[2] 
[DFN[大韓民国]]
([TIME[y~260]])
は、
[[大日本帝国朝鮮]]や[[中華民国]]の[[朝鮮人]]の一部や、
[[大韓民国]]の政府の一部で使われた[[紀年法]]
([[団体設立紀元][建国紀元]])
の1つです。


* 呼称

[23] 
当時は[[漢字]]
([[朝鮮語]], [[日本語]], [[中文]])
で
「[L[大韓民國]]」
や
「[V[大韓民國]]」
と表記されました。
[SRC[>>24]]

[25] 
[[韓国語]]の[[ハングル]]表記は
[DFN[대한민국]] [SRC[>>1, >>36]]、
[[カタカナ表記][韓国語カタカナ表記]]は「テーハンミングク」 [SRC[>>1]]
です。

[164] 
[[元号名]]は[DFN[民國]]と省略された例もあります。

;; [165] [[中華民国]]のいわゆる[[民国紀元]]と同名になり、文脈で区別する必要があります。

[166] 
[[日本]]では[[元号名]]が[[朝鮮民國]], [[朝鮮共和國]]と表記された例もありました。

[26] 
[[日本語]]の[[読み][元号の読み方]]は「だいかんみんこく」です。
[SRC[>>1]]

[29] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]はこの[[紀年法]]を[DFN[大韓民国暦]]と呼んでいます。
[SRC[>>1]]

[31] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]はこの[[紀年法]]を[DFN[大韓民國紀年]] 
([[簡体字]]: [DFN[大韩民国纪年]])
と呼んでいます。
[SRC[>>30, >>35]]

[REFS[
- [30] 
[CITE@zh[[[大韓民國紀年]] - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2023-06-04T11:36:34.000Z]], [TIME[2023-06-18T11:36:40.229Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9C%8B%E7%B4%80%E5%B9%B4>
- [35] 
[CITE@lzh[[[大韓民國紀年]] - 維基大典]], [TIME[2023-06-04T11:36:35.000Z]], [TIME[2023-06-18T11:50:02.775Z]] <https://zh-classical.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9C%8B%E7%B4%80%E5%B9%B4>

]REFS]


* 紀年法

[22] 
[[元年]]は、[TIME[西暦1919年][1919]]です。
[SRC[>>1]]

[163] 
[[大日本帝国朝鮮]]や[[中華民国]]では、
[TIME[大韓民国元(1919)年][1919]]から20年代くらいまでが使われました。

[162] 
[[大韓民国]]では、[TIME[大韓民国30(1948)年][1948]]が使われました。

[34] 
[CITE[Wikipedia]] は元年 ([TIME[西暦1919年][1919]]) 
から30年 ([TIME[西暦1948年][1948]]) 
まで[[年表]]を掲載しています。
[SRC[>>1, >>30, >>36]]


* 大韓民国臨時政府による利用

[142] 
[[大韓民国臨時政府]]は、
[[中華民国]][[上海市]]在住[[朝鮮人]]によって構成される、
[[中国国民党]]に参加していた団体でした。
[SRC[>>143]]

[144] 
[TIME[中華民国8(1919)年4月11日][1919-04-11]]の
[CITE[大韓民国臨時憲章]]
制定により成立したとされます。
[[大韓民国]]の名称は[TIME[中華民国8(1919)年4月10日][1919-04-10]]開催の会議[[臨時議政院]]で制定されたとされます。
[SRC[>>143]]

[148] 
[[大韓民国臨時政府]]の設立は、
[TIME[1919-03-01]]の[[三一独立運動]]からの流れによるものです。
[[大韓民国臨時政府]]の幹部は[[三一独立運動]]にも参加していました。
ただし両者の参加者は同じではなく、
単純に[[三一独立運動]]によって[[大韓民国臨時政府]]が設立されたということでもないようです。


[145] 
[[亡命政府]]の体を取っていますが、
旧政府等既存の統治組織を継承したものではなく、
また、
[[朝鮮人]]の民主的な[[選挙]]等で選出された代表によるものでもありません。
[[中華民国]]を含む諸国政府から[[国家承認]]されることもありませんでした
[SRC[>>143]]。

;; [161] 
[[中国国民党]]傘下なのに[[国民政府]]からも対手とされていないのは不思議ですが、
[[中国国民党]]の下部組織ということは[[独立国]]の[[政府]]とも言えないですね。
[[日本]]からの[[独立]]を目指しながら旧来の[[中華秩序]]から脱しきれていないのが、
[[朝鮮]]の複雑な位置を表しているとも考えられます。


[146] 
[[大韓民国臨時政府]]は[[国家承認]]も[[実効支配]]も民主的手続きも伴わないまま、
[TIME[西紀1945年11月][1945-11]]に[[米国軍政庁]]により解体されました [SRC[>>143]]。
現在の[[大韓民国]]でも[[大韓民国臨時政府]]との連続性が主張される場面がある [SRC[>>143]]
ものの、法的、実質的な組織としての連続性はありません。
しかし[[大韓民国臨時政府]]の構成員が建国当初の[[大韓民国]]の幹部となりました。

