[80] 
[DFN[元徳]]は、
[[日本の公年号]]の1つです。

* 元号名

** 元[ASIS[〓][⿰彳𫧇]]

[200] [DFN[元[ASIS[〓][⿰彳𫧇]]]]は、
[[元徳]]の[CH[徳]]を[[異体字]]の[CH[[ASIS[〓][⿰彳𫧇]]]]で書いたものです。

- [199] [CITE@ja-JP[群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文)]], [[群馬県史編さん委員会]], [TIME[1988.3][1988]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-21T07:25:01.025Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/273?keyword=%E5%8C%97%E6%A9%98%E6%9D%91> (要登録)

** 元真

[188] 
[DFN[元真]]は、
[[日本の私年号]]の1つです。

[189] 
[[元徳]]の[[異体字]]が[CH[真]]のように見えるものと考えられていますが、
独立した[[私年号]]とする説もあります。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [72] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[浦和市]][[前地]]]]辻村家所蔵[[板碑]]]]
-- [73] [[拓本]] [SRC[>>71]]
--- [74] 現所在不明
-- [75] 「[DATA(.text)[元眞元年五月日]]」
[SRC[>>71]]
- [22] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[台東区]][[今戸]]二丁目]] [[蓮窓寺]] [[板碑]]]]
-- [23] >>15 : 白黒写真 (銘文判読不可)
-- [24] >>15 : 拓影 (銘文判読ぎりぎり可能)
-- [40] >>15 : 紀年部分拡大拓影 (判読できるがやや不鮮明)
-- [25] [[日本国]][[埼玉県]][[東松山市]]の寺院から「最近」 (平成13年時点) 移設 [SRC[>>15]]
-- [26] 
「[DATA(.text)[[V[元真元年七月日]]]]」
[SRC[>>15]]
- [27] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[嵐山町]][[志賀]]]] [[板碑]]]]
-- [76] [DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[菅谷村]][[大字志賀]]]] [[室城寺]]
[SRC[>>31, >>17]]
-- [112] [DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[小川町]][[鎌形]]]] [SRC[>>111]] (>>170)
-- [110] >>109 : 白黒写真 (中解像度) 銘文はぎり判読できるが、字形の詳細な観察には厳しい
-- [129] >>250 : 拓影 白黒写真 (中解像度) 銘文は判読可能、字形の詳細な観察には厳しい
-- [39] >>38 : 拓影 (銘文判読可能)
-- [30] >>15 : 拓影 (銘文判読ぎりぎり可能)
-- [41] >>15 : 紀年部分拡大拓影 (判読可能)
--
[28] 
「[DATA(.text)[[V[元真元年九月廿三日]]]]」
[SRC[>>15, >>156]]
--- [77] 
「[DATA(.text)[[V[元[ASIS[〓][swc752]]元年九月廿三日]]]]」
[SRC[>>31]]
--- [37] 「[DATA(.text)[[V[元悳元年九月廿三日]]]]」 [SRC[>>35]]
--- [171] 「[DATA(.text)[[V[正真元年九月日]]]]」 [SRC[>>164]]
--- [172] 「[DATA(.text)[[V[元真元年九月日]]]]」 [SRC[>>118]]


]ITEMS]

[113] >>27 は[[昭和時代]]中期頃、
現地近くの[[大沢喜一]]によって報告されました。 [SRC[>>111, >>250]]

[29] 
元々は[[志賀]]の所蔵家墓地に所在していました。 [SRC[>>250, >>15]]

[153] 
おそらくその状態で、それに先立つ昭和18年頃、[[寺島祐]]に目撃されていました。
[[寺島祐]]は近くの[[宝城寺]]の住職に保管を依頼しました。
[SRC[>>3]]

[154] 
[[昭和時代]]中期の報告では、所在地が[[志賀]]の[[宝城寺]]となっています。 [SRC[>>76]]
詳細な説明がなく不明ですが、この時点では[[宝城寺]]に移設されていたのでしょうか。


[133] 
その後、[[昭和時代]]後期頃、
盗難防止のため同家敷地内に移動しコンクリートで固定されています。
[SRC[>>15, >>250]]

