* 元号名


[22] 
[CITE@ja-JP[多摩ニュータウン遺跡 昭和58年度 /第6分冊]], [[東京都埋蔵文化財センター]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T14:42:18.509Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12255776/1/93> (要登録)

** 異体字

[25] 
[CITE@ja-JP[千葉県史料 金石文篇 3 補遺]], [[千葉県企画部県民課]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-22T11:30:01.790Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/22?keyword=%E5%9C%B0%E8%BC%AA%E3%81%AE%E3%81%BF> (要登録)

** 永京

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [28] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[静岡県]][[静岡市]][[沓谷]]]] [[蓮永寺]] [[系図]][CITE[山崎系]]]]
-- [30] 
「兼氏・永京乙酉正月三日行歳三十九歳」
[SRC[>>29]]

]ITEMS]


[REFS[

- [29] 
[CITE@ja[貞松山 蓮永寺|日蓮宗 寺院ページ]], [TIME[2026-07-05T06:21:59.000Z]] <https://temple.nichiren.or.jp/2061148-reneiji/>

]REFS]

*** 研究史

[316] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[異年号]]のうち[[私年号]]に分類されないものの中で、
[CSECTION[[[[V[一字異音の年号]]]]]]
の章のうち、[[同音異字の年号]]とは趣を異にし、
意識して故意に異字を使用したわけではなく、
単なる誤認によるものが多い、
とするものの1つとして、
>>28
を提示しています。
[CH[享]]を[CH[京]]に誤っている、と説明しています。
他に[[長亨]],
[[亨徳]]を紹介しています。
[SRC[>>312]]

[REFS[

- [311] [CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [312] pp.[V[一八八]]-[V[一九五]]

]REFS]



** 永章

[4] 
[TIME[昭和35(1960)年][1960]]に[[日本国]][[埼玉県]][[川口市]]の[[鈴木茂]]が発表した
[CITE[川口板碑年表]]
([CITE[埼玉史談]] 第七巻第一号所収)
に、
「永章」
[[私年号]]の[[板碑]]が掲載されました。
後に[[中英夫]]が[[電話]]で[[鈴木茂]]に確認したところ、
[[永章]]に間違いないと証言がありました。
[SRC[>>3]]

[118] 
[TIME[昭和41(1966)年][1966]]に[[日本国]][[埼玉県]][[浦和市]]の歴史研究者[[中英夫]]はこれを引いて [SRC[>>3]]
「筆者手持ち資料」に基づく[[私年号]][[板碑]]の一覧表に

- [132] (10) [[永章]]□年十月三日 ([V[元年は一五〇四]]) 川口市神根 源長寺 未調査

を掲載しました [SRC[>>117]]。
この時点で[[中英夫]]は未見でした [SRC[>>3]]。

[15] 
説明なく [TIME[1504]] とありますが、これは[TIME[永正元年][1504]]にあたります。
[[音通]]の異表記と考えてのことでしょうか。


[6] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]に[[考古学者]]の[[小沢国平]]が出版した
[CITE[板碑入門]]
は、[[板碑]]研究分野ではよく読まれた書籍ですが、
>>3 を引いて[[板碑]]の[[私年号]]の1つとして紹介していました。
[SRC[>>1]]

[5] 
[TIME[1969-09-25]]、
[[中英夫]]は[[日本国]][[埼玉県]][[川口市]]の[[源長寺]]を訪れ当該[[板碑]]を実見しました。
しかし[[中英夫]]には
「永章」
とは読めず、
「永享二年」か「永享六年」のように見えました。
[TIME[昭和46(1971)年][1971]]にこれを発表しました。
[SRC[>>3]]


[8] 
[TIME[昭和53(1978)年][1978]]には[[拓本]]と[[翻刻]]などが掲載されています。
「永享二年」と読まれていて、特に注釈はありません。
[SRC[>>7 [L[336]]]]

[9] 
[[拓影]]でみても[[文字]]の判読は厳しいところがありますが、
確かに「永享二年」と読めないことはありません。
「永章」と読んでしまった気持ちもわかります。

[12] 
現在、
[[源長寺]]の公式サイトほかいくつかのウェブサイトに[[源長寺]]の[[板碑]]群の全体写真があります
[SRC[>>10, >>11]]
が、個別の写真は見当たりません。
どれが当該[[板碑]]なのかもよくわかりません。