[REFS[

- 
[143] 
[CITE@ja[[[大韓民国臨時政府]] - Wikipedia]], [TIME[2023-06-24T02:18:19.000Z]], [TIME[2023-07-08T03:18:38.534Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E8%87%A8%E6%99%82%E6%94%BF%E5%BA%9C>

]REFS]

[17] 
[[大韓民国臨時政府]]が[TIME[中華民国8(1919)年4月11日][1919-04-11]]に発表した
[CITE[大韓民国臨時憲章]]
は、
「大韓民国元年4月11日」
と書いていました。
[SRC[>>1, >>36]]

[141] 
その前日 ([TIME[中華民国8(1910)年4月10日][1919-04-10]]) に
「朝鮮民國元年四月十日」
のように書いた例が知られますが、
[[元号名]]の[DFN[朝鮮民國]]が原文ママか翻訳かは不明です。
同日の[[元号名]]が[DFN[朝鮮共和國]]の例もありますが、
これは翻訳によるものです。


[33] 
[[三一独立運動]]により[[元年]]を定めた
[SRC[>>30, >>35]]
とも、
[[大韓民国臨時政府]]の設立年を[[元年]]とした
[SRC[>>36]]
とも説明されます。
(どちらも同じ[[年]]です。)
「民國元年三月一日」
と書いた例 (>>52)
がありますが、
この例は過去の日付に言及したものです。
[TIME[1919-03-01]]当時はこの[[紀年法]]が未成立だったと考えられます。
「[[三一独立運動]]とその流れで設立された[[大韓民国臨時政府]]を記念して、
その[[年]]を[[元年]]とした」
とするのが正確かもしれません。

[149] 
これに先立つ[[三一独立運動]]やその前後の関係する活動で、
[[大韓民国臨時政府]]関係者やそれ以外の活動家らは、
[[檀君紀元]]を使うケース (>>111) が多かったようです。
[SEE[ [[檀君紀元]] ]]

