[1] [[東洋]]では古来[[六十干支]]が[[紀年法]]として用いられてきました。
[[元号]]などと併記されることもあれば、単独で用いられることもあります。
[DFN[干支年]]、[DFN[年干支]]、[DFN[干支紀年法]]、[DFN[甲子紀年法]]などといいます。

* 紀年法

[129] 
[[六十干支]]の60種類が順に第0年から第59年までの60年間に割り当てられます。

[130] 
第59年の次は第0年に戻ります。

;; [131] つまり[[干支]]単独では60年間の範囲内でしか[[年]]を特定できません。
60年前、60年後などとの区別のためには他の情報が必要になります。

[132] 
最近では[TIME[昭和59(1984)年][1984]]が第0年です。

** 換算

[9] 
[[西暦年]] [VAR[ad]] を表す[[干支年]] [VAR[k]] は、

[FIG(math)[
[VAR[k]] = ([VAR[ad]] - [N[4]]) [[mod]] [N[60]]
]FIG]

... で[[求め][暦の換算]]られます。ただし [VAR[k]] は[[0起算干支]]です。

** 十二支紀年

[133] 
[[六十干支]]は[[十干]]と[[十二支]]の組み合わせです。
[[十二支]]部分だけ取り出したのが[[十二支年]]です。
[SEE[ [[十二支年]] ]]

[158] 
[[十二支年]]は[[六十干支年]]の[[十二支]]部分と常に一致します。
[[十二支年]]を拡張したものが[[六十干支年]]とも、
[[六十干支年]]を簡略化したものが[[十二支年]]ともいえます。


[134] 
[[東アジア]]では[[十二支年]]は[[六十干支年]]の簡略版として用いられてきました。
[[中央アジア]]では[[十二支年]]が主に用いられてきました。

* 年名

[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]

[34] 
[[干支年]]は、[[干支]]を使って「[VAR[干支]]年」のように表現するのが現代に於いて最も一般的です。

[35] 
[DFN[年]]以外の[[年の字]]を使うこともあり、
「[VAR[干支]]歳」など[DFN[歳]]を使うことが特によく見られます。

[36] 
[[干支年]]の[[年名]]のことを[DFN[歳名]]ということがあります。

@@
[[十二辰]], [[十二次]], [[太歳]]

@@
[SEE[ [[太歳]], [[歳在]] ]]

* 古代の十二支・干支紀年法

[SEE[ [[古代の干支紀年法]] ]]



* 元号圏

[2] 
[[支那]]、[[日本]]などでは、
[[元号]]と[[干支]]を併記していました。
[SEE[ [[元号年]]、[[日本の暦]]、[[南西諸島の日時]] ]]

[16] 
[[元号]]が無い時代 ([SEE[ [[日本古代の日時]] ]]) や略式には、
[[干支]]のみを使ったり、
[[十二支年]] (や[[元号]]と[[十二支年]]の組み合わせ)
を使ったりしていました。

[75] 
[[元号名]]、
[[元号年]]、
[[干支年]]の3要素を併記する方式の他に、
[[元号名]]と[[干支年]]の組み合わせで記述する方式もあります。
[SEE[ [[元号干支年表記]] ]]


[17] 
[[現代日本]]でも[[カレンダー]]、[[寺社]]、[[年賀状]]など限定的ながら使われています。

[27] 
[TIME[昭和54年][year:1979]]に[[日本政府]]は、
[[干支紀年]]は一般的に使われている[[紀年法]]とは言い難いとの見解を内部文書で示していました。
[SRC[>>39]]

[119] [[干支年元号年表示]]

[REFS[
- [39] [CITE@ja[法律案審議録(元号法案 その1) 昭和54年第87回国会 総理本府関係 1]] ([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-12 23:56:17 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2011021814402318057>
34ページ
]REFS]

[68] 意図的に使った例
[SEE[ [[建文]], [[裕民]], [[興朝]] ]]

[146] [CITE@ja[「年号」と「元号」 - 日本中近世史史料講読で可をとろう]], [TIME[2024-02-29T13:37:52.000Z]] <https://japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com/entry/20191022/1571751253>

