[17] 
[DFN[正法]]は、
[[奈良時代]]の[[日本の私年号]]とされるものの1つです。

* 読み

[32] 
[[読み][元号名の読み方]]は
「しょうほう」
[SRC[>>18]]
とされます。

* 用例

[20] 1例のみ知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [2] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[松戸市]]]] [CITE[本土寺過去帳]] [V[二十七日[SUP(smaller)[上]]]]]]
-- [5] >>1 : 白黒写真 (中解像度) 一部かすれて不鮮明ですが、原本の時点でそうなのかもしれません。
-- [21] 
[DATA(.label)[[[光明皇后]]]]
「[DATA(.text)[[V[正法元七月]]]]」
[SRC[>>5, >>1, >>13]]

]ITEMS]


[3] 
これは[[崩御]]の年月を表していますが、
現在の通説によれば[[光明皇后]]の[[崩御]]は[TIME[天平宝字4(760)年6月7日][kyuureki:760-06-07]]に当たります。

[REFS[
- 
[13] 
[CITE@ja-JP[千葉県史料 中世編 本土寺過去帳]], [[千葉県企画部広報県民課]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-22T03:46:34.210Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642635/1/217?keyword=%E6%AD%A3%E6%B3%95> (要登録)

]REFS]


* 諸説

[34] 
[[正法]]は用例も1件しかなく、これを扱った研究もほとんどありません。
[CITE[日本私年号の研究]]が[[私年号]]と認定しなかったためか、
その後の[[私年号研究]]でもほぼ無視されています。

[35] 
現在知られる唯一の用例は[[中世]]成立の[[過去帳]]で、
遡って[[奈良時代]]の没年を記入したものです。
時代的にも地域的にも、著しく離れた記録です。

[36] 
[[光明皇后]]のことも、その時代のことも、
同時代のもの・後世のもの共に全国に多く記録が残りますが、それでも[[正法]]の用例は1例しか報告されていません。
未報告のもの、消滅したものの存在を考慮しても、
これが[[光明皇后]]の当時から受け継がれた記録と考えるのはかなり無理があります。
また、後世的にせよ広く用いられた年の表現方法と考えるのも難しいと言わざるを得ません。

[37] 
すると消去法的に、

- [38] 後世的かつ一部の限られた範囲で使われた[[元号]]である
- [39] 何らかの誤りで偶発的に発生した表記である

... のいずれかになるでしょうか。

-*-*-

[40] 
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[本土寺]]が教学上の理由で意図的に利用したと想定しています (>>27)

[12] 
それにしても、いかに[[光明皇后]]を讃えるためといっても、
そのためだけにわざわざ[[建元]]するということはあり得るのでしょうか。
教派的に重要な他の僧侶などでなく[[光明皇后]]だけが特別に[[元号]]を設けられるほど、
[[光明皇后]]が重視されていたようにも思われません。

[11] 
ところで[[仏教]]で[[正法]]の時代といえば、
まず思い浮かぶのが[[末法思想]]等の[[正法]]でしょう。
しかし[[正法]]は[[仏滅]]後500年なり1000年の間なので、
どう数えるとしても、
正法元年と[[光明皇后]]の時代はまったく一致しません。

[42] 
[[日蓮宗]]で[[正法]]といえば、
正当な法、すなわち[CITE[法華経]]のことをいいます。
確かに[[久保常晴]]が指摘するように、
[[光明皇后]]は[CITE[法華経]]の信仰に貢献した人物といえます。
しかし、それをもって[CITE[法華経]]の時代とするほどの画期かといえば、
疑問も残ります。
有名どころでいえば、[[聖徳太子]]や[[日蓮]]を[[正法]]の[[元年]]とする方がむしろ適切とも感じられます。

-*-*-

[14] 
>>13 では[[光明皇后]]は左ページに属しますが、右ページ上方には
「小西正法寺」と書かれています。
また、右ページ中には名前の横に「小西正法寺云々」と書かれている項目もあります。
[[正法寺]]は[[日蓮宗]]の有力寺院で、[[本土寺]]とも関わりがあります。