[159] 
「九月日」と読む説もありました (>>170)。
[[拓本]]を見ると多数派解読の「九月廿三日」が妥当と思われます。

[173] 
1字目は[CH[正]]と読む説もありましたが、
[[拓本]]を見ると[CH[元]]と思われます。
実見すると[CH[正]]のようにも見えたのだろうと思われます。
同じ著者が後の著作で[CH[正]]から[CH[元]]に読みを改めています (>>170)。


*** 諸説

[184] 
[[昭和時代]]以来議論が多く、大別して[[私年号]]説と[[元徳]]の[[異体字]]説があります。

- [44] [[私年号]]説
-- [[中西紫雲]] S13 >>71
-- [[寺島祐]] S35 (S18?) >>3
-- [[久保常晴]] S39 >>161 S42 >>2
-- [[石村喜英]] S58 >>251
-- [48] [[私年号]]とし、あるいは[[元徳]]かとする説
--- [[千々和到]] S58 >>12, >>43
--- [CITE[ウィキペディア]] 平成 >>10
- [45] [[元徳]]に比定する説 / [[平成時代]]の通説
-- [[千々石実]] S43 >>32
-- [47] [[元悳]] (= [[元徳]]) 説
--- [[大沢喜一]] 昭和中期? >>137
--- [[中英夫]] S41 >>19
--- [CITE[板碑]] S56 >>36
--- [CITE[嵐山町の板石塔婆]] H2 >>42
-- [64] [[元悳]] (= [[元徳]]), [[元真]]の可能性を孕みつつも, 説
--- [[伊藤宏之]] H13 >>49 

[185] 不思議なことに、当該[[銘文]]の解読ばかりが注目され、
他の[CH[徳]]の用例等と比較した[[文字学]]的検討はほとんど行われていません。

[186] [[明徳]]の類例も含め、より広い視野での検討が今後必要となってくることでしょう。

[187] [[板碑]]の様式は[[南北朝時代]]頃とされ、
より絞り込んで[[南北朝時代]]中期とする見解もあるものの、
現代までの知見で改めて検討するのが良いと考えられます。


*** 研究史

[71] 
[TIME[1938-03-20]]、
[[日本国]][[東京府]][[東京市]][[上野]]篠輪池東畔無極亭楼上で開催された[[集古会]]第215回例会で、
[[中西紫雲]]が
[CSECTION[[V[異年號板碑拓本]]]] (>>73)
を出典しました。
「[V[元眞元年五月日]]」
と読みました。
[SRC[>>1]]

[132] 
この史料はその後[[令和時代]]に至るまで[[私年号研究]]で参照されず、忘れられていました。

[REFS[

- [1] 
[CITE@ja-JP[集古 戊寅(3)]], [[集古会]], [TIME[1938-05]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T03:40:20.224Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1890795/1/11?keyword=%E5%85%83%E7%9C%9F> (要登録)

]REFS]



-*-*-

[155] 
[TIME[昭和18(1943)年][1943]]頃、
[[大東亜戦争]]で疎開していた[[考古学者]]の[[寺島裕]]
[WEAK[([TIME[明治28(1895)年][1895]] - [TIME[昭和43(1968)年][1968]])]]
は、
>>27
に偶然遭遇しました。
[SRC[>>3]]

[156] 
[TIME[1960-09-11]]、[[寺島裕]]はこれを[[私年号]]の
「元真元年九月廿三日」
と報告しました。
[SRC[>>3]]

[157] 
昭和18年当時の記録は[[米軍]]の襲撃により失われたとのこと [SRC[>>3]] で、
昭和30年代まで (おそらく) 報告されなかったのも、その混乱のためでしょう。

[158] 
[[寺島裕]]はこれを[[私年号]]の新発見と認識していましたが、
[[令和時代]]に至るまで[[私年号研究]]の分野では把握されずに埋もれていました。

[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE@ja[杉山城址の碑が建てられる 1953年 - 嵐山石造物調査会]], [TIME[2022-12-28T13:03:49.000Z]] <https://blog.goo.ne.jp/sekizoubutu/e/a905ce494e8ebdd4e068b844304d523b>
]FIGCAPTION]