>戦国大名北条氏の朱印状では年号が使用されず、干支で発給される場合も多い。干支は東アジア世界共通の暦であり、小島道裕氏の「東アジア標準」の文書様式[WEAK[*2]]とする指摘に重ね合わせたくなる。[SNIP[]]

>*2:国立歴史民俗博物館『日本の中世文書』2018年


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[63] [CITE@ja[「年号」と「元号」 - 日本中近世史史料講読で可をとろう]]
([TIME[2020-12-10T05:25:27.000Z]])
<https://japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com/entry/20191022/1571751253>
]FIGCAPTION]

> 戦国大名北条氏の朱印状では年号が使用されず、干支で発給される場合も多い。

]FIG]

@@
[41] 
[CITE@ja-JP[万葉集 第3]], [[日本文学研究資料刊行会]], [TIME[1977.7][1977]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-27T08:45:13.967Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12452119/1/50> (要登録)


** 元号忌避としての干支年

[142] 
[[東アジア]]では通例[[元号]]が使われてきましたが、
[[元号]]が憚られる時に[[干支年]]を使った例が散見されます。

[135] 関連:

- [[開寶]]
- [[魯監国]]
- [[天命]]
- [[朝鮮半島の紀年法]]
- [[五代十国の元号]]
- [[後南朝の日時]]
- [[延寿]]
- [[昭和64年問題]]
- [[平成31年問題]]


[71] 
[CITE[【黒塗り】01-内田G論文07-57【CC2015 mac】.indd - 2018ns_athesis_4_2.pdf]], [TIME[2018-04-06T10:55:24.000Z]], [TIME[2021-12-05T10:44:04.212Z]] <https://www.nihon-shuji.or.jp/about/pdf/2018ns_athesis_4_2.pdf#page=60>

*** 陶淵明

[70] [[東晋]]人で[[南朝宋]]の時代まで生きた[RUBYB[[[陶淵明]]][365-427]]は[[詩人]]として名が知られていますが、
[[南朝宋]]の[[元号]]を使わず[[干支年]]を使ったことでも有名です。

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[69] [CITE@zh[[[宋書]]/卷93 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2021-10-16T08:02:02.000Z]], [TIME[2021-10-30T08:04:49.993Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%AE%8B%E6%9B%B8/%E5%8D%B793#%E9%99%B6%E6%BD%9B>
]FIGCAPTION]

[[陶潛]]条:

>所著文章,皆題其年月,義熙以前,則書晉氏年號,自永初以來唯云甲子而已。

]FIG]

[141] 
[[義熙]]は[[東晋]]の最後の前の[[元号]]。
その次が[[劉裕]]に擁立された[[東晋]]の最後の皇帝の[[元号]]、[[元熙]]。
その次が[[禅譲]]で即位した[[劉裕]]の[[南朝宋]]の[[元号]]、[[永初]]。

[144] 
[[江戸時代]]の[[日本]]の[[詩人]][RUBYB[[[大沼枕山]]][[TIME[1818]]-[TIME[1891]]]]の
[CITE[歴代詠史百律]]
の
[CSECTION[陶潛]]
はこのエピソードを詠み込んだ[[漢詩]]
[SRC[>>143]]。

[145] 
>>143 は >>69 と >>144 を紹介した[[平成時代]]の[[日本]]の文学研究者の論文。



[298] 
[[江戸時代]]の研究者の[RUBYB[[[小山田与清]]][[TIME[1783]]-[TIME[1847]]]]ないし[RUBYB[[[太田元貞]] ([[大田錦城]])][[TIME[1765]]-[TIME[1825]]]]
も、
[[私年号]]に関係して[[陶淵明]]の前例を引いていました。
[SRC[>>299]]
[SEE[ [[日本南北朝時代の元号]] ]]




[REFS[

-
[143] 
[CITE@ja[14-004大村和人.pdf]], [TIME[2024-02-11T14:54:33.000Z]], [TIME[2024-02-12T01:32:50.000Z]] 
<https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/record/3104/files/14-004%E5%A4%A7%E6%9D%91%E5%92%8C%E4%BA%BA.pdf>
#page=4
- [299] [CITE@ja-JP[[[近古文芸温知叢書]] 第3編]], [[内藤耻叟, 小宮山綏介 標註]], [TIME[明治24-44][1911]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-12T01:59:48.249Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1088008/1/30>

