[47] 
[DFN[永伝]] ([[旧字体]]: [DFN[永傳]])
は、
[[日本の私年号]]の1つです。

* 元号名

[42] 
[[新字体]]は[[永伝]]、[[旧字体]]は[[永傳]] [SRC[>>25]] です。

[41] 
[[読み][元号名の読み方]]は、
「えいでん」
とされます。
[SRC[>>4, >>25, >>120, >>124]]


* 用例


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [18] 
[DATA(.label)[[[入来院家文書]] [CITE[永伝元年8月21日渋谷重豊譲状]] ([[東京大学史料編纂所]]所蔵)]]
-- [43] 刊本 : 四七 [SRC[>>65]]
-- [26] >>6 : [V[一三八]]
-- [30] >>12 : [L[1694]]
-- [70] >>68 : [V[資料[YOKO[1]]]]
-- [36] >>3 : 電子テキスト版
-- [19] 
「[DATA(.text)[[V[永傳元年 八月廿一日]]]]」 ([[草書]])
[SRC[>>17]]
-- [22] >>17 に紀年部分のカラー写真あり、細部はともかく文字は読み取れるサイズ
-- [32] [CITE[旧記雑録]]本 >>12 では「[V[永傳元年]]」の[[右ルビ]]に「[V[『延徳二年也』]]」
--- [35] 別筆書き込みを表すと思われます。
-- [72] >>70 は「[V[永伝元年]]」の右横に「[V[([RUBY[延徳][(朱書)]]二年)]]」
と書いています (が、 >>71 にはありません)。
- [20] 
[DATA(.label)[[[入来院家文書]] [CITE[田畠薗地并屋敷注文]] ([[東京大学史料編纂所]]所蔵)]]
-- [64] 刊本 : 71 [SRC[>>65]]
-- [27] >>6 : [V[一三九]]
-- [31] >>12 : [L[1695]]
-- [71] >>68 : [V[資料[YOKO[2]]]]
-- [63] >>61 : 注釈『』なしの本 カラー写真
-- [60] >>58 : 謄写版 注釈『』入の本 白黒写真
-- [28] 
「[V[永傳元年[LINES(smaller)[カノヘ][イヌ]]之年ノイネカス]]」
[SRC[>>6]]
-- [37] >>5 : 電子テキスト版
--
[21] 
「永伝元年〈カノヘイヌ〉」
[SRC[>>17]]
--- [23] >>17 には簡単な言及のみ
-- [33]  [DATA(.label)[[CITE[旧記雑録]]本]]
「[V[[RUBY[永傳元年][『延徳二年也』]][LINES(smaller)[カノヘ][イヌ]]之年[SUP(smaller)[ノイ子カス]]]]」
[SRC[>>12]]



]ITEMS]




[REFS[

-
[6] [CITE@ja-JP[入来院文書]], [[朝河貫一]], [TIME[大正15][1926]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-26T11:17:08.097Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1017461/1/41>
- [12] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録前編 2]], [[鹿児島県維新史料編さん所]], [TIME[1980.1][1980]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T12:14:09.121Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9773180/1/284?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
- [57] 
[CITE[横断検索]], [TIME[2026-04-29T13:27:51.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/cross/search?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D%E5%85%83%E5%B9%B4&page=1&itemsperpage=200&sortby=score&sortdesc=false&sortitem=%E9%96%A2%E9%80%A3%E5%BA%A6%E9%A0%86>
-- [61] 
[CITE[所蔵史料目録データベース(Hi-CAT) - 詳細(限定表示)]], [TIME[2026-04-29T13:30:24.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w01/detail/limit-disp/00012013?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D%E5%85%83%E5%B9%B4&page=1&itemsperpage=200>
--- [62] 
[CITE@ja[画像表示 - SHIPS Image Viewer]], [TIME[2026-04-29T13:30:36.000Z]] <https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/000/0671/18/7/10000007?m=limit&s=00000003&e=00000008&n=20>
-- [58] 
[CITE[日本古文書ユニオンカタログ - 詳細]], [TIME[2026-04-29T13:28:26.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20080617000091?dispid=disp01>
--- [59] 
[CITE@ja[画像表示 - SHIPS Image Viewer]], [TIME[2026-04-29T13:28:37.000Z]] <https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/200/2071.97/3/4/0370?m=limit&f=0360%2C0361%2C0370%2C0371%2C0380%2C0381%2C0390%2C0391%2C0400%2C0401%2C0410%2C0411%2C0420%2C0421&n=20>
-- [65] 
[CITE[所蔵史料目録データベース(Hi-CAT) - 詳細(限定表示)]], [TIME[2026-04-29T13:34:14.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w01/detail/limit-disp/00012013?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D%E5%85%83%E5%B9%B4&page=1&itemsperpage=200>
--- 
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[66] 
[CITE[所蔵史料目録データベース(Hi-CAT) - 詳細(解題)]], [TIME[2026-04-29T13:34:43.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w01/detail/commentary/satsu/00000467?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D%E5%85%83%E5%B9%B4>
]FIGCAPTION]