[18] 
[[大韓民国臨時政府]]は[[紀年法]]として[[大韓民国]]を採用し [SRC[>>14 /11, >>1, >>36]]、
発給文書で利用しました。
また、
[[韓人愛国団]]、
[[韓国光復軍]]など関連団体でも利用しました。
[SRC[>>1, >>36]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [106] 
[DATA(.label)[[CITE[朝鮮明國臨時政府設立章程]] (の和訳?)]]
-- [133] [CSECTION(.label)[第二十五條]]
「[SNIP[]]民國紀元以前に於て[SNIP[]]」
[SRC[>>14 /18]]
-- [107] [CSECTION(.label)[附則]]
「年號は朝鮮民國元年と稱す」
[SRC[>>14 /18]]
-- [108] 
「[DATA(.text)[朝鮮民國元年四月十日]]」
[SRC[>>14 /18]]
- [109] 
[DATA(.label)[[CITE[都領府令第一號]] (の和訳?)]],
[[孫秉熙]], [[李承晩]]
「[DATA(.text)[朝鮮民國元年四月十日]]」
[SRC[>>14 /18]]
- [110] 
[DATA(.label)[[CITE[都領府令第二號]] (の和訳?)]],
[[孫秉熙]], [[李承晩]]
「[DATA(.text)[朝鮮民國元年四月十日]]」
[SRC[>>14 /18]]
- [123] 
[DATA(.label)[[CITE(.label)[朝鮮共和國假憲法]] (英文の和訳)]]
-- [124] 
「[DATA(.text)[朝鮮共和國第一年四月十日]]」
[SRC[>>14 /27]]
- [111] これと同時期の他の文書
-- [112] 「紀元四千二百五十二年四月      日」 [SRC[>>14 /19]]
-- [113] 「朝鮮建國四千二百五十二年四月」 [SRC[>>14 /19]]
-- [114] 「朝鮮建國四千二百五十二年四月  日」 [SRC[>>14 /19]]
-- [115] 「建國四千[ASIS[五]]百五十二年四月  日」 [SRC[>>14 /21]]
-- [116] 「朝鮮建國四千二百五十二年五月  日」 [SRC[>>14 /22]]
-- [117] 
--- [119] [DATA(.label)[本文]]「[SNIP[]]一千九百四年に[SNIP[]]」 [SRC[>>/14 /22]]
--- [118] 「朝鮮建國四千二百五十二年四月  日 (一千九百十九年)」 [SRC[>>14 /23]]
-- [120] 「朝鮮建國四千二百五十二年四月  日」 [SRC[>>14 /23]]
-- [121] 「朝鮮建國四千二百五十二年四月  日」 [SRC[>>14 /24]]
-- [122] 「朝鮮建國四千二百五十二年五月十三日」 [SRC[>>14 /24]]
- [48] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[大韓民國臨時政府憲法]]]] (和訳?)]]
-- [51] 
「[DATA(.text)[[V[大韓民國元年四月  日]]]]」
[SRC[>>7 /85, >>10 /171]]
-- [49] [DATA(.label)[[CSECTION[[V[宣誓文]]]] (和訳?)]]
--- [52] 「[DATA(.text)[[SNIP[]]民國元年三月一日[SNIP[]]]]」
[SRC[>>7 /86, >>10 /171]]
-- [50] 
[DATA(.label)[[CSECTION[[V[政綱]]]] (和訳?)]],
[[[V[大韓民国臨時政府]]]]
「[DATA(.text)[[V[大韓民國元年四月]]]]」
[SRC[>>7 /86, >>10 /172]]
- [53] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[大韓民國臨時憲法]] (和訳?)]]]]
--
[54] 
「[V[第五十八條  本臨時憲法は公布日より施行し[DATA(.text)[元年四月十一日]]公布したる大韓民國臨時憲章は本臨時憲章施行の日より之を廃止す]]」
[SRC[>>7 /90, >>10 /176]]
-
[55] 
[DATA(.label)[[[金弘徐]] ([[上海]]の仮政府議政院平安南道代院議) から[[平壌]]の神学校生徒に送付された印刷物 (の和訳?)]]
-- [56] 「[DATA(.text)[大韓民國元年九月]]」 (2点)
[SRC[>>9]]
-- [57] [[朝鮮総督府]]が押収したものが[[日本]]の[[キリスト教]]系機関誌に掲載されたもの。
[SRC[>>9]]
- [128] 
[DATA(.label)[内務部第一四二號 (の和訳)]]
「[DATA(.text)[大韓民國元年九月二十四日]]」
[SRC[>>14 /42]]
- [125] 
[DATA(.label)[大正8年10月24日に報告された布告]]
--[126] 
[DATA(.label)[布告 (の和訳)]],
[[李承晩]]
「[DATA(.text)[大韓民國元年  月  日]]」
[SRC[>>14 /38]]
--[127] 
[DATA(.label)[[CITE[布告第一號]] (の和訳)]],
[[李承晩]]
「[DATA(.text)[大韓民國元年十月十五日]]」
[SRC[>>14 /39]]
-
[60] 
[DATA(.label)[[CSECTION[[V[財務部布告第一號]]]] (の和訳?)]]
--
[58] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]して大韓民國二年三月一日より[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>10 /192]]
--
[61] 
「[V[[SNIP[]]して[DATA(.text)[民國元年]]發行の[SNIP[]]]]」
[SRC[>>10 /192]]
--
[59] 
「[DATA(.text)[[V[大韓民國二年二月二十四日]]]]」
[SRC[>>10 /192]]
- [8] 
[DATA(.label)[大韓国民会長具春先生宛書面 (和訳?)]],
[[李東輝]], [[金立]], [[桂奉瑀]],
[TIME(.value)[1920-05-11]],
[DATA(.addr)[[[間島]]]]
「[DATA(.text)[[V[大韓民國二年五月十一日]]]]」
[SRC[>>7 /84, >>10 /230]]
- [131] 
[DATA(.label)[[CITE[國民代表會籌備委員會宣言書]] (の和訳?)]]
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[紀元四千二百五十五年][民國四年]]五月十日]]]]」
[SRC[>>14 /100]]


]ITEMS]

[129] >>14 にはこの他にも多数の用例が収録されています。

[62] 
[[大日本帝国朝鮮]]での事件についての[TIME[1920-02-27]]の判決文では、
「朝鮮建國四千二百五十二年三月十二日付」文書や
「大韓民國元年八月二十八日付」文書が参照されています。
[SRC[>>11 /79]]

[47] 
[[大韓民国臨時政府]]らが[[大韓民国]]を使ったことは、
[[日本]]で発行された[[日本語]]書籍でも当時から知られていました。
[SRC[>>6, >>7, >>10, >>11 /16]]