]REFS]


*** 南明・清初

[104] 
[RUBYB[[[銭謙益]]][[TIME[1582]]-[TIME[1664]]]]は、
[[明]]臣でしたが[[清国]]の侵攻後は[[清国]]に仕えました。
しかしその後[[南明]]勢力に与しました。

[116] 
[[銭謙益]]の仏典注釈書
[CITE[大佛頂首楞嚴經疏解蒙鈔]]
の目録後の序文部分に[[干支年]]の記述があります。

[117] 
[[明]]朝再興を企てていた時期の著述であり、[[清の元号]]を使っていないのは意図的でしょう。

[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[100] 
[CITE(.label)[大佛頂首楞嚴經疏解蒙鈔]]
-- 
[99] 
「[DATA(.text)[萬曆[A3]己亥之歲蒙年一十有八。我[BR[]]神宗顯皇帝二十有七年也。[SNIP[]]]]」
[SRC[>>98]]
---
[101] 
[TIME(.value)[明万暦27(1599)年己亥][1599]]
---
[102] 
[[神宗顯皇帝]]: [[明]][[万暦帝]]
--
[103] 
「[DATA(.text)[歲在閼逢敦牂九月三日海印弟子虞山蒙叟錢謙益[SNIP[]]]]」
[SRC[>>98]]
---
[105] 
[[閼逢]][[敦牂]]: 甲午
---
[106] 
[TIME[清順治11(1654)年甲午][1654]] /
[TIME[南明永暦8(1654)年甲午][1654]
--
[107] 
「[DATA(.text)[歲在強圉作噩中秋十有一日[SNIP[]]]]」
[SRC[>>98]]
---
[108] 
[[強圉]][[作噩]]: 丁酉
---
[110] 
[[中秋]]: 8月
---
[109] 
[TIME[南明永暦11(1657)年丁酉][1657]]
--
[111] 
「[DATA(.text)[丁酉長至。[SNIP[]]踰三年[A9]己亥。[SNIP[]]明歲。余年八十。[SNIP[]]上章困敦歲三月三日敬他老人謙益焚香再拜重記歲月]]」
[SRC[>>98]]
---
[112] 
[TIME[南明永暦11(1657)年丁酉][1657]]
---
[113] 
[TIME[南明永暦13(1659)年己亥][1659]]
---
[114] 
[[上章]][[困敦]]: 庚子
---
[115] 
[TIME[南明永暦14(1660)年庚子][1660]]






]ITEMS]




[REFS[

-
[98] 
[CITE[X0287 [[楞嚴經疏解蒙鈔]] - 卷/篇章 1 | CBETA 線上閱讀]], [[Axian Lee]], [TIME[2023-02-23T02:34:00.000Z]], [TIME[2023-03-10T11:34:16.684Z]] <https://cbetaonline.dila.edu.tw/zh/X0287>

]REFS]

*** 清末民初

[SEE[ [[清末民初の日時]] ]]

[REFS[
-
[302] 
[CITE[[V[民初紀年考]]]],
[[[V[竹内弘行]]]],
[TIME[1989-06-15]], 
[TIME[2023-03-08T09:49:59.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61000/cks_007_021.pdf>
]REFS]



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [95] [CITE(.label)[南明綱目]]
-- [96] [DATA(.label)[自序]]
「[DATA(.text)[[V[歲在柔兆敦牂之臨月旣[ASIS[望][亡󠄁]]]]]]」
[SRC[>>94]]

]ITEMS]

[REFS[

- [94] [CITE@en[[[南明綱目]]一 page 10 (Library) - Chinese Text Project]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2023-01-14T18:08:23.000Z]], [TIME[2023-03-10T07:17:33.651Z]] <https://ctext.org/library.pl?if=en&file=155097&page=10>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[97] [CITE[Microsoft Word - 373-1-楊鵬樺、王晨_英摘OK_v3.doc - 01_037_003_01_06.pdf]], [TIME[2019-10-18T00:55:48.000Z]], [TIME[2023-03-10T07:18:54.464Z]] <http://ccsdb.ncl.edu.tw/ccs/image/01_037_003_01_06.pdf#page=5>
]FIGCAPTION]