[REFS[

- [116] [CITE[埼玉史談]] 13(2), [TIME[昭和41(1966)年7月][1966-07]]
-- [117] [CITE[[[[V[県内における私年号板碑]]]]]],
[[[V[中英夫]]]],
pp.[V[二四]]-[V[二六]]
- [2] [CITE[埼玉史談]] 17(4), [TIME[昭和46(1971)年1月][1971-01]]
-- [3] [DFN[[CITE[[V[「永章」の私年号板碑について]]]]]],
[[[V[中英夫]]]],
p.[V[四三]]
--- [16] 関連: [[享正]], [[元真]]
-
[1] 
[CITE@ja-JP[板碑入門]], [[小沢国平]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T03:18:20.455Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/79?keyword=%E6%B0%B8%E7%AB%A0> (要登録)
- 
[7] 
[CITE@ja-JP[[[川口市史]] 古代・中世資料編]], [[川口市]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-04T10:11:04.000Z]], [TIME[2024-01-04T13:45:14.553Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/289> (要登録)
-
[10] 
[CITE@ja[境内案内 | 浄土宗 周光山 勝林院 [[源長寺]]]], [TIME[2024-01-04T13:48:02.000Z]] <https://genchouji.org/aboutus/keidaitouring/>
- 
[11] 
[CITE[江戸史蹟散歩 赤山陣屋敷址/[[源長寺]]]], [[who]], [TIME[2023-11-03T15:43:26.000Z]], [TIME[2024-01-04T13:48:23.675Z]] <http://hotyu.starfree.jp/edo/akayama/akayama.html#%E6%BA%90%E9%95%B7%E5%AF%BA>



]REFS]


[13] 
結局、「永章」は[[昭和時代]]に[[私年号]]として報告されたものの、
「永享」の誤読に過ぎなかったと結論付けられたようです。

[14] 
[[私年号]]の一覧表に取り込まれたこともあったものの、
辞典類のような有名な[[元号一覧]]には収録されることなく、
忘れられて[[令和時代]]に至りました。


** 永亨


*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [31] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[北多摩郡]][[大和町]][[奈良橋]]]] [[雲性寺]] [[阿弥陀三尊]][[種子]][[板碑]]]]
-- [34] >>312 : 拓本 白黒写真 (低解像度) 字形はぎり読めるか読めないか
-- [32] 
「[V[永亨[LINES(smaller)[二][二]]年八月十四日]]」
[SRC[>>312]]

]ITEMS]


[18] 
[CITE@ja-JP[南朝遺史 追加之2 自天王碑]], [[林嘉三郎]], [TIME[明27.3][1894]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-11T12:23:48.890Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/772453/1/83>
左上

「[V[永亨二年]]」 (楷書)

*** 研究史

[33] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[異年号]]のうち[[私年号]]に分類されないものの中で、
[CSECTION[[[[V[一字異音の年号]]]]]]
の章のうち、[[同音異字の年号]]とは趣を異にし、
意識して故意に異字を使用したわけではなく、
単なる誤認によるものが多い、
とするものの1つとして、
>>31
を提示しています。
[CH[享]]を[CH[亨]]としている、と説明しています。
他に[[長亨]],
[[亨徳]]を紹介しています。
[SRC[>>312]]


** 永亭

[19] [CITE@ja-JP[賀名生村史]], [[賀名生村史編集委員会]], [TIME[1959]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-12T15:11:59.713Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2995327/1/81> (要登録)

[20] >>19 引用だけでなく本文でも永亭。編集時の誤植かも。

** ゑいかう

[SEE[ [[仮名書年号]] ]]

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [37] [CITE(.label)[国行事憲房宛行状]]
-- [38] >>289 : [V[十[YOKO[5]]]]
-- [39] >>289 : [V[二〇一]]
-- [36] 
「[DATA(.text)[[V[ゑいかう十年[LINES(smaller)[つちのへ][むま]]四月四日]]]]」
[SRC[>>289 /106, >>311 p.[V[一九〇]]]]
--- 
[56] 
「[DATA(.text)[[V[ゑいかう十年[LINES(smaller)[つちのへ][むま]]四月四[ASIS[月]]]]]]」
[SRC[>>311 p.[V[一六五]] [V[[YOKO[4]]]] (千葉県佐原市香取神宮 旧大禰宜家文書 ([CITE[香取文書]]))]]
----[58] 
「[V[四月四'''月''']]」
[SRC[>>311 p.[V[一六五]] (旧版、新装版とも)]]
は誤植。 
--
[57] 
[TIME(.value)[日本永享10(1438)年戊午4月4日][1438-04-04]]