[63] 
[[昭和時代]]初期に出版された[[禁書目録]]にいくつか[[大韓民国]]年が書かれたものがあります。

- [64] 大正9年1月: 
[CITE[呂運亨一件日本巡行始末]] 
「[V[大[ASIS[幹]]民國[BR[]]二年一月]]」
[SRC[>>12 /139]]
- [71] 大正9年1月:
[CITE[告諭文]] 一枚, [[貝春光]], 在北間島大韓国民会
「[V[大韓民国元年十一月]]」  
[SRC[>>12 /146]]
- [65] 大正9年3月: 
[CITE[大韓民曆]]
「[V[大韓民國二年[BR[]]紀󠄄元四二五年]]」
[SRC[>>12 /139]]
-- [66] 「紀元」年は[[檀君紀元]]年の誤写か。
- [68] 大正9年3月:
[CITE[[[大韓民國臨時政府公報]] 三月二十四日第一三號(號外)]]
[SRC[>>12 /143]]
-- [69] 年は明記されていないがおそらく大韓民国2年
- [70] 大正9年3月:
[CITE[[[民生日報]] 民國一月十六日號]]
[[重慶]]
[SRC[>>12 /143]]
-- [72] これは[[中華民国]]かもしれないし、[[年]]でなく国名かもしれない
-- [73] 1月16日は[[農暦]]?
- [74] 大正9年3月: 
[CITE[支那人に對する排日檄文]]
「[V[大韓民國二年一月]]」
[SRC[>>12 /146]]
- [75] 大正9年3月:
[CITE[[[國務院佈告文]] 第一號]], 上海假政府一日[ASIS[布]]告文
[SRC[>>12 /146]]
- [76] 大正9年3月:
[CITE[親日を脅迫する文書]], [[金子奎]]
「[V[大韓民國二月十二日]]」
[SRC[>>12 /146]]
- [67] 大正9年10月: 
[CITE[[[民言]] 第一八號]]
「[V[大韓民國二年九月十七日發行]]」
[V[米國・ロザ[BR[]]ン・ゼルス]]
[SRC[>>12 /141]]
- [77] 大正10年4月:
[CITE[韓國眞相]] (漢文),
[[上海]], [[李英烈]], [[金彌敍]]
「[V[大韓民國二年十二月一日]]」
[SRC[>>12 /148]]







[REFS[

-
[6] [CITE@ja-JP[朝鮮人の共産主義運動]], [[日本資料刊行会]], [TIME['''['''19--''']'''][1900]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:15:46.176Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1903548/1/223> (要登録)
-
[9] [CITE@ja-JP[[[弘道]] (334)]], [[日本弘道会]], [TIME[1920-01]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:17:24.800Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6057877/1/32> (要登録)
-
[7] [CITE@ja-JP[朝鮮統治論]], [[上田務]], [TIME[1920.12][1920]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:16:14.142Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1906951/1/86> (要登録)
-
[10] [CITE@ja-JP[鮮満の経営 : 朝鮮問題の根本解決]], [[細井肇]], [TIME[大正10][1921]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:17:55.651Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/965788/1/171> (要登録)
-
[11] [CITE@ja-JP[朝鮮独立思想運動の変遷]], [[朝鮮総督府法務局]], [TIME[1931.11][1931]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:18:25.293Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1907569/1/16>
-
[12] [CITE@ja-JP[現代筆禍文献大年表]], [[斎藤昌三]], [TIME[1932]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:19:13.636Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1807861/1/146> (要登録)
-
[14] [CITE@ja-JP[朝鮮独立運動 第2 (民族主義運動篇)]], [[金正明]], [TIME[1967]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-19T11:29:05.182Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3000559/1/103> (要登録)
- [36] 
[CITE@ko[[[대한민국]] (연호) - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2023-06-03T21:09:39.000Z]], [TIME[2023-06-18T11:51:23.471Z]] <https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8C%80%ED%95%9C%EB%AF%BC%EA%B5%AD_(%EC%97%B0%ED%98%B8)>
]REFS]

- [168] [CITE[Wayback Machine]], [TIME[2024-05-01T13:04:23.000Z]] <https://web.archive.org/web/20060823131731/http://www.allim.go.kr/download1/gov_advertisement/koreabalance.wmv>
- [167] [CITE@ja[韓国広報CF(その2) : RGBとCMYの不思議な関係]], [[lee_milky]], [TIME[2024-05-01T13:03:33.000Z]] <https://leemilky.exblog.jp/446252/>

[169] >>168 は[[大韓民国]]政府の自国民向けプロパガンダ映像。
>>167 はその[[和訳]]。

>>168 の初めの辺りに集合写真。人物の後ろに掲げられた文字列 ([[楷書]])

>
[RIGHT[
[BOX(center)[
[R[大韓民國臨時政府國務院]]

[WEAK(smaller)[[R[大韓民國元年十月十一日]]]]
]BOX]
]RIGHT]


-[171] 
[CITE@ja[立命館学術成果リポジトリ]], [TIME[2024-08-02T13:55:05.000Z]] <https://ritsumei.repo.nii.ac.jp/records/8269>
--[170] 
[CITE@ja[as_45_ sasa.pdf]], [TIME[2024-08-02T13:50:49.000Z]], [TIME[2024-08-02T13:54:28.152Z]] 
#page=9

>
[LEFT[
北路軍政署の内実を伝える最も重要な史料の一つとして、『司令部日誌』(幕賓李楨『司令部[BR[]]
日誌』第一号、大韓民国二年)がある[SNIP[]]

]LEFT]

-*-*-

[150] 
[[大韓民国臨時政府]]は独立派の[[朝鮮人]]の最大規模の団体でしたが、
同じように反日的なすべての[[朝鮮人]]がこの団体または傘下団体に所属したわけではありません。
[[朝鮮]]域内外には多数の団体があって、それぞれの主義主張を持っていたようです。