>
[SNIP[]]根據鄭氏《南明綱目》自序之落款時間「歲在柔兆敦牂
之臨月既望」,[SUP[10]] 即陰曆丙午年十二月十六日,陽曆 1907 年 1 月 29 日,[SNIP[]]


]FIG]

]REFS]

[43] 
[CITE@ja-JP[魯迅のなかの古典]], [[林田慎之助]], [TIME[1981.2][1981]], [TIME[2025-07-02T03:11:48.000Z]], [TIME[2025-07-16T15:12:40.652Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12573954/1/25> (要登録)

[44] 
>>43 「古代年号」呼ばわりする点には違和感。意識的に使ったのはおそらくそうであろうが、
この表記法自体は古代から発掘したものではなく歴史的に使われ続けてきた伝統的なもの。


** 中華王朝に支配されない漢人の干支年

[45] [[中華王朝]]旧領における[[漢文]]の[[干支紀年]]
[SEE[ [[チベットの干支年]] ]]


*** 東南アジア華僑

[14] [CITE[6_KJ00000133720.pdf]], [TIME[2023-04-25T13:40:04.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/tak/6/4/6_KJ00000133720/_pdf#page=3>

** 周縁諸民族

[SEE[ [[ヤオ族の日時]] ]]

[SEE[ [[頑張れば文字のように見えてくるらしい]] ]]

** 干支年接頭辞

[65] 
[[干支年]]を書く時は、「歳次戊辰」のように[[歳次]],
[[歳在]],
[[天運]]などの[[接頭辞]]を書くことがありました。
[SEE[ [[干支年接頭辞]] ]]

** 五行十二支紀年

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [139] 
[DATA(.label)[樫崎・山田 [[板碑]]]]
「[DATA(.text)[[V[文安五年[RUBY[土][(ママ)]][RUBY[辰 月][ (ママ) ]]十六日]]]]」
[SRC[>>637]]
-- [140] 
[TIME[日本文安5(1448)年戊辰][1448]], [[戊辰]] = [[つちのえたつ]]


]ITEMS]


[REFS[

- [637] 
[CITE[[V[桃生•山内首藤氏と板碑]]]],
[[桃生町教育委員会]],
[V[平成十一年三月十一日発行]],
<https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/29/29561/21436_1_%E6%A1%83%E7%94%9F%E3%83%BB%E5%B1%B1%E5%86%85%E6%B0%8F%E3%81%A8%E6%9D%BF%E7%A2%91.pdf#page=89>

]REFS]

@@
[42] 
[CITE@ja[Дх02670v : 関尾史郎のブログ]], [[s_sekio]], [TIME[2025-04-21T02:41:23.000Z]] <https://sekio516.exblog.jp/33550289/>


* 中央アジア

[74] 
[CITE[huibao_058.pdf]], [TIME[2022-01-08T10:15:34.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78869/huibao_058.pdf#page=5>

[78] [CITE[Yoshimoto.pdf]], [TIME[2017-10-04T04:59:17.000Z]], [TIME[2022-09-07T04:26:48.227Z]] <https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/653/653PDF/Yoshimoto.pdf#page=35>

* チベット暦

[24] [[チベット暦]]でも[[紀年法]]として用いられています。

* チャンパー式

[136] 
[[八天干]], [[チャンパー式干支年]]


* 開始年

[92] 
[[干支]]は60種類の循環で、どこが始まりとも定まらないものですが、
便宜上または思想上、特定のものを始まりと決めることがあります。
[SEE[ [[干支]] ]]

[93] 
[[干支年]]の場合、次項 (>>18) のように上位単位を決める時、
1巡の第1年をどれかに決めることになります。

[37] 
[[支那暦]]の[[暦元]]をどの[[干支年]]とするかにはいろいろな流儀があります。
[SEE[ [[六暦]], [[四分暦]], [[三統暦]] ]]
かつては[[甲寅]]とするべきという考え方がありました。
[SEE[ [[木星紀年法]] ]]