]ITEMS]


[REFS[

- [289] 
[CITE@ja-JP[[[千葉県史料]] 中世篇 香取文書]], [[千葉県史編纂審議会]], [TIME[1957]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-21T14:17:55.433Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/106> (要登録)

]REFS]

*** 研究史

[59]  
[TIME[昭和32(1957)年][1957]]の史料集
[SRC[>>289]] は、
明言しないものの[[永享]]に配列しています。
その比定理由は不明 [SRC[>>6 p.[V[一六五]]]] です。

[60] 昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]は、
内容からこの比定年で妥当 [SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
とそれを追認しています。
[SRC[>>311]]

[61] 
「享」と「[RUBY[亨][こう]]」と誤ることは多い。
[SRC[>>311 p.[V[一六六]]]]
[CH[享]]を「こう」と読んでいる ([[永亨]]と同様)。
[SRC[>>311 p.[V[一九〇]]]]
と述べています。

** 永寧

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [40] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[宮城県]][[栗原郡]][[三迫]][[普賢堂]]]] 所蔵 [[過去帳]]]]
-- [42] >>312 : [[一字異音年号]] [L[4]]
-- [41] 
[DATA(.label)[明和七年七月二十一日発掘石碑銘]]
「[DATA(.text)[[V[永寧二年二月十日]]]]」
[SRC[>>312]]
--- [48] 同時発掘:
文永六年、康安□年、文明九年、[[文命]]十三年、永正九年、永正十二年 [SRC[>>312]]
---- [53] 現在は散逸 [SRC[>>312]]
- [43] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[宮城県]][[栗原郡]][[三迫]][[普賢堂]]]] 所蔵 [[鰐口]]]]
-- [44] >>312 : [[一字異音年号]] [L[5]]
-- [45] 
「[DATA(.text)[[V[永寧十二年四月二十二日]]]]」
[SRC[>>312]]

]ITEMS]

*** 研究史

[46] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[異年号]]のうち[[私年号]]ではなく[[一字異音年号]]に属するものの1つとして、
>>40 >>43
を挙げて、

- [47] [[江戸時代]]にいう石碑の多くは[[板碑]]
-- [51] 当寺に観応、延文5、應安6、応永12、嘉吉3、長禄5、応仁2、文明13の[[板碑]]が保存されている
-- [52] >>48 は >>53 であり実物で確認できないが、
- [54] この期間で12年以上あり、[CH[永]]を冠するのは[[永享]]と[[永正]]
-- [55] [[字体]]からすればむしろ[[永享]]
-- [62] [CH[享]]の発音がしばしば誤られた ([[永亨]], [[ゑいかう]]) 点もこれを支持
- [50] [[金石文]]であり、同時代の利用とみられる。
- [49] 単に誤ったのか、[[同音異字年号]]にみられるよう特定の意志で変更したか、
他に資料なく判断できない

... と述べて、[[永享]]に比定しています。 [SRC[>>312]]




* 延長年号


[35] 
[[埼玉県]]の[[鳩山村]]の[[妙光寺]]に永享18年銘、享徳8年銘の[[板碑]]があります。
[SRC[>>289]]

[REFS[

- [286] [CITE[[[日本の石仏]] 4号]],
[TIME[1977-12]]
-- [287] 
[CSECTION[小特集 中世板碑]]
--- [289] 
[CITE[[[[V[中世私年号と板碑[WEAK(smaller)[―私年号伝播者および足利成氏との関係を中心に―]]]]]]]],
[[[V[浅沼徳久]]]],
pp.[L[17]]-[L[23]]


]REFS]

[24] [CITE[[[偽年号考]]]]


* 1年ずれ永享

[21] [CITE@ja-JP[賀名生村史]], [[賀名生村史編集委員会]], [TIME[1959]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-12T15:18:27.779Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2995327/1/176> (要登録)

* 特殊な用例

[26] [CITE@ja-JP[考古学雑誌 4(5)]], [[日本考古学会]], [TIME[1914-01]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-26T01:19:44.236Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548187/1/30?keyword=%E6%B0%B8%E4%BA%AB> (要登録)

[27] >>26 論文著者が
「[V[[LINES(normal)[應八月日][永□七年]]]]」
と読み、
編集者が拓本から
「[V[[LINES(normal)[[LINES(normal)[大才][乙卯]]八月 日][永□七年]]]]」
と読んでいる。



* メモ