>日付に記された「永伝元年」は私年号である。入来院家文書以外では確認されていないが、田畠薗地并屋敷注文に「永伝元年<カノヘイヌ>」と記されていることにより、1490年に相当することが判明する。
]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE[東京大学史料編纂所]], [TIME[2022-12-26T11:12:43.000Z]] <https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/IRIKI/JTXT/jpn_text47.html>
]FIGCAPTION]

>
[ASIS[永伝元年][[CODE[:hover]] 注釈「延徳二年」]]八月廿一日 
]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] [CITE[東京大学史料編纂所]], [TIME[2022-12-26T11:16:05.000Z]] <https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/IRIKI/JTXT/jpn_text71.html>
]FIGCAPTION]

>   御自作   [ASIS[永伝元年][[CODE[:hover]] 注釈「延徳二年」]]カノヘイヌ之年ノイ子カス
]FIG]
- [16] [CITE[[[中世の元号]]]]
-- [17] 巻頭の図版ページ (カラー写真)

]REFS]

* 諸説

[97] 
'''いつを表すか'''については、諸説[TIME[延徳2(1490)年][1490]]で一致しています。
[[干支年]]や用例[[著者]]が根拠とされており、
ほぼ確実と考えられます。

[98] 
[[譲状]]の[[日付]]という[[媒体]]の性格から、
使われたのは[TIME[延徳2(1490)年][1490]]当時の可能性が高いと思われます。

[99] 
[[月日]]を伴う用例が1例のみであり、同[[著者]]の前後の他の日付用例の存在が明らかではないため、
利用期間を特定することは困難ですが、当該用例より8月21日に用いられたことがわかります。

-*-*-

[103] 
'''どこで誰が使ったか'''について、
用例の1つは[[渋谷重豊]]の署名があります。
他方は無記名で、
その著者像を明言したものは見当たりませんが、
[[渋谷重豊]]に近しい者が暗黙裡に想定されているように思われます。
この点については慎重な検討を要します。

[104] 
使用者層や地域の広がりについては、ほとんど正面から検討されていません。
渋谷家に限定的だったことを前提にする説があります (>>82)
が、用例が2点しかないため、積極的に肯定することも否定することも困難です。

[105] 
[[入来院文書]]としての伝来から、
[[鹿児島県]]下の渋谷家所領での利用が想定されていると思われますが、
この点も深く議論されていません。
特に[[東国]]所領の存在を論拠とする説 (>>89) が[[渋谷重豊]]の移動履歴を検討していないのは、
片手落ちに思われます。

[107] 
誰が'''考案'''したかについて、
>>82 は使用者 = 考案者を前提としていますが、その根拠は示されていません。

[106] 
どのように'''伝達'''されたかについて、用例が2点しかない現状では検討が困難です。

-*-*-

[108] 
'''元号名の意味'''と'''利用の目的'''について、
>>86 は[[元号名]]を「''永''久相''伝''」と解し、
所領の子孫への安定継承を願う[[私年号]]だと主張しています。
これは[[譲状]]に利用されたことを主要な根拠としていると思われます。
'''なぜこの時期か'''も、
[[相続]]のタイミングだったから、という主張でしょう。