* 限界の超え方

[127] 
[[干支年]]の1巡分の60年間を[DFN[元]]や一般に[RUBYB[[[周期]]][cycle]]といいます。


[18] 
[[干支年]]は[[干支]]の60ヶ年分を超えて表現できません。
近接した時代しか扱わない日常生活には十分ですが、
長い時間を扱うことができません。
[SEE[ 類例は[[2桁年号]] ]]

[20] [[支那]]では[[元号]]と[[干支年]]を組み合わせて使いました。
この方法は周辺諸国に広まり、近代に入るまでは標準的に使われました。
[SEE[ [[元号名元号年干支年表示]], [[元号名干支年表示]] ]]

[21] 
古代[[日本]]は[[干支年]]を使っていましたが、
[[大宝]]以来の[[元号]]制度の本格導入はこの問題が一因といわれています。
[[大宝律令]]以後[[公文書]]の[[元号]]利用が法制化され、
一般には[[元号]]と[[干支年]]の併記が普及しました。
明治初期まで続きました。
[SEE[ [[日本古代の日時]], [[元号名元号年干支年表示]] ]]

[81] 
[[黄帝紀年]]と組み合わせて何巡目か指定する流儀があります。
[TIME[西暦-2696年 (紀元前2697年) 甲子][-2696]]からが第0巡、
[TIME[西暦-2636年 (紀元前2637年) 甲子][-2636]]からが第1巡となります。
[TIME[西暦-2636年 (紀元前2637年) 甲子][-2636]]からが第0巡,
[TIME[西曆-2396年甲子][-2396]]からが第0巡となる流儀もあります。
[SEE[ [[黄帝紀年]] ]]




[25] 
[[チベット暦]]は[[干支年]]の上位に何巡目かを表す単位を設けました。
[[丁卯]]年を1巡の最初の[[年]]とします。
[TIME[西暦1027年][1027]]からが第1[RUBY[丁卯][ラプチュン]]とされます。
[SEE[ [[チベット暦]] ]]

[33] 
[[印度の木星紀年法]]では[[支那]]の丁卯年が第1年に当たります。

[118] 
[[MPSLC]]
では[[乙卯]]年が [N[1]] となります。
[SEE[ [[MPSLC]] ]]



[26] 
[[李氏朝鮮]]や[[満洲帝国流亡政府]]では[[干支年]]の前に何巡目かを表す数を加えています。
[SEE[ [[元号名干支年表示]] ]]

[46] 
[[中東]]では[[イスラム暦]]と併記しました。
[SEE[ [[十二支年]] ]]

[125] 
[[三元甲子]]


[120] [CITE@ja[随筆(一〇)|第五巻 言霊解・其他|[[出口王仁三郎]]全集 - 霊界物語ネット]], [TIME[2023-04-14T01:31:04.000Z]] <https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121805c210>

>本年は[RUBY[畏][かしこ]]くも神武天皇御即位の前年に[RUBY[当][あた]]る四十四回の[RUBY[庚申][かうしん]]の年である。[SNIP[]]西暦一千八百四十四年の秋から七十六年目[SNIP[]]

1844 + 76 = 1920

[38] >>120 皇紀元年辛酉が含まれる周回 (例えば甲子始まり) を第1巡とすると、
[TIME[西暦1920年][1920]]は第44巡に入ります。

[121] [CITE@ja[(四)新定の紋章|暁の烏(井上留五郎著) - 霊界物語ネット]], [TIME[2023-04-14T01:48:53.000Z]] <https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B116500c094>