[151] 
対立点は多数ありましたが、
[[紀年法]]もそのうちの (重要な) 1つでした。
[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]は[[大韓民国臨時政府]]の独自制定でしたから、
諸団体、諸メンバーの[[大韓民国臨時政府]]への忠誠心を覗えるものでもあります。

[152] 
その[[大韓民国臨時政府]]内ですら[[檀君紀元]]派との抗争がありました。
([[紀年法]]だけが争点ではない活動の主導権争いだったようですが、
[[紀年法]]がその象徴の1つでした。)

[153] 
[[大韓民国臨時政府]]本体は[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]を主に使っていましたが、
他団体との共同事業などで[[檀君紀元]]との併記がみられたり、
傘下・関連の団体でも結びつきが弱い団体では[[檀君紀元]]や[[干支年]]や[[西紀]]を使う所もあったようです。
[[大韓民国臨時政府]]側資料でも団体の情報にわざわざ[[紀年法]]の欄があり、
当事者らにとっての重要性がわかります。


[154] 
[[大日本帝国]]域内には[[大韓帝国の元号]]や[[即位紀年]]の[[延長年号]]の用例もみられますし
([SEE[ [[大韓帝国の元号]], [[朝鮮半島の紀年法]] ]])、
王党派等、[[大韓民国臨時政府]]から遠い組織にはそうしたものを使ったところもあったかもしれません。
用例は未発見ですが、[[中華民国]]との結びつきがより強く[[中華民国][民国紀元]]を使ったグループもあったかもしれません。

-*-*-

[78] 
[[日本]]の[[国立国会図書館]]に
[CITE[朝鮮民族運動年鑑]]
という書籍が所蔵されています。
[[奥付]]によると[[米国占領地南朝鮮]][[ソウル市]]で[V[西紀󠄅一九四六年四月七日]]
([TIME[1946-04-07]])
に発行されたとあります ([[手書き]]文字)。
表紙には在上海日本総領事館警察部第2課と書かれており ([[手書き]]文字)、
㊙とあって、
[V[西紀󠄅一九三二年四月三十日]] ([TIME[1932-04-30]])
に[[上海仏国租界]]の大韓僑民團事務所で押収した大韓民國臨時政府および大韓僑民團保管文献による、
と書かれています ([[手書き]]文字)
[SRC[>>13 /1]]。
[CSECTION[[V[例言]]]]
には[V[昭和七年四月二十九日[ASIS[  ]]天長節當日]] ([TIME[1932-04-29]])
に云々と同様のことがより詳しく書かれています ([[明朝体]])
[SRC[>>13 /2]]。

[79] 
[[上海]]の[[日本領事館]]の内部資料が[[大東亜戦争の終戦]]後に流出して[[ソウル]]で印刷されたようで、
[[明朝体]]で印字された本文はそのまま複製し、
[[表紙]]と[[奥付]]は印刷時に手が加えられたのではないかと推測されますが、
本文がまったく原文そのままなのかどうかは判断が付きかねます。

;; [84] 本文はほぼ[[明朝体]]活字ですが、たまに[[手書き]]ページが混じっています。

[105] 後にこれと同じと思われるものが >>14 /100 に[[明朝体]]で[[翻刻]]されて収録されています。


[80] 
この本文は、
[[年表]]形式で編集されており、各年の[[見出し]]は各種[[紀年]]が併記されていますが、
[[大韓民国]]が主となっています。

[82] 
例えば初年にはこうあります。
[SRC[>>13 /7]]

>
[VRL[

大韓民國元年 (大正八󠄂年) [FENCED[(][[LINES[朝鮮紀󠄄元四二五二年][西  歷  一九一九年]]][)]]

]VRL]

([[明朝体]])


[81] 
これが原文ママなのだとすると、
[[上海]]の[[大韓民国臨時政府]]事務所で[[大韓民国]]年で整理されていた書類を、
そのまま[[大韓民国]]で紀年して編集されたのかもしれません。

[83] 
本文や引かれた文書中には
「大韓民國[VAR[何]]年」
や
「民國[VAR[何]]年」
がたくさんあります。
「[V[九年度]]」 [SRC[>>13 /118]]、
「[V[二、六、一四]]」 [SRC[>>13 /66]] 
のような表現もあります。

[92] 
団体情報には「[V[使用年號]]」の欄があるものもあります。
(ないところは[[大韓民国]]なのでしょうか。)

- [93] 義團軍 (所在: [[北間島]]): [V[檀君紀元]] [SRC[>>13 /64]]
- [94] 野團 (所在: [[北間島]]): [V[庚申]] [SRC[>>13 /65]]
-- [95] [TIME[大韩民国2(1920)年庚申][1920]]時点