>[B[杉山城址と特殊私年号青石塔婆に就いて 寺島祐]]
>[SNIP[]]
> 僕はその後東京で前後四回も戦災の厄に逢い、所持の資料の一切を烏有にしたので、これを明確にする資料がないが、おそらくこの地を僕が訪れたのは戦時中の昭和十八年頃ではなかったかと思う。
>[SNIP[]]、前述のような城址を偶然発見する結果となったのである。
>[SNIP[]]
> [B[◇特殊私年号青石塔婆]]
> 僕が杉山城址を発見した日は詢に多幸な日で、ここに掲げる「特殊私年号青石塔婆」もその同じ道に発見したものであった。その場所は、武蔵嵐山駅から宝城寺への途中の県道の傍で、そこにあった個人墓地のような処にあった。
>[SNIP[]]
> 併し此日僕がそこに発見した梵字弥陀三尊に梵字光明真言を刻んだ青石塔婆は僕の記憶にない珍らしい年号が刻まれていた。それは
>  「元真元年九月廿三日」
>というもので、干子がないのが些か気になるが、その「元真」の年号は将に特殊な私年号であると観じたので、直ちに至近距離にあった曹洞宗の大谷山宝城寺の住職にその保管を依頼したものである。結局これは、それまで誰も気着かなかった新たな私年号の一つを、僕がこの日この所に新たに発見した訳で、それは小事ながら史学界に於ける一つの新発見といえよう。
>[SNIP[]]
>『関東史蹟会報』第195号 1960年(昭和35)9月11日
]FIG]
-- [78] 消滅確認 [TIME[2026-05-04T04:10:54.000Z]]
-- [79] 
[CITE@ja[杉山城址の碑が建てられる 1953年 - 嵐山石造物調査会]], [TIME[2026-05-04T04:10:34.000Z]], [TIME[2025-09-02T05:39:36.200Z]] <https://web.archive.org/web/20250902053902/https://blog.goo.ne.jp/sekizoubutu/e/a905ce494e8ebdd4e068b844304d523b>

]REFS]




-*-*-

[161] 
昭和39年の[[久保常晴]]の論文は、[DFN[正真]]を掲載し、

- [162] [[埼玉県]][[比企郡]][[小川町]][[鎌形]]にて、
- [163] [[大沢喜一]]の報告により実見した、
- [164] 「[V[正真元年九月日]]」
- [165] 様式から[[南北朝]]を降るとは思われない
- [166] [[干支年]]なく年次不明
- [167] [CH[正]]は[[南北朝時代]]に[[正平]]を見るに過ぎず、[[鎌倉時代]]に多い
- [168] [[鎌倉時代]]頃と見受けられ、或いは誤認と見るにしても、
母胎となって次に[[私年号]]の[[乾徳]]が発生したとも受け取れぬこともない
- [169] [[私年号]]・[[異年号]]の別は[[私年号]]

としていました。 [SRC[>>114]]

[160] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
>>27
によって初めて[[私年号]]の[[元真]]が知られたとし、
様式から[[南北朝時代]]中期頃の可能性が強いと推定しています。
[SRC[>>111]]

[118] 
その銘文を「[V[元真元年九月日]]」としています。 [SRC[>>115]]

[119] 
次のように推測しています。 [SRC[>>115]]

- [121] [[真賀]]と共に[[南北朝時代]]中期と推測
-- [122] 使用地は異なるが、同時代でどちらも僧侶による
-- [123] どちらも[CH[真]]、公家的とも仏教的とも取れるのも共通
- [124] [[真賀]]が[[長慶天皇]]の[[代始改元]]がないことで[[畿内]]周辺で生まれたなら、
-- [125] [[元真]]は同趣旨で[[関東]]で生まれたか
- [126] 決定的史料を欠く推測の域
- [127] [CH[真]]は[[公年号]]になく、[CH[元]]は[[鎌倉時代]]に2例あって[[鎌倉時代]]的要素も強いが、
既述の理由から[[南北朝時代]]とみるべき
-- [128] [[真賀]]とともに[[南朝]]的色彩と考えておきたい

[131] 一覧表では[[南北朝時代]]としています。 [SRC[>>130]]

[170] 
明記されていないことを想像で補うと、次の通りです。
[[久保常晴]]は他の[[元号]]と違って先行文献ではなく、
一次報告者から直接知って、現地に赴きました。所在地は[[志賀]]とされますが、
[[久保常晴]]は[[鎌形]]と認識していました。はじめ、[[元号名]]は[[正真]]と読みましたが、
後に[[元真]]に認識を改めました。[[月日]]は現在の通説と異なり「九月日」と読みました。