>大正十三年は[RUBY[甲子][きのえね]]の歳でありますが、暦学上よりしても三千六百年目に来る意義深き甲子でありまして、神様の方より云えば十二万年目の甲子であって、その当時初めて神様により天地運行の[RUBY[律][りつ]]即ち[RUBY[暦][れき]]に対して、十干十二支の言霊を付与せられたのでありまして、これに動物を配したのは後のことであります。支那道院の[RUBY[侯延爽][こうえんそう]]氏も、[RUBY[艮坤][こんごん]]両方位が最も正しき位置に復帰する歳であると[RUBY[談][はな]]しておられました。聖師様はこの因縁深き甲子に因みて更始会を創立されたのであります。この会はミロクの御神業に奉仕する精神的の会であって、この会の[RUBY[徽章][きしょう]]にこの紋章が用いられているのであります。

[40] 
[TIME[大正12(1924)年甲子][1924]],
[TIME[西暦-1676年甲子][-1676]],
[TIME[西暦-118076年甲子][-118076]]



* 迷信

[31] 
[[干支]]や[[干支年]]には様々な迷信が付加されています。
[SEE[ [[干支信仰]] ]]


* 派生紀年法の一覧

[FIG(short list)[ [28] [[干支年]]から派生した[[紀年法]]
- [[元号名干支年表示]]
- [[干支併記型元号年][元号名元号年干支年表示]]
- [[神武天皇即位前紀干支年]]
- [[崇禎紀元]]
- [[チベット暦]]
- [[太平天国暦]]
]FIG]

[3] [[西暦]]と併記された例も知られています。
[SEE[ [[日本の西暦]] ]]

[5] 
[[干支紀年法]]に至るまでの過去の[[紀年法]] (および学説) は[[古代の干支紀年法]]参照。

[6] 
簡略化されたものは[[十二支年]]を参照。

[30] 
[[紀年法]]と併用する接頭辞は[[歳次]]を参照。


* 干支年に基づく事件名

[51] 
[[元号]]でなく[[干支年]]が事件名に使われがちな時代があります。

[FIG(short list)[ [52] [[干支年]]の事件名
- [[日本古代][日本古代の日時]]
- [[明治時代初期][幕末維新期の日時]]
- [[朝鮮半島][朝鮮半島の紀年法]]
- 清末民初
]FIG]

* 運

[54] [CITE@ja[七支刀の銘文 (No.151)/[[藤井寺市]]]], [TIME[2023-06-16T16:13:17.000Z]], [TIME[2023-06-17T08:59:12.660Z]] <https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/koramukodaikaranomemessezi/wanogoozidai/1387511038569.html>

>[SNIP[]]その後、東晋太和四年が神功五二年(干支二運下げた年代371年)と近似値を示すことから東晋太和四年が通説となったのです。

[87] [CITE@ja-JP[日本文化と朝鮮]], [[朝鮮文化社]], [TIME[1973]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-18T05:32:50.257Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12211650/1/62> (要登録)
左ページ中央あたり

- [53] [CITE@en-us[[[Amazon.co.jp]]: 干支一運60年の天皇紀: 藤原不比等の歴史改作システムを解く : 順治, 林: Japanese Books]], [TIME[2023-06-17T08:59:04.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4908073511/wakaba1-22/>

* 干支年の誤り

[147] [CITE@ja[Xユーザーの豆人さん: 「石巻市鹿又・鹿又八幡神社の元徳二年銘キリーク種子板碑(1330)。と言うよりも“藤原氏女の板碑”と言ったほうが通りがいいかもしらん。一連の写真は去年の春のもの。何がどうとは言わないけれど、貴重な石造物を倒れないようにと腐心してくださったというのが心底嬉しい。 #今日のいしぶみ https://t.co/v7MbEQnIPr」 / X]], [TIME[午後8:13 · 2024年5月21日][2024-05-21T11:13:29.000Z]], [TIME[2024-05-21T09:59:37.000Z]] <https://x.com/_mamehito_/status/1792876361826161094/photo/1>

* 存在しない干支の年

[SEE[ [[非妥当干支]] ]]


* 関連

[12]
[FIG(short list)[
- [[十二支年]]
- [[還暦]]
- [[悪魔干支]]
]FIG]

[128] 
[[十二支年]]のことを[[干支年]]という場合があるので注意。

[32] 
[[干支年]]とは別系統の60年周期もあります。
[SEE[ [[印度の木星紀年法]], [[バビロンの60年周期]] ]]