[96] 
団体の「[V[組織年月日]]」の書き方にも違いがあります。

- [97] 大韓人國民會 (所在: 米國加州桑港): [V[隆熙四年二月一日]] [SRC[>>13 /66]]
- [98] 興士團 (所在: 米國羅府): [V[民國紀元前六年]] [SRC[>>13 /66]]
- [99] 大韓女子愛國團 (所在: [[米國]]): [V[民國元年七月十日]] [SRC[>>13 /66]]

[156] 
[[大韓帝国の元号]]の[[隆熙]] ([TIME[y~1274]]) が使われていて、
[TIME[隆熙4(1910)年庚戌][1910]]に当たります。

[155] 
[DFN[民國紀元前]]とあるのは[[紀元前方式]]でしょうか。
だとすると民國紀元前6年は[TIME[大正2(1913)年][1913]]に当たります。

[157] [[民國紀元前]]がどれだけ使われていたのか、他に用例はなくよくわかりません。
[[大韓帝国]]の時代やそれ以前にも適用されていたのかどうかもわかりません。
ここではたまたま[[大韓帝国]]の時代は[[元号]]ですが、
別団体なので団体ごとの方針の違いとも考えられ、判断が付きません。

[85] 
大韓民国元年4月23日の[[京城]]での会議の項には
「[V[同會ニテハ西歷年號ヲ使用ス]]」と注記されています。
[SRC[>>13 /13]]

[104] 
大韓民国元年10月24日条に、
[[南満州]]の独立党員が入鮮して臨時政府の支障になる云々とあります。
独立党は弱小団体で団規なく、一時の妄動にして朝鮮独立を目的とし、
「[V[年號ハ紀元ヲ用ヒ]]」、
臨時政府に反対して皇室を復位させようとしていたのだそうです。
[SRC[>>13 /23]]
つまり同じ朝鮮独立派でも王党派もいて臨時政府とは抗争していたということです。
ここでの紀元とは[[檀君紀元]]でしょうか。


[102] 
大韓民国4年8月22日条所収の南満統一会の宣言の日付は
「[V[大韓民國六月二日]]」
でした。
[SRC[>>13 /91]]

[103] 
大韓民国5年には内紛があったようです。
大韓民国5年6月6日条所収
「[V[大韓民國五年六月一日]]」付の
[CITE[[V[内務部令第一號]]]]
には、
「国民代表会」が6月2日に年号、国号を定めたるは民国に対する謀反であり云々、
即時の解散を命ず、
とあります。
[SRC[>>13 /97]]


[86] 
大韓民国9年11月14日の上海での会議
「韓國獨立黨各促成會代表聯合會」
の参加団体リストでは、
団体ごとに創立年の書き方が違っています。
[SRC[>>13 /116]]
各団体の使っていた[[紀年法]]と関係しているのでしょう。

- [87] 北京韓國唯一獨立黨促成會: [V[四二五九年]]
- [88] 上海韓國唯一獨立黨促成會: [V[民國九年三月三十一日]]
- [89] 廣東大韓獨立黨促成會: [V[西歷一九二七年五月八󠄂日]]
- [90] 南京韓國唯一獨立黨南京促成會: [V[一九二七年九月二十七日]]

[91] 
大韓民国13年にも「西歷一九二二年」に興士團遠東臨時委員部が組織されたとあります。
[SRC[>>13 /139]]

[101] 
その他「一九一」で検索するといくつか[[西暦年]]が見つかります。


[100] 
大韓民国13年4月18日の上海の会合で5団体:
上海韓人女子靑年同盟、
丙寅義勇隊、
上海愛國婦人會、
上海韓人少年同盟、
韓國勞兵會の宣言書
[CITE[六部會議二千円紀念宣言]]
の[[日付]]は、
「[V[四千二百六十四年四月十八󠄂日]]」
でした。
本文は[[新羅]]1000年の記念日が云々と書いていました。
[SRC[>>13 /140]]


[REFS[

-
[13] [CITE@ja-JP[朝鮮民族運動年鑑 : 自大正8年至昭和7年]], [[在上海日本総領事館警察部第二課]], [TIME[1946]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-30T10:20:02.766Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3466170/1/7> (要登録)

]REFS]

[130] 
大韓民国元年11月15日付で「獨立大同團」の支団長任命状が発行されています。
ところがその同じ團の[CITE[大同團規則]]は
「建國四千二百五十二年九月十七日」
と書いています。
[SRC[>>14 /48, >>14 /50]]
この2ヶ月の間になにかあったのか、それともたまたまなのか。

[135] 
大正8年11月17日報告押収書類、
大韓獨立團輯安總支團、
「紀元四千二百五十二年巳未八月  日」
[SRC[>>14 /454]]

[132] 
大正9年5月22日付通知所収、大韓民国臨時政府の施政方針:
一般人民に日本の年号と旗章の使用を廃止せしむ
[SRC[>>14 /67 左ページ右上, >>14 /231]]

[134] 
大正10年8月5日付、国民代表会の動向:
9月15日開催予定、7月16日以降準備會開かれつつあり。
従来使用しつつある民国年号を廃して紀元年号を使うことの可否などが議題に上がっている。
[SRC[>>14 /90]]