[109] 
この説に従えば、[[東国]]での[[福徳]]の発生とは偶然の時期の一致であって、
無関係ということになります。

[110] 
一方で、[[福徳]]が[[東国]]での[[改元伝達]]の混乱を実証しているように、
この時期[[九州]]でも混乱があって、[[永伝]]もまた[[改元デマ]]に過ぎない、
とも仮定できます。しかし、この説には現時点で裏付けがなく、
[[福徳]]と異なり2例しか用例が報告されていないのも弱点です。

-*-*-

[111] 
'''なぜ利用されなくなったか'''について、
>>86 説は明言していませんが、
[[相続]]の一時的なもので、はじめから継続されるものではない、
ということになるでしょうか。

[112] 
しかし、[[渋谷重豊]]だけがこのような[[私年号]]を使い、
祖先も子孫も使っていないのは不自然とも思われます。

-*-*-

[113] 
[[永伝]]は[[私年号研究]]の中で決して無視された存在ではありませんが、
ほとんど議論の対象になっていません。その理由は、

- [114] [[昭和時代]]まで[[私年号]]と明確に認識されず、[[近世]]、[[近代]]の総合的な[[私年号研究]]の対象から抜け落ちていたこと
- [116] 用例が少ないこと
- [117] [[九州]]という[[私年号]]報告自体が僅少の地にあること
- [118] 比定年の議論の余地がないこと

によって、あまり手を付けやすくないためでしょう。

[119] 
しかし比定年以外はほとんど弱い根拠と推測だらけの仮説しかないのであり、
新発見や新たな研究者の参入が待たれます。

* 研究史

[100] 
[[江戸時代]]後期から[[明治時代]]初期に編纂された
[CITE[薩藩旧記雑録]]
本の
>>18 >>20
は、
「永伝元年」を延徳2年と比定する注釈が付されているようです。
[SRC[>>32, >>33]]

[101] 
厳密にいつ誰が、どのように判定したものかは不明とせざるを得ませんが、
かなり早い時期に[[公年号]]では無いものとして認識され、
相当年代の推定が行われたことがわかります。

;; [102] 
[CITE[薩藩旧記雑録]]
の[[私年号研究]]については、
[[慶喜]]も参照。


[29] 
[[大正時代]]の史料集の[[翻刻]]では、「永傳元年」のうち最初3字の[[右ルビ]]に[CH[﹅]]計3つの[[圏点]]があります。
同書の目次では、「永傳元」のうち最初2字の[[右ルビ]]に[CH[﹅]]計2つの[[圏点]]があります。
[SRC[>>6]]
それ以外の注釈は特にありません。

[34] 
[[昭和時代]]の史料集の目次では、「[V[[RUBY[永伝  元][延徳二年]]年]]」
と表記されています。
[SRC[>>12 /491]]

[67] 
初出がいつかわかりませんが、[[東京大学史料編纂所]]のデータベースで公開されている
>>18 の解題には、 >>20
の[[干支年]]から比定年が決定されることが説明されています。
[SRC[>>66]]

-*-*-

[54] 
昭和16年の[[辻善之助]]の[CITE[大日本年表]]には、
[[永傳]]元年が[TIME[皇紀2150年 (延徳2年)][1490]]として掲載されています。
[SRC[>>52]]

[96] 
[[辻善之助]]
[WEAK[([TIME[明治10(1877)年][1877]] - [TIME[昭和30(1955)年][1955]])]]
は[[史料編纂所]]の幹部であり、
[[史料編纂所]]での[[入来院文書]]の調査の結果が反映されたものと推測されます。

[24] なお、
[[辻善之助]]を起点に[[昭和時代]]中頃から見られるようになった[[福伝]]なる[[私年号]]は、
[[永伝]]の誤伝が疑われます。
[SEE[ [[福伝]] ]]