[191] 
[[所功]]は、[CITE[日本私年号の研究]]を出典に、
[[元真]]を[V[一三六九[YOKO[?]]]]とし、
[[南朝]]に心を寄せる[[関東]]の[[土豪]]たちの[[私年号]]か、
と説明しています。
[SRC[>>190]]

[192] >>191 の前者は[[長慶天皇]]の[[代始改元]]説に基づくもの、
後者は併記された[[至大]]の説明に基づくもので、
まったくの出鱈目ではないものの、
[CITE[日本私年号の研究]]の説明が単純化され違ったニュアンスに変質しています。

[REFS[

- [114] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]]]]
- [2] 
[CITE[日本私年号の研究]]
-- [109] p.[V[図版第四]] [L[(1)]] [L[(2)]]
-- [111] pp.[V[二三六]]-[V[二三八]]
-- [115] pp.[V[二六〇]]-[V[二七五]]
-- [130] p.[V[五三三]]
- [190] 
[CITE@ja-JP[日本の年号 : 揺れ動く<元号>問題の原点]], [[所功]], [TIME[1977.2][1977]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T08:32:40.067Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12207409/1/86?keyword=%E5%85%83%E7%9C%9F> (要登録)


]REFS]

-*-*-


[18] [[昭和時代]]の[[日本国]][[埼玉県]][[浦和市]]の歴史研究者[[中英夫]]は、
[[埼玉県]]内に

- [17] (1) 元悳元年十月廿三日 (1329) 比企郡菅谷村志賀 宝城寺
- [120] (2) 元得三年四月日 (1331) 比企郡菅谷村平沢 平沢寺

があると紹介しました。いずれも実見しているようです。
[SRC[>>117]]

[19] [[延真]]の類例を挙げて、[[元徳]]のことだと判断しています。

[8] [[中英夫]]は後に[CITE[日本私年号の研究]]が >>17 を[[元真]]と判断したことを
「[V[参考までに[BR[]]申しあげておこう]]」
と注釈しています。
[SRC[>>7]]

;; [9] よくわからない表現ですが、納得しないものの反対するほどの材料も持ち合わせていないというところでしょうか。


[REFS[

- [116] [CITE[埼玉史談]] 13(2), [TIME[昭和41(1966)年7月][1966-07]]
-- [117] [CITE[[[[V[県内における私年号板碑]]]]]],
[[[V[中英夫]]]],
pp.[V[二四]]-[V[二六]]
- [5] [CITE[埼玉史談]] 17(4), [TIME[昭和46(1971)年1月][1971-01]]
-- [7] [CITE[[V[「永章」の私年号板碑について]]]],
[[[V[中英夫]]]],
p.[V[四三]]
- [16] [CITE@ja-JP[板碑入門]], [[小沢国平]], [TIME[1967]], [TIME[2024-01-04T08:37:58.000Z]], [TIME[2024-01-04T09:01:51.935Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78> (要登録)

]REFS]



-*-*-

[32] 
[TIME[昭和43(1968)年][1968]]の[[千々和実]]の史料集は、
>>76
の[V[元]]と[V[元年]]の間になんとも言い難い字形らしきもの[CH[[ASIS[〓][swc752]]]]を書き、
その右側に[V[([YOKO[徳?]])]]と注釈を入れています。
西暦年を[V[一三二九]]としています。
[SRC[>>31]]

[33] 
これについて、 >>15 は >>31 を引用して、[[千々和実]]は「元真」とみなしながらも
「真」に「徳?」と注釈して疑問を表していると紹介しています。

[34] 
しかし >>15 の表現から[CH[真]]と読むのは難しいように思われ、
[[千々和実]]が[[元真]]と読んだかどうか
>>15 からは判断しかねます。


[REFS[

-[31] 
[CITE@ja-JP[武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡)]], [[千々和実]], [TIME[1968]], [TIME[2025-04-22T02:57:30.000Z]], [TIME[2025-05-10T09:12:35.592Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/147?keyword=%E4%B9%9D%E6%9C%88%E5%BB%BF%E4%B8%89%E6%97%A5> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[36] 
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]の史料集は、
「[V[元悳元年九月廿三日]]」
とし、
[CH[悳]]は[CH[徳]]の[[古字]]と注釈し、
[TIME[西暦1329年][1329]]に比定しています。
[SRC[>>35]]