-*-*-

[136] 
[TIME[西紀1945年 (大韓民国27年) 11月][1945-11]]、
[[大韓民国臨時政府]]は解散しました。

[137] 
[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]はその時まで使われたと推測されます。
[[大韓民国]]政府でも当初利用されたということは、
残党はその後も利用し続けたと考えるべきでしょうか。
それとも一旦断絶があるのでしょうか。

* 終戦後の利用

[172] 
[CITE@ja[Xユーザーのハインドさん: 「これ見ると、韓国が漢字を捨ててしまったのが本当に悔やまれる。使い続けてくれればもっと文字による意思疎通ができたのに… https://t.co/j4jzpwOot3」 / X]], [TIME[午後2:36 · 2025年12月23日][2025-12-23T05:36:44.000Z]], [TIME[2025-12-25T06:08:59.000Z]] <https://x.com/RPGuserHIND/status/2003338966112882892/photo/1>

大韓民国28年1月10日

* 大韓民国における公用

[158] 
[[大韓民国]]は[TIME[1948-08-15]]に旧[[米国占領地南朝鮮]]に建国されました。

[16] 
[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]は[TIME[1948-08-15]]から[TIME[1948-09-24]]に[[大韓民国]]の[[公用の紀年法][公的紀年法]]の1つとして使われました。
[SRC[>>1]]

[19] 
当時の[[大韓民国]]は、
すべての[[公文書]]に
「大韓民国30年」
と書いた
[SRC[>>1, >>36]]
とされます。

[159] 
[TIME[西暦1948年][1948]]に新たに建国されたにも関わらず、
[[年数]]は従来の[[大韓民国臨時政府]]の[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]を引き継いでいるので、
30年から始まりました。





[20] 
[[大韓民国]]の採用には、
[[大韓民国臨時政府]]との連続性を内外に表明するための[[李承晩]]政権の強い意志が働いたとされています。
[SRC[>>1, >>36]]

[138] [TIME[1948-09-01]]付の
[CITE[[L[官報]]]]
[SRC[>>147]]
には、[TIME[7月][1948-07]]以後の様々な文書が収録されていましたが、
[[檀紀]]のものと[[大韓民國][大韓民国 (紀年法)]]のものが混在していました。

[160] 
[CITE[[L[官報]]]]
自体の[[日付]]は[[大韓民國][大韓民国 (紀年法)]]で、
「[L[大韓民國三〇年九月一日水曜]]」
「[V[大韓民國三〇年九月一日]]」
とありました。
[SRC[>>24]]

[27] 
[[大韓民国国会]]は[TIME[1948-07-12]]に[[発布]]した
[CITE[大韓民国憲法]]
前文で
「[V[檀紀四千二百八󠄂十一年七月十二日]]」
と書いていました。
この日の
[CITE[[L[官報]]]]
にはこれもそのまま収録されていました。
[SRC[>>24]]


[140] 
[[李承晩]]ら[[大韓民国臨時政府]]出身の政治家は、
[[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]を使うよう主張しました。
一方で国会議員らは[[檀君紀元]]を使うよう主張しました。
[SRC[>>139]]
[[大韓民国国会]]で[[紀年法]]の議論があり、
[[檀君紀元]]が採用されることになりました。
[SRC[>>1, >>36]]

[32] 
[TIME[1948-09-25]]に[[大韓民国]]にかえて[[檀君紀元]]が採用されました。
[SRC[>>30, >>35]]
[SEE[ [[檀君紀元]] ]]

[HISTORY[

[37] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]が、
[TIME[1948-09-25]]制定の[[大韓民国]]法律第4号
[CITE[年号に関する法律]]
で[[大韓民国]]を[[公式な紀年法][公的紀年法]]と定めたとする
[SRC[>>1]]
のは誤りです。

]HISTORY]


[REFS[
- [147] [CITE@ko[국가기록원 기록물뷰어]] ([TIME[2018-05-03 13:44:24 +09:00]]) <http://theme.archives.go.kr/viewer/common/archWebViewer.do?singleData=N&archiveEventId=0028303479>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[[[大韓民国]] (年号) - [[Wikipedia]]]]
([TIME[2016-02-24 17:38:57 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD_(%E5%B9%B4%E5%8F%B7)>
]FIGCAPTION]

> 大韓民国(だいかんみんこく)は、大韓民国臨時政府および建国直後の大韓民国(1948年8月15日 - 9月24日)においてに使用された紀年法。


> 1948年に大韓民国政府が成立すると、同年9月25日、「年号に関する法律」(法律第4号)を制定、「大韓民国」を公式な紀年法に採用、すべての公文書に「大韓民国30年」と記載した。しかし国会は法律施行に先立つ7月12日に大韓民国憲法を発布しており、その前文に制定年として檀君4281年と記載しており、大韓民国暦の採用は李承晩政権が上海で成立した大韓民国臨時政府の継承政権であることを内外に表明するための強い意志が働いた結果とされる。
> その後韓国国会は大韓民国暦と檀君紀元の統合について議論、大韓民国暦は僅か1ヶ月余で使用が停止され、朝鮮の建国始祖とされる檀君の即位を元年とする檀君紀元が採用された。