* 実装

[15] [CITE@en[Cyclic year used in East Asian calendars · Issue #638 · MenoData/Time4J]]
([TIME[2018-03-18 16:01:19 +09:00]])
<https://github.com/MenoData/Time4J/issues/638>


* メモ

[REFS[
- [7] [CITE@ja[干支 - Wikipedia]] ([TIME[2019-09-28 11:17:18 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF#%E5%B9%B2%E6%94%AF%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%B4%80%E5%B9%B4>





[10] ([TIME[2007-01-25 11:48:52 +09:00]] 版)
<http://www.lib.shimane-u.ac.jp/kiyo/m002/0001/004.pdf>

[11] [CITE[暦の蔵 - ★'s Lab]]
([TIME[2016-02-15 15:07:57 +09:00]] 版)
<http://star.aa.tufs.ac.jp/tibet/?%E6%9A%A6%E3%81%AE%E8%94%B5>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[13] [CITE@ja[崇禎紀元 - Wikipedia]]
([TIME[2016-02-11 00:50:37 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A6%8E%E7%B4%80%E5%85%83>
]FIGCAPTION]

> 崇禎紀元後八十三年=1710年'''['''3''']'''
> 崇禎後再癸丑=1733年(2回目の癸丑の年)'''['''4''']'''
> 崇禎後百三十八年=1765年'''['''5''']'''
> 崇禎紀元後四乙丑=1865年(4回目の乙丑の年)'''['''6''']'''

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[22] [CITE@ja[五条大橋 - Wikipedia]]
([TIME[2016-12-21 20:39:16 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%9D%A1%E5%A4%A7%E6%A9%8B>
]FIGCAPTION]

> 正保二年し酉十一月吉日

]FIG]

[23] >>22 「し」と翻刻されているが実際には「乚」 (正保二年乙酉)。

]REFS]






[29] (久野健 [TIME[2018-07-15 18:24:14 +09:00]])
<https://core.ac.uk/download/pdf/159511709.pdf>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[阪神甲子園球場 - Wikipedia]]
([TIME[2019-09-12 12:49:07 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%9C%92%E7%90%83%E5%A0%B4>
]FIGCAPTION]

> 大正13(1924)年が十干十二支の最初の組み合わせである甲子年(きのえねとし)という縁起が良い年という事もあり後に甲子園大運動場(こうしえんだいうんどうじょう、看板表記は阪神電車甲子園大運動場)と命名。

]FIG]

[49] 
[[甲寅叢書]]

[19] ([TIME[2019-09-29 19:08:08 +09:00]])
<https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61000/cks_007_021.pdf>

[50] [CITE[古事類苑]]
([CSECTION[歳時部四]], [CSECTION[年號下]], [CSECTION[年號文字]], 第 1 巻 334 頁, [TIME[2014-08-09 23:32:30 +09:00]])
<http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f000334.html>



[55] [[金銀平文琴]]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[56] [CITE@ja[元号 - Wikipedia]]
([TIME[2020-08-18 17:13:53 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7#%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A8%E6%9D%B1%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%80%81%E6%9D%B1%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2>
]FIGCAPTION]

> 1949年以降の中国(中華人民共和国)では一般の公文書には「公元」(西暦)を使用し、元号やそれに準じた民国紀元のような紀年法は無く、西暦の使用が憚られる宗教建築の棟札などには干支と農暦(旧暦)による紀年が用いられる。

]FIG]


[57] [CITE[大正7年(戊午)・筆文字(午年特設展示-レトロ年賀状美術館)]]
([TIME[2017-04-14T09:01:55.000Z]], [TIME[2020-09-08T08:10:23.042Z]])
<https://www.fuyuki-nenga.com/museum/umadoshi/17-fude.html>

[58] [CITE[昭和5年(庚午)・古代の竹馬(午年特設展示-レトロ年賀状美術館)]]
([TIME[2017-04-14T09:01:57.000Z]], [TIME[2020-09-08T08:11:26.821Z]])
<https://www.fuyuki-nenga.com/museum/umadoshi/24-takeuma.html>