[125] 
[TIME[昭和41(1966)年][1966]]の[CITE[角川日本史辞典]]は、
[[私年号]]の表に[[永伝]]を掲載し、
[TIME[延徳2(1460)年][1460]]から1年継続としています。
[SRC[>>123]]
それを出典とする[TIME[昭和59(1984)年][1984]]の[CITE[岩手の懸仏]]は、
[[私年号]]の表に[RUBY[永][えい]][RUBY[伝][でん]]を掲載し、
[TIME[延徳2(1460)年][1460]]から1年継続としています。
[SRC[>>124]]


[REFS[

- [123] 
[CITE@ja-JP[角川日本史辞典]], [[高柳光寿 等編]], [TIME[1966]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-18T08:30:02.291Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2973861/1/499> (要登録)
- [124] 
[CITE@ja-JP[岩手の懸仏]], [[岩手県立博物館]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-18T08:30:16.726Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12424053/1/40?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[93] 
昭和40年の[[久保常晴]]の論文は、
[CITE[史料綜覧]]
が
[CITE[薩藩旧記雑録]]
を引いて延徳2年に[[永伝]]があることに触れています。
[CITE[薩藩旧記雑録]]
であるから[[九州]]で使用されたものであろう、
明らかではないが2,3の[[私年号]]の存在が考えられる、
と述べています。
[SRC[>>115]]

[94] 
この時点ではまだ詳細な用例情報を入手できていなかったようです。

[73] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]
は、
>>18 >>20 を紹介しています。
[SRC[>>68]]

[75] 
更に

- [74] [CITE[渋谷重聰田地幷所当注文]]の[[奥書]]「延徳四年三月一日」

より、延徳4年は[[重聰]]の時代であることから、
「重豊譲状」
の永伝元年は延徳3年以前であるとします。
[SRC[>>68]]

[76] 
また、 >>20 の[[干支年]]が庚戌であるので、
永伝元年は延徳2年であると決定しています。
[SRC[>>68]]

[77] 
更に、
[CITE[入来院系図]]の重豊条、重聰条、
特に後者に延徳2年庚戌8月21日に家督を相続した旨があることとも一致すると指摘します。
[SRC[>>68]]

[80] 
なお、1箇所のみ永伝元年は延徳3年とあります [SRC[>>78]] が、
他 [SRC[>>68, >>79]] は延徳2年となっており、延徳3年は誤植と思われます。

[81] 
[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[永伝]]の発生理由を次のように推定しています。
[SRC[>>78]]

- [82] [[渋谷重豊]]が使用者である
-- [83] [[渋谷氏]]はもと関東土着の豪族で、[[鎌倉幕府]]の[[御家人]]だった
-- [84] [[薩摩国]]の所領を得て分家した
-- [85] 元来[[島津家]]とは同格だったが、権力増大し、
[[室町時代]]に勢力に組み込まれた
- [86] [[島津家]]内外の争いの激しい時代にあって、
[[渋谷重豊]]は所領が子孫に相続されることの困難を危惧した
-- [87] 「''永''久相''伝''」を願って[[私年号]]を使用したと考えられる
-- [88] 祖先[[渋谷定心]]がその子供たちへ家訓を示した寛元3年5月11日置文に、
所領の永久相伝への細かやかな配慮が汲み取れる
- [89] [[渋谷重豊]]の所領には[[相模国]]もあること、譲状に明らか
-- [90] [[私年号]]の発生地[[甲斐国]]の所領もある
-- [91] [[私年号]]の知識も十分所有していたと思われる
- [92] [[私年号]]の知識と所領の永久相伝を願う心が[[永伝]]を生み使用させた

[286] 
[TIME[昭和61(1986)年][1986]]の[CIET[元号事典]]は、
[CITE[日本私年号の研究]]
を参照しながらも、根拠不明の独自色をかなり盛り込んだ[[私年号]]の解説を有しています。
[[永伝]]については比較的
[CITE[日本私年号の研究]]
と近い解説ですが、
[TIME[延徳3(1491)年][1491]]に使われたとしています。
[SRC[>>285]]