[15] 
あるいは「正法元」は何処かより「正法寺」が混入し、
[[元号名]]と誤認されて「寺」から「元」に訂正された結果とも考えられます。
月だけで年が書かれていない項目は他にもありますから、
[[光明皇后]]には元々[[崩御]]年が書かれていなかった可能性は十分にあります。


* 研究史

[9] 
用例のある
[CITE[本土寺過去帳]]
は古くから研究者に知られていましたが、
[[異年号]]として認知されたのは
[CITE[日本私年号の研究]]
が最初と思われます。

** [CITE[日本私年号の研究]]

[8] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[正法]]を[[私年号]]にも[[古代年号]]には含めず、
[[古代年号的諸資料]]分類しています。
次のように述べています。
[SRC[>>1]]

-
[4] 
[[光明皇后]]の[[崩御]][[月日]]の違いがあるが、
-- [24] 後世ともなれば異説もあったのだろう
- [23] 同じ年だとすると天平宝字4年が正法元年
- [22] 
継続年数は不明
- 
[6] 
[[本土寺]]は、由緒ある[[日蓮宗]]の[[本山]]
-- [26] 
[[法華経]]を重視する[[日蓮宗]]として、
夫妻で仏教興隆に尽くし[[法華寺]]を建立した[[光明皇后]]の徳を崇め、
-- [27] 
法を正しく行った方との意味で生まれた称かもしれない
-
[7] 
[[小金井]][CITE[本土寺過去帳]]の奥書から、寛正7年以前に成立した称である

;; [28] [[私年号の呼称と分類]]も参照。

[REFS[

- [25] [CITE[日本私年号の研究]] 
-- [1] pp.[V[一五二]]-[V[一五七]]

]REFS]

** 平成時代

[10] 
一覧表の類で[[正法]]を掲載したものはほとんどありません。
[SRC[>>29]]

[30] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]の表は、
平成20年に追加しました。直接の出典は不明です。
[SRC[>>31]]

[33] 
[TIME[平成30(2018)年][2018]]の [[SNS]]
投稿は、
あたかも当時同時代的に実用された[[私年号]]であるかのような説明をしています [SRC[>>19]]
が、根拠は不明です。
[CITE[本土寺過去帳]]を挙げていますが、それを読んで分析した結果のようには読めません。
[CITE[ウィキペディア]]の表を見て、それ以上の信頼できる資料を確認することもなく適当に書いた類のものでしょうか。

[REFS[

- [29] [[日本私年号一覧表]]
- [31] [[Wikipediaの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,正法 	,- 	,天平宝字4年(760年) 	,不明 	,『本土寺過去帳』 

]FIG]
- [18] 
[CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「【元号】327 正法 しょうぼう 天平宝字4年(760年)期間不明 『本土寺過去帳』 古代の私年号は以上。いずれも寺社の文書(もんじょ)などに断片的に記されているだけで、実際に使われた形跡はほとんどない。私年号というぐらいだから、少数の人だけで使っても構わないわけだが。」 / X]], [TIME[午後9:07 · 2018年10月25日][2018-10-25T12:07:06.000Z]], [TIME[2026-07-02T13:11:40.000Z]] <https://x.com/11111hiromorinn/status/1055430549928521728>
-- [19] 
[CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「「正法」を最後に、このあと実に400年間も私年号は使われていない。次に登場するのは平安末期。相変わらず寺社の記録の中に存在するものが大多数だが、実際に使われたものも少しずつ登場する。なお、最後の私年号は1946年(昭和21)である。引き続き紹介する。」 / X]], [TIME[午後9:07 · 2018年10月25日][2018-10-25T12:07:06.000Z]], [TIME[2026-07-02T13:11:40.000Z]] <https://x.com/11111hiromorinn/status/1055430551019053056>

]REFS]

* 関連

[SEE[ [[仏暦]] ]]

[SEE[ [[正法 (紀年法)]] ]]

* メモ