]FIG]

- [24] 
[CITE@ja[ファイル:Korea gazette.gif - [[Wikipedia]]]], [TIME[2023-06-18T11:29:35.000Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Korea_gazette.gif>
- [139] 
[CITE[단군기원 - [[나무위키]]]], [TIME[2023-06-29T08:35:11.000Z]] <https://namu.wiki/w/%EB%8B%A8%EA%B5%B0%EA%B8%B0%EC%9B%90>


]REFS]



* その後の大韓民国

[45] 
[CITE[大韓民暦]]には[[西紀]]、[[檀紀]]の他に[[大韓民国]]が記載されています。
[SRC[>>4]]

[46] 
しかし[[檀君紀元]]ほどの影響力はないといわれます。 [SRC[>>4]]

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE@ja[第149回 檀紀と主体年号―朝鮮半島の紀年法 | [[こよみの学校]]]], [TIME[2020-07-07 12:46:43 +09:00]] <https://543life.com/campus/backnumber149/>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]『大韓民暦』には西紀と檀紀に加え大韓民国何年という建国を紀元とする紀年法が記載されています。ただし、名目的なものにとどまり、檀紀ほどの影響力はありません。[SNIP[]]
]FIG]

]REFS]


[21] [CITE@ja[Xユーザーの다노さん: 「大韓民国106年3月19日 速報値 https://t.co/6SSZNmKtFG」 / X]], [TIME[午後11:11 · 2024年4月27日][2024-04-27T14:11:38.000Z]], [TIME[2024-05-01T10:06:53.000Z]] <https://twitter.com/Dhanow/status/1784223887531876619>


[28] >>21 この [CITE[Twitter]] アカウントの投稿は訪問地によって[[紀年法]]を書き分けており、
[[大韓民国]]訪問記録の投稿では[[大韓民国]]が使われている。


* 関連

[15] 他の[[紀年法]]は[[朝鮮半島の紀年法]]を参照。

-*-*-

[41] 
[[朝鮮語]]版[CITE[위키백과]]は前の[[年号]]を[[隆熙]]、
次の[[年号]]を[[檀君紀元]]としています。
[SRC[>>36]]
ただし[[隆熙]]とは[[年]]が連続していません。
また、[[隆熙]]の方の記事では次の[[年号]]が無しになっていますし、
[[檀君紀元]]の方の記事では前後の[[年号]]が掲載されていません。
他の[[言語]]の[CITE[Wikipedia]]には前後の[[年号]]が掲載されていません。

-*-*-

[38] 
[[大韓民国]]では[TIME[西紀1998年][1998]]に大韓民国50年、
[TIME[西紀2008年8月15日][2008-08-15]]に大韓民国60周年を祝いました。
[SRC[>>36]]

[39] 60年のときには、[[李承晩]]の意志を無視したものと批判があったそうです。
[SRC[>>36]]

[40] この50年、60年は[[周年式]]の数え方で、
どのみち[[年]]単位で[[元年]]から数える[[紀年法]]とは[[1年ずれ]]ています。

[42] 
[[大韓民国]]には他にも[[建国]]に関係する記念日とされている日がいくつかあって、
どれを祝うべきか政治論争があるようです。



-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE[訪中の韓国大統領 植民地時代の臨時政府庁舎を訪問 | NHKニュース]]
([[日本放送協会]]著, [TIME[2017-12-16 21:09:41 +09:00]])
<https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171216/k10011261291000.html?utm_int=detail_contents_news-related_003>
]FIGCAPTION]

> ムン大統領は独立運動をたたえるとともに、「われわれは臨時政府の樹立を韓国の建国だと見ており、再来年の2019年は建国100周年になる」と述べ、今の韓国の建国は、国際的に認識されている1948年ではなく、臨時政府が結成された1919年だというみずからの歴史認識を強調しました。

]FIG]
-- [43] 消滅確認 [TIME[2023-06-18T12:11:57.700Z]]
-- [44] 
[CITE[訪中の韓国大統領 植民地時代の臨時政府庁舎を訪問 | NHKニュース]], [[日本放送協会]], [TIME[2023-06-18T12:11:44.000Z]], [TIME[2017-12-17T03:07:40.841Z]] <https://web.archive.org/web/20171217030738/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171216/k10011261291000.html>
-
[5] [CITE[「2019年が建国100周年」大韓民国臨時政府の正統性を再確認し建国節議論を一蹴 : 政治•社会 : hankyoreh japan]], [[한겨레]], [TIME[2020-07-07 12:50:22 +09:00]] <http://japan.hani.co.kr/arti/politics/28197.html>



* メモ