[REFS[

- [38] 
[CITE@ja-JP[板碑 : 埼玉県板石塔婆調査報告書 1]], [[埼玉県立歴史資料館 編集]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2025-04-22T02:57:30.000Z]], [TIME[2025-05-10T09:38:35.609Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12286288/1/108?keyword=36-16> (要登録)
- [35] 
[CITE@ja-JP[板碑 : 埼玉県板石塔婆調査報告書 3]], [[埼玉県立歴史資料館 編集]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2025-04-22T02:57:30.000Z]], [TIME[2025-05-10T09:26:06.770Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221354/1/56> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[134] 
[TIME[昭和58(1983)年][1983]]の
[CITE[板碑の総合研究]]は、
次のように述べています。
[SRC[>>251]]

- [135] [[大沢喜一]]が偶然 >>27 を実見、[[異年号]]と明らかにされた
- [136] [[元号名]]第2字がやや不明確
- [137] [[大沢喜一]]は「[V[元悳 (徳) 元年]]」で[[元徳]]の[[同音異字年号]]とした
-- [138] [[埼玉県]]で調査の[CITE[板碑]] (史料編(2) p.93 [SRC[>>35]]) も「[V[元悳 (徳)]]」
-- [149] 初対面時に直接聴いた
- [139] [[千々和実]] [SRC[>>31]] は「[V[元[RUBY[真元][(徳[YOKO[?]])]]年九月廿三日]]」
-- [140] [[元真]]としながらも[[元徳]]への疑問を併せて表示
- [141] [[久保常晴]]は[[元真]]
- [142] 軽々しい決論は下し難いようでもあるが、
- [143] 実見すると[CH[真]]は[CH[悳]]とは到底読めない
-- [144] [CH[直]]の下に[CH[心]]を彫り出した形跡も皆無
- [145] [[私年号]]で「[V[元真元年九月廿三日]]」とするのが適切のように思われる
- [146] 様式から、[[南北朝時代]]以前に遡れず、[[室町時代]]へも下降しない
-- [147] [[南北朝時代]]のある時期の造立
-- [148] [[久保常晴]]の[[南北朝時代]]中期説に一応從う
- [150] 発生理由は不明
-- [151] [[改元]]不履行への不満か
-- [152] 僧が使用

[REFS[

-
[250] 
[CITE@ja-JP[板碑の総合研究 1 (総論編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.2][1983]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T04:01:39.660Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12226011/1/155?keyword=%E5%85%83%E7%9C%9F> (要登録)
--
[251] 
[CSECTION[[V[私年号板碑]]]],
[[[V[石村喜英]]]]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE[仏教考古学研究 - [[石村喜英]] - Google ブックス]], 
[TIME[1993]],
[TIME[2022-12-28T13:09:28.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=NbIwAAAAMAAJ&q=%22%E5%85%83%E7%9C%9F%22>
]FIGCAPTION]

>373 ページ
>これらはカッコ内の公年号を誤って記したか、異字にそれほど違和感や正誤感をもたなかったための表記であったものと思われる。ゆえに、私年号からはここでは除外し、同音異字年号として扱っておく。また片仮名交り私文で表示した「永ワ」(永和)なども、 ...
>374 ページ
>... 鎌倉末期)、元真・至大・致得・永幻(以上南北朝)、徳昌・享正・延徳・福徳・徳応・弥勒・命禄(以上室町時代)の一例であるが、これらの板碑所在地をはじめ、これを公年号に比定すると、それぞれどの年代に該当するかを、以下簡明に明らかにしたい。
>375 ページ
>た(註 9 )が、埼玉県で調査の『板碑』でもこれを「元悳(徳)」とし( # 10 )て、同様の観点に立っている私年号板 埼玉鼻比企郡嵐山町志賀高崎武治氏 表示された(註)が、久保常晴氏はこれを「元真」と見做し、私年号として解明を加えている( # 12 )。
...
ところが千々和実氏坂は「元真元年九月廿三日」として、「元真」とはしながらも真字のかたわらに「徳?」とし、「元徳」への疑問を併せて銘文中、年号の二字目がやや不明確ながら、大沢氏はこれを「元悳(徳)元年」と見て、「元徳」の同音異字年号と ...
>379 ページ
>板 私年号板図 130 弥勒 2 年 9 月 され、しかも「如」件」の用例からみれば、恐らく康永(一二~一四)前後のものであろうと ... 熟知の一基であるが、あるいは一般的といえるかどうか、これを同音異字の「至徳元年甲子(三四)」とすることが行われている。
]FIG]


