なりによると思われます。

[69] 別元号説の根拠が、別記事の用例であることや[[干支年]]と[[公年号]]の組み合わせの不存在というだけでは弱いといえます。
>>32 >>31 が[[永長]]や[[保元]]に当てはまり得ないとはいえませんし、
他の[[公年号]]や未知の[[異年号]]の可能性も排除されません。

[65] 11/12世紀説は[[人名]]に基づくものです。一応 >>55 >>57 
も含めて全説がこの[[期間]]に収まります。

[70] 現時点では、[[平安時代]]後期頃の何らかの時期を表すことが想定された[[元号]]、
と説明するのが妥当でしょうか。

-*-*-

[53] 
>>32 >>31 / >>30 のどちらの系統も、他の記事と比べて本書において特段に重視されている記事とも言えず、
従って[[永元]]も特別な意味を持って作られた[[私年号]]と考えるのは難しそうに思われます。



* 研究史

[13] 
[TIME[昭和51(1976)年][1976]]の史料集は、
[[和田家文書]]を[[偽書]]と知らずに収録したものでしたが、
>>16, >>11
を紹介し、

>
[VRLBOX[
(編者註)

永元の年号なし。[BR[]]
元永なれば寿永[BR[]]
以前となりて合[BR[]]
わず。元暦なら[BR[]]
んか。一考を要[BR[]]
す。元暦なれば[BR[]]
四年後の西紀一[BR[]]
一八五年なり。[BR[]]
大江広元執権時[BR[]]
代。
]VRLBOX]

>
[VRLBOX[
(編者註)

永元の年号なし。[BR[]]
干支に重点をお[BR[]]
けば、[BR[]]
永長元年

[BOX(right)[
一〇九六
]BOX]

保元元年

[BOX(right)[
一一五六
]BOX]

であり、一考を[BR[]]
要する。


]VRLBOX]

... と注釈しています。 [SRC[>>10]]

[29] 
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]の[[年表]]は、
[[満蔵寺]]建立を元永2年、
高星丸安東十郎貞義・安倍十郎頼信(高星丸)の死去を保安2年 (= 元永4年 [[延長年号]]+1年) に掛けて、
[V[永元とあり]]
と注釈しています。
[SRC[>>28]]


[REFS[

- [10] 
[CITE@ja-JP[市浦村史資料編 : 東日流外三郡誌 中巻]], [[市浦村史編纂委員会]], [TIME[1976]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-03T08:51:42.333Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569442/1/78?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%83%E4%B8%99%E5%AD%90%E5%B9%B4+%E6%B0%B8%E5%85%83%E4%BA%8C%E5%B9%B4> (要登録)
- [28] 
[CITE@ja-JP[東日流外三郡誌年表]], [[豊島勝蔵]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-03T09:37:19.499Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570477/1/68?keyword=%E6%B0%B8%E5%85%83> (要登録)

]REFS]



[4] [[平成時代]]の
[CITE[近代諸元号現象]]
は、
「永元丙子年如月一日」
を紹介して、
11世紀、12世紀ごろの人物の署名と説明しています。 [SRC[>>2]]


[REFS[

- [2] [CITE[近代諸元号現象]]
-- [431] 
[CITE[修訂 [[絹と立方体]]]],
p.[L[685]]-[L[686]]
-- [5] [CITE[[[三訂 近代諸元号現象]]]]
--- [3] [CITE@ja[[[東日流外三郡誌]] - 木村 守一 | パブー]] ([TIME[2019-07-16 20:20:29 +09:00]]) <http://p.booklog.jp/book/126808/page/3626878>

]REFS]

[6] 
[[私年号研究]]の文脈で言及したものは >>4
くらいであり、ほとんど研究の対象になっていません。


* 関連

[SEE[ [[和田家文書の日時]] ]]

[SEE[ [[永元 (日本)]] ]]

* メモ