[59] [CITE[昭和5年(庚午)・将棋の桂馬(午年特設展示-レトロ年賀状美術館)]]
([TIME[2017-04-14T09:01:58.000Z]], [TIME[2020-09-08T08:12:11.263Z]])
<https://www.fuyuki-nenga.com/museum/umadoshi/27-keima.html>

[61] ([TIME[2020-06-24T01:11:24.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:00:50.302Z]])
<https://www.city.shimada.shizuoka.jp/fs/2/8/8/7/4/9/_/kawane-okanoya-sono8.pdf>




[64] [CITE@ja[年の干支: suchowan's blog]], [TIME[2020-12-29T03:06:51.000Z]] <https://suchowan.at.webry.info/201401/article_19.html>


[66] [CITE@ja[新江 利彦 (Toshihiko SHINE) - 研究ブログ - researchmap]]
([[Japan Science and Technology Agency]], [TIME[2021-02-06T10:27:19.000Z]])
<https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/478418/f27697ca22778495fd65b8079c90677a?frame_id=973630>


[72] 
[TIME[2021-12-28T06:06:28.500Z]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4938&file_id=22&file_no=1&nc_session=sp45iv8jrkg77i5ddintor8j10>
PDF 22頁

[73] [CITE[sial01-001.pdf]], [TIME[2021-12-28T06:20:48.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/19363/sial01-001.pdf#page=36>

[76] [CITE@ja[年の干支: suchowan's blog]], [TIME[2022-04-28T03:38:47.000Z]] <https://suchowan.at.webry.info/201401/article_19.html>

[77] [CITE[m0020001004.pdf]], [TIME[2019-09-18T13:54:56.000Z]], [TIME[2022-05-30T02:28:03.456Z]] <https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/3/31882/20170425035314552241/m0020001004.pdf>


[79] [CITE@en[The Letter of Petition from Yorimoto | WND I | Nichiren Buddhism Library]], [TIME[2022-09-16T08:13:46.000Z]] <https://www.nichirenlibrary.org/en/wnd-1/Content/97>

>The twenty-fifth day of the sixth month in the third year of Kenji (1277), cyclical sign [I[hinoto-ushi]]

[[創価学会]]ウェブサイトの[[日蓮]]文書英訳文。


[80] [CITE@en[The Actions of the Votary of the Lotus Sutra | WND I | Nichiren Buddhism Library]], [TIME[2022-09-16T08:15:22.000Z]] <https://www.nichirenlibrary.org/en/wnd-1/Content/93>

>ON the eighteenth day of the intercalary first month of the fifth year of Bun’ei (1268),[SNIP[]]
>[SNIP[]] which I wrote in the first year of Bunnō (1260), cyclical sign [I[kanoe-saru]], has been fulfilled to the letter. [SNIP[]]

>That evening, at the hour of the dog (7:00–9:00 p.m.), [SNIP[]]

-*-*-

-[617] [CITE@ja[藝林 = The journal of cultural sciences. 12(3)(68);1961・6 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[藝林会]], [TIME[1950-][year:1950]], [TIME[2022-12-16T08:32:43.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11201653/14>
(要登録)
- [618] 
[CITE@ja[藝林 = The journal of cultural sciences. 12(4)(69);1961・8 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-16T08:33:30.000Z]] <https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11201654/15>
(要登録)

- [157] 
[CITE@ja-JP[日本紀年]], [[塚田六郎]], [TIME[1961]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-07-03T06:37:00.812Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2970226/1/32> (要登録)


-*-*-


[138] [[福岡県立図書館]]蔵書検索より

>
,*記事・論文名 	,干支と災害
,*掲載誌名 巻次 	,故郷乃花 1999年5月 24号
,*著者 	,多田隆
,*出版者 	,小郡市郷土史研究会

>
,45-64 		,干支と災害 	,多田隆
,52-64 		,干支別災害年表 ,	




[47] [CITE@ja-JP[伊賀国無足人の研究]], [[久保文武]], [TIME[1990.11][1990]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T15:30:03.566Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13133135/1/98> (要登録)

[48] >>47 干支年が[[元号年]]と一致しない箇所が多い不審史料