]REFS]

-*-*-

[12] 
[[千々和到]]は[[元真]]は[[鎌倉時代]]の[[年号]]ではないかと考えている ([[南北朝時代]]ではない)
と述べています。
[SRC[>>11]] (根拠は記載なし。)

[43] 
[[千々和到]]の[[私年号]]の一覧表等には掲載しつつも、
備考欄で、あるいは[[元徳]]か、と注釈しています。
[SRC[>>174]]

[175] 
[CITE[日本私年号の研究]]以後の[[私年号]]の表などに多く掲載され、
時期は次のように表現されています。
[SRC[>>174]]

- [176] [[南北朝時代]] [SRC[>>320]]
- [178] [[南北朝時代]]か
- [177] [[南北朝時代]]中期か
- [179] 14世紀 [SRC[>>321 旧]]
- [180] 14世紀か
- [181] 14世紀半ば [SRC[>>322]]

[183] [[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]にも初期から掲載されています。
時期は細かく変更されていますが、根拠が不明です。 [SRC[>>182]]

[197] 
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]の辞典で、
[[南北朝時代]]の[[私年号]]として[[真賀]]や[DFN[元賀]]を掲載しているものがあります。
[SRC[>>196]]

[198] 個別の[[私年号]]の詳細が記載されていないので、[[元賀]]の正体は不明であり、
他書にも出現しませんが、本書の他の掲載[[私年号]]から総合的に考えて、
[[元真]]の[[誤記]]/[[誤植]]が疑われます。[[幽霊元号]]の1つです。


[REFS[

- [196] 
[CITE@ja-JP[年表日本歴史 3]], [[井上光貞 '''['''ほか''']'''編集]], [TIME[1981.11][1981]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-08T12:49:00.512Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12193825/1/89?keyword=%E5%85%83%E8%B3%80> (要登録)
- [11] [CITE[[[中世東国の「私年号」]]]]
- [174] [[日本私年号一覧表]]
- [182] [[ウィキペディアの私年号一覧表]]
-- 
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,元真 	,- 	,14世紀半ば 	,不明 	,埼玉県小川町発見板碑。公年号「元徳」の異表記か。 
]FIG]
-- [319] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:00:16.087Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=12991145>
--- [320] 
[CSECTION[2007年6月7日 (木) 19:38時点における版]],
124.25.210.158
-- [321] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:01:03.449Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21472516>
--- [322] 
[CSECTION[2008年8月27日 (水) 17:42時点における版]],
[[可怜]]

]REFS]

-*-*-







[21] 
[TIME[平成12(2000)年][2000]]春、
[[伊藤宏之]]は未報告の[[板碑]]
>>27
で[[元真]]銘を確認しました。
[TIME[平成13(2001)年][2001]]の[[論文]]で報告しました。
[SRC[>>15]]

[49] 
[[伊藤宏之]]は
>>22
>>27
2つの[[板碑]]の第2字を比較し、これを[CH[悳]]と結論付けました。
[SRC[>>15]]

- [50] 2つの[[板碑]]の第2字はよく似ている
-- [51] A : ともに[CH[亠]]。
-- [52] B : [CH[日]] ([CH[目]]ではない) の下に[CH[一]]。
-- [54] C : 左下。嵐山町板碑では左上から右下へ。
蓮窓寺板碑では点を打つ様に刻まれる。
-- [55] D : 右下。点を打った後右に曲げられている。
嵐山町板碑では[CH[乙]]状。
蓮窓寺板碑では[CH[L]]状、点を打った後右へ移動し、更に左下で次の[CH[元]]へ続くように流れる。
- [56] [CH[悳]]ならば C, D は[CH[心]]でなければないが、
[CH[心]]でない、このため[CH[悳]]説を認めない見解がある
- [57] 両板碑をよく観察すると、 C, D は明らかに文字の一部として刻まれており、
傷や剥落であない
- [58] [CH[真]]の[[草書体]]なら C, D は[CH[ハ]]や[CH[い]]のようになり、
特に D は[CH[L]]や[CH[乙]]のようにはならない
- [59] [CH[心]]の[[草書体]]は[CH[ル]]のようになることがある
- [61] 多くの共通点を持つから、同一人物もしくは同系列の書体を書く2人の文字をもとに別個の石工により刻まれた可能性がある
- [63] 
元徳元年7月日は[[遡及年号]]、
元徳元年9月23日は[[改元]]1ヶ月以内であるが、
造立日を表すとは限らず、刻まれたのが改元後で新年号を使用したに過ぎない可能性があるから、
不審とはいえない
- [65] 
なぜ2基だけ[CH[悳]]が使われたのかは課題として残る
- [66] 
嵐山町と東松山市は10kmも離れていない。
同系列の書体の板碑があるということは、
嵐山町南部から東松山市西部一帯に所在する中世寺院、おそらくは同一僧の関与の可能性
- [67] 
[[板碑]]形態からの分析も必要