[REFS[

- [115] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究(二)―室町時代―]]]]
- [1] 
[CITE[日本私年号の研究]]
-- [68] 
pp.[V[三三七]]-[V[三三九]], p.[V[三七六]]
-- [78] 
pp.[V[三八九]]-[V[三九〇]]
-- [69] pp.[V[四三一]]-[V[四三二]]
-- [79] p.[V[五三二]]
- [285] 
[CITE@ja-JP[元号事典]], [[川口謙二, 池田政弘]], [TIME[1986.8][1986]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T15:05:11.490Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12206705/1/146?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[15] [[入来院文書]]の[[譲状]]は研究上重要文書らしくよく引用されていますが、
その方面では一々[[私年号]]と断らないことが多いようです。

[40] 
多くの論文等が、これらを史料として利用する際に、
永伝元年が[TIME[延徳2(1490)年][1490]]であると説明しています。
そのことの根拠は特に提示していません。

- [45] >>18 : >>11 >>14 >>9 >>2 >>56 >>95
-- [122] >>121 (>>11 を引いて「[V[私年号と思われ]]」ともする)
- [46] >>20 : >>8 >>11


[38] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の[CITE[妙法寺記]]の[[翻刻]]本は、
延徳2年記事の注釈で、
「[V[しかし一般には延徳二年を福徳元年、永伝元年と[[異年号]]でよんだ]]」
と書いています。しかしその出典、根拠は書かれていません。
[SRC[>>13]]

;; [SEE[ [[[CITE[勝山記]]の日時]] ]]



[REFS[

- [8] 
[CITE@ja-JP[経済学論文集 : 三十周年記念]], [[九州大学経済学会]], 
[TIME[昭和30(1955)年][1955]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T12:36:24.354Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3047762/1/204?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
-- [44] 經濟史の論文
- [11] 
[CITE@ja-JP[入来町誌 上巻]], [[入来町誌編纂委員会]], 
[TIME[昭和39(1964)年][1964]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T12:51:34.027Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3005604/1/94?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
- [13] 
[CITE@ja-JP[戦国史料叢書 第2期 第13]], [[人物往来社]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T12:28:31.596Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2973949/1/14?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
- [14] 
[CITE@ja-JP[川内市史 上巻]], [[川内郷土史編さん委員会]], 
[TIME[昭和51(1976)年][1976]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T12:55:18.414Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769622/1/311?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
- [95] 
[CITE@ja-JP[柏原遺跡群 3 (柏原K・L遺跡・中世居館址と中世水田の調査)]], [[福岡市教育委員会]], [TIME[1987.3][1987]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T14:14:14.670Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12257294/1/103?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
- [121] 
[CITE@ja-JP[蒲生郷土誌]], [[蒲生郷土誌編さん委員会]], [TIME[1991.7][1991]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T15:09:12.662Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13275831/1/108?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
- [9] 
[CITE@ja-JP[日本中世における領主権力と地域社会]], [[青木啓明]], [TIME['''['''2000''']'''][2000]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T12:57:11.278Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3173679/1/84?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] 
[CITE[2012510154859.pdf]], [TIME[2021-09-15T07:02:43.000Z]], [TIME[2022-12-26T11:11:22.466Z]] <https://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/documents/2012510154859.pdf#page=103>
]FIGCAPTION]

>
[VRL[
[SNIP[]]永伝元年=延徳二年(一四九〇)の入来院重豊の譲状によれば、
]VRL]
]FIG]
- [56] 
[CITE@ja[Xユーザーのふひとべのべさん: 「『入来院文書』にある永伝元年(=延徳2年、1490年)の入来院重豊の譲状で、大隅国の餅田を領していることが確認できる。やはり帖佐の五社神社は、入来院氏が関係しているのかな? #五社神社 #渋谷氏 #入来院氏 #西餅田 #帖佐 #姶良市 #鹿児島県」 / X]], [TIME[午前10:36 · 2024年6月21日][2024-06-21T01:36:59.000Z]], [TIME[2026-04-29T11:49:21.000Z]] <https://x.com/benobe5858/status/1803965305724768573>