;; [62] 
字形の分析は妥当に感じられますが、 >>61 についてはどうでしょうね。第2字については確かに似ているように感じますが、
[CH[元]]や[CH[年]]は違いが大きいです。同一人物でもこの程度の字形の揺れはあるでしょうが、
第2字が似ているだけに違いが際立ちます。これだけを材料に同一の系列か否かを判断するのは難しいと思われます。

[REFS[

- [20] 
[CITE[鴨台史学]] (2),
[[大正大学史学会]],
[TIME[2001-03]]
-- [15] 
[DFN[[CITE[[V[台東区蓮窓寺所在の板碑[BR[]]―私年号「元真」再考―]]]]]],
[[[V[伊藤宏之]]]],
pp.[L[53]]-[L[60]]
--- [42] 
引用:
[CITE[嵐山町の板石塔婆]],
[TIME[1990]],
p.33

]REFS]


** 元得

[108] 
[DFN[元得]]は、[[元徳]]の異表記の1つです。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [95] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[嵐山町]][[平沢]]]] [[平沢寺]] 板碑]]
-- [96] 「[DATA(.text)[元得三年四月日]]」
[SRC[>>46, >>98]]
- [99] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[深谷市]][[高畑]]]] 金井家 [[板碑]]]]
-- [100] 「[V[元徳三年□月日]]」
[SRC[>>98]]
- [101] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[深谷市]][[高畑]]]] 金井家 [[板碑]]]]
-- [102] 「[DATA(.text)[[V[元得三年[BR[]]六月日]]]]」
[SRC[>>98]]


]ITEMS]


[REFS[

- [98] 
[CITE@ja-JP[歴史考古学 (28)]], [[歴史考古学研究会]], [TIME[1991-05]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T05:42:00.217Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7951476/1/57?keyword=%E5%85%83%E5%BE%97> (要登録)

]REFS]

*** 諸説

[104] 
[[元徳]]の異表記とする説が通説となっています。特段深く議論されたことはありませんが、
これといって疑問視するべき要素もありません。

[105] 
>>99 >>101 と同一地に[[元徳]]と[[元得]]が共存する事例があり、
[[板碑]]の様式等の検討を要するものの、同時代であることの強い根拠と成り得る史料と思われます。

[106] 
もしそうなれば、[CH[得]]と[CH[徳]]が当時の人に使い分けの強い意志なく混用されていたこととなります。

;; [107] 他でも[CH[徳]]と[CH[得]]の[[通用]]はまま見られます。

*** 研究史

[14] 
[[昭和時代]]の
>>46 は元得3年4月日板碑を >>117 を出典に掲載しています。
「[V[[SNIP[]]中秀夫氏は元徳[ASIS[[YOKO[?]]か]]としている。]]」
と説明しています。

[103] 
[TIME[平成3(1991)年][1991]]の史料集は特に注釈もなく掲載していますが、
年代順となっているので、[[元得]]を[[元徳]]と解釈したようです。
[SRC[>>98]]

[97] 
それ以外に[[私年号研究]]の文脈で紹介されたことは無いと思われます。

[REFS[

- [46] [CITE[[V[私年号板碑仮年表]]]],
[[[V[中山正義]]]]

]REFS]


*  元徳の延長年号

[SEE[ [[日本中世の延長年号]] ]]

[68] 
[CITE@ja-JP[栗原郡の板碑]], [[栗原郡郷土史研究会]], [TIME[1982.12][1982]], [TIME[2025-07-29T01:46:14.000Z]], [TIME[2025-07-30T09:33:44.695Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221636/1/14?keyword=%E5%85%83%E5%BE%B3> (要登録)

元徳六年 [[延長年号]]

[70] 
[CITE@ja-JP[[[習志野市史]] 第1巻 (通史編)]], [[習志野市教育委員会]], [TIME[1995.3][1995]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-28T09:13:58.858Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644794/1/161?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

元徳5年



[6] [CITE@ja-JP[川口市史 古代・中世資料編]], [[川口市]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-04T10:11:04.000Z]], [TIME[2024-01-04T13:15:16.463Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/242> (要登録)
左下

[[延長年号]]


[13] [CITE@ja[神奈川大学 学術機関リポジトリ]], [TIME[2024-02-17T14:57:07.000Z]] <https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/records/14171>
#page=64

[[延長年号]]

** □徳4年板碑

[93] 
[DFN[□徳]]という未知の[[私年号]]の可能性が指摘された[[板碑]]があります。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [81] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[山梨県]][[北都留郡]][[上野原町]][[大野]][[花坂]]]] [[上条清平]]蔵[[板碑]]]]
-- [83] >>69 : [[拓本]] [[白黒写真]] (中解像度) 判読困難
-- [82] 
「[DATA(.text)[[V[□徳[LINES(quarter)[二][二]]年[BR[]]七月日]]]]」
--- [84] 「[DATA(.text)[[V[元徳四年七月日]]]]」
[SRC[>>69]]

]ITEMS]

[85] >>83 では[[字形]]が不明瞭で、第1行の判読が困難です。
>>84 の[[元号年]][CH[四]]は、[CH[[TATE[[LINES(quarter)[二][二]]]]]]と書かれているように見えますが、
不鮮明で自信を持てません。

[86] 当[[板碑]]の銘文の一部は追刻とされます。 [SRC[>>69]]
既存部分が不鮮明なのも改竄の疑いがあるのかどうか、言及はされておらず、
拓本でも判断が付きません。

*** 諸説

[89] 
用例の[[元号名]]が判読困難であることと、
[[元徳]]が3年までとされることから、
[[元徳]]を有力とみつつも未知の[[私年号]]「□徳」とみる説が提示されています。

[90] 
しかし、[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の中で紹介されたことがなく、埋もれていました。

[91] 
[[拓本]]では[[元号名]]の判読が困難であり、おそらく実見しても同じと思われます。

[92] 
[[元徳]]の4年が存在しないとの理解によって[[元徳]]と読む説に自信が持てないでいるものと思われますが、
他に[[元徳]]の[[延長年号]]の用例多く、[[甲斐国]]という位置から見ても、
元徳4年とすること自体には問題がないと考えられます。

[94] 
今後新たな情報が報告されない限りは、新出の[[私年号]]の可能性は低いと考えて良いと思われます。

*** 研究史

[87] 
[TIME[昭和63(1988)年][1988]]の史料集は、
[[元号名]]を「元徳」と[[翻刻]]した上で、
判読し難いとし、
[[元徳]]は3年までなので[[私年号]]「[[□徳]]」の可能性もあるが、
「ここでは」[[元徳]]と判読しておくと説明しています。
[SRC[>>69]]

[88] 
また、[[板碑]]の様式は[[鎌倉]]末期 ([[正安]] - [[元弘]]) と判定しています。
[SRC[>>69]]


[REFS[

- 
[69] [CITE@ja-JP[甲斐国の板碑 1 (郡内地方の基礎調査)]], [[持田友宏]], [TIME[1988.11][1988]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-28T09:09:12.151Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13199069/1/23?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

]REFS]


* 関連

[193] 
[[元]]の[[元貞]]が [[OCR]] や[[中華人民共和国]]系の低品質解説等で[[元真]]となっていることがよくあります。


[194] 
[CITE@zh-Hans-CN[中政院 - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2026-04-21T06:52:21.000Z]], [TIME[2026-05-04T08:44:23.554Z]] <https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E4%B8%AD%E6%94%BF%E9%99%A2>

>[SNIP[]]元真二年,[SNIP[]]

[195] >>194 出典は書籍の[CITE[元史]]。原典でどう表記されているのかは不明。


* メモ