]REFS]

-*-*-

[39] 
[TIME[昭和63(1988)年][1988]]の[[山崎真佐恵]]の[[論文]]は、
[[私年号]]の使用者がそれを[[公年号]]と異なる[[私年号]]と認識していたかを議論するものですが、
[[永伝]]も取り上げています。
[CITE[日本私年号の研究]]
の見解を紹介した上で、
[[入来院氏文書]]の2つの用例に限られており、広範囲に伝播したとは考えられないため、
[[私年号]]と認識されて使用された例であると断定しています。
[SRC[>>7]]


[REFS[

- [7] 
[CITE@ja-JP[栃木史学 = The Tochigi journal of Japanese history (2)]], [[国学院大学栃木短期大学史学会]], [TIME[1988-03]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T12:31:57.293Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4424952/1/89?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[48] 
[[昭和時代]]中期以後の多くの辞典等が[[永伝]]を[TIME[延徳2(1490)年][1490]]と説明しています。
[SRC[>>52, >>25, >>4, >>10, >>55, >>120]]

[49] 
継続年数を1年とするものがあります。
[SRC[>>25, >>10]]
[[元年]]の用例のみ存在することによると思われます。

[50] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]には初期から掲載されています。 [SRC[>>51]]

[REFS[

- [52] [[日本私年号一覧表]]
- [120] 
[CITE@ja-JP[国語大辞典]], [[尚学図書 編集]], [TIME[1981.12][1981]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T15:04:29.399Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12446267/1/151?keyword=%E6%B0%B8%E4%BC%9D> (要登録)
-
[25] [CITE@ja-JP[日本歴史大辞典 第2巻 (えーかそ)]], [[日本歴史大辞典編集委員会]], [TIME[1985.2][1985]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-18T15:31:29.281Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12195949/1/22?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE@ja[[[永伝]]とは - コトバンク]], [[精選版 日本国語大辞典]], [TIME[2022-12-26T11:13:43.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B8%E4%BC%9D-2012866>
]FIGCAPTION]

>室町中期に用いられた私年号。永伝元年は延徳二年(一四九〇)にあたる。
]FIG]
- [51] [[Wikipediaの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,永伝 	,- 	,延徳2年(1490年) 	,1 	,『入来院文書』 
]FIG]
- [55] 
[CITE@ja[Xユーザーのついだい/ Twidieさん: 「@Emerald20m 1490年-室町時代[延徳2年・福徳元年・永伝元年/皇紀2150年・檀紀3823年]平 🇯🇵足利義稙、室町幕府第10代征夷大将軍に就任 松平信忠生誕 足利義政死去 🇫🇷シャルル3世生誕 🇮🇱🇨🇾カルロ1世・サヴォイア死去」 / X]], [TIME[午後11:14 · 2024年5月27日][2024-05-27T14:14:46.000Z]], [TIME[2026-04-29T11:49:21.000Z]] <https://x.com/OfficalTwidie/status/1795096310405562686>


]REFS]

* 関連

[SEE[ [[延徳]], [[福徳]], [[慶喜]] ]]

[SEE[ [[永幻]] ]]

* メモ


- [53] [CITE@ja[Xユーザーの桃代さん: 「《薬王寺》鎌倉市扇ケ谷3-5-1 永伝元年(1293)日蓮聖人の孫弟子の日像聖人が京都に布教に行く前に 鎌倉由比ヶ浜で百日間の大荒行を敢行 療養場所を求めこの地に辿り着いたのが始まり 徳川・蒲生家縁の寺で、徳川三代将軍家光の弟、忠長公の供養塔(写真②)や蒲生忠知(家康の孫)の正室・息女の墓がある https://t.co/JikRHfhqXy」 / X]], [TIME[午後0:03 · 2022年9月28日][2022-09-28T03:03:12.000Z]], [TIME[2026-04-29T11:49:21.000Z]] <https://x.com/momookimomo/status/1574957872756424704>












